蜻蛉日記 上 記 - 文系の雑学・豆知識 ·...

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蜻蛉日記 1

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  • 蜻蛉日記

    道綱母

    蜻蛉日記 

    かくありしときすぎて世中にいとものはかなくとにもかくにもつかでよにふる

    人ありけり。かたちとても人にもにずこゝろたましひもあるにもあらでかうもの

    ゝやうにもあらであるもことわりとおもひつゝたゞふしおきあかしくらすまゝに世

    中におほかた古るものがたりのはしなどをみればよにおほかるそらごとだにあり、

    人にもあらぬみのうへまでかき日記してめづらしきさまにもありなん天下の人の

    しなたかきやと問はんためしにもせよかしとおぼゆるもすぎにしとしつきごろの

    こともおぼつかなかりければさてもありぬべきことなんおほかりける。

    さてあはつけかりしすきごとどものそれはそれとしてかしはぎのこだかきわた

    りよりかくいはせんとおもふことありけり。れいの人は案内するたよりもしはな

    ま女などしていはすることこそあれ、これはおやとおぼしき人にたはぶれにもま

    めやかにもほのめかししに、便なきことといひつるをもしらずがほに馬にはひの

    りたる人してうちたゝかす。誰などいはするにはおぼつかなからず、さわいだれ

    ばもてわづらひとり入れてもてさわぐ。みれば紙などもれいのやうにもあらずい

    たらぬところなしときゝふるしたる手もあらじとおぼゆるまであしければいとぞ

    あやしき。ありけることは

      おとにのみきけばかなしなほととぎすことかたらはんとおもふこころあり

    とばかりぞある。いかにかへりごとはすべくやあるなどさだむるほどに、古

    代なる人ありてなほとかしこまりてかゝすれば

      かたらはん人なきさとにほととぎすかひなかるべきこゑなふるしそ

    これをはじめにてまた

    くもおこすれどかへりごともせざりければ又

      おぼつかなおとなきたきの水なれやゆくへもしらぬせをぞたづぬる

    これを「いまこれより」といひたればしれたるやうなりや、かくぞある

      ひとしれずいまや

    くとまつほどにかへりこぬこそわびしかりけれ

    とありければ、れいの人「かしこしをさ

    くしきやうにもきこえんこそよか

    らめ」とてさるべきひとしてあるべきにかゝせてやりつ。それをしもまめやかに

    うちよろこびてしげうかよはす。またそへたるふみみれば

      はまちどりあともなぎさにふみみぬはわれをこすなみうちやけつらん

    このたびもれいのまめやかなるかへりごとする人あればまぎらはしつ。又もあ

    り「まめやかなるやうにてあるもいとおもふやうなれどこのたびさへなうはいと

    つらうもあるべきかな」などまめぶみのはしにかきてそへたり。

      いづれともわかぬ心はそへたれどこたびはさきにみぬ人のがり

    とあれどれいのまぎらはしつ。かゝればまめなることにて月日はすぐしつ。

    秋つかたになりにけり。そへたるふみに「心さかしらづいたるやうにみえつる

    うさになんねんじつれどいかなるにかあらん

      しかのねもきこえぬ里にすみながらあやしくあはぬめをもみるかな

    とあるかへりごと

      たかさごのをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとはきかぬを

    蜻 蛉 日 記 1

  • げにあやしのことや」とばかりなん。又ほどへて

      あふさかのせきやなかなかちかけれどこえわびぬればなげきてぞふる

    かへし

      こえわぶるあふさかよりもおとにきくなこそをかたきせきとしらなん

    などいふ。

    まめぶみかよひ

    くていかなるあしたにかありけむ

      ゆふぐれのながれくるまをまつほどになみだおほゐのかはとこそなれ

    かへし

      おもふことおほゐのかはのゆふぐれはこころにもあらずなかれこそすれ

    また三日ばかりのあしたに

      しのゝめにおきけるそらはおもほえであやしくつゆときえかへりつる

    かへし

      さだめなくきえかへりつる露よりもそらだのめするわれはなになり

    かくてあるやうありてしばしたびなるところにあるにものしてつとめて「けふ

    だにのどかにとおもひつるを便なげなりつればいかにぞみには山がくれとのみな

    ん」とあるかへりごとにたゞ

      おもほえぬかきほにをればなでしこのはなにぞ露はたまらざりける

    などいふほどに九月になりぬ。

    つごもりがたにしきりて二夜ばかりみえぬほどふみばかりあるかへりごとに

      きえかへりつゆもまだひぬ袖のうへにけさはしぐるゝそらもわりなし

    たちかへりかへりごと

      おもひやる心のそらになりぬればけさはしぐるとみゆるなるらん

    とてかへりごとかきあへぬほどにみえたり。又ほどへてみえおこたるほどあめ

    などふりたる日「くれにこん」などやありけん

      かしはぎのもりのしたくさくれごとになほたのめとやもるをみるみる

    かへりごとはみづからきてまぎらはしつ。

    かくて十月になりぬ。こゝにものいみなるほどを心もとなげにいひつつ

      なげきつゝかへすころもの露けきにいとどそらさへしぐれそふらん

    かへしいとふるめきたり

      おもひあらばひなまし物をいかでかはかへすころものたれもぬるらん

    とあるほどにわがたのもしき人みちのくにへいでたちぬ。

    ときはいとあはれなるほどなり、人はまだみなるといふべきほどにもあらず、み

    ゆるごとにたゞさしぐめるにのみあり、いとこころぼそくかなしきことものに似

    ず。みる人もいとあはれにわするまじきさまにのみかたらふめれど、人のこゝろは

    それにしたがふべきかはとおもへばたゞひとへにかなしうこゝろぼそきことをの

    みおもふ。いまはとてみないでたつ日になりてゆく人もせきあへぬまであり、と

    まる人はたまいていふかたなくかなしきに、ときたがひぬるといふまでもえいで

    やらず、又見なきすゞりにふみをおしまきてうちいれて又ほろ

    くとうちなきて

    2

  • いでぬ。しばしはみむこゝろもなし。みいではてぬるにためらひてなにごとぞと

    みれば

      きみをのみたのむたびなるこゝろにはゆくすゑとほくおもほゆるかな

    とぞある。みるべき人みよとなめりとさへおもふにいみじうかなしうて、あ

    りつるやうにおきてとばかりあるほどにものしためり。めも見あはせずおもひい

    りてあれば「などかよのつねのことにこそあれいとかうしもあるはわれをたのま

    ぬなめり」などもあへしらひ、すゞりなるふみをみつけて「あはれ」といひて門

    出のところに

      われをのみたのむといへばゆくすゑのまつのちぎりもきてこそはみめ

    となん。かくて日のふるまゝに旅のそらをおもひやるだにいとあはれなるに人

    のこゝろもいとたのもしげにはみえずなんありける。

    師走になりぬ。横川にものすることありてのぼりぬ。「人雪にふりこめられてい

    とあはれにこひしきことおほくなん」とあるにつけて

      こほるらんよがはのみづにふるゆきもわがごときえてものはおもはじ

    などいひてそのとしはかなくくれぬ。

    正月ばかりに二三日みえぬほどにものへわたらんとて「人こばとらせよ」とて

    かきおきたる

      しられねばみをうぐひすのふりいでつゝなきてこそゆけのにも山にも

    かへりごとあり

      うぐひすのあだにでゆかんやまべにもなくこゑきかばたづぬばかりぞ

    などいふうちよりなほもあらぬことありて春夏なやみくらして八月つごもりに

    とかうものしつ。そのほどのこゝろばへはしもねんごろなるやうなりけり。

    さて九月ばかりになりていでにたるほどにはこのあるを手まさぐりにあけてみ

    れば人のもとにやらんとしけるふみあり。あさましさにみてけりとだにしられん

    とおもひてかきつく

      うたがはしほかにわたせるふみみればここやとだえにならんとすらん

    などおもふほどに心えなう十月つごもりがたに三夜しきりてみえぬときあり。

    「つれなうてしばしこゝろみるほどに」など氣色あり。

    これよりゆふさりつかた「うちのがるまじかりけり」とていづるに心えで人を

    つけてみすれば「町の小路なるそこ

    くになんとまり給ひぬ」とてきたり。され

    ばよといみじうこゝろうしと思へどもいはんやうもしらであるほどに二三日ばか

    りありてあかつきがたにかどをたゝくときあり。さなめりと思ふにうくてあけさ

    せねばれいのいへとおぼしきところにものしたり。つとめてなほもあらじとおも

    ひて 

     なげきつゝひとりぬるよのあくるまはいかにひさしきものとかはしる

    とれいよりはひきつくろひてかきてうつろひたる菊にさしたり。かへりごと

    「あくるまでもこころみむとしつれどとみなるめしつかひのきあひたりつればなん

    いとことわりなりつるは

      げにやげにふゆのよならぬまきのともおそくあくるはわびしかりけり

