比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに...

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近代宗教学の嚆矢を M・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な 「宗教学第一講義」において,「すべてのより高度な知識は比較によって得られ,そして比較 に基づいている」と述べ,宗教学における比較研究の重要性を主張した (1) 。事実,ミュラー は,比較言語学を範にして聖典の比較分類をおこなっている。彼に限らず,すでに19世紀の終 わりには宗教を理解するとは,異なる伝統,異なる地域,異なる時代の比較を含むことである と宗教研究者によって広く認識されるようになった (2) 20世紀に入っても宗教研究は比較研究を基礎に発展した。それは「比較宗教」 Comparative Religion)という名称が,Science of ReligionReligious StudiesHistory of Religions などとともに,宗教学全体の名称として普及したことにも表れている。E・シャ ープは,人類学,心理学,社会学,現象学など種々の方法論を網羅した宗教研究の包括的系譜 を「比較宗教」の名称でまとめ,優れた学説史を残した (3) 。宗教人類学のアンソロジーとし て著名な WLessa EVogt 編集による Reader in Comparative Religion : An Anthropological Approach も『比較宗教』 (4) のタイトルとともに初版以来版を重ねており, 宗教研究における比較法の重要性を示している。 同じ20世紀には,宗教研究独自の方法論的主張を備えた比較宗教研究も登場し,しばしば宗 教現象学と呼ばれた。「聖なるもの」の概念を宗教理論の中心におく宗教現象学者が,人間に よる「聖なるもの」の体験の現れを諸宗教や諸文化を対象に,かつ時間の差異を超えて比較し たからである。R・オットー,G・ファン・デル・レーウ,から,J・ワッハ,M・エリアーデ にいたる流れがその主流とみなされている。なかでもエリアーデは20世紀後半の宗教研究に圧 比較宗教論の現代的展開 〔要 旨〕 本稿の目的は,1990年代から2000年代前半に西洋学界を中心に活発に展開さ れた比較宗教をめぐる方法論的議論を批判的に考察して,今後の課題を明確にすること にある。まず,現在の比較宗教論が乗り越えようとする従来の(「近代的」あるいは 「古典的」と呼ばれる)比較論を概観する。つぎに,今日の比較宗教論に最も影響のあ るアメリカの宗教学者 JZ・スミスを中心に論じ,比較宗教論の現代的展開を詳細に 検討する。スミスは比較研究の特徴を「比較の中に魔術が宿る」と表現した。彼は,比 較研究の恣意性,研究者の創造性と想像力を指摘し,さらに比較における差異の重要性 を主張した。そして,このスミスの理論を受けて,本稿は比較という作業それ自体の背 後に在り,それを動機づける理論と政治性について考察したい。おわりに,これらの議 論が残す課題としてそこに内包される西洋的限定性を取り上げる。 〔キーワード〕 宗教,比較,JZ・スミス,理論,政治性 111

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Page 1: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

は じ め に

近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ

の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

「宗教学第一講義」において,「すべてのより高度な知識は比較によって得られ,そして比較

に基づいている」と述べ,宗教学における比較研究の重要性を主張した(1)。事実,ミュラー

は,比較言語学を範にして聖典の比較分類をおこなっている。彼に限らず,すでに19世紀の終

わりには宗教を理解するとは,異なる伝統,異なる地域,異なる時代の比較を含むことである

と宗教研究者によって広く認識されるようになった(2)。

20世紀に入っても宗教研究は比較研究を基礎に発展した。それは「比較宗教」

(Comparative Religion)という名称が,Science of Religion,Religious Studies,History

of Religionsなどとともに,宗教学全体の名称として普及したことにも表れている。E・シャ

ープは,人類学,心理学,社会学,現象学など種々の方法論を網羅した宗教研究の包括的系譜

を「比較宗教」の名称でまとめ,優れた学説史を残した(3)。宗教人類学のアンソロジーとし

て 著 名 なW・Lessaと E・Vogt編 集 に よ る Reader in Comparative Religion : An

Anthropological Approach も『比較宗教』(4)のタイトルとともに初版以来版を重ねており,

宗教研究における比較法の重要性を示している。

同じ20世紀には,宗教研究独自の方法論的主張を備えた比較宗教研究も登場し,しばしば宗

教現象学と呼ばれた。「聖なるもの」の概念を宗教理論の中心におく宗教現象学者が,人間に

よる「聖なるもの」の体験の現れを諸宗教や諸文化を対象に,かつ時間の差異を超えて比較し

たからである。R・オットー,G・ファン・デル・レーウ,から,J・ワッハ,M・エリアーデ

にいたる流れがその主流とみなされている。なかでもエリアーデは20世紀後半の宗教研究に圧

比較宗教論の現代的展開

〔要 旨〕 本稿の目的は,1990年代から2000年代前半に西洋学界を中心に活発に展開さ

れた比較宗教をめぐる方法論的議論を批判的に考察して,今後の課題を明確にすること

にある。まず,現在の比較宗教論が乗り越えようとする従来の(「近代的」あるいは

「古典的」と呼ばれる)比較論を概観する。つぎに,今日の比較宗教論に最も影響のあ

るアメリカの宗教学者 J・Z・スミスを中心に論じ,比較宗教論の現代的展開を詳細に

検討する。スミスは比較研究の特徴を「比較の中に魔術が宿る」と表現した。彼は,比

較研究の恣意性,研究者の創造性と想像力を指摘し,さらに比較における差異の重要性

を主張した。そして,このスミスの理論を受けて,本稿は比較という作業それ自体の背

後に在り,それを動機づける理論と政治性について考察したい。おわりに,これらの議

論が残す課題としてそこに内包される西洋的限定性を取り上げる。

〔キーワード〕 宗教,比較,J・Z・スミス,理論,政治性

東 馬 場 郁 生

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Page 2: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

倒的影響力をもった。比較を基軸に出発した宗教研究を広い意味での宗教学とみなすならば,

当時その方法を最もよく継承したのが宗教現象学であり,その中心にいたエリアーデは近代比

較宗教の典型的な具現者とみなされていた。

しかし1980年代以降,宗教研究と比較とのかかわりを問い直す動きが訪れた。ひとつは,エ

リアーデの宗教理論をきびしく批判,再考するポストエリアーデの潮流である。エリアーデに

関する書物が引き続き出版される一方で,彼の宗教理論は古典に位置づけられ,修正,解体,

歴史化が進められた。エリアーデを超える宗教研究が模索されるようになった。そしてこの潮

流の中心が,宗教学における新しい比較研究の構築だった。ポストエリアーデ宗教研究のパラ

ダイムを探るには,「比較」こそが最初に検討すべき課題だと認識されるようになった(5)。

比較研究は,今日の宗教研究にどのような貢献ができるのか。本稿の目的は,1990年代から

2000年代前半に西洋学界を中心に活発に展開された比較宗教をめぐる方法論的議論を批判的に

振り返り,問題点を指摘しつつ,今後の課題を明確にすることにある。そのため以下のことを

おこなう。

まず,現在の比較宗教論を理解するため,それが乗り越えようとする従来の(「近代的」あ

るいは「古典的」と呼ばれる)比較論を概観する。つぎに,従来の比較宗教に対する近年の批

判について,今日の比較宗教論に最も影響のあるアメリカの宗教学者 J・Z・スミスの主張を

中心に紹介し検討する。スミスは比較研究の特徴を「比較の中に魔術が宿る」と表現した。彼

の指差す先には,比較研究の恣意性,研究者の創造性と想像力がある。さらに比較における差

異の重要性の主張が用意されており,これらはのちに比較と理論の関係,あるいは比較と政治

性との関係の考察へとつながった。ここでは,スミスの影響をうけた比較宗教者の主張を紹介

し,その多くが類似と差異との「中道」的立場の主張へとつながったことを指摘する。さらに,

比較という作業それ自体の背後に在り,それを動機づける理論と政治性についても考察したい。

最後に,これらの議論が残す課題としてそこに内包される西洋的限定性を取り上げる。

近代の比較宗教の系譜

科学的研究方法としての比較法

最初に,今日の比較論者が批判する近代的比較宗教の方法論の特質を探るため,近代の比較

宗教の系譜を代表的事例によって概観しよう。

冒頭で紹介したミュラーによれば,研究者は,比較によって幅広い資料を帰納的に理解でき

るようになり,それによって調査は科学的になる。つまり彼にとって比較とは帰納法的方法を

意味した。ミュラーはいう,

もし今日の科学的な研究の性格が優れて比較に関係しているとすれば,このことは実際には

次のことを意味するのである。すなわち,我々の研究は獲得され得る最も広範囲の証拠,人

間の心によって把握され得る最も幅の広い帰納に基づいているのである(6)。

ミュラーは,比較言語学を例に比較研究が可能にする科学的成果を述べ,比較法を宗教研究に

も適応すべきであると主張した。そして,比較言語学におけるゲーテの有名なパラドックス

“He who knows one, knows none.”(ひとつしか知らないものは何も知らないに等しい)を引

用した(7)。

ミュラーの提唱した宗教の科学的分析としての比較法は,北米の研究者によっても受容され

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Page 3: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

