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179 言語性ワーキングメモリと理科学習: 全国学力・学習状況調査(理科)の解答傾向から Study of student’s verbal working memory and science learning: Answer trend nationwide scholastic ability survey 久保田善彦 †       平澤林太郎 ‡    KUBOTA Yoshihiko, HIRASAWA Rintaro 概要(Summary) 小学校6年生の児童を対象に言語性ワーキングメモリを測定し,高位群,中位群,低位群に分け た。それぞれの群と,平成27年度に実施された全国学力・学習状況調査の教科に関する調査(理 科)の正答数及び解答傾向の関係から低位群の傾向を検討した。その結果,合計正答数および「知 識・活用」問題正答数は,群間に有意な差はなかった。しかし,各問題の比較から,低位群は,複 数条件を同時に比較検討することが困難であること,重さや粒子,方位などに強固な既有概念を持 つこと,なじみの薄い器具の名称や類似する用語の区別が困難であること,メンタルローテーショ ンが困難であることなどが示唆された。それらの困難性とワーキングメモリの関連を考察した。 キーワード:言語性ワーキングメモリ,メモリスパンテスト,全国学力・学習状況調査 1.問題の所在 インクルーシブ教育の推進に伴い,通常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童の学 びの成立に,社会的な関心が高まっている。学習者の学びと関連の深い能力に,ワーキングメモリ (以下,WMとする)がある。WMとは,短い時間に心の中で情報を保持し,同時に処理する能力で ある。WMは,会話や読み書き,計算などの基礎となる日常生活や学習を支える能力である。すで に,国語,算数,理科などの学習と密接に関連していることや,発達障害のある子どもの多くが WMに問題を抱えていることが明らかになっている(アロウエイ2011,ギャザコール・アロウエ イ2009,坪見・渡邊2011)。理科授業におけるWM低位児の観察からも,学習の困難性が示唆さ れている(久保田2015)。また,理科のエラー特性や自己効力感とWMの相関も報告されている (原田・鈴木2015)。 本研究では,小学校6年生の児童を対象にWMを測定し,高位群,中位群,低位群に分類する。 それぞれの群と,平成27年度に実施された全国学力・学習状況調査の教科に関する調査(理科) の正答数及び解答傾向の関係を明らかにすることを目的とする。 2.研究の方法 (1)言語性WMの測定 WMは言語性WMと視空間性WMに分かれるとされる(Baddeley & Hitch 1974)。本研究では, 学力調査が紙面で実施されたことを鑑み,言語性WMを分析の対象とした。言語性WMの測定は, 宇都宮大学 教育学部 (連絡先:[email protected]) 新潟県小千谷市立小千谷小学校

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言語性ワーキングメモリと理科学習:全国学力・学習状況調査(理科)の解答傾向から

Study of student’s verbal working memory and science learning: Answer trend nationwidescholastic ability survey

久保田善彦†       平澤林太郎‡   

KUBOTA Yoshihiko, HIRASAWA Rintaro概要(Summary) 小学校6年生の児童を対象に言語性ワーキングメモリを測定し,高位群,中位群,低位群に分け

た。それぞれの群と,平成27年度に実施された全国学力・学習状況調査の教科に関する調査(理

科)の正答数及び解答傾向の関係から低位群の傾向を検討した。その結果,合計正答数および「知

識・活用」問題正答数は,群間に有意な差はなかった。しかし,各問題の比較から,低位群は,複

数条件を同時に比較検討することが困難であること,重さや粒子,方位などに強固な既有概念を持

つこと,なじみの薄い器具の名称や類似する用語の区別が困難であること,メンタルローテーショ

ンが困難であることなどが示唆された。それらの困難性とワーキングメモリの関連を考察した。

キーワード:言語性ワーキングメモリ,メモリスパンテスト,全国学力・学習状況調査

1.問題の所在 インクルーシブ教育の推進に伴い,通常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童の学

びの成立に,社会的な関心が高まっている。学習者の学びと関連の深い能力に,ワーキングメモリ

(以下,WMとする)がある。WMとは,短い時間に心の中で情報を保持し,同時に処理する能力で

ある。WMは,会話や読み書き,計算などの基礎となる日常生活や学習を支える能力である。すで

に,国語,算数,理科などの学習と密接に関連していることや,発達障害のある子どもの多くが

WMに問題を抱えていることが明らかになっている(アロウエイ2011,ギャザコール・アロウエ

イ2009,坪見・渡邊2011)。理科授業におけるWM低位児の観察からも,学習の困難性が示唆さ

れている(久保田2015)。また,理科のエラー特性や自己効力感とWMの相関も報告されている

(原田・鈴木2015)。

 本研究では,小学校6年生の児童を対象にWMを測定し,高位群,中位群,低位群に分類する。

それぞれの群と,平成27年度に実施された全国学力・学習状況調査の教科に関する調査(理科)

