モナ・リザの謎egoods.holy.jp/pages/file/davinci.pdf2 たいほどであった。...
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映画「ダ・ヴィンチ・コード」公開記念
ダ・ヴィンチの性格から分析する
モナ・リザの謎
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映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、2006 年 5 月 20 日公開である。それに先立ち、ア
メリカではダ・ヴィンチ・ブーム。あるいは、「キリストの謎」ブームが起きている。
書店にいくと、「ダ・ヴィンチ・コード」だけではなく、ダ・ヴィンチに関する本や、
「最後の晩餐」の謎解きの本とか、初期キリスト教の本などがずらっと並んでい
る。
そんなダ・ヴィンチ・ブームの一環としてシカゴ科学技術博物館で、「ダ・ヴィン
チ・展 人間・発明家・天才」という展示が始まった。
シカゴ科学技術博物館
http://www.msichicago.org/
このサイトでは、「ダ・ヴィンチ展 人間・
発明家・天才」について、展示の概略を知
り、ヴァーチャル・ツアーを体験することが
出来る。
小説「ダ・ヴィンチ・コード」がおもしろくて、かなりのインパクトを受けた私は、
当然ながら「ダ・ヴィンチ・展」に行ってみた。
「ダ・ヴィンチ展」といっても、ダ・ヴィンチの美術作品を展示しているわけではな
い。レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家だけではなく発明家としても知られる。
彼の 6000 ページを越えるノートには、様々な発明のスケッチを残されている。
今回の「ダ・ヴィンチ展」では、そのスケッチを元に約 60 点以上もの品々をミニ
チュアで再現したものである。中には、ほぼ実物大で再現されたものもあった。
「飛行に関するもの」「水力に関するもの」「武器、兵器」「橋やクレーンなどの建
築関連品」といったように分けて展示されており、それぞれのセクションで 10-20
個ものミニチュアが再現されていて、1 時間かけて回ったが、もう少しジックリと見
アメリカのダ・ヴィンチ・ブームと「ダ・ヴィンチ」展
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たいほどであった。
この様々な発明品を見ることで、ダ・ヴィンチ・の人となり、性格が見えてきた。
そして、私の「モナ・リザ」に関する謎も、この「ダ・ヴィンチ・展」を通して解決す
ることができた。
まずは、私の「モナ・リザ」に関する謎から示しておこう。
映画だでなく美術鑑賞も大好きな私は、当然フランスのルーブル美術館も訪れ
ているし、「モナ・リザ」も現物を見てきた。十年以上前の話である。
世界で最も有名な絵画とも言われる「モナ・リザ」。
その直接の鑑賞は美術ファンにとっては、大いなる楽しみであることは言うまで
もない。
私もかなり期待して、ルーブルに足を運んだ。
そして、待ちに待った「モナ・リザ」との対面である。
ついに、「モナ・リザ」をこの目で見ることができる!!
