マレーシアmlng-tigaプロジェクト...109石油・天然ガスレビュー...

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107 石油・天然ガスレビュー エッセー 1. はじめに 2003年11月、当社がオペレーターと して開発を進めていたマレーシアのサ ラワク州ミリ(Miri)市沖合のヘラン (Helang)ガス田(図1参照)は、ビ ンツル(Bintulu)のLNGプラント、 MLNG-Tiga(以下、MLNG-3)へ向 けて天然ガスの供給を開始した。新日 本石油(以下、新日石)グループによ るLNGチェーンビジネスが完成する とともに、その後20年間にわたる供給 義務を背負った瞬間でもあった。 本事業は、1987年11月にSK-10鉱区 の探鉱権益を取得し、マレーシアの首 都クアラルンプール(以下、KL)に 事務所を構えてスタートしたが、事業 開始から実に16年の歳月を経て、また 1990年のヘランガス田発見からでも13 年もの歳月を費やしての成果達成で あった。 本稿では、探鉱からスタートしてガ ス田の開発、生産にまでこぎつけた上 流事業、およびLNGの製造、販売に も参画することになった下流事業につ いて、鉱区権益取得から生産開始まで の長い道程において経験した数々の紆 曲折を中心に紹介する。 2. MLNG-3プロジェク トの概要 2.1 新日本石油グループの役割 マレーシアで3番目のLNGプロ ジェクトであるMLNG-3は、上流、 液化・販売および輸送の3部門によっ て構成されている。新日石グループは このうちの上流および液化・販売部門 に参画しており、これらの枠組みのな かでどのような役割を果たしているの かは図2に見られるとおりである。 (1) 上流部門 天然ガスを生産する上流部門では、 弊社がオペレーターとしてSK-10鉱区 のヘランガス田を操業するとともに、 Shell社(以下、Shell)が操業してい るジンタン(Jintan)、セライ(Serai) 等のガス田のあるSK-8鉱区(図3)に もノン・オペレーターとして37.5%の 権益を所有している。MLNG-3の原 料ガスは両鉱区から全量供給されてい る。 マレーシア MLNG-Tiga プロジェクト 〜 LNG チェーンビジネス:天然ガスの生産から LNG の販売まで〜 新日本石油開発株式会社 技術部 [email protected] 管野 昭久 ooooFrom M-1 N MLNG-3 BINTULU MIRI BARONIA BETTY BOKOR W.LUTONG BARAM FAIRLEY BARAM SIWA TUKAU BAKAU LUTONG 0 50km MLNG-2 HELANG FIELD LAYANG FIELD E11R-B B11 出所: 新日本石油開発㈱ ヘランガス田のロケーション 図1 上流部門 ペトロナス ペトロナス チャリガリ 輸送部門 LNG 買主 LNG 輸送 MISC 社 MLNG 社 液化・販売部門 <出資比率> ペトロナス 60% サラワク州政府 10% シェル 15% ダイヤモンドガス 5% ガス供給契約 ガス供給契約 ガス供給契約 生産分与契約 パイプライン プラント操業契約 プラント操業契約 3LNG プロジェクト (MLNG-Satu/Dua/Tiga) を統合運営 定期用船契約 定期用船契約 LNG 売買契約 LNG 売買契約 パイプライン建設・ 操業委託 パイプライン建設・ 操業委託 (ヘラン) (ジンタン・セライ等) ・シェル 37.5% (オペレーター) (オペレーター) ・チャリガリ 25% ・チャリガリ 25% SK-10 鉱区 MLNG-Tiga SK-8 鉱区 ・日石マレーシア 75% 新日本石油 10% ・日石サラワク 37.5% パイプライン パイプライン 出所: 新日本石油開発㈱ MLNG-3プロジェクト概要 図2

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Page 1: マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト...109石油・天然ガスレビュー マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト 〜LNGチェーンビジネス:天然ガスの生産からLNGの販売まで〜

107 石油・天然ガスレビュー

TACT SYSTEM

K Y M C

エッセー

1. はじめに

 2003年11月、当社がオペレーターとして開発を進めていたマレーシアのサラワク州ミリ(Miri)市沖合のヘラン

(Helang)ガス田(図1参照)は、ビンツル(Bintulu)のLNGプラント、MLNG-Tiga(以下、MLNG-3)へ向けて天然ガスの供給を開始した。新日本石油(以下、新日石)グループによるLNGチェーンビジネスが完成するとともに、その後20年間にわたる供給義務を背負った瞬間でもあった。 本事業は、1987年11月にSK-10鉱区の探鉱権益を取得し、マレーシアの首都クアラルンプール(以下、KL)に事務所を構えてスタートしたが、事業開始から実に16年の歳月を経て、また1990年のヘランガス田発見からでも13年もの歳月を費やしての成果達成であった。 本稿では、探鉱からスタートしてガス田の開発、生産にまでこぎつけた上流事業、およびLNGの製造、販売にも参画することになった下流事業について、鉱区権益取得から生産開始までの長い道程において経験した数々の紆

余よ

曲折を中心に紹介する。

2. MLNG-3プロジェクトの概要

2.1 新日本石油グループの役割

 マレーシアで3番目のLNGプロジェクトであるMLNG-3は、上流、液化・販売および輸送の3部門によって構成されている。新日石グループはこのうちの上流および液化・販売部門

