ヨーロッパから学ぶ 「豊かな都市」のつくり方連載...

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連載 ヨーロッパから学ぶ「豊かな都市」のつくり方 1 アイデンティティを発露する人間中心の都心空間の創造 ©服部圭郎 配信:財団法人ハイライフ研究所 www.hilife.or.jp 1 ヨーロッパから学ぶ 「豊かな都市」のつくり方 第1回 アイデンティティを発露する人間中心の都心空間の創造 都市政策をするうえで、「都市アイデンティティの醸成」、「都市アイデンティティの発露」と いった目標を掲げることがよくある。しかし、この「都市アイデンティティ」というものが果 たしてどの程度、理解されているのだろうか。私自身、講演等でこのアイデンティティという 言葉を口に出してしまうことがあるのだが、慌てて日本語で説明を付け加えることがある。「ア イデンティティとは「都市の個性」、「都市のらしさ」みたいなものですかね」と。 それなら、最初からアイデンティティなどという訳の分からない言葉を使わなければいいで はないかと思われるかもしれないが、これが難しい。というのは、日本語で説明する言葉とは ちょっとニュアンスが違うからだ。つまり、日本語訳として適切な言葉が見当たらないのだ。 ということで、思わずこの分かりにくい言葉に頼ってしまうことになる。それは、このアイデ ンティティというものは、都市政策、都市づくりをするうえではキーワードとなる重要なもの であるからだ。 さて、それでは、都市におけるアイデンティティが、なぜそれほど重要なのか。アイデンテ ィティとは、その都市をその都市たらしめるものである。すなわち、それなくしては、その都 市は、その都市ではなくなってしまうようなものである。それは姫路であれば白鷺城であるし、 長野であれば善光寺であろう。バルセロナであれば、それはガウディの建築群であろうし、ケ ルンであれば大聖堂、ミュンヘンであればビールかもしれない。これらのアイデンティティは、 その都市の性格、個性を表出すると同時に、他の都市との差別化を可能とする。また、アイデ ンティティは広く、人々がそれを認めることで初めてアイデンティティとなるために、人知れ ず優れている産品があるとか、ほとんどの人が知らない風光明媚な湖とかはアイデンティティ にはならない。これは、アイデンティティは他者との関係性によって形成されるものであり、 それがある範囲で共有されてこそアイデンティティとしての意味を有することになるからだ。 都市においてアイデンティティを発露させることが求められるようになったのは、グローバ リゼーションの進展、インターネットなどの情報技術の発展によって、人・モノ・金(資本)・ 情報の移動性が飛躍的に高まり、都市間競争が熾烈化したことが背景にある。そのような時代 においては、都市であっても、しっかりと自らが個性、強み(弱み)を発信して、人・モノ・ 金(資本)を積極的に引き付けることが求められるし、また、そうしないと他の都市に人・モ ノ・金(資本)が取られてしまう。 したがって、国境がなくなったヨーロッパにおいては、この都市のアイデンティティを強化 していくことは切実な課題なのである。アイデンティティとは、その都市の客観的な存在価値

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    ©服部圭郎 配信:財団法人ハイライフ研究所 www.hilife.or.jp 1

    ヨーロッパから学ぶ 「豊かな都市」のつくり方 第1回 アイデンティティを発露する人間中心の都心空間の創造 都市政策をするうえで、「都市アイデンティティの醸成」、「都市アイデンティティの発露」と

    いった目標を掲げることがよくある。しかし、この「都市アイデンティティ」というものが果

    たしてどの程度、理解されているのだろうか。私自身、講演等でこのアイデンティティという

    言葉を口に出してしまうことがあるのだが、慌てて日本語で説明を付け加えることがある。「ア

    イデンティティとは「都市の個性」、「都市のらしさ」みたいなものですかね」と。

    それなら、最初からアイデンティティなどという訳の分からない言葉を使わなければいいで

    はないかと思われるかもしれないが、これが難しい。というのは、日本語で説明する言葉とは

    ちょっとニュアンスが違うからだ。つまり、日本語訳として適切な言葉が見当たらないのだ。

    ということで、思わずこの分かりにくい言葉に頼ってしまうことになる。それは、このアイデ

    ンティティというものは、都市政策、都市づくりをするうえではキーワードとなる重要なもの

    であるからだ。

    さて、それでは、都市におけるアイデンティティが、なぜそれほど重要なのか。アイデンテ

    ィティとは、その都市をその都市たらしめるものである。すなわち、それなくしては、その都

    市は、その都市ではなくなってしまうようなものである。それは姫路であれば白鷺城であるし、

    長野であれば善光寺であろう。バルセロナであれば、それはガウディの建築群であろうし、ケ

    ルンであれば大聖堂、ミュンヘンであればビールかもしれない。これらのアイデンティティは、

    その都市の性格、個性を表出すると同時に、他の都市との差別化を可能とする。また、アイデ

    ンティティは広く、人々がそれを認めることで初めてアイデンティティとなるために、人知れ

    ず優れている産品があるとか、ほとんどの人が知らない風光明媚な湖とかはアイデンティティ

    にはならない。これは、アイデンティティは他者との関係性によって形成されるものであり、

    それがある範囲で共有されてこそアイデンティティとしての意味を有することになるからだ。

    都市においてアイデンティティを発露させることが求められるようになったのは、グローバ

    リゼーションの進展、インターネットなどの情報技術の発展によって、人・モノ・金(資本)・

    情報の移動性が飛躍的に高まり、都市間競争が熾烈化したことが背景にある。そのような時代

    においては、都市であっても、しっかりと自らが個性、強み(弱み)を発信して、人・モノ・

    金(資本)を積極的に引き付けることが求められるし、また、そうしないと他の都市に人・モ

    ノ・金(資本)が取られてしまう。

    したがって、国境がなくなったヨーロッパにおいては、この都市のアイデンティティを強化

    していくことは切実な課題なのである。アイデンティティとは、その都市の客観的な存在価値

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    であり、それがない場合はグローバリゼーションの波に呑まれて、都市自体の文化的価値を喪

