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130 4.3.5. スウェーデン 組織名 スウェーデン農村地域省(Swedish Ministry for Rural Affairs65 スウェーデン農業庁(Swedish Board of Agriculture関係法令 (議会決議) スウェーデン憲法第 13 (総合防衛に関する議会決議(Total Defence Resolution)) 概要 スウェーデンの食料自給率は相対的に高いが、大規模戦争の勃発が懸念さ れた冷戦期には、一人一日あたり 2,900 キロカロリー分の食料を備蓄する 政策を実施し、穀物、砂糖、食用肉や缶詰肉などの食料をスウェーデン全 土に設置した備蓄倉庫において貯蔵していた。とくに、食料自給率の低い 北スウェーデンに対しては、重点的に備蓄が行われた。冷戦の終結及びス ウェーデンの EU 加盟に伴い、備蓄政策は廃止され、現在では備蓄は行わ れていない。 1】概要 スウェーデンは、その北部が北極圏に位置し、国土面積(約 45 万平方キロメートル)の 60%を森林が占めているため、耕地面積は 7.5%程度であるが、スウェーデンの食料自給 率(供給熱量による)は高く、近年では 100%を超えている。とくに、パン用穀物、飼料用 穀物、砂糖や粉乳は各々100%を超える自給率を維持しているが、油糧種子や植物性油脂の 自給率は相対的に低い。 スウェーデンの食料安全保障政策は農業政策である一方、民間防衛(Civil Defence)の一 分野として位置づけられ、国防政策に基づいて実施される。冷戦期には、長期にわたる輸 入途絶など、大規模戦争によって食料供給が滞る事態が懸念されたが、冷戦終結後、国際 安全保障環境が大きく変化したことに伴い、その脅威認識は大きく変化した。スウェーデ ンにおける食料安全保障政策は、軍事的な脅威がもはや存在しないという前提で立案され るようになり、備蓄政策も徐々に縮小されていったのである。 また、スウェーデンは、 1995 年にEUに加盟したため、それ以降の農業政策はEUの共通農 業政策(Common Agricultural Policy: CAP)の下で行われている。スウェーデン独自の農業 政策を実施する範囲は縮小されたが、EU加盟によって、スウェーデンの食料安全保障はさ らに高まる結果となった 66 なお、スウェーデンの国防政策は「総合防衛に関する議会決議(Total Defence Resolution)」 65 2011 1 1 日、農業食品漁業省(Swedish Ministry of Agriculture, Food and Fisheries)か ら組織名を農村地域省(Swedish Ministry of Rural Affairs)に変更した。 66 EU には余剰農産物を抱える加盟国が多く存在するため、自由な域内流通によってより安 定的に食料供給を確保できるようになった。

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4.3.5. スウェーデン

組織名 スウェーデン農村地域省(Swedish Ministry for Rural Affairs)65

スウェーデン農業庁(Swedish Board of Agriculture)

関係法令

(議会決議)

スウェーデン憲法第 13 条

(総合防衛に関する議会決議(Total Defence Resolution))

概要 スウェーデンの食料自給率は相対的に高いが、大規模戦争の勃発が懸念さ

れた冷戦期には、一人一日あたり 2,900 キロカロリー分の食料を備蓄する

政策を実施し、穀物、砂糖、食用肉や缶詰肉などの食料をスウェーデン全

土に設置した備蓄倉庫において貯蔵していた。とくに、食料自給率の低い

北スウェーデンに対しては、重点的に備蓄が行われた。冷戦の終結及びス

ウェーデンの EU 加盟に伴い、備蓄政策は廃止され、現在では備蓄は行わ

れていない。

【1】概要

スウェーデンは、その北部が北極圏に位置し、国土面積(約 45 万平方キロメートル)の

約 60%を森林が占めているため、耕地面積は 7.5%程度であるが、スウェーデンの食料自給

率(供給熱量による)は高く、近年では 100%を超えている。とくに、パン用穀物、飼料用

穀物、砂糖や粉乳は各々100%を超える自給率を維持しているが、油糧種子や植物性油脂の

自給率は相対的に低い。

スウェーデンの食料安全保障政策は農業政策である一方、民間防衛(Civil Defence)の一

分野として位置づけられ、国防政策に基づいて実施される。冷戦期には、長期にわたる輸

入途絶など、大規模戦争によって食料供給が滞る事態が懸念されたが、冷戦終結後、国際

安全保障環境が大きく変化したことに伴い、その脅威認識は大きく変化した。スウェーデ

ンにおける食料安全保障政策は、軍事的な脅威がもはや存在しないという前提で立案され

るようになり、備蓄政策も徐々に縮小されていったのである。

また、スウェーデンは、1995 年にEUに加盟したため、それ以降の農業政策はEUの共通農

業政策(Common Agricultural Policy: CAP)の下で行われている。スウェーデン独自の農業

政策を実施する範囲は縮小されたが、EU加盟によって、スウェーデンの食料安全保障はさ

らに高まる結果となった 66。

なお、スウェーデンの国防政策は「総合防衛に関する議会決議(Total Defence Resolution)」

65 2011 年 1 月 1 日、農業食品漁業省(Swedish Ministry of Agriculture, Food and Fisheries)か

ら組織名を農村地域省(Swedish Ministry of Rural Affairs)に変更した。 66 EU には余剰農産物を抱える加盟国が多く存在するため、自由な域内流通によってより安

