スペイン・エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍調査 …taizan/data/eskorial.pdf3...

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1 スペイン・エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍調査報告 井上 泰山 はじめに スペインのエスコリアル修道院図書館に 16 世紀以来保管されている複数の漢 籍については,フランスの中国学者ポール・ペリオの報告によって,20 世紀初 頭にはすでにその存在が知られていた。その後,中国や英国,日本などから複数 の研究者が現地を訪れて調査を行った結果,当該図書館の漢籍収蔵状況は徐々 に明らかになってきた。しかし,所蔵されている個々の漢籍の具体的な書誌と学 術的価値に関しては,断片的な情報が伝わるのみで,いまだに不明な部分が多く 残されている。 そうした状況のもと,筆者は 2014 4 月から 6 月までの 3 ヶ月間,欧州各 国に存在する漢籍を調査する機会にめぐまれ, 5 月半ばまで北欧各国の図書館を 調査した後スペインに移動し,エスコリアル修道院図書館の漢籍についても仔 細に調査することができた。 当該図書館に保管されている漢籍の一部,とくに『三国志演義』の「葉逢春本」 については,筆者自身過去に何度か現地を訪れて調査を行い,関西大学出版部の 支援を得て全葉の翻刻本を公刊するなど,すでに一定の成果を公表したが,今回 はそれ以外の漢籍についても十分な時間をとって綿密な調査を行うことができ た。以下に報告する内容は,その間の調査によって得られた成果である。エスコ リアル修道院図書館所蔵漢籍の学術的価値を再認識することにつながれば幸い である。 なお,本稿は基本的に,2016 1 月に『東方学』第 131 輯誌上に発表した調 査報告をもとにしているが,その後公表された研究成果を取り込み,大幅に改訂 したものである。 エスコリアルと修道院図書館 本題に入る前に,エスコリアルという都市,および 16 世紀以来およそ 500 間にわたって漢籍を保管し続けてきた修道院図書館について簡単に紹介してお きたい。 エスコリアルはスペインの首都マドリッドの北西約 50 キロの地点に位置し, グアダラマ山脈南面のなだらかな丘陵地帯を中心に広がる小都市である。マド リッドから電車でおよそ 50 分,一時間に一本電車が出ているため,交通の便は

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    スペイン・エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍調査報告

    井上 泰山

    はじめに

    スペインのエスコリアル修道院図書館に16世紀以来保管されている複数の漢

    籍については,フランスの中国学者ポール・ペリオの報告によって,20 世紀初

    頭にはすでにその存在が知られていた。その後,中国や英国,日本などから複数

    の研究者が現地を訪れて調査を行った結果,当該図書館の漢籍収蔵状況は徐々

    に明らかになってきた。しかし,所蔵されている個々の漢籍の具体的な書誌と学

    術的価値に関しては,断片的な情報が伝わるのみで,いまだに不明な部分が多く

    残されている。

    そうした状況のもと,筆者は 2014 年 4 月から 6 月までの 3 ヶ月間,欧州各

    国に存在する漢籍を調査する機会にめぐまれ,5 月半ばまで北欧各国の図書館を

    調査した後スペインに移動し,エスコリアル修道院図書館の漢籍についても仔

    細に調査することができた。

    当該図書館に保管されている漢籍の一部,とくに『三国志演義』の「葉逢春本」

    については,筆者自身過去に何度か現地を訪れて調査を行い,関西大学出版部の

    支援を得て全葉の翻刻本を公刊するなど,すでに一定の成果を公表したが,今回

    はそれ以外の漢籍についても十分な時間をとって綿密な調査を行うことができ

    た。以下に報告する内容は,その間の調査によって得られた成果である。エスコ

    リアル修道院図書館所蔵漢籍の学術的価値を再認識することにつながれば幸い

    である。

    なお,本稿は基本的に,2016 年 1 月に『東方学』第 131 輯誌上に発表した調

    査報告をもとにしているが,その後公表された研究成果を取り込み,大幅に改訂

    したものである。

    エスコリアルと修道院図書館

    本題に入る前に,エスコリアルという都市,および 16 世紀以来およそ 500 年

    間にわたって漢籍を保管し続けてきた修道院図書館について簡単に紹介してお

    きたい。

    エスコリアルはスペインの首都マドリッドの北西約 50 キロの地点に位置し,

    グアダラマ山脈南面のなだらかな丘陵地帯を中心に広がる小都市である。マド

    リッドから電車でおよそ 50 分,一時間に一本電車が出ているため,交通の便は

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    整っている。ガイドブックによれば人口はおよそ 2 万人とされているが,シー

