労働者のメンタルヘルス向上を目指して以上より、本稿では「労働者が職業生活において強い不安やストレスを感じることなく働...

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WEST 論文研究発表会 2015 労働者のメンタルヘルス向上を目指して 1 -職場環境要因に着目したパネルデータ分析- 大阪大学 後藤正之研究室 鳰泰明 市後彩夏 岩井晃之 小川立太 米田野々花 2015 年 11 月 1 本稿は、2015 11 21 日、22 日に行われる WEST 論文研究発表会 2015 年度本番発表会のために作成したもの である。本稿の執筆にあたっては、後藤正之教授(大阪大学)、荒井壽夫教授(滋賀大学)、田代昌孝准教授(桃山 学院大学)、永野満大氏(大阪大学)、ヒアリング調査にご協力いただいた企業の方々をはじめ、多くの方から有益 かつ熱心なコメントを頂戴した。また二次分析にあたっては、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカ イブ研究センターSSJ データアーカイブから「東大社研・若年パネル調査(JLPS-Ywave1-52007-2011」および 「東大社研・壮年パネル調査(JLPS-Mwave1-62007-2012」の個票データの提供を受けた。ここに記して感謝の 意を表したい。しかしながら、本稿にあり得る誤り、主張の一切の責任はいうまでもなく筆者たち個人に帰するもの である。

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WEST論文研究発表会 2015

労働者のメンタルヘルス向上を目指して1

-職場環境要因に着目したパネルデータ分析-

大阪大学 後藤正之研究室

鳰泰明 市後彩夏 岩井晃之

小川立太 米田野々花

2015 年 11 月

1 本稿は、2015 年 11 月 21 日、22 日に行われる WEST 論文研究発表会 2015 年度本番発表会のために作成したもの

である。本稿の執筆にあたっては、後藤正之教授(大阪大学)、荒井壽夫教授(滋賀大学)、田代昌孝准教授(桃山

学院大学)、永野満大氏(大阪大学)、ヒアリング調査にご協力いただいた企業の方々をはじめ、多くの方から有益

かつ熱心なコメントを頂戴した。また二次分析にあたっては、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカ

イブ研究センターSSJ データアーカイブから「東大社研・若年パネル調査(JLPS-Y)wave1-5,2007-2011」および

「東大社研・壮年パネル調査(JLPS-M)wave1-6,2007-2012」の個票データの提供を受けた。ここに記して感謝の

意を表したい。しかしながら、本稿にあり得る誤り、主張の一切の責任はいうまでもなく筆者たち個人に帰するもの

である。

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WEST2015 本番論文

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要旨

近年我が国では、労働者のメンタルヘルスの悪化が問題視されている。長時間労働や職場

の人間関係の問題などによりメンタルヘルスが悪化した結果、精神疾患を引き起こす。実際

に、厚生労働省が発表した「労働者健康状況調査」によると、精神疾患による労働災害の請

求件数・認定件数はそれぞれ大幅に増加している。

こうしたメンタルヘルスの悪化は労働者個人に大きな悪影響を及ぼすだけでなく、企業や

国に対しても損失を与える。黒田・山本(2014a)では、休職者を出すことによって、売上

高利益率が下がると指摘している。一方、うつ病による労災補償費など国が被る経済損失は、

年間およそ 7,700 億円に上るとされ、自殺やうつ病がなくなった場合の GDP 引上げ効果は

およそ 1 兆 7,000 億円と推計される。これらの損失を抑えるために、政府も数度に渡り対

策を打ち出してきた。2015 年 12 月からはストレスチェック制度が義務化されるなど、労

働者のメンタルヘルス対策への関心は年々高まっている。

これまで政府は NIOSH 職業性ストレスモデルを参考にメンタルヘルス対策を行ってき

た。このモデルでは労働者のストレスの原因になるものとして性格などの「個人的要因」の

ほかに、数多くの「職場のストレス要因」が挙げられている。しかし既存の政策では、「職

場のストレス要因」のうち労働時間などに注目したものが多く、職場環境を十分に考慮でき

ていない。

次に、労働者のメンタルヘルスに影響を与える要因について分析を行った論文を概観す

る。安田(2008)は長時間労働や徹底的な成果主義が仕事のストレスを強める要因である

ことを示した。黒田・山本(2014b)はパネルデータを用いて分析を行い、長時間労働が労

働者のメンタルヘルスに悪影響を与える可能性を示した。山岡・小林(2015)は、職場の

連帯感が労働者のメンタルヘルスの向上要因になるとした。

このように、労働者のメンタルヘルスと労働時間などの関係を探る研究は数多くなされて

きたが、職場環境について詳細に分析したものはなかった。さらに、メンタルヘルスは性格

などの個人の性質に左右される側面があるが、これに関しても十分に考慮しきれていなかっ

た。

以上の先行研究とその課題を踏まえ、本稿では個人の性質を考慮しつつ、職場の要素が労

働者のメンタルヘルスに与える影響を詳細に分析する。使用するのは「東大社研・若年パネ

ル調査(JLPS-Y)wave1-5, 2007-2011」および「東大社研・壮年パネル調査(JLPS-M)

wave1-6, 2007-2012」の個票データである。被説明変数にメンタルヘルス指標である MHI-5

を設定し、説明変数に職場の要素である「助け合いの雰囲気の有無」や「相談機会の有無」

などを加えた。また、他にも個人の属性や労働環境についても説明変数に加え、これらを用

いて固定効果モデルによるパネルデータ分析を行った。

分析の結果、「互いに助け合う雰囲気がある」、「将来の仕事について相談できる機会があ

る」ことが、労働者のメンタルヘルスを向上させる可能性があると示された。これらの結果

から、本稿では 2 つの政策を提言する。まず、「互いに助け合う雰囲気がある」ことがスト

レスを緩和する可能性があるという分析結果と、メンタルヘルス対策を実際に行っている企

業へのヒアリング調査をもとに、「管理監督者の資格取得義務化」を提言する。さらに、「将

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来の仕事について相談できる機会がある」ことが、ストレスを緩和する可能性があると示さ

