非先進国におけるエコロジー的近代化理論の 適用可能性に...

137
非先進国におけるエコロジー的近代化理論の 適用可能性に関する研究 2016 年 6 月 升本 潔 4012S3209 早稲田大学大学院 アジア太平洋研究科国際関係学専攻 博士後期課程

Upload: others

Post on 20-Feb-2021

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

  • 非先進国におけるエコロジー的近代化理論の

    適用可能性に関する研究

    2016年 6月

    升本 潔

    4012S3209

    早稲田大学大学院

    アジア太平洋研究科国際関係学専攻

    博士後期課程

  • i

    要 旨

    1.本研究の目的と枠組み

    持続可能な開発の実現は世界喫緊の課題であり、世界全体での環境と経済の両立が求められて

    いる。持続可能な開発の実現のためには、経済成長と環境負荷の低減を両立させていくことが不

    可欠であり、そのための取り組みは先進国のみならず、新興国や開発途上国など、非先進国にお

    いても重要になってきている。一方、全世界的な取り組みが急務となっている気候変動や生物多

    様性保全等の地球環境問題とは異なり、開発途上国など、未だ多くの国が直面している従来型の

    公害問題の中には、先進国ではすでに十分に対応できている問題も少なくない。こうした先進国

    のアプローチを参考にした取り組みを行うことにより、非先進国においてより容易に環境問題の

    改善を実現できる可能性がある。

    本研究では、ヨーロッパを中心に広く支持されているエコロジー的近代化(Ecological

    Modernization)の考え方に着目した。1980年代初頭にヨーロッパで生まれたこの理論は、様々な

    考え方を含んでいるが、その中心的な考え方は、工業化、技術開発、経済成長、そして資本主義

    は環境的な持続可能性と両立可能であるだけでなく、環境改善の主要な推進力となるというもの

    である。つまり、急進的な構造改革や価値観の転換など実現の難しい代替案を取ることなく、既

    存の組織・制度の下でより環境にやさしい取り組みを進めることで、環境面での持続可能性を実

    現することができる(York and Rosa 2003)というところに大きな特徴がある。エコロジー的近代

    化は、持続可能な開発よりもはるかに明確であり、とりわけ先進国において何がなされねばなら

    ないかに焦点を正確に合わせている(Dryzek 2005)。

    この理論は、現代社会における環境改善を実現する上で極めて実際的で、可能性の大きなアプ

    ローチであると考えられるが、一方で、もともと先進国で生まれた議論であり、非先進国での適

    用を前提としたものではないという指摘がある。世界的な持続可能な開発の実現という観点から

    見ると、エコロジー的近代化理論の最大の課題は、これから経済発展を遂げようとする非先進国

    における本理論の適用可能性であると考えられる。

    本研究ではこうした観点を踏まえ、エコロジー的近代化理論の非先進国への適用可能性を明ら

    かにすることを目的として実施する。エコロジー的近代化理論は多様な解釈があるが、本研究で

    は、「政府、市民社会及び企業の連携した取り組みにより、制度的な改革や技術革新・普及が促

    進され、その結果として環境効率が向上し、環境負荷低減が進む、という考え方」として定義し、

    エコロジー的近代化理論を非先進国へ適用するための前提として、政府、市民社会及び企業から

    成る環境ガバナンスの形成・強化につながる民主化の進展と、先進国等からの環境技術の移転を

    促進する経済の国際化に着目して分析を行った。

    民主化による具体的な効果としては、選挙制度による政策への民意の反映や環境 NGOの組織

    化や活動の活発化などの他、政策形成・実施に係る市民参加及び監視の強化、環境情報へのアク

    セスの改善、メディアによるキャンペーン等を通じ、政府と企業(汚染者)に対する市民社会の

    影響力が強化されることにより、環境ガバナンスが改善・強化され、実際の環境対策の強化につ

  • ii

    ながると考えられる。つまり、先進国においてすでに実現しているこうした関係性を非先進国に

    導入することにより、エコロジー的近代化の推進力が機能するようになると考えられるのである。

    一方、環境ガバナンスが改善しても、実際に汚染対策を実行するためには、有効な対策技術の

    導入が不可欠である。エコロジー的近代化理論においては、技術革新が一つの重要な鍵となって

    いるが、非先進国が独力で環境技術の革新を行っていくことは現実的ではない。有効な環境対策

    技術の多くは、既に先進国等で開発、実用化されていることから、非先進国は、海外からの技術

    の導入により、後発性の利益を生かした環境改善の実行が可能であると考えらえる。そして、こ

    れらの技術の導入、移転を進めるためには、貿易や投資の自由化が前提となる。

    本研究では、こうした考え方を踏まえ、上述の目的を達成するために、次の三つのリサーチク

    エッションを設定している。一つ目は、「非先進国において、エコロジー的近代化理論に基づく

    環境改善が実際に生じているのか」、二つ目は、「民主化の進展は、非先進国において環境改善を

    意図した政策を促進し、環境負荷の低減に寄与しているのか」、そして三つ目は、「貿易・投資の

    拡大など経済の国際化は、環境技術の移転等を通じて、非先進国における環境負荷の低減に寄与

    しているのか」である。これら三つが支持されれば、実際に非先進国においても、すでにエコロ

    ジー的近代化に基づく環境改善が進んでいる、つまりエコロジー的近代化理論を適用することが

    できるということになる。

    なお、本研究の対象とする環境問題としては、エコロジー的近代化理論との適合性、環境問題

    としての性格及びデータの入手可能性等を踏まえ、典型的な大気汚染の原因物質である二酸化硫

    黄(SO2)を選定した。

    2.実証分析の結果

    本論文では、上述のリサーチクエッションに答えるため、第 4 章~第 6 章において三つの実証

    的な分析を行った。

    一つ目のリサーチクエッション「非先進国において、エコロジー的近代化理論に基づく環境改

    善が実際に生じているといえるのか」については、エコロジー的近代化の指標となる経済成長と

    環境負荷のトレンドの分離(デカップリング)に着目して分析を行っている。具体的には、まず

    対象国を地域別に分け、各地域におけるデカップリングの状況を分析し、次いで、そのデカップ

    リングがどのような要因によって生じたのか、要因分解の手法を用いて分析を行った。

    地域別のデカップリングの分析結果からは、先進国においては継続的にデカップリングが生じ

    ている一方、非先進国全体ではデカップリングは継続的には発現していないという結果が得られ

    た。ただし、その結果は地域ごとに異なっており、東欧や中南米では絶対的デカップリングが継

    続しており、サブサハラアフリカでも徐々にデカップリングが進んでいる。一方で、世界の SO2

    排出量の 5 割を占めるアジアにおける 2000 年代初頭以降の排出量増大は、これら地域のみなら

    ず、非先進国全体の排出量トレンドを上昇させ、デカップリング消滅の原因となっている。

    要因分析の結果を見ると、大部分の地域・期間において、化石燃料当たりの SO2排出量変化を

    指標とする SO2対策効果は継続的に生じており、デカップリング発現の主要因となっている。た

  • iii

    だし、直近(2003年~2008年)では、アジアで SO2対策効果が逆転(環境悪化に寄与)したこと

    により、アジア地域のみならず、非先進国全体におけるデカップリング消滅につながっている。

    リサーチクエッション中の「エコロジー的近代化理論に基づく環境改善」を、デカップリング

    が 10 年程度継続的に進捗していること、かつデカップリングの発現要因として SO2対策効果が

    寄与していることと定義すると、非先進国においてエコロジー的近代化が進んでいるといえるの

    は、東欧及び中南米のみとなる。この結果は、絶対的デカップリング、つまり SO2排出量の低下

    を条件に加えても同様である。したがって、一つ目のリサーチクエッションに対する回答として

    は、東欧及び中南米地域においては、エコロジー的近代化理論に基づく環境改善が進んでいる可

    能性があるが、その他の地域については必ずしも進んでいるとは言えず、非先進国全体では、エ

    コロジー的近代化理論に基づく環境改善が実際に生じているとは言えない、ということになる。

    本論文の第 5章では、二つ目のリサーチクエッション「民主化の進展は、非先進国において環

    境改善を意図した政策を促進し、環境負荷の低減に寄与しているのか」について分析を行った。

    このリサーチクエッションに答えるため、一人当たり SO2排出量、化石燃料当たり SO2排出量及

    び一人当たり化石燃料使用量を目的変数とし、民主化指標や一人当たり所得を説明変数としてパ

    ネルデータ分析を行った。民主化指標には、米国の NGOである Freedom Houseが毎年公表して

    いる自由度指標を用いた。民主化が環境負荷低下に寄与しているかについては、GDP が一定の

    条件下で民主化の進展により環境負荷(一人当たり SO2排出量)が低下するかどうかを基準に判

    断を行った。民主化の進展が環境改善を意図した政策を促進するのかについては、民主化が化石

