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やベンゼンのプラズマ励起始末VUV 反射測定 vs.X 線小角非弾性散乱分光 39 線分析進歩 47 Adv. X-ray. Chem. Anal., Japan 47, pp.39-57 (2016) やベンゼンのプラズマ励起始末VUV 反射測定 vs. X 線小角非弾性散乱分光 林 久史 A review regarding plasma excitation in molecular liquids, H 2 O and C 6 H 6 : VUV reflectance measurement vs. small-angle inelastic X-ray scattering spectroscopy Hisashi HAYASHI Department of Chemical and Biological Sciences, Faculty of Science, Japan Womens University 2-8-1, Mejirodai, Bunkyo, Tokyo 112-8681, Japan (Received 22 August 2015, Revised 5 October 2015, Accepted 6 October 2015) The existence of plasmon excitation in liquid benzene and liquid water is critically reviewed on the basis of new experimental data obtained by small-angle inelastic X-ray scattering measurements. The historical background and experimental methods to observe plasmons, including VUV reflectance measurements and inelastic X-ray scattering spectroscopy, are also surveyed, with the basic descriptions of optical constants, dielectric functions, and electronic excitations in condensed matters using Lorentz model. [Key words] Small-angle inelastic X-ray scattering, Plasmon, Exciton, Liquid water, Liquid benzene, Molecular liquids, Optical constants, Dielectric functions, Loss function, Lorentz model, VUV reflectance measurements, Energy-loss spectroscopy, Electronic excitations in condensed matters, Collective excitations, Plasmon dispersion 最新X 線小角非弾性散乱測定結果づいて,「やベンゼンのプラズマ励起存在について批判 総括するローレンツ模型使って光学定数誘電関数損失関数さらには凝縮系中での電子励起 について基本説明しながらこの問題歴史的背景VUV 反射測定X 線非弾性散乱分光めた凝縮系中のプラズマ励起観測法についても概観するキーワードX 線小角非弾性散乱プラズモンエキシトンベンゼン分子性液体光学定数誘電関数損失関数ローレンツ模型VUV 反射測定エネルギー損失分光凝縮系電子励起集団励起プラズモ 分散 日本女子大学理学部物質生物科学科 東京都文京区目白台 2-8-1 112-8681 連絡著者[email protected] 総 説

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Page 1: 水やベンゼン中のプラズマ励起 始末 VUV - JWUmcm-hayashih/hayashi.files/039-057 HAYASHI...VUV reflectance measurements, Energy-loss spectroscopy, Electronic excitations

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

39X線分析の進歩 47Adv. X-ray. Chem. Anal., Japan 47, pp.39-57 (2016)

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:

VUV反射測定 vs. X線小角非弾性散乱分光

林 久史*

A review regarding plasma excitation in molecular liquids, H2O and C6H6: VUV reflectance measurement vs.

small-angle inelastic X-ray scattering spectroscopy

Hisashi HAYASHI*

Department of Chemical and Biological Sciences, Faculty of Science, Japan Women’s University2-8-1, Mejirodai, Bunkyo, Tokyo 112-8681, Japan

(Received 22 August 2015, Revised 5 October 2015, Accepted 6 October 2015)

   The existence of plasmon excitation in liquid benzene and liquid water is critically reviewed on the basis of new experimental data obtained by small-angle inelastic X-ray scattering measurements. The historical background and experimental methods to observe plasmons, including VUV reflectance measurements and inelastic X-ray scattering spectroscopy, are also surveyed, with the basic descriptions of optical constants, dielectric functions, and electronic excitations in condensed matters using Lorentz model.[Key words] Small-angle inelastic X-ray scattering, Plasmon, Exciton, Liquid water, Liquid benzene, Molecular liquids, Optical constants, Dielectric functions, Loss function, Lorentz model, VUV reflectance measurements, Energy-loss spectroscopy, Electronic excitations in condensed matters, Collective excitations, Plasmon dispersion

 最新の X線小角非弾性散乱測定の結果に基づいて,「水やベンゼン中のプラズマ励起」の存在について批判

的に総括する.ローレンツ模型を使って,光学定数や誘電関数,損失関数,さらには凝縮系中での電子励起

について基本を説明しながら,この問題の歴史的な背景や,VUV反射測定や X線非弾性散乱分光を含めた,

凝縮系中のプラズマ励起の観測法についても概観する.

[キーワード]X線小角非弾性散乱,プラズモン,エキシトン,水,ベンゼン,分子性液体,光学定数,誘電関数,

損失関数,ローレンツ模型,VUV反射測定,エネルギー損失分光,凝縮系の電子励起,集団励起,プラズモ

ン分散

日本女子大学理学部物質生物科学科 東京都文京区目白台 2-8-1 〒 112-8681 *連絡著者:[email protected]

総 説

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

40 X線分析の進歩 47

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 1. はじめに―水中のプラズマ振動?―

 電離によって生じたカチオンと電子が混合し

て存在する状態をプラズマ 1)という.プラズ

マはもともと電離気体について名づけられたも

のである.気体を高温に加熱すると,気体分子

または原子間の衝突が激しくなり,ついには電

離が起こり,全体としては電気的に中性であり

ながら,電子とカチオンが乱雑に飛び回る電離

状態になる(Fig.1a).こうした状態では,電子

やクーロン相互作用の効果が大きくなるため,

普通の気体とは異なる振る舞いを示す.気体プ

ラズマは現在,分析化学においても,誘導結合

プラズマ(Inductively coupled plasma:ICP)発

光分光法 2)などで広く応用されている.

 気体プラズマの本格的な研究は,ラングミュ

ア(Langmuir)が陽光柱(低圧気体中の放電に

おいて,陽極付近にみられる明るい部分)内部

に縦振動を発見し,これをプラズマ振動と呼ん

だ 1928年に始まった 3).本稿に特に関係する

「金属内部のプラズマ」は 14年後の 1942年に

発見され 4),1952年に基礎理論 5)が確立され,

1950年代後半から研究が盛んになった 6).

 どうして金属がプラズマと関係するのだろ

うか? 金属内部には,正の金属イオンと負の

伝導電子が共存していて,全体としては中性に

Fig.1 (a)気体プラズマと(b)金属内部の状態,(c)金属内部でのプラズマ励起の模式図.

なっている.そして,金属の伝導電子はよい近

似で,自由電子気体として扱える.このように,

カチオンがほとんど動かないという違いはある

が,金属内部の電気的な状況は,気体プラズマ

とよく似ている(Fig.1b).このため,気体プラ

ズマで用いられた考え方や理論モデルが,うま

く適用できる.

