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キーツの『ギリシアの壷についてのオード』 宮下 忠二 1 キーツの『ギリシアの壷についてのオード』(0磁o%α(}7θoぬ%Uアπ)は,あたか もある一つの古代ギリシアの大理石の壷を前にした詩人が,その壷の表面に彫られた 浮き彫りを眺めながら感想を述べる,というふうに書かれている。しかしこのオード の浮き彫りのイメージは,特定の壷のそれを写したものではなく,いくつもの壷の浮 き彫りや,それらを写したさし絵や版画や,あるいは壷の浮き彫りとは全く関係のな い絵画のイメージであることは,今日では周知のこととなっている。 イァン・ジャック(lan Jack)の『キーッと美術の鏡』(1くθ儒㈱4≠hθM卿oγげ オ鴎1967)は,このオードのヴィジョンに寄与していると思われる浮き彫りや絵画を, (1) 10点余り挙げている。ジャックはケムプリッジの学者であるが,興味深いことに, 氏の研究とほぼ同時に,ランカスター大学のジェイムズ・ディッキー(JamesDickie) が同じ研究をすすめ,ジャックより2年遅れて『ギリシアの壷の考古学的研究』(Thθ (2) Gγ60¢鰯U■%’Z館ルo惚oJo8加Z∠ρρ70αoh、1969)を発表している。この研究はも ちろんジャックの研究とは何の連絡もなしに,全く別個に行なわれたらしいが,結果 としては,小さい点で違いはいくらかあるものの,ジャックとほぼ同じ結論に達して いる。ということは,このオードの素材となった美術の資料は,これでほぼ出尽した と思われるのである。 しかし,今日では周知となっている以上の事実も,今世紀になってキーツ研究が進 んだために明らかになったのであって,19世紀末までは,キーツ研究家でもこのオ ードが特定の壷を題材としたものだと信じていたらしい。たとえば最初の信頼すべき キーツ詩文集『キーツ全集』(ThθCo7%ρ」吻『oγ麓げ∫o肋Kθα悶5vols・1900-1901

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  • キーツの『ギリシアの壷についてのオード』

    宮下 忠二

    1

     キーツの『ギリシアの壷についてのオード』(0磁o%α(}7θoぬ%Uアπ)は,あたか

    もある一つの古代ギリシアの大理石の壷を前にした詩人が,その壷の表面に彫られた

    浮き彫りを眺めながら感想を述べる,というふうに書かれている。しかしこのオード

    の浮き彫りのイメージは,特定の壷のそれを写したものではなく,いくつもの壷の浮

    き彫りや,それらを写したさし絵や版画や,あるいは壷の浮き彫りとは全く関係のな

    い絵画のイメージであることは,今日では周知のこととなっている。

     イァン・ジャック(lan Jack)の『キーッと美術の鏡』(1くθ儒㈱4≠hθM卿oγげ

    オ鴎1967)は,このオードのヴィジョンに寄与していると思われる浮き彫りや絵画を,

           (1)10点余り挙げている。ジャックはケムプリッジの学者であるが,興味深いことに,

    氏の研究とほぼ同時に,ランカスター大学のジェイムズ・ディッキー(JamesDickie)

    が同じ研究をすすめ,ジャックより2年遅れて『ギリシアの壷の考古学的研究』(Thθ

                              (2)Gγ60¢鰯U■%’Z館ルo惚oJo8加Z∠ρρ70αoh、1969)を発表している。この研究はも

    ちろんジャックの研究とは何の連絡もなしに,全く別個に行なわれたらしいが,結果

    としては,小さい点で違いはいくらかあるものの,ジャックとほぼ同じ結論に達して

    いる。ということは,このオードの素材となった美術の資料は,これでほぼ出尽した

    と思われるのである。

     しかし,今日では周知となっている以上の事実も,今世紀になってキーツ研究が進

    んだために明らかになったのであって,19世紀末までは,キーツ研究家でもこのオ

    ードが特定の壷を題材としたものだと信じていたらしい。たとえば最初の信頼すべき

    キーツ詩文集『キーツ全集』(ThθCo7%ρ」吻『oγ麓げ∫o肋Kθα悶5vols・1900-1901)

  •  4

    を編集したH・Bフォーマン(H・Buxton Forman,1842-1925)は,このオード

    についての注釈において,この詩の素材となった壷は,・ンドンのホランド卿邸                        (3)(Holland House)の庭にあった壷らしい,と推定している。この全集が編集された

    頃,つまり19世紀から20世紀に移る頃が,キーッ研究の一つの転機であったらしい。

    このフォーマンの全集も画期的な業績であったが,キーツの伝記と作品研究に多大の

    進展をもたらしたのはシドニー・コルヴィン(SirSi(1neyColvin,1845-1927)であっ

                        (4)た。彼はまず1887年にキーツ評伝の小著を出版し,さらに30年後の1917年に,600              (5)ぺ一ジに近い大冊の研究を出版した。彼の研究で注目すべきことは,前著ではこのオ

