エミリ・ブロンテの詩の世界 千、、リ・プロソテの...
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Title エミリ・ブロンテの詩の世界
Author(s) 奥村, 透
Citation 英文学評論 (1976), 36: 30-72
Issue Date 1976-12
URL https://doi.org/10.14989/RevEL_36_30
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
千、、リ・プロソテの詩の世界
エミリ・ブロンテの詩の世界
奥村
透
ユミリ・ブロンテ(拘mi-yBrOnt佃)は一八四八年十二月、結核のためヨークシャーのハワース(Hpw。rth)の牧師
館で三十歳の短い生涯を閉じたが、彼女がどういう性格の女性であり、何を考えていたかの多くは神秘のヴェー
ルに包まれている。それは彼女がきわめて寡黙で自己を表に表わさない女であったからと同時に、シャーロット
の書簡は沢山残っているのに対し、ユミリのそれは姉の親友エレン・ナッシー(E--昌2ussey)に宛てたものが数
通残っているだけで、書簡を通して彼女の思想を知る事が困難なためである。
幼くして母と二人の姉を亡くし、荒涼たる原野(m。。r)にとりまかれたハワースの牧師館で、気むずかしい父を
相手に、シャーロット、ブランウェル、ユミリ、アンの四姉弟妹がひっそりと肩を寄せあってどのような生活を
送ったかは、古来ブロンテ研究家たちの尽きざる興味の対象となり、多くの伝記が書かれて来たのであるが、中
でも最も周囲との交際を嫌い、自己の世界に閉じこもって、自己を表わす事をしなかったエミリが何を考え、何
を感じて生きて来たかは私にとって最も興味ぶかい問題である。ところで前述したように、彼女の考え方や人生
観を知る材料としては、書簡、日記、回想録などドキュメンタルなものは極めて乏しいのであるから、姉シャー
ロットをはじめ周囲の人たちが彼女について語ったエピソードの外は、彼女の文学作品、すなわち彼女がひそか
に書きためた一九〇篇余の詩と、小説『嵐ケ丘』(ミミ訂3.昌恥罫告ヱ以外にない。以下私は彼女の詩を精読する
事により、彼女の内面性に出来るだけ迫ってみようと思う。
ところで彼女の詩のほとんどは、彼女が妹のアンと空想で創りあげた、ゴンダル物語(GOnd巴訂gend)という
空想の世界に関するものである。この世界がどのようなものであったかという推定については、ラッチフォード
(Ratch訂rd)女史(3恥昏C芝㌻慧ひ亀C芸へさQ札〔-冠ご)やヒンクリー(躍nk-ey)女史(Cぎきミ宝丸的邑~ヽ〔-宗ヨ
などの専門家に任すより外にない。問題はこうした物語詩に書かれた内容を、果たして詩人自身のものとみなし
うるかどうかという事である。この点については私は、彼女はゴンダル物語詩を。mOuthpiece。として自己を
語ったとみなし、彼女の詩はゴンダルの物語を離れた一篇の詩として鑑賞すべきだという、ディレク・スタンフ
①
ォード(DerekSt呂fOrd)の意見に同意する。たとえ空想の物語に基づいて書かれたものであるにせよ、それを書
いたのがユミリである以上、そこに彼女の思想や感情がこめられていないとは考えられないからである。
さていよいよ彼女の詩の分析に入るわけであるが、まず第一にその背景をなしているハワースの自然について
触れねばならない。なぜならば彼女の詩はゴンダルという空想の世界をうたったものであるにもかかわらず、そ
こに描かれている自然は、彼女が住んだ荒涼たるヨークシャーの原野のそれに外ならない事が明瞭であるからで
ある。スタンフォードは、ユミリの描いた自然がどこにでも通用するuniくerS巴な自然と、ハワースの原野にし
②
か考えられないーOC巴な自然との結びつきの上に成りたっている事を指摘している。
Thenightisd害keningrcundme.
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一
エミリ・プロソテの詩の世界
エミリ・プロソテの詩の世界
Butptyr呂tSpeロhpsbOundme
AndIcaロnOt.CPロnOtgO,
Theg-aロttreeSarebendiロg
Theirb賀ebOughsweighedwithsnOW-
AndthestOrmis㌻stdescending
AロdyetIcpロロOtgO・
C-OudsbeyOロdc-Oudsab〇くeme,
Wp如teSbeyOndwastesbe-OW‥
ButロOthin的drep↓C呂mOくeme‥
Hw≡nOt,CannOtgO・
夜の闇はわたしの周りを包み、
荒れ狂う風は冷たく吹く。
しかし専横な呪文がわたしを縛って
わたしは行けない、行く事が出来ない。
巨木はしわり
裸かの枝は雪にたわみ、
嵐は速く降りてくる
③
(
2
P
∽
の
)
しかしわたしは行けない。
わたしの上には雲また雲が重なり、
下には荒野また荒野がひろがる。
しかしいかなる荒涼さもわたしを動かす事は出来ない。
わたしは行きたくもなく、行けない。
ここに措かれた自然は冬の夜の原野の荒涼とした自然である。ユミリの措く自然に冬のそれ、しかも夜の自然
が圧倒的に多い事は、誰にも気のつく事柄である。そして。drepr。あるいは。dreary。という形容詞が如何に
たびたび現れる事か。この事は対象となっている自然が、北国ヨークシャーの寒く暗うつたる自然であるという
だけでなく、詩人千、、少の内面性とも関係があるように思われる。しかも先の詩はそうした自然に生まれつき、
そこに住む事を宿命づけられた詩人の感慨を歌っているのである。ブロンテ姉妹、特にエミリが如何にハワース
の原野を愛し、姉妹や兄とあるいは下女のタピー(T旨by)と愛犬を連れて原野を散歩し、思索し、自己をつくり
あげていったかは、ギャスケル夫人(Mrs.Gpske--‥↓訂卜首鼠Cgきミ迦萱三悪以下多くの伝記作家が等しく指
摘しているところである。余りにも良く知られたエピソードであるが、彼女は姉シャーロットとMissW00-er
の寄宿学校へやられた時も、ホームシックから暫くでハヮースへ帰って来ねばならなかった。以下はその事情を
説明した有名なシャlPットの言葉である。
