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69 Fairbairn のシゾイド論 :分裂態勢 1.概 Fairbai m,W.R.D (188㌢1964)は英国の対象関係論の創始者であ り,精神分析の第 2 の出 発 点 を劃 した 氾ein,M.に多大 な影響 を与 えた精神 分析 家 で あ る。「対 象 関係 Objectrela- tions 」 という用語 自体,彼の創案である。近年それに加えて心的外傷説の観点か ら Fairbaim が提唱 した,外傷の際に生 じる 「悪い対象の内在化」の磯制が再評価 されている (岡野 1995) Fairbai m は臨床では主にヒステリー,シゾイ ド的な人,戦争神経症の人 を治療対象 とした ようであるが,そうした臨床経験から Freudの リビ ドー (本能,欲動,快感) を中心 に据 え た古典的な精神分析理論 を, 自我 と対象 とい う観点か ら根本 的に脱構築 しようと目論 んだ。 中心的な理論的テーゼとして, 「リビ ドーは本来快感希求的ではなく対象希求的である」 と い うこ と,心 的エ ネルギー (欲動, リビ ドー) と心 的構造 は不可分 であ る (力動 的構造 の原 哩),言いかえるとリビ ドーは自我の機能であるということを掲げる。 こう した点か ら Fairbai m は リビ ドー論 と本能論 (死 の本 能) を否定す る。そ して Freud の リビ ドー論 を基盤 にす える Abraham の発達理論 も対象への依存 とい う視点か らみた全 く別 種 の発達論 に置 きかえる。そ こでは 「乳児的依存 infa ntiledependence 」から「移行段階(擬 似独立の段階) 」を経て 「成熟 した依存 maturedependence 」へ といたる精神発達が想定 され ている。 ただ し,以下で も触 れ るように,精神 一性 的発達段 階の なかで 「口唇期」の用語 だけ は廃用 され ない。 む しろ口唇が本来的に対象関係 的だ とい うことか ら,口唇期性 は最重要視 さ , 「乳児的依存」の中身は口唇期の前期 と後期 とされ,口唇期 に精神 的障害のすべ ての原発 的起源 を集約 させ る。 Freudの提唱 した 自我, イ ド,超 自我か らなる心的構造論 において も ,Fairbai m はイドを 否定 し,その三部構造全体 を内在化 された対象 と力動的関係 を有す る自我の観点か ら再構成す る。そのモデルは, 「精神内部構造 endopsychicstmcture 」 と称 される。この 「精神内部構 造」 の着想 にはシゾイ ド的 な人の夢 の臨床が大 いに寄与 した。 Fairbai m は 「分裂性」 (シゾイ ド)の問題 について精神分析学か ら本格 的に取 り組 んだ最 初の臨床家であ り,その記述 は汲め どもつ くせぬ豊か さをたたえた古典であ り,彼 に後続 して 「分裂性」 を問題に した,Wi nnicott , 氾lan,Guntr ip,Laingといった対象関係論の臨床家た ちの橋頭壁 となった。Fairbai m の独 自性の高い理論 については,本論の主題 である議論 に関 係 す る必要最ノト限度 に とどめ,その全貌紹介 は別 に譲 る こととす る (相 田 1995,Fairbaim 1963,Gu ntr ip1961,Kemberg1980,Wisdom 1963) . 2. シゾイ ド現象 Fairba i m は,顕在化 したシゾイ ド的状況 (schizoidcondition)として,精神分裂病その

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Page 1: Fairbairnopac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/2093/GKH...69 Fairbairnのシゾイド論:分裂態勢 高 森 淳 1.概 要 Fairbaim,W.R.D(188 1964)は英国の対象関係論の創始者であり,精神分析の第2の出

69

Fairbairnのシゾイド論 :分裂態勢

高 森 淳

1.概 要

Fairbaim,W.R.D (188㌢1964)は英国の対象関係論の創始者であり,精神分析の第2の出

発点を劃 した氾ein,M.に多大な影響を与えた精神分析家である。「対象関係 Objectrela-

tions」という用語自体,彼の創案である。近年それに加えて心的外傷説の観点からFairbaim

が提唱 した,外傷の際に生 じる 「悪い対象の内在化」の磯制が再評価 されている (岡野

1995)。

Fairbaim は臨床では主にヒステリー,シゾイド的な人,戦争神経症の人を治療対象とした

ようであるが,そうした臨床経験からFreudのリビドー (本能,欲動,快感)を中心に据え

た古典的な精神分析理論を,自我と対象という観点から根本的に脱構築しようと目論んだ。

中心的な理論的テーゼとして,「リビドーは本来快感希求的ではなく対象希求的である」と

いうこと,心的エネルギー (欲動,リビドー)と心的構造は不可分である (力動的構造の原

哩),言いかえるとリビドーは自我の機能であるということを掲げる。

こうした点からFairbaim はリビドー論と本能論 (死の本能)を否定する。そしてFreud

のリビドー論を基盤にすえるAbrahamの発達理論も対象への依存という視点からみた全く別

種の発達論に置きかえる。そこでは 「乳児的依存 infantiledependence」から 「移行段階 (擬

似独立の段階)」を経て 「成熟した依存 maturedependence」へといたる精神発達が想定され

ている。ただし,以下でも触れるように,精神一性的発達段階のなかで 「口唇期」の用語だけ

は廃用されない。むしろ口唇が本来的に対象関係的だということから,口唇期性は最重要視さ

れ,「乳児的依存」の中身は口唇期の前期と後期とされ,口唇期に精神的障害のすべての原発

的起源を集約させる。

Freudの提唱した自我,イド,超自我からなる心的構造論においても,Fairbaim はイドを

否定し,その三部構造全体を内在化された対象と力動的関係を有する自我の観点から再構成す

る。そのモデルは,「精神内部構造 endopsychicstmcture」と称される。この 「精神内部構

造」の着想にはシゾイド的な人の夢の臨床が大いに寄与した。

Fairbaim は 「分裂性」(シゾイド)の問題について精神分析学から本格的に取 り組んだ最

初の臨床家であり,その記述は汲めどもつくせぬ豊かさをたたえた古典であり,彼に後続して

「分裂性」を問題にした,Winnicott,氾lan,Guntrip,Laingといった対象関係論の臨床家た

ちの橋頭壁となった。Fairbaim の独自性の高い理論については,本論の主題である議論に関

係する必要最ノト限度にとどめ,その全貌紹介は別に譲ることとする (相田 1995,Fairbaim

1963,Guntrip1961,Kemberg1980,Wisdom1963).