に参画しており、これらの枠組みのなかでどのような役割を果たしているのかは図2に見られるとおりである。

(1) 上流部門 天然ガスを生産する上流部門では、弊社がオペレーターとしてSK-10鉱区のヘランガス田を操業するとともに、

Shell社(以下、Shell)が操業しているジンタン(Jintan)、セライ(Serai)等のガス田のあるSK-8鉱区(図3)にもノン・オペレーターとして37.5%の権益を所有している。MLNG-3の原料ガスは両鉱区から全量供給されている。

マレーシア MLNG-Tiga プロジェクト〜 LNG チェーンビジネス:天然ガスの生産から LNG の販売まで〜

新日本石油開発株式会社 技術部[email protected] 管野 昭久

112o40'E112o30'E 112o40'E112o30'E

From M-1

NMLNG-3BINTULU

MIRI

BARONIA

BETTYBOKOR

W.LUTONG

BARAM

FAIRLEYBARAM

SIWA

TUKAU

BAKAU

LUTONG

0 50km

MLNG-2

HELANG FIELD

LAYANG FIELD

E11R-B

B11

出所:�新日本石油開発㈱

ヘランガス田のロケーション図1

上流部門

ペトロナス

ペトロナスチャリガリ

輸送部門

LNG買主

LNG輸送

MISC社

MLNG社

液化・販売部門

<出資比率>ペトロナス60%サラワク州政府 10%

シェル15%ダイヤモンドガス5%

ガス供給契約ガス供給契約ガス供給契約

生産分与契約

パイプライン

プラント操業契約プラント操業契約

3LNGプロジェクト(MLNG-Satu/Dua/Tiga)を統合運営

定期用船契約定期用船契約

LNG売買契約LNG売買契約

パイプライン建設・操業委託パイプライン建設・操業委託

(ヘラン)

(ジンタン・セライ等)

・シェル37.5% (オペレーター)

 (オペレーター)・チャリガリ25%

・チャリガリ25%

SK-10鉱区 MLNG-Tiga社

SK-8鉱区

・日石マレーシア75%

新日本石油 10%

・日石サラワク37.5%

パイプラインパイプライン

出所:�新日本石油開発㈱

MLNG-3プロジェクト概要図2

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1082007.9 Vol.41 No.5

エッセー

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(2) 液化・販売部門 天然ガスの液化設備であるLNGプラントの操業とLNGの販売を担っているMLNG-3社には新日石が10%の比率で出資している。プラントの設計、建設および操業初期段階では新日石の技術者がMLNG-3社に出向し、プラントの円滑な運転に寄与した。 マーケティングに関しては、新日石が日本国内の販売活動を担当している。LNGの日本への販売量はLNG生産量の50%にあたる340万トン/年である。

2.2 施設概要

 サラワク州沖合に点在するLNG用ガス田群、ビンツルに立地しているLNGプラントとその両者を結び付けているパイプラインネットワーク等を図3に示した。天然ガスの生産からLNGの出荷に至るまでフローと主要設備につき、この図により紹介する。

(1) 上流設備 LNGの原料である天然ガスを生産する上流部門は、当社が操業するヘランガス田のあるSK-10とShellが操業す

るジンタン、その他ガス田のあるSK-8の2鉱区から成り、おのおのの鉱区から3億cf/d、9億cf/d(2007年6月現在)の天然ガスが供給されている。図4は朝日に映えるヘラン生産プラットフォームである。 天然ガスは海底パイプラインをとおして、ビンツルに建設されたLNGプラントに送られるが、主要幹線パイプラインはPetronas(ペトロナス)が敷設し、子会社のCarigali(チャリガリ)が管理・運営している。

(2) 液化、出荷設備 天然ガスを液化してLNGとして出荷、販売する部門はMLNG-3社が担っている。LNGプラントの製造能力は680万トン/年(2系列合計)で、そのプラントは既存のMLNG-1(Satu)

(7 8 0万トン/年:3系列合計)、MLNG-2(Dua)(780万トン/年:3系列合計)と同一敷地内に増設される形で建設された。 ライトアップされたLNGプラントの光景を図5に示した。 3プロジェクトから成るLNGプラントは有機的に統合されており、貯蔵、

出荷およびユーティリティー設備が共用されているほか、原料ガスの融通も可能になっている。

3. 事業化までの経緯

 石油、天然ガスプロジェクトの紹介をする場合、探鉱、開発移行、開発期間の3段階に分けて説明するのが常

じょう

套とう

ではあるが、本稿では生産開始まで16年を費やした理由、プロジェクト立ち上げまでに弊社が味わった歓喜と苦悩の日々を中心に紹介する。 まず初めに、SK-10とSK-8の開発史を図6により概略をとらえ、その歴史をたどってみたい。

3.1 ヘランガス田の発見

“隼ハヤブサ

”が“鷲ワシ

”を捕まえた

「これが最後の井戸になるかもしれない」。全社員の希望を一身に背負ったヘランプロスペクトの試掘が1990年8月に開始された。弊社初のオペレー

出所:�Petronas

サラワク沖ガス田群、LNGプラントとパイプラインネットワーク図3

MLNG TIGAMLNGMLNG DUA

BINTULU

MIRILUTONG

F13

M1Jintan

Bijan

F14F29

F23Selasih

Cili PadyHelang/Beryl

SK307

SK8SK10

B11 BaroniaB12 Laila

RB

Temana

Bayan

D18

D35

E6

F28

M4

M3

G7

F6

D12E8

RCE11RA

SKESK308

SK3

SK5

Saderi

Serai

F23sw

0  50km

MLNG SatuMLNG DuaMLNG Tiga

へランの生産プラットフォーム図4

出所:�Petronas

LNGプラント図5

出所:�新日本石油開発㈱

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109 石油・天然ガスレビュー

マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト 〜LNGチェーンビジネス:天然ガスの生産からLNGの販売まで〜