わたしの妹エミリは原野を愛しました。ばらよりあでやかな花も、彼女には最も黒いヒースの中で花開きま
した1鉛色の丘の辺の陰うつな窪地から、彼女の心はエデンの園を造る事が出来ました。彼女は荒涼たる孤
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独の中に、多くのいとしい喜びを見出しました。そして同じく最も愛されたのは自由でした。自由こそはエ、、、
リの鼻の息だったのです。それがないと彼女は滅びました。自分の家から学校への変化、自分のきわめて静か
できわめて隔絶されてはいるが制限のない人工のない生き方から、規律に縛られた日常(最も御親切な援助を
得てはおりますものの)への変化は、彼女の耐えられないところでした。彼女の本性がここでは彼女の忍耐よ
り強すぎたのです。毎朝彼女が目覚めると、故郷と原野の姿がどっと彼女に押しょせ、彼女の前にあるその日
を暗くし悲しくしてしまうのです。わたし以外彼女の悩みは知りません。わたしは知りすぎるほど知っていま
④す。
流石にシャーロットは妹の個性をよく見抜いていたといえる。ハワースの自然は彼女にとって単に背景ではなく、
彼女の存在そのものであった。次にもう一つ原野に寄せる強い愛着を述べた詩をみよう。
句Orthem00rS二〇rthem00rSWheretheshOrtgl試S
Likeくe-くetbenepthusshOu-d-ie一
句Orthem00rSこOrthem00rSWhereepchhighppss
ROSeSunnyagだnStthec-earsky・l
句Orthem〇〇rSWherethe-innettriEng
-tssOngOntheO-dgr呂itestOne‥
Wherethe-ark-thewi-dsky-Prkwas已-ing
円くerybreastwithde-ight-ikeitsOWn・
What-pロgu品eCPロutterthe訂e-ing
ThatrOSeWhen、Ee私-eEpr.
〇ロthebrOWOha-One-yhiEknee-iI-g
IsPWthebrOWnheathgrOWiロgthere・
原野を、短い草がぴろうどのように
わたしたちの下にある原野を/
原野を、晴れた空を背景に高い小道が
それぞれ日を浴びて上る原野を/
古い御影石の上で紅ひわが
歌を鳴っている原野を。
雲雀がー野雲雀が皆の胸を
それのと同じ歓びで充たしている原野を。
どんな言葉が述べつくせよう
ひとけ
遠い流浪の地で、人気ない丘の端に
膝まずいて、そこに茶色のヒースが
生えているのを見た時に沸きおこる感情を。
(20.3)
これは前に引用した詩と異なって、鳥が歌い柔らかな草の敷きつめた、明るい春か夏の原野を歌ったものである。
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この流罪に処せられたゴンダル物語の主人公は、はるか異郷の地で故郷の自然に想いをはせているのである。
=FOrthem00rS。という主語も動詞もない句の繰返しが、原野に寄せる郷愁を如何に痛切に表現している事で
あろうか。エミリの詩の中には、このように敵地に捕えられているゴンダルの人物たちに托して、ハワースの原
野によせる愛着を歌ったものが外にも数薦ある。
次に自然が単なる背景としてではなく、人間に能動的に働きかけてくる詩を見てみよう。
FOreStSOれheather.darkand-On嬰
Wpくetheirbr〇Wn.brpロChing害mSabOくe-
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Andtheymustshie-dmychildO=○くe-
AFs.the曲pkesareheaくi-yf已-ing…
TheycOくerfpsteachgu罵diPロCreSt‥
Andchi】-ywhitetheirshrOudisp巴-ing
Thyfr02en-imbspndfreeZingbrepst・
黒く長いヒースの繁みが、
茶色の分岐した腕を上で振って、
その歌で汝を慰さめる。
そしてわたしの愛の子供をかばう/
(
2
0
.
-
0
∞
)
ああ、雪片が繁く降って、
それぞれ守護する山頂を速く覆う。
そして冷たく目くその経惟子が降りて
汝の氷った身体と氷りつつある胸を包む。
これは.AFareweutOA-egndrip、という表題が示すとおり、死者に対するエレジーの中の二スタンザであ
る。ここではヒースがそのそよぐ音で死者の苦しみを癒し、雪が死者の氷った身体を経惟子のように包むのであ
る。ここでは自然は単なる背景ではない。自然は人間に働きかけ、両者の間に相互的な関係が生じている。自然
は物言わぬ冷たい対立物ではなく、暖かく人間を包み、共感するかのように人間に語りかける。ここにはワーヅ
ワスの詩に見られるような、自然と人間との共感がみられるのである。スタンフォードはこの点について、「自然
はここでは非人間的で反応のない枠組にとどまらない。むしろ我々はこの共感的背景から、反響が詩の前景へ伝
⑤
わる感じを受ける。」と言い、更に論を進めて「エミリの詩における、ヨークシャーのイメージを述べるにシモ
ンズ(ArthurSymOnS)の言葉を適用するならば、『それらの実在において本質的なものは何も失われず、それら
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
⑥
はもはや裸かの現実のものではなくなった。芸術が自然を凝縮するように、精神がそれらを凝縮したのである。』」
と述べている。
こうした自然観が更に進むと、自然の森羅万象に神を見る考え方へと発展する。
lnsummer、smeロOWmidnight-
Ac-Oud-essm00nShOnethrOugh
ユミリ・プロソテの詩の世界
千、、リ・プロソテの詩の世界
Ou↑OpeロPar-OurWindOW
AndrOSetreeSWetWithdew.
天
Hsatinsi-entmus-ng-
ThesOftwiロdwaくedmyhair‥
IttO-dm①HepくenWaSg-OriOuS.
Ands-eep-ngEprthwps㌻ir・
HneedednOtitsbreathing
TObringsuchthOughtstOme.