    さてもいとあやしかりつるほどにことなしびたる、しばしはしのびたるさまに

    うちになどいひつゝぞあるべきをいとゞしう心づきなくおもふことぞかぎりな

    きや。

    としかへりて三月ばかりにもなりぬ。桃のはななどやとりまうけたりけんまつ

    にみえず、いまひとかたも例はたちさらぬ心ちにけふぞみえぬ。

    蜻 蛉 日 記 3

  • さて四日のつとめてぞみなみえたる。よべよりまちくらしたるものどもなほあ

    るよりはとてこなたかなたとりいでたり。心ざしありしはなををりてうちのかた

    よりあるをみれば心たゞにしもあらで手ならひにしたり。

      まつほどのきのふすぎにしはなのえはけふをることぞかひなかりける

    とかきてよしやにくきにとおもひてかくしつる氣色をみてばひとりてかへしし

    たり 

     みちとせをみつべきみにはとしごとにすくにもあらぬはなとしらせん

    とあるをいまひとかたにもきゝて

      はなによりすくてふことのゆゝしきによそながらにてくらしてしなり

    かくていまはこの町の小路にわざといろにいでにたり。本つひとをだにあやし

    うくやしと思ひげなるときがちなり。いふかたなうこゝろうしとおもへどもなに

    わざをかはせん。このいまひとかたのいでいりするをみつゝあるにいまは心やす

    かるべきところへとてゐてわたす。とまる人まして心ぼそし。かげもみえがたか

    べいことなどまめやかにかなしうなりてくるまよするほどにかくいひやる。

      などかゝるなげきはしげさまさりつゝ人のみかるるやどとなるらん

    かへりごとはをとこぞしたる。

      おもふてふわがことのはをあだ人のしげるなげきにそへてうらむな

    などいひおきてみなわたりぬ。おもひしもしるくたゞひとりふしおきす。

    おほかたのよのうちあはぬことはなければたゞ人のこゝろのおもはずなるをわ

    れのみならずとしごろのところにもたえにたなりときゝてふみなどかよふことあ

    りければ五月三四日のほどにかくいひやる。

      そこにさへかるといふなるまこもぐさいかなるさはにねをとゞむらん

    かへし

      まこもぐさかるとはよどのさはなれやねをとゞむてふさはゝそことか

    六月になりぬ。ついたちかけてながあめいたうす。みいだしてひとりごとに

      わがやどのなげきのしたばいろふかくうつろひにけりながめふるまに

    などいふほどに七月になりぬ。たえぬとみましかばかりにくるにはまさりなま

    しなどおもひつゞくるをりにものしたる日あり。ものもいはねばさう

    く゛しげな

    るにまへなる人ありし「したば」のことをものゝついでにいひいでたればきゝて

    かくいふ。

      をりならでいろづきにけるもみぢばはときにあひてぞいろまさりける

    とあれば硯ひきよせて

      あきにあふいろこそましてわびしけれしたばをだにもなげきしものを

    とぞかきつくる。

    かくありつゞきたえずはくれども心のとくるよなきにあれまさりつゝ、きては

    氣色あしければたふるゝにたち山とたちかへるときもあり。ちかきとなりにこゝ

    ころばへしれる人いづるにあはせてかくいへり。

      もしほやくけぶりのそらにたちぬるはふすべやしつるくゆるおもひに

    などとなりさかしらするまでふすべかはしてこのごろはこととひさしう見えず。

    たゞなりしをりはさしもあらざりしをかくこゝろあくがれていかなるものどら

    かにうちおきたるもののみえぬくせなんありける。かくてやみぬらんそのものと

    思ひいづべきたよりだになくぞありけるかしと思ふに十日ばかりありてふみあり、

    4

  • なにくれといひて「帳のはしらにゆひつけたりし小弓の矢とりて」とあればこれ

    ぞありけるかしとおもひてときおろして

      おもひいづるときもあらじとおもへどもやといふにこそおどろかれぬれ

    とてやりつ。

    かくてたえたるほどわがいへはうちよりまゐりまかづるみちにしもあれば夜中

    あかつきとうちしはぶきてうちわたるもきかじとおもへどもうちとけたるいもね

    られず夜ながうしてねぶることなければさななりとみきく心ちはなににかはにた

    る。いまはいかでみきかずだにありにしがなとおもふに「むかしすきごとせし人

    もいまはおはせずとか」など人につきてきこえごつをきくをものしうのみおぼゆ

    れば日ぐれはかなしうのみおぼゆ。

    子供あまたありときくところもむげにたえぬときく。あはれましていかばかり

    とおもひてとぶらふ。九月ばかりのことなりけり。あはれなどしげくかきて

      ふく風につけてもとはむさゝがにのかよひしみちはそらにたゆとも

    かへりごとにこまやかに

      いろかはるこゝろとみればつけてとふかぜゆゝしくもおもほゆるかな

    とぞある。

    かくてつねにしもえいなびはてでとき

    く゛みえて冬にもなりぬ。ふしおきはた

    ゞをさなき人をもてあそびて「いかにしてあじろの氷魚にこととはむ」とぞ心にも

    あらでうちいはるる。

    としまたこえて春にもなりぬ。このごろよむとてもてありく書とりわすれてを

    んなをとりにおこせたり。つゝみてやるかみに

      ふみおきしうらも心もあれたればあとをとゞめぬ千どりなりけり

    かへりごとさかしらにたちかへり

      心あるとふみかへすともはまちどりうらにのみこそあとはとゞめゝ

    つかひあれば

      はまちどりあとのとまりをたづぬとてゆくへもしらぬうらみをやせむ

    などいひつゝ夏にもなりぬ。

    このときのところに子うむべきほどになりて、よきかたはこびてひとつ車には

    ひのりて一京ひゞきつゞきていとききにくきまでのゝしりてこのかどのまへより

    しもわたるものか。われはわれにもあらずものだにいはねばみる人つかふよりは

    じめて「いとむねいたきわざかなよにみちしもこそはあれ」などいひのゝしるを

    きくにたゞしぬるものにもがなと思へどこゝろにしかなはねばいまよりのちたけ

    くはあらずともたえてみえずだにあらんいみじう心うしとおもひてあるに三四日

    ばかりありてふみあり。あさましうつべたましとおもふ

    くみれば「このごろこ

    ゝにわづらはるゝことありてえまゐらぬをきのふなんたひらかにものせらるめる

    けがらひもやいむとてなん」とぞある。あさましうめづらかなることかぎりなし。

    たゞ「給はりぬ」とてやりつ。つかひに人とひければ「をとこぎみになん」といふ

    をきくにいとむねふたがる。

    三四日ばかりありてみづからいともつれなくみえたり。なにかきたるとて見い

    れねばいとはしたなくてかへることたび

    くになりぬ。

    七月になりてすまひのころ、ふるきあたらしきと一くだりづゝひきつゝみて「こ

    れせさせ給へ」とてはあるものか。みるに目くるゝこゝちぞする。こだいの人は

    「あないとほしかしこにはえつかうまつらずこそはあらめ」、なま心あるひとなど

    さしあつまりて「すゞろはしやえせでわろからんをだにこそきかめ」などさだめ

    てかへしやりつるもしるくこゝかしこになんもてちりてするときく。かしこにも

    いとなさけなしとかやあらん廿餘日おとづれもなし。

    いかなるをりにかあらんふみぞある。「まゐりこまほしけれどつゝましうてなん

    蜻 蛉 日 記 5

  • たしかに來とあらばおづ

    くも」とあり。かへりごともすまじとおもふもこれか

    れ「いとなさけなしあまりなり」などものすれば

      ほにいでゝいはじやさらにおほよそのなびくをばなにまかせてもみむ

    たちかへり

      ほにいでばまづなびきなんはなすゝきこちてふかぜのふかむまにまに

    つかひあれば

      あらしのみふくめるやどにはなすゝきほにいでたりとかひやなからん

    などよろしういひなして又みえたり。

    せざいのはないろ

    くにさきみだれたるをみやりてふしながらかくぞいはるゝ。

    かたみにうらむるさまのことどもあるべし。

      もゝくさにみだれてみゆる花のいろはたゞしらつゆのおくにやあるらん

    とうちいひたればかくいふ

      みのあきをおもひみだるゝ花の上に内のこゝろはいへばさらなり

    などいひてれいのつれなうなりぬ。ねまちの月のやまのはいづるほどにいでむ

    とする氣色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふけしきやみえけむ「とまりぬ

    べきことあらば」などいへどさしもおぼえねば

      いかゞせん山のはにだにとゞまらでこゝろもそらにいでむ月をば

    かへし

      ひさかたのそらにこゝろのいづといへばかげはそこにもとまるべきかな

    とてとゞまりにけり。

    さて又のわきのやうなることして二日ばかりありてきたり。「ひと日の風はいか

    にともれいの人はとひてまし」といへばげにとやおもひけんことなしびに

      ことのはゝちりもやするととめおきてけふはみからもとふにやはあらぬ

    といへば

      ちりきてもとひぞしてましことのはをこちはさばかりふきしたよりに

    かくいふ

      こちといへばおほぞふなりし風にいかでつけてはとはんあたらなだてに

