イスラーム世界の近現代とイスラーム復興運動...- 1 -...

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- 1 - イスラーム世界は、17世紀以降「植民地主義」、「共 産主義」、いわゆる「アラブ・イスラエル紛争」、「近 代化・西洋化」、「グローバリゼーション」のような外 部との政治、経済、社会、文化的摩擦と、内部の停滞 感、挫折感にさいなまれてきた。イスラーム復興運動 と呼ばれる運動には、このような内外の状況を解決し イスラーム世界の繁栄を取り戻そうとする運動として の側面がある。一方、西洋諸国やイスラーム世界の諸 国は、たびたび暴力的な反抗をみせるイスラーム復興 運動に対し、あるときは対抗・弾圧、またあるときは 利用・協調することを通じ、イスラーム復興運動の中 から「イスラーム原理主義」、「テロリスト」とよばれ る集団が派生することを促進してきた。従って、イス ラーム復興運動は近現代の政治、外交、軍事情勢の中 での重要な運動としての側面をも帯びており、表面的 な現象だけでなく歴史的背景、政治情勢をも踏まえた イスラーム復興運動の理解が必要と思われる。 オスマン帝国の軍事的伸張が止まり、アフリカ東岸 やアジア島嶼部にも西欧諸国が進出してくるようにな った16~18世紀にかけて、イスラーム世界では西欧諸 国からの圧迫に対抗するために西洋の技術や法制度の 導入を図る近代化の動きがみられた。オスマン朝が行 ったタンジーマートや、エジプトのムハンマド=アリ ー朝が進めた近代化政策はこの代表例といえる。しか し、国家権力によって進められた近代化は、多くの場 合、社会の混乱と国家の財政破綻、それを口実とした 西欧からの更なる圧迫、西欧に対する隷属という結果 をもたらした。その最中、危機的状況の原因は社会の 停滞、すなわちイスラームの停滞という内的原因であ るとして、イスラームの復興を状況打開の道と考える 動きが現れ、これがいわゆるイスラーム復興運動の端 緒となった。このような動きの中には、既存のスーフ ィー教団を改革し社会・政治勢力として成長させた動 き、信仰上の逸脱を排除し、イスラーム勃興期の行い に回帰しようとする動き、伝統墨守を批判し、革新的 なイスラーム解釈や実践を通じて社会を活性化しよう とする動き等の複数の傾向がみられた。また、イスラ ームを結集の旗印とした反植民地反乱も、西欧に対抗 する上でのイスラーム復興運動の一端と考えられた。 第一次世界大戦後、イスラーム世界でも西欧諸国に よる分割が行われた。同時期、トルコではムスタファ ー=ケマルが世俗主義を標榜するトルコ共和国を建国、 カリフ制を正式に廃止した。これによりイスラーム世 界は政治的統合の象徴を失い、イスラーム復興運動は 西欧諸国が設定した勢力圏や、その後樹立された各国 の国境の範囲内で展開することが多くなった。また、 アラビア半島でもサウード家が英国と妥協、サウジア ラビア王国を建国したことにより、ワッハーブ主義運 動の領域的拡大は終息した。著名なムスリム同胞団も、 大衆運動の組織として発展、発足の地であるエジプト 以外にも拡大したものの、拡大のあり方は既存の国境 線を前提とし、各国で独自のムスリム同胞団が結成さ れる形態をとった。このほかにも、イスラーム復興運 動や反植民地運動で活躍した団体としてインドネシア のサレカット=イスラーム、パキスタンのジャマーア テ=イスラーム、アルジェリアのムスリム=ウラマー 協会があるが、これらも既存の領域を越えて思想や運 動を拡大させる性質のものではなかった。こうして、 各種のイスラーム団体は既存の国境線の枠内で活動を 活発化させ、同時期に発展した各種の民族主義、社会 主義団体と競合しつつ勢力を拡大した。しかし、その 後誕生したイスラーム世界の近代国家では、民族主義、 社会主義、開発独裁のような世俗的政権が発足し、イ スラーム復興運動の目標の一つであるイスラームによ る統治が実現したところはほとんどなかった。その後、 イスラーム復興運動と各地の世俗的政権との対立関係 イスラーム世界の近現代とイスラーム復興運動 中東調査会 高 岡 豊 イスラーム復興運動の勃興 近代国家と世俗政権による統治下のイスラーム復興運動

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Page 1: イスラーム世界の近現代とイスラーム復興運動...- 1 - イスラーム世界は、17世紀以降「植民地主義」、「共 産主義」、いわゆる「アラブ・イスラエル紛争」、「近