    ードについて,キーツがrある一つの古代彫刻を見て,あるいは想像して書いた」

    (the sight,or the imagination,of a piece of ancient sculpt皿e had set the mind

                  (6)at work)と簡単に記述されているのが,後の大著では,キーッの時代にパリで出版

    された4巻本の美術全集『ミュゼ・ナポレオン』(M%54θ2〉妙oJ6伽,1804)に載って

    いたrソシビオスの壷」(the Vase of Sosibios,ルーヴル美術館)をはじめ,大英博物

    館のrタウンレーの壷」(the Townley Vase)や,ルーヴノレ所蔵のrボルゲーゼの壷」

    (the Borghese Vase),さらにはフランスの画家クロード・・ラン(Claude Lorrain,

                                (7)1600-82)の絵など,合わせて6点の美術作品を挙げていることである。これはコル

    ヴィンがすぐれた美術研究家でもあったことによるのであるが,半世紀後にジャック

    が指摘した浮き彫りや絵画のうち,約半数をすでに数えていたわけである。しかし,

    いうまでもなくコルヴィンの解説やさし絵はきわめて簡単であるのに対して,ジャッ

    クはこのオードのために10ぺ一ジ余りの詳細な説明を加え,さらに鮮明なさし絵や

    浮き彫りの写真を8枚も挿入しているのであるから,キーッが想像したイメージをわ

    れわれに具体的に解らせてくれる点では,ジャックの本は実に有益である。

     これらの研究によってわれわれが知ることは,第一に,このオードに描き出されて

    いる壷が,キーツが想像した壷であって実在の壷ではないということであり,第二に

    は,実在の壷ではないにしろ,キーツが全く気ままな壷のイメージをこしらえたので

    はなしに,一つ一つのイメージに,それがもとづく典拠があるということである。そ

    ういう,具体的な事物の印象にもとづきながら,結局は独特のヴィジョンをつくりあ

    げるところに,キーツの詩的想像力の重要な特質の一つが見られるのである。

    H

    つぎに,そのキーツの想像力の特質が,このオードのイメージにどのように現われ

  •                                   5

    ているかを見たいのであるが,このオードを理解するにあたって第一に必要なことは,

    ここにキーツが表現しているギリシアの壷のヴィジョンが,われわれが通常の感覚で

    認識できる世界ではなく,全く別次元の,いわば超現実の世界だということである。

    Thou st且1unravished bride of quietness,

    Thou foster-chi1(l of silence and slow time。(IL1-2)

    おまえは静寂と結ばれて,まだ清らかな花嫁,

    おまえは沈黙と悠久の時が養い育てた子供。

     冒頭のこの2行は,ギリシアの壷の静かなたたずまいをさりげなく形容しているよ

    うに見えるが,実は想像力の極度の緊張をはらんだ2行である。r静寂」を人格化し,

    この壷をその花嫁だがまだ肉体関係をもっていないという大胆なイメージが,このオ

    ード全体を支配する超現実の想像の世界へと,われわれを引きこむ契機をつくってい

    る。C.M.バゥラ(C。Maurice Bowra)は,このイメージのカをかなり的確に説明

    している。

    r騒がしくまた変りやすい世の中で,ここに何か物音と変化を超越したものがある。

    この詩の調子は,冒頭のこれらの大胆な言葉によって決定している。われわれはた

    ちまち,日常生活からかけ離れた次元の世界のなかに引きこまれるのだ。詩人はわ

    れわれに・この壷を永遠の沈黙という神秘のなかにおいて眺めることを要求してい

    る。」

    (lnan・isy・changingw・rldhereiss・methngbey・nds・undandbey・ndchange,The note for the poem is set at the staτt by these daτing words.We

    are brought at once into an order of things remote from our lives.The poet

                                        asksthatwesh・uldseetheUminallthemystery・fitsunchangingsilence.)

     では,この現実を超えたところにある,絶対の静寂な世界とは,いったいどんな世

    界なのか。E C.ペテソト(E,C,Pettet)は,rキーツは生涯,精神の『静寂』を

    切望していた。」(he certainly longed all his life for that‘quietness’which is of the

        

    spkit・)と述べ,上のような特異な比喩をつくり出した理由もそこにある,と言って

    いる。しかし,キーツにとってこのr瀞寂」の境地は,r切望した」というよりも根

    元的に必須の世界であった。このオードばかりでなく,ほとんどすべての彼の重要な

    詩は,この絶対の静寂の境地において発想されている,といっても過言ではないから

    である。

  •  6

     キーッの初期の詩は,『1817年詩集』(Po襯3,18ア7)の諸篇のように,一言でいえ

    ば快適な夢想の世界の喜びを語ること,キーッの言葉でいえば,r花の女神と牧羊神

    の世界」に想像を遊ばせること,から出発している。しかし,たとえばこの詩集の冒

    頭の小品,r小高い丘に爪立って立った」(‘I stood tip-toe upon a little hilr)では,

    詩人が楽しい夢想に耽り始める揚所として,小高い丘のr沈黙が洩らす吐息から,か

    すかな音なき音が木の葉の茂みにしのびよる」(there crePt1A little noiseless noise

    among the leaves,/Bom of the very sigh that silence heaves・)ような・この上な

    い静寂にしずまりかえった自然をえらんでいるし,この詩集のしめくくりの力作『眠

    りと詩』(5伽汐α鰯Poθ砂)では,詩的夢想が眠りという心身の静寂な状態と深い

    関係があり,その自意識のない心身の状態こそ,詩的想像を生む母胎であることを暗

    示している。

     彼の手紙にも,想像力が沈黙のなかでもっとも活発に働く・ということに言及した

    箇所がある。

    「想像力のある素朴な心は,その心自体が精神に対して沈黙の働きかけをくりかえ

    すことによって報いられるのですが,その働きかけは絶えずすばらしい突然さをも

    ってなされます。(the simple imaginative mind may have its rewar(is in the rep-

    etition of its own silent Worldng coming continually on the spirit with a丘ne

    suddemess.)一大きいこ・とを小さい蔦とに例えれば一君はこんな経験をした

    ことがないかい,以前すばらしい所ですばらしい声で歌われているのを聞いたメ・

    ディーを突然思い出して,そのメ・ディーが君の魂に初めて働きかけたときの,君

                     ぐユのの考えや臆測を再び感じたというような経験を。」

     r想像力が精神に対して沈黙の働きかけをくりかえす」というのは,今日の心理学

    の言葉を用いれば,想像力が無意識の底に沈んでいる記憶に働きかけ,それを呼び起

    こす,ということであろう。初め,大自然の静寂のなかで働きはじめた想像力は,眠

    りという無意識状態と深い関係をもつことが解ってきて,詩人は次第に,彼自身の内

    面の無意識の深淵に深く沈んでいる記憶をまさぐり,そこから魔力を秘めたイメージ

    を汲みとるようになってゆく。その無意識の深淵が深ければ深いほど,そこには・大

    自然の静寂にまさる,絶対の静寂が存在していた。

     『1817年詩集』に次いで書いた大作『エンディミオン』(E仰吻雁o%)の第4巻にお

    いて,主人公エンディミオンが,夢に見た愛する月の女神を追ってさまざまな苦労を

    体験したのち,突然r静寂の洞窟」(the Cave of guietude)1こ到達する。その洞窟

  • 7

    は魂の奥深く存在する洞窟であって,

    Woe-hurricanes beat ever at the gate,

    Yet all is still within and desolate.