れたことから、「外部 EAP(従業員支援プログラム)導入の一部義務化」を提言する。

「管理監督者の資格取得義務化」は、職場の雰囲気に大きく影響を与えると考えられる管

理監督者が、労働者のメンタルヘルスに対する課題認識を高めることを目的に行う。前述の

通りうつ病などによる経済損失を考慮すると、労働者のメンタルヘルスの悪化は未然に防止

することが重要である。また、ヒアリング調査において、メンタルヘルス対策の導入には社

内の上層部の理解が必要であると分かったため、管理監督者が資格取得過程で課題認識を高

めることに意義があると考える。

「外部 EAP 導入の一部義務化」については、ストレスチェック制度において一定の基準

を超えた事業所に、国の認定を受けた外部 EAP サービス機関と契約するように義務づける

ものである。外部 EAP を導入することで、比較的低コストで労働者の相談機会を設けるこ

とができ、企業内部での対策に比べ労働者がより相談しやすい環境を提供できると考える。

また、アメリカの事例研究から、EAP 導入による従業員の出勤率向上や医療費削減など、

費用対効果が高いことが示唆される。このことからも、義務化に伴うコストへの抵抗は、

EAP 導入効果を周知することで緩和することができると考える。

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目次

要旨 ________________________________________ 2

はじめに ____________________________________ 5

現状分析・問題意識 ___________________________ 6

第 1 節 労働者のメンタルヘルスの重要性 ............................. 6

第 2 節 メンタルヘルス対策の方向性 .................................... 8

第 3 節 問題意識 .................................................................. 11

先行研究および本稿の位置づけ ________________ 12

第 1 節 先行研究 .................................................................. 12

第 2 節 本稿の意義・独自性 ................................................ 13

理論・分析 _________________________________ 14

第1節 分析の方向性 ........................................................... 14

第 2 節 分析結果 .................................................................. 19

第 3 節 企業へのヒアリング調査 ......................................... 21

政策提言 ___________________________________ 23

第 1 節 政策提言の方向性 .................................................... 23

第 2 節 管理監督者の資格取得義務化 .................................. 23

第 3 節 外部 EAP 導入の一部義務化 .................................... 24

おわりに ___________________________________ 29

先行研究・参考文献・データ出典 ______________ 30

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はじめに

我が国では、精神疾患を抱える人が近年大幅に増加しており、メンタルヘルスに対する関

心は高まりを見せている。精神疾患は、家庭問題、個人の性格などの様々な要因が複合的に

重なって発病すると考えられるが、特に仕事においては、昇進や失敗、職場での人間関係と

いったストレスの原因となる要素が数多く存在する。2014 年度には、精神疾患による労災

認定を受けた人が過去最多を記録した。

メンタルヘルスの悪化は、労働者個人だけでなく、その労働者が働く企業や国全体にも大

きな損失をもたらす可能性があるため、企業内部での対策や政府による取り組みがこれまで

にも行われてきた。特に政府は、2006 年以降メンタルヘルス対策を強化してきたが、それ

らの政策は労働時間などに注目したものが多く、職場の人間関係といった職場環境にはほと

んど焦点が当てられなかった。しかし、厚生労働省の調査によると、職場の人間関係が最も

大きなストレス要因となっており、真に有効なメンタルヘルス対策を講じる上では、職場環

境の改善に目を向ける必要がある。

以上より、本稿では「労働者が職業生活において強い不安やストレスを感じることなく働

ける社会」を実現するために、大規模なパネルデータを用いて、労働者のメンタルヘルスの

向上要因を分析する。分析にあたっては、先行研究においてメンタルヘルスとの関連が示さ

れた労働時間などの変数に加え、本稿の独自性として詳細な職場環境に関する変数を用い、

その結果に基づいて政策を提言する。

本稿の構成は以下の通りである。まず第 1 章では、我が国におけるメンタルヘルスの現

状と政府の取り組みを概観し、第 2 章では我々が参考にする先行研究を紹介し、本稿の意

義・独自性について述べる。続く第 3 章では、我々が行った分析について、用いたデータ

や分析手法を紹介し、その結果および考察を述べる。第 4 章では、分析結果と企業へのヒ

アリング調査をもとに、メンタルヘルス対策を提言する。

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現状分析・問題意識

第 1 節 労働者のメンタルヘルスの重要性

第 1 項 労働者のメンタルヘルスの悪化

近年過労死や過労自殺が問題視され、頻繁にメディアで取り上げられているのは誰もが知

る所である。我が国では自殺者が年間 3 万人を超えた 1998 年以降、労働者の自殺者も 8,000

人から 9,000 人という高い水準で推移しており、職場でのストレスが労働者の自殺の一要

因であると言われている。実際、職場でのストレスや不安による労働者のメンタルヘルスの

悪化が顕在化し大きな問題になっている。

厚生労働省が発表した「労働者健康状況調査」によると、精神障害による労働災害の請求

件数・認定件数は年々増加しており、2013 年時点で請求件数が 1,409 件と過去最多を記録

した。また、それに伴って認定件数も増え同年時点で 436 件となっており、5 年前と比べる

と 1.6 倍に増加している(図 1 参照)。このほか山岡・小林(2015)では、健康保険管理組

合および厚生労働省の「医療給付実態調査報告書」より労働者千人あたりの精神疾患受療率

を算出している。これによると、労働者の精神疾患受療率は 90年代末から増加傾向にあり、

2011 年時点で国民健康保険加入者の 1%以上が精神疾患のため受療していることが分かる。

図 1 精神障害の労災状況

(図 1:厚生労働省「労働者健康状況調査」より筆者作成)

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さらに、2012 年に日本生産性本部メンタルヘルス研究所が行ったアンケートの結果2を見

ると、職場でのストレスや不満による心の病を抱えている人の年齢層は、2010 年以前の調

査では 30 代の割合が最も高かったが、今回のアンケート調査結果では 40 代の割合が増加

し 30 代を上回った(図 2 参照)。また、約 2 割の企業で 10~20 代が最も多いと回答して

おり、近年は心の病を抱える若年層の割合も高まっていることが分かる。

図 2 心の病を抱える人の年代が最も多い年代

(図 2:平成 24 年度公益財団法人日本生産性本部メンタルヘルス研究所

「第 6 回『メンタルヘルスの取り組み』に関する企業アンケート調査結果」より筆者作成)

第 2 項 メンタルヘルスの悪化がもたらす損失

次に、メンタルヘルスの悪化が引き起こす様々な問題について見ていく。メンタルヘルス

の悪化は言うまでもなく労働者個人の尊厳を脅かす大きな問題である。しかし、これは労働

者個人にとどまらず、企業や国にとっても損失をもたらす重大な問題である。

まず、企業に及ぼす損失について見ていくと、労働者のメンタルヘルスが著しく悪化した

場合、仕事が手につかなくなる者や、うつ病になり休職をする者が増え、企業の生産性が低

下すると考えられる。また、ストレスを抱えた労働者が職場を離れ、企業は一度教育した人

材を逃す可能性がある。さらに企業は労働者に訴えられた場合、安全配慮義務違反により労

働者に対し賠償金を払う必要性が生じる上、社会的信頼を損なうといったことも考えられ

る。荒記・川上(1993)においては、職場のストレスが労働者の欠勤率や転職率に影響を

及ぼすことについても言及されている。さらに黒田・山本(2014a)では、メンタルヘルス

の不調が企業業績に与える影響を検証したところ、企業内のメンタルヘルス休職者比率は

2 年程度のラグを伴って売上高利益率に負の影響を与える可能性が示されている。このよ

2 平成 24 年度公益財団法人日本生産性本部メンタルヘルス研究所「第 6 回『メンタルヘルスの取り組み』に関する

企業アンケート調査結果」より

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うに、労働者のメンタルヘルスの悪化は、企業側にとって経済損失や社会的信頼の低下にも

関わる重大な問題だと言える。

次に、メンタルヘルスの悪化が国に及ぼす影響について見ていく。国立社会保障・人口問

題研究所が 2010 年に公表した「自殺・うつ病対策の経済的便益」によると、うつ病による

労災補償費や医療費などの国が被る経済損失は、2009 年でおよそ 7,700 億円に上るとされ

ている。また同研究によると、自殺やうつ病がなくなることで、およそ 1 兆 7,000 億円の

GDP 引上げ効果が発生すると言われている。ここから、労働者のメンタルヘルス問題が国

全体に及ぼす影響が甚大なものであることが分かる。

第 2 節 メンタルヘルス対策の方向性

第 1 項 政府のメンタルヘルス対策

これらの現状を受けて、政府も労働者のメンタルヘルスの悪化という問題に対して対策を

講じてきた。厚生労働省は 2000 年 8 月に「事業場における労働者の心の健康づくりのため

の指針」を策定しこれの周知に努めていたが、精神障害による労災補償状況などの現状は変

わらず、むしろ悪化する一方であった。そこで、2006 年に事業場におけるメンタルヘルス

対策をさらに有効に進めるため、厚生労働省はこの指針を踏まえつつ見直しを行い、労働安

全衛生法に基づく「労働者の心の健康の保持増進のための指針」を新たに策定した。この指

針では、事業場が行うべき具体的な精神疾患予防策として「4 つのケア」が示されている。

「4 つのケア」とは、労働者本人による「セルフケア」、管理監督者による「ラインケア」、

企業の産業医や保健師などの「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」、企業外の専門機

関である「事業場外資源によるケア」を指す。「4 つのケア」では、メンタルヘルス対策を

推進するために、労働者本人によるケアに加えて企業による取り組みも重要であることを示

しており、現在も政府や多くの専門書により推奨されている。また、「労働者の心の健康の

保持増進のための指針」の策定と同時に労働安全衛生法が改正され、長時間労働者への医師

の面接指導の実施という具体的な努力義務が設けられた。

2013 年には「第 12 次労働災害防止計画」が策定され、「誰もが安心して健康に働くこと

ができる社会」が目標として掲げられた。この特徴としては、労働者の職場復帰支援の促進

や職場改善手法の検討といった対策案に加え、メンタルヘルス対策に取り組む事業所の割合

を 2017 年までに 80%以上にするという数値目標を掲げた点が挙げられる。

さらに、2015 年 6 月に公布された「労働安全衛生法の一部を改正する法律」により、ス

トレスチェックと面接指導の実施などを義務づける「ストレスチェック制度」が創設された。

ストレスチェック制度とは、2015 年 12 月から施行され、各事業所が定期的に労働者のス

トレスの状況について検査を行うものである。この制度の目的は、本人にその結果を通知し

て自らのストレスの状況について自覚させ、個人のメンタルヘルス悪化のリスクを軽減させ

るとともに、検査結果を集団ごとに集計・分析し、職場環境の改善につなげることで、スト

レスの要因そのものも軽減させることである。またこの制度は、高ストレス者を早期に発見

し、希望者を医師の面接指導につなげることで、労働者のメンタルヘルス悪化を未然に防ぐ

役割が期待されている。

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第 2 項 これまでの政策の方向性

次に、これらの政策の方向性について考察していく。厚生労働省は、職業性のストレスが

疾病などに至るプロセスを示した米国立労働安全衛生研究所の職業性ストレスモデル(以下

NIOSH モデルとする、図 3 参照)を参考にメンタルヘルス対策を策定してきた。NIOSH

モデルでは、働く人のストレスに関わる要因として、人間関係や仕事量といった「職場のス

トレス要因」の他に、性格や年齢などの「個人的要因」、家庭問題などの「仕事以外の要因」、

さらに、上司や同僚からのサポートでストレスを減らす「緩衝要因」が挙げられている。こ

のモデルの特徴には、他の職業性ストレスモデルが主に仕事上の要因に注目しているのに対

し、個人的要因などのより多様な要因が考慮されている点がある。我が国でも、岩田(2013)

などにおいて、NIOSH モデルは数ある職業性ストレスモデルの中でも包括性が高いと述べ

られており、信頼性が高いと言える。ここで、これまで政府が行ってきたメンタルヘルス対

策を見ると、上記の NIOSH モデルにおける「職場のストレス要因」の中でも労働時間など

に注目したものが多い。しかし、厚生労働省が 2012 年に発表した「労働者健康状況調査」

によると、仕事におけるストレス要因として職場の人間関係を挙げる労働者が最も多い(図

4 参照)。他にも会社の将来性や配置転換などもストレス要因として挙げられており、労働

者のメンタルヘルスの悪化には労働時間といった要因だけでなく職場環境なども多大な影

響を及ぼすと考えられる。

図 3 NIOSH 職業性ストレスモデル

(図 3:Hurrel & McLaney, 1988 より筆者作成)

