嚥下障害患者に対する薬剤投与の工夫 ·...

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PTM 5 ( 3 ) NOV., 2010 ■ はじめに 嚥下障害はさまざまな疾患に伴って生じる症候群であ り,高齢になるほどその頻度は増加している。重度の嚥下 障害患者には薬剤の経管投与が用いられているが,中等度 から軽度の嚥下障害では薬剤の内服法にさまざまな工夫 が行われている。ここでは増粘剤を用いて「トロミ」を つけることで服薬性を向上させる工夫を中心に紹介する。 ■ 嚥下障害を疑う兆候とは 脳卒中をはじめ,加齢に伴って頻度が高くなるさまざ まな疾患が嚥下機能の低下をもたらしていると考えられ ており,国内における65歳以上の一般市民の13.8%に 嚥下障害がみられたという報告もある 1) 嚥下障害に対する問診のポイントとしては図1 のよ うな兆候を見逃さないことが重要と考えられるが,高齢 者の場合「むせる」「咳き込む」といった典型的な誤嚥 の症状がない「むせない誤嚥」があるということに注意 する必要がある。つまり,患者本人でさえ誤嚥している という自覚がなく,さらに高齢者では発熱や咳などの感 染症を疑うような臨床症状も現れにくいことから,水面 下で肺炎が進行し気付いたときには重症化しているとい うことも少なくない。 ■ 嚥下障害と経口薬 嚥下障害があるからといってすべてを点滴治療にする ということは現実にはあり得ない。嚥下障害患者に経口 薬を服薬させるために医療現場ではさまざまな工夫が行 われている。しかしながら,その工夫も一つ間違うと思 わぬ弊害を招くこともあるため注意が必要である。例え ば,少し大きめの錠剤を服薬させる場合,薬剤を粉砕し て投与することもしばしば行われるが,その結果,強い 苦みが出てかえって飲みにくかったり,体内動態の変化 などによって副作用が増加する恐れがある。最近では口 腔内崩壊錠の開発が進み,錠剤の服薬性は大きく改善し てきているが 2) ,現在ではゼリーやプリン,トロミ水な ど嚥下しやすい食材と一緒に内服させることでその服薬 性を向上させるという工夫が一般的である 3) 。また,一 方,液状の薬剤の場合,特に水でむせてしまうという患 者が多いため,市販されている増粘剤で「トロミ」をつ け,服薬性を向上させるという方法が用いられる。そこ で,今回, 1 回の服薬で主な感染症を治療できるという アジスロマイシン水和物高用量単回投与製剤:成人用ド ライシロップ 2g(以下,AZM-SR)に,何種類かの増 粘剤を使用して粘度について検討した。 ■ AZM-SRと増粘剤の組み合わせ AZM-SR は, 1 回の服薬で急性呼吸器感染症をはじめ とした感染症を治療できることから,嚥下障害を有する 患者にとっては非常に好都合な薬剤の一つといえる。し かしながら,ドライシロップであるがためにむせて吐き 出したり,口腔外にこぼしたりと服薬性に問題があるが, これは増粘剤を用いることで服薬性の向上が可能であ る。 われわれが行ったAZM-SRと増粘剤の組み合わせ結 果を図2 に示す。粘度は約2,000~3,000mPa・s(ポター ジュ~ヨーグルト状)で嚥下しやすい。グラフを見ると 約 3~4 分でつるりんこQuickly ® ,ソフティア 1SOL ® トロミクリア ® が適切な粘度になることが分かる。 もちろんここで挙げた以外の増粘剤でも駄目というわ けではない。患者の嚥下機能をみながら適度な粘度を調 整して内服させることが肝要である。 ■ 経鼻経管や胃瘻などから投与する場合 近年,胃食道逆流を予防する方法として経管半固形化 栄養投与法が行われている 4) 。内径が細いチューブを使用 している場合には粘度が高いとチューブを通過しない可能 性がある。この場合は,チューブを通す間は液状で,胃液 内でトロミが発現,維持できているような工夫が考案さ れている 5, 6 ) 図3 にAZM-SRについてわれわれが検討し た結果を示す。チューブを通過する粘度は 2, 000 mPa・s 嚥下障害患者に対する薬剤投与の工夫 Tips of Administrating Medicine to Dysphagia Patients 浜松市リハビリテーション病院 病院長  藤島 一郎 食欲の低下 食事中の 疲労感 咽頭違和感 食物残留感 声の変化 むせる 咳が出る 痰の量と 性状 食事内容 好みの変化 食事時間 食べ方の変化 やせ 体重の 変化 図 1 嚥下障害を疑う問診のポイント 2)

