プロポフォール投与後の予測血中濃度と実測血中濃...

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聖マリアンナ医科大学雑誌 Vol. 44, pp. 117–127, 2016 1 聖マリアンナ医科大学 麻酔学 2 聖マリアンナ医科大学 遺伝子多型・機能解析学 プロポフォール投与後の予測血中濃度と実測血中濃度の差における CYP2B6 UGT1A9 の遺伝子多型の影響 みや かわ ひで とし たて たけ ばやし よこ づか まき くま とし いの うえ そう いち ろう (受付:平成 28 8 19 ) 静脈麻酔薬であるプロポフォールは手動調節投与法 (manual controlled infusion: MCI) または 目標調節投与法 (target controlled infusion: TCI) で麻酔管理が行われているTCI は薬物動態モ デルから予測された血中濃度を目標にプロポフォールを投与するが予測血中濃度と実測血中 濃度に差が生じることがある我々はプロポフォールの主要薬物代謝酵素であるチトクロム P450 2B6 (CYP2B6) と薬物抱合酵素である UDP-glucuronosyltransferase 1A9 (UGT1A9) の遺 伝子多型が薬物動態モデルから算出された予測血中濃度と実測血中濃度の差に与える影響に ついて検討した研究は 2009 6 月から 2011 5 月までにプロポフォールによる全静脈麻 酔で管理された呼吸器外科手術患者 89 (男性 48 女性 41 ) を対象としたプロポフォー ル投与終了後 0, 5, 10, 20, 30, 60 分に各 2 ml ずつ採血を行い CYP2B6 UGT1A9 の遺伝子多 型の判定と血中プロポフォール濃度 (Cm) を測定したさらに実際のプロポフォール投与量を 薬物動態シミュレーターである TIVA trainer ® に入力しMarshSchnider 2 種類の薬物動態 モデルから投与終了後 0, 5, 10, 20, 30, 60 分の予測血中プロポフォール濃度 (Cp) を算出したPrediction error (PE), median absolute prediction error (MDAPE) 及び Cm/Cp を用い各遺伝子 多型と各薬物動態モデルを比較したMarsh モデルでは投与終了後 0 分において CYP2B6 遺伝子多型間で PE に有意差を認めた (p=0.042)しかしこの差は各遺伝子多型の同一郡内の差 より小さく臨床的に許容できる範囲であると考えられた索引用語 プロポフォールCYP2B6UGT1A9薬物動態モデル 大血管手術脳神経外科手術や脊椎外科手術では 運動神経誘発電位のモニタリング下で施行される手 術が増加しているこれらの手術では運動神経モニ タリングを障害する可能性がある吸入麻酔薬より静脈麻酔薬が麻酔薬として適切と考えられているプロポフォールは大量投与では運動神経モニタリン グを障害するが臨床投与量では運動神経機能に影 響を与えないとされている 1) 従って運動神経機能 モニタリングが行われる手術に対して標準的な麻酔 薬とされているまた長時間手術においても context half-time が他の静脈麻酔薬と比較して短いため醒時間が極端に延長することはなく調節性に優れた 麻酔薬である 2) これらの理由によりプロポフォール による全静脈麻酔は広く普及している15 117

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原 著 聖マリアンナ医科大学雑誌Vol. 44, pp. 117–127, 2016

1 聖マリアンナ医科大学 麻酔学2 聖マリアンナ医科大学 遺伝子多型・機能解析学

プロポフォール投与後の予測血中濃度と実測血中濃度の差におけるCYP2B6と UGT1A9の遺伝子多型の影響

宮みや

川かわ

秀ひで

俊とし

舘たて

田だ

武たけ

志し

小こ

林ばやし

由ゆ

紀き

横よこ

塚づか

牧まき

人と

熊くま

井い

俊とし

夫お

井いの

上うえ

莊そう

一いち

郎ろう

(受付:平成 28 年 8 月 19 日)

