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SPECIAL ISSUE FROM VOL.29 BAJA FREERIDE TOUR STORY

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2009年に開催されたBAJA FREERIDE TOURのレポートです。美しいBAJAの自然の写真とストーリーをお楽しみください。

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SPECIAL ISSUE FROM VOL.29

BAJA FREERIDE TOUR STORY

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ドライレイクに入った瞬間、解き放たれていくライダーたち。ワイド・フル・オープン。ラグナ・チャパラ。12

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メイングループと完全にはぐれてしまった。距離を見誤り、CRF450Xがガス欠してしまう。燃費のよいXR400Rからガソリンを抜いて移す。14

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売店、道ばた、どこでもバイクを止めると地元のメキシカンたちがどこからか集まってくる。そのうちの1人に頼んで記念写真。左:中村さん、右:本誌・三上。

強い日射しで暑かった9月のサン・ハビエル。だが、木陰に入ると乾いた風がかけぬけて意外に涼しい。

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ワイルドな雰囲気のオールドミル・ロッジ。快適なベッド、美味い食事。サン・クインティン。

サンドのワインディングを気持ちよく飛ばす。江原さん。

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baja

しばし砂丘で遊ぶ。サン・クインティン近郊。18

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特集・バハカリフォルニア

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20 あまりの暑さとハードなルートにバテてしまった仲間を助けに行くが、自力で彼らは戻ってきた。再会を喜び、水を渡してしばし休憩する。シウダ・インスルヘンテス郊外で

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特集・バハカリフォルニア

Magnificent 14砂漠を1000マイル走りきった「偉大な14人」の5デイズ・ストーリー。本誌としては初めて開催した、風魔プラス1 世田谷店とのタイアップによる BAJA FREERIDE TOUR。それはちょっと過酷で最高に楽しく、また紛れもなく冒険の日々だった。その冒険の日々を築き上げた 14 人の参加者の模様をお伝えしよう。

photo and text by Katsuhisa Mikami

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ホンダの粋な取り計らいで US ホンダファクトリーを見学。お土産にジャンパーまで!

整然としたファクトリーマシンには興味深いバイク、パーツがいっぱい

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冒険と、新たな仲間と。

 道の向こうから、弱 し々い灯りがまたたいたと思ったら、急速に明るくなって近づいてきて、それがバイクのヘッドライトだとわかった。よかった、やってきた。 BAJA FREERIDE TOUR最終日。連日の疲れもあってか、最終日の最後に待っていたハードなルートに体力を奪われたか、お客さんの1人が途中で熱中症気味になってしまったのだ。体に力が入らず、このままでは走れない……ということで、13人のライダーのうち2名と、渡辺を残し、僕は10人のライダーをサポートカーとの待ち合わせ場所まで案内した。 そこから、今度は、バテてしまったお客さんのバイクに乗ってくれるというライダーを1人、飲み物、食べものを運んでくれるライダーを1人連れて、砂漠に残った3名の元へと戻ったのだ。舗装を30kmほど戻り、さらに20kmほどダートを走った奥にいるはずの3人を迎えに。 しかし、10km程度進んだところで、彼らは自力で砂漠から出てきていた。熱中症だったお客さんも、陽が落ちてなんとか体力を回復したようだ。もう、周囲は真っ暗。無数に散らばる星空をみんなで眺めながら、再会を喜んだ。それからまた舗装路を30km走り、僕らを待ってくれているほかのツアー参加者と合流。みんな、僕らの無事の帰還を喜んでくれた。もうすっかり遅くなってしまったが、誰も文句など言う人はいない。みんなお客さんなのに、旅の終わりには、すでにみんな、冒険の仲間になっていたのだ。

旅の始まり

 今回のツアーの発端は、僕が風魔プラス1世 田 谷 店 の 渡 辺 裕 之 に

「FREERIDEでお 客 さん 呼 んで、BAJAツアーやろうぜ」と、軽い思いつきで提案したことだった。 風魔プラス1では以前からBAJAツアーをやっているが、そのツアーに同行しているのは、世界を代表するアドベンチャーライダーの風間深二さんらだ。だが、この秋のシルバーウィークは風間さんがオーストラリアに出かけているため、ツアー同行者がいないという。そこで、本誌で募集したらどうかと提案したのだ。 この不景気だし、正直誰も来なかったらどうしよう? なんて思っていたのだが、そんな心配は不要だった。12名

の予定だった枠はあっという間に埋まってしまい、7月末の時点でさらに数人キャンセル待ち、という状況になってしまったのだ。結局、最終的に「どうしても行きたい」と言ってくれた2名を加え、お客さんは14人となった。この14人を、僕と渡辺がサポート、ガイドしながらBAJAを走る。 正直、不安はあった。ツアーに何度も同行している渡辺と違って、お客さんたちはどういう人なのか、というのが今ひとつわかっていない。14人も走るということは、BAJAのホコリの立ちやすい路面を考えて50mづつ間隔を開けて走ると700m、先頭と最後尾で1km近い間隔があくことになる。先頭と最後尾近辺にいる人は見えるが、もし真ん中あたりを走るお客さんがミスコースしてしまったら、気づかないかもしれない。 ちょっとした不安はあったが、それでもしかし2年ぶりにBAJAを走れるということ。そして、きっとお客さんが凄く喜んでくれるだろうことは……なにしろ、オフロードライダーにとってはリアルにパラダイスなのだ、BAJAは……わかっていた。不安を胸の奥深くにしまい込んで、僕は荷物をパッキングして空港へと向かった。さあ、旅の始まりだ!