出utsti-〓twhispered-OW-yI
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:Thethick-ea忌Sinmymu↑mur
Arerustling-ikePdrepmV
Anda-HtheirmyriadくOices
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・
こ
夏の柔らかで美しい真夜中、
曇らぬ月光が開いた
(N〇.-合)
客間の窓を通して射しこみ、
ばらの木は露に濡れている。
わたしは黙して物想いに沈み、
そよ風がわたしの髪をそよがせた。
それはわたしに語った。天は輝かしく
眠る大地は美しい事を。
そのような考えを懐くのに
わたしはその息吹きを必要としなかった。
しかしそれは低く囁いた、
「森が如何に暗いだろうかを。
繁る木の葉はわたしのつぶやきに
夢のようにさらさら音をたてている。
そしてその無数の声は皆
霊をはらんでいるようにみえる。」
この詩において詩人は部屋に射しこむ月光に、あるいは髪にそよぐそよ風に、さらさら鳴る木の葉に、目に見え
ぬ神、あるいは超自然的な力の存在を感じとっている。そよ風が、「天は輝かしく」「大地は美しい」と詩人に囁
きかけ、木の葉の声は「霊をはらんでいるようにみえる。」ユミリはワーヅワスと同じく、自然の森羅万象に人
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智を超えた霊妙な力の存在を見、その声に耳を傾け、それと同一化しようとしているのである。彼女にとって天
国はこの世を離れた彼方にあるのではなく、彼女の生まれ育ったハワースの原野にあったのである。その意味で
彼女の考えは、現世を離れた所に唯一の神を見ようとする、キリスト教の考え方と異なっている。すなわち彼女
の考え方は汎神論である。スタンフォードはエ、、、リの詩の四つの特質の一つに汎神論を挙げ、「自然(物質的現
象を通して発展する法則や過程のグループとしての)は常に彼女を、そうでなかったら彼女が棄てたいと思った
⑦
かもしれぬ道徳的実存へ縛りつける、唯一の物質的絆であった。」と述べているのは、その意味で正しいと言わ
ねばならない。「エミリは大地の生命を人間の生存中の救済の魅力の唯一の源と感じたように、大地の生命は個
⑧
人の死後でさえもなお人間の究極的な慰さめであると感じる」のである。このように来世の天国よりも大地に執
着する考え方は、彼女の小説『嵐ケ丘』にも見られる。しばしば引用される有名な次の詩をみれば、ユミリのこ
うした考え方が一層明らかになるであろう。
}seearOuロdmetOmbstOneSgrey
StretchingtheirshadOWSfarPWpy.
宙eneaththetur{my訂OtStePStre註
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田ene翼htheturf-benepththemOu-d-
句Oreくerdprk.訂reくerCO-d、
Andm叫eyeSCpロnOthO-dthetears
ThptmOmOryhOprdsfrOmくanishedyears‥
ForTimeandDeathandMortalpaln
Givewoundsthatwillnothealagaln.
Letmerememberhalfthewoe
I'veseenandheardandfeltbelow,
AndHeavenitself,SOPureandblest,
CouldneverglVemySpiritrest・
Sweetlandoflight!thychildrenfair
Knownoughtakintoourdespalr;
Norhavetheyfelt,nOrCantheytell
Whattenantshaunteachmortalcell,
Whatgloomyguestsweholdwithin-
Tormentsandmadness,tearSandsin!
Well,maytheyliveinextasy
Theirlongeternityofjoy;
Atleastwewouldnotbringthemdown
Withustoweep,Withustogroan・
No-Earthwouldwishnootherspherc
Totastehercupofsufferingsdrear;
SheturnsfromHeavenacarelesseye
巧り′含・'卜nゝlhe絃e鄭曝 巴l
り・・′急・.卜nゝlト銅振糧聴
Andonlymournsthatwemustdie!
Ahmother,Whatshallcomfortthee
Inallthisboundlessmisery?
Tocheeroureagereyesawhile
Weseetheesmile;howfondlysmile!
Butwhoreadsnotthroughthattenderglow
Thydeep,unutterablewoeP
Indeed,nOdazzlinglandabove
CancheattheeofthyChildren'slove・
Weall,inlife'sdepartingshine,
OurlastdearlonglngSblendwiththine;
Andstrugglestillandstrivetotrace
Withcloudedgaze,thydarlingface.
Wewouldnotleaveournativehome
ForanyworldbeyondtheTomb・
Nopratheronthykindlybreast
Letusbelaidinlastingrest;
Orwakenbuttosharewiththee
Amutualimmortality・ (No.149)
巴11
わたしの周りには灰色の墓石が
遠くその影をのばしているのが見える。
わたしが踏む芝土の下には
物いわぬ死者が低く淋しく横たわっている。
芝土の下に、土くれの下にー
永遠に暗く、永遠に冷たく、
わたしの目は記憶が過ぎ去った歳月から
貯えた涙を抑える事が出来ない。
時と死と人間の苦しみは
二度と癒える事ない傷を与えるから。
わたしが下で見、聞き、感じた
悲しみを半分想い出させ給え。
いとも浄く祝福された天は
わたしの魂に安らぎを与える事は出来ないだろう。
美しい光の国よ/汝の美しい子供たちは
我が絶望に似たものを知らない。
また彼等は感じた事もなく言う事も出来ない
それぞれの人間にはどんな物が住んでいるか、
我々の中には如何に陰うつな客がいるかを、
苦しみと狂気、涙と罪がいることを/
エミリ・プロソテの詩の世界
嬰
千、、リ・プロソテの詩の世界
彼等が至福のうちに
その長い永遠の歓びを生きるように。
少くとも我々は彼等を我々と共に欺きへ、
我々と共に坤きに引き下さないようにしよう。
いや、大地は外の天体がその辛い苦しみの
杯を干すのを望まないだろう。
彼女は天から不注意な日をそらせて
我々が死なねばならぬ事を欺くのみだ/
ああ母よ、この果てない悲しみにおいて
何が汝を慰さめるだろうか?
暫し我が熱い目を励ますため
汝が微笑むを見る。如何にいとおしく/
だがその優しい光を通して汝の深く
言いつくせぬ欺きを読まぬ誰があろう?