定的に食料供給を確保できるようになった。

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に基づいて決定される 67。食料供給確保、なかでも備蓄に関する決定はすべて、本決議の下

でなされている。1996 年の議会決議では、冷戦後の国際安全保障環境に鑑み、食料及び生

産資材の備蓄を段階的に廃止することが採択された 68。また、1999 年には本決議の見直し

が行われ、非常事態のための備蓄をすべて売却することが採択された。

【2】非常事態における食料供給の確保

非常事態における食料供給の確保について、上記議会決議に基づく具体的な政策を実行

するのは農業庁(Swedish Board of Agriculture)である。農業庁は、農村地域省(Swedish

Ministry of Rural Affairs)が所管する行政機関のひとつであり、食料や生産資材の備蓄、食

料生産・流通及び非常事態における対応計画の策定・実行などの実務に責任を有している。

非常事態における食料供給の確保策として、スウェーデンでは、1940 年代から備蓄政策

を実施してきた。回転備蓄方式を採用し、農村地域省(旧農業食品漁業省)及び農業庁が

算定した規模、予算に基づく食料及び生産資材の備蓄が行われた。農業庁が買い上げた備

蓄品は同庁の所有となるが、備蓄期間が終了したものについては同庁によって関連産業な

どに売却された 69。なお、備蓄品の調達(輸送料等も含む)はすべて、入札によって行われ

ていた。

備蓄量は当時の平均熱量摂取量である 2,900 キロカロリーを維持することが望ましいと

され、備蓄品目として、穀物、米、砂糖、食用油、缶詰肉、豆類や乾燥酵母などが対象と

なった 70。併せて、1 日 1 人あたり 3 リットルから 5 リットルの飲料水を供給することが目

標とされた。なお、当初は粉乳及びコーヒー豆も備蓄対象であったが、費用削減のため、

備蓄計画の変更によって対象品目から除外されている。また、窒素肥料、殺虫剤及び農薬

等の生産資材も併せて備蓄されていた。

備蓄品の管理・運営は国営企業が行っており、保管料は農業庁によって支払われた。スウ

ェーデン国内に約 220 の備蓄倉庫が存在したが、その半数は国営企業の所有であり、その

他は民間からの借り上げであった 71。パン用穀物(小麦)の場合、各倉庫に 1,200 トンから

1,800 トンが貯蔵されていた 72。備蓄食料は各々にふさわしい方法で貯蔵され、貯蔵期間中

には定期的に品質検査が行われていた。食料別の備蓄形態は以下のとおりである。

67 この議会決議は、毎年見直され、通常は 5 年ごとに議会決議が行われる(2002 年からは

3 年ごと)。 68 これによる予算削減額は年間約 1 億スウェーデンクローナといわれている。また、1994年から 1995 年にかけて、農薬など生産資材の備蓄についても廃止が決定された。これによ

る予算削減額は約 2 億スウェーデンクローナである。 69 財団法人農政調査委員会「平成 9 年度新農政推進等調査研究事業報告書――新農政推進

調査研究事業 欧州諸国における農業法の整備に関する調査」第 1 分冊、1998 年、p.238。 70 同上、pp.239-240。 71 叶芳和「欧州の食料備蓄の実態」『農業と経済』64 巻 11 号、昭和堂、1998 年 10 月、p.72。 72 同上、p.73。

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表 4-17 食料別の備蓄形態 73

食料品目 形態/年数 備蓄期間終了後の対応

穀物 バラ積み/5 年 飼料用として売却

砂糖 袋詰/10 年 精糖または原料糖として食品

加工産業に売却

米 袋詰/10 年~15 年 売却

食用油(菜種油) ドラム缶もしくはプラスチッ

ク容器/3 年

再処理後に売却

缶詰肉(コンビーフ) 缶詰(滅菌済)/10 年 売却

豆類 袋詰/10~15 年 売却

乾燥酵母

(イースト粉末)

缶詰/15 年 飼料用として売却

(毎年発酵品質検査を実施)

粉乳 ――/30 ヶ月 業者に売り戻し

コーヒー豆 コーヒー焙煎業者において貯

蔵/6 ヶ月~1 年

業者に売り戻し

備蓄倉庫はスウェーデン全土に分散させる形で設置していたが、とくに、北スウェーデ

ンには大型の備蓄倉庫を有していた。スウェーデンは地域によって食料供給力に差があり、

食料自給率にも地域格差が生じている。北スウェーデンは、気象条件及び地理条件の制約

から穀物の生産が困難な地方であり、主要な農産物は牧草などの飼料用穀物に限られる。

非常事態発生時には、とくに北スウェーデンにおける食料供給の確保が課題となるため、

スウェーデンでは、北スウェーデンに大量の食料を備蓄し、輸送に係る時間やコストの削

減を図った。このように、食料供給に係るリスクが国内に偏在していることも、厳しい気

象条件下におかれているスウェーデンなど北欧諸国の食料安全保障政策において念頭に置

かなければならない特徴である。

北スウェーデンにおいては、加工の必要がない食料(米、缶詰肉、豆類など)に加えて、

製パン業者用に数か月分のパン用穀物、砂糖、ドライイースト及び植物性油脂が備蓄され

ていた 74。この備蓄によって、非常事態発生時に北スウェーデンが孤立した場合でも、1 ヶ

月間は 2,600 キロカロリー(平均熱量摂取量 2,900 キロカロリーの約 90%)分の食料を供給

できる計算になる。

73 財団法人農政調査委員会「平成 9 年度新農政推進等調査研究事業報告書――新農政推進

調査研究事業 欧州諸国における農業法の整備に関する調査」第 1 分冊、1998 年、p.239。 74 森田倫子「北欧における緊急時の食料供給確保策――フィンランド、ノルウェー、スウ