サプライズ

 ロサンゼルスにツアー参加者より1日早く到着した僕は、今回の旅のロジスティックスを担う、オフィスフォレストの本林昭吾らと一緒にツアーの準備をしてから、参加者の到着を待った。 翌朝、ロサンゼルス国際空港に到着した渡辺裕之と14人のライダーをピックアップ。3台のクルマに分乗して、BAJAへと出発する。途中、サイクルパーツウエストと言う用品ショップに寄ったあと、220kmほど南にあるサンディエゴへ。国境ですまさなければならない手続きを終えたら、さらに100kmほど南のエンセナダのホテルに入り、宿泊する。 だが、その前に今回のツアーだけのサプライズイベントが用意されていた。今回のツアーに、ホンダが特別のプレゼントを用意してくれていたのだ。それが、ホンダアメリカへの訪問と、ジャケットのプレゼントだった。 ロサンゼルス郊外のトーランスにあるホンダアメリカ本社は、まるで巨大な公園のような広さ、そして美しさ。土曜日のため会社は休みで、広い駐車場にクルマの姿はほとんどない。 出迎えてくれた2人のスタッフが、挨

拶のあと参加者に日本では手に入らない、ホンダオリジナルのジャケットを全員にプレゼント。さらにそのあと、ホンダアメリカのレーシングファクトリーの中を案内してくれた。 ファクトリーの中は、アイバン・テデスコのマシンやロードレーサーなど本物のオーラに満ちあふれた空間だ。本当にここ入っていいの? と言いたくなるような貴重な体験だった。 トーランスを出た一行は、サイクルパーツウエストへ。有名なチャパラルに比べれば規模の小さいバイクアクセサリー・ショップだが、キャメルバッグを持参してなかった人や、スペアのゴーグル、はたまたウエアを購入する人も。とくにキャメルバッグは、無名ブランドのものが2000円以下と爆安だった。 やや時間が厳しくなってきたので、ウエンディーズでハンバーガーをテイクアウトしてインターステイツ405、5番と繋いでサンディエゴへ。2時間弱、海を見ながらのドライブとなる。そのあと、国境で保険やツーリストカードなど必要な手続きを終えてエンセナダへ。 途中、眺望のいい場所で小休憩しながらの移動だったので、エンセナダのデザート・インに到着したのはもう暗くなってからだった。 ホテルには、すでに今回のツアーの協力会社である、Go Baja Ridingのブルースとリカルドがバイクを持って到着していた。リカルドは、メカニックとして僕たちのツアーに同行する。 ホテルのパーキングにとめられたバイク は、KLX450R、WR450F、XR 400R、XR250R、XR650Rが各1台〜2台、残りはすべてCRF450Xとなる。どれもきちんと整備されたバイクのようで、これなら楽しい旅が楽しめそうだ。 行きがけのクルマのなかで、すっかり仲良くなったライダー同士で自分の乗るバイクを決めていく。僕は残ったCRF450Xに乗ることになった。IMSのビッグタンク、MOOSEのハンドガードが装着されており、軽いBAJA仕様になっているマシンだ。 翌朝、ホテルから旅は始まった。1600km南の、ラパスを目指すロングツーリングの 始まりだ。 今日は、200kmほど先にあるサン・クインティンのホテルがゴールとなる。ただし、ダートを走るので総走行距離は250km程度になる見込みだ。 初めての朝ということもあり、マシンのチェックを入念にしてホテルを出たのはもう、10時くらいになっていただろうか? 朝靄のかかる海辺の国道を南下する。ダートに入るのは、30〜40分

ほど先にある、サント・トーマスからだ。 国道1号線を南下した僕たちは、サント・トーマスのダート入り口の近くにあるガソリンスタンドでガソリンを補給、いよいよダートへと入っていく。さあ、いよいよ夢の始まりだ!

