チ。ムスキーの言語...チ。ムスキーの言語 外国 理論と...

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Meiji University Title Author(s) �,Citation �, 95: 72-94 URL http://hdl.handle.net/10291/12280 Rights Issue Date 1975-12-01 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Page 1: チ。ムスキーの言語...チ。ムスキーの言語 外国 理論と 語としての英語教育 丸 山 孝 男 (1) 渡部昇一氏と平泉渉氏との論争を機に,最近また,ジャーナリズムでは,英

Meiji University

 

Title チョムスキーの言語理論と外国語としての英語教育

Author(s) 丸山,孝男

Citation 明治大学教養論集, 95: 72-94

URL http://hdl.handle.net/10291/12280

Rights

Issue Date 1975-12-01

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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チ。ムスキーの言語

外国

理論と

語としての英語教育

丸 山 孝 男

              (1) 渡部昇一氏と平泉渉氏との論争を機に,最近また,ジャーナリズムでは,英

語教育論争が盛んである。戦後の日本英語教育史を概観する時,いわゆる英語

教育論争は,周期的,且つ最も活発に行なわれてきたように思われる。英語関

係の雑誌は,毎年,きまって「私の英語教育論」なるものを掲載し,こういっ

た種類の単行本の数も枚挙にいとまがない。大新聞の「読者の投書欄」にも,

英語教育に関する意見が定期的に述べられている。

 英語を非母国語とする国で,日本ほど英語教育論議が盛んな国は,他に例が

ないであろう。幸か不幸か,英語教育に関する論議は,戦後のジャーナリズム

界での好材料の一つであったし,今後も確実にそうあり続けるだろう。

 こういった一連の英語教育論争を読んで,先ず感ずることは,結局は,程度

の差こそあれ「教養」か「実用」かというような目的論議のくり返しというこ

とである。外国語としての英語教育の意義を「教養」か「実用」かという単純

な二っのレベルから考察しても決して,「名案」は生まれてこないだろう。「渡

部・平泉論争」も端的に言えば,「教養派」と 「実用派」の論争であった。だ

から論議がかみ合わず,結局は平行線をたどらざるを得なかった。

 「実用派」の論議を読んで,先ず思いつくことは,言語をただ単なる伝達の

道具としてみていることである。「道具的言語観」ゆえ,言語の習得を単純に

暗記とみなす。

               -72_

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 一たとえば,平泉氏は,渡部氏との論争の中で「外国語の習得とは所詮,巨大

           (2)な暗記の上にのみ成り立つ」と断言している。平泉氏の上記の言葉が,氏自身

の個人的な体験から滲みでてきたものなのか,あるいは,フリーズを筆頭とす

る一連のアメリカ構造主義言語学者の外国語教授理論の影響によるものなの

か,筆者は知る由もない。

 ただ,「チョムスキーの言語理論と英語教育」というタイトルにしては,一

見関係がなさそうに見える「まえおき」が長くなってしまったのは,「実用派」

の「道具的言語観」を打ち破るには,言語の創造性を強調するチョムスキーの

言語理論が最も強力であり,且つ外国語としての英語教育との接点になり得る

と思うからである。

 チョムスキーのSyntactic Structures(1957)を変形生成文法理論の出発点

とするなら,すでに18年の歳月が流れ去っている。周知のように,Syntactic

Structuresの出版元が,アメリカではなく,オランダのMouton社となって

いるのは,アメリカの出版社で,このアメリカ構造主義言語学と真向から対立

する変形生成文法理論を受入れてくれるところがなかったからである。それほ

ど,チョムスキーの言語理論は革命的であった。

 だが,一っの理論が打ち出されて,約20年になろうとしているにもかかわら

ず,変形生成文法理論が,いまだ定着しているとは言いがたい。変形生成文法

理論の基礎となるべき句構造規則さえ定まっていないのが実情であり,しか

も,フィルモアを中心とする格文法派あり,拡大標準理論派あり,生成意味論

派ありで,増々混迷を深めている感がある。もちろん,混迷を深めるといって

も,言語を記述するに当って,変形という概念を大胆に導入したチョムスキー

の基本的な理論が否定されている訳ではない。

 チョムスキーの言語理論を解明する最も手っ取りばやい方法は,アメリカ構

造主義言語学との対比である。なぜなら,アメリカ構造主義言語学が,方法論

的に,ある限界に達し,その限界点を打開しようとして登場してきたのが,チ

ヨムスキーの変形生成文法理論だからである。

 周知の如く,アメリカ構造主義言語学の出発点は,インド・ヨーロッパ諸言

               _73一

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語とは,構造が著しく異なρているアメリカ・インディアン言語を完全に分析

し,記述することであった。全く未知の言語を研究対象として出発したこと

は,その研究方法が,野外作業的一つまり,ありとあちゆるデータを収集し,

それを克明に記述せざるを得なかったのは,必然的な結果であった。アメリカ

構造主義言語学の中で,最もきわだった分野は,音素論であったが,このこと

は,アメリカ構造主義言語学が,文字のないアメリカ・インディアン諸語の研

究からスタートしたということと密接な関係がある。野外調査の方法から出発

したアメリカ構造主義言語学,そして,その先駆者Franz Boas(1858~1942)

