バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット仏 …...2011/10/04  ·...

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龍谷大学アジア仏教文化研究センター ワーキングペーパー No. 11-012011 10 1 日) バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット仏教写本, 他 (BARCユニット1 第2回バングラデシュ調査報告) 若原雄昭(龍谷大学理工学部教授) 【キーワード】:ベンガル仏教徒 ダッカ大学 ヴァレーンドラ博物館 サンスクリット写本 ベンガル文字 パーラ朝

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龍谷大学アジア仏教文化研究センター ワーキングペーパー

No. 11-01(2011年 10月 1日)

バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット仏教写本, 他

(BARCユニット1 第2回バングラデシュ調査報告)

若原雄昭(龍谷大学理工学部教授)

【キーワード】:ベンガル仏教徒 ダッカ大学 ヴァレーンドラ博物館

サンスクリット写本 ベンガル文字 パーラ朝

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目次

0.調査の概要

1.バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット写本

1.1.ダッカ大学図書館所蔵写本

1.2.ヴァレーンドラ博物館所蔵写本

1.3.ヴァレーンドラ博物館所蔵仏教写本の概要

2.ダッカ市内北部の仏教寺院と付属学校訪問

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0.調査の概要

■期 日: 2010 年 12 月 24 日(金)~ 12 月 31 日(金) [7泊8日]

■調査者:若原雄昭(BARC ユニット1) 岡本健資(BARC ユニット1)

<現地協力者> Prof. Dilip Kumar Barua (Chairman of the Dept. of Pali and

Buddhist Studies, Univ. of Dhaka); Dr. Niru Shamsun Nahar (Deputy Keeper

[in-charge], Department of Public Education, Bangladesh National Museum)

■調査目的:バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット仏教写本の調査と撮影;

同国内に居住する所謂ベンガル仏教徒コミュニティの実態調査の継続

■調査方法:写本収蔵機関における資料収集、写本実見及びデジタル撮影;

関係寺院訪問と実態調査及び関係者からの聞き取り

■出張先: The University of Dhaka, Dhaka, Bangladesh; The University of Rajshahi,

Rajshahi, Bangladesh; Varendra Research Museum, Rajshahi; Shakyamuni

Bauddha Vihar & Banophool Adivasi Heart College, Dhaka

■調査日程:

12 月 24 日(金): 11:00 関空発、19:55 ダッカ空港着、20:30 ダッカ市内ホテル着。ホ

テルにてダッカ大学バルア教授及びバングラデシュ国立博物館ナハル博士と翌日からの

調査日程につき打ち合わせ。

12 月 25 日(土): 08:15 ホテル出発、市内でバルア教授及びナハル博士と合流し、チ

ャーター車でラージシャヒー市へ移動、16:20 同市着、同市内ホテル泊。

12 月 26 日(日):午前中に同市郊外のラージシャヒー大学訪問。パーラ朝美術の名品

と多数のサンスクリット写本を所蔵することで知られる同市のヴァレーンドラ博物館を

同大が管轄しているため、表敬訪問を行ったものである。昼前に同市内のヴァレーンド

ラ博物館へ移動、同館長 Muhammad Zakaria 氏以下同館スタッフの協力の下に写本の撮

影を開始、閉館時間の 17:00 まで作業継続。ホテル泊。

12 月 27 日(月):ヴァレーンドラ博物館再訪、09:30 より撮影作業再開、13:00 には撮

影完了。博物館側の要請により撮影画像データのコピーを同博に提供、併せて撮影資料

の copyright に関する文書を作成・署名。館内の写本収蔵庫内部の見学・撮影の後、16:10

に同博を出発しダッカへの帰途につく。途中で曾ての地方領主(zamindar)の居館及びヒ

ンドゥー寺院を見学、22:00 ダッカ市内帰着、ダッカ大学ゲストハウス泊。

12 月 28 日(月):正午よりダッカ大学表敬訪問、バルア教授他スタッフと懇談。その

後、2011 年1月の BARC・RINDAS 共催国際シンポジウムに招聘する同大副学長

Harun-or-Rashid 博士と面会、シンポ日程及び発表内容など打合せ。14:30 よりバルア博

士の案内でダッカ市内北部の仏教寺院 Shakyamuni Bauddha Vihar 及び併設学校

Banophool Adivasi Heart College を訪問、住職 PrajJAnanda 長老と面会し聞き取り調査。

ダッカ大ゲストハウス泊。

12 月 29 日(火):正午よりダッカ大学訪問、同大 Teachers' Committee Member 公選会場

に入場を許され学内選挙の模様を見学、教員諸氏多数と懇談。ダッカ大ゲストハウス泊。

12 月 30 日(水): 11:00 よりダッカ市内各所見学及び地図・図書など資料の購入。13:30

ダッカ大学再訪、バルア教授他スタッフとの協議。17:30 ダッカ空港へ移動、19:00 空

港着、20:55 ダッカ空港発 [翌 12 月 31 日(木)14:45 関空着]

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1.0.バングラデシュ国内に保存されるサンスクリット写本

昨 2010 年8月に若原・岡本は「バングラデシュにおける仏教徒コミュニティ現状調査

と調査協力体制の構築」を目的としたバングラデシュ国内現地調査を実施したが、その過

程で同国内に相当数のサンスクリット写本が保存されていることを知った。これまでに判

明した限りでは、首都ダッカ市内のダッカ大学(The University of Dhaka)図書館及び国立

博物館(Bangladesh National Museum)、及び同国西部ラージシャヒー(Rajshahi)市にあるヴ

ァレーンドラ博物館(Varendra Research Museum)の少なくとも三カ所にまとまったコレク

ションが収蔵されている。このうちダッカ大学図書館とヴァレーンドラ博の所蔵写本につ

いてはカタログが刊行中であり内容も概ね把握できるが、国立博物館所蔵資料については

整理もカタログ作成も行われていない由であって、今のところ実態は不明である。

我々のバングラデシュ調査は上記の通り本来は現在のベンガル仏教徒の実態に関するフ

ィールド調査を目的としている。しかし同国に残るサンスクリット写本に関する情報がこ

れまで国外で殆ど知られていない現状に鑑み、今回は敢えて写本調査を主体とするスケジ

ュールとした。

1.1.ダッカ大学図書館所蔵サンスクリット写本

ダッカ大学図書館所蔵サンスクリット写本に関しては、これまでに下記の6冊のカタロ

グが刊行されており、同大に於いて現在入手可能な Part II ~ Part VI を購入した。

Syed Farida Parvin et al. ed., An Alphabetical Index of Sanskrit Manuscripts in the Dhaka

University Library, Part I, 1994; Pt II, 1995, Pt. III, 1996, Pt. IV, 1997, Pt. V, 1999, Pt.

