イギリスの観光都市バース...

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イギリスの観光都市バース ~景観保全とナショナルトラスト~ 国際学部国際学科 20427029 今枝美貴

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Page 1: イギリスの観光都市バース ~景観保全とナショナルトラスト~...筆者は、2006 年7 月~2007 年7 月までの1年間、イギリスのバースという街に留学す

イギリスの観光都市バース

~景観保全とナショナルトラスト~

国際学部国際学科

20427029

今枝美貴

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イギリスの観光都市バース

~景観保全とナショナルトラスト~

はじめに 今日、観光は、私たちにとってとても身近なレジャーの一つとなった。観光といっても、

その目的は様々にあり、教育を目的とした修学旅行、スポーツを目的としたスポーツ遠征、

リラクゼーションを目的としたもの、異文化交流を目的にしたものなどがある。このよう

に、様々な目的で人々は観光を楽しんでいる。そして、観光を私たちにとって身近にした

要因には、テクノロジーの発達、グローバリゼーションがあげられるであろう。テクノロ

ジーの発達は、観光にとって重要な移動手段を豊富にした。自家用車、バス、タクシー、

電車などによる国内の移動はもちろん、国外への移動も船、飛行機の発達により現在では

簡単なものとなった。また、こうしたテクノロジーの発達はグローバリゼーションをもた

らし、国外への旅行をとても身近なものとした。 しかし、こうしたテクノロジーの発達やグローバリゼーションは観光を身近なものとし

た一方、観光による人々の大量移動を引き起こすことになった。それに伴い、人々の移動

手段となる乗り物、交通機関は環境汚染を推し進めることにつながっている。自動車によ

る排気ガス、また国外旅行を身近なものとした飛行機は大気汚染をもたらす。そして、自

家用車、バス、タクシーなどの移動手段は空気汚染のみならず、その観光都市となる場所

周辺に交通渋滞などを引き起こすことにもつながる。交通移動に必要となる道路や線路な

どの交通整備は、観光地の景観を壊すことにつながる。また、人々の移動は、その観光地

のゴミの量を増やすことにつながる。このように、観光にはレジャーという人々の楽しみ

の反面、環境汚染につながってしまっているという現実がある。 筆者は、2006 年 7 月~2007 年 7 月までの1年間、イギリスのバースという街に留学す

るという機会を得ることができた。そして、筆者はイギリス人ではないので、筆者もこの

都市への観光者の一員ということになる。イギリスのカントリーサイドに位置するこのバ

ースという都市は、UNESCO の世界遺産都市に認定されており、国内からも国外からも多

くの観光者が訪れる都市である。バースの魅力はなんといっても、街全体がジョージアン

スタイルに統一された歴史を感じる景観である。イギリスでもジョージアンスタイルのク

リーム色のレンガの建造物で統一された街はめずらしいく、他の都市とは景観がまた違う。

そして、そのローマ時代から温泉都市としてたくさんの人がお風呂を楽しんでいたという

ローマンバースという歴史的建造物が観光名所となっており、たくさんの観光者が訪れる。 だが、歴史的建造物が立ち並ぶ美しいこの観光都市であるバースでは、観光開発による

環境汚染や景観保全は、重大な問題として、市民と観光産業の間で論争が繰り広げられて

きた。観光都市として栄えているこの都市にとって、これからの観光をどう見直していっ

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たらよいのだろうか。そして、私たちは観光者として、どのように観光をみなおしていっ

たらよいのだろうか。そこで、筆者は本論文で、バースの観光都市としての歴史、そして

ナショナル・トラストによる環境保護運動、エコツーリズム、バース市民の観光に対する

意見をもとに、これからの観光のありかたを考えていきたい。

第1章 バースの観光都市としての歴史 今日、バースの経済は観光にささえられているといえるであろう。バース、及び北東サ

マーセット地方自治体の 2000 年の統計を見ると、バースには毎年約 900,000 人の観光客が

訪れていることが示されている。そして、3,309 の常勤の職業が直接的に観光に関したもの

であり、1,237 の職業が間接的に観光に関連しており、観光がこの都市に与える影響はとて

も大きいことがわかる[Bath & North East Somerset Council HP 2006/12/17]。 では、どのようにしてバースという都市は、今日まで観光都市として発展をとげてきた

のだろうか。バースの観光都市としての歴史は、ローマ帝国支配下となったローマ時代の

バース、ローマ人撤退後時代、バース全盛期、そして現代という大きく 4 ブロックにわけ

ることができる。

〔1〕、バースに伝わる温泉伝説 バースには、古くから伝わるバースの温泉にまつわる伝説がある。紀元前 9 世紀、ブリ

テンの王子であったブラダットは、美しい容姿を兼ね備えており、父王の世継ぎとして期

待されていた存在であった。しかし、ある時不運にも重度のらい病にかかってしまい、宮

廷を追い出されてしまうことになった。豚飼いとなって各地を転々としていたある日、自

分と同じ病を持った豚が沼に入ったところ、らい病で醜かった豚の肌がつやつやに治った

ことを目にし、自分も同じように沼に体を浸してみた。すると、奇跡が起こったように病

が癒え、宮廷に戻った王子はその沼があった場所に壮大な都市を建設した[小林 1989:8]。これは、伝説とはいえ、ローマ軍によるブリテン島侵略よりはるか以前に、すでに現在の

バース周辺地方の温泉治療効果が人々の注目を集めていたことを示唆している[蛭川

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1990:10]。 〔2〕ローマ人によるバース征服時代 ローマ軍の侵略は、古代世界の外側に孤立状態にあったブリテン島、そして同じくバー