も,それに続くEdward SapirもBloomfield.も共に言語学者であったと同

時に文化入類学者でもあったということは,決して偶然ではあるまい。

 文化人類学的方法から出発したアメリカ構造主義言語学が,言語あ観察でき

得る部分,即ち,言語の外側の形式の分析と分類に重点ーをおき,資料中心主

義,機械主義,形式主義に傾いていったのは,方法論からくる当然の帰結であ

った。アメリカ構造主義言語学が,しばしば,甲冬onomic linguisticsと呼ばれ

るのはこのためである。

 さて,アメリカ構造主義言語学の特質が大きくわけて二つあり,その一つが,

言語の外側の形式と分類に重点をおいた方法論にあったとするならば,もう一

つは,行動主義心理学との密接な結びっきである。だから,構造主義言語学者

は,言語行動を「習慣」,「条件づけ」,「パターン」,「刺激」,「反応」という観

点からのみ考察し,言語の内面を支配している法則に目を向けようとはしなか

?た。

 この行動主義にもとつく言語理論を外国語教育に忠実に応用した代表的言語

学者は,フリーズとブルームフィールドである。

 たとえば,外国語教育の主軸をsimple sentenceからcomplicated sentence

への過程であると考え,いわゆるパタン・プラクティスを編み出したフリース

は:、                        ,

The fundamental matters of the language that must be mastered on

             -74_

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  aproduction level should, as soon as p6ssible, be made unconsCious

  habits. For this purpose many whole sentences, questions and responses,

 demand repetition and more repetition and these will become automatic

 reactions early. BUt besides such specific formulas, useful phrase and

  sentences, there are many“patterns”that must.evehtually become the

 customary molds into which the productive expression must fit without

  conscious thought.:.These,’in the earl夕 stage of langua窪e learning,‘

 remain for considerable time’on the level of production w.ith consciozas

・倣67α≠乃θ7伽π.・f Pr・伽伽σεdn autbinatic uhc・nsci・US h。bit.

  Only after much practice of the same“pattern”with diverse content

                                                     (3)

 do the patterns themselves became productively. automatic.

と主張している。

  また,事実上アメリカ構造主義言語学の指導的立場にあったブルームフィー

ルド(彼の代表的な著作Languageは,しばしばアメリカ構造主義言語学界

のBibleと言われている)は,外国語習得の基本的原則を次のように述べて

いる。                  .

  To understand the forms is only the first step. Copy the forms,

read them out loud, get them by heart, and practice them over and

over again day after d.ay, until they become entirely natural and familiar.

                                                       (4)

Language learning is overlearning;anything less is of no use.

  両者に共通して言えることは,言語行動を単にaset of habitsとみなし,

そこで強調されているのは「くり返し」である。メカニカルな技術面を強調

し,言語の創造的特質,あるいは,思考力と密接不可分の関係にある言語を使

L

つ人間の主体性を度外視していることである。言語行動を人間の創造的思考と

同レベルで考えるべきであるにもかかわらず,言語の習得を「くり返し」,「習

                             ・-75一

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慣の形成」と単純化して規定してしまった。

 こういった構造主義的言語習得論,あるいは,経験主義に基づく言語習得論

に対し,チョムスキーは,言語の習得が,ただ単なる 「習慣」,「くり返し」,

「模倣」等によってなされるならば,人間が次々と新しい文を生み出し,且っ

理解でき,絶えず創造的,革新的であるのは,どうして可能であるのかと反論

する。言語行動は単に「刺激」に対する 「反応」からなっているのでなはな

く「生得観念」が大きな役割を果しているものと主張し,言語を行動の一形式

にすぎないとする構造主義的言語観とは真向から対立する。

 たとえば,チョムスキーは,AsPec ts of tke Theory O/Syn taxの中で

‘‘ shus it may well be that the general features of language structure re-

flect, not so much the course of one’s capacity to acquire knowledge-in

                           (6)the traditional sense, one’s innate ideas and innate principles.” と主張して

いる。

 もちろん,言語の習得が,生得観念によるものと推定し,言語の創造的特質

の研究を重要視したのは,チョムスキーにはじまったことではない。この分野

の重要性については,古くは,デカルト,フンボルト,ソシュール等によっ

て,すでに指摘されていた。しかし,それは「暗示」の程度であった。チョム

スキーのように,それを体系化し,具体例をもって人々の前に提示するには至

らなかった。チョムスキーの言語理論が,しばしば,デカルト言語学,あるい

はフンボルト言語学の延長であり,且つ復活であると言われるのはこのためで

ある。

 さて,言語習得に限定して,構造主義言語学の立場と変形生成文法理論の立

場との考え方のくい違いを述べてきたが,アメリカ構造主義言語理論と変形生

成文法理論との根本的な差異は何か。

 まず第一に考えられるのは,アメリカ構造主義言語学者は,言語の記述対象

を,英語を母国語とする話し手から集めた文(transformationalistの言うsu「-

face structure)に限定したのに対し,チョムスキーは,深層構造(deep struc’

ture)という新しい抽象概念を設定したことである。この新しい概念の設定に

               一76_

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より,表面的に類似している構文の内部構造が全く違うことが明らかにされ

た。

 以下の例文は,チョムスキー自身が提示し,その後,様々な学者によって,

いたるところで言及され,引用するのが,やや気がひけるのであるが,表層構

造と深層構造の根本的な違いを述べるには,余りにも便利なので,再び引用し

たい。

 たとえば,次の例文は,表面的には形式上非常に類似した構造を持ってい

る。

            (6)(1)  John is easy to please.