抄 録静脈麻酔薬であるプロポフォールは手動調節投与法 (manual controlled infusion: MCI) または

目標調節投与法 (target controlled infusion: TCI) で麻酔管理が行われている。TCI は薬物動態モデルから予測された血中濃度を目標にプロポフォールを投与するが,予測血中濃度と実測血中濃度に差が生じることがある。我々は,プロポフォールの主要薬物代謝酵素であるチトクロムP450 2B6 (CYP2B6) と薬物抱合酵素である UDP-glucuronosyltransferase 1A9 (UGT1A9) の遺伝子多型が,薬物動態モデルから算出された予測血中濃度と実測血中濃度の差に与える影響について検討した。研究は 2009 年 6 月から 2011 年 5 月までに,プロポフォールによる全静脈麻酔で管理された呼吸器外科手術患者 89 名 (男性 48 名,女性 41 名) を対象とした。プロポフォール投与終了後 0, 5, 10, 20, 30, 60 分に各 2 ml ずつ採血を行い CYP2B6 と UGT1A9 の遺伝子多型の判定と血中プロポフォール濃度 (Cm) を測定した。さらに実際のプロポフォール投与量を薬物動態シミュレーターである TIVA trainer® に入力し,Marsh,Schnider の 2 種類の薬物動態モデルから投与終了後 0, 5, 10, 20, 30, 60 分の予測血中プロポフォール濃度 (Cp) を算出した。Prediction error (PE), median absolute prediction error (MDAPE) 及び Cm/Cp を用い,各遺伝子多型と各薬物動態モデルを比較した。Marsh モデルでは,投与終了後 0 分において CYP2B6 の遺伝子多型間で PE に有意差を認めた (p=0.042)。しかしこの差は各遺伝子多型の同一郡内の差より小さく臨床的に許容できる範囲であると考えられた。

索引用語プロポフォール,CYP2B6,UGT1A9,薬物動態モデル

緒 言

大血管手術,脳神経外科手術や脊椎外科手術では運動神経誘発電位のモニタリング下で施行される手術が増加している。これらの手術では運動神経モニタリングを障害する可能性がある吸入麻酔薬より,静脈麻酔薬が麻酔薬として適切と考えられている。

プロポフォールは大量投与では運動神経モニタリングを障害するが,臨床投与量では運動神経機能に影響を与えないとされている1)。従って,運動神経機能モニタリングが行われる手術に対して標準的な麻酔薬とされている。また長時間手術においても context

half-time が他の静脈麻酔薬と比較して短いため,覚醒時間が極端に延長することはなく調節性に優れた麻酔薬である2)。これらの理由によりプロポフォールによる全静脈麻酔は広く普及している。

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プロポフォールによる全静脈麻酔ではシリンジポンプを使用して,体重を基にして単位時間当たりの投与量を規定する手動調節投与法 (manual controlled

infusion: MCI),あるいは薬物動態モデルから予測された血中濃度を目標にした目標調節投与法 (target

controlled infusion: TCI) で麻酔管理を行うことが一般的である。TCI ではさまざまな薬物動態モデルが用いられるが,予測血中濃度と実測血中濃度にはばらつき (偏位) が生じる3)4)。この偏位は TCI の精度を低下させることになり,浅麻酔による術中覚醒や深麻酔による過度な心拍出量の低下や末梢血管抵抗の低下,覚醒遅延などが臨床上問題となりうる5)。薬物動態モデルにおいて偏位が生じる要因として年齢,性差,肥満などが関与すると報告されている6)。これはプロポフォールの代謝に個人差が大きいことが原因であるが,個人差には年齢,肥満などが関与すると報告されている6–10)。その他にプロポフォールの効果に対する個人差に寄与する要因として,主要代謝酵素の遺伝子多型の関与が示されている11–15)。チトクロム P450 2B6 (CYP2B6) では G516T の変異で水酸化能が低下しプロポフォールの代謝速度は低下する12)13)。また薬物抱合酵素である UDP-glucuronosyl‐

transferase 1A9 (UGT1A9) では I399C>T 変異によりグルクロン酸抱合能が上昇しプロポフォールの代謝速度は上昇する14)。我々はこの遺伝子変異がプロポフォールの薬物動態に与える影響の研究を行い,CYP2B6 の変異では投与終了時の血中濃度が上昇することを報告した15)16)。従って,プロポフォールの薬物動態モデルにおける予測血中濃度と実測血中濃度の偏位に遺伝子多型が関与する可能性がある。今回我々は以前に報告したプロポフォール麻酔における投与終了後の実測の薬物動態を基にして,遺伝子多型がシミュレーションによる予測血中濃度と実測血中濃度に及ぼす影響について検討した。