VI, 2000, University of Dhaka, Dhaka

各冊平均 2,000 点を記載するから、同館所蔵のサンスクリット写本が少なくとも 12,000 点

を超えることは確かである。入手した既刊カ

タログには仏教関係の写本は見あたらない。

但し、同大スタッフや図書館担当者から般若

経などの仏教写本もあるとの情報を口頭で得

た。今回は写本収蔵庫で詳しく実地検分する

許可を得られなかったため、内容の詳細は不

明である。なお、国立博物館所蔵写本につい

ては上述の通り現在は全く情報が得られてい

ない。これについても今後館内立ち入り調査

が認められれば、或る程度の内容が判明する

であろう。

1.2.ヴァレーンドラ博物館所蔵写本

バングラデシュ北西部インド国境に位置する同国第四の都市ラージシャヒー市にあるヴ

ァレーンドラ博物館は、国内で も充実したパーラ朝美術のコレクションで著名であるが、

相当数(約 2600 点?)のサンスクリット写本を保存していることでも知られる。同博は

現在ラージシャヒー大学の管轄下にあり、我々は予め同博収蔵写本資料の閲覧・撮影の許

可を文書にて同大学長に申請し承諾を得ていた。それに対する答礼と今後の研究協力を求

ダッカ大学図書館写本部

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めるため、12 月 26 日に先ず同大を表敬訪問した。学長 Prof. Dr. Abdus Sobhan 以下同大ス

タッフと面会・懇談し、龍谷大学記念品並びに BARC・RINDAS(龍谷大学現代インド研

究センター)両拠点の資料を贈呈した。

博物館の創設者 Kumar Saratkumar Ray (1876-1946)は、ラージシャヒーの東方に隣接す

る Natore 地方の領主(zamindar)である Dighapatiya 家に生まれた。カルカッタ大学に学び、

タゴールなど当時のベンガルの代表的知識人とも親しく交流をもった人物である。ベンガ

ルの歴史と文化の研究に情熱を燃やし、1910 年に著名な法律家 Aksaya Kumar Maitreya 及

び歴史家 Ramaprasad Chanda と共に Varendra Research Society (Varendra Anushandhan

Samiti)を創設、私費を投じて多くの遺跡の発掘と保全にあたらせ、また美術品や写本の

膨大なコレクションを収集した。Ray は写本収集のためにベンガル全域さらにはベナレス

などインド各地へエージェントを派遣したという。その後 1919 年に、同研究協会と付設

図書館及びコレクション収蔵のために領主家の支援を受けて建築されたのが本博物館であ

る。落成式は時のベンガル総督でインド学者としても著名な Lord Ronaldshay が主宰した。

因みに、インド・ビハール州のヴィクラマシーラ大寺と並ぶパーラ朝の巨大僧院として名

高いソーマプラ Somapura(現在地名 Paharpur "City of Hill")の遺跡発掘も、1923 年にこ

の協会とカルカッタ大学の共同プロジェクトとして開始されたものである。

1947 年の印パ分離、1971 年のバングラデシュ独立、及びそれに続く危機的状況を乗り

越えて、収蔵品の散逸もなく今日まで存続していることは評価さるべきであろう。また、

この間の 1964 年に同博はラージシャヒー大学に移管されて現在に至っている。

ヴァレーンドラ博物館 同博中庭

ラージシャヒー大学 同大 Sobhan 学長と記念品交換

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なお、館名の由来となったヴァレーンドラ Varendra(またはヴァレーンドリー VarendrI)

はバングラデシュ北西部に相当する地方のパーラ朝時代の古称である。曾て janakabhU(父

祖の地)とも呼ばれたパーラ朝の故地であり、ソーマプラやモーハスタン(Mohasthan ←

MahAsthAna)などパーラ朝の代表的遺跡が集中する。プンドラヴァルダナ(PuNDravardhana)

即ち玄奘が『大唐西域記』巻十「十七國」の中に伝える奔那伐彈那國もこの地域にあった

(本章末の<関連資料>参照)。

今回は同館で下記の写本カタログ既刊分2巻を購入した。第3巻も既に編集を終え近く

刊行予定とのことであった。

Sachindra Nath Siddhanta ed., A Descriptive Catalogue of Sanskrit Manuscripts in the

Varendra Research Museum Library, Vol. I, 419 p, Varendra Research Museum,

University of Rajshahi, Rajshahi 1979

Kanailal Ray & Chitta Ranjan Misra ed., A Descriptive Catalogue of Sanskrit Manuscripts in

the Varendra Research Museum Library, Vol. II, 206 p, Varendra Research Museum,

University of Rajshahi, Rajshahi 2007

第Ⅰ巻は 852 点を収録し、各写本の情報を首部・尾部のロマナイズと共に記述するなど

かなり詳細であるが、解読や記載に誤りも多い。第1章ヴェーダーンタ(VedAnta)から第 16

章雑部(Vividhagrantha)まで分類する中の第 15 章仏教写本(Bauddhagrantha, pp. 383-406)と

して以下の5点を挙げる(写本番号、写本の配列順、経名表記は全て同カタログのまま)。

1. No. 689 ASTasAhasrikA PrajJApAramitA

2. No. 851 ASTasAhasrikA PrajJApAramitA

3. No. 620 EkallavIra CaNDa-MahAroSaNa-Tantra

4. No. 717 KaruNA PuNDarIka TantrAvatAra

5. No. 852 KAraNDavyUha

編者 Siddhanta 氏は 1972 年に同博の curator となり写本の整理とカタログ作成に従事し

た人物であるが、残念ながら既に故人となっている。

第Ⅱ巻は 700 点を収め、写本情報は 小限にとどめられている。第1章辞書類

(AbhidhAna)から第 11 章ニヤーヤ(NyAya)まで分類する中に仏教写本は含まれていない。

但し序文(Preface)の同館所蔵写本に関わる記述中には Santarakshita, Abhayarakshit,

Kamalaseal の著者名が挙げられ、第Ⅰ巻に見られない Bodhicaryavatara の書名も言及され

ている。刊行予定の第Ⅲ巻には関連する情報が記載されるのであろうか?2名の編者はい

ずれも現職のラージシャヒー大学教授(Ray 博士は言語学科、Misra 博士は歴史学科)で

あるが、今回は面会の機会を得られなかった。

1.3.ヴァレーンドラ博物館所蔵仏教写本の概要

以下にヴァレーンドラ博物館所蔵サンスクリット仏教写本の概要を簡単なコメントと共

に記す。但し③ No. 620 EkallavIra CaNDa-MahAroSaNa-Tantra は 19 世紀の新しい紙写

本であり、今回撮影を省略したため、上掲カタログの記述を摘記するにとどめる。

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① No. 689, ASTasahasrikA PrajJApAramitA

