薬局薬剤師と在宅医療 ~薬剤師業務の再構築~ ·...

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第 49 号 2015 (平成27) 年 5 月 1 日 金曜日 ( 10 ) 薬局薬剤師 在宅医療 ~薬剤師業務の再構築~ 現在の日本では、病院での死亡が依 然として約8割を占めているのに対 し、在宅死は2割に満たない。病院死 と在宅死が逆転したのは1976年頃と されている。肉親や親類が息を引き取 るまでの時間を支えて見届ける、いわ ゆる『看取り』は、病院がその場所と しての役割を担うようになり今日に至 った。多くの方が病院で亡くなる時代 にあっては致し方のないことかもしれ ないが、人間がどのように最期の経過 をたどり亡くなりゆくのか、その始終 を知るのは一部の医療者だけというの が現状である。 その一方で、ここ20年来の医療政 策では病院は地域の中で主として急性 期治療を担うものと位置づけられ、積 極的治療に特化し入院期間も著しく短 期化している。しかし現実には積極的 治療と終末期医療との狭間でジレンマ を抱えている。 そのような状況の中では、保険薬局 はこれまで患者の終末期に関わる機会 が非常に少なかったといえる。外来患 者の最期というのが薬局側からは見え ないことのほうが多い。定期的に来ら れていた患者がいつしか来局しなくな り、その後入院されたり介護施設に入 所されたなど風の便りで耳にし、さら にしばらく経ってから不幸を報せる立 看板や黒枠広告、あるいは他の患者に 教えられて知るケースのほうが圧倒的 に多い。しかし先述のように最少限の 入院期間を経て療養場所を自宅に戻す ケースが増加している昨今では、地域 包括ケアの観点からも保険薬局と薬剤 師の関与がさらに求められている状況 があるというのも事実であり、在宅ケ アや在宅医療がその関わり方のひとつ でもある。 ごく簡略的だが最終末 期について述べる。人間 の身体が死へと向かうと き、その一連の流れは、 苦痛な症状がないと仮定 すればとても穏やかなも のであり、ごく自然な経 過をたどるとされてい る。死への下り坂がいよ いよ不可逆的になると、 各臓器は次第にその機能 を低下させ始める。食事 や水分の摂取が減少して も、身体の動きが減少し 意識レベルが低下する時 間が多くなることでエネ ルギーの要求と消費は必 要最小限に抑えられるよ うになってゆく。 肝の代謝やタンパク合成機能が低下 したり循環機能が低下することで悪液 質と呼ばれる病態に陥ることがある が、この場合は栄養や水分の代謝や循 環・排泄が難しくなっている。当然の ことながら薬物の代謝・排泄も滞り副 作用が発現しやすい状態となる。 従って、死の間際に栄養輸液を含む 死の生理 を理解する 点滴や過剰な薬剤を投与することは着 陸間際の飛行機に燃料を追加して重量 負荷を与えたり横風を当てるようなも ので、患者を苦しめてしまう可能性が ある。このように考えると、経口摂取 量が減り嚥下機能が低下し、薬剤を内 服できなくなってゆくのは、終末期に ついては身体の負担を回避するための 安全弁となっている側面があるという 理解が可能になる。  循環機能の低下により心負荷や呼吸 負荷が増加し、亡くなる数日前からは 口を開け気味にしてでゼイゼイと呼吸 したり、排出しきれない痰が気道に貯 留し、喘鳴が見られることもある。 しかし、この時期には意識状態も低 下するために苦痛な症状を感じにくく なっている。末梢側の酸素飽和度は低 下し、より高位中枢側で酸素を消費す るようになる。あるいは換気機能の低 下により血中酸素濃度が低下し相対的 に炭酸ガスが増加することで CO2 ルコーシスに近い状態に陥っており感 覚機能が麻痺する。 終末期に経口摂取や内服ができなく なると、患者の家族や近親者が「点滴」 の処方を求めることがある。これは、 多くの場合は、一見して何らの治療を 施さないように見えてしまうことへの 不安に由来している。目の前に終点が 迫っているとしても、治療行為を施し 続けることは、生命が続いているうち は貴重な希望のひとつになりうるから である。 しかし、代謝・排泄機能や循環機能 が著しく低下している場合には、特に 経静脈的な輸液や補液投与は既に低下 している循環器機能の負担となり、末 梢の浮腫や肺浮腫につながりやすい。 これらは全身の倦怠感や身の置き所の ないような感覚、呼吸困難感、痰の増 加など、患者の苦痛を増強させる要因 になることが考えられる。また場合に よっては身体的負担を与えることで死 期を早めてしまうことにつながる可能 性もある。 輸液の適用はこれらのデメリットも 考慮しつつ慎重に検討し、介護に当た る家族などにも丁寧に説明することが 必要である。その人たちもまた、われ われと同じ時代に生きてきており、人 の死に際してどう振る舞うべきなのか 経験に乏しいことのほうが圧倒的に多 いからである。 かなり大雑把に連ねたが、全ての人 の死でこれらが順序良く進行してい くとは限らない。死に伴う身体機能の 低下は、 あくまでも個別のものであ る。 そこに薬物治療をどのように当て はめていくかということについては、 身体状態のみによるのではなく、生命 倫理や医療倫理、患者本人をはじめと して、そこに関わる人々の死生観など 様々な要素から導き出される。しかし、 病院や介護施設だけではなく、在宅療 養や地域包括ケアのエンドポイントの ひとつとして死はそこに必ず存在す る。 現在、外来の窓口で行われる服薬指 導は時間軸上の1点における業務であ ることが多い。薬剤師が地域で患者と 関わってゆくのに、療養の延長線上に 死や看取りがあることを認識し、患者 の療養生活について長期の時間軸を俯 瞰して支援を行うという視点が、求め られるようになるだろう。 くつわ 基治 うえまつ調剤薬局・ 宮城県名取市 療養生活 俯瞰する視点必要