実際眩しい天上の国は
汝からその子供の愛を欺しとる事は出来ぬ。
我々は皆生命の去りゆく輝きの中にあって、
我が最後の願望は汝のそれと混じる。
そしてなおもがき、曇った目で
いと
汝の愛しの顔を跡づけようとする。
四四
我々は我が故郷を棄てないだろう
墓を越えた世界を求めて。
いやーむしろ汝の優しい胸の上で
横たわり永遠に安らごう。
あるいは目覚めて汝と分ちあおう
相互の不滅を。
この詩で明らかなように、詩人は死者の安息の地を天国でなく、故郷の墓の中に求めている。自分の足の下の地
下に眠る死者に共感を感じている。先述したごとく、ユミリの死生観がキリスト教のそれでなく、異教的なもの
であったと考える所以である。こうした考え方は何に由来するものであろうか。牧師館という墓場に取巻かれた
環境に育ったせいであろうか。いや、そんな単純な原因で割りきれるものではあるまい。もっともっと底の深い、
彼女の内面性に発するものであろう。
次にエミリの詩に夜を歌ったものが多い事は先に指摘したとおりであるが、これは彼女がひとり沈思黙考にふ
けるには夜がふさわしく、昼はそれを妨げる意味で嫌われたのだと考えられる。このユミリの夜への愛好と昼へ
の嫌悪はウィニフレッド・ゲラン(WinifredGかrin)も指摘しているところで、その例として彼女は次の詩を挙げ
ている。H
首hpppiestwhenヨOStpWpy
Ic呂be害mySOu-昔OmitshOme〇fch)1
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エミリ・プロンテの詩の世界
ユミリ・プロソテの詩の世界
AndtheeyecaロWaロderthrOughwOr-dse=i嘗t-
WhenIaHnnOtandnOnebeside-
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ButO已yspiritwanderingwide
ThrOughinPniteimmensity・
わたしは一番幸せだその肉体から
魂を一番遠く運べる時。
月の輝く風の強い夜
目が光の世界を通してさまよえる時。
わたしが居らず外に誰もいない時。
地球も海も曇らぬ空もなく
ただ魂が無限の広漠さの中を
広くさまよう時。
(甥〇°監)
詩人の魂は肉体の殻を逃れ、無限に広漠たる宇宙を自由奔放に飛翔している。彼女の空想は遮るものを知らず、
どこまでも自由に夢を追うて駆けめぐる。そこには現実生活の悲惨も幻滅もない。あるのは、欲しいままに空想
の世界に遊ぶ恍惚の歓びがあるのみである。ここにはゴンダル物語の世界に生きた夢想の詩人、エミリの面目躍
如たるものがあるではないか。ゴンダル物語の世界に遊ぶ時、彼女はハワースの牧師館に生きる暗い現実を忘れ
る事が出来た。そしてその空想を思うままに駆使するのに最も適した時間こそ、彼女が一人になれる夜であった
のである。ゲランはエミリのこうした特質を指摘して、「彼女は既に光の詩人としてより、むしろ闇の詩人として
⑨
成長しっつあったのであり、自分のプライヴァシーを侵すものとして太陽を避けていた。」と述べている。また
スタンフォードもエミリにおける夜の意味の重要性を指摘して、「彼女の『内的』宗教を扱うエミリのこれらの
詩において、天恵の観念は私が夜に対する霊知の信仰(。pgn。Sticcu-tehnight。)と述べるものと結びついてい
⑬る。」と述べている。つまりエミリが実在界を超えた神秘的な天の啓示を受けるには、夜でなければならなかっ
たのである。すなわちスタンフォードが言うごとく、「エミリの考えにおいては夜は『聖中の聖なるもの』(。a
⑪
hO-y。鴫hO-ies。)の接近を前触れする、あの儀式的状況の一つであったと考え」ねばならず、また「夜は他方世界
を暗くするので、すべての不均衡や相違は帳消しになるように思われる。そしてこの相違の除去から新しい統一
⑫
が生まれるようなのである。」
次にスタンフォードはエミリの詩の四つの特質の一つとしてストイシズムを挙げているが、それは次に挙げる
ような詩に見られる。
RichesIhe-din-ightesteem
AndLOくeI-aughtOSCOrn
And-ustOfFamewpsbutadream
ThatくanishedwiththeHnOrn-
AロdifIpray二heOn-ypr童er
ThptmOくeSmy-ipsfOrme
エミリ・プロソテの詩の世界
エミリ・プロソテの詩の世界
ls-=LepくetheheprtthatnOWlbepr
Andgiくeme-iberty・。
Yes-p∽mySWi宗d葛Sロep↓theirgOa-
、Ti∽aEthatHimp-Ore-
ThrOugh-i訂anddepth.achain-esss〇u-
WithcOur品etOendure一
わたしは富を軽く見る。
そして愛を笑い蔑む。
そして名声への欲望は朝と共に
消えた夢にすぎない。
もしわたしが祈るなら、わたしの唇
を動かすただ一つの祈りは、
「今わたしの持っている心を残し
我に自由を与え給え」である。
しかり、我が速やかな日々が終りに近づくにつれ、
わたしの願う事のすべては、
生死を通じ耐える勇気と共に
とらわれぬ魂を、である。
(20.-会)
四八
詩人は富も愛も名声も要らぬ、ただ耐える勇気と魂の自由だけが欲しいと言う。一七八番の詩においてもDuty
を讃美し、出eputyとMirthを非難し、地上の快楽を求める者はHepくen-yknOW-ed駕やWisdOmは得られ
ないと述べている。ユミリによれば美は。TreacherOuSa--the-uresOhBeauty\ThOrnybudandPOisOnOuS
POWe二、、であり、歓楽は。Mirthisbutpm註begui-ing\OhthOgCEen-giftedTime㌦であり、愛は
。LOくeもdemOnlmeteOrIWi-ing\Heed-ess訂ettOgu-訂Ohcrime。である。すなわち彼女は現世におけるあ
らゆる快楽をことごとく否定しているのであって、これは全く峻厳なストイシズムであると言わねばならぬ。周
囲を荒涼たる原野に囲まれ、隣りに墓石の立ち並ぶ牧師館にあって、語りあうべき友もなく、愛すべき恋人もな
く、華やかな晩餐会や舞踏会といった社交もなく、ただ自己の魂のみを相手に暮していた彼女が、このようなス
トイックな生活態度を身につけていった事は、きわめて自然といえるだろう。姉と一緒に遊学したブラッセルズ
のユジェ夫人の学校でも、他人に対してはほとんど語る事をしなかったという彼女の寡黙は、果たして天性によ
るものであろうか、それとも前述した環境による後天的なものであろうか。私は両方の要素が結びついていると
思う。すなわちエ、、、リならばこそ、恋もせず友もつくらずあのような環境に耐え得たのであり、また環境が彼女
をますます孤独に、ストイックにしていったのではないか。しかし臨終が迫るまで、姉妹がどんなに頼んでも医
者を近づけるのを拒み、病み衰えた身体で、いつもと変らず愛犬に餌を与えたという有名なエピソードを読む時、
同じ生活を共にした姉のシャーロットや妹のアンに比べ、エミリには天性人間を超越した、強靭で神秘な自我が
あったと思わずにはいられない。それは彼女の小説『嵐ケ丘』を、シャーロットの『ジェイン・エアー』やアン
の『アグネス・グレイ』と読み比べればすぐにわかる事である。三姉妹はカラー、エリス、アクトン・ベル(Currer.