八千頌般若經

貝葉写本 191 葉;完本(但し第1葉右端三分

の一欠損、第2葉両端を紙で補修);55 × 5

cm.,6行;古ベンガル文字;書写年代:ハリ

ヴァルマン王の第 19 年(11 世紀末~ 12 世

紀初頭);6葉に尊格挿画(1b, 2a, 90b, 91a,

190b, 191a)。各葉裏面左端に文字で、右端及び中程上部に数字で、葉番号を記入。

首部 1b1:om namo bhagavatyai AryaprajJApAramitAyai // nirvikalpe namas tubhyaM

prajJApAramite 'mite / yA tvaM sarvAnavadyAGgi niravadyair nirIkSase // ...//

(2a2): evam mayA srutam ekasmin samaye bhagavAn rAjagRhe viharati sma / .....

全 32 章の葉番号:13a1: Chap 1-2; 19a2: Chap 2-3; 36b1: Chap 3-4; 39a6-b1:Chap 4-5; 52a3:

Chap 5-6; 65a2: Chap 6-7; 70a1: Chap 7-8; 74a6: Chap 8-9; 77a2: Chap 9-10; 84b6: Chap 10-11;

91b6: Chap 11-12; 101a4: Chap 12-13; 103b5: Chap 13-14; 106b4: Chap 14-15; 111b4: Chap

15-16; 117a5: Chap 16-17; 124a2: Chap 17-18; 127b6: Chap 18-19; 133b2: Chap 19-20; 139a6:

Chap 20-21; 143b3: Chap 21-22; 148a4: Chap 22-23; 150a5: Chap 23-24; 152b5: Chap 24-25;

156a5: Chap 25-26; 159b4: Chap 26-27; 164a4: Chap 27-28; 171b1: Chap 28-29; 173a5: Chap

29-30; 184b4: Chap 30-31; 190a6: Chap 31-32;

尾部 191b:(AyuSmAMC cAna-) ndaH CakraC ca devAnAm indraH sadevamAnuSAsura-

garuDagandharvaC ca loko bhagavato bhASitam abhyanandann iti // // AryASTa[saha]-

srikAyAM prajJApAramitAyAM parIndanAparivarto nAma dvAtriMCattamaH // // // 39 //

samAptA ceyaM bhagavaty AryASTasahasrikA prajJApAramitA sarvatathAgataja[na]nI

sarvabodhisattvapratyekajinaCrAvakANAm mAtA dharmamudrA dharmolkA dharma-

nAbhir dharma // // bherI dharmanetrI dharmaratnanidhAnam akSayo dharmakoCo

dharmo cintyAdbhutadarCananakSa // // tramAlA sarvasukhahetur iti // // sadeva-

mAnuSAsuragandharvalokavanditA / prajJApAramitAM samyagudgRhya paryavApya ca

dhArayitvA pravartyainAM viharantu sadArthina iti // ye dharmA hetuprabhAvA hetun

teSAM tathAgato hy avadat teSAJ ca yo nirodha evaMvAdI mahAsramaNaH //

deyadharmo 'yaM pravaramahAyAnayA // // yinaH paramopAsakasilAditvakasya yad

atra puNyan tad bhavatv AcAryopAdhyAyamAtApitRpUrvaGgamaG kRtvA sakalasattva-

rAser anuttaraphalajJAnavApta[ya] iti // mahArAjAdhirAjaparameCvaraparama-

bhaTTAraka CrImaddharivarmmadevapravarddhamAnavijayarAjye samvat 19 /

vRhaspativAre trayodasyAn tithau niSpanneyaM bhaTTArikA iti // //

経題 ASTasahasrikA は次の②と共に写本自体に現れる語形に従う。コロフォンに名前の

出るハリヴァルマン(Harivarman)は、東インドのオリッサからベンガルに侵入し 11 世紀

中頃から 12 世紀中頃にかけてサマタタ(SamataTa)国を5代に亘り支配したヴァルマン

(Varman)王家の第三代で、在位期間は 11 世紀末~ 12 世紀初頭と推定されてい

る。ヴィシュヌ派のヒンドゥー教徒で、パーラ王家と姻戚関係を結び、ヴィクラマプラ

(Vikramapura 現ダッカ)に都をおいた。ヴァルマン王家は 12 世紀中頃にセーナ朝第三代

ヴィジャヤセーナ(Vijayasena)に滅ぼされる。王家の系譜は以下の通りであるが、各王の

八千頌般若經貝葉写本①

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在位年代ははっきりしていない。また事跡の明確な JAtivarman を初代とする見方もある。

1. Vajravarman ― 2. JAtivarman (ca. 1050-1075) ― 3. Harivarman (46 年以上在位)―

4. SAmalavarman ― 5. Bhojavarman (12c.中頃まで)

サマタタは『大唐西域記』巻十に云う「三摩呾吒國」(本章末<関連資料>参照)であ

り、現在のクミラ(Comilla)県からノアカリ(Noakhali)県一帯に相当する(首都ダッカの東

方及び南方)。クミラ西部にはパーラ時代の大規模な仏教遺跡モエナマティ(Mainamati)が

残る。ベンガル写本のコロフォンに王名が記されている場合は殆どがパーラ朝宗家歴代の

それであり、こうした地方的な王家への言及の例は珍しいと思われる。

② No. 851, ASTasahasrikA PrajJApAramitA

八千頌般若經

貝葉写本 531 葉;第 28, 45, 90, 296, 310, 327,

356, 458, 478, 482-3, 512 の 12 葉及び本来の

終葉(531+α)を欠く不完本;31.5 × 6.3 cm.,

5行;古ベンガル文字;書写年代:11 ~ 12

世紀か(後に追加された 終葉にはネパール

暦 696 年[=C.E.1576]の記年あり);49 葉に

尊格挿画(1b, 2a, 29a, 44b, 91a, 98b, 99a, 134b, 135a, 173b, 174a, 188b, 189a, 201b, 202a, 209b,