TACT SYSTEM

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タープロジェクトでは地下暴噴に代表される数々の苦難に遭遇しながら試掘が続けられてきたが、これといった目ぼしい成果を上げていなかった。 ヘランの掘削、生産テストも苦労の連続であった。顕著なショーイングが認められ勢い込んだものの、高圧層への対応からケーシングを使い果たし、最後は「6インチホールで行けるところまで掘る」という状況になった。電検の結果、裸坑でのテストの実施が決まった。原油を想定し、かつ7インチライナーでの準備しかしていなかったが、何とかテストにこぎつけることができた。 しかし、リグから発せられた第一報は「フローせず…、テスト手順には異状なし」。「やはりタイトか」「いや絶対に出る」。東京本社、KL事務所そしてリグの間で侃

かん

々かん

諤がく

々がく

の議論の末、悔いを残さないためにも再テストを行うことが決まった。 そして「出ガスに成功…」。 歓喜の瞬間が訪れた。オレンジ色の炎(図7参照)は、これまでの苦難に対する天からのご褒美だろうか。筆者は、この炎が自身の運命を変えることを予感しながらいつまでも眺めていたのを、昨日のように思い出す。 リグの名前はファルコン(Falcon:隼)、ガス田の名前はヘラン(Helang:

マレー語で鷲)。隼が鷲を捕まえたのであった。

3.2 ヘランガス田開発の検討と挫折:

長い苦難の始まり

 ヘラン1号井の成功を受けて、ラヤンプロスペクトの試掘(小規模ガス田発見)、ヘランガス田の評価井2坑(構造下部でもガスを発見)が連続して実施された(表1.� SK-10、SK-8探鉱活動史参照)。原油を求めての掘削だったが、地表に出てきた成分は天然ガスであった。 ガス田発見の歓喜が静まると、これをどのように開発するのか、果して開発できるのか、会社の総力を挙げて開発可能性の調査・検討が開始された。当初は、コンデンセートリッチなため、ガスサイクリングで液分を回収し、そ

の後ガスのブローダウンで天然ガスを販売する構想が描かれた。そのために

「MLNG-2でガスを買ってほしい」との当社の申し入れに、Petronasは当初好意的な反応を示したが、最終的な回答は「NO」であった。ヘランのガスの売り先が決まらない。単独での開発構想は宙に浮くかと思われた。

3.3 SK-8へのファームイン:

ジンタンガス田の発見

 これより先、「マレーシアで何としてでも成功を収める」という決意で、初代KL事務所長の兼清賢介が打った手は、SK-10以外にも探鉱鉱区を確保することであった。Occidental社(以下、Oxy)との交渉の結果、1991年5月、隣接鉱区であるSK-6、8へのファームインが決まった。 本来、石油狙いであったこのファームインは、1992年4月のジンタンガス田(SK-8)の発見として実を結んだ

(表1参照)。ジンタンは大型の構造で、当時、ヘランと合わせれば6兆cf以上となるとの評価が下された。この瞬間に、新たなるLNGプロジェクトの可能性が発芽したのだが、関係者が明確にLNGを意識するようになるのは、その半年後のことである。

出所:�新日本石油開発㈱

LNG-Tiga開発史(1)図6

第 1トレーン第 2トレーン

契約関係

LNGプラント

SK-10 開発

開発計画書

各種スタディー 概念・詳細設計 他

EPC

開発作業

1次修正 2次修正

SK-10 探鉱

SK-10PS 契約SK-10PS 契約 SK-8 契約SK-8 契約交渉決裂 再交渉

MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 基本合意

Helang 発見

Helang 生産開始

Jintan 発見

3次修正承認

SK-8 探鉱

1987 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 2000 01 02 03

出所:�新日本石油開発㈱

ヘラン1号井による生産試験図7

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エッセー

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3.4 MLNG-3構想の誕生:

新規LNGプロジェクト実現への

産みの苦しみ

 1992年9月、前述の当社の要請に対して「既存プロジェクトへのガスの販売は難しい」と切り出したPetronasのアジザン社長(のち会長。故人)は、「だから、ヘランとジンタンで第3のLNGを実現したい」とたたみかけた。ここにMLNG-3誕生への一里塚が記され

たのである。

「年末までにPre-FSを実施せよ」。厳命が飛ぶ。 LNGって何のこと? 石油会社がガスを手掛けるの? LNGプラントのコスト試算ってどうしたらいいの? 当時の日本石油(以下、日石)グループは、西豪州LNGプロジェクトの販

売支援は手がけていたものの、LNGの技術経験は皆無だったから、KL事務所、東京本社とも大変な騒ぎである。 KL事務所で作成したPre-FS資料をベースに、親会社の日石との議論が始まった。LNGとして日本へ輸出・販売するという構想は、「日石グループの総力を結集して事業化に取り組む」というトップの方針で前進を始めた。 Petronas、Oxyとの協議も合意に達し、1993年2月、LNGプロジェクトFS実施の覚書(MOU)が調印された。日石からは、LNGプラントの共同FSのために2名の技術者がKLに派遣されてきた。前途洋々の船出と誰もが信じていた。しかし、本当の産みの苦しみはこの時に始まったのである。

