人を育てるコーチングスキルの極意2014.11(vol.56 no.13) 57(1999)...

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2014.11(Vol.56 No.13)── 55(1997) コーチングとは コーチングは1990年代に米国で開発された人材開発手 法であり,近年は日本でも導入が進んでいる。コーチン グとは,コーチングスキルを身につけたコーチとコーチ ングを受ける相手との対話のことを指す。コーチングの 目的は相手の成長である。したがって,コーチが相手に 何かを教えることはしない。コーチは“傾聴”によって 関係性を構築しながら内省的な気づきを促し,“質問” によってまったく新しい視点をもたらし,そして“承 認”によって自発的な行動を増やすように働きかけてい くのだ。 ビジネスにおいて“コーチング”という用語が使われ る際には,組織外部の熟練コーチが経営者や管理職と定 期的に対話の機会をもつ「マンツーマン・コーチング」 を指す場合と,熟練コーチが管理職へ部下指導スキルの 手ほどきを行う「コーチング研修」を指す場合の 2 通り がある。本稿では,いずれの場合にもベースとなるコー チングスキルのことを中心に取り上げる。 なお,コーチングにはさまざまな認定機関や認定資格 が混在しており,さらにコーチの人間性やバックグラウ ンドが大きく影響するため,コーチングのスタイルも コーチの数だけ存在するといえる。ここで論ずる“コー チング”についても,可能な限り一般的にいわれている 内容に沿ったものとなるよう心がけているが,あくまで プライムコーチ流であることはご了承いただきたい。 コーチングの 3 大スキル ここではコーチングの 3 大スキルについて解説する 表1 )。 1.傾聴のスキル 私が商社で営業をしていた頃,社内外を問わず絶大な プライムコーチ 代表 コーチングとは,対話を通じて相手の成長を促す人材開発の手法である。その対話においては,主に3つのコーチン グスキル(傾聴のスキル・質問のスキル・承認のスキル)が用いられる。これまでコーチングは,大手の民間企業を中 心に部下指導を目的として導入されてきたが,今後はビジネス界にとどまらず,医療,スポーツ,さらに子育て領域な ど,さまざまな方面への広がりが予想される。 Key word コーチング,コーチ,人材開発,部下育成,傾聴,質問,承認,ほめる,叱る 薬剤師教育の実践的ヒント 薬剤師力を伸ばす! 水口 政人 MINAKUCHI Masato 人を育てるコーチングスキルの極意 表1 コーチングの3大スキル 1.傾聴のスキル 2.質問のスキル 3.承認のスキル (上手くほめるスキル)

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 2014.11(Vol.56 No.13)── 55(1997)

コーチングとは

 コーチングは1990年代に米国で開発された人材開発手法であり,近年は日本でも導入が進んでいる。コーチングとは,コーチングスキルを身につけたコーチとコーチングを受ける相手との対話のことを指す。コーチングの目的は相手の成長である。したがって,コーチが相手に何かを教えることはしない。コーチは“傾聴”によって関係性を構築しながら内省的な気づきを促し,“質問”によってまったく新しい視点をもたらし,そして“承認”によって自発的な行動を増やすように働きかけていくのだ。 ビジネスにおいて“コーチング”という用語が使われる際には,組織外部の熟練コーチが経営者や管理職と定期的に対話の機会をもつ「マンツーマン・コーチング」を指す場合と,熟練コーチが管理職へ部下指導スキルの手ほどきを行う「コーチング研修」を指す場合の2通りがある。本稿では,いずれの場合にもベースとなるコーチングスキルのことを中心に取り上げる。 なお,コーチングにはさまざまな認定機関や認定資格

が混在しており,さらにコーチの人間性やバックグラウンドが大きく影響するため,コーチングのスタイルもコーチの数だけ存在するといえる。ここで論ずる“コーチング”についても,可能な限り一般的にいわれている内容に沿ったものとなるよう心がけているが,あくまでプライムコーチ流であることはご了承いただきたい。

コーチングの3大スキル

 ここではコーチングの 3大スキルについて解説する(表1)。

1.傾聴のスキル 私が商社で営業をしていた頃,社内外を問わず絶大な

プライムコーチ 代表

 コーチングとは,対話を通じて相手の成長を促す人材開発の手法である。その対話においては,主に3つのコーチングスキル(傾聴のスキル・質問のスキル・承認のスキル)が用いられる。これまでコーチングは,大手の民間企業を中心に部下指導を目的として導入されてきたが,今後はビジネス界にとどまらず,医療,スポーツ,さらに子育て領域など,さまざまな方面への広がりが予想される。

Key word コーチング,コーチ,人材開発,部下育成,傾聴,質問,承認,ほめる,叱る

薬剤師教育の実践的ヒント―薬剤師力を伸ばす!

