インターネットと匿名言論 - keio university...インターネットと匿名言論 田坂...

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インターネットと匿名言論 田坂 (大沢研究会4年) ! はじめに " インターネット原理論 第一世代 第二世代 # インターネットの法的位置づけ インターネットへのアプローチ(総論) アメリカ合衆国におけるアプローチ 日本におけるアプローチ $ インターネットにおける匿名言論の価値 匿名言論(総論) インターネットにおける匿名言論 韓国における「インターネット実名制」 % おわりに ! はじめに Windows 95が発売され10年以上が経ち、インターネットの個人利用が急激に広 まった。人々は毎日のようにインターネットと接し、疑問に思うことがあれば検 索エンジンで調べ、ブログや SNS で身の回りの出来事や関心事を発信するよう になった。多くの個人がインターネットの利便性を享受し、インターネットが生 活に密着するようになった。こうしてインターネットが生活と密接になるととも 65

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Page 1: インターネットと匿名言論 - Keio University...インターネットと匿名言論 田坂 創 (大沢研究会4年) はじめに インターネット原理論 1 第一世代

インターネットと匿名言論

田坂 創(大沢研究会4年)

� はじめに

� インターネット原理論

1 第一世代

2 第二世代

� インターネットの法的位置づけ

1 インターネットへのアプローチ(総論)

2 アメリカ合衆国におけるアプローチ

3 日本におけるアプローチ

� インターネットにおける匿名言論の価値

1 匿名言論(総論)

2 インターネットにおける匿名言論

3 韓国における「インターネット実名制」

� おわりに

� はじめに

Windows95が発売され10年以上が経ち、インターネットの個人利用が急激に広

まった。人々は毎日のようにインターネットと接し、疑問に思うことがあれば検

索エンジンで調べ、ブログや SNSで身の回りの出来事や関心事を発信するよう

になった。多くの個人がインターネットの利便性を享受し、インターネットが生

活に密着するようになった。こうしてインターネットが生活と密接になるととも

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Page 2: インターネットと匿名言論 - Keio University...インターネットと匿名言論 田坂 創 (大沢研究会4年) はじめに インターネット原理論 1 第一世代

に、インターネット上での問題が増加してきた。代表的なものとして「闇サイ

ト」と呼ばれる犯罪行為を助長する情報が掲載されたサイトが社会問題となって

いる。そこでは、殺人、暴行といった犯罪仲間を募る書き込み、自殺志願者を募

る書き込み、拳銃や麻薬の売買、個人情報の売買などの情報が飛び交っている。

また、P2Pファイル交換による著作権侵害、学校裏サイトなどの匿名掲示板で

の誹謗中傷など、インターネットをめぐる問題は深刻なものとなっている。こう

したインターネットの光と影は憲法と通じてどのように解することができるだろ

うか。

インターネットの存在を表現の自由に照らしてみると、極めて民主的なメディ

アであることが分かる。インターネットが存在しない時代においては、実質的に

表現手段がマスメディアによって独占されていた。個人は情報の受け手に固定さ

れ、マスメディアの編集が加わった情報を受け取るだけで、情報の送り手として

の地位はほとんど持ちえなかった。この個人の表現の自由が置かれた状況を前提

として、奥平康弘教授1)や渡辺洋三教授2)が集会の自由を個人の表現の自由を補

完するものとして位置づけようとした。しかしながら、それはあくまでも補完的

な意味しかもたず、個人が放送・印刷メディアにおいて表現の自由を行使するこ

とは不可能に近いほど困難であり、個人の表現者としての地位は十分なものとは

到底評価できなかった。そこに登場したのがインターネットだ。インターネット

の存在により個人が自己情報を発信することが極めて容易になり、個人は情報発

信者、表現者としての地位を回復したのである3)。インターネットの特徴は「双

方向性」「地理的無制約性」「分散性」「匿名性」などさまざま挙げることができ

るが、こうした特徴を背景にインターネットは爆発的に発展し、メディアとして

の影響力を強めている。

しかしながら、こうしたインターネットの発展により個人の表現の自由を伸長

する一方で、インターネット上で他者の権利が侵害されるという問題が起こるよ

うになった。実際にわいせつな表現や名誉毀損的表現、プライバシーを侵害する

表現などがインターネット上に存在し、それが法的紛争に発展するケースも多く

ある。また、インターネットにおける他者の侵害がリアルスペースにおける他者

侵害よりも被害が甚大であるとの指摘4)もなされている。こうした問題に各国が

対応を進める中で法的な手段の必要性が唱えられており、インターネットという

メディアを法的にいかに扱うのかなど、インターネットと法との関係を理論的に

検討することが求められている。また、その問題の原因をインターネットの匿名

66 政治学研究41号(2009)

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性に求める声は大きく、インターネットでの匿名による情報発信を禁止するべき

だという考えもある。実際に、韓国においては一部のインターネットメディアサ

イトにおいて「インターネット実名制」が導入されている。

こうしたインターネットをめぐる現状に対する問題意識のもと、本論文では表

現の自由を念頭にインターネットの法的取り扱いとインターネットの匿名性につ

いて、アメリカにおける判例や議論、韓国における事例を通じて検討していく。

� インターネット原理論

インターネットと法の関係を検討する上で、そもそもインターネットという地

理的区分が存在しないスペースに、地理的区分により異なる法をダイレクトに適

用ができるのかという問題から始めなければならない。確かに現実に日本におい

てインターネットにも法的規制は存在するが、インターネットがなぜリアルス

ペースの法理が適用されうるのかを考えなければ、インターネットという新しい

メディアの特性を無視した拙速な法的規制に陥る危険性がある。しかしながら、

日本におけるこの問題の議論が不足・欠落しているのが現状である5)。

この論点は日本と正反対にアメリカでは当初から盛んに議論されてきた。こう

した議論は、サイバースペースのセルフガバナンス(self-governance)を支持す

る第一世代と、そのセルフガバナンス論を批判する第二世代という分類がなされ

ている。これは第二世代の代表格であるレッシグ(L.Lessig)による分類である。

1 第一世代

第一世代の代表的な論者であるポスト(D.Post)とジョンソン(D.Johnson)は、

国境無制限制(地理的無制限性)を根拠に国家によるサイバースペースへの介入

は原則的に許されないと主張した。その上で、「ネットの法的諸争点を解決する

ためにはサイバースペースの自律的構造こそがよりよく適して」6)いるとし、サ

イバースペース内に国家とは別の法律制定機関の出現を期待した。この主張はサ

イバースペースをリアルスペースから全く独立した新たな世界と捉えていると考

えられる。

2 第二世代

この第一世代の主張に対抗する議論としてレッシグの議論がある。レッシグは

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「半分はリアルスペースにいるサイバー市民に対してサイバースペースが影響力