    ズンを過ぎると人口は半減するようである。現在のエスコリアルはマドリッド

    の富裕層の避暑地としての機能も担っている。

    修道院は宮殿も兼ねている。修道院は丘陵地帯の中腹にあり,石造りの壮大な

    建築物は遠く離れた列車の窓からもその威容を望むことができる。修道院の周

    囲は鬱蒼とした灌木で覆われ,背後には峨々たる岩山が聳え立っている。エスコ

    リアルは昔から花崗岩を多く産出する場所であり,地名の語源は「採石場」に由

    来する。

    修道院の建造者はフェリーペⅡ世で,彼は 16 世紀に父親であるカルロスⅠ世

    の皇位を継承し,1563 年から 1584 年まで 21 年間の歳月を費やして修道院を建

    造した。その目的は三つあり,一つは,サン・カンタンでフランス軍を打ち破っ

    た日が聖ラウレンティウス(スペイン名ロレンソ)殉教の日であったことを紀念

    するため,二つ目は父親の埋葬のため,三つ目は皇室の宝物を永く保管する場所

    を確保するためである。フェリ-ペⅡ世はハプスブルグ王朝最盛期の国王で,一

    時はポルトガル国王も兼任し,多くの植民地を所有したことから「太陽の沈まぬ

    国」と呼ばれたのもその頃であるが,度重なる戦争による多大な出費のため,国

    力は疲弊した。しかし,フェリーペⅡ世は莫大な費用を投じてこの修道院を完成

    させ,以後スペインは徐々に衰退の途をたどることになった。

    図書館は修道院北側の三階の一室にあり,天井は全て壮麗なフラスコ画で覆

    われている。図書館の一部は参観ルートに含まれており,一般観光客も自由に参

    観することができる。しかし,本棚に配架されている本はすべて背表紙を奥向き

    にして配架してあるため,書名は全く不明である。もちろん,開架式ではなく,

    本棚は全て施錠されており,書物を自由に手に取って見ることはできない。

    修道院が完成した直後に日本から天正遣欧少年使節団が現地を訪れたことは

    よく知られている。その関係で,同図書館には 1600年に日本で刊行された貴重

    なキリシタン本『倭漢朗詠集』が保管されており,関係者にとっては垂涎の的と

    なっている。

    閲覧室は図書館の奥まった一室にあり,入り口では常時二人の守衛が入室者

    をチェックしている。閲覧室のみを利用する場合には,一般観光客とは別の入り

    口から修道院に入ることができ,参観費用を払う必要はない。ただし,その際に

    も,毎回厳しい所持品の検査を受ける必要がある。閲覧室は非常に狭く,細長い

    机が 5卓あるのみで,椅子は 20脚しかない。今回筆者が調査に訪れた際には常

    時複数の職員がコンピュ-タへの入力作業を行っていたため,閲覧可能人数は

    さらに限られていた。閲覧室の開室時間は火曜日から土曜日までの午前 10時か

    ら午後 2時まで,しかも午前中の 4時間のみである。

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    エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍の種類と流入の経緯

    16世紀後半にエスコリアル修道院図書館に搬入された漢籍のうち,最も重要

    なものは『新刊通俗演義三國志史傳』『新刊耀目冠場擢奇風月錦嚢正雑両科全

    集』『全家錦嚢』『少微先生高明大字資治通鑑節要』『類編暦法通書大全』『新刊

    補訂源流總亀對類大全』『新刊徐氏家傳捷法鍼灸』の七種である。

    具体的な書誌の紹介に入る前に,これらの漢籍が中国からスペインに流入し

    た経緯について簡単に触れておきたい。ただし,この点についてはすでに先人の

    報告も備わっており,それらを参考にしながら要点を簡潔に記すに留める。

    中国からの漢籍の流入に関しては,まず「マニラ郵船」について触れなければ

    ならない。マニラ郵船は 1565 年から 1815 年まで,フィリピンのマニラとスペ

    イン総督区アカプルコとの間を航行した船隊で,年に一・二回運行され,太平洋

    を横断して大量の中国の物資をフィリピン経由でアメリカや西欧に輸送した。

    メキシコの独立戦争後にようやく運行は停止されたが,およそ 150 年間にわた

    って物資を運び続けた。このように,16 世紀当時,アジア・欧州間の物資の輸

    送は陸路以外にアメリカ大陸を経由する海路も重要な役割を担っていた。エス

    コリアルに流入した漢籍もこのルートによって運ばれた可能性がある。

    中国の古籍を欧州に運ぶにあたって大きく貢献したのは,当時アジアでの布

    教活動に従事していたキリスト教の宣教師であった。彼らは帰国する際に漢籍

    その他の物品を自国に持ち帰った。そのあたりの事情を調査したものとしては,

    以下に示すグレゴリオ・アンドレス神父(GREGORIO DE ANDRES,O.S.A)の

    報告がある。アンドレス神父はかつてエスコリアル修道院図書館の館長でもあ

    ったが,1969年に「エスコリアル王室図書館の中国古書」(LOS LIBROS CHINOS

    DE LA REAL BIBLIOTECA DE EL ESCORIAL)と題する論文を『Missionalia

    Hispanica』(26 号)に発表し,その中で,所蔵漢籍の種類や搬入時の状況,流

    入の経緯などについて言及している。日本では入手困難な文献であり,筆者は修

    道院図書館でコピ-を直接入手した。今回の再調査の過程で,当該論文の原載誌

    『Missionalia Hispanica』を実見することを試みたが,原本はエスコリアル

    修道院には無いため,その後マドリッドの国立図書館まで行って探したものの,

    そこにも所蔵されておらず,結局,アルカラ・デ・エナレスにある国立図書館の

    分館まで行かなければ実物を見ることができないことが判明した。しかし,すで

    に帰国の時期が迫っていたため,今回は現物を見ることは断念せざるを得なか

    った。

    ところで,エスコリアル図書館にある漢籍は,いつ頃,どのような経緯を経て

    中国からスペインに運び込まれたのか。これについても,すでにいくつかの研究

    が備わっており,前掲アンドレス神父の報告の中にもそのヒントがある。それに

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    よれば,既述の漢籍は,16 世紀にアジアでキリスト教の布教活動に従事してい