210a, 233b, 234a, 255b, 256a, 280b, 281a, 288b, 289a, 297a, 311a, 326b, 345b, 346a, 357a, 388b,

389a, 400b, 401a, 418b, 419a, 425b, 426a, 435b, 436a, 445b, 446a, 459a, 477b, 513a, 527b, 528a,

530b)。各葉裏面左端に文字で、右端に数字で、葉番号を記入。

首部 1b1: om namo bhagavatyai AryaprajJApAramitAyai // ...

(3a3): evam mayA Crutam ekasmin samaye bhagavAn rAjagRhe viharati sma / ....

全 32 章の葉番号:29a5-b1: Chap 1-2; 44b1-2: Chap 2-3; 36b1: 90a (missing): Chap 3-4;

99a1-2: Chap 4-5; 134b3: Chap 5-6; 174a3: Chap 6-7; 189a3: Chap 7-8; 202b3: Chap 8-9; 210a5:

Chap 9-10; 234a4: Chap 10-11; 255b2: Chap 11-12; 281a2: Chap 12-13; 288b2: Chap 13-14;

297b1: Chap 14-15; : 311a2-3: Chap 15-16; 327a (missing): Chap 16-17; 346a5: Chap 17-18;

357a4: Chap 18-19; 372a5: Chap 19-20; 388b2: Chap 20-21; 400a5: Chap 21-22; 413a3: Chap

22-23; 418b3-4: Chap 23-24; 425b2: Chap 24-25; 436a2: Chap 25-26; 445b5: Chap 26-27; 458b

(missing):Chap 27-28; 477b2: Chap 28-29; 483b (missing): Chap 29-30; 513a: Chap 30-31;

527a5: Chap 31-32;

尾部 530a2:... // // AryASTasahasrikAyAM prajJApAramitAyAM parIndanAparivarto

nAma dvAtriMCattamaH // 39 //

lokaM prApayi // // tuM sukhena padavIM sampaTTvayAvAhinIG kAruNyAM

hitacetasA bhagavatA buddhena sandIpitAM /

Cru- // // tvA te 'khiladharmatattvanilayaM sUtraM samAdhAnato gatvA

sthAnam aharniCaM nijamalaM dhyAyante ye 'bhyAgatAH // (v. 1)

kAle [']smin bahuTTaShTisaGkulakalau pAThe [']pi dUraG gate nAnAbhedam

anekapustake gatan dRSTvAdhunA CraddhAyA /

八千頌般若經貝葉写本②

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kupyadvadigajendrakumbhadalane bhadreNa yA Codhi(530b)tA lokArthaM

hariNA mayA suvihitaiH seyam buddhair gRhyatAm // (v. 2)

// samAptA ceyaM bhagavaty AryASTasahasrikA prajJApAramitA sarvatathAgatajananI

sarvabodhisattvapratyekajinaCrAvakANAm mAtA dharmamudrA dharmolkA dharma-

nAbhir dharmabherI dharmanetrI dharmaratnanidhAnam akSayo dharmakoCo dharmo

cintyAdbhutadarCa[na]nakSatramAlA sadevamAnuSAsuragandharvalokavanditA

sarvasukhahetur iti // ye dharmA hetuprabhavA hetun teSAn ta-

追加された 終葉のコロフォン部 53?a1-3:Creyo 'stu // samvat 696 kAttika mAMse

kRSNapakSe paJcamyAyAM tithau punarvvasu nakSatre sAdhye yoge yathA krarNNa

muhute somavAra {sa}tve tulyalACigate savitari mIthunarAsigate candramasi // Cvadita

kuhnu CrI nepAlamahAsthAne / mahArAjAdhirAjaparameCvaraparamabhaTTAraka CrI CrI

jaye SadACivamalladeva prabhu thAkula saviyaye rAhye // ...

八千頌般若經の装飾写本としては小型であるが、多くの挿画を含むため図像学的にも貴

重な資料となろう。上記の通り挿画は写本首部と尾部、そしてほぼ各章末に配置されてお

り、写本を捲っていくと上下に見開きとなるよう連続する2葉に描かれている。失われた

12 葉の前葉若しくは後葉にはいずれも挿画があるから、この 12 葉にも描かれていたと見

てよく、これらが紛失しているのは挿画の美術的価値のためかも知れない。なお、上掲の

カタログには 12 葉欠けている旨が記載されているから、1970 年代に編者 Siddhanta 氏が

写本を調査・整理した際には既に失われていたようである。

第 530 葉は縁起法頌の前半あたりで途切れており、次の(現存の) 終葉冒頭の Creyo

'stu は全く別文である。この 終葉は右端が破損しているため葉番号は 53 までしか読め

ないが、明らかに材質の異なる新しい貝葉に後代のネワル文字で筆写されており、中世ネ

ワル語のかなり長文のコロフォンが記されている。また第 530 葉裏面には挿画があるから、

本来であれば続く 531 葉表面にも挿画がなければならない。オリジナルのコロフォンを含

む元の 終葉(1葉若しくは複数葉?)は、残念乍ら上記の 12 葉と共に失われたらしい。

写本本体はパーラ時代のベンガル写本と見られ、挿画の図像的特徴もこれを裏付ける。な

お、追加された 終葉のコロフォンに名の見える王サダーシヴァマッラ(SadACivamalla)は

ネパール中世後期、三都マッラ王朝時代のカトマンドゥ・マッラ王朝第5代(在位

1574-1580)である。この年代は字体の特徴とも齟齬しない。

因みに、經本文末尾、 終第 32 章の章名の直後に、530 葉表面3行目から裏面1行目

にかけて記される2詩節(上記 v. 1 と v. 2)は、本經の editio princeps たる Bibliotheca Indica

刊本を出版する際に校訂者 Rajendra Mitra が用いた5写本(ベンガル写本2点ネパール写

本3点)の中の MS. Gha にのみ見られるものである(R. Mitra ed., ASTasAhasrikA

PrajJApAramitA, Calcutta 1887, p. 529, n.b. 1)。この Gha 写本は A. F. R. Hoernle の所持本

を Mitra が一時的に借り受けたものといい、パーラ朝第 14 代王ラーマパーラ(RAmapAla,

ca. 1082-1124)の第 15 年の記年を持つ(Mitra, Preface xxiii)。本写本が記年を欠くため Gha

写本との時代的前後は不明だが、両写本は同系統のものと見てよいであろう。

③ No. 620 EkallavIracaNDamahAroSaNa-tantra * 19 世紀中期の新しい紙写本、撮影せず。

Subject: Buddhist Tantra. Substance: Nepalese Yellow paper. Folia: 92(1-92), complete.