対象および方法

対象当院にて 2009 年 6 月から 2011 年 5 月にプロポ

フォールによる全静脈麻酔にて呼吸器外科手術を受けた 89 名 (男性 48 名,女性 41 名) を対象とした。

臨床試験に対して同意が得られない者,手術中に輸血を受けた者,感染症のある者,意識レベルの低下や認知症など術後の覚醒状態を判断しにくい者,著明な肝機能障害,腎機能障害がある者,呼吸機能

が著しく低下している者,麻酔記録のプロポフォール投与時間が不明であった者は除外した。

本研究は,対象患者に対し口頭および書面にて主旨を説明し,承諾を得て行われた。なお本研究は聖マリアンナ医科大学生命倫理委員会 (承認番号 1529

号) (UMIN ID: 002009) および,昭和薬科大学研究倫理委員会の承認を得て行われた。

麻酔麻酔は全症例とも硬膜外麻酔併用全身麻酔で管理

した。硬膜外麻酔にはレボブピバカイン,フェンタニルを用い術中から持続投与した。全身麻酔はプロポフォール,レミフェンタニル,ロクロニウムによる全静脈麻酔 (TIVA: Total intravenous anesthesia) で行った。プロポフォールはディプリバン® (アストラゼネカ®社製) を用い,テルフュージョン®TCI ポンプTE-371 (TERUMO® 社製) を使用して持続投与した。投与量は体重を基にして時間当たりの量を決定した(MCI)。モニターは心電図,非観血的血圧計,パルスオキシメーター,観血的動脈圧測定を用い,麻酔管理は複数の麻酔科医により行われた。麻酔深度はbispectral index (BIS) 値を指標とした。BIS 値 40〜60 を目標に,40 以下ではプロポフォールの投与量を減量し,60 以上では増量した。手術終了後プロポフォールの投与を中止し,中止後 0, 5, 10, 20, 30, 60

分に各 2ml ずつ観血的動脈圧ラインより採血した。術後鎮痛は硬膜外麻酔で行った。

遺伝子多型解析採取した血液から CYP2B6,UGT1A9 の遺伝子多

型解析を行った。Genomic DNA を抽出した。抽出した genomic DNA から CYP2B9 と UGT1A9 の遺伝子多型を解析した。遺伝子多型の解析および血中プロポフォール濃度測定は昭和薬科大学薬物動態学教室に依頼した。

Genomic DNA は manufactures protocol に沿って行った (Illustra blood genomicprep mini spin kit, GE

Hearthcare, LittleChanfont, Buckingumshire, UK)。血液を赤血球 lysis buffer にて除去後,残渣の白血球に proteinase K と Lysis buffer を加えた。これをDNA 抽出カラムに吸着,洗浄を行うことで genomic

DNA を抽出した。CYP2B9 の遺伝子多型は PCR-

RELF 法で,UGT1A9 の遺伝子多型はダイレクトシークエンス法で判定した。遺伝子多型頻度の高い

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表 1 CYP2B6 および UGT1A9 の遺伝子多型と患者背景

CYP2B9 G516T 変異と UGT1A9 I39C>T 変異を,遺伝子多型により野生型ホモ接合体,変異型ヘテロ接合体,変異型ホモ接合体の 3 群に分類し,その頻度を検出した。