    たポルトガル人宣教師グレゴリオ・ゴンサルベスが,当時ポルトガル大使をつと

    めていたスペイン人のファン・デ・ボルハを介して,国王であるフェリ-ペⅡ世

    に献上したものであった。アンドレス神父の調査報告によれば,ボルハがフェリ

    -ペⅡ世に宛てた 1573 年 11 月 26 日付の書簡が残っており,その中に,「珍し

    い言葉で書いた書物」を送る旨の文面が見られる。ここに言う「珍しい言葉で書

    いた書物」こそが,現在もなお修道院図書館に保管されている数種類の漢籍を指

    すものと考えられている。なお,この時実際にエスコリアル図書館に何冊の漢籍

    が寄贈されたか,その正確な数は不明で,革表紙で装幀しなおされた現存の 18

    冊以外にも漢籍が存在した可能性もあるが,はっきりした数はわかっていない。

    先人の調査と報告

    次に,これまでに実際にエスコリアル修道院図書館を訪れて所蔵漢籍を調査

    した人物を,調査報告記事およびその掲載誌とともに列挙する。

    (1) Paul Pelliot(伯希和)「関於西班牙所蔵幾種典籍的札記」:

    『通報』26,1929

    (2) 戴望舒「西班牙愛斯高里亜爾静院所蔵中國小説,戯曲」:

    『小説戯曲論集』作家出版社,北京,呉暁鈴編,1958

    (3) 方豪「流落於西葡的中國文献」:『學術季刊』1巻 2期,台北 1952

    (4) Van Der Loon(龍彼得)「エスコリアル図書館所蔵に係る六種の

    中国語の書物について」1964:『風月錦嚢考釈』,中華書局,2000所収

    (5) 榎一雄「漢字の西方伝播」:『榎一雄著作集』4巻,1978

    (6) 井上泰山「スペイン・エスコリアル修道院蔵『三国志演義』を尋ねて」:

    『東方』199号,1997

    (7) 孫崇濤『風月錦嚢考釋』:中華書局,2000

    (8) 杜文彬・Taciana Fisac(達西安娜・菲薩克)・呉雲『西班牙図書館中国

    古籍書志』:上海古籍出版社,2010

    (9) 杜文彬『西班牙蔵中文古籍書録』:中国国家図書館出版社,2015

    管見の及ぶ限りでは,これまでに筆者を含めて 8 人の学者や詩人が調査のた

    めエスコリアル修道院図書館に足を運んでいる。戦前にはフランスの中国学者

    ポール・ペリオと中国の詩人戴望舒が同図書館を訪れて漢籍の調査を行い,帰国

    後に簡単な報告を書き残している。筆者自身がエスコリアル図書館の貴重な漢

    籍の存在を知ったのも,戴望舒の上記の報告を通してであった。戦後になると,

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    台湾やイギリス,日本などから相次いで学者が調査に訪れている。ただ,当時は

    所謂「通俗文学」や民間の類書などに対する関心が薄かったことや,フランコ独

    裁政権下にあったことも手伝って,充分な調査は行われなかったようである。

    そうした状況の中,1964 年に調査を行ったのは,英国オックスフォード大学

    に勤務するオランダ人の中国学者 Van Der Loon教授であった。その時の調査

    結果は後にメモの形で孫崇濤氏に送られ,前掲『風月錦嚢考釋』に「付録」とし

    て収録されている。

    90 年代に入って調査に訪れたのは,中国の孫崇濤氏と筆者である。孫崇濤氏

    はかねてより『風月錦嚢』の研究を進めていた学者の一人で,氏はエスコリアル

    修道院図書館に所蔵されている 16世紀の戯曲集に多大な興味を抱き,94年の秋

    にエスコリアルに滞在して漢籍の調査を行った。調査の経緯は『風月錦嚢考釈』

    の中に詳しく述べられている。

    スペイン国内の中国学者による調査も早くから行われていた。マドリッド自

    治大学東亜研究センター教授タシアナ・フィサク(Taciana Fisac)氏と中国の

    学者杜文彬氏を中心に行われた調査の成果報告『西班牙図書館中国古書書志』が

    2010 年に上海古籍出版社から刊行された。これはスペイン国内の九箇所の図書

    館や博物館に現存する漢籍の総合目録であり,本稿で報告の対象とするエスコ

    リアル修道院図書館の蔵書についても,その一部の書影とともに詳細な書志的

    事項が掲載されている。ただ,その後,2015 年に国家図書館出版社から刊行さ

    れた(9)『西班牙蔵中国古籍書録』に付された編者・杜文彬氏の「後記」によれ

    ば,前掲『西班牙図書館中国古書書志』は共編者である杜文彬氏の十分な合意の

    無いまま,いわば見切り発車的に上梓されたものであるらしく,箇別の書物の書

    誌に関する記述にも多くの誤りが存在することが指摘されている。そうした事

    態に至った細かな経緯は不明であるが,本稿の作成にあたってはその点を考慮

    に入れた上で,(8)と(9)の記載内容を細かく比較対照し,結果として,(9)

    の記載に基づいて報告を行うこととした。

    エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍の書誌および保管状況

    エスコリアル修道院図書館所蔵の六種類の漢籍については,すでに前掲(4)・

    (8)・(9)の中に,書誌に関する基本的情報が開示されている。各々の漢籍の紹

    介に繁簡の差異はあるものの,これらによって所蔵漢籍の基本的な書誌を知る

    ことができる。なお,(8)と(9)は本来同一の人物によって行われた作業に基

    づく成果であるため,その記述内容は重なる部分も多く認められる。よって,こ

    こでは,上記三つの書誌情報のうち,(4)と(9)を逐一日本語に訳して紹介し,

    それを検証する形で,各々の漢籍の書誌と現況,および関連する書籍など,筆者

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    自身の調査によって得られた新たな知見を付記することにした(*印以下の記

