graham greene における サスペンスの構造 - osaka city...

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- 67- GrahamGreene における サスペンスの構造 TheEndoftheAffair の世 界 に神 は在し ます 乎? - 、. 内広 “" " Graham Greene はいわゆる “カ トリ ック作家"と称される 小説家のひ とりである。乙 のよう にいわれる理由のひと つは?当然のととながら彼がカ トリ ックの信者 で ある とい う乙とに ほかならなし、 。 しかしそれだけの 乙とな ら,か りに 彼が多少 な りとも人 よ り熱 心な信者であっ たと して も,乙 うした 冠句をいだく 積極的な事 由を構成すると 言 うわけにはまいるまい。 というの おのづか は,キ リス ト教国に棲む作家たちであるなら ,神を仰ぎみる気持には自ら深 浅の別があるにせよ , 乙とさら棄教という励しい手段にうったえでも為ない 限り ,事実上カ トリックという宗派の キ リス ト者であるという場合は無数に あろうからであ る。 Greene がカトリ ック作家と呼ばれる本統の理由はむしろ, 彼がみづから の作品中 ,特 に“entertainmen t" て属 さしめていた小説群の中で,神の問題一ーというより , もっと 正確に い って ,神 i ζ 対時する 人間の問題を正面に据えて とり扱っている とい う乙とが あげられよう。乙 の種の小説のうち典型的なものとして論じられるのが, BrightonRock (1938) ThePowerandtheGtory (1940) TheHeart 01theMatter (1948) ,. The End01 theAllair (1951) とい った もので ある 乙とは人の能く知ると乙ろである。 とりわけ これ らの うち夙 く書かれた 三作について, Greene 自ら それぞれの主人公が置かれた心理的状況を,地 獄,天国,煉獄 i ζ 准 えてい るといった乙と からも察せ られ るよう に,かな り 芯識し て,乙 れら三作が一括して読 まれた り論じられ た りす ること を狙って いたらしい節がある。そ して実際, w アメ リカ のアダム』で有名な R.W.B. Lewis は,乙の作者自 ら繰 りだすリードにしたがって, Greene における Divine Comedy" に関す る興味深い論文を上梓しているのであ る九 しか ( 455) '

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- 67-、

Graham Greeneにおける

サスペンスの構造‘・•

The End of the Affairの世界に神は在し ます乎?

-・・、.

山 本 史 げハド

内広

“"

"

Graham Greene はいわゆる “カ トリ ック作家"と称される小説家のひ

とりである。乙 のよう にいわれる理由のひとつは?当然のととながら彼がカ

トリ ックの信者である という乙とにほかならなし、。 しかしそれだけの乙とな

ら,かりに彼が多少なりとも人より熱心な信者であったと しても,乙 うした

冠句をいだく 積極的な事由を構成すると言うわけにはまいるまい。 というのおのづか

は,キ リス ト教国に棲む作家たちであるなら,神を仰ぎみる気持には自ら深

浅の別があるにせよ,乙とさら棄教という励しい手段にうったえでも為ない

限り,事実上カ トリックという宗派のキリス ト者であるという場合は無数に

あろう からであ る。

Greeneがカトリ ック作家と呼ばれる本統の理由はむしろ, 彼がみづから

の作品中,特に“entertainmen t" ~C:対する “novel" と いう カテゴリーに曽

て属さしめていた小説群の中で,神の問題一ーというより,もっと正確にい

って,神iζ対時する人間の問題を正面に据えてとり扱っている とい う乙とが

あげられよう。乙 の種の小説のうち典型的なものとして論じられるのが,

Brighton Rock (1938), The Power and the Gtory (1940), The Heart

01 the Matter (1948),. The End 01 the Allair (1951)といったもので

ある 乙とは人の能く知ると乙ろである。 とりわけこれらの うち夙 く書かれた

三作について, Greene 自らそれぞれの主人公が置かれた心理的状況を,地

獄,天国,煉獄iζ准えているといった乙とからも察せられるよう に,かなり

芯識して,乙れら三作が一括して読まれた り論じられたりすることを狙って

いたらしい節がある。そ して実際, wアメリカ のアダム』で有名な R.W.B.