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8 × 2.5 inches. 5 lines on a page. Script: Newar. Period: Nepal SaMvat 964 (=1844 A.D.).

④ No. 717 KaruNApuNDarIka

悲華經

ネパール紙写本 66 葉, 完本, 38 × 11 cm., 12 行,

ネワル文字 , 書写年代:ネパール暦(Nepal

saMvat) 775 年(C.E.1654/55)(naipAlike varSe

bhUtACvamunisaMgate [ bhUta=5, aCva=7,

muni=7] ) ; 第 1 葉 表 面 に ネ ワ ル 文 字 で

KaruNApuNDarIkatantrAvatAra の経題;各葉

裏面右端に数字で葉番号を記入。

首部 1b1:oM namaH CrIsarvabuddhabodhisatvebhyaH //

buddhaM praNamya sarvajJaM dharmaM saMghaM guNAkaraM /

karuNApuNDarIkAkhyaM pravakSye bodhisUtrakaM //

// evaM mayA Crutam etam ekasmin samaye bhagavAn ...

folio 3b4 (Chap. 1-2): // karuNApuNDarIkAt mahAyAnasUtrAd dharmacakrapravarttano

nAma prathamaH parivartta // // ...

folio 10a4 (Chap. 2-3): karuNApuNDarIke mahAyAnasUtre dvitIyo dhAraNImukhapari-

vartta // // ...

folio 19b2 (Chap. 3-4): karuNApuNDarIke dAnavisargas tRtIya // // ...

folio 52a11 (Chap. 4-5): karuNApuNDarIke mahAyAnasUtre bodhisatvavyAkaraNaparivar-

ttaC caturthaH // // ...

folio 61b2 (Chap. 5-6): karuNApuNDarIke mahAyAnasUtre dAnaparivartto nAma paJca-

maH // // ...

folio 66a10 (colophon): ... // // karuNApuNDarIkaM nAma mahAyAnasUtraM samAptaM //

svasti naipAlike varSe bhUtACvamunisaMgate / mAse phAlguNI Cukle / ...

これまで知られている悲華經梵文写本は全てネパールの紙写本であり、その中で書写年

代の判明する 古のものは Nepal-German Manuscript Preservation Project (NGMPP) Reel

No. E 2072/5, Nepal SaMvat 814 (= C.E. 1693/4) である。本写本は更に古く、誤写の少ない

完本であって、同經の古い貝葉写本の存在が確認されていない現時点では一定の資料的価

値を有する。因みに龍谷大学図書館所蔵大谷コレクション中の同経写本(Otani No. 610)は、

コロフォンにネパール暦 955 (=C.E. 1835)の記年を持つ 19 世紀の新しいものである。

⑤ No. 852 KAraNDavyUha (迦蘭陀莊嚴經)

貝葉写本 67 葉;完本;30 × 6 cm., 6行;古ベ

ンガル文字;書写年代:11 ~ 12 世紀か;6葉

に尊格挿画(1b, 2a, 28b, 29a, 66b, 67a);各葉裏

面両端に異なった字体の数字で、表面左端にチ

ベット文字で、葉番号記入;第 22 葉裏面下端

マージンにネワル文字(12-3 世紀に多く用いら

悲華經紙写本

KAraNDavyUha貝葉写本

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れた bhujiMmora "fly-headed" 体)の挿入文。コロフォンの後にチベット文字の書き込み。

首部 1b1:siddham oM namo bhagavate AryAvalokiteCvarAya // evam mayA Crutam

ekasmin samaye bhagavAn CrAvastyAm viharati sma // jetavane ...

folio 30a5: AryakAraNDavyUhasya mahAyAnasUtraratnarAjasya prathamo nirvyUhaH // //

尾部 67a3-b2:... / te ca devanAgayakSagandharvAsuragaruDakinnaramahoragamanu-

SyAmanuSyAH prakrAntAH // // idam avocad bhagavAn AttamanAH sA ca sarvAvatI

parSan sadevamAnuSAsuragandharvaC ca loko bhagavato bhASitam abhyanandan iti //

AryakAraNDavyUhan nAma mahAyAnasUtraM samAptaM // ye dharmA hetuprabhava

[67b1] hentun teSAn tathAgato hy avadat [/] teSAJ cA yo nirodha evamvAdI mahA-

CravaNaH // deyadharmo [']yaM pravaramahAyAnayAyi AjaparapAdAkAvasitA

naiCUpaDivadhu paramopAsikA sAhAkAyA yad atra pu // // NyaM tad bhavatv AcAry-

opAdhyAyamAtApitRpUrvaMgamaM // // kRtvA sakalasatvarACer anuttarajJAnaphalAvA-

ptaya iti // siddham // // ○ shrI 'dzarmakumDhra・・・・・(in Tibetan script) ○

コロフォンには定型的な廻向文の中に寄進者「サーハーカー信女」の名が記されるのみ

で書写年は示されないが、字体は古ベンガル文字であり 11 ~ 12 世紀を下らないと思われ

る。元のベンガル写本にネワル文字やチベット文字が書き加えられているのは、この写本

の流伝状況を示唆して興味深い。KAraNDavyUha は中・後期インド仏教に於ける観音信

仰の実態を伝える重要な経典であり、ネパール写本やギルギット断簡にもとづいた刊本も

あるが、全体に亘る本格的な研究はまだ現れていないようである。今後の同経研究の進展

に本写本が寄与する点のあることを期待したい。

なお、パーラ朝期ベンガル写本に関わる若干の参考資料を以下に列挙しておく。

A)ケンブリッジ・コレクション中のベンガル写本

ケンブリッジ大学図書館のサンスクリット写本は Dr. Daniel Wright が 1873-76 にかけて

カトマンドゥで収集したもので、先年マイクロフィルムとして全点が公刊された。同コレ

クションのカタログ編者 Cecil Bendall は、その中に若干の初期ベンガル写本が含まれてい

るとして例を挙げ、字体の点で極似する 12 世紀後半のネパール写本(Add. 1693)に言及し

ている。彼によれば、12 世紀がネパールとベンガルそれぞれの固有の字体への分岐点で

ある。以下、当該写本に関わる記載を時代順に同カタログより摘記する。

1) Add. 1464. ASTasahasrikAprjJApAramitA, palm-leaf, 227 leaves, 21 × 2 in., KuTila