    述は筆者自身の付記)。

    一 『新刊通俗演義三國志史傳』(請求記号 G/Ⅳ.23ー30 8冊)

    (4)二百四十段,第三・十巻缺。四周双辺,190×134 ミリ,二段分割,上図下

    文,十六行,行二十三字,版心黒口。巻首に「東原羅本貫中編次,書林蒼渓葉逢

    春彩像」と題す。嘉靖二十七年(1548年)古鍾陵(今の江西進賢)元峰子序。

    (9)『新刊通俗演義三國志史傳』十巻(巻一,巻二,巻四から巻九現存,巻三,

    巻十原佚)。(明)羅貫中編次,(明)葉逢春採像。十冊。精装,五針眼装訂。表

    紙は黄緑色のなめし革による表装,書口に金粉。二段組。上部は図版,高さ 5cm;

    下部は文章,高さ 14cm,半葉十六行,二十字。四周双辺,黒口,双魚尾。版心中

    部に「三国志伝」と刻字。本体 23.8×15cm,版框 19×13cm。

    目録に「新刊按鑑漢譜三国志伝繪象足本大全目録」と題する。巻端に「新刊通

    俗演義三国志史伝,東原羅本貫中編次,書林蒼渓葉逢春採像」と題する。前に「嘉

    靖二十七年歳次戊申春正月下浣之吉鍾陵元峰子書」になる「三国志伝加像序」あ

    り。第七冊表紙内側の書名のラベルに「諸家標集下巻」と題す。

    各冊の精装の表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様

    印あり,下部に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    紙質は非常に粗末で,印刷にも多くの不鮮明箇所や文意のつながらない箇所

    がある。整理番号は「G‐Ⅳ‐23-30」であるが,番号と巻数は一致せず,実際

    の番号と巻数との関係は以下のようになっている。巻一 24,巻二 25,巻四 26,

    巻五 27,巻六 23,巻七 28,巻八 29,巻九 30。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    *本書に関しては,今回の調査による新たな発見はない。筆者は 1995 年 3月

    に最初にエスコリアル修道院を訪れ,当該書物の全文データを入手し,帰国後に

    翻刻本『三国志通俗演義史伝(上下)』(関西大学出版部,1997・1998)を刊行し

    た。2009 年には上海古籍出版社から光華文史文献研究叢書の一として同書の再

    版本も刊行されている。また,中国本土でも 2005年(中華全国図書館文献縮微

    複製中心)と 2009年(国家図書館出版社)の二度にわたって陳翔華主編による

    影印本が詳細なる解説とともに出版され,本書に関する限り,すでに研究環境は

    整っている。原本の公刊以来研究は大いに進展し,中国国内では章培恒・劉世徳・

    陳翔華各氏の,また日本国内では高橋乃子・中川諭・金文京・小松謙・井口千雪

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    各氏の専論が備わっており,今なお多方面からの分析が行われつつある。

    周知の如く,本書は全十巻のうち第三巻と第十巻を欠く端本であるが,残念な

    がら欠巻に関する新たな情報は今回の調査でも得ることはできなかった。ただ,

    前掲アンドレース神父の論文の中にある,漢籍の所有者として名前が挙げられ

    ているフェリペⅡ世の叔母,ポルトガル王妃カタリーナ・デ・アウストリアが当

    時二冊の漢籍を入手していたとの記事は,本書の欠巻の数と一致しており,少々

    気になるところではある。あるいは,叔母の手を介してポルトガルに運ばれた可

    能性もあるが,この点は単なる憶測の域を出ない。なお,筆者は現在,関連する

    数種の版本をもとに失われた二巻の復元を試みているが,難題も多く,公刊まで

    にはまだかなりの時間を要する。

    二 『新刊耀目冠場擢奇風月錦嚢正雑両科全集』(請求記号 G/Ⅳ.31)

    (4)『続補首巻』,『前編』二十巻,『続編』二十巻(巻四・十五・十七缺)に分

    かれる。四周単双辺不定,205×127 ミリ,二段に分かつ。前編及び続編の巻一

    から十一まで上図下文,文十三行,行二十字。続編巻十二から二十までと続補首

    巻上段は文十四行,行八字,下段は十三行,行二十一字。前編巻首に「新刊摘匯

    奇妙戯式全家錦嚢,汝水雲崖徐文昭緝,書林詹氏進賢堂梓行」と題する。続編巻

    首に「新刊摘奇続編賽全家錦大全,汝水雲崖徐文昭緝,書林詹氏仁智齋梓」と題

    する。巻十四に「汝水雲崖徐文昭集,江右龍峰詹子和校,書林詹氏進賢堂梓」と

    題する。巻末の牌記に「嘉靖癸丑歳(1553 年)秋月詹氏進賢堂重刊」とある。

    案ずるに,汝水は臨川であり,詹氏進賢堂は建陽の有名な書肆である。

    (9)『新刊耀目冠場擢奇風月錦嚢正雑両科全集』一巻。二段組。上段は高さ 5cm,

    半葉十四行八字;下段は高さ 14.5cm,十三行二十一字。四周単辺,上部は「時

    興雜科法曲」,下部は「正科入賺」。版心中部に「続補首巻」又は「続編首巻」と

    刻す。

    『新刊摘匯奇妙戯式全家錦嚢』四巻。(明)徐文昭編輯。明書林詹氏進賢堂刻

    本。二段組。上段は図版,高さ 5cm;下段は文章,高さ 15cm,半葉十三行二十字,

    小字双行字同じ。四周双辺,版心中部に各巻の巻名を刻す。

    子目:巻一伯皆,巻二荊釵,巻三蘇秦,巻四北西廂。

    一冊(127 葉,毎葉裏面右上角に鉛筆で葉数を標出)。精装,中間は五針眼四

    本棉糸綴じ。表紙は黄緑色のなめし革で表装。表紙,裏表紙の四周,中間の長方

    形の枠および背面にいずれも金縁あり,中間の長方形の枠の四隅に金色の花紋

    装飾あり。裏表紙に本の整理番号。五針眼装丁,四本棉糸綴じ。上下に綴じ糸無

    し,書口に金粉。32 開(22.5×14.5cm)。版框 19.5×12cm。二段組,白口,

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    双魚尾。毎巻巻首と巻尾の版心に黒色花紋。本体 22.5×14.5cm,版框 19.5×12cm。

