シェイクスピアの『ソネット集 j - osaka city...

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- 48 シェイクスピアの 『ソネ ッ ト集 J における鏡の論理 シェイクスピアの 『ソネット集』は問題の多い詩集である。古来幾多の学 者,批評家によってさまぎまな論争がくり広げられてきたが,今日比至 って もほとんど解決をみていない。その中には Mr.W.H. や“ Dark Lady¥ 対抗詩人のモデル探しに見ら れるような不毛な論争もあるが,w ネット集』における記述の一貫性の欠如,配列順序,ま支の問題など内部構 造にかかわる重要な問題も多い。また近年比は作品そのものの解明に向かつ て多くの努力が払われた結果,新たな問題点も浮きぼりにされてきている。 と乙ろで数多くの問題の中で特に筆者の注意をひいたのは 「ソネット集 J K 頻出する鏡であ った。 「なぜ詩人は乙のように鏡に ζ だわるのであろう Jo r 一体鏡は作品中においてどのような意義をもっているのだろうか. J o 乙のような疑問を抱くにつれ,.鏡 (あるいは鏡の論珂))が作品の主要なテー マと深く関わっているのではないかと忠われはじめた。 そもそも鏡は占今東阿の文学作 till にさまぎまな形をとりながら現われ,作 笑 位界と対有する幻想の世界か鏡の中の世界として表わされたり,登場人物 の心の r l ' が象徴的に鋭に託されていたりする。)乙のように , 鋭が抽象的なかたちでイ史われることがかなり多いようである。一方,エリザ ベス引の人々にと っては鋭は鴛肢の的であったと想像される( mirror はラ テン語 mirari == towondera t H:' 出来する )。シェイクスピアの限にも鏡の 共体的な物開的,光学的性質の日つ一つが新鮮に写ったに違いない。 『ソネ ット集』では鏡そのものに根ざした特質が最大限に発揮され,その魔力,奇 跡が自然や人生と有機的に結ひついていると忠われる。本摘では鏡の論盟 l r 1 : I しながら,鋭と 『、ノネット集』の内部構造や主題との関わり合いを考察 していきたい。 ( 334) 、. . . ,.・ •• - ‘・ 1 11 凶・ - . . 詳、

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- 48 ー

シェイクスピアの『ソネ ット集Jにおける鏡の論理

宮 内 ヲム

シェイクスピアの 『ソネット集』は問題の多い詩集である。古来幾多の学

者,批評家によ って さまぎまな論争がくり広げられてきたが,今日比至

って もほとんど解決をみていない。その中には Mr.W.H. や“Dark

Lady¥ 対抗詩人のモデル探しに見ら れるような不毛な論争もあるが,wソ

ネット集』における記述の一貫性の欠如,配列順序,ま支の問題など内部構

造にかかわる重要な問題も多い。また近年比は作品そのものの解明に向かつ

て多くの努力が払われた結果,新たな問題点も浮きぼりにされてきている。

と乙ろで数多くの問題の中で特に筆者の注意をひいたのは 「ソネット集J

K頻出する鏡であ った。 「なぜ詩人は乙のように鏡に ζ だわるのであろう

か Jor一体鏡は作品中においてどのような意義をもっているのだろうか....Jo

乙のような疑問を抱くにつれ,.鏡 (あるいは鏡の論珂))が作品の主要なテー

マと深く関わっているのではないかと忠われはじめた。

そもそも鏡は占今東阿の文学作tillにさまぎまな形をとりながら現われ,作

品 ~:t: l で重要な意義を担う事が少なくない。例えばいくつかの現代小説では現

笑位界と対有する幻想の世界か鏡の中の世界として表わされたり,登場人物

の心のrl'が象徴的に鋭に託されていたりする。)乙のように,1J~代の作品では鋭が抽象的なかたちでイ史われることがかなり多いようである。一方,エリザ

ベス引の人々にと っては鋭は鴛肢の的であったと想像される(mirrorはラ

テン語 mirari== to wonder a t H:'出来する)。シェイクスピアの限にも鏡の

共体的な物開的,光学的性質の日つ一つが新鮮に写ったに違いない。 『ソネ

ット集』では鏡そのものに根ざした特質が最大限に発揮され,その魔力,奇

跡が自然や人生と有機的に結ひついていると忠われる。本摘では鏡の論盟lこ

r 1: [~ Iしながら,鋭と 『、ノネッ ト集』の内部構造や主題との関わり合いを考察

していきたい。

( 334 )

、. .