 例として,金属中の伝導電子が移動して,電

子密度に空間的な濃淡ができた場合を考えてみ

る.電子が平均より淡くなった場所では電荷は

正,濃くなった場所では負となるので,局所的

には電気的中性が失われる.そして,電荷が正

になった場所には周囲の電子が引き寄せられ,

負の場所では反発されるので,電子はできた濃

淡をなくす方向に集団的に動く(Fig.1c).しか

しながら,電子の動きは慣性がついているから,

ちょうど中性になったところでは止まらず,行

き過ぎて電荷の符号が逆転してしまう.こうし

て,いったん電子密度の濃淡ができると,その

場所では,濃淡の振動=縦波的な振動が始まる.

これはラングミュアのプラズマ振動そのもので

ある.

 上の説明が示唆する通り,プラズマ振動をも

たらすものは,多数の電子がそろって同じ方向

に,同じ長さだけ変位するという,集団的な電

子励起(電子の集団移動)である.こうした励

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

40 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

41X線分析の進歩 47

起は,金属のように,伝導電子が移動しやすい

ほど起こりやすい.一方,半導体や絶縁体のよ

うに,電子がイオンや原子・分子に束縛される

ほど起こりにくい.また,結晶のように,イオ

ンや原子・分子の構造的な乱れが小さいほど起

こりやすく(揃(そろ)った変位がしやすいた

め),液体のように,乱れが大きいほど起こり

にくくなる.それでも,アルカリ金属や Alの

ような典型金属 7-9)だけでなく,Siのような半

導体 9)や Li-NH3のような液体金属 10, 11),さ

らには C60のような大きな分子の結晶 12)でも,

プラズマ振動が観測されている.なお,本誌も

プラズマと無縁ではなく,Auコーティング膜

上のプラズマを利用した検出器 13)や,Si中の

プラズマ励起スペクトルに関する理論計算の論

文 14)が掲載されている.

 さて,プラズマ振動が金属だけに起こるので

はないにしても,「水やベンゼンといった分子

性液体にも,プラズマ振動のような,集団励起

が起こる」と聞いたら,読者はどうお考えだろ

うか? たとえば,以下のような疑問が,ただ

ちに脳裡(のうり)に浮かぶであろう.水やベ

ンゼンは絶縁体であり,価電子はそれぞれの分

子にかなり強く束縛されており,構造的な乱れ

も大きい.こういう系でも「集団励起」が可能

なのか? 仮に可能として,どれくらいの数の

電子が関与しているのか? そもそも,何を根

拠に,そのような命題が提示されたのか?

 実際,液体ベンゼンの集団励起が 1969年 15),

液体水の集団励起が 1974年 16)に提唱されて以

来,これらの「電子の集団励起=液体中のプラ

ズマ(?)」は長年,議論の対象になってき

た 17-28).特に,「水中のプラズマ」は,30年

以上にわたって,放射線化学や放射線生物学の

「Red herring(燻製(くんせい)ニシン;キツネ

狩りの猟犬に他のにおいとかぎ分けさせる訓練

に燻製ニシンを用いることから『人の注意を他

へそらすもの』『人を惑わすような情報』の意)」

であった.しかし,2015年の X線小角非弾性

散乱(後述)の測定によって,長年の混乱につ

いに終止符がうたれた 29).X線分光分析の 1

挿話として興味深いと思うので,ここで顛末(て

んまつ)を紹介する.

 2. 誘電関数と光学定数

 電子のプラズマ振動を引き起こすのは光(電

磁波)や電子であり,その性質は物質の光学的

性質に基づいている.したがって,これを議論

するにはまず,光に対する物質中の電子の応答

を概観する必要がある.ただし,「光に対する

電子の応答」は,固体物理学や光物性測定の基

礎であるから,本章の記載事項は,多くの固体

物理 6, 30-33)や光物性の入門書 34),あるいは分

光測定の教科書 35-37)で詳しく説明されている.

そこでここでは,3章以下の説明に必要最小限

な事項のみを,要約して示す.

2.1 光学定数

 光や電磁波が,空気あるいは真空から液体や

固体などの凝縮系に入る場合の挙動を表現する

には,2種類の方法がある.ひとつは,凝縮系

による電磁波の変化によって表現する方法であ

り,複素屈折率 35, 36)を用いる.こ

こで, nは通常の屈折率(実数)で,kは消衰係

数である.真空中の単色光の波長を ,振動数

を ,光速を cとすると,媒質(凝縮系)中の

電磁波は,波長 /nの波として進み,波の進行

方向 xに対して,振幅が で減衰

していく.電磁波のエネルギー密度(光の強度

に相当する)は振幅の 2乗に比例するので,強

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43X線分析の進歩 47

度は という形での減衰を受け

る.ここで吸収係数 Kを と定義する

と, と書ける 37).これが,分析化学

で有名なランバート(Lambert)の法則 2)である.

 凝縮系はしばしば光に対して強い反射を示

す.本稿で扱う分子性液体もそうだが,透過光

ではなく反射光によってのみ,光物性が測定で

きる場合も多い 34).複素屈折率が である凝

縮系の表面に垂直入射した光に対する反射率 R

は,次式で与えられる 31, 33, 35):

             (1)

(1)式より,nが 1以外の場合はもちろん,吸

収が起こる 場合でも,強い反射が起こり

うることがわかる.吸収が大きな系の光学的性

質の研究に反射測定が有効なのは,このためで

ある.Rだけでは,nと kを決定できないので,

反射測定の解析にあたっては,次式によって,

反射によって変化する電場ベクトルの位相角

を に関連づける.

              (2)

そして,入射する電磁波の振動数( )= エ

ネルギー( )を変えながら Rを測定し,得

られたデータに,クラマース・クローニヒ

(Kramers-Kronig)の分散関係 34)―周期的な外

力に対して線形応答をする媒質の,応答関数の

実数部と虚数部を関係づける一般的な関係―を

用いて を求める.具体的な式は,

      (3)

である 35).ここで定積分の前についた記号Pは,

コーシー(Cauchy)の主値を意味し,積分領域

から被積分関数の特異点( )を除外する

ことを指示するものである.振動数の全領域に

わたって Rを測定すれば,右辺の定積分が実行

でき, が決まる.実際には全領域にわたる測

定はできないが,被積分関数の とい

う因子のため,注目しているエネルギー領域か

ら遠い成分の寄与は著しく減少する.そのため,

有限な測定範囲のデータでも,領域外の寄与を

適当な近似式を導入することで,高い精度で

を決められる.Rと が得られたら,(1)式と(2)

式を逆算して,nや kが求められる.