ェーデン」『主要国における緊急事態への対処――総合調査報告書』国立国会図書館、2003年、p.182。

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冷戦の終結に伴い、1992 年の「総合防衛に関する議会決議」において備蓄水準の引き下

げが決定され、1993 年から備蓄品の放出が開始された。さらに、スウェーデンは、1992 年

に EU 加盟を申請していたが、1995 年に加盟が実現したことから、1996 年 12 月には上記決

議を見直し、備蓄政策の廃止を決定した。その結果、2001 年までにすべての備蓄品が売却

された。

現在、スウェーデンでは、食料供給の基盤を自給に置かず、EU 域内の自由な流通に置い

ている。そのため、スウェーデンの食料安全保障政策にとって、国際的な協調関係に基づ

く貿易政策を進めることが極めて重要であり、平時においては非常事態を想定した備蓄を

行わないこととしている。

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4.3.6. ノルウェー

組織名 ノルウェー貿易産業省(Norweigian Ministry of Trade and Industry)

ノルウェー農業食品省(Norweigian Ministry of Agriculture and Food)

ノルウェー漁業省(Norweigian Ministy of Fisheries and Coastal Affairs)

主な関連法令 供給及び民間防衛上の施策に関する法律(供給法)

(Act of 14 December 1956 as amended 17 March 1967 relating to supply and

civil defence measures(The Supply Act))

土地法(Act No. 23 of 12 May 1995 relating to Land(The Land Act))

概要 ノルウェーの耕地面積は国土面積の約 3%に過ぎず、とくに食用穀物に

ついては輸入依存度が高い。食料自給率は 50%強(熱量ベース)であり、

ノルウェーでは国内生産力の強化及び貿易政策の維持を中心とした食料

安全保障政策が実施されている。現在では行われていないが、冷戦期に

は、食用穀物、飼料用穀物、砂糖やイーストなど、一人一日 2,900 キロ

カロリーの確保を目指した食料及び生産資材の備蓄を行っていた。

【1】概要

ノルウェーの北部は北極圏に位置し、国土面積(約 38.6 万平方キロメートル)の約 75%

が山岳地帯や凍土である 75。そのため、南部においても耕地が少なく、耕地面積は約 3%に

過ぎない。2005 年時点で、ノルウェーの食料自給率は 50%強(熱量ベース)である 76。ノ

ルウェーにおける主要農畜産物は牛乳や牛肉であり、畜産物及び乳製品については高い自

給率(ほぼ 100%)を維持している。ノルウェーの農業生産物はほぼすべて、国内市場向け

に供給されており、輸出品目として挙げられるのはチーズのみである。

他方、農地の約 60%は飼料用作物(牧草)で占められているため、食用の穀物について

は輸入依存度が高い傾向にある。穀物の自給率については、イモ類が約 80%、穀類が約 60%

となっている。また、野菜類の自給率は約 55%であり、砂糖、植物性マーガリン、ナッツ

類などはすべて海外から輸入している 77。

ノルウェーの食料安全保障政策は、他の欧州諸国と同様、冷戦の終結によって大きく転

換され、今日に至っている。冷戦期、大規模戦争の勃発に伴い、食料供給が長期にわたっ

75 北欧諸国のうち、今次調査の対象国であるフィンランド及びスウェーデンと異なり、ノ

ルウェーは EU には加盟していない。 76 ノルウェーでは、食料自給率は国産食料消費量と国内食料消費量の比率と定義されてお

り、食料に含まれる熱量単位(ジュール)で計られている。(オーラ・フラーテン、久野秀

二「ノルウェー――将来危機に備える食料輸入国の食料安全保障政策」『フードセキュリテ

ィ 世界の食料安全保障政策はいま――農業と経済 臨時増刊号』昭和堂、2007 年、p.131。 77 同上、p.131。

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て滞ることが強く懸念されていたノルウェーでは、「供給及び民間防衛上の施策に関する法

律(Act of 14 December 1956 as Amended 17 March 1967 Relating to Supply and Civil Defence

Measures(The Supply Act))」に基づく備蓄政策を実施していた。しかしながら、冷戦終結

以降、この脅威は確実に減少したとして、2000 年には確保量を縮小し、2003 年には国家備

蓄を廃止した 78。

【2】非常事態における食料供給の確保

現在、ノルウェーの食料安全保障政策は、戦争による貿易封鎖など、数ヶ月間に及ぶ孤

立を余儀なくされる事態を前提としていた冷戦期と異なり、平時及び戦時におけるさまざ

まな危機的事態を想定して実施されている。平時の危機には、たとえば、気候変動などの

環境問題に起因する災害、穀物や家畜の病害、世界的な食料高騰などが含まれる。

主な所管省庁は、貿易産業省(Norwegian Ministry of Trade and Industry)、農業食品省

(Ministry of Agriculture and Food)及び漁業省(Ministry of Fisheries and Coastal Affairs)であ