    燃料当たりの SO2排出量の低減、つまり SO2対策効果に寄与しているかどうかで判断した。

    これらの分析からは、非先進国においては、民主化が進むと環境負荷が軽減(一人当たり SO2

    排出量が低下)するという結果が得られた。ただし、民主化が化石燃料当たりの SO2の低下に寄

    与するという結果は得られなかったことから、こうした変化は SO2対策による効果というよりは、

    むしろ一人当たり化石燃料使用量の低下による影響である可能性が高いことが分かった。したが

    って、民主化は、一人当たり SO2排出量の低下に寄与するものの、SO2対策に寄与するという結

    果は得られなかったため、上述のリサーチクエッションには、民主化の進展は非先進国において、

    環境負荷低減に寄与するものの、環境改善を意図した政策を促進するとは言えない、という結果

    になる。

    第 6章では、三つ目のリサーチクエッション「貿易・投資の拡大など経済の国際化は、環境技

    術の移転等を通じて非先進国における環境負荷の低減に寄与しているのか」に答えるため、一人

    当たりSO2排出量、化石燃料当たりSO2排出量、及び一人当たり化石燃料使用量を目的変数とし、

    貿易額の対 GDP割合を経済の国際化の指標としてパネルデータ分析を行った。

    この分析からは、経済の国際化は非先進国の環境負荷低減に寄与する、つまり環境に良い影響

    を与えるという結果が得られた。その要因として、SO2 対策による効果が明確に示されている。

    この結果からは、非先進国では経済の国際化により環境対策が進み、実際に環境改善につながっ

    ているということが分かる。この分析だけでは、具体的な経路を特定することはできないが、先

    行研究で指摘されているように、国家間の技術移転の促進や貿易を通じた環境改善圧力の上昇な

    どが考えられる。

  • iv

    さらに、経済の国際化に伴う技術移転の経路をより詳しく見ていくために、工業製品の輸入や

    海外直接投資、開発援助の拡大による影響の分析を行った。その結果、工業製品輸入のみが非先

    進国の環境改善に明確に寄与するという結果が得られた。工業製品を機械類に絞った分析及び資

    本財に絞った分析でも、ほぼ同様の結果が得られている。したがって、三つ目のリサーチクエッ

    ションに対する回答としては、経済の国際化は、貿易などを通じた環境技術の移転等により非先

    進国における環境負荷低減に寄与していると考えられる、という答えになる。

    3.本研究の結論と意義

    第 4章から第 6章の分析結果を踏まえると、本研究における結論は、非先進国全体においては、

    エコロジー的近代化理論に基づく環境改善が実際に生じているとは言えず、またエコロジー的近

    代化の前提と考えられる民主化の進展は、必ずしも環境改善を意図した政策の促進にはつながっ

    ておらず、現時点で、エコロジー的近代化理論をそのまま非先進国全体に適用することは難しい、

    ということになる。

    ただし、一部の地域では、エコロジー的近代化の考え方に沿った環境改善が持続しており、ま

    た貿易の拡大等、経済の国際化等を通じた環境技術の移転も進んでいると考えられることから、

    今後、非先進国全体においても、適切な対応をとることにより、エコロジー的近代化の考え方に

    沿った環境改善が進展してくる可能性は十分あると考えられる。

    本研究の最大の意義としては、これまでエコロジー的近代化理論の議論で不十分とされてきた、

    非先進国におけるエコロジー的近代化理論の適用可能性を実証的に明らかにすることができた

    ことがあげられる。さらに、本研究を通じて、非先進国におけるエコロジー的近代化理論基づく

    環境改善の方向性や課題を明らかにすることができたことも大きな成果である。

    世界全体の持続可能な開発の実現には、人口動態や経済発展ポテンシャル等を踏まえると、非

    先進国における環境改善の取り組み強化が不可欠であり、本研究の成果を活用することで、今後

    の非先進国における環境改善の取り組みの促進が図られることが期待される。

  • v

    目 次

    要 旨 ⅰ

    目 次 ⅴ

    図表一覧 ⅷ

    第 1章 研究の目的と論文構成 1

    1.1 研究の背景と目的 1

    1.2 本論文の構成 2

    第 2章 エコロジー的近代化理論の展開と課題 5

    2.1 エコロジー的近代化理論とは何か 5

    2.2 エコロジー的近代化理論における推進力とその前提 8

    2.3 エコロジー的近代化理論の意義と限界 10

    (1)エコロジー的近代化理論の意義 10

    (2)エコロジー的近代化理論に対する批判 11

    (3)エコロジー的近代化理論に係る課題の整理 13

    2.4 非先進国おけるエコロジー的近代化理論の適用 16

    (1)非先進国におけるエコロジー的近代化理論の適用 16

    (2)本論文におけるエコロジー的近代化の考え方の整理 16

    第 3章 先行研究の評価とリサーチクエッションの設定 19

    3.1 先行研究の評価 19

    (1)経済成長と環境負荷のデカップリング 19

    (2)環境クズネッツ曲線(EKC)仮説 22

    (3)民主化と経済の国際化が環境に与える影響 23

    (4)リサーチクエッションの設定 28

    3.2 研究の方法と対象とする環境問題 30

    (1)分析の方法 30

    (2)対象とする環境問題 31

    第 4章 経済成長と環境負荷のデカップリング 37

    4.1 本章の課題 37

    4.2 分析の方法と対象とするデータ 38

    (1)分析の枠組み 38

    (2)利用データと対象国 42

  • vi

    4.3 分析の結果 43

    (1)経済成長と SO2排出量の比較 43

    (2)デカップリングの要因分析 44

    4.4 分析結果に基づく結論と考察 45

    第 5章 民主化が環境に及ぼす影響 50

    5.1 本章の課題 50

    5.2 分析の方法と対象とするデータ 51

    (1)分析の考え方 51

    (2)モデル式と分析方法の検討 52

    (3)分析対象国の分類 54

    (4)分析のためのデータ 54

    5.3 分析の結果 56

    (1)民主化が環境に与える影響に係る分析結果 56

    (2)SO2排出量の変化要因の分析 57

    (3)民主化指標のタイムラグによる影響の比較 58

    5.4 分析結果に基づく結論と考察 58

    第 6章 経済の国際化が環境に及ぼす影響 69

    6.1 本章の課題 69

    6.2 分析の方法と対象とするデータ 70

    (1)分析の考え方 70

    (2)モデル式と分析方法の検討 71

    (3)分析のためのデータ 72

    6.3 分析の結果 74

    (1)経済の国際化の影響についての分析結果 74

    (2)工業製品の輸入、海外直接投資及び開発援助の影響についての分析結果 75

    6.4 分析結果に基づく結論と考察 76

    第 7章 研究の結論と意義 89

    7.1 各章の分析結果と本研究の結論 89

    (1)経済成長と環境負荷のデカップリング 89

    (2)民主化が環境に及ぼす影響 89

    (3)経済の国際化及び貿易・投資拡大による環境への影響 90

    (4)本研究の結論 91

    7.2 分析結果に基づく考察 91

    (1)非先進国におけるエコロジー的近代化理論に基づく取り組みの方向性 92

  • vii

    (2)非先進国におけるエコロジー的近代化の進展 92

    (3)民主化による環境改善を主眼とした環境対策の促進 94

    7.3 本研究の意義と今後の研究課題 95

    (1)本研究の意義 95

    (2)今後の研究が必要な課題 95

    参考文献 98

    付 録:アセアン諸国における経済成長と環境負荷のデカップリング 106

    -SO2排出集約度変化の要因分析-

  • viii

    図表一覧

    図 2-1 本研究におけるエコロジー的近代化の概念図 18

    図 3-1 地域別の SO2排出量の推移 33

    図 3-2 先進国及び非先進国の SO2排出量の推移 34

    図 3-3 非先進国の地域別の SO2排出量の推移 34

    図 4-1 地域ごとの経済成長と SO2排出量の推移 48

    図 4-2 排出集約度変化の要因分析結果(地域別) 49

    表 5-1 国別分類表 54

    表 5-2 主要指標の基礎データ 56

    表 5-3 民主化が一人当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果(1) 62

    (モデル式 D1-1 )

    表 5-4 民主化が一人当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果(2) 63

    (モデル式 D1-2 )

    表 5-5 民主化が化石燃料当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果(1) 64

    (モデル式 D2-1 )

    表 5-6 民主化が化石燃料当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果(2) 65

    (モデル式 D2-2)

    表 5-7 民主化が一人当たり化石燃料使用量に及ぼす影響の分析結果(1) 66

    (モデル式 D3-1)