             (7)(2)  John is eager to please.

 ところが,その文法的関係は全く違っている。(1)では,Johnは,形式上文

の主語であるが,意味的にはpleaseの直接目的語である。(2)では, Johnは,

文の主語であると同時に不定詞の意味上の主語でもある。(1)と②に対応する深

層構造を次のように設定すると,(1)と{2)の文法的関係の違いがはっきりする。

(3) [Someone please John]is easy.

(4) John is eager[John pleases someone].

 これは,ほんの一例にすぎないが,深層構造の設定により,文の意味解釈が

より正確になることは事実である。

 チョムスキーの言語理論の第二の特色としてあげられるのは,変形生成文法

理論の目標が実際の発話(performance)を支配していると想定される言語能

力(competence)の解明にあるということである。母国語話者が,言葉を自由

に使いこなすことのできる能力を,チョムスキーは,言語能力と呼んでいる。

従って,言語能力を記述の対象にするということは,話し手と聞き手の言語行

動を統一的に解明することである。

               -77一

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 チョムスキーは,言語を研究するに当って,PerformaPqeとcomPetenceと

いう二っのレベルの必要性を説いたが,この発想は,ソシュールのparoleと

langueに非常によく似ている。しかし,ソシュールがlangueを静的にとら

えているのに対し,チョムスキーは,competenceを動的にとらえているのが,

両者の最も大きな違いであろう。

 チョムスキー言語理論の第三の特色は,深層構造と表層構造をつなぐパイプ

として,変形という革命的な概念を導入したことである。変形の概念によっ

て,文と文の有機的な関係が説明され得るようになった。

 第四の特色は,変形生成文法が,最終的には,すべての言語を包括するため

の普遍文法の構築を目指すという遠大な目標奪もっていることである。これま

で言語研究と言えば,その言語の表面的な特殊性に目が注がれ,言語の普遍性

の探求というところまではいかなかった。一見して,異なる言語の背後にある

法則を究明することは,精神活動の解明,人間の認識作用の謎にも明かるい光

をなげかけることになるであろう。

 アメリカ構造主義言語学と比較しながら,変形生成文法理論の諸特質につい

て述べてきたが,チョムスキーに最も強力な影響を与えた文法理論として,ポ

ール・ロワイヤル文法学派の名も忘れることはできない。この学派の影響が如

何に強いものであったか,チョムスキー自身が,

 In many respects, it seems to me quite accurate, then, to regard the

theory of transformational generative grammar, as it is developmg ln

current work, as essentially a modern apd more explicit version of the

        (8)PortRoyal theory.

と率直に告白しているほどである。

 たとえば,「ポール・ロ7イヤル文法」の著者,C.ランスローとA.アルノー

は「我々の精神作用を認識することは,文法の基底の理解に必要であり,そこ

               (9)に話を構成する語の多岐性が依存する」と述べているが,この文法論が書かれ

               一78_

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たのは,1660年であることを思う時,変形生成文法理論の萌芽を表わす言葉と

して,極めて注目に値する。

 それでは,変形生成文法理論を外国語としての英語教育に応用することが可

能であるのか。可能であるならば,変形生成文法理論が実際の学習プログラム

の中にどの様に組み入れられるのか,という問題を考えてみたい。、

 この問題については,本場のアメリカではもちろんのこと,日本でも,これ

まで様々な意見が出されてきた。

 たとえば,代表的な著作としてMark Lester編のReading in APPIied

Transformational Grammarがあるが,この中にはLeonard Newmarkの

Gram〃tatical Theory and the Teaching English as a Foreign Language,

とLeon Jakobovitsのlmplications of Recent Psツcholinguistic 1)evelop・

ments for Teaching of a Second Languageという論文が掲載されている。

 日本に例をとるならば,r現代英語教育」(研究社,1971年6月号)が「変形

文法の英語教育への応用」という問題を特集しているし,単行本としても,す

でに,長谷川克哉共著「変形文法と英語教育」(明治図書,r1970),大野照男著

「変形文法と英文解釈』(千城書房,昭和47年)等がある。その他,様々な研

究会に於いても, 「変形文法と英語教育」というテーマで,しばしば発表され

ている。

 前掲のMark Lester編の本を合め,「変形文法と英語教育」という論議の特

徴として,先ず言えることは,論議そのものが,非常に抽象的であるばかりで

なく無理があるということである。この抽象性と無理は,やはり,変形生成文

法理論の抽象性そのものと,この理論が,今なお,発展途上にあるということ

からきているのだろう。「応用」という言葉をどのように解釈するかによって

も,議論が大いに分かれることになる。

 筆者の結論を先に述べるならば,「応用」という言葉をhow toと同じ意味

でとらえ,あるいは,これまで,伝統文法,構造主義的文法が,外国語としての

英語教育に応用されてきた意味で「応用」という言葉を解釈するならば,変形

生成文法理論のほとんどの部分が,英語教育にとって役に立たないものになる

               一79一

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だろう。純粋科学の立場からみて,理路整然とした言語理論が,即,現場作業

的語学教育に直接応用されることは,先ずないからである。

 チョムスキー自身,変形生成文法理論の英語教育への応用については,非常

に懐疑的である。

 たとえば,チョムスキーは“Linguistic Theory”という論文の中で:

   _Iam, frankly, rather skeptical about the significance, for the teach・

 ing of languages, of such insights and understanding as has been at-

                          (10) tained in linguistics and psychology.