「ああ。これがモナ・リザか・・・」という感動に包まれるかと思いきや、
私の感想は
私の「モナ・リザ」の謎
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「何だ、このマックロクロスケの絵は・・・」
私の見た「モナ・リザ」
こんな感じで真っ黒だった
防犯のために防弾ガラスに守られたモナ・リザ。
そして、絵の劣化を防ぐために、最低限のライトしかあてられていない。
薄暗い中でのモナ・リザは、元々の絵が古くて黒ずんでいたこともあり、真っ暗
な背景の中で、ぼんやりと微笑みを確認できるにすぎない。
「マックロクロスケの絵」というのが、率直な感想であった。
そして、不思議なことに、何の感動も、何の感慨も沸きあがらなかった。
有名な絵画を鑑賞すると、たいていの場合その絵画に封じ込められた画家の
怨念、というか情念といったものに圧倒される。
絵画というのは、最低でも数ヶ月。大作となると数年。
超大作となると 10 年以上をかけて完成させる。
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人生の一部分が、絵画に投影されるわけだ。
したがって、そこに情念が封じ込められない方がおかしい。
「モナ・リザ」は3年をかけてもまだ完成せず、ダ・ヴィンチ・は死の間際まで常に
持ち歩き、何度も手直しを加えた作品として知られる。
そこにダ・ヴィンチ・の情念がこもっていないはずがない。
しかし、現物の「モナ・リザ」からは、正直何のインパクも感じられなかった。
もっと詳しく言えば、見る者に対してインパクトを与えるように書かれていない。
むしろ、ダ・ヴィンチ・の感情が、絵から発露しないように、内側へ内側へ押し込
められている、というのが正しいかもしれない。
昔、モナ・リザが盗難された事件があったが、そのとき贋作とすりかえられてしま
ったのではないか? そんな疑問すら持ってしまった。
ダ・ヴィンチ・の絵は、こんなものなのか。
いや、そうではない。
昨年、ワトントン DC のナショナル・ギャラリーで北米にある唯一のダ・ヴィンチ
作品「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」を見てきた。
これは、すごかった。
絵から異様なオーラが出ている。
絵が飾られている空間に一歩足を踏み入れた瞬間に、その絵から強烈なパワ
ーが発せられているのがわかる。
「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」のインパクト
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絵の前に立つと、奇妙な雰囲気につつまれる。
ジネブラ・デ・ベンチの肖像
こちらを見ている女性と目が合う。彼女はコチラ(自分の方)を見ているようで見
ていない。視線が微妙にズレているのだが、何だか自分の心を見透かされている
ような感じがする。
そしてさらにしばらくみていると、何か魂が抜きとられるのではないか、という恐
怖感にかられた。10 分ほど黙って鑑賞していたが、あまりのインパクトの強さにそ
れ以上直視することができなくなった。別な絵を鑑賞して、しばらしてまた戻ってき
てから 10 分ほど鑑賞した。
これほどインパクトのある絵画というのは、滅多に出会うことはない。
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この絵も「モナ・リザ」と同様にかなり奇妙な絵ではあるが、さすがに
ダ・ヴィンチだあ、と感嘆させられる。
それに比べて、「モナ・リザ」からは外に発散される激しいインパクトが、感じら
れなかった。なぜだろう?
その理由がシカゴで明かされることになるとは、ルーブル博物館にいた 10 年
前の私は、予想だにしなかった。
2006 年 4 月 22 日。シカゴ科学技術博物館の「ダ・ヴィンチ展」。
ヘリコプーター、パラグラダー、パラシュート、クレーン、水力推進機関、変速ギ
ア、ベアリング、戦車、装甲車、戦艦。現代において実現されているハイテクの
品々が、15 世紀に描かれたダ・ヴィンチのスケッチにすでに登場していることに驚
かされる。
こうした価値ある発明を見ると「ダ・ヴィンチは天才発明家」ということになる。
しかし、今回の「ダ・ヴィンチ展」はそうしたダ・ヴィンチのポジティブな面にだけ
焦点をあてていないことがユニークである。
例えば、全く不要なもの。全く実現不能なもの。実にくだらないもの。そんな、使
い物にならない発明品の数々もまた、ミニチュアで再現されていた。
例えば、「水上を歩く道具」というのがあった。
ダ・ヴィンチの奇妙な発明
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水上を歩く道具