たようだ。1905年,Comparative Religion : Its Genesis and Growth(『比較宗教―その起源

と発展』)を著した L・ジョーダンは,北米における宗教研究の科学的性格について図式化し

ている。彼によれば,それは3段のピラミッド状になっている。基底部には,客観的で記述的

な「宗教史」(狭義のHistory of Religions)があり,それによって信頼できる,生の宗教デー

タが提供される。中段にあるのが比較宗教で,宗教史により提供されたデータを分類する。そ

して,上部に位置するのが,宗教哲学であり,分類された宗教データを結びつけて解釈する,

という。ジョーダンは,これら3つの段からなる宗教研究全体を指す用語として「宗教科学」

(Science of Religion)を用いた(8)。

もっとも,このように比較宗教によって担保された初期の宗教研究全体の科学性には注意が

必要だ。田丸徳善がかつて着目したように,ジョーダンは比較宗教を「世界の諸宗教の真の一

致と相違,それら相互の関係の度合,そしてタイプとしてみた場合のそれらの相対的な優劣を

確定することをめざして,それらの起源,構造,特性を比較する科学」(9)と定義している。

田丸は,その後の宗教研究が諸宗教間の優劣や起源について論じることをほとんど放棄したこ

とから,ジョーダンの定義は当時の「学会の状況の適切な要約として,まことに興味深い」も

ので,「ある種の感慨をもようさせずにはおかない」と述べている。

ジョーダンの定義は,上記の図式でいう中段の比較研究のみを指しているのか,それとも,

全体的な宗教科学を指しているのかという曖昧さを残している。さらにそれが,「それら[世

界の諸宗教]の起源,構造,特性を比較する」という比較宗教の実際の対象と方法に重点を置

くか,あるいは「・・・をめざして」という価値判断を含む比較宗教の目的に重心を置くかで,

彼の示す当時の比較宗教に備わった科学性に対する評価は異なることになる。前者のように比

較宗教を「比較という作業」として狭義に限定するか,それとも後者のようにその目的をも含

む一分野(discipline)としての「比較宗教学の方法論(方法と理論)」として広義でとらえる

かで,比較宗教という学術的営みの記述性と科学性の評価は変化するからである。ちなみに,

田丸はジョーダンの定義を後者つまり比較宗教学の定義として広義に理解している。

進化論との交差―普遍性への科学的発見の道程

宗教の比較研究は文化人類学の初期から発展したが,それはおもに類似する現象をまとめ一

般化する試みであった。大量の変数に共通の特徴を比較によって抽出し,宗教現象の法則を打

ち立てることが目指されたのである。したがって,初期の文化人類学的比較研究は,諸現象間

の類似の発見にもとづく帰納的法則の発見であり,当時それを理論的に導いたのが,生物学を

超えて人間の社会的領域まで適応されつつあった進化論だった。

進化論的関心から行われた比較宗教の例を E・B・タイラーに見てみよう。すでによく知ら

れるように,タイラーは,Primitive Culture(『原始文化』,1871年)において,植物学や動

物学に倣い,文化を知識,宗教,芸術,習慣など多くの要素に分解し比較分類して,進化論の

図式に組み立てようとした。具体的な歴史や地理上の文脈から切り離され収集されたデータを

通文化的に比較し,そこに類似があれば,それらは同じ進化の段階を反映するものとされ

た(10)。宗教学を含め19世紀の比較研究はそれに先立つ比較解剖学・生物学の刺戟のもとに発

達したといわれる。18世紀の生物学は,純粋に論理的な系列の記述であったが,19世紀になる

と,進化論は時間の次元を導入し,単純なものが複雑なものへと変化し,発達,適応したと考

えて説明しようとした(11)。この理論を背景に,タイラーは,全ての文化は相互の類似と差異

によって,またそれらのさまざまな発展程度にもとづき研究することができると考えた。こう

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Page 4: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

して生み出されたタイラーの作品は,生物学的進化論を乗り越え人類全体を対象に研究をすす

めた創造的研究とみなされたのである(12)。

この比較研究の意義を彼が生きた時代を背景に考えた場合,その非神学的立場が着目される。

まさに進化論それ自体があらゆる超自然主義的説明を否定する基礎になったといえるだろう。

事実,タイラーは,形而上学や神学は人間性の法則を研究する障害のひとつとみなした。彼は,

「超越論哲学や神学の領域から脱して,より現実的な場での希望の持てる探求を急ぎたい」と

述べている(13)。さらに彼は,当時存在した,非西洋の未開社会は西洋の高次の文化から退歩

した文化であるとの議論が神学的見方によるもので,客観的事実によって支持されるものでは

ないと考えた。非ヨーロッパ圏の未開社会は高次文明が何らかの形で置き去りにした残骸では

なく,むしろ人類史の始原を表わしているとみなしたのだ。キッペンベルクが指摘するように,

人類史における未開社会のこの位置づけは,従来の諸文化の評価を逆転させた。古代の高次の

文化に代わって,非ヨーロッパ民族にあるような未開社会が歴史の始めに位置づけられ,歴史

の始め(人間の原初状態)を判断する基準となったのである(14)。

タイラーの研究は,「収集可能なデータの最大限に客観的な研究と最小限の偏見とをもって

行われた」との評価がある(15)。タイラーは,宗教的概念が神学的関心から啓示的内容と価値

のために研究されるのではなく,人間の自然な進化の一部である人間の思考として研究されう

ると考えた。進化論が,いかなる超自然主義をも拒絶する基礎として働き,宗教の学術的研究

を可能にしたのであり,タイラーの時代にあって,これは革命的な考え方であったとさえ評価

されている(16)。この脱神学的,「科学的」理論を可能にした手段が比較だったのである。タイ

ラーの人類学は,のちの文化人類学に顕著に見られるような,特定の文化や社会を掘り下げた

研究ではなく,異なる文化から無数の類似データをとりよせて比較し,普遍的モデルとして文

化発展の段階について整理したものである。類似を求め一般化することが近代比較法の特徴で

あるとするならば,その本格的事例はまず進化論によって導かれたのであり,人類の文化的発

展の普遍的プロセスを描こうとしたタイラーの作品にその典型を見出すことができよう。

このような進化論的関心を背景に,初期の人類学や社会学の関心に刺戟された比較宗教学者

が注目したのが,進化のプロセスの中で生き残り,次の段階に持ち越された信念,行動,制度

であり,タイラーはそれらを「残存」(survival)と呼んだ(17)。多くの注目が,残存である

「石器時代人」の生きた例として,オーストラリアのアボリジニに関する初期の文献に注がれ

ることになった。

タイラーに限らず,当時の宗教研究に頻繁に登場する「プリミティヴ」という言葉は,「退

歩」の主張に対し,未開社会の生活形態の原初性(originality)を表すために用いられた。そ

れは,劣等性を含意せず,「人類の生活様式の諸構造の始原に位置すること」を表現するもの

だった。西洋の社会があまりに複雑になりその基本的構造を直接明示できないので,より低次

に発達した社会との比較によって,その構造が把握されるようになった。プリミティヴという

言葉は,この基本的構造を表現するために用いられたのである(18)。プリミティヴが,没落し

た高次文明の残滓ではなく,原初段階の人間の思考の表現だとするならば,それはタイラーに

とって「きわめて実践的な興味を惹く」ものであり,「低次の人種の粗雑なアニミズムを理解

し,それが何世紀もかけて,より高次の知性に合うように修正されていく道を辿ることは,哲

学と神学の歴史的な立場とともに,現在の位置を十分に理解するには不可欠で」あった(19)。

当時まだ新しい理論であった進化論の視点では,プリミティヴな人間の心性は,ヒエラルキ

ーの下層段階から救出され,(いまだ幼稚であっても)人間的であり,ゆえに研究に値するも

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Page 5: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

のだとみなされた。当時の西洋の研究者にすれば,それが人類の信仰が倫理的一神教まで歩み

をすすめてきた過程の最初の段階を示すというだけで,高い注目を集めるに充分だった(20)。

タイラーが文化を再構成するためには,残存が重要であった。残存は,全ての社会が文明への

道を通ってきたときに通過した里程標であり,残存をみつけることで人間社会の発展の確認が

できることになるからである(21)。

「聖」の比較論:宗教現象学と比較法

19世紀以来,宗教の近代的研究を支えた比較研究であったが,そのうち,最近の比較宗教批

判の最も直接の対象は,20世紀後半に世界の宗教研究に対し強い影響力をもった「宗教現象

学」と考えてよいだろう。宗教現象学とは比較によって宗教現象を分類,体系化する研究と認

識されている。宗教現象学と比較宗教学との間の単純な一致を嫌う研究者であっても,現象学

においては,さまざまな宗教現象を表現するものや膨大なテキストを比較した後にのみ,それ

らの本質的な構造と意味が捉えられる,とされることが多い(22)。

20世紀の初めより,宗教とは社会,心理,文化などに還元できない唯一独自の現象であると

の視点が宗教研究において強調されるようになり,この宗教の独自性を主張した研究者は同時

に,宗教現象を「それ自身において」探求する宗教研究の独立性を主張した。宗教の独自の性

格を擁護するアプローチはアメリカにおいてはHistory of Religions(狭義の「宗教学」;