    まけじ心にて又

      ちらさじとをしみおきけることのはをきながらだにぞけさはとはまし

    これはさもいふべしとや人ことわりけん。

    また十月ばかりに「それはしもやんごとなきことあり」とていでんとするにし

    ぐれといふばかりにもあらずあやにくにあるになほいでんとす。あさましさにか

    くいはる。

      ことわりのをりとは見れどさよふけてかくやしぐれのふりはいづべき

    といふにしひたる人あらんやは。

    かうやうなるほどにかのめでたきところには子うみてしよりすさまじげに成り

    にたべかめれば、人にくかりし心思ひしやうは「いのちはあらせてわがおもふや

    うにおしかへしものをおもはせばや」と思ひしをさやうになりもていではてはう

    みのゝしりし子さへしぬものか。孫王のひがみたりしみこのおとしだねなりいふ

    6

  • かひなくわろきことかぎりなし。たゞこのごろのしらぬ人のもてさわぎつるにかゝ

    りてありつるをにはかにかくなりぬればいかなるこゝちかはしけむわがおもふに

    はいますこしうちまさりてなげくらんとおもふにいまぞむねはあきたる。いまぞ

    例のところにうちはらひてなどきく。されどこゝにはれいのほどにぞかよふめれ

    ばともすればこゝろづきなうのみおもふほどに、こゝなる人かたことなどするほ

    どになりてぞある。いづとてはかならず「いまこんよ」といふもきゝもたりてま

    ねびありく。

    かくて又心のとくる夜なくなげかるゝになまさかしらなどする人は「わかき御

    そらになどかくては」といふこともあれど、人はいとつれなう「われやあしき」な

    どうらもなうつみなきさまにもてないたればいかゞはすべきなどよろづに思ふこ

    とのみしげきを、いかでつぶ

    くといひしらするものにもがなと思ひみだるゝと

    きこゝろづきなきや、むねうちさわぎてものいはれずのみあり。なほかきつゞけ

    てもみせんとおもひて、

    おもへたゞ むかしもいまも わがこゝろ のどけからでや はてぬべき

     みそめしあきは ことのはの うすきいろにや うつろふと なげきのし

    たに なげかれき ふゆはくもゐに わかれゆく 人ををしむと はつしぐ

    れ くもりもあへず ふりそぼち こゝろぼそくは ありしかど きみには

    しもの わするなと いひおきつとか きゝしかば さりともとおもふ ほ

    どもなく とみにはるけき わたりにて しらくもばかり ありしかば こ

    ゝろそらにて へしほどに きりもたなびき たえにけり またふるさとに

     かりがねの かへるつらにやと おもひつゝ ふれどかひなし かくしつ

    ゝ わがみむなしき せみのはの いましも人の うすからず なみだのか

    はの はやくより かくあさましき うらゆゑに なかるゝことも たえね

    ども いかなるつみか おもからん ゆきもはなれず かくてのみ 人のう

    きせに たゞよひてつらきこゝろは みづのあわのきえばきえなんと 思へ

    ども かなしきことは みちのくの つゝじのをかの くまつゞら くるほ

    どをだに またでやは すぐせたゆべき あぶくまの あひみてだにと お

    もひつゝ なげくなみだの ころもでに かゝらぬよにも ふべきみを な

    ぞやとおもへど あふばかり かけはなれては しかすがに こひしかるべ

    き からごろも うちきて人の うらもなく なれしこゝろを 思ひては 

    うき世をされる かひもなく おもひいでなき われやせんと思ひかくおも

    ひ おもふまに やまとつもれる しきたへの まくらのちりも ひとりね

    の かずにしとらば つきぬべし なにかたえぬる たびなりと おもふも

    のから かぜふきて 一日もみえし あまぐもは かへりしときの なぐさ

    めに いまこんといひし ことのはを さもやとまつの みどりごの たえ

    ずまねぶも きくごとに 人わろくなる なみだのみ わがみをうみと た

    ゝふとも みるめもよせぬ みつのうらは かひもあらじと しりながら 

    いのちあらばと たのめこし ことばかりこそ しらなみの たちもよりこ

    ば とはまほしけれ

    とかきつけて二階の中におきたり。

    れいのほどにものしたれどそなたにもいでずなどあればゐわづらひてこのふみ

    ばかりをとりてかへりにけり。さてかれよりかくぞある。

    をりそめし ときのもみぢの さだめなく うつろふいろは さのみこそ

     あふあきごとに つねならめ なげきのしたの このはには いとゞいひ

    おく はつしもに ふかきいろにや なりにけん おもふおもひの たえも

    せず いつしかまつの みどりごを ゆきてはみむと するがなる たごの

    うらなみ たちよれど ふじのやまべの けぶりには ふすぶることの た

    えもせず あまぐもとのみ たなびけば たえぬわがみは しらいとの ま

    ひくるほどを おもはじと あまたの人の せかすれば みははしたかの 

    すゞろにて なづくるやどの なければぞ ふるすにかへる まに

    くは 

    とひくることの ありしかば ひとりふすゐの とこにして ねざめの月の

     まきのとに ひかりのこさず もりてくる かげだにみえず ありしより

     うとむ心ぞ つきそめし たれかよづまと あかしけん いかなるいろの

     おもきぞと いふはこれこそ つみならし とはあぶくまの あひもみで

     かゝらぬ人に かゝれかし なにのいはきの みならねば おもふこゝろ

    も いさめぬに うらのはまゆふ いくかさね へだてはてつる からごろ

    も なみだのかはに そぼつとも 思ひしいでば たきものゝ 籠のめばか

    りは かわきなん かひなきことは かひのくに へみのみまきに あるる

    むまを いかでか人は かけとめんと おもふものから たらちねの おや

    蜻 蛉 日 記 7

  • としるらん かたかひの こまやこひつゝ いなかせんと おもふばかりぞ

     あはれなるべき

    とか。つかひあればかくものす。

      なづくべきひともはなてばみちのくのむまやかぎりにあらんとすらん

    いかゞおもひけんたちかへり

      われがなを尾駁のこまのあればこそなづくにつかぬみともしられめ

    かへし、また

      こまうげになりまさりつゝなづけぬをこなはたえずぞたのみきにける

    又かへし

      しらかはのせきのせけばやこまうくてあまたの日をばひきわたりつる

    あさてばかりは逢阪」とぞある。時は七月五日のことなり。ながきものいみに

    さしこもりたるほどにかくありしかへりごとには

      あまのかはなぬかをちぎる心あらばほしあひばかりのかげをみよとや

    ことわりにもやおもひけんすこし心をとめたるやうにて月ごろになりゆく。

    めざましと思ひしところはいまは天下のわざをしさわぐときけば心やすし。む

    かしよりのことをばいかゞはせんたへがたくともわが宿世のおこたりにこそあめ

    れなど心をちゞにおもひなしつゝありふるほどに、少納言のとしへて四の品にな

    りぬれば殿上もおりてつかさめしにいとねぢけたるものゝ大輔などいはれぬれば、

    世中をいとうとましげにてこゝかしこかよふよりほかのありきなどもなければい

    とのどかにて二三日などあり。

    さてかのこころもゆかぬつかさのかみのみやよりかくのたまへり

      みだれいとのつかさひとつになりてしもくることのなどたえにたるらん

    御かへり

      たゆといへばいとぞかなしききみによりおなじつかさにくるかひもなく

    又たちかへり

      なつひきのいとことわりやふためみめよりありくまにほどのふるかも

    御かへり

      なゝばかりありもこそあれなつひきのいとまやはなきひとめふために

    又宮より

      きみとわれなほしらいとのいかにしてうきふしなくてたえんとぞ思ふ

    ふためみめはげにすくなくしてけりいみあればとめつ」とのたまへる御かへり

      よをふともちぎりおきてし中よりはいとどゆゝしきこともみゆらん

    ときこえらる。

    そのころ五月廿餘日ばかりより四十五日のいみたがへむとてあがたありきのと

    ころにわたりたるに、宮たゞかきをへだてたるところにわたり給ひてあるに、み

    な月ばかりかけてあめいたうふりたるにたれもふりこめられたるなるべし、こな

    たにはあやしきところなればもりぬるゝさわぎをするにかくのたまへるぞいとゞ

    ものぐるほしき。

      つれ

    く゛のながめのうちにそゝぐらんことのすぢこそをかしかりけれ

    8

  • 御かへり

      いづこにもながめのそゝぐころなればよにふる人はのどけからじを

    又のたまへり「のどけからじとか

      あめのしたさわぐころしもおほみづにたれもこひぢにぬれざらめやは

    御かへり

      よとともにかつみる人のこひぢをもほすよあらじとおもひこそやれ

    又宮より

      しかもゐぬきみぞぬるらんつねにすむところにはまだこひぢだになし

    「さもけしからぬ御さまかな」などいひつゝもろともにみる。

    雨間にれいのかよひどころにものしたる日れいの御ふみあり。「おはせずといへ