の正答数及び解答傾向の関係を明らかにすることを目的とする。

2.研究の方法(1)言語性WMの測定

 WMは言語性WMと視空間性WMに分かれるとされる(Baddeley & Hitch 1974)。本研究では,

学力調査が紙面で実施されたことを鑑み,言語性WMを分析の対象とした。言語性WMの測定は,

† 宇都宮大学 教育学部 (連絡先:[email protected])‡ 新潟県小千谷市立小千谷小学校

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Daneman & Carpenter (1980) の開発したリーディングスパンテストが有名である。一文ずつ提示

される単文を音読しながら文頭や文末のターゲット語(一単語)を覚える課題である。二文から順

に単文数を増やし,覚えたターゲット語を再生する。

 本研究では6年生の全児童を対象とするため,小学生が理解できる課題であることや複数人を同

時に検査できることが求められる。そこで,樋口ら(2001)の開発した,「児童版集団式リーデ

ィングスパンテスト」(以下,集団式RSTとする)を採用した。得点化は,樋口らの方法に従い,

各設問ですべてのターゲット語を提示された順序に再生できた場合に1 点を与える。全設問の合計

を得点とした(9点満点)。

(2)対象児童

 A県B小学校6年生5クラス157名を調査の対象とした。157名のうち,全国学力・学習状況調査

および集団式RSTを実施した145名を分析の対象とした。対象者の平均正答数は,14.0であった。

全国平均(14.6)であるため,正答数において同等の集団であると推測できる。

 分析の対象児童のRST 得点は,Gathercole ら(2000)の分析手法に従って標準得点化した。具体

的には,分析対象149名のRST得点の平均を100 とし,1SD を15 として変換した。その後,標準

得点が115 以上の児童をWM高位群,85-115 の範囲内の児童をWM中位群,85 以下の児童をWM

低位群とした。その結果,WM高位群は19名,WM中位群は96名,WM低位群は30名となった。

(3)分析の方法

 第一に,合計正答数の平均と,WMの各群の差を一要因分散分析で比較した。また,国立教育政

策研究所(2015)が示す分類をもとに,各問題を知識問題と活用問題に分け,それぞれの合計正答

数とWMの各群の差を一要因分散分析で比較した。

 第二に,各問題の正答率と,WMの各群の差を一要因分散分析で比較した。5%水準で有意な差

が認められた問題に対し,各群および全国平均の解答傾向を比較した。

3.結果(1)合計正答数および「知識・活用」問題正答数と各群の比較

 各群の合計正答数について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意ではなかった(F(2,142)

=2.85,p<.10)。次に,知識問題のみを合計し分散分析を行った結果,群の効果は有意ではなかった

(F(2,142)=2.39,p<.10)。また,活用問題のみを合計し分散分析を行った結果,群の効果は有意で

はなかった(F(2,142)=2.71,p<.10)。

 

 

  高位群 中位群 低位群 F値N 19 96 30  

合計正答数 Mean 16.16 13.9 12.97 F(2,142)=2.85  S.D 3.65 4.46 5.37 +p<.10知識問題 Mean 6.21 5.15 5.2 F(2,142)=2.39 正答数 S.D 1.47 1.88 2.33 +p<.10活用問題 Mean 9.95 8.76 7.77 F(2,142)=2.71 正答数 S.D 2.52 3.17 3.57 +p<.10