水口 政人MINAKUCHI Masato

人を育てるコーチングスキルの極意

表1  コーチングの3大スキル

   1.傾聴のスキル

   2.質問のスキル

   3.承認のスキル    (上手くほめるスキル)

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56(1998) ──  2014.11(Vol.56 No.13)

薬剤師教育の実践的ヒント―薬剤師力を伸ばす!

信頼を集める上司F氏がいた。決して戦略に長けているわけでも数字やITに強いわけでもない。とにかく傾聴が上手だったのだ。彼は相手のほうへ身を乗り出し目を見開いて,「へー」,「ほー」,「ふーん,そうなんだー」と相槌を打った。ビジネスの会食では,顧客が散々自分の話をした後に「Fさんの話は本当に面白いですね,ぜひまたやりましょう!」と言って満足顔で帰途についた。また,部下であった私はF氏と話をしていて「いま,自分で喋りながら気がついたんですけど…」とひらめく場面が何度もあった。いずれのケースにおいても,F氏の発言する割合がごくわずかだったのはいうまでもない。 F氏の例のように,傾聴のスキルとよばれるものは,うなずき,相槌,目線や表情,姿勢,オウム返しなど,いたってシンプルで,われわれが日ごろ使っているものばかりだ。にもかかわらず,実際に傾聴を実践できている人は多くない。なぜか。 傾聴のキーポイントは“誰のために話を聴いているか”にある。あなたは部下が話している際に,「そんなことはどうでもいいから,手短に結論だけ言ってくれ」と感じるようなことはないだろうか。そのときあなたは,あなたのための情報収集をしているに過ぎない。一方,傾聴は相手の成長を促すために行うものだ。相手との関係性を構築しながら,相手が内省的な気づきを得られるよう関わっていく。つまり,聴く内容ではなく,聴く行為そのものを重要視しているのである。 ここで,傾聴のスキルを飛躍的に上達させる,とっておきのコツをご紹介したい。それは,相手の話を聴いている最中,“次に自分が何を言うか”を考えないことである。そうではなく,誰かの話を聴く前に“私はいまから,目の前の人の話を全力で聴くぞ”と覚悟を決めることだ。逆にこれさえできれば,前述の細かいスキルは自然についてくる。ぜひ一度,この覚悟を決めた対話を試していただきたい。今日からすぐに実践可能である。

2.質問のスキル まず,以下の質問についてあなたはどう感じるだろうか。「明日の会議資料は準備できてる?」「◯◯製薬の担当者の名前は何だっけ?」

 1つめは進捗確認,2つめは情報収集のために日頃よく耳にする質問である。いずれも単に質問者のニーズを満たすもので,コーチングで扱う質問とは関係がない。 では,次の質問はどうか。「なぜ同じミスばかり繰り返すの?」 これは質問の皮をかぶった非難に等しい。言われた側の反応は,とっさに防衛姿勢をとって何かうまい言い訳を求めて思考を巡らせるか,もしくは萎縮してじっと下を向いているかであろう。いずれにせよ,相手が質問者からの非難を素直に受け入れるのは容易でなく,成長につながるどころか,むしろお互いの関係性にマイナスの影響を及ぼしかねない。「なぜ」質問には,相手への否定や批判といったネガティブ感情が入り込んでしまうことが多く,質問する側に細心の注意が必要だ。そこで,「なぜ」質問をしたくなったら以下のような言い換えを試してほしい。「あなたに同じミスを繰り返させている要因は何だと思う?」 2つの問いにおける決定的な違いは,“問題の所在”に対する視点である。質問者が問いかける時点で,前者は相手の中に,後者は相手の外に問題があるという視点が前提とされている。問題の所在を自分に向けられていない相手は防衛姿勢をとる必要がなく,冷静にミスの原因について考えることができる。そこから先は個人の状況次第だが,相手がひととおり外的要因の“理由”を述べた後に,「でもまぁ,私にも改めるべきところがありますね」という具合に,自らの改善点を本人の意思で口にすることも十分期待できる。人は他者から指摘されることを好まないが,自分で気づいて反省することには抵抗がないのである。相手の成長を促すためには“気づき”の機会を多くもつことが望ましい。後者のような質問は“問題の外在化”とよばれる技法を活用したものである。 他にもさまざまな質問技法が存在するが,相手に新しい視点がもたらされ,思わず「う~ん」と唸りながら思考を深められるような質問であることが重要である。実は,技法を一つひとつ覚えなくてもコーチングの質問スキルを身につけることは可能だ。そのキーポイントは傾聴と同様,“誰のために質問するか”にある。相手の成