Lewis は,乙 の作者自 ら繰 りだすリードにしたがって, Greene における

“Divine Comedy"に関する興味深い論文を上梓しているのであ る九 しか

( 455)

'

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- 68ー

し本論のさしあたっての関心はこの“三部作"のあとに書かれた作品,The

End of the Affair ~乙向けられる O 乙れも , Time の書評欄に載った

HAdult~ry leads to Saintlihood" という評言に窺えるごとく ,前三作に負

けず劣らず宗教的色彩の濃厚な作品であ るO ただ し乙乙でひと乙と断ってお

かねばならないのは,厳密にいって,以下に論じられるのは,The End of

the Affairの宗教的作品たる所以のもの,即ちその教義的側面では必ずし

もないという ことである。

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hFC』

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後ほどの議論を判り よくするために,T he End of the Aff,αif が具体

的にどういう作品であるか賭ておこう。乙の作品を “fabula"的観点から記

述する 乙とは比較的単純な作業であるO

."..

,,-・、-

* * 第二次大戦中 ロンドンでの話である。一人称の語り手 MauriceBendrix

は小説家という設定になっている。みづからの小説に材料として用いるた

め, 官僚の生活実態をじかに知ろうという目的を抱いた Bendrixは,ある

日パーティで出合った SarahMiles ~ζ接近する。 Sarah は Bendrix-が下

宿している家からは,公園をはさんで向い側にたつ家に住む,年金省の高級

官僚 Henryの妻である。二人はただちに恋仲となり,果てしない肉体の愛

に耽溺する。しかしある空襲警報が発令された午後, Bendrix の下宿で逢

瀬をたのしんでいた折, Bendrix がふとした乙とで階下におりていったと

ころ,独軍のVlが間近に落下し,爆風で壊れたドアの下敷きになってしま

う。恋人の哀れなすがたを見た Sarahは彼が死亡したものと思い,急いで

部屋にとってかえし,普断神仏とは疎縁にしている因果で祈りかたさえここ

ろえないなが らも,若し恋人を生か してくださるなら, 自分たちの愛を犠牲

に供すると誓う。乙の声を天がききとどけてくれたのか,それとも単に

Bendrixが気を失っていただけなのか,いずれにせよ祈念の最中に Bendrixわけ

は亡霊のような格好でもどってくる。 乙の日を境に Sarahは理由も告げず

に恋人のもとを去り,二人の恋 (Affair)は畢るO

戦後になったある夕べ,Henryが Bendrix~ζ妻が不貞をはたらいている

らしい,信頼できる探偵社の住所を入手することまではしたが,依頼する気

に到らないでいるという。別れたあとも,愛憎いずれとも見定めがたい激し

い情緒を Sarahに向けて抱いていた Bendrix は,嫉妬にかられて Henry

(456 )

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Graham Greene におけるサスペンス ー 69ー