2.シゾイド現象

Fairbaim は,顕在化したシゾイド的状況 (schizoid condition)として,精神分裂病その

Page 2: Fairbairnopac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/2093/GKH...69 Fairbairnのシゾイド論:分裂態勢 高 森 淳 1.概 要 Fairbaim,W.R.D(188 1964)は英国の対象関係論の創始者であり,精神分析の第2の出

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もの,シゾイドタイプの精神病質パーソナリティ,分裂的性格 (schizoidcharacter),一過怪

のシゾイド状態の4つをあげる。しかしながらよく観察すると精神神経症においてもシゾイ ド

傾向が潜在しており,次にあげる症状や特徴を有 している人ではそれがとりわけ当てはまると

いう。

社会規範が遵守できない,仕事での集中欠如,性格上の問題,性倒錯の傾向,主訴の不明瞭

さ,神秘的雰囲気 自己範晦,現実感の障害,離人感,既視体験,解離症状,過剰な自己意識

などである。

加えて狂信家,煽動家,革命家,犯罪者などにもシゾイ ド現象は見られるという。さらにも

つとマイルドな形のものはインテリと言われる人のうちにも見出だすことができ,超俗,孤立

の態度,知性の偏愛をその特徴としてあげる。

以上のように一見相違する広い範囲にシゾイド現象を見て取るわけだが,こうしたグループ

に包括される人の共通の特徴として (1)万能的態度,(2)孤立し超然とした態度 (attitude

ofisolatiomanddetachment),(3)内的現実への没頭をあげる。

またこうした人に顕著な感覚として不毛感 (senseoffutility)があるO

以上のようにFairbaim のいうシゾイ ド現象には特徴的な心理力動があるとはいうもの

の,臨床群としては分裂病から正常者のスペクトラムの全幅を蔽う範囲でそうした心の動 き

を,顕在的にか潜在的にかは別として,確認 しうるとするものである。そこにはシゾイド現象

が顕現 している程度,シゾイド現象への対処法に応 じて,精神的な正常一異常のスペクトラム

上の位置づけが変わってくるという含みがある。

Fairbairnは 「分裂的 (schizoid)」に 「自我の分裂 (splittingofego)」を合意させる。そ

して 「自我の分裂 (splitting)は普遍的な現象であるcLかしむろんその分裂の程度は人によ

ってさまざまである」(1944/1952 p131)といい,さらには 「こころの基本的な態勢 (posi-

tion)は,みな一棟に分裂態勢 (schizoid position)である」(1940/1952 p8)とさえい

う。

口唇期前期という最早期の心の構造をFairbaim は 「基本的な精神内部構造 basicendopsy-

chic structure」と称する。分裂態勢はこの基本的な精神内部構造そのものと重複すると考え

られる。それゆえに 「分裂態勢」は 「こころの基本的な態勢」であるとFairbaim はいうの

である。

「実際もっとも r正常な』人にさえ,最深 レベルではシゾイ ド的な潜勢が存在する」(Fair-

baim 1941/1952 p58)と考えられ,ス トレスフルな状況下で誰 しもうつ状態になりうる

可能性があるのと同様に,正常な成人であっても外傷的な環境,例えば Fairbaim が目にし

たように,戦闘状況下にあってはこの分裂態勢が再賦活する。また Fairbaim は自我の分裂

が普遍的であることの証左として夢のなかで,夢見手の自我が分裂 して,それぞれが登場人物

として人格化されることをあげる。

したがって分裂態勢にみられる心の布置自体は,口唇期前期の常態そのものであり,口唇期

前期以後も存在 しつづけて,折 りあらば再活性化するものと考えられている。これはKlein

の提唱するふたつの態勢,「妄想一分裂態勢」,「抑うつ態勢」にいう 「態勢」という考え方と

同様のものである。Fairbaim は口唇期後期の心の布置として,meinの抑うつ態勢を分裂態

勢と対照 して掲げる。

このように分裂態勢の構造自体は正常からの逸脱ではない。シゾイドパーソナリティは,分

裂態勢 (口唇期前期)への固着ないしは退行として考えられている。口唇期前期への固着が坐

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じるのは,単にこの時期の対象関係が満足のゆくものでなかったからというのではない。その

ことが精神病理的影響を持つようになるのは,同様の不満足な対象関係が,続く児童期早期の

数年にまで持続した場合であるという。

3.シゾイドパーソナリティに見られるリビドー的態度(口唇期前期の リビドー的態度)