る。貿易産業省が食料部門の計画立案及び調整を担っており、農業食品省及び漁業省が政

策の実施を担当している。ノルウェーの食料安全保障政策は、主に以下 3 分野で構成され

ている。

・国内生産力の強化(潜在的農業生産力の保持)

・食料及び生産資材の備蓄

・貿易政策の維持

厳しい気象条件の下、限られた耕地面積しか有していないノルウェーでは、食料自給に

はそもそも限界がある。そのため、平時では、必要な食料を海外から調達することがノル

ウェーにおける食料安全保障政策の基本となる。しかしながら、食料の輸入が中断される

ような危機が発生した場合に食料の供給をいかにして確保するかという点においては、現

在では、国内の農業生産力を強化することが重要だとしている。

(1)国内生産力の強化(潜在的農業生産力の保持)

ノルウェーは高い購買力を背景にした食料輸入国であるが、一方で、国内生産力の強化

にも取り組んでいる。具体的には、気象条件が厳しい北部における畜産を振興し、より好

条件の地域に穀物生産を集中させることによって、徐々にではあるが生産力が高まりつつ

ある。近年では、とくにパン用小麦の生産が増加した 79。また、潜在的農業生産力を保持す

78 森田倫子「北欧における緊急時の食料供給確保策――フィンランド、ノルウェー、スウ

ェーデン」『主要国における緊急事態への対処――総合調査報告書』国立国会図書館、2003年、p.175。 79 オーラ・フラーテン、久野秀二「ノルウェー――将来危機に備える食料輸入国の食料安

全保障政策」『フードセキュリティ 世界の食料安全保障政策はいま――農業と経済』臨時

増刊号、昭和堂、2007 年、p.131。

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るため、農地の保全や農業従事者の確保に焦点を当てた長期的な政策を実行している。

農地の保全については、「土地法(The Land Act)」80に基づき、農地を他の用途に用いる

ことを禁止し、一度でも耕作された土地は農業生産を促進するために保全されるよう定め

られている。

(2)食料及び生産資材の備蓄

備蓄については、前述のとおり、ノルウェーを取り巻く国際環境の変化に伴い、段階的

に廃止されるに至った。ここでは、参考情報として、過去の制度に関する概要を紹介する。

食料及び生産資材の備蓄については、貿易産業省が食料供給確保に係る計画を策定し、

農業食品省及び漁業省が各々主管する分野において備蓄政策を実施してきた。備蓄に関す

る費用については農業食品省が負担し、民間が実際に食料を保有する仕組みを採用した。

ノルウェーでは、国民 1 人 1 日 2,900 キロカロリーの確保を目指して食料の備蓄が行われ

てきた。以下は、2000 年まで設定されていた基準であるが、備蓄食料の内訳は、食用穀物

(小麦)6 ヶ月分、飼料用穀物 3 ヶ月分、砂糖、イースト及びマーガリン各 1 ヶ月分、たん

白強化ビスケット 25 日分である 81。とくに、穀物については、毎年 7 月 1 日に小麦 6 か月

分及び飼料用穀物 3 か月分を備蓄するという基準が定められていた。

また、2000 年以降、備蓄量を徐々に減少させていく一方、北ノルウェーにおいては、そ

の後も備蓄を維持するという政策をとっている。これは、当時、大規模戦争の脅威は減少

したものの、北ノルウェーに対する限定的な攻撃などが懸念されていたことから、北ノル

ウェーについてのみ、当該地方における消費量の 10 か月分を備蓄するというものである 82。

なお、この計画も 2003 年に縮小されることになったが、農業食品省では、北ノルウェーの

最北端で生活する住民に対しては、その後も、消費量の 10 日分にあたる小麦粉を備蓄する

計画を策定した 83。

(3)貿易政策の維持

食料輸入国として、安定的な国際貿易環境を構築することもまた、重要な食料安全保障

80 ノルウェーの法律の中には、非公式ではあるが英語に翻訳されているものもある。本法

の正式名称(英訳)は、“Act No. 23 of 12 May 1995 relating to Land”である。 (http://www.ub.uio.no/ujur/ulovdata/lov-19950512-023-eng.html) 81 農林水産省「平成 9 年度 農業の動向に関する年次報告」 (http://www.maff.go.jp/hakusyo/nou/h09/html/index.htm) 82 1999 年から 2002 年にかけて行われた、貿易産業省及び農業食品省による「食料及び食料

品の供給に関する北ノルウェーの危険性及び脆弱性についての分析」プロジェクトにおい

て検討されたもの。 83 森田倫子「北欧における緊急時の食料供給確保策――フィンランド、ノルウェー、スウ

ェーデン」『主要国における緊急事態への対処――総合調査報告書』国立国会図書館、2003年、p.178。

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政策のひとつとして挙げられている。ノルウェーは、EUには加盟していないが、欧州経済