を与えるならば、あるいは、サイバースペースがリアルスペースのみにいる第三

者に影響を与えるならば、リアルスペース上の主権がサイバースペースを規制し

たいという主張は非常に強いものとなる」7)と述べ、第一世代のサイバースペー

スの法をリアルスペースの法と別個のものとするべきという主張を批判した。

さらにレッシグは人間の行動を規制する要素として「法(Law)」「(社会)規範

((Social)Norm)」「市場(Market)」「アーキテクチャ(Architecture)」の四要素を

挙げた。このうちの「アーキテクチャ」はサイバースペースにおける「コード

(Code)」に相当すると指摘し、このプログラマーによって書かれた「コード」が

リアルスペースにおける「アーキテクチャ」よりも強烈に規制機能を発揮すると

している。そうすると現在のサイバースペースで人々が比較的自由に活動できて

いるのは「コード」それ自体が偶然にもそれを実現しているだけで、コードが企

業や政府によってひとたび書き換えられればサイバースペースでの表現の容易さ

も匿名性も失われる可能性があるということになる。こうした「コード」のサイ

バースペースにおける規制機能の強烈さに対して、レッシグはサイバースペース

上に監視型社会が打ち立てられる可能性が高いとして警鐘を鳴らしているのであ

る8)。

このレッシグの「四つの規制要素」の分析手法に基づいてサイバースペースを

見てみると、小倉一志教授は『サイバースペースと表現の自由』の中で、イン

ターネットへの接続はより低コストとなっており「市場」による規制は非常に小

さなものとなり、「(社会)規範」については、リアルスペース上よりもサイバー

スペース上でより強く働く可能性は(現在のところ)非常に低いと述べている9)。

それゆえに、「実質的には「法」と「コード」の規制要素間の綱引きにおいて、

規制手段およびそこにおける表現内容がきまることになるであろう」と主張して

いる。そしてこの両者の綱引きは、わいせつ表現の領域ではブロッキングソフト

ウェア、フィルタリングソフトウェアという問題の表現を遮断する「コード」が

他の表現領域よりも強く作用する可能性を有しており、これらの「コード」がよ

りソフィスケートされることで「法」規制の役割は減少することになるとしてい

る。それに対して名誉毀損的表現や差別的表現は「コード」による規制が強く作

用することはなく、「法」による規制の役割が今まで通り機能することになると

述べている。

なお、2004年の「子どもオンライン保護法(Child Online Protection Act)」

68 政治学研究41号(2009)

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(COPA)をめぐる連邦最高裁判決10)では、ブロッキングソフトないしフィルタリ

ングソフトが COPAに比して「より制限的でない他の選びうる手段(less restrictive

alternative)」であり、海外からのわいせつ表現を遮断しうる「より効果的」な手

段となりうる可能性を指摘して COPAを違憲とした控訴裁差戻判決を支持した。

この判断はわいせつ表現に対し「コード」による規制が強く作用する可能性を評

価したものであると考えられる。サイバースペースにおける「コード」の強烈な

規制機能を表現領域ごとに検討することで、表現の自由に対する「法」による規

制の役割をより小さなものとするのに有効であるといえる。

しかし一方で、「コード」による規制に対してはいささか楽観的といえるので

はないか。小倉一志教授は、「基本的に「コード」は、市場原理という「神の見

えざる手」により決定され、ユーザーの選考がその決定を左右するはず」であり、

「全ての国家が一様に新しい「コード」を選択することはありえず、ネットヘブ

ン(net haven)として機能する国家が現れることは必然であると思われる」と述

べ、さらに IAB(International Architecture Board)や IETF(Internet Engineering Task

Force)やW3C(World Wide Web Consortium)といった NPOにより重要な「コー

ド」はオープンにされることでコントロールは可能であるとして、レッシグの

コード論を批判している11)。確かに、現状においてのインターネットはレッシグ

の危惧するような監視社会となってしまっているわけではない。しかし、資金

力・開発力のある企業のコードがユーザーの支持を独占し、競争力のあるその他

の企業が駆逐され、その結果一企業がコードを独占する危険はまったく存在しな

いのか。NPOは常に企業や国家から独立でありうるのか。現状がうまくいって

いるからといって、未来永劫それが続くとは限らない。現状の相当程度に自由な

サイバースペース、レッシグによるところのコードの不完全性ゆえに自由なサイ

バースペースを維持するためには、コードの多様性を保護するためのさらなる不

断の国際的な取り組みが必要であろう。

� インターネットの法的位置づけ

1 インターネットへのアプローチ(総論)

前章で確認したように、サイバースペースにおいて国家による法適用の可能性

があるとして、いかにしてインターネットが存在しない時代に制定された憲法を

適用するのか。

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新しいメディアであるインターネットへ対応するアプローチとしては、�イン

ターネット法またはサイバー法といったサイバースペースという新たな法領域を

構築するアプローチと、�インターネットの発達に合わせて段階的に既存法理を

修正・適用するコモン・ロー的アプローチが考えられる。コード論を唱えたレッ

シグは、インターネットは未だ発展途中にあり、インターネットの姿を現段階で

固定的に捉え、インターネット法(internetlaw)やサイバー法(cyberlaw)という

包括的法理を樹立することに慎重であるべきだと主張する。しかしながら、その

態度は現段階におけるものであり、将来的にサイバースペースにおける包括的法

理が樹立されること自体を否定しているわけではなく、コモン・ロー的アプロー

チを採りながら形成されること志向していると考えられている12)。

レッシグのサイバースペースにおける包括法理の構築アプローチが望ましいか

どうかは別として、インターネットを取り巻く環境が目まぐるしく変化する現段

階において、その包括法理を固定化することは時期尚早であろう。山口いつ子教

授はサイバー法概念の検討に際しては、特に表現の自由という価値を意識するべ

きだと述べ、その理由として「表現の自由が、情報をめぐる法の規範的革新に位

置付けられるはずの価値であるのみならず、近年のユビキタス化の進展にみられ

るように、社会において情報が流れる媒体や形態が技術革新によって目まぐるし

く変化するなかでは、ネット上で情報が自由に流れるということの原理的な価値

や意味について絶えず意識しておくことが、「サイバー法」ないし「インター

ネット法」という新しい法カテゴリーの正確や意義を理解するうえで不可欠であ

ると考えられるからである」13)と述べている。サイバースペースにおける法理の

核心には必ず、第一章で述べたようなインターネットの民主主義的意義が据えら

れると考えられる。現段階においては、サイバースペース上での問題に対しては

サイバースペースの存在意義を十分に考慮し、そしてそれを最大限尊重しながら

対処することが望ましいだろう。また、それと同時に常にインターネットの発展

する姿に注目し、あるべきインターネットの法理の形を模索していく必要がある

だろう。

2 アメリカ合衆国におけるアプローチ

現段階においてサイバースペースに対するコモン・ロー的アプローチが必要と

されているとして、具体的にはどのような形で既存法理が適用されてきたのだろ

うか。サイバースペースの存在を想定していなかったという点で、約200年前に

70 政治学研究41号(2009)

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制定されたアメリカ合衆国憲法も60年前に制定された日本国憲法も事情は同じで