    失してしまう。侵略、破壊の歴史の連続であったヨーロッパにおいては、この都市のアイデン

    ティティはその都市に住む人々の拠り所であり、アイデンティティとは不可侵のものなのであ

    る。逆にいえば、このアイデンティティがないということほど、グローバリゼーション下にお

    いて不安にさせるものはない。ワルシャワが第二次世界大戦の瓦礫から、旧市街広場を53年

    かけて再建するという凄まじき執念を理解するには、そのような背景を認識せずには不可能で

    あろう。これは、ナチスの暴虐でもワルシャワという都市のアイデンティティは喪失しなかっ

    たということの強烈なる意思表示であると同時に、アイデンティティの再構築という行為でも

    あったのだ。

    このように、欧州連合が設立し、国境がほとんど無意味化した欧州の都市では、このアイデ

    ンティティを発露し、それをしっかりと醸成、強化させることは他の都市、他の国に呑み込ま

    れないためにも必要不可欠な都市戦略となっているのである。そして、そのようなプレッシャ

    ーによって、欧州の多くの都市はアイデンティティをしっかりと都市づくりの中核に据えた政

    策を展開している。特に、その都市の象徴であり、「顔」であり、アイデンティティを発露させ

    るうえでは絶好な都心においては、豊かな空間を創造させる優れた事例が最近、多く観られる

    ようになっている。

    「都市の顔」を表情豊かに、その都市のポテンシャルや個性を表出したような、まさにアイデ

    ンティティを発露させるような空間とすることで、そこに生活する人々を豊かな気分にさせる

    ことができるし、またその魅力によって多くの人々を引き寄せることになる。アイデンティテ

    ィを発露するためには、必ずしも空間というハード面に手を加える必要はない。その空間の使

    い方、演出の仕方といったソフト面でその魅力を大きく高めることもできる。

    今回は、都心をその都市のアイデンティティを発露させる空間として位置づけ、その魅力を

    高めることで、その都市の良好なるイメージを発信すると同時に、そこで生活する人々に豊か

    さを提供することに成功しているヨーロッパの都市事例を紹介する。それは都市としての格を

    向上させるためのマーケティング戦略でもある。

    このような状況は、四方を海で囲まれて、ある意味守られている日本の都市ではなかなか実

    感としては理解できない。しかし、日本も広域的にみれば、都市間競争の相手である東アジア

    の都市が、魅力的な都心の空間をデザインしつつある。日本においても、そこで生活する人々

    に豊かさを提供するというだけでなく、世界基準で魅力を発揮し、またその都市の個性、アイ

    デンティティを表出するためにも、人間中心の都心をつくることが求められる。60~70年

    代に多くの日本人はヨーロッパの都市空間に憧れのような感情を抱いていた。しかし、それか

    ら50年近く、ヨーロッパの多くの都市は大いなる進化を遂げている。より魅力溢れる個性的

    な都心部を形成することに成功しているのである。

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    □ リヨン リヨンはフランス南東部にあるフランス第二の都市である。とはいえ、マルセイユもフラン

    スの第二の都市と言っている。リヨンの都市人口は47万人、大都市圏は165万人。マルセ

    イユのそれは83万人と135万人。つまり、自治体でみればマルセイユの方が大きいが、大

    都市圏でみればリヨンの方が大きい。

    リヨンは古くはゴール人の首都であり、中世においては絹織物産業が栄え、交通の要所でも

    あり、15世紀末には既に銀行が設置されるなど、フランス中部の中核的な産業都市であった。

    このリヨンの都心部はソーヌ川とローヌ川に挟まれた半島を中心とした一帯であり、特にソ

    ーヌ川の両岸の歴史地区は中世からの繁栄を色濃く残す建築物が街並みを形成しており、19

    98年12月に世界遺産として登録されている。

    現在、この歴史地区を訪れるとその美しい街並みに息を呑むばかりである。高い階上高を持

    つ建物がつくりだすファサード、石畳、そしてトラブールと呼ばれる建物を結ぶ迷路のような

    通路が、タイムスリップをしたような感覚を覚えさせる。その都市空間はむしろフランスより

    イタリアを彷彿させる。それは、この都市はローマ時代の重要な拠点となっていただけでなく、

    ルネッサンス期後期に多くのイタリア人が移住したことにも因る。すなわち、この都市のベー

    スは極めてイタリア的であり、それにフランス文化が上積みされている。

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    (世界遺産の歴史地区)

    しかし、これらの見事な都市空間は1960年ぐらいまでは放棄されていたに等しかったの

    だ。それどころか、この素晴らしい旧市街地を縦断する道路の計画が1960年代前半に策定

    されたのである。しかし、1962年にマルロー法(注:アンドレ・マルロー文化相が提唱し

    た歴史的街区保全、不動産修復の促進のための制度)が制定されたことで、この法律によって

    旧市街地保全運動が力を発揮し、この道路の計画を中断させることに成功する。さらに198

    5年には「歴史地区の保全活用政策」を策定し、1989年にはリヨンの中心として、顔とし

    てふさわしい場所として、この地区を再生するための重点整備を行うことが決定された。

    この決定によって、交通問題を解決させることを中心施策と据え、この歴史地区の再生が取

    り組まれた。具体的には2万台の通過交通の多くをこの地区から回避させるために、周辺部に

    幹線道路の迂回ルートを開通させ、地上にあった800台もの駐車場も撤去した(その代わり

    として、この地区外に駐車場を新たに整備した)。そして、自動車という都市空間における人の

    「敵」を排除した後、2キロメートルにも及ぶ歩道の整備、バス路線の整備、地下鉄の整備、

    そして地下鉄、バス等の結節点における利便性の改善などを図ったのである。

    リヨンの中心部は、まさにリヨンの歴史、そして文化が蓄積されたリヨンのアイデンティテ

    ィが集約した都市空間である。そのアイデンティティを次代に継承させるためにも、その空間

    をしっかりと保全し、かつそのレジビリティ(識別しやすさ)を確保させることが重要である。

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    この歴史地区は、どのような本や話よりも雄弁に、リヨンらしさを表している。そして、上記

    の交通対策によって、ヒューマン・スケールのリヨンという都市空間の記憶を現代に蘇らせる

    ことに成功する。

    さらに、同市はこの歴史地区をライトアップ化するという事業を展開する。特に毎年12月

    8日に開催される「光の祭典」は、市内200カ所以上でライトアップを行うというイベント

    で400万人以上の集客を誇る。この「光」というものもリヨンという都市の重要なアイデン

    ティティであった。というのもリヨンは映画の原型のシネマトグラフを発明したリュミエール

    兄弟の出身地でもあったからである。リヨンはそれが本来的に有していたアイデンティティを

    顕在化させるだけでなく、それを強化し、周知を図り、都市の集客事業にまで昇華させること

    に成功するのである。

    (都心部でのライトアップ)