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イスラーム世界は、17世紀以降「植民地主義」、「共

産主義」、いわゆる「アラブ・イスラエル紛争」、「近

代化・西洋化」、「グローバリゼーション」のような外

部との政治、経済、社会、文化的摩擦と、内部の停滞

感、挫折感にさいなまれてきた。イスラーム復興運動

と呼ばれる運動には、このような内外の状況を解決し

イスラーム世界の繁栄を取り戻そうとする運動として

の側面がある。一方、西洋諸国やイスラーム世界の諸

国は、たびたび暴力的な反抗をみせるイスラーム復興

運動に対し、あるときは対抗・弾圧、またあるときは

利用・協調することを通じ、イスラーム復興運動の中

から「イスラーム原理主義」、「テロリスト」とよばれ

る集団が派生することを促進してきた。従って、イス

ラーム復興運動は近現代の政治、外交、軍事情勢の中

での重要な運動としての側面をも帯びており、表面的

な現象だけでなく歴史的背景、政治情勢をも踏まえた

イスラーム復興運動の理解が必要と思われる。

オスマン帝国の軍事的伸張が止まり、アフリカ東岸

やアジア島嶼部にも西欧諸国が進出してくるようにな

った16~18世紀にかけて、イスラーム世界では西欧諸

国からの圧迫に対抗するために西洋の技術や法制度の

導入を図る近代化の動きがみられた。オスマン朝が行

ったタンジーマートや、エジプトのムハンマド=アリ

ー朝が進めた近代化政策はこの代表例といえる。しか

し、国家権力によって進められた近代化は、多くの場

合、社会の混乱と国家の財政破綻、それを口実とした

西欧からの更なる圧迫、西欧に対する隷属という結果

をもたらした。その最中、危機的状況の原因は社会の

停滞、すなわちイスラームの停滞という内的原因であ

るとして、イスラームの復興を状況打開の道と考える

動きが現れ、これがいわゆるイスラーム復興運動の端

緒となった。このような動きの中には、既存のスーフ

ィー教団を改革し社会・政治勢力として成長させた動

き、信仰上の逸脱を排除し、イスラーム勃興期の行い

に回帰しようとする動き、伝統墨守を批判し、革新的

なイスラーム解釈や実践を通じて社会を活性化しよう

とする動き等の複数の傾向がみられた。また、イスラ

ームを結集の旗印とした反植民地反乱も、西欧に対抗

する上でのイスラーム復興運動の一端と考えられた。

第一次世界大戦後、イスラーム世界でも西欧諸国に

よる分割が行われた。同時期、トルコではムスタファ

ー=ケマルが世俗主義を標榜するトルコ共和国を建国、

カリフ制を正式に廃止した。これによりイスラーム世

界は政治的統合の象徴を失い、イスラーム復興運動は

西欧諸国が設定した勢力圏や、その後樹立された各国

の国境の範囲内で展開することが多くなった。また、

アラビア半島でもサウード家が英国と妥協、サウジア

ラビア王国を建国したことにより、ワッハーブ主義運

動の領域的拡大は終息した。著名なムスリム同胞団も、

大衆運動の組織として発展、発足の地であるエジプト

以外にも拡大したものの、拡大のあり方は既存の国境

線を前提とし、各国で独自のムスリム同胞団が結成さ

れる形態をとった。このほかにも、イスラーム復興運

動や反植民地運動で活躍した団体としてインドネシア

のサレカット=イスラーム、パキスタンのジャマーア

テ=イスラーム、アルジェリアのムスリム=ウラマー

協会があるが、これらも既存の領域を越えて思想や運

動を拡大させる性質のものではなかった。こうして、

各種のイスラーム団体は既存の国境線の枠内で活動を

活発化させ、同時期に発展した各種の民族主義、社会

主義団体と競合しつつ勢力を拡大した。しかし、その

後誕生したイスラーム世界の近代国家では、民族主義、

社会主義、開発独裁のような世俗的政権が発足し、イ

スラーム復興運動の目標の一つであるイスラームによ

る統治が実現したところはほとんどなかった。その後、

イスラーム復興運動と各地の世俗的政権との対立関係

イスラーム世界の近現代とイスラーム復興運動

中東調査会 高 岡 豊

イスラーム復興運動の勃興

近代国家と世俗政権による統治下のイスラーム復興運動

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はしだいに先鋭化し、エジプトではアラブ民族主義を

標榜するナセル政権によるムスリム同胞団弾圧が強ま

り、その過程でサイード=クトゥブの思想のような過

激な思想が現れ、程度の差こそあれ同様な環境にある

各国に拡散した。イランでも、世俗的王政政府が急速

な近代化を推進、これに反対するホメイニが国外に追

放されるなどした。

しかし、イスラーム世界各地の世俗的政権は多くの

場合望ましい成果を上げることができなかった。開発

が進んだ地域でも、機会不均衡、富の偏在、文化や道

徳の西洋化に対する不満等の問題が顕在化した。とく

に、中東では第三次中東戦争でアラブ陣営が大敗、ア

ラブ陣営を主導してきた世俗的な民族主義の威信が失

墜した。こうした中で、アラブ諸国ではイスラームか

ら乖離した統治が大敗の原因であるとの問題意識が生

じる、イスラーム復興運動の野党的役割が期待を集め

る、政権側が権力基盤の強化のためにムスリム同胞団

のような団体と一時協調する、といった動きが生じ、

アラブ地域を中心に、既存の政権とイスラーム復興運

動との間に新たな緊張関係が生じた。こうした緊張関

係が一挙に顕在化したのは、1979年である。同年には、

イラン革命、ソ連によるアフガン侵攻、イスラーム過

激派によるメッカのカーバ神殿占拠事件のような、イ

スラーム世界を揺るがす事件が頻発したのだが、この

ような事象には、シーア派内で社会・政治団体の形成

が進みウラマーがこれを指導してきたこと、イスラー

ム世界各地の政府が厄介払い的な形でアフガンでの対

ソ連「ジハード」に送り出した不満分子が増加してい

たこと、既存の諸政策がイスラーム復興運動の批判や

反発を招くものだったこと等の長年にわたる背景があ

ることを見逃してはならない。また、この時期米国が

アフガンに赴く「ムジャーヒディーン」や関連団体を

積極的に利用・育成したことは、以後現在に至るまで

状況を複雑化させている。以上のような不穏な雰囲気

の中、イスラーム世界各地でイスラーム団体の武闘志

向が強まり、各地で武装集団の形成が進んだ。これら

の中には、シリアのムスリム同胞団のように大規模な

武装反乱に及ぶものもあった。

イラン・イラク戦争の終結とホメイニの死去、アフ

ガンからのソ連軍撤退の後、「イラン革命の輸出」や「共

産主義者によるイスラーム世界への攻撃」の脅威は低

下した。しかし、米国やイスラーム世界各国の政府は

これらの「脅威」に対抗するために利用・育成したイ

ラクのフセイン政権、アフガンに送り出した「ムジャ

ーヒディーン」に対し、有効な事後処理を行わなかっ

た。米国やアラブ諸国に支援されてきたフセイン政権

がクウェートに侵攻、「ムジャーヒディーン」が多国

籍軍を「新十字軍」とみなし米国と敵対したこと、こ

の敵対が「イスラーム・テロ」や「対テロ戦争」とよ

ばれる今日の状況の遠因となったことは、「ムジャー

ヒディーン」と関連団体を育成した米国やイスラーム

世界の各国政府にとって皮肉な結果であろう。しかし、

イスラーム復興運動は「原理主義」や「テロリスト」

と称される集団に限られるものではない。実際、選挙

に参加し議会で議席を獲得する団体、福祉や教育で活

躍する団体も多いし、イスラーム復興運動とよばれる

現象の大部分は、個人の振るまいやムスリム同士の連

帯感高揚等に現れるものである。従って、表面的な事

件や報道とは異なり、極端でも暴力的でもない圧倒的

多数の一般的ムスリムの行為の中にこそイスラーム復

興運動とされる行為が見出されると考えられる。重要

な点は、イスラーム世界における「外部との摩擦と内

部の停滞感」という、イスラーム復興運動の出発点と

なった問題意識そのものは現在も変わっていないこと

である。「グローバリゼーション」の名の下で進む経済・

文化の西洋化や、特定の集団や家系が政権や利権を独

占し続けることが多い政治状況、欧米におけるムスリ

ム移民の生活状況などを考えると、イスラーム復興運

動やこれを通じた異議申し立てへの需要は今後さらに

高まるかもしれない。イスラームやイスラーム復興運

動を「テロ」等の狭い文脈でのみ捉える昨今の風潮は、

「外部との摩擦と内部の停滞感」というイスラーム復

興運動が持つ問題意識の解消に貢献せず、この問題意

識を否定的な方向へ向けて強めてしまうおそれすらあ

る。今日、歴史的背景も踏まえてイスラームやイスラ

ーム復興運動を認識する必要性が従来になく高まって

いるように思われる。

各国の世俗主義政権の行き詰まりと

イスラーム政治運動の伸張

「イスラーム・テロ」の時代と解消しない摩擦

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は じ め に

現代史はわかりにくいという生徒の声をよく耳

にする。それは断片化した知識が地域ごとに散ら

ばっているだけでなく、それらが相互に結びつい

ているからである。つまり、どのような切り口を

とっても、蜘蛛の糸のようにつながってくる。生

徒に理解しやすくする方法の一つは、地域で分け、

時系列で流し、ときには他と連結する端子を出し

ながらまとめるオーソドックスな方法である。20

世紀前半を単元にして、タペストリー*を用いた授

業を考えてみよう。

単元として「20世紀前半」を考える

20世紀前半の全体像といえば、二度の世界大戦

と急速に大きくなっていくアメリカの存在感、植

民地の自治や独立への動きが描かれる。この流れ

を示すと、いかにもオーソドックスではあるが、

第一次世界大戦とソ連の成立→ヴェルサイユ体制、

日本の中国進出・国際連盟・大衆社会→恐慌→世

界ブロック経済→ファシズムの台頭→第二次世界

大戦となる。

この流れに各地域の動きを組み込みながら授業

展開をはかってみる。

第一次世界大戦後の欧米の動き

タペストリー p.2141の第一次世界大戦前のヨ

ーロッパ情勢で、 (1)フランスの孤立から(2)

三国協商と三国同盟との対立状況に変化したこと、

バルカン戦争とバルカン諸国の対立の理解を踏ま

えて、ヒストリーシアターのサライェヴォ事件を

扱う。皇太子夫妻がなぜ、危険なこの地を訪問し

たかなどのエピソードを交えながら、戦争が連鎖

的に拡大したことを把握させる。タペストリー

p.215で、短期戦ではなく、長期戦になってしま

ったことをヒストリーシアターで理解させ、塹壕

戦、新兵器の登場にもふれておきたい。

タペストリー p.216~217にある総力戦が、男性

にかわって女性を職場に進出させたことを、タペ

ストリー p.196の時代の女性の立場と比較しなが

ら授業を展開する。さらに、この総力戦が、従来

の戦争とは違う規模の被害をもたらし、環境にも

大きなダメージを与えたことにもふれる。

次に、総力戦であることが、ロシア国民を悲惨

な状況に追い込み、ロシア革命に発展したことを

理解させる。タペストリー p.218~219で、ロシア

革命の動きだけでなく、犠牲者となった皇帝一家

のことにふれるとともに、国内の抵抗勢力の存在、

日本・欧米など外国からの干渉について学習する。

そのうえで、反対勢力に対してソ連は体制を強化

することで乗り切ったものの、権力闘争や粛正な

ど闇の部分があったことなどを理解させる。

第一次世界大戦後のヨーロッパについてタペス

トリー p.2201の地図を使う。

【発問 独立した国家にはどのような国があり、

地理的な位置づけから欧米から何を求められてい

ただろうか】 

さらにオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊が、

タペストリー p.227にみられるように、あらたに

「国民国家」を人為的につくりだし、後の民族紛

争の種を蒔いてしまったことを学習させる。また、

タペストリー p.220ヒストリーシアターの絵とタ

ペストリー p.189⑬ドイツ帝国の誕生の絵とを比

較して、ヴェルサイユ宮殿鏡の間という同じ場所

を舞台に使っていることを読み取らせる。これほ

どフランスがドイツに対して憎悪を抱いているこ

とを生徒に感じ取らせ、ドイツの犠牲のもとにヴ

ェルサイユ条約・ヴェルサイユ体制ができたこと

20 世紀前半の世界

神奈川世界史教材研究会

タペストリーを使った授業案

*帝国書院「最新世界史図説タペストリー 三訂版」

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と、タペストリー p.221のテーマにあるフランス

のルール占領とドイツのインフレとつなげていき

たい。

あらためて、全図p.40~41で列強とその海外領

土・勢力圏がどのようになっているのかを把握す

るとともに、ヨーロッパの経済建て直しにアメリ

カの経済力が大きな力になったこと、裏返せばア

メリカの覇権が名実ともに確立したことを理解さ

せる。

【発問 全図p.40の賠償金や戦債の流れからどの

国からお金が流れ出し、どこに集まっているか、

考えてみよう。】

世界では、軍縮が進み、ドイツの国際社会にお

ける地位も復活し始めた。1920年代の欧米の社会

には、タペストリー p.2262にみられるように、

普通選挙が実現し、シャネルスーツに身を固めた

女性が登場するなど女性の社会進出と自由な雰囲

気が漂った。豊かなアメリカではタペストリー

p.228のヒストリーシアターにみるような大衆消

費社会が生み出された。

【発問 この時代の新しいメディアにはどのよう

なものがあるだろうか? p.228~229をみて考え

させ、p.230をみせる。】

しかし、その裏では、

禁酒法の成立とともに

犯罪組織が勢力を広げ、

産業構造の変化によっ

て農村が貧困にあえぎ

始めた。ヨーロッパに

おいても、労働者は弱

い革新政府に飽きたら

ず、ストライキや暴動

を起こし、社会主義政

策を強力に実行できる政権を求めるようになる。

逆に、資本家や地主、一般の中間層も、ストライ

キや暴動を抑えられない無力な政治を嫌い、強い

政権を臨むようになる。この動きが、ファシズム

を生み出す土壌となったのである。

第一次世界大戦後のアジアの動き

東アジアでは、第一次世界大戦で欧米の目がア

ジアに向いていないとき、日本は中国への進出を

すすめていく。まず、タペストリー p.224を使って、

魯迅の著した『藤野先生』を手がかりに、文学革

命など日本と中国とのさまざまなかかわり合いを

展開する。そして、袁世凱にのませた二十一カ条

要求がヴェルサイユで問題にされなかったとき、

ヒストリーシアター図④のスローガンを読み解か

せ、中国民衆の気持ちを理解させるとともに、現

在も続く中国の反日運動の原点がこの運動である

ことに気づかせる。それがきっかけとなって、宋

財閥と結び北伐を行う中国国民党の蒋介石や、中

国共産党による中国変革の動きがおこる。両者は

互いにいがみ合うが、日本のさらなる進出に対抗

して国共合作を行う。これらの進出については、

タペストリー p.225のヒストリーシアターを使い

たい。その際、ハルピンから朝鮮の釜山まで鉄道

で結ばれていることにもふれ、日本がどこを支配

したかについてはタペストリー全図p.41の日本と

東アジア海域で確認する。

また、南アジアの動きは、第一次世界大戦にお

ける戦争協力を前提に戦後の自治権付与を約束し

たにもかかわらず、イギリスは約束を破ってロー

イギリス委任統治(1920)

南アフリカ連邦 委任統治(1919)

1918 14か条の平和原則     ↓ 1920 国際連盟成立 (アメリカは不参加)

イギリス委任統治

日本の委任統治

オーストラリア 委任統治

英・仏委任統治(1922) 1914 開通 パナマ運河

1929.10.24 世界恐慌始まる

1917 ロシア革命 1928 五カ年計画開始

1921 中国共産党結成

1930.2 ヴェトナム共産党結成    .11 インドシナ共産党結成

120゜ 150゜

150゜

60゜ 30゜

30゜

30゜

30゜

90゜

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0゜ 60゜ 90゜

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120゜

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180゜

60゜

A

A

B

B

C

C

D

D

E

E

F

F

G

G

H

H

I

I

J

J

K

K

L

L

1 1

2 2

3 3

4 4

55

西

イ  ン  ド  洋

英連邦自治国 1931 外交自主権確立 ( )

(英連邦自治領)

(英連邦自治領)

(1924 人民共和国) (1932~)

(1931 事実上独立)

(米)

(米)

(1902)

(1919)

(1922)

(1910)

(1932) (1912~伊)

(1899~ 英・エジプト 共同統治)

(1936~41 イタリアが支配)

(1917)

(1919) (1932)

(1923)

(1922)

(1918 デンマ-クと同君連合)

( ) 1703~1914サンクトペテルブルク 1914~24ペトログラ-ド

(アラスカ)

運河地帯

チベット

ハワイ諸島

ツ ア モ

諸 島

ラ イ ン 諸 島

グアム島

マリアナ諸島

カロリン諸島

ビスマルク諸島

諸 島

マ -

シ ャ ル

タスマニア島

プエルトリコ

モントリオ-ル オタワ

ニュ-ヨ-ク

ボストン

ワシントン サンフランシスコ

ロサンゼルス ニュ-オ-リンズ

メキシコシティ

モンテビデオ

サルヴァドル

ベレン

パナマ

サンパウロ

サンティアゴ

リオデジャネイロ

リマ 

カラカス

リスボン

ダカール

ポートハーコート

ケープタウン

カイロ

ボンベイ

ラホール

カルカッタ

ロンドン

パリ

レニングラ-ド

イスタンブル

エカテリンブルク

チェリャビンスク オムスク

ノヴォシビルスク

パ-ス

ダーウィン

シドニ-

キャンベラ

ウェリントン

ウラジオストク

ノモンハン

マニラ

シンガポ-ル

北京

延安

瑞金

上海

京城 東京 (ソウル)