・労働時間

・職場環境

・人間関係

・将来性不安

・仕事の適性

性別・年齢・職種

・抑うつ

・身体的健康

・事故

・欠勤

心身の障害

仕事以外の要因 緩衝要因

職場のストレス要因

個人的要因

急性のストレス反応

疾病

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図 4 職場生活におけるストレスの原因

(図 4:平成 24 年 厚生労働省「労働者健康状況調査」より筆者作成)

第 3 項 社会情勢の変化

このように、ストレス要因として人間関係などの職場の環境が挙げられるのは、職場環境

が社会情勢の変化に大きく影響を受けるためである。例えば、1990 年代のバブル崩壊や

2008 年のリーマンショックの影響で日本は深刻な経済不況に陥り、それに伴うリストラや

倒産で失業者が急増した。こうした厳しい状況下で、多くの企業が経営に危機感を募らせ、

限られた経営資源を活かして生産性を上げるため、能率主義・成果主義を取り入れるように

なった。結果として、長時間労働や雇用の不安定化といった問題はもちろん、労働者一人ひ

とりにより大きな負担を強いるような労働環境が生み出された。

さらに、社会情勢の変化としては近年の IT の導入・普及が挙げられる。インターネット

やパソコン、携帯電話、E メールなどの通信技術は我々の生活に利便性をもたらした反面、

人々の働き方を大きく変化させた。こうした技術の発達が、仕事相手と常に連絡を取れる状

況を作り出したことで、労働者は退勤後も休日も常に仕事に追われているような状態に陥っ

てしまい、ストレスを強める原因の一つになった。また池永(2009)によると、IT 化の進

展により、これまで人が行っていた定型業務が IT 資本によって代替されるといった変化が

起き、それに伴い高賃金の知識集約型業務と低賃金の手作業型業務の就業者が増加するとい

う労働の二極化が起こっているという。知識集約型業務は定型業務より高度な技術を要する

ため、質的な負担が大きいと考えられる。また、手作業型業務は定型業務に比べて低賃金で

あることから、賃金格差によるストレスを抱える労働者が増加すると考えられる。以上より、

経済不況や IT の導入といった社会情勢の変化が職場環境に影響を与え、労働者のストレス

要因の一つになっていると考えられる。

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第 3 節 問題意識

これまで見てきたように、近年我が国では労働者のメンタルヘルスの悪化が問題視されて

いる。労働者の精神疾患による労災請求件数・認定件数は年々増加しており、これと関連が

あるとされる自殺者数も高止まりしている。メンタルヘルスの悪化は労働者本人のみの問題

にとどまらず、企業や国にも多大な損失をもたらす。精神疾患を抱えた労働者が仕事に集中

できなくなったり休職したりすることで企業の生産性が落ちることに加え、国の社会保障費

も圧迫される。このように、労働による精神疾患を抱える人が存在していることは、企業や

国にとって大きな問題であると言える。

労働者のメンタルヘルスの悪化を防ぐためには、企業による取り組みが必要不可欠である。

しかし、2013 年に厚生労働省が実施した「労働安全衛生調査」によると、メンタルヘルス

対策に取り組んでいない事業所の割合は 39.1%であり、そのうち今後取り組む予定がある

と回答した事業所の割合は 1.7%にとどまっている。ここから、企業のメンタルヘルス対策

に対する問題意識の低さが窺え、これを改善するためには、政府が対策を講じる必要がある。

政府はこれまで「職場のストレス要因」の中でも、特に労働時間などに焦点を当て対策を

講じてきたが、厚生労働省の調査からも分かるように、労働者のメンタルヘルスには人間関

係など他の「職場のストレス要因」が関係しているため、より多角的な視点で対策に取り組

むべきであると考える。そこで我々は効果的な政策を提言するにあたって、労働者のメンタ

ルヘルスを向上させる要因について詳細に分析する。

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先行研究および本稿の位置づけ

第 1 節 先行研究

労働者がメンタルヘルスを損なうことは、労働者の尊厳を脅かしうることはもちろん、経

済的な損失をもたらすことにもなる。このような現状を受けて政府も対策に乗り出してはい

るものの、メンタルヘルスに問題を抱える労働者を減らすまでには至っていない。

メンタルヘルスに対する問題意識の高まりに応じて、学術の領域でも様々な研究が行われ

てきた。以下では、特に本稿が参考にする先行研究を概観する。

安田(2008)は、仕事のストレスと職場環境の変化の関係について分析している。使用

しているのは、労働政策研究・研修機構が 2004 年1月に実施した「労働者の働く意欲と雇

用管理のあり方に関する調査」の個票データ(企業調査 1,066 社、労働者調査 7,828 人)

である。ここでは、仕事で感じるストレスの程度とそれが 3 年前からどの程度変化したか

を被説明変数として、女性ダミー・勤続年数・学歴・課長以上ダミー・年収・週平均労働時

間・従業員規模・職種ダミー・業種ダミーなどを説明変数に置いて回帰分析を行っている。

結果として、長時間労働や同世代間の賃金格差、徹底的な成果主義が仕事のストレスを強め

る要因であることが示された。その一方で、労働時間の柔軟性を高めることや仕事の役割・

分担を明確にすることがストレスを緩和することが明らかになった。しかし、データの制約

上、個人特性や企業特性について完全にコントロールできていないなど課題も残る。

一方、黒田・山本(2014b)は、労働者の個人差をコントロールするために従業員を追跡

したパネルデータを用いて、労働時間の長さとメンタルヘルスとの関係を検証している。使

用しているのは、経済産業研究所の「人的資本形成とワークライフバランスに関する企業・

従業員調査」(2012-2013)の個票データ(2 年分、700 人)である。被説明変数にはスト

レスの有無や気分の落ち込みなど 12 項目について尋ねた主観的尺度(GHQ-12)を用いて、

総労働時間やサービス残業時間などの「労働時間」、年齢・性別・職種・学歴・年収・家族

構成などの「個人属性」、業務内容の明確化や突発的業務の有無などの「仕事内容」、フルタ

イムや裁量労働制などの「勤務形態」、休日出勤に対する評価や職場におけるメンタルヘル

ス不調者の増減などを説明変数として分析を行っている。結論としては、メンタルヘルスは

同一個人であっても経年的に大きく変化すること、労働時間とりわけサービス残業の増加が

メンタルヘルスを悪化させる可能性を高めること、などを明らかにしている。本研究は、パ

ネルデータを用いることで労働者の個人差をコントロールしており、メンタルヘルスにおけ

る職場環境の重要性を示唆している点で意義深いものであるが、社内の人間関係などいくつ

かの要素について十分に考慮できていない。

山岡・小林(2015)は、個票データを用いて労働者のメンタルヘルスと職場環境の関連

を分析している。使用データは、東京大学社会科学研究所の日本版 General Social Survey

2010 年版で、無作為に抽出した 20~89 歳の男女を対象にしたアンケート調査である。被

説明変数には過去一か月間における精神状態の程度(どれほどの頻度で落ち着いて穏やかで

あったか、また落ち込んで憂鬱だったか)を用いて、労働時間・通勤時間・職場連帯感・失

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業可能性・本人収入・課長部長ダミー・企業規模・産業ダミー・職種ダミー・女性ダミー・