    表 5-8 民主化が一人当たり化石燃料使用量に及ぼす影響の分析結果(2) 67

    (モデル式 D3-2)

    表 5-9 民主化が SO2排出量等に与える影響の時間的変化 68

    (非先進国のみ:所得グループ別)

    表 6-1 主要指標の基礎データ 74

    表 6-2 経済の国際化が一人当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果 80

    (モデル式 T1)

    表 6-3 経済の国際化が化石燃料当たり SO2排出量に及ぼす影響の分析結果 81

    (モデル式 T2)

    表 6-4 経済の国際化が一人当たり化石燃料使用量に及ぼす影響の分析結果 82

    (モデル式 T3)

    表 6-5 工業製品輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 83

    (モデル式 T4~T6)

  • ix

    表 6-6 工業製品(機械)輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 84

    (モデル式 T4~T6)

    表 6-7 工業製品(資本財)輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 85

    (モデル式 T4~T6)

    表 6-8 工業製品輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 86

    (モデル式 T4~T6:タイムラグ 2年)

    表 6-9 工業製品(機械)輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 87

    (モデル式 T4~T6:タイムラグ 2年)

    表 6-10 工業製品(資本財)輸入・海外直接投資・開発援助による影響の分析結果 88

    (モデル式 T4~T6:タイムラグ 2年)

