復元4人乗り三元車、見参...三元自転車復元プロジェク トチームは、平成...

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歴史的資産は基本的に「動かないも の」ですが、三元車は「触れて・動 かせる」歴史的資産。これを人力車 的に気軽に普段使いできるようにし て、町内の名所巡りに使えたら素晴 らしいと思う。町民みんなで楽しん で受け継いでいけるのが理想。 「新しいものを考えてみんなのため に尽す」「失敗にくじけない不屈の 精神」……三元車だけでなく、これ を作り上げた鈴木三元に学び、精神 を継承して行ってほしい。そのため には創意工夫への関心を高めていく ことが必要。 価値についての共通理解が深まる と、事が運びやすい。うまく進めば 歴史まちづくりにも生かして行け る。三元車に乗って、歴史の奥深さ を感じながら桑折の歴史をたどれる 日が来るのではないか。 日本で初めての自転車を、同じ福島県 民が作ったということを誇らしく思い ます。震災は多くのものを奪いました が、三元車のことは避難してこなかっ たら一生知らないままだったかもしれ ないし、こうして桑折町に来たことで 新たに得られることもありました。 浪江まち物語つた え隊…あの日を生き 抜いた者の責務とし て震災を語り継ごう と、浪江町、桑折町 (桑折ふるさと民話 の会)と保原町の語 り部の会が結成した 団体。県外でも広く 活動している。 浪江まち物語つたえ隊 八島妃彩さん 24 21 10 調紙芝居「三元車物語」の上演 パネルディスカッション 『三元車4人乗り元過程と その利用展開について』 『見てもらう』『知ってもらう』こと によって続いていくものだと思う。 そのためには、一般の方にも組み立 て作業などに参加してもらう機会を 設けると良い。『つくる』ことに対 するこだわりは、『諦めない』精神 の醸成につながる。 4人乗りにはブレーキがないなど安 全面でまだ解消すべき課題がある。 また今後、三元車を「忠実に復元」 する形で作っていくとき、町内には 自分に続く鉄工、特に鍛冶技術の後 継者がいない。実用化して行くには、 技術者をどう増やすかも課題。 5 4 広報こおり 平成 27 年3月号 広報こおり 平成 27 年3月号

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Page 1: 復元4人乗り三元車、見参...三元自転車復元プロジェク トチームは、平成 21年 10月、 を復元させ、その時開催したれている1人乗り三元自転車現在『三元車』として親しま

歴史的資産は基本的に「動かないもの」ですが、三元車は「触れて・動かせる」歴史的資産。これを人力車的に気軽に普段使いできるようにして、町内の名所巡りに使えたら素晴らしいと思う。町民みんなで楽しんで受け継いでいけるのが理想。

「新しいものを考えてみんなのために尽す」「失敗にくじけない不屈の精神」……三元車だけでなく、これを作り上げた鈴木三元に学び、精神を継承して行ってほしい。そのためには創意工夫への関心を高めていくことが必要。

価値についての共通理解が深まると、事が運びやすい。うまく進めば歴史まちづくりにも生かして行ける。三元車に乗って、歴史の奥深さを感じながら桑折の歴史をたどれる日が来るのではないか。

日本で初めての自転車を、同じ福島県民が作ったということを誇らしく思います。震災は多くのものを奪いましたが、三元車のことは避難してこなかったら一生知らないままだったかもしれないし、こうして桑折町に来たことで新たに得られることもありました。

▶浪江まち物語つたえ隊…あの日を生き抜いた者の責務として震災を語り継ごうと、浪江町、桑折町(桑折ふるさと民話の会)と保原町の語り部の会が結成した団体。県外でも広く活動している。

浪江まち物語つたえ隊 八島妃彩さん

先人の熱意と心意気再び

復元4人乗り三元車、見参

〜三元自転車復元シンポジウム〜

桑折町発祥で現存する日本最古の国産足動自転車『三元車』。その4人乗りがこのほ

ど復元され、1月24日の『三元自転車復元シンポジウム』でお披露目となりました。

 

三元自転車復元プロジェク

トチームは、平成21年10月、

現在『三元車』として親しま

れている1人乗り三元自転車

を復元させ、その時開催した

『三元車展』は大きな話題を

呼びました。

 

皆さんがよく知る『三元車』

は1人乗りですが、三元車に

は当時、2人乗りと4人乗り

も存在していました。

 

同チームでは1人乗りの復

元に成功すると、今後三元車

をベロタクシーとして観光業

で活用することなどを考え、

4人乗りの復元を検討してき

ました。

 

今回も1人乗りの時同様、

設計に日本大学理工学部の協

力を得ながら、腕の良い町の

職人の手により、4人乗り三

元車は復元を遂げました。

 

