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シャープとホンハイ
川 田 一 義
概要 2016年4月2日、台湾の大手電子機器受託製造のホンハイが、我が国の大手電機メーカーのシャープを買収することになった。当時経営不振で債務超過状態にあったシャープに対して短期間に巨額のリスクマネーを供給することが出来たのが郭会長率いるホンハイグループである。シャープが経営危機に陥るまでの経緯とホンハイによる買収及びその後の経営再建の状況等について時間の経過に沿って整理・分析した。 なお本稿は筆者が16年3月下旬に台湾の嘉義大学(両校合同のミニ・カンファレンス開催等を確認した。)、海南大学、国立台北教育大学、景文科技大学等を訪問するに際して、その前後から継続収集してきた台湾の経済・社会・文化等に係る資料の内、主としてホンハイ部分に関する資料等を基に作成されている。
キーワード シャープ、買収・出資、構造改革
目次
はじめに
第1章 買収前
第2章 買収
第3章 買収後
おわりに
はじめに
16年2月25日、シャープ(Sharp Corp.)は最終的に買収の交渉の相手として、より有利な条件を提示した台湾の大手電子機器受託製造の鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry Co. also known as Foxconn〈富士康科技術団〉、82年に現社名になる。以下ホンハイと云う。)に決めた。8月13日にはシャープ臨時取締役会を新たな本社(堺市)で開き、ホンハイナンバー2の戴副総裁が新社長に就任することを決議し、ここに新体制による「シャープ」が正式に誕生した。 80年代には我が国が半導体や家電分野で世界を制したがその後は米国などに後れを取り、今では
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次世代を支えるに足るポスト家電時代の事業モデルを構築しかねている状況にある。 以下、ホンハイとシャープの買収の実態に関して当該買収の前後に時期を二分して分析すると共に、現下のグローバル社会における企業経営の在り方等について考察する。
第1章 買収前
16年2月25日、台湾の中央通信など主要メディアは、シャープ(夏シァプー
普)のホンハイによる買収提案受け入れを、「鴻夏恋(ホンハイのシャープへの恋)が実った」と一斉に報じた。ホンハイのシャープ買収は、台湾の企業としては最大規模の対外投資になるため反対論も根強いものがあり台湾でも大いに注目された。ホンハイは大型液晶パネルでは傘下に台湾大手の群創光電(I
イノラックス
nnolux Corp.03年設立)を抱えているものの技術力に劣りスマホ用では需要開拓が遅れている。それに対してシャープが持つセンサー技能などは、ホンハイが目指す自動車関連事業の拡大や工場の生産自動化につながる可能性を有している。またホンハイ関係者はシャープの空気清浄機はブランド力が高いことから中国で「(ホンハイが提携する)アリババ集団のネットを通じて販売できる」と語っている。
1 ホンハイ
ホンハイの郭グオタイミン
台銘(1950 ~ ,Terry Gou)会長(董事長)は第二次世界大戦後の1948年に中国国民党と共に大陸から台湾に渡った両親(父親は警官)の長男として台北県(現・新北市)の板橋で生まれた。台湾で名を挙げるとの願いから「台銘」と名付けられた。父の故郷、中国・山西省には三国志の関羽を祀る関帝廟があるが、郭氏はその関羽(忠義の将)を崇拝しつつ軍隊式経営方式で世界的企業を一代で作り上げた立志伝中の人物(カリスマ経営者)であり、現代のチンギス・ハンとも呼ばれる。「独裁為公」(独裁をもって公となす)と公言し、極度のトップダウン型の経営を貫く。1日に16時間働き夜の24時から幹部会議を開くとまで云われている。 台北海洋技術学院を出た郭氏は貿易会社に勤務後、母から借りた約100万円を元手に1974年に友人らとホンハイの前身であるプラスチック部品会社(従業員十数名)を設立した。当初の生産品は白黒テレビのチャンネルの抓みであった。黒字化したのは3年後であり、その稼ぎを元手に日本に初の海外進出を企てた。30歳の誕生日は大阪守口で過ごした。テレビ部品の受注のため松下電器産業
(現パナソニック)に営業をかけていた。またトヨタ自動車で約一週間研修を受けたこともある。ホンハイが米アップル社の需要で急成長するまでの大口顧客は我が国のソニーと任天堂であった。なお町工場時代からホンハイの金庫番として郭氏を支えてきた黄秋蓮総財務長は郭氏の亡くなった妻林淑如氏の叔母に当たる1。 88年には中国・深圳に進出し金型技術を磨くことによってコンパックなど米大手パソコンメーカーに認められるようになった。ホンハイが急成長を遂げるのは99年に電子機器の受託製造サービス(Electronics Manufacturing Service : EMS)の分野に進出してからである。EMSでは製品の設計、試作、部品調達、製造、発送、補修等一括して請け負うことになる。 ホンハイは圧倒的なコスト競争力を武器に、ソニー、東芝、パナソニック、キヤノン、アップル、
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デル等次々と大手企業からの大口注文を受け04年には世界最大のEMSに躍り出た。中でもアップルは最大の顧客でアイパッド、アイポッド、iPhoneをほぼ独占的に生産している。また、ソフトバンクの人型ロボット「ペッパー」やソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション4」を組み立てる委託先の一つに選ばれている。ホンハイがソフトバンクの人型ロボット「ペッパー」の受託生産をし、ソフトバンクはシャープのスマホを販売するなど3社は親しい関係にある。 05年、当時大口顧客だったモトローラ(米国イリノイ州シャンバーグ)が携帯電話の月間出荷台数を一挙に200万台拡大すると決めた際に、ホンハイは軍用機でドイツから射出成形機40台を空輸し瞬く間に中国に生産ラインを新設した。EMSにとっては顧客の需要がすべてであり、販売好調ならあらゆる手段で生産を拡大し、顧客の機会損失を回避する2。 2000年代初頭から家電のデジタル化が進み、商品の差別化が難しくなり価格競争が激化した。08年にはリーマン・ショック(2008 financial crisis)もありその頃から、電機各社はそれまでの垂直統合型生産を見直すことによって、自社の中核部品の開発や商品企画に集中する一方、部品の調達や組み立ては外注に回す水平分業型生産に転換していった。その際ホンハイはリストラ資産の受け皿となり、ソニーからテレビ工場を買い、米デルからはパソコン工場を引き取ったりした。 12年3月、シャープの第三者割当増資を引き受け、1株550円で発行済み株式の9.9%の取得で合意(13年3月シャープの株価が三分の一程度に急落でキャンセル)すると共に、液晶パネルの堺工場を共同運営することとした。ホンハイはこの年にEMS依存からの脱却を宣言したがこの目標はその後あまり進展していなかった。しかし、郭会長はその後もシャープ本体の買収機会を探って来ていた。今回のシャープ買収はホンハイにとってビジネスモデルを転換させる最後のチャンスであったと郭会長は考えたのかも知れない。 13年5月、ホンハイは大阪市に開発拠点を開設しシャープ出身者らを採用した。 15年12月、ホンハイがシャープと堺市で共同運営する液晶パネル生産会社について株式の追加取得を打診している。 15年12月期のホンハイグループの売上高は15兆8253億円(シャープの5倍以上)で、トヨタ自動車(約27兆円)には及ばないが10兆円台前半のホンダや日産自動車を上回る規模である。また同業のソニーやパナソニックより売上高が多いにも拘らずあまり知られていないのは、自社独自のブランドを持たず他社の委託を受けて他社ブランドの製品を製造するEMSのためである。なおホンハイは中国大陸に30 ヶ所以上の工場を有し、120万人の従業員を抱え、デル、ヒューレット・パッカード、キア、モトローラ、そしてアップルとパソコンや携帯電話の変遷ごとに勝ち組企業の受注を獲得し世界的なメーカーに躍進した。
2 シャープ
シャープは1912年に早川徳次氏が創業した小さな金属加工会社(東京都江東区)が出発点である。早川氏の口癖は「真似される商品を作れ」であった。社名の由来は早川氏が発明し1915年に特許申請したシャープペンシル(操
くりだしえんぴつ
出鉛筆)である。これは世界で売れる最初のヒット商品であっ
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3 『企業会計』2016 Vol.68 No.2 pp123-126
た。1923年の関東大震災で工場を焼失したためシャーペンの主力顧客があった大阪市阿倍野区に本拠を移したが、1925年には国産初の鉱石ラジオ(そのブランドも「SHARP」であった。)を発売し、1961年には中央研究所を設立し世界初の電卓(電子式卓上計算機)を開発する等、斬新な商品の発明が相次いだ。 他にも電子レンジが温め終わると「チン!」と鳴るのも、携帯電話にカメラを付けたのもシャープが最初である。2000年シャープは携帯電話に「写メール」機能を搭載して大ヒットさせた。こうした独創的な開発力がアップルを振り向かせ、後年にスマホ向け液晶の大量受注に成功し今も3大サプライヤーの一角を占めている。 液晶事業が好調だった1999年12月には、シャープ株が一時2675円と云う上場以来の最高値(終値ベース)を記録している。しかしその後は業績悪化による先行き不安から株価は低迷し、15年12月には1965年11月以来約50年ぶりとなる一時108円にまで下落していた。 シャープが01年に発売した液晶テレビ「A
ア ク オ ス