character; dated 5th year of MahIpAla (ca. C.E. 1020); 227a5-6, parameCvaraparama-

bhaTTArakaparamasaugatamahArAjAdhirAja CrIman MahIpAladeva pravarddhamAna-

vijayarAjye samvat 5 aCvini kRSNe ...

2) Add. 1688. PaJca-rakSA, palm-leaf, 70 leaves, 22 × 2 in., KuTila character; dated 14th

year of NayapAla (ca. C.E. 1054); 70a6, paramasaugatamahArAjAdhirAjaparameCvara

CrIman NayapAladeva pravarddhamAnavijayarAjye samvat 14 caitra dine 27

likhiteyaM bhaTTArikA iti //

Cf. Add. 1693. ASTasahasrikAprjJApAramitA, palm-leaf, 295 leaves, 17 × 2.5 in., KuTila or

early DevanAgarI hand as modified in the XIIth cent. C.E.; dated Nepal SaMvat 285 (C.E. 1165)

3) Add. 1699, No. III, YogaratnamAlA, a comm. on the Hevajra, palm-leaf, 70 leaves, 11.5 ×

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2 in., the earliest example of genuine Bengali handwriting; dated 39th year of GovindapAla

(C.E.1200); 70b4-5, CrImad GovindapAladevAnAM saM 39 bhAdradine 14 likhitam idam

pustakaM KACrIgayAkareNa //

4) Add. 1364, KAlacakra-tantra, palm-leaf, 128 leaves, 13 × 2 in., Bengali hand of the middle

period; dated VikramAditya SaMvat 1503 (C.E. 1446); 128a4-5, CrImad VikramAdityadeva-

pAdAnAm(m) atItarAjye saM 1503 bhAdravadi 13 budhe likhyApiteyaM CrImat bhikSu

CrI-jJAnaCrIkaiH / likhiteyaM maghadeCIyakajhAragrAmasAsanikakaraNakAyastha

CrI-jayarAmadatteneti / kerakIgrAmAvasthitena // Cubham astu // ...

ベンドールは写本 1) Add.1464 のコロフォンに記されるマヒーパーラ王をパーラ朝第9

代マヒーパーラ一世(MahIpAla I, ca. 995-1043)と見たようだが、第 12 代の同二世(MahI-

pAla II, ca. 1075-1080)を指すとすれば写本 1)の年代は大幅に下がり、写本 2) Add. 1688

より新しい可能性もある。2)のコロフォン中のナヤパーラ(NayapAla, ca. 1043-1058)はマ

ヒーパーラ一世の子で第 10 代の王である。写本 3) Add. 1699 のコロフォンに記されるゴ

ーヴィンダパーラはビハールの碑文にその名が見える王で、パーラ王家の継承者と称して

いたが、その系譜の正統性は疑わしい。既に第 17 代マダナパーラ(MadanapAla, ca.

1143-1162)の治世にパーラ朝の本拠地ベンガルはセーナ朝に奪われて領土はビハールに局

限されており、この王を以てパーラ朝は終焉したとする見方が有力である。なお、パーラ

朝歴代の王名と年代には諸説あるが、今はバングラデシュに於ける現今の標準的な学説を

示すものとして、近刊の Banglapedia Vol 7, s.v. Pala Dynasty の記述に拠った。

B) 八千頌般若經装飾写本の例

パーラ朝の八千頌般若經装飾写本は見事な挿画が図像学的な関心から注目されることも

多く、各地の収蔵品も相当数にのぼるであろうが、管見に入った例を以下に挙げておく。

1) ニューヨーク・アジアソサエティ所蔵八千頌般若經貝葉写本

宮治 昭、世界美術大全集東洋編 14 インド(2)、第2章 中世前期の北インド―

仏教美術の発展と変貌―、p. 92; p. 76 図版 59 ~ 61; pp. 371-2 図版解説。

挿絵の表現に写本の前後の部分で相違が見られ、またコロフォンに「ヴィグラハパーラ

王の 15 年(1073 年頃)に NAe Suta SohA Sitna が寄進、NAlAndA 僧院の Anandaが書写;

(異なる書体で)ゴーパーラ王の8年(1151 年頃)に再度寄進された」旨の記述がある

ことから、当初 1073 年に作成された部分と 1151 年に追加された後の部分との混成写本と

推定される(宮治博士解説取意)。ここに言及される王はそれぞれパーラ朝第 11 代ヴィグ

ラハパーラ三世(VigrahapAla III, ca. 1058-1075)及び第 16 代ゴーパーラ三世(GopAla III, ca.

1129-1143)であると見られる。写本が示す経題は次の2)と共に ASTasahasrikA である。

2) ポタラ宮旧蔵(?)八千頌般若經貝葉写本(種智院大学講師那須真裕美氏ご教示)

曾布川寛(監修)、聖地チベット―ポタラ宮と天空の至宝―図録、2009 年、p.53 図

版 015; p. 203 作品解説。

先年日本各地で開催されたチベット美術展「聖地チベット―ポタラ宮と天空の至宝―」

(2009 年4月~ 2010 年4月)に、ポタラ宮旧蔵と伝える八千頌般若經貝葉写本が展示さ

れた。この情報を提供された那須真裕美氏からは自身も編集に協力された同展の図録も頂

戴したが、それを見る限り字体はヴァレーンドラ博写本と共通するもので、多数の美麗な

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挿画に彩られた体裁は上掲1)のアジアソサエティ写本に似ている。図録の作品解説には

「パーラ朝・11 世紀後期、140 枚、ロカ地区博物館」とあり、「写本コロフォンにスーラ

パーラ王治世の2年という記年がある」旨の記述がある。これはパーラ朝第 13 代シュー

ラパーラ二世(CUrapAla II, ca. 1080-1082)を指すものであろうから、やはり同時期の典型的

ベンガル写本の一例と見て良い。

*字体比較サンプル(経文冒頭の evam/evaM) :上段左より、ヴァレーンドラ博写本 No.