お披露目の機会となったシ

ンポジウムでは、「浪江まち

物語つたえ隊」による紙芝居

「三元車物語」と、設計に携

わった李和樹日大理工学部教

授の基調講演、そして『三元

車4人乗り復元過程とその利

活用展開について』をテーマ

としたパネルディスカッショ

ンが行われました。

紙芝居「三元車物語」の上演

~ パネルディスカッション ~『三元車4人乗り復元過程と

その利活用展開について』

『見てもらう』『知ってもらう』ことによって続いていくものだと思う。そのためには、一般の方にも組み立て作業などに参加してもらう機会を設けると良い。『つくる』ことに対するこだわりは、『諦めない』精神の醸成につながる。

4人乗りにはブレーキがないなど安全面でまだ解消すべき課題がある。また今後、三元車を「忠実に復元」する形で作っていくとき、町内には自分に続く鉄工、特に鍛冶技術の後継者がいない。実用化して行くには、技術者をどう増やすかも課題。

〈パネラー〉

三元車復元プロジェクトチーム

木部担当

半澤 

さん

〈パネラー〉

三元車復元プロジェクトチーム

鉄部担当

武田

敏朗

さん

〈パネラー〉

桑折町商工会青年部長

小野

記章

さん

〈パネラー〉

桑折地区歩いて楽しめる地域

づくり懇談会猪

好巳

さん

〈コーディネーター〉

東京工業大学非常勤講師

伊藤 

さん

5 4広報こおり 平成 27年3月号広報こおり 平成 27年3月号

Page 2: 復元4人乗り三元車、見参...三元自転車復元プロジェク トチームは、平成 21年 10月、 を復元させ、その時開催したれている1人乗り三元自転車現在『三元車』として親しま

基調講演

写真一枚からの設計という非常にハードルの高い仕事だったが、町の人たちの希望に沿うものを作って役に立ちたいと思い取り組んだ。まずは、必要な機能と性能を設定することから始まった。安全性にはだいぶ注意を払って設計した。

 震災で沈む桑折町に、何か自分たちに支援できることはないか、いろいろと考えが混乱していました。そんな中思いついたのが『4人乗り三元車の復元』での支援でした。もっと違う支援の方法もあったのかもしれませんが、コレなら自信を持ってできる、いやコレしかないと思い、平成 23年の8月に着手しました。 復元は、三元車プロジェクトチーム、㈱プランニングネットワークと日大理工学部で役割分担をして進めました。 4人乗りはモデルが存在せず、写真1枚と模型から設計をはじめたため、現実的なものとするには試行錯誤がありました。学生が卒業研究で取り組んだりもしましたが、難しいものでした。そのような状況でも、「壊れず、十分に軽いこと」「1人で運転できること」「危なくないこと」を重要な方針とし、学部内にある工作技術センターの職員の協力を得て復元設計を進めました。また、プロジェクトチーム鉄部の武田さんが「いなずま棒」による駆動方式に気が付いたことにより、ついに、現実的に動く4人乗り三元車が実現しました。 三元車復元に関わったことで、桑折町の人とのつながりができました。復元への原動力は、技術者としてのプライドだけでなく、桑折の人たちの温かさと熱意に触れたことが一番でした。これからもこのあたたかい町とつながっていたいと思います。

F1のメカニックとして世界を巡っていたことがある。4人乗り三元車もF1マシーンと同じで「いかに軽く強くするか」を追求して設計した。このことで鉄部担当の武田さんもだいぶ苦労されたと思う。

「楽しんで作ることができた。動くものができて本当によかったです。」

●戸倉幸治さん(設計・CAD担当) ●柳平和寛さん(監修・設計担当)

<設計担当> 日本大学理工学部 工作技術センター

『可能な限り忠実に復元したかった』

三元自転車復元プロジェクトチーム

鉄部担当 武田 敏朗 さん三元車との出会いと

その再現を通して

 「正直無理だと思いました。」

1人乗りの復元から鉄部の製

作を担当している武田さんは、

最初に依頼を受けた時のことを

こう振り返ります。

武田さんは町内の鉄工所に勤

めて35年の、鉄工と鍛冶のベテ

ラン職人です。勤め先の鉄工所

が、三元自転車復元プロジェク

トチーム(以下、PT)から、

復元する三元車の部品製作と組

み立ての発注を受けたのがきっ

かけで、三元車の復元に携わる

ようになりました。

 

1人乗りの復元は、部品から

すべて手作りするしかありませ

んでした。腕を買われ全面的に

任された武田さんが設計書を手

にしたのは平成21年7月。9月

末に控えていた「三元車展」で

の披露に間に合わせるため、納

期は2カ月という中、受け取っ

た分厚い設計書に書かれていた

部品はおよそ100点。武田さ

んが「無理」と感じたのは当然

のことでした。

 