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 2014.11(Vol.56 No.13)── 57(1999)

人を育てるコーチングスキルの極意

いの関係性が良くなる効果はあるだろうが,ほめられたからといってすぐにその能力や容姿をどうこうするのは難しい。一方,行動をほめられれば高い確率で同じ行動が繰り返されるため,上司が部下を望ましい方向へ導くうえで大変役に立つといえる。この基本を押さえたうえで,実際に言葉や態度に出して相手の行動をほめる際に心がけるべき三原則を紹介しておく。それは,①すぐに,②具体的に,③一貫性をもって―の3つであり,特に応用行動分析学という心理学の分野における知見を活かしたものである。①すぐに 対象となる行動がなされてから,ほめられるまでの時間が長くなればなるほど,その効果は薄くなる。ほめるチャンスがあればすぐにその場でほめること。②具体的に 何をほめるのか具体的に示すこと。例えば部下のプレゼンを見て「いいね」と言っても,内容が良いのか,話し方が良いのか,仕草や表情が良いのか,はたまたプレゼンの長さが良いのか,具体的にわからなければほめ言葉としてはほとんど役に立たない。「7ページ目のグラフを入れてくれたおかげで,全体像が一目で理解できるようになっていいね」といった細かさで言えば,ほめられた側もこういうグラフを活用することが期待されていると知ることができる。③一貫性をもって 同じ行動に対しては毎回ほめるということ。部下が同じ行動をとっても,ある日はほめ,次の日はほめない,ということがあると何が起こるであろうか。行動が好ましいかどうかではなく,「ああ,今日は上司の機嫌が良いな(良くないな)」という尺度で解釈されてしまうかもしれない。好ましい行動を見つけたらほめ言葉を忘れないことが肝心だ(ただし補足として,この3点目については,好ましい行動が完全に定着したと思える段階まで至ったと確信できたならば,徐々にほめる頻度を下げていっても構わないとされている)。

 承認のスキルについてはご理解いただけただろうか。ここで,ほめると対比されることの多い“叱る”についても付け加えておく。結論からいうと,基本的には前述

長を促すことを目的にする,と覚悟を決めて接することさえできれば,あなたの口から出てくる質問はきっと立派にコーチングの質問スキルを満たすものとなっているはずである。

3.承認のスキル(上手くほめるスキル) 承認のスキルとは,①相手の良いところを見つけ,②言葉や態度に出してほめるスキルである。この2つのステップを踏むことが非常に大切で,①を抜かして②だけに一生懸命になってしまうと,いわゆるお世辞や“おべっか”の類となってしまう。意図して少し大袈裟にほめることはあったとしても,相手にないものをほめる必要はない。まずは相手の良いところを見つけられる眼力が必要だ。以下,それぞれ分けて解説を行う。(1)相手の良いところを見つける 史記に「士は己を知る者の為に死す」という言葉がある。現代の組織に当てはめるならば,部下は自分の持ち味をよくわかってくれる上司のためなら全力で仕事に打ち込む,といった具合である。ならば世の上司たちはこの故事どおりに職場で実践すればよいのだが,実情そうはなっていないようだ。私はマンツーマン・コーチングやコーチング研修の場で,承認のスキルの大切さを理解してもらうために次の問いかけを行う。「部下一人ひとりに対し,その長所や持ち味を思い浮かぶ限り書き出してください」。 この問いに対する反応は人によって大きく異なる。スラスラと書き始める方もいれば,ほとんど手を止めたまま気まずそうな表情を見せる方もいる。ほめ上手なのはもちろん前者だ,後者はそもそも何をほめたらよいのかわからないのだから。ほめると聞くとすぐに,どうやってほめるかのノウハウに注目が行きがちであるが,一番大切なことは相手の“明るい側面”に光を当てられるかどうかなのである。(2)言葉や態度に出してほめる 人はどんなことでもほめられると嬉しいものだし,ほめ言葉の飛び交う職場は雰囲気も良いことであろう。ただし,ほめる側へ立つ場合には知っておかなくてはならないことがある。それは,行動をほめるということだ。例えば,ある能力や容姿をほめられれば嬉しいし,お互

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薬剤師教育の実践的ヒント―薬剤師力を伸ばす!