血中プロポフォール濃度測定プロポフォール投与終了から 0 分,5 分,10 分,

20 分,30 分,60 分後の血中プロポフォール濃度を高速液体クロマトグラフィー法 (high-performance

liquid chromatography: HPLC) で測定した値 (Cm:

measured concentration) を記録した。

血中プロポフォール濃度の予測値の算出血中プロポフォール濃度の予測値は,麻酔記録か

ら投与量を TIVA trainer® (http://www.eurosiva.eu/

index.html) に入力し,Marsh17),Schnider18) の 2 種類の薬物動態モデルを用いて算出した。プロポフォール投与中止後 0 分,5 分,10 分,20 分,30 分,60

分の値 (Cp: predicted concentration) を記録した。また,0 分,5 分,10 分,20 分,30 分,60 分のそれぞれの時点での実測値,予測値から prediction error

[PE(%)={(Cm-Cp)/Cp}×100] と median prediction er‐

ror {MDPE=median(PEi, i=1 to n)} ,median abso‐

lute prediction error {MDAPE=median(|PEi|, i=1 to

n)}を算出した19)。また横軸を時間経過に,縦軸を血中濃度としたグラフを作成し,CYP2B6,UGT1A9

の各遺伝子多型間で実測血中濃度,Marsh の予測濃度,Schnider の予測濃度を比較した。

統計学的解析測定値はすべて中央値とした。0 分から 60 分の実

測値,予測値を,それぞれ CYP2B9,UGT1A9 の遺伝子多型ごとに集計し比較した。検定は Mann-Whit‐

ney の U 検定,Kruskal-Wallis 検定, Steel-Dwass

を使用した。統計ソフトは SPSS ver.21 (IBM C.O.

Tokyo, Japan) と R2.8.1 を使用し,統計学的有意差は P 値が 0.05 未満とした。

結 果

1 患者背景89 例の遺伝子多型の出現頻度は,CYP2B6 G516T

では野生型ホモ接合体 (G/G) 53 例 (59%),変異型ヘテロ接合体 (G/T) 32 例 (36%),変異型ホモ接合体 (T/

T) 4 例 (5%) であった。UGT1A9 I399C>T では野生型ホモ接合体 (C/C) 14 例 (16%),変異型ヘテロ接合体 (C/T) 42 例 (47%),変異型ホモ接合体 (T/T) 33 例(37%) であった。CYP2B6 と UGT1A9 の遺伝子多型別の患者背景に有意差はなかった (表 1)。

2 実測血中プロポフォール濃度の変化実測血中プロポフォール濃度では,プロポフォー

ル投与終了直後の 0 分において CYP2B6 の遺伝子多

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表 2 CYP2B6 および UGT1A9 の遺伝子多型と実測血中濃度の推移

表 3 CYP2B6 および UGT1A9 の遺伝子多型と Marsh のモデルによる予測血中濃度の推移

型間で変異型 G/T および野生型 G/G に対して変異型 T/T の Cmax は高く有意であった (p=0.038)。UGT1A9 では 0 分における Cmax で有意差は認められなかった。C5 以後の各測定時の血中濃度はCYP2B6 および UGT1A9 の遺伝子多型間において有意差がなかった (表 2)。

3 予測血中プロポフォール濃度の変化予測血中プロポフォール濃度の比較では,Marsh

モデルで UGT1A9 の遺伝子多型間で変異型 C/T に対 し て 野 生 型 C/C の C20 は 高 く 有 意 で あ っ た(p=0.035)。Marsh モデルの予測値は UGT1A9 の遺伝子多型間の比較では,各測定時で p 値は 0.05 に近く差のある傾向を示した (表 3)。Schnider のモデルでは各遺伝子多型間のいずれの測定時でも有意差は

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表 4 CYP2B6 および UGT1A9 の遺伝子多型と Schnider のモデルによる予測血中濃度の推移

認められなかった (表 4)。血中プロポフォールの実測値と予測値の比較では,プロポフォール投与終了後 0 分 の Marsh モ デ ル と の MDPE に お い て,CYP2B6 の遺伝子多型間で変異型 T/T が変異型 G/T