    表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様印あり,下部

    に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    書物の印刷はかなり不鮮明で,一部の葉には下部の余白が無く,文字が途切れ

    ていることさえある。版心部分の折り畳み箇所は多くの葉が分断されており,末

    葉は破損している。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    三 『全家錦嚢』(請求記号 G‐Ⅳ‐32)

    (4)二に同じ。

    (9)『全家錦嚢』四十巻。(明)徐文昭編。明嘉靖三十二年(1553)詹氏進賢

    堂重刊本。一冊(138 葉)。精装,中間部は五針眼棉糸綴じ。表紙は黄緑色のな

    めし革で表装,裏表紙に本の整理番号。二段組,上部は図版,高さ 4.5cm,下

    部は文章,高さ 14.5cm。半葉十三行二十字。上下単辺,左右双辺。白口,双魚

    尾,版心中部に各巻の巻名を刻す。本体 23.5×14.5cm,版框 19×12cm。

    表紙の内側の書名のラベルに毛筆で「對類」の二字を記す,ラベル右下角に

    「書」の一文字あり。内部に書名表示無し。上部の末,乃ち第二十巻末に長方形

    の牌記あり,「嘉靖癸丑歳秋月,詹氏進賢堂重刊」と刻す。

    表紙の内側の書名ラベルに書かれた「對類」と書物の内容が不一致,書名『全

    家錦嚢』は編目時に加えられたもの。照合の便に供するため,とくに毎巻の巻名

    を以下に記す。

    上部:

    精選續編賽全家錦三國志大全 二卷(一葉~十二葉)

    新刊摘匯奇妙全家錦嚢續編还帶記 三卷(十三葉~十五葉)

    摘匯奇妙續編全家錦嚢張王記西瓜記 五卷(十六葉~二二葉)

    摘匯奇妙續編全家錦嚢姜女寒衣記下 六卷(二三葉~二八葉)

    摘匯奇妙續編全家錦嚢張儀解縱記下 七卷(二九葉~三二葉)

    摘匯奇妙續編全家錦嚢留題金山記下 八卷(三三葉~三七葉)

    摘匯奇妙續編全家錦嚢節婦金錢記 九卷(三八葉~四二葉)

    摘匯奇妙續編全家錦續編竇滔迴文記 十卷(四三葉~四六葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢王昭君下 十一卷(四七葉~五十葉)

    新刊摘匯奇妙全家錦續編四飾記 十二巻(五一葉~五二葉)

    新刊摘匯奇妙全家錦續編東窓記 十三卷(五三葉~五四葉)

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    新編奇妙賽全家錦大全忠義蘇武牧羊記 十四卷

    汝水雲崖徐文昭集,江右龍峰詹子和校。書林詹氏進賢堂梓。

    十四巻末破損(五五葉~五九葉)

    十五巻無し

    全家錦嚢續編周羽尋親記 十六卷(未有十五卷 十四卷末破)(六十葉~六二葉)

    十七巻無し

    奇妙全家錦嚢續編林招得黃鶯記 十八卷(未有十七卷)(六三葉~六四葉表)

    奇妙全家錦嚢高文舉登科記 十九卷(六四葉十一行~六四葉裏)

    全家錦嚢續編蕭山鄒知縣湘湖記 廿卷(六五葉~六六葉)

    下部:

    新刊摘匯奇妙戲式全家錦嚢拜月亭 五卷(六七葉~七四葉)

    新刊摘匯奇妙戲式全家錦嚢大全孤兒 六巻(七五葉~八一葉)

    新刊摘匯奇妙戲式全家錦嚢大全呂蒙正 七卷(八二葉~八八葉)

    新刊摘匯奇妙戲式全家錦嚢大全劉智遠 八卷(八九葉~九四葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢三元登科記 九巻(九五葉~一○○葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢五倫伝紫香囊 十巻(一○一葉~一○六葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢殺狗 十一卷(一○七葉~一一二葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢[合](此字不清)姜詩 十二卷(一一三葉~一一七葉)

    摘匯奇妙戲式全家錦嚢大全伍倫全備 十三卷(一一八葉~一一九葉)

    摘匯奇妙全家錦嚢郭華 卷十四(一二○葉)

    新刊奇妙全家錦嚢王祥 卷十五(一二一葉~一二二葉)

    新刊全家錦嚢祝英臺記 卷十六(一二三葉~一二四の三行)

    新刊全家錦嚢薛仁貴 卷十七(一二四葉の四行~一二五葉の七行)

    新刊全家錦嚢江天暮雪 卷十八(一二五葉の八行~一二五裏)

    奇妙全家錦嚢沉香 卷十九(一二六葉~一二八葉二行)

    奇妙全家錦嚢八仙慶壽 卷二十(一二八表三行~一二八裏)