「宗教現象学」とほぼ同義で使用されることが多かった)と呼ばれ,その名称と方法は米国シ

カゴ大学の研究者の研究をとおして世界的に知られるようになった。とくに,それは,1960年

代以降,エリアーデを代表的スポークスマンとして,西洋における宗教研究をリードした。北

米の大学では,Religious Studiesと並んで,History of Religionsや Phenomenology of

Religionsが学科の名称になった。

宗教の独自性について最初に影響のある発言を残したのはオットーである。彼は,宗教経験

の非合理的な側面を訴え,その独自の性質を主張した。オットーはさらに,非合理的な宗教経

験はアプリオリな経験であり,それは非還元的であると述べる。彼は,この独特の経験を「ヌ

ミノーゼ」(「ヌウメン」的)体験と呼んだ。オットーによる宗教の独自性の主張は,当時の宗

教研究を覆っていた宗教の還元的理解に対する反論でもあった。しかし,彼の研究においても,

比較によって東西の神秘主義が整理され,また,宗教の普遍的性質の主張がなされた。これは,

研究者の立場にかかわらず,比較が宗教分析の方法として当時すでに不可欠の手段であったこ

とを示している。オットーはその理論によって,宗教現象を比較,整理し分析する方法論的手

がかりを与えたともいえるだろう。

オットーの研究はキリスト教神学の立場から動機づけられており,またそれが主に心理的な

分析により宗教の独自性を解明しようとしたものだったが故に限界があった。しかし,宗教を

独自の現象として分析する彼の視座は,宗教を社会や人間心理に還元することを是としない研

究者に広く受け容れられた。彼らは,哲学的現象学から「判断停止」,「形相的還元」,「自己移

入」などを学んで方法論的な部分でその足腰を強くした。やがてその研究は,宗教の史学研究

に対する通文化的,体系的研究の代名詞として幅広く認知されるようになり,宗教研究全体の

中で影響力を増していった。

宗教現象学の中で古典的業績を残した研究者として,オットー以外にも F・ハイラー,W・

B・クリステンセン,ファン・デル・レーウ,ワッハ,C・J・ブレーカー,そしてエリアーデ

などが挙げられよう。他に,P・D・シャントピー以後のスカンジナビアの一連の宗教研究者

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も含まれる。これら宗教現象学者は,宗教理論への関心の程度には差があるものの,さまざま

な宗教現象を比較により類型化し分類することで宗教の普遍的な構造を目指した点において共

通している。たとえば,エリアーデの前任者として,シカゴスクールの礎を築いたワッハの場

合を見てみよう。

オットーの影響を色濃く受けたワッハは,宗教現象学の系譜において,最も理論的に宗教の

比較,体系化を試みた人物とみなしてよい。彼は,W・ディルタイに倣い,経験的に観察可能

な現象は宗教経験の客観的表現であると考えた。そして,宗教学者による理解はそれら宗教表

現の記述的で実証的な分析に基づくべきであると主張した。彼は,宗教学者の果たす役割につ

いて次のように述べている。

宗教の名の下に現れるさまざまなことがらを調査して,比較と現象学的分析によって,何か

構造のようなものがそれら全ての表現の形のなかに発見できるかどうか,このさまざまに彩

られた表現をどのような経験に帰することができるのか,そして最後に,どのようなリアリ

ティーが,宗教経験に対応するのか(23)。

ワッハは,宗教表現を理論的表現,実践的表現,社会的表現の3つの大きなカテゴリーに分

類した。まず,理論的表現には,神話,教義,教条,聖典,信仰告白,信仰信条が含まれ

る(24)。これら理論的表現には,究極的実在の性質について(神学),宇宙の性質について(コ

スモロジー),人間の性質について(人類学),の3つのテーマがあるとした(25)。次に,ワッ

ハは,実践的表現に祈り,供犠,特別儀礼,聖礼的行為を含めた。これら実践的表現が使用す

るのは,音階(音楽),ことば(典礼・儀礼),および手振りや動き(踊りや行進)などである。

最後に,彼が最も関心のあった社会的表現の中で,宗教集団は「自然儀礼集団」(家族,氏族,

部族,国民)と「特殊宗教集団」(宗教集団,聖職集団,教団,儀礼集団)に分類された。さ

らに,平等主義や階層主義などの集団構造,そして個人的,制度的,カリスマ的指導者など異

なる指導性の類型なども含まれた(26)。ワッハによれば,個別のデータには歴史的意義がある

が,それらはまた普遍的な性質も共有している。宗教的データの比較によって普遍的な類型を

立てることが可能になり,これらの類型が宗教の構造部分を構成する。

ワッハに限らず,宗教の現象学的比較研究が近代の宗教研究を大幅に進展させたことに異論

はないであろう。しかし,1980年代以降,そのような宗教の比較研究は集中的な批判を浴びる

ことになった。それは差異を無視し,類似を同一と混同し,類似を本質と捉えている,あるい

は,宗教事象をあまりに広く,不十分なまま一般化し,現象を文脈から取り出しているなどと

批判され,ついには,「一般化することそれ自体」の学術的正当性が疑問視されるようになっ

てきた。

なかでも,History of Religionsの代表的研究者であったエリアーデには批判が集中した。

エリアーデ的宗教研究とは,伝統的,旧式の「比較研究」の代名詞のようにみなされ,彼はそ

の批判を一身に背負うことになった。エリアーデの理論は,さまざまな時代と地域から集めた

事例をもとに宗教の普遍的パターンを作り出そうとするもので,事例の類似を発見する比較の

作業に依拠していた。彼の比較法は,「聖なるもの」という超越的なカテゴリーがさまざまに

歴史の中に顕在するという「ヒエロファニー」の仮説に支えらており,あらゆる宗教経験の元

にある「聖なるもの」の統一性と歴史的持続性を根拠に,類似の探求が正当化されていた。し

かしそれは,個々の事象の通時的側面や文化的文脈を十分に配慮しておらず,さらに,事象相

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互の差異に無頓着で,普遍化だけを目指すものだと批判されるようになった。そして,「エリ

アーデの後,そして文脈を無視することが特徴の古典的[従来の]比較論が批判された後で,

通文化的分析の可能性をどのように再提示できるだろうか」(27)と問われ,それまでの近代比

較宗教論の是非が根本から疑問視されたのである。

比較をめぐる現代の言説―J・Z・スミスを中心に

研究者の創造性と想像力

新しい比較論が改めて問うたのは,何を目的に(何に動機付けられ),いかに比較をおこな

うかであった。単純に事象を比較し,類似を引き出すだけでは不十分であるばかりか,誤った

結論をも導きかねない。比較研究の問題は,研究者側の問題,つまり比較を必要とするような

理論的関心の問題,あるいは政治性の問題であるとの指摘がなされるようになった。これらに

ついての考察を始めるには,まず,比較宗教をめぐる最近の流れを方向づけた J・Z・スミス

に着目するのがよいだろう。彼は,比較にかかわる第三のものとして研究者の立場,関心に光

を当てた。その主張は,近年の西洋宗教学界における比較論の火付け役になったと同時に,そ

の後の比較論の展開に大きな影響を残した。

彼は,そもそも「宗教」とは,比較と一般化という学者の想像の行為によって,分析を目的

として創られたのであり,その意味で「宗教にデータはない」という(28)。宗教とは当事者が

使用する用語ではなく,学者がその知的目的のために創り出した用語であるゆえに,学者が定

義づけるのだ(29)。この「宗教」という概念は,研究者が携わる二次的次元の概念である。そ

れは,言語学における「言語」や人類学における「文化」の概念がそれぞれの分野的地平を確

立するために果たすのと同じ役割を宗教学において果たす,とする(30)。

スミスは,「宗教」概念と同様,比較の作業においても,比較をおこなう研究者自身の創造

性と想像力を強調する。スミスは,比較がもたらす言説は決して二者的ではなく,三者的であ

るという。そこには常に暗黙の「・・・に関して」が存在するからである。学術研究の場合,

この第三者とは研究者の関心であり,それは研究を進めるときの疑問,理論,モデルとして現

れる。彼はいう,

宗教研究においては,どの分野の探究でも同様であるが,比較はその最も力強い形において,

差異を,研究者の心の空間の中で,研究者自身の知的な目的のために寄せ集めてくる。それ

らの同居―それらの「同一性」―を可能にしているのは,研究者であって,「もともとの」

類似性や歴史のプロセスではない(31)。

したがって比較における類似と差異は所与のものではなく,比較する研究者個人の知的操作

である。差異の中のある特徴が,研究者の知的可能性によって類似しているとして選ばれ,印

づけられる(32)。従来の比較法では類似の発見が主な内容であったが,類似があくまで研究者

の頭の中の知的作業によって導かれるものである以上,それは発見されたものではなく,研究

者によって発明されたものに他ならない。スミスは,このような研究者の比較操作は,タイラ

ーや J・G・フレイザーが提示した「魔術」(magic)と同じ意味であるとし,“In

Comparison a Magic Dwells”(「比較のなかに魔術が宿る」)(33)という刺激的な表題の論考を

書いた。

スミスの理解によれば,タイラーは,「連想の原理」(principle of association)が魔術的行

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為を支える論理を提供するとし,形状や位置の極めて曖昧な類似,時間の偶然など何であれ,