および野生型 G/G より有意に低値を示した (表 5)。MDAPE では Marsh,Schnider それぞれのモデルで各遺伝子多型のいずれの測定時でも有意差を認めなかった (表 6)。横軸を時間に,縦軸を血中濃度とした図 1 では各遺伝子多型,いずれの測定時でも実測血中濃度が予測血中濃度を下回る結果となった。各遺伝子多型間に統計学的な有意差はなく,Marsh のモデルと Schnider のモデルの間でも有意差を認めなかった。

考 察

本研究では,プロポフォール薬物動態モデルを用いて麻酔管理を行うと,プロポフォールの主要代謝酵素の遺伝子多型間で実測血中濃度と予測血中濃度の偏位に差が生じることが示された。CYP2B6 についての検討では,プロポフォール投与終了直後の 0

分で Marsh モデルにおける PE は変異型 T/T で有意に低値であった (p=0.042)。また,Schnider のモデルに お い て も PE は 変 異 型 T/T で 低 値 で あ っ た(p=0.055)。Marsh と Schnider の薬物動態モデルにおける予測血中濃度自体は,プロポフォール投与終了後 0 分で各遺伝子多型による差を認めなかった。MDPE は薬物動態モデルによる予測血中濃度と実測

血中濃度から求められ,その偏位を示す19)。このことから CYP2B6 の変異型 T/T で PE が低値を示したのは,変異型 T/T の実測血中濃度 (1.9μg/ml) が野生型 G/G や変異型 G/T の実測血中濃度 (1.5, 1.2μg/ml)

より高値であったためと考えられた。UGT1A9 についての検討では,PE の遺伝子多型間の差はいずれの薬物動態モデルでも認められなかった。予測血中濃度では Marsh のモデルの投与終了後 20 分で,変異型 C/T が有意に低値であった (p=0.035)。Schnider

のモデルでは遺伝子多型間の有意差は認められなかった。薬物動態モデルによる予測血中濃度と実測血中濃度を遺伝子多型間で比較した時に有意な差を認めた場合,予測血中濃度に差がある場合と実測血中濃度に差がある場合の,それぞれに影響を与える因子を考える必要がある。

予測血中濃度に差がある場合,それぞれの薬物動態モデル自体を構成する因子が関与した可能性が考えられる。プロポフォールの薬物動態のシミュレーションモデルには様々なものがあるが,今回血中濃度の予測に用いた Marsh のモデルと Schnider のモデルはともに 3-コンパートメントモデルである。3-

コンパートメントモデルは,3 区画の各コンパートメントの容積とコンパートメント間の薬物の移動を規定する移行定数の集合である。Marsh のモデルは現在本邦で唯一使用可能な TCI システムの予測血中濃度のシミュレーションモデルであるため,最も広く使用されている薬物動態モデルである。Marsh の

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表 5 CYP2B6 及び UGT1A9 の遺伝子多型と Marsh, Schnider のモデルによる予測誤差中央値

モデルでは中心コンパートメント容積は 0.228 l/kg

で実体重に正比例するが,各コンパートメント間の移行定数は一定値である17)。一方,Schnider のモデルは欧州などでは実用化されている薬物動態モデルであるが,中心コンパートメントの容積は 4.27 l と一定値である一方,各コンパートメント間の移行定数の一部は年齢,性別,体重,身長に規定されるものがある18)。従って,Marsh のモデルでは血中濃度や効果部位濃度の予測に必要な患者のパラメータは体重のみであるが,Schnider のモデルでは体重の他に年齢,性別,身長が予測に必要なパラメータとなる。Schnider のモデルの方が因子が多い分,薬物動態モデル自体の偏位は Marsh のモデルより少ないことが報告されている20)。

次に患者因子が薬物動態モデルに影響した可能性が考えられる。偏位を大きくする患者因子としては病的肥満患者や高齢者,性別などが報告されている 6)8)21)。Tachibana らは Marsh モデルの TCI では