    どなほとのみ給ふ」とていれたるをみれば

      とこなつにこひしきことやなぐさみんときみがかきほにをるとしらずや

    さてもかひなければまかりぬる」とぞある。

    さて二日ばかりありて見えたれば「これさてなんありし」とて見すれば「ほど

    へにければびんなし」とてたゞ「このごろはおほせごともなきこと」ときこえられ

    たればかくのたまへる

      みづまさりうらもなぎさのころなればちどりのあとをふみはまどふか

    とこそみつれうらみ給ふがわりなきみづからとあるはまことか」と女手にかき

    給へり、をとこの手にてこそくるしけれ。

      うらがくれみることかたきあとならばしほひをまたんからきわざかな

    又宮 

     うらもなくふみやるあとをわたつうみのしほのひるまもなににかはせん

    とこそ思ひつれことざまにもはた」とあり。

    かゝるほどにはらひのほどもすぎぬらん、たなばたは明日ばかりと思ふ、忌も

    四十日ばかりになりにたり。日ごろなやましうてしはぶきなどいたうせらるるを

    ものゝけにやあらん加持もこゝろみむせばきところのわりなくあつきころなるを

    れいもものする山でらへのぼる。

    十五六日になりぬれば盆などするほどになりにけり。見ればあやしきさまにに

    なひいたゞきさま

    く゛にいそぎつゝあつまるをもろともにみてあはれがりもわら

    ひもす。さて心ちもことなることなくていみもすぎぬれば京にいでぬ。秋冬はか

    なうすぎぬ。

    としかへりてなでふこともなし。人のこゝろのことなるときはよろづおいらか

    にぞありける。このついたちよりぞ殿上ゆるされてある。みそぎの日れいの宮より

    「物みらればそのくるまにのらん」とのたまへり。御ふみのはしにかゝることあり。

      わかとしの

    れいの宮にはおはせぬなりけり。町の小路わたりかとてまゐりたれば上なんお

    はしますといひけり。まづ硯こひてかくかきていれたり。

      きみがこのまちのみなみにとみにおそきはるにはいまぞたづねまゐれる

    とてもろともにいでたまひにけり。

    そのころほひすぎてぞれいの宮にわたり給へるにまゐりたれば去年もみしに花

    おもしろかりき。すゝきむら

    くしげりていとほそやかにみえければ「これほり

    わかたせ給はゞすこし給はらむ」ときこえおきてしを、ほどへて河原へものする

    蜻 蛉 日 記 9

  • にもろともなれば「これぞかの宮かし」などいひて人をいる。「まゐらんとするに

    をりなき類のあればなん一日とり申すすゝききこえてとさぶらはん人にいへ」と

    てひきすぎぬ。はかなきはらへなればほどなうかへりたるに「宮よりすゝき」と

    いへばみればながびつといふものにうるはしうほりたてゝあをき色紙にむすびつ

    けたり。みればかくぞ

      ほにいでばみちゆく人もまねくべきやどのすゝきをほるがわりなき

    いとをかしうも、この御かへりはいかゞ、わするゝほどおもひやればかゝでも

    ありなん、されどさき

    く゛もいかゞとぞおぼえたるかし。

    春うちすぎて夏ごろ宿直がちになるこゝちするにつとめて一日ありてくれには

    まゐりなどするをあやしうとおもふにひぐらしのはつごゑきこえたり。いとあは

    れとおどろかれて

      あやしくもよるのゆくへをしらぬかなけふひぐらしのこゑはきけども

    といふにいでがたかりけんかし。

    かくてなでふことなければ人のこゝろをなほたゆみなくこりにたり。月夜のこ

    ろよからぬものがたりしてあはれなるさまのことどもかたらひてもありしころお

    もひいでられてものしければかくいはる

      くもりよの月とわがみのゆくすゑとおぼつかなさはいづれまされり

    かへりごとたはぶれのやうに

      おしはかる月はにしへぞゆくさきはわれのみこそはしるべかりけれ

    などたのもしげにみゆれどわがいへとおぼしき所はことになんあんめればいと

    おもはずにのみぞよはありける。さいはひある人のためにはとし月みし人もあま

    たの子などもたらぬをかくものはかなくておもふことのみしげし。

    さいふ

    くも女おやといふ人あるかぎりはありけるをひさしうわづらひて秋の

    はじめのころほひむなしくなりぬ。さらにせんかたなくわびしきことのよのつねの

    人にはまさりたり。あまたある中にこれはおくれじ

    くとまどはるるもしるくい

    かなるにかあらん手足などたゞすくみにすくみてたえいるやうにす。さいふ

    ものをかたらひおきなどすべき人は京にありければ山でらにてかゝるめはみれば

    をさなき子をひきよせてわづかにいふやうは「われはかなうてしぬるなめり、か

    しこにきこえんやうはおのが上をばいかにも

    くなしりたまひそ、この御のちの

    ことを人々のものせられんうへにもとぶらひものし給へときこえよ」とていかに

    せんとばかりいひてものもいはれずなりぬ。日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬ

    る人をばいまはいふかひなきものになしてこれにぞみなひとはかゝりて「まして

    いかにせんよとかうは」となくがうへに又なきまどふ人おほかり。ものはいはね

    どまだこゝろはありめはみゆるほどにいたはしと思ふべきひとよりきて「おやは

    ひとりやはある、などかくはあるぞ」とてゆをせめているればのみなどしてみな

    どなほりもてゆく。さてなほおもふもいきたるまじき心地するはこのすぎぬる人

    わづらひつる日ごろものなどもいはず、たゞいふこととてはかくものはかなくて

    ありふるをよるひるなげきにしかば「あはれいかにしたまはんずらん」としばし

    はいきのしたにもものせられしをおもひいづるにかうまでもあるなりける。人き

    ゝつけてものしたり。われはものもおぼえねばしりもしられずひとぞあひてしか

    く゛なんものしたまひつるとかたればうちなきてけがらひもいむまじきさまにあ

    りければ「いとびんなかるべし」などものしてたちながらなん、そのほどのあり

    さまはしもいとあはれに心ざしあるやうに見えけり。

    かくてとかうものすることなどいたづく人おほくてみなしはてつ。いまはいと

    あはれなる山でらにつどひてつれ

    く゛とあり。夜めもあはぬまゝになげきあかし

    つゝ山づらをみれば霧はげにふもとをこめたり。京もげにたがもとへかはいでむ

    とすらんいでなほこゝながらしなんとおもへどいくる人ぞいとつらきや。

    かくて十餘日になりぬ。僧ども念佛のひまにものがたりするをきけば「このな

    くなりぬる人のあらはにみゆる所なんある、さてちかくよればきえうせぬなり、と

    ほうてはみゆなり」「いづれのくにとかや」「みゝらくのしまとなむいふなる」な

    ど口々かたるをきくにいとしらまほしうかなしうおぼえてかくぞいはるゝ。

    10

  •   ありとだによそにてもみむなにしおはゞわれにきかせよみゝらくのしま

    といふをせうとなる人きゝてそれもなく

      いづことかおとにのみきくみゝらくのしまがくれにし人をたづねん

    かくてあるほどにたちながらものしてひとにとふめれどたゞいまはなにごゝろ

    もなきにけがらひのこゝろもとなきことおぼつかなきことなどむづかしきまでか

    きつゞけてあれどものおぼえざりしほどのことなればにやおぼえず。

    さとにもいそがねどこゝろにしまかせねばけふみないでたつ日になりぬ。來し

    ときはひざにふし給へりし人をいかでかやすらかにと思ひつゝわがみはあせにな

    りつゝさりともとおもふこゝろそひてたのもしかりき。こたみはいとやすらかに

    てあさましきまでくつろかにのられたるにもみちすがらいみじうかなし。おりて

    みるにもさらにものおぼえずかなし。もろともにいでゐつゝつくろはせしくさな

    どもわづらひしよりはじめてうちすてたりければおひこりていろ

    くにさきみだ

    れたり。わざとのことなどもみなおのがとり

    く゛すればわれはたゞつれ

    く゛と

    ながめのみして「ひとむらすゝきむしのねの」とのみぞいはるゝ。

      てふれねどはなはさかりになりにけりとゞめおきける露にかゝりて

    などぞおぼゆる。

    これかれぞ殿上などもせねばけがらひもひとつにしなしためればおのがじゝひ

    きつぼねなどしつゝあめるなかにわれのみぞまぎるゝことなくて夜は念佛のこゑ

    きゝはじむるよりやがてなきのみあかさる。四十九日のことたれもかくことなく

    ていへにてぞする。わがしる人おほかたのことをおこなひためれば人々おほくさ

    しあひたり。わが心ざしをばほとけをぞかゝせたる。その日すぎぬればみなおの

    がじゝいきあかれぬ。ましてわが心ちは心ぼそうなりまさりていとゞやるかたな

    く人はかう心ぼそげなるをおもひてありしよりはしげうかよふ。

    さて寺へものせしときとかうとりみだりしものどもつれ

    く゛なるまゝにしたゝ

    むればあけくれとりつかひし物の具なども又かきおきたるふみなどみるにたえい

    る心ちぞする。よわくなり給ひしときいむことうけ給ひし日ある大徳のけさをひ

    きかけたりしまゝにやがてけがらひにしかばものゝなかよりいまぞみつけたる。こ