  • 1

    第 1 章 研究の目的と論文構成

    1.1 研究の背景と目的

    持続可能な開発の実現は世界喫緊の課題であり、世界全体での環境と経済の両立が求められて

    いる。持続可能な開発の考え方の中には、世界の貧困問題の解決など現世代の公平性に係る概念

    と資源や環境問題などに密接に関係する次世代に対する配慮という二つの考え方が含まれてい

    る。持続可能な開発に向けた取り組みが本格的に始まった 1992 年の地球サミット以降、持続可

    能な開発への取り組みの進捗は一様ではない(UN 2012)ものの、特に環境面での持続性の確保

    に遅れが見られる(World Bank 2012)。

    近年、地球温暖化や生物多様性の減少など、地球規模の環境問題が大きな注目を集めているが、

    地球環境問題はこれら以外にも、オゾン層の破壊、酸性雨、海洋汚染、有害廃棄物の越境移動、

    森林の減少、砂漠化・黄砂などの問題、そして開発途上国等における環境問題など、広く世界各

    国に共通して見られる課題や、国境を越え、あるいは全地球規模で被害を生じさせる問題が含ま

    れている(地球環境研究会 2008)。

    こうした地球規模の環境問題の出現や世界経済のグローバル化が進む中で、開発途上国の環境

    問題も複雑さ、深刻さを増している。特に中所得国では、工業化が進む一方で工場等における公

    害防止対策が不十分なため、汚染物質が未処理に近い状態で環境に放出され、産業公害が発生し

    易い状況にある。工業の発展は、雇用機会の増進や外資の獲得など、開発途上国の経済発展に寄

    与する反面、適切な公害防止対策が取られない場合、環境汚染を引き起こす(地球環境研究会

    2008)。多くの国々が急速な経済発展を遂げたアジアでは、急激な工業化に環境対策が追いつか

    ず環境問題が発生しやすい状況になっている。全般的に環境政策は十分には取り組まれておらず、

    特に法制度は実施の面で課題を抱えている。結果として従来型の公害被害からハイテク汚染、気

    候変動問題など、多様な環境問題が集積し、また被害が放置されているという特徴がある(日本

    環境会議 2010)。

    多くの開発途上国において、環境担当の官庁を設置し、環境法制、環境基準などを整備すると

    ともに、公害防止機器の導入などの対策も取りつつあるが、実施体制の不備や人材、技術、資金

    の不足などもあり必ずしも十分対応できていないのが現状である(地球環境研究会 2008;JICA

    2009)。また、環境保全対策が他の分野に比べて政策上の優先順位が低くなりがちであり、環境

    対策への投資が後回しにされる、国民への情報提供が不十分で世論の盛り上がりに欠ける、企業

    の環境保全対策に対する意識が低いといった社会的な背景の問題も指摘されている(地球環境研

    究会 2008)。

    持続可能な開発の実現のためには、経済成長と環境負荷の低減を両立させていくことが不可欠

    であり、そのための取り組みは世界全体で進めていかなければならないが、人口規模や今後の経

    済発展の可能性等を踏まえると、先進国のみならず、新興国や開発途上国など、非先進国におけ

    る取組がますます重要になってくると考えられる。

    一方、世界全体での取り組み強化が求められている気候変動や生物多様性保全の問題とは異な

  • 2

    り、新興国など多くの国が直面している従来型の公害問題の中には、先進国ではすでに十分に対

    応できている問題も少なくない。こうした先進国の成功事例を参考に、後発性利益を生かした取

    り組みを行うことにより、非先進国においてより容易に環境問題の改善を実現できる可能性があ

    る。

    本研究では、ヨーロッパを中心に広く支持されているエコロジー的近代化(Ecological

    Modernization)の考え方に着目し、この理論の非先進国への適用を検討する。1980年代初頭にヨ

    ーロッパで生まれたこの理論は、多様な考え方を含んでいるが、その中心的な考え方は、工業化、

    技術開発、経済成長、そして資本主義は環境的な持続可能性と両立可能であるだけでなく、環境

    改善の主要な推進力となる(York and Rosa 2003)というものである。つまり、急進的な構造改革

    や価値観の転換など実現の難しい代替案を取ることなく、既存の組織・制度の下でより環境に配

    慮した取り組みを進めることで環境面での持続可能性を実現することができる(York and Rosa

    2003)というところに大きな特徴がある。

    この理論は、経済成長と環境負荷のトレンドの分離(デカップリング)を目的の一つとしてお

    り(松下 2014)、もし本理論に基づく経済と環境のデカップリングを進めていくことができれば、

    非先進国においても、少なくとも従来型の公害問題については、経済成長と環境保全の両立を実

    現することができると考えられる。

    したがって、本研究では、従来型の環境問題を対象に、先進国で成功したアプローチの一つで

    あるエコロジー的近代化理論の非先進国への適用可能性を明らかにすることを目的とする。

    1.2 本論文の構成

    本論文では、まず第 1章(本章)において、論文全体の目的と構成を整理する。つまり、本論

    文では、持続可能な開発の実現における非先進国の環境対策の重要性を踏まえ、先進国で誕生、

    発展してきたエコロジー的近代化理論の非先進国における適用可能性を論じることを目的とす

    る。

    次章(第 2章)では、エコロジー的近代化理論の考え方、意義、課題等を整理する。エコロジ

    ー的近代化理論は多様な解釈があるが、本研究では、「政府、市民社会及び企業の連携した取り

    組みにより、制度的な改革や技術革新・普及が促進され、その結果として環境効率が向上し、環

    境負荷低減が進む、という考え方」として定義する。持続可能な開発の実現に向けたエコロジー

    的近代化理論の最大の課題の一つが、非先進国における適用可能性であり、環境ガバナンスの形

    成に対する民主化の影響や経済の国際化を通じた環境技術の移転等が、エコロジー的近代化理論

    の非先進国における適用を考える上で重要な論点となる。

    第 3章では、関連する先行研究として、環境と経済のデカップリングに係る研究、環境クズネ

    ッツ曲線(EKC)仮説、民主化及び経済の国際化が環境に与える影響についての先行研究のレビ

    ューを行った上で、本研究におけるリサーチクエッションとして、次の三つを設定した。一つ目

    は、「非先進国において、エコロジー的近代化理論に基づく環境改善が実際に生じているのか」、

  • 3

    二つ目は、「民主化の進展は、非先進国において環境改善を意図した政策を促進し、環境負荷の

    低減に寄与しているのか」、そして三つ目は、「貿易・投資の拡大など経済の国際化は、環境技術

    の移転等を通じて、非先進国における環境負荷の低減に寄与しているのか」である。さらに、そ

    れらのリサーチクエッションに答えるため、実証分析の枠組みを設定した。また本研究の対象と

    する環境問題として、エコロジー的近代化理論との適合性、環境問題としての性格及びデータの

    入手可能性等を踏まえ、典型的な大気汚染の原因物質である二酸化硫黄(SO2)を選定した。

    第 4章では、一つ目のリサーチクエッションに答えるため、SO2の排出量と経済成長のトレン

    ドをプロットすることにより、世界全体、先進国、非先進国及び非先進国の地域ごとのデカップ

    リングの状況を分析した。デカップリングはエコロジー的近代化の指標として位置づけられるが、

    エコロジー的近代化による環境改善は一時的なものではないと考えられることから、10 年程度

    デカップリングが継続することを、エコロジー的近代化理論に基づく環境改善が進んでいる条件

    とした。さらに、エコロジー的近代化は、社会における環境配慮の主流化プロセスであると考え

    られることから、本研究においては、環境対策の効果指標である化石燃料当たりの SO2排出量が

    デカップリングの継続期間中に低下していること、つまり SO2対策の効果がデカップリングの推

    進力になっていることを条件として加えた。

    第 5章では、二つ目のリサーチクエッションに答えるため、一人当たり SO2排出量を環境負荷

    レベルを表す目的変数とし、民主化の指標としてアメリカの NGOである Freedom Houseの自由

    度指標を用い、さらに所得(一人当たり GDP)や平均就学年数等を説明変数としてパネルデー

    タ分析を行った。また、SO2排出量(一人当たり)を化石燃料当たりの SO2排出量と一人当たり

    化石燃料使用量に分解し、それぞれについてパネルデータ分析を行うことにより、SO2排出量の

    変化要因の分析を行った。さらに、民主化による影響が実際に環境改善につながるためには、あ

    る程度の年数が必要となる可能性があることから、民主化指標にタイムラグを加えた分析を合わ

    せて行った。

    第 6 章では、三つ目のリサーチクエッションに答えるため、経済の国際化の指標として GDP

    当たりの貿易額の割合を用い、所得及び GDP に対する製造業付加価値割合等をその他の説明変

    数として、第 5章と同様の分析を行った。さらに、より詳細に技術移転経路を調べるため、工業

    製品輸入額(対 GDP)、海外直接投資額(流入)(対 GDP)、開発援助額(グロス)(対 GDP)を

    説明変数として用いた分析を行った。特に工業製品輸入については、より厳密な分析を行うため、

    工業製品の内の機械類に限定したデータおよび資本財に限定したデータを用いた分析を合わせ

    て行っている。

    そして、第 7 章では、第 4 章~第 6章の分析結果を踏まえ、本研究における結論を取りまとめ

    ている。さらに、非先進国において、どのようにエコロジー的近代化論に基づくアプローチを適

    用していけばよいかを提示するとともに、本研究の意義及び今後の研究の必要な分野について論

    じている。

    また、巻末に付録として、「アセアン諸国における経済成長と環境負荷のデカップリング-SO2

    排出集約度変化の要因分析-」を添付した。この研究では、アセアンの主要国である、インドネ

    シア、タイ、フィリピン、マレーシアの四カ国を対象に、SO2の排出量と経済成長のデカップリ

  • 4

    ングの状況及びその要因について分析行っている。特にこの論文では、SO2の主要発生源である

    発電分野及び製造業分野に限定し、各国のそれぞれの分野において、デカップリングが生じてい

    るのか、生じているとしたらどのような要因によってデカップリングが生じているのか詳細に分

    析を行っている。

  • 5

    第 2 章 エコロジー的近代化理論の展開と課題

    2.1 エコロジー的近代化理論とは何か

    エコロジー的近代化理論は、1980年代初めにドイツの社会学者、Joseph Huberによって生み出

    された比較的新しい概念である(Sonnenfeld 2000; Spaargaren and Mol 1992)。初期のエコロジー

    的近代化の考え方は、より進んだ技術によって、生産・消費サイクルが環境面で近代化すること

    により、環境改善が進むとするものであり、技術の革新が自発的に生じ、社会・環境的な変化の

    推進力となるという技術中心的な考え方であった。他方、その後の議論では、環境の改善のため

    には、国家レベルあるいは国際レベルの介入が重要であることはコンセンサスとなっている

    (Spaargaren and Mol 1992)。

    1980 年代以降、エコロジー的近代化の考え方は、多くの議論を伴いながら発展してきている

    が、この理論の発展段階は次の三段階に分けることができる(Mol and Sonnenfeld 2000)。

    第一段階(1980年代初頭から後半):エコロジー的近代化理論の最初の段階は、環境改善

    に対する技術革新の役割、特に工業生産プロセスにおける技術革新の役割の重視;官僚主

    義的国家に対する批判的な姿勢;環境改善における市場の役割に対する好意的な姿勢;人

    間の力や社会的な努力に対する不十分な理解に基づくシステム論的で進化論的な見方;国

    家レベルでの分析への志向、などによって特徴づけられる。

    第二段階(1980 年代後半から 1990 年代半ば):エコロジー的近代化の推進力としての技

    術革新の位置づけが低下し、環境改善における国家と市場の役割に対するよりバランスの

    とれた見方がなされるようになり、エコロジー的近代化の制度的、文化的なダイナミクス

    により焦点があてられるようになってきた。この時代におけるエコロジー的近代化に対す

    る研究は、依然として国家レベルの研究や OECD 諸国における工業生産の比較研究など

    を重視している。

    第三段階(1990年半ば以降):エコロジー的近代化理論の対象は理論的にも地域的にも拡

    大し、その範囲は、消費の環境的な変化、中東欧の移行経済諸国や米国、カナダのような