口唇期前期とは乳児の生後一年日の前半,未だ歯が生えぬ半年の期間を指し,口唇期後期と

はそれ以降の半年を概ね指す。

シゾイド現象 (分裂現象)はその口唇期前期の固着に起源するため,シゾイドパーソナリテ

ィの特徴は,口唇期前期に固有なリビドー的態度'の特徴を誇張したものであるとFairbaim

は言う。そこでFairbaim の挙げた4つの口唇期前期の特徴をあげつつ,シゾイドパーソナ

リティの特徴を記述する。

(a)部分対象関係

乳児の母親との関わりは全体存在としての母親という個人に対するもの (全体対象関係)で

はなく,授乳時における乳房という身体器官を通じたものに限られている。母親はいまだ乳房

というレベルで自分にお乳を与えるもの,自分が空腹を満たすためのものといった意味あいが

強い。

シゾイドパーソナリティの人はこのレベルの関係様式を後々まで引きずっており,口唇期前

期と同様に他者を部分対象として扱うことがある。つまり相手を自分とは別個の独自性のある

人格として扱わず,自分の欲求を満たすための単なる手段に股めることがある。ここでは対象

に対する感情が撤去され,対象が非人格化,モノ化されている。

この特性はKretschmer(1958)が分裂気質の3つのサブタイプのうちで 「無感覚者,冷酷

者,ひねくれた変わり者」としてあげた一群に特に明瞭化していると考えられる。他者は,自

分の欲望の観点からしか見られておらず,その人独自の意思や感情や欲求を自分とは無関係に

もつ存在としては想定されていない。

シゾイドパーソナリティにみられる部分対象関係への傾性は,ある退行現象であると考えら

れる。それは口唇期前期に続く次の段階で,両親,とくに母親との間で満足な情緒的関係が結

べなかったことに起因する。こうした退行を誘発しやすい母親とは,子どもを自分の一部のよ

うに扱う (possessive)母親や子どもに無関心な (indifferent)母親であり,最悪なのはその

両方の要素を兼備した母親であるという。そうした母親のもとでは,子どもは,自分が一個の

人格として愛されていると感じることができない。シゾイドパーソナリティが他者に見せる態

度は,かつては母親とのあいだで受身の立場で経験 した体験と,同様のものであると考えるこ

とが出来よう。

子どもは人格全体の個 (personal)としての基盤にたった情緒的交流が維持できないため,

それ以前のより単純な部分対象としての乳房との関係を再活性化させる。関係を単純化 したい

ためにしばしば情緒的接触が身体接触に置き換えられる。

こうした部分対象関係への退行では,「対象の脱人格化 depersonalization ofobject」,「対

象関係の脱情緒化 de-emotionalizationoftheobject-relationship」が生じている。

(b)リビドー的態度において 「受け取るtaking」ことが 「与えるgiving」ことにまさる傾向

口唇期前期では,対象とのリビドー的関係 (愛情的関係)は,授乳ということが中心で,こ

こでは授けられる,つまり相手から受け取るということが主たる関わりであ茸 (排継物は自己

の創造物を与える関わりになりうるが,それはむしろ,対象への価値切り下げと拒絶でありう

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る)。乳児にとって受け取ることは,体の内部に食べものを保持することに等 しい。加えて成

人においても体の内部は心の内部と深層心理においては同等視されている。 したがってシゾイ

ドパーソナリティの人は,授乳での口唇的体内化の態度に伴う体の中身への過剰評価を反映し

て,自分の精神的な内面世界を過大に評価する傾向をみせる。

それに連動して彼らは情緒的な意味で相手に与えることについて抵抗感を覚える。そのため

プライヴァシーや感情を他者に披涯することが難しい。ここから自己輪晦や神秘的雰囲気が生

じてくる。また与えることは精神的な内容物を喪失することを意味し,人といると疲弊し,脱

力感を覚え,自分の人格が貧弱化したと感じる。シゾイド性格者は,こうした感情喪失を防衛

しようと引きこもる。

与えることが出来ない困難を克服するためにシゾイ ドパーソナリティの人は (a)役割演技

と (b)文芸,芸術活動を典型とした 「見せる」,「見せびらかす」行為を妥協方策として使用

する。

(C)リビドー的態度における書込み (incorporation)と内在化

子どもは自分がまるで母親の延長ないしは所有物のようで,母親とは別個の独自の自立性 ・

自発性をもった一個の人間として愛されていないと感じることがあるOまた母親に対する自分

の愛情が良いものとして評価され,喜んで受け容れられていないと感じることがある。

そのような場合,子どもは自分の愛情を外側に向かって表現することを悪いことだとみな

し,愛情を良いものとしておくために,それを心の内側にしまっておくようになる。加えて,

自分の愛情表出を悪しきものだと感 じるのみならず,それが般化されて愛情関係一般を悪いも

の,少なくとも当てにならず剣呑なもの (precarious)だとみなすようになる。

こうした結果,口唇活動さながらに対象を呑みこむことによって内側 (内的世界)に取りこ

み貯めておこうとする。いわば宝を内に積むといったようなものである。そのため内的世界は

過大評価をうけ,シゾイドパーソナリティの人は,自己の内面に価値を置く。その人は次第に

「内向的」になってゆく。そこからは知性の重視,秘密主義,秘匿された内的な優越感 (内界

の過大評価と密かな自己愛の肥大)が生じる。

内在的対象は過度に重要視されており,こうした対象を密かに所有 しているという感覚から

は 「自分は人とは違っている」という感覚が生 じ,これは一方で 「自分は人と外れた変人」と

いう感覚とも結びっいているOこうした人は仲間集団からひとり外れていることを主題とした

夢を良く見る。

このほか 「内的現実と外的現実を適切に区分しそこなうというシゾイドの特徴」(Fairbaim

1940/1952 p13)にも注目すべきであろう。春込みが優勢な対象関係では自己の内外の区

別が不明瞭化しやすく,能動一受動の反転も生 じやすいOそれらはときに現実感の障害や自我

境界の不鮮明化 (自他の未分化状態)として表現される。

(d)充溢 (fuJlness)と空貞 (emptiness)の重要視

乳児は授乳の欲求が満たされないと空腹を感 じ,自分が空っぽで空虚になったと感 じる。一

方,自分がお乳を吸って春込むことで,愛情対象 (乳房)が空っぽになって消耗 し,消滅 した

のではないかと感じる。子どもは自分のリビドー的 (愛情希求的)欲求が乳房を破壊 し,消滅

を引き起こしたのではないかと危倶する。これは乳房にとどまらず,母親そのものを破壊,潤

滅させたと体験されるOむろん乳児の意図としては破壊するつもりはないのだが,結果として

なくなった以上 原因は自分のリビドー活動にあると解釈 し,自分のリビドー欲求を破壊的で

危険なものとして体験する。乳児の認知機能が成熟してくると,対象は消滅したのではないこ

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と,自分の呑込み欲求が対象を破壊したのではないことがわかってくる。