ある。そこで、アメリカ合衆国におけるメディアに関する法の枠組みとサイバー

スペースへの法適用の経緯を見ていきたい。

アメリカでは従来、「印刷(print)」「放送(broadcasting)」「コモンキャリッジ

(common carriage)」という「三叉に分かれた(trifurcated)」コミュニケーショ

ン・システムに対応した制度枠組みが確立され、この枠組みの下で新たなコミュ

ニケーション技術にこの三つのメディアとの技術的特性面での類似性に応じて、

その法規制が類推適用14)されるというコモン・ロー的アプローチが採られてきた。

以下では、こうした「メディア別(medium-specific)」アプローチの適用の前提と

なる、それぞれの既存メディア規制の法理について確認した上で、インターネッ

トをいかに位置づけられるのかについて検討する。

コモンキャリッジは郵便・電信・電話などを指し、「あまねく提供義務(univer-

sal service)」としての非差別的なサービス提供の義務や、伝送内容について関与

してはならない義務を負う。印刷メディアに対しては20世紀中盤以降の修正第一

条に対する言論保護的な法理の下で、個人の言論者と同等の「完全な」憲法的保

護が与えられている。そして、放送メディアにおいては免許制や事業規制などに

よる構造規制のほかに、公正原則など広く内容規制の下に置かれている。

こうした規制法理を有する三つのメディアとインターネットを比較してみる。

電子メールやインスタントメッセンジャー、インターネット電話などは、その利

用形態から考えてコモンキャリッジと類似していると考えられる。ウェブ・ログ

などは印刷メディアに近いように思われるが、インターネットラジオやインター

ネットテレビの表現形式は放送メディアに類似している。インターネットという

メディアは三つのメディアのうちのどれかに類似しているメディアではなく、既

存メディアの特性を内包したメディアであるといえる。インターネットはこうし

た多様な特性を有するメディアといえるが、1996年に連邦議会はインターネット

を放送メディアと位置づけ、インターネット上の「わいせつ」だけでなく「下

品」ないし「明らかに不快」な表現を規制することを目的として「通信品位法」

を制定したのである。この法律の合憲性が争われたレノ事件の判決を検討する前

に、放送メディアの規制法理についてさらに詳しく説明する。

アメリカにおいて放送メディア規制の正当化根拠として伝統的に主張されてい

たのは、「周波数の希少性」であった。たとえば、1969年のレッドライオン判決

において、公正原則の主たる正当化根拠として周波数の希少性があげられている。

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公正原則とは、1960年代以降にバロン(J.Baron)によって指摘された思想の自

由市場が豊かな一部の者に支配されているという機能不全を解消するために、連

邦通信委員会(Federal Communications Commission:FCC)により1985年まで導入

されていた原則である。公正原則は個人攻撃に対する反論権、政治的議論に関す

る反論権から構成される15)。この「周波数の希少性」はケーブルテレビの登場と

ともに現実味を失い、放送メディアを規制する根拠としての妥当性を失った。ま

た、そもそも「周波数の希少性」が規制根拠となりうるかについても批判があり、

あらゆる財は希少であり放送メディアのみを特別扱いすることはできないとバー

ク(R.Bork)やベンジャミン(S.Benjamin)らによって主張された16)。しかしな

がら、日本においてはこの「周波数の希少性」を理由とした放送メディア規制は、

ケーブルテレビや衛星放送の発達するなかでも維持され続けてきた。

「周波数の希少性」のほかに、放送メディア規制の正当化根拠として有力なも

のとして「浸透性理論」(pervasiveness doctrine)がある。1978年に連邦最高裁は

パシフィカ判決17)において、ラジオ放送が家庭というプライバシー空間に「浸透

的(pervasive)」な性格を持つとして FCCのラジオ放送における下品な放送に対

する規制を合憲とした。この「浸透性理論」は衝撃説として紹介され、日本では

社会的影響力という言葉が用いられている18)。

この「浸透性理論」はデンバー判決19)に引き継がれ、ケーブルテレビにも浸透

的性格を有するとされた。この判決ではケーブルテレビという希少性のないメ

ディアに対して「浸透性理論」が適用されたが、このことはあらゆるメディアに

「浸透性理論」が適用可能であることを示唆しているのではないか。「周波数の希

少性」の説得力が減少し、それに代わる理論として登場した「浸透性理論」は、

物理的な希少性を有するメディア、つまり地上波テレビとラジオに限定されるべ

きであった。しかし希少性を持たないケーブルテレビに「浸透性理論」が適用さ

れたとなれば、希少性を持とうが持つまいが「浸透性理論」の適用可能性がある

ことになる。全てのメディアは多かれ少なかれ浸透的であるため、全てのメディ

アは浸透的であることを理由に規制されうるということになる。これは表現の自

由にとって脅威であり20)、「浸透性理論」の運用には慎重な態度が求められるだ

ろう。

1997年には通信品位法をめぐるレノ判決21)が出された。本法で問題となったの

は223(a)(1)(B)(ii)と223(d)であり、インターネット上の表現につき、

(a)項では「わいせつ」または「下品」なコンテンツをその受信者が18歳未満で

72 政治学研究41号(2009)

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あることを知りながら送信すること、(d)項では「明らかに不快」なコンテン

ツを18歳未満の者が利用できるような方法で送信・展示することを禁止し、25万

ドル以下の罰金または2年以下の自由刑を科すと規定していた。この条項を連邦

最高裁は「最も厳しい(most stringent)」審査基準を適用し、新聞・雑誌と同様

の審査基準を適用した。この審査基準を採る上で連邦最高裁は、まず放送メディ

アの特別な規制の根拠を「放送媒体に対する広範な政府規制の歴史」「その初期

における利用可能な周波数の希少性」「その『浸透的』な性格」を挙げ、これら

がインターネットには当てはまらないことを理由とした。浸透性理論が否定され

たのは、インターネットは情報受信に積極的な操作が必要であり、テレビやラジ

オ同様の浸透性が欠けていると判断したためである。こうした連邦最高裁の態度

は、インターネットに関して原則的に修正第一条の原理に立ち戻ることが確認さ

れたといえる。

3 日本におけるアプローチ

前節ではアメリカにおけるインターネットの法的位置づけを見てきたが、日本

ではインターネットがどのように位置づけられてきたのだろうか。日本において

は、インターネットは通信と表現のどちらに該当するのか、「印刷メディア」「放

送メディア」のどちらに位置づけられるのかということについて論じられてきた

が、学説上の明確なコンセンサスはなく22)、最高裁判所も判断を下していない。

インターネット上の問題に対する対応については、1990年代中ごろにはアメリ

カでインターネット上の下品なコンテンツに対して通信品位法により立法措置を

とるなど、積極的な動きが見られていたのとは対照的に、日本においては表現の

自由と通信の秘密を尊重する姿勢から、既存の法律の解釈・適用を試みてきた。

しかしながら、インターネットの爆発的な普及を背景に1990年代終わりごろから

は、「風俗営業法」の改正23)や「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限

および発信者情報の開示に関する法律(プロバイダー責任法)」24)の制定など積極

的な立法措置がとられるようになってきた。

こうした状況のなか、インターネット・メディアの取り扱いを含めて、総務省

では情報通信分野における法体系の見直しを検討している。通信・放送の融合・

提携に向けた動きに対応するために、平成18年8月から「通信・放送の総合的な

法体系に関する研究会」(座長:堀部政男教授)が開催され、平成19年の12月に最

終報告書25)がまとめられた。

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研究会報告書では、通信・放送法制の見直しの必要性を以下のように説明する。