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    (レピュブリック通りのライトアップ)

    (テロー広場)

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    中心部としての地位と賑わいを取り戻すことに成功したリヨン市役所は、これをステップと

    して、より豊かな公共空間整備を市域内の各拠点にて展開することにした。その結果、ジャン・

    ヌーヴェルによるオペラ劇場、ビルモットによるサン・ピエール美術館の改装、現代美術家ダ

    ニエル・ビュランによるテロー広場の改修、中心通りであるレピュブリック通りのライトアッ

    プ事業など、極めて優れた公共空間が出現した。個人的にはテロー広場に感銘を受けた。市庁

    舎そしてリヨン美術館に面しているこの広場は、ヒューマン・スケールのほどよい大きさであ

    り、自由の女神をつくったバルトルディ作の噴水が空間にアクセントをつけている。夜のライ

    ティングも絶妙だ。また、この広場のすぐ近くにジャン・ヌーヴェルが設計し、1993年に

    開演したオペラ座があるが、この建物も新市街地の歴史建築物と調和しつつ、その個性を発揮

    していて興味深い。

    都市デザイナーの望月真一氏によれば、リヨンの公共空間整備の政策は、「公共空間の整備に

    際し、都市全体で物理的な道具による「空間づくりの共通言語」を用いることで」、都市として

    のまとまりを創出することを図っている。それは、都心部で強化した都市アイデンティティを

    広く、郊外部などのアイデンティティが弱い地区に普及、定着させる政策であるとも考えられ

    る。再び望月氏の説明を引用すると「計画には様々なタイプの設計者がかかわっているため、

    それぞれの構成力、イマジネーションは異なっていても、造形言語のアルファベットともいえ

    るものを共通させることで都市の一体感を確保」しているのである。ここで、造形言語のアル

    ファベットとは舗装材などの建設材料やストリートファーニチャーなどを指す。

    ハイライフの「豊かな公共空間をつくる」シリーズでドイツのトーマス・ジーバーツ氏に取

    材をする機会が得られたが、そこで彼もリヨンの試みを極めて高く評価している。彼は、リヨ

    ンは「都市をステージ、劇場へと変容させるうえで最も先駆的であり、成功している都市だと

    思います」と延べ、そのアプローチが適切であり、「公共空間の新しい価値を人々に意識させる

    こと」ができていると指摘する(http://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=4066)。

    リヨンという都市のアイデンティティが集積している都心部を保全し、再生させることで次

    代へそのアイデンティティを継承させることを果たすと同時に、その保全したアイデンティテ

    ィを源として、広くそのアイデンティティを、公共空間を媒体として都市全体へと広げていこ

    うという政策は、リヨンという都市の魅力を高めているのである。

    (この原稿は望月真一氏の「リヨン/社会政策に基づいた都市空間再整備」(造景 No15)、太田

    浩史「光=リュミエールの都市」(『世界のSSD100』)を参考にしています)

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    フルヴィエールの丘からリヨンの中心市街地を望む。手前はソーヌ川

    □ビルバオ ビルバオは、スペインの北東部に位置するバスク州ビスカヤ県の県都で人口は約35万人。

    20世紀初頭から鉄鋼業や造船で発展した港湾都市だが、これらの産業が1970年代以降、

    急速に衰退したことで大いに落ち込み、環境問題と失業問題に悩まされてきた。これらの問題

    に取り組むのと同時に、工業都市から観光、サービス産業へと産業構造の転換をするために都

    市の大改造を行うことにした。そして、1985年にビルバオ市議会はビルバオのマスタープ

    ランを策定し、1989年にバスク政府とビスカイア州議会は、ビルバオ大都市圏再生戦略計

    画を策定した。さらに1992年には同政府と同州議会はビルバオ大都市圏のゾーニング計画

    を策定する。

    おおまかには、これらの再生戦略は6つの要素から構成された(Lorenzo Vicario and Pedro Manuel

    Martínez Monje, “The Guggenheum Effect” in “Shrinking Cities Vol.2”)。

    1) ポスト工業時代のビルバオを、世界都市として変貌するようなワールド・クラスの都市に

    する構想を共有する。

    2) 都市再生において都市の新しいイメージを創出する。産業の衰退とそれに伴うネガティブ

    なイメージを払拭させて、新しい競争力のある魅力的な都市のイメージを創りだす。

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    3) 新しいイメージの創出は都市の空間環境を再編すること、そして積極的な都市マーケティ

    ングを行うことで達成する。そのために、多くのビッグ・ネームの建築家がその役割を託

    された。フランク・ゲーリー、ノーマン・フォスター、シーザー・ペリ、磯崎新、ザハ・

    ハジドなどである。

    4) 新しい都市スケープをつくりあげる、イメージを刷新し、経済的な効果をあげるには、開

    発当初からダウンタウンを大きく再編させることが重要であると認識された。

    5) 都市レジャー関連の活動が都市再生において非常に重要な役割を持つと考えられた。特に

    グッゲンハイム美術館の効果は観光地としてのビルバオの位置づけを高めるうえで果たし

    た役割は大きかった。

    6) 都市管理に関しての新しいシステムが導入された。ビルバオ・リア2000という都市開

    発公社が衰退した地域の再生を担い、ビルバオ・メトロポリ30という官民パートナーシ

    ップの会社が戦略計画を実践し、またロビイスト的な業務もこなした。

    これらの再生戦略には「アイデンティティ」という言葉は用いられていないが、「都市の新し

    いイメージ」、「イメージを刷新」ということは、本論での「アイデンティティ」とほぼ同意で

    あろう。依るべきアイデンティティが脆弱化しており、それをコアとした再生(工業の復活)

    が難しいので、新たなアイデンティティを創出する、もしくは既存のアイデンティティ(ネル

    ビオン川)に新たな意味を付加するといったアプローチが採られることになったのである。

    スペイン北部の工業都市ビルバオは、グッゲンハイム美術館という傑出した建築をつくること

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    で、都心に新たなアイデンティティを創出することに成功し、都市イメージを刷新した。