QUOS」(筆者も現在利用している。)も技術力をいかんなく発揮してゼロから1を生み出した典型のような商品である。シャープはブラウン管テレビを大画面化したり高精細にしたりする競争から離れ、薄型液晶テレビと云う新しい市場を創造した。シャープのテレビ販売は10年度に過去最高の1482万台を記録したもののその後は減少を続け15年度には582万台にまで減少した。 15年4月にはシャープが政府系投資ファンド産業革新機構(勝又幹英社長、09年設立、以下「革新機構」と云う。)に出資を要請し交渉に臨んでいることが明らかになった。同機構はシャープ救済案の中で、5000億円以上の債権を持つ主力2行(みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行)に対し最大3500億円の債権放棄にも等しい金融支援を求めた。すなわち優先株2000億円の無償譲渡、1500億円の債務の返済の必要がない株式化(DES : Debt Equity Swap)の要求である。 なお革新機構は、出資金3000億円のうち政府が2860億円、トヨタ自動車、パナソニックなど26社が140億円の出資をしている。更に1兆8000億円の資金調達に対する政府保証枠があり、総計2兆円の投資能力を持つ企業体である。 15年5月シャープが本社売却や希望退職3500人募集などの再建計画を発表した。 15年6月の株主総会でシャープは資本金を1218億円から5億円にした。資本金を取崩して累積損失の穴埋めをしたが、それに伴い利益剰余金のマイナスもほとんど消滅し新たに増資した資金は資本剰余金として計上された3。 シャープ(家電部門)が16年5月27日に発売開始した人工知能(AI)を使ったR
ロ ボ ホ ン
oBoHoN(身長約20㎝、体重390ℊ)は女性技術者景井美帆さんが開発したもので、日本語だけではなく40か国語を喋るモバイル型ロボット電話である。ロボホンはシャープが「AIoT」と名付けた新技術を搭載した新商品(税込み本体価格21万3840円)である。 また16年6月10日に売り出したCOCORO VISION(販売価格2万円程度)は同社のテレビ「アクオス」に繋いで使用するが、人が近づくとお勧めの番組や見逃した番組を音声で教えてくれる。リモコンのマイクを使って音声検索もできる。
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16年4月11日、シャープは17年春卒を中心とする17年度の新卒採用人数を290人(大卒200人、高卒90人)とする計画を発表した。16年度は165人を計画したが実際の採用は151人(大卒121人、高卒30人)に止まった。直近では堺市で大型液晶パネル工場が稼働し始めた09年度がピークで1070人に達していた。
(1)亀山工場 1973年にディスプレイに液晶を搭載した電卓「液晶コンペット」を発売したことが液晶事業の原点である。その後、液晶事業は破竹の勢いで成長を遂げ「液晶のシャープ」が確立した。 04年に四代目の町田勝彦社長が世界初の一貫生産体制工場である亀山第一工場を作り、その最先端技術の開発から製造までを国内で取り組む方式は日本のモノづくり復活の象徴と称えられた。亀山工場で生産された薄型化された液晶テレビは「世界の亀山モデル」というブランド戦略と相まって大ヒットし、05年3月には液晶テレビ「アクオス」の累計生産台数が100万台を突破し、ついに「世界のシャープ」の夢は現実のものとなった。 シャープのテレビ事業の売上高は07年度が約8100億円と過去最高であったが、14年度は約3700億円と半分以下に減少した。これまでは欧米のテレビ事業から撤退するなどリストラを続け、国内では画質の高い4Kテレビなど高機能機種に注力してきたが、今後は中国や東南アジアでホンハイと組み、量販を見込める低価格モデルを売り込む戦略に転じることになる。 なお、この亀山工場や堺工場への部外者の立ち入りは厳しく制限されている。シャープはこれまで海外への技術の流出を防ぐために素材、部品から製品までを全て自社や極めて近い関係にある納入業者だけで手掛ける「垂直統合」や、ノウハウを外に出さない「ブラックボックス戦略」で液晶技術を自社の中に閉じ込めようとしてきた。今後どう変わるのか注目される。
(2)堺工場 堺市に建設する世界最大(1枚のパネルは畳約5畳分の大きさで60型の8枚分に相当する。)の液晶パネル工場の発表会見(07年7月)で、五代目社長の片山幹雄氏は3800億円の投資について「数年で回収可能だ」と自信に満ちて語った。創業者の早川徳次氏が社名にもなったシャープペンシルを開発して以来、08年3月期はアクオスのヒットなどで売上高(3兆4000億円)と純利益(1019億円)が過去最高になるなど、今思えばこの時が会社の頂点であり大手電機メーカーでも勝ち組のはずだった。しかし絶頂期は長くは続かず次の年には巨額の赤字に転落した。 08年9月のリーマン・ショックによる液晶パネル需要の激減、円高ウオン安による韓国勢の台頭、地デジ特需の反動等、市場の急変はあったが、それだけではシャープの凋落は説明しきれない。 09年10月、口癖のように「液晶の次も液晶です」と繰り返し語っていた片山社長が巨額資金(累計の投資額は4300億円)をつぎ込んだ世界最大の液晶パネル生産工場が稼働を開始した。ライバルの韓国サムスン電子は当時から有機ELへの投資を始めていたが、シャープは完成品の液晶テレビで世界首位に立ったこともある薄型ディスプレイの自社技術にこだわった。 ITバブル前から経営者は得意分野に力を入れる「選択と集中」を唱えたが旧時代の成功事業は捨てきれなかった。赤字になるまで引きずったことが今の事業売却や再編を生み出す原因となった。
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4 日経16.2.9
過去の成功体験が革新的な発想を邪魔するイノベーションのジレンマ、自らが所属する集団は正しいと過信してしまう大勢順応思考(groupthink)等、日本の電機大手が陥った罠からシャープも抜け出せなかった。 上記のような世界規模で消費が低迷し、需要が低調のさなかにおける堺工場への巨額の設備投資
(総計1兆円とも言われている。)すなわち他社と差別化しにくい液晶パネルへの身の丈に合わない過大投資が裏目に出て、過剰な生産能力を抱えてしまったことで多額の借金返済のための投資資金の回収も追い着かず、財務体質が一気に悪化したのである。 シャープの経営陣は業績悪化の責任を追及し、液晶事業の幹部らを相次いで交代させた。その結果液晶工場をコントロールできる人がいなくなったとも言われている。また経営陣は液晶パネルについて利益が見込める注文だけを受けようとしたため注文が減って工場の稼働率が低下した。電気代等の固定費がかさみ赤字が拡大したのである。 シャープが12年3月期に 3760億円の最終赤字に転落した時、ソニーもパナソニックも巨額の赤字を出している。すなわちソニーの12年3月期は過去最大の最終赤字4550億円を計上したが、直後に就任した平井一夫社長の下、パソコン事業を切り離してスマホ用センサーに転換し、固定費削減でテレビの損益分岐点を3割下げるなど利幅重視の高価格商品にシフトするなどの構造改革を進めてきた。その結果、18年3月期には連結営業利益6300億円と云う20年ぶりの営業最高益が見込まれている。 液晶パネルの価格下落で苦しんだのは他の電機大手も同じであるが、日立製作所は中小型液晶パネルなど不採算事業を切り離す一方、鉄道や情報システムなど強みを持つ分野を拡大したことで17年の営業利益は過去10年間で2.6倍に伸びている。またパナソニックも住宅や車載機器等へと次の成長の糧を見出し業績の回復に繋げてきた。 一方、シャープはいつまでたっても危機モードから脱却できない。業績が悪くなると希望退職や本社ビルの売却など対処療法的なリストラを打ち出すだけで、生き残りに向けてどのような会社に変わるべきなのかといった大きな指針が示されることはなかった。トップは日本中を回って社員と懇談する時間があるなら、不振事業の売却先を探して世界中の買収ファンドや投資銀行を訪ね歩くべきではなかったのか4。 シャープはその後も経営判断でミスを重ねる一方、首脳陣が人事抗争に明け暮れ徐々に経営危機に陥っていくことになった。
3 ホンハイとシャープの関係
11年6月香港で、業績悪化により経営再建に追い込まれたシャープは当時の町田勝彦会長、片山幹雄社長が、ホンハイからの出資で再建を目指そうとして「サムスン電子と戦うために是非支援してほしい。」とシャープ救済を郭会長に願い出た。 喬
キョウシンケン
晋建 教授(熊本学園大学)によると、11年7月にシャープとの間でテレビ用液晶パネルの相互供給と資材の共同調達などで基本合意し、それに伴って資本提携交渉を始めたホンハイ側の主な理
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5 『文藝春秋』平成28年季刊夏号6 朝日16.3.31、『週刊東洋経済』16.4.2、4.16、『文藝春秋』16年6月号
由は次のとおりである。① シャープと資本提携することによってアップル製品を生産しているシャープの液晶パネルをホン
ハイが内製化(自社内で生産・販売)でき収益性が高まる。② 最大顧客であるアップルもライバルとの競争上、圧倒的生産能力を持ったホンハイと世界最高水
準の技術開発力を持ったシャープの資本提携を支援していた。③ 東芝、ソニー、日立の3社が各社の中小型液晶事業を革新機構から2000億円の出資(36%)を受
けて12年4月1日に設立された「ジャパンディスプレイ」(Japan Display Inc. 以下JDIと云う。)に統合したため、経営難に陥っていたシャープだけがホンハイにとっては唯一の交渉可能な相手であった。なお後述するように革新機構案も国内メーカーの総力を結集すべく、シャープにも声をかけたがブランドの独立に拘るシャープはこれを蹴りホンハイと提携する道を選んだ5。