モスクワ

ノ ル ウ ェ -

ソ マ リ

ド ラ ン

カナダ

アメリカ合衆国

ブラジル

ソヴィエト社会主義共和国連邦

メキシコ

イギリス

ドイツ

英領インド

フランス

アルゼンチン

アイスランド

オランダ ベルギ-

ポーランド

ポルトガル スペイン

ノ ル ウ ェ -

ス フ ィ ン ラ ン ド

ウ ェ

イ タ リ ア

アフガニスタン パフレヴィー朝

イラク

イエメン 王国

サウジアラ ビア王国

南アフリカ連邦

アルジェリア エジプト ア ビ リ

ス-ダン

ベルギ-領 コンゴ

トルコ共和国

パレスチナ モロッコ

サ  ハ  ラ

フランス領西アフリカ

リベリア

ゴ エチオピア

ギアナ

ベネズエラ

コロンビア

エクアドル

ペル-

ハイチ

キュ-バ

パラグアイ

ウルグアイ

アメリカ合衆国

ジャマイカ

ボリビア

モンゴル

中華民国

日本

オ-ストラリア

ニュ-ジ-ランド

ビルマ

タイ

英領マレー

満州国

フィリピン

仏 領 イ ン ド シ ナ

オランダ領東インド ナウル

アイルランド自由国

アメリカ イギリス フランス スペイン ポルトガル

列強とその領土 オランダ イタリア アジアに広がる 共産党の動き

共産勢力の支配地域

時代の概観 世界をおおう2度の総力戦

 この時代は,帝国主義的な 世界分割競争が高じて,2度 の世界大戦が勃発した。  大戦は,国民の総力を動員 する総力戦となった。ロシア では,総力戦の負荷により社 会問題への不満が爆発し,社 会主義革命が起こった。これ に刺激されて,帝国主義の支 配する世界のあり方への抗議 が強まり,植民地では民族独 立運動が盛んとなった。  第一次世界大戦後,ヴェル サイユ =ワシントン体制によ って,世界は相対的な安定期 を迎えるが,それは敗戦国の 負担の上にあった。敗戦国ド イツでは新たな国民統合のか たちファシズムが台頭し,侵 略による解決を準備し始めた。  1929年の世界恐慌後,世界 は再び対立に向かい,再度の 世界大戦が勃発した。

きょうこう

20世紀前半の世界 20世紀前半の世界

イギリス

フランス

イタリア

ドイツ

アメリカ 合衆国

1122

221

賠償金

戦債 数字は金額 (100万ドル)

データは 1924.7.1~31.6.30

33

197

107

565

203

1426

資本 貸与

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ラット法や新インド統一法をつくり、反対する勢

力を弾圧した。そのような動きに対しガンディー

はサティヤーグラハによる非暴力・不服従運動を

すすめる。タペストリー p.223で糸を紡いだり、

自ら製塩するガンディーの象徴的な試みについて

理解させたい。

西アジアでは、第一次世界大戦後、ムスタファ

=ケマルによって苦難のすえトルコ共和国が成立

する。彼の改革について、タペストリー p.222を

通してイスラーム色がそぎ落とされていくことを

学習させる。ただし、タペストリー p.203・p.212

(エジプトの旗も同じデザインであることに注目

させる)のヒストリーシアターに掲載されている

赤地に白の星と新月の旗に注目させ、トルコの伝

統を守っていることにも理解を促したい。また、

イギリスがパレスチナになした二枚舌外交(実際

の状況からみれば、国語的表現にはないが、三枚

舌外交ともいえる)について、タペストリー

p.2222でチェックさせ、現在のパレスチナ問題

を引きおこすきっかけになったこと、現在の石油

資源を語る際には必ず出てくるサウジアラビアや

イラクの成立について理解を深める。

世界恐慌とその後の世界

タペストリー p.230のヒストリーシアターでア

メリカのウォール街に端を発した恐慌が、アメリ

カをどのようにかえたのかタペストリー p.228ヒ

ストリーシアターと比較してみたい。そしてその

動きが世界に広まるのを各国の工業生産と失業率

でみせて理解させたい。

このようななかで、ドイツでは、都合の悪い原

因をユダヤ人の存在に押しつけ、ナチ党が勢力を

拡大していった。スペイン内戦においては、効果

的な対策を講じられない英仏に対して、独伊は強

力にフランコを押し、ファシズム勢力は勢いづく。

人びとは、大衆化のなかで、大衆のなかに埋没する

ことに安心感を持つ一方、不安にもさいなまれる。

【発問 タペストリー p.233ヒストリーシアター

のよみときをやってみよう】

このような揺れ動きのなかで、全体主義的な傾

向は人びとの心をとらえていく。それは反ファシ

ズム陣営でも全体主義的な対応がとられるという

意味では同じことであった。資源や市場となる植

民地をもつ英米や広大な国土をもつアメリカは、

ブロック化や移民を排するなど市場を閉ざす動き

を強める。このことを単にファシズム対反ファシ

ズムという形だけで理解させることは避けたい。

日独伊のように資源のある植民地や市場を持た

ざる国は、自ら勢力範囲や市場を拡大するために

侵略・進出をはじめ、そこに新たなる対立が生ま

れ、第二次世界大戦へと破滅の道をあゆんでいっ

たのである。

お わ り に

タペストリーでは、各時代・地域をヒストリー

シアターや該当する箇所を学習することで頭のな

かにイメージが描けるように工夫されている。さ

らにそのパートがどの位置・時代にあるか、全図

を使って捉えることができる。いい過ぎかもしれ

ないが、歴史を大きくつかむには、この一冊があ

れば十分なのである。生徒は高校時代だけでなく、

卒業後も何かにつけて活用できるのではないかと

思う。

アメリカ 合衆国

カ ナ ダ イギリス

パナマ

キューバ

イギリス

パナマ (アメリカの裏庭)

中国の門戸開放 日本の孤立化と軍事制限

ワシントン会議(1921~22)

日本 ハワイ諸島

グアム島

フィリピン

(アメリカの裏庭)

中国の門戸開放 日本の孤立化と軍備制限

ワシントン会議(1921~22)

フランス イタリア イタリア

ソヴィエト連邦

イラン

モスクワ

インド

ドイツ

キューバ

日本 ハワイ諸島

グアム島

投資

投資

投資と介入

シベリア出兵

中国への足場固め

投資

貸付

フィリピン

モンゴル

世界計 488万台

世界計 9100万トン (1925年) (1925年)

工業大国となったアメリカ(1920年代の繁栄) 工業大国となったアメリカ(1920年代の繁栄)

アメリカ合衆国

アメリカ 合衆国

フランス 3.6

イギリス 3.4

カナダ 1.0

フランス 3.6

フランス

イギリス 3.4

イギリス

カナダ 1.0

他 の そ

87.4%

50.7%

4.6

その他 10.8

ドイツ 13.5

8.2 8.2

5.1

日本 1.4ロシア 2.1

ベルギ-・ ルクセンブルク

鉄鋼 の生産

自動車 の生産

鉄鋼 の生産

自動車 の生産

スターリング=ブロック参加国 アメリカとの通商協定国かつスターリング=ブロック参加国 アメリカとの通商協定国 アメリカとの通商協定国かつ金ブロック参加国 金ブロック参加国

第二次世界大戦前の世界経済ブロック

〈     〉 グラフ類は『近代国 際経済要覧』より

p.230

東南アジア・インドへ

ア ウ

イ 広州

綿花

米 砂糖

石炭・ 鉄鉱石

石油・鉄くず アメリカから

大豆 ・ 石炭

ゴム 石油

重慶 西安

延安 万県

瑞金 香港 マカオ

ハノイ

カルカッタ

マドラス

サイゴン

スラバヤ

バンコク

マニラ

ノモンハン

京城

釜山

南京 井崗山

北京

青島 大連

奉天

上海

東京 魚津

中華民国

日本

タイ

チベット

モンゴル

アメリカ領 フィリピン

オランダ領 東インド

イギリス領 マレー

イギリス領 インド

フランス領 インドシナ

バタヴィア

1930年代,不況の日本が東南ア ジア各植民地にダンピング輸出。 貿易摩擦があいつぎ,日本孤立。

ウラジオストク

ハバロフスク

イルクーツク

ラングーン

シンガポール

ロシア

ソヴィエト連邦

中国へ

アメリカへ

綿織物

綿織物 ・雑貨

生糸

日本のシベリア出兵

1937年の日本軍進出地域

日本の輸入

日本の輸出

おもな油田

 介石支援ルート

[漢冶萍公司]

  漢陽製鉄所

  大冶鉄山

  萍郷炭鉱

かん

かん や ひょう コン ス

よう

ハン ヤン だい や

ター イエ ひょう きょう

ピン シャン

日本と 東アジア海域

日本のブロック政策 アジアとの貿易のなかで工業化を発展させた日本は,しかし,中国人の商業網や  各地の近代国家建設運動の実力を正しく評価せず,アジアと対等に協力しようとは考えなかった。そ   して,第一次世界大戦後に不況が続くと,日本中心のブロック経済圏(日本はのちに,「大東亜共栄    圏」と称した)に,中国・東南アジアを巻き込もうと,軍事的に暴走を続けた。 

だいとう あ きょうえい

けん

日本と東アジア海域年表

ろ こうきょう じ けん

ふ ぎ

しょうかいせき  ほくばつ

シーアン

1914 1915 1917 1919 1921 1923 1926 1927 1929 1930 1931 1932 1933 1936 1937 1939 1940 1941

第一次世界大戦はじまる 日本,中国に二十一カ条要求出す 日本,シベリア出兵 三・一独立運動(朝鮮) 五・四運動(中国) 中国国民党結成 中国共産党結成 関東大震災 中国の 介石,北伐開始 インドネシア国民党結成 世界恐慌 インドシナ共産党成立 満州事変おこる 満州国建国を宣言(執政 溥儀) 日本,国際連盟脱退 西安事件 日独防共協定 盧溝橋事件,日中戦争本格化 南京虐殺事件 ノモンハン事件 米,日米通商条約の延長拒否 太平洋戦争はじまる

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は じ め に

「私には夢がある(I hava a dream)。いつの

日かジョージアの赤土の上で、かつて奴隷だった

者の子孫と農場主だった者の子孫が友人としてテ

ーブルを囲む日がきっと来ることを…」アメリカ

合衆国の公民権運動家であったキング牧師の有名

な1963年のワシントン大行進における演説である。

本校の生徒は英語の授業で、この演説にふれてい

る。しかし、キング牧師の具体像や、アメリカに

おける公民権運動についてはよく理解していない

生徒がほとんどである。今から約40年前のアメリ

カに、90年代初頭の南アフリカにおけるアパルト

ヘイトと似たような社会が存在したことを知って

驚く生徒もいる。

私のように60年代に少年時代を送った者にとっ

ては当時の音楽や映画・小説を同時期の歴史的事

件と結びつけて漠然と理解できるが、生徒たちに

とってはむしろフランス革命や南北戦争より遠い

時代になっているかもしれない。

戦後のアメリカ史については、第二次世界大戦

後から50年代末までの東西冷戦の開始と激化、雪

解けの歴史の中でふれているが、その後の60年代

以降のアメリカの歴史を単独で概観しようという

のが今回の授業案のねらいである。現代史自体が

3学年の大詰めを迎えた時期に始まり、またアメ

リカ史を学ぶ前に各地域史を学習しており重複し

て出てくるところも多い。

また本校では1コマ45分授業を採用しているの

で、いきおい少ない時間の中でいかに60年代以降

のアメリカ史のポイントを学習するかが重要にな

ってくる。その際に非常に便利なのが「最新世界

史図説タペストリー 三訂版」である。この図説

の豊富な地図・図版・史料を効率的に駆使して254

ページを中心に4つの時期に分けてその実践案を

紹介したい。

60年代のアメリカ

まず、タペストリー 242ページの1「雪どけ」

と再緊張の図を示し、戦後の世界の流れが緊張と

緩和が交互に訪れてきたことを理解させたい。

そして60年代の特色は「アメリカの動揺とあせ

り」といえることを示したい。1950年代において

ソ連の軍事力の追い上げや、核兵器のイギリス、

フランスなどへの拡大はアメリカの優位を大きく

揺るがせた。J.F.ケネディの登場はその意味で

象徴的である。そこでJ.F.ケネディについて生

徒に発問してみたい。「JFK」という映画があ

ったため多くの生徒は暗殺された大統領というイ

メージが強いと思う。しかし254ページの豆知識

やコラムにふれることによって、アイルランド系

でカトリック初の大統領であること、キューバ危

機を回避し、米ソ共存の道を開いたことなどを理

解させたい。

冒頭で挙げたキング牧師と公民権運動について、

255ページの2公民権運動を通して、南北戦争中

の奴隷解放宣言があっても黒人の差別はジム=ク

20 世紀後半の世界-戦後アメリカ合衆国史

宮城県立仙台第二高等学校 峯 村 茂 樹

タペストリーを使った授業案

低 45

45 第二次世界 大戦終結

56 スターリン批判

56 ポズナニ暴動 ハンガリー動乱

72 米ソ, SALT Ⅰ に調印

75 ヴェトナム戦争 終結

79 ソ連,アフガニスタンに侵攻(~89)