情報通信インフラの構築の進展やデジタル化、IP化などの技術革新により、伝

達経路の融合が進み、一つのネットワークでの通信・放送サービスの両方を提供

可能となっている。コンテンツ面では、放送メディアのコンテンツがオンライン

で提供されるなどマルチユースが進むとともに、ブログや SNS(social networking

service)を通じて個人の情報発信が積極化している。こういった動向を踏まえて、

研究会は世界最先端の法体系に転換することを掲げ、従来のメディアごとの物理

的特性によって市場や利用形態が限定される「縦割り構造」から、コンテンツと

ネットワークの自由な組み合わせが可能な「横割り型」のレイヤー構造に変化す

ると想定している。この変化のなかでメディア横断的なビジネスモデルが構築さ

れる際に、それを妨げないような通信と放送の法制度について可能な限りの規制

の緩和と規制体系の大括り化が必要となる。また一方で、情報通信ネットワーク

利用者が、サービスが高度化・複雑化するなかで高度な専門的知識が必要とされ

る場面が増大するため、それに対応する包括的な利用者保護の整備の必要性が高

まっている。さらに急速な技術改革に対応する技術中立性やネットワークの国際

化に対応するための国際的整合性の確保について対応する必要があり、これらの

必要性も通信・放送法制の見直しを迫っている。

続いて、通信・放送法制見直しの方向性についてであるが、基本理念として

「情報の自由な流通」「ユニバーサルサービスの保証」「情報通信ネットワークの

安全性・信頼性の確保」を掲げ、「コンテンツ」「プラットフォーム」「伝送イン

フラ」という階層構造で捉え、それぞれのレイヤーごとに共通的に規律すべきだ

としている。この方針は「サイバー法」や「インターネット法」概念とは異なり、

テレビやラジオからケーブルテレビや衛星放送、インターネットなどとあらゆる

通信・放送メディアを包括的に取り扱う法体系を目指しているといえる。

ここで、表現の自由との関係で特に関連性が強いコンテンツ・レイヤーにおけ

る法体系の在り方についての研究会の方針を説明する。まず、情報通信ネット

ワークを流通するコンテンツのうち、通信内容の秘匿性の有無、つまり公然性の

有無によりコンテンツを二分する。公然性を有しないものに関しては、「通信の

秘密」を保障し、公然性を有しないものとしては私信など特定人間の通信を指す

とされている。公然性を有するものに関しては、情報通信ネットワークを用いた

「表現の自由」が保障される。

続いて、情報通信メディアは不特定のものに瞬時に動画・音声を伴う映像を通

74 政治学研究41号(2009)

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じて視聴される点で印刷メディア等とは異なる社会的影響力を有するという理由

から、公然性を有するコンテンツを特別な社会的影響力の有無による区分がなさ

れる。特別な社会的影響力を有するコンテンツは「メディアサービス(仮称)」

として、現行放送や今後登場が期待される放送に類比可能なコンテンツ配信サー

ビスが想定されている。この「メディアサービス(仮称)」のうち「特別な社会

的影響力の程度」によりさらに類型化し、程度の軽いコンテンツは「一般メディ

アサービス(仮称)」、程度の重いものは「特別メディアサービス(仮称)」とする。

前者については、現行の放送規制を原則緩和するとされ、後者については現在の

地上波テレビ放送に対する規律を原則維持するものとされる。「特別な社会的影

響力」の程度を判断する基準として、�映像/音声/データといったコンテンツ

の種別、�画面の精細度といった当該サービスの品質、�端末によるアクセスの

容易性、�視聴者数、�有料・無料の区別、によるとされている。なお、この基

準については恣意的運用を排除するため、可能な限り外形的に判断可能なものに

する必要性が強調され、今後さらに検討されるとされている。なお、「特別な社

会的影響力」をもたないコンテンツは「オープンメディアコンテンツ(仮称)」

とされ、最低限の違法・有害情報対策が検討されている。

以下において、研究会の示す「情報通信法(仮称)」について検討する。まず、

コンテンツの公然性の有無による二分はインターネットを「公然性を有する通

信」とする考えに依拠したものであろう。この二分法によると、公然性を有する

とされるホームページに一切の「通信の秘密」が保障されないことになる。しか

しながら、「通信の秘密」には、通信の内容だけでなく、通信の事実、つまり誰

が誰にいつ通信したのかに関する情報が含まれると考えられている。通信の事実

というトラフィック・データに対しては「公然性を有する通信」であろうと保護

される必要26)があると考えられるが、報告書にはその記載がない。「公然性を有

する通信」に通信の事実の保護がなければ、たとえば誰がいつ書き込んだのか、

誰の運営するホームページなのかについて通信の秘密がないということになり、

表現の匿名性やプライバシーとの関係でも大きな問題である。

また、公然性を有するコンテンツを「特別な社会的影響力」の有無により二分

する方針は、アメリカにおける「浸透理論」が下地になっていると思われる。こ

の「浸透理論」は日本においては社会的影響力として理解されてきた。この浸透

性理論は、アメリカにおいて従来は希少性のあるメディアに対して適用されてき

たが、デンバー判決で希少性を有しないケーブルテレビにも適用される判決が出

75

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され、全てのメディアが多かれ少なかれ浸透的であることからあらゆるメディア

の規制根拠となる危険性が指摘されてきた。当該研究会の報告書で示された「特

別な社会的影響力」という理論は、その危険性を内包しているといえないか。デ

ンバー判決で浸透性理論が適用されたケーブルテレビにとどまらず、インター

ネットにおいても「特別な社会的影響力」の理論によって規制される方向性が打

ち出されたのである。アメリカにおいてはレノ判決ではインターネットの浸透性

が否定され、修正1条に立ち返り印刷メディアと同様に厳格な基準によって審査

された。つまり、現状のインターネットには放送についての法理は妥当せず、古

典的な表現の自由の法理を適用したのである。このアメリカにおけるインター

ネット規制の動向と正反対の姿勢がとられたのが当該報告書であるといえるだろ

う。

この日米のインターネットの法的取り扱いの差異は、「思想の自由市場」とい

う考えがアメリカにおいて強く支持されてきたことと関係があるだろう。イン

ターネットは、「国民は容易にアクセスし、表現活動を行うことができる。その

意味では、古典的な表現の自由の法理が前提としている「思想の自由市場」とい

う考えが、より強く現れるということもできる」27)とされており、「思想の自由市

場」の考えが強く支持されているアメリカにおいてインターネット規制が厳格な

基準で審査されたといえる。

なお、従来はテレビやラジオの規制根拠として「周波数の希少性」が学説では

支持されてきたが、当該研究会の事務局を務める内藤茂雄・総務省情報通信政策

課通信・放送法制企画室長は、中間報告後の勉強会28)で「日本では放送法ができ

た時点で、すでに規制の根拠としては「社会的影響力」が主、「電波の有限希少

性」は従だった。途中から電波希少性を規制根拠にする学説が出てきたが、オ

フィシャルに電波の希少性を根拠にしたことはない。いまは学界においても、

ソーシャルインパクトに放送の規制根拠を置くというのが通説的見解になってい

る」と説明している。

最後に、「特別な社会的影響力」の程度を判断する基準について検討する。当

該研究会が恣意的運用に対して慎重な姿勢を示し、可能な限り外形的判断が可能

なものとする方針には賛同する。しかしながら、画面の精細度といった当該サー

ビスの品質や端末によるアクセスの容易性という基準については情報・通信技術

の発展により今後基準としての意味をなさなくなる可能性がある。また、前述の

勉強会で内藤茂雄・通信・放送法制企画室長は「特別メディアは数万人にフル画

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面サイズの画質で同時ライブ送信するようなメディアを対象として」おり、地上