• 、.

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•• -• 事

‘・•

111 凶・ •

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..

詳、

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ェイウスピアの 「ソネット!;ll:,ζおける鐙の論FTI ~ 49

2

じて何よりもシェイクスピアをとらえて lいたのは破壊

iζ対する恐怖であった。鎌-を子 1('乙した残1忍な il日寺」はむー

あ容敢なく刈りとり,会り食ってしまう。し、かに力を尽し

|時ーの鎌を免れる ζ とはできないのであ

る。オヴィディウスの A1etoll1,Olアhωes !(é移轡.されたといわれる 一連の ri~J を

|時 I 1ζλJ支した詩が{ロ!と多い乙とであろうか。「破壊的丈

日「時点在長パの了時100「食欲な 「時ι刊と並べてみるだけで色安

ζ対する詩人の恐怖の・端を主tfHJみる忠L、がする。とりわけ友ノ1

ι の33貌争見るにつけ唖|諸人は来たるべ主「時」の破感的攻撃に対し

お喰じえなかった。すべてが移りかわる無常の世にあって, |!?年の夫

bikj主t乙保つ比はどのようにすればよいのか。 ζれが詩人のIR而した大問題

乙対して彼は:つの解答を引き tiiす。 一つは77312がおIj…

る乙と. もう -・つは詩人がjfJ年の33を詩l乙歌う乙とである。

乙のうち結般を勧める主題が 「露出焔芯僻 ヨと呼ばれる伝初の171誌で、扱われ

る。一般i乙 結鋲詩群 は本制から外れた fiのとして考えられる乙とカ

多く,内そのものもあまり正乱、評価争与えられでいえCいようであろ A しかし

人である X;貌の山年l乙今乙そ結婚して f供を作るように勧

る。そうすれば |17年が敏だらけの~齢になっても,子供の~:1~1 "乙かつての 111.

の売しさを見出す乙とができるからである。 -/J"J~'f年の万は水rfti比例1;!

の務 i乙魅せられるナルシストとして怖かれている。彼は鏡のrf~の自分の

るだけで.外部とは一切交渉がない。彼の外形は一応児科:で

j 性と~(~1:がfr: ,i] I~'} している耐性動物で側. すべてを (1分で充足

る。従って|円分はないものを相子氏求めることもなく .ひたすら自力

ゐ33える 11で rr:"f定で丈r.11;ら霞の

丈(t

の巾{乙閉じ乙もっているのである。乙のような所カ

れて乙なl'0 . ojj,結納することは新しい創造物

る。 f,tftはかつての自分の姿を映し出す鋭で lあり .まr仕のだ。乙のように鋭とや舶による附舶が 3Wfでみ

映しiの1.+I

_,. hリ,

iζ.

I...oo,k i口 th

OVl 1IちtJ

~Ia~~ " and tell the face thou vievvest

time that :face shou:ld forn1 a:nother

335

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- 50ー"

Whose fre~h repa ir if now thou not renewe5t

Thou do~t beguile the world, unbless some mother.

• • •

Thou art thy mother 、gJass, and she i n thee

Ca IJ ~ back the lovely April of her prime;

。thouthrough window~ of thine age shalt see

De<;pite of wrinkle、thisthy golden time

But if thou live remember、d not to be,

Dle 、ingJe,and thine image dies with thee.