86 ソ連,ペレストロイカ開始 89 ベルリンの壁,崩壊 米ソ首脳,マルタ会談

59 フルシチョフ訪米 61

ベルリンの壁 築かれる 68 ワルシャワ条約機構軍,

チェコスロヴァキアに侵攻 65 アメリカ,北爆開始 (ヴェトナム戦争 ~75)

62 キューバ危機

90 東西ドイツ統一

91ソ連邦解体

50 朝鮮戦争(~53)

48~49 ベルリン 封鎖

49 ドイツ東西に分裂 北大西洋条約機構 (NATO)結成 中華人民共和国成立

55 ワルシャワ条約機構 (WTO)結成

50

55

60

65

70

75

80

85

90

緊 張 高

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ロウ法などによって温存されていたことを示した

い。また1963年のワシントン大行進におけるキン

グ牧師の演説を英語科より借りて、その一部だけ

でも聞かせたいし、演説の一部を印刷して生徒に

配付もしてみたい。個人的にはリンカンの「奴隷

解放宣言」に匹敵する名演説であると思うが。

しかしケネディもキング牧師も非業の死を遂げ

てしまうことになり、公民権法が制定された後も

人種差別問題はアメリカにおける今日的課題であ

ることも理解させたい。

70年代のアメリカ

70年代の特色は「アメリカの挫折」であろう。

ヴェトナム戦争が泥沼化し、結局勝利することな

く終わったことはアメリカの社会や経済に大きな

深刻な影響を与えた。タペストリーでは246~247

ページに類書にないほど多くのコラム、写真など

でこの時代の社会や若者の反戦運動、カウンター

カルチャーについてふれている。授業では、その

取捨選択が重要であろう。「プラトーン」「フルメ

タルジャケット」「フォレストガンプ」などヴェ

トナム戦争を描いた映画、ビートルズをはじめと

する音楽を紹介してみたい。

ヴェトナム戦争については245ページの「戦後

のインドシナ」で詳しく述べられており、また東

南アジア現代史においても授業でふれているが、

ケネディの暗殺によって副大統領から昇格したジ

ョンソン大統領が1965年北ヴェトナムを爆撃した

ことによってアメリカの介入が始まったことを確

認させたい。アメリカの本格介入は1973年、共和

党のニクソンがパリ和平協定に基づいて撤退する

まで続くことになる。

ニクソンはある意味で1960年代の幕引をした大

統領といえよう。248ページを参照させながらキ

ッシンジャーを国務長官に起用するとともに自ら

北京を訪中して米中国交樹立を行ったり、戦後の

固定相場制に基づくIMF体制をドルと金の交換

を停止するニクソンショックによって、主要国が

変動相場制に移行するスミソニアン体制に変えた

ことも理解させたい。

1970年代は、アメリカが世界の政治・経済の牽

引車としての自信を喪失したことがうかがわれる

時期といえよう。

しかし、ニクソンもウォーターゲート事件で退

任し、初来日した短命のフォード大統領の後、民

主党のカーターが大統領に就任する。

カーターは人権外交を推進し、1979年に成立し

たエジプト=イスラエル平和条約の仲介も行った

た(p.239)。しかしソ連のアフガニスタン侵入や

イラン革命後のアメリカ大使館人質事件への対応

から弱腰という批判を受け、政権を去ることにな

ったことも示したい。

80年代のアメリカ

80年代を象徴するのは、強いアメリカの復活と、

冷戦の終結である。レーガン大統領は、富裕層へ

の所得税減税と強いアメリカをめざす軍事費の支

出増大という相反する経済政策を行う。いわゆる

レーガノミクスである。しかしこのため財政赤字

と貿易赤字という双子の赤字に悩まされた。1985

年のプラザ合意の結果、アメリカは貿易赤字を減

らしたが、日本は円高誘導と内需中心の政策を余

儀なくされ、あまった資金がリゾート開発や不動

産に向かい、いわゆるバブル景気を引き起こした

背景についても理解させたい。

ただソ連の経済停滞とゴルバチョフの登場によ

る民主化の進展の混乱の中で、アメリカは経済的・

軍事的に優位に立っていく。

90年代のアメリカ

90年代のアメリカを表わす言葉は「アメリカの

一人勝ち」であり、「アメリカを中心とするグロ

ーバリズム」であろう。生徒にはまず42~43ペー

ジの「20世紀後半の世界」と252ページのニュー

ストピック③冷戦後の世界の図をを比べさせ、戦

後40年あまりにわたって続いた米ソを中心とする

東西対立の構図がいかに激変したかを把握させた

いと思う。

レーガン政権を引き継いだG.H.ブッシュ大統

領とソ連のゴルバチョフ書記長の1989年のマルタ

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会談は冷戦の枠組みを終結させ戦後体制を崩壊さ

せたことを理解させたい。この会談に前後して、I

NF(中距離核戦力)全廃条約(1987.12)・東欧諸国

の民主化(1988~89)・ベルリンの壁崩壊(1989.11)

とドイツ統一(1990.10)・ソ連の解体(1991.12)とい

う激変が続くとは当時は個人的には思わなかった

が、後からふり返るとあの会談の重要性がわかる。

またG.H.ブッシュ大統領はイラクのフセイン

大統領のクウェート侵攻に対してアメリカを中心

とする多国籍軍を編成してこれを撃破することに

なるが、このことが石油をめぐるアメリカの中東

における力を強大化させるとともにイラク戦争へ

の伏線になることも262ページ2B湾岸戦争を参

照させながら理解させたい。

G.H.ブッシュ政権の後のクリントン大統領は

当初ベビーブーム世代として期待され、巨額の財

政赤字を解消し日本の不景気と対照的に長期にわ

たる景気好況をもたらした。また1993年パレスチ

ナ暫定自治法案の仲介を行ったが(p.239)、その

後イスラエルの強硬派台頭とパレスチナ過激派の

テロによって混迷を深め、現在に至るまでパレス

チナ問題は解決を見ていないことも指摘したい。

 2001年にG.W.ブッシュが大統領に就任するが、

90年代に入って世界は情報・通信などあらゆる面

で一体化を強めていく。253ページの2「情報の

グローバル化」はいかに爆発的にインターネット

が普及しているかを示している。しかしパソコン

のOSを取ってみても、アメリカの影響力がきわ

めて強大化し、アメリカの基準が世界の基準であ

るかのようなアメリカ中心のグローバリズムに対

して、EU諸国や南米などから反グローバリズム

の動きが強まっていることを理解させたい。

しかし、アメリカの親イスラエルのパレスチナ

政策はイスラム諸国の反発を招いている。2001年

のニューヨークの同時多発テロやその後のアフガ

ニスタンとのかかわりやイラク戦争はその延長線

上にあることも252ページを参照させながら理解

させたい。またこのような動きに対してアメリカ

の新保守主義(Neoconservatism)の勢力からはキ

リスト教と反キリスト教(イスラム教)との文明

の構図で考えてみようという一部の動きがあるこ

とも紹介したい。

お わ り に

現代史、とくに戦後史の大学入試における比重

は年々高まってきているが、戦後史の歴史的事件

の中にはまだ評価が定まっていないものもかなり

ある。評価を出すには一定の時間が必要であろう

が現在の世界の動きはきわめて速く、絶えず注意

を払わないといけない部分がある。しかし、同時

に変わらぬ歴史の見方も存在する。

たとえば252ページのテーマ「9.11事件は“文

明の衝突”か?」にある21世紀を考える4つのイ

メ-ジはそれぞれ今後の世界の歴史を見るうえで

大きな参考になると思うし、生徒にどのイメ-ジ

が自分の歴史観か質問してみたいとも思う。究極

の職業は「歴史家」といった先人もあるようだが、

卒業して自分の人生観に歴史の見方があるのは大

事だと思うし、育てていきたいと思う。

ア   メ   リ   カ 唯 一 の 超 大 国

影 響 影 響

EU

工業化

日 本 不景気

ロシア 軍事大国

豊富な資源

経済的停滞

西 欧 中   欧 拡大EUアメリカにつぐ経済力

東 欧 EU加盟申請

東・南アジア ASEAN・ NIESの成長 インドの台頭

中 国 経済成長 WTO加盟

西アジア イスラーム原理主義 反アメリカ的傾向

グローバル化 2

1

低開発地域 (アフリカ・カリブ海の一部など)     恒常的内戦・国際NGOの支援・社会資本の未整備

4

③冷戦後の世界

① ホ ッ ブ ズ 型 イ メ ー ジ 2 0 世 紀 の , イ デ オ ロ ギ ー に 支 配 さ れ た 国 家 連

合 に よ る 対 立 か ら , 国 家 単 位 の 利 害 が あ ら わ に な り , あ ら ゆ る 面 で 国 家 同 士 の 対 立 ・ 協 調 が 表 面 化 し て く る イ メ ー ジ

② グ ロ テ ィ ウ ス 型 イ メ ー ジ

2 0 世 紀 の イ デ オ ロ ギ ー の 枠 が な く な っ た 後 , 国 内 法 よ り 国 際 法 が 重 視 さ れ , 問 題 に 対 し て 各 国 が ル ー ル を 作 っ て そ の 問 題 に 対 処 す る イ メ ー ジ

③ マ ル ク ス 型 イ メ ー ジ

貧 富 の 差 や 経 済 力 ・ 政 治 的 自 由 の 達 成 度 の 格 差 な ど か ら 生 じ る 「 階 級 」 と い う 問 題 に よ っ て , 被 抑 圧 勢 力 に よ る 支 配 勢 力 へ の 反 抗 が 続 く イ メ ー ジ

④ カ ン ト 型 イ メ ー ジ

国 の 枠 を 超 え , 同 じ 思 想 を 持 つ 個 人 が 横 に 連 帯 し , グ ル ー プ を つ く る こ と で , 世 界 を 動 か す イ メ ー ジ