テレビ放送以外のコンテンツはむしろ規制を緩めることになるとの方向性を示し

た。しかし、現実に数万人規模でのライブストリーミングがインターネットにお

いて実施されていることを考えると、将来的にインターネットにおいてより高画

質な映像の送信が可能となれば、「特別な社会的影響力」を有する一般メディア

サービスや特別メディアサービスに分類されるコンテンツが生まれる可能性が高

いといえるだろう。

以上で指摘したように、通信と放送に関する法体系を大括り化することは、イ

ンターネットという発達途上のメディアの取り扱いに歪みを生み出す側面を持つ。

学界ではこれまでインターネットを通信に属するメディアか、あるいは表現に属

するメディアかについてコンセンサスを形成するに至らず、このことはインター

ネットが通信と表現の両面の性格を複雑に併せ持った特殊なメディアであること

の表れであると考えられる。こうした複雑な性格のインターネット・メディアを

公然性の有無という単一の指標により通信と表現に二分することは現実的ではな

い。また、近年のインターネット技術の発達により以前よりも映像や音声による

コンテンツがネットワーク上をより流通するようになったとはいえ、ネットワー

ク上のコンテンツの大部分を文字や画像によるコンテンツが占めているのが現状

であるが、印刷メディアには適用されない「浸透性」理論を下地とした「特別な

社会的影響力」の理論が公然性を有するインターネット上のコンテンツに適用さ

れることも現実とのギャップが大きいといえるだろう。

このように通信と放送をめぐる法体系が「縦割り構造」から「横割り型」のレ

イヤー構造に変化することにより、少なからずインターネット・メディアに対す

る拘束は以前よりも強烈なものとなる。このことは、ネットワークの自由を支え

る匿名性などのインターネットの様々な特性を弱め、ひいては民主主義的意義に

対する期待を弱体化させることになりかねないことに留意する必要があるだろう。

� インターネットにおける匿名言論の価値

これまでインターネットの法的位置づけとインターネットに対する規制につい

て検討してきた。インターネットに対する規制は、インターネット上でのわいせ

つな表現や名誉毀損的表現、プライバシーを侵害する表現など他者の権利が侵害

されるという問題に対応するためのものであるが、その一方でインターネットの

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特徴を弱める側面も持っている。インターネットの特徴として代表的なものとし

て匿名性が挙げられるが、インターネットにおける匿名言論はインターネット上

の問題の原因としても強く主張されている。

浜田純一教授はインターネット上での問題の原因につき�インターネットの参

入障壁の低さ、�表現内容に対する事前チェックの困難性、�表現内容の責任感

や倫理観の欠如、を挙げており、�インターネットの情報伝達力の強さ、�表現

の匿名性というインターネットの特性がさらに被害が拡大させていると分析29)し

ており、表現の匿名性を直接的な原因とはしていないが、表現の匿名性は�イン

ターネット参入障壁の低さや�表現内容の責任感や倫理観の欠如と関連性がある

と考えられる。匿名だからこそインターネット上での表現が気軽なものとなり、

匿名だからこそ無責任な発言が誘発されていると考えると、表現の匿名性はイン

ターネットの特徴を形成するとともに、インターネット上の問題の原因を考える

上で重要な要素であるといえるだろう。これより、インターネットにおける匿名

性について詳しく見ていくこととする。

1 匿名言論(総論)

そもそも、匿名言論はインターネット上でだけ問題となるのではない。リアル

スペースにおける純粋な匿名での表現のほかにも匿名と同視できるような仮名で

の出版や表現など、匿名での表現は伝統的に存在してきた。こうした匿名での表

現は憲法学ではどのように捉えられ、位置づけられているのか。

こうした匿名言論に憲法の保障が及ぶのかについて日本の裁判所は判断を下し

ていないようだが、アメリカにおいてはマッキンタイア対オハイオ選挙委員会事

件30)で匿名言論についての連邦最高裁判決がある。事例は、学校課税法案に反対

するビラ文書が配布されたことが、匿名でのビラ文書の発信者や発信組織の住所

氏名・名称を書いていない選挙用の文書配布を禁じているオハイオ州法典

3599.09条(A)違反に問われたものである。連邦最高裁は匿名性の意義につい

て、「匿名性を守る動機は、経済的な、あるいは公的な仕返し、社会的追放を避

けるためであったり、単にプライバシーを守るためであったりである」として、

差別・迫害・抑圧の回避とともにプライバシー保護を挙げた。さらに、「匿名で

あるが故に、発言者が誰であるかにとらわれない判断を読者ができるという利点

もある」として、偏見や先入観からの解放についても指摘している。また、匿名

での表現は顕名での表現に比べて信用されにくいという批判があるが、その点に

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ついて「通常は発言者の名前を出すことがより説得力を増すと考えられる政治的

言論の場においてさえも、政治的な呼びかけを匿名で行うことが最も説得的であ

る場合もある」として全ての場合において匿名言論の信頼性の低さが妥当するわ

けではないことを明らかにした。そして、こうした匿名言論の意義を評価して、

一般的な匿名言論が修正第一条の保護を受けることを示した。

この判例で明らかになった匿名言論の特徴を改めて検討する。差別・迫害・抑

圧の回避については、歴史的に見れば政治的抑圧を恐れる者が匿名で表現をした

例があり、現代社会においても内部告発などが匿名で行われている。これらの表

現は匿名だからこそ発せられる場合が多く、こうした重要な情報が明るみに出る

ことは公共の利益に資するといえる。近年問題となっている食品を中心とした偽

装の問題も、その多くが内部告発によって明るみに出ていることを見ても、内部

告発者を保護する匿名言論は表現の自由として保護されるべきであるだろう。ま

た、偏見や先入観からの解放という点についても、本名が有名であり、その名前

による偏見や先入観を回避するためにペンネームを用いたり、女性の社会的地位

が低かった時代に特に多く見られるような女性作家が性を偽装するペンネームを

使用する例からも、その重要性がわかるだろう。信頼性の低さについては、判例

にあるように必ずしも全ての匿名言論に当てはまる特徴ではないだろうが、当て

はまらない場合というのは例外的であるだろう。以上のような特徴を踏まえれば、

マッキンタイア事件の判決の立場と同様に、匿名言論は表現の自由に含まれる重

要な価値を有すると考えられるだろう。

2 インターネットにおける匿名言論

では、インターネットにおける匿名表現は法的にどのように扱われているのか。

インターネットの匿名表現の憲法的価値を正面から扱った判例はないようだが、

学説上では大きく二つの立場がある。インターネットでの匿名表現を尊重し肯定

的に捉える立場と、匿名性を「モラルハザードの温床」として否定的に捉える立

場である

肯定的な見解としては、松井茂記教授がインターネット掲示板の書き込みにつ

いて「匿名での表現を禁止すべきだという考え」に対して「日本でもこれを支持

する声は少なくないかもしれない。しかし、これは匿名で表現をするという表現

の自由をまったく否定するものであり、とうてい憲法21条のもとでは正当化しが

たいだろう」31)と述べていることが挙げられる。インターネットにおける匿名で

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の表現を表現の自由として正面から認めている。また、町村泰貴教授は「コン