に内緒で探偵を雇う。当件を担当する Parkisが調べたと 乙ろでは, Sarah

k定期的に逢っている人物がいる。 乙の人物は RichardSmitheという顎

の片側に赤癒のある青年で,日曜ど とに公園で神が実在しない旨を演舌して

いる者だという乙とが判明する。 Bendrix は一時 Sarah がこの男と情を

通じているのだと思い込むが,次いで Parkisが入手した Sarahの日記を

読んで真相に目ざめる。彼女が神と約束をかわしていた ζ と,彼iζ対する愛

情に易りはない乙と等。 Bendrix はただちに Sarah を Henry(と神)の

手から奪還すべく強引な手段に出ょうとするがもはや Sarahは応じないo

Bendrix は遁れようとして家をとび出した病身の女を雨中おいかけまわし

て, 病が癒えた段階で Henryと離婚する乙とを無理矢理約束させる。恋ノ

からの電話を待つ乙と数日, Bendrixは Henryの電話で, Sarah が肺炎

で亡くなった旨を報らされる。 Henry の依頼で,彼の家に同居することと

なった Bendrix ~ζ次々と窓想、外の情報がとどく。 Sarah は死ぬ間際にカ ト

リックの洗礼を受けようとしていた乙と。さらに彼女の記憶にはないが既に

二才の頃南仏の教会で,洗礼をうけていた乙と。 しかし Bendrixは彼女を

カトリックの儀式で葬る乙とを拒否し,彼女を茶枇に付す。乙のあと,何件

か不可思議な, いかにも聖人となった Sarahがひきおこしたとしか思われ

ないような出来事が起きる。

* * 乙の小説の主要登場人物, 特に Sarahの神iζ対するときに示す態度は,

かの有名な宗教的逆説のー表象であるという乙とができる。有名な逆説とは,

西洋人ならマグダラのマリ ア, 聖オーガスティン等を想起し,日本人にはお

そらく親鴛の “善人なおもて往生す,況や悪人をや"という言葉に凝縮され

ているものである。つまり,自己存在の至らなさ,罪深さを意識すればする

ほどに,罰する者としてであれ,許す者としてであれ,何らかの超越的存在

が身に近く ,現実的に感じられ,それだけ益々強固な信仰をいだくようにな

るというものである。事実 Sarahの自己嫌悪のはげしさには目を陛るほど

のものがある。

One day 1 too would f..become part of that vapour 1 would

escape myself for ever.... 1 remembered that they believed in

the resurrection of the body, the body 1 ¥vanted destroyed for

(457 )

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- 70ー

ever. 1 had done so much injury with this body. How could 1 want

to preserve any of it for eternity, and suddenly 1 remembered a

phrase of Richard's about human beings inventing doctrines to

satisfy their desires, and 1 thought how wrong he is. If .1 were to

invent a doctrine it would be that the body was never born again,

that it rotted with last year's vermin2).

これに対して, Bendrixの心理状態を把握するためには, 読者は Sarah

の場合よりやや困難な立場におかれている。と言うのはp 我々が Sarahの

心裡を窺うのは彼女の日記を通してのととであるが,そもそも日記というも

のがその本来の性格上,ある程度正直な心情の吐露を期待できる楳体である

うえに,彼女はパスカノレではないが神が存在するという方に賭けているので

感情が率直なかたちで表現されている。 乙れに反して Bendrixの場合,同

じ一人称の形式とはいえ,彼は読者の視線を明らかに意識し(後に触れるよ

うに, 乙の物語は小説家である Bendrix~r よって, 小説とも実話とも明然

と断じないままにすすめられているのである), いわば観客の自の前で身ぶ

り手ぶりもよろしく踊って見せるかの如き部分が随所にみえ,かてて力dえて

Sarahとは正反対に神の実在を必死になって一一文字通り身を賭してでも否

定しようとしているので, 乙とのほか話が複雑になるのである。 乙乙で,

“否定しようとしている"という言い方に特に注意を喚起しておきたい。もと

もと設定からいって, Bendrixは神の存在を身近に感ずる可能性を高くも

った人間である。彼はシェ ークスピアの リチヤー ド三世のように,左右の足

の長さが異る肢という ことであった。乙れは勿論戦時下にあって銃も担がず

に情事に耽っている Bendrixという設定K不可欠のものではある。しかし

同時に,Bendrixの心理を理解させる一翼をになっている乙とも否めない。

というのは,Bendrix に劣らず ヒステリ ックに神の実在を否定しよう とする

Richard青年が,生まれつきの崎形である赤症、の責任者として無芯識裡に神

への瞭.をもや しており,それゆえ誰よりも身近に神の臨在を感じている とい

う逆説が成立しているのであるo Richard青年は Sarahの筋の展開になく

てならない登場人物であるが,かつ主人公 Bendrixの心理を平行的K映しだ

すという更に大切な役割をも振り充て られていることがわかる。 Greeneの

いかにも技巧派と賞されるゆえんの一端がこんなとと ろにも垣間み られるの

であるが,それはさておき, 以上にみてきたことを纏めてお くと,The End

(458 )