12年3月にはホンハイがシャープ本体と堺市にある「堺ディスプレイプロダクト」(09年4月1日設立、以下適宜SDPと云う。)に出資(資本参加)することで合意した。韓国サムスン電子などに対抗するために液晶パネルの堺工場の共同運営は実現できたが、シャープ本体への出資については当時の株価で約670億円相当の出資(9.9%)を受けることで基本合意したものの、13年3月期の3760億円の赤字(過去最大)発生でシャープ株価が500円から180円に急落したこと等を理由にホンハイ側が条件の見直しを求めたりした結果、出資に係る基本合意はキャンセルされた。 なおシャープとホンハイが12年から共同運営することになったSDPでは大型液晶パネルを製造している。同社の15年12月期の純利益は前年比4割減の43億円だったが3年連続の黒字を確保している。また売上高は前年より6.7%減の2056億円であった6。 当時シャープ救済案の一つとしてリースバックが持ち上がった。シャープが巨額資金をつぎ込んだ新しい工場(堺市)を一旦売却し、それをシャープがリースと云う形で借り直すというプランである。12年12月31日、日経で「公的資金で製造業支援 工場・設備買い取り」と一面で大々的に報じられたが、当該リースバック案は公的資金の注入が経営責任の所在を曖昧にすると共に、モラルハザードを招きかねないとの強い批判もあり結局雲散霧消した。 12年3月期決算は3760億円の赤字、13年3月期も5453億円の赤字に陥り経営再建策を発表するに至った。13年6月に社長に就任した高橋興三社長は「創業精神以外はすべてを変える」と宣言し構造改革に挑もうとした。国内の太陽光バブルなどが追い風になり14年3月期は黒字回復を実現した。しかし、液晶事業の不振は補えず15年1月にシャープの経営危機が再燃し、ホンハイの郭会長が再建支援の意向を表明したりした。シャープは液晶パネルへの依存度が高く構造転換は簡単ではなく結局、高橋社長も有効な成長戦略は見いだせず、国内従業員の削減などリストラに追われた。 15年3月期は売上高が2兆7862億円に対し2223億円を超える連結最終赤字に再び転落し、ここ5年間合計で1兆円を超える赤字額に達したため銀行からの融資も受け難くなった。 シャープは決算に関して楽観的な見通しを示し後から下方修正することをここ数年繰り返してきている。巨額の負債を抱え財務体質が弱いため損失を処理したくても処理できず問題の先送りとも言える状態が続いている。
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第2章 買収
15年5月14日、シャープの15年3月期決算の純損益が2223億円の巨額赤字になったことで、東京株式市場でのシャープ株価は250円から200円に急落した。 シャープが初めて外部資金を用いた具体的な再建策について言及したのは15年7月末であるが、その後約7か月間嫁ぎ先に関する様々な憶測が飛び交った。 液晶パネル事業の売却についてシャープはそれまで一貫して否定していたが、15年度第1四半期
(4~6月)に最終赤字を計上したことから姿勢を一転させた。この背景には銀行団が経営不振の元凶となっている液晶事業の切り離しを強く求めたこともある。 15年末頃にはホンハイ案か或いは革新機構案による本体出資かに選択肢は絞られてきたものの、その流れは革新機構側に向かっていた。しかし当初から経営危機のシャープへの革新機構による出資の大義名分は何かという不安の念はあった。革新機構の設立目的は国内企業の業界再編や新技術の育成のための成長投資とされ、「企業救済」は根拠法である「産業再生法」(現・産業競争力強化法)で禁止されている。そこで考えたのが、シャープの液晶部門を分離して子会社としそこに出資して更に機構が筆頭株主であるJDIと統合させる案であった。各国の独禁当局がこれを承認するかどうかも不透明ではあったが、この案だと経営難の本体への出資ではないことから「救済ではない」との理屈も立つ。 なお革新機構案では、支援額を2000億円から3000億円に積み増しした際に、シャープと東芝の白物家電事業を統合させるシナリオも加えた。しかしこれについては、16年2月25日にシャープが交渉相手をホンハイに決めたことから、東芝は家電事業を中国家電大手の美的集団に売ることで16年3月に合意している。 15年12月26日、シャープ本社で高橋興三社長はテリー・ゴウ董事長と面談した。テリー・ゴウの再三の要請に渋々高橋が応じたような会談であった。16年1月に入ってもシャープは革新機構案を受け入れる方針を示していたが、1月中旬にテリー・ゴウが革新機構の買収案に対抗するため支援額を大幅に引き上げてきた(5000億円規模)ことが決定打となった。なおシャープは15年12月末時点で7564億円の有利子負債を抱えている。 16年は年明けから大詰めを迎えたスポンサー選びは二転三転してシャープを翻弄した。1月下旬には革新機構を軸に協議が進み最終調整に入っていた。しかしホンハイが支援額を更に6600億円に積み増ししたことで事態は急転した。関係者によるとシャープの社外取締役からも「良い条件を選ばないと株主に説明がつかない」としてホンハイ案を推す意見が強まったという。 革新機構案では、シャープ本体に3000億円を出資するほか主力取引先2行に金融支援を最大3500億円求めることも盛り込まれた。一方ホンハイはシャープと共同運営するSDPの買取り費用等を含め支援総額を6000億円超の規模とした。 買収案の選択に関する取締役の法的責任については、我が国の会社法は役員に「善管注意義務」を求めている。具体的には故意・過失に基づく違法又は不適切な行為の結果、会社が損害を被った場合に義務違反となる。勿論損害が無ければ株主代表訴訟による損害賠償請求は成立しない。 一方、米国には会社の売却又は解体が不可避になった場合、取締役は会社の経営政策や効率性等を理由にすることは出来ず、株主利益のために最も高い価格 (the maximization of the company ’s
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value of a sale) での取引を選択しなければならないとした「レブロン判決」(Revlon Inc. 1986年最判)がある。同裁判の一審がデラウェア州衡平法裁判所に提訴されたことから、買収に備えて米国の多くの上場会社は同州の会社法に準拠している7。 16年1月30日(土)、ホンハイと革新機構の両者が大阪市阿倍野区のシャープ本社で高橋興三社長ら経営陣に対して出資条件と再建策に関するプレゼンを実施した。郭会長は工場の買収資金なども含めて積み増しした総額7000億円規模の資金を投資するホンハイ案について「これは我々の資金だ。覚悟が違う」、「うちに任せればお金は問題ない」などと熱意を込めてアピールした。また郭氏の妻の祖母が日本人であることから親日ぶりでシャープ経営陣の心をくすぐった。内容を聞いた社外取締役らを中心に資金面で勝るホンハイ案に傾いていったと云われている。 郭氏は「良い訪問ができた。最終決定を待っている。」と記者団に自信を示し、自家用ジェット機で台湾に戻った。 この日を境にそれまで革新機構が有利と見られていた交渉の流れが変わった。 危機感を抱いた革新機構は週明けの2月に入り、3000億円をシャープ本体に出資しそのうち1000億円を分社する液晶事業に充てる計画だったのを新たに2000億円の融資枠を設けるなど支援総額を大幅に上積みする案をまとめた。 ホンハイはそれらの懸念材料を丸ごと解決する案を出し土壇場でひっくり返した。 すなわち家電等の業界再編を主眼とする機構案に対し、ホンハイ案はシャープの独立性、事業の一体性の維持、雇用の維持、シャープブランドの継続使用、技術流出防止に配慮等を確約したこともあり、こちらに軍配を上げた。なおシャープはホンハイに7000億円規模となる支援を確実に履行してもらうために内金として保証金1000億円の支払いを求め、ホンハイ側もそれを受け入れた。 ホンハイ案が出資額でも革新機構案を上回るだけでなく、シャープはホンハイ案の有機EL(Organic Electro-Luminescense、一般的には O
オーレッド
LEDと云う。)ディスプレイ事業化に向けた開発投資2000億円を筆頭に、液晶、家電等社内カンパニー毎に将来性を見据えた具体的な投資計画を明示していることを評価した。更に、三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行が保有する2000億円の優先株の取扱いについて機構案がほぼ全額の債権放棄を求めたのに対し、ホンハイはその半分を額面で買い取るとした。 16年1月時点では、シャープに対する警戒感から直取引を止め、卸を挟むケースが増えるなどして取引のある仕入れ先は12年8月時点の2031社から1680社(約8割)に減少した8。
1.ホンハイとの本格交渉入り
2月4日(木)シャープは記者会見でホンハイと優先的に交渉することを発表した。取締役会でホンハイと革新機構のどちらと優先交渉権を結ぶことに決めたのかとの記者からの質問に対し、高橋社長は「本日はどちらかに決めなかった。(提案の)内容を精査するため社内のリソース(経営資源)をかけているが、より多くのリソースをかけているのはホンハイだ」、「両社に対して3点の要望を出している。シャープのDNAを残し、一体性を保つこと。更に 従業員の雇用を守り、(技術の)
7 日経16.2.138 『週刊東洋経済』16.2.27、3.19
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海外流出をしないことだ」と述べた。 またホンハイがスポンサーに選ばれた場合、シャープが持つ先端技術が国外に流出するという懸念について高橋社長は、既にホンハイと3年にわたって液晶事業で協力している実績に触れながら