ピュータ・ネットワーク上の社会であるサイバースペースでは、住所氏名に表章

される現実社会のアイデンティティとは切り離された仮想人格(ヴァーチャル・

パーソナリティ)を一つないし複数発展させることが可能であり、現に行われて

いる。この仮想人格は、それ自体の名誉が傷つけられても現実社会の名誉・信用

が毀損されたとは言えない程度に独立性の高いものでありうる。そしてこのよう

な仮想人格を発展させることは、単なる現象にとどまらず、人格権ないしプライ

バシー権の一つとして法的保護に価いし、匿名による情報発信を禁止する法令は

憲法上の問題を惹起するであろう」32)と述べており、ハンドルネームによる仮想

人格に人格権ないしプライバシー権を認めたうえで、その人格に基づく表現、つ

まり匿名による表現を憲法上保障するという趣旨であると考えられる。

これに対して、否定的な見解としては、加賀山茂教授の「インターネット社会

における発言の匿名性は、モラルハザードの温床になる」33)と述べていることが

挙げられる。この発言は「2ちゃんねる DHC事件」34)裁の判決文で、「匿名性ゆ

えに規範意識の鈍麻した者によって無責任に他人の権利を侵害する発言が書き込

まれる危険性が少なからずある」とされたことに言及したもので、加賀山教授は

「本判決の中で、もっとも重要な指摘」と述べている。また、藤井俊夫教授は

「本来的には、自分の名を出した上で表現の自由を行使できることこそが最も重

要なのであり、匿名による表現の自由の保障というのは、あくまでも補充的な意

義をもつものだとされるべきであろう」35)と述べ、顕名での表現をデフォルトと

して、匿名での言論は補充的存在であるとした。

ここで、インターネットにおける匿名言論の意義と問題点を整理する。まず、

意義としては一般的な匿名言論と同様に、�差別・迫害・抑圧の回避、�偏見や

先入観からの解放が挙げられるだろう。また、匿名性を背景に「インターネット

への参入障壁」が容易になり、爆発的な普及につながった経緯を考えると�個人

の情報発信者の地位が復活したというインターネットの民主的意義にも寄与して

いる、とも考えられる。

一方で問題点としては、一般的な匿名言論の問題と同様に�情報の信頼性が低

いことがあるだろう。インターネット上での情報の信頼性について、「ラーメン

花月・日本平和神軍事件」の東京地方裁判所が出した判決では、「インターネッ

ト上で発信される情報の信頼性についての受け取られ方についてみると、イン

ターネットを利用する個人利用者に対し、これまでのマスコミなどに対するよう

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な高い取材能力や綿密な情報収集、分析活動が期待できないことは、マスコミや

専門家などがインターネットを使って発信するような特別な場合を除くと、個人

利用者がインターネット上で発信した情報の信頼性は一般的に低いものと受け止

められているものと思われる」とされている36)。問題点としては他にも、�モラ

ルハザードの温床となるという点があるだろう。�に関しては、匿名性が高いコ

ミュニケーションにおいては、しばしば意見の極化や誹謗中傷が起こるというフ

レーミングという側面と、麻薬の密売など確信犯的犯罪をインターネットの匿名

性が利用されるという側面があるだろう。また、「2ちゃんねる DHC事件」で

も問題となった加害者特定が困難であるという、�トレーサビリティ(履歴管

理)の不完全性も問題とされている。「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任

の制限および発信者情報の開示に関する法律(プロバイダー責任法)」により加害

者特定のための法制度が整備されているが、トレーサビリティが完全なものと

なっているとはいえないのが現状である。

総務省では、平成17年8月から「インターネット上の違法・有害情報への対応

に関する研究会」が開かれ、平成18年8月に公表された最終報告書37)にインター

ネットの匿名性についての言及がある。報告書の中では、インターネット上での

問題が解決困難な理由の一つとしてインターネットの匿名性を指摘し、その匿名

性を三つのパターンに類型化した。「インターネット上で匿名で通信を行うため

のアプリケーション」としてのファイル交換ソフト、匿名メーラーがあげられて

おり、「インターネット上で匿名性を得るためのサービス」としての匿名プロキ

シ、無料メール・ブログ・ホスティング、匿名ドメイン、匿名掲示板などがあげ

られている。また、「インターネットアクセスにおける匿名性」として無料ホッ

トスポットやインターネットカフェがあげられている。このようにインターネッ

トでの匿名性はさまざまなレベルによって実現されており、報告書でも「匿名性

を完全に排除するのは非常に困難」として対応の限界を指摘している。また、報

告書では「なおインターネット上の違法・有害情報への対応が十分なされていな

いと評価され、その原因が匿名性の存在にあると考えられる状況があるのであれ

ば、様々なレベルでの匿名性が真に問題となっているのかを把握し、技術的な対

応可能性や実効性、匿名での表現の自由、通信の秘密との関係等を十分に考慮に

入れつつ、必要に応じて可能な対応を検討することが考えられる」とあり、匿名

言論に対する将来的な規制可能性を示唆している。

以上のインターネットの匿名言論をめぐる議論をみるに、表現の自由の埒外で

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あるとの見解は見られないものの、その保護の程度には大きな差異があるように

思われる。この保障の程度について考える上で、「思想の自由市場」の考えが重

要な意味を持つだろう。政府による規制がない状態が自由と理解するリベラリズ

ムによる「思想の自由市場」の考えにのっとれば、インターネット上での問題は

政府が干渉することなく「対抗言論」によって問題の多くが解決し、政府の干渉

はできる限り排除されるべきだと考えられる。アメリカにおいてはこの「思想の

自由市場」の考えが伝統的に強く支持されており、その反映としてリノ判決のよ

うにインターネットにおける表現に強い保護が与えられていると考えられる。こ

の立場からは、インターネットの匿名表現についても政府の干渉は排除されるべ

きだと考え、インターネットの匿名言論を尊重する立場がとられるだろう。

しかし、この伝統的な考えに反対する見解もある。有力なのがマディソニア

ン・モデルを支持するサンスティン(C.Sunstein)の見解38)である。サンスティ

ンは、表現の自由において自己統治の意義、つまり政治的言論を重視し、「政治

的熟議=討議」が活発化するために、思想の自由市場に政府が介入しその歪みを

正すことは望ましいこととなる。サンスティンはインターネットについて、「政

治的熟議=討議」を困難にし、社会のバルカン化(social balkanization)を引き起

こすとして好意的ではない。この立場に立てば、インターネットの匿名性により

フレーミングなどが働き、「政治的熟議=討議」が困難となるため、インター

ネットの匿名言論は規制の対象となりうるだろう。なお、サンスティンの見解は

アメリカでは「それほど受け入れられているとはいえず」、日本では「思想の自

由市場」の考えが定着していないこと、特に表現の自由の中核的領域において欠

如していることを理由として「日本にそのまま持ち込むことには慎重な検討が必

要」39)という指摘がなされている。

こうした議論を踏まえたうえでインターネットの匿名言論について考えるに、

一般的な匿名言論が憲法の保護を受けると考える限り、インターネットの匿名言

論を表現の自由の一部とすることには問題はないだろう。その保障の程度につい

ては見解が分かれているようだが、インターネットの匿名性が真にインターネッ

ト上の問題の原因であるとすればなんらかの規制の必要性も存在するであろう。

しかしながら、インターネットの匿名言論を表現の自由として尊重する以上、法

的規制に対しては厳しい目を向けなければいけない。具体的には、匿名性がイン

ターネット上の問題の原因であるとの実証、匿名性のどのような点、レベルが原

因なのかについて把握し、法的規制以外の手段の可能性の検討が必要であろう。

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また、そうしたプロセスを経た上でやむなく法的規制がなされる場合には、規制

