言語/文化は人を分けるものなのか? ----ケニア初...

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言語/文化は人を分けるものなのか? ----ケニア初等聾学校の子供たちと周囲の人々のさまざまな語り方を事例に 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 古川優貴 調査地概要 序. 本発表の目的 言語は連帯の象徴として考えられ、言語によって人は各集団に分けられてきた。ケニアは「多言語社会」 と言われ、公用語の英語やスワヒリ語のほか69の個別の音声言語(方言を含めるともっと多い)や、ケニ ア手話ほかアメリカ手話やアメリカの英語対応手話、イギリス手話などさまざまな手話言語があるとされ る。多言語状況は人を分かちとりわけ言語的マイノリティの人々は困難がつきまとうとされるが、本発表で は「多言語状況」と言われるケニアで、聾学校の子供たちや周囲の人たちがどのように生きているのか、筆 者が寄宿制初等聾学校内や聾学校の子供の帰省先に住み込んで調査して得た事例に基づいて報告したい。 1. ケニアにおける「多言語」状況とは? ○欧米諸国で言われる「多文化(主義)」・「多言語(主義)」。 ケニアの人々にとっては? ①人々の日常の言語行為 ・日常的に「さまざまな言語(英語/スワヒリ語/ローカル言語)」が「混ざる」/同時に使用される。 ・ K聾学校で子供たちが使う手話は、辞書に照らすと 「混ざっている」。 (ケニア手話、ケニア学校用手話、アメリカ手話、英語対応手話etc.)。 ②言語で集団を分ける習慣がない ・「ナンディ語をしゃべるからナンディ人ということではないよ」などと言われる。 「所属」:父親の出自、教会など→聾学校の子供たちも例外ではない ・「Deaf(ろう者)という考え方がある」という筆者に「何で分けなきゃいけないの?」いう答え。 (その家では音声言語が強制されているわけではなく、むしろ手話もよく使う)。 ③ケニアにおける「言語創出」の歴史 ・イギリスの間接統治による「部族」・「民族」/「(複数の)言語」の創出 [稗田 2002] eg.) 英国植民地期、聖書翻訳のために「ナンディ語」の辞書が作られる(eg. ナンディ県:AIM)。 ・ケニア手話、ケニア学校用手話の辞書が作成・出版されている。  eg.) しかし、K聾学校の子供たちは「××手話」として手話を個別に体得していくわけではない。 「一言語」とも「多言語」とも言えないのでは? 「聴覚障害者における文化の承認と言語的正義の問題」研究会 立命館大学G-COEプログラム「生存学」創成拠点院生プロ ジェクト「障害者の生活・教育支援研究会」@立命館大学 2010年2月12日 報告者:古川優貴(一橋大学大学院博士課程) 1 ケニアには、ごく小規模のものも含め聾学校が約70校ある(2006年時点)。K初等聾学校(以下K聾学校) は、ケニアのリフトバレー州ナンディ県の中心地に所在する寄宿制の学校である。地域住民はカレンジン系 (ナンディ人、ケイヨ人、キプシギス人ほか)が多いが、ルヒャ人、ルオ人、キクユ人、キシイ人なども居 住している。 私は、2004年3月の予備調査に始まり2006年1月までの間、のべ約2年間K聾学校に住み込んだり、生徒 の帰省先のいくつかで居候したりしてフィールドワークを実施した。 K聾学校には、前・初等課程2年、初等課程8年の計10学年があり、各学年1クラスの構成である。子ども は、保護者や出身地の教員・牧師などに連れられてK聾学校に赴き、専門家による聴力検査や、教員と保護 者および子どもとの面談を経て入学が決まる。K聾学校では教授言語に手話が使用されるが、辞書に照らす と様々な手話が「混在」している。

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言語/文化は人を分けるものなのか?  ----ケニア初等聾学校の子供たちと周囲の人々のさまざまな語り方を事例に

一橋大学大学院社会学研究科博士課程古川優貴

調査地概要

序. 本発表の目的 言語は連帯の象徴として考えられ、言語によって人は各集団に分けられてきた。ケニアは「多言語社会」と言われ、公用語の英語やスワヒリ語のほか69の個別の音声言語(方言を含めるともっと多い)や、ケニア手話ほかアメリカ手話やアメリカの英語対応手話、イギリス手話などさまざまな手話言語があるとされる。多言語状況は人を分かちとりわけ言語的マイノリティの人々は困難がつきまとうとされるが、本発表では「多言語状況」と言われるケニアで、聾学校の子供たちや周囲の人たちがどのように生きているのか、筆者が寄宿制初等聾学校内や聾学校の子供の帰省先に住み込んで調査して得た事例に基づいて報告したい。

1. ケニアにおける「多言語」状況とは?○欧米諸国で言われる「多文化(主義)」・「多言語(主義)」。 ケニアの人々にとっては?①人々の日常の言語行為 ・日常的に「さまざまな言語(英語/スワヒリ語/ローカル言語)」が「混ざる」/同時に使用される。 ・ K聾学校で子供たちが使う手話は、辞書に照らすと「混ざっている」。  (ケニア手話、ケニア学校用手話、アメリカ手話、英語対応手話etc.)。

②言語で集団を分ける習慣がない ・「ナンディ語をしゃべるからナンディ人ということではないよ」などと言われる。  「所属」:父親の出自、教会など→聾学校の子供たちも例外ではない。 ・「Deaf(ろう者)という考え方がある」という筆者に「何で分けなきゃいけないの?」いう答え。  (その家では音声言語が強制されているわけではなく、むしろ手話もよく使う)。

③ケニアにおける「言語創出」の歴史 ・イギリスの間接統治による「部族」・「民族」/「(複数の)言語」の創出 [稗田 2002]  eg.) 英国植民地期、聖書翻訳のために「ナンディ語」の辞書が作られる(eg. ナンディ県:AIM)。 ・ケニア手話、ケニア学校用手話の辞書が作成・出版されている。   eg.) しかし、K聾学校の子供たちは「××手話」として手話を個別に体得していくわけではない。

「一言語」とも「多言語」とも言えないのでは?