    ヨーロッパ以外の OECD 諸国、新興諸国といった西欧以外の諸国におけるエコロジー的

    近代化、そしてグローバルなプロセスに及んでいる。

    これらを簡単にまとめると、第一段階では、技術革新や市場の役割を重視し、国家の介入がな

    くても自律的に環境が改善していくという楽観的な見方をとっていたが、第二段階では、国家の

    役割の重要性、制度的、文化的なダイナミクスに対する考慮など、よりバランスの取れた見方に

    変化しているといえる。研究の対象は、第二段階においても、西欧の先進工業国における個別事

    例が中心となっていたが、第三段階では、より広範な地域あるいは世界的に拡大してきている、

    ということになる。

    エコロジー的近代化理論は、経済と環境が両立する可能性を示唆する大きな可能性を有する考

    え方であるが、他方でエコロジー的近代化という考え方は多様な意味合いを持ち、いろいろな用

  • 6

    いられ方をしており、その解釈は相矛盾することすらある(Buttel 2000; Fisher and Freudenburg

    2001)。「エコロジー的近代化とは何か」に答えることは必ずしも容易ではなく、それぞれの理論

    家は、それぞれの見地からこの概念を定義し、同じ用語が記述的にも、分析的にも、そしてまた

    規範的にも使われている(丸山 2006)。

    Buttel(2000)は、エコロジー的近代化という概念は少なくとも四種類の異なる使われ方をし

    ているとしている。一つ目は Molや Spaargarenに代表される社会学的な見方であり、二つ目は環

    境政策の議論を形作る概念として、三つ目は、戦略的環境管理や産業環境主義の同義語、つまり、

    効率性の向上と汚染及び廃棄物の最小化を同時に達成する民間部門の行動や姿勢に対するもの

    として、そして四つ目は、ほとんどすべての環境政策的改革や環境改善に関連付けて用いられて

    いる。

    Mol and Sonnenfeld(2000)は、エコロジー的近代化の考え方は、年代や対象国による違いや

    理論的な差異はあるものの、次の三つの考え方を共有しているとした。

    終末論的思考を超え、環境問題を工業化の不可避な結果としてよりも、社会的、技術的、

    経済的な改善のためのチャレンジとして認識

    様々なレベル(地方、国家、世界等)における科学技術、生産と消費、政策と統治、そし

    て市場(マーケット)等、近代化の中心的な社会制度の(認識可能な範囲内での)変革の

    強調

    反生産主義/脱工業化、ポスト・モダニズム/強い社会建設主義、そして多くのネオ・マル

    クス主義的分析とは明確に異なる学問領域

    その他にも、エコロジー的近代化とは、技術革新に基づく環境的に望ましい生産及び製品への

    切り替え(Jänicke and Weidner 1995)、技術に基づくイノベーション志向の環境施策に対するアプ

    ローチ(Jänicke 2008)、狭義には環境に良い影響を及ぼす技術開発のこと(Christoff 1996)、資本

    主義的な政治経済がより環境にやさしい方向に沿って再編成される事態(Dryzek 2005)、現代社

    会における多層的なスケールの環境改革プロセスの社会科学的な解釈(Mol et al. 2014)であり、

    エコロジー的近代化理論とは、経済のエコロジー化とエコロジーの経済化を通じて経済と環境の

    関係を改善しようとするもの(福士 1997)、現代の社会科学において社会と環境の相互関係を分

    析するためのより価値のある参照ポイント(Mol and Sonnenfeld 2000)、経済成長と環境負荷の持

    続的なデカップリングや環境負荷の絶対的減少を導く政治・経済・社会のあり方を探ろうとする

    試み(徳永 2013)等、対象とする議論の範囲やレベルあるいは分野により多様な使われ方をし

    ている。

    こうした様々な考え方を一つにまとめることは困難であるが、少なくとも本研究における実証

    的分析のための枠組みとしては、次のようにとらえることができる。

    まず、エコロジー的近代化理論は基本的には環境改善のための理論であり、現代社会の既存の

    政治・経済的な枠組みの下で、経済成長を大きく損なうことなく環境を改善することができると

    いうところに特徴がある。そしてその目的の一つは経済成長と環境負荷のデカップリング(松下、

    2014)、つまり経済成長と環境負荷増加のトレンドの分離である。したがって、エコロジー的近

    代化とは、より環境負荷の少ない経済の発展、つまり環境効率性の高い社会の実現のプロセスと

  • 7

    捉えることができる。

    他方、エコロジー的近代化のより具体的なメカニズムを明らかにしていくためには、実際の環

    境改善の取り組みを考える必要がある。Jänicke(1986)は、環境政策の戦略を四つの段階に区分

    した。第一の段階は、発生した環境損害の単なる修復である。環境政策上の努力は一般にこの段

    階から始まる。第二の段階として、廃棄物処理型の事後的に施される環境保護である。この段階

    には、環境への負の影響を緩和させる設備を備えた生産、消費、輸送の構造である。そして環境

    政策の第三段階は、自然資源の節約にもつながる本来的に環境にやさしい技術を目標とする。こ

    の政策は、総体としてのエコロジー的に不適切な産業構造を後追い的に上塗りする方向ではなく、

    適正なテクノロジーを求めて行くイノベーションに信頼を置いていく。言い換えれば、この段階

    はエコロジー的に動機づけられたイノベーションの段階、つまりエコロジー的近代化の段階であ

    る。さらに環境政策の第四段階は、脱産業化的な生産様式や公共的な近距離輸送の導入など、構

    造変革を目指すものである。彼の考え方を踏まえれば、第三段階及び第四段階は予防のレベルに

    照準を合わせているより望ましい戦略であるということになる。

    他方、Jänickeは 2008年の論文では、エコロジー的近代化は、単なるエンド・オブ・パイプ型

    の対策とは異なり、環境イノベーションを促進し、それらの技術の普及を支援するすべての手段

    を包含するものであるとしている。つまり、前述の環境政策の第二段階、廃棄物処理型の環境保

    護手法をエコロジー的近代化の手段から除外するのではなく、それらを含めた最適の手段をとる

    必要性を指摘していることになる。

    この微妙ではあるが重要な考え方の変化は、Jänicke等が 1990年代初めに実施した、成功した

    環境政策に係る国際的な比較研究の結果が影響を及ぼしている可能性がある。この研究では、

    OECD12 カ国から提出された 24 のケーススタディを分析した結果、報告された改善の多くは、

    末端処理型の対策(エンド・オブ・パイプ対策)によるものであって、技術革新、使用エネルギ

    ーの削減、物的消費量削減などの根本的な転換、あるいは経済のエコ・リストラによるものでは

    なかった(Jänicke and Weidner 1995)、という結論が示された。つまり実際に最も強力な環境政策

    の手法は、政府のコマンド・アンド・コントロールである、ということが明らかとなったのであ

    る。

    この研究結果からは、予防型の環境対策や市場メカニズムを踏まえた環境政策の導入は、今後

    のさらなる環境改善に重要であるという位置付けは変わらないものの、過去の先進国の取り組み

    において、少なくとも従来型の環境問題に対しては、政府のコマンド・アンド・コントロールを

    踏まえたエンド・オブ・パイプ対策が最も有効であった、ということが示されている。

    例えば、日本の事例でも、1960 年半ば以降の SO2の大幅な排出の削減は、まず硫黄含有量の

    少ない燃料への転換、次いで排煙脱硫装置の設置による効果、そして 1970 年代半ばからの産業

    構造転換や省エネルギーによる効果が大きい(日本の大気汚染経験検討委員会 1997)と指摘さ

    れている。

    つまり、これから本格的な環境改善プロセスに入ると考えられる多くの非先進国においては、

    最初から第三段階の戦略を目指すのではなく、まず第二段階の戦略、つまりエンド・オブ・パイ

    プ型の戦略に取り組み、それと並行して、またはその後に第三段階の戦略に取り組んでいくこと

  • 8

    がより現実的であるということになる。したがって、前述の考え方を拡張すると、エコロジー的

    近代化とは、より環境負荷の少ない経済の発展、つまり環境効率性の高い社会の実現のプロセス

    であり、エンド・オブ・パイプ技術の普及や省エネルギーやクリーンプロダクションの促進など

    総合的な対策が重要である、ということになる。

    2.2 エコロジー的近代化理論における推進力とその前提

    エコロジー的近代化理論が環境と経済の両立に資する理論だとすると、エコロジー的近代化を

    促進する要因、つまり推進力についても考えていく必要がある。どのような対策をとるにしても、

    通常は環境改善のためにはある程度のコストが必要となる。こうしたコストを支払っても環境を

    改善したい、というニーズもしくは圧力がないと実際の環境改善プロセスは進まない。

    新古典派の経済学的考え方に基づくと、環境質は経済学的に見るとぜいたく品として考えられ、

    社会がある一定の(経済的)豊かさのレベルに達した後、市民の関心の高まりや NGO の活動、

    そして政府の政策などにより、企業は環境対策に取り組むようになり、環境の改善につながる、

    ということになる(York et al. 2003)。

    エコロジー的近代化理論は、こうした新古典派の考え方に類似しているが、新古典派ほど経済

    が決定的な要因であるとみているわけではなく、むしろ制度的な改変を重視しており、国家や企

    業が長期的な視点から環境面での重要性を認識することにより、環境コストの内部化が図られ、

    環境の改善につながっていくと捉えている(York et al., 2003)。彼らは、エコロジー的近代化を進

    める要因として、制度改革、技術革新、市場の力、そして社会的な運動、政府規制等をあげてい

    る。

    一方、Jänicke(2008)は、エコロジー的近代化を推進する要因として、先験的な諸国による「賢

    明な(Smart)」環境規制と、グローバルな環境ガバナンスの複雑化を背景とした、汚染産業に対

    する経済的な不安定性とリスクの上昇が重要であると指摘した。

    環境規制は企業に対し高いコストを課すことになり、革新性や競争力を低下させるという見方

    も過去にはあったが、現在では、適切な規制は環境改善に重要な役割を果たすのみならず、新た

    な市場の創出や促進、グローバルな調和化、市場の予測可能性の向上、技術変革の促進など、産

    業界にも多くの明確な利益をもたらすと考えられている(Jänicke 2008)。したがって、適切な環

    境規制は、経済と環境の両立につながるということになる。

    もう一つのエコロジー的近代化の主要な推進要因として、エネルギーや天然資源価格の上昇、

    あるいは、複雑化する多くの主体によるガバナンスを背景とした環境圧力の不確実性という、ビ

    ジネスリスクの上昇があげられる(Jänicke 2008)。

    1970 年代初頭までは、環境ガバナンスにおける主体の関係性は単純であり、政府が汚染者の

    環境行動を一方的なコマンド・コントロール(指令・制御)によって規制した(少なくとも規制

    しようとした)。しかし、その後、市民社会、NGOや科学的な機関、マスメディアなどは、政府

    と対話するだけではなく、しばしば直接的に、ビジネスコミュニティと関係を構築している。こ

  • 9

    うした主体の関係性の複雑さの増大は、汚染者にとって経済的リスクや不安定性の増大につなが

    っており、それらのリスクに対応するためには、エコロジー的近代化を進めることが、より安全

    な戦略となる(Jänicke 2008)。したがって、汚染者にとって、環境改善を進めることがより合理

    的な選択ということである。

    つまりエコロジー的近代化を促進する推進力の一つは、環境改善に対する社会的な圧力だと捉

    えることができる。社会の環境ニーズの高まりが、様々なチャンネルを通じて汚染者の汚染抑制

    を求める力となるのである。もう一つは、経済的な合理性である。社会の環境ニーズの高まり、

    あるいは資源価格の高騰や輸入市場の規制の厳格化など、資源の消費や環境汚染に対するコスト

    が上昇することにより、企業(汚染者)は経済的合理性の観点から、資源消費の削減や環境の改

    善を図ることになる。そして、こうした経済合理性に直接的な影響を与えるのは、環境対策に必

    要な技術の入手可能性とその費用である。国家は、こうした社会的ニーズの高まりや経済的な合

    理性を実際の環境改善につなげていく枠組み作りの役割を担っている。

    では、こうしたプロセスは、どのような国、地域でも起こりうるのであろうか。Frijins et al.