年齢・有配偶ダミー・学歴・性別役割意識ダミーなどを説明変数として分析を行っている。

結果として、労働時間が長いことや通勤時間が長いこと、そして性別役割分業に肯定的な女

性であることが労働者のメンタルヘルスに負の影響をもたらすことが明らかになった。また

一方で、職場において連帯感があることは労働者のメンタルヘルスの向上につながることが

示唆された。本研究は、職場環境に関する変数として「職場における連帯感」を入れるにと

どまり、企業内の制度について触れられていない点で不十分である。

先行研究を調査した結果、①メンタルヘルスと職場環境を関連付けた研究が少ないこと、

②そのうち労働者の個人特性を考慮したものはさらに少ないこと、③データの制約により十

分に捉えきれていない要素があること、の 3 点の課題が挙げられる。

第 2 節 本稿の意義・独自性

以上を踏まえて、本稿の意義・独自性について述べる。第一に、そもそも労働者のメンタ

ルヘルスと職場環境の関係を分析したものが少ないため、その研究をすること自体に意義が

あると言える。労働者のメンタルヘルスや職場環境といった概念に対する関心は高まってき

ているものの、それらを結び付けた研究はほとんど存在しない。両者の関係を明らかにする

ためには様々な角度から検討される必要があり、本稿はそこに新たな視点を付け加える点で

有意義なものである。

第二に、個人を追跡した大規模なパネルデータを用いて、個人差をコントロールした上で

分析を行っていることである。本来メンタルヘルスにおいては家庭問題や個人の性格など

様々な要素が影響し合っているため、ある特定の関係のみを抽出することは容易でない。し

かしパネルデータを用いることによって、可能な限り労働者のメンタルヘルスと職場環境の

関係を検証することができる。また従来の研究に比べてデータのサンプルも多いため、より

信頼度の高い結果が期待できる。

第三に、従来の研究と比べて職場環境についてより詳細に分析している点である。一口に

職場環境と言ってもその内実は一様でなく、人間関係や企業構造など様々な要素が含まれ

る。しかし上に挙げた研究においては、使用データの制約上、職場環境の把握が十分であっ

たとは言えず、具体的な解決策に結びつけることは困難であった。その点で本稿は、職場環

境についてより詳細に分析を行うため、効果的な政策につなげることができると考える。

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WEST2015 本番論文

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理論・分析

第 1 節 分析の方向性

第 1 項 データ

本稿では東京大学社会科学研究所付属社会調査・データアーカイブ研究センターより、「東

大社研・若年パネル調査(JLPS-Y)wave1-5,2007-2011」と「東大社研・壮年パネル調

査(JLPS-M)wave1-6,2007-2012」の個票データの提供を受け、分析に用いた。JLPS-Y

は日本全国に居住する 20~34 歳(2006 年当時)の男女を、JLPS-M は 35~40 歳(2006

年当時)の男女をそれぞれ調査対象の母集団としている。職業や家族、教育、意識、健康等、

網羅的な質問項目を設定した調査であり、とりわけ職業に関する項目は職場の状況といった

詳細な項目も設けられている。

JLPS のパネルデータを利用する理由は、同一の個人を 5 年間に渡り追跡調査したもので

あり、先行研究に比べパネルデータとして使えるサンプルが多いという点にある。また、心

の病を抱える人が多いとされる 30~40 代に加え、心の病を抱える人が増加傾向にある 20

代3も対象としており、これらの年齢層の労働者のメンタルヘルスが不調に陥る原因を探る

ことのできる調査であることも、JLPS のパネルデータを用いる利点の一つとして挙げられ

る。本稿においては、性別を区別しないデータと、男女別に区別したデータの 3 種類のデ

ータを用いて分析を行った。

第 2 項 分析の枠組み

本稿ではメンタルヘルス指標を被説明変数としてパネルデータ分析を行う。ここで、適切

なモデルを選択するために Breusch and Pegan 検定および Hausman 検定を行った。

Breusch and Pegan 検定では、「変量効果モデルよりもプーリング回帰モデルが正しい」

という仮説を設定し検定を行った。Breusch and Pegan 検定の結果(全体:P=0.000、男性:

P=0.000、女性:P=0.000)、3 種類のデータ全てで 1%の有意水準で仮説が棄却された。

Hausman 検定では、「固定効果モデルよりも変量効果モデルが正しい」という仮説を設

定し検定を行った。Hausman 検定の結果(全体:P=0.000、男性:P=0.000、女性:P=0.000)、

3 種類のデータ全てで 1%の有意水準で仮説が棄却された。以上の検定結果より、本稿では

固定効果モデルを用いて分析を行う。

固定効果モデルを用いることによって、労働者の性格などの個体的側面による影響を取り

除き、職場の環境や人間関係、企業内の制度が労働者のメンタルヘルスに与える影響を分析

することができると考えられる。本稿では特に先行研究で十分に考慮されなかった職場の要

素について考察していく。

3 公益財団法人日本生産性本部メンタル・ヘルス研究所「第 6 回『メンタルヘルスの取り組み』に関する企業アンケ

ート調査結果」より

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以下、モデル式および変数名について述べる。

●モデル式

𝑌𝑖𝑡 = 𝛼 + ∑𝛽𝑘𝑋𝑘𝑖𝑡 + 𝜀𝑖𝑡 (i=1~3841 , t=2007~2011)

●変数

𝑌𝑖𝑡:メンタルヘルス指標(MHI-5)

α:定数項

𝜀𝑖𝑡:誤差項

𝑋1𝑖𝑡:年齢

𝑋2𝑖𝑡:有配偶者ダミー

𝑋3𝑖𝑡:月間労働時間

𝑋4𝑖𝑡:年収

𝑋5𝑖𝑡:労働時間調整のしやすさ

𝑋6𝑖𝑡:失業可能性

𝑋7𝑖𝑡:企業規模ダミー(10~29 人)

𝑋8𝑖𝑡:企業規模ダミー(30~299 人)

𝑋9𝑖𝑡:企業規模ダミー(300 人~)

𝑋10𝑖𝑡:専門職・技術職ダミー

𝑋11𝑖𝑡:管理職ダミー

𝑋12𝑖𝑡:事務職ダミー

𝑋13𝑖𝑡:販売職ダミー

𝑋14𝑖𝑡:サービス職ダミー

𝑋15𝑖𝑡:生産現場職・技能職ダミー

𝑋16𝑖𝑡:運輸・保安職ダミー

𝑋17𝑖𝑡:社員が恒常的に不足しているダミー

𝑋18𝑖𝑡:いつも締め切り(納期)に追われているダミー

𝑋19𝑖𝑡:互いに助け合う雰囲気があるダミー

𝑋20𝑖𝑡:先輩が後輩を指導する雰囲気があるダミー

𝑋21𝑖𝑡:社員の希望で異動できる仕組みがあるダミー

𝑋22𝑖𝑡:将来の仕事について相談できる機会があるダミー

第 3 項 変数の選択

(1)被説明変数

被説明変数には労働者のメンタルヘルスを表す指標として、JLPS で尋ねられている精神

状態についての質問項目の合計値である Mental Health Inventory-5(MHI-5)を利用する。

MHI-5 とは、Berwick ら(1991)によって提唱された、メンタルヘルスの状態を示す項目

である。この MHI-5 の作成・使用にあたっては中澤(2010)を参照した。

MHI-5 の作成には、次の 5 つの質問項目を使用した。

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以下の項目について、過去 1 ヶ月間にあなたはどのくらいの頻度で感じましたか。一

番よくあてはまる番号(1 から 5)を選んでください。

A. かなり神経質であったこと

B. どうにもならないくらい気分が落ち込んでいたこと

C. 落ち着いていて穏やかな気分であったこと

D. おちこんで、ゆううつな気分であったこと

E. 楽しい気分であったこと

これらの質問項目のそれぞれの解答欄は「1 いつもあった」から「5 まったくなかった」

の 5 段階の選択肢から構成されている。C と E の質問項目は数値が低いほど精神が良好な

状態であるために、数字を反転させて合計値をとった。これらの合計値は 5 から 25 までの

値をとり、数値が高いほど精神状態が良好であるということを示す。

(2)説明変数

説明変数として本稿で着目する「職場の要素」に加え、「本人の属性」や「労働環境」を

設定する。

・職場の要素

「職場の要素」については、JLPS に設定された職場についての質問項目に基づく。これ

らの質問項目は、選択したものを 1、非選択のものを 0 としたダミー変数として用いる。

あなたの現在(または直近)の職場について、あてはまるものはありますか。(複数選

択可)

1.ほぼ毎日残業をしている

2.社員数が恒常的に不足している

3.いつも締め切り(納期)に追われている

4.互いに助け合う雰囲気がある

5.一人ひとりが独立して行う仕事が多い

6.お互い連携しながら行う仕事が多い

7.先輩が後輩を指導する雰囲気がある

8.社員の希望で異動できる仕組みがある

9.若手社員の仕事や生活についての相談相手を決めている

10.将来の仕事について相談できる機会がある

本稿においては、上記の質問項目のうち「2.社員数が恒常的に不足している」、「3.い

つも締め切り(納期)に追われている」、「4.互いに助け合う雰囲気がある」、「7.先輩が

後輩を指導する雰囲気がある」、「8.社員の希望で異動できる仕組みがある」、「10.将来の

仕事について相談できる機会がある」を用いた。

これらの変数を選択した理由について述べる。「2.社員数が恒常的に不足している」ほ

ど、労働者の仕事における負担が大きく、メンタルヘルスを悪化させるのではないかと考え

変数として加えた。「3.いつも締め切り(納期)に追われている」と答えた人は、仕事に

余裕がなく、精神的に追い詰められているのではないかと考えられる。「4.互いに助け合

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う雰囲気がある」、「7.先輩が後輩を指導する雰囲気がある」といった質問項目を選択した

労働者の職場では人間関係が良好であり、労働者のメンタルヘルスが向上するのではないか

と考えられる。また、「8.社員の希望で異動できる仕組みがある」場合は、労働者の適性

にあった仕事を自ら選択できるため、ストレスが緩和されるのではないかと考えられる。

「10.将来の仕事について相談できる機会がある」については、労働者の悩みについて相談

できる環境が職場にあることがメンタルヘルスに良い影響を与えることができると考えら

れる。

また、分析に用いなかった質問項目について説明する。「1.ほぼ毎日残業をしている」

については、「月間労働時間」や「年収」に相関が見られたために、多重共線性を考慮し用

いなかった。「5.一人ひとり独立して行う仕事が多い」と「6.お互い連携しながら行う仕

事が多い」についても、「4.互いに助け合う雰囲気がある」とそれぞれ負の相関、正の相

関が見られたため、「4.互いに助け合う雰囲気がある」という質問項目のみを用いた。「9.