「技術流出はなかった。そういうことはしないという話を(ホンハイから)頂いた」ことを明らかにした。 高橋社長はまた革新機構がシャープと東芝の白物家電などの統合を模索していることを念頭に「社内カンパニー毎に分解されるのはマイナスだ」とも述べた。革新機構案はホンハイとの交渉が不調となった場合の代替案と位置付けられた。 2月4日午後、郭氏は「サインしてくる」と言い残して日本に向かった。郭会長の意気込みは行動の速さにも表れた。シャープが4日ホンハイの買収提案に対し革新機構案より多くの労力を割くと表明するや、即座にプライベートジェット機で大阪へ飛んだ。自宅にも帰らず、妻に新品の下着を空港に届けてもらったと云う。 この日ホンハイからシャープに1000億円を保証金として前払いするとのメールが届いた。 2月5日には郭会長がシャープ本社を訪問し高橋社長らと8時間以上に亘って話し合った。その夜、シャープ本社前で郭会長は報道記者から来日目的を尋ねられて「今日正式な契約を結ぶはずだった。しかし、最終的な契約に向けて協議するための合意書を交わした。ただ考え方としては(契約に向けての課題は約)90%を乗り越えており、残り10%は法的なもの。問題はない」と語った。また郭会長は取材陣に「優先交渉ができる権利のサインをした」と述べ、2月29日までに正式に合意したいとの考えを表明した。 これに対しシャープは「合意書の中に(郭会長が主張した)優先交渉権を意味する言葉はない」と否定している。優先交渉権を与えるとホンハイと並行して他の相手と協議できなくなってしまうためである。シャープは資金繰りが厳しくホンハイとの交渉が決裂すると改めて他の相手と交渉する時間的余裕がないため、革新機構とも交渉を続ける方針である。 一方で同日シャープはホンハイと合意書を締結したと発表した。主な合意内容は、契約条件に付いて協議を継続することやホンハイが示した支援案の有効期限を2月末まで延長すること等である。これにより今後ホンハイ側との協議を本格化させ、両社の幹部を相互に派遣して条件を詰める作業を急ぐとみられる。 2月19日(金)革新機構の志賀俊之会長兼CEOは提案している再建案について「シャープの株主や従業員、お客さんにとって良いプランだ」と述べると共に、シャープは現在ホンハイと優先的に交渉しているが、一方で革新機構とも協議を継続しているとして買収について意欲を示した。なお革新機構は3000億円の成長資金を柱とする支援案に上乗せはしない考えである。ただ切り離した液晶会社への融資枠や液晶パネル生産会社の売却益、銀行の債権放棄などを含めればホンハイ案に引けを取らないことから、シャープ取締役に対する説得も続けたいとしている。 2月19日シャープは、液晶パネルの国際カルテルを巡り同社と米子会社が米イリノイ州から提訴された件について、同州に1200万ドル(約14億円)を支払うことで和解したと発表した。なおシャープは既に訴訟損失引当金を計上済みで16年3月期の業績への影響はないとしている。 2月23日(火)の記者会見で、林幹雄経産相はホンハイと競合している革新機構について「国が後押しするようなことはしない」、「どの提案を受け入れるかはシャープ自身が判断すべきだ」と述
シャープとホンハイ 119
べている。
2 買収案受入れ
2月25日(木)の臨時取締役会において、ホンハイグループがシャープに4890億円を出資(第三者増資引き受け)し、発行済み株式の66.07%を有する筆頭株主となるとのホンハイ案を受け入れ、ホンハイの子会社として経営再建することを全会一致で決めた。 同取締役会では何故か採決が2回行われている。1回目はシャープの優先株を引き受けた銀行系ファンドの社外取締役2人を外して11人で、2回目は13人全員で採決した。これはホンハイ案が上記優先株の消却を求めないことからホンハイと利害関係があるとして2人を外したのかも知れない。 なお前日24日午後に開催された定例取締役会ではホンハイ案と革新機構案のどちらを選ぶかについて協議したが正式な決定には至らなかったため、25日午前に臨時取締役会を開き再協議したものである。 シャープの取締役は生え抜きが高橋社長ら4人で、外部から招いた人材が4人、社外取締役5人の計13人である。2月24日の定例取締役会は大阪市の本社と東京支社を中継して開催された。経営再建策は取締役会後に幹部が懇談形式で重点的に意見交換した模様で、社外取締役を中心にホンハイ案支持の声が広がり、主取引銀行もそれに賛同する方向であった。 25日の高橋社長による記者団への発表では「2回とも全会一致」としていたが、取締役の意向は7対6の僅差であった。全会一致で決議したものの、2人を除いた11人が本音で賛否を示せば機構案が上回ることになる。資金面ではホンハイ案が有利だが、過去にもシャープへの出資契約を撤回したことがある郭会長との交渉が一筋縄でいかないことは明白であった。高橋が海外担当の副社長だった12年夏には、ホンハイの中国工場にシャープが液晶技術を500億円で供与することで合意した翌日にひっくり返されたこともあった。従って、ホンハイと破談になる場合のことも考えておかなければならない。「7対6」の説明はホンハイを牽制しながら機構に配慮せざるを得ないシャープの事情を窺わせるものである9。 2月25日の東京株式市場のシャープ株は、午前に開いた取締役会でホンハイの支援を受け入れることを決めたと報道された直後に株価は上昇し、一時は前日終値比10円高となった。しかし午後2時前にシャープが「ホンハイグループを引受先に4890億円の第三者割当増資を実施する」と発表すると、この増資によりシャープの発行済み普通株式数は最大でそれまでの3.4倍に増える可能性があり、一株当たりの価値が薄まることを嫌った投資家などから売りが相次ぎ株価は前日終値比38円安の136円に大幅に急落した。終値は前日より25円安い149円(同社の時価総額は2500億円強となる)で取引を終えた。 なおホンハイが計画する成長投資の内訳は、①2000億円で亀山工場に有機EL 事業化に向けて生産ラインを造り18年初めにも量産を始め、②1000億円で中型液晶パネルの新技術開発や増産・合理化投資、③450億円で人工知能とあらゆるモノをインターネットに繋ぐIoTを組合せた新製品開発、④100億円を太陽光発電事業に向ける、等となっている。
9 日経16.4.5
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シャープは亀山工場において、17年中に有機ELパネルの研究開発ラインを整備し19年までにスマホ向けパネルで月産1000万枚の生産能力に引上げるとしている。 なおシャープが世界で初めて量産化に成功した「I
イ グ ゾ ー
GZO液晶」は高精細でかつ消費電力も少ない。IGZOは原料となるインジウム(In)、ガリウム(Ga)、亜鉛、酸素の元素記号の頭文字を並べたものであり、酸素を含む酸化物半導体の一種で、液晶画面を制御する薄膜トランジスタ(Thin Film Transistor : TFT)の材料となる。 シャープは12年に世界に先駆けてIGZOのTFTを用いた液晶画面を搭載したスマホを発売した。その後タブレットの画面にも採用し、現在有機EL ディスプレイへの応用を進めている。15年秋の米アップル製品の部品供給企業が技術力を競う品評会でIGZO液晶は1位になったこともあり、アップルとの関係が深いホンハイにとって最も手に入れたい技術である。 しかしホンハイとの交渉はこれで終わりではなかった。25日夕、ホンハイは「シャープが24日朝に出した重要な文章について精査する必要があり、精査が終わるまで契約の保留・延期を取締役会前に申し出た」と発表した。郭会長が偶発債務(contingent liability)を知り激怒、当初正式契約(最終調印)する予定であった2月29日の交渉期限を延期したのである。この時からホンハイは出口の見えない値引き交渉を始めた。 翌26日シャープの高橋社長が広東省深圳のホンハイ中国本部で郭会長に頭を下げて謝罪した。ホンハイと競った革新機構は既に交渉から降りていた。決裂すればシャープの経営が行き詰まりかねない。慌てたのが銀行であり、みずほの佐藤康博社長は審査担当役員を台湾に送り込みホンハイとの直接交渉に入る。一方ホンハイは2月末に幹部ら100人超を大阪のシャープ本社に派遣し買収額などが妥当かを見極めるための本格協議に入った。ホンハイ側が突きつける条件は厳しさを増していった。(なお3月7日までに偶発債務の精査はほぼ終わったとみられている。) 極め付きが出資の減額要請である。当初シャープへの出資予定額は4890億円であったが、主力2行に2000億円の減額を通告した。受け入れれば革新機構案の出資額3000億円も下回り、ホンハイを選んだ最大の理由だった金額の優位性は失われる。この時「ホンハイはシャープを見捨てるのでは」とのような疑心暗鬼もシャープの関係者間に広がった。 ここで硬軟を使い分けるのが郭会長流である。3月7日(月)にはタイのバンコクに飛び、その翌日にはシャープの工場を訪問して現場の従業員らと談笑した。現地企業のトップと面会した際には「ぜひこの商品を売ってみてください」と話しながら、シャープの調理家電ヘルシオで肉じゃがを作らせて振舞うなど、トップセールスを展開して疑惑の払拭に動いた。 そして交渉は最後の山場を迎える。3月16日(水)高橋社長は午前9時頃台湾のホンハイ本社に入って、出てきたのは午後10時過ぎ、13時間に及ぶマラソン交渉も平行線を辿った。最後のカードを切ったのが、みずほの佐藤社長である。三菱東京UFJ銀行と歩調を合わせながらシャープへの新たな融資枠3000億円を設定する条件を示した。(その後3月28日三菱東京UFJ銀行は追加の金融支援を決め、みずほ銀行とそれぞれ1500億円ずつ計3000億円の新たな融資枠を設けた。) これを受けて3月25日(金)、出資の減額幅を1000億円に圧縮することをホンハイが了承し交渉は大筋合意に達した。 二転三転してきたシャープとホンハイの提携関係からみて、契約完了まで気を抜けない状況が続
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くことになるが、ホンハイは12年に一旦出資を約束しながら実行しなかった経緯もあることから、今回はホンハイが1000億円を「保証金」として先に支払い、約束が守られなければ返さない仕組みにしている10。 上記の「重要な文章」とは約3500億円に達する財務リスク(約100項目の債務がある。)の関連情報を指すが、その後ホンハイが査定したところ、発生する可能性の低いものも含まれており損失の懸念があるものは数百億円以下で交渉を見直すほどのレベルではないとのことであった。 偶発債務は現在発生していないが将来何らかの事態が起きた時に負わなければならない債務のことで、合理的な金額を見積もれる場合は引当金として損出処理し貸借対照表の負債に計上できるが、可能性の低い偶発債務はその必要がない。但し、会社や会計士が高い重要度があると判断した場合には、投資判断に影響を与える「リスク情報」として財務諸表に注記する。 具体的な例としては、取引先など第三者の抱える債務に対する保証、訴訟事件が起きている場合の賠償義務などがある。シャープは、他社と争っていた訴訟などをこの所相次いで終わらせている。16年3月初めまでの約1カ月間に4件の和解が成立している。2月19日には、液晶パネルの価格カルテルを結んだとして米イリノイ州から10年に訴えられた裁判で、約14億円の和解金を支払うことで決着している。 2月25日の買収案受入れによりこれまで迷走してきた再建パートナー選びにも終止符を打ち、シャープは本格的に経営再建に乗り出し全従業員約4万4164人(15年12月末)の雇用を守るとしているが、結局、経営問題が表面化した過去4年間で社員数の約2割である1万2000人が退職している。 シャープでは12年12月(社長は奥田隆司)にシャープは液晶事業への投資の失敗で経営危機に陥り、希望退職を実施し2960人が退職した。更に15年9月(社長は高橋興三)にも液晶事業の不振などで経営危機が再燃したため3234人を追加削減した。この二度の希望退職で計約6200人が会社を去ったが、その他にも若手を中心に自主退職者が後を絶たず、長期化する給与カットに痺れを切らして辞めていく者が多いのが現状である。 なお片山幹雄元社長が現在副会長を務める日本電気等、関西基盤の企業などが転職先として目立つという。16年6月16日には、JDIがシャープ元専務執行役員で液晶事業トップを務めた方志教和氏