いざ、ダートへ

 このルートは、バハカリフォルニア半島の北部を周回して行われるループのBAJA1000でも、ラパスへと南下する縦断のBAJA1000でも使われる定番のコース。小さな岩が赤い土の路面に転がる、やや荒れたダートを気持ちよく飛ばしていく。 朝かかっていた靄はすっかり晴れ、空は濃い青。それに対して強いコントラストとなる赤い大地を16人で走っていく。日本とは異なり、ゆっくり走っても80〜100km/hくらいの速度でコンスタントに走れる。みんな、少しづつ、この旅の相棒となるバイクに体をなじませていく。 しばらく走ると道は下りはじめ、その先に美しい太平洋が待っていた。まるで海に飛び込むかのように、道は一気に下っていく。 海沿いの広場で休憩すると、小俣さんが「こっち側から太平洋を見るのは初めてだなあ」と名言。なるほど、確かにそうだ! 海沿いの道は、遠くから見ると深く侵食された崖の上を走っていることがよくわかる。ガードレールもなければ、当然ながらセンターラインもない。そんな道を、すっかり自分のバイクに馴れたライダーたちが走っていく。順調だ。 山を越え、谷を抜け、小さな街に出た。角を曲がるために後続のサポートカーを待っていると、バイクに追いつこうとしていたサポートカーが、街のパトカーに捕まってしまった。速度違反だ。 しばらく、街の外れにある売店で小休憩。しばらくして罰金を払ったドライバーが戻ってくると、また僕らはダートへと戻っていった。そのあと、コースはややガレたアップダウンのきついコースへ。日本なら、エンデューロ会場になりそうなハードな道だが、ここではこの道が生活道路。いったい、地元の人はどうやって走っているんだ? と思いながら南へ、南へと走る。 昼食は、サンクインティン近くにある砂丘の脇だった。小高い丘の上に到着していたサポートカーがもっていきたブリトーで空腹を満たす。眼下には光り輝く太平洋、そしてその向こうに真っ白な砂丘。昼食を終えたライダーたち

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は砂丘でしばらく遊び、また南下する旅へと戻っていった。 ここで、トラブルが発生した。狭く曲がりくねったトレイルで、岩に乗り上げた工藤さんがXR650Rもろとも転倒。たいした速度は出ていなかったのだが、転倒した際の打ち所が悪かったのか、肩が痛く動けないと言う。 しばらくして「折れているかもしれない。痛くて動けない」とのことなので、万全を期して、僕がまだすぐそこにいるはずのサポートカーを捕まえてくることになった。 結局サポートカーは、そこから40km程度先のカマルーまで捕まえることができず、現場に戻ったのは2時間近く経ってからだった。現場には工藤さんのほか、数人のライダーが一緒に残ってくれていた。工藤さんのXR650Rをクルマに積み込み、工藤さんはクルマに乗って病院へ。残った僕と鈴木さん、そして大川原さん、加藤さんの4人は、再びルートへと入っていく。 大きく陽の傾いた海沿いのトレイルを南へと走る。時刻はもう18時を回っていた。大きく傾いた夕陽が道路のワダチに深い陰を落とす。薄闇のなかを駆け抜け、ホテルに到着したのは20時ごろだった。ホテルの部屋でウエアを脱ぎ捨て、食事をとったらすぐに就寝。長い1日が終わった。工藤さんは、幸いにも骨折はしておらず、ヒビ程度の負傷だったようだが、やはりバイクに乗るのは無理。翌日からは、サポートカーに乗って同行することになった。

BAJAの道

 あけて2日目。今日はハイライトとなる、巨大サボテン林を走るルートだ。全行程は500kmほどもあるが、カタビナの手前から今日のゴール地であるバヒア・デ・ロサンゼルスまでは舗装路での移動となる。 ところが、スタートしてすぐに1台のバイクがパンク。国道沿いで直すが、ポンプが壊れたりしてしまって手間取ってしまい、30分ほどロス。僕らの手際の悪さに呆れた? 鈴木さんが手早くパンク修理してくれてしまった(笑)。ちなみに、最初は僕が修理したのだが、すいません。焦っていたのでチューブ噛んでまたパンクさせてしまったのでした。 気を取り直してダートに入る。視界のよい丘を駆け上がるダートの脇には背の低いサボテンが生えている。そのなかを緩やかに曲がりながら標高を上げていく道を走っていると、やがて360

度見渡せる稜線の道に出た。 止まって振り返ると、背後には昨日遊んだ砂丘が遠く白く輝いていて、しかも海まで見える! 感覚的にはもう相当走っているのだが、こんなに遠くまで見渡せるなんて! 写真などを撮りながら、さらに先へ。道はその先、まるで西部劇のような巨大な岩が道のすぐ脇まで迫るガレ場へ。きついスイッチバックを切り返して上りながら、さらに南へ、南へ。休憩を挟みながらガレた道を上り、そして下ると真っ赤な土の道の左右にビッシリとサボテンが生えた、高速ワインディングが僕らを待っていた。 途中、今度はまた別のバイクがパンク。サボテンの木陰で休憩してパンク修理の終了を待つ。そこから国道に出るまでは、まるで高速道路のようなダートだった。時折コーナーがあるが、どれもゆるやか……なのだが、スピードが相当出ていることと、コーナーに逆カントがついているところも多く、油断していると道から飛び出してしまう。 このパートでは僕が先頭を走っていたのだが、途中で鈴木さんが「手前で飛び出しちゃったよ」(笑)とニコニコ。まあ、飛び出してもよほどヒドい場所でなければ大丈夫なのだ。もっとも、ビッシリと生えたサボテンに衝突したりしたら、大惨事だけどね。 