.と述べ,更に続けて:      ・     .

   Once again, I would like to stress that the implication of these ideas

f。r l。ng。。g。 teachi。9.ar。 f。,・f,。m。1。ar.t。 m。[n)

  と述べているが,積極的な「応用」という言葉は一つも見受けられない。

 それでは,チョムスキーは,変形生成文法理論と語学教育とは全く無関係で

あると考えているのかといえば,決してそうではない。変形生成文法理論が語

学教育に与える可能性として,次のように示唆している。

 But there are certain tendencies and developments within linguistics

and psychology that may have some potential impact on the teachillg

of language. I think these can be usefully summarized and four mai且

hea(斗ings’‘‘creative aspect of language use;the abstractness of lingui・

stic representation;the universality of underlying linguistic structure;

                                      (12)the role of intrinsic organization in cognitive processes.

もちろん, 変形生成文法理論の創始者であるチョムスキー自身が,その理論

              一80一

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の語学教育への応用について,消極的だからといって,この問題の考察を断念

する理由は少しもない。

 ただ,伝統文法(学校文法),構造主義的文法,変形生成文法を外国語とし

ての英語教育の中の具体的な学習プログラムとの関連で比較したとき,あえて

順位をつけて言うならば,いちばん「役に立っ」文法は,やはり伝統文法であ

り,その次が,構造主義文法であり,三番目が変形生成文法であろうというこ

とである。

 伝統文法の矛盾,非論理性,非科学性については,これまでずい分指摘され

てきたし,その非論理性,非科学性を疑う者はいないであろう。周知のよう

に,伝統文法は,大体において,ギリシア・ラテン文法を土台として書かれた

ものであり,英語の文法を記述するのに不便な面がたくさん出てきているの

も当然といえば当然である。

 伝統文法の中でも,特に八品詞の分類が,機能と意味の二つのレベルを混同

しているということで,否定されたり,非難されたりしてきた。特に,構造主

義言語学者からの伝統文法に対する風当たりが強い。前述の如く,構造主義言

語学のそもそもの始まりが,アメリカ・インディアン諸語の研究であったと同

時に,伝統文法に対する不満が背後にあったことを思えば,このことも当然で

あろう。

 それならば,変形生成文法理論では,品詞の分類をどう扱っているのかとい

えば,少なくとも,伝統文法的な定義が全くないのである。

 たとえば,Transformational Grammar and the Teacher of Englishの著

者,オーエン・トマスは,限定詞を扱っている項目の中で“Furthermore, it

assumes that the person using the rules is familiar with the restrictions on

                   (13)articles before singular and plural nouns.” とさらりと言ってのけてるが,

実は,この冠詞の使い方こそが,冠詞のない日本語を母国語とする我々日本人

にとっては厄介なのである。変形生成文法理論の目標が,母国語話者の直観,

ないしは言語能力の記述にあるため,外国語としての英語教育には,そのまま

応用しにくい面が多いのである。

               -81_

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 変形生成文法理論と英語教育との関連性にっいて述べる前に,もう少し,伝

統文法,構造主義言語学と英語教育との関連性について触れたい。

 この小論の冒頭で述べた渡部氏と平泉氏との論争の中で,大変興味深く思え

たのは,渡部氏が,伝統文法,あるいは,英語教授法としてのGrammar-trans-

1ation Method(文法・訳読式教授法)を頑強にも擁護したことであった。客

観状勢を考えるならば,今日ほどGrammar・translation Methodを擁護するこ

とがむずかしい時代はない。

 言語学の世界では,構造主義言語学,変形生成文法理論の台頭以来,伝統文

法は純粋言語理論の立場から一貫してその非科学性を指摘されてきた。そし

て,伝統文法学者も,これを認めざるを得なかった。

 特に,日本に於いては,第二次世界大戦後,各国との外交関係が活発にな

り,英語が国際語としての役割を果たすようになってきたこともあって,英語

の運用能力の必要性が叫ばれてきた。受身としての英語ではなく,より能動的

な国際コミュニケーションの手段としての英語の必要性が叫ばれてきた。東京

オリンピック以来,これに拍車がかけられ,特に実業界は,諸外国との経済交

渉という実利上の立場から, 「役に立つ」英語教育への改革を要求してきた。

そして,日本の英語教育の「不能率」の凶器が,Grammar{translation Method

にあるとみなされてきた。英語教育界自体も,このことを何んとなく認めてき

た。だから,誰も,-Grammar・translation Methodを公然と擁護しようとしな

かったし,「擁護」という言葉を口に出すのが禁句でもあるかのような雰囲気

であった。

 渡部氏は,あえて,この禁句を破ったのであった。たとえば,渡部氏は,平

泉氏との論争の中で,こう断言している。

 実用面における語学は多分に条件反射であり, 「場」は問題である。国際

的にすぐ役立っ語学が教室でできるという迷信は捨てなければならない。と

いうことはできなくてもいいのである。なまじそれを目標とすることによつ

て英語の授業が面白くなくなるし,教室で立派にできることもできなくなる

              一82一

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のである。教室で立派に出来ることの第一は基本的な文法を叩きこむことで