(63歳)をナンバー3となる副社長執行役員に招く人事を発表した。 16年3月4日(金)、郭会長はシャープの白物家電の開発・生産拠点である八尾工場(大阪府八尾市)にいた。除菌・消臭に効果があるとされる独創技術「プラズマクラスター」を採用した空気清浄機の説明を聞き、笑顔を終始絶やさなかった。独創商品というシャープらしさの象徴である白物家電に関心が高いことから、多忙なスケジュールの合間を縫って足を運んだのである。 シャープの現在の事業(携帯端末、白物家電、複写機、太陽電池、電子デバイス、液晶)の内から液晶事業(スマホ、タブレット向け中小型パネルの生産)を切り離し、ホンハイと共同出資する生産会社SDP(テレビ向け大型パネルの生産)の子会社にする案を軸に液晶事業の一体運営をホンハイが検討している。 シャープは主力行等が設定した5100億円分の協調融資枠が3月末に返済期限を迎えることから、
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2月末までに支援先を決めないと資金繰りが厳しくなるため早期の決着を目指しホンハイとの交渉を急いでいた(結局、銀行団は当該期限を4月末に1ヶ月延長し、更に延長する方針である。)。 上述のようにホンハイはシャープの企業価値が揺らいでいるとして出資額(4890億円)の1000億円(当初は2000億円)程度の引き下げなど買収条件の見直しを求めると共に、偶発債務が実際に発生する場合に備えて、シャープの主力2行にシャープへの一定の金融支援を求めたのである。そのため当初3月初旬を目指していた最終契約の締結がずれ込んだ。 シャープとホンハイは3月30日(水)にそれぞれ取締役会を開き、ホンハイの減額した額でのシャープ買収を受け入れ4月2日に買収契約を締結することを決議した。シャープの債務問題を受けてホンハイの出資額が3888億円と当初予定より約1000億円減ってもシャープが発行する株式の買い取り価格を118円(2月25日時点)から88円(3月30日時点)に引下げることでホンハイの出資比率は当初の予定通り66.07%になる。またシャープの責任で買収が実現しなかった場合には、ホンハイが欲しがっていた「液晶事業」だけを取得できるという有利な条件も加わった。 またホンハイは主力2行が保有するシャープの優先株2000億円のうち半分の1000億円分を額面で買い取る考えであったが、買い取り時期を当初予定の16年夏よりも3年程度後ろ倒しする方針であり、買い取り額については買収締結後も調整を続ける。更にホンハイは投資ファンドが持つ250億円分の優先株も買い取る予定である。 3月29日ホンハイは台湾の証券取引所にシャープ買収などを協議するために30日に取締役会を開くことを申請した。これに伴い台湾証券取引所が30日からホンハイの株式売買を一時停止すると発表した。 3月30日(水)の記者会見でホンハイ幹部は「シャープを再び世界の電子産業のリーダーとし、世界的企業としての栄光を取り戻す」とコメントした。 ホンハイが3月30日発表した15年12月期決算は、売上高前年比6.4%増の4兆4821億台湾ドル(約15.6兆円)、純利益は13.4%増の1502台湾ドル(約5234億円)でいずれも過去最高を更新した。 3月31日ホンハイはシャープ再建への意志を示すため買収契約の保証金(出資の前払金)としてシャープ側に1000億円を振り込んだ。
3 正式に契約調印
16年4月2日(土)午後、ホンハイとシャープは堺市にある両社合弁のSDP社内でホンハイによる買収契約に正式調印した。郭会長は記者会見で液晶事業を中心に成長投資を加速し、今後2~4年で経営再建を目指す方針を示すと共に、「契約が破談になることは決してない」と強調した。シャープの経営陣は刷新され、ホンハイは4月中に新しい取締役の候補者を示す予定である。 その後の宴で郭台銘董事長は「ホンハイと云う歴史僅か42年の企業がシャープから学ぶべきことは何なのか、と。・・・それよりも重要なのは共に戦い、シャープを更に脈々と続く企業にすることである。シャープの次の100年に乾杯!」と挨拶した。これ以後、郭会長はじめホンハイチームは大阪市のシャープ本社にたびたび訪れるようになった。 契約内容は、ホンハイと関連会社が普通株2888億円(88円/株×約32億8200万株)と議決権のない普通株取得権付C種類株975億円(1万1800円/株×約826万株)を総額3888億円で引き受ける。なお
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ホンハイが取得したシャープ株は2年間シャープの同意なしには第三者への譲渡が禁じられている。上記C種類株は17年7月1日以降、普通株約8億6200万株と交換でき、その場合のホンハイの保有割合は70%超となる。当初ホンハイ案が6月の株主総会で承認されれば、9月5日までにホンハイから資金を受け取ることになっていたが、シャープ本体への出資の払込期限は当初予定より1カ月延期して16年10月5日に変更された11。 ホンハイの真意はシャープを手に入れることによってアップルからの脱却とアップルとの取引維持という相反する課題の解決にあった。アップルはホンハイへの依存度低下を目指し13年以降別の台湾EMS(電子機器受託生産)大手・ペガトロン等複数社に発注する方針に転換した。その上、スマホ市場がピークアウトする中15年末には、10万円で値崩れせず中古も売れるブランドiPhone(買替え周期2年)の成長鈍化による生産調整すなわち「アップルショック」が重なり、ホンハイはこれまでの成長モデルからの脱却が急務となった。 ホンハイは目下、部品製造や設計など産業の上流に進出し成功を収めつつある。補完的な関係にあるシャープを傘下に入れることで家電等の開発、設計を強化したいとの思惑がある。アップルは18年にもiPhoneのディスプレイに鮮やかな発色が特徴の有機ELパネルを採用するとみられ、そのサプライヤーに食い込めるかがホンハイの大きな関心事となっている。有機ELパネルは基板にプラスチックを使用することで画面の曲げ加工も可能となり、これまでにないデザインのiPhoneが世に送り出されるのではとの期待感が大きい。 当初、有機ELパネルの生産拠点については、試作ラインと生産ラインを造り18年初頭の量産を目指すとしていた亀山工場ではライン設置に十分なスペースが取れないため、試作ラインは三重工場
(三重県多気町)と施設に余裕がある堺市のSDPに造ることにした。計約574億円を投じ18年4~6月に稼働する予定である。亀山工場は消費電力が少ない液晶パネル「IGZO」の生産拠点として今後も設備の増強等を進めるとしている。 一方、生産ラインは中国の鄭州や深圳、重慶等が候補地として挙がっている。中国に量産ラインを新設すれば地方政府の補助金や優遇制度を使うことによって投資金額を抑えられると判断した。ホンハイがシャープに出資した3888億円のうち2000億円を有機ELの開発に充てるなどシャープの再建策で最も重視している分野である。 シャープはホンハイ側の要望もあり、本社(16年3月には1956年建設の本社ビルをニトリに売却し、現在は同本社を賃貸で使用している。)を主力生産拠点の堺工場に移す方向で検討に入った。09年に世界最大級のガラス基板を使う液晶パネル工場として稼働を始めた堺工場の隣接地には、12年にホンハイと共同出資でSDPに衣替えした液晶工場がありそこでは太陽電池も生産している。 4月26日、4月末が返済期限の主力取引銀行などからの協調融資契約を更改したと発表した。これまでの契約は5100億円だったが4500億円程度に減額されたとみられる。なお12年に主力行のみずほコーポレート(現・みずほ)と三菱東京UFJが3600億円の融資を設定し、13年には1500億円が追加されていた。 大型連休を控えた4月27日(水)の夜、シャープの液晶事業の聖地三重県亀山市にホンハイの郭
11 『エコノミスト』16.3.8 pp.13-14
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台銘会長が突如現れた。亀山工場にあるテレビ組み立て棟1階の集会場に液晶部隊をはじめ工場の管理職200人以上を集め、「SDPに出資して4年が経とうとしている。3年連続で営業黒字になったことはとても喜ばしく、勤勉なSDPの社員を私は誇りに思う。」「翻って、今のシャープはどうか。陸に設備投資もできず、銀行の管理下で自由な経営ができなくなっているではないか」「何度も言うが、これは出資ではなく投資である」「あなたたちは、赤字に対する危機感が薄いのではないか」等、社員たちを叱咤する言葉が続いた12。 シャープは4月28日夜の取締役会で、大手銀行などが出資するファンド「ジャパン・インダストリアル・ソリューションズ」が持つ250億円分の優先株(15年6月発行、配当年7%)を最低280億円で買い戻すことを決議した。 16年3月期決算は、主力の液晶パネル事業の低迷に加え、売れる見込みのないままに抱えていた製品などを厳しく査定したことによる在庫評価損の増加や、偶発債務の一部を損失計上したこと等で特別損失が膨らみ、連結最終損益は2559億円の赤字を2年連続で計上することになった。売上高は2兆4615億円(前年比12%減)で、太陽電池事業では売上高が4割強も減った。日銀が導入したマイナス金利の影響で退職給付債務でも損失が発生した模様で、連結営業損益も過去最悪の1619億円の赤字となった。シャープが主力とする液晶部門の営業損益は1291億円の赤字であった。なおホンハイから約4000億円の資金が入ることを前提に損失を処理したため負債が資産を上回る債務超過