個性溢れる面々

 国道への出口近くで、サポートカーが待っていた。サポートスタッフが、ざるうどんを用意してくれていたので、めんつゆとうどん、それに生姜だけのざるうどんを食べる。 じつは、エンセナダのホテル前にとめておいたピックアップが車上荒らしにあってしまい、工具などと一緒にコンロも盗まれてしまっていたため、茹でていないナマのうどんだったのだが、疲れというのは恐ろしいもので、グルテン感バリバリのナマのうどんでもとても美味しく感じてしまう。とくにしょっぱいめんつゆがいい。全員でたらふく食べて、しばらく休む。 このころには、だいたいのライダーの顔がわかるようになってきていた。昨日、骨折した工藤さんに付き合ってくれていたのは、友人であり元救命救急士の大河原さん。BAJA1000の完走歴もある、このツアーのリピーターだ。その友達の加藤さんは、消防士だ。1995年ごろのマルコムスミスのウエアがシブい。 パンク修理をしてくれた鈴木さんは、

朝霞研究所の広報マンで、じつは僕はもう、20年前近くからお世話になっている方だ。そもそも、鈴木さんがこのツアーに参加するようになったきっかけは、昨年、ホンダの試乗会で「鈴木さんBAJAに行きませんか? ツアーやるんですよ」と声をかけていたことがきっかけだった。以前からBAJAを一度は走りたいと思っていた鈴木さんは即答、一緒に来てくれることになったのだ。 鈴木さんは、年に一度行われるエディターズ・ミーティング……通称「編集長ツーリング」では、もう20年以上もコース制作とガイドを務めているライダーだ。そのせいか、僕は今回のツアーでも、鈴木さんと走っていると、ついつい鈴木さんにガイドされている気分になってしまう(笑)。日に日に鈴木さんもスタッフ化していくようなので、僕は時 「々鈴木さんはお客さんなんだから、もっと好きに走っていいんですよ」と言うと「あ、そうだったっけ」と笑う。いや、本当に助かりました。 宮城から参加してくれた千坂さんは、フリーライドパーティでDr.510のスタッフとして参加してくれているライダーだ。中村さんは、愛媛でダイニングバーを経営しているオフロードライダーで、高知の博田巌選手や、九州(じつは四国出身なのだ)の藤田貴敏選手などの知人であり、SSERの山田徹さんらもご存知で、共通の知人が多いライダー。ちなみに、自宅から職場まで林道を走っていけるという、恵まれた環境に住んでいる。 ちなみに、インディーヒルという彼の店には、フリーライドマガジンも置いてあるそうなので、松山近辺に住んでいる方はぜひ一度お店に行って欲しい。中村さん、バイクのエンスージアストとしては群を抜いていて、アメリカをバイクで横断したことがあるのはもちろん、デイトナ・バイクウイークにも何度も行っているそう。物静かだが、ユニークな人だ。

ダートだけじゃない

 ここからは、舗装路での移動となった。バハカリフォルニア半島北部の山間部を貫く、国道1号線を16台はコンボイで移動していく。だが、思ったようにペースは上がらない。前半のダートで2回のパンクなど、タイムロスが大きかったこともあり、巨岩が立ち並ぶ異様な風景のカタビナに到着する頃にはもう、夕暮れに近づいてきてしまった。 この日は、カタビナの先にあるドラ

イレイク、ラグナ・チャパラで遊ぶ予定なのだが、これでは到着する前に日没してしまう。休憩もそこそこに先を目指し、なんとかまだドライレイクに陽が半分残っている時間にギリギリ到着することができた。もう、太陽は今にも西側の山に隠れてしまいそうだ。僕が先導して、ブッシュを抜けてドライレイクを目指す。 ドライレイクに入ったら一度止まって、走り方をレクチャーする予定だった……のだが、フラットなドライレイクに入った瞬間、加藤さんと日野さんがアクセル前回でドライレイクを走り去っていくのが見えた(笑)。こりゃダメだ。もう全員、解き放たれた犬と同じだった。そりゃそうだよなあ。トップで全開にしてもまるでなんともない、広大なドライレイク。夕陽で金色に輝く太陽のなかに、砂煙を立てて、何台ものバイクがラインをクロスさせて走り去っていく。 僕は小高い丘の上でその様子を写真に収めていた。そこに鈴木さんがやってきて「こんなに固いのな、地面。もっと柔らかいかと思っていた」と言ってまた走り去っていく。 まだオフロード経験は浅い、と言っていた、笑顔が爽やかな八色さん、本誌の熱心な読者だと言う(ありがとう)サーファーでもある岩田さんが走り回っている。わずかな時間だが、充実した時間があっという間に過ぎ、ドライレイクは濃い紫色の闇へと変わっていった。

捜索

 サポートカーの周囲に、走り飽きた仲間たちが集まる。しかしそこで、1人足りないことが判明した。どうやら、ドライレイクに入る前にはぐれてしまったらしい。今回のツアー最年長の松岡さんだ。 もし、どこかで転倒していたら、真っ暗になってしまったら見つけられない。それくらい広いのだ、ドライレイクは。 そこで僕が来たラインを戻って探しに行く。これがちょっとした混乱の始まりだった。松岡さんはブッシュの入り口で待ってくれていて、すぐに見つかった。どこかで大転倒して気を失っていたりしたらどうしよう……と思っていたのだが一安心だ。みんなに付いていく途中、道を見失ったので戻ったとのこと。よかった。松岡さんもまた、このツアーのリピーターだ。 松岡さんを連れて、今度はゆっくりみんなの待つ場所へと戻る。すると、今度は僕を捜しに数人がドライレイクに