同=i。-・。t。。出訂l-)という男のペンネームで詩集と小説を発表するが、最後まで出版社に本名を表わす事に反対し
号、リ・プロソテの詩の世界
エミリ・プロソテの幹の世界
たのがエミリである事も、彼女の名声に対する反感を示すものといえる。
ところでストイシズムは、彼女が現実の挫折や不満にうち克つため、自らに讃したものであったと考えられる。
彼女は現実的な欲望を抑える事によって自らの魂を清浄に保ち、空想の世界で現実を超えた、より高いものに触
れる事を願ったのであろう。なお我々は。pch巴已esssO已\WithcOuragetOendure二、という、先に引用し
た詩の最後の二行に注目せねばならぬ。「耐える勇気を持ったとらわれぬ魂。」これこそエミリの個性を示すに最
もふさわしい言葉ではないか。そこにはどんな逆境にも耐えてゆく不屈の意志力が見られる。と同時に何物にも
自己の魂の拘束を許さぬ、誇らしい自負が読みとれる。彼女は自由に空想の世界に生きる事により、現実の欲望
に何層倍する歓びに浸る事が出来たのである。
⑬
スタンフォードはユミリのストイシズムの原因を彼女のペシミズムに帰している。事実彼女の詩の世界は暗く、
絶望や幻滅を歌った詩は数多い。その一例を挙げると次の詩がある。
S-00pbringsnO】OytOme.
Remembrpnceneくerdies‥
MysOu=sg-くeロtOmisery
Aロd-iくeSinsigh切・
S-eepbri-品SnOreSttOme‥
TheshPdOWSO輪thedead
Myw町村iロgeyeSmayneくerSee
Surroundmybed・
Sleepbringsnohopetome;
Insoundestsleeptheycome,
Andwiththeirdolefulimagery
Deepenthegloom・
Sleepbringsnostrengthtome,
Nopowerrenewedtobrave,
Ionlysailawildersea,
Adarkerwave.
Sleepbringsnofriendtome
Tosootheandaidtobear;
Theyallgaze,Oh,howscornfully,
AndIdespalr.
Sleepbringsnowishtoknit
Myharassedheartbeneath;
Myonlywishistoforget
亘り′ユ・'卜nヽ1トe総合剋曝 屑1
ユミリ・プロソテの詩の世界
Ins-eepOhdeatF
眠りはわたしに歓びをもたらさない。
想い出は決して死なない。
わたしの魂は悲惨に暮れ
溜息のうちに生きる。
眠りはわたしに休息をもたらさない。
目覚めたわたしの目に見えぬ
死者の亡霊が
わたしの枕辺を囲む。
眠りはわたしに希望をもたらさない。
最も深く眠っていても彼等はやって来る。
そして悲しい映像で
陰うつきを深める。
眠りはわたしに力をもたらさない。
うち向かう力が蘇らない。
わたしはただ荒れた海を行く、
暗い波間を。
(ZO.ぷ
五
眠りはわたしに友をもたらさない。
慰さめ、助けて耐えさせてくれる友を。
彼等は皆見つめる、おおなんと軽蔑的に。
そしてわたしは絶望する。
眠りは下で悩むわたしの心を
繕う望みをもたらさない。
わたしのただ一つの望みは
死の眠りで忘れる事である。
これだけを見ると、エミリには絶望以外何もないように思える。詩人は暗い現実に押しひしがれて、自殺にしか
慰さめを見出しえないように思われる。しかしユミリの性格は決してそんな弱いものではない。次の詩を読めば、
我々は彼女の強靭な意志とねぼり強さに驚くであろう。
Farawpyisthe-PndOhrest-
ThOuSandmi-esprestretchedbetween.
ManyamOunt巴n-sstOrmyCreSt-
ManyadesertくOidOfgreen・
Wasted.wOrnisthetraくeEOr‥
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千、、リ・プロソテの詩の世界
号、リ・プロソテの詩の世界
WithOuthOpeOrCOm訂rterI
句au-teringこaintandre乱ytOdie・
〇{tenheFOkstOtheruthlesssky-
Oftenhe-00ksO.erhisdre害yrOpd.
〇苫enhewishesdOWntOにe
Andrenderup-i耳stiresOme-Oad,
田utyetf巴ntnOt-mOurnfu-m呂‥
LeaguesOn-e品ueSare-eftbehind
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IfyOuSti-1despa-rノCOntr♀
Hushitswhispersiny〇urbrepstI
YOuSF巴-rePnhtheDn已gO巴、
YOuSh巴-wiロthe-andOhrest.