例 ・日米関係 ・米中関係 ・日中関係など

例 ・南北問題 ・南南問題

例 ・国際NGO活動 ・ボランティア ・同 じ 宗教 を 信奉 す

  る 者 た ち の 連合

例 ・環境に関する  京都議定書 ・対人地雷全面  禁止条約など

⑨ 21 世紀 を 考 え る 4つ のイ メ ー ジ

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は じ め に

生徒にとっては、「現代史はわかりにくい」「現

代史は何をやればよいのかわからない」…。教員

仲間でよく聞く話である。3年前、北海道内有数

の進学校から本校に異動になった。本校には大学

進学に世界史を使う生徒は一人もいない。それど

ころか、そもそも受験で進学する生徒がゼロの学

校である。中学時代、授業で余されてきた経験を

もつ生徒たちばかりであった。彼らに世界史、と

くに現代史を語ろうとするとき、何より大切にし

ようと考えたのは、「顔が見えること=手触り感」

である。筆者も顧問を務めている「国際協力クラ

ブ」1では、パレスチナ・ガザ地区ラファに常駐し

て、現地の青年たちに精神的なケアを行うNGO

との協力体制を進め、資金援助活動で集めたお金

を活動資金や物資支援にあてるという活動を行っ

ている。昨年春には、現地スタッフが本校を訪問

され、生徒たちとの交流が行われた(後述)。こ

うした活動の積み重ねが、中学時代、就学意欲が

低く、社会科を「暗記科目・苦手科目」として考

えてきた意識を変え、世界中の地上で起きている

様々な問題に対して彼らなりの意識を持ち、それ

が活動にフィードバックされ、さらにそれが毎日

の授業への参加意欲を生んでいる。以下、本校で

使用している帝国書院『明解世界史A』と、「タ

ペストリー」*

を活用したパレスチナ史に関わる授

業実践について述べてみたい。

パレスチナ問題を取り上げる

20世紀半ば以降、第二次世界大戦~21世紀の今

日に至る現代史のなかで、最も複雑で、なおかつ

国際社会において解決が求められ、そしてますま

す混迷化している問題の一つにパレスチナ問題が

あげられることは、世界史の教師であれば異存の

ないところであろう。しかし、教科書においては、

記述の性格上、第二次世界大戦前、戦中のユダヤ

人虐殺、イスラエル建国、中東戦争、暫定自治の

問題がそれぞれバラバラに別々のページで記載さ

れるため、本校のような生徒たちにとってはつな

がりが全く理解できないものになっている。そこ

で、テーマ史的な扱いを行うことになるが、その

際にタペストリーのテーマ史ページが参考になる。

ただし授業ではそのまま使うことは生徒たちには

難しいことであろう。そのため、年表を教員側で

作成し、パワーポイントにかけ、それを教室で写

しながら資料と見合わせて通常の授業を行うとい

う形になる。幸い北海道では、全教室にLAN回

線が二回線ずつ引かれており、スクリーンも全教

室に整備され、本校の生徒は全員「情報処理」を

科目として学習するので、パソコンの経験は一応

持っている生徒たちばかりである。

展  開

まず、タペストリー 238ページの年表からピッ

クアップしたものを写す。ただし、中学時代年号

暗記が全くできなかった生徒たちなので、記載を

確認するにとどめる(ちなみに考査はほとんど全

て論述式、年号記号問題は一問も出題しないこと

を年度当初に生徒に約束する)。筆者の授業では

年間を通して映画教材を活用しており、出エジプ

トやイエスの刑死にしても、映画のイメージシー

ンが入っている。この知識を出させながら現代史

への前提を確認する。たとえばペストの流行がユ

ダヤ人虐殺を生んだことは、『ペスト大流行』(岩

波新書)や、中世教会史料を用いて話をする。次

に同ページ右上、“テーマ”の「ユダヤ人とは?」

のコラムを参考に、「母親がユダヤ人」という定

現代史の実践から-パレスチナ問題を取り上げる-

北海道当別高等学校 吉 嶺 茂 樹

タペストリ ーを使った授業案

*帝国書院「最新世界史図説タペストリー 三訂版」

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義が、実は定義を成していないことを確認する。

その母親はなぜユダヤ人か? その母親は?…と

たどっていけば、「歴史の彼方」へ消えてしまうこ

と、それゆえ、現在のところでは、『ユダヤ教徒

もしくは改宗したもの』という定義しか成り立ち

得ないこと、したがって記載にある「民族」という

きわめてあいまいな定義が通っていることを確認

しておく2。

この点をふまえたうえで、今度は同ページ右下

の“テーマ”から、ユダヤ人と映画産業の関係を

考えていく。⑩のスピルバーグの「シンドラーの

リスト」は見た生徒もいるが、授業の中で、「映画

の内容が全くわからない」という声が出た。そこで、

内容がわかるためには、ユダヤ人の問題を考える

必要があることを合わせて話した。③の杉原千畝

氏のビザ発給は、つい先月TVドラマとなり、視

聴した生徒も多かった。生徒の「先生、何で反町

隆史はあんなとこに行ったのさ?」という女子生

徒の質問が授業のスタートになった。番組HP

(http://www.ytv.co.jp/rokusen/index2.html)を

スクリーンで投射して、解説しながら基本的な説

明を行ったクラスもあった。アンネ=フランクの

話は小学校時代聞いたことがある、という生徒も

多いので理解しやすい。

第二次世界大戦後になぜイスラエル建国がパレ

スチナで行われたか。「そもそもユダヤ(民族名)

パレスチナ(地域名)イスラエル(自称)が同じ

地域に居住する、宗教が異なる人々の別々の呼称

にすぎない、ということを理解していないとこの

問題がわからない」、ということが筆者には改め

て、先述のラファ在住で一時帰国した寺畑由美氏

と私の自宅で、あるいは本校で語り合う中で、よ

くわかってきた。そういう意味で、私にとっても

「本の中、頭の中」の理解ではなく、「顔の見える

形」での理解が必要だったのである。

 「映像の世紀」(NHK)に登場する、イスラエ

ル建国の模様は、中東戦争のそもそもの原因をよ

く伝えている。600万の同朋を殺され、ヨーロッ

パに居られない、あるいは共にヨーロッパに住む

ことを拒まれたユダヤ人たちが、「約束の地」と

してパレスチナをめざす姿、そして建国から第1

次中東戦争へと動いていく様子は、哀愁を帯びた

イスラエル国歌のメロディーとともに生徒の記憶

に残っていく。⑥の「イスラエル建国」の写真、

声明を朗読するベニ=グリオンの動画も登場する。

資料で確認しながら、映像を見る。イスラエル建

国にいたる前提として、以上のような第二次世界

大戦前後の状況を話したうえで、現在のパレスチ

ナの実態に迫っていかないと、生徒のレベルでは

単純に「どっちが良いか悪いか」の話になってい

ってしまうからである。

第2次~第4次中東戦争までの領土の動きに関

しても、世界史A教科書の記載地図では、4つの

地図が一枚に重なっているためわかりにくい。こ

のため、タペストリー 239ページの4枚の地図を

併用する。③の「パレスチナ分割案」では、エル

サレムが国際管理になっていたことを注記させる。

④では、ガザ地区がエジプト管理下におかれてい

たこと、および、ヨルダン川が、対岸に容易にわ

たれる小河川にすぎないことを確認する。⑤では、

イスラエルが領土を3倍に増やしたこと、第4次

中東戦争では、イスラエル側が多くの犠牲を払い

ながらその領土を死守したことを確認する。この

点が、「もはや血であがなった土地をパレスチナ

側に引き渡す必要はない」という、いわゆる「ユダ

ヤ人入植地」の発想につながっていったことを確

認し付記させておく。⑥の暫定政府による自治区

案と、ガザ地区の動き、そして入植地の返還が次に

述べる寺畑さんの活動の舞台だからである。

パレスチナ・ガザ地区ラファからの便り

本校の国際協力クラブでは、山形市在住の医師・

テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン

シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ

イ ェ ル サ レ ム

イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川

死 海

0 50km

英 委 任 統 治 領 の

パ レ ス チ ナ 境 界 線

ユ ダ ヤ 人 国 家

ア ラ ブ 人 国 家

イ ェ ル サ レ ム は 国 連 管 理 下

西 半 分 - イ ス ラ エ ル 東 半 分 - ヨ ル ダ ン

テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン

シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ

イ ェ ル サ レ ム

イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川

死 海

イ ス ラ エ ル 国 家

0 50km

ガ ザ 地 区 ( エ ジ プ ト の 管 理 )

ヨ ル ダ ン 川 西 岸 地 区 (

ヨ ル ダ ン 併 合 )

ス エ ズ

ア ル ク セ イ マ

イ ス ラ エ ル

ギ デ ィ 峠

ミ ト ラ 峠

ス エ ズ 運 河

サ ウ ジ ア ラ ビ ア

ポ ー ト サ イ ド

ガ ザ 地区

ヨ ル ダ ン 川西岸地区

ゴ ラ ン 高原

シ ナ イ 半島 (       )

1982年, エ ジ プ ト に 返還

テ ル ア ヴ ィ ヴ

レバ ノ ン

ア カ バ

ヨ ル ダ ン

シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ

イ ェ ル サ レ ム イ ェ リ コ

ヨ ル ダ ン 川 死 海

地 中 海

0 100km

イ ス ラ エ ル の 占領地 イ ス ラ エ ル に よ る レ バ ノ ン

南部 の 「 安全保障地帯 」 (1982年以降)

イ ス ラ エ ル軍 の 侵攻 ル ー ト (1967年)