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いざメキシコへ。メキシコに入った瞬間、文化がガラっと変わったことを肌で感じる

エンセナダのデザート・インで、これからの 5 日間の相棒となるバイクと面合わせ

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サント・トーマス 砂塵のハイウエイ・ワン

太平洋岸を行く 小さな街の雑貨屋で。日陰は涼しい

手こずるヒルクライム。これでも道だ 砂丘を見ながら昼食をとる

サンクィンティンの砂丘で 夕焼け迫る太平洋岸

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出てしまっていた。彼らの到着を待つが、なかなかやってこない。やっと全員そろい、最後に鈴木さんがやってきたが「もう1人、ドライレイクにいる!」と言うのだ。ところが何度数えても数は揃っている。鈴木さんはおかしいなあ、と首を傾けていた。ひょっとしたら、あんまり楽しそうに走る僕らに誘われて、メキシコの座敷童が出てきたのかもしれない。 全員揃ったが、もうすっかり周囲は闇に包まれていた。上空には明るい月が出ている。あと舗装路を100km走れば今日の宿であるバヒア・デ・ロサンゼルスに到着する。このちょっとしたトラブルで、かえって僕らは結束感を強めたような気がする。コンボイで、真っ暗な闇の中を、さらに南へ、南へ。 バヒア・デ・ロサンゼルスに向かう途中の道で、夜だと言うのにグっと気温が上がってきた。それまで、ちょっと寒かったくらいなのに、もうジャケットなんて着ていられないくらい暖かい……いや、暑い! バハカリフォルニア半島とメキシコ本土に挟まれたコルテス湾は、内海のため水温が高いのだ。昼の間に熱せられた大地と海が熱を発して、その熱が風に乗って僕らのもとへとやってくる。周囲は深い闇。先行するバイクのテールライトを見ているうちに、眠気がやってくる。 途中、どうしても眠くなってダメだ、という小俣さんが一度休憩。バヒア・デ・ロサンゼルスについたのは、夜9時を回っていた。 美しいコルテス湾がホテルからは望めるはずだが、残念なのは到着したのはもう真っ暗な夜。ホテルの部屋は、エアコンが効いていてじつに快適だった。ついこの間まで、この街には電気が来てなかったはずなのだが、さすがに最近整備されたらしく、エアコンがガンガンに効いている。 プールサイドのレストランで、今日の話をして盛り上がり、そして部屋に戻って眠る。毎日、朝からバイクに乗って、バイクから下りたら食事してすぐに眠る日 。々バイクの整備は、限られた夜の時間と早朝にリカルドがやってくれている。僕らはただ走ればいいだけだ。これが最高の日 で々なくて、なんだと言うのだ?

いくらでも飛ばせる道

 翌日も、またよく晴れた。まあ、バハカリフォルニア半島で雨が降ることは滅多にないが、それでも嬉しい。コル

テス湾のコバルトブルーの向こうに、絵の具をぶちまけたような真っ青な空が広がる。 その下を貫く、真っ白な道路。今日は、僕らが「サボテン・ハイウエイ」と呼ぶ、BAJA1000のときでもハイスピード区間として有名なパートを走る。サン・フランシスキート近くでコルテス湾を離れ、エル・アルコを経て国道に至る400km近いルートで、当初は国道に出てからサン・イグナシオに向かって走る予定だった。 ところが、9月1日に半島南部を襲った巨大台風「ヒメナ」のおかげで、サン・イグナシオが水没してしまう。いちばん被害が大きかったのは、コルテス湾沿いのリゾートタウン・ムレヘだが、オアシスであるサン・イグナシオの被害も大きかった。ふだんは浅い川が氾濫してしまい、ホテルの設備までダメージを受けてしまったのだ。 そのため、国道に出てからは一度北に向かい、バハカリフォルニア南北を分かつ位置にある大きな街、ゲレロ・ネグロのデザート・インに泊まることになったのだ。 話を戻そう。バヒア・デ・ロサンゼルスからサン・フランシスキートに至る白い砂のダートは、じつはバハカリフォルニア半島を走る国道の1つ、5号線の延長にある。道の左右には、電柱よりも高く太い、巨大なサボテンが立ち並ぶ。そのなかを、いったいどこまでまっすぐなんだ! ってほど、まっすぐな道が貫いている。時折カーブはあるが、本当に時折にしかないので、速度を落としきれずにヒヤっとしたりしながら、ひたすら走る。

コルテス湾

 昼の休憩は、コルテス湾に出たところにあるサン・ラファエルでとることになった。昨年、渡辺がここに来て仲良くなったパンチョがいるという。しかし、凄い話だと思わないか。「サン・ラファエルってとこにパンチョって人がいるから、そこで待っててくれ」で通用してしまうのだ。日本で「勝沼で木村さんが待ってるからそこにいてくれ」と言ったとこで、絶対に木村さんは見つからないし、うまくいくわけがない。 ところが、バハカリフォルニア半島は本当に人が少ないのだ。僕はパンチョに会うのは初めてだったが、サン・ラファエルに到着して脇道にそれると、すぐにそこがパンチョの家だってわかった。海沿いに立った掘っ立て小屋。そこから、小柄な初老男性が出てきた。パン

わずかな水分を求めて小鳥がやってきた

サボテンの森を行く松岡さん

奇岩の風景が続くカタビナ周辺

今回の旅でガイドを務めた僕にとって、凄く役 立ったのがこのGathers M 二 輪車 専用 GPS ナビゲーションシステム。(本体 9万 9960 円)。RAM マウントでハンドルに固定し、バッテリーから電源をとって使用した。BAJA のハードな道を走っても、故障や作動しなくなるなどのトラブルは一切なし。さすがです。データをあらかじめ入れておいたので、道がなくなっているような場所でも安心して走れた。オススメ!