スに歴史をもたらしたといえる。紀元前 1 世紀、ローマ人により、イギリス北東部から南

西部へ斜めに大きな軍用道路が建設され交通の便がよくなり、またエイヴォン河に沿って

おり肥沃な土地であったバースの地には占領したローマ人がかなり多く住み着いていた。

ローマ人は、この地を全長約 1600 メートルばかりの 4 つの門が設けられた市壁でほぼ正方

形に取り囲み、「アカエ・スリス(女神スルの水)」と命名した。ローマ人は、この地に典

型的なローマ都市の再現を目指し、神殿、浴場、そして劇場を建設した。こうした浴場を

中心とする遺跡は、ブリテン島 大のローマ遺跡として現代まで残っている [蛭川

1990:11-13]。 スルとは、この地の原住民であったケルト人によって崇拝されていた温泉の女神の名前

である。そして、ローマ人に崇拝されていた治癒の女神ミネルヴァとスルを合わせ、スリ

ス=ミネルヴァと呼ばれるローマ神とケルト神の混合した神殿が建てられ、「疾病に効力あ

る泉の女神」に捧げられた[小林 1989:9]。ローマ人は、地中から湧き出る天然の熱い水に対

して、神聖を付与し聖泉として崇拝し、信仰の対象とした。そして、聖泉信仰と温泉が結

び付けられたことにより、バースは歴史の初期から温泉都市としての性格を持ち、発展へ

と導かれた[蛭川 1990:27]。 ローマ人の風呂好き、清潔好きは有名で、この時代でも毎日お風呂に入るほどであった。

そして、バースの温泉の湯には放射性元素が豊富に含まれており、リューマチ、痛風に効

用があることから浴場の賑わいはすさまじかった[小林 1998:9-10]。ローマの浴場同様、バ

ースの浴場にも、温浴室、熱浴室、大浴場、冷浴室などが兼ね備えられており、一番大き

な浴場グレイトバスは、長さ 35 メートル、幅 25 メートルという大きさで、それを中心に

いくつかの小浴場が設けられていた。また、何度かの増改築がされ、野外体育場としての

中庭などが新設されていることからも繁栄ぶりがうかがえる。また、ローマ人にとって、

浴場は単なる浴場ではなく、リクリエーション施設の中心的存在であった。浴場は、娯楽

スポーツセンター、情報交換の場、教養と社交の場として都市を繁栄へと導いた。また、

バース浴場は湯量と設備の良さによって温泉都市として名を広げたのである [蛭川

1990:13-19]。

〔3〕ローマ人撤退後の中世時代 今日、絵葉書やガイドブックなどによく登場する大浴場と寺院の塔を組み合わせた風景

は、バースを代表するものとなったが、それが可能となったのは、ローマ人がブリテン島

を去ってから 900 年を経たヘンリー7 世治世の 1499 年のことだった。そして、その間 6 世

紀に起こったサクソン族の侵入と、破壊によってローマ人の建設した浴場は廃墟と化し、

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中世都市バースは衰退を決定付けられた。それにもかかわらず、バースが歴史の渦に埋没

してしまうことなく、それなりの活況を維持し続けたことには、第1に中世期に聖都とし

て、第 2 に毛織物業の盛んな商都として、そして第 3 に、その間にも温泉は枯渇すること

なく湧き続けており、医療施設として命脈を保っていたことが要因にある[蛭川 1990:21]。

3.1. 聖都として 聖都としての素地は古く、676 年にすでに、この地には尼僧院建立の勅許がおりていて、

七王国のマーシァの王、オッファもここに修道院を建てた。そして、973 年には、イングラ

ンド王国の統一を果たした初代王エドガーの戴冠式がこのバースの地で行われ、司教、修

道士、貴族、一般庶民ら多数が集まりバースの名を一躍有名なものとした。1066 年には、

ウィリアム征服王に率いられたノルマン人によってイングランドが征服されたのだが、バ

ースは、1086 年には勅許状によって特権を得て、自治都市の地位を獲得した。そして、1088年、ジョン・オブ・トゥルーズの司教として迎え入れられ、それまでウェールズに置かれて

いたサマーセットの司教座がバースへと移され、司教座聖堂都市として栄え始めたのであ

る[小林 1989:14-16]。 だが、1497 年に国王ヘンリー7世がバースを訪れた時には、それまで聖堂都市として栄

えてきた面影は跡形も無く、教会はそのまま放置された状態で廃墟と化していたという。

そこで、その 2 年後の 1499 年、王の命令を受けたウェールズ・バース司教区の司教オリヴ

ァー・キングが寺院復興事業を進めることになった。司教は、ヘンリー7 世礼拝堂の建造に

も関わった時代を代表する二人の石工、ロバート・ヴァ-チュ、ウィリアム・ヴァーチュ

に仕事を依頼した。2 人の功績により、今日バース寺院(Abbey)は、イギリス垂直式建築の

ほとんど 後を飾る代表的建造物として高い評価を得ている。2 人の石工が作り上げた扇形

ヴォールト(丸天井)は、寺院内外に見事な造形を得ており、寺院西正面上方には、ゴシック

建築特有の曲線狭間の大窓が配されており、見るものを圧倒する見事な建物である[蛭川

1990:21-24]。

3.2. 毛織物業の盛んな商都として また、中世期バースを支えたもう一つの特色は先述したように毛織物産業であった。14

世紀ベネディクト派の僧侶たちによってバースに毛織物の技術がもたらされた。そして、

バースには、周辺に羊を飼うのに適した牧場が豊かに広がっていたこと、羊毛を漂白する

ための白土を牧場を囲む丘陸に求めることができたこと、そして、エイヴォン河は水と動

力の供給源となり、優れた海港も遠くなかったことなど、羊毛業の発達の条件が整ってい

た[蛭川 1990:25]。また、ジェフリー・チョーサー(1343?-1400)の『カンタベリー物語』の

有名なプロローグからも、バースの毛織物業の製造技術は、イープルやガントといったヨ

ーロッパ屈指の商業都市に劣らないほどの水準であったことが示されている [小林

1989:16-17]。

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3.3. 医療都市として また、温泉は医療施設として中世でもバースを支えていた一つの特色である。ローマ占

領時代に賑わっていた温泉は、ノルマン人の手によって貯水池から温泉が湧き出している

のが発見され、土壁を作って治癒場としていたことが後世の文献からうかがうことができ

る[小林 1989:16]。ローマ占領時代のような、社交場として華やいだ浴場の一種の機能は失

われたにしろ、枯渇することなく涌き続けていた温泉は、この時代にも全国から不治の病

に苦しむ人々を多く集めていた[蛭川 1990:21]。 そして、1572 年バースに明るい兆しがみえてきた。ジョン・ジョージという医者がバー

ス温泉の効用を説く書を著したことにより、それまで遠くベルギーの温泉まで出かけてい

た上流階級の目が少しずつバースに向けられ始めたのである。1590 年にエリザベス 1 世は、

バースに勅許状を与えただけではなく、翌年には女王自身も非公式ながらもバースを訪れ

た。しかし、この頃のバースは、下水がむき出しになっていて衛生状態が悪く、悪臭が漂

っていたのが現状であった。女王は、バースの下水を直ちに埋め立てることを命じたとい

う。また、エリザベス女王だけでなく、ジェイムズ 1 世の妻アンも治療の目的でバースの

温泉を訪れた。ローマンバースの浴室の 1 つであるニュー・バスにアンが入ったことを契機

に、それ以来、ニュー・バスは、クイーンズ・バスと命名され今日までそう呼びつがれてい

る[小林 1989:21-23]。 娯楽やレジャーの類が白い目で見られていたピューリタン革命期の混乱をくぐり抜け、

チャールズ 2 世の王政復古の時代が再びバースの地位を上昇させた。チャールズ 2 世の妻

の不妊治療のため、1663 年、チャールズ 2 世と廷臣たちはバースに滞在した。また、国王

の待医サー・アレクサンダー・フレイザーがバースの温泉はつかるだけでなく飲んでも身体

に良いと宣伝したことから、湯を飲む人が増えた。サミュエル・ピープス(1633-1703)の日記

からは、朝の 4 時から温泉が賑わっていたことが示唆されている。これらの事柄から、バ

ースの名が広く世間に知られ、人気を集めていたことがわかるのだが、まだこの時代には

温泉以外のレジャーとなるものはなく、「総合レジャー都市」と呼ばれるまでにはいたって

いなかったのが事実である[小林 1989:26-31]。

〔4〕、18 世紀バース全盛期 4.1. リチャード・ナッシュ

18 世紀バース全盛期を作り上げた 1 人として、リチャード・ナッシュの名を欠かすことは

できない。ナッシュは、良い家柄に生まれたわけでもなく、カレッジも中退、そして父に

よって近衛師団に入隊を命じられ軍服に身を固めたものの、軍隊生活も長くは続かず、そ

の後法学を学ぶためにロンドンの法学院に通い始める。とてもこの人物は勤勉とはいい難

く、年中賭博場と女性遊びがもっぱらだったという。そんなナッシュの耳に、1702 年不妊

治療を目的にバースに訪れたアン女王一行の歓迎行事のさなか、ナッシュのよく知るプロ

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ギャンブラーであったキャプテン・ウェブスターという男に「バースの王」の冠が授けられ、