    Beset with painful gusts,within ye hear

    No sound so Iou(1as when on curtain’(1bier

    The death-watch tick is stifled.Enter none

    V㌧砺o strive therefore;on the su(1(1en it is won.

    苦悩の嵐は絶えずその門口を打つが,

    その内部はすべてが静かで寂しい。

    苦痛の烈風で取りかこまれても,その中では

    枢の上で黒布をかけられ,押しこめられた

    ちゃたて虫ほどの物音もない。努力しても,

                  (11)誰も入れない。それは突然入れるのだ。

     『ハイピリオン』(H妙副o%),『ハイピリオンの没落』(ThθFα1!げH妙画oη),『怠

    惰についてのオード』(048伽1η40Z%θ),『プシュケーによせるオード』(04θ∫oP5ッー

    6hθ)など,キーツの重要な作品の大半は,いずれも上に述べてきたような,特異な

    静寂の雰囲気のなかのヴィジ日ンである。それは,r静寂の洞窟」においてキーツの

    自覚に達した,この無意識の深淵に入ってゆくとき,彼の想像力が,美,すなわち詩

    を発見する,ということにほかならない。この無意識の深淵は,感覚が鋭敏に働き想

    像力が激しく高揚するさなかにあって,あたかも台風の眼のように静まりかえってい

    て,その,人間の境界を超えて狂気に近いところまで高ぶる想像力を統御し,それに

    魔力あるイメージを供給するのである。

     このオードに話を戻すならば,そのような,絶対の静寂の世界においてこそ,想像

    力が真の美を捉えることができるのだということを,この美しい壷は普通の壷で

    はなくて,その根元的な静寂と分ちがたく結びついている壷だ,と冒頭に述べること

    によって,キーツはわれわれ読者にも,その超現実の世界に入ることを要求するので

    ある。

     しかし,このr静寂と結ばれながらまだ清らかな花嫁」というイメージには,バウ

    ラが触れていない重要な意味があると思う・このイメージには,結婚生活の興奮と陶

    酔への予感が暗示されている。上述のような、魂の奥深くにひそむ静寂の絶対境のな

    かでの,美しく清らかな花嫁との性の陶酔の暗示がある。r花嫁」というイメージは,

    単に白い大理石の壷の美しい形が,若い女性を思わせるために用いられたのではない。

  •  8

    それならば必ずしもr静寂」とr結婚」しなくてもいいはずである。r静寂」と分ち

    がたく結ばれたr花嫁」というイメージには,まだ清らかな少女が,静寂が生み出す

    想像力によって,やがて性の陶酔におちいってゆく可能性があることが暗示されてい

    る。そして第2,第3節は,静寂のなかでの想像の陶酔の状態を描き出している。

    Heard melodies are sweet,but those unheard

     Are sweeteτ;therefore,ye soft pipes,play onl

    Not to the sensual ear,but,more endear’〔1,

     Pipe to the spirit ditties of no tone;

    Fair youth,beneath the trees,thou canst not leave

     Thy song,nor ever can those trees be bare;

      Bold Lover,never,never canst thou kiss,

    Though winning near the goal-yet,do not grievel

     She cannot fade、though thou has not thy bliss,

      For ever wilt thou love,and she be fair1

    耳に聞える旋律は美しい,しかし聞えぬ調ぺは

    もっと美しい。だから静かな笛よ,奏でつづけよ。

    感覚の耳にではなく,もっとしみじみと

    音のない小曲を精神に響かせてくれ。

    木立の下の美しい青年よ,君はその歌を

    やめることはできない,木の葉も散ることはない。

    勇敢に女を追う男よ,今にもつかまえそうだが

    君は接吻することはできない一だが悲しむな,

    彼女は消えないのだ,幸福を得られなくても,

    いつまでも君は愛し,彼女の美しさは変らないのだ。

     この第2節は,静寂のなかでr精神」にのみ聞えてくるr聞えぬ調べ」に聞き入る

    詩人の想像力が,上に述ぺたような性の陶酔へと移ってゆく状態を示している。W・

    」・ベイトが,第2,第3節がr主題からの逸脱」(digression)であって,省略して                       (12)もかまわない,と言っているのは見当ちがいの解釈である。これらの節は何よりも静

    寂の絶対境のなかに湧いてくる陶酔の心理を表現するものとして必然的なのである。

    それは第3節において,

    Ah,happy,happy boughs1

    ああ,幸福きわまる木の枝よ!

  • 9

    に始まる陶酔が,

    More happy love!more happy,happy love!

     For ever warm and still to be enjoy’(1,

      For ever panting,and for ever young;

    いやましに燃える愛よ! もっと,もっと燃えよ!

    情熱はさめることなく,楽しみはいつまでも続くのだ,

    いつまでもあえぎ求め,いつまでも若々しいのだ。

    に至って,

     つぎの,

    きわめて自然にクライマックスに達しているのを見ても明瞭なことである。

    All breathing human passion far above,

     That leaves a heart high-sorrowful and cloゾd,

      Abumingforehead,an(1aparchingtongue。

    (これ.らのイメージは)

    生き身の人間の情欲をはるかに超えている,

    情欲は飽満と深い悲哀に心を沈め,

    燃える額と焼けつく舌を残すだけだから。

    の3行には,現実の人生と比較した揚合の,ギリシアの壷の浮き彫りという芸術の優                                   (13)位という思想が表現されており,それがこのオードの主題だとする解釈がある・しか

    しキーッはここで,壷の浮き彫りの美を讃えているようには見えても,実は,その浮

    き彫りが想像力を刺激して静寂の無意識界につくるイメージの方が,現実生活で満た

    される情念をはるかに超える,真の美なのだ,と主張しているのである。

    Who are these coming to the sacri五ce~

     To what green altar,O mysterious priest,

    Lead’st廿10u that heifer lowing at the skies,

     And all her s江ken flanks with garlands drest~

    What little town by river or sea shore,

     Or mountain-built with peaceful citadel,

      Is emptied of this folk,t1亘s pious mom~

    And,Httle town,thy streets for evermore

     Will silent bel and not a soul to te11

  • 10

      Why thou art desolate,can e’er retum.

