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六本木・西麻布
歴史散策マップ平成24年3月 編集:あざぶ達人倶楽部中級情報発信チーム
■江戸時代の西麻布は、陸奥白河藩阿部家などの武家地、霞山稲荷(桜田神社)や長谷寺の寺社地とその門前でし
た。六本木も江戸時代は陸奥八戸藩南部家、但馬出石藩仙石家、常陸下館藩石川家、長門府中藩毛利家、伊予宇
和島藩伊達家などの武家地、久国神社や道源寺などの寺社地でした。明治になり、西麻布は寺社地を除き、武家地
は畑になりました。戦前までは郊外の景況に近く、発電所もあるような土地でした。
■六本木も地味な町で、人通りもまばらでした。一帯は邸宅が多く存在していました。明治22年陸軍歩兵第三聯隊が設
置されたのが明治時代の大きな変化でした。
■戦後、歩兵第三聯隊跡に占領米軍が駐留し独特の雰囲気がありましたが、六本木通りの拡幅とともに、俳優座の開場
が六本木変化の先駆となり、昭和30年代から六本木族の名が知られるようになりました。六本木3~7丁目の交差点
を中心として、深夜まで活動する新しい街の特色が形成され、世界の六本木となって外国の高級商店やレストランが
集まってきました。
■最近は六本木ヒルズ、六本木ファーストビル、六本木ビュータワーといった森ビルによる再開発や国立新美術館やテ
レビ朝日といった文化施設の誕生で街が地形ごと大きく変化しようとしています。
●スペイン大使公邸
●久国神社
●永井荷風旧居「偏奇館」跡
●吉田茂外務大臣官邸
●志賀直哉居住の跡
●旧麻布区役所跡
●国際文化会館
●三井八郎右衛門邸跡
●カトリック麻布教会 ●櫻田神社
●麻布鬼子母神
●国立新美術館
●内藤鳴雪居住の跡
笄坂
●尾崎行雄青山邸
●青山の庚申塔
●カニングハム・メモリアルハウス
●長谷寺
北坂
光専寺●崇厳寺●
大江戸線
南北線
麻布十番
麻布 十 番
六本木一丁目
凡例
● 寺社
● 建物
● 史跡・遺跡
鉄道
道
● 人物
●仰光寮・東京府立第三高等女学校
●毛利庭園(旧ニッカ池)
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●乃木大将生誕地 4
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六本木1
六本木2
六本木4
六本木3
六本木7
六本木5 六本木6
西麻布3
西麻布1
西麻布4
西麻布2
●阿部山のお馬さんの碑 4
六本 木
丹波谷坂
寄席坂 なだれ坂
飯倉片町
鳥居坂
芋洗坂
市三坂
けやき坂
さくら坂
六本木五丁目
六本木六丁目
スペイン坂
●スウェーデン大使館
●六本木ヒルズ
●テレビ朝日
●政策研究大学院大
●東京ミッドタウン
●麻布警察署
●六本木交番 ●青山公園
●麻布区民センター
●さくら坂公園
六本木
霞坂
紺屋坂
中坂
北条坂
牛坂
堀田坂
御組坂 ●青山霊園
●六本木墓苑 2
●出雲大社東京分詞 2
史跡 1.吉
よし
田茂だしげる
外務が い む
大臣だいじん
官邸かんてい
六本木1-8-8(碑有り)
昭和 21(1946)年幣原喜重郎内閣の外務大臣だった吉田茂と、GHQのホイットニー少将らがとりまとめた、日本国憲法草案の会合が、ここで行われた。
2.陸軍りくぐん
歩兵ほ へ い
第だい
三さん
聯隊れんたい
(現国立新美術館) 六本木7-22-2
江戸時代は伊予宇和島藩伊達家上屋敷、明治から昭和戦前は陸軍歩兵第三聯隊、戦後は東京大学の研究所、現在は平成19(2007)年1月に開館した黒川記章設計の国立新美術館になっている。
3.青山あおやま
の庚申塔こうしんとう
西麻布2-17先
慶応元(1865)年に造立された庚申塔で、道しるべも兼ねている。
建物 1.スペイン大使館
たいし か ん
六本木1-3-29
昭和2(1927)年に「西班牙公使館」として建てられた西洋建築。設計はガーディナー(米国人)で、上林敬吉が工事を担当した。左右対称で新古典主義を基調とした正面ファサードや鎧戸つきの上げ下げ窓赤レンガ屋根半円窓などが特徴である。
2.旧麻布きゅうあざぶ
区く
役所やくしょ
跡あと
六本木3-15
武蔵野市境南町 1-7-1 にある日本獣医生命科学大学(旧日本獣医畜産大学)の建物は、旧麻布区役所を移築したもので、現在も使用している。一部改修は見られるが、全体のシルエットには変化は無く、当初の形を残した貴重な建築物である。
3 国際こくさい
文化ぶ ん か
会館かいかん
六本木5-11-16
明治時代は井上馨邸、昭和時代は岩崎小弥太邸(旧岩崎邸庭園)を、戦後国有地となった期に国際文化会館が払い下げを受け現在に至る。昭和 30(1955)年に建設され、旧岩崎邸の軸線を尊重しながらこの和風庭園と対応する配置や造形が工夫された建物である。
4 仰光寮ぎょうこうりょう
・東京とうきょう
府立ふ り つ
第三だいさん
高等こうとう
女学校じょがっこう
六本木6-8-16
仰光寮は、香淳皇后が皇太子(後の昭和天皇)妃に内定された大正 7(1918)年に建てられ、大正 13(1924)年のご成婚時まで皇后としての勉学の場だった。府立第三高等女学校は、現在は目黒区に移転し都立駒場高校となっている。