まるで水上スキーだ。スキー板とストックの先の部分が、大きな木で出来てい
る。忍者の水クモにも似ている。
アイデアとしてはおもしろいが、スケッチから起こされたミニチュアでは、
人間が浮くほどの浮力は出ないし、もし出たとしてもパランスを崩して瞬時に
横に倒れてしまうだろう。非常に安定感の悪いものだ。
物理学、数学にも造詣が深いはずのダ・ヴィンチ・が、こんなデサインを描くとい
うのがほほえましい。
そこには、緻密な計算とか実現可能性への配慮といったものは全くない。
「計算」とか客観性よりも、アイデア重視。
自分の思いつきをそのままスケッチにした。それだけなのである。
これは一例だが、そういう発明ばかりが目に付く。
例えば、こんなものもある。
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巨大な羽根車を回して大きな推進力を得る高速船。
その動力は何かというと、人力だというから笑った。
人夫がハッチャきになって漕がなくてはいけない。
巨大な羽根車を搭載すると、それだけ船は重くなる。
普通のオールで漕いだ方がどうみても早いだろうが、巨大な羽根車のアイデア
から逃れられないところがおかしい。
発明によって便利になるどころか、不便になっている。
「発明の天才」というよりも、自らのアイデアに溺れ、自己陶酔する
「発明オタク」と言った方がよかろう。
こうしたパランスの悪いジコチューな発明品。
それは、「兵器」のデザインにおいて、最も顕著である。
当時、ダ・ヴィンチがいたミラノ公国は、フランスと対立関係にあり、戦争の危機
に瀕していた。実際に戦争となり、ミラノはフランスの侵略を受け、ダ・ヴィンチは
イタリア南部へと逃げ延びる。
ダ・ヴィンチは、イタリアの教皇軍の元で軍事顧問兼技術者として働いていたこ
ともある。武器、兵器の発明というのが、当時ニーズがあったというのはわかる。
しかし、彼の発明した武器、兵器は、奇妙、きてれつなものばかりだ。
私がスゴイと思ったのは、「戦場の草刈鎌」である。
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馬が、「戦場の草刈鎌」を引いて走る。車輪が四つの巨大な鎌と連動していて、
草刈鎌がブロペラのように回転する。近寄ってくる兵士を、高速で回転する鎌でブ
ッタ切りにして、皆殺しにするという凄い兵器だ。
これが実物大の模型で展示されていたので、凄い迫力とインパクトである。
さすがは、発明オタクのダ・ヴィンチ。
さらに、こんなのもある。
船に巨大な鎌がついている。この巨大な鎌で敵の帆船の帆をバッサリと切る。
アイデアは凄い。しかし、この速度の遅そうな船が、敵帆船にどうやって接近す
るのだろうか? もし接近できたとするならば、すでに制海権を手に入れている状
態ではないかと思う。まあ、そういう細かいことは、天才は考えないのだろう。
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誰のための発明か? と考えたときに、それはいろんな発明を考えては悦に入
っているダ・ヴィンチの顔が思い浮かぶ。
間違いなく自分のための発明である。
発想が非常にオタッキーである。
この発明を実際に使う人のことは考慮されていない。
自己満足の発明ばかりである。
私は、この「ダ・ヴィンチ・展」の数々の発明品から、ダ・ヴィンチの性格を、
「自己愛の強いオタク的な性格」と分析した。
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さて、ここで「モナ・リザ」に戻ろう。
「モナ・リザ」のモデルは誰か?
美術界で何百年も論争される大きな問題である。
フィレンツェの貴族、リザ・ジョコンダ夫人という説。
あるいは、ダ・ヴィンチ・は同性愛者であり、サライという名の少年と生活を
共にしていた。この少年が「モナ・リザ」のモデルであるという説。
また、精神科医フロイトは、モナ・リザについての論文を発表している。
それによると、モナ・リザにはダ・ヴィンチ・の母親が投影されているという。
ダ・ヴィンチ・は村の名門に生まれたが、母親はそこの使用人(奴隷)であり、父
親とは正式に結婚できなかった。ダ・ヴィンチ・は、生まれてすぐに母親から離さ
れて育ったために、母親の愛情を知らない。そこで、「モナ・リザ」のモデルと言わ
れるリザ・ジョコンダ・ヴィンチに母親を投影して描いたのが「モナ・リザ」ではない
かと。
あるいは「モナ・リザ」は、ダ・ヴィンチ自身という説もある。
ベル研究所のリリアン・シュワルツ博士は、「モナ・リザ」はレオナルド・ダ・ヴィン
チの自画像である、という説を発表している。ダ・ヴィンチの自画像を、モナ・リザ
の顔と重ね合わせてデジタル解析をすると、その顔の特徴がほぼ完璧に一致す
るからである。
さて、本当のところは、どれであろうか?