「儀典長」という職名が与えられ、彼が賭博場をバースにオープンしあらゆるギャンブル

の振興を進めているという報道が舞い込んできた[小林 1989:34-41]。 これを契機に、1705 年心機一転ナッシュはロンドンをあとにし、バースにいくことを決

めた。そして、ロンドン時代に身につけた巧みな弁術を見込まれ、ナッシュはヴェブスタ

ーから儀典のアシスタントという職を任されることとなった。しかし、このころのバース

は、面積 25 エーカー、人口 3000 人、湯治客、観光客が数百人といった、面積、人口どち

らをとっても小都市としかいえないものであった。そして、下水道はむき出しで悪臭が漂

い、狂人が町のあちこちを徘徊していて、ギャンブルがもとで喧嘩がしょっちゅう起こる

という状態で治安は決して良いとは言えない町であったというのが実情である[小林

1989:42-46]。

4.2. 新儀典長ナッシュによるバース観光都市化改革 そして、儀典長であったウェブスター自身もギャンブルが発端となった喧嘩によって命

を落したのである。そして、その後を継ぎ新儀典長となったのがリチャード・ナッシュで

ある。ナッシュは、早速バースの改革に着手し、まず初めに儀典長の権威を高めるべく服

装を一新した。そして、次に市中を徘徊して金品をたかる浮浪者の拘束あるいは市外への

強制退去を進めた。さらに、道路の整備を行い、夜まわりをおいて夜間の安全確保をおこ

ない、宿屋、またバース特有の宿屋から湯治場までの移動に使われていたセダン・チェア

と呼ばれる現代でいうタクシーなどの値段表示の義務づけ、サービスの改善を要求した。

こうして、ナッシュは観光の基盤となるものを築いた[小林 1989:50]。 また、ナッシュはロンドンの上流階級の集う社交界こそが洗練の極致と考えており、バ

ースの舞踏会における服装、タイムスケジュールをも決定した。ナッシュは、バースを洗

練された社交の中心にするよう努力したのであった。これまで、湯治場しか娯楽と呼べる

ものがなかったバースに、ナッシュはまずポンプ・ルームという社交場の建設を進めた。次

に、上流階級の人々がつどってダンスをする場として、アッセンブリー・ルームをつくらせ

た。次にナッシュは、上流階級の娯楽の重要な位置を占めていた演劇に目をつけ、劇場の

建設を推進した。こうした多くのプロジェクトにより、バースはイギリス中に社交都市と

して名前を鳴り響かせ、ロンドンから多くの人々がバースを目指してやってくるようにな

っていった。これは、バースが単なる温泉都市からファッショナブルなリゾート都市へと

変わったことを示唆している[小林 1989:56-60]。 続いて、バースの町並み改造計画に大きく貢献したのが事業家ラルフ・アレンと建築家ジ

ョン・ウッドであった。アレンは、バース南東に転がっていた石炭岩質の石に着目し、建築

用石材の事業を思いついたのであった。当初、建築向きでないと罵倒されていた石材をジ

ョン・ウッドの協力の下、自らの邸宅を建てることに使うことで石材の優秀性が実証され、

またジョン・ウッドによるパラディオ式建築が注目を集めた。ウッドは、ローマ浴場の復活

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と繁栄を再び期待するのならば、町そのものを古代ローマ都市を再現した重厚な建築物に

彩らせるべきだとし、バースの地にアレンの石材を使ったイタリアのパラディオ式建築を

広めた。ロイヤル・クレセントと呼ばれる全長 180 メートルの半月系連続住宅、サーカス、

クイーン・スクエアなどは、彼の代表する作品であり、バースを代表する建築物でもある[蛭川 1990:118-122]。

ロイヤル・クレセント:(ジョン・ウッド代表作)

そして、18 世紀後半から始まった産業革命は、中産階級よりも下の階級までにも賃金上

昇と余暇を創出し、レジャーを楽しめるようにした。こうしたことにより、社交界として

気品高く栄えたバースにも様々な階級が入り乱れるようになった。また、産業革命によっ

て人々の大量移動が可能となったことからも、バースは観光都市としての賑わいを高めて

いった[小林 1989:194-202]。

〔5〕UNESCO 世界遺産都市に登録 5.1. 古代と現代の融合、そして温泉都市としての復活

1727 年のローマンバース発掘によって、先述したように、今日ローマンバースはイギリ

ス 大のローマ遺跡としてバースを代表するアトラクションとなっている。そのローマン

バースは今、ミュージアムとして一般公開されており、建物の随所に説明書きがなされて

いたり、多言語によるガイドトークが貸し出されており、ローマ人の優れた技術を学ぶこ

とができる。その時代に大衆浴場があったということ事態にも驚きなのだが、さらに現代

の建築技術にも劣らない排水溝などの機能を備えつけるというその技術の高さは圧巻であ

る[Roman Bath Museum HP 2007, 09.15]。

Roman Bath

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Bath Abbey

一方、もう 1 つのバースを代表する見所であるバースアビーは、イギリス垂直式建築の

ほぼ 後の作品であり、ゴシック建築特有な曲線狭間の大窓が設けられ、また丸天井は見

事なもので、建物内外から見るものを魅了する。ミサが行われる日曜日以外は一般に公開

されていて、キリスト教文化を学ぶことができるとともにそのすばらしい建造物、彫刻、

装飾に目を釘付けにされる[Bath Abbey HP 2007, 09.15]。 そして今、バースを古代の温泉都市として終わらせるのではなく、新たに温泉施設サー

メバススパ(Thermae Bath Spa)を 2006 年にオープンさせたことにより、実際に古代か

ら涌き続けてきた温泉を再び利用することができることになった。しかし、このサーメバ

ススパのオープンを巡っては、大きな問題があった。建設予定当初、アメリカからの観光

客に大きく頼っていたバース観光業は、アメリカの同時多発テロやイラク戦争の開戦、ま

た他のイギリス国内外における観光都市との競争などによる観光客減少に大きな痛手をう

けており、バース市とノースサマーセット州によるサーメバススパの建設プロジェクトは

起死回生として多くの注目を集めていた[BBC HP 2004, 01.12]。 しかし、当初 2002 年のオープンにむけて予定されていた予算が 1300 万ポンドと設定さ