    新刊摘奇續編賽全家錦大全雙蘭花記 卷之一

    汝水雲崖徐文昭編,書林詹式仁智齊梓。(一二九葉~一三八葉)

    巻一が最後にあるのは,装丁し直した際に誤ったものであろう。中間にも欠巻

    あり。

    表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様印あり,下部

    に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    書物の印刷は不鮮明で,文字が途切れていることが多い。版心部分の折り畳み

    箇所は多くの葉が分断されており,一部の葉は既に破損している。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解説

  • 10

    に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    *各巻の葉数は(8)の作品名の後に示す(括弧内の数字)。

    四 『少微先生高明大字資治通鑑節要』(請求記号 G/Ⅳ.18ー21 4冊)

    (4)二十巻。『外記』五巻。四周双辺,177×128 ミリ,十三行,行二十五字。巻

    首に「京兆劉氏慎独齋増梓,陳氏積善書堂校刊」と題する。巻十五に「張氏南軒

    校正」と題する。『外記』巻三に「陳氏積善堂按京本正」と題する。巻二に「書

    林張氏新賢堂重刊」と題する。嘉靖辛丑(1541 年)書林張氏新賢堂の序あり。

    巻末牌記に「嘉靖己亥年(1539 年)張氏新賢堂序」とある。本書は福建崇安の

    隠士江贄の編纂に係る。江贄は宋の政和年間に少微の号を授けられた。その末裔

    淵附益がこれを潤色し,嘉煕丁酉(1237 年)に刻した。建陽の慎独齋が正徳己

    巳(1509年)に重刊した。京本とは正徳九年(1514年)の刊本を指す。

    (9)『少微先生高明大字資治通鑑節要』二十巻。(宋)江贄撰。明嘉靖二十年(1541)

    陳氏積善書堂刻本。四冊。精装。六針眼装訂。表紙はやまぶき色のなめし皮で表

    装され,書背に各冊の番号を記入,書口に金粉塗装。半葉十三行二十五字,小字

    双行字数同じ。版框に時折小字二字による注釈あり。四周双辺,白口,双魚尾。

    書口に「少微鑑」と刻す。本体 25×15㎝,版框 17.5×12.5㎝。

    本文書名の傍に「京兆劉氏慎独齋増校」と題す。前に「資治通鑑節要序」「歴

    代帝王伝授之図」「高明大字通鑑節要引用先儒姓氏」「讀資治通鑑節要法首一,書

    林張氏新賢校刊」「資治通鑑総要通論,餘姚伯山養高胡雷時震注(本節首葉に紅

    筆にて圏点付す)」「温公修書釈例」「少微先生資治通鑑外紀目録」「少微先生資治

    通鑑節要目録」「新刊高明大字資治通鑑節要外紀」五巻あり。巻一の傍に「書林

    □□重刊」と題し,巻二の傍に「書林張氏新賢堂重刊」と題し,巻三の傍に「陳

    氏積善堂按京本正」と題し,巻四の傍に「陳氏積善按京本正」と題する。末葉に

    牌記あり,「嘉靖己亥年張氏新賢堂」と刻す。

    本書の所々に紅筆小字による注あり。第三巻に二葉の白紙あり,破損した葉あ

    り,巻十三末葉は半葉欠損。資治通鑑節要序に曰く:「奈板行既久,訛之不終無

    也,爰求古帙補全論斷,謄寫大字鋟梓,以廣其傳,俾讀史者披閱一觀若睹青天矣,

    夫豈無益於世教哉。嘉靖辛丑夏五月之吉書 書林張氏新賢堂謹識」。

    各冊の精装の表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様

    印あり,下部に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

  • 11

    *現存する各巻の葉数は次の通り。巻一(三七葉),巻二(三十),巻三(四九),

    巻四(三五),巻五(四五),巻六(四五),巻七(四九),巻八(三九),巻九(三

    七),巻十(三五),巻十一(六十),巻十二(四五),巻十三(二十),巻十四(四

    六),巻十五(十七),巻十六(四一),巻十七(三八),巻十八(二四),巻十九

    (三五),巻二十(三二)。安徽大学には嘉靖年間刊行の「劉氏慎獨齋刻本」が,

    浙江図書館には明萬曆九年の「黃氏興正書堂刻本」が,中央黨校中科院新疆分院

    には「明陳氏積善書堂刻本續節要明書林張氏新賢堂刻本」が所蔵されている。

    五 『類編暦法通書大全』(請求記号 G/Ⅳ.34ー35 2冊)

    (4)残本。巻十から巻十九まで現存。四周双辺,188×132 ミリ,行数不定,版

    心黒口。巻十の前に「金渓何景祥暦法」と題する図(半葉)あり。巻十七の前に

    「鰲峰熊宗立類編」と題する図(半葉)あり。本書はもと元の宋魯珍の通書およ

    び元の何士泰の暦法を集成したもので,建陽の熊宗立(1409-1482)編纂に係る。

    (9)『類編暦法通書大全』(巻十から巻十九,現存)。(明)熊宗立編。二冊。精

    装,中央部五針眼麻線装訂。表紙は黄緑色のなめし革で表装,書背に各冊の整理

    番号,書口に金粉。行数・字数不揃い。四周双辺,黒口,双魚尾,版心中部に「通

    書大全」と刻す。本体 26×15.5cm,版框 18.5×13cm。

    第一冊首葉表面に図あり,図の上部に「金渓何景祥暦法」,右側に「捜衆論諸

    家之秘」,左側に「為四方千古之書」と題す,裏面に目録。第二冊首葉表面の上

    部に「鰲峰熊宗立類編」,右側に「集諸賢陰陽総括」,左側に「開百世暦日流行」

    と題し,裏面に目録。第二冊に数枚の暦法図あり。各冊表紙と裏表紙に暗格花紋

    油性の粗紙あり,精装する際に付加したものか,表紙内側に毛筆の題字あり;第

    一冊左上角に「通書」,書名下部に「貞」と題す;第二冊は「通書」の下に「享」

    と題す。二冊とも表紙内側右下角に「蓂菴」と題する。

    各冊の精装の表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文

    様印あり,下部に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    本書の印刷はかなり不鮮明。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    *現存する十巻から十九巻までの葉数は次の通り。巻十(「目録」三葉,本文