ζ 乙で孜々にと って重要な乙とは,乙れら鏡の本質的な違いである。ナル

シストの鏡は閉じられた一枚の鏡である。乙の単純な鏡ではとても 「時ーの

破壊に対して立ち向かう乙とはできない。と乙ろが一枚ではどうにもならな

い鏡の前Kもう 一枚の鏡をおいてrt材 〉い合わせると,像が次々と反射しなが

ら無限にはめ ζ まれてし、く。 ζのやお秘的な現象を初めて知った時,人々は少

なからぬ穂きを覚えたに違いなし九'二つの有限なるもの (男女 から無限な

るもの (子孫)を生み出す魔力を秘めた鏡 ζ そ結婚,生殖という自然界のサ

イクルをみ ζ、とに映し出しているように思われる。どうにもならないー伎の

銃 (One i~ no number! 8,136) が二枚になれば無限を生み出すという奇跡

によ って,閉じられた鏡は開かれた鏡K変化するのである。そしてまさにこ

の奇跡をお乙す行為ζ そ 「時Jの攻撃に対する最も有効な防御 ・反撃なの

だ。

3

次lζ残酷な 「時 |にうちかつもう 一つの手段,つまり詩K歌う乙と lζよっ

て美を永遠化するえj訟をみてみよう。乙れは既に見た子孫を殖やす方法とj土

に17務 iζ 言及されているが (8ut were some child ot yours alive that

time, /You should live twice -in it and in my rhyme.),主題として本格的iζ

倣われるのは18落からである。 (50long lives this poem、,a nd this

宮ive5life to thee. )乙のあたりから今までの説得調は影をうすめ,詩人は

友人を怒人のように倣い始める。 24番では二人の恋人が互いに向き合い,相

手のfJ民の~tl を覗き込人でいる。その時の詩人のØL~は相手の美貌を映し出す鏡

の役制を果たしているといえよう。しかしながら服と いう鋭に青年の美貌を

映すだけでは充分でなく,詩人はそれを詩に歌うのである。

( 336 )

• •

-

-・

4・

-ー-

.. 聞"

-司・

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ンェイクスピアの l「ソネット における鐙の論照 51

そもそも限という鏡は詩人民とって必ずしも信頼のおけるものではなt。

|時比は半百で‘機能を失L亙¥見ていても見えな lい状態lとなる (113)乙とがある。

たタ十面iは拙くが,内面は見ぬく乙とができなIl、(24)ものでもある。しかも限

た{象はすぐ消え去ったり "変形してしまう。限はナルシストの鏡のよ

うK簡単H:'~時の攻撃i乙屈してしまう弱い鏡なのだ。乙のようなm~(乙対する

ネ y トgiの随所l乙顔毎日iす;不確かな限l'乙映った間三のごW お

から守り,それを永述{乙伝えるためlζはもう

こ眼し|ttiすζ とが必要!乙なる。持とはちょうど乙のような鏡ではないカ

と詩人は考えるのである。

例えば 103 喜?によれば詩人の詩がめ"ð~ iしているものは百年のよ15まれっきの

と才能を余す所なく詣る乙とにあるが.乙の点においては鋭のjjが彼の

るかに多くの乙とを語ってくれるという。しかし自分の詩ぞ謙遜

している乙とを考慮l乙入れれば,彼の詩がめざす所は lありの

るといってもいいのではあるまいか。また21忍ーでは修飾のため夫辞麗句を

述ねる対抗詩人を非難し,自分はよ工夫のみ刀きたいとしている。制誌におい

てはF 行年の姿を, (i然がtilJったまま,そっくり写す乙とができれば,詩ノ

の名Hfは高まり,作風は宅る所で21・讃されるであろうと歌っている。乙れら

の乙とから詩は自然のままをηす鏡として認識されているのは明らかであろ

う。ちょうどナルシストが鋭を必裂とするように,詩人も詩という鋭を必裂

とするのである。以上のように弘てくると友人の美貌を訪に歌うという乙と

人民 |してみれば,限という鋭に映った尖をもう一度詩という鋭,~[Tj: し I11

乙とになるのである。

詩人ができあがった詩という鏡を制き乙むと ,そ乙 i乙はJXiしし、|lzf年の盗と

その夫貌をηそうと鏡をIfljけている (=Jsef;:いている)詩人の盗がある。

汚人が持っているその鏡付与)の中には"また尖貌の??年とそれをりそうとし

いる諸人が映っている。 ・・・ 乙のように『詩人のJSは 1JI~限lζ続く

形成する点て¥先に比た結婚による1'1.:殖とみ;質的l乙JJjJじ構造お

ぶしているといえる n ナルシス卜の「時 1 ,乙制する収純な一枚の銘比

irnplex rvli:rro:rと名付ければ無限の像をつくる魔力を秘めた鈍は 'COn11)1ω

l:rro:rと呼ぶ乙とがでさよう。 イ女の取純な鋭i乙映る(象ならば簡単に敏感'