    いけにえ

    犠牲の祭にやってきたこの人びとは誰だろう。

    おお,神秘の司祭よ,空を見上げて喘く,

    純白の横腹を花づなで飾った牝牛を,

    どこの緑の祭壇へ君は連れてゆくのか。

        あしたこの敬慶な朝,この人びとが出払ったために,

    空虚になったのは,川のほとりか海辺の町か,

    それとも平和な城のある山の上の町なのか。

    そして,小さな町よ,おまえの街路は永久に

    物音一つしないだろう。何故そこに人気がないか

    帰ってきて語る人は誰もいないのだから。

     第2,第3節の笛の音のイメージや愛欲の陶酔のイメージから,この第4節の犠牲

    の祭に出かける行列のイメージヘの急激な転調は,キーツの想像力の特質について,

    もう一つの重要な問題を提出している。

     キーツは,第2,第3節のバッカス的な歓喜の集いの浮き彫りの裏側に,この第4

    節の宗教的なイメージが刻まれているかのように書いているが,実際の古代ギリシア

    の壷には,このように異なった主題のイメージが同じ壷に刻まれていることはありえ

    ない。この二つの主題の混合について,C・L・フィニー(C・L Finney)はこう言っ

    ているo

    rこの想像上の壷は偽物だ,純粋なギリシア芸術の方式ではない。ギリシアの劇作

    家が,一つの劇の中に悲劇と喜劇とを混合しないように,ギリシアの彫刻家は,パ

    ソカス的興宴と敬塵な犠牲の祭とを混合させることはありえない。」

    (The imag圭nary Grecian um which Keats described is untrue_to the pure con-

    vention of Greek art,A Greek sculptor would no moτe think of mingling a Bac-

    chic throng with a pious sacri且ce than a Greek dramatist would think of min一

                  (14)gling tragedy and comedy in a play。)

     その通りである。しかし初めに述ぺたように,キーツはある特定の壷を前にして,

    あるいは念頭において,このオードを書いたのではなかった。問題は,キーッが何故

    ここでこの犠牲の祭への行列のイメージを思い浮べたのか,ということである。とく

    に,この牛を連れた司祭の一行について書くだけでなく,この人びとが留守にしてき

    たr人気ない町」にまで想像をめぐらせているのはどういうわけなのか。

  • 11

     このオードを論じた論文は数多いが,この第4節のヴィジョンの特質についてふれ

    ているものは意外に少ない。クリアンス・ブルックス(Cleanth Brooks)は,r第4

    節は個人の願望や欲望を(第2,3節のように)強調するのではなしに,共同生活                   (15)(communal life)を強調している」と言っている。E・C・ペテットはこの考えを敷衛

    し詳説して,この第4節が,『エンデ柔ミオン』第1巻の,牧羊神パンを讃える古代

    ギリシア人の祝祭の揚景(89-392行)と深い関係があるとし,とくにその揚面のrす

    べての人びとの歓喜」(universal joyousness)が,古代ギリシアの黄金時代の人びと

    が,自然神崇拝に本質的な幸福感を見出していたことを示すのだという。

     r古代ギリシア人の時代に黄金時代があったとキーツは信じるがゆえに,この(犠

     牲の祭の)イメージは共同体の幸福を表わし,前の二つの節の理想的な個人の幸福

     の場景を補うものとなるのだ。」

     (Deriving from his belief in a Golden Age at the time of the ancient Greeks,

     it stands for communal happiness,an(1is thus complementary with his picture

                           (16) of i(1eal individual felicity in the two previous stanzas。)

     『エンディミオン』第1巻の,300行にわたる牧羊神の祭壇前の人びとの集いは,

    確かに歓喜に満ちている。ところがこのオードの第4節は,歓喜というよりも,犠牲

    の牛を神に捧げるという,宗教的な敬慶な雰囲気を強調している。r共同体の幸福」

    というよりも,現代から遠くはなれた,神秘に包まれた時代を,キーツはむしろ暗示

    しているように見えるのである。そしてこの,犠牲の牛を神に捧げようという宗教的

    な要素は,それにつづくr人気ない町」のもつ,空虚な,もの寂しいイメージヘと直

    接に結びついているのではなかろうか。ペテットは,この沈黙している寂しい町は,

    結局は古代ギリシアの黄金時代に帰ってゆく方法はない,という,キーツの悲しい認

                (17)識を表現している,と言うのだが,そんなことを言うために,わざわざこのような不

                                 し思議なr人気ない町」のイメージを描き出す必要があろうか。

     この第4節について,もう少し説得力ある解釈を示しているのがバウラとハィエッ

    ト(Gilbert Highet)である。バウラは,二一チェ流のギリシァの天才の分析に従え

    ぱ,第2,第3節がディオニュソス的要素をふくむイメージであるのに対し,この第              (18)4節はアポロン的だ,と指摘している。ハイエソトも「キーツは驚くぺき洞察力をも