若手社員の仕事や生活についての相談相手を決めている」という質問項目については、その

回答者の多くが「7.先輩が後輩を指導する雰囲気がある」の質問項目についても同時に選

択しており、回答者の数については項目 7 には項目 9 の 10 倍ほど回答者がいたために、よ

り包括的な項目 7 を採用した。

・個人の属性

個人の属性として、「年齢」、「有配偶者ダミー」を用いた。「年齢」については実数値を用

いた。「有配偶者ダミー」について、既婚を選択したものを 1 とし、未婚や死別、離別を選

択したものについては 0 とした。また、先行研究である安田(2008)では、性別の変数を

加えた結果、有意性を示したことや、黒田・山本(2014b)においても男女別の分析がなさ

れていることからも、性別による影響を考慮する必要がある。しかし、固定効果モデルにお

いてこのような時間の経過で変化しない変数については推定が不可能であるために、性別で

区別していないデータと、男女別にそれぞれ分けたデータを用いた分析を行った。

・労働環境

労働環境を表す変数として、「月間労働時間」、「年収」、「職種」、「企業規模」、「労働時間

調整のしやすさ」、「失業可能性」を用いた。これらの労働環境や、個人の属性を表す変数に

ついては黒田・山本(2014b)を参照した。

「月間労働時間」は 1 日あたりの労働時間に月あたりの労働出勤日数をかけたものを用い

た。これまで労働時間が労働者の精神的負担に与える影響については多く議論がなされ、労

働時間と精神的負担の関連に一致した調査結果が見受けられなかった4。従来の研究におい

てはパネルデータによる分析がなされた文献は少なかったが、前述の通り黒田・山本

(2014b)では、パネルデータを用いて両者の関係を分析しており、労働時間がメンタルヘ

ルスに影響を及ぼすとしている。このことから、労働者のメンタルヘルスと労働時間には大

きな関連があると考えられ、説明変数として「月間労働時間」を加えた。

「年収」については質問項目に倣い、0 円と回答したものを 0、2,250 万円以上と回答した

ものを 12 とした 13 段階のものを使用する。また、「職種」には専門職・技術職、管理職、

事務職、販売職、サービス職、生産現場職・技能職、運輸・保安職の 7 種のダミーを用い

た。「企業規模」では、従業員数に応じて小規模・中規模・大規模に分けたダミー変数を設

4 藤野・堀江・寶珠・筒井・田中(2006)「労働時間と精神的負担との関連についての体系的文献レビュー」

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定し、従業員数が 10~29 人の企業を小規模企業、30~299 人の企業を中規模企業、300 人以

上の企業を大規模企業とした。

「労働時間調整のしやすさ」は、JLPS における「子育て・家事・勉強など自分の生活の

必要にあわせて、時間を短くしたり休みを取ったりするなど、仕事を調整しやすい職場であ

る」という質問項目である。これは「1.かなりあてはまる」から「4.あてはまらない」

の 4 段階で回答するものであり、この数字を反転した後の数値から 1 を引いた 0~3 の値を

とる変数を用いた。

「失業可能性」は「今後 1 年間に失業(倒産を含む)をする可能性がある」という質問項

目を用いた。「労働時間調整のしやすさ」と同じく 4 段階で回答する項目であり、この項目

と同じ処理を施して使用した。これを変数に加えた理由は、厚生労働省の「労働者健康状況

調査」より、会社の将来性や雇用の安定性がストレスの一因であり、労働者のメンタルヘル

スへ影響すると考えたためである。

(3)基本統計量

以上より、説明変数には、「職場の要素」、「年齢」、「有配偶者」、「月間労働時間」、「年収」、

「職種」、「企業規模」、「労働時間調整のしやすさ」、「失業可能性」の変数を用いた。基本統

計量は以下の通りである(表 1 参照)。

表 1 基本統計量

基本統計量 観測数 平均 標準偏差 最小値 最大値

MHI-5 18591 17.46 3.567 5 25

<個人の属性>

性別(男性=1) 24000 0.493 0.5 0 1

年齢 24000 33.579 6.033 21 45

有配偶者 18872 0.535 0.499 0 1

<労働環境>

月間労働時間 14496 183.336 69.238 0 630

年収 17686 4.302 2.414 0 12

労働時間調整のしやすさ 16150 1.453 1.045 0 3

失業可能性 16119 0.62 0.831 0 3

企業規模(10~29 人) 15486 0.117 0.321 0 1

企業規模(30~299 人) 15486 0.273 0.446 0 1

企業規模(300 人~) 15486 0.3 0.458 0 1

専門職・技術職 17819 0.264 0.441 0 1

管理職 17819 0.022 0.148 0 1

事務職 17819 0.209 0.407 0 1

販売職 17819 0.144 0.351 0 1

サービス職 17819 0.13 0.336 0 1

生産現場職・技能職 17819 0.157 0.364 0 1

運輸・保安職 17819 0.042 0.201 0 1

<職場の要素>

社員が恒常的に不足している 16246 0.258 0.437 0 1

いつも締め切り(納期)に追われている 16246 0.181 0.385 0 1

互いに助け合う雰囲気がある 16246 0.432 0.495 0 1

先輩が後輩を指導する雰囲気がある 16246 0.328 0.469 0 1

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社員の希望で異動できる仕組みがある 16246 0.122 0.328 0 1

将来の仕事について相談できる機会がある 16246 0.083 0.276 0 1

第 2 節 分析結果

第 1 項 分析結果

分析結果は以下の通りである(表 2 参照)。なお、統計ソフトは Stata 11.2 を用いた。

表 2 分析結果

MHI-5 全体 男性 女性

係数 標準誤差 係数 標準誤差 係数 標準誤差

年齢 -0.055 *** 0.018 -0.112 *** 0.024 0.013 0.026

有配偶者 0.232 0.147 0.172 0.206 0.269 0.210

月間労働時間 -0.004 *** 0.001 -0.003 *** 0.001 -0.005 *** 0.001

年収 0.013 0.035 0.036 0.048 -0.004 0.050

労働時間調整のしやすさ 0.139 *** 0.036 0.207 *** 0.050 0.063 0.053

失業可能性 -0.282 *** 0.042 -0.348 *** 0.057 -0.206 *** 0.061

企業規模(10~29 人) -0.013 0.132 -0.102 0.190 0.059 0.184

企業規模(30~299 人) -0.022 0.117 -0.120 0.170 0.061 0.161

企業規模(300 人~) -0.110 0.121 -0.091 0.177 -0.152 0.167

専門職・技術職 0.456 0.352 0.300 0.466 0.618 0.540

管理職 -0.047 0.558 -0.267 0.656 1.233 1.416

事務職 0.285 0.370 0.213 0.514 0.321 0.538

販売職 0.084 0.367 0.080 0.495 -0.009 0.551

サービス職 0.083 0.364 0.046 0.510 0.090 0.528

生産現場職・技能職 0.287 0.360 0.184 0.463 0.400 0.635

運輸・保安職 0.423 0.501 0.313 0.589 0.273 1.354

社員が恒常的に不足している -0.064 0.071 -0.077 0.095 -0.052 0.109

いつも締め切り(納期)に追われている -0.324 *** 0.088 -0.358 *** 0.110 -0.221 0.149

互いに助け合う雰囲気がある 0.366 *** 0.068 0.537 *** 0.092 0.173 * 0.101

先輩が後輩を指導する雰囲気がある 0.095 0.072 -0.006 0.098 0.221 ** 0.107

社員の希望で異動できる仕組みがある 0.097 0.102 0.135 0.140 0.016 0.149

将来の仕事について相談できる機会がある 0.233 ** 0.109 0.234 * 0.137 0.199 0.178

定数項 19.443 0.664 21.451 0.906 17.098 0.981

サンプル 12412 6836 5576

グループ 3846 2084 1762

決定係数(within) 0.023 0.036 0.018

決定係数(between) 0.032 0.020 0.041

決定係数(overall) 0.034 0.025 0.036

(*** 1%水準、** 5%水準、* 10%水準でそれぞれ有意なことを表す)

結果として、全ての分析において、「互いに助け合う雰囲気がある」が、全体と男性の分

析において「将来の仕事について相談できる機会がある」、「労働時間調整のしやすさ」が労

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働者のメンタルヘルスに正の影響を与えることが分かった。また、「先輩が後輩を指導する」