    れやりてむとまだしきにおきて「この御けさ」とかきはじむるよりなみだにくら

    されて「これゆゑに

      はちすばのたまとなるらんむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな

    とかきてやりつ。又このけさのぬしのこのかみも法師にてあればいのりなども

    つけてたのもしかりつるをにはかに又かくなりぬときくにもこのはらからの心ち

    いかならんわれもいとくちをし、たのみつる人のかうのみなどおもひみだるれば

    しばしばとぶらふ。さるべきやうにありて雲林院に候ひし人なり。四十九日など

    はてゝかくいひやる

      おもひきやくものはやしをうちすてゝそらのけぶりにたゝむものとは

    などなんおのが心ちのわびしきまゝに野にも山にもかゝりける。はかなながら

    秋冬もすごしつ。

    ひとつところにはせうとひとりをばとおぼしき人ぞすむ。それをおやのごとお

    もひてあれどなほむかしをこひつゝなきあかしてあるにとしかへりて春夏もすぎ

    ぬればいまははてのことすとてこたびばかりはかのありし山でらにてぞする。あ

    りしことどもおもひいづるにいとゞいみじうあはれにかなし。導師のはじめにて

    「うつたへに秋の山べをたづねたまふにはあらざりけり、まなことぢ給ひしところ

    にて經の心とかせ給はんとにこそありけれ」とばかりいふをきくにものおぼえず

    なりてのちのことどもはおぼえずなりぬ。あるべきことどもをはりてかへる。や

    がてぶくぬぐに鈍色のものどもあふぎまではらへなどするほどに

      ふぢごろもながすなみだの川水はきしにもまさるものにぞありける

    とおぼえていみじうなかるれば人にもいはでやみぬ。

    蜻 蛉 日 記 11

  • 忌日などはてゝれいのつれ

    く゛なるにひくとはなけれど琴おしのごひてかきな

    らしなどするにいみなきほどにもなりにけるをあはれにはかなくてもなどおもふ

    ほどにあなたより

      いまはとてひきいづることのねをきけばうちかへしてもなほぞかなしき

    とあるにことなることもあらねどこれをおもへばいとどなきまさりて

      なき人はおとづれもせでことの緒をたちし月日ぞかへりきにける

    かくてあまたある中にもたのもしきものにおもふ人この夏よりとほくものしぬ

    べきことのあるをぶくはてゝとありつればこのごろいでたちなんとす。これを思

    ふに心ぼそしとおもふにもおろかなり。いまはとていでたつ日わたりてみる、裝束

    ひとくだりばかりはかなきものなど硯箱ひとよろひにいれて。いみじうさわがし

    うのゝしりみちたれどわれもゆく人もめもみあはせずたゞむかひゐてなみだをせ

    きかねつゝみな人は「など、ねむぜさせ給へいみじういむなり」などぞいふ。され

    ばくるまにのりはてんをみむはいみじからんとおもふにいへより「とくわたりね

    こゝにものしたり」とあればくるまよせさせてのるほどにゆく人は二藍の小袿な

    りとまるはたゞ薄物の赤朽葉をきたるをぬぎかへてわかれぬ。九月十餘日のほど

    なり。いへにきても「などかくまが

    くしく」ととがむるまでいみじうなかる。

    さて昨日今日は關山ばかりにぞものすらんかしとおもひやりて月のいとあはれ

    なるにながめやりてゐたればあなたにもまだおきて琴ひきなどしてかくいひたり

      ひきとむるものとはなしにあふさかのせきのくちめのねにぞそぼつる

    これもおなじおもふべき人なればなりけり。

      おもひやるあふさかやまのせきのねはきくにも袖ぞくちめづきぬる

    などおもひやるに年もかへりぬ。

    三月ばかりこゝにわたりたるほどにしもくるしがりそめていとわりなうくるし

    とおもひまどふをいといみじとみる。いふことは「ここにぞいとあらまほしきを

    なにごともせんにいとびんなかるべければかしこへものしなん、つらしとなおぼ

    しそ、にはかにもいくばくもあらぬ心ちなんするなんいとわりなき、あはれしぬ

    ともおぼしいづべきことのなきなんいとかなしかりける」とてなくをみるにもの

    おぼえずなりて又いみじうなかるれば「ななき給ひそくるしさまさる、よにいみ

    じかるべきわざは心はからぬほどにかゝるわかれせんなんありける、いかにした

    まはんずらむ、ひとりはよにおはせじな、さりともおのがいみのうちにし給ふな、

    もししなずはありともかぎりと思ふなり、ありともこちはえまゐるまじ、おのが

    さかしからんときこそいかでも

    くものしたまはめとおもへば、かくてしなばこ

    れこそは見たてまつるべきかぎりなめれ」などふしながらいみじうかたらひてな

    く。これかれある人々よびよせつゝ「こゝにはいかにおもひきこえたりとか見る、

    かくてしなば又對面せでややみなんとおもふこそいみじけれ」といへばみななき

    ぬ。みづからはましてものだにいはれずたゞなきにのみなく。かゝるほどに心ち

    いとおもくなりまさりてくるまさしよせてのらんとてかきおこされて人々にかゝ

    りてものす。うちみおこせてつく

    く゛とうちまもりていといみじとおもひたり。

    とまるはさらにもいはず。このせうとなる人なん「なにかかくまが

    くしうさら

    になでふことかおはしまさんはやたてまつりなん」とてやがてのりてかゝへても

    のしぬ。思ひやる心ちいふかたなし。日に二度三度ふみをやる。人にくしと思ふ

    人もあらんとおもへどもいかゞはせん。かへりごとはかしこなるおとなしき人し

    てかゝせてあり。「みづからきこえぬがわりなきこととのみなんきこえ給ふ」など

    ぞある。ありしよりもいたうわづらひまさるときけばいひしごとみづからみるべ

    うもあらず、いかにせんなど思ひなげきて十餘日にもなりぬ。

    讀經修法などしていささかおこたりたるやうなれば夕のことみづからかへりご

    とす。「いとあやしうおこたるともなくて日をふるにいとまどはれしことはなけれ

    ばにやあらんおぼつかなきこと」などひとまにこま

    く゛とかきてあり。「ものお

    ぼえにたればあらはになどもあるべうもあらぬを夜のまにわたれ、かくてのみ日

    をふれば」などあるを人はいかゞ思ふべきなどおもへどわれもまたいとおぼつか

    なきにたちかへりおなじことのみあるをいかゞはせんとて「くるまを給へ」といひ

    たればさしはなれたる廊のかたにいとようとりなししつらひてはしにまちふした

    12

  • りけり。火ともしたるにいけさせておりたればいとくらうていらんかたもしらね

    ば「あやしこゝにぞある」とて手をとりてみちびく。「などかうひさしうはありつ

    る」とて日ごろありつるやうくづしかたらひてとばかりあるに「火ともしつけよ

    いとくらしさらにうしろめたくはなおぼしそ」とて屏風のうしろにほのかにとも

    したり。「まだ魚などもくはず、今宵なんおはせばもろともにとてある、いづら」

    などいひてものまゐらせたり。すこしくひなどして、禪師たちありければ夜うち

    ふけて護身にとてものしたれば「いまはうちやすみ給へ日ごろよりはすこしやす

    まりたり」といへば、大徳「しかおはしますなり」とてたちぬ。

    さてよはあけぬるを人などめせといへば「なにかまだいとくらからんしばし」と

    てあるほどにあかうなれば男どもよびて蔀あげさせてみつ。「み給へくさどもはい

    かがうゑたる」とてみいだしたるに「いとかたはなるほどになりぬ」などいそげば

    「なにかいまは粥などまゐりて」とあるほどにひるになりぬ。さて「いざもろとも

    にかへりなんまたばものしかるべし」などあれば「かくまゐりきたるをだに人い

    かにとおもふに御むかへなりけりとみばいとうたてものしからん」といへば「さ

    らば男どもくるまよせよ」とてよせたればのるところにもかつ

    く゛とあゆみいで

    たればいとあはれとみる

    く「いつか御ありきは」などいふほどになみだうきに

    けり。「いと心もとなければあすあさてのほどばかりにはまゐりなん」とていとさ

    く゛しげなるけしきなり。すこしひきいでゝ牛かくるほどにみとほせばありつ

    るところにかへりてみおこせてつく

    く゛とあるをみつゝひきいづれば心にもあら

    でかへりみのみぞせらるゝかし。さてひるつかたふみあり。なにくれとかきて

      かぎりかとおもひつゝこしほどよりもなかなかなるはわびしかりけり

    かへりごと「なほいとくるしげにおぼしたりつればいまもいとおぼつかなくな

    んなか

    くに

      われもさぞのどけきとこのうらならでかへるなみぢはあやしかりけり

    さてなほくるしげなれど念じて二三日のほどに見えたり。やう

    くれいのや

    うになりもてゆけばれいのほどにかよふ。

    このごろは四月、まつりみにいでたればかのところにもいでたりけり。さなめ

    りとみてむかひにたちぬ。まつほどのさう

    く゛しければたちばなのみなどあるに

    あふひをかけて

      あふひとかきけどもよそにたちばなの

    といひやる。やゝひさしうありて

      きみがつらさをけふこそはみれ

    とぞある。「にくかるべきものにては年へぬるをなどげにとのみいひたらん」とい