領域(European Economic Area: EEA)に組み込まれており、EUの単一市場に参加すること

が可能である 84。他方、EEA協定は第三国に対する農業・漁業政策を規定するものではない

ため、ノルウェーにとっては、自国の農業及び漁業を保護しながらEU市場に接続できると

いう利点がある。

このように、ノルウェーでは、高い購買力を背景とした貿易政策を追求する一方で、海外

市場からいつでも食料を調達できるという保証はないことから、過度な輸入依存はノルウ

ェーの食料安全保障における脆弱性を高めるという認識が強まりつつある。また、食料や

生産資材を備蓄することは、食料の供給が一時的に中断した場合には有効に機能するが、

供給困難の状態が長期間継続した場合、その有効性には限界があるとして、ノルウェーで

は、現在、国内生産力の強化及び貿易政策の維持を中心とした食料安全保障政策を実施し

ている。

84 ノルウェーは、アイスランド、スイス及びリヒテンシュタインとともに欧州自由貿易連

合(European Free Trade Association: EFTA)に加盟している。EEA とは、EU と EFTA が締結

した協定に基づいて設置された枠組みのことを指す。

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4.3.7. 我が国への適用可能性の検討

本項では、今次調査の結果を踏まえ、調査対象各国の事例のうち、原材料在庫の確保に

おいて有効な手段と考えられる事例を抽出し、整理する。また、我が国の食品産業事業者

における取り組みを制度面から支援するという観点から、それらの取り組みを我が国へ適

用する際に発生する課題についても併せて検討する。

まず、備蓄については、調査対象各国の特徴や課題を整理したうえで我が国への適用可

能性を検討する。また、シンガポールの事例に見られるように、輸入調達先の多角化や代

替食品の普及促進など備蓄以外にも効果が見込まれる手段についても、それらの特徴や課

題をまとめる。

【1】備蓄政策の特徴と課題

(1)備蓄政策の特徴

調査対象国(スイス、フィンランド、スウェーデン及びノルウェー)における備蓄政策

は、その特徴に基づいて 2 つに大別することができる。ひとつは、スイスやフィンランド

のように、備蓄に係る経費を国民に直接負担させるシステムを確立し、官民連携の下で備

蓄の管理・運営を行う国であり、もうひとつは、スウェーデンやノルウェーのように、国家

予算に基づき、政府主導の下で備蓄政策を実施していた国である。

たとえば、スイスでは、あくまでも市場経済システム(需要・供給と価格変動の関係)

を重視し、基本的に民間セクターの自主性に委ねている。このことは、管轄機関である連

邦経済物資供給庁の専門職スタッフが民間セクターのメンバーで占められている点にも現

れている。

市場経済システムを補足する機能として位置づけられている政府側での供給政策につい

ては、想定シナリオの分析に基づく定量的なリスク評価・シミュレーションを行い、その

結果をもとに備蓄や生産統制、消費統制などの必要な政策手段まで落とし込む一連のサイ

クルが機能している。

フィンランドも同様に、食料やエネルギーなど物資の供給に関する施策は、民間企業の

担当者も参画するかたちで行われている。また、備蓄に対する助成や非常事態対応のため

の資金を供出する基金として「供給保障ファンド(Security of Supply Fund)」を設置するな

ど、官民の協力関係に基づく備蓄政策を実施している。

なお、両国とも、備蓄に係る経費については国民負担としているが、スイスでは消費者

価格に転嫁するかたちで徴収している一方、フィンランドではエネルギー価格に上乗せす

るかたち(エネルギー税の一種)で徴収している。スイス国民の年間負担額は約 1,580 円

(2006 年)であり、前述のとおり、国民からも一定の支持を得ていることから、スイスに

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おいては、国民負担による備蓄政策が概ね機能しているといえる。

さらに、備蓄方式についても、備蓄品の管理を民間に委託しているスイス及びフィンラ

ンドでは、ローテーションによる定期更新を採用していることが特徴としてあげられる。

備蓄品を定期的に国内消費向けに販売し、更新する仕組みを採用することによって、常に

一般の商業上販売可能な品質を維持することが可能となる。

他方、冷戦期に備蓄政策を実施していたスウェーデンにおいては、国防政策として備蓄

が行われていたこともあり、備蓄品の買い上げ、保管から売却まで、すべてのプロセスが

国の管理・運営下におかれていた。この点については、ノルウェーも同様である。スウェ

ーデンでは、備蓄方式についても、国営企業による保管とし、備蓄期間終了後の食料は農

業庁が関連産業に売却するという仕組みを採用していた。

また、スウェーデン、ノルウェーともに、備蓄の管理・運営に係る経費は国家予算とし

て計上されていた。スウェーデンでは、冷戦という大前提が失われたことを主要な根拠と

して、1990 年代後半から備蓄政策を段階的に廃止したが、結果として年間約 1 億スウェー

デンクローナ(約 16 億 8,700 万円)の予算削減につながったといわれている 85。

表 4-18 調査対象国における備蓄政策の特徴 86

スイス フィンランド スウェーデン

経費負担の方法 国民による直接負担 国家予算

更新方法 ローテーションによる定期更新 期間終了後に売却

民間の参画 あり なし

スウェーデン及びノルウェーの備蓄政策について、もうひとつ特筆すべき点は、国内の

地域性を考慮した原材料確保のための施策を行っていたことである。たとえば、スウェー

デンでは、スウェーデン全土に分散させるかたちで備蓄倉庫を設置していたが、北スウェ

ーデンには、大型の備蓄倉庫を集中的に設置していた。ノルウェーにおいても、2000 年以

降、備蓄政策を縮小する方向で議論が進められる中で、北ノルウェーにおける備蓄につい

てはこれを当面維持するという決定がなされている 87。これは、両国がおかれている気象条

件や地理条件を考慮し、食料供給に係るリスクが国内に偏在していることを踏まえた政策

であり、北欧諸国による備蓄政策の特徴である。

(2)民間事業者に対する支援策

ここでは、スイスの事例を基に民間事業者に対する支援策を整理する。スイスにおいて

85 1 スウェーデンクローナ=16.87 円(1996 年 12 月 31 日付為替レート)で換算。 86 ここでは、スイス、フィンランド及びスウェーデンを比較の対象とした。 87 その後、北ノルウェーにおいても備蓄量を縮小することが決定された。