が女性のみに正の影響を与えることが分かった。一方、全ての分析において「月間労働時間」、

「失業可能性」が、全体と男性の分析において「いつも締め切り(納期)に追われている」、

「年齢」が労働者のメンタルヘルスに負の影響を与えることが示された。

第 2 項 考察

以上の分析結果から考察を行う。

職場の要素として分析で有意性があるものとしては、「いつも締め切り(納期)に追われ

ている」ことが労働者のメンタルヘルスを悪化させる恐れがあることが明らかになった。締

め切りに追われることによって、労働者は精神的に切迫し、それがストレスとなってメンタ

ルヘルスを悪化させると考えられる。全体と男性のみで有意性が示されたのは、出世競争に

身を投じる労働者は男性の方が多く、その競争の中で締め切りの厳しい仕事に携わることが

比較的多くなるからではないかと考えられる。

また、職場の要素の中で、「互いに助け合う雰囲気がある」、「将来の仕事について相談で

きる機会がある」といったことが、労働者のメンタルヘルスに良い影響を与える可能性があ

ることも示された。「互いに助け合う雰囲気がある」ことについては、単なる人間関係の良

し悪しではなく、仕事を手伝い合うなど、仕事上で相互に関わり合いを持つ雰囲気が、労働

者のメンタルヘルスに良い影響を与えるのではないかと考えられる。

「将来の仕事について相談できる機会がある」ことについては、相談できる機会があるこ

とによって労働者のストレスを緩和できると考えられる。労働者の中には、仕事への適性や

昇進・昇給について強い不安や悩みを抱えている者も少なくないことが「労働者健康状況調

査」からも読み取れる。労働者が将来について相談できることによって、これらの将来への

不安を軽減できるのではないかと考えられる。女性で有意性が示されなかったことについて

は、未だに女性が男性と同じように社会進出できておらず、昇進や昇給に対して強い不安を

抱えるに至っていない可能性が考えられる。今後女性の社会進出がさらに進むにつれて、よ

り多くの女性が将来の仕事について深く考えるようになると予測できるため、このような相

談機会を設けることは女性の労働者のメンタルヘルスを向上させるためにも重要なことと

なる。

「先輩が後輩を指導する雰囲気がある」ことについては、女性のみ正の影響があることが

分かった。これは「労働者健康状況調査」において、職場の人間関係の問題がストレスにな

ると答えた女性が男性よりも多いことからも、女性にとって職場における人間関係は重要な

ものであると読み取れる。先輩が後輩を指導することにより、より良い人間関係の構築を促

進することができるため、メンタルヘルスが向上するのではないかと考えられる。

一方で、「社員が恒常的に不足している」、「社員の希望で異動できる仕組みがある」の変

数については有意性が見られなかった。これは単に社員が不足しているだけでは労働者のメ

ンタルヘルスには影響を与えず、社員が少ないことに加えて長時間労働や企業の将来性など

の問題が重なることで初めて、労働者のメンタルヘルスに影響を与えると考えられる。社員

の希望で異動できる仕組みがある場合にも、部署の定数や募集人数の関係から、必ずしも希

望者全員が希望に適う異動ができるとは限らない。また、仮に希望に適う異動ができたとし

ても、異動先で希望通りの仕事ができるとも限らないため、メンタルヘルスの向上につなが

らないのではないかと考えられる。

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WEST2015 本番論文

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次に職場の要素以外の結果について考察を行う。「年齢」が負の影響を与えるということ

は、昇進などに伴って労働者の責任が重くなることがストレスの要因となっているのではな

いかと考えられる。「月間労働時間」が負の影響を与えることについては、先行研究と同様

に労働時間がメンタルヘルスを悪化させる恐れがあることが示された。「失業可能性」が負

の影響を与えることは、会社の将来性の問題から強いストレスを感じる労働者がいると示し

た「労働者健康状況調査」と同様の意味合いを持つ結果が分析から得られた。

「労働時間調整のしやすさ」が正の影響を与えることについては、労働者が自身の生活の

ために時間を確保することで、ストレスを緩和させるに至ると考えられる。一方で、「労働

時間調整のしやすさ」は女性のみ有意性が示されなかった。これは女性が労働時間を調整す

る目的として、育児や家事といった家庭内労働のために調整を行うため、純粋に自分のため

に時間を確保することができないからであると考えられる。

第 3 節 企業へのヒアリング調査

職場環境に関する政策を提言するにあたっては、単に分析結果に基づくだけでなく実際に

対策を行う企業の問題意識を反映した方がより説得力が増すと言える。そこで我々は、従業

員のメンタルヘルス対策に力を入れている企業へのヒアリングを行った(企業の概要は表 3

参照)。この企業は、いち早くストレスチェック制度を導入するなどメンタルヘルス対策に

強い関心を寄せており、メンタルヘルスの不調予防から休職者の復帰支援まで包括的な取り

組みを行っている。具体的には、入社 1 年目と 3 年目の社員や新任マネージャーを対象に

した教育研修、全社員が受ける web ストレスチェック、従業員だけでなくその家族も対象

にする相談対応、試し出勤制度やメンター制度といった復職支援など、その対策の内容は多

岐に渡っており、労働者の心の健康を重視していることが窺える。

表 3 事業場の概要

今回ヒアリングを行った結果、以下の点が特に参考になると考える。一つ目は、現状分析

で触れた NIOSH モデルにおける緩衝要因が大切だという点である。緩衝要因とは仕事にお

けるストレスを和らげる上司や家族などによる社会的支援のことであり、ヒアリング先の企

業ではこの重要性を認識した上で上司や管理職の教育を行うべきであるとしていた。

二つ目は、上層部がメンタルヘルスにおける対策の必要性を認識しなければならない点で

ある。企業においては、意思決定に関わることのできない従業員がメンタルヘルス対策の必

要性を訴えたとしても改善の見込みは薄い。ヒアリング先の企業でも、社長や幹部が理解を

示していなければ現在のような手厚い支援体制は整っていなかったとのことであった。

事業内容 医薬品および医療機器の研究開発・製造・販売

労働者数 約3,200名(連結) 男女比:7対3

労働者平均年齢 42.0歳

事業場内スタッフの配置・選任状況

産業医6名(非常勤)、保健師/看護師6名、メンタルヘルス専門契約医1名、メンター3名

事業場外資源との契約 有

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三つ目は、最初にメンタルヘルス対策を導入する際には外部 EAP 機関を利用したという

点である5。企業がメンタルヘルス対策を始めようとしても、先行事例が少ないことや企業

内に専門知識を持つ者がいないことなどから、導入に踏み切れなかったり有効な対策を実施

できなかったりすることがある。そのためヒアリング先の企業でも、専門知識を持つ外部機

関と協力することで少しずつ効果的なメンタルヘルス支援体制を模索していったとのこと

であった。

以上をまとめると、労働者のメンタルヘルス対策においては、①上司や管理職の教育が重

要であること、②社長など意思決定に携わる上層部の課題認識が必要であること、③外部

EAP 機関の利用が有効であること、の 3 点になる。

これらを踏まえて政策提言を行う。

5 EAP とは、従業員支援プログラム(Employee Assistance Programs)のことである。次章で詳しく述べる。

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政策提言

第 1 節 政策提言の方向性

前章では、大規模パネルデータを用いた計量分析、およびメンタルヘルス対策に取り組む

企業へのヒアリング調査から得られた結果について述べた。本章ではこれらの結果に基づ

き、労働者が職業生活において強い不安やストレスを感じることなく働ける社会を実現する

ため、以下の 2 つのメンタルヘルス対策を提言する。

まず、分析より「互いに助け合う雰囲気がある」ことがストレスを緩和する可能性がある

という分析結果と、メンタルヘルス対策を実際に行っている企業へのヒアリング調査をもと

に、「管理監督者の資格取得義務化」を提言する。さらに、「将来の仕事について相談できる

機会がある」ことが、ストレスを緩和する可能性があると示されたことから、「外部 EAP

導入の一部義務化」を提言する。本章では、これらの政策の内容とその実現可能性について

検証していく。

第 2 節 管理監督者の資格取得義務化

本稿の分析では、「互いに助け合う雰囲気がある」ことが、ストレスを緩和させる可能性

があるという結果が得られた。しかし、政策の導入によって、職場における雰囲気を直接改

善させることは困難である。そこで、職場の雰囲気に大きく影響を与えると考えられる管理

監督者6が、労働者の心の健康に対する課題認識を高めることを目的に、メンタルヘルスに

関する資格の取得義務化を提言する。

第 1 項 提言内容

メンタルヘルスに関する資格としては、社会福祉士・臨床心理士・産業カウンセラーなど

が挙げられるが、我々は大阪商工会議所が実施する「メンタルヘルス・マネジメント検定」

に注目した。「メンタルヘルス・マネジメント検定」とは、労働者の心の不調の未然防止な

どを目的として 2006 年に開始され、2014 年度には年間 38,000 人以上が受験している公的

資格である。また、この資格には人事労務スタッフ・管理職・一般社員(それぞれⅠ種・Ⅱ

種・Ⅲ種)など、役割に応じた知識を体系的に習得できるという特徴があり、検定試験を導

入する企業が増加傾向にある。

我々は、この既存の公的資格を活用し、「管理監督者のメンタルヘルス・マネジメント検

定 Ⅱ種(ラインケアコース)の取得義務化」を提言する。本政策の目的は、管理監督者に

資格取得を義務づけることによって、取得過程でメンタルヘルスに対する知識を習得し、職

場の雰囲気改善や部下の不調防止への配慮を高めることにある。管理監督者に注目した理由

6 労働基準法第 41 条で定められる「監督若しくは管理の地位にある者」のことを指す。

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としては、前述した NIOSH モデルの緩衝要因として上司などの社会的支援があること、ヒ