    ふひともあり。かへりてさありしなどかたれば「くひつぶしつべき心ちこそすれ

    とやいはざりし」とていとをかしとおもひけり。

    ことしはせちきこしめすべしとていみじうさわぐ。いかでみむとおもふにとこ

    ろぞなき。「みむとおもはゞ」とあるをきゝはさめて「すぐろくうたん」といへば

    「よかなりものみつぐのひに」とてめうちぬ。よろこびてさるべきさまのことども

    しつゝ宵のましづまりたるにすゞりひきよせて手ならひに

      あやめぐさおひにしかずをかぞへつゝひくや五月のせちにまたるる

    とてさしやりたればうちわらひて

      かくれぬにおふるかずをばたれかしるあやめしらずもまたるなるかな

    といひてみせんのこゝろありければ宮の御さじきのひとつゞきにて二間ありけ

    るをわけてめでたうしつらひてみせつ。

    かくて人にくからぬさまにて十といひてひとつふたつの年はあまりにけり。さ

    れどあけくれ世中の人のやうならぬをなげきつゝつきせずすぐすなりけり。それ

    もことわりみのあるやうは夜とても人のみえおこたるときは人ずくなに心ぼそう、

    いまはひとりをたのむたのもし人はこの十餘年のほどあがたありきにのみあり、た

    蜻 蛉 日 記 13

  • まさかに京なるほども四五條のほどなりければわれは左近の馬場をかたきしにし

    たればいとはるかなり。かゝるところもとりつくろひかゝはる人もなければいと

    あしくのみなりゆく。これをつれなくいでいりするはことに心ぼそう思ふらんな

    どふかうおもひよらぬなめりなど千種におもひみだる。ことしげしといふは何か

    このあれたるやどのよもぎよりもしげげなりとおもひながむるに八月ばかりにな

    りにけり。

    心のどかにくらす日はかなきこといひ

    くのはてにわれも人もあしういひなり

    てうち怨じていづるになりぬ。はしのかたにあゆみいでゝをさなき人をよびいで

    ゝ「われはいまはこじとす」といひおきていでにける。すなはちはひいりておどろ

    くしうなく。「こはなぞ

    く」といへどいらへもせで。論なうさやうにぞあら

    んとおしはからるれど人のきかむもうたてものぐるほしければとひさしてとかう

    こしらへてあるに五六日ばかりになりぬるにおともせず。例ならぬほどになりぬ

    れば、あなものぐるほしたはぶれごととこそわれはおもひしか、はかなきなかな

    ればかくてやむやうもありなんかしとおもへば心ぼそうてながむるほどにいでし

    日つかひしゆするつきのみづはさながらありけり。うへにちりゐてあり。かくま

    でとあさましう

      たえぬるかかげだにあらばとふべきをかたみのみづはみくさゐにけり

    などおもひし日しも見えたり。例のごとにてやみにけり。かやうにむねつぶ

    らはしきをりのみあるがよに心ゆるびなきなんわびしかりける。

    九月になりて、世の中をかしからんものへまうでせばやかうものはかなきみの

    うへも申さむなどさだめていとしのびてあるところにものしたり。一はさみのみ

    てぐらにかうかきつけたりけり。まづしものみやしろに

      いちしるき山ぐちならばこゝながら神のけしきをみせよとぞおもふ

    中のに

      いなりやまおほくのとしぞこえにけるいのるしるしのすぎをたのみて

    はてのに

      神がみとのぼりくだりはわぶれどもまださかゆかぬこゝちこそすれ

    またおなじつごもりにあるところにおなじやうにてまうでけり。二はさみづゝ

    しものに

      かみやせくしもにやみくづつもるらん思ふこゝろのゆかぬみたらし

    又  さかきばのときはかきはにゆふしでやかたくるしなるめなみせそ神

    またかみのに

      いつしかも

    くとぞまちわたるもりのこまよりひかりみむまを

    また 

     ゆふだすきむすぼゝれつゝなげくことたえなばかみのしるしとおもはん

    などなんかみのきかぬところにきこえごちける。

    秋はてゝ冬はついたちつごもりとてあしきもよきもさわぐめるものなればひと

    りねのやうにてすぐしつ。

    三月つごもりがたにかりのこのみゆるを「これを十づゝかさぬるわざをいかで

    せん」とて手まさぐりに生絹のいとをながうむすびてひとつむすびてはゆひ

    してひきたてたればいとようかさなりたり。「なほあるよりは」とて九條殿女御殿

    御方にたてまつる。うのはなにぞつけたる。なにごともなくたゞれいの御ふみに

    てはしに「この十かさなりたるはかうてもはべりぬべかりけり」とのみきこえた

    る御かへり、

    14

  •   かずしらずおもふ心にくらぶればとをかさぬるもものとやは見る

    とあれば御かへり

      おもふほどしらではかひやあらざらんかへすがへすもかずをこそみめ

    それより五の宮になんたてまつれ給ふときく。

    五月にもなりぬ。十餘日にうちの御くすりのことありてのゝしる。ほどもなく

    て廿餘日のほどにかくれさせ給ひぬ。東宮すなはちかはりゐさせ給ふ。東宮の亮

    といひつる人は藏人の頭などいひてのゝしればかなしびはおほかたのことにて御

    よろこびといふことのみきこゆ。あひこたへなどしてすこし人心ちすれどわたく

    しのこゝろはなほおなじごとあれどひきかへたるやうにさわがしくなどあり。み

    ささぎやなにやときくにときめきたまへる人々いかにと思ひやりきこゆるにあは

    れなり。やうやう日ごろになりて貞觀殿御方にいかになどきこえけるついでに

      世中をはかなき物とみささぎのうもるゝやまになげくらんやそ

    御かへりごといとかなしげにて

      おくれじとうきみささぎに思ひいる心はしでの山にやあるらん

    御四十九日はてゝ七月になりぬ。うへに候ひし兵衞の佐まだ年もわかく思ふ事

    ありげもなきに親をも妻をもうちすてゝ山にはひのぼりて法師になりにけり。あ

    ないみじとのゝしりあはれといふほどに女はまた尼になりぬときく。さき

    く゛な

    どもふみかよはしなどする中にていとあはれにあさましき事をとぶらふ。

      おくやまの思ひやりだにかなしきにまたあまぐものかゝるなりけり

    手はさながらかへりごとしたり。

      山ふかくいりにし人もたづぬれどなほあまぐものよそにこそなれ

    とあるもいとかなし。

    かゝるよに中將にや三位にやなどよろこびをしきりたる人はところ

    く゛なる。

    「いとさわがしければあしきをちかうさりぬべきところいできたり」とてわたして

    乘物なきほどにはひわたるほどなれば人はおもふやうなりと思ふべかめり。しも

    月なかのほどなり。しはすつごもりがたに貞觀殿の御かたこの西なるかたにまか

    で給へり。

    つごもりの日になりてなまといふ物心みるをまだひるよりごほ

    くはたはたと

    するぞひとりゑみせられてあるほどにあけぬればひるつかたまらうどの御かた男

    なんどたちまじらねばのどけし。我ものゝしるをば隣にきゝて「またるるものは」

    なんどうちわらひてあるほどにあるもの手まさぐりにかいぐりをあみたてゝ二つ

    にして木をつくりたる男のかたあしにこひつきたるにになはせてもていでたるを

    とりよせてありし色紙のはしを脛におしつけてそれにかきつけてあの御かたにた

    てまつる。

      かたこひやくるしかるらん山がつのあふごなしとはみえぬものから

    ときこえたれば海松のひきほしのみじかくちぎりたるをゆひあつめて木のさき

    にになひかへさせてほそかりつるかたのあしにもことのこひをもけづりつけても

    とのよりもおほきにてかへしたまへり。みれば

      やまがつのあふごまちいでゝくらぶればこひまさりけるかたもありけり

    日たくれば節供まゐりなどすめる。こなたにもさやうになどして十五日にもれ

    いのごとしてすぐしつ。

    三月にもなりぬ。まらうどの御かたにとおぼしかりけるふみをもてたがへたり。

    みれば「なほしもあらでちかきほどにまゐらんとおもへどわれならでとおもふ人

    やはべらんとて」などかいたり。としごろみ給ひなれにたればかうもあるなめり

    とおもふに猶もあらでいとちひさくかいつく。

    蜻 蛉 日 記 15

  •   まつ山のさしこえてしもあらじよをわれによそへてさわぐなみかな

    とて「あの御かたにもてまゐれ」とてかへしつ。みたまひてければすなはち

    御かへりあり。

      まつしまの風にしたがふなみなればよるかたにこそたちまさりけれ

    この御かた東宮の御親のごとして候ひ給へばまゐり給ひぬべし。「かうてや」な

    どたびたびしば

    くの給へば宵のほどにまゐりたり。ときしもこそあれあなたに

    人のこゑすれば「そゝ」などの給ふにきゝもいれねば「よひまどひし給ふやうにき

    こゆる論なうむづかられ給はばや」との給へば「めのとなくとも」とてしぶ

    なるにものあゆみきてきこえたてばのどかならでかへりぬ。

    又の日のくれにまゐり給ひぬ。

    五月に帝の御服ぬぎにまかでたまふにさきのごとこなたになどあるをゆめにも

    のしくみえしなどいひてあなたにまかでたまへり。さてしばしばゆめのさとしあ

    りければちがふるわざもがなとて七月つきのいとあかきにかくの給へり。