2.2 誘電関数と損失関数

 凝縮系中での光の挙動を示すもうひとつの

方法は,光応答を誘電的な応答として表現す

るものである.電磁気学に従えば,誘電的な

媒質中での電場 Eと誘電分極 Pとの関係は,

で定義された誘電率 で表され

る( は真空の誘電率).誘電率をエネルギー

の関数として扱う時は, は誘電関数 35)とも

よばれる.以下では, を誘電関数とよぶこ

とにする. は一般に複素数であり,実数部

と虚数部 をもつ: . は,入射光

の電場と同じ位相で振動する誘電応答成分の大

きさを表し, はこれと 90°位相のずれた成分

の大きさを表す 35).

  の逆数の虚部:

  

は,損失関数 33, 37)と呼ばれ,電子線や X線の

エネルギー損失スペクトルに比例する関数であ

る 36).「損失」の名称は,この関数が,「高速

電子線が物質を通過する際に失うエネルギー」

を計算するために導かれたことに由来する.反

射率測定の場合と同様に,広いエネルギーの損

失範囲にわたって,電子あるいは X線のエネル

ギー損失スペクトルを実測すれば,この場合の

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クラマース・クローニヒの分散関係 34, 37):

   (4)

を使って, と を決定できる.

 誘電関数は,次式によって,光学定数と結ば

れている 35-37):

   ,         (5)これらの式を使えば,反射測定からでも と

,電子線エネルギー損失分光(Electron energy

loss spectroscopy: EELS)7, 8)からでも n,kが求

められる.光物性研究の主要な課題のひとつは,

物質の n,k,または , を実験的に決定する

ことである.これらの値とその波長(エネル

ギー)依存性を知ることは,実用的な見地から

必要なだけでなく,物質内部の電子状態を知る

手がかりとしても重要である.実用的な光学材

料の特性量としては,n,kが便利であり,基礎

的な光物性研究には , が有用である 35).

2.3 ローレンツの振動子模型

分子性液体のような絶縁体の光学定数や誘

電関数の概略を把握するには,ローレンツ

(Lorentz)の振動子模型 37)が便利である.こ

の模型は,電子がバネによって原子に束縛され

ていて(電子の「強束縛近似」33)に対応),振

動数 ,制動係数 で振動していると

いう,簡明なものである 37).この系に外部電

場が印加されると(すなわち電磁波が入射する

と),分極がおこり,誘電率が変化する.こう

した誘電率の変化は,量子力学はもちろん,古

典力学でも計算できる 31, 35-37). に対

する誘電関数と損失関数を Fig.2aに,光学定数

と反射率を Fig.2bに,それぞれ示した.

 光学定数や誘電関数には,いくつか一般的な

性質がある.たとえば,(1)n,k, の値はす

べてのエネルギー領域で 0以上の値(正の値)

をとる.また,(2)ある特定のエネルギー E0

で離散的な吸収がおこる場合, は E0に極大

のある対称的なピーク構造をとる一方, と n

は,E0の前後に極大と極小をもつような,特徴

的なエネルギー依存性を示す(Fig.2).これが

異常分散であり,吸収の前後で,長波長(低エ

ネルギー)の光が短波長(高エネルギー)の光

より大きく屈折することの反映である(Fig.2b).

(3)吸収がない領域(k = 0)は透明領域とよば

れるが,そこでは, と nの間に という,

より直接的な関係が成立する.

Fig.2  (a)半値幅を(E0 /20)として,ローレンツの振動子模型で計算した誘電関数と損失関数,ならびに(b)光学定数と反射率.

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 X線のような高エネルギー・短波長の電磁波

を,分子性液体のような軽元素の凝縮系に照射

すると, で となる 37).つまり,分子

性液体は X線に対してほぼ透明であり,屈折し

ない.よって, で, となる.このよ

うに,特に軽元素系への X線入射に対しては,

光学定数も誘電関数もほぼ一定で,顕著なエネ

ルギー依存性を示さない.このため,光学定数

や誘電関数が多様に変化する可視―紫外―真空

紫外(Vacuum ultraviolet:VUV)分光 37)と比べ

ると,X線分光における光学定数や誘電関数の

重要性は,相対的に小さくなる.

 3. 凝縮系の電子励起:エキシトン,   バンド間遷移,プラズモン

 凝縮系の光学的性質を決める電子励起には,

プラズマ振動以外にも様々なものがある.これ

らは,エネルギー的に一部重なるだけでなく,

お互いに関係しあっている.そこで,プラズマ

振動について追加説明しながら,電子励起の概

要を述べておく.本章の記載事項も,多くの固

体物理 6, 30-33)や分光分析法 34-37),固体化学 38)

の入門書で説明されている.

 

3.1 エキシトンとバンド間遷移

 基本的に電子の励起スペクトルは,満たされ

た価電子帯と空の伝導帯の間のバンドギャップ

に相当するエネルギーにおいて,鋭いエッジ構

造をもって立ち上がる.こうしたエネルギー閾

値(しきいち)は金属でゼロ,半導体で数 eV,

絶縁体で 6―8 eVである.ただし,電子検出法

によって励起スペクトルを測定する場合は,こ

れらの値に,表面効果に起因する,数 eV程度

の付加的なエネルギー(仕事関数)が加わる.

 金属以外の凝縮系では,吸収の閾値付近に,

しばしば励起子(エキシトン)31, 33, 36)によるピー

クがあらわれる.ここで,励起子とは,電子が

完全に伝導体に逃げ去らず,価電子帯に残され

た正孔の静電ポテンシャルに束縛されている状

態であり,すべての絶縁体で生成するものであ

る.電子と正孔の距離が小さく,結合の強い励

起子をフレンケル(Frenkel)励起子 33, 36)とい

う.結合が弱く,電子と正孔の距離が格子定数

に比べて大きい励起子を(モット[Mott]―)ワ

ニエ(Wannier)励起子 33)という.分子凝縮系

で観測される励起子は,フレンケル励起子と考

えられている 17, 31, 33, 38).励起子のピークより

高エネルギー側の励起スペクトルには,価電子

帯から伝導帯へのバンド間遷移 37)があらわれ

る.バンド間遷移に起因するスペクトル構造は,

結合状態密度(Joint density of states:あるエネ

ルギーだけ離れている「価電子帯と伝導帯中の

状態のペア」の数密度)を反映している.

3.2 金属のプラズマ励起,プラズモン

 バンドギャップがない金属では,吸収に必要

な最小のエネルギーはゼロである.したがって,

様々な低エネルギー励起が生じるはずである

が,以下の事情により,そうした低エネルギー

励起は,プラズマ振動によって抑圧されてしま

う.

 金属の価電子のように,ほぼ自由な電子から

なる系に電磁波が入射した場合, は

              (6)

と与えられる 6, 37, 38).ここで, はプラズマ

振動数:

               (7)

は電子数密度である. は,「系内のすべて

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45X線分析の進歩 47

の電子が同じ方向に,同じ大きさの振幅で振動

する」という,「波長無限大の極限=長波長極限」

でのプラズマ振動数として,古典電磁気学から

も導出できる 6).