    って,ギリシア人の魂には,司祭と歓楽を追う人間,無法なサテユロスと賢くて静か

    な神様が共存したことを心から理解していたのだ。」(With his marvellous insight he

    [Keats]realize(1that in the soul of Greece there were both a priest and reveler,

                               (19)both an outrageous satyr and a wise,tranquil god.)と述べている。

  •  12

     この解釈はかなり妥当な面を持ってはいる。しかし,バウラもハイエットも,人び

    とが出払った寂しい町へ,何故キーツが想像をはせているかについては少しも言及し

    ていない。

     このr人気のない寂しい町」は,まことに異様な想像である。これはいかなる壷の

    浮き彫りにも,あるいは絵画にすらも,描かれているはずのないイメージであって,

    キーツの完全な独創である。どうしてキーツはこんな町を想像したのか。

     この第4節の犠牲の祭の行列のイメージの典拠として,今日もっとも有力なのは,

    ク・一ドの『アポ・神殿において犠牲の祭を行なうプシュケーの父』(L㈱450α勿ω伽

                                   (20)≠hθFα≠hθγ夢P5ッohθ5躍夢o伽8α’≠hβ丁餓ク」θφZρoZJo)という絵画である。この

    絵の右端にはアポ・一の神殿があり,その前に祭壇があって数人の人びとが集まって

    いる。ずっと離れて,画面の左端に,司祭らしい人物が一頭の牛を連れて,その祭壇

    の方へ歩んでゆく姿が描かれている。司祭と牛の後方には,人びとの行列が木の幹に

    かくれてわずかに見えている。ジャックが挙げている,この第4節のイメージの素材

    となったらしい数点の浮き彫りや絵画のなかでも,このクロードの絵が,キーツの描

    いたイメージにもっとも近いのは確かである。しかしそれにしても,司祭に従う行列

    の人びとは,前述のようにはっきり描かれていないし,この絵の中に描かれている人

    物を全部合計しても,たかだか十数人にすぎない。こんな小人数の住民が出払ったた

    めに,人気がなくなるような町があるであろうか。まして壷の浮き彫りとして表面に

    彫刻できる人間の数は知れている。

     要するに問題は,キーッがそんな矛盾を一切顧慮することなしに,敢えてr人気な

    い町」を想像していることである。

     この点について,ミリアム・アロット女史(Miriam Allott)の指摘は鋭い。

     r『空虚になった』という言葉によって,キーッの感じ方の反面一すなわち理想

    の世界の活力の弱さと欠乏の知覚一がいっそう強く訴え始めるのだ。」

    (With the wor(i‘emptied”(1.37)the other side of Keats7feehngs-i.e.the

    sense of the thimess and lack of vitality in the ideal wor1(1-begins to im一

               (21)pose itself more forcefully...)

     しかし,それならどうしてキーツにとって理想の世界は,第2,第3節の活力にみ

    ちた幸福感とは裏腹に,活力の弱さと欠乏を示すことになるのであろうか。

     ここにキーツの想像力の,さらにもう一つの特質が,明確に現われていると思われ

    る。すでに『眠りと詩』において,

  • 13

    What is mole tranquil than a musk-rose blowing

    In a即een island,far from all men’s㎞owing~

                     (IL5-6)

    緑の島で,人間には全く知られずに咲く,

    ジャコウバラほど安らかなものがあろうか。

    と,キーツは人のいない世界の美に想像をめぐらせている。この‘tranqui1’という

    形容は,前述したr静寂な超現実の世界」の美を形容するものである。つまりキーッ

    の求めていたr静寂の世界」には,初めから人間のいない揚所に通じる性格があった

    のである。しかしこの『眠りと詩』を書いてからオード群を執筆するに至る,わずか

    2年余りの間に,キーツの詩心はめざましい変化に見舞われ大きな成長を遂げた。

     『エンディミオン』において,彼の想像力は,心の深層にr静寂の洞窟」を発見し

    た,と前に述ぺた。またこれも前述したように,初期の詩においては,彼の想像力は,

    快適な,幸福なヴィジョンのみを追い求めていた。ところが,このr静寂の洞窟」を

    魂の奥深くに発見してからは,キーツは自分の想像力が,喜びや幸福の世界をめぐる

    ばかりでなく,苦痛や不幸や破壊の世界にも入ってゆく傾向があることを自覚し始め

    たo

     その,不幸のヴィジョンに傾く想像力の働きを,始めて認めたのが『レノルズに与

    える書簡詩』(To∫.H,Rθ獅oJ4ε,.Esg.)である。『エンディミオン』脱稿後,3,4か

    月後の,1818年3月25日に書かれた作品である。

    Or is it that imagination brought

    Beyond its proper boun(i,yet still confined,

    Lost in a sort of Purgatory blind,

    Cannot refer to any standard la、v

    Of either earth or heaven~

                 It is a HawIn haPPiness to see beyon(10ur bourn-

    It forces us in summer shes to moum●                21t spoils the singing of the nightingale.

                  (11.78-85)

    あるいは想像力がその本来の領域を超えても,

    なおもある限界内にとどめられ,

    もの見えぬ煉獄をさまよって,

    この宇宙に関する正しい法則を

  • 14

    指し示すには至らないのだろうか。

    人間の境界を超えて向うを覗くのは,

    幸福の疵となる一美しい夏空の下で悲しんだり,

    夜哺鳥の歌ごえを台無しにしてしまうから。

     この一節につづいてキーツは,海中で魚たちが互に食い合うr永遠の荒々しい破

    壊」(an etema1五erce destruction)のヴィジョンを見た,とレノルズに語っている。

    ここには明らかに,不幸や破壊の世界にまで入ってゆかないではおかない想像力の一

    面への自覚がある。

     この頃からキーツは,彼自身の想像力の働きに対して,恐怖の入りまじった期待を

    抱き始めたらしい。5月にはあの有名な,r処女思想の部屋」(the Chamber of Maiden

                                      のThoughts)から出て,周囲が暗闇に閉ざされている心境だと手紙に書いている。さ

    らに7月から出かけたスコットランド徒歩旅行では,途中立ち寄ったバーンズの墓を

               ぐ の見た感想を記録したソネットのなかで,せっかくの美しい風景を眼前にしながら,

    r冷たい美」(cold beauty)しか感知することのできない自分の想像力を,r病的な想

    像力」(sickly imagination)と呼んでいる。またつづいて,エアの町にあるバーンズ

    の生家を目指して歩いてゆく途中の印象を書いた『バーンズの国を訪れた後・高地地

    方で書いた詩』(L伽65砂■¢’∫8%魏≠hβHづ8hlα%45ψ8yα7¢ε露∫o B%耀3’5Co%%67:γ)

    では,想像力が人間の境界を超えて狂気に近づいてゆく過程をはっきり自覚し・狂気

    に陥る直前に想像の高揚を打ち切ることを敢えてしている。

    Scanty the hour and few the steps beyond the bourn of care・

    Beyond the sweet and bitter world-beyon(l it unaware;

    Scanty the hour an(i few the steps,because a longer stay

    Would bar retum,and make a man forget his mortal way.