 1 9 9 3年9月より合弁事業契約(JVA)の交渉が開始されたが、3社の利害対立が解消しないまま時間だけが過ぎていく。業を煮やしたPetronasは交渉を中断してしまった。 1994年6月、Petronasより新たな構

回顧録1

最初、ヘランは除外鉱区だった初代KL事務所長 兼清 賢介

(現〈財〉日本エネルギー経済研究所 常務理事)

 SK-10鉱区権益取得後のKL事務所設営、探鉱=ガス田発見からMLNG-Tiga構想の構築までの6年間(1988年1月から94年3月まで)の回顧録である。 一人前の石油開発会社になるにはオペレーターをやらねばならぬ。SK-10鉱区の取得に向かったのはそういう動機からだが、戦後ゼロからスタートした日石の石油開発部門は無力だった。オマーンで帝国石油(株)との共同プロジェクトに失敗した後、自力で手がつけられるのは東南アジアの国々だという想定で鉱区を探した。SK-10の地質評価は二流レベルだったが、「オペレーターをやる」という目的でトップを口説いた。 ところが仕事が始まると、「日韓大陸棚で失敗し、オマーンで失敗した。マレーシアで失敗したらわが社の石油開発は潰れるぞ」と、当時の日石・建内社長から強烈な鞭が入った。これでは「オペレーターの見習い」なんぞとのんきに構えてはいられない。全員にハッパをかけるしかない。社長も毎年必ずマレーシアを訪問し、Petronasとの連携強化を図り、所員を激励された。今思い出してみても、蜀の桟道のような、わずかな希望に続く細い道をよくも踏み外さずにここまで来られた、という思いで一杯になる。これもこのときの愛の鞭があってこそ、石油開発部門やLNG部門のみんなが心をひとつにして頑張ったことに、天がご褒美をくれたのだと思っている。 今でも夢でうなされるような思い出には事欠かない。物探をかけたら予定していた構造がみんな消えてしまったこと、一号井メラックでの地下暴噴、ヘランでの裸坑テスト、Oxyとの開発計画統合の失敗と第一次LNGコンソーシァムの空中分解、日本のLNG買主コンソーシァムの大混乱など。それに、会社や行政など本来なら身内のはずのところでも、全員が味方だったわけではない。 そのなかで、生産の中心になっているヘランガス田のエリアは、浅層でShellがベリルガス田を発見していたので、当初SK-10鉱区には含まれていなかったことがある。第一世代の人たちには常識のこの事実も、覚えている人はもうわずかだろう。地質検討の過程で、ぜひここを掘りたいということになってPetronasに申請したが、「メラックやレンブックが失敗したときは、そういう可能性もあるだろう」と気のない返事だった。ところが、2坑とも油兆はあったが失敗に帰し、Petronasに再度談判に行った。そうしたら、浅層のベリルを除くこのエリアをSK-10に繰り入れてくれたのである。このとき想定したのは2,300m付近のP層だった。「この井戸が最後のチャンスだから、Bサンド以深のストラテグラフィック(現在の主力生産層)にも掘り込みたい」と、KL事務所の全員が阿竹探鉱部長を取り囲み、遅くまで大議論した夜のことが、まだ昨日のことのように思い出される。

年 SK-10 SK-8

1987 鉱区権益取得

88~89 2次元震探収録

89 Oxy SK-8鉱区権益を取得

90 ヘランガス田発見

91 ラヤンガス田発見 弊社ファームイン

91~92 3次元震探収録 ヘランガス田評価井掘削

92 ジンタンガス田発見 3次元震探収録

93-94 セラシ、セライ、チリパディ、サデリの各ガス田発見

94 追加探鉱実施

表1 SK-10、SK-8探鉱活動史

出所:新日本石油開発㈱

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111 石油・天然ガスレビュー

マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト 〜LNGチェーンビジネス:天然ガスの生産からLNGの販売まで〜

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想(ガス田総合開発契約:GDPA)が提案されたが、事業の立ち上げを優先したいPetronasと、経済性確保の確約を優先するOxyの溝は埋まらなかった。日石は両社の説得を続けたが、企業文化の違いは大きかった。ついに、GDPA交渉も完全に瓦解してしまった。1994年9月にはMOUも失効し、交渉は白紙の状態に逆戻りしてしまった。

3.5 上流部門の基本合意書調印:

MLNG-3プロジェクトの成立

 1995年になるとPetronasの首脳陣に異動があり、このタイミングで新たな提案がもたらされた。Shellを参画させるというものである。Shellの保有するガス田からも天然ガスを供給することで、LNGプラントの能力を大きくし、もってプロジェクトの経済性を向上させるという理由である。さらに、幹線パイプラインはPetronasが敷設するという提案もなされた。プロ

ジェクトの上流部門のみを先行させて4社の合意形成を目指す内容であった。 この交渉も難航に難航を重ねた。一進一退を繰り返す交渉であったが、この構想が破局すれば後がないという危機意識を背景に、何としてもMLNG-3を立ち上げたいという関係者の熱意が実り、ようやくのこと4社間で合意を形成することができた。8月に行われた上流部門の基本合意書調印式では、壇上に並ぶ各社代表の顔は晴れ晴れとした喜びにあふれていた。 「330万トン(後に340万トンに増量)/年×2系列、2000年立上げを目標とし、Petronas、日石、Oxy、Shellの4社でMLNG-3を実施する」と、マスコミ発表された。 LNGプラントの枠組み(JVA)交渉についても激しいやり取りが交わされたが、12月には契約調印の運びとなった。 MLNG-3社が正式に発足し、日石