 (6)式で重要なことは, を満たす振動

数(ひいては,プラズマ振動数に対応するエ

ネルギー)で , 少なくとも となるこ

とである.4章で見るように,液体中のプラズ

マ研究では,この条件が重視された(ただし,

Fig.2aに示した通り,十分強い吸収がおこれば,

プラズマ励起でなくとも, が実現するこ

とに注意されたい).

 (6)式はまた,金属の光学応答がプラズマ振

動に強く支配されていることも示唆している.

たとえば, では は正であるが,

では負となる.ところで, が負であるとは,

であり,kが純虚数であることを意味す

る.kが実数値をもたないため,電磁波が距離

とともにすぐ減衰してしまい,伝播できなくな

る 6).よって(6)式は,「金属中の電子気体は,

プラズマ振動数よりも高い周波数(=高いエネ

ルギー)の電磁波しか通さない」ことを意味す

る 6).この時,反射率は となるので,基

本的には,プラズマ振動数以下の振動(エネル

ギー)の光は全反射する.こうして,金属中の

電子は,プラズマ振動より低振動数(低エネル

ギー)の光と相互作用しにくくなり,低エネル

ギー励起が抑制される.

 ただし,プラズマ振動数よりも高い振動数

の光は通過できるので, より高エネルギー

側の励起スペクトル(ひいては,誘電関数や

光学定数)は,プラズマ振動だけでなく,バン

ド間遷移の影響もうける.たとえば,銀の

は(7)式で計算すると 9.2 eVだが,Fig.3に示

したように,バンド間遷移の寄与を加算すると

3.84 eVまで低エネルギーシフトする 31, 36, 39)(9.2

eV以下のバンド間遷移がプラズマ振動によっ

て弱まっていることにも注意).

 凝縮系―主に金属―内部でのプラズマ振動

は, のエネルギー単位で量子化されており,

プラズモンと呼ばれている.プラズモンは,電

子のような荷電粒子によって,効率的に励起す

ることができる 33, 38).そのため,EELSでは古

くからプラズモンの研究がさかんであった

し 7, 8, 33),光電子のプラズモン励起も研究され

てきた 14).

 プラズマ振動の波長が短くなると,プラズマ

振動数は「波動ベクトルの大きさ」qによって

変化する.プラズマ振動の分散関係 29, 33)は,q

におけるプラズマ振動数を (q)として

         (8)

で与えられる.ここで はフェルミ(Fermi)

エネルギーをもつ電子の速度である.プラズモ

ンの分散係数は電子相関 7, 40)やバンド間遷移

の影響 8, 9)で,(8)式の係数より小さくなるこ

とが知られている.しかし,プラズモンが生じ

るほとんどの系では,「q2に比例する分散」は

Fig.3 Agの 31, 39).

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46 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

47X線分析の進歩 47

保持される 11, 40).このことは,液体中のプラ

ズモンを批判的に検討(後述)する上で重要で

あった.

 4. 分子性液体のVUV反射率測定と,   液体中の集団励起

4.1 分子性液体の VUV反射率測定

 分子性液体の励起のうち,プラズモン的な集

団励起と見なされたものはふたつある.ベンゼ

ンの損失関数で見られる 7 eV付近の鋭いピー

ク 15, 24)と,水の損失関数で見られる 21 eV付

近のブロードなバンド 16, 24)である.どちらの

遷移も,VUV 領域(200―0.2 nm;6.2 eV―6.2

keV)にある(この領域の 10 nm以下の短波長

側[124 eV以上の高エネルギー側]は軟 X線

とも呼ばれる)41).

 VUV光は空気に対して大きな吸収係数を

もっており,その名称が示す通り,光路を真空

にしなければ伝播することができない.空気

の吸収が問題になるくらいなので,より高密

度な凝縮系については,直接的な吸収測定から

VUV領域の光学定数を決めることは非常に難

しい.そこで従来,VUV領域の光学定数は,(a)

反射率を測定するか,(b)高速電子線を用いた

EELSによって損失関数を求めるかのどちらか

によって決められてきた.ところが,分子性液

体は一般に蒸気圧が高いので,窓なしで真空中

に設置することが難しく,(a),(b)どちらの

方法においても,実験には著しい困難が伴う.

ただし,絶縁体の中には可視・紫外から VUV

領域である 100 nm台まで透明な物質があるの

で(代表的なものは LiF[104 nm;11.9 eV],

CaF2[122 nm;10.2 eV])41),(a)の方法によれば,

これらの絶縁体を窓材に使うことで,少なくと

も低エネルギー領域ならば,精度よい測定が可

能である.こうしたことから,1960年代後半か

ら 1970年代中盤にかけて,テネシー州・オー

クリッジ(Oak Ridge)の研究グループを中心に

ベンゼンや水などの分子性液体について,VUV

光の反射率測定 15,16,18,23-25,42,43)が活発に行われ

た.「分子性液体中の集団励起」というアイデ

アは,こうしたオークリッジグループの精力的

な活動の中から生まれた(彼らの実験 43)は,

実験化学講座 41)中でも「VUV反射測定の有機

液体への応用例」として紹介されている).

 オークリッジグループが用いた実験装置 43)

の模式図を Fig.4に示した.光源には水素放電

管 35, 41),分光器には曲率半径 49.81 cmの回折

格子を組み込んだ瀬谷―浪岡型分光器 36, 41)が

使われた 43).モノクロメーターを回転させる

ことで,試料への光の入射角は 15°から 70°ま

で変えられた.反射光の検出には,光パイプつ

きの光電子増倍管が用いられた 43).

 分子性液体の VUV反射スペクトルを測定す

るために,彼らは 2種類の方法を併用した.ひ

とつが「open dish法」と呼ばれたもので,真

空チェンバー中に 1℃に冷やした水を窓なしで

導入し,金の反射を参照しながら,水の反射を

測るというものであった 42, 43).真空中での沸

騰や氷結を避けるため,かなり厳密な温度コン

トロールを行ったようである 42).また,チェ

ンバー内での気液平衡を保つため,水蒸気をリ

ザーバー(Fig.4の下部で「水」と示した部分)

から供給した.また,試料ホルダー上に「水

試料」と「参照用の金を蒸着したガラス板」を

別々に設置し,チェンバーの外側からの操作に

よって,これらを短時間で切り替えられるよう

にした 42).ここまでの努力をしても,当初の設

計 42)では,蒸気の吸収が強すぎて,11.8 eV以

上の測定ができなかったという.しかし,反射

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

46 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

47X線分析の進歩 47

光の光路長を 3 cmから 1 cm以下まで短縮する

ことで,25.6 eVまでの水の反射率測定に成功

した 16).それまで分子性溶液の反射率測定が

行われていたのは,窓材が使える~10 eVまで

だったことを考えると,空前にして,(おそらく)

絶後の,実験的な偉業と言ってよい.