    (2000)は、エコロジー的近代化論は西欧の工業化された社会の文脈で発展してきたものであり、

    これまでのところ西欧の社会政治的、経済的、そして文化的な状況が、その実証的な基礎を構成

    してきたとし、西欧における環境改善のための基本的な制度的特徴として、以下の 8項目を挙げ

    ている。

    民主的でオープンな政治制度

    先進的で多様な社会環境的なインフラを有する合法的で介入型の国家

    環境意識の広範な普及と急進的な環境改革を推し進めるリソースを有する組織化され

    た環境 NGOの存在

    交渉において分野的あるいは地域的に生産者を代表できる仲介者やビジネス組織の存

    交渉に基づく政策策定や調整のための交渉の伝統や経験を有する。

    十分かつ信頼できるオープンな環境データを提供できる精密な環境モニタリングシス

    テム

    社会の隅々までカバーしかつ国際市場に強固に組みこまれた生産・消費プロセスを管理

    する、国家規制に基づく市場経済

    高度に工業化された社会における先進的な技術開発

    こうした特徴は、西欧の環境先進国の基本的な特徴であり、非先進国においてもこうした特徴

    がすべて揃えばエコロジー的近代化は進むと考えられる。ただし、非先進国においても、いずれ

    こうした条件が整うとしても、それまでにどれほど時間がかかるか分からず、またその段階に至

    るまでに多くの環境問題が生じるであろうことは自明である。したがって、これらすべてが揃わ

    ない状況下で、どのようにエコロジー的近代化が進むのか、あるいはどのような条件が満たされ

    ればエコロジー的近代化は進みうるのかを考えていくことが重要になる。

  • 10

    2.3 エコロジー的近代化理論の意義と限界

    (1)エコロジー的近代化理論の意義

    エコロジー的近代化理論の研究は、環境と経済の関係性に関するさまざまな議論において大き

    な貢献を行ってきている。

    福士(1997)はエコロジー的近代化1理論の意義として次の 5点を挙げている。

    経済成長と環境悪化の悪循環を切り離し(デカップルし)、経済成長と環境保護との両立

    を図ろうとしたこと。これは 1970 年代の経済成長と環境保護との対立を軸に社会制度の

    変革という方向へ進んでいったのに対し、エコロジー的近代化理論はそうした議論の批判

    と反省に立ち、両者の対立を克服する新たな理論的地平を切り開こうとした。

    環境保護を経済の負担と考える代わりに、将来の成長のための潜在的源泉と考え、環境保

    護を長期にわたる経済成長の前提にまで高めようとした。

    エコロジー的近代化理論は、新しい環境政策の理念を打ち出そうとした。1970 年代の環

    境政策が、主に対症療法的なエンド・オブ・パイプ方式をとっていたのに対して、エコロ

    ジー的近代化理論は問題の発生を予測し、その芽を事前に摘み取る予防政策を基本として

    いた。

    こうした新しい政策理念を現実化するためには、環境団体や地域市民といった新しい行為

    主体が環境政策の場に登場し、政策立案や実施に深くかかわってこなければならない。そ

    の結果これまでのコーポラティスト的な環境政策の立案、決定のプロセスは反省を迫られ

    ることになる。

    エコロジー的近代化理論は環境問題を特別のストーリーラインで描こうとしていた。エコ

    ロジー的近代化理論では、環境問題は社会秩序の問題であり、したがってどのような秩序

    を選び取るのかという選択の問題と答える。そのためエコロジー的近代化理論は社会的選

    択を慎重に行う民主的プロセスや手続きを強調する。

    一方、Mol et al.(2014)は、エコロジー的近代化理論の研究がこれまでに達成したこととして、

    社会科学と環境政策を統合するための枠組みの提供;様々な革新的な概念、理論、主要な研究テ

    ーマの社会的理論への導入;環境政策及び環境管理に係る実質的な貢献;そして、環境社会科学

    におけるグローバライゼーション理論及び研究への実質的な貢献、の 4点をあげている。彼らは、

    その中でもっとも重要な貢献は、現代社会が環境とどのように関係していくかについて、学問と

    しての社会科学と政策的な考え方を統合するための、システマティックで理論的な枠組みをオー

    プンにし、提供してきたことをあげている。エコロジー的近代化理論の出現までは、成功した環

    境政策、環境技術の開発、予防的な企業行動等、政策やビジネスあるいは経済学に係る研究は、

    それぞれ別個に行われてきていたが、エコロジー的近代化理論は、こうした個々の分野の研究を

    一つの領域に統合するための枠組みを提供している(Mol et al. 2014)。

    これらの議論をまとめると、エコロジー的近代化理論の最大の意義(貢献)は、それまでは対

    1 福士(1997,1998)は Ecological Modernisationを環境近代化と訳しているが、本論文では、最も広く使われてい

    るエコロジー的近代化という訳語で統一している。

  • 11

    立する概念であった環境と経済の両立の道を提示し、異なる分野の研究を統合するための枠組み

    を示したこと、そして学問的な議論だけではなく、環境政策や環境計画の策定・実行における国

    家や企業、そして市民社会の連携の必要性を示したこと、各国における新たな環境政策策定やそ

    の実践において実質的な貢献を行っていること等があげられる。

    エコロジー的近代化理論は、実際にヨーロッパで環境政策に適用され(山田・他 2007)、その

    思想に裏打ちされた北欧諸国やドイツなどでの取り組みは相対的な成果を上げたといわれてお

    り(松下 2014)、ヨーロッパを中心に広く支持されている。

    (2)エコロジー的近代化理論に対する批判

    エコロジー的近代化理論は、環境改善を成し遂げる最大の可能性を有していると考えられる

    (Jänicke 2008)が、同時にこの考え方に対する批判も多い。例えば、エコロジー的近代化理論

    の技術決定論的考え方(Spaargaren and Mol 1992;Mol and Spaargaren 2000)、国家機関の役割に

    着目せずに市場の原理に過度に楽観的(Spaargaren and Mol 1992)、消費動向の軽視(生産プロセ

    ス重視)、社会的不平等や権力に係る分析の欠如、ヨーロッパ中心の視点等がこれまで指摘され

    てきている。こうした指摘の多くは 1980 年代にエコロジー的近代化理論が誕生し発展していく

    段階における議論であり、必ずしもすべての議論が現時点で有効性を維持しているわけではなく

    (Mol and Spaargaren, 2000)、また多くの指摘は既にエコロジー的近代化理論の議論の中に取り込

    まれつつある(Spaargaren et al. 2009; Mol et al. 2014)。

    初期段階のエコロジー的近代化理論に対するもっとも一般的な批判は、エコロジー的近代化理

    論の技術的楽観性とそのテクノクラート的(技術専門家主導)な性格に関係するものである。し

    かし、その後のエコロジー的近代化の議論では、制度的改革プロセスの中に技術的変革も含まれ

    ているものの、それほど中心的な役割を果たしているわけではないと考えられるようになった

    (Mol and Spaargaren 2000)。

    エコロジー的近代化のアジェンダにおけるグリーン資本主義の可能性、実現性そして望ましさ

    も多くの議論を呼んできた。その論点は、資本主義は環境悪化の要因となっているという指摘で

    あり、資本主義的社会秩序の基礎にチャレンジしなければ、環境危機を根本的に解決することが

    できない、というものである。(Mol and Spaargaren 2000)