    ウォーターフロントと巨大な施設が抵抗なく融合されるようなデザイン的工夫が為されている

    美術館と川との際を見事に演出している

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    ビルバオの都市再生の起爆剤となったのはフランク・ゲーリー設計のグッゲンハイム美術館

    である。1997年にネルビオン川沿いにあった鉄道操車場跡地に出現し、その後の都市開発

    を推進させる勢いをビルバオにもたらした。フランク・ゲーリーらしい曲線が多用されたとら

    え所のない造形であり、しかも巨大である。その大きさによる圧倒的な存在感を、そのとらえ

    どころのない造形がさらに増幅させ、強烈な建築が空間に作用する力を発揮させており、人々

    を強烈に惹きつけている。この美術館は初年度から予想をはるかに上回る集客を数え、現在で

    も年間100万人規模の動員数を誇っている。

    そして、これだけ強烈な存在感を発揮させつつも、周囲から浮き立つことなく、調和して泰

    然と鎮座している。北側で接する巨大土木構造物である橋は、建築物をこの橋の下を通らせて、

    しかも橋という視覚的障害物を緩和させるために、橋の美術館の反対側に橋よりさらに高く、

    美術館の延長として容易に解釈できる塔をつくっている。この塔は機能的にはまったく無意味

    に近いが、北側から美術館をみる際に、橋を視覚的に透過させるような効果をもたらしている。

    これは、素晴らしいアイデアだと思うと同時に、動線、視線の連続性をネルビオン川に沿って

    確保するための執念のようなものを感じる。

    そして、美術館の南側にあった鉄道操車場跡地には子供のための公園を整備している。商業

    施設として開発すれば、どれだけ高く土地を売却することができただろうに、それを単なる公

    共施設、しかも子供を対象とした空間へと転用させたことに、ビルバオという都市の見識の高

    さ、もしくはこの地区のマスタープランを担当したシーザー・ペリの空間理解力の高さを知る。

    これによって、美術館という集客施設を活かした公共性の豊かさをその周辺の空間で市民が享

    受できることになる。また、東側のネルビオン川沿いでは、川沿いの歩道に緩やかに起伏を設

    けることで、美術館の建物の前面に張られたプールと川とがあたかも連続で繋がっているよう

    な印象を与えることに成功している。この歩道部分は川に突き出るように湾曲されているのだ

    が、それによって、この歩道が美術館の一部のように見える。西側のオフィス街からのある道

    路からは、この美術館があたかもアイスポットのように位置づけられている。アイスポットと

    いっても建築が巨大なこともあって、その存在感は圧倒的だ。この美術館が新生ビルバオの中

    核であることを嫌でも認識させられるような絶妙な位置取り、そして周囲との共生が図られて

    いる。

    そして、この美術館をまさにトリガーとしてネルビオン川沿いの公共空間の都市デザインが

    遂行されている。ネルビオン川はそれまで物資を輸送する大型船の航行のために橋を架けるこ

    とができなかった。しかし、今回の再生事業では積極的に、両岸を結ぶために複数の歩道橋が

    架橋された。そして、これらの歩道橋の意匠がなかなか素晴らしい。またネルビオン川沿いに

    ライトレールを整備(2002年開通)するなどアクセスの改善を図っている。これらの都市

    デザイン事業によって、ウォーターフロントや歩道には人が溢れているし、グッゲンハイム美

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    術館に隣接する鉄道操車場跡地につくられた広場と児童公園には多くの人々がくつろいでいる

    のが観察できた。

    ネルビオン川沿いは、市街地と隣接しながらも、かつての鉄道操車場跡地が残る「都市の裏

    側」であった。野原卓は、ウォーターフロントにおける「段差を緩やかにつなぐ」都市デザイ

    ンは、「都市の「裏」を「表」へとオセロのように反転させた」(『世界のSSD100』)と表

    現しているが、なるほど工業時代に排水処理、物流機能など「裏」側としての役割を担ったネ

    ルビオン川を、新たなサービス産業時代においては「表」側の舞台に引き出すための都市デザ

    インの工夫をオセロのようだと例えたのは妙を得ている。

    それは、まさに工業時代の象徴であったネルビオン川と港を、新しい時代の象徴へと変換さ

    せる試みである。ネルビオン川とウォーターフロントというビルバオのアイデンティティに、

    新たな意味を加える試みである。

    美術館に隣接した地区は児童向けの公園へと整備された。これによって、この空間の公共性が

    格段と高まった。

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    新しく架橋された歩道橋。奥にみえる建物は磯崎新の設計

    ネルビオン川沿いにつくられたプロムナード

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    都心の中心通りからもグッゲンハイム美術館の雄姿が見える