 実際のところ,「真空チェンバー中に液体を

逐次的に導入して,気液平衡を成立させなが

ら,凝固点ぎりぎりまで冷却し,液体の VUV

反射スペクトルを窓なしで測定する」という

open dish法は,試料の蒸気でチェンバーが汚染

されるリスクが高いので,共同利用を前提とす

る現在の放射光実験では実行困難である.「液

体セルを用いない液体有機化合物の全電子収量

XANES測定」という報文 44)が本誌にあるが,

そこで採用されたアイデアは,蒸気圧の比較的

低い液体をインジウム基板に少量塗布するとい

うものであった.最近の VUV実験がほとんど

放射光施設で行われること,そして,後述のよ

うに,この方法には実験精度上の問題があるこ

とを考えあわせると,今後 open dish法が使わ

れる可能性は低い.とすると,広いエネルギー

領域にわたる分子性液体の VUV反射測定は,

もう行えないのではないかと懸念される.事実,

我々の知るかぎり,オークリッジグループの研

究以後,~26 eV(あるいはそれ以上)にわたっ

て,分子性液体の反射が測定された例はない.

 open dish法には,「蒸気圧の高い液体を真空

中に保持する」という本質的な難しさがあるの

で,窓材が利用できる測定領域では,あえて使

う必要はない.そのことはオークリッジグルー

プも認識しており 24),窓材を使って液体を試

料セル中に封入して,窓ごしに液体の反射を測

定する従来法も「第 2の方法」として採用され

た.窓材を使う方法は,open dish法との比較

から「closed cell法」と呼ばれ,主に低エネル

ギー領域の反射測定に使われた.オークリッジ

グループはここでも,「半円柱形の窓材」を使

用するという工夫をしている 24, 42):VUV光は,

半円柱の曲面に垂直な方向から出入りし,半円

Fig.4 オークリッジグループが用いた,分子性液体用の VUV反射測定装置.文献 43を参考に描き直した.

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

48 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

49X線分析の進歩 47

柱と液体が接する平面で反射されるが,半円柱

という形のおかげで,窓材を通る VUV光の光

路長―ひいては窓材による吸収―が入射角に依

存しなくなる.水晶,CaF2,MgF2の半円柱形

の窓が,それぞれ,7.4,9.9,10.3 eVまでの反

射率測定に使われた 24).

4.2 分子性液体の集団励起

 上記の 2種類の方法を駆使して,オークリッ

ジグループが得たベンゼン 15)と水 16)の ,

,そして損失関数を,それぞれ Fig.5と Fig.6

に示す.これらの損失関数に見られるピーク

のうち,「 が比較的小さく, がゼロに近い」

エネルギーにあるピーク 24),すなわちベンゼ

ンの~7 eVのピークと,水の~21 eVのピーク

が,プラズモン的な集団励起のピークとされ

た.はっきりとした理論モデルは示されなかっ

たが,ベンゼンの場合は 電子の集団励起,水

の場合は 電子の集団励起が示唆された 24).

これらの励起は,金属のプラズモンと同じとは

見なされなかったが 18),「それとわかる程度で

集団励起の振る舞いを示している(…show an

appreciable degree of collective behavior)24)」 と

された.1章で述べた通り,こうして提案され

た「分子性液体中の集団励起(プラズモン)」は,

以後 30年以上にわたる議論の対象となった.

 ベンゼンの損失関数は,1969年のWilliams

ら 15)に続いて,同じ研究グループの Sowers

ら 45)が 1971年に再測定した.そこで得られ

たスペクトルは,特に VUV領域でかなりの

違いが見られたが(後述),スペクトル解釈は

Williamsらと同じだった.この集団励起の解釈

は,Inagaki17)によって,ただちに疑問視され

た(1972年).Inagakiは液体ベンゼンの UVス

ペクトルが固体ベンゼンと非常によく似てい

ることを指摘し,固体ベンゼン同様,7 eVの

ピークはフレンケル励起子として解釈すべきと

論じた 17).Williamsらも,このピークへの集

団励起の影響をあまり強調しなくなり,後の総

説(1975年)18)では,「ベンゼンの 7 eVのピー

クは自由電子によるものではなく,このピーク

への集団励起は比較的小さい」と述べた.さら

に新しい総説(1993年)27)の中で,La Verneと

Mozumderも,「ベンゼン 7 eVのピークは,集

団励起の条件は満たしているものの,プラズ

モン的というよりはエキシトン的である」と,

Fig.5 VUV反射測定によって得られたベンゼンの誘電関数と損失関数(文献 15のデータによる).

Fig.6 VUV反射測定によって得られた水の誘電関数と損失関数(文献 16のデータによる).

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

48 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

49X線分析の進歩 47

1975年のWilliamsら 18)に近い見解を述べてい

る.

 水の損失関数の 21 eVピークは,より複雑で

論争的な展開をたどった.そもそも,凝縮し

た水の損失関数の 21 eV付近に集団励起による

ピークがありそうだということは,オークリッ

ジグループより 7年早い 1967年に,Platzman

によって理論的に提唱された 46).ただし,こ

の 21 eVという値は,水の電子数密度から単純

計算されたもので,Fig.3のような,プラズマ

振動数とバンド間遷移の結合や,それによる

低エネルギーシフトは考慮されていなかった.

Platzmanの推測に反して,1971年に測定され

たアモルファス氷の EELSスペクトルには,集

団励起(プラズモン)に帰属できるバンドは観

測されなかった 47).氷の EELSの損失関数に

も,20 eV付近にブロードなピークはあったが,

それは, スペクトルにも見られるバンド間

遷移によるピークと帰属された 47).ところが,

液体水についてのオークリッジグループの実

験(1974年)16)で状況は転回し,Fig.6の結果

は「水中のプラズモン仮説」に確証を与えるも

のと考えられた(…The evidence for a collective

resonance is very strong25)).この解釈に,全面的

に賛同しないまでも,好意的な研究者 18-26)は

多かった.たとえば,放射線物理学者の井口

道生は,「(水の)20 eV付近のピークは,金属

のプラズマとはまったく違う.しかし,凝縮相

における集団励起が多少はあると言わざるを得

ない.…たぶん,数個ないしは数十個の分子が

励起をわけあっていると考えるのが妥当であろ

う.この様子をくわしく解明することは,今後

に残された問題だと思う」とコメントしてい

る 26).オークリッジグループの実験結果に応

じて,プラズモン的な集団励起を考慮した,水

の損失関数の構築も試みられた 19).その一方

では,「水の誘電関数には明確なプラズマ励起

の証拠はない」という理論的な検討結果(1993

年)27)や,「氷の EELSスペクトルの励起エネ

ルギー依存性は,プラズモン励起から期待され

るものではない」という否定的な実験結果(2001

年)28)も提出された.しかし,議論のもととな

る液体水の実験データが,オークリッジグルー

プによるもの 16)しかなかったこともあり,議

論の決着はなかなかつかなかった.