アリング調査から上司の考え方が職場環境に影響を与える可能性が高いと分かったことが

挙げられる。義務化の対象に関しては、実現可能性を考慮に入れ、産業医選任義務・ストレ

スチェック制度と同様に従業員 50 人以上の事業所とし、50 人未満の事業所に対しては努力

義務とする。

第 2 項 政策に期待される効果

2013 年に厚生労働省が実施した「労働安全衛生調査」によると、メンタルヘルス対策に

取り組んでいない事業所は 39.1%であり、その理由は「該当する労働者がいない」が 39%

と最も高く、「取り組み方が分からない」が 25.3%、「必要性を感じない」が 21.8%の順と

なっている。この調査結果にもあるように、心の不調を抱える労働者がいない場合、メンタ

ルヘルスへの課題認識は低くなると考えられる。しかし、労働者の心の不調を未然に防止す

ることが求められる中では、不調を抱える労働者の有無に関わらず、メンタルヘルス対策に

取り組むべきである。

このような状況を鑑みると、「管理監督者への資格取得義務化」は労働者の心の健康に対

する課題認識の向上や取り組み方の習得につながると考えられ、メンタルヘルス対策の普及

に一定の効果が見込まれる。また、実際に対策に取り組む企業にヒアリング調査を行った結

果、メンタルヘルス対策を行うにあたっては社内の上層部の理解が必要不可欠だという意見

が得られたことから、管理監督者の課題認識を高めることによって、社内の制度の構築・強

化なども期待できる。

第 3 項 実現可能性

前述のように、2013 年時点でメンタルヘルス対策に取り組んでいない企業は約 4 割にと

どまり、依然として労働者の心の健康に対する関心が高くない企業が存在している。そのた

め、ストレスチェック制度に続く、管理監督者の資格取得の義務化は企業から一定の反発を

生むと考えられる。特に資格取得にあたっては、企業側に検定料などの負担を強いることに

なるが、メンタルヘルスの悪化は労働者の生産力の低下・休職中の手当による出費など、企

業に多額の損失をもたらす可能性が高いため、管理監督者の課題認識の向上によってメンタ

ルヘルスの悪化を未然に防止することができれば、検定料の負担を上回る損失の抑制が見込

まれる。このように本政策は将来的な投資として大きな意味があるため、政府を挙げて企業

側に説明を行うことによって反発が軽減されると考える。

第 3 節 外部 EAP 導入の一部義務化

分析から、「将来の仕事について相談できる機会がある」ことがストレスを緩和する可能

性があるという結果が得られた。この分析結果と、既定の制度を活用する観点から、職場に

おける相談機会を拡充する外部 EAP(従業員支援プログラム)導入の一部義務化を提言す

る。

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第 1 項 EAP とは

EAP(Employee Assistance Program)とは、アメリカ発祥の従業員のメンタルヘルス

などの個人的な問題に対処するための施策である。その業務は多岐に渡り、国際 EAP 学会

によれば、①生産性に影響しうる問題に関して職場支援を行うプログラム、②仕事上のパフ

ォーマンスに影響しうる問題(健康、結婚、家族、家計、情緒、ストレスなど)を抱えて相

談に訪れる従業員を支援し、その解決の手助けを行うプログラム(カウンセリング活動)の

2 つが EAP の定義として示されている。加えて、職場におけるメンタルヘルス関連の組織

コンサルティングや適切な専門家・専門機関の紹介なども重要な活動の一環として行われ

る。

EAP は、企業が健康管理センターのような形で社内に設置するケース(内部 EAP)と、

外部の EAP サービスを導入するケース(外部 EAP)がある。島津(2006)では、これら 2

つの EAP のメリットとデメリットを挙げている。内部 EAP は、その性質上、企業風土や

職場環境への理解が深まりやすいため、職場改善が行いやすいこと、また企業内部にあるた

めアクセシビリティが高いことなどのメリットがある。一方、専門職の確保などのリソース

問題や、秘密保持性が低いために相談に抵抗を示す従業員が生じうるなどのデメリットもあ

ると言われている。外部 EAP では、従業員から見た秘密保持性が高く、また低いコストで、

個人だけではなく組織全体へのアプローチもできるなどのメリットが挙げられている。

また、中小企業へ向けては、コンソーシアム EAP(共同型 EAP)というサービスが提唱

されている。このサービスは、同業種や同業態などの複数の企業で共同体を構成することに

より規模拡大の効果を創出し、低コストで導入することが可能である7。

日本では、1980 年代の後半に EAP が紹介され近年急速に普及してきた。しかし、その

普及率は未だに高いとは言えず、労務行政研究所の調査によれば、2005 年時点で従業員数

1,000 人以上の企業で 14.8%、300~999 人の企業では 4.1%、300 人未満の企業では 1.6%で

ある。一方アメリカでは、2003 年時点で、大手企業 500 社のうち 95%が EAP を導入して

いる。このように日本では、EAP を普及する余地が多く残されている。

第 2 項 提言内容

相談機会があることがメンタルヘルスに良い影響を与えるという分析結果および既定の

政策から、「外部 EAP 導入の一部義務化」を政策として提言する。具体的な施策として、

現状で述べたストレスチェック制度において一定基準を超えた場合、その事業所に、国の認

証を受けた外部 EAP サービス機関との契約を義務づける。

また本稿では、本政策の実施にあたって、メンタルヘルス対策が真に必要である企業を捕

捉し、適切なサービスを提供する EAP 機関とマッチングさせることを目的に、対象となる

企業を限定すること、EAP サービスの質の担保することを重要だと考える。ここで、既定

の制度であるストレスチェック制度、およびメンタルヘルス相談機関登録制度をそれぞれ活

用する(図 5 参照)。以下では、ストレスチェック制度とメンタルヘルス相談機関登録制度

の概要と、これら制度を活用した本政策について説明する。

7 例として、大阪商工会議所では平成 22 年度よりコンソーシアム EAP サービスを開始した。従業員 300 名以下の企

業が 4 社以内で申し込んだ場合を対象に、1 社当たりの費用は年間 80~100 万円と、1企業単位で利用する場合に比

べ費用を低減(20~25%減)できる。

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(1)ストレスチェック制度

一つ目に、外部 EAP 導入義務化の対象となる企業の限定を目的に、2015 年 12 月より施

行されるストレスチェック制度を利用する。ストレスチェック制度とは、現状で述べた通り、

従業員数 50人以上の事業所が定期的に労働者のストレスの状況について検査を行うもので

ある。

現在、ストレスチェック制度における法制では、個々の事業所はメンタルヘルス状況を国

に報告する義務はなく、結果は主に従業員への通知や事業主への報告に用いられる。本政策

では、外部 EAP 義務化の対象となる企業を限定するため、ストレスチェック制度の実施過

程を以下の通り 2 点変更する(図 5 参照)。

① ストレスチェック制度では、チェックの実施と結果の通知は義務づけられているが、

結果を職場ごとに集団分析することは努力義務である。本政策では、②の前提として、

これを努力義務から義務に変更する。

② 次に、ストレスチェックの実施者(国の認定を受けた医師・看護師など)に対して、

集団分析結果の国への報告を義務づける。国は一定の基準を設け、この報告に基づき、

基準を超えた企業に外部 EAP 機関との契約義務を課す。なお、事業者への報告は努

力義務とする。

この変更により、国は各事業所のメンタルヘルスの状況を把握することができ、対策が真

に必要とされる企業が捕捉される。

(2)メンタルヘルス相談機関登録制度

二つ目に、「EAP サービスの質の担保」を目的に、メンタルヘルス相談機関登録制度を利

用する。メンタルヘルス相談機関登録制度とは、国が行っているメンタルヘルス相談機関の

認証制度である。大内(2008)では、日本での EAP 普及への課題として、EAP サービス

機関の認証によるサービスの質の担保が重要であると言及されており8、その後に厚生労働

省が、2008 年度から独立行政法人労働者健康福祉機構に委託し、メンタルヘルス相談機関

の登録を開始した。この制度では、登録の要件として「十分な経験を有する常勤相談者がい

る」、「提供できるサービス内容、料金体系、相談対応者の氏名・資格・実績が公開されてい

る」、「職場のメンタルヘルスに詳しい精神科医が相談機関をサポートし、必要な場合は医療

機関を紹介する」、「プライバシーを確保できる相談室を整備している」など数多くの基準が

設けられている。本政策では、上記の労働者健康福祉機構の登録制度によって認証された外

部 EAP サービス機関を契約対象とする。これは、企業が義務化に際して、一定水準以上の

EAP サービスを受けられることを保障するためである。また、認定された機関の情報は公

開されるため、個々の企業は、状況・ニーズに合ったメンタルヘルスサービスを選択するこ

とが可能となる。

メンタルヘルス相談機関登録制度の利用によって、(1)の制度で捕捉された企業と適切

なサービスを提供する EAP 機関をマッチングさせることができる。

第 3 項 政策に期待される効果

EAP 導入に伴う効果について検討するため、事例研究を概観する。

8 大内(2008)より。なお現在、日本において EAP サービス機関を名乗る基準はなく、任意で行われている。一方、

EAP 先進国であるアメリカでは、EAPA (EAP 協会)とは別の外部機関による EAP サービス機関の認証が実施さ

れている。

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木村(2006)によると、アメリカでは経営学的な視点から EAP の投資効果が測定され、