ることができる 1時 a の神も無限に続くはめ乙み像には日が11五み{口jも子カ

でないのであるj}かくて子孫もJM彼の尖をりした C0l11plexMlirror で

り.Jki必乙 {時」の攻撃を免れるのだ。乙の怠味で C0l11pl

337 )

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破壊的な「時Jp~-執劫に抵抗する自然のたゆみないサイクル (再生)の象徴だといえないだろうか。自然界の 「黒」 から 「緑」への再生と友人のAの氷

遠化をはかる詩とが融合している次の二行がその何よりのr:Il:JI: Cなろう。

His beauty shall in these black lines be seen

And they shall live, and he in them still green. (63)

かくて,したたかな(~然のサイクルと f, tlじように彼の持もふく速に滅びない

ものとして認識されているのである。

4

次に 『ソネッ ト集~ (1・ 126)の中核ともいうべき詩人と友人との愛につ

いて考察を進めてい乙う。彼らの愛は吋時の、ノネット iとよく歌われた!fJ~. nn のものではない。 20番によれば詩人の相手は ~.tl:の災しざ争もった列竹て,

もともと友性であったものが (乙の、ノネットではめずらしく k性加か月jし、ら

れている乙とに注意),作る途中自然の友神が惚れてしまい,その紡栄男性

になってしまったという。乙の点で彼らの愛は当初より anl 1) 1 V al e n tな側iIiiを有しているといえよう。

とζ ろで彼らは, 24~需にある様tc , お fL し 'rhj かい介い,相手の似の J:f ;r 間決

る自分の姿K眺めいる。すると相手の目的ζ映 っている (f 分のfl1~のけ: r にま t- 相

手の姿が映っているという風,c,乙乙にもまた無|恨のはめ 乙み像か見られよ

つ。

'.

Mine eye hath play'd the painter and heJtb stcel'C)

Thy beauty 、sform in ta ble of my .heClrt;

My body i5 the frame wherein ・tisheJd,

And perspective it is best paInter's art

For through the painter must you see his skilJ

To find where your true :i'mage pictur'd Ijcs,

Which in my bosom ‘s shop is hanging stjJ),

That hath his windows glazed with thine eyes:

Now see what good turns eyes for eyes have done:

Mine eyes have dra¥A.'n thy shape, and thine :for m

,Are windows to my breast, 'wherethrough the sun

Delights to peep! to gaze ther,ein on thee:

Yet eyes th.is cunn ing ¥¥'.a:nt to grace their art,

( ,338 )

RZHu

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園田'

- 54-

よって,友人の虚像 (理想像)と実像との簡を揺れ動く詩人の微妙な気持を

示唆しているのである。 ζの点を考察する第一段階としてまず左右が逆にな

る鏡の対称性がどのように詩の中Kとり入れられ,テーマと関わっているか

を見てみる ζ とにする。

And darkly bright are / bright in dark directed:

Then thou whose shadow / shadows doth make bright,

How would thy shadow's form / form happy show

To the clear day with / thy much clearer light,

(43)

行の中聞に鏡の存在を想定してみると数種の単語がそれに反射して左右対

称 (左右が裏返し)になったかのような趣がある。しかも 昼と夜が逆転した

という詩の主旨Kもひ。っ たりあてはまる。 ζの鏡の左右が逆転する性質をも

う少 し微妙に利用し,詩人の複雑な気持を示唆しているような例をみてみよ

つ。

Against that time (if ever that time come)

When 1 shall see thee frown on my defects,

Whenas thy love ha th cast his utmost sum,

CaJl 'd to that audit by advis 'd respects:

Against tha t time when thou shalt strangely pass

And scarcely greet me with tha t sun thine eye,

When love converted from the thing it was

Sha 11 reasons find of settled gra vity':

Agai九.5!that time do 1 ensconce me here

Within the knowledge of mine own desert,

And this my hand against myself uprear

To guard the lawful reasons on thy part.