が日本のマーケットを担当することも各社に認知された。

3.6 開発移行:LNG販売活動不調

−プロジェクト最大の危機到来

 喜びの後に苦難が立ち塞ふさ

がる。本プロジェクトはこの繰り返しであったが、最大の危機は、プロジェクトが正式に発足した後にやって来

た。LNGの販売が思うに任せないのである。マーケット活動に日夜奮闘していた日石の努力をあざ笑うかのようなアジアの経済危機(1997年)も重なって、事業立ち上げに必須なLNGの販売に目

処ど

が立てられない状態に陥ってしまった。 このような状況下では、プロジェクトの立ち上げ時期も定まらず、経済性の悪化ばかりが懸念される事態となり、1998年になるとOxyは、ついに所有していた権益すべてをShellに譲渡してプロジェクトから撤退してしまった。

回顧録2

MLNG-Tiga構想の実現第2代KL事務所長 高橋 史朗

(現�新日本石油開発株式会社 執行役員技術部長)

 KL事務所技術次長から昇格して、MLNG-Tiga構想の交渉、マーケティング活動、開発チームの編成に携わった2年間(1994年3月から96年3月)の回顧録である。 LNGプロジェクトは技術(アップストリーム、LNGプラント)の能力のみならず、コマーシャル、マーケティング、ファイナンス等の総合能力が必須な案件であった。 技術的な課題に対しては合理的な正しい回答に向かってベストのシナリオを描く努力を続けられるが、交渉をベースとするプロジェクトスキームの構築には、熱意と忍耐、そしてパートナー間の信頼関係の醸成が必要不可欠である。関係者全員がWinWinとなるような回答案が出てきては消える中で交渉を纏め上げるのに時間を要したのも、ある意味必然であったかもしれない。それにしても長い時間を費やしたとは思うのではあるが…。「貴重な経験であった」の一言の裏には語りつくせない秘話もあるが、その一端を書き留めておくことにしよう。 Petronas、Oxy、日石の3社で始まったMLNG-3構想の交渉は、3社の思惑が食い違い、なかなか進展しない。企業文化(投資基準)の相違、アジア人と欧米人の民族的思考の違いが、会社間の利害となって激しいぶつかり合いが続いた。 交渉の外では、第三者の影もちらついていた。Oxyがファームアウトの交渉を平行して行っていた。また、Shellも虎視眈々と巻き返しのチャンスを窺っていた。結果としてShellは参入を果たし、Oxyはマレーシアから撤退してしまった。3社が早期に合意形成していれば、プロジェクトの形は今とは違ったものになっていたはずである。また、Shell以外のメジャーも、参画の機会あればと狙っていた。あの頃、弊社もパートナーとして参加していたサラワク沖深海鉱区での探鉱で新規発見がなされていたら、オーナーサイドのメンバーも違っていたはずである。 また、もし97年のアジアの経済危機が長引いていたら、もし2000年前後の油価低迷が回復していなかったら、はたしてMLNG-Tigaは離陸できていただろうか。Petronasが当社の要求を呑んでくれなかったら、事業を継続していけただろうか。プロジェクト撤退の覚悟を懐に忍ばせて臨んだPetronasとの直談判、今思い出しても冷や汗が噴き出してくる。そして、開発移行が決まった後も、プロジェクトマネージメントチームの結成を目指して、優秀な人材を世界に求めるべくリクルート活動に汗をかいたのも初めての経験であった。 よくまあ、次から次へと難題、課題が降りかかってきたものだと、今にしてつくづく思う。諸々の危機に直面しながらも諦めることなく前進を試みた結果であり、その意味では、正に日石グループの総力を結集して取り組んだからこその成果達成=LNGプロジェクトの実現であり、このことを直接肌で感じた所長時代であった。

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1122007.9 Vol.41 No.5

エッセー

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 一方、弊社においても事業からの撤退もあり得るとの悲観論が高まり、1999年初頭にはKL事務所の大幅な縮小が行われた。 LNG販売活動の膠

こう

着ちゃく

状態は、1999年7月にインドへのLNG販売契約が仮調印(結局は実現しなかったのであるが)されたことで破られた。さらに、難航していた日本の買い主との交渉にも動きが出始め、2000年春には覚書

(MOI:Memorandum�of� Intent)の調印にこぎつけた。SK-10の採算性向上を目指す当社の要求(開発方式と契約関係)にもPetronasの承認が下り、当社は再びプロジェクトの立ち上げに全力投球することになった。 これにより、MLNG-3プロジェクトは息を吹き返し、同年12月にはガス田の開発移行が正式決定した。長期にわたった契約交渉、LNG販売活動はようやくにして終結を見たのである。 図8はガス田発見から生産開始までの苦難を図6に上書きした図である。関係者の粘り強い努力と忍耐力には感服するばかりである。

3.7 開発:工程、コスト管理の苦労

 心機一転。弊社は開発費削減と工期短縮を目指して、設備内容と開発方式を大幅に見直した。マレーシアでは初の全搭載(掘削・生産・居住設備一体)型プラットフォームを基本デザインと