 5. 分子性液体のX線小角非弾性散乱測定

5.1 X線小角非弾性散乱法

 凝縮系の損失関数は,電子線のエネルギー

損失スペクトルからだけでなく,X線のエネル

ギー損失スペクトル,すなわち X 線非弾性散

乱 9, 29, 37, 48-50)(X線ラマン[Raman]散乱 51-53)

とも呼ばれる)スペクトルからも求められる.

液体のように等方的な試料の X線非弾性散乱の

微分散乱断面積 は次式で与え

られる 9, 48, 49):

          (9)

ここで はトムソン(Thomson)散乱

の散乱断面積,S( q, E )は配向平均をとった動

的散乱因子,Eはエネルギー損失 であ

る.移行運動量の絶対値(前述の「波動ベクト

ルの大きさ」と等しい)qは,散乱角 2 と入射

X線の波長 から,近似的に で

与えられる.動的構造因子は損失関数と

       (10)

という関係で結ばれているので 9, 29, 48, 49),S( q, E )

が小さな qで収束していれば,小さな q領域の

X線非弾性散乱(すなわち,X線「小角」非弾

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

50 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

51X線分析の進歩 47

性散乱 29))を測定することで,2章で説明した

「光学的な(すなわち q = 0に対応する)」損失

関数:

  

を導出できる.

 X線が凝縮系,特に液体や非晶質の測定に適

したプローブであることはよく知られているの

に,なぜ,X線小角非弾性散乱が,分子性液体

の損失関数の測定に使われてこなかったのか?

それは,ひとえに強度の弱さのためである.電

子線の非弾性散乱強度が,小さな q 領域で q−4

に比例する 7, 8)一方で,X線の非弾性散乱強度

は q2に比例する 9, 53).このため,強力な光源

がないかぎり,X線小角非弾性散乱による光学

的スペクトル測定は実用にならない.結局,X

線非弾性散乱の実用化は,光学吸収との関係が

1960年代後半には判明 51, 52)していたにもかか

わらず,放射光の共同利用が本格化した 1990

年代まで遅れた 9, 53).

5.2 分子性液体の X線小角非弾性散乱測定

X線小角非弾性散乱を用いた,水 54, 55)やベン

ゼンの光学的な損失関数 56)の測定は,1998年

~2001年に東北大グループによって,ニュー

ヨーク州の第 2 世代放射光光源,National

Synchrotron Light Source(NSLS)のビームライ

ン X2148)ではじめて行われた.X21をモデル

にした X線小角非弾性散乱測定用の光学系の

模式図を Fig.7に示す.2015年の SPring-8の

台湾ビームライン BL12XUにおける再測定 29)

で使われた光学系も,より強力な線源である

SPring-8を用いた以外は,基本構成は同じであ

る.

 放射光からの白色 X線は,非対称カットの平

板結晶 2枚と対称カットの平板結晶 2枚をくみ

あわせた高分解能結晶モノクロメーター 37, 48)

によって,0.2 eV程度の分解能に単色化された.

単色化されたビームは全反射集光鏡で,高次光

カットされつつ,集光された.スリット系と組

み合わせることで,試料上でのビームサイズは,

0.5 mm×0.5 mm程度まで絞られた.ただし,集

光鏡で集光しても,高分解能化にともなう強度

損失の影響は大きく,X21では試料上の光子数

は 5×105程度であった 54)(SPring-8 BL12XUで

はこの 10倍 29)).そこで,空気による吸収の

効果を減らすため,高分解能モノクロメーター

と集光鏡を真空チェンバー中に設置し,ロータ

リーポンプで排気された.空気による X線の吸

収は,無視はできないが,VUV光の場合ほど

深刻ではない.そこで,試料の下流側について

は,装置全体の扱いやすさが考慮された結果,

試料チェンバーと球面湾曲結晶アナライザー,

Si-PIN検出器は空気中に置かれ,それらの間の

Fig.7 X線小角非弾性散乱測定装置の模式図 .

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

50 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

51X線分析の進歩 47

光路だけが排気された.

 NSLS X21の測定では,水は 8 µm厚のカプト

ンを窓とするアルミ製のセル 54)に,ベンゼン

は石英ガラスのキャピラリー中に,それぞれ注

射器で入れられた.後の SPring-8 BL12XUの測

定では,どちらの液体も石英ガラスのキャピラ

リーに入れられた.VUV反射測定(Fig.4)と

は異なり,X線小角非弾性散乱測定では液体試

料の扱いはきわめて簡単で,これだけで実験が

できる.こうした簡便さが,X線小角非弾性散

乱法の最大の利点であり,データの精度(後述)

を支える要件のひとつとなっている.

 液体試料によって,散乱角 3~10°に非弾性

散乱された X線は,球面湾曲結晶アナライ

ザー 37, 48, 53)で集光かつ分光された.球面湾曲

結晶は 偏光( p偏光:電場ベクトルが散乱

面に平行な偏光)37)の配置で置かれた.これ

は,2 = 5°程度の小角なら, 偏光の偏光因

子による強度損失の影響はほぼ無視できるこ

とと,まさにその 偏光の効果によって,多重

散乱の影響を軽減できる 29)ためであった.球

面湾曲結晶の集光性能も分解能も,高ブラッグ

(Bragg)角ほど高まる 53)ので,NSLS X21で

は~87°54),SPring-8 BL12XUでは~89°29)のブ

ラッグ角で使われた.モノクロメーターとアナ

ライザー,両方で決まるトータルの分解能は,

NSLS X21で 0.5 eV54),SPring-8 BL12XUで 0.24

eV29)であった.

 どちらの実験においても,アナライザーで分

光された X線は,Si-PIN検出器で検出された.

Si-PIN検出器が使われたのは,たとえばシン

チレーションカウンターを使うより,寄生散乱

によるバックグラウンドを低減できるからであ

る.また,どちらの実験においても,エネルギー

掃引は,アナライザーのブラッグ角を固定して,

モノクロメーターの角度を変える方式,つまり,

散乱エネルギーを固定し,入射エネルギーを掃

引する方式で行われた.