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Page 1: 薬局薬剤師と在宅医療 ~薬剤師業務の再構築~ · 薬局薬剤師と在宅医療~薬剤師 ... 然として約8割を占めているのに対 し、在宅死は2割に満たない。

薬 学 生 新 聞第 49 号 2015(平成27)年 5 月 1 日 金曜日( 10 )

薬局薬剤師と在宅医療 ~薬剤師業務の再構築~第3回

 現在の日本では、病院での死亡が依然として約8割を占めているのに対し、在宅死は2割に満たない。病院死と在宅死が逆転したのは1976年頃とされている。肉親や親類が息を引き取るまでの時間を支えて見届ける、いわゆる『看取り』は、病院がその場所としての役割を担うようになり今日に至った。多くの方が病院で亡くなる時代にあっては致し方のないことかもしれないが、人間がどのように最期の経過をたどり亡くなりゆくのか、その始終

を知るのは一部の医療者だけというのが現状である。 その一方で、ここ20年来の医療政策では病院は地域の中で主として急性期治療を担うものと位置づけられ、積極的治療に特化し入院期間も著しく短期化している。しかし現実には積極的治療と終末期医療との狭間でジレンマを抱えている。 そのような状況の中では、保険薬局はこれまで患者の終末期に関わる機会が非常に少なかったといえる。外来患

者の最期というのが薬局側からは見えないことのほうが多い。定期的に来られていた患者がいつしか来局しなくなり、その後入院されたり介護施設に入所されたなど風の便りで耳にし、さらにしばらく経ってから不幸を報せる立看板や黒枠広告、あるいは他の患者に教えられて知るケースのほうが圧倒的に多い。しかし先述のように最少限の入院期間を経て療養場所を自宅に戻すケースが増加している昨今では、地域包括ケアの観点からも保険薬局と薬剤師の関与がさらに求められている状況があるというのも事実であり、在宅ケアや在宅医療がその関わり方のひとつでもある。