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は、義務的責任備蓄制度及び任意的責任備蓄制度が整備されているが、これらの制度が民

間セクター内での互助関係を活用しながら運営されていることは前述のとおりである。政

府としては、本制度に参画する民間企業に対して優遇措置を与えることにより、取り組み

へのインセンティブを与えることに成功している 88。

とくに、義務的責任備蓄制度においては、輸入業者が連邦経済物資供給庁と締結した契

約に基づいて備蓄が義務付けられているが、各輸入業者は、輸入量に応じた手数料を納め

ており、価格変動に起因する損失などが生じた場合、損失補てんを受けることができる仕

組みになっている。万が一、供給が途絶する状況になった場合も、備蓄品の半分を自由に

販売することが認められている。また、支援措置として、融資金利の優遇や保証、会計上

の優遇措置(連邦税及び所得税の控除)がとられている。

他方、任意的責任備蓄制度は、企業が自身の判断において自主的に備蓄を行う制度であ

るが、本制度を利用する企業に対しても、融資金利の優遇や税の控除などの優遇措置が与

えられている。この場合、パンの原料(イースト菌、糖蜜)や塩など、義務的責任備蓄の

範囲外とされる食料が備蓄の対象となる。

(3)課題

スイス、フィンランド、スウェーデン及びノルウェー4 ヵ国における備蓄政策について、

各国の事例を収集し、それらを 2 つに大別するかたちで特徴をまとめたが、ここでは、原

材料確保政策について、上記 4 ヵ国と同規模の備蓄政策を我が国が実施した場合に発生す

ると思われる課題を整理する。

まず、経費負担の方法であるが、スウェーデンのように国家予算によって備蓄全般を管

理・運営した場合、膨大な予算が必要となる可能性がある。他方、スイスやフィンランド

のように直接的な国民負担によって備蓄政策を維持するためには、消費者価格への転嫁も

しくは予算配分の変更も視野に入れる必要がある。いずれにしても、備蓄政策に対する国

民の支持や理解を得ることが不可欠となるだろう。

次に、備蓄の更新方法については、スイスやフィンランドのようにローテーションによ

る定期更新を採用した場合、備蓄品は一般に流通することになり、日常業務の延長上で備

蓄品の品質管理や在庫調整を行うことができるという利点がある。ただし、ローテーショ

ンによる定期更新による備蓄品の管理には民間事業者の理解が必要となることから、導入

にあたっては、スイス及びフィンランドの事例に見られたとおり、備蓄政策に係る意思決

定プロセスにおける民間の積極的な参画が求められる。

88 連邦経済物資供給庁の担当者によると、政府と民間セクターの協力関係が適切に構築さ

れており、相互に経済物資供給に関する政策の重要性を認識できているため一連の政策の

制度設計・運用には現在のところ大きな問題は見当たらないという。

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我が国において、備蓄政策の拡大に向けた議論がなされる際には、スイスの連邦経済物

資供給庁やフィンランドの国家事態供給機構のような官民連携組織の設置を視野に入れる

必要があるだろう。ただし、民間との協力関係を構築するためには、前述の民間事業者に

対する優遇措置を検討することも併せて求められる。このように、備蓄政策の拡大につい

ては、とくに経費負担に関する課題が残されている。

【2】輸入調達先の多角化及び代替食品の普及促進

本調査では、備蓄政策以外にも、原材料確保のための施策として、輸入調達先の多角化

及び代替食品の普及促進に関する事例を収集するため、シンガポールに対する文献調査及

び聴き取り調査を実施した。以下では、シンガポールの事例を参考に、我が国への適用可

能性とその課題を整理する。

シンガポールはアジアの金融センターとして繁栄し、これまで、その経済力を背景にし

た食料安全保障政策を採用してきた。その中で、国民に対する食料供給については、農地

として使用できる土地はほとんどなく、食料自給率が約 10%という低い水準にとどまりな

がらも、「必要な食料は輸入する」というやり方で安定的な供給を維持してきた。

2008 年のいわゆる「食料危機」は、シンガポールの食料安全保障政策にとってひとつの

転換点であったといえる。前述のとおり、輸入調達先の多角化や代替食品の普及促進につ

いても、積極的な取り組みが開始された。

とくに、代替食品の普及促進については、農産物・畜産庁(AVA)による啓発活動が活発

に行われている。とくに、鶏卵の代替品として活用が期待される「卵パウダー(Egg Powder)」

及び「液状卵(Liquid Egg)」については、前述のとおり、料理教室の開催やスーパーマー

ケット等におけるデモンストレーションの実施など、国民の認知度を高める取り組みが推

進されている 89。食肉についても同様に、冷凍肉の普及に向けた取り組みが進められており、

徐々にではあるが、普及活動の成果も現れはじめている 90。

これらの取り組みの特徴は、AVA が同庁のウェブサイトに情報を掲載するのみならず、

スーパーマーケット等の店頭において代替食品の調理方法を紹介する機会を設けるなど、

消費者に対して直接訴えかける手法をとっていることにある。国家規模が小さいというシ

89 Agri-Food and Veterinary Authority of Singapore, “Know Your Choices –Info on Egg Powder and Liquid Egg” (http://www.ava.gov.sg/Info+on+Egg+Powder+and+Liquid+Egg.htm). また、2009 年 4 月には、複数の大手スーパーマーケットにおいて、卵パウダー及び液状卵

を使った料理方法を紹介するイベントを開催した。 (http://www.ava.gov.sg/NR/rdonlyres/1002444C-422E-4D85-BA36-D9B603D500C1/14659/AVAPowEggSTApr9.pdf) 90 Agri-Food and Veterinary Authority of Singapore, “Frozen Meat Info –Eat Well for Less Choose Frozen Meat” (http://www.ava.gov.sg/NR/exeres/767FF2EF-BA83-498F-9BC8-D8545E5AF038,frameless.htm?NRMODE=Published).