ガ ザ

ヘ ー フ ァ

ア ン マ ン

ア ル ク セ イ マ

テ ル ア ヴ ィ ヴ イ ェ リ コ

イ ェ ル サ レ ム

レバノン

イスラエル

ア カ バ

ヨ ル ダ ン

シ リ ア

エ ジ プ ト

ガ ザ地区

ヨ ル ダ ン 川 西岸地区

ゴ ラ ン 高原

ヘ ブ ロ ン

ベ ツ レ ヘ ム

ラ ラ

ナ ブ ル ス

ジ ェ ニ ン ト ル カ レ ム

カ ル キ リ ヤ

ヨ ル ダ ン 川

0 50km

地 中 海

1994.5 先行 自 治

1994.5 先行 自 治

イ ス ラ エ ル 占 領 地

パ レ ス チ ナ 暫 定 自 治 区

③パレスチナ分割案 ⑥パ レ ス チ ナ暫 定 自治 ⑤第 3次中東戦争 ④第 1次中東戦争 ざんて い じ ち

タペストリー p.239

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桑山紀彦さんの体験型プログラム「地球のステー

ジ」との協力関係を持ってきた3。桑山医師が代表

を務めるNPO法人「フロントライン」では、2003

年5月からパレスチナ・ガザ地区ラファに現地事

務所を設け、イスラエルからの攻撃によって心を

病んだ青年たち(日本の中学~高校生にあたる世

代)の心のケア活動を行っている。この現地リー

ダーとして、ラファ地区唯一の日本人・寺畑由美

さんがいる4。当別高校は桑山氏の活動を北海道で

最初に紹介し、昨年・今年と授業の一環として「地

球のステージ」を企画している。また本校は家政

科を併置して

いるので調理

室の機材がそ

ろっており、

この施設を生

かしてクラブ

員で放課後ケ

ーキを焼き、

それを売店で生徒が販売し、その益金を「フロン

トライン」に募金してきた(上写真)。

2004年5月、パスポート切り替えのため一時帰

国し、その間全国で報告会を開催した寺畑氏は、

当別高校への感謝の気持ちを表すため、その最初

の報告会を当別町からスタートしてくれた。翌日

には高校の授業へも参加してくれ、生徒たちは生

の声と映像写真、そしてモノを通してパレスチナ

の「今」を知ることができた。パレスチナの青年

たちが描く、戦車やロケット弾の絵(下写真)、

死が日常的に目の前にある中で、それでも毎日続

く変わらない

日々の生活の

姿。つかの間

の遠足、いく

つもの関門所

を通り抜けた

先にある、生

まれて初めて

見る海。そして宗教上水着にはなれないものの、

初めて海を見た女子生徒の表情…。寺畑氏の活動

はある意味で「命がけ」の活動なのであるが、そ

れを優しい語り口と爽やかな笑顔で語りかけてく

れた彼女の講演は、生徒たちの気持ちの中に、「顔

の見える形」での「パレスチナ問題」の「今」を

考えさせてくれたのである。パレスチナ・イスラ

エル双方の若者が戦争を止めるため語り合える場

はないのだろうか?…その後の「パレスチナ支援

パンプキンケーキ」作りの間、調理室の生徒たち

の間でそれが話題に上ったのはいうまでもない。

そしてその活動は今日も続いている。

お わ り に

現代史の問題は、「何をもって歴史とするか」

という哲学的な問題とも関わり難しい問題を含ん

でいることは確かである。価値判断も難しい。「歴

史的な評価が下されていないこと」を扱うことに

対する問題もあるだろう。しかし、高校生がこれ

から出て行く社会の「今の姿」を知ること、そし

て共感していくことは、ある意味では歴史教育の

一番大切な要素の一つではないだろうか。本校・

国際協力クラブの活動とリンクしながら、アフガ

ニスタン・アフリカ・パキスタン・南米と様々な

現代史の取り組みを続けていく中で、確実に生徒

が変わり、考え始めていくことを実感している。

「進学指導はできない」、しかし逆に「進度を気に

せずテーマ史やコラムをじっくり取り扱える学

校」だからこそ可能な世界史の授業が確かにある

と思う。大学に進まない高校生大部分にとっては、

高校が学校最後の「歴史を教わる場」である。教

師の責任は重いと思う。

1 国際協力クラブの活動については、帝国書院『地理・地図資料 2005年8月号』に顧問の田辺孝規先生が執筆された「私たち北海道当別高等学校国際協力クラブです!」を併読していただきたい。2 本稿では詳述しないが、この点は、アイヌ民族の問題を抱える北海道で歴史教育に当たる際、教師側が十分に確認しておかなければならない問題だからである。3 桑山氏は医師としての活動の傍ら、中学・高校を中心に全国で1000回以上のステージ活動を行い、紛争地にある世界中の子どもたちの姿を全国の学校で伝え続けている。その様子は最近朝日新聞にも掲載された。(朝日・2005年10月10日付「ひと」欄)。4 寺畑氏の活動の様子は、「地球のステージ」HP上に「寺畑由美のラファ日記」として写真付きで報告されている。(http://www.e-stageone.org/diary/MP050624dairy.html)

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1 建築から学ぶ~建築と芸術

日本では、1923 年の関東大震災で首都圏の建

築が甚大な被害を被ったことにより、建築 =工

学という考え方が強いが、欧米諸国では建築 =

芸術との考え方が根強く、大学でも工学系ではな

く芸術系の学科として設置されている。日本でも

東京芸術大学に建築学科があるなど欧米的な捉え

方がまったくないわけではない。

建築は他の芸術作品と大きく異なることがある。

それは、建築は建築家の自己表現の場としてのみ

存在することが不可能で、その建築主(施主)、

建物の使用者、施工者などの意向や技術的な問

題、さらには資金力、風土との兼ね合いなど社会

とのかかわりの中ではじめて存在することが可能

な「芸術作品」だといえる。したがって、建築は

その時代を映す鏡ともいうことができ、建築から

いろいろなことを学ぶことが可能である。

2 タペストリーの構成から学ぶ~建築と歴史

「最新世界史図説タペストリー 三訂版」270 ~

271 ページの「西洋建築史の流れ完全整理」を見

てほしい。その構成は「神々のための建築」「国

王のための建築」「人々のための建築」と3つに

分類されており、それぞれの時代で、誰がもっと

も尊ばれる存在であったかが、一目で生徒にわか

るようになっている。

「神々のための建築」270 ページにはパルテノ

ン神殿、ケルン大聖堂などの写真が掲載されてい

るが、エジプトのピラミッドからルネサンスの聖

ピエトロ大聖堂(一部分はバロック様式)にいた

るまで、神や天とのつながりを象徴する荘厳さ、

巨大さ、高さを持った建物が地域を越えて作られ

たことが生徒にも自然と理解できるだろう。

「国王のための建築」271 ページ上段にはヴェ

ルサイユ宮殿の絵画やサンスーシ宮殿の写真が掲

載されている。いずれも、大規模なものであり、

王侯貴族のための建物であるが、天井が低く人間

が使用するための場であることが一目瞭然である。

「人々のための建築」271 ページ下段には、

ウィーンの集合住宅やニューヨークのオフィスビ

ルが掲載されている。この2つはいずれも私たち

の現代の生活スタイルとかかわりの深いもので、

現役の建物として当初の目的のまま使用されてい

るものである。また、このページでは、大量生産

という生産のあり方、鉄とガラスという新しい素

材の登場が紹介されており、それらを社会がどの

ように受け入れ、また拒否反応を示していったかに

建築から学ぶ~「西洋建築史の流れ完全整理」を使用しての授業~

神奈川県立柏陽高校 木 村 芳 幸

タペストリ ーを使った授業案

ヴェルサイユ宮殿 タペストリー p.271

サンスーシー宮殿 タペストリー p.271

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ついても言及されている。

 このように、人間の精神史や西洋の技術史が

見開き2ページで、建築史の整理という形を借り

イメージすることができるのが、タペストリーの

大きな特色である。授業では、「神々のための建築

それぞれに共通する点とはなんだろうか?」「神々

のための建築と人々のための建築の違いを観察し

てみよう?」などの発問や課題を有効的に出すこ

とができ、助かっている。

270 ページのテーマは

「重力との戦い」と題され、

アーチとドームの技術史

についてわかりやすく図

解している。270 ページ

最上段には、アーチを使

用しないギリシア神殿建

築の写真・パルテノン神

殿がある。柱が林立する

その姿は美しくはあるが、実用的な建築物として

の限界を示す姿でもある。

テーマの枠内上段では、アーチの発明が建築に

どのような可能性を与えたかを、タペストリー

67 ページの「特集 パンと見世物」にあるコロッ

セウムや 68 ページの「ローマ時代の生活と文化」

の建築物の写真を併用して生徒に理解させたい。

中下段では、ローマからロマネスクの半円アー

チに改良を加えたゴシック建築の尖頭アーチとそ

3 テーマ(コラム)

  から学ぶ

  ~技術とデザイン

19C末~ 近 代 建 築 運 動

近代 工業 社会 は 従来の生活 を 大 き く 変 え , 伝統 的 な 建 築 様 式 で は 対 応 が困 難 に な っ た と き , 新 社 会に 相 応 し い建 築 を め ざ し , 伝 統 を 発 展 的に 継 承 し よ う と い う 動 き と , 伝 統 を 否 定 し 新 た に理 想 的 社 会 を つ く ろ う と い う 動 き が 社 会 主 義 と 連 動 し て 起 こ っ て き た 。

産業革命後の社会の近代工業化 19世紀後半に , 鉄 ・ ガ ラ ス ・ コ ン ク リ ー ト な ど の新建材登場

背景

特色

ふ さ わ

鉄棒 ・ く ず れ に く い

コ ン ク リ ー ト ・ 圧縮 に 強 い ・ 耐火

人々のための建築

歴史様式から脱するため

に合目的性を唱えた , オ- ス トリアのオ ッ トー = ヴァ

ーグナーの代表作 。 通称マ ジ ョ リ カハウス 。 とく に

マジ ョ リ カ焼のタ イ ルを使 っ た花模様の 壁 へき

面 めん

装 そう

飾 しょく

有名で, 世紀末ウ ィ -ンを代表するもの。

⑭ウ ィ ー ンの集合住宅

⑬鉄筋コンクリ ー ト

マジョリカ焼きのタイル

ア レ ー ナ

出口

日 よ け ・ 雨 よ け の 天幕

地下 か ら 猛獣 を つ り 上 げ る 装置

皇帝 の 席

女性 と 下 層 民 の た め の 席

(木製)

元老院議 員 の 席 (大理石製)

入口 (80ヶ 所)

勝者

敗者

皇帝

いを立てる剣闘士 ④皇帝の前でお伺

コロッセウム タペストリー p.67

近代建築運動 タペストリー p.271

④ゴ シ ッ ク聖堂の 内部 ( ラ ン ス大聖堂 , 仏)

⑤ シ ャ ル ト ル 大聖 堂 ( シ ャ ル ト ル, 仏)

ゴシック様式 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心 13~ 14世紀 西・北欧中心

尖頭アーチ

ス テ ン ド グ ラ ス

高い尖塔

ゴシック様式 タペストリー p.133

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れに付随する技術が発明されたこと。それにより

アーチの横への圧力を下に導くことが可能となり、

巨大で明るい内部空間や大きな窓を持つ建物を建

てることが、中世には可能となったことを133ペー

ジ「特集 教会と中世の人々」を併用しながら理

解させたい。さらに、ルネサンス期のアーチに再

び半円アーチが使用されることを知識として得れ

ば、建物のアーチの形を見ただけで大雑把ではあ

るが建築様式や建築年代を判別することができる。

なお、英語の建築家をあらわす語であるarchitectは

アーチを造る人であるアーチテクトが語源である。

このように「重力との戦い」という1/2ペー

ジにも満たないテーマを通じて、建築技術史と様

式史の核となる部分を理解することが可能である。

そのうえでタペストリーを眺めればどのページを

見ても楽しむことができるし、映画鑑賞などの楽

しみも増すだろう。もちろん、大学受験において

も役立つ知識である。

なお、都市や建築技術についての参考図書は、

書店の建築コーナーで数多く見ることができるが、

私の勧める図書は、岩波書店から出版されている

一連のデビット=マコーレイの大型絵本シリーズ

である。アーチに関連する建築技術史については、

デビッド=マコーレイ『カテドラル~最も美しい

大聖堂のできあがるまで~』(飯田喜四郎訳、岩波

書店)が教室での回覧や提示に適している。

271ページにあるテーマ「曲線美と直線美」では

19世紀末に流行したアール=ヌーヴォーと 20世

紀前半のデザインであるアール=デコについて紹

介がある。鉄とガラスの時代を受け入れながらも

重力との戦い キ ー ス ト ー ン

ア- チ

を横方 向 に 連続 させ た

ものが ヴ ォ ー ル ト , それ

を 2つ直交させたもの

が交差 ヴ ォー ル ト。 ゴ

シ ッ ク期には , 骨組み

を示す線状の リ ブ ( 肋

骨のような形からつけ

られた) が発達した 。

中世には , 円 は天

上, 正方 形 は地 上 を象徴し

た。 四角と 円形 ド ー ムの組

み合わせ問 題 をビ ザ ン ツ

は ペ ンデ ンテ ィ ヴ で解 決 し

た 。 正方形の外接円 上 に

半 球 をの せ , さ らに 高 い

ド-ムを重ねる 。

⑨ ド ー ムとペンデン テ ィ ヴ

ア ー チ

工法 で は自由 な大きさ で

頑 がん

丈 じょう

な 開 かい

口 こう

部を つ く る こ

と が で き る 。 築 く には 枠

を あ て両側 か ら 石 を積

み, 最 後に 中央の石で固

定 する の で , こ れ を キ ー

ス トー ン と 呼ぶ。

⑥ア - チ工法

ヴ ォ ー ル トは必然的にア

ーチ よ り多 く 横力を生むため ,

壁は 厚 く し て , その力をおさ

え る必要が あ り, そのため窓

は小 さく 作ら ざ るをえなか っ

た 。 飛梁 の採用に よ って , そ

の力が壁にかからない よ うに

な り, 大きな窓や よ り 高い聖

堂建設が可能にな っ た。

⑧飛 梁 ( フラ イ ン グ = バ ッ ト レ ス)