(20.UN)
休息の地ははるか遠い。
間には千マイルの距離がのぴている。
五四
嵐の荒れ狂う多くの山の峯が、
録のない多くの砂漠が。
旅人は消耗し疲れ果てている。
彼の心は暗く彼の目はかすむ。
希望も慰さめる人もなく、
よろめき、弱り、死にそうだ。
しばしば彼は無情な空に目をやる。
しばしば彼は陰うつな道を見やる。
しばしば彼は横になり、
人生の大儀な重荷を投げだしたいと願う。
しかし欺きの人よ、気を失うなかれ。
汝の日のあたらぬ旅が始まってより
何リーグもの道を後にして来たのだ。
だから苦しみに甘んじて行き続けよ。
もしまだ汝が絶望を克服し、
胸の中の噴きを静めれば、
汝は最後の目的地へ達するであろう。
エミリ・プロソテの詩の世界
五五
ユミリ・プロソテの詩の世界
汝は休息の地を勝ちうるだろう。
前途程遠い安息の地を前に、疲れ果てた旅人に向かって詩人は激励する。あなたが絶望を克服しさえすれば、必
ず目的地に到達できると。これは何と強靭な意志とねぼり強さであろうか。私にはこの旅人はユ、、、リ自身であり、
現実の暗さと絶望に挫折しそうになる我が身に、叱咤の鞭を呉れているように思われる。事実彼女は三十年の暗
くもの憂い人生を、心中このように我と我が身を励ましながら、懸命に生きつづけたのではなかろうか。また有
名な次の詩の第一スタンザでは、彼女は昂然と宣言する。
20COWardsOu-isHnine
Z0tremb-elinthewOr-d-sstOrmltrOub-edsphere
IseeHeaくen、sg-Oriesshine
AndFaithshinesequa-a↑m-ngmefrOmFear
わたしの魂は臆病な魂ではない。
この世の嵐に悩む天体で震えている老ではない。
わたしは見る天の栄光が輝き
信仰が等しく輝いて恐怖からわたしを守るのを。
(20,-巴)
。20COW害dsOu=smine..というのは暗く残酷な現実に投げかけた、エミリの敢然たる挑戦である。何とい
う自信に充ちた凄い言葉であろうか。先に引用した詩に見られる、絶望をかこっていた同じ詩人の言葉とはとて
も信じられない。彼女の心中には片方に暗い絶望が、もう一方には強固な闘志が併存していて、両者は常に激し
⑩
く闘っていたと考えられる。ではゲランの言う「彼女の人生の世俗的な事実と彼女の喝望との不一致」を克服す
る途はいずれにあるのか。それは空想の世界に遊ぶ事にあり、immOrta-ityの世界へ離脱する事にあった。彼女
は外の世界が如何に暗く厳しくとも、内なる真実を守れば恐れる事はないと言い、ヱmagiロatiOn、-に次のよう
に呼びかける。
Whenwearywiththe-Ongday、sc害e-
Andearth-ychange昔Ompa5tOpa-nI
And-OSt-andreadytOdespa巳ご
ThykindくOicec巴訂meback品a5-
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ThewOr-dwithinIdOub-ypコNe一
ThywOr-dwheregui-epロdhateanddCubt
AndcO-dsuspEOnneくerrise‥
WherethOu呂dI呂dLiberty
=aくeundisputeds〇くere-gnty・
エミリ∵フロンテの詩の世界
巧・′′1・.卜nヽlトe舵e剋曝
Whatmattersitthatallaround
Dangerandgriefanddarknesslie,
Ifbutwithinourbosom'sbound
Weholdabrightunsulliedsky,
Warmwithtenthousandmingledrays
Ofsunsthatknownowinterdays?
Reasonindeedmayoftcornplain
ForNature'ssadreality,
Andtellthesufferinghearthowvain
Itscherisheddreamsmustalwaysbe;
AndTruthmayrudelytrampledown
ThenowersofFancynewlyblown.
Butthouartevertheretobring
Thehoveringvisionsbackandbreathe
Newglorieso'ertheblightedsprlng
Andcallalovelierlifefromdeath,
Andwhisperwithavoicedivine
Ofrealworldsasbrightasthine.
同く
ltrustnOttOthyph呂tOmb-iss-
Yet翼i--inのくening、squiOthOur
Withneくer・f巴-ingthPロkfu-n巾∽∽
Iwe-cOmetheeIbenignantpOWer,
SuresOFcerOfhuHnpnCPreS
AロdbrighthOpeWheロhOpedesp巴rS.
長い一日の煩いや苦しみから苦しみへの
世俗の変化に疲れ、
そして当惑し絶望しかかる時、
汝の優しい声がわたしを又呼び戻す。
おおわたしの真実なる友よ、わたしは淋しくない、
汝がそんな調子で語ってくれる間は。
外の世界はまことに絶望的だ。
わたしは内なる世界を倍まして尊ぶ。
策謀も憎悪も疑心も
冷たい清疑も決して起こらず、
汝とわたしと自由が異論なく支配する
汝の世界を。
ユミリ・プロソテの詩の世界
(20.-可舎
五九
テ、、リ・プロソテの詩の世界
まわりに危険や悲しみや暗さがあっても
それが一体何だというのだ?
もし我々の胸の中に
冬の日を知らぬ太陽の、
一万もの混じった光で暖かい
けが
輝く汚れない空を我々が持ちさえすれば。
理性はしばしば自然の
悲しい現実をこぼし、
悩む心にその抱いた夢が
常に空しい事を告げるかもしれない。
そして真実は新しく開いた空想の
花を無惨に踏みにじるかもしれない。
六〇
しかし汝は常にあって
たゆとう幻を呼び戻し
枯れた春に新しい栄光を吹きかけ
死からより美しい生を呼び、
聖なる声で汝のそれのように輝かしい
真なる世界の事を囁く。
わたしは汝の幻の祝福は信じない。
しかし夕べの静かな時
決して衰えぬ感謝をもって
わたしは汝を歓迎する、恵みぶかい力よ。
人間の煩いの確かな慰さめ手よ。
希望が絶望する時の輝く希望よ。
これで明らかなように、イマジネーションこそユミリに現実の苦しさを忘れさせ、彼女を永遠なる世界へ導く
「慰さめ手」であった。それは彼女と自由と想像力のみが支配する世界であり、その世界にある時彼女は孤独で
はなかった。彼女がハワースの牧師館で掃除や料理といった労働に従事しながら、姉のシャーロットにも内緒で、
こつこつと書きためていったゴンダル物語の世界は、こうしたイマジネーションとの語らいから生まれたもので
あった。想像力こそ彼女にとって目に見えぬ友であり、恋人であり、生き甲斐だったのである。
さてこのように空想によって永遠なる世界に遊ぶ事が出来ると、死による。eternity。はむしろ楽しい安息と
なる。
ldie‥butwhenthegrpくeSh巴-preSS
Thehearts0-On的endepredtOthee.