れていたのだが、実際のオープンは予定より 4 年も遅れ、請負業者との法的トラブル、更

に 4500 万ポンドへと大幅に予算がオーバーした。このことから、バース市民の固定資産税

が増額され、地元住民と建設プロジェクトとの間に大きな論争が沸き起こった[BBC HP 2004, 01.12]。オープンに至るまでには、地域と観光開発に関し問題が生じたが、サーメバ

ススパは 1978 年から閉鎖されていた温泉の利用を可能にしたのみならず、地元住民に対し

施設を無料で開放したり、地元の学生には割引をしたりすることで、今では地元でも比較

的歓迎されている。建物は有名な建築家によって、周りの建造物と同じバースストーンと

ガラスを組み合わせたモダンでバースの景観を崩さない設計がなされており、施設内には

4つの天然温泉プールをはじめ、4つの 新式スチームルームなどを備えており、更にオ

ープンエアの屋上プールからはバースの都市を一望でき、ヨーロッパを誇るスパタウンと

してよみがえった[Thermae Bath Spa HP 2007, 09.16]。

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5.2. 小説の舞台となった町並みの保全 バースは、数々の有名な小説家の作品の舞台となってきた華やかで優美な社交の場であ

った。特に、イギリスを代表するジェーン・オースティンの小説2作品『ノーサンガー・

アベイ』と『説得』の舞台となったことでもよく知られている。ジェーン・オースティン

は、1775 年牧師の子として誕生し、その後2度の長期滞在としてバースを訪れている。ま

た 1801 年から 1806 年には、バースに家族と移り住んでいたという経験が彼女の作品に影

響を大きく及ぼしている。彼女の代表作である『高慢と偏見』は 2006 年の映画化や、1995年のイギリス国内のテレビドラマ化など、2世紀を越えてもなお世界中から愛され続けて

いる。彼女の作品では中産階級の暮らしぶりが詳細に描かれており、18 世紀から 19 世紀に

かけての社交場として華やいだバース全盛期、そして、それから徐々に変化を遂げていく

様が作品を通して窺うことができる。 彼女が小説の舞台として登場させたバースの町並みなどは、彼女が生きた時代からあま

り変わることなく残っている。街を散策してみると、彼女の小説の中にでてくるストリー

ト、公共施設、町並みがそこにはそのままの形で残っており、まるで小説の中に入ったよ

うに感じることができるであろう。街の中心部には、彼女が当時どのようにバースで生活

をしてきたのか、またその経験がどのように彼女に影響を与えたのかなどが展示されたジ

ェーン・オースティンセンターが創設された。また、イギリス文化を象徴するティールー

ムももうけられており、そこからもイギリスの伝統的文化を学ぶことができる[Jane Austen Centre 2007,09.16] 。 このように、街全体がローマの古代都市を思わせる景観となっていることがなんといっ

てもバースの魅力となっており、イギリス国内でもバースは違った色を出している。そし

て新しい建物と古い建物が見事に融合していることから、街の中を散策するだけで、人々

はまるでタイムスリップをしたような感覚を味わうことができる。これらのことから、バ

ースは UNESCO によって 1987 年世界遺産都市に登録された。そして今日、バースは観光

都市として毎年 900,000 人もの観光客が訪れる観光都市として発展を遂げたのである。 第2章 観光開発と環境・景観保全 〔1〕、観光開発への注目 第 2 次世界大戦終了後(1945 年)国土の開発、国力づくり、経済復興が一心不乱に行われ

た中、経済と国民生活の向上・安定に伴って余暇活動も拡大を見せていき、観光事業の振興

が、手近で効果的な対応手段として世界規模で推進されるようになった。その理由として、

次の5つのポジティブな効果が観光には期待することができることがあげられる。 1.1. 観光の5つのポジティブな効果 まず一番大きな効果として、直接的な経済効果を見込むことができる。韓国観光公社の

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調査によると、観光客 3 人を誘致することと、自動車 1 台分の輸出とはほぼ等しい経済効

果であることが報告されている。また、観光を振興することによってホテルや空港、アト

ラクション・アミューズメント施設など観光関連施設の工事を受注することができ、加えて

これらの施設は完成後も食材やホテル備品、お土産になる特産品などの生産もあわせて増

加させるという効果も見込むことができ、地方の農業、漁業、林業といった第 1 次産業を

も観光に絡めて促進することが期待できる。また、2 番目の効果として観光は経済効果に加

えて新たな雇用を地域に生み出すことが期待できる。3 番目の効果として、観光業の中には

アイディア次第で小資本で起業できるものが多く、誰にでも起業のチャンスを生むことが

できる[島川 2002:1-3]。 4 番目の効果として、観光地となることにより、道路、電気、ガス、上下水道などインフ

ラが整備され、また地元の商店、レストラン、交通機関などの需要が増えるといった地元

の人々に間接的な利益をもたらすことができる。5 つ目の効果として、観光はその地域のア

イデンティティを も効果的に発信することができる手段となりうる。アメリカの元国防

次官補であるジョセフ・ナイは、「これからの国際関係において国力とは、経済力、軍事力

といった相手を力でねじ伏せるハードパワーから、文化、芸術、先端化学技術など相手を

魅了してひきつけるソフトパワーが重要になってくる[島川 2002:8-9]」と述べており、観

光はこれらの情報を発信する上で も効果的手段となる[島川 2002:3-9]。 1.2. 観光がもたらすネガティブ・インパクト しかし、こうしたポジティブな効果をもたらす一方で、観光が持つネガティブなインパ

クトも大きいことが認識されるようになった。ホテル、主要道路など観光開発がもたらす

都市環境、歴史的建造物の破壊などがあげられる。グローバリゼーションにより多くの世

界チェーンホテル、ショップなどが観光地には多く建設されるが、こうした建設は地域の

景観を壊すほか、地域の宿屋、商店街に競争負けをもたらす。また、こうした開発によっ

て人権を侵害した強制移住などの問題が起こることもある。観光による大量の人口移動は、

一定地域におけるゴミなどの排出量の増加をまねき、都市環境に悪影響をもたらす。そし

てホテルなどによる水・資源の消費の増大によって起こる水不足など、そのしわ寄せが地

域住民に押しつけられる。また、観光客の増加による人口移動は、車、飛行機などによる

空気汚染を促進させ、観光客増加はそれまでになかった犯罪増加を引き起こし、治安を悪

化させうる、といった都市環境への悪影響が懸念されている。さらに、観光による地域の

文化、伝統、習慣にもたらされる影響は大きい。これらは、地元住民の基本的生活環境に

ネガティブなインパクトをもたらしている[島川 2002:10-14]。 〔2〕、観光開発と「サステイナビリティー」 2.1. サステイナブル・ツーリズム、エコツーリズムへの注目 従来「開発」は、政府主導の国家レベルの経済成長に目を向けられたものであった。し