⑦交 差 ヴ ォ ー ル ト ( 交差 穹

きゅう

窿 りゅう

) ・ リ ブ ヴ ォ ー

とび はり

ル ト (肋 ろっ

骨 こつ

穹窿 )

飛梁

ペ ン デ ン テ ィ ヴ

壁の壁面を延 長し , その外 にある半球の

とす 。

タペストリー p.270

曲線美と直線美

流れるような曲線 による新しい様式 。 19世紀末のパリで 発展した 。 各種分野 の工芸デザインにお よび , ジャポニスム との関係も深い 。

アール = ヌーヴォー の過剰な曲線装飾に対 し , 対称 的・ 直線的な装 飾様式 。 1925年のパ リ工芸美術博覧会に由 来する 。 アメリカで発 展し ,摩

天 てん

楼 ろう

やデパー トが建てられた 。

アール = ヌーヴォー

アール = デコ

⑰パリ地下鉄の 入 り 口

⑱クラ イ ス ラー ビル

タペストリー p.270

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人間的な温かみにこだわり曲線を多用したアール

=ヌーヴォー、装飾にこだわりを見せながらも大

量生産から生み出される直線や幾何学的な画一化

された部品を受け入れるアール=デコの2つが理

解しやすく併記されており、20世紀前半のデザイ

ン史を通じて、人間と機械文明との葛藤の心理を

考察することができるようになっている。

このように2つのコラムは技術やデザインを通

じて歴史の深みや面白みを建築から学ぶ手がかり

となるコラムでもある。

4 実物から学ぶ~日本と西洋建築

授業では、タペストリーをもって町へ出ること

も可能だ。たとえば東京都内では東京駅近くの山

手線の高架はレンガ造りのアーチによるものだし、

東京駅もレンガ造りであるので各所にアーチを

発見できる。関東大震災の影響の少なかった地域

にある町であれば、さらに多くのアーチによる建

築や西洋の様式建築のデザインを取り入れた建物

を見つけることができるだろう。また、授業時間

内に校外へ出かけることが不可能であっても修学

旅行や遠足で訪れる史跡やテーマパークなどでも

「西洋建築史の流れ完全整理」が役立つ場面がある。

大学受験をする生徒には、志望大学のキャンパ

スを見学させ、タペストリーで取り上げられてい

るような様式の建物があるかどうか探させてみる

のも面白いだろう。写真は、早稲田大学と東京大

学の著名な建築であるが、いずれも、鉄筋コンク

リート建築ながら尖ったアーチを持ちゴシック建

築のデザインを取り入れていることに気づくだろ

う。

このように、大学の建築ではゴシック様式のデ

ザインがよく見られる。このデザインを取り入れ

た理由はタペストリー 136 ページ「中世の商業・

都市・大学」から、いわゆる大学の起源となる時

代や場所を学習していれば、理解できるだろう。

なお、近年、映画「ハリーポッター」シリーズで

もオックスフォード大学の建物がロケの場所とし

て使用されており、歴史的な大学の雰囲気を知る

ことができる。

5 まとめ

冒頭でも述べたように、「建築を学ぶ」ことは、

狭い分野の知識を学ぶことではなく、そのことを

通じて、文化や社会など多様なことを学ぶことに

つながる。授業の中でタペストリーなどを使用す

ることによって、「建築から学ぶ」学習をひろめ

てゆきたい。

* * *

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1 「世界史」における自然科学史の取り扱い

自然科学の発展は、人間の様々な営みの積み重

ねである世界史に大きな意味を持つ。その重要性

に異論はないであろうが、実際授業でどう取り上

げるか。科目「世界史」における取り扱いに悩ま

される分野の一つであろう。

今回、「最新世界史図説タペストリー 三訂版」

のp.274~275「西洋自然科学史の流れ完全整理」

を使って、西洋自然科学史を効果的に取り上げる

ための授業プランを考えた。縦軸としては「物質

の根源」にこだわった各時代の科学者たちを通し

て、自然究明の展開を概観することとし、とくに

18~19世紀の「化学」の発展を中心においた。ま

た、この18~19世紀の「工業化と科学の発展」の

代表的な人物としてファラデーに注目し、この時

代の科学の発展を印象づけることを核に、科学の

おもしろさに触れさせることをねらった。

2 自然科学史を概観する

古代科学の展開

自然現象を神の意志に求めていた発想が、大き

く変わっていく時期として古代ギリシアは注目さ

れる。アルケー(万物の根源)を「水」としたタ

レス、「原子(アトム)」としたデモクリトス、4

元素説を提唱したエンペドクレスらは、物質の根

源に対する真剣な眼差しを知るきっかけになるで

あろう。もちろん当時の発想が現代にそのまま真

理とされているわけではない。しかし、デモクリ

トスの説いた、物質はそれ以上分割できない何者

かによって構成されているという発想自体は生き

続けているのである。原子を構成する究極物質は

原子核と周囲の電子である(ラザフォード)、陽

子・中性子を集合させる粒子としての中間子の存

在(湯川秀樹)、陽子・中性子のもとになる粒子

であるクォークの存在(ゲルマン)など、今日の

物理学の発展にまでふれることで、「物質の根源」

への問いかけが現在にも受けつがれていることに

注目させたい。

近代科学のあけぼの

自然科学の発展に欠かせない姿勢こそ「実験」

である。13世紀のロジャー=ベーコン、16~17世

紀のフランシス=ベーコンを指摘することで、こ

の後の自然科学の発展を支えた多くの科学者・技

術者に共通する「実験」と「観察」に対する姿勢

を重視したい。また「17世紀の科学革命」のエピ

ソードとしては、ガリレオ=ガリレイとニュート

ンの業績を取り上げることも効果的であり、彼ら

によって基礎づけられた近代科学のイメージがふ

くらむはずである。

工業化と科学の発展

18~19世紀における科学の各分野は、物質と熱

と電気と波動がそれぞれ関連して発展していく。

ジュール・マイヤー・ヘルムホルツらのエネルギー

保存の法則は、こうした各分野の関連を指摘する

手がかりになる。

この時期の様々な科学者のうち、ファラデーを

取り上げることは19世紀の発展をつかんでいくた

めの効果的な事例である。ロンドン近郊の鍛冶屋

の息子だったファラデーは、13歳で製本屋の見習

いとなり、製本の合間に科学の本をむさぼるよう

に読んだという。やがて王立研究所の化学者デー

ビー(1778~1829)の講演を聴講し、聞き取った

西洋科学技術史の流れを理解するために

「西洋自然科学史の流れ完全整理」を使って

京都府立朱雀高等学校 高 田 法 彦

タペストリ ーを使った授業案

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内容をデービーに送ったことがきっかけとなり、

王立研究所の助手となった。以後、研究室で寝起

きしながら熱心に実験と研究に明け暮れた。科学

者の人物像を取り上げることも場面によっては必

要であろう。彼の数多い業績のうち、電磁誘導の

発見、発電機の原理、電気分解の法則、ファラデー

効果の発見などは、科目「化学」で扱う内容でも

あり、また、電気の研究とその実用化は、電話機・

電信機・電灯など、今日の我々の生活に大きく関

わっていることを紹介したい。さらに科学入門書

としても著名なファラデーの『ローソクの科学』

は、科学の成果が人びとにわかり

やすく伝えられた好例でもあり、学

問の研究成果は広く人びとに知ら

れなければならないという使命を

も伝えてくれる。

「物質」への問いかけは、18~19

世紀にも続けられ、物質と原子の探

求が深まっていく。産業革命との関

連からも、「化学」の発展は効果的

な題材である。ラヴォワジエは「燃

焼の実験」によって、空気が単一

の気体ではなく窒素と酸素からな

ることを実験的に証明した。また、

33種の元素表を作成し、「質量保存

の法則」をうちだし、従来の経験的

な物質理論から脱して、科学的な新

しい化学の大系をまとめていった。

ドルトンは史上初の原子量表を考

案し、多くの化学記号を採用した。

彼らの研究によって、物質に対する考察は着実に

進んでいったのである。

やがてドイツのリービヒによって、有機化合物

の構成(エチル基など)に対する認識が深められ

ていった。すでにウェーラー(1800~1882)が、

無機物のシアン酸とアンモニア水(ハーバーと

ボッシュによってアンモニアを合成する方法も確

立された)から、人工的に有機物である尿素を作

り出すことに成功し、有機物が生物の体内だけで

なく試験管で合成されることが実証されており、

以後様々な有機化合物が合成される可能性が広

がっていった。リービヒはウェーラーと共同して

研究を進め、有機化合物の分析を進めていったの

であった。リービヒの研究成果から化学肥料が生

産され、普及すると、農業生産は増大し、従来の

天然肥料は伝染病発生の温床になるとして使用さ

れなくなったという。化学の成果が生活を大きく

変えていった好例である。

こうした有機化合物の研究によって成長した分

野の一つに合成染料も注目される。イギリスの

パーキンによってベンゼンから紫色のアニリン染

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料モーヴが合成されると、やがて、あかねの根か

ら得られる赤色の染料(アリザリン)とインドあ

いから得られる青色の染料(インディゴ)が人工

的に合成されるようになる。この成功はいずれも

ドイツの化学者によるもので、当初は天然染料と

比べて割高であったため工業化が遅れたが、しだ

いに天然染料を圧倒し、ドイツの合成染料工業は

イギリスを追い越していった。イギリスで着目さ

れた合成染料が、結果的にはおもにドイツで発展

したのであった。

インドを確保し天然のインディゴに不自由しな

かったイギリスは、巨額の開発費を必要とする合

成染料の研究・開発に積極的でなく、かえってそ

のような植民地を持たなかったドイツが全力を挙

げてこの分野に取り組んだのであった。この時期

のドイツ、さらにはアメリカの発展を化学の発達

と関わらせ、イギリスの影響力低下と19世紀の覇

権争いに関連づけることで生徒の既習事項とつな

ぎやすくなるであろう。

合成染料が果たした役割には、医療への貢献も

指摘される。結核菌・コレラ菌を発見したコッホ

は、合成染料を使って病原細菌を染めて研究を続

けたという。以前から生体組織を染めるとよく見

えることが知られていたが、合成染料が現れると

顕微鏡での観察に大いに役立ったのであった。ま

た、19世紀半ばには石炭のコールタールからとれ

る石炭酸が消毒剤として使われていたが、やがて

石炭酸ナトリウムから解熱剤「アスピリン」が合

成された。化学の発展は医薬品の開発にも直接関

わっていくのである。こうして、ジェンナー・パ

ストゥール・コッホ・フレミングらによる病気の

原因究明と、新しい薬品の開発による医学の発展

にも目が向けられるのである。

3 「世界史」における科学・技術

世界史で取り上げたい科学者・技術者は多数で

あり、その成果は時として歴史を大きく動かして

いく。ワットの蒸気機関も生徒の興味を引き出す

代表的な題材であろう。化学者ボイルの実験助手

であったパパン(1674~1712 ?)によって考案

された蒸気で動くピストン機構は、現実にはまっ

たく実用化されなかったという。やがてニューコ

メン(1663~1729)によって蒸気機関は初めて実

用化されたが、効率の悪さと蒸気の無駄が欠点で、

様々な試行錯誤を通して改良を加えたのがワット

であった。蒸気機関の改良を通じて、我々は長い

年月の改良の積み重ねの意味を知る。発明・発見

が必ずしも突然になされることではないことは生

徒に理解させたい事柄であり、新技術・新発見が

生み出された背景や前提に注目させたい。そのた

めにも、タペストリー「西洋自然科学史の流れ完

全整理」を利用することで、科学の各分野の展開

を追っていくことは効果的である。

19世紀の自然科学をながめると、物質の本質は

何かという解明、熱と仕事の関係による熱力学の

発展、電気の研究と電磁気学の深まり、病気との

闘いの進展、進化論に代表される動植物学の発達

など、現代につながる興味深い諸分野が注目され

る。いずれも授業で取り上げたい分野である。こ

れらの中から軸になるテーマを選び出し、核にな

る人物・成果を設定することで、より生き生きと

科学の進展を伝えていきたい。

<参考文献>

「科学の文化史」平田 寛 朝倉書店 1988

「科学と技術の歴史」道家達將・赤木昭夫 放送大学教育

振興会 1999

「文科系のための科学・技術入門」志村忠夫 ちくま新書

2003

⑦蒸気機関 の し く み

①石炭を燃や し, 水蒸気を 発生させる 。

①石炭を燃や し, 水蒸気を 発生させる 。

①石炭を燃や し, 水蒸気を 発生させる 。

①石炭を燃や し, 水蒸気を 発生させる 。

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②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。