Whenearth-ycaresnOmOredistress
Andeprth-yjOySarenOughttOme"
エミリ・プロソテの詩の世界
エミリ・プロソテの詩の世界
WeepnOt,butthinkthpt-haくeppSt
田巴OretheeO.eHpSeaO{g-00m-
音aくeanChOredsa訂.andrestat-ast
WheretearsgdmOuTn-ngCannOtCOme.
、TisIshOu-dweeptO-epくetheehereI
Oロth翼d胃kOceaローSai-ingdrear-
WithstOコBSarOuロdand訂arsbe訂re
AndnOkind-ighttOPOinttheshOre・
田ut-OngOr註OTtthOughEem31be
、TisnOthin的tOeternity‥
WepartbelOWtOmeetOnhigh
Whereb-iss2-品eSロeくerdie,
わたしは死ぬ。しかし墓がひじょうに長く
汝にいとおしまれた心を押しっける時、
世俗の煩いがもはや悲しませず
世俗の歓びがわたしに無となる時、
泣かずに、わたしが汝より先に
(宅c.舎)
ち
陰うつの海を越えたと考えよ。
無事に錨を下し、涙も欺きも
来れぬ所でついに休ろうたと。
汝をここに残す事をわたしは欺く。
あの暗い大海原を陰うつに行くままに、
周りには嵐が、前には恐怖があり
岸を指し示す優しい光のないままに。
だが人生が長かろうが短かかろうが
それは永遠に比べれば無に等しい。
我々は下で別れ高くで会うのだ
至福の時代が決して死なぬ所で。
死の世界には現世にない静謎がある。そこには世俗の煩いも歓びもない。そこは涙もなく欺きもない安息の港で
ある。詩人はそこに永遠の安息を見出し、現世の喜怒哀楽の波に揉まれて生きている人間を哀れんでいるかにみ
える。エミリは一七七番の詩でも同じく死の世界に安息を見出し、そこでは魂が神に会うと歌っている。。Wの
P賀tbe-OWtOmeetOnhigh\Whereb-iss2-品eSneくerdie∴、というのは霊魂の不滅を意味するもので、古
来最も普遍的な死についての解釈である。ゲランはこの「死を生の充足とみる考え方」についてシェリー(P・声
⑮
She--ey)との類似を指摘し、「両者ともに現世でなく永遠に慰さめ(。(OmfOrt。)を求めた」と述べている。
エミリ・プロソテの詩の世界
エ
ミ
リ
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プ
ロ
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テ
の
詩
の
世
界
六
四
ところで死に永遠の慰さめを求めるからには、霊魂の不滅と、死における霊魂の肉体からの解放に対する固い
信念がなければならない。次の詩はエミリのそのような考え方を歌っている。
IdidnOtS-eep∴twasn00nOhday-
Isawtheburningsunshine㌻l-.
The-OnggrpSSbendin的WhereHFy-
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Andsingmgbirds呂dsighingtrees-
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TheMusicOftheSabbpthbeF
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田utlpmsu↓ethesOulis昔ee
TO-epくeitsc-ayP-itt-ewhi-e、
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COu-dIhaくeSeenmyCOuntrySmi訂~
IロEnglish許ldsmy-imbswereEd
WithEng-isht害蝿beneathmyhead一
MyspiritwanderedOぎthatshOre
WhcrenOughtbutitmaywpロdermOre・
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And<ain-ydidyOudriくemefpr
With訂aguesOhOCe呂StretChedbetween‥
MymOrta-PのShyOumightdebarI
出utnOttheetcrn巴かrewithin.
(20.-OD)
わたしは眠らなかった。時は真昼で、
わたしは燃える日の光が落ち、
わたしの横たわっている所で長い革がしわり、
青い空がすべての上に立ちこめるのを見た。
わたしは甘い蜂のさざめきを開いた。
歌う鳥の声とそよぐ木々の声を、
そしてはるかな木だちの谷間に
エミリ・プロソテの詩の世界
六五
エミリ・プロソテの詩の世界
安息日の鐘の音を。
わたしは夢をみていなかった。記憶はなお
わたしの心を冷たい伽のように締めつけた。
しかしわたしは確信する魂は自由で
暫くその肉体を離れる事を。
でなければ悲しい流浪の身でどうして
我が祖国が微笑むのを見得ただろうか?
わたしの身体はイギリスの野にあって
頭の下にはイギリスの芝土があった。
わたしの霊はそれ以外の何物もさまよえぬ
その岸を越えてさまよった。
≡/ヽ
しかしもし魂がこのように帰れるのなら
わたしは欺く事もなく欺きもしまい。
そして汝がわたしを遠く追いやったのは空しかった
何リーグもの海を隔てて。
わたしの肉体を汝は妨げられるかもしれぬ。
だが中なる永遠の煩は妨げられない。
詩人の肉体は流刑の地にとらわれている。しかしその魂は隔てる何リーグもの海を乗りこえて、愛する祖国へ帰
っている。彼女の肉体は妨げ得ても、その魂を妨げる事は誰にも出来ない。ここには明らかに、魂の肉体からの
解放が見られる。詩人の肉体は現実の伽に縛られていても、その魂は自由に虚空を飛んで、絶対なる存在に触れ、
神と語る事が出来るのである。この霊魂の肉体からの離脱こそ、暗い現実に生き、たえず挫折と幻滅を味わわねば
ならなかったユ、、、リの、唯一の拠り所ではなかったろうか。そう信じる事によってのみ、彼女は暗い現実に耐え
る事が出来たのである。ゲランはこの「肉体からの魂の解放」(。thesOu-、S邑ege冒OmitsよungeOnOhcFy:.)