多くの事例9が報告されている。例えば、アメリカに本社を置く自動車メーカーGeneral

Motors では、北米の社員 44,000 人(全社員の 7%)を対象に EAP を導入後、開始前と 1

年後に比較したケースでは、勤労などの労働損失時間は約 40%、疾病と事故の給付額は約

60%、社員からの苦情は約 50%、それぞれ低下した。

このように、アメリカでは、EAP の効果として労働者の出勤率の上昇や、メンタルヘル

スの不調に伴う医療費の削減が報告されている。つまり EAP の費用対効果が高く、導入コ

ストを上回る経営上のメリットがあることが、多くの事例から示唆される。さらに、国際

EAP 学会の発表(1996)によれば、過去 25 年間の企業および研究機関の発表資料をまと

めた結果、EAP への投資 1 ドルにつき、5~7 ドルの効果があると述べられている。確かに、

EAP の経営的なメリットは、個々の企業の規模や風土、メンタルヘルス問題の程度によっ

て左右されるため、一概に経営上の効果があるものと断定はできないが、労働者個人の尊厳

を守るという点や、危機管理を強化する点においても、導入する意義のある制度だと考える。

前述の通り、EAP は内部 EAP と外部 EAP に大別される。特に外部 EAP は、導入コス

トが低く、より多くの企業において相談機会の拡充が期待できる。さらに、秘密保持性が高

いため、自発的に相談する従業員が増えると考えられる。このような効果のほかにも、ヒア

リング調査で「メンタルヘルス対策を始める際に、外部 EAP のコンサルティングを利用し

た」とあるように、外部 EAP はコンサルティングを行う機能も持つため、メンタルヘルス

対策をさらに進める際に、前提となる知識やノウハウがない企業にとって大きな助けとな

る。このことから本政策によって相談機会の拡充ができ、職場におけるストレスを緩和する

効果が期待される。

第 4 項 実現可能性

本節で述べた「外部 EAP 導入の一部義務化」という政策は、2015 年 12 月より開始され

るストレスチェック制度、および既定の独立行政法人労働者健康福祉機構によるメンタルヘ

ルス相談機関登録制度を活用し、メンタルヘルス対策のさらなる普及を目指すものである。

しかし、実現を阻害する要因として、導入に伴うコストと EAP サービス機関の供給不足10が

考えられる。

まず企業側について見ると、外部 EAP 導入にはコストが伴うため、企業は義務化に抵抗

を感じると考えられる。しかし、外部 EAP には、前述の通り高い費用対効果が期待される。

例えば、生産性の向上、企業ブランド価値の維持、人的資本・人的資産の維持と活用、雇用・

労働の安全性確保などが挙げられる。このように、企業が外部 EAP のメリットを認識すれ

ば、導入コストの障壁は一段と低いものになる。さらに、前節で述べた「管理監督者の資格

取得義務化」により、企業がメンタルヘルス対策の重要性を理解することで、企業側の導入

への抵抗が緩和される可能性が見込まれる。また政府側について見ると、既に厚生労働省に

よって策定された制度に基づいた提言であるため、新たに独立した制度を制定する場合と比

9 この他、以下のような事例が報告されている。

・アメリカ Kennecott Copper Corporation では、出勤率 が 52%以上上昇し、医療費が 55%以上減少した。

・アメリカの航空会社「ユナイテッド航空」では、投資収益効果が 16 倍と見積もられた。

10 亀田(2009)によれば、2007 年時点で日本には 120 以上の EAP サービス機関があると言われている。島・田中・

大庭(2002)によると、2002 年時点でアメリカには 12,000 社以上の EAP サービス機関があると言われている。

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べて、コストは大きくはないと考えられる。政府の主な業務はメンタルヘルス相談機関登録

制度の維持や普及と、義務が適切に履行されているかの査定にとどまる。

次に、本政策が施行された場合、対応できる EAP サービス機関の供給が需要を十分に満

たすことができない可能性がある。この点に関しては、義務化の対象を限定する際の基準を

段階的に変更することで対応できると考える。具体的には、施行後は比較的厳しい基準を設

け、市場原理に伴う EAP 機関の増加に合わせて基準を緩和し、義務化の対象となる企業を

拡大する。最終的には、メンタルヘルス対策を必要とする全企業が対象になることを目指す。

以上のことから、実現を阻害する要因を取り除くことは可能であり、本政策の実現可能性

は決して低くはないと結論づける。

図 5 提言内容

※ 「実施者」とは医師や保健師など(一定の研修を受けた看護師、精神保健福祉士)を指

す。(図 5: 厚生労働省「ストレスチェック制度の流れ」を参考に筆者作成)

ストレスチェック制度

結果を労働者に直接通知

(労働者)セルフケア

(実施者)労働者の同意の上

事業者へ通知

申し出があった場合

面接指導が実施される

結果を職場ごとに集団分析

(実施者)分析結果を事業者に提供

<国>基準を超えた企業に外部EAPの義務付け

<EAP機関>制度により認証されたEAP機関

メンタルヘルス相談機関登録

制度

(実施者)分析結果を国へ報告

職場環境の改善のために活用

① 努力義務

→義務化

<高ストレス者>

   政策(義務化)   既定の制度

対象の限定

サービスの質の担保

義務 義務

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おわりに

本稿では JLPS の個票データを用いてメンタルヘルスと職場の要素の関係について固定

効果モデルによるパネルデータ分析を行った。その結果、仕事上で相互に助け合う雰囲気の

あることが労働者のメンタルヘルスに良い影響を与えると実証的に示された。また、仕事に

ついて相談できる機会を設けることが、労働者のメンタルヘルスに良い影響を与えると分か

った。さらに、ヒアリング調査によってメンタルヘルス対策を行っている企業の意見を聞く

ことができた。これらの結果を踏まえ、2 つの政策を提言した。まず、管理監督者が職場で

のメンタルヘルス対策の重要性を認識し、職場の改善への配慮を高めることを目的として

「管理監督者への資格取得義務化」を提言した。次に、労働者の相談機会の拡充を目的に「外

部 EAP 導入の一部義務化」を提言した。

しかし、本稿では十分に考慮しきれなかった課題も残されている。まず一点目に、我々は

NIOSH モデルを参考にしつつ現状分析や計量分析を行ってきたが、家族や家庭からの緩衝

要因である「仕事以外の要因」をデータの制約上分析に加えることができなかった。Holmes

と Rahe のストレスモデルによれば、配偶者の死や離婚などの家庭からの要因も個人のメン

タルヘルスに与える影響は大きい。そのため、家族や家庭からの緩衝要因が重要であること

が分かる。過去 1 年以内の家庭面での出来事を尋ねる質問項目があれば、「個人的要因」な

どと共に「仕事以外の要因」についてもコントロールすることができ、「職場のストレス要

因」によるメンタルヘルスへの影響をより精密に分析することができたと考えられる。

二点目に、提言した 2 つの政策について、日本における効果を定量的に示すことができ

なかった点についても今後の課題と考えられる。管理監督者による資格取得が労働者や職場

に与える影響を見ることはデータの制約上できなかった。今後メンタルヘルス対策への関心

が高まり、メンタルヘルスに関する資格取得者数も増えると考えられる。そうした中で、資

格取得が企業に与える効果について、より具体的な分析がなされることを期待する。

EAP の導入についても、木村(2006)など海外における事例研究やヒアリング調査によ

る先進事例を紹介するにとどまっており、普遍的な導入効果を定量的に示すことができなか

った。日本では EAP を導入している企業は 2005 年時点でわずかに 8%と少なく、さらに

EAP 機関にも様々な特性があるため、我々の得られる範囲のデータで導入効果を示すこと

ができなかった。こうした日本における EAP 導入の費用対効果などを定量的に示すことに

ついては今後の研究課題として挙げられる。

近年の日本においては、精神疾患にかかる労働者が増加していることからも、労働者のメ

ンタルヘルス対策は早急になされることが望まれる。最後に、本稿が職場環境の改善を促し、

労働者が職業生活において強い不安やストレスを感じることなく働くことができる環境づ

くりの一助となることを願い、本稿を締めくくる。

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http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000qvsy-att/2r9852000000qvuo.pdf

(2015 年 9 月 10 日データ取得)

・嶋田美奈(2010)「BBL 議事録 (2010 年 2 月 24 日) 経営者はメンタルヘルスにどう取組

むべきか:ヒューマンリスクとしてのメンタルヘルス」

http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/10022401.html (2015 年 10 月 24 日データ取得)

・独立行政法人労働者健康福祉機構「メンタルヘルス相談機関登録」

http://www.rofuku.go.jp/sangyouhoken/mental/tabid/111/Default.aspx(2015 年 10 月

23 日データ取得)

【使用データ】

本稿を書くに当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センタ

ーSSJ データアーカイブから『東大社研・若年パネル調査(JLPS-Y)wave1-5,2007-2011』

および『東大社研・壮年パネル調査(JLPS-M)wave1-6,2007-2012』の個票データの提

供を受けた。

なお、分析にあたっては岩井晃之がデータの提供を受け、分析を担当した。