人の心の中で概念が繋がりさえすれば,魔術者は自身の心の中の結びつきを物質世界の結びつ

きにできると説明した(34)。フレーザーはタイラーに依拠して魔術の類型論をたてた。そのな

かで彼は,魔術とは主観的な関係性と客観的な関係性との混乱であると考え,この混乱がなけ

れば,結びつきの法則は科学を生み,誤って適応されれば,その法則は魔術を生むと述べ

た(35)。

スミスは,このように説明される魔術と研究者の比較作業は似ているという。類似が生まれ

るのは,記述者がその記憶の中で「以前に同じようなものに出会った」と,異なるできごとを

結びつけ,それを意義あるものにして説明しようとするからである。過去の比較研究は,この

ような研究者の主観的経験を,「影響」,「分散」,「借用」などの理論をとおして事象相互の客

観的なつながりとして投影してきた。それは,“研究者の”心理的な結びつきを“事象の”歴

史的なつながりに進めて,事象間の類似や近接性が因果的結果をもつとの主張を可能にしたの

である。「しかし,これは,科学ではなく,魔術である」とスミスはいう(36)。

スミスによれば,差異よりも類似性や隣接性を優先する考えが,西洋の言説に深く組み込ま

れており,それはとくにキリスト教の文化思想において聖書的人類学とギリシャ・ローマ的人

類学とが習合されてからである。そして,人類についてのこのような見方は全体主義的な体系

であって,その地図内に配置される諸民族に類似や差異が発見されたとしても決して驚かれる

ことはない。なぜなら,この全体主義的体系を支えた系譜と聖書の人類起源説とが人類の本質

的一致を保障したのであり,全ての人間はアダムとイヴの子どもであるから差異はあっても偶

然のものと考えられたからである(37)。

スミスは,「比較研究の問題は,実は差異についての判断の問題である」という。「比較探求

を行なうためにどのような差異が維持されるべきか。当面の知的課題に照らし,どのような差

異が防御的に緩和され相対化されうるのか」と,差異をめぐる研究者の理解と言説が比較には

重要であると述べる。彼は,「原則は,比較とは決して同一性の問題ではないということだ。

比較はそれが興味深いことの根拠として差異を受け入れる必要があり,何か表明された認識的

目的を達成するために,その差異を方法的に操作することが必要である」と主張する(38)。

では,このような視座から紬ぎ出される比較の言説とは何か。すでに指摘したように,スミ

スにとっては,比較の行為そのものが比較の「目的」ではありえない。彼は,「比較が我々に

教えるのは,物事がいかに理解されうるか,また,いかに記述し直すことができるかである」

という(39)。そして,そのためには二重のプロセスが比較作業に必要であるという。一つは,

所与の事例をその社会的,歴史的,文化的な文脈に位置づけて,ローカルな意義を与えること

である。二つ目は,研究者による二次的次元(第二水準)の学術的伝統がいかにその事例と交

差してきたか注意深く説明すること,すなわち,そのデータが研究者による主張(議論)のた

めに重要なものとしていかに受け入れられるか記述することである。彼はこの作業を「二重の

文脈化」(double contextualization)と呼んだ。事例の直接の文脈と,事例を操作する研究者

の(事象を抽象化した理論的)文脈の両方が,比較研究の対象の一つ一つに必要な作業だとみ

なすのだ(40)。

スミスが提示したような比較研究の暗黙の選択と前提に関するメタプラグマティックな問題

は,今日ではさほど珍しいことではないかもしれない。しかし宗教研究の方法論において,と

りわけ比較研究に関して,その問題を正面から取り上げて議論した研究者はそれまでほとんど

いなかった。スミスの立場からするならば,それまでの研究者は,彼の提示したような疑問を

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自らに問うことなく,「主観的な経験を客観的な経験に取り違えながら単純に比較をおこなっ

ていた」のであり,類似を優先することで差異をみえなくしていた。宗教の比較研究の背後に

横たわる研究者の主観性や価値観に鋭く光を当てたスミスの論考は,1990年代以降多くの反響

を呼び,西洋の宗教学界に広く比較論争を展開させた。彼の1979年の論文「比較の中に魔術が

宿る」はその論争の「序論」(prolegomena)として位置づけられている(41)。以下においては,

スミスによって刺激を受けた比較宗教論の一部を考察したい。

ポストモダンとの交渉

宗教の比較研究が個別の事象の差異を十分に考慮していないというスミスの批判は,多くの

共感を得たが,それはポストモダンというさらに大きな潮流によってより一層駆り立てられる

ようになった。西洋において宗教研究の始めからその中心に位置してきた比較研究は,同じ西

洋の学界のコロニアリスト的企図やオリエンタリスト的な試みと結びつくものだと,ポストモ

ダニストから厳しい批判を受けたのである(42)。

ポストモダニストは,「モダン」のメタナラティヴを信用せず,ヘーゲル,マルクスなどい

かなる形の普遍的哲学に対しても疑念があるといわれる。リオタールを例にみてみよう。彼は,

まず,「モダン」を次のように定義した。

科学はみずからのステータスを正当化する言説を必要とし,その言説は哲学という名で呼ば

れてきた。このメタ言説がはっきりとした仕方でなんらかの大きな物語―《精神》の弁証法,

意味の解釈学,理性的人間あるいは労働者としての主体の解放,富の発展―に依拠している

とすれば,みずからの正当化のためにそうした物語に準拠する科学を,われわれは,《モダ

ン》と呼ぶことにする(43)。

リオタールは,「極度の単純化を懼れずに言えば,《ポストモダン》とは,まずなによりも,

こうしたメタ物語に対する不信感だといえるだろう」と述べている(44)。彼にとって「ポスト

モダン」とはモダンが依拠した大きな物語の終焉を意味した。そして,「メタ物語が崩れた後

で,正当性はいったいどこに存するのか」と問いかけ,「それは差異に対するわれわれの感受

性をより細やかに,より鋭く,また共約不可能なものに耐えるわれわれの能力をより強くする

のである」と主張した(45)。

実は,スミスの比較論とポストモダンの視座との近似性を主張する声は少なくない。例えば,

「スミスの論文はポストモダン的比較宗教批判に最も影響を与えたものである」(46)とか,ス

ミスとポストモダンとは,「同一よりも差異を優先する立場,さらに,差異は真実であるのに

対し同一は想像されたもので観察者の心にしか存在しないという仮説,を共有する」と評され

ている(47)。同様の見解は,「我々の多くは彼の論文[“In Comparison a Magic Dwells”]に依

拠している,とくに人類学や宗教学のかつての比較研究に対する,その脱構築的な攻撃に」と

の表現にも見てとれる(48)。

スミスがポストモダン的視座を直接に批判した例はみあたらない。しかし,彼はポストモダ

ニズムが強調する特異性(uniqueness)をとりあげて,「特異性は,比較と分類の可能性を否

定する。(中略)絶対的な差異は思考のためのカテゴリーではなく,思考の可能性を否定する

ものである」と述べている(49)。この点に関する R・シーガルの指摘は示唆的だ。彼は,スミ

スとポストモダンとの立場の違いを強調し,ポストモダン的アプローチはカテゴリーの起源に

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照準を合わせ,もとの時間と空間を越えてそれを適応することを制限するのに対して,スミス