問◎ホンダアクセス お客様相談室 70120-663521 www.honda.co.jp/ACCESS/motorcycles/

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サンクィンティンから、海をバックに内陸へ。背後に、昨日遊んだ海が見える

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ラグナ・チャパラ。なんとか日没に間に合った

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チョ? と聞くと、笑顔でそうだ、パンチョだ、と答える。待ち合わせ場所はあっさり見つかった。 日に焼けた肌に、前歯の抜けた人好きのする顔。キャンピングカーをベースに作ったのだろう、海沿いの小屋の下には快適な日陰の空間が広がっていた。気にしないで寄っていけ、という歓待ぶりだ。犬が2匹、パンチョの足下で寝そべっている。 14人のライダーたちが続 と々やってきた。走っている間はそうでもないが、止まると猛烈に暑い。日射しがジリジリと肌を焼く。 パンチョの家の前には、誰もいない、美しく白い砂浜が弓なりに続いている。暑さに耐えられなかった僕はウエアを脱ぎ去り、アンダーパンツとTシャツだけの姿になって海に飛び込んだ。内海であるコルテス湾の水は、まるで温泉のようだ。それでも、少し岸から離れると冷たい海流が入っていて、ほてった体を気持ちよく冷やしてくれた。 どうしようか迷っているライダーたちに声をかけると、1人、また1人と海に入ってきた。最高だ! みんなで温泉に入っているみたいに海でプカプカ浮かぶ。パンチョが「鮫がいるぞ!」と言ってきたときにはちょっとヒヤっとしたが、冗談だった。 結局、30分くらいの間に全員海に入ることになった。ペリカンが、遠くの岩の上で魚を虎視眈 と々狙っている。雲がゆっくりと流れていく。時折、魚が海面ではねる。 みんなが喋るのをやめると、聞こえてくるのはかすかな波の音と、風の音だけ。どんなリゾートホテルでも得られない、貴重で豪華な一瞬が、ここにはあった。 海から上がると、パンチョがシャワーがあるぞ、という。言われた方向に行くと、家の裏側に無数のドラム缶があって、その中に雨水が貯められていた。その脇に手桶が置いてある。これがシャワーのようだ。 だけど、その上側には藻のようなモノが浮いていてゾっとしない(笑)。しかしそれでも、淡水はこうした場所では貴重なのだ。使っていいよ、と言ってくれたパンチョの好意に甘えて、僕は素っ裸になって体の潮水を流し、アンダーパンツとTシャツを洗って絞った。いやあ、本当最高だよ。こんな体験、人生でこの先どれだけできるか。 素っ裸の肌の、日射しにあたっている部分は暑く、日陰は涼しい。最高だなあ。風が本当、気持ちよかった。

最終章

 サン・ラファエルのあと、エル・アルコまでは、気持ち良すぎる、フラットで柔らかいサンドの道が続く。道は途中、牧場を縫って進むワインディングになる。スピードはもういいよってくらい、出る。だけど、先の見えない丘を越えた直後に道がカクっと曲がっていたり、雨水が流れた深いミゾが掘れていたりするから油断はできない。 今回参加したライダーのうち、ほとんどはBAJA初体験なのだが、じつによく走る。先が見通せるフラットな場所では、何度かCRF450Xで吹けきるくらいの速度を出してもみたのだが、それでも難なく付いてくる。じつにみんな、うまい。そして、タフだ。 バハカリフォルニア半島の牧場は、牧場とは言っても赤茶けて、岩のゴロゴロした荒野であることが多い。しかし、9月のこの時期は、緑の草がところどころ入る、じつに牧歌的な風景だ。ときどき、コーナーの先などに、牛、馬、ロバなどが待っている。僕らが近づくと、ゆっくりと逃げていく。 そんな繰り返しを何度か続けているうちに、エル・アルコに到着。サン・ラファエルからエル・アルコの間で2台がパンクしたので予定よりもやや遅れたが、エル・アルコからゲレロネグロまでは砂利道と、あとは舗装だけだ。 リラックスして砂利道を走っている間に美しい夕陽が大地の向こうに落ちていく。サボテンが真っ黒なシルエットになって、夕陽の前にそびえ立つ。 こうしてまた1日、最高な1日が終わっていった。そろそろ、旅の終わりが見えてきて、早くも残り惜しい気分が出てきていた。