                        (14)ある。そのうち特に重要なのは八品詞と基本文型である。

氏は,ドイツ留学の経験を通しても,伝統的英語教授法が極めて効果的であ

ったことを述べている。

 私はドイツに行くまでドイツ語会話などはしたことがない。また英会話も

うまかったとは思わない。しかしドイツの学生寮で身振りや手振りでやって

半年もすると,日常生活は不自由なくなり二年目をすぎるころはドイツ人の

学生にノートを貸すほどになった。二時間ぶっ通しの口述試験にもポロを出

さずにすんだ。そして私は日本でやったGrammar・translation Methodの威

         (15)力を知ったのである。

 筆者自身も直接体験したことではあるが,荒正人氏は,学校文法にもとつい

た氏自身の授業を次のように紹介している。

 私のささやかな体験を語りたい。私は新制大学の3年生, 4年生を相手

に,E. Bronte:vau thering Heigh tsをテキストに使って教えている。語学

としてであって,文学としてではない。文学としてではないから,訳読も,

翻釈ではなくて独自の逐語訳である。たとえば,代名詞は,一っひとつ,何

を指しているかをいをせる。彼すなわち,ヒースクリッフは,という調子

                      (16)である。学校文法にもとついて,文法的分析もやる。

 英語関係以外では,憲法学者の宮沢俊義氏も伝統的英語教育を肯定している

            (17)のは,興味深い事実である。

 私事にわたって恐縮ではあるが,筆者自身アメリカへ留学した際,そこで有

難く思ったのは,伝統文法(学校文法)によって培われた専門書を読解する力

であった。授業に出席した当初は,hearingの力が全く不完全であっても,専

              一83一

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門書を読破していれば,相当に類推がきくのである。実は,英語を話したり,

聞いたりする時に,類推できる,できないかが非常に重要である。類推を可能

ならしめるものは,専門的知識の量であることは言うまでもない。

 たとえば,構造主義言語学の講義であれば,フリーズの名がでてき,彼の代

表的著書であるThe Structure of Englishの名が出てくれば講義の内容を推

察することができるし,変形生成文法理論では,チョムスキーはもちろんのこ

と,deep structureある匁・はsurface structure, obligatory等の専門用語が出

てくれば,不思議と講義の内容がわかるのである。否,わかるような気がする

と言った方が正確かも知れない_。

 日常会話については,基本的な英語の力があれば,英語の環境に入った時に

加速度的に増していく。三年半のアメリカ滞在を省りみて,専門科目の英語よ

りも街で話されている英語の方がはるかにむずかしいと認識したのは,奇妙で

あり,且っ貴重な体験であった。

 よく,あの人は,語学力があるとか,ないとか言われるが,これほど実体の

伴わない言い方はないだろう。語学力というのは,専門的知識と遊離して存在

するのではない。豊富な専門的知識,あるいは原体験の上に語学力が形成され

る。

 その点・日本では,余りにも安易に,「英語教育=speaking, hearing, read-

ing, writingの力をっける」ということが言われている。話すべき内容がなけ

れば, 「話す力」はつかないだろうし,聞くことのできる知的蓄積なしに「聞

くカ」をつけることは不可能であろう。母国語による生物学の基本的知識のな

い者が,外国語による生物学の講義内容を理解する訳にはいかないだろう。

 最後にもう一つ,伝統文法の利点をあげるならば,これを徹底的にマスター

することによって,母国語を基礎に英語の内容を把握できることだろう。構造

主義的文法も変形生成文法も,この点では,何んら用をなさない。

.特に,変形生成文法は,前述したように,母国語話者を対象にしているた

iP, ,未知の文章の解読には,ほとんど役に立たないのである。伝統文法と英語

教育露の関係を長々と書いたのは,我国ではあまりにも伝統的英語教育が批判

               ・-84_

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の対象になり,その結果,何かよい方法なはいかということで,アメリカ構造