はその反対を行なっていると指摘する。つまり,スミスは最初にカテゴリーの恣意性と偏向性

を示し,その後,その起源にさかのぼりながらそれを説明することで,ポストモダン的営みの

中心にある発生論的な誤りを避けているという(50)。

スミスのポストモダンとのやや両義的な関係を比較宗教論の系譜から眺めるならば,スミス

は,ポストモダンのレトリックを用いることなく,近代主義的比較を宗教学の領域内で内省的

に批判するのを可能にしたといえる。彼の理論は,1980年代以後の比較宗教者が外部のポスト

モダン的思潮を穏やかに受け入れることを可能にすると同時に,ポストモダン的批判に流され

ない一つの堰としての役割も果たしたのである(51)。比較宗教学者は,ポストモダンからの批

判に対し直接的,間接的に同調・反発しながら,方法としての比較の弁証と,比較宗教の新し

いパラダイムの模索を続けることになった。

スミス自身の例からも分かるように,現代の比較宗教学者とポストモダンの立場には重なり

合わない部分がある。その理由の一つには,ポストモダンの立場に,比較研究自体を否定する

主張が含まれていることがある。そこでは比較不可能論はいうに及ばず,比較研究の政治性が

示唆されている。比較することは抽象化することであり,抽象とは征服と絶滅を目指した政治

的行為であることから,通文化的比較は比較する事象の文化的母体を抹消する。宗教伝統を比

較することは,それらを支配し究極的には破壊することにつながるという(52)。

このようなポストモダンの視座について,比較宗教学者W・ドニガーは戸惑いを隠してい

ない。彼女は,「ポストモダニズムにとって,同一とは悪魔,差異とは天使」であり(53),多く

が差異に夢中になっているという。ドニガーによれば,「学術界は,今,ポスト・ポスト植民

地主義の反動に苦しんでいる。異なる文化からの二つのテキストを,いかなる重要な意味であ

れ『同じ』と想定することはそれぞれの個性(個別の価値)を傷つけると見なされる」。いう

までもなく,これは,「褐色の原住民は皆似ている」というかつての民族差別的,植民地主義

的な態度に対する反省であり,また,現在の反オリエンタリズムの風潮においては,学者が二

つの異なる文化の外側(恐らく上)に立ってそれらを同一視するのは,帝国主義的な態度だと

みなされるからである(54)。

事実,ポスト構造主義派の多くの批評家が,差異があるように見えるところで類似を確立し

ようとするその試みこそが,結局は知的には誤解を招き,政治的には誤った方向付けをなされ

たものだと主張している。彼らによると,理性が単一性にとらわれると覇権的になる傾向があ

る。それは,支配構造に合致あるいは適合していないものを全て規制するために構築された政

治的,経済的な秩序が覇権的になるのと同様である(55)。

現代の比較宗教学者の多くは,ポストモダン的視座を取り入れてエリアーデなどの近代的比

較法を修正するが,その一方で「もし我々がポストモダニズムの哲学的主張を真剣に受け取る

ならば,宗教体系を真剣に記述したり,それらを相互に比較することの可能性は永遠に危うい

ものとなる」と(56),同じポストモダンでも比較研究自体を否定する主張,まさにその足もと

を浸食するような議論に対しては困惑し,比較研究を防御する姿勢をとる。

さらにいえば,比較論に関し,宗教学者がポストモダンの主張を精緻に分析し全面的に取り

入れた例はほとんどない。むしろ彼らは,「ポストモダニズムは,我々がそれに対し自らの領

域を守らざるをえないような脅威として,曖昧に定義されて扱われているように思える。『そ

れ』は我々が先学と対立し反乱を起こすよう仕向けている。『それ』はエリアーデ的宗教学の

大きな不安と失墜感を表す言葉になった」という(57)。したがって,比較宗教学者にとっての

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ポストモダンとは,ポストエリアーデの潮流の中で普遍主義的比較法を批判するため利用した,

「曖昧に定義された」理論であったともいえるのだ(58)。

中道主義としての比較宗教

スミス以降,ポストモダンとの交渉の中で展開した比較宗教論は,近代的な普遍主義的比較

論を否定する一方で,比較することは「人間の知性の根本的特徴」であり「学問の方法」であ

るとの基本姿勢は踏襲して比較研究不要論を論破しようとした。この時期,具体的な比較宗教

方法論の中で最も広がりを見せたのは,類似と差異の間の中道をめざす比較法であった。ただ

し,この中道論は理念型であり,重心の置き方は研究者の間で一様ではない。

たとえばM・テイラーは,比較の作業は常に類似と差異の間の相互作用にかかわっている

が,その目的は差異を同一性へと還元すること,あるいは,何も共有しない差異を確立するこ

とになる可能性がある,という。彼によれば,両者が極端に進められると,全ての宗教は同じ

真理を異なるように表現しているとみなされたり,また一方では,真の宗教が偽りの宗教に対

置され特権的立場が与えられる。そこで,テイラーは,「効果的に比較を行うという課題は,

これらの両極端のあり方の中道を見出し,それにより解釈者が差異を消去せずに理解できるよ

うにすることである」と述べている(59)。

さらにテイラーは,近代の類型論とポストモダン的差異との間の和解をもたらすには,普遍

的原理を前提としたり,非歴史的本質を再記述したりしない比較分析を構築することが必要で

あると主張する。そのとき宗教研究者の使命は,調査する現象に特異の資質を明らかにするこ

とである。しかし,もし研究者が差異のみに囚われると,類似や一致にこだわることと同様に

問題だ。なぜなら互いに何も共有しない差異は,己を断片化し,民族を分断することにもなる

からである(60)。テイラーは,また,我々が暮らす多様な文化が理解され,それらが引き起こ

す紛争が解決されるためには,「差異のただなかにある共通性を探すとともに,調停できない

こともある差異を尊重する必要がある」と主張している(61)。ここでテイラーがいう「差異の

ただなかにおける共通性」とは,普遍主義を背景にした「類似」とは異なるものを指している

と思われる。それは,個別主義的なもの,つまりあくまで個々の事例の特異性を明らかにする

ための側面的類似であり,いわば差異に従属する類似という意味ではないだろうか。結局,彼

の中道主義は,差異に大きく重心が傾いたポストモダン的中道と呼ぶべきものであろう。

ポストモダン的中道主義とは一線を画しながら類似と差異とのバランスを主張する比較論は

他にも認めることができ,そのいずれもがスミスの影響を受けている。W・ペイドンによる

「新比較論」(New Comparativism)も一例に挙げられるだろう。これは,スミスの提起し

た比較方法論を発展的に取り上げて,従来の比較法と対比させた呼称である。ペイドン自身が

この「新比較論」を「ポストエリアーデ的比較論」とも表現したように,それは正面からエリ

アーデ比較法の批判と修正を目指したものでもあった(62)。

この立場では,あらためて普遍的比較研究の価値を認めるが,そのためには,類似と同様に

差異も求められなくてはならない。ペイドンの主な論点は,比較研究が創造する宗教的カテゴ

リーやパターンのあり方であった。彼は比較研究における類似と差異は双方向的関係にあると

する。類似がもたらす宗教的パターン,すなわちテーマ,概念,カテゴリーなどの通文化的な

構造と,歴史的・文化的に文脈化され相互に異なる事例の形態は,それぞれ事象の形式と内容

を指し,いずれかが一方的に他方に資するのではない。したがって,数ある宗教的事例の共通

の意味だけではなく,それぞれの歴史的・文化的意味の探求も重要になる。

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ペイドンによれば,古い比較研究者に対する最も厳しい批判は,地域的な意味と文脈を無視

したことに向けられている。比較の中心的課題は,比較されるさまざまな対象の多様性を明ら

かにすることに他ならない(63)。新比較法は単に差異への探求を許すのではなく,それを求め

る。差異は類似よりもより重要だとみなされるからである。彼は,「もし,類似が比較分析を

可能にしているとするなら,それを興味深くするのは差異である」という(64)。「新比較論」は,

エリアーデに代表される近代の比較宗教の理論的前提となっていた超越・神学的カテゴリー

(宗教理論)の超克を目指したものとして一定の評価を得たが,そもそもエリアーデ理論を支

持しない研究者には,エリアーデ的比較法が矯正されたに過ぎず,目新しさを感じないとの印

象も与えた(65)。

スミスの影響のもと展開された比較宗教論は,やがて,2000年,K・パットンと B・レイの

編集による論文集 A Magic Still Dwells : Comparative Religion in the Postmodern Age

(『魔術はまだ宿っている―ポストモダン時代の比較宗教―』)をもって一つの到着点を迎えた。

この書は,先に紹介した比較宗教に関するスミスの代表論文 “In Comparison a Magic

Dwells”(「比較の中に魔術が宿る」)に意図的に関連づけられたもので,スミスの影響がとり

わけ顕著である。実際,序文に続く最初の論文はスミスの上記論文の再掲である(66)。

この書は,スミスに倣い,「比較とは,研究者自らの創作物である。それは,創造的洞察と

相互理解の魔術である」とし(67),それは,「知的に創造的な作業として,また科学としてでは

なく─知識に役立つような想像的で批判的な仲介と再記述の行為という─「わざ」(art)とし

ておこなわれる,不確定の学術的手続きである」と定義している(68)。

類似と差異に関しては,その両方に「同様の注意を払うが,その際,類似も差異も研究者の

選択と仮説に依っていることを認識している。それは,折衷的で制限されており,対話のスタ

イルと発見的性質をもつ」と述べる(69)。類似と差異との関係は,近代主義的な(旧来の)普

遍主義とポストモダンとの関係にも置き換えられ,「比較研究が,我々の近代主義的な先人の

普遍主義と,現代のポストモダン的研究者のなかに伺われるニヒリズムの間の中間の道をたど

ることは可能である」としており(70),その中道主義的立場が顕著である。

ここで目指される比較宗教では,「新比較論」同様,比較研究の目的は「『聖なるもの』の包

括的なパターンを創造して大きな理論に資することではない」と近代的メタナラティブを批判

し,むしろ比較宗教の目的は「宗教についての我々の理解を,多種多様に,また我々自身と他

者について新たな識見を得る過程において拡げることである」とする(71)。この主張では,事

象がもつ文化的特異性にまず着目することが求められるが,同時に,世界の宗教伝統に通底す

る通文化的カテゴリーを否定せず,それを「個々の伝統をより深く,また逆説的ながらそれ自

体の視点から知ることを可能にする,想像的な道具として使うことを受け入れる」ことだと表

明する。そして,比較対象それぞれを単独で考えていたのでは不可能だと思われる方法でそれ

ら対象の真実を明らかにするとして,比較研究の基本的目的が再確認されるのである(72)。

比較の背後にあるもの

比較と理論

宗教学のみならずあらゆる科学的研究において,比較とは,ただ無目的に,中立的立場から

事象を並べるのではない。複数の対象を比較するときには,何らかの前提や理論が,比較とい

う行為の背景,意図,あるいは目的として存在している。宗教研究においても,比較とは対象

相互の類似性や均等性についての考察であるとみなされてきたが,その背後にはどのような前

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提や理論が存在したのだろうか。すでにタイラーを例に,比較と文化的進化論との交差を確認