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Page 1: 嚥下障害患者に対する薬剤投与の工夫 · り,高齢になるほどその頻度は増加している。重度の嚥下 障害患者には薬剤の経管投与が用いられているが,中等度

PTM 5 ( 3 ) NOV., 2010

■ はじめに

 嚥下障害はさまざまな疾患に伴って生じる症候群であり,高齢になるほどその頻度は増加している。重度の嚥下障害患者には薬剤の経管投与が用いられているが,中等度から軽度の嚥下障害では薬剤の内服法にさまざまな工夫が行われている。ここでは増粘剤を用いて「トロミ」をつけることで服薬性を向上させる工夫を中心に紹介する。

■ 嚥下障害を疑う兆候とは

 脳卒中をはじめ,加齢に伴って頻度が高くなるさまざまな疾患が嚥下機能の低下をもたらしていると考えられており,国内における65歳以上の一般市民の13.8%に嚥下障害がみられたという報告もある 1)。 嚥下障害に対する問診のポイントとしては図 1 のような兆候を見逃さないことが重要と考えられるが,高齢者の場合「むせる」「咳き込む」といった典型的な誤嚥の症状がない「むせない誤嚥」があるということに注意する必要がある。つまり,患者本人でさえ誤嚥しているという自覚がなく,さらに高齢者では発熱や咳などの感染症を疑うような臨床症状も現れにくいことから,水面下で肺炎が進行し気付いたときには重症化しているということも少なくない。

■ 嚥下障害と経口薬

 嚥下障害があるからといってすべてを点滴治療にする

ということは現実にはあり得ない。嚥下障害患者に経口薬を服薬させるために医療現場ではさまざまな工夫が行われている。しかしながら,その工夫も一つ間違うと思わぬ弊害を招くこともあるため注意が必要である。例えば,少し大きめの錠剤を服薬させる場合,薬剤を粉砕して投与することもしばしば行われるが,その結果,強い苦みが出てかえって飲みにくかったり,体内動態の変化などによって副作用が増加する恐れがある。最近では口腔内崩壊錠の開発が進み,錠剤の服薬性は大きく改善してきているが2),現在ではゼリーやプリン,トロミ水など嚥下しやすい食材と一緒に内服させることでその服薬性を向上させるという工夫が一般的である3)。また,一方,液状の薬剤の場合,特に水でむせてしまうという患者が多いため,市販されている増粘剤で「トロミ」をつけ,服薬性を向上させるという方法が用いられる。そこで,今回,1 回の服薬で主な感染症を治療できるというアジスロマイシン水和物高用量単回投与製剤:成人用ドライシロップ 2g(以下,AZM-SR)に,何種類かの増粘剤を使用して粘度について検討した。

■ AZM-SRと増粘剤の組み合わせ

 AZM-SRは,1 回の服薬で急性呼吸器感染症をはじめとした感染症を治療できることから,嚥下障害を有する患者にとっては非常に好都合な薬剤の一つといえる。しかしながら,ドライシロップであるがためにむせて吐き出したり,口腔外にこぼしたりと服薬性に問題があるが,これは増粘剤を用いることで服薬性の向上が可能である。 われわれが行ったAZM-SRと増粘剤の組み合わせ結果を図 2 に示す。粘度は約2,000~3,000mPa・s(ポタージュ~ヨーグルト状)で嚥下しやすい。グラフを見ると約 3~4 分でつるりんこQuickly®,ソフティア 1SOL®,トロミクリア®が適切な粘度になることが分かる。 もちろんここで挙げた以外の増粘剤でも駄目というわけではない。患者の嚥下機能をみながら適度な粘度を調整して内服させることが肝要である。