し、その結果、数あるマレーシアの生産施設のなかでも最大規模のものになったため、フロートオーバー工法を採用することになった。ジャケットとプラットフォームを分離建設し、先にジャケットを海底面に設置、その後プラットフォームを設置するという方式である(図9参照)。  生産設備建設工事は、マレーシアの国策に従って国内企業であるMSE

(Malaysia�Shipping�&�Engineering)社をコントラクターに選定した。しか

し、フロートオーバー工法はマレーシアにおいて初の試みであったこともあり、プラットフォームの工事も難航を極めた。詳細設計、建設工事半ばでは、大幅な工期遅延も覚悟せざるを得ない状況に追い込まれたものの、熟練技術者の追加派遣等によりこの難関を乗り切り、ほぼ予定どおりの工程で建設・据え付け工事を完了することができた。また、開発コストも予算内に収められた。 生産井のコスト削減のための努力も

第 1トレーン第 1トレーン第 1トレーン第 2トレーン第 2トレーン

契約関係

LNGプラント

SK-10 開発

開発計画書開発計画書開発計画書

各種スタディー各種スタディー各種スタディー 概念・詳細設計 他概念・詳細設計 他概念・詳細設計 他概念・詳細設計 他

EPCEPC

開発作業開発作業開発作業

1次修正1次修正 2次修正2次修正2次修正

SK-10 探鉱

SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約SK-10PS 契約 SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約SK-8 契約交渉決裂交渉決裂 再交渉再交渉

MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 企業化交渉MLNG-3 基本合意MLNG-3 基本合意MLNG-3 基本合意MLNG-3 基本合意

Helang 発見Helang 発見Helang 発見

Helang 生産開始Helang 生産開始Helang 生産開始Helang 生産開始

Jintan 発見Jintan 発見

3次修正承認3次修正承認3次修正承認

SK-8 探鉱

1987 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 2000 01 02 03

LNG販売進展なしHelang 経済性確保困難

Helang単独開発断念

MLNG-3 交渉決裂

出所:�新日本石油開発㈱

MLNG-Tiga開発史(2)図8

バージがジャケットに向けて進行

トップサイドがジャケット上に着底 トップサイド据え付け完了

トップサイドが到着2

3

1

4

出所:�新日本石油開発㈱

フロートオーバー工法図9

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113 石油・天然ガスレビュー

マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト 〜LNGチェーンビジネス:天然ガスの生産からLNGの販売まで〜

TACT SYSTEM

K Y M C

並行して行われた。ヘランガス田は複数のガス層(図10参照)で構成されているため、最も経済的かつ効率的な生産を目的として、スリムホール化、コミングル仕上げの採用、ジャケット設置による先行掘削等が立案・実行された。 2003年11月のヘランガス田生産開始は、足かけ17年、大勢の関係者の努力の賜

たま

物もの

であった。KL所長も4代目を数えていた。 ヘランガス田生産設備の主要諸元

(初期デザインベース)は以下のとおりである。なお、本開発技術について興味のある読者は、石油技術協会第68巻6号を参照されたい。 ①�全搭載型プラットフォーム  ・�設備能力:天然ガス3億1,500万

c f/d、コンデンセート2万5,000b/d

  ・�総重量:�1万5,600トン(上載設備は7,200トン)

  ・水深:�92�m  ・耐用年数:�30年 ②�生産井  ・��坑井数:初期10坑(将来7坑

の追加掘削を予定)  ・��掘削:�6-1/8インチのスリムホー

ル掘削(掘削深度約4,000m)

  ・�資材:耐腐食性13Cr80使用  ・�ガス生産:コミングル生産  ・��ガス層管理:特定の坑井に対

して各層別にモニタリング

 ちなみに、本開発工事においては、全工程687万時間におけるゼロLTI

(Lost�Time� Injury)という、誇るべき成果をも併せて達成したことを特記しておきたい。 一方、SK-8のジンタンガス田は、Oxyからオペレーターを引き継いだShellにより開発が行われ、2004年8月に生産を開始した。 また、LNGプラントは既存プラントと同様にAPCI社(Air�Products�&�Chemicals,� Inc.)の開発したAPCIプロセスを採用し、EPCコントラクターは日揮/KBR連合が選定された。LNG製造能力の680万トン/年(2系列合計)は、1系列あたりの製造能力としては当時において世界最大であった。LNGプラントは予定どおり2003年3月に完工している。MLNG-3は、事業化においてMLNG-1、2とガス供給を融通する取り決めを結んでいたため、上流設備に先駆けての操業開始となった。

4. ヘランガス田の操業とラヤンガス田の開発

 当社(旧・日石開発)がオペレーターとして探鉱、開発を手掛けたのが初めての経験なら、ガス田の操業を行うのも、もちろん初めての経験である。毎日が新しい経験の積み重ねである。ラインの腐食やコンプレッサーの振動問題等、操業上のトラブルも決して少なくはないものの、現場の努力と東京本社との緊密な連携により、これまで安全・安定操業が続けられてきた。しかし、世界的な技術者不足はマレーシアとて例外ではなく、要員の確保・維持には苦労が絶えない。 日々の操業に加えて、ヘランガス田のフェーズ2(追加生産井の掘削)計画の見直し、また、ラヤンガス田の開発移行検討作業も並行して行われている。マーケットの好調を背景として、Petronasはガスの生産を増やすよう、再三にわたって要請を出してきている。ミリ事務所(操業開始に合わせてKL事務所をサラワク州ミリ市に移設している)は、この要請に応えるべく、当初の生産計画を変更して、設備能力限界近くでの生産を行っている。さらに、新たなる鉱区権益取得に対しても努力が続けられている。 その苦労の一端を、東京事務所勤務の筆者に代わって、現場からの生の声で直接紹介することにする。以下は現

