共通価値の創造 (csv:creating shared value) · 2. 米国の経営学における...

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2014/04 季刊 企業リスク 85 共通価値の創造 (CSV:Creating Shared Value) 研 究 室 トーマツ企業リスク研究所 主任研究員 奥村 剛史 共通価値の創造(CSV)という概念が、CSRやサステナビリティーの分野で大きな関心を集めて いる。その主張や背景から、企業戦略やブランディングの分野とも関わりが深く、CSVの名を冠する 部門を持つ企業なども出ている。本稿ではその内容や背景について、筆者の理解を交えながら紹介 していきたい。 1.共通価値の創造(CSV)とは CSVとは、企業戦略の大家であるハーバード大 学のマイケル・ポーター教授が、「共通価値の戦略」 という2011年の論文において提唱した概念で、 「 経 済 的 価 値 を 創 造 し な が ら、社 会 的 ニーズ に 対 応 する こ と で 社 会 的 価 値 も 創 造 する 」と い う アプ ローチである。いわゆる「本業でのCSR」を想起さ せ る 内 容 で あ る が 、様 々な 特 徴 的 な 要 素 が 入って いる。「Creating」は、単なる価値の再分配ではな く、価 値 創 造 で 分 配 する パ イ を 増 や すと い う 意 味 、 「Shared」はそのパイが(企業の)経済的な価値と 社会的な価値によって共有されるという意味、そして 「Value」は、便益(効果)だけではなく、費用と効果 の双方を勘案した費用対効果を指標とする意味が それぞれ込められていると、筆者は理解している。 なお、ポーター教授は2006年にも、「競争優位の C S R 戦 略 」と い う 論 文 を 発 表しており、そ の 論 文で 検討された概念を発展させたのが、「共通価値の戦 略」で論じられているCSVの概念である。 2.米国の経営学における CSRの扱い 意外に思われるかもしれないが、米国の経営学で 図表1 CSVの意味するところ Shared Creating Value Sharing Creating 社会に とっての 価値 経済的な 価値 × 経済、社会における 価値のパイそのもの を大きくする 企業がすでに 生み出した価値の再分配 費用対効果 (あるいは、収入‐コスト) 企業 良く知られた 概念ただし、 社会貢献に ついては、その 評価対象外 政府やNGO なじみが薄い 費用・効果の どちらか片方 で評価する ことが多い www.deloitte.com/jp/book/er トーマツ 企業リスク

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Page 1: 共通価値の創造 (CSV:Creating Shared Value) · 2. 米国の経営学における CSRの扱い 意外に思われるかもしれないが、米国の経営学で 図表1

2014/04 季刊 ● 企業リスク 85

共通価値の創造(CSV:Creating Shared Value)

研 究 室

トーマツ企業リスク研究所 主任研究員 奥村 剛史

 共通価値の創造(CSV)という概念が、CSRやサステナビリティーの分野で大きな関心を集めて

いる。その主張や背景から、企業戦略やブランディングの分野とも関わりが深く、CSVの名を冠する

部門を持つ企業なども出ている。本稿ではその内容や背景について、筆者の理解を交えながら紹介

していきたい。

 1. 共通価値の創造(CSV)とは

 CSVとは、企業戦略の大家であるハーバード大

学のマイケル・ポーター教授が、「共通価値の戦略」

という2011年の論文において提唱した概念で、

「経済的価値を創造しながら、社会的ニーズに対

応することで社会的価値も創造する」というアプ

ローチである。いわゆる「本業でのCSR」を想起さ

せる内容であるが、様々な特徴的な要素が入って

いる。「Creat ing」は、単なる価値の再分配ではな

く、価値創造で分配するパイを増やすという意味、

「Shared」はそのパイが(企業の)経済的な価値と

社会的な価値によって共有されるという意味、そして

「Value」は、便益(効果)だけではなく、費用と効果

の双方を勘案した費用対効果を指標とする意味が

それぞれ込められていると、筆者は理解している。

 なお、ポーター教授は2006年にも、「競争優位の

CSR戦略」という論文を発表しており、その論文で

検討された概念を発展させたのが、「共通価値の戦

略」で論じられているCSVの概念である。

 2. 米国の経営学における CSRの扱い

 意外に思われるかもしれないが、米国の経営学で

図表1 CSVの意味するところ

SharedCreating Value

Sharing

Creating 社会にとっての価値

経済的な価値×

経済、社会における価値のパイそのものを大きくする

企業がすでに生み出した価値の再分配

費用対効果(あるいは、収入‐コスト)