■ 経鼻経管や胃瘻などから投与する場合

 近年,胃食道逆流を予防する方法として経管半固形化栄養投与法が行われている4)。内径が細いチューブを使用している場合には粘度が高いとチューブを通過しない可能性がある。この場合は,チューブを通す間は液状で,胃液内でトロミが発現,維持できているような工夫が考案されている5, 6)。図 3 にAZM-SRについてわれわれが検討した結果を示す。チューブを通過する粘度は2,000mPa・s

嚥下障害患者に対する薬剤投与の工夫Tips of Administrating Medicine to Dysphagia Patients

浜松市リハビリテーション病院 病院長 �藤島 一郎

食欲の低下食事中の疲労感

咽頭違和感食物残留感 声の変化

むせる 咳が出る 痰の量と性状

食事内容好みの変化

食事時間 食べ方の変化 やせ

体重の変化

図 1 嚥下障害を疑う問診のポイント 2)

Page 2: 嚥下障害患者に対する薬剤投与の工夫 · り,高齢になるほどその頻度は増加している。重度の嚥下 障害患者には薬剤の経管投与が用いられているが,中等度

PTM 5 ( 3 ) NOV., 2010

とされ,逆流しにくい粘度は20,000mPa・sとされる。図 3 を見るとトロミパワースマイル®,ネオハイトロミールⅢ®,トロミスマイル®が20,000mPa・sに達しており,適していると考えられる。 臨床的にもAZM-SRの臨床効果,安全性に問題はなく,服薬性も向上していることから,嚥下障害を有する感染症患者に対する経口抗菌薬としては最適な薬剤といえる。

■ ベッドサイドでのひと工夫

 飲ませ方の工夫,指導も重要である。顔を上に向けた姿勢で薬を飲ませる場面を散見するが,これは危険である。顔を上に向けたままでは健常者でもむせやすい。嚥下機能障害が予想される患者に対しては,上半身を挙上

し,頸部を前屈させて顔がやや下向きになるように介助して内服させるとよい。小さなコップだと下向きに飲めない場合があるので,図 4 に示したように鼻の部分をカットしたコップを使うと楽に服薬できる。

■ まとめ

 高齢社会においては嚥下障害を有する患者はさらに増加することが予測されるが,それに伴い経口薬の服薬方法というのは医療従事者や介護する立場の人間にとっては大きな課題の一つである。口腔内崩壊錠の開発や増粘剤との併用による液剤の服薬性向上などの工夫により,嚥下障害を有する患者だけではなく介護する側の不安や手間などを減らすというQOL向上が期待される。

粘度

6,000(mPa・s)

5,000

4,000

3,000

2,000

1,000

00 1 2 3 4 5 6 7 8 (分)

時間

ネオハイトロミールⅢ

トロミクリア

つるりんこQuickly

トロミスマイル

トロミパワースマイル

ソフティア 1SOL

図 2 増粘剤 1 包を添加した際のAZM-SRの粘度変化 藤島一郎

粘度

35,000(mPa・s)

30,000

25,000

20,000

15,000

10,000

5,000

00 5 15 25 3510 20 30 40 45 50 55 60(分)

時間

ネオハイトロミールⅢ

トロミクリア

つるりんこQuickly

トロミスマイル

トロミパワースマイル

ソフティア 1SOL

図 3 増粘剤を加えたAZM-SRの人工胃液中の粘度変化 藤島一郎

図 4 鼻の部分をカットしたコップ 3)

(文 献) 1 ) Kawashima K, Motohashi Y, et al.:Prevalence of dysphagia among

community-dwelling elderly individuals as estimated using a questionnaire for dysphagia screening. Dysphagia 19:266-271, 2004.

2 ) 藤島一郎:嚥下障害患者における薬剤投与―口腔内崩壊錠を中心に―. Pharm Med 25:125-128, 2007.

3 ) 藤島一郎,稲生 綾, 他:嚥下障害者と内服薬. 薬事 46(増):667-672, 2004.

4 ) 合田文則:胃瘻からの半固形短時間摂取法ガイドブック―胃瘻患者のQOL向上をめざして. 医歯薬出版, 東京, 2006.

5 ) 三鬼達人, 馬場 尊:細いチューブでも検討できる半固形化栄養法. Expert Nurse 25:32-37, 2009.

6 ) 稲田晴生, 金田一彦, 他:胃食道逆流による誤嚥性肺炎に対する粘度調整食品REF-P1の予防効果. JJPEN 20:1031-1036, 1998.