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かし、経済学者アダム・スミス(1723-1790)が唱えたトップダウン型の開発は、根底で苦し

む貧困をなくすことができず失敗に終わった。このことから、ボトムアップ型のローカル

の人々のニーズにあった開発が注目され始めた。また、地球規模の環境問題の深刻化が 1992年にブラジルのリオデジャネイロで行われた地球サミットなどで取り上げられ、ここでア

ジェンンダ 21 というアクションプランが採択され、「持続可能な開発」という考え方が世

界の注目をあつめた[Potter, et al. 2004:117-118,183] 。 「持続可能な開発」が大きくクローズアップされるようになったことから、観光産業に

おいても行き過ぎた観光開発に対する、「持続可能性」という概念が注目され始め、観光客、

観光関連企業だけでなく、今までないがしろにされてきた観光地に住む地域住民にも観光

振興によって利益がもたらされる三方一両得な「持続可能な観光開発、観光」が旅行業界

において考えられるようになった。そして、その延長として「エコツーリズム」が近年注

目を集めるようになり、「観光」「環境」「開発」の新しい関係を考えさせるようになった[小方 2000:1]。 世界の観光客数は、1960 年代初頭の 6000 万人台から 90 年代末には 6 億人を越えるほど

の成長が示されている。この背景には、経済復興を目的とする観光振興、送客人数によっ

て成功不成功が計られるという観光産業界における慣習の影響がある。そして、宿泊、食

事、各種アクティビティの値段がすべて込みとなって、旅行前に旅行代理店に払っておく

ことで、現地でお金を使わなくて済む、また旅先でのアクティビティやそれに伴う移動手

段が決められているという手軽さ、また大量送客を可能とする安さなどといった特色を持

ったパッケージツアーが受けて全世界に広がった。しかし、こうしたパッケージツアーは、

地元の人々との交流や異文化理解とはかけ離れたものであり、旅行者個々人の責任・マナー

が軽視されがちな点、また大量送客などが引き起こす環境・文化に対する影響からも、今日

こうしたマス・ツーリズムが非難の的となっている[島川 2002:41-49]。 持続可能な観光は、Swarbrooke(1999)によって「生態学的、環境的持続可能性だけでな

く、政治的、社会、経済的にも持続可能でなければならない[島川 2002:37]」と定義されて

いる。そして、エコツーリズムも同様な概念を持ち合わせ、米国エコツーリズム協会によ

って「・・・環境を保全し、地元の人々の福利を持続する、責任ある旅行[小方 2000:42 ]」と

定義されている。世界観光機構(WTO)などにより、近年「サステイナブル・ツーリズム」、

「エコツーリズム」など環境と観光の共存という概念が取り入れられた観光が推進されて

いる[小方 2000:42-44]。そもそも、こうした観光が推進される背景として、観光が環境に

与えるネガティブなインパクトばかりクローズアップされがちで、そうしたインパクトを

極力抑えることだけが推進される理由となっているわけではなく、観光には環境保全にあ

たえるポジティブなパワーを持っているということが推進される理由となっていることは

注目に値する。 観光にとって、地域の自然・文化・歴史遺産など貴重な観光資源である。歴史的建造物等

は、訪問者から入場料を徴収することができ、観光はその維持、管理に役立つことができ

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る。そして、こうした自然、文化、歴史などが観光によって注目され人気の高まることは、

一般の人々、政府の環境保護活動の促進させることにつながる。また、観光によって自然

や景観の美しさやを実際に経験し、景観・環境保護に関心を持つ人々を育成することにも

つながるのである[小方 2000:38-39]。 2.2. 今日の観光の傾向 持続可能な観光、エコツーリズムにおいて も大事な点は、観光者、観光産業、観光地

域住民の三者がお互いのことを理解しあい、お互いに有益となる共通の理念である「環境

保護」に対し責任を持って促進していくことである。 今日の観光の動きとして、日本の大手旅行会社 HIS では、〔自然を楽しむ、訪問先に経済

的・社会的貢献をする〕ということを前提としたエコツーリズムを大きくとりあげるよう

にとなってきた〔HIS HP 2007, 10.29〕。このようなエコツーリズムでは、第1に、旅行を

通しての学習という観点に注目しており、訪問先の自然や文化について詳しく知り、そこ

を訪れなければできない体験をし、地域文化・環境体験をし、理解することが目的とされ

ている。第2に、環境保全への積極的な貢献として、野生動物や自然、そして歴史的遺産、

景観を守る研究機関や団体との交流や、ボランティア活動が目的とされている。第3に、

特別に訓練された添乗員や現地ガイドにより自然環境・動植物・文化を知る為のアドバイ

スを受けることから、現地の生の情報を得ることが目的とされている。第4に、地元の宿泊

施設などでサービスを受けることで、地域の活性化に貢献、地域住民との異文化交流をは

かることによって地元社会への利益還元が目的とされている。第5に、訪問先でのゴミの

削減やエネルギーの節約や、環境に配慮して建てられたエコロジー・リゾートの利用を心

掛けることによって、観光による自然、都市環境へのダメージを 小限にすることが目標

とされている〔小方 2000:47-49〕。

この反映として、今日の観光者は、教育、自己開発を旅行動機とし、自らが訪問先に与

える影響を考え、責任をもった行動をするといった個人旅行が増加の傾向にあることが示

されている[小方 2000:73]。また、観光産業も、例えばホテルなどは、エネルギー・システ

ム、水の管理、プラスチック・ゴミのリサイクルと取り除きなど、都市環境に配慮した動き

が見られ始めてきた[小方 2000:111-113]。そして、地域住民こそがその地域に関しての知

識を持った人物であり、地域住民が観光開発プログラムに参加することで地域にあった開

発を進めることができるという考え方がされるようになってきている[小方 2000:46]。三者

がそれぞれ自分の役割、責任、義務を見直し、果たしていくことが観光と環境を持続可能

とさせていく上で重要なのである。 第3章 観光都市バースの成功と課題 〔1〕、地元住民もから愛される街

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バースの人気は観光対象地としてのみではない。この 10 年間連続した物件の値段上昇か

ら、居住地としての人気をも窺う事ができる。今、イギリスではロンドンなど都市の騒が

しさを避け、カントリーサイドである南西部や海岸沿いの街にセカンドハウスを持つこと

や、老後の家として移り住むことが人気を集めているのである[Telegraph.co.uk HP 2001, 09.05]。また、市内に2つの大学を持っているためバースは大学都市としても人気を集めて