手段の実効性や表現の自由、通信の秘密、プライバシーの自由等との関係に配慮

し、法的規制に対しては慎重な態度が求められるであろう。

3 韓国における「インターネット実名制」

ここで、インターネットにおける匿名言論の法的規制の具体例である、韓国に

おける「制限的本人確認制度」40)を検討していきたい。

まず、「制限的本人確認制」を導入する以前の韓国のネット事情は、インター

ネット上で誹謗中傷事件が発生し、社会問題となっていた。そこでインターネッ

ト事業者は、政府の要請に基づく自主規制としてポータルサイトなどで会員登録

時に住民登録番号と氏名による本人確認がなされていた。こうした自主規制に

よってもインターネット上における誹謗中傷事件は後をたたなかったため、2007

年1月に「情報通信網の利用促進および情報保護等に関する法律」の一部改正に

伴い、サイトに対して掲示板利用者の本人確認を義務づけられる「制限的本人確

認制」が導入されることが決まった。

「制限的本人確認制」は、1,150の公共機関と35の民間事業者によるWebサイ

トを対象に、制限的に適用される。民間事業者のうち「制限的本人確認制」が適

用されるか否かの基準は一日のユニークユーザー数とされている。一日のユニー

クユーザー数が30万以上のポータルサイト16カ所、および一日のユニークユー

ザー数が30万以上のユーザー製作コンテンツ共有サイト(ブログ・写真・動画等

の利用者作成コンテンツ媒介サイト)5カ所、そして1日のユニークユーザーが20

万以上のインターネット言論サイト(インターネットニュースサイト)14カ所が

「制限的本人確認制度」の対象となっている。「制限的本人確認制」が適用された

サイト上でユーザーが書き込みを行うためには、本人確認が必要となる。本人確

認の手段としては、名前とともに住民番号入力、クレジットカード認証、公認認

証書、住民登録番号を代替するインターネット上の個人識別番号(i-PIN)の利用

のうち一つを選択し、それぞれのサイトごとに登録をすることが求められる。本

人確認の手続きが終わると、その後には実名でない IDやニックネームを使って

の利用が可能となる。

なお、韓国における「制限的本人確認制」は一般的にメディアでは「インター

ネット実名制」と呼ばれているが、コンピュータ・ディスプレイに表示されるの

は本名ではなく、IDやハンドルネームである点に留意する必要があるだろう。

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また満14才未満の未成年者は、入会時に登録した法定代理人の同意により本人の

確認に代わる。制限的本人確認制は、匿名性を利用したインターネットの「逆機

能」予防を目的としているとされており、韓国で社会問題化している「アクプル

(“悪”と“Reply”をつなげた造語で、悪質な書き込みという意味)」に対する措置と

して、その効果が期待されているようだ。

2008年10月には制限的本人確認制度の導入を骨子とした「情報通信網利用促進

及び情報保護などに関する法律」の施行令改正案が立法予告を終えた。この改正

案により一日10万人以上が利用するすべてのインターネット事業者に対象が拡大

され、「制限的本人確認制」の適用を受ける事業者は37事業者から178事業者に増

える見通しがたてられている。

この韓国の「制限的本人確認制」について、憲法学上いかに評価できるかにつ

いて検討したい。まず、この制度の規制根拠は、適用対象コンテンツをユニーク

ユーザー数とコンテンツの種別を組み合わせた基準を用いており、アメリカにお

ける「浸透性理論」や日本における「社会的影響力」の理論と同一のものである

と考えられる。対象がインターネット・メディアであることから「周波数の希少

性」理論は該当しない。インターネット・メディアを地上波放送と区別して、浸

透性理論の適用がされなかったリノ判決の立場をとれば、出版の自由と同等の保

護が与えられるため違憲審査基準は非常に厳格なものとなる。出版の自由と同等

の基準を用いたならば、匿名やペンネームでの著作を発行部数の多い出版媒体に

よって発表することを禁じることができないのと同様に、「制限的本人確認制」

は違憲の疑いが強いといえるだろう。

一方、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」の最終報告書で示され

たように、「浸透性理論」がインターネットにも妥当するとしても、現在のイン

ターネット・メディアは能動的な動作がなければコンテンツにたどり着けず、浸

透性の程度は非常に低いと評価できるだろう。制度を手段と目的に分離して考え

ると、匿名性を利用したインターネットの「逆機能」予防という目的は重要性が

高いといえるだろう。しかし、問題となるアクプルのために大多数の問題のない

書き込みをするユーザーの匿名言論が制限される手段であり、日本の「プロバイ

ダー責任法」で侵害されるインターネットの匿名性が問題のある書き込みをした

ユーザーの匿名性に限定されることと比較して、過度に広範な制限であると評価

される可能性が高い。そのほかに制度の合憲性を考える際のポイントとしては、

この制度によって匿名言論が侵害される程度を含め、インターネットの匿名言論

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の価値をいかに解するかという点があげられる。「浸透性理論」が適用されない

場合には違憲の疑いが強いが、「浸透性理論」が適用された場合には、その浸透

性の程度やインターネットの匿名言論の価値に対するアプローチによって見解が

分かれるところであろう。

それでは、「制限的本人確認制」をレッシグの議論に照らして考えてみよう。

レッシグは、現段階ではコードが不完全であるからゆえにインターネット環境が

自由で匿名性が保たれているが、今後は政府と商業サイトの利害が一致してコー

ドが完全なものに書き換えられることで、これまであったインターネットの自由

と匿名性が失われることとなるとしている。こうした監視型ネットワークの構築

はデジタル ID化によって進展すると考え、デジタル ID化という「目的を果た

すために政府が使える手口」として「ネット上のサイトは、資格証明の有無に応

じて、アクセスに条件をつけられる。政府はサイトに対して、きちんとした資格

証明を持ったユーザーのみに使わせろと義務づけることができる。」41)という手段

を示している。「制限的本人確認制」は、政府がサイトに対してコードを法律で

強制することで、間接的に個人の匿名性を失わせる構造を持ち、これはレッシグ

の提示した ID化の手段の構造そのものである。日本のインターネット環境にお

いては比較的表現の自由と通信の秘密を尊重する姿勢が守られてきているが、そ

れでも徐々にインターネットに対する規制は厳しくなりつつある。レッシグの筋

書きを悲観的だとして実現性を否定する見解もあるが、インターネットにおける

匿名性を排除する国家の動きは現実化している。レッシグの指摘は今日の日本に

おいても非常に示唆的であり、匿名性を含むインターネットの特性、そしてその

憲法的価値について改めて問い直すことを迫っているのではないだろうか。

� おわりに

インターネットは現代人の生活に欠かせないものとなり、サイバースペースと

リアルスペースの関連性がますます高まりつつあるなか、それに伴いインター

ネット上にわいせつ表現や誹謗中傷、著作権侵害行為などさまざまな問題が発生

している。この現状を鑑みると、インターネットにおいて「思想の自由市場」は

理想通りに機能しているかについては疑問があるかもしれない。しかし、だから

といってすぐに法的規制に乗り出すことが是認されるわけではないだろう。イン

ターネットはマスメディアによる思想市場の独占を打破する存在として期待され

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ており、現在のインターネットの状態がその期待にどれほど応えられているかに