②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。

②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。 ②蒸気の力で , ピストンが 上下運動を行う 。

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③ 回転運動へ

転換 する 。

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③ 回転運動へ

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科学

蒸気機関のしくみ タペストリー p.167

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横浜外国人墓地No.14 横浜の観光名所「港の見える

丘」上の「横浜外国人墓地」には今も4000余基が祀られ

ている。墓地事務所に備えつけの「埋葬者墓碑リスト」

には、1基ごとに氏名・国籍・略歴などが簡潔に記さ

れている。ここに東アジアに渡ってきた一人のアルメ

ニア人が眠る。以下は同氏に関する墓碑抄録である。

「墓域No.14、氏名A.M.Apcar、国籍ロシア、男性、

没年1906、備考:アプカ商会主、神戸グレート・イー

スタン・ホテル経営」。「50数年前にイスファハンに生ま

れ、著名なアプカー海運会社の一族に連なる。Kobe

Herald紙によれば、同氏は25年前に香港でビジネスに

成功し10数年間滞在。その後、横浜にA.M.Apcar商会

を興し、神戸のほか東洋・西洋の諸港に支店を設け広

範に輸出入を営む。5年前には神戸のSakaye-machiに

Great Eastern Hotelを創業、また1、2年前にはShioya

にBeach House Hotel購入。本業は海運会社の経営で

あり、ホテルは支配人に任せていた…香港在留中にフ

リーメーソンの一員となり、神戸ではホテル協会のメ

ンバーであった。夫人と3人の子どもが残されている…」

『外国人名士録』のアプカー氏 幕末~明治期の在日

外国人名士・機関名鑑『ジャパン・ディレクトリ』は、

居留地、横浜に定住した西欧人名と職業を知る貴重な

資料であり、A.M.Apcar氏に関する記録もここに残る。

①「“Apcar”Line of Calcutta Steamers」(『ジャパン・ディ

レクトリ』xii号1890(明治23)年)/②「Apcar&Co.A.M.,

163, Sannomiya-cho, sanchome and Great Eastern

Hotel.」(『ジャパン・ディレクトリ』xxxv号1906(明

治39)年)/③「Apcar&Co.A.M.,Great Eastern Hotel,

36, Sakaye-machi, Itcho-me(DivisionStreet)」(同xxxv

号)。『シンガポール・マレーシアのアルメニア人の歴

史』.(Nadia H.Wright, 2003)によれば、19~20世紀に

かけてアプカー家はカルカッタを拠点にシンガポール、

ペナン、中国、インドを結ぶ一大海運業者として活躍

していたという(47頁)。同氏は、横浜の支店をゆだね

られていたのだろう。

神戸グレート・イースタン・ホテル 1890年代~1910

年代ものと推定される1枚の彩色絵葉書がある(写真)。

「Divition Street 36,The Great Eastern Hotel, Kobe

神戸西町通」と印刷されている。その住所と『ジャパ

ン・ディレクトリ』xxxv号の記録とを照合すると、「神

戸・栄町1丁目、(居留地)第36区」の「グレート・イー

スタン・ホテル」はA.M.アプカー氏経営のホテルで

あったことが判明する。

同時期のKobe Directory所収の英文地図によれば

「NISHI MACHI」の西側と「SAKAYE MACHI」の南側

の交差点に「36, Great Eastern Hotel」と記されている。

神戸旧居留地連絡協議会に照会すると、「旧居留地に

隣接(西側)する栄町1丁目、現在の神戸住友ビル南

側の駐車場」がホテルの所在地であった。現在の地図

と明治39年代の地図の位置とはぴったりと符号した。

アルメニア人貿易商A.M.アプカー氏は明治23年には

すでに横浜に居住しており、明治39年には神戸のグ

レート・イースタン・ホテルを経営していたのである。

ダイアナ=アプカー夫人の活躍 A.M.アプカー氏の遺

族はその後どのような人生を送ったのだろうか。日本ア

ルメニア協会の中島偉晴氏によれば、アプカー氏の死

後、未亡人のダイアナさんは神戸から横浜の山手町220

番地に移り住んだという。1915~21年当時、トルコ政

府によるジェノサイドを逃れてロシアに避難したアル

メニア難民たちは、トランス・シベリア鉄道でハルピ

ンを経由して日本にやってきた。1918~20年の間、当

時のアルメニア共和国の領事業務を委託された夫人の

役割は、彼等の庇護と査証の発給であったという。難

民の多くはその後アメリカに移住した。

1859年にビルマのラングーン(ヤンゴン)に生まれ

たダイアナさんは1889年に結婚を機に来日し、そして

1937年に横浜でなくなり、夫と同じ横浜外国人墓地の

一角に眠る。その生涯と活躍についてはなお不明な部

分が多い。私はさらに調査を続けたいと考えている。

南海寄帰内聞伝

神戸・横浜のアルメニア人アプカー氏追手門学院大学教授 重松伸司

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東ユーラシア史の500年 これらの新研究を総合した

概説書の最新のものが、本書である。著者の上田信氏

(1957年生まれ)は、江南は江南でも地主や農民でな

くゴロツキを扱った論文で学界にデビューし、大平野

やデルタでなく盆地世界をフィールドとして最初の著

書を出版し(『伝統中国』講談社選書メチエ、1995年)、

社会経済構成体の発展段階論にかえて生態システム、

社会システム、意味システムが重なり合う「史的シス

テム論」を提起し、環境史の領域を開発する(『森と

緑の中国史』岩波書店、1999年ほか)など、明清史研

究の革新を象徴する活躍をしてきた人物である。

その上田氏が描く明清の歴史が、「閉じた一国史」

であろうはずはない。本書が扱う紅巾の乱から太平天

国まで500年間の歴史は、「日本海・渤海・黄海・東シ

ナ海・南シナ海の5つの海とそれらに接する島嶼・陸

地」(31頁)の総体としての「東ユーラシア」を舞台

として展開し、宋までの中国史との連続性よりは、モ

ンゴル時代から近代世界システムの時代へと流れる世

界史の同時性が重視される。それを可能にするキーワ

ードが「海」と「帝国」である(アンソニー・リード

の『商業の時代の東南アジア』などで知られた「海」

と貿易はともかく、なぜ「帝国」なのかピンとこない

読者は、中国史で中公世界史など岸本美緒氏の諸著作、

グローバルヒストリーで山下範久『世界システム論で

読む日本』講談社選書メチエ、2003年を併読するのも

よいだろう)。もちろんそのことは、農民や内陸の世界、

自然環境などの要素を軽視し、海を通じた外部からの

影響が中国史を一方的に動かしたとか、中華帝国が中

国社会を一方的に支配したなどと主張するものではな

い。「人の数だけ世界がある」(54頁)。描かれるのは、

複雑な相互作用の総体である。

3つの画期 本書は「はじめに」と「おわりに」には

さまれた、10章からなる。第一章「出来事の時空間」

で全体構想が示されたのち、時代順の叙述が世紀単位

で進められるのだが、注目されるのは、15、17、19世

紀は1章ずつにまとめられている(「海と陸の交易者」

「王朝の交替」「環球のなかの中国」)のに対し、14世

紀(「明朝の成立」「海と陸の相克」)、16世紀(「商業

の時代」「社会秩序の変容」)、18世紀(「産業の時代」「伝

統中国の完成」)がそれぞれ2つの章に分けて詳しく

叙述されている点である。そこに、この3つの世紀を

画期として重視する著者の姿勢・視角がよく表されて

いる。とくに18世紀の章では、鎖国日本の歴史の刷新

と比べて高校教育でまだよく知られてはいないが、し

かし現代の東アジアと中国を理解するのに不可欠な諸

変動が描き出されている。

より個別的な論点でも、明帝国と清帝国の性格の違

い、明末以降の交易管理を朝貢システムでなく互市シ

ステムととらえる点など、重要な問題提起が少なくな

い。明清時代史同様に革新が進められてきたモンゴル

時代史や日本列島史などの新研究への目配りも幅広い。

巻末には、主要人物略伝、歴史キーワード解説、解説

つき参考文献リスト、年表、索引など有用な参考資料

がある(初版のつねとして、出版社側で付した固有名

詞や専門用語の不正確・不適当なルビがやや目立つ。

増刷時の訂正をまちたい)。歴史好きの読者だけでな

く、現代中国の経済慣行や役人の態度に悩むビジネス

マン、中国は一枚岩の国家で反日教育も反日デモも政

府の指示で一斉におこなわれていると大誤解をしてい

る市民、それらの予備軍としての学生にも、こういう

書物を読んでほしい。

(大阪大学文学研究科教授 桃木至朗)

明清史研究の革命的変化 日本の「戦後歴史学」といえば必ず思い

出される動きに、中国史の時代区分論争があった。それは社会主義

革命など近現代の変動の史的前提を解明するための論争だったから、

近現代の直前にあたる明清時代に無関心でおれるはずがなく、江南

地方の土地制度や郷紳を中心に、熱い議論がたたかわされた。

しかし80年代以降の中国史研究においては、現地を見られぬまま

に思弁を重ねる研究に現地留学とフィールドワークが取って代わり、

歴史研究を通じて理解すべき現実は社会主義から市場経済・グロー

バル化と巨大国家へと変化した。この変動にもっとも敏感に反応し

た明清時代史研究では、とくにめざましい変化がおこった。地域社

会論と帝国論を二つの焦点とし、門戸を開いた中国の学界や躍進す

る欧米の学界とも交わりながら、農業開発と生態環境、銀の奔流と

商品・貨幣、信仰や宗族、法と裁判、朝貢システムと世界認識、対

外貿易と戦争など、多くの領域で、斬新な研究成果が次から次へと

公表され、その影響は学習指導要領や高校教科書にも及んでいる。

上田 信

中国の歴史 09

海と帝国 明清時代

講談社 2005年

(本文528ページ 2600円+税)

書評 わたしの一冊