5.3 X線小角非弾性散乱測定の結果

 1998年から 2001年にかけての東北大グルー

プの実験により,ベンゼンや水の非弾性散乱ス

ペクトルが, ~0.3 atomic unit(a.u.: 運動量

の 1 a.u. = 1 / 0.05292 nm−1)で収束することが

見いだされた 48, 54, 56).そして,水については

0.28 a.u. のスペクトルから,光学的な損失関

数や誘電関数,光学定数が導出された 55).以来,

15年以上にわたって文献 55)のデータは様々

な分野で利用されてきたが 49),データの統計

的な不確定性は無視できないものがあった.ま

た,本稿で扱っているプラズモンについては,

あまり議論されなかった.

 2015年,SPring-8 BL12XUにおいて,ベンゼ

ンと水の X線小角非弾性散乱が再測定された.

第二世代光源であった NSLSから第三世代光源

である SPring-8に光源が変わったことで,信号

強度は約 10倍強くなり,データの統計精度が

大幅に改善された 29).この新しいデータから

導出されたベンゼンと水の , ,そして損

失関数を,それぞれ Fig.8と Fig.9に示す.なお,

以後の図では,X線小角非弾性散乱で得られた

結果は,(small-angle) inelastic X-ray scatteringに

ちなんで,「IXS」と表記する.

 Fig.8と Fig.9のスペクトルを VUV反射測定

から得られた結果(Fig.5と Fig.6)と比較する

と,ベンゼンと水のどちらについても,誘電関

数や損失関数のスペクトル形状に大きな違いは

ない.しかし,それぞれの関数のピークの高さ

や凹みの深さには明らかな違いが見られる.た

とえば,Fig.9の○で囲んだ部分から,水の損

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

52 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

53X線分析の進歩 47

失関数の「21 eVピーク」の高さが 0.7程度で

あることがわかるが,これは Fig.6に示した結

果(1.1)の 7割以下である.

 こうした損失関数の違いは,(4)式を通じて

得られる誘電関数に影響を及ぼす.X線小角非

弾性散乱と VUV反射測定間の最も重大な違い

は,前者の方が,ベンゼンの 6.8 eVと水の 21

eVにおいて,ずっと浅い の谷を与えること

にある.VUV反射測定では,これらの値はそ

れぞれ −0.62と 0.42であり,液体中のプラズモ

ン生成の有力な証拠とされていた.しかしなが

ら,X線小角非弾性散乱より得られた値は,そ

れぞれ 0.90(より小さい 7.0 eVの値も 0.63)と

0.72であった.これら の「大きな数値」はと

もにプラズモンの生成条件( ; )

を満たさない.こうして,X線小角非弾性散乱

測定によって,「液体中のプラズマ」は,実験

的なよりどころを失ってしまった.

5.4 VUV反射測定との比較

 こうしてプラズモンの存在に関連する実験

データとして,それを示唆するもの(VUV反

射率)と示唆しないもの(X線小角非弾性散乱)

の 2系統が出てきたわけである.どちらが信用

できるか検討するため,VUV反射測定も X線

非弾性散乱測定も,複数のデータが公開されて

いるベンゼンの損失関数について,Fig.10で実

験データを比較してみた.まず,X線小角非弾

性散乱のデータについては,使用した光源も分

光器も,入射 X線のエネルギーも異なるにもか

かわらず,損失関数の一致はかなり良好で,不

一致は大体,実験誤差の範囲内であった.一方,

VUV反射測定のデータの方は,同じ実験室で,

たかだか数年違いで実施された結果であるにも

かかわらず,特に四角で囲った 8 eV以上のエ

ネルギー領域での違いが顕著であった.9 eV付

近では,損失関数の値がゼロか否かという,定

性的な違いさえ見られる.Fig.10は,X線非弾

性散乱実験の高い再現性とともに,8 eV以上の

VUV反射率の不確実さを示唆している.

 Fig.11に,2015年の X線小角非弾性散乱実

験から導出された結果 29)を含めた,水の Rの

エネルギー依存性 16, 42, 57)を示す.透明領域(水

では 7 eV以下)では,kと の値はゼロであ

り, で となる.透明領域では,屈折率や反射率の測定は容易であり,

Fig.8 X線小角非弾性散乱(IXS)測定によって得られたベンゼンの誘電関数と損失関数 29).

Fig.9 X線小角非弾性散乱(IXS)測定によって得られた水の誘電関数と損失関数 29).

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

52 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

53X線分析の進歩 47

得られた値の信頼性も高い.また, とな

る透明領域では,損失関数の値もゼロとなり,

X線小角非弾性散乱から得られる値はバックグ

ラウンドや多重散乱の補正,ひいては規格化定

数に非常に敏感になる 29).これらのことから,

非弾性散乱から導出した Rが光学的な実測値と

透明領域でよく一致したことは(Fig.11参照),

X線非弾性散乱のデータ解析が適切だったこと

を保証するものである.

 一方,ベンゼンの損失関数の結果(Fig.10)

と対応して,~9 eV以上のエネルギー領域では,

VUV測定結果の間でも,VUV測定と X線小角

非弾性散乱の結果の間でも,データ間の不一致

は大きい.closed cell法で測定された 1969年の

結果 42)と X線小角非弾性散乱の結果 29)がか

なりよい一致を示している一方,open dish法

で測定された 1972年 57)や 1974年のデータ 16)

は,お互いにかなり異なっているし,非弾性散

乱の結果との一致もよくない.概していえば,

open dish法による VUV測定 16, 57)は,反射率

を高めに見積もる傾向がある.こうした「ずれ」

は,液体の蒸気によって,入射光が強い吸収を

うけたためと考えるのが自然である 55).結局,

Fig.4のような様々な工夫をこらしても,なお

蒸気の影響は甚大であり,これが精度ある測定

を妨げ,反射測定値に大きなばらつきをもたら

したのであろう.実際,蒸気圧がより低い低温

(80 K)の氷の測定結果 58)は,相の違いを反映

して,スペクトル構造に違いはあるが,値その

ものは X線小角非弾性散乱の結果に近く,上の

推定を裏付けている.

 Fig.11にハッチした領域は,損失関数におい

て「水のプラズモン」と推測されたピークが

あらわれたエネルギー領域である.この領域の

反射率は,X線小角非弾性散乱から導出された

値やアモルファス氷の実験値より,2倍近く大

きい.この結果は,水の損失関数の強いピーク

と,それと結びついている の浅い谷の主因は,

VUV反射測定における(おそらくは蒸気によ

る)系統誤差であったことを強く示唆している.

 VUV反射測定から得られる損失関数や誘電

関数の誤差要因は,もうひとつある.それは,

クラマース・クローニヒの分散関係((3)式や

(4)式)を使う時に必要な,外挿の影響である.

X線小角非弾性散乱が~100 eVという,水,ベ

ンゼンどちらについても,主ピークがほぼなく

Fig.10 X線小角非弾性散乱(IXS)測定 29, 56)とVUV反射測定 15, 45)によって得られた,ベンゼンの損失関数の比較 .