    四葉~二三葉),巻十一(二四葉~五八葉),巻十二(五九葉~八九葉),巻十三

  • 12

    (九十葉~九四葉),巻十四(九五葉~一○三葉),巻十五(一○四葉~一一七葉),

    巻十六(一一八葉~一二九葉)。以上,第一冊。巻十七(「図版」と「目録」一葉,

    本文二葉~二五葉),巻十八(二六葉~八五葉),巻十九(八六葉~一四五葉)。

    以上,第二冊。南京図書館には元宋魯珍通書,元何士泰曆法,明熊宗立類編『類

    編曆法通書大全三十卷』(明嘉靖三十年蔡氏道義堂刻本,存卷二十九,三十)が

    所蔵されている。また,明熊宗立編に係る十九巻本や二十六巻本も現存する。

    六 『新刊補訂源流總亀對類大全』(請求記号 G/Ⅳ.33 1冊)

    (4)残本。巻五から巻七が現存。四周双辺,185×126ミリ。行数不定。巻五の

    前に図(半葉)あり,「積庵」と題する。版本未詳。

    (9)『新刊補訂源流總亀對類大全』(巻五,巻六,巻七,現存)。一冊。精装,五

    針眼装丁,中間一本糸綴じ。表紙は黄緑色のなめし革により表装,書背に整理番

    号。書口に金粉あり,但し多くは既に剥落。半葉十三行二十五字,一定せず,十

    六行二十五字もあり,小字双行二十九字。四周双辺,白口,双魚尾。版框内上方

    に 1cmの横格あり,「平,仄」と記す。版心中部に毎巻の巻名を刻す。本体 23×14.

    2cm),版框 18.3×12.2cm。

    本文の前に一葉あり,その前面に図あり,上部に「積菴」の二字を題す。右に

    「宮室門第五巻,器用門第六巻」,下部角に「義」の文字あり。左に「鳥獣門第

    七巻」と題し,下部角に「義」の文字あり。裏面に「辨声音要訣」,但し裏面は

    既に破損。

    精装の表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様印あ

    り,下部に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    本書の印刷は多くの不鮮明な箇所があり,一部の葉は既に破損している。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    *巻五・巻六・巻七のみ現存。全八九葉。巻五(二葉~十九葉),巻六(二十

    葉~五四葉),巻七(五五葉~八九葉)。ただし,第八六葉は三葉分粘着のため,

    中間の一葉(第八七葉か)が見えず。よって,第八九葉は,実際には九十葉にな

  • 13

    ると思われる。『新刻音釋啓蒙總龜對類大全八卷』(明萬曆三十六年金陵書坊唐氏

    富春堂刻本,明謝天佑訂正)が中国社会科学院に所蔵されている。また,『縹緗

    對類大全』(二十卷)が国家図書館・上海図書館などに所蔵されている。各々,

    明古吳聚錦堂刻本と明崇禎間刻本。

    七 『新刊徐氏家傳捷法鍼灸』(請求記号 G/Ⅳ.22 1冊)

    (4)二巻。四周双辺,175×117 ミリ,十三行,行二十七字。巻首に「江右信州

    弋陽古塘徐鳳廷瑞編次,同邑鄒山鄒希孟校正」と題する。弘治壬戌(1502 年)

    徐鳳序。巻末牌記に「嘉靖辛卯(1531年)仲夏之吉書林李氏□□堂刊」。扉頁に

    「明徳堂」と題す。案ずるに,徐氏鍼灸の現存する最古の版本であろう。明徳堂

    は建陽書林の劉輝の堂名。

    (9)『新刊徐氏家傳捷法鍼灸』二巻。(明)徐鳳編次,(明)鄒希孟校正。明嘉靖

    十年(1531)明徳堂刻本。一冊(84葉,毎葉表左上角に鉛筆書きで頁数を表示)。

    精装,五針眼双股麻線装訂。表紙はやまぶき色のなめし皮で表装。半葉十三行二

    十七字。四周双辺,白口,双魚尾。書口上部に「徐氏鍼灸」と刻す。本体 22.

    3×14.8cm,版框 17.2×11.2cm。各巻巻首に「新刊徐氏家伝捷法鍼灸,江右信

    州弋陽古塘徐鳳廷瑞編次,同邑鄒山鄒希孟校正」。書名のある頁に四周双辺長方

    形の黒枠あり,その中間に書名を記す。書名上部に小字横書で「子午流注」,右

    に「金鍼分陰陽之究」,左に「編集点欠病□□」:その上部に大字横書で「明徳堂」。

    表紙の内側,裏表紙は粗悪な文様紙。表紙左上部に毛筆で「徐氏鍼灸」,裏表紙

    内側に毛筆手書で「酉年仲秋月置」,同一人物の手によると思われる。前に徐鳳

    作「徐氏家伝鍼灸大全序」あり。巻末に長方形の牌記あり,「嘉靖辛卯仲夏之吉,

    書林李氏□□堂刊」と刻す。序に曰く:「編成一帙,分為二卷,名曰『鍼灸大全』。

    命工鋟梓,以惠於世‧‧‧‧‧明弘治壬戌冬十月甲子江西信之弋南古唐後學徐鳳廷瑞

    敬識」。

    精装の表紙と裏表紙に「MERUISSSE SATIS」なる金色楕円形の枝葉文様印あり,

    下部に黒色の図書館館章の彫り込みあり。

    本書の最初の十数葉は天の部分と版心部分に虫食いが認められる。

    (以下,各冊表紙の内側に貼られたカードに記載されているスペイン語の解

    説に対する説明が付されているが,ここでは割愛する)