主義言語学にとびついたり,変形生成文法理論にとびついたりしている傾向が

少なからずあるからである。

 次に,アメリカ構造主義言語学と英語教育とのかかわりあいについて,少し

語ってみたい。

 戦後の日本の英語教育界に,最も影響を及ぼした人と言えば,誰しも,プリ

ーズの名を挙げることに躊躇しないだろう。しかしながら,戦後,日本の英語

学,あるいは言語学界に最も強力な影響を及ぼした人と言えば,聞違いなくチ

ョムスキーということになるだろう。1960年代の初期から今日に至るまで,チ

ョムスキーが,アメリカの言語学界のみならず全世界の言語学界,哲学界,心

理学界等の諸隣接科学界にまで,如何に多大な影響を及ぼしてきたか,今更,

その詳細について話す必要はあるまい。

 ただ,構造主義言語学と変形生成文法理論を比較した場合,大変興味深く思

われるのは,言語理論として,変形生成文法理論は圧倒的な影響力を持ってき

たにもかかわらず,語学教育への応用という点では,構造主義言語学と比較に

ならぬほど,少ないということである。このことが,両言語理論の相違を最も

雄弁に物語っている。即ち,アメリカ構造主義言語学が,我国に入り込んでき

た時には,教授法としてのはっきりとした具体案一たとえば,教材の選択,配

列等一を持っていたのに対し,変形生成文法理論は,抽象的で,教室で用いら

れるべざはっきりとした具体案を何一つ持っていなかったということである。

 たとえば,フリーズが,American Linguistics and the Teaching of Eng-

lishの中で,熱狂的に述べていることばを今なお,忘れることができない。

前述したように,チョムスキーは,変形生成文法理論の英語教育への応用につ

いては,かなり懐疑的であったのに対し,フリーズは,構造主義言語学の応用

を全面的に肯定した。

 This approach to language teachingゴε”o’just a new set of class-

room procedures or divices for teaching-it is notprimar吻a〃ew method

              _85一

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as such. It is not confined to mechanical matters and limited to nar-

row utilitarian purposes. The fundamental feature of the‘‘new ap-

proach”to language teaching is〃o’agreater allotment of time, is

not smaller classes, is not even a greater emphasis on oral practice.

The fundamental feature of this new approach to Ianguage teaching is

                          (18)anew basis upon which to build the teaching materials.

 フリーズの教授法の中で,日本の英語教育にいちばん役に立ったものと言え

ば,発音指導の際の英語と日本語の音声の秀析比較とパタン・プラクティスで

はないだろうか。           ’

 前述した如く,パタン・プラクティスについては,複雑な言語行動のメカニ

ズムをただ単に,習慣的な行為と同一視しているということで,チョムスキー

をはじめ,合理主義者(rationalist)からの,かなり厳しい批判がある。言語

の習得過程が,科学的に何んら証明されていない今日,決定論的なことは,何

一つ9えないが,言語習得の原理を生得観念におく合理主義者の仮説はかなり

                (19)強力で説得力があるように思われる。

 しかしながら,パタン・プラクティスを特に外国語習得のための基本的段階

の最底条件と規定するならば,理論はいざ知らず,実感としそ誰もがその必要

性を認めるであろう。

 ただ,パタン・プラクティスなるものが,余りにも普及してしまい, 「言語

の習得=パタン・プラクティス」というような単純な図式ができてしまい,皆

が,それを信じてしまっているような傾向は否定できない。チョムスキーを筆

頭とする合理主義的立場に立つ言語学者も,外国語習得の全くの初歩的,ある

いは基本的段階に於ける最底条件としてのパタン・プラクティスの必要性,価

値を認めつつも,「言語の習得=パタン・プラクティス」というような極めて

単純な言語観を批判しているのではあるまいか。

 パタン・プラクティスについては, 「_新言語学者(構造言語学者)のもた

らせたパタン・プラクティスは,その実践の仕方は別として,外国語習得の方

               _86一

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                        (20)法としては,これ以外の学習法はないとさえ極言したい」という決定論的な大

塚高信氏のことばは注目に値する。

 アメリカ構造主義言語学の中でも,フリーズの英語教授法が,如何に大きな

影響を戦後の日本の英語教育界に与えたか,福原麟太郎氏のややcynicalなこ

とばを紹介させていただきたい。

 日本人の悲しさで,何か新しい方法が輸入されると,それが一番よいもの

になり,それを唱道していれば,進歩的教育家として納まっておられるとい

う習俗がある。しかしフリーズ式教授が必ずしも万能薬ではないことは想像

しうる。語学に王道なしというのが古来の格言だ。それは一つの方法にすぎ

ない。それをいかに巧みに我々の経験の中に編み込むかというところが大切

なのだが,なにしろ明治以来,外来の新説ウノミということで進歩してきた

国だから,旧来の習慣がいまに抜けない。猫も杓子もフリーズ式ということ      (21)になりそうだ。

 伝統文法 (学校文法),アメリカ構造主義言語学と英語教育とのかかわりあ

いを概観してきた時,変形生成文法理論の外国語としての英語教育に対する役

割が明らかになってくる。

 その役割とは何か。それは,伝統文法,構造主義的言語学をして説明できな

いものということになり,当然のことながら,表層構造(surface st「uctu「e)

と深層構造(deep structure)の問題,変形規則(transformational rule)の適

用,変形生成文法理論特有の言語観ということになる。

 くり返し述べるように,変形生成文法理論は極めて抽象的であり・しかも記

述対象が母国語話者の言語能力であり,最終的には普遍文法の構築を目標にし

ていることから,外国語としての英語教育には,簡単に応用しがたいところが

                                .あるけれども,深層構造ど変形規則については,それをかなり限定して用いれ

ば,何んらかの形で,外国語としての英語教育との接点になり得るのではない

か。

_87一

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 特に,深層構造を,具体例を用いて説明することによって,言語に対する考

え方を変えたり,新たな好奇心を呼びおこすことができるのではないだろう

か。

 たとえば,次の例文を見ていただきたい。

(1) Thank you。

(2)  Come here.