      みしゆめをちがへわびぬるあきのよぞねがたきものと思ひしりぬる

    御かへり

      さもこそはちがふるゆめはかたからめあはでほどふるみさへうきかな

    たちかへり

      あふとみしゆめになか

    くくらされてなごりこひしくさめぬなりけり

    との給へれば又

      ことたゆるうつゝやなにぞなか

    くにゆめはかよひぢありといふものを

    又「ことたゆるはなにごとぞあなまが

    くし」とて

      かはとみてゆかぬこゝろをながむればいとゞゆゝしくいひやはつべき

    とある御かへり

      わたらねばをちかた人になれるみを心ばかりはふちせやはわく

    となん夜一夜いひける。

    かくてとしごろ願あるをいかで初瀬にとおもひたつを、たゝむ月にとおもふを

    さすがにこゝろにしまかせねばからうじて九月におもひたつ。「たゝむ月には大嘗

    會の御禊これより女御代いでたゝるべし、これすぐしてもろともにやは」とあれ

    どわがかたのことにしあらねばしのびておもひたちて日あしければかどでばかり

    法性寺のへにしてあかつきよりいでたちて午どきばかりに宇治の院にいたり着く。

    みやれば木のまよりみづのおもてつやゝかにていとあはれなる心ちす。しのび

    やかにと思ひて人あまたもなうていでたちたるもわがこゝろのおこたりにはあれ

    どわれならぬ人なりせばいかにのゝしりてとおぼゆ。くるまさしまはして幕など

    ひきてしりなる人ばかりをおろして川にむかへてすだれまきあげてみれば網代ど

    もしわたしたり。ゆきかふふねどもあまた見ざりしことなればすべてあはれにを

    かし。

    しりのかたをみれば來こうじたる下衆どもあやしげなる柚や梨やなどをなつか

    しげにもたりてくひなどするもあはれにみゆ。わりごなどものしてふねにくるま

    かきすゑていきもていけば贄野池泉川などいひつゝとりどもゐなどしたるも心に

    しみてあはれにをかしうおぼゆ。かいしのびやかなればよろづにつけてなみだも

    ろくおぼゆ。

    そのいづみがはもわたりて橋寺といふところにとまりぬ。酉のときばかりにお

    りてやすみたればはたご所とおぼしきかたより切り大根物のしるしてあへしらひ

    てまづいだしたり。かゝるたびだちたるわざどもをしたりしこそあやしうわすれ

    がたうをかしかりしか。

    あくれば川わたりていくに柴垣しわたしてあるいへどもをみるにいづれならん

    16

  • よものがたりのいへなどおもひいくにいとぞあはれなる。今日も寺めくところに

    とまりて又の日はつばいちといふところにとまる。

    又の日霜のいとしろきにまうでもしかへりもするなめり。脛を布のはししてひ

    きめぐらかしたるものどもありきちがひさわぐめり。しとみさしあげたるところ

    に宿りて湯わかしなどするほどに見ればさまざまなる人のいきちがふ、おのがじ

    ゝはおもふことこそはあらめとみゆ。とばかりあればふみさゝげてくるものあり、

    そこにとまりて御ふみといふめり。みれば「きのふけふのほどなにごとかいとお

    ぼつかなくなん、人ずくなにてものしにし、いかゞいひしやうに三夜さぶらはん

    ずるか、かへるべからん日きゝてむかへにだに」とぞある。かへりごとには「つ

    ばいちといふところまではたひらかになん、かゝるついでにこれよりもふかくと

    思へばかへらん日をえこそきこえさだめね」とかきつ。「そこにて猶三日候ひ給ふ

    こといとびんなし」などさだむるをつかひきゝてかへりぬ。

    それよりたちていきもていけば、なでふことなきみちも山ふかき心ちすればい

    とあはれにみづのこゑもれいにすぎ、きりはさしもたちわたり木の葉はいろ

    に見えたり。みづはいしがちなるなかよりわきかへりゆく。夕日のさしたるさま

    などをみるになみだもとゞまらず。みちはことにをかしくもあらざりつ、もみぢ

    もまだし、はなもみなうせにたり、かれたるすゝきばかりぞみえつる。こゝはい

    とこゝろことにみゆればすだれまきあげてしたすだれおしはさみて見れば着なや

    したるものゝいろもあらぬやうにみゆ。うすいろなるものの裳をひきかくれば腰

    などちりゐてこがれたるくちばにあひたる心ちもいとをかしうおぼゆ。かたゐど

    もの坏鍋などすゑてをるもいとかなし。下衆ぢかなる心ちしていりおとりしてぞ

    おぼゆる。ねぶりもせられずいそがしからねばつく

    く゛ときけば、目もみえぬも

    のゝいみじげにしもあらぬが、おもひけることどもを人やきくらんともおもはず

    のゝしり申すをきくもあはれにてたゞなみだのみぞこぼるゝ。かくていましばし

    もあらばやとおもへどあくればのゝしりていだしたつ。

    かへさはしのぶれどこゝかしこあるじしつゝとゞむればものさわがしうてすぎ

    ゆく。三日といふに京につきぬべけれどいたうくれぬとて山城のくに久世のみや

    けといふところにとまりぬ。いみじうむづかしけれど夜にいりぬればたゞあくる

    をまつ。

    まだくらきよりいけばくろみたるもののりてぞおひてはしらせて來。やゝとほ

    くよりおりてついひざまづきたり。みればずゐじんなりけり。「なにぞ」とこれか

    れとへば「きのふの酉のときばかりに宇治の院におはしましつきて、かへらせ給ひ

    ぬやとまゐれとおほせごとはべりつればなん」といふ。さきなる男ども「とううな

    がせや」などおこなふ。宇治の川によるほどきりは來しかた見えずたちわたりて

    いとおぼつかなし。くるまかきおろしてこちたくとかくするほどに人聲おほくて

    「御くるまおろしたてよ」とのゝしる。きりのしたよりれいのあじろもみえたり。

    いふかたなくをかし。みづからはあなたにあるなるべし。まづかくかきてわたす

      人ごゝろうぢのあじろにたまさかによるひをだにもたづねけるかな

    ふねのきしにきよするほどにかへし

      かへるひを心のうちにかぞへつゝたれによりてかあじろをもとふ

    みるほどにくるまかきすゑてのゝしりてさしわたす。いとやんごとなきにはあ

    らねどいやしからぬいへの子ども何のぞうの君などいふものども轅鴟の尾のなか

    にいりこみて日のあしのわづかにみえてきりところ

    く゛にはれゆく。あなたのき

    しにいへの子衞府のすけなどかいつれてみおこせたり。なかにたてる人もたびだ

    ちて狩衣なり。きしのいとたかきところにふねをよせてわりなうたゞあげににな

    ひあぐ。轅を板敷にひきかけてたてたり。

    としみのまうけありければとかうものするほど川のあなたには按察使の大納言

    の領じ給ふところありける。「このごろのあじろ御らんずとてこゝになんものした

    まふ」といふ人あれば「かうてありときゝ給へらんをまうでこそすべかりけれ」な

    どさだむるほどに、もみぢのいとをかしきえだに雉氷魚などをつけて「かうものし

    給ふときゝてもろともにとおもふもあやしうものなき日にこそあれ」とあり。御

    かへり「こゝにおはしましけるをたゞいまさぶらひかしこまりは」などゝいひて

    ひとへぎぬぬぎてかづく。さながらさしわたりぬめり。また鯉鱸などしきりにあ

    めり。あるすきものどもゑひあつまりて「いみじかりつるものかな、御くるまの

    蜻 蛉 日 記 17

  • つきのわのほどの日にあたりてみえつるは」ともいふめり。くるまのしりのかた

    に花もみぢなどやさしたりけん、いへの子とおぼしき人「ちかうはなさきみなる

    までなりにける日ごろよ」といふなれば、しりなる人もとかくいらへなどするほ

    どにあなたへふねにてみなさしわたる。「論なうゑはむものぞ」とてみなさけのむ

    ものどもをえりてゐてわたる。川のかたにくるまむかへ榻たてさせて二舟にてこ

    ぎわたる。さてゑひまどひうたひかへるまゝに御くるまかけよ

    くとのゝしれば

    こうじていとわびしきにいとくるしうてきぬ。

    あくれば御禊のいそぎちかくなりぬ。「こゝにし給ふべきことそれ

    く」とあ

    れば「いかゞは」とてしさわぐ。儀式のくるまにてひきつゞきたり。下仕手振な

    どがぐしいけばいろふしにいでたらん心ちしていまめかし。月たちて大嘗會の毛

    見やとしさわぎわれも物見のいそぎなどしつるほどに、つごもりにまたいそぎな

    どすめり。

    かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬみをしなげゝばこゑあらたまるもよろ

    こぼしからず猶ものはかなきをおもへばあるかなきかの心ちするかげろふのにき

    といふべし。

    蜻蛉日記 

    かくはかなながらとしたちかへるあしたにはなりにけり。としごろあやしくよ

    の人のすることいみなどもせぬところなればやかうはあらんと心おきてゐざりい

    づるまゝに「いづらこゝに人々ことしだにいかでこといみなどしてよの中こゝろ

    みん」といふをきゝてはらからとおぼしき人まだふしながらものきこゆ。「あめつ

    ちをふくろにぬひて」と誦ずるにいとをかしくなりて「さらにみには三十日三十

    夜は我がもとにといはむ」といへば、まへなる人々わらひて「いとおもふやうな

    ることにも侍るかな、おなじくはこれをかゝせたまひて殿にやはたてまつらせ給