    *第八葉に葉数表示なし。第二六葉は無効。第七六葉に葉数表示なし。第七七葉

  • 14

    に七六の葉数表示。本来は第七七葉に七六の葉数表示を付すべき。第八五葉に

    「□酉年仲秋日置」の墨書あり。

    エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍の学術的価値

    以上,エスコリアル修道院図書館に現在もなお保管されている七種類の漢籍

    についての調査結果を,先人の研究とともに紹介した。最後に,これらの漢籍に

    共通する特徴について考えてみたい。

    各々の漢籍は個別に見た限りでは分野も出版時期も異なっており,共通点は

    あまり多くないように見受けられる。しかし,六種の漢籍を同じ平面に置いて比

    較してみると,そこにはやはり一定の共通点が認められる。最も注目すべき点は,

    これらの漢籍がいずれも 1573年前後にすでにエスコリアル修道院図書館に搬入

    されていたことである。搬入にあたって貢献したとされるゴンザルベスが中国

    のどこで入手したか,その具体的な経緯は不明であるにしても,遅くとも 1573

    年以前に刊行された書物であるという事実は動かない。

    次に,刊行された場所についても,ある程度の共通点が浮かび上がってくる。

    既述の如く,『三国志通俗演義史伝』にしても,『風月錦嚢』にしても,また,『資

    治通鑑節要』にしても,いずれも福建の建陽で出版されたものであることが明ら

    かである。さらに,『徐氏家傳捷法鍼灸』も建陽刊本であることが確定できる。

    それ以外の漢籍,すなわち『類編暦法通書大全』と『新刊補訂源流緫龜對類大全』

    については,現時点では出版された場所は不明であるが,今回この二種類の漢籍

    について詳しく調べてみた結果,その版式や紙質が非常に似通っていることが

    判明した。具体的に言えば,いずれも四周双辺,双魚尾の体裁をとっていること

    などである。版式や紙質の近似のみによって同一の刊行地を想定するのは武断

    の謗りを免れないが,筆者の感覚では,この二種類の漢籍についても福建の建陽

    で刊行されたものである可能性が高いように思われる。仮にこの推定が当たっ

    ているとすれば,ゴンサルベスがこれらの漢籍を入手した場所や経緯を知る何

    らかの手掛かりになるやも知れない。実際に入手した場所は,もちろん,必ずし

    も福建であったとは限らず,マカオやフィリピンであった可能性もあるが,いず

    れにしても,福建で刊行された書物をまとめて売っていた書店か,もしくは,福

    建と関係の深い人物からまとめて入手した可能性が出てくる。現時点ではあく

    までも推定に過ぎないが,一つの仮説として提示しておきたい。

    エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍に共通する特徴は他にもある。それは,ス

    ペインに流入した漢籍の中でも,最古層のものがそろっている点である。刊行年

    の古い漢籍は,トレドの聖堂図書館にも一部保管されており,筆者はかつてその

    調査報告を行った(『漢籍西遊記』,関西大学出版部,2008年)。しかし,その種

  • 15

    類は少なく,しかも,多くは残本であることを考慮に入れれば,エスコリアル修

    道院図書館所蔵漢籍の価値は,スペイン国内に残存する漢籍の中でも群を抜い

    ていると言わなければならない。

    本報告を終わるにあたり,以下,エスコリアル修道院図書館所蔵漢籍の価値に

    ついての所見を五点,箇条書きにして記しておく。

    (1)『三国志通俗演義史伝』や『風月錦嚢』のように,他の場所には無い,

    所謂「天下の孤本」が存在すること。

    (2)16世紀後半にエスコリアル修道院図書館に運び込まれた時点で,国王に

    献上するために堅牢な革表紙によって装幀しなおされ,それ以降長く

    図書室の奥深く眠っていたため,保存状態がかなり良好であること。

    (3)刊行年代が古く,いずれも希少価値が高いこと。

    (4)スペインに流入した漢籍の中でも最古層の部類に属しているため,スペ

    インの他の機関に保存されている漢籍と比較して,かなり高い価値を

    有すること。

    (5)大部分の漢籍が,16世紀当時出版業が盛んであった福建の建陽で刊行さ

    れたものであり,ゴンサルベスがこれらの漢籍を入手した経緯につい

    ても何らかのヒントを得られる可能性があること。

    (付記)本稿で言及した,アジアからスペインへの漢籍の流入経路については,

    マドリッド自治大学アジア研究センター教授・タシアナ・フィサク氏が 2013年

    に関西大学で行った講演「西班牙図書館収蔵的中国古書」を参考にした。また,

    所蔵漢籍のうち,『資治通鑑節要』『總亀對類大全』『類編暦法通書大全』の関連

    文献とその所在については,筆者が 2014 年 9 月に復旦大学で講演した際,同大

    学教授である呉格氏より教示を受けた。記して両教授に感謝の意を表したい。