To lea ve poor me thou hast the strength of la ws,

Since why to love 1 can allege no cause. (49)

友人が愛さなくなった時に備えて詩人はどうするかという乙とを歌ったも

のである。防御の意味で 3回使われていた“against"が11行自で突然攻守

交替して攻撃の“against"に変わる。これまで感情を抑えて低姿勢だった

詩人が一変して攻勢に転じるさまが乙の変化によく表われている。乙乙で

111]目と12行自の聞に鏡の存在を想定するとおもしろい。乙の鏡の導入に

( 340 )

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骨骨・

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b t. 品

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シェイクスビアの :ソネッ 1 における障の|論即 55

それ以後!こ出てくる -ー人弥と二人称の代名認や入れ・称えア (against

rnysel .aga i nst thyself, on thy pa:rt→ on n1y part! thou hast th

trenl!th la '¥¥'S→ 1 ha ve the strength of la '¥¥'S) , もとのテキストと読み

ると,

つ。

{ζ流れている aIn b i va I e:n tな感情が浮きぼりにされ

1 \.~-八Vj\ ~ 一人称)を反対に映し i-iiす鏡を介入させること Kよって

子 たてる気持と憎む気持が混じりあった, より真実l乙近 lい感情を読みと

とができるのである。 ζのような例は{也氏も多く見られるが次の87誌で

ζ とば|自体K合まれて lいる多義性のため一人称と二人称のl関係がそれぞ

しになり詩人の an1biva]entなfLf|15が表driH:浮かびあがるしくみに丈

ている

arc¥vell thou art too dear for rny possessing

nd I:ike enoue:h thou klrlo'¥¥T 'st thv esthllote:

丁h harter

bond, ,in th

thJ' 't('orth gives thee releasing事

are al日Idet臼er円rn1口mmIn1

tl口1a' 丈台rたの(絶対的な)価([f帥[f的fI 1 と あなたに

る(私の)評価“のてっの芯:味が合まれている。また“111yworthH も 「あ

Uたの{絶対的な j 価(lrしと 「あなたの(私l乙対する相対的な)ふさわし

がある。 “:rny bonds in thee"においては. r あなたは対する~~'

の要求¥権利4 と 「私があなたは拘束されている状態」という相f

を有する。以 1:を総合すると 「あなたは大変江派なJjで万い~あλ 行から別れたJjがよいのでははいか i という去の怠il床と

る!と ílr{ しないような人民愛析を ,r-E~ 、だ l の以の怠 |味がある乙とがわかる。

うに凡てくると将人は f~J11::'乙対する arn b:iva :Ientな感的のう

の対弥性を使ってHffll乙ぷ唆しているように思われる。

いでながら乙の鏡の対称性は 「ソネット集よの梢成ノ〈ターンl'乙も及んで

いる向 70若干では友人が世間IL r{-:I傷されるが 121若干では立場が逆転してr,11傷

るのは詩人で,(Y)る。また33'"-35.(Jtでjft年は|詩人を良切るが109-112高:でl

今度はi詩人が友人を災切っていた・ドがrVJらかにされる。 77容においては詩ノl

は子帳をJ友人民間るが 122番では友人がJS人民j!??った T:I帳をテーマにしてい

る。乙のようはJS人と友人のi工場が逆転するハターンはともすればシェイク

スヒアの無策のせいにされがちであるか唖鋭の対称性の論到!との関述でみれ

loJ;~ぃ止のとなるであろう

ろで政々は友人のiW:ドがある時は到!惣化されたり ,あるH寺は冷淡介川

341

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- 56 -

切り者として非難されるなど,終始一貫性を欠く・51ζ当惑を7感じるかも Lれ

ない。 例えば2μ4"-2お6審でで、は友友.人とのE即H恕恕、的な愛を打抑i/れ1

して詩人の恋人を?有!与J年が蒋勺た ζ とが怒りを ζめて歌われ仁υし、る。仁のよ加

な二つの相反する像のうちどちらが久夫であろうかというような論の立て万

は11:しくないように忠われる。 ζれらは持という鋭lζ映った像むあるとと ie忘れてはならない。いし、かえれば政維に反射する鋭の,:JIの此界では,ど 'f;

か真51〈でどちらが真実でないかは, もはやわからないし,わかる必要もない

のである。 ζれが鏡の諭fJHというものだ。巡った717312像ができるのは,時人

が討を書く際,H良という主観的な鋭に映ったものぞ,もう-J支持という,J:

りr客観性を幣ぴた鋭に写しかえるか,そのn寺の銃の淵務の追いによると 5号え

る乙とかできょう。震設-な ζ とは, ζのような州民 dる像か反射しめい々が

ら 『ソネ ット集』の愛の!此界長浅約なものでなく奥深いものにしているとし、

う乙とである。ともすれば愛の可欠は個人的な!恐怖!J~[紛れがちであるが,鋭。

二而貯金導入する ζ とによ って持はより普遍化合れるのである。

しかしなから 『ソネ ット集』の前編 (] ,_.126)の終りに近づくにつれ鋭の

像は一つに収数されてし、く。友人の愛の謀切りに射しても;詩人は心のほでl

暖かく見守ってやりたいとしづ気打カあったと忠われるが,その気持が治後

iζは強まり,ついに誤らを赦し和解するに玉、る。試練を釆り )J越えた愛は 「変わ

ったとドがおきれば変心するような愛は愛ではなし、0 ・・・ 愛とはl.utl'ζ迎:imしで

も決して探らぐととのない灯台だ (116)J ということばにも見j:111す乙とがで

きょう。それではどうして二人は試練を・乗り越え,杭1fg(~できたのであろう

か。詩人自身過らを犯|した111が三人の和解に大いに役立った乙ともあろうが

(110" 1:20),それ以上氏本質的な乙とは,人間の354ちを|自然と lいう,より広

い視野の中でとらえる乙とができるようになった点ではなかろうか。ノ人人¥¥lhih問i目mう司jと白然を!向司次元lκζとらえるという j広ぶい視祝{野は早くも 1日5若務?iに乙呪われているカ

(仁4“‘'When 1 pe

cven bv t山heseJfsa me skv王仇仰、VF,"づ),重要な ζ とはその自然に,残忍なu寺i乙うちカ

つ 「したたかな|自然」だけでなく ilゆがんだ自然」もあるという市災舎の

K詩人が発見した乙とであった。脅し 1いパラには413虫がおり (:95),ゆりも腐

れば雑草よりもひどい悪臭を放つのだ(94)。詩人が白年の誤ちに匹敵すメ

のを自然|の184,1ζ見い出|した時, もはや寛容 l・許しの心がj25ぱえていたと L'つ

でもよかろう。乙の意味で詩人は友人と和解したというよりも愛を~段と広

い視野で見る ζ とができるようになったと考える万がより iE篠でl'

34,2

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[!i!Ji 6: 4みれば

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シェイクスビアlの 「ソネット における鋭の論開 5'7

仕かろうカ。

5

ゐ詩という鋭にfIJすこと lζよって永述化し

うとした。しかしながら詩人はどこか物足りなさを感じたに違いない。句

ζは与える愛(アガヘ)と得る愛(エロス) 1の二つがあるが,彼らの震はL

てみれば詩人の一万|的なアカ。へだけから成 |り立っていたのではなかろう

かn しかも 「私にはいJIの役にも立たぬ一つの物を加えて,れを私から奪いE

しまった 1 (20)と7歌われているように,て人の愛はJt::'1::産的であった。

くr

φ''

