『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度...

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平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』 主催:一般財団法人貿易研修センター(IIST) 後援:日本商工会議所 「IIST・中央ユーラシア調査会」は、中央ユーラシア地域の専門家が定例的に一堂に会し、中央アジ ア・コーカサス事情を中心に報告・研究を続けている研究会で、今年度は非公開で全 8 回開催。 中央アジアに関して、ロシアは、旧ソ連諸国とのEU型の経済同盟を目標とする、「ユーラシア経済同盟 構想」を推進しているが、中国も新シルクロード構想(一帯)を発表し、海のシルクロードと合わせて「一帯 一路」という壮大な構想を提示している。中露による二つの構想において、中核となることが期待されてい る中央アジア諸国は、両大国の一方に偏らないバランスに配慮した外交戦略をとる必要があり、両国の影 響力の拡大により、難しいかじ取りが求められている。本シンポジウムは、『ユーラシアにおける中露の角 逐(かくちく)と中央アジア』をメインテーマに、この地域での中国とロシアの主導権争いの動向を把握する とともに、10 月下旬に安倍総理が中央アジア 5 カ国を歴訪されたことを踏まえて、今後の関係強化が期待 される我が国の対応について考察することを目的に開催した。 プログラム 日時:平成28年1月22日(金)13時30分~16時30分 於:東海大学校友会館 「望星の間」 開 会 13:30~13:35 開会挨拶:西郷 尚史 一般財団法人貿易研修センター 専務理事 座長挨拶 13:35~13:40 袴田 茂樹 氏 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長 報告 13:40~15:10 モデレーター兼コメンテーター: 田中 哲二 氏 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事 イントロダクション「ユーラシアにおける中露の角逐と狭間の中央アジア」 報告者 小松 久男 氏 東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授 「近現代中央アジアにおけるイスラームの展開」 宇山 智彦 氏 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授 「新しい『帝国』時代の中央アジア国際関係」 袴田 茂樹 氏 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長 「プーチン露大統領の中央アジア戦略」 清水 学 氏 ㈲ユーラシア・コンサルタント 代表取締役 「中国・習近平主席の中央アジア戦略(「一帯一路」の具体化と関連して)」 <休憩 10分> 討議・質疑応答 15:20~16:25 閉会 16:30

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平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム

『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

主催:一般財団法人貿易研修センター(IIST)

後援:日本商工会議所

「IIST・中央ユーラシア調査会」は、中央ユーラシア地域の専門家が定例的に一堂に会し、中央アジ

ア・コーカサス事情を中心に報告・研究を続けている研究会で、今年度は非公開で全 8回開催。

中央アジアに関して、ロシアは、旧ソ連諸国とのEU型の経済同盟を目標とする、「ユーラシア経済同盟

構想」を推進しているが、中国も新シルクロード構想(一帯)を発表し、海のシルクロードと合わせて「一帯

一路」という壮大な構想を提示している。中露による二つの構想において、中核となることが期待されてい

る中央アジア諸国は、両大国の一方に偏らないバランスに配慮した外交戦略をとる必要があり、両国の影

響力の拡大により、難しいかじ取りが求められている。本シンポジウムは、『ユーラシアにおける中露の角

逐(かくちく)と中央アジア』をメインテーマに、この地域での中国とロシアの主導権争いの動向を把握する

とともに、10月下旬に安倍総理が中央アジア5カ国を歴訪されたことを踏まえて、今後の関係強化が期待

される我が国の対応について考察することを目的に開催した。

プログラム

日時:平成28年1月22日(金)13時30分~16時30分

於:東海大学校友会館 「望星の間」

開 会 13:30~13:35 開会挨拶:西郷 尚史 一般財団法人貿易研修センター 専務理事

座長挨拶 13:35~13:40 袴田 茂樹 氏 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長

報告 13:40~15:10

モデレーター兼コメンテーター:

田中 哲二 氏 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事

イントロダクション「ユーラシアにおける中露の角逐と狭間の中央アジア」

報告者

小松 久男 氏 東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授

「近現代中央アジアにおけるイスラームの展開」

宇山 智彦 氏 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授

「新しい『帝国』時代の中央アジア国際関係」

袴田 茂樹 氏 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長

「プーチン露大統領の中央アジア戦略」

清水 学 氏 ㈲ユーラシア・コンサルタント 代表取締役

「中国・習近平主席の中央アジア戦略(「一帯一路」の具体化と関連して)」 <休憩 10分>

討議・質疑応答 15:20~16:25

閉会 16:30

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平成 27 年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 2016年 1月 22日

「ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア」

モデレーター兼コメンテーター

イントロダクション/「ユーラシアにおける中露の角逐と狭間の中央アジア」

田中 哲二/たなか てつじ

中央アジア・コーカサス研究所 所長

IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事

中央アジアでの国際会議では、多くの中央アジア研究者と交流があるが、本日登壇して頂いた報告者と

しては、中央ユーラシアの研究にあたっては、おそらく、世界的に見ても、最高レベルの人たちが集まっ

てくれたと言っていいと思う。外務省の関係団体で、国問研(国際問題研究所)というのがあるが、そこで、

昨年秋、安倍首相の中央アジア歴訪を控えて、ある程度まとまった分析をしておこうと言うことで、国問研

の月報(12月号)に中央アジア特集を出すことになった。国問研の指名でここに並んでいる 5人に執筆依

頼がきた。考えてみたら、もともとこの 5 人はすべて、我々中央ユーラシア調査会のメンバーである。そこ

でせっかくであるので、特集号で展開した論旨のエッセンスと、安倍首相が訪問してからの変化を織り込

んで、皆さんにご報告するのが良いのではないかというのが本シンポジウムの主旨である。

まず、イントロとしての私の役割だが、シンポジウムのメインテーマになっている、「ユーラシアにおける中

露の角逐と中央アジア」の間に、私は敢えて、“狭間の”という言葉を入れてみた。どういうことかというと、

後で、他の先生方からご報告があると思うが、中央アジアの国々は、資源のある国、ない国がはっきりして

いるが、それぞれが様々な工夫をして、政治・経済的にユーラシアの中で何とか生き残っていこうという努

力をして、ある程度の効果を生んできている。しかし、それを上回る大きな枠組みで、北にあるロシアと、

南に展開している中国の大きな力の、影響を受けざるを得ない。非常にデリケートな立場にあるということ

を申し上げようと思い、敢えて、「狭間」と使った。もちろん、現地の政府や、国民は、国づくりのため、非常

に頑張っていることは認めるが、やはりどうしても周囲の大国の影響は受けざるを得ない位置にあるという

のが現状だと思う。

わかりやすく言うと、今、ロシアのプーチン大統領は、自国の極東・シベリア開発ということを第 1 に置い

ているので、モスクワから見て色々な資源や人材の移動ベクトルが東に向かっている。それに対して、「一

帯一路」運動を掲げる中国は、経済開発のベクトルが西に向かっている。大雑把に図を描いてもらうとわ

かるが、中・露の緩衝地帯 10 ゕ国(モンゴル、中央アジア、南コーカサス 3 国、トルコ)北側の方のベクト

ルというのは、東へ強く流れている。反対に、南の方のベクトルというのは、西方へ強く引っ張られている。

緩衝地帯の国々は両方のベクトルに参加を要求されるわけで、2 つの大きなベクトルの間に挟まって少し

軋んでいる。引き裂かれるまでは行かなくても、どうしても軋みの状態の中で外交的に難しい立場におか

れている中心が中央アジアだと理解すると良いかと思う。

中露の角逐という意味では、地政学的、歴史的に見ても、根本的に抜き難い対抗関係がある。にもかか

わらず、そういった根本的な敵対関係の中にも、あるテーマによっては一種の、蜜月状態が発生すること

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もある。それは例えば、両国がイデオロギーとして社会主義で統一された時、東西冷戦の時代、対東側に

対しては、足並みを揃えるという必要性はあった訳だ。それから、ソ連邦が崩壊したときに、アメリカの一極

主義が非常に強くなり、これに対しては、中露は結束していかなければいけないということで、「上海協力

機構(SCO)」が形成された。

ごく最近では、クリミアの併合に対して欧米が、ロシアに対して「経済制裁」を実行した。それに対して、

取り敢えずロシアのサンクションの影響を和らげようということで、中国は欧米に抗してこれに手を差し伸

べている。そして今、蜜月関係にあるからと言って、それが今後、ずっと続くと考えてもいけない。基底に

は常に、中露というのは根本的に対立構造を持っているのだということを、日本はよく見ていかなければな

らないと思う。

中露の対立の局面をいつから見たら良いかというのは難しいのだが、最近では、現在の中露関係を見

るときに、SCO の中における中露の角逐からスタートしてみると分り易い。元々は、SCO とは、要するに、

国境画定のための組織だったのだが、後半は次第にそれが、経済を巡る中露の競争に変わっていった。

経済的な角逐においては、SCO の中で結局、中国がロシアを凌駕して、一人勝ちしてしまったという状況

が起きている。一人勝ちの内容としては、エネルギー資源の確保だとか、中国の軽工業品輸出の問題だ

とか、中国農民の出稼ぎとか色々ある。プーチン大統領は SCO内の経済活動においては、中国にしてや

られてしまったという大変な反省がある。対抗策としてロシアを中心とした、「ユーラシア経済連盟」構想と

いうのを打ち出して、やっていこうということを、彼が再度、大統領に復帰する直前、2011年 10月、首相の

ときに発表している「ユーラシア経済連盟構想」がこれである。最初はロシアの提案する経済ベルト構想と

いうのは、ウラジオストクからリスボンまでと大きな構図を描いていたのだが、最近は次第に小さくなってき

た。今のレベルで言うと、大体「独立国家共同体(CIS)」の範囲内の再統合を考えている。昨年、モスクワ

で私は、この構想のデザインを描いている経済委員会の委員長などと会うチャンスがあったのだが、構想

はずい分小ぢんまりとしたものになってきているという印象を受けた。

これに対して中国の習近平主席は、2013 年の半ばに「一帯一路」運動というのを打ち出す。この「一帯

一路」運動の中の、「一帯」、つまり陸の「シルクロード経済ベルト構想」というのが、このロシアの「ユーラシ

ア経済連盟」に対する対抗策なのである。実はそのときには既に、南の方で、後に「21 世紀海のシルクロ

ード」と呼ばれるのだが、実際に、資源確保と食糧確保を狙った海のシルクロード構想は動き始めていた。

それと、実際にこういうベルト経済構想を進めるのに、これを支援する金融システムは不可欠であるという

ことで「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」を加えてセットにして、「一帯一路」運動として提起した。ロシアの