689, No. 851, No. 852;下段左よりケンブリッジ写本 Add. 1464, Add. 1688, Add. 1693;ニ

ューヨーク・アジアソサエティ写本;伝ポタラ宮写本。

*パーラ朝歴代王名及び在位年代

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<参考文献>

Cecil Bendall, Catalogue of the Buddhist Sanskrit Manuscripts in the University Library, Cambridge,

1883; Rep. Publication of the Nepal-German Manuscript Preservation Project 2, Verzeichnis der

Orientalischen Handschriften in Deutschland, Suppl. Band 33, Stuttgart 1992.

R. D. Banerji, The PAlas of Bengal, Memoirs of the Asiatic Society of Bengal, vol. 3, 1915.

Lore Zander, Paläographisches zu den Sanskrithandschriften der Berliner Turfansammlung, 1968, ss.

172-177 & Tafel 27-28; PAla-Schrift, Alphabet o (Schrifttypus S [=Sonderschrift] III); ca. 12. Jh.(*

この文字表はベルリンのドイツ隊将来十萬頌般若經断簡(CatasAhasrikAprajJApAramitA=

Sanskrithandschriften aus den Turfanfunden, Teil 1, 1965, Katalog-Nummern 645, Tafel 41 & 42)及

び陀羅尼断簡 (Kat.-Nr. 646, Tafel 42)にもとづいたもの)。

Dragomir Dimitrov, Tables of the Old Bengali Script (on the basis of a Nepalese manuscript of

DaNDin's KAvyAdarCa)", Cikhisamuccaya: Indian and Tibetan Studies (Collectanea Marpurgensia

Indologica et Tibetologica), Wiener Studien zur Tibetologie und Buddhismuskunde, Heft 53. D.

Dimitrov et al. ed., Wien 2002, pp. 27–78.

Stephen C. Berkwitz, Juliane Schober and Claudia Brown (eds), Buddhist Manuscript Cultures:

Knowledge, Ritual, and Art, Routledge Critical Studies in Buddhism, Routledge, New York, 2009

Sirajul Islam, Sajahan Miah et al. ed., Banglapedia, National Encyclopedia of Bangladesh, 10 vols.,

Asiatic Society of Bangladesh, Dhaka 2003.

佐伯和彦, ネパール全史, 明石書店, 2003 年。

東智學, バングラデシュ・マイナマティ遺跡群の歴史的背景, 高野山大学密教文化研究所紀要

第7号, 1994 年, pp. 182-165。

佐久間瑠璃子、『カーランダ・ヴューハ』の研究 -メッテ校訂本とサマスラミ校訂本の相違点

-、印度学仏教学研究 54-1, 2005, pp.426-421。

*個々の経典に関する文献は、KAraNDavyUha に関する書誌情報を載せる佐久間論文の他は

全て省略した。

<関連資料>

『大唐西域記』巻第十(十七國)「奔那伐彈那國」「三摩呾吒國」の条(大正 51, p. 927a-c)

奔那伐彈那國,周四千餘里。國大都城周三十餘里。居人殷盛,池館花林往往相間。土地卑濕,

稼穡滋茂。般核娑菓既多且貴,其菓大如冬瓜,熟則黃赤,剖之中有數十小菓,大如鶴卵,又更

破之,其汁黃赤,其味甘美。或在樹枝,如眾菓之結實,或在樹根,若伏苓之在土。氣序調暢,

風俗好學。伽藍二十餘所,僧徒三千餘人,大小二乘,兼功綜習。天祠百所,異道雜居,露形尼

乾寔繁其黨。城西二十餘里有跋始婆僧伽藍*。庭宇顯敞,臺閣崇高。僧徒七百餘人,並學大乘

教法,東印度境碩學名僧多在於此。其側不遠有窣堵波,無憂王之所建也。昔者如來三月在此為

諸天人說法之處,或至齋日,時燭光明。其側則有四佛坐及經行遺跡之所。去此不遠復有精舍,

中作觀自在菩薩像,神鑒無隱,靈應有徵,遠近之人,絕粒祈請。自此東行九百餘里,渡大河,

至迦摩縷波國(東印度境)。 *モーハスタン(Mohasthan)遺跡に Vasu Vihar として遺構が残る。

迦摩縷波國(略)

三摩呾吒國,周三千餘里。濱近大海,地遂卑濕。國大都城周二十餘里。稼穡滋植,花菓繁茂。

氣序和,風俗順。人性剛烈,形卑色黑,好學勤勵,邪正兼信。伽藍三十餘所,僧徒二千餘人,

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並皆遵習上座部學。天祠百所,異道雜居,露形尼乾,其徒甚盛。去城不遠有窣堵波,無憂王之

所建也。昔者如來為諸天、人於此七日說深妙法。傍有四佛坐及經行遺迹之所。去此不遠,伽藍

中有青玉佛像,其高八尺,相好圓備,靈應時効。從此東北大海濱山谷中,有室利差呾羅國。次

東南大海隅有迦摩浪迦國。次東有墮羅鉢底國。次東有伊賞那補羅國。次東有摩訶瞻波國,即此

云林邑是也。次西南有閻摩那洲國。凡此六國,山川道阻,不入其境,然風俗壤,界聲聞可知。

自三摩呾吒國西行九百餘里,至耽摩栗底國(東印度境)。

因みに玄奘の師戒賢はサマタタの王族であったという(同 p. 914c:「尸羅跋陀羅(唐言戒賢)