 ごく簡略的だが最終末期について述べる。人間の身体が死へと向かうとき、その一連の流れは、苦痛な症状がないと仮定すればとても穏やかなものであり、ごく自然な経過をたどるとされている。死への下り坂がいよいよ不可逆的になると、各臓器は次第にその機能を低下させ始める。食事や水分の摂取が減少しても、身体の動きが減少し意識レベルが低下する時間が多くなることでエネルギーの要求と消費は必要最小限に抑えられるようになってゆく。 肝の代謝やタンパク合成機能が低下したり循環機能が低下することで悪液質と呼ばれる病態に陥ることがあるが、この場合は栄養や水分の代謝や循環・排泄が難しくなっている。当然のことながら薬物の代謝・排泄も滞り副作用が発現しやすい状態となる。 従って、死の間際に栄養輸液を含む

「死の生理」を理解する

点滴や過剰な薬剤を投与することは着陸間際の飛行機に燃料を追加して重量負荷を与えたり横風を当てるようなもので、患者を苦しめてしまう可能性がある。このように考えると、経口摂取量が減り嚥下機能が低下し、薬剤を内服できなくなってゆくのは、終末期については身体の負担を回避するための安全弁となっている側面があるという理解が可能になる。  循環機能の低下により心負荷や呼吸負荷が増加し、亡くなる数日前からは

口を開け気味にしてでゼイゼイと呼吸したり、排出しきれない痰が気道に貯留し、喘鳴が見られることもある。 しかし、この時期には意識状態も低下するために苦痛な症状を感じにくくなっている。末梢側の酸素飽和度は低下し、より高位中枢側で酸素を消費するようになる。あるいは換気機能の低下により血中酸素濃度が低下し相対的に炭酸ガスが増加することで CO2 ナルコーシスに近い状態に陥っており感覚機能が麻痺する。

 終末期に経口摂取や内服ができなくなると、患者の家族や近親者が「点滴」の処方を求めることがある。これは、多くの場合は、一見して何らの治療を施さないように見えてしまうことへの不安に由来している。目の前に終点が迫っているとしても、治療行為を施し続けることは、生命が続いているうちは貴重な希望のひとつになりうるからである。 しかし、代謝・排泄機能や循環機能が著しく低下している場合には、特に

経静脈的な輸液や補液投与は既に低下している循環器機能の負担となり、末梢の浮腫や肺浮腫につながりやすい。これらは全身の倦怠感や身の置き所のないような感覚、呼吸困難感、痰の増加など、患者の苦痛を増強させる要因になることが考えられる。また場合によっては身体的負担を与えることで死期を早めてしまうことにつながる可能性もある。 輸液の適用はこれらのデメリットも考慮しつつ慎重に検討し、介護に当た

る家族などにも丁寧に説明することが必要である。その人たちもまた、われわれと同じ時代に生きてきており、人の死に際してどう振る舞うべきなのか経験に乏しいことのほうが圧倒的に多いからである。 かなり大雑把に連ねたが、全ての人の死でこれらが順序良く進行していくとは限らない。死に伴う身体機能の低下は、 あくまでも個別のものである。 そこに薬物治療をどのように当てはめていくかということについては、身体状態のみによるのではなく、生命倫理や医療倫理、患者本人をはじめとして、そこに関わる人々の死生観など様々な要素から導き出される。しかし、病院や介護施設だけではなく、在宅療養や地域包括ケアのエンドポイントのひとつとして死はそこに必ず存在する。 現在、外来の窓口で行われる服薬指導は時間軸上の1点における業務であることが多い。薬剤師が地域で患者と関わってゆくのに、療養の延長線上に死や看取りがあることを認識し、患者の療養生活について長期の時間軸を俯瞰して支援を行うという視点が、求められるようになるだろう。

望まれる薬局・薬剤師の関与

轡くつわ

 基治うえまつ調剤薬局・宮城県名取市

「療養生活」俯瞰する視点必要