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(2)各問題の正答と各群の比較

 各問題の正答率と,WMの各群の差を一要因分散分析で比較した結果,5%水準で有意な差が認

められたのは,「1(1)振り子:構想」「3(1)粒子:知識」「3(4)粒子:技能」「4(1)方位:分析」

「4(5)粒子:知識」の5問である。

 「1(1)振り子:構想」の各群の正答率について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意であ

った(F(2,142)=3.94, * p<.05)。HSD法を用いた多重比較によると,低位群の平均は高位群および中

位群より有意に低かった(MSe= 0.2018, * p<.05)。しかし,高位群と中位群との間の差は有意では

なかった。

 「3(1)粒子:知識」の各群の正答率について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意であっ

た(F(2,142)=4.25, * p<.05)。HSD法を用いた多重比較によると,低位群の平均は高位群より有意に

低かった(MSe= 0.1286, * p<.05)。しかし,高位群と中位群,中位群と低位群との間に差は有意で

はなかった。

 「3(4)粒子:技能」の各群の正答率について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意であっ

た(F(2,142)=3.39, * p<.05)。HSD法を用いた多重比較によると,低位群の平均は高位群より有意に

低かった(MSe= 0.3070, * p<.05)。しかし,高位群と中位群,中位群と低位群との間に差は有意で

はなかった。

 「4(1)方位:分析」の各群の正答率について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意であっ

た(F(2,142)=3.63, * p<.05)。HSD法を用いた多重比較によると,低位群の平均は高位群より有意に

低かった(MSe= 0.2173, * p<.05)。しかし,高位群と中位群,中位群と低位群との間に差は有意で

はなかった。

 「4(5)粒子:知識」の各群の正答率について分散分析をおこなった結果,群の効果は有意であっ

た(F(2,142)= 4.25, * p<.05)。HSD法を用いた多重比較によると,低位群と中位群の平均は高位群

より有意に低かった(MSe= 0.2111, * p<.05)。しかし,低位群と中位群との間の差は有意ではなか

った。

 

 

  高位群 中位群 低位群 F値N 19 96 30  

1(1)振り子:構想 Mean 0.79 0.75 0.55 F(2,142)=3.94  S.D 0.41 0.433 0.5 *p<.053(1)粒子:知識 Mean 1 0.85 0.7 F(2,142)=4.25  S.D 0 0.35 0.46 *p<.053(4)粒子:技能 Mean 0.89 0.74 0.57 F(2,142)=3.94  S.D 0.31 0.44 0.5 *p<.054(1)方位:分析 Mean 0.53 0.35 0.17 F(2,142)=3.39  S.D 0.5 0.48 0.37 *p<.054(5)粒子:知識 Mean 0.53 0.35 0.17 F(2,142)=3.63  S.D 0.5 0.48 0.37 *p<.05

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4.考察(1)合計正答数および「知識・活用」問題正答数と各群の比較

 本調査では,優位傾向は認められるものの,有意な差は確認できなかった。言語性WMは理科の

学力検査と相関関係にあるとした先行研究(例えば,ギャザコール・アロウエイ2009)とは異な

る結果となった。

 以下の章で述べるように問題別に見ると,有意な差が認められる問題も複数あることから,理科

学習における言語性WMは,影響を及ぼす内容が限定的である可能性が示唆される。また,問題の

多くは文章だけでなく,図表や挿絵が含まれている。それらが言語性WMをサポートした可能性も

考えられる。

(2)各問題の正答と各群の比較

 以下では,5%水準で有意な差が認められた問題を取りあげ,各群及び全国平均の解答傾向から,

WM低位群の特徴を考察する。

①「1(1) 振り子:構想」

 振り子時計の調整の仕方を調べるために,振り子が一往復する時間を変化させる要因について確

かめる実験を,条件を制御しながら構想できたり,振り子の運動の規則性を振り子時計の調整の仕

方に適応できたりするかを確認する問題である。解答累計は,1は「1と3の解答」,2は「1と

2の解答」,3は「3と4の解答」,4は「1と4の解答」,5は「2と3の解答」,6は「2と4の

解答」,9は上記以外の解答,0は無解答を示している。正答は1である。

 解答傾向を,全国平均と比べると,高位群,中位群はほぼ同じ傾向を示している。一方で,低位

群は,解答類型2,3,5,6の割合が増加している。2,3は長さを同一とし,異なったおもり

の重さの振り子を比較している。振り子時計は長さを変化させているにもかかわらず,長さを同一

としていることから,振り子時計を実験用振り子に置き換えて想定することができないと考えられ

る。また,おもりの重さを変化させていることから,おもりの重さに関する既有概念が強固である

可能性も示唆される。5,6は,振り子時計を実験用振り子に置き換えて想定し,長さを変化させ

ているが,重さの条件も変化させている。つまり,条件の統一ができていない。

 本問題は,振り子時計の形状や条件といった当初の情報(ベース情報)と,実験用振り子の形状

と条件(ターゲット情報)を対比する。また,実験用振り子の中から基準となる当初の情報(ベー

ス情報)と比較対象となる実験用振り子の情報(ターゲット情報)を比較する。本問題は,複数の

ベース情報とターゲット情報が存在する。複数のベース情報とターゲット情報の存在を理解したり,

条件を制御して実験を構想したり,その結果を比較することは,WM低位群にとって困難である。

複数の情報を同時に扱うことは認知的な負荷が高く,情報の一部が保持できなくなったことが要因

と考える。

 誤概念を科学的概念に変換するためには,いったん子どもがもつ既有概念を表出することを目的

とした授業方略の効果が報告されている(遠西・岡島2002,中島・松本2013)。仮にこの学習方

略を授業に採用したとしても,WM低位群は想起した既有概念を実験後まで保持することは難しい。

そのため,実験後に既有知識と実験結果と対比させることができず,既有知識を持ち続ける可能性

が高いことも予想できる。

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   図1 「1(1) 振り子」の問題          図2 1(1)の解答傾向