しかし口唇期前期に固着がある場合,とくに自分が愛されるとしてもそれは誰かの所有物の

ようにであり,ひとりの人間としてその固有の存在自体が尊重され愛されているのではない,

自分の愛情が良いものとして評価され受容されていないと感じられる場合には,先の不安が再

燃賦活する。つまり自分の愛情的感情が,相手を消耗させはしないか,相手に損傷を与えはし

ないかといった不安が高まる。

そうなると子どもは,母親が自分を愛してくれないのは,元はといえば自分の方が母親の優

しい愛情を台無しにしてしまったからであり,自分の愛情が受け容れられないのは,もともと

自分の愛情が破壊的で良くないものだからだと感じる。

4.シゾイドパーソナリティのリビドー的態度から帰結する3つの悲&1

口唇期前期の分裂態勢において優勢な不安は,以上みてきたことから分かるように 「自分の

愛情が母親の愛情 (良いもの)を破壊するのではないか」という命題に集約できる。悪しきも

のは,自分の愛情である。

口唇期後期の心的態勢としてFairbaim はKleinの提出した 「抑うつ態勢」を想定する

が,そこでは 「自分の攻撃性 (憎しみ)が母親の愛情を破壊するのではないか」という不安が

主題になる。ここでの悪しきものは自分の憎しみである。この場合,自分の愛情を良いものと

して保持しうる。

分裂態勢での 「自分の愛情が母親の愛情を破壊する」ということと,抑うつ態勢での 「自分

の攻撃性 (憎しみ)が母親の愛情を破壊する」こととの懸隔は大きく,前者の,自分の愛情が

対象を破壊するという事態は後者に比べはるかに解消しがたい難事である。

口唇期前期の愛情希求 (リビドー的態度)は身体活動としての摂食であり,それは生命活動

そのものに直結している。したがってリビドー的態度 (愛情希求)を悪しきものとみなす姿勢

は 「自分の生命活動自体が悪である」とする感覚に連続しうるものであろう。

口唇期前期のリビドー的態度,これは後の成人言語で細分化して言えば,自分に必要なもの

を要求すること,相手から愛情を求めること,相手に愛情を示すことということになろうが,

そうしたことが抑制されざるをえなくなる。なぜなら,そうした感情は相手に害を為すやもし

れぬと無意識的に思われるからである。

このことを考え合わせるとシゾイドパーソナリティの人が情緒的に相手に与えることが出来

ないのも当然である。シゾイド傾向をもった人が自分の愛情を心のなかにしまいこんでおくの

は,価値あるものを惜しくて手放せないからだけではなく,自分の愛情はとても危険で自分の

愛情対象に差し向けることが出来るような代物ではないと思っているからである。愛情を大切

に金庫に保管するのみでは不充分で,他人に危害を加えないように程の中に閉じ込めておかな

くてはならないと感じているからである。

自分の愛情への評価と鏡像のように対をなして,他者の愛情も同様に危険なものだという解

釈がさらに付加わる。その場合,自分のリビドー対象は,口唇的な呑込みのイメージを反映し

て,自分を遠慮会釈なく余り食う,腹をすかした狼のように食欲な姿として体験される (言う

までもなくこの貧食の狼は愛情を希求する際の自己イメージでもあ岩)。これは,被害感を伴

った不安,つまり相手から 「食いものにされる」不安体験である。そのためシゾイドパーソナ

リティの人は,自らが人を愛する危険に対しても,人から愛される危険に対しても防衛しない

といけない。それゆえ情緒的接触へと駆り立てるリビドーの根本傾向を全面的に抑圧し,人と

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の情緒的関係から引きこもるのである。彼らは人を愛することも,人から愛されることも自ら

に禁じようとする。

さらには愛情的関係から引き離れるのみならず,より積極的にそれらを攻撃性によって遠ざ

けようとする。つまり自分が愛情を向ける,あるいはそこから愛情を得たいと切望するリビド

ー対象と喧嘩したり,相手を侮辱したり,相手の前で粗野に振舞ったりするのである。そうす

ることで相手から嫌われ,憎 しみを受けるようにもってゆき,自分を愛情的な関係から遠ざけ

ることに成功するのである。自身が他者に向ける愛情も他者が自分に向ける愛情も共に憎しみ

へと取 りかえられるのである。

こうしたことを考え合わせれば,シゾイドパーソナリティにとって他者の安易な親切や好意

の類が救いとならないのは自明のことであろう。「能動的な愛が恐怖から数えないのは,宗教

家と心理学者の観察が一致するように,恐怖の最深の核は,愛そのものに対する恐怖だからで

ある」O(Hillman 1967 邦訳 p32)。彼 らは,はるか遠 くから愛すること,はるか彼方から

愛されることしか自らに許すことができない。

さてここでは愛情が憎 しみに置き換えられているのだが,愛情が憎 しみに置換されるには2

つの理由があるという。第一は愛情関係から締め出されているうえは,いっそ憎 しみや破壊か

ら得られる悦びに身を任せ,人から恐れられるような破壊力をもった強力な自分を良しとする

こと。これは不道徳な動機といえるもので,喰えていえば悪魔と契約を結び,「悪よ,汝わが

善となりたまえ」と祈るようなものである。この動機が革命家や売国奴を生み出す。ここには

自身の攻撃性がリビドー化されるという倒錯をみてとることができる。

次に自分が愛情対象を破壊させるとしても,それが自分の愛情によるものであるよりは,憎

しみによる方が,まだしもだと思われるためである。それは,自分の憎 しみに限らず,憎しみ

というものが誰にとっても破壊性を意味する悪しきものだからである。これは前者に比して道

徳的動機といえる。

上述 してきたことをFairbaim はシゾイ ドパーソナリティの 「3つの悲劇」として要約す

る。第 1の悲劇は自分の愛情が愛する者を破壊するように感 じてしまうこと。つまり本来善で

あるべき自分の愛情が悪 しきものとなること。第2の悲劇は愛情が憎しみに置き代わってしま

うこと。つまり本来悪 しき憎 しみが,本来愛情という善のつくべき座を代わりに占めること。lい第3の悲劇は第 1,第2の悲劇から導かれる道徳的価値転倒である。ここでは,愛という善が