Fig.11 水の反射率 16, 29, 42, 57)の比較 . 比較のため,アモルファス氷の結果 58)も示した .

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

54 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

55X線分析の進歩 47

なるエネルギー領域まで測定できるのに対し,

反射率測定ではアクセスできるエネルギー範囲

が狭く,高エネルギー側(ベンゼン[Fig.5]で

10 eV以上;水[Fig.6]で 26 eV以上)のデー

タを外挿で求めざるをえなかった(外挿の詳細

は不明).クラマース・クローニヒの分散関係

においては,高エネルギー側の寄与の影響が小

さいとはいえ(2章),こうした外挿は系統誤差

をもたらしうる.特にベンゼンの 10 eV以上の

損失関数は,Fig.8が示す通り,とうてい単純

な外挿ができる形状ではない.

 以上の結果と考察より,「分子性液体中のプ

ラズマ励起」という概念を生んだ「損失関数

の強いピーク」と「浅い の谷」は,「液体の

VUV反射測定の困難さ」と「測定可能なエネル

ギー領域の狭さ」がもたらした幻と結論できる.

5.5 q分散の検討

 2015年の X線小角非弾性散乱測定からは,

ベンゼンや水中でのプラズモン生成に否定的

な,別の結果も得られた.それは,プラズモン

由来のピークなら見られるはずの,q分散がまっ

たくないことである.Fig.12に,qが 0.23 a.u.

と 0.32 a.u.における,(a)ベンゼンと(b)水

の X線小角非弾性散乱スペクトル 29)を,主ピー

クで規格化して比較した.どちらの液体におい

ても,スペクトル形状はほぼ一致しており,有

意なピークシフトはどこにもない.NSLSでの

東北大グループの測定 54-56)から,水もベンゼ

ンも,非弾性散乱スペクトルが 0.3 a.u. 以下の

qで収束することは知られていたが,ここまで

の一致は,2015年 29)にはじめて確認されたこ

とである.Fig.12の結果は, a.u.という

条件で観測されるベンゼンや水の X線非弾性散

乱スペクトルを,q = 0の「光学的スペクトル」

とみなしてよいことを疑う余地なく示すもので

ある.同時にまた,ベンゼンや水の損失関数に

は,プラズモンも含めて,小さな qで変化する

成分がないことも立証している.そもそも,も

しベンゼンや水の中でプラズマ励起が起こって

いるなら,該当するエネルギー領域における X

線非弾性散乱スペクトルは収束せず,何らかの

分散(ピークシフト)を示すはずであった.実

は,X線小角非弾性散乱から光学的データが取

得できた時点で,プラズモンの存在は暗黙に否

定されていたのである.

 分子性液体の X線小角非弾性散乱に目立った

Fig.12 主ピークの強度で規格化した(a)ベンゼンと(b)水の q = 0.23 a.u.と 0.32 a.u.における X線小角非弾性散乱プロファイル 29).

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「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

54 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

55X線分析の進歩 47

q分散がないことは,次のような双極子近似の

議論からも納得できる.X線非弾性散乱が小さ

な qで収束するための条件は,双極子近似が成

り立つことであり,関連する電子の広がりの程

度を reとすると, と書ける 9, 48, 53).と

ころが,金属のプラズマ励起にかかわる自由電

子は reが大きい.だから,qを小さくしても,

とはならない.ベンゼンや水でプラズマ

励起が起こらないことは,これら分子性液体の

価電子が金属の価電子に比べて局在化している

こと,すなわち価電子の reが十分小さいことの

反映である.

 6. 分子性液体における電子励起

 5章の結果をふまえると,ベンゼンや水中の

電子励起については,以下のような,常識的な

結論が得られる.ベンゼンや水中では,少なく

とも金属のようなプラズマ励起は起こらない.

これらの液体の損失関数,ひいては吸収スペク

トルは,集団励起ではなく 1電子励起―それぞ

れの分子にかなり局在している電子の 1電子励

起―に起因している.たとえば,液体ベンゼン

の 7 eVのピークは,A1g→ E1uという分子内遷

移に基づくと考えられるし 17),水の 21 eVの

ピークは, という分子内励起に,

リュードベリ(Rydberg)状態への 1電子遷移,

さらには 1b1,3a1,1b2などの分子軌道にあっ

た電子のイオン化による寄与がたしあわさって

できたもの(集団励起ではなく,1電子遷移の

複合)59-61)と考えられる.

 ただし,正確な実験データが不足していたこ

ともあって,分子性液体の VUV領域の遷移に

は,まだよくわかっていないことも多い.たと

えば,水の損失関数における 8.5 eVの弱いピー

クは,凝集相で約 1 eVという,かなり大きな青

色遷移(高エネルギーシフト)を示す(一方,

ベンゼンの 7 eVピークはほとんどシフトしな

い)29, 55).このような水の青色遷移の原因はま

だ確定しておらず,分子科学のホットトピック

スのひとつとなっている.現在,「水素結合で

結ばれた周囲の水分子に広がったフレンケル励

起子」62)など,様々な理論モデルが提案され

ている最中である.実際,価電子の集団励起は

幻だったとしても,「1電子が励起した先の電子

軌道が,周囲の分子の軌道と(部分的に)混成

すること」は,分子間相互作用が強い系では,

大いにありうることである.X線小角非弾性散

乱が提供する高精度データは,こうした新しい

理論的研究の基盤になると期待される.

 7. おわりに

 4章で述べたオークリッジグループによる分

子性液体(特に水)の VUV反射測定は,当時

の最先端の実験であった.皮肉なことに,他の

追随を許さぬ先端研究だったからこそ,誤差が

かなり大きい(kの値にして約 20%)ことが原

著論文に明記してあるのに 16),測定値がひとり

歩きしてしまった感がある.東北大グループに

よる 2000年の X線小角非弾性散乱測定 55)に

よって,これと対抗するデータセットがはじめ

て提出されたものの,分析の専門家でない研究

者の一部は,2013年に至ってもなお,VUV反

射測定のデータと X線小角非弾性散乱のデータ

のどちらが正しいのか,判断しかねていた 63).

2015年の X線小角非弾性散乱の再測定 29)に

よって,こうした混乱は払拭されたと思う.こ

のように,「液体中のプラズマ」を巡る経緯には,

先端研究の意義と問題点,測定精度の吟味や再

測定の重要性など,多くの教訓が含まれている.

X線分光や放射線科学,光物性や液体の研究者

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56 X線分析の進歩 47

「水やベンゼン中のプラズマ励起」始末:VUV反射測定 vs.X線小角非弾性散乱分光

57X線分析の進歩 47

だけでなく,こうした問題に関心がある読者に

とって,本稿が何かの参考になれば幸いである.

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