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ンガポールの特徴を生かした手法ではあるが、消費者からのアクセスを待つという受動的

な普及啓発活動ではなく、AVA が自ら消費者に歩み寄るというかたちで行う能動的な普及

啓発活動が少しずつでも効果をもたらしているといえる。

また、2009 年の「食料供給力強化のための基金」の創設は、シンガポール政府が、自国

の食料安全保障政策に民間の発想や知恵を取り入れようとした初めての試みである。詳細

は前述のとおりであるが、2010 年 3 月に募集が締め切られ、支援が始まったばかりである

ため、採用されたプロジェクトの詳細や成果などについては今後が待たれる 91。実際、本基

金に係る予算が倍増されたことはシンガポール政府の姿勢を示すものでもあり、本基金は、

シンガポールの食料供給力強化のための重要な取り組みのひとつとして、次年度以降も推

進されていくことになるだろう。

シンガポールで新たに導入された本基金は、民間事業者による生産性の向上や食料供給

源分散化に資する取り組みを資金面で支援するものである。いずれも将来的にビジネスと

して成立することが前提であり、AVA はあくまでも事業化の可能性を判断するまでの支援

に留めることにしているが、本基金に係る予算は 1,000 万シンガポールドル(約 6 億 2,650

万円)であり、AVA にとっては多額の資金拠出となる。採用したプロジェクトが将来、国

内生産力の向上や代替食品の事業化などにつながる可能性もある一方、このような研究開

発プロジェクトに対する財政負担は我が国においても課題のひとつとなるだろう。しかし

ながら、民間の技術や発想を取り入れようとするこの取り組みは、食料供給力の強化を支

えるための奨励策として注目に値する。

91 AVA の本基金担当者は、予想以上に応募が多数に上ったことや多様性に富んだプロジェ

クト案が集まったことから、今回の試みを高く評価している。

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4.4. 食品産業事業者等の原材料の確保に向けた支援策の検討

4.4.1. 検討の概要

「4.2. 食品産業事業者等の原材料在庫の確保方法の検討」で調査した方法や、「4.3. 諸外

国における原材料在庫確保制度に関する

我が国への適用可能性の検討」で明らかになった諸外国における原材料在庫確保制度を実

施する場合、食品産業事業者に対して新しい取り組みを求めることになる。そのため、新

たに発生する財務的あるいは労務的負担の面から、事業活動に一定の影響を与えることが

想定される。

そこで、本節では、食品産業事業者等において原材料の確保のための各種施策(備蓄、

調達先の分散化、同業他社間での緊急時相互供給契約)を実施する場合に有益と考えられ

る政府による支援策を検討する。その際、「4.2. 食品産業事業者等の原材料在庫の確保方法

の検討」における食品産業事業者に対するヒアリング調査で把握した食品原材料確保上の

課題と政府に対する要望、また、「4.3. 諸外国における原材料在庫確保制度に関する

我が国への適用可能性の検討」において調査した食品産業事業者を踏まえることとする。

4.4.2. 支援策の検討

【1】備蓄

①損失の補てん

食品原材料の備蓄を政府から民間企業に対して要請あるいは義務付ける場合に、もっと

も大きな課題となるのが、保管庫の増設や管理業務の増加に伴う費用の増加である。保管

庫の設置費用だけでも、億単位の資金が必要となることが考えられる。

そこで、備蓄を実施する企業に対する財務的支援は、スイスの義務的責任備蓄制度で採

用されているように、もっとも直接的かつ企業の理解を得やすい支援策となる。その場合、

政府や業界団体間でファンドを設立し、備蓄を実施しない企業は一定の手数料をファンド

に対して支払い、これを備蓄実施企業に割り当てる、という方法が考えられる。

ただし、この手法では損失補てん金の支払い対象となる備蓄の要件や、備蓄の実施状況

に関する検査を行う必要性などがあり、精緻な制度設計と厳格な運用が必要となる。

②会計上の優遇措置(融資金利の優遇・保証、所得税控除など)

これも、スイスで採用されている支援策である。この方法では、備蓄に必要な経費に対

する損失補てんという意味合いは薄れるものの、政府の事務的負担を軽減しつつ、一定の

インセンティブを与えるためには有用であると思われる。

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ただし、融資保証については、本事業の検討における対象食品であるインスタントラー