(第5代)所長�鈴木からの報告である。

 <現場からの報告> ヘランガス田の生産開始から4カ月経過した2004年4月1日に、ミリに赴任した当時は、ガスがどの程度売れるか心配であったが、今ではガスの需要は極めて強く、Petronasからは契約生産量の2億5,000万cf/dをはるかに上回る、3億5,000万cf/dを出せないかと要請されているほどである。

Beryl-6 Beryl-4Helang-3Helang-1Helang-2Helang-4 Layang-1

PODT: 3077m

2910mPermeability Barrie

r

2951m

2981m

3020m3035m

3047.5m3060m

2897m

2944m

2972.5m

3026.5m3041.5m2910m

3053m

3205m

3072.5m

3156.5m

2936m

2963m

2987m

3018m

3100m3112.5m3133m

3157m

3263m

3316m

3017.5m

3054m

3150m

3173.5m

3198m

3310m

2981.5m

3047.5m

3087m

3177.5m3192m

3229m

3105m

3148m

3238m

3261m

3330m

3450m

3483m

3030m

3106m

3143.5m

3241m

3335m

3265.5m

3310m

3453m

3496m

"B Sand

"

"C Sand"

"D Sand

"

"E Upper Sand"

"E Lower Sand"

"E Ex

tra Sa

nd"

"F Sand"

"G Sand"

"H Sand"

"B Sand"

"C Sand"

"D Sand"

"E Upper Sand""E Lower Sand""E Extra Sand"

"F Sand"

"G Sand""H Sand"

"B Sand"

"C Sand"

"D Sand"

"E Upper Sand""E Lower Sand"

"G Sand""H Sand"

"B Sand"

"C Sand

"

"D Sand

"

"E Uppe

r Sand"

"E Lowe

r Sand"

"F San

d""E Extra Sand""F Sand"

"E Extra

Sand"

??

GDT: 3004m (Proven)3020m (Probable)

WUT: 3036m (Possible)

GWC: 3116m (Proven)

GDT: 3162m (Proven)

3187.5m (Probable)

WUT: 3197.5m (Possible)

GWC: 3,176m

GOC: 3,516m

ODT: 3,521m

TD: 3,250m

TD: 3,419m

TD: 3,350m

TD: 3250m

TD: 3,567m TD: 3,700mTD: 3,669m

3303.5m

2,900m

3,000m

3,100m

3,200m

3,300m

3,400m

3,500m

2,900m

3,000m

3,100m

3,200m

3,300m

3,400m

3,500m

出所:�新日本石油開発㈱

ヘラン構造断面図図10

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1142007.9 Vol.41 No.5

エッセー

TACT SYSTEM

K Y M C

 これは、2003年から油価が上昇を開始したため、それまで油価に比べて高いと言われていたLNG価格が相対的に安くなったことが最大の原因であるが、他方、環境面からもガスが油よりもよいという評価が確立した点も見逃せない。もちろん、ガスの生産量が増加したのみではなく、LNG価格も油価に引っぱられて上昇し、生産開始以前に関係者全員が心配していた、プロジェクトの経済性も急激に向上した。その結果、生産開始後約3年で、CAPEXの回収を完了することができた。このような短期間で回収し終えた理由としては、ガスと同時に多くのコンデンセートを生産できたことが挙げられる。この3年間、ガスよりもコンデンセートの売り上げの方が多いほどであった。 しかし、世の中、決してよいことばかりではない。この3年間の操業

上最大の問題は、“人”に関してであった。石油開発業界は1990年代後半の低油価時代にリストラを行った結果、従事者数は大幅に減少し、そのため、油価が上昇し各社が開発を始めた途端に、経験のある技術者が大きく不足する事態に陥ってしまった。そして人手不足のため、技術者は、より高い給料を求めて会社間を渡り歩くようになってしまい、やっと採用できたと安心したのもつかの間、大幅アップの給与の提示を受けて1年もしないうちに辞めていく技術者が続出している、というのが現状である。特に深刻なのは掘削関係の技術者不足で、今では、マレーシア人に支払う給与が日本人技術者に支払う給与を凌

しの

ぐほどになっているのであるが、それでもなかなか雇用できない状況が続いている。 この技術者不足の問題に加え、頭を悩ませているのが国の方針に基づ

くマレーシアナイゼーションである。マレーシアは他の国に比べ、外国人に替えてマレーシア人を採用するべしという圧力が強く、現在、事務系職員にはマレーシア人以外は認められていない。技術系職員も、絶対数が極めて不足している掘削、地質・物探、油層技術者を除き、生産操業関係の技術者は極力マレーシア人にするよう言われている。このようななかで、若い技術者を多く採用して研修を行ってはいるが、彼らが一人前になるのはまだ数年先、それまで綱渡りの日々が続くことを覚悟しながら、何とかやっているのが現状である。

5. おわりに

 紺碧の海と空が周囲360度の水平線で交わる。 われわれの汗と涙、歓喜と苦悩、そ

回顧録3

マレーシアプロジェクト回顧録(開発と生産)第4代KL事務所長 木谷 謙爾

(現�新日本石油開発株式会社 監査役)