    優れた都市デザインは都市を再生させることができるのは、方法論としては有効ではあるの

    だが、ここまで見事に実現できた都市はビルバオ以外だとブラジルのクリチバだけしか寡聞に

    して知らない。そして、クリチバという歴史の浅い都市が「人間都市」、「環境都市」という新

    たなアイデンティティを確保させるために戦略的な都市デザインを積み重ねて成功したのと同

    様に、ビルバオも積極的に過去の工業都市から新たなアイデンティティを確保するために、公

    共空間の都市デザインを戦略的に展開させて成功したのである。リヨンや後述するレーゲンス

    ブルク、プラハのようにその都市に固有のアイデンティティを強化、発現させたのとは違い、

    新たなるアイデンティティを創造したところ、従来の象徴的なアイデンティティに新たな意味

    合いを付加させたところがビルバオの特徴であると考えられる。

    興味深いのは、このグッゲンハイム美術館の事業を当初、市民は必ずしも賛成していなかっ

    たという点である。その批判の声は、グッゲンハイム美術館そして、それに伴う公共空間デザ

    イン事業が成功を収めたことで初めて静かになったそうだ。この批判を私は理解できる。グッ

    ゲンハイムというアメリカの金持ちが始めた美術館をなぜビルバオに持ってこなくてはならな

    いのか。それは、ビルバオという都市のアイデンティティと関係ないではないか。そんなこと

    にビルバオの将来をかけていいのか。日本でもバブル華やかなりし頃、その地域アイデンティ

    ティと関係ないリゾート開発が各地で展開した。オランダ村、ドイツ村、スペイン村の類であ

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    る。そして、どれもが成功していない。

    しかし、一方でビルバオの歴史的アイデンティティは希薄である。そもそも、1880年で

    はまだその人口はわずか11000人にしか過ぎなかった小さな町であった。その20年後の

    1900年には約8万人へと増えるのであるが、ローマやケルン、トレドや京都、鎌倉といっ

    た歴史都市のような強固なアイデンティティはまったくない。バスク、工業都市としての歴史、

    丘に囲まれた地形、ネルビオン川といったアイデンティティは、グッゲンハイムというグロー

    バルなブランドや、アメリカの建築家の意匠を空間に挿入させることでダメージを被るほどの

    固有性を有していない。強いていえばバスクというアイデンティティは潜在的には強力かもし

    れないが、それでもグッゲンハイムのブランドの方が都市マーケティングの観点からは優れて

    いると考えられる。総じて捉えると、また結果論ではあるかもしれないが、ビルバオの新たな

    アイデンティティの創出戦略は成功したと考えられる。

    このような試みは、ドイツのフォルクスワーゲンの発祥の地で現在も本社があるヴォルフス

    ブルグなどやドイツの商業都市デュッセルドルフとも共通している。デュッセルドルフは重要

    性が著しく低下した港湾地区の再生事業にフランク・ゲーリーを始めとした派手系の意匠で知

    られる建築家に設計を依頼したし、ヴォルフスブルグはゲーリーの代わりにザハ・ハディッド

    という同じようにユニークな意匠で知られる建築家を起用し、その公共施設を核として周辺の

    公共空間を整備するという手法を採用した。このような手法はアイデンティティが弱い都市が、

    手っ取り早くアイデンティティを確保するうえでは今後もこの方法論は、多用されるのではな

    いかと推察される。

    しかし、このような手法において何より重要な点は、その都市のアイデンティティと無関係

    の要素を起爆材としては用いるが、それが生み出した潮流に乗って、周辺の公共空間を整備し、

    ネットワーク化させるということである。そして、この公共空間、特にネルビオン川とそのウ

    ォーターフロントというビルバオの揺るぎないアイデンティティに対して、この新たな文化施

    設をトリガーとして、新たな意味づけを行ってしまった。それは、ビルバオが生まれ変わった

    かのような大きなインパクトを内外に示したのである。

    □プラハ チェコの首都であり、最大の都市であるプラハ。人口は120万人だが、東ヨーロッパ有数

    の国際都市である。ヴルタヴァ川の浅瀬に発展した都市であり、ヨーロッパの東西南北を結ぶ

    道が交差する、遠隔地交易の結節点であった。その地理的特徴もあって、プラハには古来、ヨ

    ーロッパの四方から様々なものが流入し、「その坩堝の中で町・城・教会・宮殿・芸術・伝説な

    どが、錬金術さながら創り出され変容してきた」(石井達夫『黄金のプラハ』)。ヨーロッパの十

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    字路であることは文化の交流の場であるだけでなく、闘いの場でもあった。歴史の荒波にもま

    れたプラハは多様なる価値観、宗教、政治体制を経験することになる。建築的にもゴシック、

    バロック、ネオ・ルネサンスの諸様式の建物に、ムハに代表されるアール・ヌーヴォー、さら

    にキュービズムもあり、その都市景観は多彩を極めている。プラハの美しさは多くの人に讃え

    られており、世界各地を旅したドイツの地理学者であるアレクサンダー・フンボルトは「内陸

    の町としては最も美しい」と述べたという。特に都心にある歴史地区には、都市的なるものが

    高密度に集積しており、両大戦での戦禍をあまり受けなかったこともあって、その歴史的都市

    空間は現在にいたるまで保全されており、1992年には世界遺産に登録された。

    東西の壁が崩壊されてそれほど時間が経っていない時、プラハは「絶滅種」であると指摘さ

    れた。この言葉には急いで訪れないと、観光化されてプラハのよさが失われるので、早く行く

    べきであるとの考えが内包されていた。私もその言葉に急かされて、無理矢理日程を調整して、

    夜行列車でプラハを訪れたことがある。その時の、私のプラハの印象はそれほどよいものでは

    なかった。確かに多彩の建築群などから構成される街並み、特に市民広場を中心とした旧市街

    地の美しさは、この都市がヨーロッパで最も美しいと形容されるのも然りと思わせられた。た

    だし、自動車が結構、我が物顔にこのヒューマン・スケールの空間に入りこんだり、歩行者動

    線を自動車が平気で分断したりする状況は、快適性を大いに損ない、都市デザイン的にはまっ

    たく感心しなかった。

    カレル橋は歩行者動線の脊髄

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    現在はまだ自動車が侵入しているが、その排除が検討されているヴォーツラフ広場

    国民博物館の前を通る道路によってヴォーツラフ広場への歩行者動線が分断されている。この

    道路の地下化も現在、検討されている。

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    しかし、それから数年経ち、状況は随分と改善された。私が歩行者動線を遮断して問題があ