                                (1L29-32)

    心労の境界を越えてゆく時間はほんのひととき,歩みも数歩にすぎない。

    甘く苦いこの世を一それと知らずに越えても,

    時間はほんのひととき,歩みも数歩にすぎない。なぜなら長くとどまれば・

    この世に帰ることをはばまれ,人間たることを忘れるからだ。

     人間がいない世界へ想像力が入ってゆくこと,人間の境界を越えることは,狂気か

    死の世界に入ることだ,という自覚である。

     こうした経験を積み重ね,想像力の本質が次第に明確な姿を現わしてきた結果,キ

  •                                  15

    一ツは,その想像力が幸福のイメージから不幸のイメージヘ,正気を越えて狂気へ,

    あるいは生の世界を越えて死の世界に入ってゆくとき,一つの詩的体験の完成を感じ

    とって,想像力の働きを打ち切って現実にもどってくるようになったのではなかろう

    か。言いかえれば,想像力が生と死の世界をひとめぐりし,そのヴィジョンの一つの

    サィクルを完結したとき,一つの美の世界が一それはすなわち真実の世界でもある

    わけだが一完結する,つまり詩が完成するのである。オード群のうち,とくに『夜

    暗鳥によせるオード』,『秋によせる』およびこの『ギリシアの壷についてのオード』

    の3篇が,この想像力のサイクルの完結を鮮やかに示している。

     ケネス・アロット(KennethAllott)は,『夜哺鳥によせるオード』と『ギリシア

    の壷についてのオード』には,ともに夢遊病(somnanbulism)のような傾向があり,

    高揚するr性的興奮とその終焉という型(パタン)を暗示している」(To Nightin-

    gale’and‘On a Grecian Um’have in common a pattem suggesting mounting sex.

                     (24)ual excitement and its relief)と述べている。前に引用したミリアム・ア・ット女

    史のr理想の世界の活力の弱さと欠乏の知覚」という注釈も,同じような観点から出

    たものであろう。

     しかし私は,これらのオードについて,そういうr夢遊病」的な側面を指摘するよ

    りは,想像力が高揚して日常世界とは別次元の領域に到達し,そこに前述のような詩

    的ヴィジョンの完結を見ている点を強調したいのである。ケネス・アロットが賞揚す

    る『プシュケーによせるオード』(04幻oP5鎚h6)よりも,これらの二つのオードの方

    が,キーッという天才の魂の深淵をあらわに見せてくれる点で,やはりキーツのもっ

    とも偉大な達成だと考えるのである。彼の想像力が高揚して狂気に近づくとき,その

    狂気をはらむ無意識の深淵,すなわちr静寂の洞窟」には,人間を救うカよりもむし

           くうろr無」またはr空」,あるいはr死」が見えたのではないか。ギティングズ(Rob-

    ert Gittings)はこの人気ない町のイメージについて,r芸術はそのもっともすばらし

    い,忘れがたい瞬間においてさえ,不可避的な衰退の世界を思い出させるものを含ん

    でいる。」(Art contains reminders of the world of inev孟table decay,even in its most

                        (25)ideal and unforgettable moments.)と言っているが,上のような私の見方からする

    と,この解釈も的をはずれている。このイメージは「芸術のなかに不可避的にある衰

    退の世界」を暗示しているのではなくて,むしろキーツのr宇宙観」を暗示している

    のではなかろうか。洋の東西を間わず,偉大な哲学者や宗教家が,宇宙の実相を,変

    転きわまりない流転の相として捉えたり,r色即是空」といった認識に到達したのと

    同じ境地を私はこのイメージに見るのである。

  •  16

     キーツの想像力は,r人気ない寂しい町」のイメージヘと彼をかりたててやまない

    のだ。あるいは『夜喘鳥によせるオード』の場合には,rもの寂しい妖精の国の,危

    険な海面に向って開いている魔法の窓」(magic casements,opening on the foam

    /0fperilous seas in fairylandsforlom,)のイメージヘと必然的に彼を連れてゆくの

    だ。それは「無」であり,r空」であり,さらにはr死」の世界に通じるのだ。

     っぎの結びの第5節で,

    Thou,silent form,dost tease us out of thought

    As doth etemity:Cold Pastora1!

    おまえの沈黙した姿は,まるで永遠のように,

    われわれの思考を混乱させる,冷たい牧歌よ!

    と述ぺているのも,想像力がr無」の世界に到達したがゆえの感想なのだ。キーツが

    こ.こで壷に対してr冷たい牧歌よ」と呼びかけていることについて,この呼びかけに

    矛盾を感じている論者が多い。メイヘッド(Robin Mayhead)は,第2,第3節にお

    いて,暖かく生き生きした人物像を描きながら,第4節でr人気ない町」を空想し,

                               (26)さらにこの壷をr冷たい牧歌」と呼んでいるのは矛盾していると言う。また,前述し

    たように第2,第3節のみならず第4節までもr幸福のイメージ」だと判断するペテ

    ットは,ここ.で「冷たい牧歌」と呼んでいるのは,実はキーツ自身ではなくて,壷を

    冷たいと考える人びとに対して,キーツ自身の信念を対照させているのではないか,      (27)とさえ言っている。

     しかし,上に述ぺてきた私の見方からすれば,想像力が一つのサイクルを完成し,

    一つの見事な壷のヴィジョンを造りあげた以上,この想像の壷は,イメージによって

    現実の冷たい大理石の壷に劣らぬ実在となったのであり,そのイメージによって古代

    ギリシアの牧歌的世界を現出せしめているのであるから,r冷たい牧歌よ」と呼びか

    けるのは,矛眉でも不自然でもなく,むしろ当然なのである。

    IV

    最後に,このオードに関して,いつも面倒な論議の的となってきた,第5節のしめ

    くくりの2行についてふれなければならない。

    V~伍en ol(i age shall this generation waste,

     Thou shalt remain,in midst of other woe

  • 17

    Than ours,a friend to man,to whom thou say’st,

     ‘Beauty is tmth、tmth beauty,’一that is all

     Ye know on earth,an(1all ye need to know・

    歳月が現代の人間たちを亡ぼしても,

    おまえはいつまでも,別な苦悩に遭う人の

    友となり,彼に語るだろう,

    r美は真実だ,真実は美だ」一これだけが,

    この地上の人が知ること,知る必要のあることだと。

     この最後の2行については,このオードが最初に『美術年報』(左槻眺げ伽.F魏6

    ル≠5,第15号,1820年1月発行)に掲載されたときのテキストと,同じ年の7月に

    『1820年詩集』(ThθPo餓5げ1820,本来の名称はL㈱砿15伽」砿ThθE∂8σ5≠、迎8%θ5,

    ㈱40≠伽Po餓5)に載せられたものとの間に少し違いがあり,後者では‘Beauty is

    truth,tmth beauty’が前者になかった引用符に入れられているために,この2行の

    解釈にさまざまな意見が生じることになった。しかし今はそれにふれている余裕はな

    いので,ミリァム・ア・ットやペテットなど,多くの学者,批評家が同意しているよ(28)