のほめるマネジメントを行い,ここぞというときにのみ,“伝家の宝刀”として叱るマネジメントを用いるのがよい。ほめることには,相手に好ましい行動を繰り返し行わせ,定着させる効果がある。一方の叱ることには,好ましくない行動を止めさせるなど,好ましい変化を生じさせる効果がある。したがって,最も手っ取り早く部下の行動を改善するプロセスは,「部下の好ましくない行動」→「叱る」→「好ましい行動変化が生じる」→「その好ましい行動をほめる」→「繰り返されて定着する」―という流れである(図1)。 一見,理想的なプロセスにみえるが,叱るという関わり方は“両刃の剣”であることに注意が必要だ。叱る→好ましい行動変化というプロセスはこちらの叱るという行為から生じさせられるため,大変効果が早く強力な介入といえる。しかし,叱った側にも大きな喜びが得られるため,このプロセスで終わってしまうことが多いのである。叱ることで生じた変化の後に,しっかりほめてこそ定着へと向かう。ほめるプロセスを怠って叱ることばかりに頼っていると何が起こるであろうか。叱られるほうが次第に慣れてくるため,叱り方がより頻繁でより強くなる,そしていずれは怒鳴り声に変わり,手が出るようになるかもしれない。そうならないためにも,“ほめる→定着させる”を基本的な関わり方とし,いざというときのみ“叱るプロセス”を発動する,というスタンスが理想的である。もちろん,好ましい変化は叱る行為に頼らずとも日々生じているはずである。いつもダメな部下でも,100回に 1回くらいは上手くやっているのではなかろうか。その1回を見逃さず,すかさずほめることを忘れないでほしい。

「答えは相手の中にある」の誤解

 コーチングについて書籍や研修で学んだ経験のある人は,「答えは相手の中にある」という言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。これはコーチングの中核を担う考え方であると同時に,非常に多くの誤解を生んでいる言葉でもあるため,コーチングスキルに加えて解説をしておく。「新人とか,本当に答えをもっていない人に対しては教

えるしかないので,コーチングは使えませんよね」。 これが,私のコーチング研修で最も頻繁にあがる質問である。この質問者の言う“答え”は上司側がもっている答えのことであろう。確かに,前述の相手はその“答え”をもっていないかもしれない。しかし,「答えは相手の中にある」の“答え”とは,本来そういう意味とは違う。 このような誤解を生じさせないためには,「答えは相手の中にある」という言葉を「相手が納得するのは相手の考え出した答えである」と読み替えればわかりやすい。つまり,一方的に上司の考えを押し付けても,それは相手にとって腹の底から納得できる答えとはならない。そうではなく,コーチングの対話を通じ,相手が自分の言葉で“答え”を導き出す機会を増やしていこう,という意図の込められた言葉である。その機会が増えるということは相手が成長していることにほかならず,前述のコーチングスキルはその機会を増やすうえで大いに役立つものだ。 むろん,業務をスムーズに進めるためには教えることも欠かせない。しかし一方で,安易に教えることは相手の成長機会を奪うことになる,と肝に銘じていただきたい。少し時間がかかってしまうかもしれないが,せめて教える前に相手に質問し,自分の頭で考えるチャンスを与えてみよう。すぐに教えるか,それともまず考えさせるか,それは“目先の時間と相手の成長のトレードオ

好ましくない行動

叱るマネジメント

叱る

好ましい行動変化

ほめるマネジメントほめる

繰り返されて定着

図1  叱るマネジメントとほめるマネジメント

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人を育てるコーチングスキルの極意

い。多くの人にとって,コーチングは従来のスタイルとは大きく異なるコミュニケーション技法である。何かが上手くいっていないときには,これまでと同じスタイルを続けていても結果の改善は望めない。そのようなときこそ,新しいスタイルにチャレンジする絶好のチャンスなのである。

フ”ともいえる。

おわりに

 現在,部下をはじめ誰かとのコミュニケーションに課題を感じている人には,ぜひコーチングをお勧めした