 ヘランプロジェクトの開発から生産段階およびMLNG-Tigaプロジェクト完成までの6年間(1998年4月から2004年3月まで)の回顧録である。 最初の1年間はTigaの需要が確保できず、プロジェクトの中断を余儀なくされた。ヘランプロジェクトは既に開発移行の準備を整えていたが、大幅な人員削減および関連契約の解約等、予想外の業務を遂行することとなった。一方でプロジェクトの再開を信じ、プロジェクトの大幅なコスト削減と経済性の改善を検討し(当時、採算計算の前提原油価格は16ドル/バレルであった)、それが後に役立つこととなった。1999年4月頃から状況が好転し、7月にはTigaの開始が決定されたが、その引き金となったのは米国のE社とのLNG売買仮契約(COI:Contract�of�Intent)であり、それがTigaにとって好ましい方向に作用した。 海上プラットフォームの建設と生産井の仕上げが、プロジェクトの重要な柱であった。プラットフォームは下部構造(ジャケット)と上部構造(トップサイド)を別々に、すべて陸上で建設し、海上で合体する方法を採用した。巨大構造物を、世界最大級のバージで南シナ海に搬送する様は誠に圧巻であり、これぞプロジェクトという印象であった。特に、ジャケットとトップサイドの合体の光景は、今でも鮮明に目に焼きついている。搬送バージのバラストを調整しながら行う合体作業は、大変デリケートな作業であったが、当日は風もなく、海面も鏡のように静かで、それまでの心配が嘘のように、スムースに短時間で無事完了した。 その一方で10本の生産井の掘削・仕上げ作業が行われ、多くの問題・困難に直面し、スケジュールの変更を余儀なくされるなか、2003年11月にファーストガスに漕ぎ着けた。 プロジェクトは時間、金、人との戦いであった。各種契約、資機材の購入等一定の金額以上の案件はすべてPetronasの入札手続きを経なければならず、その時間と労力は大変なものであった。実行面では時間どおり、予算どおり行くことが珍しく、かなりの頻度でPetronasあるいは契約相手との粘り強い折衝が行われた。今でも、関係者の間で「間に合わない」「遅れている」「予算オーバーである」等の言葉が絶え間なく飛び交っていたことを思い出す。結果的には、パートナーとの相互理解と信頼が、問題解決の重要な要素であった。 その一方で、現場での安全確保は最優先事項であり、常にゼロLTIを目標にプロジェクトを進め、プロジェクト期間中、その目標を達成できたことは、本プロジェクトの大きな誇りとなった。 プロジェクト開始当初より(THINK),(CHALLENGE),(ACHIEVE)をスローガンに掲げ、日マ両国のエネルギープロジェクトを完成することを目標に、多民族で構成される社員が長い年月を掛けて一丸となって頑張った先に、プロジェクトの完成があった。 2004年2月にプロジェクトの完成式典を行ったが、お客様がお帰りになる時に、ローカルスタッフが自発的に人間トンネルを作ってお客様をお見送りする姿に大きな感動を覚えながら、プロジェクトの完成をはっきりと確認できたことは忘れられない思い出である。

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115 石油・天然ガスレビュー

マレーシアMLNG-Tigaプロジェクト 〜LNGチェーンビジネス:天然ガスの生産からLNGの販売まで〜

TACT SYSTEM

K Y M C

して忍耐と熱意の結晶たるヘランプラットフォームが、イルカの戯れる海に浮かんでいる。 SK-10、SK-8の当初の探鉱目的は油狙いであったが、運と努力のかいあって大型ガス田を発見したことから、LNGプロジェクトの誕生へとつなげることができた。LNGマーケットは買い手市場から売り手市場へと様相を変え、また、コンデンセートの生産量が当初見込みを上回っていることとも相まって、MLNG-3プロジェク

トは弊社の優良プロジェクトの一つに成長した。 アップからダウンまでの一貫操業態勢の確立を目標に掲げて事業に邁

まい

進しん

してきた弊社は、本プロジェクトの成功により、LNGチェーンビジネスの担い手としての地位も同時に獲得することができたわけであるが、その間の逸話には枚挙に暇

いとま

がない。まだまだ紹介したいところであるが、紙面の都合により、そろそろ筆をおくことにする。 最後に、一貫操業会社としての地位

確立の舞台を提供していただいたマレーシア政府ならびに国営石油会社Petronasの協力に対して、心より感謝の意を表したい。また、石油公団(現

(独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構)の資金および人的サポートにも同様な感謝を表しておきたい。そして、生産期間20年間に及ぶ安定供給の完

かん

遂すい

に関して、その決意を新たとすることで本稿の結びとさせていただく。

執筆者紹介

管野 昭久(かんの あきひさ)ふるさと:1954年、横浜生まれ、横浜育ち。学歴:1980年、横浜国立大学大学院工学研究科修士課程修了。職歴:�同年、日本石油㈱に入社。志布志国家石油備蓄基地基本設計、コジェネレーションシステム開発等担当。1988年日本石油開発㈱出

向(のちに転籍)。Chevron�USA社出向(石油公団研修制度)。マレーシア・クアラルンプル事務所勤務を経験、MLNG-Tiga、Tangguh�LNG、カナダ・オイルサンド、HSE等を担当し、現在、新日本石油開発㈱技術部Aグループマネジャー。

趣味:�テニス(区民大会で2-3回戦ボーイのレベル)、太極拳(毎日曜日早朝の公園で簡化太極拳48式、楊式太極拳を練習中)。