    るなと考えていた道路の多くは、それに対応するための計画が策定されていた。歩行者専用空

    間も拡大しており、以前に比べて旧市街地での歩く環境は大いに改善されていた。歩行環境の

    改善は、心理面でのアクセス環境も改善しているようで、よりプラハの豊かさを体感できるよ

    うになっている。これは、この数年、公共空間を歩行者動線で結ぶという事業を展開している

    からだ。

    例えば、歴史地区からカレル橋を経由してプラハ城へと結ぶ動線の強化を図っている。プラ

    ハ出身で現在、ドイツのドルトムント工科大学空間計画学部で助手をしているポリーフカ氏は、

    このカレル橋こそ、歩行者動線の脊髄であると指摘する。脊髄があれば末梢神経もある筈だ。

    プラハの歴史地区においては、それはパサージュであろう。パサージュは19世紀にマーケッ

    トを結ぶ通路として整備され、その後、商業的空間としての役割をも持つようになった。90

    年代以降、公共空間としての広場へパサージュでアクセスできるよう、歩行者ネットワークが

    強化されている。パサージュは最近では、社会主義になる以前の賑わいを復活させ、歴史地区

    の魅力形成に寄与している。また、プラハのまさに中心的な位置にあるヴァーツラフ広場から

    は自動車が遮断されるような計画が検討されているのに加え、同広場の東端にあたる国民博物

    館の前を走る幹線道路は、地下化されることが検討されている。国民博物館とヴァーツラフ広

    場は、現在、この幹線道路にて歩行者動線が分断されており、極めて不便である。地下鉄の入

    り口を通るという行き方もあるが、自動車のために階段を上り下りしなくてはならないのは癪

    であるし、歩行者としてはアメニティに大きく劣る。この幹線道路の地下化は、プラハの顔と

    もいえるヴァーツラフ広場の歩行環境を大きく改善すると同時にアメニティも大きく向上させ

    ることが期待できる。

    民主化した後のプラハの都市政策は必ずしもしっかりしたものではなかった。1989年の

    ビロード革命からゾーニング計画が策定されるまで10年以上もかかった。また、社会主義時

    代の慣習を引きずっていたこともあり、市民参加は不徹底であり、多くの事業が市民の意見を

    無視した行政主導のスタイルで遂行された。そのような中、都心の歴史地区における都市政策

    に関しては、例外的に市民の多大なる協力が得られた(Martin Horak, “Governing the

    Post-Communist City: Institutions and Democratic Development in Prague”)。

    市の都市政策自体はしっかりとしていなくても、歴史地区に関してはプラハのアイデンティ

    ティを次代にしっかりと継承させるための、それまでの「掟」のような暗黙なルールを遵守し

    てきたことが大きい。例えば、歴史地区においては市役所や大学なども、独立した建物を新設

    することなしに、既存の建物に入るか、周囲と調和するような形で増床するようにしている。

    したがって、歴史地区には市役所やカレル大学が存在するのだが、歴史地区の空間的文脈は継

    承されたままだ。また、カレル橋の舗装を昔の丸石のものに戻したり、歴史地区の一部では、

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    街灯が光の色を鮮やかにするためにガス灯に置き換えたりしている。ガス灯によって照らされ

    る夜のプラハの旧市街地は随分と落ち着いた美しさを纏うようになっていた。これらの事業は、

    歴史都市であるプラハのアイデンティティを再生させ、強化させる試みであると考えられる。

    同様のことは、歴史地区における定期市の復活にも観られる。社会主義時代においても開催さ

    れていた定期市であるが、より活発になっていると前述のポリーフカ氏は指摘する。

    プラハはチェコの首都であり、チェコ最大の都市である。しかも多くの侵略者や支配者によ

    って、プラハにおけるチェコというアイデンティティはこれまで蹂躙されてきた。したがって、

    チェコの人達はプラハに対して強烈なる思い入れがある。プラハのアイデンティティを強化し、

    維持させていくことはチェコという国、民族のアイデンティティの維持に繋がるからである。

    民族主義的な作家イラーセクは次のようにプラハを湛えている。「汝は、祖国の頭と心である。

    汝の栄光と汝の恥辱は、民族全体の栄光と恥辱だった。」しかし、一方でプラハはヨーロッパの

    十字路に位置し、そのアイデンティティはチェコの都というものさえも超越したものがあると

    考えられる。

    ノルウェーの建築学者ノルベルク・シュルツはプラハの本質を次のように述べている。「プラ

    ハのゲニウス・ロキの本質は、あたかも強い意志がそれぞれの新しい世代に対して稀有な芸術

    作品の創造における協力を強いてきたかのように、この町が歴史の全期間において自らのアイ

    デンティティを良く保ったということによって創り出されている」。(石川達夫『黄金のプラハ』)。

    この指摘で興味深い点は、プラハという都市が為政者の意識から独立したかのように「アイ

    デンティティを良く保った」と考えられることである。それは、プラハのゲニウス・ロキが強

    烈であるということの証左であるかもしれない。そういった観点からすると、チェコ人の為政

    者が果たしてプラハという都市のアイデンティティを維持するだけの度量を果たして有してい

    るのかという疑問も湧いてくる。しかし、現在の自動車を出来る限り歴史地区から排除し、歩

    行者環境を改善させるという試みは、歴史的なアイデンティティを維持するうえでも(その当

    時、自動車は存在していなかった)、アメニティの高い公共空間を創造するうえでも極めて効果

    的であり、評価できる。加えて、プラハという都市の強烈なアイデンティティへの拘りが、こ

    れだけ観光客(外国人観光客で年間350万人)に溢れていても、安易なグローバル化を拒ん

    でいる。歴史地区においては、社会主義時代に比べて豊かになったことで、多くの修復への投

    資が進み、現段階では、プラハは経済的豊かさを空間的豊かさへと繋げることに成功している

    と捉えることができるだろう。

    「絶滅種」と観光本位の観点から言われていたプラハであったが、ちょっとした観光化では揺

    るぎようのない都市に対する理解、そしてしっかりとした都市デザイン的な知恵、そして確固

    たる地域アイデンティティへの拘りが、絶滅するどころか、より豊饒なる都市空間の創造へと

    繋げている。

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    プラハの旧市街地は、そのアイデンティティを発露させるために、旧市街地の電灯を順次ガス

    灯に置き換えるまでのこだわりを見せている。

    ライトアップされたプラハ城

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    フランク・ゲーリーの作品もビルバオと違って、懐が深すぎるプラハにおいては、ちょっとし

    た香辛料程度のアクセントとして周辺の景観に溶け込んでしまう

    プラハの歴史地区

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    □レーゲンスブルク レーゲンスブルクはドイツのバイエルン州東部にある人口14万7千人の都市である。広域

    都市圏では30万人の規模を有する。経済的には他のバイエルン州の他都市に比べても好調で

    あり、2005年の人口当たりの域内総生産は63000ユーロとミュンヘンの53000ユ

    ーロよりも高く、失業率も6.7%とバイエルン州の7%、ドイツ平均の12%よりも低い。

    人口も増加傾向にあり、1980年代に人口が多少、減少したが1988年以降は一貫して人

    口は増加している。

    ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置し、2000年以上の歴史を有する古都である。1世

    紀にはローマ帝国軍の駐屯地が置かれ、その後、8世紀後半にフランク王国の統治下に入り、

    司教都市として発展し、1810年にバイエルン王国に併合される。

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    旧市街地の多くの道路が歩行者優先道路として再整備された