②「3(1) 粒子:知識」

 水蒸気は水が気体になったものであることを理解しているかどうかを確認する問題である。解答

累計の1~3はそれぞれ「気体・液体・固体にすがたを変えて目に見えなくなったもの」,4は

「消えてなくなって目に見えなくなった」,9は上記以外,0は無解答を示している。正答は1で

ある。

 解答傾向を,全国平均と比べると,中位群は,ほぼ同じ傾向を示している。高位群は,すべてが

正答している。低位群は,2,3,4が増加する。水蒸気は目に見えないとの知識はあるが,その

理由は理解していない。4を解答した児童は,「目に見えないため存在しない」と認識している可

能性が高く,粒子概念が不十分であると考えられる。

 粒子概念は,目に見えない粒子をモデルで表現することで,理解を促すことが多い。しかし,目

に見えない事象を粒子モデルでイメージすることが困難であると推測できる。ただし,それらは少

数であるため,WMとの関連は考察できない。

図3 「3(1) 粒子」問題 図4 3(1)の解答傾向

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③「3(4) 粒子:技能」

 メスシリンダーの名称の理解を確認する問題である。1は「メスシリンダー」,2は「ビーカー」,

3は「フラスコ」,9はそれ以外,0は無解答を示している。正答は1である。

 解答傾向を,全国平均と比べると,中位群はほぼ同じ傾向を示している。低位群は,約半数がメ

スシリンダーの用語を覚えていない。特に,9(上記以外の解答)が増加している。報告書には,

「はかり」,「計量カップ」など,機能は類似しているが日常で使われている器具の名称が例示さ

れている。つまり,実験器具の機能や利用法の一部は理解していると考えられる。

 WMは主に短期記憶と関連する。器具の名称は意味記憶であるため,本研究のデータからはWM

との関連は考察できない。

    図5 「3(4) 粒子」の問題           図6 3(4)の解答傾向 

④「4(1) 方位:分析」

 方位を判断するために,観察した事実と関係づけながら情報を考察し,分析できるかどうかをみ

る問題である。東向きのベランダに正面に立つ登場人物が,90°右方向に観察した月の方角を答

える問題である。1は「北」,2は「南」,3は「西」,4は「場所が違うので分からない」,9

は上記以外,0は無解答を示してる。正解は2である。全国平均の正答率は41.1%と,難易度の高

い問題である。

 解答傾向を,全国平均と比べると,中位群は,ほぼ同じ傾向を示している。低位群は,正答の2

(南)が減少し,3(西)の割合が増加する。誤答が増加する要因として,以下の三点を挙げるこ

とができる。第一に,東西南北の位置関係を理解できていない。第二に,メンタルローテーション

あるいは会話文を手がかりとしたメンタルローテーションが困難である。本問題は,ベランダに立

つ登場人物が「ぼくは,東の空を見ているけど,90°右の方向に月を見つけたよ。」と述べる。

この会話文を手がかりに,視点を心的に観察者に移動し,更に視点を90°右に移動させる。つま

り,単純にメンタルローテーションが困難である可能性と,文章を手がかりとしたメンタルローテ

ーションが困難である可能性がある。第三に,メンタルローテーションはできているが,観察者は

南を向いていると断定した上で,メンタルローテーションを実行している。一般に,南向きの校舎

が多いため,教室での方位指導は窓側を南とする。本問題の観察者は,窓の外のベランダに立って

いる。会話文の一部である「ぼくは,東の空を見ているけど」を意識せず,ベランダにいる観察者

は南を向いていると断定し,メンタルローテーションを実行した可能性もある。

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 選択肢には東を除く三方位の選択肢が有り,三方位とも解答しているため,全ての仮説を考えら