(3) Close the door.

 (1)と(2)と(3)の文の表層構造に,主語が明宗されていないにもかかわらず,(1)

の主語は1であり,(2)と(3)の主語はyouであることを誰もが知っている。こ

のようなことは,従来の説明では,主語が「暗黙のうちに了解されている」と

か「命令文には主語が不必要」ということであった。だが,変形生成文法の立

場からすれば,「深層構造において主語が消去されて派生した」という言い方

をする。一見して単純な例ではあるが,深層構造の文法的関係は常に厳密であ

り,このことが,入間の認知作用,言語能力と関連していること,また,意味

を規定しているのは深層構造であることを説明することによって,言葉に対す

る認識を深めることができると思うのである。

 この小論の前半で,表層構造と深層構造の典型的な差異を述べるために,チ

ョムスキーの例文(∫ohn is easy to please. John is eager to please.)を引

用したが,もう一度チョムスキーの例文を引用したい。

                     (22)(1) Ipersuaded the doctor to examine John。

                    (23)(2) Iexpected the doctor to examine John.

 上記の二文の表層構造は,非常によく似ているが,

ると,文法的関係の違いがはっきりする。

これを受動態に変化させ

_88一

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(3) Ipersuaded John to be examined by the doctor.

(4) Iexpected John to be examined by the doctor.

 即ち,②と(4)の場合には,話し手の「私」は, 「医者がジョンを診察するで

あろう」こと,あるいは「ジョンが医者に診察されるであろう」ことを期待し

ていることになる。

 ところが,(1)の場合,能動態のとき,話し手の「私」は医者を説得している

が,それが受動態になるとジョンを説得していることになる。これもまた,非

常に典型的な例ではあるが,表層構造だけ観察していたのでは,言語②内部構

造がつかめないことをよく物語っている。

 もう一つ例文をあげたい。

 (1) Tom built the kennel in the garden.

 この文の意味は,表層構造だけから判断すると「トムが庭にある犬小屋をっ

くった」とも解釈できるし,「トムが庭で犬小屋をつくった」とも解釈できる。

つまり,in the gardenが, the kenne1にかかるのか,それともbuiltにかか

るのか不明である。

樹形図を使っそ,deep structureを書いてみると次のようになる。

          、

NP/s

     Aux

Tom

tence

past built the kenne1

  place

in the garden

一89一

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/sP

N-N

Ati/VP

、。1、e ∴/.△

、V

\  MV

NP

Tom past built the kennel  the kennel is in the garderi

 このような文の意味は,実際には,contextあるいは,直感によって判断さ

れるであろうが,ただ言語には,表層構造と深層構造があり,表層構造の文法

的関係は,あいまいな場合があり,より正確な意味を伝えるのは,深層構造で

あることを言いたかったのである。表面にあらわれない言語の内部構造を示

し,複雑な言語のメカニズムをより掘り下げて把握させるために,深層構造を

教室で適宜紹介するのは,英語教育に有意義なのではあるまいか。

 特に,知的関心度の高まっている学生に対して,教育的配慮を加えながら,

簡単な例文を用いて言語の深層構造を説明することは,外国語としての英語教

育の見地からしても決して無駄ではあるまい。

 次に,変形規則(transformational rule)にっいて少々書きたい。チョムス

キーの言語理論が,最も革命的である理由の一つに「変形」という概念の導入

にあったことは,令更繰返して言う必要もないことであろう。

 伝統文法,構造主義的文法によって,バラバラに説明されていた言語の構造

や関係を「変形」という概念を用いることによって,有機的に,言語は生き物

として,人間の精神作用と関連させながら教えることができないだろうか。

 たとえば,次のような例文がある。

一90

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(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

Tom didn’t buy a car.

Did Tom buy a car ?

Acar was bought by Tom.

Who bought a car?

What did Tom buy?