ラパスへ

 Day4は、全区間舗装路で移動する休息日だ。昨日まで連日、暗くなっても走行する日が続いたので、この日はゆっくりとホテルを出る。 バハカリフォルニアと言えばやはりオフロードだが、半島を貫く唯一の舗装路である国道1号線、通称ハイウエイ・ワンを走るのも悪くない。遠くに、頂上が広く平らになった「ラ・メサ」を望みながら走る道の造りはとにかくダイナミック。日本ではあり得ない、広い視界の風景が続く。 オアシスの街、サン・イグナシオで休憩、昼食をとってロレトへと向かう。ところが、ここで最後尾でサン・イグナシオを出発した中村さんと僕だけがグ

ループからはぐれてしまった。 じつは、街から国道に戻ったところで他のライダーはガソリンスタンドに寄っていたのだが、それに気づかなかった僕らは、かなりのスピードで前にいるはずのない仲間を追いかけてしまったのだ。 滑り台のような急坂を駆け下り、サンタ・ロザリアに出ても、まだ先頭グループが見えない。当たり前なのだが、僕らは「いったい連中、何㎞/hで飛ばしているんだ!?」と思いながら飛ばしていた。国道を走っているが、僕らの乗っているマシンはオフロードタイヤのついたレーサー。ナンバーなんてもちろん付いていない。途中、警察の前も走るし、時にパトカーの前後を走ったりもするがなんの問題もない。よく考えてみると、凄い話だよなあ。  ムレヘに向かう途 中で、 僕 のCRF450Xがいよいよガス欠になってしまい、 燃 費 のよい 中 村さん のXR400Rからペットボトルで少しづつガソリンを移す。それを何度か荒野のなかで繰り返すうちに、ようやっとムレヘに到着、ガソリンスタンドでガソリンを入れた。 ハリケーン・ヒメナが直撃したムレヘはさすがに壊滅的な被害を受けていて、谷底には流されたのだろうクルマが腹を空に向けてひっくり返っていた。 結局、仲間と合流できたのはその先でだった。僕らがムレヘの街に入って、仲間の姿を探している間に僕らを抜いたのだ。 そのあとは、全員で揃って今日の宿泊地であるロレトへ。結局、この日も陽が暮れてしばらく走ることになった。 いよいよ明日は旅の最終日。ロレトからサン・ハビエルを経て、シウダ・インスルヘンテスまではダート。その先は、舗装路を走ってラパスに到着することになる。

最終日

 この最終日が、全日程でもっともハードな1日となった。ロレトからサン・ハビエルまでは、前半は舗装、後半はちょっとだけ荒れたダートになるのだが、サン・ハビエルからの先が、地元の人が「かなり悪いよ」というくらい荒れていたのだ。 BAJA1000で僕は何度も走っている、川渡りの多い区間だが、台風の影響でか、川はどれも増水していて、よく見極めないと水没しかけない深さがある。カンタンそうに見えても、川の出口にツルツルの岩盤があったりして気が抜け

ないのだ。 いったい、何本の川を渡っただろう? 緑の濃い牧場の脇に日陰を見つけ、僕らはしばらく休憩することにした。最後尾を走っているライダーと、渡辺が到着するのを待つ。 ところが、いつまでたっても、最後尾がやってこない。1時間待っても、2時間たっても。結局、鈴木さんに戻って様子を見てきてもらうことにした。緑の牧場のなかを牛がゆっくりと横切っていく。待っているライダーは、仮眠したり、歩き回ってみたり。鈴木さんが出てから1時間くらい経っただろうか。まだ誰も戻ってこず、時刻はどんどんと夕方に近づいていく。 鈴木さんが、松岡さんを後に乗せて戻ってきたのは結局、鈴木さんが出てから1時間30分くらいもたった頃だった。 暑さに加え、連日の長距離走行。年齢もあり、熱中症気味になってしまった松岡さんは川の中で転倒、バイクも水没してしまったのだ。バイクは鈴木さんのおかげでなんとか復旧したが、渡辺も松岡さんを助けようと歩いて坂を下ろうとしたときに転倒、指をくじいてしまった(あとで折れていたことが判明)。 具合の悪い松岡さんを牧場の木陰に残し、僕らはサポートカーが待つシウダ・インスルヘンテスまで先に行くことにした。そして、出来ることならクルマで、クルマで入れそうになかったらバイクで2人乗りして松岡さんを迎えに来る、という話がまとまった。 そして話は冒頭の部分に戻る。休むうちに体力の戻ってきた松岡さんは自力で戻ってきたのだ。もう、周囲は真っ暗だ。たくさん待って、たくさん走った。でも誰も文句なんて言うヤツはいない。ここからラパスまで、あと230kmも舗装路を走らないといけないことを考えるとゾっとするが、しかし14人のライダーたちは、最終日までにしっかり「仲間」になっていた。砂漠のなかを、全員で協力しあって進む仲間に。単なる観光旅行では得られない、強い結束が出来上がっていたのだ。 結局、ラパスに到着したのは3時ももう回ろうかという深夜だった。夜の国道は本当に真っ暗で、自分の手元も見えないくらい。目の前のバイクの、赤いテールランプが複数に見えてハっとブレーキをかける居眠り運転も続発。途中、休み休みで走ったために、フィニッシュ地点に着くのが遅れたのだ。 僕はシャワーも浴びずに、ホテルのベッドに倒れ込んだ。明日は、カボサンルーカスまでクルマで移動し、飛行