れる。ただし,WM低位群の半数は,「西」と解答している。「西」と解答した児童が,意図的に

「西」を解答していると判断すると,第三の仮説の可能性が高いと考える。WM低位群の児童は,

負荷の高いメンタルローテーションを行いながら,会話文の全てを記憶し保持し続けることは難し

い。メンタルローテーションの過程で会話文の前半(メンタルローテーションと関連のない「ぼく

は,東の空を見ているけど」)を保持しきれなかった。そのため,条件の一部を,窓側は南とする

既有知識で補った可能性がある。

    図7 「4(1) 方位」の問題           図8 4(1)の解答傾向

⑤「4(5) 蒸発:知識」

 水が水蒸気になる現象について,科学的な言葉や概念を理解しているかどうかを確認する問題で

ある。1は「じょう発」,2は「気体」,3は「ゆげ」,9は上記以外,0は無解答を示している。

正答は1である。

 解答傾向を,全国平均と比べると,9(以外の解答)が多い。報告書(国立教育政策研究所

2015)では,「水蒸気」「水てき」などの誤答例が示されているが,その他の用語や割合は示され

ていない。誤答例からは,蒸発と水蒸気の用語を区別できていない可能性がある。一方で,すべて

の誤答例を分析できないため,WMとの関連を含めた詳細は考察できない。

     図9 「4(5) 蒸発」の問題          図10 4(5)の解答傾向

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5.まとめと今後の課題 小学校6年生の児童を対象に言語性WMを測定し,高位群,中位群,低位群に分けた。それぞれ

の群と,平成27年度に実施された全国学力・学習状況調査の教科に関する調査(理科)の正答数

及び解答傾向の関係からWM低位群の傾向を検討した。その結果,合計正答数および「知識・活

用」問題正答数は,群間に有意な差はなかった。しかし,各問題の比較から,WM低位群は,複数

条件を同時に比較検討することが困難であること,重さや粒子,方位などに強固な既有概念を持つ

こと,なじみの薄い器具の名称や類似する用語の区別が困難であること,メンタルローテーション

が困難であることが示唆された。

 特に,WMとの関連から考察すると,「1(1)振り子」の問題からは,WM低位群は,複数の条件

がある場合,それらを制御して実験を構想したり,結果を比較することは困難である。想定される

条件を一つ一つ整理したり,各条件を比較するための図表を用意したりすることで,WMを支援す

る工夫が必要である。「4(1)方位」の問題からは,WM低位群は,メンタルローテーションをしな

がら観察の条件(を記載した文章)を保持することは困難である。また,忘却した条件を既有知識

で補おうとする可能性も示唆された。メンタルローテーションを支援するために身体動作と図表を

併用することや,前提となる条件をハイライトするなどの支援の工夫が必要になる。一方で,今回,

開示されている問題の内容や誤答傾向からは,WMとの関連を考察するまでには至らない問題もあ

った。

 今後の課題として以下があげられる。第一に,言語性WMは学力検査の結果と相関があるとする

先行研究との相違を分析する必要がある。データ数を増やすと共に,以下を検討すべきである。一

般に,個別で行われるWMテストであるが,本研究では集団式テストを採用している。そのため十

分な測定精度が保証されない可能性がある。個別テストの実施を視野に入れる必要がある。また,

全国学力・学習状況調査の問題の構成や図表などに,WMを支援する方略が埋め込まれている可能

性もある。先行研究の問題形式との対比が必要になる。第二に,粒子概念やメンタルローテーショ

ンは,空間認知と深く関連する。視空間性WMについても測定し,その関連を分析する必要がある。

第三に,解答傾向だけでは児童の認知活動を考察することは難しい。解答傾向と共にインタビュー

やthink aloudなどを併用した分析が必要になる。第四に,研究の成果からWM低位群への学習方略

が明らかになりつつある。それらの教育実践を行い効果を検証する必要がある。

参考文献

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路書房,2009.

Gathercole, S. E., & Pickering, S. J.: Assessment ofworking memory in six- and seven-year-old children.

Journal of Educational Psychology, 92, 377-390,2000.原田勇希・鈴木誠:どのような認知の弱さが理科のつまずきと意欲低下のリスクか?:日本科学教

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久保田善彦:学習者のワーキングメモリと理科学習に関する研究:言語性ワーキングメモリ低位児

の事例から,日本理科教育学会第54回関東支部大会研究発表要旨集,33.,2015.

国立教育政策研究所:平成27年度全国学力・学習状況調査報告書【小学校】理科,http://www.

nier.go.jp/15chousakekkahoukoku/report/primary/sci/,2015.中島雅子・松本伸示:構成主義に基づく概念の形成過程を重視した授業のあり方,理科教育学研究,

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遠西昭寿・岡島雅秀:概念変換を目指す授業,日本理科教育学会編『理科ハンドブックⅠこれから

の理科授業実践への提案』,東洋館出版社,pp.70-73,2002.

坪見博之・渡邊克巳:児童のワーキングメモリの発達と学業成績,日本認知心理学会第9回大会,

2011.

附記

 本研究は,挑戦的萌芽研究26590228(研究代表者:久保田善彦)による。

平成28年9月29日受理