「聴覚障害者における文化の承認と言語的正義の問題」研究会 立命館大学G-COEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「障害者の生活・教育支援研究会」@立命館大学 2010年2月12日 報告者:古川優貴(一橋大学大学院博士課程)

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 ケニアには、ごく小規模のものも含め聾学校が約70校ある(2006年時点)。K初等聾学校(以下K聾学校)は、ケニアのリフトバレー州ナンディ県の中心地に所在する寄宿制の学校である。地域住民はカレンジン系(ナンディ人、ケイヨ人、キプシギス人ほか)が多いが、ルヒャ人、ルオ人、キクユ人、キシイ人なども居住している。 私は、2004年3月の予備調査に始まり2006年1月までの間、のべ約2年間K聾学校に住み込んだり、生徒の帰省先のいくつかで居候したりしてフィールドワークを実施した。 K聾学校には、前・初等課程2年、初等課程8年の計10学年があり、各学年1クラスの構成である。子どもは、保護者や出身地の教員・牧師などに連れられてK聾学校に赴き、専門家による聴力検査や、教員と保護者および子どもとの面談を経て入学が決まる。K聾学校では教授言語に手話が使用されるが、辞書に照らすと様々な手話が「混在」している。

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2.学校教育で教わること ○一方で、ケニアの子供たちは「言語集団」「文化」を学校で学び、言語を個別的に学ぶ。①「言語集団」、「文化」、「部族」という分け方 ・初等学校3年次から5年次の社会科

②語学の授業(K聾学校のケース) ・教授言語は手話、音声英語・書記英語。 スワヒリ語の授業=書記・口の形のスワヒリ語+対応手話。 →英字新聞を読む、K聾学校内外の友達と英語での手紙のやりとり(スワヒリ語が「混ざる」ことも)。 ・スワヒリ語は苦手と言いながら、手話と共に口から発音することもある。 →苦手なのは学校のテスト。手話と共に口から英語やスワ語やローカル言語を発音すること有り。※手話を授業のほか寄宿生活で体得していくが、「××手話はこれだ」というようには教わらない。

3. 聾学校の子供は帰省先ではどのような生活をしているのか?○学校で言語/文化という分け方を学ぶが、その分け方が必ずしも生活に反映されるわけではない。①音声言語と手話が混ざる ・聾学校の子供だけではない。親きょうだいや近所の人たちも。

②聞こえる側が手話を体得する ・親きょうだいが手話を体得する。いわゆる「ホームサイン」のみならず、学校で使っている手話も。

③初対面同士(K聾学校の卒業生が市場に行ったときの事例) ・市場での値段交渉→売り手/買い手という関係性の生成。(「ろう者/聴者」という関係性ではない)→観察していると、場面によって表現の仕方が変わっているようにも見える。→文法や構造という観点でホームサイン/手話などと分析するほかに、より具体的に場面ごとの表現 の仕方を分析・考察していく必要があるのではないか?→言語の文法規則を読み取ったり言語を使用している人たちの共同性を見てとったりするよりもむし ろ、人の語り方がどのような関係性を生むのかに注目する必要。

4. 考察と今後の展望○語りによって結果的に生成される関係性に着目する必要・元来、「言語集団」/「文化集団」というように人々が分かれているわけではない。→「言語集団」/「文化」というような「バックグラウンド」が予めあるというよりも、その場の語  りや振る舞いによって生成される関係性。○今後の展望「言語集団」や「文化」というまとまりを予め措定し聾学校の子供たちや出身者を「言語的マイノリティ」と捉える前に、ケニアの人たちのさまざまな場面における語り方を具体的に記述し考察する必要。加えて、しばしば「言語」と対立的に考えられがちな「からだ」について考えていく必要。eg.)映像:ドラム、ダンス→「音楽」とは?「リズム」とは?「五感」とは?という普遍的問いへ

【参考文献】 古川優貴   2007 「『一言語・一共同体』を超えて:ケニアKプライマリ聾学校の生徒によるコミュニケーションの諸相」、   『くにたち人類学研究』第2巻、pp.1-20。   (http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15643/1/kunitachi0000200010.pdf) 稗田乃   2002「創られた『言語』、東アフリカ(ケニア、エチオピア)の場合」、宮本正興・松田素二(編)、『現     代アフリカの社会変動:ことばと文化の動態観察』、京都:人文書院、pp.220-235。

※本原稿の無断引用・転載はご遠慮ください。ご不明な点は古川([email protected])まで。

「聴覚障害者における文化の承認と言語的正義の問題」研究会 立命館大学G-COEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「障害者の生活・教育支援研究会」@立命館大学 2010年2月12日 報告者:古川優貴(一橋大学大学院博士課程)

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