    しかし、資本主義による限界の拡大を称賛していた初期のエコロジー的近代化理論とは異なり、

    現在ではエコロジー的近代化理論の主流派は、資本主義を、厳格あるいは急進的な環境改善のた

    めの不可欠な前提あるいは(逆に)重大な障害として捉えているわけではない。むしろ彼らは、

    「自由市場資本主義」が社会の存続基盤を損なうことなく、根本的かつ構造的にその保全に貢献

    するように誘導、転換していくことに焦点を当てている(Mol and Spaargaren 2000)。

    一方、未だ議論が収束していない批判も存在する。これらの批判の論点は次の三つに集約され

    る(Spaargaren et al. 2009; Mol et al. 2014)。一つ目は生産者の踏み車理論に代表されるネオ・マル

    クス主義的な見方であり、要すれば、環境は悪化し続けており構造的な変革が不可避である(つ

    まり近代化の欠点を一つ一つ修復していくことでは対応不可能)、という考え方である。二つ目

    は、ラディカル・ディープエコロジー的な考え方であり、環境的に持続可能な社会を構築するに

  • 12

    は抜本的な社会変革が必要である、という指摘である。三つ目は、ネオ・マルサス主義の考え方

    (構造的人間生態学主義者)であり、人口増加と豊かさの拡大による環境悪化に、環境技術では

    対応しきれない、というものである。こうした見方は根本的な前提の違いに起因するものであり、

    これらの議論は継続していくと考えられる(Spaargaren et al. 2009; Mol et al. 2014)。

    一方、Jänicke(2008)は、エコロジー的近代化の考え方は、本質的な限界に直面していると指

    摘している。そのうちの一つは、エコロジー的近代化の概念は、技術的な解決策(市場的に利用

    可能な対策)がない場合、内在的な制約に直面するという問題である。環境政策上の重要な問題

    である、都市の拡大、土壌喪失、生物多様性の喪失、核廃棄物の最終貯留場所、気候変動問題な

    どが、こうした限界の事例である。さらに近代化のアプローチは、そのリスクが重大で即時の対

    応が必要な場合にも現実的なオプションではない(Jänicke 2008)。

    また、環境効率の漸増的な上昇は、成長のプロセスにより簡単に相殺されてしまう傾向がある

    ため(リバウンド効果)、しばしば持続的な解決策とは考えられないという問題がある。例えば、

    個々の車の汚染物質の排出量の削減は、道路交通の増大により相殺されてしまう。こうした問題

    は、Nカーブのジレンマとして知られている(Jänicke 2008)。

    さらに、「近代化の敗者」、つまり既得権益を有するいわゆる旧来型の産業が、確立した権力と

    影響力を元に抵抗することにより、環境政策の実効性が低下してしまうという問題がある

    (Jänicke 2008)。

    他方、福士(1998)は、エコロジー的近代化論は、経済的持続性を優先させながら、環境効率2の追求によって生態的持続性を守ろうとするものであるとした上で、Welford(1997)の議論を

    引用しつつ、次のような批判を展開している。

    エコロジー的近代化論は環境効率を高めることはできても、全体的な環境負荷の削減を保証す

    ることはできない。環境負荷の絶対的な削減のためには、環境効率ばかりでなく、消費形式、物

    資主義、成長、ライフスタイル全ての再検討が必要であり、エコロジー的近代化理論ではそれを

    行うことはできない。また、エコロジー的近代化理論は、持続可能な開発概念との比較で見た場

    合、社会的、論理的課題を扱うことができないという重大な欠陥を抱えている。エコロジー的近

    代化理論は基本的に先進国の環境に係る議論であり、世代内公平性という概念が含まれておらず、

    先進国の環境負荷を自由貿易を通じて開発途上国に外部化するという論理があるだけである。

    こうした一連の批判は、三つの論点に整理することができる。まず、エコロジー的近代化理論

    に基づけば、ある程度の環境改善を実現できるかもしれないが、抜本的な環境改善を実現するこ

    とは困難であるということ、第二点は、持続可能な開発という枠組みと比較すると、エコロジー

    的近代化理論で取り扱える課題は限定的であるということ、そして三つ目は、エコロジー的近代

    化理論は先進国の議論であり、非先進国での適用を考慮していない、という点である。これらの

    点については次項でより詳しく議論する。

    この他、York and Rosa(2003)は、エコロジー的近代化の効果を確認することができる実証的

    な研究の不在を批判している。これまでの研究結果からは、エコロジー的近代化が環境持続性の

    2 福士(1998)は「エコエフィシェンシー」という単語を用いているが、本稿では広く用いられている「環境効

    率」で統一した。

  • 13

    発展と両立するという説得力のある事例を提供できておらず、エコロジー的近代化理論について

    も懐疑的にならざるを得ないとしている。

    実際に、エコロジー的近代化に係る研究は理論的なものや事例研究的なものが大部分である。

    いくつかの研究では、クロスカントリーデータを用いた実証的な分析を行っているが、いずれも

    エコロジー的近代化の影響を実証的に分析していくものではなく、生産者の踏み車理論など、競

    合する理論との比較に着目したものとなっている。

    例えば、York and Rosa(2006)は、世界システム論をベースに代表的な大気汚染物質である

    SO2と NOxを取り上げ、現在の世界システムにおいてどのように汚染問題が進捗しているのかク

    ロスカントリーの排出量データ(1995 年)を用いて分析を行っている。その結果は、世界シス

    テム論の鍵となる考え方、つまり国家経済の構造は環境影響に大きな影響を与えるということ、

    そして各国が置かれた世界システムの中の位置が、それぞれの国の SO2や NOxの排出量に影響

    を与える主要因の一つであり、国が豊かになるにつれ環境影響が低下するという、エコロジー的

    近代化理論や環境クズネッツ曲線(EKC)仮説の考え方を支持するものとはならなかった。

    また、Jorgenson and Clark(2012)は、CO2について三つの指標、すなわち総排出量、一人当た

    り排出量、GDP 当たりの排出量を目的変数として、生産者の踏み車理論とエコロジー的近代化

    理論の評価を行っている。結果は、どの単位を用いるのか、先進国を対象とするのか開発途上国

    なのかなどにより異なる結果となっている。具体的には、規模(総排出量)の観点からは、先進

    国においては、経済開発と総排出量の相対的デカップリングが認められたものの、開発途上国に

    おいては、一人当たり排出量と経済開発の間には全く逆の関係性が認められ、また総排出量につ

    いては、経済開発との強い関係性が継続していることが確認された(Jorgenson and Clark 2012)。

    他方、彼らの分析では GDP当たりの排出量についてはほとんど有意な結果は得られていない。

    この他、Jorgenson(2006)及び Jorgenson and Birkholz(2010)がメタンの排出量について、ま

    た York et al.(2003)及び Jorgenson and Clark(2011)はエコロジカルフットプリントのデータを

    用いた分析を行っているが、いずれも必ずしもエコロジー的近代化理論を支持する結果とはなっ

    ていない。

    ただし前述のとおり、これらの実証研究は特定の汚染物質と所得との関係性から競合する理論

    の妥当性を比較したものであり、エコロジー的近代化理論の考え方そのものを深く検証したもの

    とはなっていない。したがって、エコロジー的近代化理論の効果に焦点を当てた実証的分析は、

    ほとんど存在しないということになる。

    (3)エコロジー的近代化理論に係る課題の整理

    前項で議論したように、エコロジー的近代化の考え方が直面している主な批判として、環境効

    率改善は抜本的な環境改善にはつながらない、持続可能な開発に比べると対象課題等が限定的、

    及びエコロジー的近代化理論は先進国の議論である、という三点があげられる。

    まず、第一の論点は、環境効率改善により、ある程度の環境改善を実現できるかもしれないが、

    抜本的な環境改善を実現することは困難であるという指摘である。Jänicke(2008)は、市場のメ

    カニズムを生かしたアプローチとして、エコロジー的近代化はこれまでうまく機能してきたが、

  • 14

    市場性のあるウインウインのアプローチで解決できる問題は限定的であり、今後の持続可能な開

    発の実現のためには、より痛みを伴う可能性の高い構造的な解決策を取る必要がある、としてい

    る。この指摘は一定の妥当性はあるものの、どのような環境問題を課題として設定するかによっ

    て結論は異なってくる。

    Jänicke(2008)自身が指摘するように、エコロジー的近代化の対象となりうる環境問題は、あ

    くまでも市場が解決策を提示できる問題に限られており、市場が解決策を提示できない課題につ

    いて対応が必要となった場合は、国家主導による抜本的な産業構造改革や社会全体の行動変容と

    いったより高次の対応が不可欠となる。したがって、この問題は次の論点とも合わせ、エコロジ

    ー的近代化の限界を示すものである。

    第二点は、持続可能な開発という枠組みと比較すると、エコロジー的近代化論で取り扱える課

    題は限定的であるということである。Dryzek(2005)は、エコロジー的近代化は、持続可能な開

    発と同族的な類似性を帯びているが、持続可能な開発よりもはるかに明確な焦点を持っており、

    資本主義的な政治経済によって、とりわけ先進的な国民国家の枠内において何がなされねばなら

    ないかに焦点を正確に合わせていると指摘した。一方、Langhelle(2000)は環境と開発に関する

    世界委員会(WCED)の持続可能な開発の考え方とエコロジー的近代化の比較を行った結果とし

    て、この二つの概念はしばしば混同されるが、それらの概念は大きく異なっているとしている。

    彼が指摘した相違点は、対象とする課題の範囲、着目する制度のレベル、環境容量と生態学的限

    界、そして生態学的相互依存性という四点である。

    持続可能な開発(WCED の定義)とエコロジー的近代化のもっとも大きな違いは、持続可能

    な開発の概念は、エコロジー的近代化が全く言及していない多くの課題を包含していることであ

    る(Langhelle 2000)。二つ目はそれぞれの議論が着目する制度のレベルの違いである。持続可能

    な開発は、国家レベル及びグローバルなレベルの両方の役割を重視している(Langhelle 2000)

    のに対し、エコロジー的近代化は、は、グローバルと個人の間の関係性よりも、その中間レベル、

    すなわち中央政府、環境運動、企業、労働組合といったレベルの環境改革の戦略に焦点を当てて

    いる(Mol and Spaargaren 1993)。三つ目の大きな違いは、キャリングキャパシティ(環境容量)