(430億円)に陥った。 シャープが提携先を決めあぐねていた間も12年3月期、15年3月期(連結最終損益2223億円の赤字、営業損益480億円の赤字)と二度に渡って巨額の赤字を出すなど経営は悪化の一途をたどっていた。この4年間、在庫の積み上がりを無視した工場稼働や原材料の高値購入など、企業統治の不在が目に余る。また人員削減の繰り返しで社内の士気は低下し、自主退職による若手社員の人材流出を招いている。 ホンハイはシャープへの出資後、現在実施している社員の給与カット(管理職5%、一般職員2%)を早期に止めると共に、成果を出した社員に自社株の購入権を与えるストックオプション制度の導入、管理職の降格制度など信賞必罰を徹底し、ホンハイ流の実力主義を組織に浸透させる考えである13。 シャープは5月12日の会見においてホンハイの戴
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正呉副総裁(64歳)を次期社長に迎えると発表した。なお社長就任が決まって以降、戴氏は周辺に「2~3年で再建を成し遂げ、日本人に経営を返す」と繰り返し語っている。 現在の取締役は高橋興三社長(61歳)を含め13人(うち5人が社外取締役)中社内出身の1人を除いて12人が退任する。新体制の取締役は9人で、うちホンハイが指名した者は6人と過半を占める。この6人のうちホンハイ出身者は戴氏(ホンハイの副総裁を兼務)を含め3人で中でもホンハイの日本法人Foxconn Japanの代表取締役高山俊明氏(戴氏の親族)は8月12日にシャープの取締役に就任し、翌13日には代表取締役に就いた。高山氏は11日に退任するまでホンハイとシャープが共同運
12 『週刊ダイヤモンド』16.5.21 pp.28-5913 『エコノミスト』16.3.8 pp.13-14
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営するSDPの副社長であり、今後シャープのホンハイとの橋渡し役が期待されている。 また高橋社長は、なぜ経営悪化を止められなかったのかとの記者からの質問に対し、「打つ手が限られていた」と述べた。十分な資金がなく改革したくても出来なかったとの主張である。企業規模が大きくなると段々と止められないことが増えてくるのも事実である。早めに手を打つべきであった。いずれにせよ過去の成功体験を引きずり過ぎて、液晶に頼る「一本足打法」から転換できなかったのが敗因である。 6月23日(木)のシャープの株主総会で買収案と取締役案の承認を得た上で、3888億円の出資を6月末に完了し、7月1日から戴氏を社長とする新体制に移行する予定であったが、しかし、その後6月中には3888億円の出資は実現しなかった。 戴
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正呉副総裁は台湾の電機大手メーカー、大同グループが設立した大同工学院(現・大同大)で会計や日本語を学び大同公司(TATUNG)に入り、約2年間の日本駐在も経験し流暢な日本語を身につけた。戴氏が86年にホンハイに転職して生産管理等を担当した当時、まだホンハイはテレビのコネクターや金具を手掛ける中小企業に過ぎなかった。ホンハイ入りしてからはソニーの「プレイステーション」の取引を成功させて頭角を現し、パナソニックとの取引ではゲーム機やテレビを中心に日本企業からの受託生産の受注を次々と獲得しビジネスを拡大した。04年から副総裁を任されている。戴氏のホンハイ社内での評価は「雷のように激しく風のように素早く動く」であり、規律に煩く毎朝7時から幹部会を開き郭氏の指示を社内に徹底させると云うものである。 5月12日、ホンハイの郭会長と次期社長に内定した戴正呉副総裁は社員に対して連名で「やはり人員の削減はすべきであると考えています」とのメッセージを送った。同文面では「自ら出資するものとして真剣にシャープの経営状況を見た」として、業務の重複や非効率な運営が経営を圧迫していることを指摘し、「痛みを伴う構造改革」の必要性を訴えた。「成果を出した人には確り報いる制度を導入したい」として、社員に危機感を持たせつつやる気も促した。3月30日時点の両社の合意文書では「既存の従業員の原則維持にコミット」となっていたが、想定以上の業績悪化によって状況は1ヶ月で大きく変わった。 16年3月期決算でシャープ向け融資の引当を巡り、みずほと三菱UFJ 両銀行の間で対応が大きく割れた。シャープ向け貸出金残高はみずほが3246億円、三菱UFJが3183 億円であるが、みずほが貸し出し条件を変更した「要管理先」に、三菱UFJは債務返済可能性をより低く見る「破綻懸念先」に引下げた模様で、これに伴い1000億円弱の不良債権処理費用を計上した。みずほは15年3月期までに前倒しでシャープ関連の貸倒引当金を積み、16年3月期は追加費用を計上しないで済ませた。 5月23日、シャープ社員に依然として渦巻くホンハイへの不信感を払拭すべく高橋興三社長とホンハイの戴副総裁の署名が入った談話が発せられた。「出資に関する最新状況について」と題し、①6月末の出資完了を目指す、②保証金1000億円のうち、約200億円を新規ディスプレイの開発設備に充てる、③電子デバイス事業に300億円を投資することを検討する、等について突如発表した14。 6月22日、ホンハイは台湾で株主総会を開き、そのなかで郭会長は買収するシャープについて技術力は評価しつつも、4月以降シャープの内実と向き合う中で再建には抜本的な改革が必要である
14 『週刊ダイヤモンド』 16.6.4 p.1
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との認識を示した。ホンハイはコストカットを重視していることから、シャープの国内外で7000人(国内2000人、海外5000人)規模の人員削減や、海外拠点の整理をする可能性を認めた。これは国内外で約4万4000人いるシャープの全従業員の約16%に当たり、実施には反発も予想される。事業からの撤退を検討していた太陽電池事業については戴副総裁が「製造と販売の両方ともシャープでやる」と続行の方針を示した。 6月23日(木)開催されたシャープの独立企業としては最後になる株主総会において、ホンハイなど4社が引き受けるシャープの買収に係る新株の第三者割当増資案、出資後にホンハイの戴副総裁がシャープの社長に就任する等の取締役案、等が三分の二以上の賛成で承認された。同時に、二転三転した買収交渉の経緯等についても株主から疑問や批判が多く出された。 6月23日に提出した有価証券報告書で16年3月末に430億円の債務超過が確認されたため、東京証券取引所はシャープの東証第1部から第2部への指定替え(8月1日付け)と17年3月末までに債務超過が解消できないときは上場廃止になるがその上場廃止の猶予期間入りなどを発表した。東証2部に指定替えになると東証株価指数(TOPIX)に連動した運用を目指している機関投資家は保有株を手放さなければならず大量の売り注文が出た。もっとも当該債務超過はホンハイと合意している増資が実施されれば解消されることになる。 シャープの株価は低迷しており、6月24日の東京株式市場でシャープ株が急落し一時前日比28円
(21%)安の105円となり1965年11月(株価は97円)以来およそ半世紀ぶりの安値を付けた。更に6月27日には一時97円まで下げており、ホンハイの取得予定価格である88円に近付いた。 8月1日(月)の東京株式市場でシャープの株価が一時、前週末(7月29日)の終値より5円安い87円(16年の年間最安値)まで下がった。1日から東証2部に指定替えになったシャープ株の終値は90円と前週末終値よりも2円安であった。なお東証1部としては最後の取引日となった7月29日は一時前日の終値より4円安い90円を付けた。終値は92円であった。1965年以来約50年ぶりの安値水準である。
4 買収完了
16年8月12日(金)、シャープはホンハイグループによる買収(3888億円の出資)が完了したと発表した。これは中国当局の審査が長引いていたが8月11日に審査完了の連絡を受けて、ホンハイが8月12日に3888億円の出資金をシャープに支払ったものである。独立した企業としてのシャープの歴史は創業から104年、社長7代で終わりを告げた。 この出資により財務の健全性は改善(16年6月末で750億円に膨らんでいた債務超過も解消)し、銀行の新たな支援を受けられるようになり、主力銀行のみずほ、三菱東京UFJの2行は8月12日に計3000億円の融資枠を設けた。漸く中国当局の審査が終わったことで株式市場ではホンハイ傘下での再建に期待が高まり、8月12日の東京株式市場でシャープ株は一時、前営業日の終値より21%高い108円まで上昇した。 「長い時間がかかったが私のシャープ買収の信念は初めから変らなかった」と郭会長は語った。12年3月に一度はシャープへの出資で合意しながら実現せず漸く5年越しで手に入れた。 8月12日のホンハイによる出資が完了したことから、翌13日午後には堺市の本社で臨時取締役会
シャープとホンハイ 127
(台湾にいる戴氏はテレビ会議で取締役会に参加)を開き、ホンハイナンバー2の戴副総裁を新社長に決め、シャープが液晶事業の失敗で経営危機に陥ってから5年目にして新体制によるシャープが歩み始めた。 本格的に仕事をスタートさせた8月21日(日)には、堺市の本社で開いた会議で戴社長は約100人の幹部を前にして所信表明を行った。戴社長はシャープ再建を巡り幾つかの使命があるとし「短期的にはキャッシュを稼ぎ、赤字から黒字に転換することが最も重要である」と語った。欧米ではこれまでシャープブランドを他社に貸すライセンスビジネスを展開してきたが、戴氏はそれらを「取り戻したい」とも話した15。
第3章 買収後
