ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p.2) 地理 …...2...

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2012年度 3学期号 地理・地図資料 ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p.2)

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Page 1: ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p.2) 地理 …...2 表紙の写真は、2011年に国王夫妻が来日したことでにわ かに注目されたブータン王国の国技、“ダツェ”のようす

2012年度 3学期号

地理・地図資料ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p. 2)

Page 2: ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p.2) 地理 …...2 表紙の写真は、2011年に国王夫妻が来日したことでにわ かに注目されたブータン王国の国技、“ダツェ”のようす

写真はすべて2011年8月撮影/帝国書院 大平原 寛

ブータン表紙写真でめぐる旅 ⑮

2011年8月、近年ますます脚光をあびつつあるブータン王国に住む知人宅を訪問

する機会を得た。「幸福の国」ともいわれるブータンの生活の内実を垣間見たので、

写真とともにレポートする。

●④

●⑥ ●⑦

●③●②

●⑤

●①

Page 3: ブータン・ 国技“ダツェ”のようす(解説p.2) 地理 …...2 表紙の写真は、2011年に国王夫妻が来日したことでにわ かに注目されたブータン王国の国技、“ダツェ”のようす

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 表紙の写真は、2011年に国王夫妻が来日したことでにわかに注目されたブータン王国の国技、“ダツェ”のようすである。二組に分かれて、約130m離れたそれぞれの陣地の的を狙う弓術競技である。伝統的な弓は竹製だが、最近は輸入された洋弓を使う人が多い。的に矢が当たると味方は歓声をあげ、歌と踊りで祝福する。そして、射手は色のついた絹の布を腰にはさむ。写真はブータン唯一の国際空港が位置するパロの競技場のようすであるが、射場は小さな村々にもつくられている。 ブータン王国はヒマラヤ山脈に位置する九州ほどの面積の国で、南部のインド国境付近は標高約200mだが、北部は7000m級の山々と深い谷が続く起伏の大きな地形が特徴である。そのため、となりの村に移動するために標高3000mの峠を越えることも当たり前である。主要な河川は北の中国国境から南のインドに向かって流れており、豊富な降雨や雪どけ水と地形の高低差を利用した水力発電が行われている。国内の電力をまかなうほかに、インドに売電することにより、発電は主要な外貨獲得手段となっている。約71万(2011年)の人口のほとんどが標高1000m~3000mの地域に住み、農業を行って生活している。主要な作物は米、麦、とうもろこし、じゃがいもで、とくにブータン産のじゃがいもは甘みがあっておいしいとされる。じゃがいもをはじめとする農作物はインドへ輸出され、村々ではそ

れによって財をなした農家が建てた大きな伝統的家屋をみることができる。また最近は、ブータン産のマツタケが日本人観光客に人気があり、観光地では「マツタケあります」という日本語表記をみることもある。ちなみにブータン人は、マツタケの匂いが強いため、日本人のマツタケ好きを知るまではほとんど食さなかったという。 多くの日本人がブータン王国を、真の豊かさの指標「国民総幸福量(GNH)」を世界に提唱し、自らその上位にある国と記憶しているだろう。確かに、手厚い社会保障や昔ながらの自然共生型の生活によって、多くのブータン国民は自分が幸福か不幸かを考える必要のない生活を送ってきたようだ。しかし近年は、近代化やテレビ・インターネット解禁による情報化により欲求が多様化し、首都ティンプーへの人口集中や若年失業者の増加などが問題になってきた。また、消費によるごみの増大によって処分場が足りなくなってきている。そしてブータン国境周辺のネパールやインドには、ネパール系ブータン難民(19世紀後半~20世紀初頭にブータンに移り住んだネパール系住民で、1990年代初頭の国の民族主義政策から国外へ逃れた人)が未だに約6万人いるといわれているが、ブータン政府は難民の帰国策には消極的であるなど、さまざまな課題を抱えているのもブータンの実情である。

ブータン解説

成蹊大学 准教授 財城真寿美

取材レポート

帝国書院社員 大平原 寛

 2011年8月、近年まで鎖国状態にあったブータン王国を訪問した。玄関口となるパロ空港は、首都ティンプーから車で1時間ほど離れた場所に位置する。写真②のような急峻な山間のわずかな平坦部につくられた空港への着陸は困難を極め、世界で最もパイロット泣かせな空港のひとつといわれる。着陸に成功した際、唯一国際線を運行するドゥルクエアー機内から拍手と歓声があがった。パロからティンプーに移動する途中、青空市を見つけた(写真③)。ブータン入りを果たすまで、商魂たくましいデリー、そしてエキゾチックななかにもどことなく欧米の匂いを感じさせるカトマンズを経由して来た我々にとって、ブータン人の素朴さとのんびりさには、拍子抜けさせられた感があった。  首都ティンプーは、ブータン人にとって大都会である。この国にはひとつも信号機

はないが、目抜き通りの交差点では伝統建築の下で警官が車を誘導していた(写真④)。この国にも首都への一極集中の波が押し寄せ、最近では路上駐車と渋滞が問題視されている。  ブータン人のいうところの大都会ティンプーを抜け出し、山中を車で行くこと約6時間、ハという町に移動した。道中、いくつかの村を訪問し、現地の人々の生活に触れる機会があった。驚いたことにどんな田舎の村に行っても日常生活レベルの英会話が可能で、写真⑤の一家の父母も流暢な英語を話した。ブータンでは地域によって言語が異なるため、教育はもっぱら英語で行われてきたからだ。  都市、地方を問わず、がっしりとした重厚感があるブータン建築の民家があちらこちらで見られた(写真⑥)。壁や柱はカラフルな絵で彩られ見ていて飽きないが、壁面にポーという男根の絵が描かれており度肝を抜かれた。ときには木製のポーが軒先にぶら下げられることもある。ブータンの仏教では、生命の源であるポーは信仰の対

象で魔除けとされているのだ。  ブータンを訪問した日本人は口を揃えるようにして、どことなく懐かしさを感じるという。数十年前の古き良き日本の原風景に出会えたような錯覚に陥るのだ。人々は信心深くマニ車をまわし(写真⑦)、他者に対して不信や警戒の念をあまり抱かない。なんと言っても日本人の顔立ちに似ている人々が、日本の着物のような民族衣装

(「ゴ」男性用、「キラ」女性用)を着ている姿を見ると、一昔前の日本にタイムスリップした気がするのは私だけではないはずだ。

中 国

ブータン王国

バングラデシュ

インド

ティンプー④⑦

パロ②③⑥ハ⑤

0 50km