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バヒア・ロサンゼルス。ウエアを脱ぐとホっとする バヒア・ロサンゼルス。朝日が海に昇る

サボテン・ハイウエイで。陽気な参加者たち ダートだけど、立派な国道なのだ

鏡のようにフラットなダートを走る。エル・アルコ・ロード サン・イグナシオ。優しいオヤジが教会を案内してくれた

サン・イグナシオ教会 タコスは最高だ。日本人の口にあう、繊細な味

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機に乗ってロサンゼルスへと帰る。ホテルの窓から見える、ラパスのエキゾチックな眺望すら見ずに、僕はエアコンの効いた部屋でぐっすりと眠った。

終わってみれば……

 終わってみれば、キツいツアーだった、と言えるかもしれない。参加者は40万円のツアー代金と、シルバーウィークのせいで価格の跳ね上がった15万円近い航空券を買って参加しているわけで、大枚はたいて苦労をしにきた、とも言える。 だけど、それだけの内容はあったんじゃないかって手前味噌だけど思うんだ。でも、それは今回の参加者の誰もがじつにタフだったからこその結果。正直、あまりにビギナー過ぎたり、体力がなさ過ぎだったり、あるいは怒りっぽいような人がいたら、途中でツアーは空中分解していたかもしれない。反省しきりである。 そんなツアーをつなぎ止め、最後には結束の強いチームにしてくれたのは参加者1人1人の笑顔だった。ペルーをはじめとする南米やモンゴルを走ってきた、海外冒険経験豊富な篠塚さん。どんなに厳しい状況でも平気な顔をして元気いっぱいだった榎原さん。アメリカに長期の在住経験があり、英語も堪

能だった櫻井さんは途中目を傷めていたのに最後まで走りきった。いつもニコニコしている日野さんは、ツールドブルーアイランドやツールドニッポンなどSSERの常連である、タフなライダーだった。もう60歳を越えている松岡さんは、体力的にしんどかっただろうが、でもラパスまで自力で走りきった。お客さんである彼らにこんなことを言うと失礼であることは承知の上だが、最高のライダーたちであり、仲間だった。 キツかったけど、最高に面白かった!この経験は、きっと一生忘れないだろう。ツアーに参加したみなさんも、同じように思ってくれていると嬉しいなあ。

次は。

 翌日、カボサンルーカスの空港へとクルマで向かう道すがら、トドス・サントスに寄った。1970年代の名曲、イーグルスのホテル・カリフォルニアの舞台になったと言われる、ホテル・カリフォルニアのある街だ。ちなみに、ジャケット写真のホテルはロサンゼルスのビバリーヒルズホテルだが、曲のイメージそのものはこのトドス・サントスなのだと言う。 石造りの美しい街を歩きながら、次回がもしあるなら、女性や、もっとタフじゃないライダーでも楽しめるツアーを

やってみたいと考えていた。 今回1600km近くも走ったバハカリフォルニアだけど、まだまだほかに素晴らしい場所があり、人がいる。海があり、山があり、素晴らしいホテルがある。 僕自身はもう10回以上も通っていて、ちょっと食傷気味になっていた感もあるBAJAだけど、でも新しい仲間と走ってみたら、新しい発見があり、その奥深い魅力に再び気づかされる結果になった。やっぱり、バハカリフォルニアは最高だ。 いつかは行きたい、と言うライダーは多い。でも、ほんの少しでもそう思うなら、すぐにでも行ったほうがいい。残念ながらバハカリフォルニアのリゾート化、人口増加は明らかだ。20年前に比べると、小ぎれいになったり、舗装されたりした道は明らかに増えている。 それがイコール、バハカリフォルニアの魅力を減じるものではないが、だけどやはり荒野のままの姿を見せてくれるバハカリフォルニアを見て欲しい。 バイク乗りなら絶対に心奪われるなにかがある。バカみたいな繰り返しになっちゃうけど、でもやっぱりバハカリフォルニア半島は……そして、そこを走るダートライディングは、何者にも代え難いくらい、素敵なのだ。

大河原さん

加藤さん

櫻井さん篠塚さん

松岡さん

残念ながら初日でリタイアの工藤さん。また走りましょう!

BAJAをともに走ったタフなライダーたち。ツーリング中、合間を見つけてBAJAレーサー風の撮影を行った。ノリのいい人が多く、こんなに格好良く決まりましたよ!

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榎原さん 岩田さん 八色さん

小俣さん 日野さん 千坂さん

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左・鈴木さん、右・中村さん

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サン・ハビエル。これでも道だ

同じく。これも道。ごく普通のクルマが通っていく

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パンチョの家の庭先で泳ぐ。庭先が、コルテス湾だ

サボテンの海を行く

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またいつか、ともに冒険しよう。シウダッド・インスルヘンテスからラパスへの道程は、深夜に及んで睡魔との闘いとなった。だが誰もが勝ち抜いてラパスに無事到着。本当にタフなライダーたちばかりだった。ぜひまた、いつか、一緒に走れる機会があったら嬉しいな。ご参加いただいた皆さん、本当に、ありがとうございました。

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