は異町の男女 lが合して新たなものを'f::,み出すプ!なIE法的なもので

従って自己外の世界へ大きく発援する乙ともなかった。さらに詩ノ

ともすれば明夫から遊離しがちであった。乙のような不満を

人は今度{ る。

の-つの付け足し物は先の詩計.では;ii罫がなかったが,今度の持臼

n :n et~" (135. 136. 143) として大いに活Utする乙とになる。

ろで 127誌からの詩群は“DarkLady" と詩人との関係を主として扱

うが, “Oa:rk Lady"はfJ313と

harl〈 Ladv"は吋n寺の美ノ

彼~.のJliL 、色は,百年と詩人と

告示もぷ唆しているのである (In

131)。ここでJ寺人は Ir'j1l:を訊

いるようであるが曹 ri~ 1の r1'l における

致しないの位るほど“!)arkLady" (,

ろした友であり "詩人の開銀とす

/j,ff年はともすれば陀惣に傾

た“Da:rkl..ady"の,+:1,乙は残慌iI

t忍められるが,il'J1l:はナノレシヌ

'Irror JのJ1:1 ,乙閉じ乙められていて,J124t底的で・ある。

たように“()ark l..ady"像は lV年像をSJJ-返|したJ11乙成立して

の像、が相有郎、ながら.法人の怖く愛のz治相i乙深みと 19[E1tH

いる内定fこ130高:でf.ijjらかなよう l乙. “Dark Lady"はそれまでの

に ~ Iられる jJ伎の虫Jl き XjLどをひっくり返したような卸がある。乙乙

1時のソネット飢??に対するJS人のJド雌の/ifeli日く乙とがで

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343

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~

- 58 -

ぅ。しかしながら Kat}urineM.Wilbonのように, “Dark Lady"詩群を

ただ却にエリザベス朝,あるいはそれ以前の詩のハロテバこと片づ、けてしま

つにはあまりにもすと味がありすきるのではあるまいか。 129番の情欲を歌

ったものや“Wi 11 So n n e t s ・ t にはからかいの気分も勿論あるか,それ以上に

詩人の向日朝めいた真情の方がまさ っているように思われる。人間の奥iζ潜む

{nJか抑えようのない黒いどろどろとしたものに直接取り組んだ詩人の感情

か, ζの詩群全体からひしひしと伝わってく るような感じがするのである。

そ乙で ζ の情欲の問題とあわせて 『ソネット集J全体における“Dark

Lady" のも つ意義を考えるために, 138番を見てみよう。

When my love 5wears that she is made of truth

1 do believe her, though 1 know she lies,

That she might think me some untutor、dyouth

U nlearned in the world 、sfalse subtleties

• • •

Therefore 1 lie with her, and she with me,

And in our faults by lies we flatter'd be.

多くの批評家が指摘している ζ とであるが, “li e"には二つの意味があ

り, “Da11)L州 fn の二面性を示唆すると同時に詩人の相反する感情をも表

わしている。 “lie" (with) I寝る」は愛の成就であり,新しい発展(つまり

子孫)を牛.み出す自然のサイクルの一つの営みである。同時K抑えても抑え

きれない人間の内にある情欲をも示唆する。 “lie" (to) rうそをつく 」は肉

体で結ばれたこ人のゆがんだ倫開而を表わしている。相互の信頼に基づくべ

き愛が乙乙ではうそでお金りかためられているのである。

“1 i e "のτ義件.はさら iζ文構造の暖妹さと絡み合いながら“DarkLadyJ'

詩群のテーマを浮きぼりにしていく。 ζのソネットを二行自まで読み進入だ

所では詩人は「彼交を信じている !ときっぱり言っているようであるが,三

1:I [1 'eくると目的を表わすれthat"節iζ導かれて 「彼女が私の ζ とを世間の

子練手管を知らない宵二才fごと思い乙むように,彼女を信じる(ふりをす

る)0 Jという風に変わる(“1do believe her / That she might think me

some untutor'd youth". )。つま り詩人は相手の女をだますために彼女がう

そをいっているのを知りながら,彼氏-を信じるふりをするのである。乙のお

もての怠味とは別に PhilipMartinは“1know she lies / That she might

( 344 )

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ェイクスヒアの 了ソネット における鋭の論開 5'9

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••. 一一・・‘ I11e untutor'd youth". とかかる nJ能性を指摘している。乙れだ

と 1"彼友は私をだまして, (私が実際77一三J_.でない乙とを知りつつ)私の乙

ョ~- ,t・ふごと思うふりをしている。その乙とを私はちゃんと知っている

いう夜間ミi乙反ろう。技々は一瞬“believe¥ “know'¥ “1i e"の関係i乙混乱

をきたし唖 どちらがだましているのかわからなくなり日がくらむ。 ζのよう

乙街 |らが化かしあいlζ化かしあいを市;ねているさまが文構造のl陵昧さにみつ

ー-と l乙描きiiiされている。しかも相花の化かしあいが乙の詩の構造的基

たしているのである。彼女 (ある ,~ 、は詩人)がうそぞついている乙とを

人(彼女)が知っている。そのζ とを彼女(詩人)が知っている。またそ

の乙とを.. .という風にだましあいは無限に続く。つまり乙の詩の構図(,j:・

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1る。 乙れは正l乙先i乙見た 「したたか乙み以iで。),イ が4Zみ:..Hす 'Conlplex 1¥1 irrorの無限像ではないか。と乙ろ