企業良く知られた概念ただし、社会貢献については、その評価対象外

政府やNGOなじみが薄い費用・効果のどちらか片方で評価することが多い

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2014/04 季刊 ● 企業リスク 86

は社会貢献や企業の社会的責任に関して、少なから

ず論じられている。例えば、マネジメント論の大家で

あるドラッカー教授には、「非営利組織の経営―原

理と実践」という、NGO等の経営に関する著作があ

る。また、マーケティングの第一人者であるコトラー

教授にも、「社会的責任のマーケティング」という、

事業の成功とCSRの両立についてマーケティングの

視点から考察をした著作がある。そして、MBA取得

を目指す経営大学院(ビジネススクール)でも、社会

貢献や企業の社会的責任に関する課目があったり、

あるいは、公共政策や環境などの他の専門分野の修

士の学位を、MBAと同時取得※できる制度なども存

在する。

※通常のMBAよりも、修了までに時間がかかることが

 一般的である。

 3. CSVで提唱していること

 さて、そのCSVの定義は、「企業が事業を営む地域

社会の経済条件や社会状況を改善しながら、みずか

らの競争力を高める方針とその実行」である。社会

の発展と経済の発展の関係性を明らかにし、これを

拡大することが重視されており、その尺度には「価

値」が用いられている。

 ともすると、株主等からのプレッシャーもあり、企

業は短期的な経済的価値に目が行きがちになるが、

社会的な価値と結びついてこそ、健全な企業の発展

が見込まれる。少々乱暴な言い方であるが、健全な

企業の発展のために視野を広げよう、という主張で

あると筆者は捉えている。社会的価値の創造に目を

向けることで、企業は新たな経済的価値を享受し、

社会・経済の双方の発展に寄与することが見込まれ

ている。

 企業が共通価値を創造する具体的な方法は、以下

の3つがあると論じられている。

●製品と市場を見直す。

●バリューチェーンの生産性を再定義する。

●企業が拠点を置く地域を支援する産業クラ

 スターをつくる。

 なぜ、この3つの方法なのかについて、論文では触

れられていない。筆者なりに以下のように整理をし

てみた。まず、図表3にあるように、事業活動を企業

内の活動とそのインプットであるサプライヤーから

の調達、アウトプットである商品・サービスの提供と

いう要素に分けた。すると、調達活動などに関して

多少の重複はあるものの、それぞれに対応した価値

創造の形が示されていると解釈することができる。

図表2 CSVのイメージ

図表3 事業活動と3つの価値創造

③社会・経済の発展③

社会 企業

①社会的価値の創造

②経済的価値の創造

サプライチェーンからの原材料の調達

企業内の活動

顧客への製品・サービスの提供

インプット アウトプット事業活動

価値創造

●企業が拠点を  置く地域を支援 する産業クラス ターをつくる。

●製品と市場を 見直す。

●バリューチェーン の生産性を 再定義する。

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2014/04 季刊 ● 企業リスク 87

共通価値の創造(CSV)