論師 ... 三摩呾吒國之王族婆羅門之種也」)。

なお、同国に関する記述は義淨の『大唐西域求法高僧伝』巻下「僧哲禪師」の条にも見られ

る(同 p. 8b)。

僧哲禪師者。澧州人也。幼敦高節早託玄門。而解悟之機。實有灌瓶之妙。談論之銳。固當重

席之美。沈深律苑控總禪畦。中百兩門久提綱目。莊劉二籍亟盡樞關。思慕聖蹤泛舶西域。既至

西土適化隨緣。巡禮略周歸東印度到三摩呾吒國。國王名曷羅社跋乇。其王既深敬三寶為大鄔波

索迦。深誠徹信光絕前後。每於日日造拓模泥像十萬軀。讀大般若十萬頌。用鮮華十萬尋親自供

養所呈薦設積與人齊。整駕將行觀音先發。旛旗鼓樂漲日彌空。佛像僧徒並居前引。王乃後從。

於王城內僧尼有四千許人。皆受王供養。每於晨朝令使入寺合掌房前急行疾問。大王奉問法師等

宿夜得安和不。僧答曰。願大王無病長壽國祚安寧。使返報已方論國事。五天所有聰明大德廣慧

才人博學十八部輕通解五明大論者。並集茲國矣。良以其王仁聲普洎駿骨遐收之所致也。其僧哲

住此王寺。尤蒙別禮。存情梵本頗有日新矣。來時不與相見。承聞尚在年可四十許。僧哲弟子玄

遊者。高麗國人也。隨師於師子國出家。因住彼矣。

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2.ダッカ市内北部の仏教寺院と付属学校訪問、他

12月 28日(月曜)午後

バルア教授の案内でオートリキシャ(CNG)

に乗ってダッカ市内北部ミルプル(Mirpur) 13

にあるシャキャムニ寺(Shakyamuni Bauddha

Vihar) とその併設学校 Banophool Adibashi

Green Heart College(訳せば林華・少数民族純

心学院とでもなろうか)へ向かう。実際には

学校が主体の寺院学校複合施設である。理事

長(Chairman of Governing Body)プラギャーナ

ンダ長老(PrajJAnanda MahAthera)の案内で構内

を見学したのちインタビューを行う。

師は現在 64 才、チッタゴン大学及びダッカ

大学で学び、自由に英語を話す知的な人物で、

我々の質問にも極めてオープンに対応される。

自身もビルマ系の少数民族チャクマ(Chakma)

に属し、これら少数民族が多く居住するいわ

ゆるチッタゴン丘陵地帯(Chittagong Hill Tracts,

CHT)の中心地の一つランガマティ(Rangamati)

にある、サンガラージャ派(SaGgharAja NikAya

バングラデシュ二大仏教宗派の一つ)所属のバ

ルア族の寺院ナンダンカラナ(NandankaraNa)寺

にて受戒された。但し、この寺と学院は特定

の宗派に属しているわけではない言われる。

創立は 1976 年だが、特定の宗教施設とする

と資金を募ることが困難であったため、当初

は純然たる学校として発足した。現在は小学

校から高校まで、生徒 2000名、教員 105名を

擁する大規模校に発展した。寺院自体の信者

数は二百家族程度という。教員の八割はムス

リムで、残り二割がバルア(Barua)族やその他

のマイノリティ(Adibashi ← AdivAsin 字義通

りには先住民)出身者である。嘗てはバング

ラデシュ海軍出身のムスリムが校長を務めた

こともある由。生徒は少数民族の仏教徒に限

らず、ムスリムやヒンドゥーの子弟もいると

のこと。この日は授業終了後の時間帯であっ

たため構内には僅かな生徒しか見かけなかっ

たが、いずれもチャクマ族で、一見してそれ

とわかる子供たちであった。

Banophool Adibashi Green Heart College正門

同校舎

同校礼拝堂内部

プラギャーナンダ師、バルア教授と共に

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師は「ムスリムの教師から他宗教の児童生徒が学ぶことにより、異宗教間のコミュニケ

ーション(生徒や生徒の親と教員との間の)が生まれる。教育を通して対話が成立するこ

とがある」と語り、教育活動を通しての宗教間対立融和の可能性を示唆する。

今回は限られた時間の訪問のため、授業見学も教員諸氏や生徒たちからの聞き取りも出

来なかったのは遺憾である。明確な理念にもとづいて運営され、充実した設備と優秀なス

タッフを擁する興味深い施設であり、再度より詳細な調査を実施したい。

12月 29日(火曜)午後

ダッカ大学教員委員会選挙会場に入場を許

され、見学。バングラではインドと同様に国

立大学学長は国家元首の大統領(RASTrapati)が

兼務する名誉職であり、実際上は副学長

(Vice-Chancellor)が学長に相当するが、これ

も国が任命し教職員による選挙で選出される

のではない。したがって大学構成員の意思が

直接に反映される年一度のこの選挙が、教員

諸氏にとっては 大の関心事であるらしい。

しかも、 高学府ダッカ大学の動向は国政と

緊密に連動しており、候補者は同国の二大政

党の何れかの支持者及び中立の3グループに

截然と分かれている。それぞれの候補者の支

援グループが会場で盛んに配布しているビラ

の色によって、Blue, White, Pink と呼ばれて

いる。Blue Group は現首相シェイク・ハシナ

女史率いる政権政党アワミ・リーグ派、White

Group は女性党首カレダ・ジアのもとで政権

返り咲きを窺う BNP (Bangladesh Nationalist

Party) 派、そして Pink Group が Non Politics で

ある。但し、 高学府に相応しく会場の雰囲気は極めて紳士的で和気藹々としており、用

意されたお茶と軽食をつまみながら談笑する様子に緊迫感は全く見られない。

同大教員諸氏には日本留学経験者も多く、我々が日本の大学から来たと知って入れ替わ

り立ち替わり会話を求められる。ダッカ大現代言語学部日本語科 Razaul Karim Faquire 助

教授は本業は歴史家で、「各地に仏教寺院やヒンドゥー寺院を改築したモスクやマドラサ

が多数あり、仏教時代の碑文も残っている;著名な例にクルナ管区バゲルハット県の Shat

Gombuz Masjit があり、上座部のものとみられる碑文が残っている;また仏教遺跡で知ら

れるクミラ県のモエナマティ付近は 12 世紀にムスリムが入ってくる前の一時期モンゴル

人が支配していた様子がある」等々、興味深い話題を提供された。これらは次回の調査対

象として日程に組み入れたいものである。ファキル氏はこの方面でのご自身の研究成果を

取り纏めた論文を用意しておられるとのことで、今後の交流を約し会場を後にした。(終)

選挙会場入口で支持を訴える Blue Group

投票所前の中庭で憩うダッカ大教員諸氏