おり、ロンドン、マンチェスターなど様々な都市から来た多くの学生で、街は賑わいを見

せている。そして、大学自体ももちろん選択理由だが、歴史情緒溢れ、美しい自然が残っ

たバースという土地を目的にバースの大学を選んだのだ、という数多くの声を筆者はこれ

らの学生たちから聞いた。この人気を象徴するように、1997 年から 2001 年の間にバース

の平均物件の値が£86,500 から£188,500 へ、118%増というイギリス国内で も劇的な地

価上昇をみせた[BBC news HP 2001, 9.26]。これらのことから、バースはただの観光都市

ではなく、イギリス国民にとって国家的文化遺産としての価値を持っていることを窺い知

ることができる。そして、バースは国民から愛される街であるからこそ景観保護がさかん

に行われ、成功できたのではないだろうかと筆者は考える。 〔2〕、ナショナル・トラストの活躍 2.1. ナショナル・トラストによる環境・景観保護 環境保護と観光が結びついた活動を促進することに成功した環境保護団体の 1 つとして、

ナショナル・トラストという団体があげられる。イギリスは、世界に先駆けて 1760 年代か

ら産業革命を経験し、「世界の工場」といわれ、工業化が飛躍的に発展した。しかし、その

一方で開発による環境破壊もすさまじかった。都市化と開発は、つぎつぎと国民の誇りに

してきた美しい自然や歴史的環境を壊していくこととなった。19 世紀から 20 世紀のはじめ

にかけてのたった 15 年間という期間で、約 20 万ヘクタールの農地と林地が消えてしまっ

たのである[木原 200:36-41]。こうした都市化と開発行為から自然や歴史環境を守るべく、

3 人のイギリスの市民が立ち上がった。弁護士のサー・ロバート・ハンター(1844-1913)、社

会事業家で婦人運動家化のオクタビア・ヒル女史(1838-1912)、そして、イギリス国教会牧

師のハードウィック・ローリン氏(1851-1920)によって、ナショナル・トラストは 1895 年に

創立された[藤田 1994:130]。 ナショナル・トラストを一言でいうならば、「無秩序な都市化や野放図な工業化の波によ

って破壊されるおそれのある貴重な自然や歴史的環境を守るために、広く国民から寄付金

を募って土地や建造物を買い取り、あるいは寄贈を受け、さらには所有者との間に保存契

約を結ぶなどして、保存、管理、公開をする活動をいう[木原 2000:4]」というように定義

できる。ナショナル・トラストが保管している内容は、先史時代からローマ時代の遺跡、古

城、教会、修道院、カントリー・ハウス、森林、農地、牧場、水車小屋、運河、納屋、公園、

庭園、草原、荒地、沼沢地などさまざまであり、入手し保護している土地は、イングラン

ドとウェールズ、北アイルランドで総計約 244,000 ヘクタールにおよぶ[木原 2000:50]。

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ナショナル・トラストが他の環境保護団体と違うまず第1の点は、土地の購入能力を持っ

ているという点である[藤田 1994:130]。第2は、国会が 1907 年に「ナショナル・トラスト

法」を制定し、その中で「譲渡不能」を宣言する権利をこの団体に認めたことにより、ナ

ショナル・トラストに保管・管理されるものは、永遠に保存されるということが保障された。

第3は、寄贈された土地や建造物に対して「資産移転税」、いわゆる相続税が非課税とされ

る点である。このことによって、重い相続税によって次々と歴史的価値のあるカウントリ

ー・ハウスが競売にだされ解体されてしまうという事態が回避され、ナショナル・トラスト

に寄贈することで永遠に保存していくことが可能となったのだ。それだけでなく、この家

屋の一定期間の公開を条件に子孫は永遠に住み続けることが可能となり、またこの家屋自

体も使用され続けることによって生き生きとした形で保存されることにつながる[木原

2000:51-56]。 ナショナル・トラストの事業には、資産の保管・管理、そしてそれを国民に公開するとい

う教育的効果も目的にふくまれている。こうした、ナショナル・トラストによって、いき届

いた保管・管理がなされた自然・歴史的環境を鑑賞することで、人々が得るもの、学ぶもの

は大きい。そして、建造物への入館の際に鑑賞客から得られる収入によって、保管・管理を

持続することができるという、両者にとって有益となるサイクルが存在する。一方、国民

にとっては、自分の寄付によって土地や歴史的建造物が目に見える形として保存されてい

くという参加意識が生まれ、それが与える充足感は大きく、また自らもその自然にひたる

ことができる。さらに、商品登録されたナショナル・トラストのマークがついた製品、例え

ばガイドブック、クリスマス・カード、その土地で作られた文化的な土産品などの販売によ

って得られた収益もトラストの運営、経費の一部として使われている[木原 2000:60-61]。

2.2. イギリスでの景観保護の成功 ~日本とイギリスのナショナル・トラストの比較~ さて、それではなぜ、バースではジェーン・オースティンの時代の街並みを、現代に至

るまでほとんど変わることなく守りとおすことができたのであろうか。そこには、文化的

背景からくるイギリス国民の考え方と、ナショナル・トラストの働き、国家法による建築

制限など国家的な働きかけが大きく関わってきているといえるだろう。そこで、イギリス

ではどのように景観保護が進んでいるのかを、日本のナショナル・トラストの動きととも

に、古都という歴史ある景観を持つ共通点のある我が国の鎌倉と比較して説明していこう

と思う。 日本のナショナル・トラスト運動は、1960 年代後半から全国各地で噴出した環境保護運

動の中でうまれ、発展をとげてきた。そのなかでも、鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山にある御谷

に業者が宅地建造を計画する、という事件に反対する鎌倉市の住民による財団法人「鎌倉

風致保存会」の運動がトップをきって大きな発展をとげてきた。そのまま工事が着工され

ると、鎌倉のメイン・ストリートである若宮大路から鶴岡八幡宮の社殿を望む、古都の美

しい風景がだいなしになってしまうという事件であった。その頃、日本は高度経済成長期

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を迎えており、近代化の波によって無計画な開発が都心周辺地域を中心になされていた [木原 2000:16]。

この無思慮な近代化にともなった都市開発に対し、この財団の初代理事であった大佛次

郎は、日本人とイギリス人での古い物の保存に関しての意識の違いを次のように指摘した。

「日本のように一度こわした古い城をコンクリートでたてるようなことは(イギリス人は)

しない。こわれかけたものが田園の中にあるのを、そのまま環境とともに残るようにして

ある。自然とともに古い歳月に物語らせているのだ。(中略)トラストの保護下に置かれて

いないものでも、英国の田舎の町や村に行くと、土地の誇りとして、古い家が大切にされ

ている[木原 2000:19,32]」と述べ、問題は国民がそれを守る意志があるかどうかにあるの

だと指摘した。そこに、日本と同様に国土が狭い上に人口密度が高く工業化が要請された

イギリスと日本の間に、大きく異なった景観保護への動きが現れたのではないだろうか。

そこで、我が国のナショナル・トラストも英国のナショナル・トラストに「保有」と「公

開」の原理を学び、土地の買い取り運動をおこし、保護すべき物件の認定と賃貸、替地交

換、による保有と管理に加え、それを大衆に公開することで、優れた社会施設として維持

管理するという活動に取り掛かった[木原 2000:19,32]。 この結果、1966 年に「古都保存法」が制定され、保全候補地にあげられていた地域の一

部が「特別保護地区」に指定され、国費で買い上げられたりすることで、現状変更が厳し

く規制されるようになり、鎌倉の宅地開発工事は食い止めることができた[木原 2000,21]。しかし、景観保護が進んだイギリスと比べると、イギリスでは非常に広大なエリアを規制