悪に,憎しみや攻撃といった悪が善に転倒 している。

以上 3節および4節で口唇期前期つまり分裂態勢に固着したシゾイドパーソナリティのリビ

ドー的態度をとりあつかった。次に分裂態勢に言及したいがその前に,「基本的な精神内部構

造」を明らかにしておこう。それというのも本論2節で述べたように基本的な精神内部構造

は,分裂態勢にはかならないからである。

5.「基本的な精神内部構造」について

精神内部構造は以下の一連の過程によって生じると考えられている (Fairbaim 1944)0

口唇期前期において,まず良くもなければ悪 くもない (欲求充足的でもなければ欲求不満を

与えるのでもない)アンビヴァレンツ以前の対象 (pr。-am bival。nt。bj。蒜 が内在化 され

る。

この内在化された対象との関係でアンビヴァレンツが生じると対象は3つに引き裂かれる。

過度の刺激を喚起する側面と過度に欲求不満をひき起こさせる側面が引き裂かれ,それぞれ

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Fairbaim のシゾイド論 :分裂態勢 75

「興奮させる対象 (orリビドー的対象)exciting(orlibidinal)object」,「拒絶する対象 (or

ァンチリビドー的対象)rejecting(oranti-1ibidinal)object」となり,それらは自我によっ

てともに抑圧を受ける。その後にもとの対象の主要な中核的部分が残され,これはリビドー的

に中性的なもので抑圧をうけずに保有され,のちには 「理想対象 (自我理想)」となる○

こうした対象の分裂と抑圧にともなって,先の2つ,「興奮させる対象」,「拒絶する対象」

に愛着していた自我の部分のそれぞれが切り離されて抑圧をうける。それらは 「リビドー的自

我 libidinal 。g。」,「反リビドー的自我 anti-1ibidinal e三言」と称される。対象の抑圧にとも

なう抑圧を受けずに残った自我の中心部分は意識的なままで 「中心自我 centralego」とな

り,抑圧の主体となる。そして中心的自我は理想的対象と対になるo

こうして 「理想対象」と対になった 「中心自我」,「興奮させる対象」と対になった 「リビド

ー自我」,「拒絶する対象」と対になった 「アンチリビドー自我」という自我分裂状態が生じ

る。これが基本的な精神内部構造と称される心的力動構造である。

ここでは,中心自我が 「リビドー自我一興脅させる対象」,「アンチリビドー自我一拒絶する

対象」に対 して攻撃性によって 「直接的抑圧 directrepression」を行っている。これに加え

て 「間接的抑圧 indirectrepression」も生じており,これは 「アンチリビドー自我」が,「リ

ビドー自我一興奮させる対象」に対して攻撃性を行使する働きである0

この基本的な精神内部構造が分裂態勢そのものといってよい。すでにふれたようにFair-

bairn は,Kein の言った 「抑うつ態勢 depressiveposition」を口唇期後期に,分裂態勢をよ

り早期の口唇期前期に想定し,この2つの態勢を対照させる。

6.分裂態勢と抑うつ態勢

Fairbaim (1941/1952)は,「シゾイド状態と抑うつ的状態は2つの根本的な精神病理的状

態であって,その点について他の精神病理的な展開はすべて2次的に派生したものである」

(p57)と述べ,精神病理学的な性向に関しては,乳児的依存関係の困難が口唇期前期にあっ

たのかそれとも,口唇期後期にあったのかによって,「いかなる個人も基本的な2つの心理学

的タイプ,つまり分裂的 (シゾイド)か抑うつ的のどちらかに分類されるかもしれない」(op.

°it.p56)とする。精神病,操うつ病をもとにして,健常者をも含めて人を心的2タイプに区

分しようとするのはKretschmerの分裂気質,循環気質 (同調性)に相似 した発想といえる。

Fairbaim は分裂態勢をKeinの抑うつ態勢と対照させる。しかしこれらを対立する2つの

根源状況とはしながらも,Fairbaim は抑うつ態勢自体の解明にはさして関心がなく,焦点は

もっぱらより早期の,心のより深い層であると思われる分裂態勢にあり,抑うつ態勢はその違

いを対比させることで,分裂態勢の性格を浮き彫 りにするために言及されているにすぎない。

一方,すでに良く知られているようにKeinは,Fairbairn の分裂態勢の考えを受けて,抑

うつ態勢に先行する態勢として,妄想 一分裂態勢 (paranoid-schizoidposition)を提唱する

こととなる (Klein 1946,R。senfeld 194仇 口唇期に,つまりこの2つの態勢に全ての精神

病理の起源を還元しているように思われる点はFairbairn とKein派に共通する特徴といえIl=るだろう。ただし両者の相違点も大きく,それは,氾einが攻撃性 (死の本能)に対 して第一

義的な重要性を与えて展開するのに対して,Fairbaim は,攻撃性について,抑うつ段階に関

しては分裂態勢と対照させて言及するものの,分裂態勢では攻撃性に触れない,というより攻

撃性の欠如をこの時期の特徴とみなしていることである。Fairbaim の理論構成全体がリビド

ー関係を中軸に展開しており,攻撃性にはほとんど重要性が与えられていない。Fairbai-

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76 天 理 大 学 学 報

は,死の本能は存在せず,攻撃性とは欲求不満や剥奪に対する反応であると考える。こうした

攻撃性の軽視は後年の研究者から,批判されている点でもある。

mein の妄想-分裂態勢とFairbaim の分裂態勢から受ける全般的な印象の差は,前者が流

血が流血を呼ぶ煮えたぎる世界であるとしたら,後者は,無気力が死滅を呼ぶ索漠の世界とい

ったものであろう。

さて以下に分裂態勢と抑うつ態勢を対照させながらみてゆくことにしよう。

発達的にはすでに述べてきたように分裂態勢は口唇期の前期,抑うつ態勢は口唇期の後期に活

発な心の布置である。前期では歯が生えておらず 「吸う」活動が関係様式の大半であるためこ

の時期の葛藤は 「吸うか,吸うべきでないか」という二者択一すなわち心理的な表現としては

「愛すべきか,愛すべきでないか」である。

一方,後期に入ると乳児は歯が生えてきて乳房を噛むことができるようになり 「吸うべき

か,噛むべきか」という葛藤が生じる。乳房を噛むことは拒絶,攻撃性を表現する通路となり

える。抑うつ態勢での心的葛藤は 「愛すべきか,憎むべきか」である。

分裂態勢と抑うつ態勢では対処すべきものが相違し,前者は自分の愛情が,後者では自分の

憎 しみが問題となる。シゾイド的なひとが抱える大きな問題は 「愛によって破壊することな

く,いかに愛するか」(Fairbairn 1941/1952p49)であり,一方,抑うつ的なひとが抱える

大きな問題は 「憎しみによって破壊することなく,いかに愛するか」(ibid.)として表現され

る。前者は自分が愛してもらえないのは自分の愛が悪いもので破壊的だからであると考える。

リビドー関係そのものが悪いものであるため,関係自体を持つことができない。後者は自分が

愛してもらえないのは自分の憎しみが悪いもので破壊的だからであると考える。この場合は,

外的対象を相手にリビドー関係を結ぶことができる。ただし愛憎の両価性のために関係の維持

がうまくできない。

両者の相違点は,対象を単に拒絶するといった反応を,口唇期後期になってから直接的な対

象への攻撃性 (噛むこと)にうまく置き換えられたか否かによって生じる。

母親からの拒絶を子どもが体験した際に子どもは攻撃 (憎しみ)を表現することによって対

処するか,あるいはリビト 的感情 (愛情の希求)を表現しようとすることで対処を図g'.しかし2つの対処法にはどちらにもそれぞれ固有の危険性が随伴している。前者の場合,憎