 次に、3つの価値創造についてポーター教授が論

じられている内容を、それぞれ見ていきたい。

 1つ目の「製品と市場を見直す」では、「我々の製品は

顧客、あるいは顧客の顧客の役に立つのか」という最も

根本的な問いを改めて追求すること、貧困地区や開発

途上国など、これまで存続可能と認識されていなかっ

た市場を開発することによって、社会的ニーズを満たす

ことが挙げられている。企業はまず、自社製品によって

解決できる、またはその可能性がある社会的ニーズや

便益、および害悪を明らかにすべきだ。ただし、それは

技術の進歩や経済の発展、社会的優先順位の変化など

に伴い、絶えず変化するものであり、社会的ニーズを常

に捜し求めることが大切である、と述べられている。

 2つ目の「バリューチェーンの生産性を再定義す

る」に関しては、ひとつ注意点があると筆者は考えて

いる。ここで言う「バリューチェーン」は、ポーター教

授の著書「競争優位の戦略」で示された、利益(マージ

ン)を生み出すための企業の活動プロセスと理解する

ことが妥当であろう。社会的責任に関する国際規格で

あるISO26000などで述べられている、原材料の採

取から製品の廃棄まで、いわゆる「ゆりかごから墓場

まで」のサプライチェーン的な概念を示す言葉ではな

く、企業内の活動にフォーカスした概念であることに

は注意が必要である。

 さて、改めて「バリューチェーンの生産性を再定義

する」の内容であるが、こちらの項目は伝統的なCSR

活動と近しい内容であり、例えばCO2削減の取り組

みが、エネルギーコストの削減につながる事例や、資

金や技術を提供してのサプライヤーの育成が生産性

や品質の改善につながる事例が取り上げられてい

る。社会問題にはバリューチェーンに経済的コストを

発生させる可能性を孕んでおり、共通価値の観点から

バリューチェーンを見直すことで、これまで見逃して

いた新しい経済的価値を発見できるとされている。

 最後に挙げられている「企業が拠点を置く地域を

支援する産業クラスターをつくる」であるが、まず、

ここで言うクラスターとは、特定分野の企業や関連

企業、サプライヤー、サービス・プロバイダー、ロジス

ティクス等が地理的に集積した地域(シリコンバレー

のITや、ケニアの切花など)を指している。企業が成功

するためには、支援企業やインフラも重要な要素で

あり、生産性やイノベーションに影響を与えるため、

強いクラスターを持つことは企業の経済的価値につ

ながる。企業は、ロジスティクス、サプライヤー、流通

チャネル、教育、取引所、教育機関などの欠陥や不備

といった、強いクラスター形成を阻害する社会的課

題を解決または緩和することで、共通価値を創造で

きる。一企業単独で取り組むには大きすぎる課題も

多くあるため、自ら直接に取り組む領域と、行政や業

界内で協働したほうがコスト効率の高い領域を棲み

分けるようにするとよいと述べられている。

 4. 「今までもやってきたこと」 でよいのか?

 CSVはあくまでも事業からの視点で捉えた活動

であり、「経済的に成功するための新しい方法」と

位置づけられている。そのことは必然的に、CSVに

図表4 バリューチェーンの図

全般管理(インフラストラクチュア)

人事・労務管理

技術開発

調達活動

購買物流

製造 サービス出荷物流

販売・マーケティング

マージン

支援活動

出所:「競争優位の戦略」M.ポーター(著)より作成

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2014/04 季刊 ● 企業リスク 88

共通価値の創造(CSV)

CSRやサステナビリティーの課題の全てが包含さ

れるわけではないことを示している。例えば、世代

を超えて利害関係があるような超長期的な課題や、

万が一の場合に大きな影響のでる課題、どの企業の

経済的価値にも結びつきが薄い課題などは、CSVか

らは遠い位置にあると考えられる。そのような課題

への一定の配慮も必要であろう。当然、全ての社会的

な課題が企業の責任ではなく、企業の責任の範囲は

どこまでなのか、という議論もあるのだが、企業へ

の期待はこれまでになく高まっており、その傾向は

今後も大きく変わることはないだろう。

 また、CSVが事業からの視点であることとも関連

するのだが、CSVへの反応として、自社の事業はこ

れまでも社会のニーズに応えてきているので、これ

までどおり事業をしていればいいのだ、という態度

も一部には見られる。例えば、近江商人の時代から

ある三方よし※の精神で商売をしてきているので何

も変える必要はない、という反応だ。だた、残念なが

ら、今までのやり方でやってきて、さまざまな社会的

な課題は解決されずに残っているのである。

 社会のニーズに応えた事業活動や、三方よしの精

神に基づいた事業活動は賞賛されるべき活動であ

り、ぜひ引きつづき取り組んで頂きたい内容である。

ただ、これまでと同じ活動を続けるだけでは何も変

わらないということは、認識をする必要がある。

 昨今の企業の状況を見ると、CSVのもたらした大

きな功績として、これまで以上に経営者や事業企画部

門などの注目をCSR/サステナビリティーの分野に

引き寄せたこと、優先順位付けを図り各企業の本業

に近いような得意分野への資源集中を促したこと、

が挙げられるだろう。各企業にとって重要なのは、先

ほどの図表5でいうところの、CSVとして示されてい

る経済的価値とCSR/サステナビリティーの重なる

領域の活動を広げる、深耕する活動であり、そのため

の一歩を進め、何か変化をもたらすことが期待され

ているといえよう。 Ò

※「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三つの「良し」。 売り手と買い手の双方を満足させ、社会にも貢献する。

図表5 CSVとCSR/サステナビリティーの関係図

この重なりの領域を広げる、深耕する

経済的価値

CSR /サステナビリティー

CSV〈参考資料〉M.E. ポーター 「競争優位の戦略」 ダイヤモンド社 1985年

M.E. ポーター 「競争の戦略(新訂版)」 ダイヤモンド社 1995年

M.E. ポーター、M.R. クラマー 競争優位のCSR戦略 「ハー

バード・ビジネスレビュー」2008年1月号 ダイヤモンド社

M.E. ポーター、M.R. クラマー 共通価値の戦略「ハーバード・

ビジネスレビュー」2011年6月号 ダイヤモンド社

P.F. ドラッカー「非営利組織の経営―原理と実践」ダイヤモン

ド社 1991年7月

P. コトラー、N. リー「社会的責任のマーケティング―『事業の

成功』と『CSR』を両立する」東洋経済新報社 2007年8月

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