できるのと比べ、日本では景観規制が指定されたごく限られた地域でしか法は適応されな

い点、そして、用途地区規制が緩く、郊外の乱開発による景観の乱れに歯止めがかけられ

ない点、イギリスでは建物のデザイン・色など細部にわたって厳しく規制されているのに

対して、日本の規制はとても緩やかで内容が曖昧でしかなかった点などが、問題としてあ

り続けた。日本の景観規制に関しては、保護行政の立ち遅れと法制度の不備が指摘し続け

られた[社団法人中部開発センター HP 2007,09.18]。 そして、以下の点によっても、イギリスと比べて日本での景観保護運動の難しさが決定

的になっている。まず、日本の都市およびその周辺を中心とした土地価格の高騰は、国際

的に比較してもとても高い。1979 年時点での一平方メートル当たりの住宅地の土地価格を

イギリスと比較してみると、イギリスの 3,600 円に対して日本は 44,800 円と約 12.4倍も

高いことがわかる。更に、日本では狭い可住地面積を高度利用することで土地所有が極度

に細分化されてしまっており、広域の土地の買い取りをほぼ不可能にしてしまっている[木原 2000:206] 更に、日本では国の環境保全策が十分ではなく、本来では国がなすべき保全策をトラス

トの運動のように住民が進んで行っているのに、国は税の免税措置をとるべきではないの

かという住民の要望に対して、未だほとんど応えていないという実情がある。イギリスで

は、議会が 1931 年に財政法を改正してトラストへ資産を寄贈した人に対して相続税を免除

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して、その善意にこたえた政策がなされていた。こうした点をみても、日本の国をあげた

景観保護に対する行政の遅れが指摘されている[木原 2000:207]。そして、日本には英語で

いうチャリティ(charity)やフィランソロピー(philanthropy)といった善意・博愛の文化が薄

い。このことも、社会事業のためのボランティア活動に対して不特定多数の人々から寄付

を集めるのは、イギリスに比べてはるかに難しいことにさせており、日本ではナショナル・

トラストの活動をする上での大きな壁となっているのである[木原 2000:205]。これらのこ

とから、イギリスの景観保護が日本に比べどれだけ進んだ措置がとられてきたか、また国

民、国家の意識が違っているのかが明らかとなったと思われる。

2.3. バースにおける歴史ある施設のナショナル・トラストの管理、運営の成功 バースの景観保護においても成功した要因として、観光による環境・景観保全に与えるポ

ジティブなパワーに着目したナショナル・トラストという団体の働きは大きいであろう。イ

ギリスでのナショナル・トラストの動きは全国に及んでおり、バースでもトラストの働き

はすばらしいものである。ナショナル・トラストがバース市内だけでもアッセンブリール

ーム(Assembly Room)、とプライヤーパーク(Prior Park)の歴史的重要な施設2箇所を管理、

運営している。 アッセンブリールームは、18 世紀の都市改造計画で中核を担った1人である建築家ジョ

ン・ウッドの作品の1つであり、歴史を物語る上で重要なジョージアンスタイルの施設の

一つである。バース全盛期、アッセンブリールームは数多くの上流階級の人々で溢れ、社

交界の中心を担ったダンスホールであった。小説家ジェーン・オースティンの作品の中でも

なんども“ball-room”という表現で登場しており、時代の象徴とでもいえるであろう。残念

なことに、1942 年第2次世界大戦による空襲の被害に遭ってしまったのだが、ナショナル・

トラストによって修復がなされ、天井にはシャンデリア、そして豪華な装飾がなされた部

屋からは、当時の気品あふれた華やかな時代を感じ取ることができる。 また、アッセンブリールームの一部は今、コスチューム博物館として一般公開されてお

り、18 世紀の時代を学ぶことができる。また、このコスチューム博物館と上述のローマン

バースから得た収益の一部は行政の活動、例えば、毎日のゴミ拾い・回収などの活動の資

金として使われており、都市環境の保全活動とつながっている[National Trust HP 2007, 09.18]。

プライヤーパークも、ジョン・ウッドの作品の一つであり、更に都市改造計画で中核を

担ったもう1人の人物である事業家ラルフ・アレンのカントリーハウスである。このカン

トリーハウスは、当時建築用の石材としては向かないと評価されていたバースストーンを

自らの邸宅で使ってみることで、石材として使用可能であるということを証明するために、

建築家ジョン・ウッドに建築を依頼したものである。ジョン・ウッドによるパラディオ式

建築は注目を集め、そして、バースストーンの石材としての優秀性を証明した。バースに

生涯を捧げたアレンの邸宅は、バースを一望することができる丘の上にそびえたち、そこ

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からの景色はすばらしいものである[蛭川 1990:118-122]。現在、邸宅自体はカレッジとし

て使用されていて、邸宅を囲む庭が 18 世紀当時を思わせるイングリッシュガーデンとして

ナショナル・トラストによって見事に復元され管理運営されている。歴史を感じさせ見事

に整えられた美しいイングリッシュガーデン、そして、そこから一望できるバースの景色

は見るものの心を魅了する[National Trust HP 2007, 09.18]。 どちらの施設も、ナショナル・トラストによって管理され、更にそれを一般に公開し実

際に使用されることによって、生き生きとした姿を維持することに成功している。そして、

来観客がこうして生きた姿で残された歴史的遺産から感じるもの、学ぶものは大きいこと

だろう。一方、一般に公開することによって入場の際に来観客から収入を得ることができ、

それをナショナル・トラストの運営維持費として使用することができる。また、ナショナ

ル・トラストに対し寄付をする国民にとっても、トラストによって国家遺産が維持管理さ

れ続けられていることを実際に自分の目で見ることができ、自らの活動への参加意義を感

じることができる。ナショナル・トラストは、このように観光をポジティブな形で環境・景

観保全に活用することに成功しているのである[木原 2000:60-61]。

〔3〕都市環境の保全に対する課題 ~自家用車、ツアーバスによる交通渋滞がもたらす都市環境汚染~

景観保護の点では、世界の中でも優れた位置にいるバースであるが、観光による交通機

関が与える影響には問題が残っている。バースは、サマーセット州の中の主要都市の一つ

であり、更に隣にはブリストルという港町として栄えた大きな都市があり、バースとブリ

ストルを結んだ主要道路は、朝と夕方にはビジネス通勤ラッシュによって渋滞を引き起こ

していることが多い。更に、バースを訪れる観光客のうち約6割強が国内から訪れており、

車を使って訪れる観光客が加わると、さらなるひどい交通渋滞を引き起こしてしまってい

るのである。そして、この交通量は深刻な排気ガスによる空気汚染をバースにもたらして

いる[Bath & Summerset Council HP 2007, 09.18]。 また、東京でいうところのハトバスのように、主要な観光名所を巡ることができる大き