しみを表現すれば対象は振り向いてくれるどころかますます拒絶的になって,さらに欲求不満

を与える悪い対象になりかねない危険性がある。攻撃性を表明することはよい対象を喪失する

危険にさらされることである。

一方,後者の場合,拒絶された状況で対象にさらにリビドー的欲求 (愛情)を乞おうとする

が,これが無視,拒絶される危険性は高く,そうなった場合,自分の愛情が良いものとされな

かったことからくる屈辱感 (humiliation)が子どもを襲う。自分の愛情表現が省みられず軽

んじられ,状況を好転させることが出来なかったことで,より深いレベルでは屈辱感に加えて

恥 (shame)の体験が伴っている。この屈辱感と恥の感情のために自分は無価値で無能,貧粗

で何も良いものをもたない乞食のように卑ノJ、な存在だと感じる。愛情表現 (自分の持てる良い

はずのもの)によって状況を好転させ対象から愛情を獲得することができないために,自己効

力感が喪失する。劣等で何も為すことができないという意味で自分は悪い存在であると感 じ

る。この自己価値感の凋落は,自分が 「あまりにも多くのことを要求する」のが良くないのだ

という感覚によってさらに強化される。何をしても無駄だ,虚しいという不毛感 (affectoffu-

tility)が優勢となる。

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Fairbaim のシゾイド論 :分裂態勢 77

拒絶された状況で対象への愛情を表明することは,自分の良いものであるリビドーが空無化

される危険を冒すことになる。リビドーが無価値化され空無化されるとひとは解体と心理的死

滅の危殆に瀕する。リビドー喪失はひいては自分自身を構成している自我構造の喪失を意味す

るからである。

攻撃性を表明することにまつわる葛藤が抑うつ状態の基盤を提供し,愛情を表明することに

まつわる葛藤がシゾイド状態の基盤を提供する。

7.先行の記述精神医学との関連

シゾイドパーソナリティに関して展望する場合,Bleuler,Kretschmer,Minkowskiとい

った先行する大陸系の記述精神医学の流れとFairbaim に端を発する英国の精神分析が交差

点のない別系統の流れとして把握されることが多いが,そうした認識は必ずしも好ましいもの

とは思えない。

まず記述の対象とされている人は両者ともほほ同様の一群であると思われるOまた精神的布

置に分裂病と操うつ病という内因性精神病が心的類型として採用されている点に共通の発想を

みることができることはすでに指摘 した。

シゾイドパーソナリティと精神疾患としての分裂病との実質的関連がどの程度,想定されて

いるかは,各論によって区々である。シゾイドと分裂病との実質的関連の程度については,シ

ゾイド理論を考える際に等閑視してはならない重要な点である。Bleuler,Kretschmer,Mink-

owskiでは言うまでもなく,分裂病の臨床から発し,シゾイドは分裂病の頓挫型,分裂病と同

様の遺伝的潜勢を有する者,分裂病の病前性格,分裂病と連続する気質の持ち主といった理解

の線上にある。

クライン派のシゾイド論では,Rosenfeld,Bionといった分裂病治療者の臨床的知見がもと

になって,妄想-分裂態勢が彫琢されている。

一方,「Fairbaim が精神病,それもとりわけ分裂病については,ほとんど言うべきことを

もたない点」(Kemberg1980)には注意しておく必要がある。

しかしながら,この2類型の心的タイプを病者の分類に限らず,健常者も含めた人間の生き

方,さらには存在構造の対立する2原理にまで拡張する点も先行する大陸系記述精神医学と

Fairbaim とで同様である。

Fairbaim 自身,大陸の精神病理学者の知見と彼の分裂態勢,抑うつ態勢からなる2元論的

タイプ論を関連させている。

Jungの内向性一外向性の理論との関連に関して,「分裂的」(schizoid)という概念は,Jung

の内向的タイプ (introverttype)という概念と実によく対応しており,とりわけその概念が

指示している対象 (denotation)については符合していると述べ,両者を等価的に言述してい

る個所をいくつか見出すことができる。「内向的な人は根本的には分裂的な人のことだ」(1941

/1952p50),「乳児的依存の投階で 『分裂的』傾向あるいは 『抑うつ的』傾向のどちらかが優

勢となるわけだが,どちらが持続的に優勢となるかに応じて,人に関する2種類の対照的なタ

イプが生 じるのであるOそれは (a)r分裂的』(内向的)なタイプと (b)『抑うつ的』(外向

的)なタイプである」という言い方をしていg'(Fai,bairn 1951/1952p163f)O

さらにJungよりはるかに自分の考えに近いものとしてKretschmerの 「分裂気質」,「循

環気質」の考えに言及し自分の主張の裏付けとしている。ちなみにFairbaim とKretschmer

は全くの同時代人であり,Fairbaim の生年が Kretschmerより一年遅いだけであるO

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78 天 理 大 学 学 報

両者の相違点はといえば,2タイプの差がどこに起源すると想定するかにあると言えよう。

Kretschmerは,内的要因つまり生得的要因に近い体質,気質を問題にするのに対 して,Fair-

baim は外的な環境因との相互作用,獲得要因を重視する。この相違は小 さいものとは言えな

い。

Kretschmerは,後年,分裂気質,循環気質の2元論に,3大精神病のなかで残る痛痛 と関

連づけて 「粘着気質」を追加提出し,それら3つの気質の関係を,一直線上の3点ではなく3

角形の頂点のようなものとして考えた。そこには時間軸上での相互の位置関係は想定されてい

ない。

-方,Fairbaim が問題にする分裂態勢と抑うつ態勢では,両者に時間軸での位置づけが賦

与されている。「態勢」は発達段階と相違 して,分裂態勢がすめば,抑うつ態勢に発達すると

いう線状モデルではなく,両態勢の共時的な共在を許すものである。 しかし,分裂態勢は抑う

つ態勢より,より早期の蒼古的な心の状態であり,初期の発達においては,分裂態勢から抑う

つ態勢へと適時的な時間軸に沿った進行方向が想定 されている。適時的な時間軸上 (発達論

上)で物事を整理する発想は精神分析一般に共通するものではある。

Fairbaim 以前のシゾイド論では,シゾイ ドはある既成の心的状態として,その特性が的確