    とグローバルな開発の環境的限界についての考え方である(Langhelle 2000)。Dryzek(2005)は、

    両方の概念とも成長の限界にはあまり注意を払っていない(あるいは限界を拡大することが可能)

    としているが、Langhelle(2000)は、持続可能な開発の考え方にとって、グローバルな発展に対

    する環境容量や生態学的限界は本質的なものである一方、エコロジー的近代化にとってはそうで

    はないとしている。そして四つ目の違いは、世界は国際的な経済的相互依存を高めているのみな

    らず生態学的相互依存も強めているという WCED の前提である。この生態学的な相互依存とい

    う前提は、エコロジー的近代化には欠けている(Langhelle 2000)。

    このように、持続可能な開発の議論に比較すると、エコロジー的近代化の考え方は少なくとも

    現段階では限定的であることは明らかである。ただし、ここで示されているようなエコロジー的

    近代化の限界は、この考え方の有用性を否定するものではない。持続可能な開発は重層的かつ多

    面的なものであり、その対応のためには多様なアプローチが必要となる。つまり持続可能な開発

    を実現することができる唯一の方策が存在するのではなく、異なるレベルの様々なアプローチが

  • 15

    総体として持続可能な開発を形作っていくのである。

    そして三つ目は、エコロジー的近代化理論は先進国の議論であり、非先進国での適用を考慮し

    ていないという批判である。Dryzek(2005)は、エコロジー的近代化理論は相対的に豊かな先進

    社会の人々のためのものであり、開発途上国(第三世界)にとって適切な発展の道が何であるか

    については長い間沈黙を保ってきている、と指摘している。エコロジー的近代化が進んでいると

    される先進国も、エコロジー的近代化を選択できるようになる地点に到達するためには、決定的

    に反エコロジー的な長大な時間を過ごしており、世界の貧困国がこの道に続こうとするならば、

    世界のエコシステムに耐えがたい負荷をかけることになる(Dryzek 2005)。したがって、エコロ

    ジー的近代化理論が非先進国にも適用ができるのであれば、環境面での持続可能な開発に対し、

    大きな貢献ができる可能性がある。

    前述のとおり、エコロジー的近代化理論の研究は、第一世代においては欧州を中心としたもの

    であったが、その後、他地域にも対象が広がりつつある(Mol et al. 2014;Spaargaren et al. 2009)

    とされている。特に、エコロジー的近代化の研究の対象となっている非 OECD 諸国は、東欧、

    東・東南アジア、そして一部中南米の新興国が中心であるが、最近 10 年間で見ると、サブサハ

    ラアフリカのように、世界的なネットワーク社会に十分接続されていない国々に対するエコロジ

    ー的近代化の関係性も、重要な課題として取り上げられるようになってきている(Mol et al.

    2014;Spaargaren et al. 2009)。

    Frijins et al.(2000)は、工業化社会における制度的な状況は、サブサハラアフリカのような開

    発途上の社会とは多くの面で異なっており、エコロジー的近代化の考え方をそのまま移転するこ

    とは、その地域の社会的、制度的、環境的あるいは文化的な条件に適応させることなく、技術を

    先進国から開発途上国へ移転するのと同じリスクに直面する恐れがある、としている。したがっ

    て、エコロジー的近代化理論は、中東欧の市場経済移行国や東南アジアなどの新興工業国などに、

    よりうまく適応すると考えられる(Frijins et al. 2000)。いずれにしても、これら諸国においても

    環境改善プロセスは進展してきており、様々な課題はあるものの、エコロジー的近代化理論は世

    界中で活用可能であることが示唆されている(Sonnenfeld and Rock 2009)。

    これらの論点はいずれもエコロジー的近代理論の考え方全体を否定するものではなく、その適

    用可能な範囲が限定的であると主張するものである。最初の議論、つまり環境効率改善の限界に

    ついては、個々の環境問題についてどのレベルの環境負荷軽減が必要なのか、という科学的な分

    析と、実際に市場性のある対策でどの程度の負荷軽減が可能なのか、という技術的な問題との関

    係性に依るものと考えられる。直接的な健康被害を生じるような緊急性の高い環境問題を別にす

    れば、多くの環境問題はある程度の時間軸の下で対応することになる。したがって、最終的には

    抜本的な対策が必要な環境問題でも、当面の対策として、環境負荷の抑制、つまり環境効率改善

    が求められることも多い。特に経済活動に伴う環境負荷が増加しつつある非先進国において、経

    済活動に大きな影響を与える可能性のある大幅な削減よりも、第一段階の取り組みとして、環境

    負荷の抑制、つまり環境効率の改善を求める方が現実的であると考えられる。

    第二点の持続可能な開発との関係性、あるいは対象とする課題の範囲の問題であるが、確かに

    持続可能な開発が論じる対象課題の範囲は広大であり、エコロジー的近代化理論が言及する課題

  • 16

    はその一部に過ぎない。しかし、その分エコロジー的近代化の議論は焦点が絞られており、実際

    的な取り組みの道筋を示すものとなっている。持続可能な開発の概念は、多くの課題を包含して

    おり、その対応のためには様々なレベルの多様な取り組みが必要である。エコロジー的近代化の

    議論は必ずしも持続可能な開発を代替するものではなく、持続可能な開発の取り組みの内の一つ

    であると考える方が妥当である。

    三つ目の非先進国への適用の問題については、未だ答えが明確ではない課題である。先進国の

    経験を基にしたエコロジー的近代化の考え方が非先進国においても適用可能であり、非先進国に

    おける環境改善に寄与することができるならば、世界全体の環境面での持続可能な開発に対する

    大きな貢献となると考えられる。

    本研究ではこうした考え方を踏まえ、三つ目の課題であるエコロジー的近代化理論の非先進国

    への適用に着目することとし、その研究の進め方について次項で更なる検討を行う。

    2.4 非先進国におけるエコロジー的近代化理論の適用

    (1)非先進国におけるエコロジー的近代化理論の適用

    持続可能な開発の実現のためには、先進国のみならず、開発途上国を含む非先進国における取

    組の強化が不可欠である。他方、それらの国々では、気候変動問題など、地球規模の環境問題だ

    けではなく、大気汚染や水質汚濁といった従来型の環境問題も深刻な脅威となっている。こうし

    た従来型の環境問題は、かつては先進国において重大な問題となっていたが、近年では、その大

    部分は適切にコントロールされ、大気質も水質も大幅に改善してきている一方、開発途上国で、

    そうした環境問題が深刻化している。先進国を含む世界全体での喫緊の対応が求められている地

    球環境問題とは異なり、こうした従来型の環境問題は、先進国においてすでに解決済みの問題で

    あることが多い。つまり、すでに実施可能な解決策が存在しているということであり、非先進国

    は、こうした先進国の経験を活用することにより、後発性の利益を生かして環境問題の改善を実

    現できる可能性があるということになる。

    一方、エコロジー的近代化理論は、先進国における環境改善の経験を元に発展してきた理論で

    あり、環境と経済の関係性を説明するさまざまな理論の中で最も実際的なアプローチである。エ

    コロジー的近代化は環境改善の大きなポテンシャルを有しており(Jänicke 2008)、エコロジー的

    近代化が成功すれば、一人当たり所得は環境への負荷の上昇を伴わずに増加するという形で、環

    境汚染と所得上昇を切り離すことができる(Dryzek 2005)。もしこの考え方が非先進国にも適用

    可能ならば、非先進国においても、経済活動を抑制することなく、現在直面している従来型の環

    境問題の解決を図っていける可能性がある。

    世界的な持続可能な開発の実現には新興国の環境改善の成功が不可欠であり、エコロジー的近

    代化理論に対する関心は、工業化の進むアジアや他の新興国を含む世界全体で高まっている

    (Sonnenfeld and Rock 2009)。したがって、エコロジー的近代化の考え方の非先進国への適用可

    能性について、本論文で検討を行っていくことは、非常に重要であると考えられる。

  • 17

    (2)本論文におけるエコロジー的近代化の考え方の整理

    前述のとおり、エコロジー的近代化の考え方は多様な考え方を含んでおり、この概念を実証分

    析に用いる際にはあらかじめ議論の枠組みを明確にしなければならない(徳永 2013)。

    本研究では、非先進国における適用を想定しつつ、エコロジー的近代化とは、より環境負荷の

    少ない経済の発展、つまり環境効率性の高い社会の実現のプロセスであり、エコロジー的近代化

    理論とは、そのプロセスを実現しうる前提や道筋を明らかにする考え方であると捉える。なお、

    本研究で対