    2006年に旧市街地が文化遺産として世界遺産に登録される。レーゲンスブルクは旧市街

    地が世界遺産として登録されたバンベルグと同様に第二次世界大戦での空爆を回避できた。レ

    ーゲンスブルクは軍事地区13の司令部が置かれており、さらにはドイツが誇る戦闘機メッサ

    ーシュミットの工場があったために格好の標的となり、空爆もされたが、それほどの被害を受

    けず、また奇跡的に旧市街地はほとんどダメージを受けることがなかった。さらに幸いなこと

    に、バイエルン州は戦後、ドイツの他の地域と比べて経済復興が遅かった。特にバイエルン州

    の中でも経済の中心であるミュンヘンから距離が離れていたレーゲンスブルクは特に復興が遅

    れ、そのために歴史的建造物が目先の開発のために取り壊されるようなことがなかった。よう

    やく、レーゲンスブルクの経済が成長軌道に乗り始めた1960年代後半には、ドイツにおい

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    ても歴史建造物をしっかりと保全するという考えが広く普及しており、そのために旧市街地は

    戦争の被害だけでなく、戦後の経済優先の都市開発という被害にも遭わずに済んだのである。

    さらに付け加えると、レーゲンスブルクは15世紀頃から繁栄に取り残されてきたため旧市街

    地では15世紀以降の新しい建物さえ少ないので、現在でも旧市街地に入るとあたかもタイム

    スリップをしたかのような錯覚を覚える。

    とはいえ、現在の旧市街地は何も保全事業を施さないで残されている訳ではない。むしろ、

    積極的に保全事業、再生事業を展開してきたことで、現在の世界遺産の旧市街地があるといっ

    ていいであろう。それは、都市のアイデンティティをしっかりと保全し、さらに強化させるこ

    とにつながった。そして、その成果が、世界遺産として登録されることになったのである。

    レーゲンスブルクの旧市街地を望む。右手にみえるのがバイエルン州の代表的なゴシック建築

    である大聖堂

    以下、レーゲンスブルクの旧市街地というアイデンティティの保全、強化への取り組みの過

    程を記す。

    レーゲンスブルクでは、1955年頃から旧市街地の再生事業は断続的に展開していった。

    しかし、1970年代ごろまでは、旧市街地の再生事業といえば歴史的建造物の修復が中心で

    あり、公共空間の再生に目が向けられたのは80年代になってからである。

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    最初の大きな取り組みは、1982年に行われた旧市街地の街路と広場を再生するためのコ

    ンペであった。その結果、次のような都市デザインの指針が開発された。

    1) 石畳で用いる丸石は、大小様々なものを使うようにし、不規則なギャップをつくるように

    工夫する

    2) 幅のある道路や広場は丸石の並ぶ方向を変えることや、その大きさを変えることで表現す

    3) 排水溝は大きな丸石を用い、目立たないような色彩を用いる

    4) ストリートファーニチャーに関しては、厳しいデザイン基準を設ける

    これらはレーゲンスブルクの歴史都市というアイデンティティの視覚化を意図していると考

    えられる。そして、この流れに継続して1984年からは街路、広場を段階的に修復していっ

    た。このようにして公共空間が整備され、都市のアイデンティティは強化されていった。

    また、街路と広場の再生事業と並行して、自動車交通の静穏化対策も図られた。そして、し

    ばらくして旧市街地の多くの住居地区、そして一部の商業地区の街路からは自動車が排除され

    歩道もしくは自転車道として位置づけられた。ただし、そこの住民が自家用車でこの街区に入

    る場合や、また運搬用の自動車は歩行者と同じ速度で走行するという条件を遵守するというこ

    とで、その通行が許可された。さらに、1991年には自動車に対してより厳しい措置を進展

    させ、自動車排除地区を拡大させていった。

    用途によって舗装の丸石の形状を変えた

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    このように旧市街地の街路と広場は、優れた都市デザインが施されたことで極めて高いクオ

    リティを維持することができており、同様の旧市街地を擁している都市の模範となるようなも

    のである。都市空間の質をしっかりと確保するために、広告、商品陳列台、商品の展示に関し

    てのガイドラインを規定した条例も策定した。

    レーゲンスブルクが旧市街地の再生において留意したことは、旧市街地を博物館にしてしま

    わないことである。それは、あくまで日常的に市民が生活で利用する空間でなくてはならない。

    現在、旧市街地には多くの劇場や博物館があり、またいくつもの祭りやイベントが開催される

    など、レーゲンスブルグにおける地域文化の中心となっている。確かに、観光客は年間で20

    0万人に及ぶ。観光業も重要な産業として位置づけられている。しかし、それでも旧市街地は

    単なる観光地用のファサードではない。旧市街地が周辺の地区から孤立しないように、それら

    とのネットワーク化を図るなどして、生活者の利便性が損なわれないような取り組みがなされ

    ている。

    レーゲンスブルクではドイツの全国チェーンであるデパートでも、その景観を阻害しないよう

    に気を遣っている(正面右側の建物)。

    レーゲンスブルクや前述したリヨンやプラハ、ドイツのリューベック、スイスのベルン、ポ

    ーランドのワルシャワ、クラカウ、フランスのストラスブールなどは、その旧市街地が世界遺

    産として登録されている。世界遺産として登録されることによって、その都市に生じる効果と

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    しては、旧市街地というアイデンティティがお墨付きをもらうことが挙げられる。そして、こ