BMI が 25 以上の肥満患者では MDPE と MDAPE

が各々 20%と 30%を超えるため,肥満患者では体重を補正する必要があることを示した7)。Kirkpatrick

らは 71±4 歳の患者と 28±5 歳の患者を比較して,高齢者群では心拍出量の低下と肝血流量の低下によって血中プロポフォール濃度が上昇する可能性があることを示した10)。Chooning らは女性のプロポフォールの代謝速度は男性より早いため予測血中濃度と実測血中濃度の差が広がる可能性があるとした9)。我々の研究では病的肥満患者は除外されており,平均年齢も 64 歳と報告より低いためこれらの関与は除外できると考えられた。また性別に関しても各薬物動態モデル間に差はなかった。以上のことから体重,年齢,性別は,薬物動態モデルの偏位を大きくする因子ではあるが,今回の研究ではこれらの因子は考慮する必要はないと考えられた。またプロポフォール投与終了後 0 分では各モデルの予測血中濃度に遺伝子多型間の差は認められず,Marsh のモデルでも

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表 6 CYP2B6 及び UGT1A9 の遺伝子多型と Marsh, Schnider のモデルによる予測誤差絶対中央値

Schnider のモデルでも臨床上目標とされる予測値とほぼ類似の値を示した。従って,今回の研究でCYP2B6 の遺伝子多型間でプロポフォール投与終了後 0 分において PE が低値を示したのは,予測値の群間の差ではなく実測値に認めた有意差を反映したものと考えられた。

プロポフォールの血中濃度は心拍出量の変化とそれに伴う肝血流によるクリアランス,代謝酵素による代謝などにより増減する10)21)。我々は以前,遺伝子の変異による代謝酵素の活性がプロポフォールの血行動態に与える影響について以前報告した15)16)。実測血中濃度はプロポフォール投与終了後 0 分でCYP2B6 の遺伝子多型間で野生型 G/G=1.5 (0.7–

3.0),変異型 G/T=1.2 (0.5–2.9),変異型 T/T=1.9

(1.1–2.4) と変異型 T/T が優位に高く (p=0.025),この差が予測血中濃度との偏位(PE)に反映したものと考えられた。変異型 T/T が 0.7μg/ml の差で有意差を示した一方で,各遺伝子多型の同一群内での個体差は野生型 G/G で最大 2.3μg/ml,変異型 G/T で最大

2.4μg/ml,変異型 T/T で最大 1.3μg/ml と各郡内で大きなばらつきを認めた。従って各遺伝子多型間の差よりも各群内の差の方が大きく,遺伝子多型間の有意差が麻酔管理に与える影響は少ないものと考えられた。

UGT1A9 の遺伝子多型間において Marsh のモデルで投与終了後 20 分の予測血中濃度は,CT 変異が有意に低下していた (p=0.035)。PE には差は認められなかった。Marsh のモデルでは全ての測定ポイントにおいて CT 変異の予測血中濃度は低下していたが,その差は 0.1μg/ml であり麻酔管理に与える影響は少ないと考えられた。一方,Schnider のモデルでは遺伝子多型間に有意差は認められなかった。この薬物動態における差は UGT1A9 の患者背景で体重に差がある傾向があったためだと推測された。Schnider のモデルでは予測値の算出に性別,年齢など体重以外のパラメータも組み込まれているため,UGT1A9 の患者背景における体重差の傾向に影響されなかった可能性が示唆される。

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図 1 Influence of the CYP2B6 and UGT1A9 genotypes on the measured and the predicted blood concentrations after pro‐

pofol anesthesia.