 変形生成文法流に言えば,上記のすべての文は,Tom bought a carに,そ

れぞれ,否定,疑問,受動,WH変形が加えられ派生されてきたとみる。も

ちろん,伝統文法,構造主義文法にもそれぞれ,否定文の作り方,疑問文の作

り方,能動態から受動態への直し方があり,現象的には,伝統文法も構造主義

文法も変形生成文法も同じことをやっているように見受けられる。

 だが,問題は, 「変形」という概念が大事なのである。従来ともすれば,個

別的に,切り離して取扱われてきた言語事実を「変形」の考え方を導入するこ

とにより,規則に支配された創造性という観点から説明できるのではないだろ

うか。複雑な言語現象の背後にある秩序と規則性に学習者の関心を向けさせる

ことができないだろうか。

 「応用」という言葉を広義に解釈するならば,変形生成文法が,外国語とし

ての英語教育に最も貢献でき得る部分というのは,やはり変形生成文法理論特

有の言語観であろう。言語観をそのまま人間観とおきかえてもよい。

 前述したように,チョムスキーは,言語の創造的側面を強調する。人が,以

前全く聞いたこともないような新しい文を次から次と作り出し,且つ,それを

理解し,また,子供が全く習ったこともない言い方を突然するのを耳にする

時,我々は言語の創造性を疑うわけにはいかない。

 そして,この様な事実は,言語は習慣的産物であるという立場からのみでは

説明することができないものである。言語を習得するということは,それほど

表面的な単純な行為ではない。

 構造主義的言語学の立場にたった教授法の欠点は,パタン・プラクティスを

強調しすぎてしまったために,言語の習得は,すべてパタン・プラクティスに

               一91一

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よるという印象を与えてしまったことであった。

 再び繰返して言うならば,パタン・プラクティスは外国語習得の基本的な段

階として大変重要であるが,言語を習得するという行為がそれだけで割り切れ

るものではない。言語を習得するということは,そこには常に習う者の主体性

がなければならない。きまりきった文型をただ繰返すだけでなくcreateする

行動がなければならない。言語の習得を「技術」の習得と同レペルで考えるわ

けにはいかないのである。

 チョムスキーは,時には感情的と思えるほど強い口調で構造主義的言語学者

の言語観を批判したのは,構造主義的言語学者は言語の習得を「習慣」,「くり

返し」,「連合」という余りにも表面的な現象に単純化して考えてしまったから

であろう。

 言語を習得するということは,常に与えられるという「受身」の姿勢ではな

く人間本来の創造性が常に伴わなくてはならない。言語行動をそのまま思想性

の発露と言っても差仕えないだろう。

 チョムスキーの変形生成文法理論を直接的に具体的な学習プログラムの中に

おり込むことができなくても,変形生成文法理論特有の言語観を説明すること

によって,言語を習う者が, 「言語の習得=暗記」というような狭い観念から

脱却でき得るならば,チョムスキーの言語理論が,英語教育に貢献し得ると言

ってもよいのではないか。

 その結果が,具体的な成果としてすぐに表われなくても,学習者が言語とい

うものの創造性に注目し,今までより広い角度から言語というものを観察する

態度を身につけるようになれば,チョムスキーの言語理論が,外国語としての

英語教育とは,決して無縁ではないと思うのである。

 性急に結果だけを焦って求めるのではなく,言葉を習うということを通し

て,より主体的な人間性が形成されるならば,チョムスキーの言語理論が外国

語としての英語教育に有効なのではないだろうか。

 今回はすべて概論的なことのみしか触れることができなかったが,後日,言

語の創造的特性という観点から,チョムスキーの言語理論と外国語としての英

               一92一

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語教育との関連性をより掘り下げて考えてゆきたい。

〈1)

))20」

(〈

(4)

(5)

(6)

(7)

(8)

(9)

(10)

(11)

〈12)

〈13)

(14)

〈15)

(16)

(17)

〈18)

(19)

(20)

              注

渡部昇一氏と平泉渉氏は,「諸君』(昭和50年4月号~IO月号)にて,現代日本

の英語教育の是非をめぐって,激しい論争を行なった。

『諸君』(昭和50年7月号)P.218.

C・C・Fries, Teaching and Learning English as a Foreign Language,(Ann

Arbor:The University of Michign Press,1945), pp.8-9.

Leonard Bloomfield, Outline Guide for the Practice Study of Foreign Lan’

guages,(Baltimore:Linguistic Society of America,1942), p.12.

N.Chomsky, Aspectsげ伽Theoryげのπ嬬,(Cambridge, Mass.:MIT

Press,1965), p.59.

N.Chomsky, Current Issues in Linguistic Theory,(The Hague:Mouton

& Co.,1970}p.34.

Ibid,, P.34.

N.Chomsky, Cartesian Linguistics,(New York:Harper&Row,1966〕,

pp.38-39.

C・ランスロー,A・アルノー,『ポール・ロワイル文法』,南舘英孝訳,大修館

書店,p.33.

N.Chomsky,‘‘ Linguistic Theory,’, in Northeast Conference on the Teach-

ing(ゾForeign Languages(1966), Reprinted in M Lester〔ed)Readings

in Applied Transformational Grammar,(New York:Holt, Rinehart alld

Winston, Inc,,1970), p.52.

Ibid., P.59.

lbid,, P.55.

Owen Thomas, Transformational Grammar and the Teacher of English,

(New York:Holt. Rinehart and Winston, Inc.,1965), pp.97-98.

『諸君』(昭和50年9月号),PP.120-121.

渡部昇一rことばの発見』,中央公論社,昭和50年,P.116.

『英語教育』(大修館書店,1970年,3月号)p.7.

宮沢俊義「語学の効用」(語学教育研究所編「日本人と外国語』,開拓社,昭和

41年),p.11.

C.C. Fries, American Linguistics and the TeachingげEnglish,(Tokyo:

Taishukan,1957}, p.70.

cf.『法政大学教養部紀要」第18号に詳論。

大塚高信「新言語学とその教授法への応用」(r新言語学の解説』,研究社,現

代英語教育講座3,昭和48年),P・165・

             -93一

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(21)

(22)

(23)

福原麟太郎,「日本の英語』(研究社,昭和38年),p.ユ57.

N.Chomsky,‘‘The Formal Nature of Language,”in Biological Founda・

tions of Language(1967). Reprinted in H. Hungerford, J. Robinson, J.

Sledd(eds.), English Linguistics,(lllinois :Scott, Foresman and Company,

1970), p。142.

Ibid., p.142.

一94一