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Graham Greene におけるサスペンス ご 71ー

of the Affair の登場人物は自己の存在に対する何らかの意味での欠如感

ゆえに抱く憧れ,はたま た憎みといった感情が先ず存在し,乙れを発条とし

て神の存在への信念にいたる(とれを意識の表面で肯うか否認するかは別と

して) という 心理的メカ ニズムが共通してみられるのである。

* ・持

さて今までの部分では,自己の肉体的存在に対する罪悪感なり欠如感とい

った,原則として時間の画数とはいえないという意味で “静的"な動機によ

り,結果として神の臨在感が現出するという The End of the Affairの

基本的 “argument" を記述してきたわけだが,今度はそれとは別に, 小説

の “action"~L直接関連しているという意味で, いわば “動的"と いいうる

メカ ニズムに触れないではすま ない。

第三部に出てくる Sarahの日記の中には,恋い焦れる Bendrix ~ζ会っ

てしまおうと決心する彼女に,様々な出来事の流れが結句, “神との約束"

を守りとおさせるべくはたらいたさまが描かれている。自につくほんの数例

をあげてみると,1944年 7月23-30日の項で, 決:なして Bendrix~ζ電話し

たが不在だった乙と。 1944年 2月3日, Sarahは酒場にはいっていく

Bendri玄 を見かける。 “1stood日tthe door and watched him go up to

the bar. If he turns round and sees me. 1 to1d God. 1'11 go in, but

he didn't turn round."3)同じ日の午後 Sarahは Henry のもとを去る 乙

とを決意して離縁状までしたため, スーツケースに衣類を詰めて時を待っ

ていた。と乙ろがそ乙に帰ってきた Henryは哀れな様子で“Don't1eave

me, Sarah. Stick it a few more years." と懇望する。わけがわから

ないままに Sarah は去る機を逸してしまう。同じ日の午後, たまたま

BendrixはHenry ~ζ , Sarah ,ζは恋人がいるらしい乙と, また過去に自

分と Sarahの閉lζ 関係・があったという ことを告白していたという わけであ

る。

Bendrixが乙れらの事件についてどう思うにせよ,過去に生じたー述の出

来事をある相のもとに眺めて,いかにもひとつひとつが現実の結果を招来す

るのに必然的に作用していて,ま るで何者かの芯図が介在しているかのよう

に,性急に感じたがるという乙とが我々の日常・的経験によく生じる 乙とであ

るので, 乙れらの Sarahと Bendrixの “擦れちがい"は,まさに過ぎ去

った時点、からふりかえるという形で読者に提示されるという 乙ともあい倹っ

( .159 )

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て,少くとも読者の立場から, Bendrix の感受性を怪認に思う乙とはある

にしても,出来事の流れ自体を不可思議と思レなすにはあたらないはずであ

るO

しかし Sarahの死後出来する次の三つの挿話の,現実性という意味での

ありかたは微妙である。 1)出会ったばかりの女性をともなって Sarahの

葬式に列し,新たな “affair"が始まる予感lζ,“Getme out of it. I don't

want to begin it all again and injure her I'm incapable of love. Except

of you.…"と Sarahに対して祈念したと乙ろ,その母親が話しかけてきて,

祈りが効を奏する結果になった。 2)Bendrix と接触のあっ た探偵 Parkis

の子供が虫垂炎に擢る。高熱にうなされる子供は Sarah と会話するかの如

き謡言をいう。目覚めたとき Sarahが書物をくれると約束したというので,

Parkis が理由をかくして, たまたまあった彼女の幼時の書物を借りうけて

くると,子供は安心して眠に就く。翌朝症状が軽減して自がさめた子供は,

夢枕に Sarahがあらわれた乙と,患部iζ手を触れて痛苦をとり去っ た乙と,

書物に彼のために書込みを したことを告げる。書物には事実,子供の Sarah

の手で,

“When I was ill my mother gave me this book by Lang

If any wel1 person steals it he will get a great bang,

But if you are sick in bed

You can have it to read instead.川 〉

と書かれてあった。 3)Richard青年の赤法に Sarahが接吻したが,彼

女の死後その応が消失してしまった。乙れらの出来事に対して, Bendrixは

次のように考えるo

Another coincidence, two cars with the same number plate, and 1

thought with a sense of weariness, how many coincidences are

there going to be? Her mother at the funeral, the child's dream.