8月12日のシャープ買収完了から約1ヶ月、戴新社長はシャープ旧本社がある大阪市阿倍野区長池町の地下鉄御堂筋線西田辺駅から徒歩1分、築30年を超えるシャープ社員寮で一般社員と一つ屋根の下で暮らしている。 買収完了前、7000人削減との観測もあったが、現状では人員削減も実施されずまたライン長が台湾人にもなっていない。8月22日戴社長は「人員削減ではなくて適正化である。」として、方針の中には「削減」の文字はないと語っている。全社的な数値目標を設けて削減しなくても、事業整理やホンハイのような成果主義(信賞必罰)の導入で人員は自然に絞られていくとの見方もある。 シャープは16年4月から「役員を除く課長級以上の幹部社員」向けに役職や職務の内容に基づいて報酬を決める「役割等級制度」を導入しているが、17年1月からは従来の年功序列型の給与制度に代えて当該制度を主に日本人の「一般職員」にも適用すると共に、幹部社員には降格制度を導入した。これに伴い業績で評価を決める「人事評価委員会」を新設した。また自己都合で退職した技術者の再雇用制度も始めるなど再建に向けて矢継ぎ早に人事・給与制度の見直しを進めている。 しかし、人以外の合理化は徹底している。この1ヶ月でもコストカットは広範囲に及んだ。テナント料削減を狙い東京本社は12フロアを3フロアに縮小したほか、千葉・幕張の自社ビルへの移転を始めた。中国出張の際にはホンハイの宿泊施設を利用させる程である。戴社長は億単位だった社長決裁の額を300万円以上に引下げ不要不急の出費を抑制した。 組織についても旧シャープのそれを大きく変更した。15年10月に導入したばかりのカンパニー制を廃止し、液晶以外の4カンパニーは社長直下の6事業部(エネルギーソリューション、電子デバイス、カメラモジュール、ビジネスソリューション、健康・環境システム、IoT通信)へと再編し、事業毎の収益管理を容易にし、トップに情報を集め易くした。 22人いた執行役員は業務上必要な一人を残し廃止する一方、経理や広報などを新設の社長室に編入し、室長に常務の橋本仁宏(三菱東京UFJ銀行出身)が就いた。橋本は買収前シャープ取締役として買収交渉に当たり、最終的にホンハイ側の提案を支持したもので、今では戴の命を受けて本社費用削減に心血を注ぎ、知的財産部門の合弁化や本社スタッフの子会社への転籍を進めている。 シャープは16年秋からベンチャー支援を始めており、人手や資金が足りないベンチャーの事業化
15 日経16.8.14、11.9
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を量産まで踏み込んで支援することを通じて、自社の新規事業の育成にも繋げる。言わば業種の垣根を越えて連携するオープンイノベーションの手法を取り入れ新たな成長の芽を模索している。 16年9月21日、「シャープ」のブランドで液晶テレビを販売する欧州の中堅家電メーカー UMC社
(Universal Media Corporation,スロバキア)を親会社ごと買収(資本業務提携)することで合意したと発表した。内訳は、UMC社の持株会社の株式56.7%を約104億円で買収する(17年2月10付け)。シャープは経営危機で15年1月1日に当該UMC社に売却した「ブランド」を買い戻してテレビや家電など幅広い商品を欧州で販売し経営再建につなげる方針である。 また9月28日シャープは技術者の士気を高める思惑もあって、大阪市内の旧本社地区の田辺ビルを16年3月に売却した売却先のNTT都市開発から買い戻す契約を結んだと発表した。取得額は約139億円で、売却額に1割程度上乗せした模様である。同ビルは営業部門などが使用していたが買い戻し後は最先端の技術開発や新規事業の創出拠点にする計画である。 ホンハイの戦略は明確であり、シャープは商品の開発と販売に経営資源を集中させ、ホンハイが調達と生産で支援する。液晶テレビやスマホなどで共同開発や生産委託が検討され、シャープの国内工場で生産する必要性は薄れてくる。なお戴社長は「人件費はコストの10%もない。経営再建では残りの90%が大事だ」と語っている。 ただ人材流出には歯止めがかからない。多くの幹部がシャープを去り16年秋には5人が日本電産に移った。「役員クラスならともかく現場に近い事業部長クラスまで辞めている。次を担う世代がいなくなる」とある幹部は嘆く。 9月30日シャープはスマホ向け次世代ディスプレイとされる有機ELパネルの「試作ライン」を当初の亀山工場(投資額480億円)から変更して堺工場及び三重工場に設けると発表した。投資額は574億円で18年4~6月稼働を見込んでいる。 シャープはホンハイの出資により3月末に陥った連結債務超過を解消し、9月末の自己資本は2548億円まで回復した。 16年11月1日、戴社長はトップ就任以来、初めての記者会見に臨み、今のシャープでは世界に100以上ある子会社を管理することは難しいことを強調すると共に、組織再編の方針を明らかにした。戴氏自身も出身母体である親会社ホンハイの取締役を辞任しシャープの経営に重点を置くことにする。また戴社長は社員向けに出した同日付のメッセージで「V字回復し18年度に東証1部への復帰を目指す」と述べている。 シャープは16年夏以降「無駄を省き利益を出す体質」への転換を図ることを目標にして、国内拠点の分散していた工場を一つに集約するなどして効率化を図る一方、遊休資産等の売却で収益向上を目指す。例えば、液晶テレビ「アクオス」を生産する栃木工場の生産ラインの縮小、奈良県内にある研究開発が主力の天理工場(天理市、従業員約130人)の生産中止、及び、社員寮の売却、並びに、太陽電池の拠点である葛城工場(葛城市)の縮小等である。 シャープは15年3月に三重第1工場を閉鎖したが、それでも生産能力は過剰気味である。液晶事業は足元の業績が悪化しておりコスト削減が求められている。三重第3工場(三重県多気町)は16年10月にも2本あるラインの一つ(スマホ向け)を亀山第2工場に移し休止させる。一方同亀山工場は主力工場として新たに112億円をかけて設備を強化する。
シャープとホンハイ 129
11月1日、発光ダイオード(LED)や半導体レーザーをなどの電子部品を生産するシャープの三原工場(広島県三原市、従業員約280人)で戴社長が、17年度中に三原工場の閉鎖とスマホのカメラ部品などを製造する福山工場(広島県福山市)への集約を検討していると明言した。雇用は原則維持する考えであり、地元自治体にも伝えた模様である。 また広島工場(東広島市)はシャープが1960年代から進出する重要拠点の一つであったが、3棟ある工場のうち既に遊休施設となっていた第3工場(他の2棟がある本部エリアとは1㎞ほど離れた場所にある。約4万6000平方㍍)の土地と建物を17年中にも自動車部品メーカー「オンド」に売却することにした。広島工場の残り2棟には9月末時点で1120人が働いている。そこでは16年に発売した「ロボホン」なども開発・生産しており、またスマホやタブレットの生産・開発などを手掛けるIoT通信事業本部が本拠を置く広島事業所もある。なお集約に伴う人員削減はしないとしている16。 16年12月シャープはiPhone用レンズメーカーの一つ「カンタツ」(栃木県矢板市)への出資比率を18%から44%に引き上げた。路線を引いたのはホンハイである。カンタツとの資本関係があることがシャープ買収に踏み切った理由の一つとも云われている。カンタツはアップル向けの増産資金を必要としていた。戴社長は16年夏、カンタツ幹部と会談し既存工場の設備増強と新工場の創設を同時に行うこととなった。 12月29日(木)ホンハイは12年からシャープと共同運営しているSDPに総額521億4000万円を追加出資し子会社にしたと発表した。具体的にはホンハイグループの投資会社(郭氏の息子の郭守正)がシャープの持つSDP株式の一部43万6000株を171億7000万円で買い取ると共に、SDPの増資引き受けにより349億円を出資する。これによりシャープの議決権の割合は39.88%から26.71%に下がる一方、ホンハイ側は53%と議決権の過半数を握ることになった。なお他に大日本印刷と凸版印刷が9.54%ずつ出資している。 翌日(12月30日)、SDPは中国の広州市政府と共同で610億人民元(約1兆200億円)の投資協定を結び世界最大級の第10.5世代パネル工場を新設すると正式に発表した。17年3月に着工18年9月頃を目処に生産開始し、19年に量産に入る予定である。 12月30日の東京株式市場ではシャープ株の終値は270円で16年最後の取引を終えた。15年末に比べ2倍以上に値上がりし、企業全体の価値を示す時価総額は1兆3000億円超となった。ホンハイの下でコストカット等を打ち出していることが投資家に評価された結果である。 シャープの戴社長は17年1月23日(月)、社員向けのメッセージで17年度の重点施策の一つを技術開発の強化とする方針を示すと共に、新しい技術を生み出した社員の起業を支援するファンドの創設を表明し、重要と判断する技術の開発には社長決裁枠の予算をつけることを明らかにした。 ホンハイはグループで66%保有しているシャープ株の一部(1%程度)を17年中にも売却する方針である。これは東証が東証1部指定の条件として株式の35%以上を市場で流通させることを求めているため、1部への復帰に向け基準を満たすことが狙いとみられる。なお1部指定の条件では時価総額などはクリアしており後は流通株比率の条件を満たす必要があった。
16 日経16.11.11、17.10.12、朝日16.12.3