「ユーラシア経済連盟」は金融機能が弱い。現時点で、「AIIB」構想は急速に立ち上っており、最初は 20

数ヵ国で動き出したのだが、途中から、実利主義のイギリスがブレトンウッズ体制の有力な一員としては、

予想外に、中国のAIIB構想に賛意を呈した。それを見て、フランスもイタリアも加入した。現在、AIIB構想

には、G7のうちの、日米カナダを除くところは全部入ってしまった。創設メンバーとしては 57ヵ国で、12月

25 日に正式にスタートした。年が改まって、数日前、北京では AIIB の開業式典が行われた。ブレトンウッ

ズ体制の中でアジアのインフラ開発投資を担当している「アジア開発銀行(ADB)」は、加盟国は全体で

67 ヵ国だが、AIIB は、移行表明をしている国を含めると、この AIIB には 70 ヵ国以上の国が参加すること

になるということだ。つまり、SCO の枠組みを超えたベルト経済共同体構想の角逐の面でも今、中国がロ

シアの動きをかなり凌駕してしまっているというのが現状である。

冒頭に申し上げたように、今、中央アジアは、二大ベルト経済圏構想の東進ベクトルと西進ベクトルの間

に挟まって、どちらにどういう格好で参加していこうかという選択で非常に難しい立場に立たされている。と

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くにキルギスとアルメニアは、2015 年にようやく、ロシア主導のユーラシア経済連盟に正式に入った。その

ときに、「一帯一路」運動と AIIB に入らないかという誘いがあったのだが、ロシアがどう動くかということを、

最後のぎりぎりまで見ていた。そして、ロシアが加入するのを見て、恐る恐る及び腰ながら AIIB に入った。

そのように、中露の両者の動きを中央アジア諸国は非常に慎重に判断して動いているというのが、現実で

ある。

エネルギーに関する中央アジアの現状をより具体的な点でみると、世界的にエネルギー資源価格が大

幅に下落の直接的な影響を受けているのはカザフスタンとアゼルバイジャンである。勿論、エネルギー資

源価格の下落というのは、ある時期に、世界第 1 位の産油国だったロシアに大きな影響を与えている。そ

して、ロシアとカザフスタンに出稼ぎに来ているキルギスやタジキスタン、ウズベキスタンの労働者の出稼

ぎ送金が今、中央アジアで非常に減ってしまっているということが予想外に大きな問題となっている。

以上、モデレーターのイントロダクション

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平成 27 年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 2016年 1月 22日

「ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア」

報告 1/ 「近現代中央アジアにおけるイスラームの展開」

小松 久男/こまつ ひさお

東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授

1.帝政ロシアによる征服と統治:異教徒の帝国に生きるイスラーム

近現代ということで、3つの時代に区分してお話ししたい。最初に、帝政ロシアが統治していた 19世紀

後半から 20世紀初頭だが、これを特徴づければ、「異教徒の帝国に生きるイスラーム」ということになる。

ロシアに征服、統合されたとき、中央アジア側には「たとえ異教徒であっても、公正な支配者はムスリムの

暴君に勝る」という興味深い表現がある。これは、この時代における中央アジア人の考え方を象徴してい

るように思われる。ロシアは当時、中央アジアのイスラームに対しては放置政策をとり、干渉は避けていた。

これは、イスラームはいずれ弱体化するであろうということと、干渉すれば、かえって反発を招くだろうという

ことからであった。両者の考え方は、いわば相互補完的であった。

その一方で、ロシアも帝国であることから、様々な機会に辺境の中央アジアも帝国に統合しようとした。

例えば、ツァーリと帝室の健勝を祈る祝祭日などを制定し、その日はムスリムも祈るように指示を出した。し

かし、現地の人々は沈黙の拒否でもって応えるという自律性を示していた。ロシア統治の下では、ジハー

ドを唱えるような蜂起もあったが、同時代のムスリム知識人の多くはこれに批判的だった。そして、もう 1つ

興味深いこととして、当時はまだオスマン帝国が健在であり、カリフをいただくオスマン帝国に対する中央

アジアのムスリムの敬慕もあった。

この時代には、ムスリムの間からもイスラームを含めた改革運動が起こり、近代に適応し、自治の構想を

打ち出すという動きがあったが、ロシア革命によって中断されてしまう。彼らが目指した教育改革の目標は

事実上、後のソヴィエト政権によって実現されることになるが、その際の大きな違いは、ソヴィエト政権下に

おける大変革がイスラーム抜きであったということだ。

2.ソ連時代のイスラーム(1917年のロシア革命から 1991年のソ連解体まで)

ロシア革命から 1991年のソ連解体までの時期には、イスラームに対する抑圧が強化され、代わって無

神論というイデオロギーが広められた。しかし、ソ連時代には紆余曲折もあった。例えば、第二次世界大

戦中スターリンは全国民を動員し、中央アジアからも多くのムスリムを動員する必要があった。また連合国

との関係で、宗教に対する寛容な姿勢を示す必要もあり、戦争中には中央アジア・カザフスタン・ムスリム

宗務局という、中央アジア地域のムスリムを管理する組織が作られた。しかし、戦後は再び抑圧が強化さ

れ、宗務局の活動もかなり制限された。一方、ソヴィエト政府は戦後の冷戦期にアジア・アフリカのイスラ

ーム諸国との連携を図る上で、決してイスラームを否定したり、抑圧していないと宣伝するため、ムスリム宗

務局を巧みに用いた。抑圧があったにもかかわらず、中央アジアのイスラームは 1000年以上の歴史を持

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ち、イスラーム的な慣行は地下水脈として保持された。ソヴィエト当局は、このイスラームの遺制をどうすれ

ばなくすことができるかということを、絶えず議論していた。

1970年代後半になると、フェルガナ地方でイスラーム覚醒の潮流が起きた。自分たちが送っている生

活は決してイスラーム的ではないということに目覚めた人々が、革新派と称するグループを結成した。そし

て、1979年には隣接するイランでイスラーム革命が起こり、ソ連軍が社会主義政権の防衛という名目でア

フガニスタンに侵攻し、ムジャーヒディーンの強い抵抗を受けることになった。こうした事態は、中央アジア

にも大きなインパクトを与えた。

こうした中で中央アジアのイスラームには大きな分裂が起きた。伝統的な指導者たちは、「ソヴィエト政

権の抑圧も神が下した試練であり、我々は耐えるべきだ」という考え方であったが、革新派はジハードや

抵抗運動に共感し、イスラームの浄化と復興を目標に戦うようになった。「ソヴィエト政権下で痛めつけら

れたイスラームを復興させる」という主張が出てきたのである。これは、「耐え忍ぶイスラーム」に対し、「主

張するイスラーム」が登場したと言ってよいかもしれない。なお、ソ連末期に欧米では、イスラームがソ連を

潰すといった言説も流れたが、そこまでイスラームが強かったというわけではない。

3.イスラーム復興のなかで:ペレストロイカ期以降の展開

こうしたソ連時代のイスラームの展開の上に、1991年のソ連解体という大事件が起きる。それ以降は、

広い意味でのイスラーム復興の時代と言えると思う。ペレストロイカ末期には、ソヴィエト政権がこれまでの

イスラームに対する抑圧をすべてやめると表明し、イスラームの再生が始まった。各地で信徒たちによる

自発的な寄付や労力奉仕という形で立派なモスクが次々と誕生した。ソ連時代には閉鎖されていた聖者

廟も再開され、人々が参詣に訪れ、イスラームが日常生活に戻ってくる動きが顕著になった。一方、宗務

局はソ連解体後、それぞれの共和国別の組織に再編されたが、革新派は行動をさらにエスカレートさせ

た。

中でも有名な存在は、ウズベキスタン・イスラーム運動(IMU)であった。彼らは、元はフェルガナ盆地の

ナマンガン辺りが本拠地で、ウズベキスタンのカリモフ政権に反抗して抑圧を受け、多くが逮捕された。そ

の一部は、当時内戦状態にあったタジキスタンに逃れて武装化し、さらにアフガニスタンに入ってアルカ

ーイダなどと手を結び、過激度を増していった。この IMUは、1999年に首都タシュケントで爆弾テロ事件

を起こしたり、キルギス南部で日本人技師らの拉致事件を起こしたりしたことでも知られる。他方で、タジキ

スタンではソ連解体後、国内の地方閥間で抗争が起こり、タジキスタン・イスラーム復興党という、中央ア

ジアでは珍しい、公認されたイスラーム政党が頭角を現した。20世紀最後の 10年間に、中央アジアでは

このようなイスラーム運動が急速に高まっていった。

これらの動きの背景には、ソ連解体後、中央アジアがいわばグローバル化した世界に突入していったこ

とがある。同時に、世界の様々なイスラーム復興組織が中央アジアに注目し、入ってきた。国境を超えた

イスラーム解放党といった組織も入り、かつてない様々なイスラームの解釈が、この地域に流れ込んでい

った。以来、中央アジアでは、「真のイスラーム」とは何かという問題をめぐって実に多様な解釈が生まれ

ている。そして、中央アジアの内と外から生まれた様々な潮流が交錯する状況が起きている。中には、過

激で不寛容な教説を説くグループもあるが、大勢はローカルで伝統的なイスラーム、いわば穏健なイスラ

ームを主張する人々だ。そして両者の間には対抗関係が起きている。

2001 年は 1 つの大きなエポックであったと思う。上海協力機構(SCO)が創設されたほか、米同時多発

テロ事件(9.11)以後の対テロ戦争が開始され、これが中央アジアのイスラームに対しても大きな影響を与

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えることになる。対テロ戦争によってターリバーン政権が崩壊し、その下にあったウズベキスタン・イスラー

ム運動も弱体化した。しかし、それで終わったということではない。現在に目を向けると、イスラームに関連

して注目すべきことがある。

1 つは、中央アジア諸国では権威主義的な政治体制が持続しており、その正当性が時に疑問視される

ことだ。こうした問題は、公正を重んじるイスラームの立場からすると、批判の対象になりやすい。一方、政

権の方は、イスラームに対する統制を強化している。とくに、タジキスタンではイスラーム復興党が活動で

きない状況になっている。他方で、いずれの政権もローカルで伝統的なイスラームを保護するという点で

は共通しているように思われる。

いま中央アジア諸国間には大きな格差があり、経済的に恵まれない国では多くの人々が、ロシア方面

へ出稼ぎに行っている。就職に恵まれない若者たちの間には、一種の閉塞感が漂っている。こうした問題

が今後どうなるかが注目されるところだろう。イスラームについて見ていくと、現在、中央アジアには有力な

イスラーム指導者は見当たらない。タジキスタンで長らくイスラーム復興党を主導してきたアブドゥッラ・ヌ

ーリーや、ウズベキスタン出身でかつて宗務局長を務めたムハンマド・サーディク・ムハンマド・ユースフは、

カリスマ的な権威を持っていたが、今やそうした人々はいない。また、隣接するアフガニスタンの情勢が混

迷を深めて、イスラム国(IS)やターリバーンの勢力が国境に迫っており、これが中央アジアに大きな脅威

を与えている。今後注目されるのはこの動きである。

昨年 11月にウズベキスタンへ行ったとき、『イスラム国の扇動(フィトナ)』というタイトルの冊子を見た。ウ

ズベク語で3万部出版されている。それはイスラム国の悪逆非道を糾弾すると同時に、間違ってもそうした

組織にリクルートされてはならないということを説いており、ウズベキスタン国内のモスクでも配られているよ

うだ。特に、若者に対するイスラム国のリクルートが懸念されている。ある女子学生はヨーロッパへの留学

中に心のすきを突かれ、リクルートされてしまったという体験談を語っている。また、出稼ぎでロシアへ行っ

ている間に仲間から誘われ、シリアへ行ってしまったという例も報告されている。このようなリクルートをい

かに防ぐかという点では、教育面でも重要な課題が生まれているといえる。

以上、報告 1

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平成 27 年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 2016年 1月 22日

「ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア」

報告 2/ 「新しい『帝国』時代の中央アジア国際関係」

宇山 智彦/うやま ともひこ

北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授

1.現在の世界はどのような時代にあるのか─3つの「波」の重なり

現在の世界は、近現代の 3つの時代に由来する影響や余波、揺り戻しといった複雑な「波」が重なった

状態にあると考えている。3つの時代の 1番目は、「長い 19世紀」だ。これは歴史家ホブズボームの言葉

で、フランス革命から第一次世界大戦までの時代を指す。私が見るところでは、その中で最も重要な現象

は、帝国の興亡と競存の時代であったということだ。様々な地域で様々なことが起きたが、東アジアでは

特にこの「長い 19世紀」の後半に清朝が衰退し、日本が力を伸ばして覇権競争が起きた。その時点では

日本が圧倒したが、それが様々な余波を生み、近年は攻守入れ替えで中国が攻める側になっている。

ヨーロッパでは、やはりこの「長い19世紀」の後半に、帝国間、大国間の対立と駆け引きが激しく行われ、

第一次世界大戦に至って、いわゆるヨーロッパの「没落」が始まった。没落と言っても、世界の中の相対的

な力の変化ということだ。20世紀末になると、欧州連合(EU)を作り、再びヨーロッパを強くしていこうという

動きが始まる。これは特に、ロシアや中東から見ると、ヨーロッパと非ヨーロッパの区別が再び強調されて

いくということで、そこでもせめぎ合いが生じる。

2番目の時代は「短い 20世紀」で、第一次世界大戦から冷戦終了、ソ連崩壊までだ。この時代は大雑

把に言うと、イデオロギー闘争、米ソ覇権競争の時代だ。冷戦は 1990年前後に終わったが、冷戦的な思

考はその後も繰り返し現れた。そして第二次世界大戦は、勝った側にとっても負けた側にとっても、繰り返

し、シンボルとして参照される。この「短い 21世紀」はソ連崩壊で終わったが、旧ソ連諸国の一部、特にロ

シアはそれを未だに現実として受け入れ切れていないところがある。

3番目は、冷戦終了後で、ポスト冷戦レジームが作られようとしているが、いつまでも完成しない。あるい

は、作れられたものも動揺してしまう。一方では、様々な国が対等に共存するフラットな体制が夢見られた

が、実現しなかった。他方では、特に 2000年代前半をピークとし、アメリカ一極体制の形成が試みられた

が、それも失敗した。イアン・ブレマーの言葉で言えば、「Gゼロ」的な状況の中で、国家間の競争、そして

一旦は消えていくかと思われたナショナリズムが、再び強まっている。同時に非国家主体が国家に挑戦し、

中でも過激な組織が暴力を使っている。小国にとっては、冷戦期には、アメリカとソ連のどちらかの陣営に

入って干渉されることを防ぐために、「非同盟」という選択肢もあったが、そういう選択がむしろ難しくなり、

大国間の競争の影響を受けない訳にはいかない。つまり、国家が大国に対しても暴力に対しても、脆弱

になっている。

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2.「帝国」という視点の意義─特に東アジア・旧ソ連地域にとって

このような状況を「帝国」という言葉を使って語ることの意味についてだが、京都大学の山室信一先生

の言うところの「競存体制」、つまり近代の帝国は競争しながら共存するものだとする、歴史研究の 1つの

視点がある。帝国は互いに激しく競争し、特に戦いもするが、大国中心の国際秩序を維持するという点で

は利益を共有しているということだ。そして、大国と小国の関係で言うと、イギリスの歴史家、ロナルド・ロビ

ンソンがかなり前に提唱した「コラボレーター論」がある。私なりにそれを再解釈すると、帝国と小国ないし

植民地の関係は非対称な相互依存で、帝国中央は大きな力を持っているが、周縁社会について持って

いる情報は不完全で、その社会に深く入り込めず、現地エリートの協力がなければ政策を遂行できない。

他方、現地エリートも帝国の力を利用して、現地社会内での自分の立場を強めたり、他地域との関係を有

利にしたりする。しかし、協力者が急に抵抗者になることもあり、また帝国側が協力者を、あるいは周縁地

域自体を簡単に見捨てることもあるというダイナミズムがある。

「帝国」という言葉は、皇帝が治める国と解釈されることがあるが、歴史研究ではむしろ、階層的かつ多

元的な権力構造を国内外に作り出す大国という意味で使っており、それは大国が様々なところで自己主

張を強める今日の国際関係の分析にも使えると考える。

世界でも特に、東アジアと旧ソ連地域で帝国的な行動や問題が目立つ。近代は世界的に「西洋の衝

撃」が伝わった時代だが、東アジアでは「西洋の衝撃」に加え、「日本の衝撃」があった。そして旧来の帝

国の衰退・崩壊が、ヨーロッパの進出だけでなく、地域内で周縁的だった国が帝国化するという現象を伴

ったのは、近代世界の中で東アジアだけだ。そのことが国家間の競争意識を、その後、今日に至るまで刺

激し続け、中国の「中華民族の偉大な復興」というようなスローガンにもつながっている。

他方、ソ連解体は、ロシア指導部自身が決断して行ったことだが、1990年代から 2000年代には、欧米

への反発や疎外感が生まれ、自ら放棄したはずの超大国としての地位を、再び回復したいと考えるように

なった。ロシアが最も意識しているのは欧米との関係で、中国との関係はむしろ、対欧米関係の従属変数

であると言って良いと思う。同時に、中央アジアなどロシア以外の旧ソ連諸国でも、超大国喪失のトラウマ

とノスタルジーを共有する人が少なくないということは、注目に値する。

3.中央アジア国際関係と大国間の競存

1990年代には、旧ソ連諸国という空間が完全に別々の国に分かれるのか、CIS(独立国家共同体)など

を通じて深い統合を維持するのか、様々な方向性があり得た。しかしロシアがルーブリなどの国際公共財

供与を停止していく中で、結局は各国の主権を強調し、世界の国々と多様かつ多方面な関係を作ってい

こうという方向がはっきりした。ただ、振り返ると 1990年代は、「短い 20世紀」という、ある意味、緊張した時

代が終わったことによる幸福感に浸る国際環境と、新しい国を創ろうという中央アジア諸国の意気込みと

が調和した時代だった。しかし、そういった国際環境はその後に変化した。また、国家建設と言っても、か

なり権威主義的な体制の構築となり、欧米の方向性とはずれる。そして、多方面外交は、様々な矛盾に直

面したと言って良いと思う。

特に、アメリカとの関係が迷走し、これはポスト冷戦レジームの迷走の一部であったと言って良いだろう。

米同時多発テロ事件(9.11)の後、中央アジア諸国は米露両方と協調し、対テロ戦争を戦うことになったは

ずだった。しかし、民主主義やアメリカの一極主義的行動の問題で、アメリカと中央アジア諸国、特に基地

を受け入れたウズベキスタンとクルグズスタンの関係は、かなりこじれてしまう。クルグズスタンは 2010年の

2度目の革命後、中央アジアではかなり民主的になったはずだが、民族問題や人権問題に関しては相当、

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アメリカの感覚とは異なるものを持ち、それが対立に結びついているところがある。アメリカは多角的に中

央アジアに関与してきたが、結局、政治的価値観や国際情勢認識を中央アジアとは共にしていないため、

関係の底が浅いと言えるだろう。

ロシアは 2000年代に入ってから急速に、ロシアを中心とする地域秩序を旧ソ連諸国に作っていこうとい

う方向性を明確にしていく。それでも 2000年代には、アメリカとロシアがそれぞれ米軍基地問題やグルジ

ア紛争問題で中央アジア諸国の支持を得たい事情があり、中央アジア側にも駆け引きの余地があった。

しかし、駆け引きをやり過ぎてロシアの不興を買い失脚したクルグズスタンのバキエフの例もあり、特に小

国であるクルグズスタンとタジキスタンのロシアへの従属が顕著になってしまう。2010年代には経済統合

が加速し、15年にユーラシア経済同盟が発足、カザフスタンとクルグズスタンが入っている。ウズベキスタ

ンは基本的に、そういった地域統合の機構に加わらない路線だが、ロシアとは二国間でかなり緊密な関

係を持っている。

2014年以来、ロシアの野心的な行動が、ウクライナ、シリアで目立つ。中央アジア諸国の態度は微妙だ

が、少なくとも批判はしない。これには、ロシアが強硬な態度に出ており、反対できないという面と、国内の

親ロシア感情が強いという面がある。カザフスタンの政治評論家、ドスム・サトパエフの表現によると、中央

アジア、特にカザフスタンはロシアの「情報植民地」的な状況で、「頭はロシアに、体はカザフスタンにあ

る」ような人が少なくない。ただ、特に知識層の間ではロシア批判も強く、言論が二分されている。最近は、

ロシアとトルコの対立の中、どちらに親近感を持つかで大きく割れている。

他方、中国との関係では、様々なところで結びつきが深まっている。そういう状況をロシアは必ずしも好

ましく思っていないはずだが、妨害している訳でもない。ロシアが政治、軍事や国際経済制度の面で影響

力を持ち、中国は貿易、投資面で影響力を持つという、「すみ分け」の状況になっていると思う。なぜ、中

央アジアと欧米の関係がぎくしゃくし、ロシアや中国との関係は比較的スムーズなのかと考えると、最も重

要なのは、政治体制や政治的価値観が近いからということだろう。

中央アジア諸国にとっては、ある意味、落ち着くべきところに落ち着いたような感覚がある。しかし、別の

面から言うと、中国、ロシアの利益に反する行動をとりにくい、国際的に独自性を発揮しづらいという状況

だ。特に深刻なのは、ロシアに対する見方で国内が二分されてしまうことだ。現在の状況は完全に固定的

なものではなく、特にロシアの経済的な影響力やロシア中心の地域統合のほころびも目立つ。ロシアの資

金不足は深刻で、ロシアがクルグズスタンで造ると言っていた水力発電所が造れなくなったという状況も

ある。

今後、中露「すみ分け」体制がどうなるのかというと、ロシアが欧米との対立をいつまで続けるのか、そし

て中国経済がどうなっていくのかによるだろう。たとえ、中露の影響力が現在より少し減っても、欧米の影

響力が自動的に高まる訳ではない。欧米や日本では残念ながら、中央アジアに関する情報の精度が低

い。地域内で十分、有力な協力者を得られていないということがあり、そのような状況を変えられるのかどう

かだ。そして中央アジア諸国自身の外交には、現体制、現政権の利益を中心に考えてしまっているところ

がある。それを相対化した上で、国益に沿った外交を展開できるかどうかにかかっていると考える。

以上、報告 2

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平成 27 年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 2016年 1月 22日

「ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア」

報告 3/ 「プーチン露大統領の中央アジア戦略」

袴田 茂樹/はかまだ しげき

新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長

1. 複雑化する国際情勢とロシア・中央アジア関係

現在は本当に、「動乱の世」と言って良い状況だ。ウクライナ問題を巡り、欧米とロシアが対立する状況

となり、中央アジア諸国はある種の戸惑いを覚えている。というのは、これらの国々はこれまで全方位外交、

多ベクトル外交をとり、ロシアとも欧米とも関係を強めようとしてきたからだ。これは良く言えば、小国の知恵

だが、米国やロシアに言わせると、狡猾な天秤外交にもなる。しかし、そのように両方とバランスを取りなが

ら関係を持つことが、現在はやりにくくなっている。

一方、中国が「シルクロード経済ベルト」について発表した際、ロシアは当初、反発したが、経済力では

到底、中国にかなわないということで、その後はむしろ折り合いをつけようとしてきた。カザフスタンの政治

学者であるドスム・サトパエフは、経済は中国、安全保障面では特に最近、イスラム過激派の台頭という中

で、ロシアが主として担うという暗黙の了解ができているとする。しかし、この「分業論」に対し、ロシアの専

門家には、批判的な意見もある。例えば新疆ウィグル地域の過激派テロ問題や民族紛争などは、中央ア

ジアの問題とも関係するが、それにロシアが介入できるはずがないといった見解である。

最近の、ロシア・トルコ関係の急変に関しても、中央アジア諸国は困惑している。ロシアとトルコは昨年 9

月 30日にロシアがシリア空爆を始める前までは、蜜月時代とも言える状況にあった。ケマル・アタテュルク

のころ、ソ連とトルコは密接な関係にあったことから、ロシアでは「新ケマル主義」という言い方もなされた。

しかし、シリア空爆開始後、その関係は一挙に悪化する。ロシアが問題の IS(「イスラム国」よりも、反アサド

政権のトルコ系住民地域を主として爆撃したからだ。

また、サウジアラビアとイランが断交したことで、ロシアや中央アジア諸国も複雑な対応を迫られている。

中央アジアにはトルコ系の国が多く、それらの国はトルコと密接な関係を持ってきたが、ロシアとも密接な

関係にある。サウジアラビアのサルマン副皇太子は昨年 6月、ロシアを訪問し、プーチン大統領とも個別

の会談を行っている。これはロシアとサウジアラビアの新たな接近として、国際的にも注目を集めた。他方

でロシアはイランと強い関係を持っており、1月 2日にはタジキスタンのラフモン大統領がサウジアラビアを

訪問したことに、ロシアが激怒する状況も生まれている。サウジアラビアが処刑した 47名には、シーア派イ

スラム教の高僧も含まれていた。そこでイランでは、サウジアラビア大使館に対する暴動や放火事件が起

き、両国は断交に至った。ちょうどそのとき、タジキスタンの大統領がサウジアラビアを訪問していた。

旧ソ連諸国からの IS やタリバーンへの戦闘員参加については、正確な人数はつかめていないようだが、

何千人単位で出ているようだ。そして、彼らがやがて自国に戻り、過激な行動をすることに関して、ロシア

などは神経を尖らせている。中央アジア諸国にとっては、ロシアへの出稼ぎが経済的に大きな意味を持っ

ている。ウズベキスタンやタジキスタン、キルギスのような国々では、国内総生産(GDP)の 3~4割、あるい

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はそれ以上が、それらの仕送りによって生まれている。最近はロシア経済の悪化に伴い、出稼ぎ労働者

の収入が半減し、帰国する者も出ている。出稼ぎ労働者は若い人が多く、自国内では失業者、あるいは

失業に近い人たちで、政治・社会的には不満分子になる可能性が強い人たちだ。それゆえ、それらの人

たちが出稼ぎ労働者として国外に出ていくことは、政治的には体制の安全弁になっている側面もあり、彼

らが帰ってくることは、体制にとって危険な問題にもなる。

中央アジア諸国からロシアへの出稼ぎに関しては、複雑な民族問題も生じている。ソ連時代には、ロシ

ア共和国、サンクトペテルブルク、モスクワのような大都市に、中央アジアからかなりの人たちが行ってい

たが、当時行っていたのは、ほとんどがエリートだった。これらの人たちは現地語よりむしろ、ロシア語が流

暢で、ロシア化した人たちだった。このためロシア社会にはうまく溶け込んでいたが、現在、出稼ぎに行っ

ているのは、農村などの貧しい人々だ。中にはロシア語がほとんどできない人たちも多く、それによって民

族問題が生じているようだ。

2. ロシア・ソ連の中央アジア、カフカース併合とロシア人のアジア観

ソ連時代のロシアと中央アジア、コーカサスの関係をどう評価するかという問題については、プラス面と

マイナス面があるが、ドミニク・リーベンは『帝国の興亡』の中で、ソ連の中央アジアに対する「植民地支

配」を日本の満州などの植民地支配と共に、かなりポジティブな面を見ている。ネガティブな面も当然ある

が、イギリスが 200年にわたってインドに投下した資本よりも多い資本を、日本は 10年間で満州に投下し

ており、工業化、近代化の面でかなりの貢献をしているという。そして、中央アジア諸国に対してソ連、ロシ

アが果たした役割にも、同様の側面があると指摘している。

民族関係についてはソ連時代、ユダヤ人問題やクリミア・タタール問題など、様々な問題があったが、

一般的に言えば、ロシアでは非常にうまく行っていたと思う。インド人女性のカルパナ・サーヘニーが、

『ロシアのオリエンタリズム』という著書で、ロシアのアジアに対する偏見や差別を厳しく批判しているが、

私自身は日本人としてむしろ厚遇されており、アジア人として不愉快な思いをしたことはない。モスクワ大

学には、中央アジアやコーカサスからたくさんの人たちが来ていたが、その中の私の知人や友人たちは、

うまくソ連社会に溶け込んでいた。ただ本音を聞くと、ソ連の公式路線を必ずしも全て支持していたわけで

はない。例えば 19世紀にロシアと戦い、ロシアへの併合に抵抗したイスラム世界の指導者、イマーム・シ

ャミールについては、ソ連では公式的には反動的なイスラム指導者として否定的に評価されていたが、コ

ーカサス出身の友人たちは「我々の評価は異なる」、「シャミールは英雄だ」と言っていた。このような違い

はあったものの一般的に言えば、民族関係は、少なくとも現在と比べるとずっとうまく行っていたと感じる。

冷戦終焉後は、ロシア、旧ソ連だけでなく、世界の様々なところで民族問題や宗教問題が複雑化して

いる。冷戦時代には「陣営」という枠組みで抑えられていた民族や宗教、国家といったファクターが、冷戦

後はパンドラの箱を開けたように飛び出してきた。中央アジア諸国を見ると、やはり彼らはソ連時代には、

ある程度の抑圧感を感じていた訳で、それに対するリアクションとして民族化という動きが強く出ているよう

に思われる。

ロシア人にはある意味で、「150%ヨーロッパ人」という側面もあり、自分たちの文化はヨーロッパ文化だ

と考えている。ヨーロッパの辺境にあるからこそ、逆により強くヨーロッパを意識するという側面がある。他方

で、ヨーロッパ人はロシア人を、同じヨーロッパ人とは見ていない。ドイツの作家トーマス・マンの『魔の山』

の主人公は、ロシア人について「キルギス」という言い方をしている。一方ロシアの詩人アレクサンドル・ブ

ロークの「スキタイ人」という詩には、「俺たちロシア人はアジア人だ」という居直りの姿勢も見られる。このよ

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うに民族感情には複雑な側面があり、「150%ヨーロッパ人」という側面がある一方で、ヨーロッパに対して

は「ユーラシア人」、あるいは「アジア人」なのである。

3. プーチン大統領の国家・CIS観、アイデンティティ危機と大国主義の復活、中央アジアへの戦略

プーチン大統領は、ウクライナ、カザフスタン、ジョージア、ベラルーシ等はまともな国家ではないという

見方をしており、主権国家、独立国家として必ずしも認めていない。プーチンは、CIS は単一通貨、統一

経済圏、統一軍を持つ「大きな国家」を目指したが、残念ながらそうはならなかったと、一昨年 3月18日の

クリミア併合宣言で述べている。また、彼が唱えた「ユーラシア同盟」に関しては、それは強力な超国家的

統一体だという見方をしている。

ロシアにとってソ連邦崩壊後の 1990年代は、困窮、混乱、無秩序の「屈辱の 90年代」だった。国家とし

てのアイデンティティも失われた。そのリアクションとして現在、新たなアイデンティティを構築し、アイデン

ティティ危機を乗り越えようという動きが見られる。そして結局のところ、プーチンのロシアは、大国主義的

なナショナリズムによって国をまとめる方向へ進んでいると言える。

このような考え方はすでに、改革派で、ソ連的な帝国主義に対して抵抗していたはずの A・チュバイス

元副首相による 2003年の「リベラルな帝国主義」論にも見られる。彼は帝国主義こそがロシアの進む道だ

と公然と主張するようになったのだ。また、改革派のオピニオンリーダーで、『独立新聞』や『モスクワ・ニュ

ース』の編集長も務めた V・トレチャコフも、2006 年に「現在の国境は、ロシアの安全を十分に保障してい

ない」とし、「今日のロシアの国境は不自然だ」と述べている。そして周辺国の「ロシアへの統合は意図しな

いが、民意に従う統合は排除しない」としている。これは「ロシアのアジア」と題する中央アジアに関する論

文で示している考えだが、ここにはその後現実化した南オセチア、アプハジアのロシアによる事実上の保

護領化とクリミア併合の論理がそのままストレートに出ていると言ってよい。また、2006 年には、「領土保

全」から「自決権」へ軸足を移したロシア外務省報道官の言葉がセンセーションを呼んだ。

このような状況で、ロシアは中央アジアの多ベクトル外交に相当、翻弄されており、戦術的には一貫し

た中央アジア政策はない。他方、戦略的には一貫して大国主義の姿勢が貫かれており、ロシアの影響圏、

特殊権益圏という概念や第 2 ヤルタ体制、新ヤルタ体制などという勢力圏の概念も再び使われるようにな

った。つまり「旧ソ連諸国はロシアの勢力圏」という一貫した戦略がある。個々の政策を見ると、中央アジア

諸国そのものの変化に応じてロシアの中央アジア政策もかなり場当たり的で一貫していない政策になっ

ている。

以上、報告 3

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平成 27 年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 2016年 1月 22日

「ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア」

報告 4/ 「中国・習近平主席の中央アジア戦略(「一帯一路」の具体化と関連して)」

清水 学/しみず まなぶ

ユーラシア・コンサルタント 代表取締役

1. 中央アジア経済と中露、「一帯一路」戦略

国際経済は最近、乱調気味である。今年に入って日経 225株価指数が 3000円ほど下がり、連続

で下げている。乱調の背景の一つは、おそらく中国経済の動向があり、かなり悪そうだと言われるが、

実態がよくわからないという不安がそれを促進している。中国当局自身、果たしてどの程度、経済実

態を把握しているのかがわからない。中国の経済システムでは31省区レベルに権限が委譲されてい

ることとも関連し、地方での不良債権など実態がわからないのではないかと思う。

さて中央アジア諸国における対中貿易の推移を見ると、極めて顕著な変化を示した事例として、ト

ルクメニスタンの対中輸出が 2010年を境に急増していることが挙げられる。その後の3年間の伸び率

は 200倍でトルクメニスタンの輸出の6割は中国向けとなった。これは中国への天然ガス・パイプライ

ンが稼働開始したためである。カザフスタンやトルクメニスタンのような資源輸出国の場合、対中貿易

は一応、出超となっているが、キルギス、タジキスタンのような国では、輸出入の不均衡が著しく大き

くなっている。キルギスへの中国の輸出と輸入の比率は 60対 1 という、どうしようもないような状況で

中国製品がキルギスに流入している。中央アジアへの中国製品の輸出は、2010年ごろから、さらに

急増して新しい段階に入っている。

ロシアとの経済関係では、ソ連時代に作られていた一種の経済空間が、労働力移動という点では

極めて「健在」な形で残存している。中央アジア諸国から移民労働力が大量に向かう先は、やはりロ

シアやカザフスタンであり、最近の石油ブームが基本的に誘因である。現在、国内総生産(GDP)に

占める出稼ぎ労働者の送金が世界一高い国はタジキスタンで、2番目はキルギスになっており、それ

ぞれ 50%、あるいは 30%という依存状況である。

このように、労働市場、そして商品貿易という点から言うと、中央アジアは、ロシアと中国の双方から、

ある意味で強い影響を受けている形になる。中国については、いわゆる「一帯一路」戦略の下、今後、

中央アジア等に、かなりの巨額なインフラ投資を行われようとしている。「一帯一路」戦略については

様々なことが言われているが、「陸のシルクロード」と、21世紀の「海のシルクロード」の二つが総合さ

れたものである。昨年 4月、習近平主席は最初の海外の訪問先としてパキスタンを選び、その際、460億

ドルに及ぶ経済援助構想を発表した。トランスポーテ―ションやグワーダル湖の開発などを主軸としてお

り、中国・パキスタン経済回廊は李克強首相によれば、「一帯一路」の旗艦プロジェクトになるという。しか

し同時に、「一帯一路」構想そのものが、まだ極めて流動的かつ試行錯誤的段階にあると見られる。

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2. 「一帯一路」戦略を推進する上での国際問題

「一帯一路」戦略を推進する上では、当然国際間の諸問題と関連する。第 1に、上海協力機構(SCO)

の加盟国拡大のプロセスをとって見ても、ロシアが支持する国と、中国が支持する国が、それぞれ 1対 1

でバランスをとって対応するような形で拡大してきている。例えば、ロシアが支持するベラルーシがSCOの

対話パートナー国に推薦されると同時に、中国が非常に緊密な関係にあったスリランカが対話パートナー

として推薦されるといった形で中露間のバランスがとられている。

第 2に、「一帯一路」戦略の成否という点でキーとなる問題がいくつかあるが、中でも、新疆ウィグル自

治区の今後は重要な鍵となる。その背景としては新疆の石油資源賦存などもあるが、何よりも地理的条件

からして、「一帯」戦略のヘソのような重要な拠点となり得るためだ。さらにウィグル問題は中国にとって、

少数民族問題、あるいはイスラム問題をどのようにうまくコントロールできるかという、ある意味で試金石に

なっている。そのような意味で、新疆ウィグル自治区の動向は、「一帯一路」戦略においても、かなり重要

な政治的意味を持つのではないかと思われる。

アフガン問題では一昨年から、中国がかなり積極的にアフガン政府とタリバーンの間で和解工作に入

ろうとしている。アフガニスタンの安定性は「一帯」の安定性の保証であるし、不安定とイスラーム過激派の

展開は新疆にも影響する可能性が高いからである。中国がアフガン問題に関与しようとする場合、中国に

とって一見、ほかの国にはない有利ないくつかの点がある。第 1に、中国はパキスタンと非常に戦略的に

深い同盟関係にあるということである。タリバーンという場合、時々、混同されて議論が混乱するのだが、

アフガン・タリバーンと、パキスタン・タリバーンがあり、両者は一応、別のものだということである。両者は無

関係ではないが、アフガン・タリバーンに対しては、パキスタン軍がある程度、まだ独自の影響力を維持し

ていると思われる。このため中国は、パキスタンを介在し、アフガン・タリバーンに対しても、ある程度の影

響力を行使する可能性があるということである。さらに、中国はアフガン政府に対し、その経済援助力で影

響を与え得る立場にある。

ただし、アフガン情勢は現在、新たな混乱状況にある。昨年 9月に北方の州都の一つであるクンドゥス

が、一時的にアフガン・タリバーンによって制圧された。さらにイスラム国(IS)の働きかけもあり東部に ISの

「解放区」ができている。中国は現在、アフガン問題の打開策を求めて模索している段階だ。ある意味で

は、中国にとってイスラム諸国との外交の 1つの試金石になるかと思う。だた、中国はアフガン・タリバーン

について、いわゆる国際的なジハード主義者とは異なり、アフガン民族主義と重なっている側面があると

いう見方をしている。つまり、一種の民族主義的な運動であることから、ある程度、妥協できる、共通点を

見出せるという見解である。しかし、事態はそれほど簡単ではないように見える。

一方、インドの存在感は次第に大きくなってきている点にも注目しておきたい。一昨年 5月のモディ政

権の成立以降、インドは従来の消極的な外交路線から脱しつつあり、地域大国からグローバル大国への

道筋を付けたいというのが基本路線になっている。確かに、中国とインドの経済格差は非常に大きく、現

在は GDP、あるいは一人当たり所得で見ると、4対 1の比率である。しかし昨年の経済成長率を見ると、

中国の成長率が 6.9%だったといわれるのに対し、インドの成長率は 7.5%程度と言われ、インドが中国を

十数年振りに凌駕している。ただ、この傾向がいつまで続くかはわからないが、新たな変動要因になる可

能性がある。

南アジアは現在、中国とインドの勢力争いが微妙な形で展開されている地域となっている。ネパール、

スリランカ、そしてモルディブもそうだが、インド洋地域は南アジアの国内政治の問題と絡み合いながら両

国が一種のつばぜり合いが展開されつつある地域となっている。同時にインドは、中国の経済力を非常

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に重視している。経済面では、中国の投資を求めると同時に、モディ首相は、「我々の経済発展戦略は、

中国に学ぶ」とはっきり述べている。インドは一昨年、従来の計画委員会を廃止し、全く新しい組織「インド

変革国家機構」を作った。中国には発展改革委員会という経済政策で重要な役割を果たす機関があり、

モディ首相はインドの新たな組織について、この発展改革委員会をなぞらえて作ったものだと明言してい

る。このように、ある意味では複雑な関わり合いを見せながら、中印関係が展開されている。

最近の話では、TAPI構想が再稼働している。TAPI というのは、トルクメニスタンからアフガニスタン、パ

キスタンを経てインドに天然ガスのパイプラインを引く構想であり、昨年 12月に起工式が行われている。こ

れを、トルクメニスタンと中国を結ぶ現行のパイプラインに対抗する別のパイプライン構想という見方がある

が、実現には 2つほど大きな障害が残っている。1つは、言うまでもなく、アフガニスタン情勢だ。そして、

もう1つは、インドとパキスタンの関係が今後どうなるかという問題が絡んでいる。この2つの問題をクリアで

きるかというと、私は必ずしも楽観的には見ていない。

3. 中国の戦略模索と関連して:地政学の興隆、グローバル・ガバナンス

最後に、12月に短期間中国を旅行して廻った際に気づいたことを 2、3点、お話ししたい。中国におい

ても今、いわゆる地政学に関する関心が急速に高まっている。伝統的なマッキンダーやマハンなど、英米

の伝統的地政学に対する関心もあるが、より興味深いのは、中国の「伝統的」戦略思想の復活・研究に、

非常に熱を入れているように見えることである。その中で、私個人が面白いと思ったのは、書店などの新

刊本を見たり、あるいは人の話を聞く中で、いわゆる伝統的な「孫子の兵法」だけでなく、鬼谷子への関心

が新たに高まっていることだ。諸子百家の中で鬼谷子は、いわゆる春秋戦国時代の、特に「縦横家」と言

われていた蘇秦や張儀の師匠とされている人物である。当時の勃興する秦に対し、他の六つの国家がど

う対応するかということを各地で説いてまわったのが縦横家である。鬼谷子に関する本がいくつか出てお

り、一種のブームとなっているという。ブームの背景には、現在の国際情勢に対する見方がある。現在の

世界情勢が極めて混乱している事態、これはまさに春秋戦国時代と同じである、そのように事態にそう対

応していくかということを我々は学ぶ必要があるということである。さらに今後、中国企業が国際市場でど

のように競争していくかというときに、様々な戦略の立て方を学ぶ必要があるという。つまり、鬼谷子を学ん

で企業戦略に役立てようということで、そのセミナーも開かれている。

鬼谷子には、心理分析が非常に重要な役割を果たしている。相手の立場から世界がどのように見える

かを、こちら側から理解し、それによって戦略を立てるという考え方だ。しかし、これがどのような意味を持

つのかについては、私はよくわからない。かなり神秘主義的な側面もあり、新たな宗教運動のようなところ

もあるのか、同時に極めて現実的な形で、新たな世界情勢の混乱に対応しようとしているのか、不明であ

る。しかし様々な問題が絡み合った形での、ある重要な側面を反映している可能性がある。

また、中国のグローバル・ガバナンスについては、やはり金融という側面を強く含めていることに留意す

る必要がある。これについては、アジアインフラ投資銀行(AIIB)、そして国際通貨基金(IMF)改革というよ

うな問題があるが、金融システムあるいはルール作りへの関与への関心も含まれているようである。これも

グローバル・ガバナンスに関心を持つ中国を理解するキーワードではないかと考えている。

以上、報告 4

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<討議・質疑応答>

質問者:袴田先生にお聞きしたい。ISの今後について、どう考えられるか。もう1つは、スターリンとプーチ

ンの、権力者としての共通性と相違性、その2点について伺いたい。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

ISの件だが、空爆などをやると、報復の連鎖になる。だから、あのような武力対応は決して好ましくな

いという意見があるのは存じている。ただ、ISは確信犯と言っても良い。話し合い、説得、交渉で解決で

きるという、その範囲を超えた行動をしている。そういう勢力に対して、武力対応抜きにこの問題を解決

できるなどと、私はそう楽観的に見ていない。もちろん様々な紛争に対しては、話し合いや交渉によって

平和的に解決する努力は最大限すべきである。ただ、あらゆる紛争は、話し合いによって必ず解決でき

ると断言する人がいたとしたら、私ははっきり言うが、その人は人間や社会の本質がわかっていない。

2つ目、スターリンとプーチンの問題だが、プーチン大統領が権威主義的なスタイルを様々な形で復

活させてきたというのは事実だと思う。しかし、彼は社会主義体制を信奉しているわけではない。90年代、

ロシアはソ連時代の政治的な枠組みが壊れ、それを固めていたセメントの役割をしていた共産主義のイ

デオロギーも風化し、何らかの形で国のアイデンティティーを保たざるを得ないが、結局、大国主義的な

ナショナリズムでアイデンティティーを保とうとしている。それをスターリン的と言うかどうかというのは、これ

は定義の問題。ある意味で権威主義的なものが復活している、それをスターリン的な要素と言っても良

いし、計画経済を復活させようとしているのではないので、スターリンとは別だと言っても良い。

<モデレーター兼コメンテーター>

田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事:

今、ISの話が出たので、小松先生にはISの動きやタリバーンの動きが、国境を越えて中央アジア・サイ

ドに浸透する可能性や、これをどういう形で排除するのかという、かなり具体的な話をしていただきたい。

小松 久男 東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授:

現地情勢の細部まで知っているわけではないが、中央アジアとアフガニスタンの国境線は長いので、

アフガニスタン情勢が混沌としてくると、武器や麻薬が中央アジアに流入するリスクがさらに高まる。これ

は中央アジアの秩序や経済を蝕み、破壊する要因になると思う。その点で一番危ういのがタジキスタン

だろう。この間、ラフモン政権は権威主義的な体制を強化しており、イスラーム復興党のような政党も封

じ込めている。そうすると、今度は過激なイスラーム勢力が現れたときに、これを説得あるいは交渉にあ

たれるような人々がいなくなってしまうという面がある。そして、日本でも報道されたが、昨年5月には、タ

ジキスタンの内務省軍の経験ある指揮官が、部下と共にイスラム国に渡ってしまった。このようなことが起

きれば、やはりタジキスタンの国内秩序は大きく乱れ、実際に政権に対する反乱も起こっているので、こ

こが一番危ういところだ。したがって、アフガニスタン北部でISなどが力を付けてくると、大きな脅威にな

るだろうと思う。

そして、先ほど清水さんが触れられたアフガニスタンのタリバーンの場合は、私も同意見だが、国外に

Page 18: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

出て行って何かしようという意図はほとんどなく、アフガニスタンという地域での統合、国家建設を目指し

ているので、その辺がイスラム国のように、地上どこにでも浸透していくような組織とは大きく異なるところ

だろうと思う。

質問者:3点質問があり、1つは宇山先生、後の2つが袴田先生にお願いしたい。宇山先生についての

質問だが、住み分け論、住み分け体制とおっしゃった。何か機会やターニングポイント、住み分け論を

証明するような文書とか、それらをどの辺りに求めているのか。やはり中露の共同声明か。そして、住み

分け論がもしも、将来的にダメになってしまう場合には、どのようなシナリオがあって、その時期、ダメにな

ってしまうのか。そこをお聞きしたい。

それから、2つ目、3つ目が袴田先生だが、今日の皆様の報告でも、日本が出なかった。おそらく、時

間の関係と思うが、安倍首相が昨年10月に中央アジアに5ヵ国行かれて、そのとき、ロシアの反応はどう

だったか。中国は結構、牽制した。それから、安倍首相が戻ってきて、成果があったような、なかったよう

な気がするが。カザフスタンの場合、本当に成果があったのか伺いたい。

宇山 智彦 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授:

中露すみ分け論というのは、研究者やアナリスト側の議論で、共同声明で言われているわけではない。

研究者の見方の根拠としては、まず中国側については、中央アジアに対する関与を投資・貿易および

上海協力機構関係に限っていて、国内政治に口出しをほぼしないということ、これはかなり明瞭だ。ロシ

アについては、中国がやっていることに邪魔をしていないという消極的な論拠になる。他の先生方の報

告にもあったように、中国の経済進出はかなりの規模になっている。それに対して、ロシアは妨害しようと

思えば、できなくはないのだが、していないということだ。

これが崩れる可能性については、1つには、現在の問題として、「一帯一路」は結局、中国が中央アジ

アやロシアを経由して、ヨーロッパまで結び付きたいという構想なのに対し、ロシアは今、ヨーロッパとトル

コとの経済関係をむしろ切ってしまう方向性を持っているので、そこでずれている。それから、ロシアと中

国が仲良くしていることの背景には、ロシアにとっては欧米との対立関係があり、中国は欧米と対立はし

ないが、バランスを取りたいと思っているということがある。もしその両国の欧米に対する関係が変わって

くれば、色々な前提が変わるので、利害対立の方が表に出てくる可能性はあると思う。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

安倍首相の中央アジア訪問に対するロシアの反応だが、ロシアの識者の中で、日本が戦略的な関心、

野心を持って動き出しているという見方をする人もあるが、しかし、中国ほど、安倍外交がロシアと競合

するという見方はしていない。つまり、安倍首相はかなり、ロシアに秋波を送っている。そういう意味で、ロ

シアを排除する、あるいは包囲するというような見方はしていない。その違いは一応、言っておきたい。

2つ目の安倍訪問の成果について。カザフスタンなどは経済が非常に落ち込んでいるので、すぐに目

立った成果が出てくるということはないと思う。しかし今後の関係強化という点で、日本の首相が初めて

中央アジア5ヵ国すべてまわったわけなので、それだけ我々は中央アジアに関心を持っているということ

を示した。実業界の人たちも一緒に行ったので、今後の関係強化のきっかけを作ったという意味合いは

あると思う。今すぐ、目に見える成果というよりも、今後の将来に向けてのきっかけという意味合いがある

Page 19: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

と思う。

<モデレーター兼コメンテーター>

田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事:

清水さん、数年前に、時の、川口外務大臣が中央アジアを回って、「中央アジア+1」対話というスキ

ームを立ち上げた。そのとき、北京の『環球時報』、英語では「グローバル・タイムズ」だと思うが、ものす

ごく緊張感のある論説を書いた。日本が自分たちの裏庭に本腰を入れて手を出してきたという感じだっ

たと思う。今回、安倍首相の中央アジア5ヵ国歴訪に対して、中国は何か特別な反応を示したか?

清水 学 ユーラシア・コンサルタント 代表取締役:

川口外務大臣訪問の際の『環球時報』は読んでいるが、今回の反応については不勉強で追っていな

い。しかし特に目立った反応はなかったのではないかと思う。

<モデレーター兼コメンテーター>

田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事:

中国はすでに経済的な中央アジアへの進出に自信をもってきており、日本の経済中心の関与はあま

り気にしていないということかもしれない。

質問者:ウィグルから来て10年目になる研究者だが、中央アジアと言えば、当然ウィグルも含まれるべき

だと考えている。もちろん、日本の先生方も、ウィグルの地域の経済、そこの文化、社会なども取り上げら

れている方もいるのだが、日本では絶対人数が少なすぎるのではないかと考えている。 この点に問題

意識を持っている。もう1つ、中央アジアにおいて、日本の果たすべき大きな役割は何かと考えるか。私

はやはり、教育の問題は大きいと考える。最後に、小松先生の著しい研究業績なども勉強しながら、問

題意識提起だが、中央アジアでイスラム金融スキームの導入の可能性は、あるか。今後中央アジアで、

ますますイスラム意識が強まっていく中で、イスラム金融の導入という動きも出てくるのではないかと考え

ているのだが。

小松 久男 東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授:

ウイグル関係の研究は、日本ではこれまで歴史研究が主流だった。古代のウイグルから始まって、中

世、それから清朝が新疆を領有した時代、そして、その清朝が倒れた後、独立運動も展開された。この

ような歴史については相当な研究の蓄積があり、これは世界的に見ても大きな成果を挙げていると思う。

海外の研究者との共同研究も行われている。ただ、現在の新疆のことになると、現地での調査研究の制

約や資料がなかなか手に入らない等、さまざまな問題がある。そのため現代関係については研究が少

ないのだと思う。これは日本に限ったことではないだろう。なかなか難しい状況だ。しかし、歴史的研究

に関しては、継続して行われており、いろいろな出版もなされている。

歴史的には確かに、新疆は広い意味での中央アジアの一部であり、その点についてはまったく同感

だ。ただ、現代に関して言うと、日本の一般的な理解では、中央アジアと言えば、ソ連解体後に現れた

中央アジア5ヵ国を指し、今回もそれに従っている。私たち歴史研究者は、中央アジア、中央ユーラシア

Page 20: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

というときには、必ず新疆を入れるようにしている。

イスラム金融だが、現在の中央アジアの政権が続く限り、これはたぶんないだろうと思う。確かに、人々

の間にはイスラーム的な慣行や戒律を守ろうという人が少しずつ増えていることは事実で、例えばソ連の

時代に育った人たちは、今でもウォッカなどを飲むが、若い世代はあまりそういうことをしないし、断食を

守る人も増えている。このようにイスラーム的な慣行を重んじる世代になりつつあるというのは感じる。し

かし、それが公的なところで、制度として復活するには、まだ相当の時間がかかるのではないか。そこま

で行かなくても、例えば、先ほどのモスクの建設や維持運営、そういうものに人々が自発的に喜捨・奉仕

をするという慣行は復活している。そういうところでは進んでいくと思うが、金融まで行くには、相当ハード

ルが高いのではないか。

清水 学 ユーラシア・コンサルタント 代表取締役:

イスラム金融が具体的に何を指すかということが重要だ。例えば、いわゆる無利子銀行というものがあ

たかもイスラム金融の中心であるかのような概念からすれば、逆に難しいと思うが、いわゆる零細企業や、

新しく企業を発足させるためのミニ融資といった問題になってくると、イスラムという名前を付けるかどうか

は別として、そのようなシステムを作っていくということは重要であると考える。中央アジアの人たちのなか

にもイスラム金融に関心を持っている人々はいる。またイスラム金融もイスラム運動とは必ずしも結びつ

かない点から、可能性はあると思う。ロシアのプーチン大統領自身も、ロシアにおけるイスラム金融の導

入の可能性を考えたいという発言もしているので、イスラム金融とイスラム運動との関係をどう考えるかと

いうことが、逆にポイントになるのではないかと思う。

<モデレーター兼コメンテーター>

田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事:

中央アジアにおける日本の役割は何か、という質問に答えていない。なぜ日本は中央アジアにかか

わっているのかという話である。ご承知のとおり、中央アジアに対しては、日本は多くのODAを供与して

きた。1990年代は、国別に見ても、あの地域におけるODA供与は日本が第1だった。その後、日本の財

政事情もあって少し減ってきた。私自身もそれとほとんど軌を一にして、20年以上、中央アジアへの往

復を続けている。なぜ行っているかというと、中露間緩衝地帯育成への寄与ということである。ソ連邦が

壊れた後に、ソ連邦と中国の間に、中央アジア5ヵ国と、南コーカサス3ヵ国と、それから両端に、モンゴ

ルとトルコという10か国の独立国家群が成立した。それらの国家が、政治的、経済的にもある程度の安

定感を持つ中露間緩衝地帯を形成出来れば、歴史上も色々問題のあった、ロシアと中国の国境沿いの

紛争の蓋然性というのが少なくなるだろうということだ。そのためには、それらの国々が少なくとも経済的

にちゃんとしたレベルの国になるこが必要であろう。日本のODAや技術を投入していくということは、ユ

ーラシア大陸のための1つの大きな条件づくり、「中間地帯の育成」と私は呼んでいるが、その「中間地

帯」を健全に育てるために非常に大切なことだと考えられるわけだ。

そしてもう1つは、多少抽象論で、いつも皆さんに批判されるのだが、日本が律令国家を作るころに、

シルクロード経由の西方文化・文物が中国や朝鮮半島から日本に流入して役立っている。例えば、東

大寺の正倉院にも色々なそういうものが残っている。どれだけ役に立ったかは個々には判然とはわから

ないが、少なくとも1300年を経て、それらの地域に対して、日本の産業文化だったり、今で言えば、環境

Page 21: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

対策技術、そういうものが西方に一種の文化の恩返しとして、フィードバックする。1300年余り経って、そ

のくらいの長いタイムスパンと夢をもって、付き合う必要もあると思うのだが。

質問者:袴田さんと宇山さんに伺いたい。今、20円台の原油安に加えて、過去最安値のルーブル安と

いう状況になっている。これが、昨年から続いていたが、昨年だとそこまで影響はわからなかった、テン

ゲ切り下げ等あったと思うが、今後、具体的に、カザフスタン、あるいは出稼ぎに頼っているタジキスタン、

キルギスを含め、どんな影響が考え得るのか伺いたい。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

たしかに油価の下落、ルーブルの下落はロシアにとって深刻な問題だ。ロシア政府は一時、2年で上

向きになると言っていたが、今、それに対しては、非常に悲観的な見方の方が一般化している。予備基

金なども今年いっぱいで底をつくのではないか、という悲観的な見方も強く出ている。以前、モスクワの

ホテル代は数万円で、世界で一番高いといわれた。今は1万円以下で予約できる。我々にとっては好都

合な面もあるが、ロシア人にとっては、非常に複雑な問題。今は大国主義で、クリミア併合によりプーチ

ンの支持率が高い。今度はシリア空爆で、ロシアは強いのだということで、経済面での不満がそらされて

いる側面があるが、これはいつまでも続かない。となると、当然ながら、国民の間に不満が鬱積している。

2011年、12年に、反プーチンデモがモスクワでもサンクトペテルブルクでも、数万人規模で起きていた。

それを再現させないためには、何らかの形でまた国民が拍手喝采するような演出をしなければだめにな

るのではないか。プーチン自身が、国民の反政府的な意識を表面化させないために、あるいは支持率

を維持するために、大国主義姿勢を強めており、それは国際的には決して良いことではない。

カザフスタン経済もやはり資源頼みである。またロシア経済とも強く連動しており、経済は大変悪化して

いる。タジキスタン、キルギスは、ロシアやカザフスタンへの出稼ぎ労働者の収入減が大きな痛手になっ

ている。彼らが帰国すると、先に述べたように、それぞれの国で政治危機を強める可能性も高い。

宇山 智彦 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授:

袴田先生と基本的に同じだが、短期的には、ロシアとか中央アジア社会というのは、割合、危機に強

いところがある。しばらく、金がなくても色々なところで融通して暮らすという知恵は持っている。しかし、こ

れが長期化すると、それでは持ちこたえられなくなり、非常に深刻だと思う。だから、その意味でも、中国

からの投資などに期待する動きがますます強まっているが、中国経済の成長減速がどのように影響して

くるのかという問題もある。各国指導部は、特にカザフスタンやクルグズスタンでは、問題から目を背けて

いる訳ではなく、危機に入ったのだということを、しっかり理解しなければいけないという発言はしている。

ただ、有効な対策として何ができるかというと、本当に限られているので、やはり長期的に考えると深刻

だと思う。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

補足すると、最近、ロシアでは、「ロシアは敵に取り囲まれている。同盟国、友好国も、いつ裏切るかわ

からない。本当に信頼できるのは、陸軍と海軍のみである」というアレクサンドル3世の言葉がよく、引用

されるようになった。つまり大国主義的なメンタリティーを強めることによって、支持率を維持しようという

Page 22: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

傾向が強まるのではないかということを私は懸念している。

質問者:袴田先生に伺いたい。西アジアに対するロシアの軍事介入というか、それが特にトルコとの対

立、それに関連して12月末に、ちょっと報道だが、ロシアとアルメニアの国防大臣が合意したと。共同防

空圏というか。そういったロシアのカスピ海地域、およびコーカサス地域に対するロシアの西アジアへの

軍事介入、それがコーカサスやカスピ海地域に与える安全保障上の危険というか、そういうのがないか、

お考えを伺えればと思う。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

最近、国際テロが強まり、アフガニスタンやISなどの脅威を中央アジア諸国は随分感じていて、そういう

中でロシアに対して恐怖というよりも、むしろロシアの軍事力を頼るような雰囲気も生まれている。したが

って、この面ではロシアと中央アジア、アルメニアなどは関係を強める可能性がある。一方ロシア国内に

は、テロの脅威を中央アジア諸国に影響力を強化する一つのチャンスという見方がある。ただ、今度の

シリア空爆もCIS集団安全保障条約機構に相談もなしにやっている。カスピ海からミサイルを発射すると

いうことに対しては、アゼルバイジャンには一応連絡はしているが、空爆に関しては一切、集団安全保

障条約機構参加国の同意を得ていない。この点ではNATOと全く異なる。だから、集団安保条約機構と

はいったい、何なのだという疑問も加盟国の中には生まれているという側面も伝えておきたい。

質問者:ロシアとトルコの、万一の場合、今の勢いで見ていると、軍事衝突があり得るのではないかと。こ

れは杞憂であれば良いのだが。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

トルコはNATOの加盟国なので、ロシアは非常に慎重な対応をしている。ロシアからすると、騙し討ち

にあったとか、自分たちは領空侵犯をしていない等々、軍事攻撃をしても良いような理由を色々と言っ

ている。しかし、ロシアにとってはジレンマがある。NATOに入っているから攻撃しないとなると、ロシアの

周辺諸国のNATO加盟への機運を一挙に高めてしまう。したがってトルコへの経済制裁は、ロシア経済

へのダメージを覚悟しても、軍事対応以上の打撃を与えなくてはならない。ただ、トルコに強い経済制裁

を与えると言っても、ここにもまたジレンマがある。ロシアのトルコへの原発輸出、あるいはガス輸出やト

ルコ経由のパイプライン建設などは、ロシアにとっては戦略的に重要な意味を持っているわけで、それ

まで自らやめてしまうという決断はしていない。

質問者:小松先生に伺いたい。私は個人的にトルコのソフトパワーの中央アジアへの浸透度ということを、

関心を持って調べている。トルコのギュレン運動という穏健派のイスラム団体があり、そこが結構、ソ連崩

壊後、中央アジアにモスクとかトルコ語学校を一度、建てたと思うが、それ自体はかなり失敗したと言わ

れており、中央アジア各国政府も、それについては否定的な考え方だった。その一方で、トルコは今、ド

ラマ輸出、いわゆる色々なメロドラマ等々、輸出超大国で、中央アジアに相当、輸出している。そして、

各国政府は、放映禁止のような措置をとってきた。ということで、やはりトルコ文化の浸透ということに対し

ては、相当、中央アジアの国々は、神経質になっているのかどうかということ。

Page 23: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

もう1つ、よく袴田先生が指摘されているように、中央アジアではロシア語を話す人口が減ってきている。

ロシアに頼るということだが、袴田先生と宇山先生に、ロシア語話者の減少というのが、中央アジアとロシ

アの関係にどういう影響を及ぼすのかということを伺いたい。

小松 久男 東京外国語大学 大学院総合国際学研究院 特任教授:

トルコのドラマが中央アジアに浸透し、それが政府から差し止められているという話は、私はこれまで聞

いたことはなかった。トルコと中央アジア諸国は、同じトルコ系の民族なので、とりわけペレストロイカ以降、

トルコとの関係を強化していこうという動きはあった。そのときに、一つネックになったのは、カリモフ政権

の政敵をトルコ政府が保護したことにより、ウズベキスタンとトルコが外交上対立し、そのあたりから両国

の関係がかなり厳しくなってしまったことだ。しかし、文化的な面で言うと、トルコ系の国々がまとまった学

術文化機構のようなものがあり、トルコと中央アジアのトルコ系諸国の文化人や研究者が一緒に活動し

ている。

トルコ側はこれまでも熱心にやってきたと言えるのだが、なかなか成果としては出ていない。ただ、カザ

フスタンとキルギスには、トルコと合同で開いた大学が今も機能しているので、トルコとの関係がなくなっ

てしまうということはないと思う。

また、ロシア語については、確かにかつてと比べると、特に若い世代の場合、ロシア語の能力が下がっ

ていると言われている。ソ連解体後、ロシア人教師がかなりロシアに帰ってしまったり、ロシア人の人口が

急速に減ったりしたため、ロシア語を話す環境が縮小してしまったというような要因がある。さらに、最近

では英語の方が重要ではないかという主張もあり、ロシア語の能力は低下しつつあると言える。11月にタ

シュケントでの会議に出席した際、ウズベキスタンの人に、今後、ロシア語はどうなるのか、と質問したと

ころ、ロシア語も外国語の1つとして重要であり、ロシア語の教育は、今後もやっていくのだろう、という答

えだった。詳細は聞けなかったが、いまも中央アジアの共通語と言えばロシア語であり、様々な分野で

のロシア語の通用度はまだ続くのではないかと思う。

宇山 智彦 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授:

ソ連時代、中央アジアでは皆、ロシア語を流暢に話していたというイメージがあるかもしれないが、私は

ソ連時代末期から中央アジアに行っているが、田舎に行くと、テレビで聞いて何となくわかるが、自分で

は全然話せないという人が多かった。独立後、確かにロシア語への力の入れ方が下がったということは

言えるが、他方で、ロシアへの出稼ぎ労働が、タジキスタン、クルグズスタン、ウズベキスタン3ヵ国では非

常に増え、ロシア語の必要性が再び強まっている。私はタジキスタンに2000年に行った時と、2006年に

行った時を比べると、2006年の方が、ロシア語が上手な人が増えたという印象を持った。直接ロシア語を

話すかどうかということは別に、中央アジアで現地語を使って流される様々な情報、特に国際報道も結

局、ロシア経由のものが多い。そのため情報植民地という話が出てくる。ロシア語の能力が下がっている

からと言って、ロシアとの関係が弱まるかというと、そうではないという状況だと思う。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

補足すると、カザフスタンとキルギスでは、ロシア語は公用語的な扱いを受けているが、他の国では、

民族化が政策として進められている。例えば、タジキスタンのラフモノフ大統領も、ロシア式の名前をや

Page 24: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

めてラフモンとタジク式の名前に変えている。ただ、ウクライナやバルト三国などが極端な民族主義的の

国語化政策をとり、これに対しては欧米諸国も、人権問題だと批判した。旧ソ連は、かつてはロシア語圏

だったので、旧ソ連諸国にはロシア語を中心に生活している人が今も多く存在する。そういう人たちに対

する配慮は必要であり、そういう意味で、ロシア語を排除する形での民族主義的な国語化は、政治的な

問題を生む可能性が強いと思っている。

質問者:宇山先生に伺いたい。後半のレジュメの方に、ロシアのユーラシア経済同盟について、若干、

可能性や展望を述べておられるが、ここに書かれている以外に、先生の個人的な見解で構わないので、

ユーラシア経済連盟の今後の展望について、お聞きしたい。

宇山 智彦 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター 教授:

まず、この経済同盟形成条約が結ばれる過程で、色々駆け引きがあったと言われている。ロシアが用

意した案では、政治面での協力等にも踏み込んだことが書かれていたが、カザフスタンの反対で経済に

絞ることになったということだ。加盟国間の足並みの乱れがあり、文字通りの経済同盟が果たして成立す

るのかどうか、今でもかなり曖昧な状況にあると思う。それでも、それぞれの加盟国が自分の国の利益に

なるように、この同盟を扱っていこうとしている。特にクルグズスタンの場合は、ロシアへの労働移民の条

件が大幅に改善されたということで、その点ではウズベキスタンやタジキスタンのような未加盟国・非加盟

国より有利な立場にいるということは言えると思う。

質問者:私は仕事で中東問題を担当しているが、中国とロシアの中東外交ということで質問したい。袴田

先生と清水先生に。今までの中東に関する、例えば、国連安保理決議だが、イランの核問題、シリア問

題、ロシアと中国、一致した行動をとって協調しているようにも見えた訳だが、両国は今後、例えば、イラ

ン、経済制裁を解除され、進出競争も出てくると思う。それから、シリア和平プロセスが始まることになっ

ているが、両社でずっと協調していくことになるのか、それとも競合、競争関係になっていくことがあるの

か、この点についてお答えをお願いする。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

ロシアの中東政策、これは我々ウォッチャーも、おそらくロシア人も驚くほど、状況が激しく変わってい

る。トルコとの関係が非常に良かったにもかかわらず、今は非常に厳しい状況だ。サウジアラビアと接近

したと思っていたら、またイランとの断交の影響を受けて、結局、イランに肩入れする。そういう意味で、ロ

シアの中東政策が中東の動きに振り回されているという感じがする。その面で、中国とロシアが何か協力

しているか、できる状況にあるかというと、私は到底同じ認識を持って、一定の立場で協力できる状況に

ないように感じる。中国は当然、自国の利害でアフガニスタンその他に関与しており、それをロシアに相

談しているとは考えられない。

清水 学 ユーラシア・コンサルタント 代表取締役:

中国の中東との関わり方を考えるときに、かつて鄧小平自身は、中国は、まだ中東にはかかわれる力

もなく、あそこはアメリカの世界だと言っていたのを思い起こす。最近の動きを考えた場合、言葉はあまり

正確ではないが、中国にとって中東問題というのは一種の、言葉が悪いが、見習い期間、練習期間のよ

Page 25: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

うな段階ではないかと私は考える。確かに、シリアやイランの問題については、アメリカ主導の枠組みに、

ある程度一定の抵抗を示すという意味では、ロシアと共通点があったと思うが、それ以外に実質的に中

国の働きかけは特になかったのではないか。

ただし、中国も例えば、シリアは政府側、それから反政府側、両方とも北京に呼んで、何らかの妥協の

道を探ろうとしているし、アフガンの問題は、中国がある意味では本格的にイスラム世界への外交を考え

始めたという、これは従来以上に積極的な動きであることは間違いない。しかしまだ、その1つのスタート

ラインと位置付けられるのではないかと思う。基本的に中国は、「一帯一路」もそうだが、特に経済的なレ

ベルの利益というところに、できるだけ集中しようとしているところが見える。現在、習近平国家主席がサ

ウジアラビア、エジプト、イランを訪問中だが、その直前の1月13日に、中国外務省(外交部)が中国の対

アラブ諸国の政策文書を発表している。その戦略を要約すれば「1+2+3」である。つまり、まずエネル

ギー協力を主軸とし(1)、次にインフラ整備と貿易投資の促進(2)、さらに原発・宇宙衛星・新エネルギ

―開発での協力(3)というわけであるが、基本的に経済的関心だという点に集中している。それ以外で

は、GCC(湾岸協力会議)とFTAを早く結びたいという話はあるが、これも一応、経済の話。そして、政治

的課題としては中東和平の促進と反テロを、ある意味では抽象的に述べているような段階である。これ

により現在の習近平政権の中東政策のウェートが見られるのではないかと思う。

袴田 茂樹 新潟県立大学 教授/IIST・中央ユーラシア調査会 座長:

補足する。中東においては、オバマ大統領のアメリカの信頼感、権威が非常に落ちている。その面で、

ロシアがある意味で、プレゼンスを強化するチャンスと見ているのは事実である。どういう問題が生じても、

歴史的には中国よりも遥かにロシアの方が中東との関わりが深いという自信があるので、今回のサウジと

イランの断交に関しても、アメリカの撤退という状況下で、ロシアは仲介役を申し出ており、必要があれば

軍事力も行使して、プレゼンスを強化する1つのチャンスにした。

質問者:田中先生に伺いたい。いわゆる中露の角逐が、今日の大きなテーマの1つだったと思うが、この

中露の角逐、大国の角逐を考えたときに、アメリカとか、あるいはアメリカを含んだNATOとか、こういうユ

ーラシア外に大きなパワーがある。これらの影響をどう考えたら良いかという思いがある。確かに、アメリ

カは、いわゆる冷戦後の一極主導、次第にパワーを落としてきて、影響力が落ちてもいるが、やはりウク

ライナ問題でロシアが経済制裁を非常に強く受け止めているということを考えると、このユーラシア外の

パワーというものも含めて、中露の角逐、あるいは緊密化を見ていく必要があると思う。

<モデレーター兼コメンテーター>

田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/IIST・中央ユーラシア調査会 代表幹事:

まさしく、おっしゃる通りだが、シンポジウムの、焦点を作るために敢えて、「中露の角逐」と言った。実

際に、中央アジアを立体的に見るためには四方からの色々なパワーを分析しないといけない。それとの

関係もあり、私は、昨年、4回ほど中央アジアに入り、中央アジアのある程度のレベルの官僚、大学の先

生などと色々議論したのだが、それを踏まえて中央アジアは今、外からの大きなパワーに対して、どうい

うイメージ、将来性を考えているかということを、一応、まとめてみる。まず、アメリカに対して、どういう感

情を持っているかということだが、これはご承知のとおり、キルギスに「マナス空港」という、日本のODAで

Page 26: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

リハビリをやった立派な空港がある。そこへ9.11の後に、アメリカ軍が、海兵隊と空軍が1000人ぐらい入り

込んだ。そして2014年7月まで、13年間もそこにアメリカ空軍がいた。これはロシアにとっても、中国にと

っても大変な目の上のたん瘤だった。それがようやく撤退したのだが、キルギスの政府そのものに、その

空港の管理能力はないので、すぐにロシアの国営企業に譲ってしまった。ロシアは、キルギスの中に自

前のカント空軍基地を持っている。空軍基地を持っているから、色々コストがかかることもあり、実はその

後に、中国の国営企業が、この前までアメリカ軍がいた空港の管理権を手に入れて、実際は今、おそら

く、中国の国営企業と言っても後ろに中国空軍が付いていて、阿吽の呼吸でやっているのだと思う。そう

いう格好で、キルギスのマナス空港の管理権の移動というのが、ビッグスリーの勢力の象徴をある程度、

物語っているようなところがある。中央アジアをめぐる「新グレートゲーム」を考えるうえで非常に象徴的な

出来事と言える。

米国は、9.11の事件を契機に中央アジアに確固とした地位を築こうと思って入ったのだが、ある意味

で失敗した。中央アジアで失敗していると同時に、中近東全体からも「米国は最早世界の警官足り得な

い」と言って後退を始めている。なぜ後退することが担保されているかというと、「シェールガス革命」の成

功で、よって、アメリカは石油・ガスをほとんど自給の目途がついている。そして、これまで中近東や中央

アジアの産油国に対し無理にでもそこへアプローチしてきたという、モチベーションがかなり後退したと

いうことになる。これから、特にアゼルバイジャンやカザフのリーダーに近いところは言うのだが、これから

は、アメリカは我々のところにはあまり興味を示さなくなるだろう、というようなことを笑いがてら言っている。

ということで、アメリカはこの地域から、次第に撤退していくだろうと思われている。

半面、中国は依然として、資源の確保、食料確保意欲はまだまだ旺盛で、「一帯一路」戦略を、どん

どん強化してくるということで、投資を含めた中央アジアに対する影響力は、もっと膨れてくるだろう。た

だ、そういった経済問題でどんどん中央アジアに出てくるだろうが、彼らがやはり懸念するのは、中央ア

ジアの旧遊牧民族、それと中国内におけるウィグル族の独立運動との結び付きとかを喚起してしまうよう

なことは避けなければいけないということは、かなり慎重に考えている。

それから、ロシアは原油価格がバーレルあたり100ドル台から30ドル台に下落した影響は寛大だ。で

は、これから、世界3極構造の中で、ロシアの力をユーラシアでもってキープするときにどうするかというと、

基本的にはやはり相対的に優れている軍事力だと思う。ロシアの場合、軍事力でもって一種の実力行

使をすることが増加する。具体的な例で言えば、クリミアの場合もそうだったし、中央アジアにおいては、

ロシア人人口の多い地域が、親ロシア的な運動、独立運動などを示した場合、即、ロシア軍が介入して

くるのではないかという恐れが高まっている。このため、経済的にはロシアの力というのは弱まっているの

だが、それに代わって使えるものは、実力行使・軍事力、それも、簡単に行使する局面が増えてくるだろ

うという推測で中央アジアに対しては、恫喝力が増しているということだと思う。だから、矢印で言えば、

米国は矢印下向き、中国は経済力でもって矢印上向き、それからロシアは軍事力を前面に押出すとい

うことで、やはり若干上向きである。なおかつ、中央アジアの経済は中国が支配し、中央アジアの政治は

ロシアが支配するという暗黙の了解があるという話もあったが、中央アジアに私も住んでいてそういうこと

はよく感じたが、例えば、CISのレベルで、会議をするときに、モスクワから招集がかかれば、中央アジア

の大統領、首相は息せき切って飛んでいくという力関係にある。それを担保しているのが、かつてのロシ

ア語圏で各国のトップ同志が全部ロシア語で直接やり合える、多くの場合、ソ連共産党員として仲間だ

ったという話、それから、お互いにモスクワ大学の卒業生だと同窓意識、そういうところが、政治的な影響

力・結び付きということでは、実は大きなウェートを占めている。

Page 27: 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』...平成27年度 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム 『ユーラシアにおける中露の角逐と中央アジア』

第4の勢力のEUだが、ロシアから西側は実質上EUの経済圏となっている。十年以上前から、モスクワ

空港の免税店の商品価格の表示はユーロである。モスクワのショッピングモールで一番大きな店は、北

欧の家具店「イケア」である。ロシアの西側の経済はEUに押えられているので、プーチンの経済開発対

策は勢い「脱欧入亜」でシベリア、極東開発に向かわざるを得ない。ただ、EU自体は内部で経済力に差

が生じており、シリア難民問題でも足並みは揃っていないなど、これ以上東に進む余力はない。そう言

った意味では、影響力としては矢印は横這いである。

少し時間がオーバーしましたが、本日はご参加、活発な討議を有難うございました。内容のあるシンポ

ジウムになったと感謝いたします。

以上、討議・質疑応答