に記述されていた。Fairbaim のシゾイ ド論で価値があるのは,彼はそれを越えて,シゾイ ド

の心的な布置がいかに生成されてゆくか,そのプロセスに焦点をあてたことである。 しかもそ

の記述の視点は,外部観察者のそれではなく,主体の内側からのものであり,その論は主体の

内的苦悩の性質を浮き彫 りにしようとするものであった。

(1) リビドーは一般に身体やイドに基盤をもち,快感の充足を求める心的エネルギーを指すが,

Fairbairnにあっては,リビドーは自我の機能であり,それは快感ではなく対象を希求すると

考えられている。したがってFairbaim のいう 「リビドー的」という用語は,従来の快感追求

的要素を排除しないが,対象希求的とでもいうべき意味合いをより包含するもので,対象との

心的紐帯を求めて対象に (心的に)接近するよう駆り立てる心の動きに言及したものと理解で

きよう。一方,攻撃性は対象を遠ざけるための心の動きといった意味合いで使用されている。

単純化が許されるならばリビドーを対象との心的引力,攻撃性を対象との心的斥力になぞらえ

ることができよう。

(2) Fairbairnは,リビドー的関係において 「受け取るtaking」ことが 「与えるgiving」ことに

勝るというが,それは外的観察者の視点としては妥当な表現だが,自他が未分化な状態の主体

からすれば,「受け取ること」と 「与えること」も不分明なはずである。受け取ることと与える

ことの区分,あるいは 「やり・とり」が生じるには,対象が自己から分離していなければなら

ない。

Elein派は生後すぐの発達最早期から対象とのやり・とり,つまり対象関係を想定するが,

それはオーソドックスな古典理論でいわれる一次ナルシシズムをはっきりと否定し,乳児には

最初から自我境界が存在しており,自己と非自己 (対象)を区別して認識できていると考える

からである。自己と対象が混同されるのは,万能的な防衛機制に基づくあくまで2次的な,柄

的状態であるとみなす。

一方,Winnicott(1965)などは初期の母子一体性の重要性を再三強調する。有名な移行対象

論もむろん一次ナルシシズムを前提とした理論であり,一次ナルシシズムをめぐる考え方の相

違および外的環境要因に対する考え方の相違によって彼はElein派と枚を分かつことになる。

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Fairbaim のシゾイド論 :分裂態勢 79

Fairbaim に関しては,この点ややあいまいであるが,一次的同一化 (primary identi丘ca-

tion)という用語で,主体と対象がいまだ十分分化していない状態に言及しており,一次ナル

シシズムの考えを受容しているように思われる。

自他が未分化な状態であれば乳児は相手からただ受け取っているというふうには体験はしな

いであろう。口唇期前期では,愛すること (与えること)と愛されること (受け取ること)の

区別,換言すれば愛情関係での主体,客体の別が融合しており,外的観察者からすれば,満足

に授乳されている,つまり愛情を与えられている情況を,乳児は自分が母親を愛している,具

体的には自分が母親に授乳している情況として体験すると考える方がより適当かもしれない

(conf:Wimicott1970/1992)。

この時期,愛情を与える側面と愛情を求める側面が融合一体化 して両者の別なくリビドー的

態度となっており,その全体が,外部観察者からみれば受け取る様式とされる愛情関係の質に

規定されると考えるべきであろう。それゆえFairbairnは議論のなかでは,「与える形での愛

情」は直接問題にせず,文脈によって断りなく口唇期前期に特徴的な受け取る形の愛情関係

を,後年の成熟した与える形の愛情関係に置き換えて両者の別なく論を進めてゆくところがあ

る。

したがってFairbairn のいう 「愛 love」も一般的な用法とは相違している。口愛的な欲求充

足を求める関係,体内化への衝動に対してもFairbairn は 「愛」という術語を使用する (これ

には土居 (1971)のいう 「甘え」,Balint(1965)のいう 「受身的対象愛」(passive object

love)という術語が至当だろう。Balint(1965)はヨーロッパの言語では能動的愛情と受動的

愛情の十分な弁別が存在しないことを指摘しているが,この点も考慮すべきかもしれない)。乳

房を吸うことが乳児の愛,噛むことが憎しみと同等祝される。

以下のような例で,Fairbaim のいう愛-体内化ということがはっきりする。「ある子ども

が,ぼくはケーキが好きだ (love)といえば,ケーキは (食べられて)なくなってしまうのは

確かで,結果としてはケーキは破壊される。しかし同時にケーキの破壊はその子の 『愛』の目

的ではない。それどころか仝くその逆で,子どもの観点からすればケーキが消え去ったのは,

自分の 「ケーキへの愛」が引き起こしたこの上なく遺憾な結果なのである」(Fairbairn1941

/1952p49 強調は著者)a

「もらうことtaking」,「与えることgiving」の2極でいえば,一般に 「愛」は相手に自分を

与えることに対応するだろう。しかも受け取るtakeものが身体的な世話を中心とする情緒交

流であってみれば,身体的な欲求を満たして 「もらおう」とすること,これはせいぜい愛情希

求と言えても,これを子どもの 「愛」と表現するには一般的には抵抗があろう。乳児的な必要

性を満たしてもらう関係が,先に述べたようにgivingとしても体験されているために,後年,

「愛情関係」といわれるものの原版になると考えるべきかもしれない。

一般的に愛というものが与えるもの givingであるか,もらうものtakingであるかは,さて

おくとして,Fairbaim のいうところは以下のように敷桁されるだろう。

口唇期前期では彼がいうように愛情にまつわる関係 (愛情対象との関係)において 「もらう

ことtaking」が 「与えることgiving」に優勢である。したがって口唇期前期に固着のあるシゾ

イドパーソナリティの人も 「愛」をtakingの性質を帯びたものとして心的に体験する。

ところで外部観察者からは受身的に 「もらうtaking」と表現されるやり取 りが,主体からは

能動的な 「奪うtaking」こととして体験されるのは容易に推測がゆく。そこで成人したある一

群の人にとっては愛は与えるというよりも,相手を奪う,より正確には相手の自己同一性を奪

って自分の中に取り込むこととして体験される。そうした体験様式に関して有島武郎 (1955)