したが,ここでは比較法と宗教理論との関連についてより抽象化した段階で考察したい。

スミスが強調した研究者自身の恣意・創造性,さらに,彼が二重の文脈化の中で説明する研

究者による二次水準は,比較という行為それ自体と,その背後にあってそれを動機付ける思考

や理論化との関係を改めて浮き彫りにする。J・カーターは,認知科学の知見にもとづき,比

較とはカテゴリーが形成され操作されるための方法であるという。カテゴリー化とは思考プロ

セスの中心であるから,比較は思考に対し中心的位置を占めることになる。すなわち,比較と

はカテゴリー化の背後に横たわる基本的方法であり,カテゴリー化は認知あるいは情報のプロ

セスへの通り道である(73)。これは,ペイドンによる「我々は,いかなる歴史的あるいは民族

誌的レベルにおいても,概念化しなければ,人間の行動を記述したり説明し始めることさえで

きないが,この概念化自体が,比較により形成されるもの」である,との主張に一致する(74)。

こうして我々がおこなう概念化が比較に負うものであることが明確になってくる。比較の行為

はすべての人間が備える認知的能力であり,我々の思考,概念化,記述,説明に不可欠である

ことに異論はないであろう。しかしそうならば,何をどのように比較するかが重要な問題とな

る。

つまり比較をおこなう理論的枠組みに我々の関心を置かねばならない。異なる宗教を比較す

るための鍵,それは,どのような宗教の概念や理論に基づくか,なのだ。E・T・ローソンの

言葉を借りるならば,「比較がその目的を達成できるのは,比較の作業がある理論的な枠組み

と結びついたときだけである。したがって,比較主義・比較論(comparativism)は他のアプ

ローチの代わりにはならない。それは,我々の知識を進めると主張するアプローチであれば何

であれ,その中の不可欠の要素である」(75)。

当然ここには,理論・概念が先か,あるいはそれらを帰納的に導くであろう比較が先か,と

いう循環の問題が含まれている。つまり,比較により形成されたと考えられる理論・概念が,

実は,比較の作業そのものを導くものだということだ。循環に関するこの悩ましい問題の解決

は容易ではないが,予め持ち込まれた仮説を前提にして諸現象を比較することは,実はかねて

から一般的に行われてきたことである。本稿でもタイラーの進化的文化論や,規範的カテゴリ

ーを宗教哲学から援用したワッハの類型論をすでに見てきた。

ある理論を前提に比較することは,断面的な抽出をおこなうことを意味する。理論という光

を当て反射する部分のみを比較するからだ。この場合,比較が扱うのは個々の現象の全体では

なく,側面的特徴のみである。このように現象の側面に理論の焦点をあてて選択することは,

ペイドンによって「比較の枠組みの分析的支配」(76)と呼ばれた。比較は,それ自身の理論的

目的のために,一つ一つ異なる推量(analogy)のポイントを選ぶ権利をもっているというこ

とである(77)。理論により,異なる対象に共通の特徴が推量され,それらを結節点にして,対

象が結び付けられて分析されていくのだ。

比較するという行為それ自体は一つの視座やアプローチではなく,いわば無色の認識ツール

である。このことは,比較論者からポストモダン主義者へ向けられた“比較研究を批判するポ

ストモダン主義者自身も実は比較をしている”という興味深い反論にも窺うことができる(78)。

「ポストモダニストは,もし比較を通してでないのなら,世界は大変異なる事物で溢れている

とどうしてわかるだろうか。」(79)との批判である。ポストモダンが批判する比較とは,類似性

の探求としての「比較」であるが,しかし,差異を強調することにおいて,彼らは批判の対象

である近代比較研究者と実は同じ「比較」(という行為)をおこなっているのだ。両者が真に

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異なるのは,何を目的に比較するか,どのような理論に導かれて比較検討を実施するか,なの

である。

“比較という行為それ自体に方向性はなく,問題はどのような理論に導かれて比較をおこな

うか”―今日の比較宗教論の中心的課題はここにある。比較において差異よりも類似を優先さ

せてきたのはなぜか,あるいは今日,差異の重要さを強調するのはなぜか。スミスが「比較は

魔術である」というとき,その魔術は何を目的としていたのか,どのような理論に支配されて

いたのか。エリアーデの場合は,すでに触れたように,容易に導かれるかもしれない。彼が予

め思索的(哲学,神学的)に導いたヒエロファニーがその理論であり,『永遠回帰の神話』に

おいて彼自身が明確に述べるとおり,あらかじめ提示された理論を実証するために類似するデ

ータが集められたのである。そこでエリアーデに向けられた批判とは,類似のみを求めた比較

法に向けられただけでなく,そのような比較を導いた彼の現象学的関心,つまり聖なるものの

形態学にも向けられていた。類似にもとづく普遍性のみを構築したのは,比較という行為それ

自体ではなく,それを求めた彼の理論である。比較宗教の論理とは,比較の背後でそれをリー

ドしている宗教理論に関するものなのである。

比較研究の政治性

比較宗教論をめぐって,比較という行為の背後にあるものに着目するならば,その政治性を

見逃してはならないだろう。比較に潜む政治性についてはポストモダン的立場からの批判にお

いて言及したが,ここでは比較をする研究者自身の政治性に着目したい。この点に関し,近代

西洋の比較宗教の政治性を採り上げ批判したのが,H・アーバンの “Power Still Dwells :

The Ethics and Politics of Comparison in A Magic Still Dwells”(「力はまだ宿っている―

『魔術はまだ宿っている』における比較の倫理と政治―」)である(80)。アーバンは,比較には

政治的,時には否定的で破壊的な力があり,それは他の文化を抑圧的な方法で,カテゴリー化,

分類,あるいは「意味づける」力をもつという(81)。近年の西洋学界で比較論を論じる者には,

「わたしたちには理論が,彼らには生の資料が」という図式があらわれており,「他者」が不

在のままである。こうして他者の声を無視することが,本質的に,近代欧米モデルの比較をさ

らに強固にしている(82)。

またアーバンは,「我々と文化的,宗教的信念を共有すると思われない宗教伝統をどう扱う

か」「人種差別的,性差別的,社会階層差別的,あるいは暴力的と思われる宗教集団をどう扱

うか」「もし,比較宗教が価値中立でないのであれば,それは,非道徳的と思われる宗教伝統

を非難すべきなのか。もしそうならば,宗教学者の政治的役割とは何なのか」と比較研究者の

倫理的,政治的役割を問う(83)。これらの批判は,今日の比較研究において,比較の孕む政治

性の問題が十分議論されていないことへの警鐘であろう。

アーバンは,研究者自身の関心とくに政治的関心について議論すべきであるという。スミス

以降,原理的に受け入れられている研究者の創造性と想像力の役割を想起するなら,まず研究

者自身の政治性が問われるのは当然であろう。アーバンによれば,「研究者の関心は決して純

粋なものではない。それらは,けっして単なる学問上の遊びや知的好奇心ではない。むしろ,

それらが,意識的であれ無意識的であれ,研究者の倫理的態度と規範的偏見を反映する限り,

常に,何か重大な意味で政治的関心となっている」(84)。そこで,彼は,研究者が自らの政治

的コミットメントを常に精査し,批判し,その変化の可能性についても考えながら,できるだ

けオープンに対処すべきだと主張する(85)。宗教の概念それ自体,研究者が作り出したもので

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あるゆえ,「この特殊で,中身の濃い,そして移ろいやすい,学術的な創造物を我々自身がど