rrrorは乙れまでのものとは少し異なっている。なる{

したたかなれ然一にみられる生霞的要点をもって lいる

のとときものであって,抑えても抑えても次か

のなのだ。乙のtftj~訳が内から沸き上る時, うそお

を11:わせ"地獄Kっきおとす歪んだ鋭l乙変貌す

¥Ve 11 I 1" 0 s h u n t h e h e a ve n t h (:1 t I ea d s n1 e n t

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るのである(“nonekno¥1

his hell". 129.LIEf年のた貌を後世 l乙伝える子孫や詩がiEの Co:rnpl

I r:ror位らば“DarkLady"は歪人だれの 'Cornplex ~1irror である乙と広

138誌のはめ乙み凶と 129罫は雄弁に物語っているのではあるましゅ。

1とh:iJじ13か lしornplexM川

1 う人を怖iにする投資は,然|じられた高利貸でヂ L

けられているように,不IJ[.は人をイミ帯広し,物質的iitpilへと

るI可能性舎も秘めている。乙のようにrJ..i]じ 'Conlplex ~1irror の防込

・JJ三まちがえば技々を欺き地獄へおとし lいれる恋人だ札1

る乙とを,そしてまた乙の歪んだ鋭はありの

ぷっているので・ある。

345

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園田'

- 60-

6

乙の 『ソネノト集1のおもしろさの一つは,さまざまな諸相の鏡がいろい

ろな所にはめ ζ まれ,それらが反射,屈折しあいながら全体として大変複雑

な像を映し出し, 一定の解釈を拒んでいる所にあるのではないかと思われ

る。

「時」 の攻撃に簡単に屈する一枚の鏡~c,もう一枚の鏡を合わせる ζ とに

よってできる無限のはめ ζみ像は無常の世の中にあって詩人が探し求めてい

た不変なるもの一一つまり子孫と詩の象徴として呈示さ れる。 ζの鏡は自然

のサイクルや人生をありのまま映すものとしてとらえられているのである。

鏡はまた,我々か左に動けば像は右,c,右l乙動けば左にという風に左右か逆

lζなったり,あるいは複雑に反射するなど,とらえ所のない面を持ってい

る。乙のような鏡の側面は人間の複雑な心の動き,あるいは現実とみかけと

の相違を鮮やかに映し出す。また一見ありのままを映す鏡K似ているが実際

は人聞を欺く歪んだ鏡もある。情欲の世界を象徴する鏡がそれで,人聞を天

国i乙導くとみせて地獄につきおとす可能性を秘めている。乙のようにさまさや

まな諸相の鏡によって我々は白まいに似たものを感じるが,乙れ乙そ複雑i乙

鈴綜した世の中の本当の姿ではなかろうか。ともすれば愛の歌は個人的な感

情に溺れがちであるが,乙の奥行きの深さ ,実像のつかみにくさが 『ソネッ

ト集]'c普遍性を与え,全体の魅力を土台すζ とにつながっていく乙とを忘れ

ではならないであろう。

以上のように考えてくると 『ソネ ット集 n の筋の展開にのみ注意をひかれ

て配列順序を入れかえたり,記述の矛盾を勝手に改めたりすることはできる

だけ恨みたい。ソー プ (Thoma~ Thorpe) の配列には問題があるにしろ,

鏡の論到!をあてはめて考えれば矛盾でなくなる所もでてくるはずである。散

文的論IfP:ぞあてはめる前Kもう 一度 十ノネソ ト集』の論珂に即して考えてみ

る必裂があるように忠われる。

(註)※テクストは W.G. Ingrao1 & Theodore Redpath編 (1964)を用いDover

Wilson編 (1966)や Martin Seymour -Smith編 (1963)を参考にした。引

用は Ingram& Redpath制Kよる。なお引用中のイタリ ックはすべて筆者に

よるものである。

1)銃の君主主性l乙以づいた批評家は少なくないであろうが,それぞ是正面からとりあげ

たのはクリーカーであった。

( 346 ) •

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三. スヒアの 61 ト の論fl1!における、

限のはめ乙み像が随

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O仰ll1U!lSe吋dE珂d、W、v[lr吋dHu叶lbオle引r. (London: RoutJedge, 1962), p. 123.

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世界.肉体の世界ぞぷわし,波のも;itE争もったu

える世界;.y,: L~ い対照争江しているという。彼は lrulh と troth の泣いにrt(: 1

白から乙れら:つのi世界の対比ぞ汗・きぼりにしていく nKr:ieg肝. PP.

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347