    のお墨付きをもらうことで、広く世界にその存在を知られることになる。また、市民もそれが

    客観的にみても立派で価値のあるものだと認識することになる。それは、アイデンティティを

    確立するという政策の大きな成果として位置づけられよう。日本でも、旧市街地ではないが石

    見銀山が世界遺産として登録された時、あれってそんなに立派なものだったのかと見直した人

    が多い筈である。同様のことは、白神山地にもいえる。白神山地などは国立公園どころか国定

    公園にも指定されていなかったのに、世界遺産に登録された後は、ハイキングもできないほど

    保全が徹底されるようになってしまった。これなども世界遺産の印籠のおかげであろう。話が

    ちょっと横道にそれてしまったが、日本においても旧市街地や歴史的街並みなどのアイデンテ

    ィティをしっかりと保全し、むしろそれを強化するような政策を取ることで、世界遺産に指定

    される可能性はある。個人的には広島県の鞆の浦や、富山県の八尾などには期待を抱いている。

    レーゲンスブルクの取り組みは、そのような可能性を我々に示している。

    □ バルセロナ 最後に、前述した4つの事例とはちょっと異なるアプローチで都市のアイデンティティを発

    露している都市を紹介したい。スペインはカタルニア地方の中心都市であるバルセロナである。

    今回のテーマは「アイデンティティを発露する人間中心の都心空間の創造」である。バルセロ

    ナの都心空間といえば、旧市街地であろう。同市の旧市街地は1980年代以降、老朽化した

    建造物群を選択的に取り壊し、新たな公共空間を創出するという戦略が策定された。この戦略

    は、旧市街地に賑わいや人の流れを呼び戻すなど都市性を回復することに成功する(阿部大輔、

    「スペインの「都市美思潮とバルセロナでの展開」『都市美』学芸出版社」)。

    しかし、ここではこの優れた「人間中心」の都市デザイン事業ではなく、別の観点からバル

    セロナを取り上げたい。それは、特にバルセロナが都市政策において強く意識したことではな

    いし、また「人間中心」というテーマからは逸脱するが、バルセロナという都市のアイデンテ

    ィティを創造するうえで不可欠の要素であり、また建築群という都市空間を形成するうえで可

    視的な重要な構成要素と関係することでもあるからだ。

    それは、ガウディというバルセロナが生んだ天才的建築家と彼の作品群がバルセロナという

    都市のアイデンティティにいかに寄与したかを再整理することである。それを踏まえて、ここ

    では都市のアイデンティティを形成するうえでの天才そして傑出した建築家の効用を考察した

    いと考える。

    バルセロナという都市はローマ人の宿営地が置かれたことからも理解できるように、都市と

    しての長い歴史を有している。しかし、18世紀初頭のスペイン継承戦争で衰退し、都市が再

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    び勢いを生じるまでは19世紀後半の産業革命を待たなくてはならなかった。バルセロナを舞

    台としたエドゥアルド・メンドサによる『奇跡の都市』という小説がある。これは、いかにバ

    ルセロナが19世紀後半から20世紀にかけて急激に膨張したかを描いているのだが、この時

    期に登場したのが、モデルニスモの代表的建築家であったアントニ・ガウディ(1852-1926)で

    あった。すなわち、バルセロナが都市として拡張し、10世紀から15世紀に繁栄したカタル

    ーニャ王国の都とは異なるアイデンティティを獲得すべき時代において、登場したのがガウデ

    ィであったのだ。

    ガウディの作品は、そのほとんどがバルセロナそして周辺部に集中している。したがって、

    ガウディといえばバルセロナ、バルセロナといえばガウディといった関係性が成立している。

    それは、バルセロナという都市のみがガウディという天才のアイデンティティを独占できると

    いうことを意味している。このように都市が天才建築家をそのアイデンティティとして独占的

    に獲得できている事例は、他にもベルリンのシュパイヤー、ウィーンのオットー・ワグナー、

    ブリュッセルのヴィクトール・オルタなどがあるが、その意匠のユニークさ、オリジナリティ、

    規模の大きさを考えるとガウディのバルセロナには匹敵しない。そして、何より他の建築家を

    はるかに差し置いて、一人の天才のキャラクターに都市が染まってしまっているという点で、

    バルセロナはガウディなのである。もちろん、バルセロナにはガウディ以外にも同時期に活躍

    したドメネク・イ・モンタネールといった傑出した建築家などが存在したが、サグラダ・ファ

    ミリア、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョという圧倒的な存在感を有する建築群の前

    では、ドミニクの素晴らしい建築群も霞んでしまう。

    また、ガウディの作品がほどよく市内に散らばっているのもバルセロナにとっては都合がい

    い。それはリヨンが都市デザインの「共通言語」を用いたような効果が期待できるからである。

    すなわち、バルセロナにおいてはガウディの建築群があることで、そこがバルセロナであると

    認識できるような効果が発現されるし、また観光客がそれらを訪問することで、広くバルセロ

    ナの市内を周遊させられることになる。これは、都市観光業の立場からは理想的であろう。

    ガウディの作品群は、1984年に世界遺産に登録された。そのうちのコロニア・グエル教

    会以外はすべてバルセロナに存在する。ガウディの作品を観るならバルセロナに行くしかない。

    また、バルセロナに行ってガウディを観ない訳にもいくまい。

    このようにバルセロナとガウディは、都市と天才のまさに理想的な関係を築くことに成功し

    た希有な事例である。勿論、他にもプラハとカフカ、リオデジャネイロとカーロス・ジョビン、

    ニューヨークとジョージ・ガーシュイン、リバプールとジョン・レノン、ヴァイマールとゲー

    テ、ローマとフェリーニ等、天才を生み、そしてその天才によって強烈なアイデンティティを

    付与された都市は多い。しかし、バルセロナとガウディほど、都市と融合し、天才自体が都市

    のアイデンティティまで昇華できた例はないのではないだろうか。それはガウディが建築の天

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    才であったということもあるかもしれない。音楽などと異なり、建築は可視化できるからであ

    る。

    このバルセロナの事例からも理解できるように、その都市と関係性の強い天才は、その都市

    のアイデンティティを発露させることができる。逆にいえば、そのような関連性が薄いのに、

    都市のアイデンティティづくりに天才を使おうとしても失敗に終わるだけである。さいたま市

    のジョン・レノン美術館などは、まさにそのような事例であろう。天才によってアイデンティ

    ティが発露されるのは、その天才と関係性の強い都市においてのみである。最近、コルビジェ

    の作品である東京上野の国立西洋美術館が世界遺産に登録されるかもしれないと一部の人達が

    盛り上がっているようだが、コルビジェと東京との関係性は弱い。もっと、丹下健三の建築群

    で世界遺産登録を狙うといったような動きが東京という都市のアイデンティティを強化させる

    ためには意味があると思われる。

    建設中のサグラダファミリア

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    グエル公園

    ミラ邸

    第1回 アイデンティティを発露する人間中心の都心空間の創造 リヨン(フランス )ビルバオ(スペイン)プラハ(チェコ) レーゲンスブルク(ドイツ)バルセロナ(スペイン)