部品づくりの作業は、ベテラ

ンの技術により、図面通りに、

また納期に間に合うペースで順

調に進んで行きました。そして

すべての部品が完成し、いざ組

み立てて感動の対面!……のは

ずが、第一印象は「何かおかし

い」。図面通りに作ったはずな

のに妙な違和感が残りました。

 

そこで、三元車を見たことが

なかった武田さんは、写真を見

せてもらいます。そして、違和

感の訳が「質感」だったことに

気付きました。

 

鉄工や鍛冶の「部品を加工し

組み立てる」という基本は、昔

も今も同じですが、違うのは「加

工の方法」。現代は加工に必要

な機械・機具・工具できれいに

できますが、三元車の当時は今

のような便利なものは存在しな

かったので、部品加工はもっぱ

ら、炉で真っ赤に焼いた鉄を叩

いて、曲げたり切ったりして行

われていました。この加工過程

の違いから、武田さんが現代の

道具で作った三元車は、全体的

に角が立っていて、いかにも新

日本大学理工学部

機械工学科教授

李 

和樹

さん

この写真1枚から設計書を起こして復元した4人乗り三元車

乗車総重量 400㎏、走行速度時速 12㎞想定で、1人の足踏みでの走行可能な設計がなされた。暫定的に板の車輪(ディスクホイール)だが、今

「鍛冶屋さんの名前が文献に残っていないのが残念。現代のような道具のない時代に、これだけの仕事をした鍛冶職人は誰だったのか、とても知りたいです。」と話す武田さん。

赤で示した稲光の形をした部品。

持ちあがると突起部分に引っ掛

かり、推進力を生む仕組み

【いなずま棒による駆動】

操縦部分。写真中央部、2枚の長方形の板がペダル。立った状態で、足で交互に踏む。

後写真と同様スポークホイールになる。ちなみに4人乗りは駆動方式の性質上、前進のみ。バックはできない。

動く4人乗りの復元を可能にした「いなずま棒」はこの黒いディスクの中でペダルの動きを推進力に変えている。

バックができない4人乗りの必需品、方向転換用の小車輪。進行方向側の駆動輪をレバーで浮かせることで支点となり、コンパクトに回ることができる。

品、昔の技術で作った部品が持

つ「レトロな質感」に欠けてい

たのでした。

 「これでは復元じゃない」。武

田さんは、納期に間に合わなく

なることを覚悟で、一度組み立

てた三元車をバラし、写真を参

考に、各部品を叩いたり角を落

としたりして、当時の雰囲気が

出るよう試みました。1人乗り

三元車は、職人のこうした努力

により復元したのです。

 

一方で、部品の点数が多かっ

たものの、モデルが存在したこ

とである意味楽だった1人乗り

の復元に比べ、写真1枚からの

作業となった4人乗りは、大き

さと駆動方式が分からなかった

ことで、設計段階から困難を強

いられることになりました。

 

日大理工学部と協力しながら

設計を進めた中でも、武田さん

がこだわったのは「忠実な復

元」。素材や駆動方式に、当時

存在しなかったものは使わず、

可能な限り当時のものに近づけ

て作ることを目指しました。

 

そんな中、文献に残っていた

部品「いなずま棒」が武田さん

をずっと悩ませていました。駆

動に必要なはずの部品なのに、

どのように使っていたかの記

載が無かったのです。「これさ

え分かれば……」。武田さんは

四六時中いなずま棒のことを考

えていました。

 

そしてある日、そのいなずま

棒は、ペダルの役割を果たす板

の先端につけて、駆動部分の突

起に棒の鉤型部分が引っかかる

ことで推進力につなげる部品で

あることに気が付きます。いな

ずま棒の役割が分かったおかげ

で4人乗りの復元作業は飛躍的

に進み、完成にこぎつけること

ができたのでした。

 

1人乗りを完成させたとき武

田さんは、やり遂げた達成感と

同時に、当時、三元車を作った

人の気持ちになったと言いま

す。鍛冶職人の気持ちはもちろ

んのこと、発明した鈴木三元さ

んの気持ちも痛いほど分かった

そうです。そんな武田さんだか

らこそ、4人乗りの復元にも、

出来うる限りの忠実さを求め、

情熱を注げたのだと思います。

 「ブレーキがないことや、下

り坂での挙動がどうなのかな

ど、安全面に問題はあるが、と

りあえず『復元』を果たせてよ

かった。職人的な視点では、後

継者がいないという大きな問題

を抱えているが、今回の成功を

きっかけに、安全で実用的な三

元車の開発を進めて行って、町

の活性化につながればいいなと

思います。」

interview

7 広報こおり 平成 27年3月号 6広報こおり 平成 27年3月号

ペダル 1

踏む

押し上げられる

2