ついては評価が分かれるであろう。しかし、インターネットが一般に普及するよ

うになってからまだ十数年しか経過しておらず、またインターネットの姿もテク

ノロジーの発展とともに凄まじいスピードで日々変化を続けている。こうした段

階においてインターネットの民主的意義に対しての最終的な評価を下すのは時期

尚早でしかない。インターネットにおける表現の自由は最大限尊重されるべきで

あり、個人のインターネット上での表現の自由に対する法的規制は、その規制が

個人に対して直接に作用するものではなく間接的に作用するものであっても、で

きる限り回避されるべきである。

「コード」による解決が「法」による解決よりも表現の自由に対する侵害が弱

い場合には、「コード」による規制が優先されるべきである。但し、ここでの

「コード」による解決とは、政府からの強制がない下でフィルタリング技術や

ゾーニング技術が自主的に開発され、ユーザーに使用されることを内容とするの

であり、「制限的本人確認制」のような政府によるコードの法的強制は「法」に

よる解決にすぎない。フィルタリング技術やゾーニング技術の進歩によって、今

後の法的規制の必要性が低下することを期待したい。

また、「コード」、「法」以外の規制要素としてレッシグは「(社会)規範」を示

したが、この「社会(規範)」を高める努力も安全なサイバースペースの実現の

ためには欠かせない。特に、生まれたときからインターネットが存在するような

デジタルネイティブ世代に対しての教育は重要であり、それによって「(社会)

規範」による規制も十分に期待できるだろう。また、既存の法体系のもとで、イ

ンターネット上での重大な違法表現に対して摘発を強化することも「(社会)規

範」を育てることにつながると考える。これは厳密には「法」による規制という

側面があるだろうが、必要最小限度の「法」を根拠に積極的に重大な違法表現を

摘発することで、ユーザーに違法な書き込みはインターネットであろうと罰せら

れることを自覚させ、規範意識を高めることができるだろう。もちろん、摘発強

化とは犯罪か否かが判断困難な表現を積極的に摘発することを奨励する意図では

なく、例えば殺害予告や麻薬密売などの重大な犯罪が対象となるべきである。

最後に、表現の自由にとって法的規制は必要最低限に抑えられることが求めら

れ、それは表現の自由が民主主義を実現するために不可欠な権利であるからにほ

かならないことを強調したい。目の前の問題解決にばかり目を向けて、インター

ネットの存在意義や特徴を無視した拙速法的規制が行われないことを期待する。

86 政治学研究41号(2009)

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1) 奥平康弘『表現の自由』(有斐閣、1984年)93―94頁。

2) 渡辺洋三『憲法と現代法学』(岩波書店、1963年)74―79頁。

3) 高橋和之・松井茂記編『インターネットと法』(有斐閣、2004年)6―7頁。特

に政治参加との関係で重要な意味をもちうるとして、参加民主主義への期待を示

している。

4) 浜田純一「インターネットによる差別の扇動」『部落解放研究』126号(1999年)

48頁。

5) 紙谷雅子「法域」、サイバーロー研究会編『サイバースペース法―新たな法的空

間の出現とその衝撃』(日本評論社、2000年)69頁。

6) 平野晋・牧野和夫『判例 国際インターネット法―サイバースペースにおける

法律常識』(プロスパー企画、1998年)67―68頁。

7) 平野・牧野、前掲書注(6)、283頁。

8) レッシグの議論については ローレンス・レッシグ(山形浩生・柏木亮二訳)

『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』(翔泳社、2001年)。小

倉一志『サイバースペースと表現の自由』(尚学社、2007年)、79―81頁。松井茂

記『インターネットの憲法学』(2002年、岩波書店)59頁。などがある。

9) 小倉、前掲書注(8)、84頁。

10) 辻雄一郎「デジタル時代のメディアモデルと憲法学の考察」『法と政治』58巻

3・4号、(2008年)687―689頁。

11) 小倉、前掲書注(8)、81―83頁。

12) 松井、前掲書注(8)、63頁。

13) 山口いつ子「ユビキタス時代における『サイバー法』概念の展開」、ダニエル・

フット・長谷部恭男編『融ける境越える法4 メディアと制度』(東京大学出版

会、2005年)所収、113―114頁。

14) 山口、前掲論文注(13)、121頁。

15) 辻、前掲論文注(10)、652頁。

16) 辻、前掲論文注(10)、658―661頁。

17) FCC v.Pacifica Foundation,438U.S.726(1978).

18) 芦部信喜『憲法学�人権各論(1)』(有斐閣、1998年)280、306頁。19) Denber Area Educational Telecommunications Consortium v.FCC,518U.S.727

(1996).

20) 浜田純一『デジタル時代のメディア融合と法』ジュリスト増刊「<新世紀の展

望1>変革期のメディア」1997年、15頁。

21) Reno v.ACLU,521U.S.884―70,885(1997).

松井茂記・福島力洋「レノ対アメリカ自由人権協会事件合衆国最高裁判所判決」

『阪大法学』48巻4号(1998年)147頁。

22) 松井、前掲書注(8)、103頁。

23) 山口いつ子「風営法改正と青少年保護―インターネット上の表現に対する規制

を中心として―」『法律時報』70巻11号(1998年)41頁。

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24) 大沢秀介編著『はじめての憲法』(成文堂、2005年)124―126頁。

25) 研究会最終報告書は以下の総務省のサイトを参照した。http : //www.soumu.go.jp

/s-news/2006/060825_6.html

なお、「情報通信法(仮称)」については「通信・放送の総合的な法体系に関す

る検討委員会」(主査・長谷部恭男教授)においてさらに検討されている。検討

委員会の議論については以下の総務省サイトで公表されている。http : //www.

soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/houtai.html

26) 松井茂記「公共の安全とインターネット上の人権」『法とコンピュータ』23号

(2005年)10―11頁。

27) 高橋・松井、前掲書注(3)、30頁。

28) 勉強会の内容については以下のサイトを参照した。http : //it.nikkei.co.jp/internet

/news/index.aspx?n=MMIT26000013072007(アクセス2009年1月14日)

29) 浜田、前掲論文注(4)、48―50頁。

30) McIntyre v.Ohio Elections Commission,514U.S.334(1995).日本語訳について

は以下のサイトの町村泰貴教授による訳文を引用した。(アクセス2009年1月14

日)http : //homepage3.nifty.com/matimura/hanrei/cyberlaw/mcintyre.html

31) 松井、前掲論文注(26)、15頁。

32) 町村泰貴「サイバースペースにおける匿名性とプライバシー」『亜細亜法学』34

巻2号(2001年)71、81頁。

33) 加賀山茂「インターネット上の匿名電子掲示板における発言と名誉毀損」『私法

判例リマークス31(2005<下>)』(日本評論社、2005年)65頁。

34) 東京地判平成15・7・17判時1869号46頁。

35) 藤井俊夫『情報社会と法』(成文堂、2005年)51―52頁。

36) 東京地判平成20・2・29判時2009号151頁。

37) 研究会最終報告書は以下の総務省のサイトを参照した。http : //www.soumu.go.jp

/s-news/2006/060825_6.html

38) 松井茂記「インターネットと憲法」『公法研究』64号(2002年)67―70頁。福島

力洋「インターネットと表現の自由」『阪大法学』48巻4号(1998年)64―71頁。

39) 大沢秀介「インターネットで選挙運動?―インターネットと表現の自由の原理

―」『法学教室』274号(2003年)79―80頁。

40)「制限的本人確認制度」については財団法人社会安全研究財団『諸外国における

インターネットカフェ関連法制に関する調査報告書』2007年、60―62頁が詳しい。

そのほかには以下のサイトを参照した。(アクセス2009年1月14日)

http : //allabout.co.jp/career/netkorea/closeup/CU20070627A/index2.htm

http : //journal.mycom.co.jp/news/2007/07/30/022/

http : //journal.mycom.co.jp/news/2008/07/23/046/index.html

http : //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081003-00000016-yonh-kr

41) レッシグ、前掲書注(8)、90頁。

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