    うに,上に示した『1820年詩集』のテキストに依り,この2行とも,キーツ個人と

    直接にはかかわりなく,ギリシアの壷が語った言葉であると解釈しておきたい。

     問題は乙の格言的な文句をなぜキーッがここにつけ加えたのか,またこの2行が,

    このオード全体のなかでどのような意味をも?ているか,ということである。

     古くさかのぼれば,・バート・ブリッジェズ(R.obert Bridges)は,全体として単

                                (29)調なこのオードを,最後の2行の力強さが救っている,と賞めた(1895年)。これ

    に対して,クイラ・クーチ(SirArthurguiller-Couch)は,この2行をr教育のな                     (30)い結論だ」(uneducated conclusion)(1925年)と批判し,またT,S,エリオット

    は,rこれは美しい詩につけられた致命的な疵である」(a serious blemish on a beau一

                (31)tiful poem)(1929年)と非難した。この2行に対する評価は,これらの極端な対立

    を含めて,その後半世紀の間にカンカンガクガクの議論を呼ぴ,諸家の論説を集めた

    だけで優に一巻の大冊が編まれるほどである。

     しかし,第2次大戦後にキーツ研究がいちじるしく進んだ結果,この2行を肯定す

    る考えが強くなってきたといえる。この2行を肯定する論評の内容は大ざっぱに言っ

    て二つに分かれる。一つはクリアンス・ブルックスのように,この詩の背景一つま

    リキーッの考え方の発展などを重視せずに,詩を一つの完成品と見なして,とくにそ

    の構造の美を解明しようとする,かつてrニュー・クリティック」と呼ばれた人びと

  •  18

    を代表する解釈である。ブルックスの解釈を簡単に言えば,キーツは壷を「森の歴史

    家」(sylvanhistorian,第1節第3行)と呼んで,その歴史家の物語に聞き入るのだ

    から,その森の歴史家が物語る美しい歴史は真実なのであり,r美は真実だ」という

                            (32)セリフを結論として述べても不自然ではない,というのである。

     もう一つの肯定的な意見は,バウラのように,この2行に,美と真実に関するキー

    ツの長い間の思索の表現を見ようとするものである。キーツは1817年11月22日づ

    けの,友人ベンジャミン・ベィリーにあてた手紙に,

    「ぼくが確信を持っているのは,ただ心の愛情の神聖さと想像の真実ということ

    だけです一想像力が美としてつかまえるものは真実なのにちがいないのです

    (What the imaginaUon seizes as Beauty must be tmth)一それが以前に存在

    したものであろうとなかろうと。」

    と書いているのを始め,他の手紙にも,数回にわたって同じ主旨のことをくりかえし

    述べている。理性が論理的思考によって把握する真理よりも,想像力が直観的にとら

    える美の方が真実なのだ,という考えをキーッはほとんど詩を書き始めた頃から抱い

    ていた。r美は真実」というアフォリズムは,したがって,完結した人生観というよ

    りは,作品を創り出す芸術家にとっての真理なのだ,というのがバウラの結論であ(33)