メン(カップ)やインスタントカレーの原材料を想定すると、効果は限定的であると考え

られる。これらの食品は、大企業が占める市場シェアが大きく、融資を検討する際に信用

上の問題を抱えやすい中小企業に比べて、金融機関からの資金調達上の問題を抱えること

が相対的に少ないためである。

③必要な品目・製品の形態に関するガイドライン類の提示

これは、本事業においてヒアリング調査を実施した企業からの要望が特に多かった施策

である。

すでに、農林水産省では事業継続計画に関するガイドライン類を通じて、備蓄適性に優

れた食品の供給確保を食品業界に対して要請している状況である。しかしながら、ヒアリ

ング調査では、「インスタントラーメンの中でもカップめんと袋めんのいずれの形態で備蓄

すべきか」、「小麦加工業では、小麦の状態か、あるいは二次加工業への提供をしやすい小

麦粉等の製品かいずれの状態で備蓄すべきか」、といったように、より踏み込んだ形で、政

府からのガイドラインを提示することへの期待が大きかった。

【2】調達先の分散化

①企業の研究開発に対する財政的支援

シンガポールで実施されているように、原材料の調達手段を多様化の推進を目的として

研究開発を促進するため、高度な技術的萌芽を有する食品産業事業者に対する財政的支援

を実施することが考えられる。保管庫増設による備蓄のように財政的負荷がかからず、ま

た、民間の活力を用いて開発を促進することにより、生産や保管が容易な原材料が利用可

能になることが期待される。

ただし、本支援策を実施しても、研究開発には一般的には長期的な取り組みが必要とな

る上、現実に期待される成果が確実に達成できるとは限らないため、リスクの高い取り組

みであるといえる。

②普及啓発事業

少なくとも本事業においてヒアリング調査を実施した多くの企業では、事業戦略上の理

由から調達先の分散化は限定的であり、特に製品の味の核となる原材料については一社購

買により調達されている。また、調達先が分散化されている場合でも、新型感染症等の緊

急事態に備えるものではなく、事業戦略上の必要性から結果として分散が行われている状

況にある。

そこで、業種・業態別に調達先の分散化に関するセミナー等の普及啓発事業を実施する

ことが有益な施策として挙げられる。具体的には、多くの食品産業事業者における現在の

状況では、新型インフルエンザ等の新型感染症発生時において原材料が不足する事態に陥

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る可能性が高く、解決策として調達先の分散化が必要であること、また、先進的な取り組

みを行っている企業の事例等を踏まえた具体的な施策の方向性等を示すことが考えられる。

【3】同業他社間での緊急時相互供給契約

①普及啓発事業

先述のとおり、商社間では、小麦の製品仕様を可能な限り統一して、互いに融通を利か

せることが個社間あるいは従業員個人間の関係に基づき、一部可能な状況にある。これを

他業種でも応用して、非常事態時における原材料の相互供給契約の締結を業界内の仕組み

として確立することにより、平時の管理コストを抑制しつつ、非常時の原材料確保の蓋然

性が高まることが期待される。食品以外の業種では、地震に備えた事業継続計画への取り

組みの中で、こうした相互供給契約を締結している企業も存在している。

しかしながら、同業企業同士の協力関係を構築するには、平時においては競合関係にあ

ることから契約に至るには相当の困難が伴うことが予想される。そこで、政府として業界

団体等と協力しつつ、原材料確保に関するワークショップや意見交換の機会を業態別に提

供することにより、非常事態時における原材料の相互供給契約を推進することが期待され

る。

②原材料表示に関するJAS法上の扱いに関するガイドライン類の提示

これは、本事業においてヒアリング調査を実施した企業の中でも特に製造業(二次加工

業)からの要望が特に多かった施策である。同業他社間で相互供給契約が可能な関係にあ

っても、各社間で原材料の仕様が異なるために、JAS 法に規定されている表示上の問題が発

生する可能性が高い。

すでに農林水産省では、新型感染症等の緊急事態発生時においては、原材料表示に関す

る JAS 法上の規制について弾力的な運用を行うことを検討しているところである。これに

関する詳細な要件をガイドラインとして明示することにより、緊急事態発生時における相

互供給の対象となる原材料を明確化することができ、同業他社間の契約ほか、サプライチ

ェーン企業との調整も一段と進展することが期待される。

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4.5. 参考文献

農政調査委員会「食料安全保障に係る情勢分析に関する調査委託事業実施報告書」2008 年。 樋口修「スイスの「経済に関する国の供給政策」と農政改革――備蓄政策を中心として」『レ

ファレンス』58(2)、2008 年。 オーラ・フラーテン、久野秀二「ノルウェー――将来危機に備える食料輸入国の食料安全

保障政策」『フードセキュリティ 世界の食料安全保障政策はいま――農業と経済』臨時

増刊号、昭和堂、2007 年。 叶芳和「欧州の食料備蓄の実態」『農業と経済』64(11)、1998 年。 森田倫子「北欧における緊急時の食料供給確保策――フィンランド、ノルウェー、スウェ

ーデン」『主要国における緊急事態への対処――総合調査報告書』国立国会図書館、2003年。

農政調査委員会「平成 9 年度新農政推進等調査研究事業報告書――新農政推進調査研究事

業 欧州諸国における農業法の整備に関する調査」第 1 分冊、1998 年。 Federal Office for National Economic Supply, ‘National Economic Supply Strategy: A

Brief Summary.’ Federal Office for National Economic Supply, ‘National Economic Supply.’ Federal Office for National Economic Supply, ‘Expecting the Unexpected.’ Federal Office for National Economic Supply, ‘Running on Empty.’ フィンランド 国家緊急供給庁ウェブサイト(http://www.nesa.fi/)。