5 毛利も う り
庭園ていえん
(旧きゅう
ニッカ池いけ
) 六本木6-9
江戸時代、長門府中藩毛利家の上屋敷が置かれた。明治20(1887)年増島六一郎氏(初代中央大学長)の自邸となる。その後ニッカウイスキー工場、昭和 52(1977)年テレビ朝日の敷地になり、園内の池はニッカ池と呼ばれた。平成 15(2003)年六本木ヒルズがオープンし毛利庭園が誕生した。
寺社 1.久
ひさ
国くに
神社じんじゃ
(港七福神布袋尊) 六本木2-1-16
太田道灌が江戸城鎮護のため溜池の上に寛正6(1465)年に勧請し、永禄3(1560)年に現在地に移転した。境内には東郷平八郎筆の御神號、勝海舟筆の拝殿の額、高村光雲作の御神像、太田道灌寄進の名工「久国」作の太刀がある。布袋尊は痔に霊験がある。
2.出雲い ず も
大社たいしゃ
東京分とうきょうぶん
詞し
六本木7-18-5
明治 11(1878)年に神田神社内に設けられ、明治 23(1890)年に現在地に移転した。 山下達郎・竹内まりや、石井一久・木佐彩子の結婚式はこの神社で行われた。
3.長谷寺ちょうこくじ
西麻布2-21-34
慶長3(1598)年に大名山口家の邸内に観音堂を建てたのが始まり。麻布大観音は戦後、大内青圃氏の手で 10 年の歳月をかけて昭和 52(1977)年に再刻された。東京名所圖會で紹介されている夜叉神像も有名である。墓所には榎本健一、坂本九、井上馨、黒田清輝など著名人の墓が多い。
4.櫻田さくらだ
神社じんじゃ
(港七福神寿老人) 六本木3-2-17
治承5(1181)年に渋谷重国が霞ヶ関に創建、寛永元(1624)年頃に現在地に移転した。江戸時代には「霞山稲荷神社」として江戸名所圖會で紹介されている。 明治5(1872)年から昭和41(1966)年まであった霞町、桜田町の町名の由来にもなっている。
昭和16年(麻布区史)
昭和16年(麻布区史)
昭和34年
史跡 4.阿部山
あ べ や ま
のお馬うま
さんの碑ひ
西麻布3-17-34
一帯は陸奥白河藩阿部家の下屋敷で、初代藩主阿部豊後守忠秋の荼毘地跡に立つ。それをなぜお馬さんと呼ぶのかは不明である。
5.麻布あ ざ ぶ
鬼子母神き し ぼ じ ん
西麻布3-21-15(碑有り)
8の付く日に縁日があり賑わっていた。慎徳寺という寺院になって昭和 42(1967)~43(1968)年に青梅市に移転した。現在はマンションになり、当時門前にあった「鬼子母神堂」の碑のみ残っている。
6 カニングハム・メモリアルハウス 西麻布2-21-2
明治34(1901)年に2歳で来日し101歳で亡くなるまで、日本の若い人たちへのクラシック音楽の普及に一生をささげたアメリカの女性の家です。東洋英和女学校の教師でもあった。建物はアントニン・レーモンド(チェコ人)が設計した。
7 三井み つ い
八郎は ち ろ
右う
衛え
門もん
邸てい
跡あと
西麻布3-4-1
日本の近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の総領家三井八郎右衛門高公の邸宅跡地。現在は、小金井市桜町3-7-1の「江戸東京たてもの園」に復元移築されている。
8 カトリック麻布あ ざ ぶ
教会きょうかい
西麻布3-21-6
教会の創立は明治 22(1889)年に当地に聖堂が建てられたが戦災で全焼し、現在の建物は昭和 27(1952)年に再建された。玄関部は三つのアーチが連続し妻面上部にステンドアーチを設けている、戦後初期の時代性を体現する教会建築である。
明治35年(駒場高等学校60周年)
人物 1.永井
な が い
荷風か ふ う
旧居きゅうきょ
「偏へん
奇館き か ん
」跡あと
六本木1-6-1
大正9(1920)年に木造二階建ての偏奇館を新築、昭和 20(1945)年の空襲で消失するまで居住した。
2.六本木ろっぽ ん ぎ
墓苑ぼ え ん
六本木3-14-20
徳川二代将軍秀忠の正室お江(崇源院)の葬儀を実施した僧に土地が与えられ、教善寺、深広寺、光専寺、崇厳寺、正信寺の五軒の寺院ができた。その寺院の共同墓地。
3.志賀し が
直なお
哉や
居住きょじゅう
の跡あと
六本木4-3-13
直哉14歳の明治30(1897)年から29歳の明治45(1912)年まで居住した。処女作「或る朝」等を書いた。父親との確執を書いた「和解」の舞台である。
4.乃木の ぎ
大将たいしょう
生誕地せい た ん ち
六本木6-16-46
碑があるさくら坂公園は、長門府中藩毛利家の長屋跡である。乃木希典は嘉永2(1849)年ここで生まれた。
5.尾崎お ざ き
行ゆき
雄お
青山あおやま
邸てい
跡あと
西麻布4-17
青山邸は明治38(1905)年に結婚した英国人テオドラのために建設した家である。現在、世田谷区豪徳寺にある岡田邸として残っている。
6.内藤鳴ないとうめい
雪せつ
居住きょじゅう
の跡あと
西麻布4-17-18
ホトトギス派の代表的俳人で71歳の大正6(1917)年から80歳で亡くなる大正15(1926)年まで居住した。