    はぬ」といふにふしたりつる人もおきて「いとよきことなりてん、けのゑはうに

    もまさらん」などわらふ

    くいへばさながらかきてちひさき人してたてまつれた

    れば、このごろときのよの中人にて人はいみじくおほくまゐりこみたり。うちへ

    もとくとてさわがしげなりけれどかくぞある。ことしはさ月二つあればなるべし。

      年ごとにあまれるこひか君がためうるふ月をばおくにやあるらん

    とあればいはひそしつと思ふ。

    またの日こなたあなた下衆のなかよりこといできていみじきことどもあるを人

    はこなたざまにこゝろよせていとほしげなるけしきにあれど、我はすべてちかき

    がすることなりくやしくなどおもふほどに、いへうつりとかせらるゝことありて

    我はすこしはなれたる所にわたりぬればわざときら

    くしくて日まぜなどにうち

    かよひたれば、はかなきうちにはなほかくてぞあるべかりける、我にしきをきて

    とこそいへふるさと人もかへりなんとおもふ。

    三月三日節供など物したるを人なくてさうざうしとてこゝの人々かしこのさぶ

    らひにかうかきてやるめり、たはぶれに

      もゝの花すきものどもを西わうがそのわたりまでたづねにぞやる

    すなはちかいつれてきたり。おろしいだしさけのみなどしてくらしつ。

    なかの十日のほどにこの人々かたわきて小弓のことせんとす。かたみにいてい

    るとぞしさわぐ。しりへのかたのかぎりこゝにあつまりてなす日女房にかけ物こ

    ひたればさるべき物やたちまちにおぼえざりけむわびざれに青きかみをやなぎの

    えだにむすびつけたり。

      山風のまづこそふけばこの春のやなぎのいとはしりへにぞよる

    かへし口々したれどわするゝほどおしはからなむ。ひとつはかくぞある。

      かず

    くにきみかたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる

    18

  • つごもりがたにせんとさだむるほどに、よの中にいかなるとがまさりたりけ

    む、てんけの人々ながるゝとのゝしることいできてまぎれにけり。

    廿五六日のほどに西の宮の左大臣ながされたまふ。みたてまつらんとて天の下

    ゆすりて西の宮へ人はしりまどふ。いといみじきことかなときくほどに人にもみ

    え給はでにげいでたまひにけり。あたごになんときゝしほどになどゆすりてつひ

    にたづねいでゝながしたてまつるときくにあいなしとおもふまでいみじうかなし

    く、心もとなきみだに、かくおもひしりたる人は袖をぬらさぬといふたぐひなし。

    あまたの御こどももあやしきくに

    く゛のぞうになりつゝゆくへもしらずちりぢり

    わかれたまふ、あるは御ぐしおろしなどすべていへばおろかにいみじ。大臣も法

    師になりたまひにけれどしひて帥になしたてまつりておひくだしたてまつる。そ

    のころほひただこのことにてすぎぬ。みのうへをのみするにきにはいるまじきこ

    となれどかなしとおもひいりしもたれならねばしるしおくなり。

    そのまへのさみだれの廿餘日のほどものいみもありながき精進もはじめたる人

    山でらにこもれり。「あめいたくふりてながむるにいとあやしく心ぼそきところに

    なん」などもあるべし。かへりごとに

      ときしもあれかくさみだれのおとまさりをちかた人のひをもこそふれ

    と物したるかへし

      ましみづのましてほどふる物ならばおなじぬまにぞおりもたちなむ

    といふほどにうるふさ月にもなりぬ。

    つごもりよりなにごとにかあらんそこはかとなくいとくるしけれどさはれとの

    みおもふ。いのちをしむと人に見えずもありにしがなとのみ念ずれどみきく人た

    ゞならで芥子やきのやうなるわざすれどなほしるしなくてほどふるに人はかくき

    よまはるほどとてれいのやうにもかよはず。あたらしきところつくるとてかよふ

    たよりにぞたちながらなどものしていかにぞなどもある。こゝちよわくおぼゆる

    におしかこみてかなしくおぼゆるゆふぐれにれいの所よりかへるとて蓮のみひと

    もとをひとしていれたり。「くらくなりぬればまゐらぬなり、これかしこのなりみ

    給へ」となんいふ。かへりごとには「たゞいきていけらぬときこえよ」といはせ

    ておもひふしたれば、あはれ、げにいとをかしかなるところをいのちもしらず人

    のこゝろもしらねばいつしかみせんとありしもさもあらばもやみなんかしとおも

    ふもあはれなり。

      花にさきみになりかはるよをすてゝうきはの露と我ぞけぬべき

    などおもふまで日をへておなじやうなれば心ぼそし。よからずはとのみおもふ

    みなればつゆばかりをしとにはあらぬをたゞこのひとりある人いかにせんとばか

    りおもひつゞくるにぞなみだせきあへぬ。

    なほあやしく例のこゝちにたがひておぼゆるけしきもみゆべければやむごとな

    き僧などよびおこせなどしつゝ心みるにさらにいかにもあらねば、かうしつゝし

    にもこそすれ、にはかにてはおぼしきこともいはれぬ物にこそあなれ、かくては

    てなばいとくちをしかるべし、あるほどにだにあらばおもひあらむにしたがひて

    もかたらひつべきをと思ひて脇息におしかゝりてかきけることは、

    いのちなかるべしとのみのたまへみはてたてまつりてむとのみおもひつゝ

    ありつるをこゝらよもやなりぬらん、あやしくこゝろぼそき心ちのすればな

    ん、つねにきこゆるやうによにひさしきことのいとおもはずなればちりばか

    りをしきにはあらでたゞこのをさなき人のうへなんいみじくおぼえ侍るもの

    は、ありけるたはぶれにも御けしきの物しきをばいとわびしと思ひてはんべ

    めるをいとおほきなることなくて侍らんきはは御けしきなど見せ給ふな、い

    とつみふかき身にはべらば

      風だにも思はぬかたによせざらばこのよのことはかのよにもみむ

    はべらざらんよにさへうと

    くしくもてなし給ふ人あらばつらくなんおぼ

    ゆべき、としごろ御らんじはつまじくおぼえながらかはりもはてざりける御

    こゝろをみたまふればそれいとよくかへりみさせ給へ、ゆづりおきてなど思

    蜻 蛉 日 記 19

  • ひたまへつるもしるくかくなりぬべかめればいとながくなんおもひきこゆる、

    人にもいはぬことのをかしうなどきこえつるもわすれずやあらんとすらん、を

    りしもあれ對面にきこゆべきほどにもあらざりければ

      露しげきみちとかいとゞしでの山かつがつぬるる袖いかにせん

    とかきてはしに「あとには問などもちりのことをなむあやまたざなる才よくなら

    へとなんきこえおきたるとのたまはせよ」とかきて封じてうへに「いみなどはて

    なんにごらんぜさすべし」とかきてかたはらなる唐櫃にゐざりよりていれつ。み

    る人あやしと思ふべけれどひさしくしならばかくだにものせざらんことのいとむ

    ねいたかるべければなむ。

    かくてなほおなじやうなればまつりはらへなどいふわざこと

    く゛しうはあらで

    やう

    くなどしつゝ水無月のつごもりがたにいさゝか物おぼゆる心ちなどするほ

    どにきけば、帥殿のきたのかたあまになり給ひにけりときくにもいとあはれに思

    うたてまつる。西の宮はながされたまひて三日といふにかきはらひやけにしかば

    きたのかた我が御殿桃園なるにわたりていみじげにながめ給ふときくにもいみじ

    うかなしく、我がこゝちのさわやかにもならねばつくづくとふして思ひあつむる

    ことぞあいなきまでおほかるをかきいだしたればいと見ぐるしけれど

    あはれいまは かくいふかひも なけれども おもひしことは はるのす

    ゑ 花なんちると さわぎしを あはれあはれと きゝしまに ふじのみや

    まの うぐひすは かぎりのこゑを ふりたてゝ きみがむかしの あたご

    やま さしていりぬと きゝしかど 人ごとしげく ありしかば みちなき

    ことゝ なげきわび たにがくれなる やまみづの つひにながると さわ

    ぐまに よを卯月にも なりしかば 山ほとゝぎす たちかはり きみをし

    のぶの こゑたえず いづれのさとか なかざりし ましてながめの さみ

    だれは うきよの中に ふるかぎり たれがたもとか たゞならん たえず

    ぞうるふ さ月さへ かさねたりつる ころもでは うへしたわかず くた

    してき ましてこひぢに おりたてる あまたのたごは おのがよゝ いか

    ばかりかは そぼちけむ よつにわかるゝ むらどりの おのがちり

    く゛ 

    すばなれて わづかにとまる すもりにも なにかはかひの あるべきと 

    くだけてものを おもふらん いへばさらなり こゝのへの うちをのみこ

    そ ならしけめ おなじかずとや こゝのくに しまふたつをば ながむら

    ん かつはゆめかと いひながら あふべきごなく なりぬとや きみもな

    げきを こりつみて しほやくあまと なりぬらん ふねをながして いか

    ばかり うらさびしかる よの中を ながめよるらん ゆきかへり かりの

    わかれに あらばこそ きみがとこよも あれざらめ ちりのみおくは む

    なしくて まくらのゆくへも しらじかし いまはなみだも みな月の こ

    かげに