いろいろな説があって混乱するが、論点を整理してみよう。
ダ・ヴィンチ・は「モナ・リザ」を生涯手放さず、何度も書き直していた。
このことから、「モナ・リザ」のモデルはダ・ヴィンチにとって非常に大切な人物で
あったことは間違いなかろう。
モナ・リザのモデルは?
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「モナ・リザはダ・ヴィンチ・にとって、最も大切な人物を描いている」と言えるの
ではなかろうか。
では、ダ・ヴィンチ・にとって最も大切な人物とは誰だったのか?
1 リザ・ジョコンダ夫人
2 愛人である少年サライ
3 ダ・ヴィンチの母親
4 自分自身
この四人が考えられる。
「ダ・ヴィンチ展」に、ダ・ヴィンチ・の心臓のデッサンの絵があったが、その写実
力、デッサン力の凄さには驚かされた。
冠動脈、冠静脈。複雑な血管が、写真のようなリアルさで描かれていた。
極めて優れたデッサン力を持つダ・ヴィンチ・。
彼の「モナ・リザ」においても、そのデッサン力は、いかんなく発揮されて
いるはずだ。
つまり、ダ・ヴィンチ・の自画像のデジタル解析の結果を考慮し、ダ・ヴィンチの
凄まじいデッサン力を考えれば、「ダ・ヴィンチ・は見たまんまを描いたのではない
か?」という、当然の結論に至る。
つまり、自分自身を描いたのではないかと。
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さて、自画像を描くときに、画家は何を用いるか?
鏡である。
ダ・ヴィンチと鏡といえば、思い出すものがある。
この写真をごらんいただこう。
ダ・ヴィンチ・ヴィンチの鏡像筆記
(ダ・ヴィンチ・ヴィンチ展より)
「ダ・ヴィンチ・コード」にも登場する、鏡像筆記である。
左右が裏返しに描かれた文字であり、鏡にこの文字を映し出すと、きちんとした
文字として読めるのである。
ダ・ヴィンチ・ヴィンチは人に知られたくない文章を書くとき、鏡像筆記を用いたと
いう。他人にはわからない一種の暗号である。しかし、それを鏡に映し出せば、何
が書かれているのかが、ハッキリと浮かび上がる。
それは、また「モナ・リザ」という絵画についても言えるのではないか。
すなわち、「モナ・リザ」を鏡に映し出せという、ダ・ヴィンチのメッセージが聞こえ
てきそうだ。
鏡の向こうに何が見える?
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「モナ・リザ」を鏡に映してみよう。
鏡の向こうには誰がいるのか?
そう、ダ・ヴィンチ・ヴィンチ本人である。
小説「ダ・ヴィンチ・コード」にも書かれているようにモナ・リザでは、男性と女性
の調和が表現されているという。
この説には全く同意する。
「モナ・リザ」には、男根や女性器が書き込まれているという指摘もある。
このサイトを見ると、確かにそのように見える。
http://www.geocities.jp/da_vinci_in21c/
「モナ・リザ」における「男性と女性の調和」というテーマは、間違いなさそうだ。
そしてそれを表現するのに、ダ・ヴィンチはどのような方法を用いたのか?
「<モナ・リザ>は女装したダ・ヴィンチ・自身ダ・ヴィンチってのはほんとうかい?
まちがいないって聞いたけど」
「ダ・ヴィンチ・・コード」P168
自らが女装し、それを絵画作品として描き止めることで、男性と女性の調和
を表現したのではないか・・・。
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「普通の人が、そんなことするか?」と思うだろう。
しかしながら、ダ・ヴィンチは普通の人ではないし、普通の性格でもない。
ここで、ダ・ヴィンチのオタク的な性格を思い出そう。
私の想像通り、ダ・ヴィンチ・がオタク的な性格だとしたら・・・。
オタクが好きなものは何だろう?