⑯
にブレイク(W巨pm望a訂)との類似を見出し、スタンフォードはその「自己の超越」(。thetr呂SCendenceO=he
Se〓。)に注目し、彼女は大地を。On-ypOSSib-e訂rm。と考えながら、..scmethingbey昌dlSOmeSupralter・
restri巴gO巴OrCOnSO-atiOn。の必要を感じていたと言い、..metaphysic巳pcet。としてのエミリの。mysti・
⑰
Cism。を指摘している。またゲランは、エミリには死によって天国へ行く事を憧れる気拝と同時に、地上に留
まりたいとする相反する死観があった事を指摘し、「彼女が夢想につぐ夢想でなしたように物質世界を超越する
⑬
自由のない事に、死を望む真の原因があったと言えるかもしれない。」と述べている。
最後に霊魂の不滅を歌った次の詩を引用して、この小論を閉じる事にしよう。
OGOdwithinmybrepst
A-mightye<erlpreSentDeity
Li訂.thatinmehastrest
AsIUndyingLife-haくepOWerinThee
エミリ∵フロンテの詩の世界
鏑′′′誅・ト江ゝ1トe絃Q車曝
Vainarethethousandcreeds
Thatmovemen'shearts,unutterablyvain,
Worthlessaswitheredweeds
Oridlestfrothamidtheboundlessmain
Towakendoubtinone
Holdingsofastbythyinfinity
Sosurelyanchoredon
ThesteadfastrockofImmortality
Withwide-embracinglove
Thyspiritanimateseternalyears
Pervadesandbroodsabove,
Changes,SuStains,dissoIves,CreateSandrears
ThoughEarthandmoonweregone
Andsunsanduniversesceasedtobe
Andthouwertleftalone
EvervExistencewouldexistinthee
うくく
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SincethOuartdeiロ的andBreath
AndwhptthOu害tmayneくerbedestrCyed・
おお我が胸のうちなる神よ
全能にして常にいます神よ
不死なる生命のわたしが汝に力を持つごとく
わたしに休息を持つ生命よ。
人の心を動かす千もの信条は
空しい全く空しい。
枯れた草のように、あるいは無限の大海
の最もくだらぬ泡のように無価値だ。
無限の汝にしっかとつかまり、
確固たる不滅の岩に
確かに錨をおろした者に、
疑惑を自覚ませようとは。
広く抱きしめる愛をもって、
エミリ・プロソテの詩の世界
(20--巴)
六
九
千、、リ・プロソテの詩の世界
汝の霊は永遠の歳月を活気づける。
広がり上に立ちこめ、
変え、支え、溶かし、創り、育てる。
大地と月がなくなり
太陽と宇宙がなくなっても、
汝さえ残れば
あらゆる物は汝のうちに存在する。
死の入る余地はない
その力が空虚にし得るものは何もない。
汝が本体であり呼吸だから。
汝の存在は決して破壊されないだろうから。
たとえ地球や月がなくなり、太陽や宇宙が消滅しても、不滅の霊魂の存在するかぎり、そこに死はない。死は人
間の肉体は滅しても、魂を減す事は出来ない。エミリの考え方は一見死の讃美のようにみえるが、そうでない事
を知らねばならぬ。一八三番の詩に見られるごとく、彼女は死に挑戦しているのである。死よすべてを滅してみ
ょ。不滅の魂のあるかぎり、冬が去れば春がめぐって来るのだと。
以上見てきたように、エミリ・ブロンテの詩は小さいながら、彼女独自の世界を作りあげている。それは彼女
のみが入る事を許された、神秘で空想的な世界である。この世界においてのみ彼女は暗い現実を忘れ、イマジネ
ーシヱンの世界に遊ぶ事が出来た。そして自然と交わり、人生を考え、死を考え、霊魂の不滅に救いを見出す事
が出来た。詩の世界こそまさしく彼女の生き甲斐であり、心の糧であったのである。我々は彼女の詩を読む時、
風雪に閉ざされた原野の中の牧師館で、三十年間黙々と暗い人生を生きぬいた、孤独な、しかし男をもしのぐ強
靭な自我を持った、一人の女の姿を想像せずにはおれない。一日の炊事や掃除や洗濯を終えた彼女が、暗い原野
や、窓から射しこむ月光を眺めながら、ペンを片手に瞑想にふけっている姿を思いえがかずにはおれない。そん
な彼女に私は強く惹かれる。
(注)
①C-.Murie-Spar村昏DerekStan冒rd‥昏乳首如ヨ註ご仕官卜さ;き〓き息pp.-皆ムP
②hg札.IP.-思.
③引用した詩の番号はいずれもC.W.Hat静0-d(ed〕‥リ訂C宝も首肯句寒さ:旦掬きき∴甘まこ半音蒜巨よる。
④E-iNabcthCleghOrnGaske≡3訂卜首鼠C訂ミ0蓄出苫ミ旬.p.害,
⑤Murie-Sppr打診D雪ekStan旨rdこぎ卓出…忌∵夢こ套:監-苫屋p.㌫の.
⑥hg軋.Ip.-巴.
⑦hg弾.p.-巴.
⑩⑳⑲⑪⑩⑨⑧
旨㌫こワー巴.
Wini昔edGかrinH和良せり重義p.霊.
Murie-Spark昏DQrekStanfOrdこざ長二軍軍華二章二ざヾ箋軋司呈p.-思.
~監軋..p.-害.
されPpp.-宗1↓.
旨試.p.-記.
Wini昔edG宵in‥9註ヾ迦≦苺p一軍
ユ、、、リ・プロソテの詩の世界
七一
か・′5・lhnヽlトe敗e剋曝
㊧1毎d.,pp.153-4こ
⑧∫鋸dりP.103.
㊨MurielSpark&DerekStanford:EmiLyBYOnte;HeyLifeandWbYh.p.190.
⑧WinifredG6rin;E桝i&Byon15,PP.252-4.
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