の 『惜しみなく愛は奪う』が参考となろう。

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80 天 理 大 学 学 報

「私がその小鳥を愛すれば愛する程,小鳥はより多く私に摂取されて,私の生活と不可避的に

同化 してしまうのだ。 - ・私にとっては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。

小鳥は私だO私が小鳥を生きるのだ.(Thelittlebirdismyself,弧dIliveabird)- 私は小

鳥とその所有物の凡てを残すところなく外界から私の個性へ奪い取っているのだ」(p66)。

以上のように早期の母子関係においては,愛はすなわちtakingであり,口唇期早期に固着

のあるシゾイドパーソナ1)ティも体験様式において愛のtakingの側面が目立つ。

一方,そうだとしても,成人したシゾイドパーソナリティにおいてはtaking的な側面と区

別 して,愛の 「giving」的な側面に関する記述は不可欠だと思われる。Fairbaim にはこの点

に関する記述が存在しない。

(3) この主題に関 して Fairbairn は付言するにとどまる。Guntrip(1968)は,この愛情への

「食欲さgreed」を重視 して,対象を呑みこむ不安,対象から呑み込まれる不安に光をあて,

特に後者の不安,対象から呑みこまれ主体を喪失する不安について探求を深める。

(4) RoSenfeld(1965)が分裂病患者 に共通す る特徴 としてあげた 「混交状態 confusional

state」と関連させて考えることができるかもしれない。混交状態とは,死の本能がリビドーを

支配し,良い対象が誤って破壊される状態のことで,Rosenfeldはこの原因を羨望 envyにも

とめた。この状態では,善悪が交差し,良い対象と悪い対象,リビドー欲求と破壊欲求の仕分

けが不全化する点,類似性を想定できる。

「分割 (splitting)は,自分が破壊されたり,愛するものを破壊 したりする圧倒的な不安が

発展することなく,乳児が安全に乳を吸い愛することを可能にし,安全に欲望し憎むことを可

能にするO」(Ogden1986邦訳 p47)「分裂病を含む重篤な精神病理に導きうるひとつの条件

は,分割を適切に用いることができないということなのである。」(op.°it.p43)

(5) 1940年の論文では最初に内在化される対象は,口唇期前期のアンビヴァレンツ以前の対象で

あるとされたが,1941年以後は,外的対象は内在化以前に外界との交流で生 じたアンビヴァレ

ンツのためにすでに良い対象と悪い対象に引き裂かれており,最初に内在化されるのはつねに

「悪い」対象であるとされてきた (満足を与えてくれる 「良い」対象は最初に内在化される必

要はなく,内在化された悪い対象に対する防衛のために内在化される)0

しかし,再度この考えは修正され,分裂を知らない自我はアンビヴァレンツ以前の対象を内

在化し,この内在化された対象との関わりを通じてアンビヴァレンツが生じるとした。

(6) 「反リビドー自我」は1954年の論文で導入された術語で,それ以前では 「内的破壊工作員 (in-

temalsaboteur)」と称されていた。

(7) Rein(1946)は,彼女のいう妄想態勢 paranoid positionには本質的に,Fairbairn の記述

した自我分裂の過程が含まれていると考えられるために,彼の分裂態勢の 「分裂」の用語を付

加して,妄想態勢を妄想一分裂態勢 paranoid-schizoidpositionと改称した。

しかしながら,EleinはFairbaim の見解で,同意できない点もあげている。まず悪い対象

だけが内在化される点。ついで 「私は,彼の次の見解に対 しても異議がある。すなわち,分裂

的個体にとっての重要な問題は,愛によって破壊することなくいかに愛するかということであ

り,抑うつ的個体にとっての重要な問題は,憎 しみによって破壊することなくいかに愛するか

ということである,とみた点である」(邦訳 p7)と述べ,Fairbairnが最初期から活動 してい

る攻撃性や憎 しみの役割を考慮 していないとして批判する。

(8) 「おそらくⅩleinの妄想一分袈態勢と同様に,Fairbaim とwinnicottの記述した分裂の力

動性は,おおまかに言って,Mahlerの分離一個体化期に対応するものと思われ,Fairbairnの

分裂的防衛は,おそらく早期分化期から再接近期までの範囲に対応するものと思われる。」と

Kemberg(1980邦訳 pllO)は示唆する。

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Fairbaim のシゾイ ド論 :分裂態勢 81

またArieti(1974)は分裂病性の障害を 「口唇期への固着」とする精神分析での公式を退け

るよう注意を促す。「この時期の赤ん坊と母親との関係の中に,既にさまざまな異常が存在する

としても;それらの異常は,後の成人の精神分裂病と直接関係するものではないと強調 してお

くことは重要である」(邦訳 p96)。そして,自立性の徴候 を示さず,子どもが完全に依存的な

状態では母親は適切に対応でき,むしろ困難は子どもが自立的個となり,両親のそれとは合致

しない自分独自の願望や要求を持ち始めたときに生じると述べる。

(9) 感情というものが単に主観内の出来事としてではなく,外界との関係維持のための機能とい

う観点から考察されている点,注目される。

(10) MiI止owski(1953)は,分裂病,分裂病質の本質を自閉性,彼のいう 「現実との生ける接触

の喪失」にみる。こうした概念は,一般には,外界からの引きこもり,受動的状態,静止的状

態や内向,内省,内的生活への沈潜と同一視され,分裂病質はJungの内向タイプに重ね合わ

せられる向きがあるが,Minkowskiはそうではないという。内向性を構成する 「内省,夢,夢

想などの受動的状態は,それだけでは自閉性の概念を充分につ くし得ないのであって,さらに

自閉的活動性が顧慮せられねばならぬ」(邦訳 p131--部改訳)としてこれまで等閑視されてき

た 「自閉的活動性」を問題にする。

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