1s t11is going to continue day by day? 1 felt like a S¥Vin1mer who

has overpassed his strength and . knows the tide is stronger than

himself, but if 1 drowned, I was going to hold Henry up till the

last moment.5)

一般論として,乙のような作品を論じる者の資他ということについて考え

( .160 )

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Graham Greene におけるサスペンス ー 73ー

てみる乙ととしよう。取り扱われている主題が主題だけに,教義としてのカ

トリックの知識をもっているととが望ましい点に関しては論を倹たない。

が,そうだとすると更に一歩踏み込んで, 信者である乙とは必要であろ う

か。 ζ の疑問に対しては,一応次のように答えてみる乙とが可能であろう。

多少抹香臭紛々たると乙ろがあるからといって,Greeneの作品を読むのに

耶蘇教の信徒でなければならないというなら,たとえばコンラッドの多くの

作品を理解するには一度は海に出て船乗りの修業をつむべしという助言につ

ながろう。如上の助言に大人しく耳を傾けるには,人聞は余りに好奇心に満

ち充ちた存在である。また同様に,怪奇小説を本当に味読しつくすことがで

きる読者としては,狐狸妖怪にはじまり,幽霊霊媒にいたる有象無象の魁魅

魁胞のみに限られようが,人聞には当然,怖いものみたさという心理もある

のである。乙のような言いかたをすると馬鹿々々しい限りだが,よく注意す

ると我々の周辺にはど同様の論理がはばを利かせているのである。日く ,日

本文学が“本当にわかる"のは日本人だけだ。或は日く ,女性が書いた小説

は女性にしかわからない。乙うした乱暴な実感主義は乙の際,是非とも願い

下げにしたいものである。

乙のような訳で, Greene小説ノ読者(評者)為ノレ者須ク加持力信徒ナノレ

ベシ,という理屈の理屈としてのあやしさは殆ど自明的にあきらかである。

何度もいうようだが,人聞には好奇心もはたまた怖いものみたさの心性も具

有しているのである。が, それにしても, 上にあげた疑問が, 殊に The

End of the Affairを読む者の心裡iζ初御としてわきあがってくるとい う

乙としたいいかにも奇態といえば奇態である。と言うのは,たとえば,売文

をもって口に糊している Greene が自らの顧客層を乙とさらにせばめる と

いう愚に甘んしる筈がないなどの,常識的な意味ではもちろんない。

問題は TheEnd of the Affaz'rの“action" の連鎖を構成する “co・

incidences" である。たとえば, John Atkins は次のようにいう。 “Asa

Catholic he believes in miracles and it is impertinent to tell him that

they are not permissible. (He has expressed scorn in another place

of those Catholics whose expressed beliefs are in fact only academic.)

As 1, a non-Catholic, also believe in miracles, 1 naturally find it easy

to accept them when they occur in fiction, providing there are not

too many of them."の Atkins~ζ拠れば, Sarahの“saintlihood"は完全

に現実的なものとしてずI定されるのであり,乙の乙とによって合芯されるの

( 461)

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は, 彼女の死後起きる 出来事が coincidencesではなく miraclesである と

いうことになるO が,こうなると,そうおいそれとは神仏の現実世界への介

入を認める ζ とができない, 素朴な読者は戸惑ってしまうのである。 The

End of the Affairは過剰なぐらいlζ リアリ ズム的手法を披露して見せて

くれるが,そ乙 iζ描き出された世界は果たして奇蹟が起きる世界なのか?

信者なら,乙のように重畳し合う偶然事に神の意図を解読するのであろうか

? 作者は現実がそのようなものだと諮えようとしているのであろうか?