のように想像し,利用していくか,厳しく意識し批判的に見続ける必要がある」と述べている

のである(86)。

アーバンほど直接的ではないものの,B・ホルドリッジも従来の宗教研究のカテゴリーと方

法に政治性を読み,とくにそのプロテスタント的遺産の見直しを提案する(87)。ホルドリッジ

のいうプロテスタント的パラダイムの問題点は,それが啓蒙主義的な言説と,すでに繰り返し

指摘されている近代西洋史における植民地主義的展望につながっている点である。とくに,そ

のパラダイムは階層的な二分法を強調している。たとえば,聖と俗の二分法の下には,教会と

国家,宗教と文化などの二分法が階層的につながり,いずれも前者が後者より常に優位な立場

を与えられている。また教理と実践,個人と共同体,さらに普遍主義と個別主義という二分法

も存在する。このようなプロテスタント的モデルを前提におこなわれる比較法は政治性をもっ

ており,他の宗教伝統を比較する際に暗黙の価値基準として適用されたのだという(88)。

事実,プロテスタントによる宗教研究,とくに比較研究への影響はアメリカのアカデミズム

においても顕著だった。テイラーによれば,1960年代以前,アメリカの宗教学大学院の大半は

大学神学部ないし神学校にあった。それはつねにキリスト教,しかも通常はプロテスタントで

あった。そこでは,ユダヤ,キリスト教以外の宗教は,非西洋の宗教としてまとめられ,階層

的,進化論的枠組みが用いられたり,宗教によっては相反する解釈の枠組みが使われるという

暗黙の方法論的差別によって,西洋の宗教が特別扱いされたという。学部レベルでは,宗教の

学部やコースはチャプレン室の延長のような傾向があった(89)。ホルドリッジは,このような

従来の西洋プロテスタント的モデルを批判,修正し,別のパラダイムを取り込んで学術的言説

を再形成することは,比較研究が果たすべき重要な役割の一つであると主張する(90)。

ところで,1990年代の終わりには,神話研究においても,宗教研究に潜む政治性についての

鋭い分析がおこなわれていた。その論点は,神話を分類する研究者の政治性に当てられており,

比較の背後にある政治性をめぐる我々の議論にきわめて示唆的である。

1999年に出版された Theorizing Myth(『神話を理論化する』)において,B・リンカーンは,

デュルケムとモースによる「神話は語りの形式をとった分類学(taxonomy)」であるとの視座

と,デュルケムの「分類とは中立的な作業ではなく,従属と同格化の関係を構築することを目

的としている」という理論を受け,次のように述べている。すなわち,「分類が神話的形式で

コード化される場合,その語りは,ある特定の不確定な差異の体系を特別に魅惑的で記憶に残

る形に包み込み,さらには,それを当然のものとし,正当化する」と。リンカーンは,その場

合の神話とは,単に「語りの形式をとった分類学」ではなく,「語りの形式をとったイデオロ

ギー」であるという。そして,「語りの形式をとったイデオロギーとしての神話」(“Myth as

ideology in narrative form”)という表現を用いて,神話のイデオロギー的性質を強調した(91)。

リンカーンは,具体例としてあげた古アイルランドの叙事詩の分析を通して,「文化を,在る

べき当然の姿として不正に表現する」ことは神話にみられる特徴的なイデオロギー的動きであ

り,それは,語り手自身の理想や欲望,さらには区分の好みの階層化を想像上の先史時代に投

影して,物事は如何にあるか,また在るべきかと主張することだ,と述べている(92)。

リンカーンのいう「語りの形式をとったイデオロギーとしての神話」の考察は,さらに,

「神話としての学術研究」という概念を導いて,神話について研究者が作り出す言説(神話研

究・理論)へとその批判の対象を広げる。そもそもリンカーンにとって,学術研究とは,人間

の語り一般と同様,「特定の関心と視点を有し,不公平なものであって,そのイデオロギー的

比較宗教論の現代的展開 125

Page 16: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

側面は認知されるべき」(93)であるが,神話研究に関して,「神話研究者は神話的,すなわち,

イデオロギー的な語りを創ることに耽っているように思われる。それは恐らく彼等が語りにつ

いて語る物語は,語り手自身としての自らに反映されるからであろう。」(94)と述べている。そ

して,神話研究が,神話を特定の国民,民衆に結びつけて両者の共生関係,共同再生産につい

て語る時,そこにイデオロギー的な関心があるのは明白である,とする。リンカーンは,この

ような作業がより明確になるのは,神話に登場するような人々が歴史上その存在を証明されえ

ず,その結果,神話が研究者自身の恐怖や欲望を投影できるスクリーンを提供するときである

という(95)。

リンカーンは,研究者が自らのイデオロギーを神話研究/神話理論に織り込むことは,デュ

メジルやレヴィ=ストロースなどの優れた神話学者たちすべてに認められるという。そして,

エリアーデの神話理論についても,その比較法は,1930年代から1940年代にかけてのルーマニ

ア「鉄衛団」(Romanian Iron Guard)との関わりから始まる彼自身の政治的視点を押し進め

るための偏向的なものだ,と厳しい批判の目を向けた(96)。

おわりに―新しい魔術の発明に向けて

現代の比較宗教論は,スミスの主張を基軸に発展してきた。それは,ポストモダン的批判も

受けてさまざまな反省と修正が加えられている。とりわけ,比較は研究者の創造性によるとの

主張は,多くの比較論者に内省的自己批判の機会を与えた。しかし,比較それ自体の意義は失

われることはなく,類似と差異のバランスのとれた,より配慮された比較が目指されている。

今後,このような潮流はさらに推し進められるであろう。しかし,議論全体の意義について少

し距離を置いてながめるならば,そこには西洋の地域性が含まれていることも明らかである。

ここで見てきた議論は西洋的アカデミズムという特殊の文脈で理解されなくてはならない。

比較への批判がポストコロニアル主義と重なるなど,議論の全体が西洋からの視点であり西洋

の研究者の自己反省としての響きが強いのである。これは,アーバンの指摘を待つまでもなく,

世界(史)規模で宗教の比較をする主体がこれまで圧倒的に西洋の研究者であったことと不可

分である。同じことが宗教の概念そのものにもいえる。すでに触れたように,スミスは,「『宗

教』とはネイティヴ[当事者]の用語ではない。それは,学者がその知的目的のために創り出

した用語であり,それゆえに,研究者が定義づける」と述べた(97)。ここでいう学者とは西洋

の学者である。

では,小論で紹介した比較を巡る問題は,あくまで西洋的という文脈に限定された議論であ

って,非西洋の研究者になんら資するものはないのだろうか。日本を含む非西洋の学者は,

「宗教」という西洋起源のカテゴリーを使いながら「宗教」を語り,西洋生まれの理論に直接,

間接に依拠しながら比較宗教もおこなってきた。しかし文化的にみれば,彼らからすれば,

我々は「ネイティヴ」,すなわち彼らの比較研究の対象としての位置づけにもなる。このよう

な両義性を備えるのが比較論における非西洋の研究者の立場である。

これまで比較される「客体」,比較作業の対象であった,非西洋の視点からの貢献は可能で

あろうか。単に日本人が日本や他のアジアやアフリカの事例を研究するだけではなく,その方

法論に西洋の研究者が自己反省的に行なうのとは違う独自性を持たせ,比較分析の新たな意義

を明らかにできるだろうか。これが,おそらく日本を含め非西洋文化に基盤をおく比較宗教学

者の最大の貢献であり,その探求こそが我々にとっての最大の課題であろう。もし,「比較」

が研究者の「創造」と「想像」によっておこなわれる魔術であれば,私たちにはどのような魔

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Page 17: 比較宗教論の現代的展開 - 天理大学...はじめに 近代宗教学の嚆矢をM・ミュラー(1823―1900)に求めるならば,比較法は,初めからそ の中心的方法に想定されていたといえる。彼は,1870年に英国の王立協会でおこなった有名な

術が可能なのだろうか。

(1) F. MaxMüller, Introduction to the Science of Religion, Four Lectures (London : Longman,

Green and Co., 1882), p.9.;マクス・ミュラー著,湯田豊,塚田貫康訳『宗教学入門』(晃洋

書房,1990年),9頁。

(2) Eric. J. Sharpe, Comparative Religion : A History, Second Edition (La Salle, IL : Open

Court, 1986), xii.

(3) Ibid.

(4) W. Lessa and E. Vogt eds., Reader in Comparative Religion : An Anthropological

Approach (N.Y. : Harpar Collins, 1979).

(5) Luther Martin, “Introduction,” Method and Theory in the Study of Religion (MTSR)

1996 (8―1), p.1.

(6) Müller, Introduction to the Science of Religion, pp.9―10.;ミュラー,前掲書,9頁。

(7) Ibid., p.13.;ミュラー,前掲書,12頁。

(8) Louis H. Jordan, Comparative Religion : Its Genesis and Growth (N.Y. : Charles

Scribner’s Son, 1905), p.10.

(9) “Comparative Religion is that Science which compares the origin, structure, and

characteristics of the various Religions of the world with the view of determining their

genuine agreements and differences, the measure of relation in which they stand one to

another, and their relative superiority or inferiority when regarded as types.” (Jordan,

Comparative Religion, p.63.) 田丸徳善『宗教学の歴史と課題』(山本書店,1987年),151頁。

(10) Edward B. Tylor, Primitive Culture, reprinted in Collected Works of Edward Burnett

Tylor, Volume III : Primitive Culture I (London, UK : Routredge, 1994), pp.5, 7, 19;田丸

徳善『宗教学の歴史と課題』,149頁。

(11) 田丸,前掲書,150頁。

(12) タイラーの方法論については,“Chapter 1 The Science of Culture,” Tylor, Primitive

Culture, pp.1―22を参照。

(13) Tylor, Primitive Culture, pp.2―3.

(14) Tylor, ibid., pp.2―3 ; Hans G. Kippenberg, Discovering Religious History in the Modern

Age, trans. B. Harshav (Princeton : Princeton University Press, 2002), pp.52―53.;ハンス

G.キッペンベルク『宗教史の発見―宗教学と近代』月本昭男他訳,岩波書店,2005年,82―83

頁。

(15) Jacques Waardenburg, ed., Classical Approaches to the Study of Religion : Aims

Methods and Theories of Research (Berlin : Walter de Gruyter, 1999), p.31

(16) Ibid.

(17) Tylor, Primitive Culture, p.15.