    る。

     今日ではバウラのように,このアフォリズムの正しい意味を,キーツの人生と詩作

    品全体との関係から把握しようという論文が多いことは確かである。しかし,それも

    論者によって微妙な差があって,まことに応接にいとまなく,いちいち紹介する煩に

    堪えない。私はここで私にとって重要だと思われる観点を二つだけ述べておこう◎

     一つは,r美は真実だ」というアフォリズムは,当時の啓蒙主義の風潮のなかで、

    哲学や論理的思考に知識人の注目が集中していたのに対し,詩的想像力こそ真実をと

    らえうるのだ,という信念の吐露であったということである。このアフォリズムの意

    味の是非を考えるより前に,そういう当時の時代背景を念頭におくことも大切だと思

    う。

     もう一つ,私は本論の初めから,キーツがこのオードを書いたとき,特定のギリシ

    アの壷を眼前に眺めていたのでもなければ,念頭においていたのでもないことを強調

    してきた。ここに描き出された壷は,いわば幻想の壷であり,フィクションの壷なの

    である。そしてこのことが,最後の2行の壷の言葉の真意を理解するのに重要である,

                          (34)と指摘した人は,私が読んだ範囲ではペテットしかいない。

  •                                 19

     この幻想の壷は,時空を超越して,日常世界とは別次元の世界に属している・しか

    しキーッは,あたかも実在の壷についての印象をこの詩で正直にうたったかの如くに,1

    このオードに‘Ode onαGrecian Um’rある一つのギリシアの壷についてのオード」

    と名づけた。ここにはすでに詩人の作意一というのか,むしろ寓意的意図が見られ

    る。そしてこの寓意(allegory)ということは,キーツの生活の中心にあった信条だ

    ったo

    rあらゆる物事を文字通りに受けとる人は浅薄きわまる人びとなのです。何らかの

    価値ある人の一生は,絶え間ない寓意なのです一そして彼の一生の神秘を見抜け

    る人はきわめて少ない……バィロン卿もひとかどの人物です一しかし彼は寓意的

    ではない一シェイクスピアは寓意の一生を送りました。彼の作品はその寓意の一

          (35)生の解説なのです。」

     この言葉は,キーツの全作品もまた,彼の寓意的人生の解説を意図したものだ,と

    いうことを暗示している。そして私は,この『ギリシアの壷についてのオード』の最

    後の2行にも寓意が秘められている,と考えるのである。

     r美は真実だ,真実は美だ」というアフォリズムは,キーッ自身の言葉ではなしに,

    ギリシアの壷が語る言葉である。しかしこれは,くりかえしになるが,古代ギリシア

    の大理石の壷が芸術作品の永遠性を人間に教えているかのように見える表面の意味の

    裏に,キーツが想像した幻想の壷が後世の人間に語ろうとする意味が含蓄されている。

    それは,キーツがここに言葉のイメージによって造型した幻想の壷が,たんなる幻想

    ではなしに,超現実界に実在する,という意味である。

     r美は真実だ」ということだけが,この地上に住む人間たちに解るのだ・という語               o   ●   ■   ●   ●   o   ■

    気には,この地上のものでない美が語る力強さがこもっている。それはひどく独断的

    でさえある。

     それをもう少し言いかえると,キーツが書いたこの詩を読めば,この美しいイメー

    ジが現実を越えた世界において恒久的な生命をもちつづけ,後世の人間にr美こそ真

    実だ,想像が捉えた美のイメージこそ実在だ」という自負を語っている,ということ

    が解るだろう,ということである。

     ここで私が思い出すのは,シェィクスピアのソネット第18番の結ぴの句である。

    So long as men can breathe,or eyes can see,

    So long lives this,and this gives life to thee・

  • 20

    人間が生きて呼吸し,その眼が見えるかぎり,

    この詩は生きて,君に生命を与える。

     シェイクスピアは愛する者の美を讃え,このソネットがその恋人に恒久的な生命を

    与えるのだ,と誇らかにうたっている。そしてシェイクスピァの自信は今日十分正当

    化されているo

     キーツも,このオードを読む人間がいるかぎり,ここに描かれた美のヴィジョンこ

    そ真実であることを感じとり,したがって,この詩こそが,幻想の壷に生命を与える・

    とうたっているのではあるまいか。それがキーツがこのオードによって寓意しようと

    した裏の意味なのではないか。キーッはこのオードを書いたとき,彼が造りあげたイ

    メージの永続性について,シェイクスピアと同様の自信に溢れていたのではなかろう

    かo

     そして今やこのオードは,キーツの予言通りに,シニイクスピアのソネットと同じ

    く,実在のギリシアの壷以上の,強い生命力をもってわれわれに語りかけているので

    ある。

    1. Ian Jack=1ぐθ曜5α%4∫ゐθハ4〃伊07げ∠4” (1967、Oxfor(1U.P㌧),pp.214-224.

    2。James Dickie:ThθG786吻z U”z~イ4π・4アohαθ0108ゼoαZ・4ρクγoα6ゐ(1969,The John Ry-

     1ands]しibrary)

    3・なおA・C・DownerはThθ0吻5‘ゾκ孤∫3(1897)において,キーツがthe Holland

     Eouse Umのほかに,the Borghese Um(後出)をも大英博物館で見た可能性があると

     指摘している。

    4・ Si(1ney Colvin:1ぐ8α’5 (1887,Macmillan)

    5・SidneyC・1vin:∫・肋Kθα’5’研ε彫鰯P・吻,研sF伽45、C廟・5媚∠勘一力膨(1917,Macmillan)

    6.Sidney Colvin:κθα∫5(1887),p,172、

    7. Sidney CQlvin:∫oゐ%κθα∫5 (1917),pp、415-418.

    8。C。M.Bowral Thθ1~o規α”あ61卿α8’,躍あo%(1950,Rarvard U。P.),p,137,

    9.E.C。Pettet:0π≠hθ.Poβ砂σK6儒(1957,Cambridge U.P,),p。324.

    10。Letter to Benjam・n Bailey,22Nov.1817.

    11・E雑吻形乞oη、BK.iv.11,527-532.

    12.W.J。Batel/oh銘K6α∫5(1963、Harvard u,P.),p.514.

    13・たとえばSidney Colvinのf4・,P・417・;E・(1e Selincourt(ed,):ThθPoθ解5’∫oみπ

     君「8αご3 5th,edn。(1926。1、lethuen),p。476.

    14・C・L Finneyl Thθ動o’鳩oπげK6嬬’5Poθ勿(1936,Harvard U・P・),vo1・II,p・

  • 21

     642。

    15・Cleanth Brooks:ThθW8」!『グo麗8h’U”z’S∫麗4プ85伽∫hθ5∫耀6劾紹げPoθあッ(1947,

     Reynal and Hitchcock),pp,140-152.

    16。E C,Pettet=づ配4。、p.339。

    17。E、C,Pettet:狛砿,p、340.

    18.C.M.Bowra:の昭,,p.128、

    19,Gilbert Highet:TゐβPoωβ〆5σPoθ〃ッ(1960,0xford U,P),p。243.

    20・‘ゾ・1・Jack:伽4・,P・220;R Gittings=10h銘K6α’5(1968,Heinemann),P。320;M.

     Allott(ed、):ThθPoθ”z(ゾ∫oゐ%K8α∫5(1970,Longman)、p,536,,z,

    21・M:・Allott:づ扉4・、p・536・π・

    22● Letter to J.H.Reyno1(1s,May 3,1818.

    23。o% 碗5伽π8∫h8To錫わσB礎π5,writ.1July1818。

    24.Kenneth AIlott:4Thθ04θ’o Pεッ6h6”、in K Muir(ed);∫oh% K8α’5’イ4 Rθ㏄3θ55一

     蜘6蛎(1959Liverpool U。P。),p,76.

    25. R,Gittings:¢配4,、p.320,

    26。Robin Mayheadl∫oh%K6薦(1967,Cambridge U,P),pp,83-4,

    27。 E.C、Pettet;必づ4。、p,345,

    28・M・Allottl伽4・ρP・537;E C・Pettet=・45θ1θ6∫∫oπ∫70解/0hπκ8傭(1974,Long-

     man),p.274,

    29.Robert Bridges:℃τitical Introduction’,Poθ}π5〔ゾ∫oh%Kθω∫5、ed.G.T,Drury

     (1895),p,Ixvi。

    30.S五r Arthur guiller-Couch:Chαπβ51万oた6η5‘zη4αh8γ レ7客o’oγ彪郷 (1925,Putnam’s)

     pp.159-160.

    31.T。S.Eliot:‘Danteレ 1929)in5θ」β6≠θ話E55剛5(1932),pp.230-231.

    32. C.Brooks:必曜.

    33. C.M、Bowra:乞配鳳,pp。144-148,

    34。E。C.Pettet:づ配4.、p,346.

    35・Letter to the George K:eatses,14Feb・一3May・1819・