な2階建ての赤いツアーバスがバースにもあり、これもまた問題を引き起こしている。イ

ギリスといえば赤の2階建てバスが有名であり、観光用ではあるがそれを体験でき、更に

1日でいろんな場所を回りたいと考えている観光客にとっては便利ともいえるものである。

しかし、古い町並みが残されたバースの街では、道路は2車線でぎりぎり車がすれちがう

ことができる程度のものが大半を占めており、このツアーバスはバースの道路に対して若

干大きすぎるのである。更に、家の前の道路脇に駐車することが一般的となっている道路

や、カーブ、曲がり角ではよくこのツアーバスには通過が困難なことが多く、渋滞を引き

起こすことも少なくはない。 そして、観光シーズン時には満員の客を乗せたツアーバスだが、シーズンオフを迎える

と大きなバスに,2,3 人程しか乗せていないということが多くなる。ひどい時には、誰も乗せ

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ていないこのツアーバスが2台連なって街をただ巡回している状態を、筆者が留学をして

いた 1 年という期間の中で何度も見かけた。このことは、交通渋滞という問題を引き起こ

すだけではなく、普通自動車よりも燃費が悪いことから、より深刻な排気ガスによる空気

汚染を引き起こす原因となっているのだ。また、歴史的に貴重な建築物が数多く残ってお

り、その全てがクリーム色の石が使われているのだが、その色が自動車からの排気ガスの

影響によって変色し、美しい景観が損なわれてしまうことが心配されている[Telegraph. co.uk HP 2006, 05.16]。

これらのことから、運行の台数とルートの見直しを訴える住民からの要望に反して、シ

ーズン時には現存の台数では足りないほどの盛況ぶりであることを理由として、ツアーバ

ス企業はこの住民の要望に対し反論を示しており、論争が続いている[Telegraph.co.uk HP 2006, 05.16]。市街地を回るツアーバスの排気ガスの影響を受けるのは、ツアーバスの客と

なる観光者や地元住民であり、商売道具となるのはバースの歴史的遺産建造物なのだから、

このツアーバスの企業はこの問題を深刻に受け止めるべきであり、環境と健康に配慮をし

た改善策を考えるべきではないかと筆者は考える。そして、バースにとって重要な産業で

ある「観光」というものを持続可能にさせていくために、観光事業者、観光者、地元住民

の三者全員がこの自動車による環境汚染問題に対し真剣に取り組むことがバースにとって

今後大きな課題となっていくだろう。

終章 観光の見直し 観光開発の大きな経済効果に注目が集まり、観光が軍事的なハードパワーに代わる文化

の発信というソフトパワーとして、現在国力の一部として大きな機能を持つようになって

いる。そして、開発における歴史の中で、無秩序に進められる開発から、「持続可能性」に

注目した開発が進められるようになった。そして、かつては観光事業者、観光者の利益ば

かりが注目されてきた観光開発であったのだが、地元住民の福利にも注目し、かつ観光事

業において財産となる自然や都市環境、遺産といったものを永続させていくことによる、

三方一両得となる観光が考えられるようになった。 ローマ征服時代の遺跡、そして 18 世紀にリチャード・ナッシュを中心に行われた町並み

改造計画によって統一された古代ローマを思わせるバースでは、その町並みを 18 世紀当時

から変えることなく残すことで、現在 UNESCO 世界遺産都市として登録され、イギリスを

代表する観光都市として発展を遂げてきた。このバースの街において、遺産的建造物を守

り続けてきたことがなによりも観光事業において発展を遂げた理由としてあげられる。バ

ースにおいて、遺産的建造物を守ることに成功することができた理由として、観光と景観

保護をうまく結び付けた活動をするナショナル・トラストという団体の働きが大きい。 イギリスのナショナル・トラストは日本のそれと比べ、政府との連携がとれており、国

家法においても日本に比べより細かく建築規制がとられていたり、ナショナル・トラスト

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に寄与された物件に関しては相続税が免除されるといった措置がとられていることから、

ナショナル・トラストがより働きやすい措置がとられている。また、イギリスでは、こう

した景観保護に対する国民の意識も高く、さらにキリスト文化の中でつちかったチャリテ

ィーという文化がナショナル・トラストの活動に大きく影響していることがわかった。ナ

ショナル・トラストは、観光によるポジティブな効果をうまく利用し、現在にいたるまで

様々な建物、環境の復元、保護管理、運営を成功させ続けてきている。ナショナル・トラ

ストによって管理され、一般に公開されることによって、その施設を生き生きとした形で

保存することに成功しているのみならず、訪問者の景観保護に対する関心を高め、教育と

いうことに大きく影響を与えることにも成功をおさめている。 バースを観光する上で、ナショナル・トラストの施設であるアッセンブリールームやプ

ライヤーパークを訪れることはもちろんのこと、歴史を感じさせる町並み全体をみること

からも、観光者の景観保護に対する意識が高めることができるのではないだろうか。そこ

で、やはり HIS がエコツーリズムの目標として掲げているように、観光において観光者自

身が目的をもって観光をしていくことが重要と言える。HISが掲げる目的の一部のように、

バースの観光者の中で学習という目的意識を持った観光者が増え、ナショナル・トラスト

の優れた活動や景観保護の重要性を学ぶことは、その観光者が自国へ戻った時の景観保護

に対する関心を高めることにつながるであろう。イギリスに比べ景観保護への行政対応の

遅れが目立つ日本において、景観保護に成功したバースから、ナショナル・トラストの活

動のすばらしさを知り、国民が関心を高め行政を動かすように働きかけることが、日本に

おいて日本の景観保護を進める上で大きな一歩となりうるだろう。この点からも、観光の

もつポジティブな効果は注目に値するといえ、その効果をうまく伸ばしていけるように観

光者、観光事業者、住民がそれぞれの責任や可能性を考え、三者一両得となる持続可能な

観光開発を進めていくことの重要性を観光都市バースの景観保護から学ぶことができたと

考える。

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<参考文献> 虻川久康(1990) 『バースの肖像 イギリス 18 世紀社交風像苦事情』研究社 藤田 治彦(1994) 『イギリスの自然と文化 ナショナル・トラストの国』淡交社 木原啓吉(2000) 『ナショナル・トラスト』三省堂 小林章夫(1989) 『地上楽園バース リゾート都市の誕生』岩波書店 小方昌勝(2000) 『国際観光とエコツーリズム』文理閣 四元忠博(2003)『ナショナル・トラストの軌跡』緑風出版 島川崇(2002) 『観光につける薬』同友館 <参考 HP> Bath Abbey HP (2007, 09.15) http://www.bathabbey.org/ Bath & North East Somerset council HP (2006, 12.17) http://www.bathnes.gov.uk/ - 24k/

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