コスプレである。
コスチューム・プレイである。
コミック・マーケットに行くとコスプレーヤーがアニメ・キャラのコスプレをしている。
そして、コスプレーヤーは写真に撮られてうっとりする。
自己満足、自己陶酔である。
オタクなアニメ・ファンは、それを写真に収めて満足する。
これが、コスプレーヤーとオタクの心理である。
ダ・ヴィンチ・の時代、当然、写真などあるはずがない。
写真に変わるものは何かといえば・・・それは「絵」である。
自らが女装をし、それを「鏡」に映して悦に入る。
そして、それを「絵」に描きとめて、さらに悦に入る。
ダ・ヴィンチ・の発明品の数々から、ダ・ヴィンチは自己愛の強い、自己陶酔
型の性格と分析された。
そんな性格であるのなら、自分の女装した姿を描きとめた作品を肌身離さず、
そして死ぬまで持っていたという理由も納得できる。
オタクが好きなのは?
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1 「モナ・リザ」のモデルはダ・ヴィンチにとって大切な人物
2 「モナ・リザ」の顔は、ダ・ヴィンチの自画像に重なる
3 ダ・ヴィンチは、同性愛者である
4 ダ・ヴィンチは、オタクな性格である
5 ダ・ヴィンチは、自己愛が強い自己陶酔型の性格である
6 ダ・ヴィンチは、鏡の向こう側に謎を託すのが好きである
これららのピースをつなぎ合わせると、「モナ・リザ」のモデルが「女装したダ・ヴ
ィンチ」という奇妙キテレツな説が、妙なリアリティを持って迫ってくるのである。
さて、私がモナ・リザを見たときに抱いた謎。
それは、なぜ「モナ・リザ」に外に発散される激しいインパクトがなかったのか?
である。
それは、「モナ・リザ」は、ダ・ヴィンチ・が自分自身のために描いた絵だから
である。
ダ・ヴィンチから、決して売ることはなく、後生大切に死ぬまで持っていた。
他の人に見せるための絵。「表現」としての絵ではない。
「絵(モナ・リザ)」→「他者」 ではない。
むしろ、方向性は、全く反対である。
「絵(モナ・リザ)」→「自分(ダ・ヴィンチ)」 である。
ダ・ヴィンチ・は、「モナ・リザ」を描きながら自己満足の陶酔感を味わっていた。
もっと高尚な言葉で言えば、自分自身を見つめるということ。
すなわち、自己探求でもいい。
モナ・リザの謎 解読
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その自己探求の結果が、「男性と女性の調和」であり、自己探求の結果である
から、それを自分で実現しなくてはいけない。
すなわち、自ら実演して見せた、ということになろう。
ここに来て、「ダ・ヴィンチ・・コード」の冒頭部。
ルーブル美術館館長のソニエールが、自らの身体を用いてダ・ヴィンチ・の
ウィトゥルウィウス的人間を実演してみせたことを思い出す。
ウィトゥルウィウス的人間
ダ・ヴィンチ・女装説はすでに広く知られている説であるが、それをダ・ヴィンチ・
のオタク的性格で補強したところが、私のオリジナルである。
まあこの説も真偽は正直わからない。
ただ、ここまで読んだみなさんは、「ダ・ヴィンチ・・コード」をよりおもしろく見られ
ることだけは確かだろう。 (終)
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「無料レポート請求ページ」に書かせていただきました通り、この無料レポートを
請求されたみなさんを、メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」「ビジネス心理学」
に登録させていただきました。
この無料レポートは、メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」で配信した原稿を
元にして、加筆訂正したものです。
メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」では、このように映画と精神医学、心理
学に関わる興味深い記事を配信しています。引き続き購読していただけましたら
幸いです。
著者 樺沢紫苑 (本名 佐々木信幸) 連絡先 [email protected]
●メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」
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●メルマガ「ビジネス心理学」
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