(18) Kippenberg, Discovering Religious History in the Modern Age, p.53;キッペンベルク『宗

教史の発見』83―84頁。

(19) Edward B. Tylor, “The Philosophy of Religion among the Lower Races of Mankind,”

Journal of the Ethnological Society, N.S. 2 : p.379;キッペンベルク『宗教史の発見』,84頁

参照。

(20) Sharpe, Comparative Religion, pp.48―49.

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(21) Tylor, Primitive Culture, p.15.

(22) Mircea Eliade, editor-in-chief, The Encyclopedia of Religion (New York : Macmillan,

1987), “Phenomenology of Religion.”

(23) Joachim Wach, Types of Religious Experience : Christian and Non-Christian (Chicago :

The University of Chicago Press, 1951), p.30.

(24) Joachim Wach, The Comparative Study of Religions (New York : Columbia University

Press,1958), pp.65―74.

(25) Ibid., pp.76―77.

(26) Ibid., pp.121―142.

(27) William E. Paden, “How, after Eliade, and after the critique of the contextless character

of classical comparativism, is it possible to recast the viability of cross-cultural analysis?” :

“Elements of a new comparativism,” MTSR 8―1 (1996), p.5.

(28) Jonathan Z. Smith, Imagining Religion : From Babylon to Jonestown (Chicago : The

University of Chicago Press, 1982), p.xi.

(29) Jonathan Z. Smith, “Religion, Religions, Religious” in Critical Terms for Religious

Studies, ed. M. Tayler (Chicago : University of Chicago Press, 1998), Chapter 15, pp.281―

282.

(30) Ibid.

(31) Jonathan Z. Smith, Drudgery Divine : On the Comparison of Early Christianities and

the Religions of Late Antiquity (Chicago : University of Chicago Press, 1990), p.51.

(32) Jonathan Z. Smith “The ‘End’ of Comparison : Redescription and Rectification” in A

Magic Still Dwells, eds. Kimberley C. Patton and Benjamin C. Ray (Berkeley : University

of California Press, 2000), pp.237―241.

(33) Smith, Imagining Religion 所収。

(34) E.B. Tylor, Researches into the Early History of Mankind , 3rd. ed. (London, 1878), p.130,

quoted by Smith, Imagining Religion, p.21.

(35) J. G. Frazer, The Golden Bough, 3rd. ed. (London, UK : Macmillan, 1955) 1 : 53, quoted

by Smith, Imagining Religion, p.21.

(36) Smith, Imagining Religion, p.22.

(37) Smith, “The ‘End’ of Comparison,” p.238.

(38) Jonathan Z. Smith, To Take Place : Toward Theory of Ritual (Chicago : University of

Chicago Press, 1987), pp.13―14.

(39) Smith, Drudgery Divine, pp.50―53.

(40) Smith, “The ‘End’ of Comparison,” p.239.

(41) Pia Altieri, “Close Encounters of the Smith Kind,” MTSR 16 (2004), p.65

(42) Joanne Punzo Waghorne, “Moving Comparison Out of the Scholar’s Laboratory,” MTSR

16 (2004), p.72.

(43) ジャン・フランソワ・リオタール著,小林康夫訳『ポストモダンの条件―知・社会・言語ゲ

ーム』(水声社1986年),8頁。

(44) リオタール,前掲書,8―9頁。

(45) リオタール,前掲書,10―11頁。

(46) David M. Freidenreich, “Comparisons Compared : A Methodological Survey of

Comparisons of Religion From “A Magic Dwells” to “A Magic Still Dwells,” MTSR 16

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(2004), p.80.

(47) Kimberley C. Patten, “Juggling Torches : Why We Still Need Comparative Religion,” A

Magic Still Dwells, p.155

(48) Kimberley C. Patten, and Benjamin C Ray, “Introduction,” A Magic Still Dwells, p.3

(49) Jonathan Z. Smith, To Take Place, pp.34―35.

(50) Robert A Segal, “Classification and Comparison in the Study of Religion : The Work of

Jonathan Z. Smith,” Journal of the American Academy of Religion (JAAR) December 73―4

(2005), p.1176.

(51) 拙稿,「比較宗教研究の課題とゆくえ―ポストエリアーデとポストモダン」『比較思想研究』

34(2008),83頁。

(52) Patton and Ray, A Magic Still Dwells, pp.1―2

(53) Wendy Donigar, “Myths and Methods in the Dark,” Journal of Religions 76―4 (1996),

p.532.

(54) Wendy Donigar, “Post-Modern and -Colonial -Structural Comparisons,” A Magic Still

Dwells, pp.64―65.

(55) Mark C. Taylor, “Introduction,” Critical Terms for Religious Studies, ed. Mark C. Taylor

(Chicago : The University of Chicago Press, 1998), p.15.;マーク C.テイラー編,奥山倫明

監訳『宗教学必須用語22』(刀水書房,2008年),23頁。

(56) Patton and Ray, “Introduction,” A Magic Still Dwells, p.2.

(57) Joanne Punzo Waghorne, “Moving Comparison out of the Scholar’s Laboratory,” MTSR

16 (2004), p.74.

(58) 拙稿,「比較宗教研究の課題とゆくえ」,84頁。

(59) Taylor, “Introduction,” Critical Terms for Religious Studies, pp.14―15;テイラー編『宗教

学必須用語22』,21頁。

(60) Taylor, ibid., p.15;テイラー,前掲書,22―23頁。

(61) Taylor, ibid.;テイラー,前掲書,23―24頁。

(62) William E. Paden, “Elements of a New Comparativism,” MTSR 8―1 (1996), pp.5―14.

(63) Paden, ibid., pp.8―9.

(64) Paden, ibid., p.9.

(65) Donald Wiebe, “Is the New Comparativism Really New?” MTSR 8―1 (1996), p.28.

(66) さらに,この作品のなかの諸論文は,エリアーデが1959年に J・M・キタガワと共同編集し

た宗教学方法論集の古典であるHistory of Religions : Essays in Methodology(M・エリアー

デ,J・M・キタガワ編,岸本英夫監訳『宗教学入門』,東京大学出版会,1962年)以来,40年

ぶりの本格的比較宗教論であると謳っており,この著作を批判し乗り越えようと意図されてい

る(Patton and Ray, “Introduction,” A Magic Still Dwells 参照)。

(67) Patton and Ray, A Magic Still Dwells, p.18.

(68) Ibid., p.4.

(69) Ibid., p.17.

(70) Ibid., p.14.

(71) Ibid., p.18.

(72) Ibid.

(73) Jeffrey Carter, “Introduction,” MTRS 16 (2004), p.7.

(74) William E. Paden, “Religion, World, Plurality” in What is Religion? : Origins, Definitions,

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and Explanations, eds. Thomas A. Idinopulos and Brian Courtney Wilson (Leiden : Brill,

1998), p.100.

(75) E. Thomas Lawson, “Theory and the New Comparativism, Old and New,” MTSR 8―1

(1996), p.33.

(76) “analytical control over the framework of comparison” (Paden, “Religion, World,

Plurality,” What is Religion? , p.102).

(77) “Comparison has the right to pick out single points of analogy for its own theoretic

purposes” (ibid., p.102).

(78) Jeppe Sinding Jensen, “Why Magic? It’s Just Comparison,” MTSR 16 (2004), p.47.

(79) Ibid.

(80) Hugh B. Urban, “Power Still Dwells : The Ethics and Politics of Comparison in A Magic

Still Dwells,” MTSR 16 (2004), pp.24―35.

(81) Ibid., p.24.

(82) Ibid., p.26.

(83) Ibid., p.29.

(84) Ibid., p.32.

(85) Ibid.

(86) Ibid. アーバンがいうように,比較をする研究者自身の問題が,学術的関心を超えて,イデオ

ロギーや政治や倫理などの領域で議論をされることは,確かに必要ではあろう。けれども,そ

れは注意深くなされなくてはならない。なぜなら,それによって,研究者がもたらした宗教研

究への貢献を容易に研究者の個人的経験へと矮小化し,宗教の研究が宗教学者の伝記的考察へ

と滑り落ち易いからである。宗教学研究者の政治性は,神話学で古くはストレンスキーが,近

年ではエルウッドやリンカーンが主張していることであり,またマッカチオンやワサーストロ

ームらも盛んに主張していることである。アーバンの議論は,そこに比較宗教方法論へのより

明確な貢献が見えない限り,一連の流れを比較宗教に持込もうとしたに過ぎないのかもしれな

い。

(87) Barbara Holdrege, “What’s Beyond the Post?” in A Magic Still Dwells, p.83.

(88) Ibid., pp.86―87.

(89) Taylor, “Introduction,” Critical Terms for Religious Studies, p.10;テイラー編『宗教学必

須用語22』,16―17頁。

(90) Barbara Holdrege, “What’s Beyond the Post?,” pp.86―87.

(91) Bruce Lincoln, Theorizing Myth (Chicago : the University of Chicago Press, 1999), p.147.

(92) Ibid., p.149.

(93) Ibid., p.208.

(94) Ibid., p.209.

(95) Ibid., p.211.

(96) Ibid., p.146.

(97) Smith, “Religion, Religions, Religious,” pp.281―282.

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