今回の研究では Marsh や Schnider の薬物動態モデルを用いて TCI で管理した場合,血中濃度を過大に予測する可能性が考えられた。図 1 は横軸をプロポフォール投与終了後の時間経過とし,縦軸を実測値と各モデルの予測値としたものである。いずれの遺伝子多型においても予測血中濃度は実測血中濃度より高値を示した。このように実測値より予測値が過大評価された原因としては麻酔深度の評価や併用したオピオイドの影響などを考慮する必要がある22)。

今回我々は麻酔深度の指標として BIS 値が 40〜60 になるようにプロポフォールの投与量を調節した。プロポフォールでの麻酔中の脳波は,適切な鎮静下では高振幅の spindle wave が連続的に認められる。しかし BIS 値が同じでもプロポフォールの投与量が異なると脳波の波形が異なる場合があること23)

や,適切な鎮静下でも spindle wave が見られない場合があることも報告されている24)。この場合は BIS

値が過小評価される可能性がある。従って,今回の様に BIS 値を麻酔深度の指標とした場合,これが偏位に関与した可能性も否定できないと考えられた。さらに併用したレミフェンタニルには用量依存性に脳波を平坦化させるという報告25)もあり,レミフェンタニルの併用で BIS 値が低下していた可能性がある。このためプロポフォールの投与量が少なくなり,投与終了後の実測血中濃度が低下し,予測血中濃度との偏位を拡大させた可能性も考えられる。

この研究ではプロポフォール投与終了直後の薬物動態解析を目標としたため,麻酔中のプロポフォール投与は BIS 値を参考として各麻酔科医の臨床的判断に一任されている。また CYP2B6 の変異型 T/T は

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4 例と他の遺伝子多型よりも少なかった。遺伝子多型とプロポフォールの予測値と実測値の偏位を詳細に検討する為には,症例数を増やし一定の基準に基づいた投与量の設定(予測血中濃度を目標とした麻酔管理下での実測血中濃度の比較)を行ったうえでの解析が必要である。

Marsh や Schnider のプロポフォール薬物動態モデルを用いて TCI などの麻酔管理を行う場合,遺伝子多型間における予測血中濃度と実測血中濃度の差は麻酔管理上大きな影響を与えないと考えられた。

謝 辞

この研究にご協力いただきました昭和薬科大学薬物動態学教室の山崎浩史教授,聖マリアンナ医科大学呼吸器外科学教室および,麻酔学教室の諸先生に感謝いたします。

参考文献

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1 Department of Anesthesiology, St. Marianna University School of Medicine2 Department of Pharmacogenomics, St. Marianna University, Graduate School of Medicine

Abstract

Effect of CYP2B6 and UGT1A9 Genotypes on Differences in Predicted and

Measured Propofol Concentrations after Propofol Anesthesia

Hidetoshi Miyakawa, Takeshi Tateda, Yuki Kobayashi, Makito Yokozuka, Toshio Kumai, and Soichiro Inoue

Propofol is widely used for general anesthesia administered by manually controlled infusion (MCI) or tar‐get-controlled infusion (TCI). Multi-compartment pharmacokinetic models, such as The Marsh or Schnidermodel are used by TCI systems to calculate the infusion rates required to achieve the target concentration(plasma or effect-site concentration). However, several reports indicated a difference between predicted bloodpropofol concentration (Cp) and measured blood propofol concentration (Cm). We investigated whether geneticpolymorphisms of cytochrome P450 2B6 (CYP2B6) and UDP-glucuronosyltransferase 1A9 (UGT1A9) can in‐fluence the difference between Cp and Cm using prediction error (PE) of propofol anesthesia.

Between June 2009 and May 2011, 89 patients (48 males,41 females) who underwent respiratory surgerywith total intravenous anesthesia were examined. Arterial blood samples were collected at 0, 5, 10, 20, 30, and60 min after the termination of propofol infusion for the determination of Cm and genetic polymorphisms ofCYP2B6 and UGT1A9. We calculated Cp with the TIVA trainer® using the Marsh and Schnider models at 0, 5,10, 20, 30, and 60 min after the termination of propofol infusion.

There was a significant difference in PE in the Marsh model, immediately after propofol infusion forCYP2B6 (p=0.042), but there was no significant difference in PE in the Schnider model. Our results suggestedthat the polymorphism of CYP2B9 may affect the difference in TCI in the Marsh model, but not in the Schnidermodel. However, the results also suggest that there is no clinical usefulness of this statistical difference in anes‐thetic management.

25

プロポフォールの予測血中濃度と遺伝子多型 127