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ホンハイは東芝が17年4月1日に設立する半導体メモリー新会社への出資を提案しており、日本政府の技術流出への警戒感が強く実現は難しいもののホンハイの部品への強い執念が表れていると云えよう。そして経営再建中のJDIグループが手掛ける有機EL事業については「(日本企業が一丸となって技術流出を防ぐ)日の丸連合を創生すべきとの考えに変わりはない」と連携に意欲を示している。 17年4月15日(土)堺市の本社で開かれたシャープのOB向けの会合で戴社長がテレビ会議システムで参加し、パソコンなどスマートフォン以外のIT機器事業への再参入を検討していることを明らかにした。台湾のホンハイが手掛けるパソコン等をもとにした商品をシャープブランドで販売することを視野に再参入を目指す。 4月27日、シャープは主力生産拠点であるベトナムの「シャープタカヤ電子工業」(岡山県里庄町、シャープが4割出資)を子会社化しスマホ向けのカメラ部品を増産することが明らかになった。 5月18日、シャープはソフトバンクグループがサウジアラビア等と共同で発足させる投資ファンド「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」に参加し、投資期間5年で最大10億ドル(約1126億円)を拠出すると発表した。 6月20日、シャープはホンハイの傘下に入って初めての株主総会を開いた。中型液晶パネルや海外でのテレビ販売の好調や、東南アジアなど海外拠点でのコスト削減等、戴社長が進めた構造改革により17年3月期は3期ぶりに経常損益が黒字転換した。不振の温床だった太陽光発電を含め全事業で営業黒字を達成した。13年3月期以来続く無配についても戴社長は「18年には配当できるように頑張りたい」と強調した。総会で質問したのは6人のみで取締役9人のうち5人をホンハイグループ出身者にする人事案などを可決し、無風のまま1時間強で終わった。 出資完了と同時に就任した戴社長は、徹底したコスト削減を行った。また他社との不採算取引もEMS世界最大手のホンハイの購買力を背景に見直しをした。この間に一方で東芝が経営難に陥ったこともシャープのV字回復のスピード感をなお一層際立たせることになった。 縮小均衡であったこれまでと異なり、18年3月期(連結最終損益は590億円の4期ぶりの黒字転換を見込む。)を「反転攻勢の年」と位置づけ、液晶テレビの販売増やスマホ向けカメラモジュールの増産を打ち出すと共に、17年度から3ヶ年の中期経営計画ではIoT関連事業の拡大に向けた方針を掲げている。 17年3月期の連結最終損益は248億円と3年連続の赤字ではあったが、前期までに従業員3000人規模の希望退職を実施すると共に、赤字だった北米でのテレビ事業を売却したこと等により、赤字幅は前期の2559億円の約10分の1に縮小した。下半期(16年10月~ 17年3月期)に限ると205億円の黒字であった。 長期の経営不振から投資を抑制してきたシャープであるが、戴社長による「不平等な契約」(市場価格が急騰していた08年ごろに20年までの長期契約を結んでいた。現在は市場価格が下落しているためライバル会社に比し割高な原材料を使い続けることになっていた。)の変更指示に基づくコストダウンを中心とする構造改革を進めた結果、営業利益は前期の1619億円の赤字から3年ぶりに624億円の黒字に転換した。上半期は液晶パネルや太陽光発電の事業において収益改善が見込めない工場
シャープとホンハイ 131
で投資額が回収できなくなったとして計346億円の減損損失を計上したことなどが響いたが、下半期に限ると主要7事業すべての部門営業損益が黒字転換するなど、事業環境は改善した。 経営危機の引き金となった液晶パネルなどディスプレイデバイス事業は、大型パネルの相場上昇や国内や中国でのテレビ販売が好調で、前期が1772億円の赤字だった部門営業損益は35億円の黒字になった。 また経常損益は3期ぶりに100億円を上回る250億円の黒字(前期は1924億円の赤字)に転換した。なお液晶ディスプレイや携帯電話などの販売不振の他、太陽光パネルやスマホ向けカメラ部品の不振も影響して、連結売上高は前期比16.7%減の2兆506億円と02年3月期以来の水準に落ち込んだ。 東京都内での記者会見で17年3月期決算について野村勝明副社長は「再生は道半ばであり、17年は真価を問われる年となる」と語った。 シャープが関東財務局に提出した17年3月期の有価証券報告書で同社が3月末時点で連結ベースの債務超過を解消したことが確認できたため、6月21日東証はシャープを上場廃止の猶予期間入り銘柄から解除した。株価は6月20日終値で420円と16年8月のホンハイの出資時から5倍近くに上昇している。シャープは東証2部から1部への復帰申請を6月末に行った。 90年代に経営危機に陥った日産自動車も親会社の仏ルノーから転じたカルロス・ゴーン社長による調達改革でV字回復した。従来の取引慣行と一線を画し価格重視で調達先を選びコストを大幅に削減した。ホンハイによるシャープの構造改革と類似点は多い。 17年7月26日(水)、郭会長は米ホワイトハウス会見場でトランプ大統領と並び立ち「米国製造の理念を実現すべく力を尽くす」と述べると共に、シャープとホンハイはウイスコンシン州に建設する「10.5世代」の大型液晶パネル工場等に100億ドル(約1兆1000億円)を投じると正式に発表した。これは18年にシャープが販売を始める予定の超高画質の放送規格「8K」や次世代通信規格「5G」関連の生産基地を築く構想であり、今回の投資で米国を中国に次ぐ成長の舞台に位置付けたことになる。更に8月2日、ホンハイは米国で追加投資することを明らかにし上記液晶パネル工場の建設を含めると、米国での投資総額は300億ドル(約3.3兆円)に上る見込みである。
シャープとホンハイは19年の量産を目指し、両社が共同運営する堺市のSDPも含めて日米中の世界3極で大型パネルを生産できる体制を整える。ホンハイは中国・広州深圳を基盤として投資額610億元(約1兆円)で月9万枚の生産能力を有する同世代の大規模工場を17年3月から建設中であるが、16年の輸出額は1社だけで中国の貿易総額の約4%を占めるという。郭会長は政治家との太いパイプを活用しながら、地元政府に対し工場建設の用地や建屋、電力、水などの無償又は低価格の提供を求め、ライバルより安い製造コストを実現してきた17。 9月19日、ホンハイは米ウイスコンシン州政府が18年春に本格着工予定のパネル工場建設(総投資額100億ドル)で破格の30億ドル(約3100億円)もの補助プラン(補助金と税優遇)を決めたことに応えて、「ハイテク製造業の世界的な中心を築いて見せる。」との声明を出した。現地で1万3000人の直接雇用を生み出し、150社のサプライヤー誘致にもつながるとのうたい文句である。スコット・
17 日経17.8.3
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ウォーカー州知事は「我が州が真に生まれ変わる一歩を踏み出した」と誇らしげな声明を出した。ホンハイは同州にある米プロバスケットボール、NBAの「ミルウォーキー・バックス」の本拠地球場の命名権取得も取り沙汰されている。 17年4~9月期のシャープの連結決算はホンハイと共同運営するSDPの業績が回復したため前年同期に計上した持分法投資損失191億円がなくなり、最終損益が347億円の黒字(前年同期は454億円の赤字)、売上高は1兆1151億円(前年同期比21%増)、経常損益は411億円の黒字(前年同期は320億円の赤字)になった。最終黒字の確保は4四半期連続であり、親会社であるホンハイの戴正呉社長が主導する経営再建のピッチが上がっていることが分かる。なお18年3月期の最終損益見通しは690億円の黒字(前期は248億円の赤字)と従来予想から100億円引き下げた。 シャープは、17年11月に米アップルが発売した3機種のスマホにおいてディスプレイに最上位機種「iPhone X
テン
」で初めて有機EL(及び顔認証でロックを解除する機能)を採用し、残る2機種では従来通り液晶を使ったことから、今後も液晶の販路を広げることで亀山第1工場の稼働率を維持し収益の安定確保を目指すこととした。更にシャープは12年に米アップルが同工場の生産設備の半分程度を投資負担し、アップルのスマホ「iPhone」専用として小型液晶パネルを生産してきた(なおシャープの業績が低迷していた15年降、アップル以外の他社のスマホ向けの製造もすでに始めたとみられる。)が、今後は自動車向けのパネルやモニター用途の高精細の27インチ放送規格「8K」に対応した中型液晶パネルも生産することにする。中型パネルの生産を始めるにあたり、画質や低消費電力に優れる液晶制御技術「I
イ グ ゾ ー
GZO」の製造設備も導入する計画である。 戴社長は創業者早川徳次の精神(「誠意と創意」)を取り戻してこそ復活できるとして、新生シャープのキーワードとして原点回帰などを意味する「Be Original.」に決めた。最近のCMにはこの言葉とロボット型携帯電話「ロボホン」が出てくる18。 12月7日シャープの株式が東京証券取引所第2部から同1部へ市場変更された。16年8月に債務超過で2部に転落後、1年4カ月でのスピード復帰である。戴社長は7日の東証1部復帰後の記者会見で「東証1部復帰を必ず果たす強い決心で片道切符を片手に日本に来た。目標を漸く果たせた」、
「1部復帰で社長を退任したいとの気持ちは変わらない」とも話したが、その意向を取締役会に諮ったところ「成長途上の交代は異例」として認められなかったという。戴氏が社長に就任した当初は警戒感も広がっていたが、それが今では社内で「戴さんに止められては困る」(幹部)との声が出る程に戴社長への依存心に変わってきている。 東証1部復帰初日のシャープ株は朝方から売りが先行し前日比2 %安で取引を終えた。カリスマリーダーなき後の体制づくりの難しさを投資家も感じているのかも知れない19。
おわりに
ホンハイによるシャープの買収の経緯を時間の経過に沿ってchronicle風に記してきたが、そこに浮かび上がってくるのはヒトと組織の興亡との密接な関係である。今も昔も企業の盛衰の鍵を握る
18 日経16.11.1119 日経17.12.8
シャープとホンハイ 133
のは経営者であり、買収後のコスト削減や人員管理などの重要な経営判断の巧拙がその後の企業の生産性に大きく影響を与えることになる。 オッカムの剃刀で余分なものを剃り落としてその本質を求めると「ヒト(P)とは餌(食物に限らない。)に向かって二足歩行する動物である」、「組織(C)とはある目的を達成するための人々(π)の集団である」に換言できる。C(企業)はP(顧客)のニーズを的確に把握しそれに適した製品を供給すると共に、生産過程で生まれた付加価値を用いてπ(社員)の生活を維持しなければならない。PC間には様々な法的規制がありそれに従わなければならない。またCπ間には社内規定等があり社員としてはこれを守る必要がある。このような条件の下でグローバル社会的環境の中で企業を持続的に成長させていくことは並大抵なことではないであろう。 今回のシャープ買収は、我が国の主要電機メーカーが初めて外資傘下に入るということで国際的な注目度も高い。戴社長による構造改革の成否は我が国の電機産業の将来を大きく左右することになるであろう。問題はこの再編でシャープが立ち直れるかどうかである。日産自動車や日本航空など過去の例を見ても企業の再編には資金面の手当てに加えて強力なリーダーシップが欠かせない。いずれにせよ構造改革には痛みを伴うことは避けられないが、シャープがホンハイの下で順調に再建でき鴻夏恋が企業再生のモデルケースにならんことを希望する。