そういえば,自の前でおきた奇蹟の “実録誇"なるパンフレッ トを街頭で売

りあるく人々もいる,杯と思いおよぶあわれな読者の指は,前額方面に向っ

、て上昇運動を開始する時すでに,その先端が唾液でしとどに濡れそぼってい

るのである。

然り ,Greene小説の読者はカ トリック教徒たるべきか,という問い自体

はある意味では愚問中の愚問であるO しかし,The End of the Affairを

読んでそう問いかけたくなる事実を,我々はそう簡単に無視するわけにはい

かなし、。乙の問いは本論の文脈で次のような形に,生産的に反訳するととが

可能である。すなわち, 乙の小説lζ描かれる出来事をそう無造作に “mi-

racles" と極めつけてしまってよいものだろうか。 乙の疑問に対して即座に

肯定の答をかえすようなら, The End of the Affair は前述の如き安易

な布教パンフ レットと究極的に同質のものであると認める乙とになる慢れが

あるO

我々の現実世界で,日頃信じている自然の秩序を覆すかにみえる一連の出

来事を目撃したとしよう。多くの人聞は coincidencesである乙とを疑わな

いだろうが,ある人々はそれに触発されて世界を再解釈し,“synchronicity"

などといった概念、にいたるかもしれない7)。 またある者たちはそ ζ に神の御

手をみとめ,その観点から事件を解釈記録するかもしれない。件の布教ノマン

フレットの最も良心的なものはそのように して書かれたにちがいないが,こ

れに対する読者の反応は単純至極である。つまり,そのような言述に対するあたま フイク J ヨン

真偽の判断を下せばよいのである。では最初から仮構作品としてぷ図された

テキス トの場合はいかがであろうか。

普段我々は仮構作品を読むに際し,開巻以前にすでに,テキス トに対する

態度を決定している 乙とが予想以上に多いものである。たとえば翻訳小説で,

行ってみた乙と もない外国が舞台になっている物語を読んだ湯介,そのよう

な世界の存在自体を,露ほ どもうたがってみようと はしない。言い換えれば,

(462 )

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-

..

Graham Greene におけるサスペンス ー 75ー

物語の リア リティを受け入れる方向 ~C , 遅く と もはじめの数頁を読む頃まで

には一一 ひょっとすると その時点は現実にテキス トを手にとる数十年以前

~C , 作者なり作品なりに関する情報を得た時だっ たかもしれない一一態度を

決定して しまっているのである。 乙れに対して,幻想的小説においても,そ

れ乙そ言い古されていささか苔蒸した言い方ではあるが, “suspension of

disbelief"を行なって,少なくとも一度は,幻想の世界を丸どとひき うける

という手続を経るのが通例であり,その際自分の周囲にある現実世界との差

異にいちいち気をとられるという図は事実の忠実な記述とはいいがたい。序

ながら触れてお くと,乙の “suspensionof disbelief"という概念は realismま乙 と

と fantasy などという問題にかかわろう とする者にとって寒に出発点とな

る概念として扱われてきたが,熟く考えてみると実に陵昧なと乙ろがある。

そ乙で時には,毛を吹いて庇を覚むるわけではないが,表面をおおっている

苔をζ そぎとって,その下にひっそりと跨腐してい る概念のあり ょうを見き

わめようとする努力が必要である。

日常気付かないでいるが,我々は “suspensionof disbelief"をリ アリス

ティメクなテキス トを読む場合でも不断に行なっている。なんとなれば,“他

者の心"の問題が古来哲学上の難問であった乙とでも判るように,人聞にと

って自分以外の他人はすべて不可解なのである。 乙とによると自分自身の中

にさえ見知らぬ他人が同居していないとも限らない。だから乙そ,世に小説

の種は尽きないのである。それは兎も角として,あらゆるテキス トを前にし

て読者が事実上 “suspensionof disbelief"を行ないつつあるとするなら,

乙の概念が, リアリステ ィックなテキス トと話一リアリスティックなテキス

トを分けるだけの鋭さがない乙と明瞭である。しかし依然,我々は二種のテ

キストの聞にはっきりとした差異のある乙とを直観している。乙の差異をう

かびあがらせるには,両種のテキス トが描き出す世界に対する読者の態度と

いう乙とに視座を定めてみる 乙とも,ひとつの便法であろう。

我々は, リアリスティックなテキス トが描き出す現実に対 して, 地つづき

の気安さとでも表現すべき気持をいだく。それは,いちばん最初に, 存在か

非存在かという選択肢の前項をえらんでしまったからには〈多くの読者はそ

んな選択をしたととにさえ気付かないが),“テキスト の世界"と“現実の世

界"の述続性を読者は信じるからである。 “物語の主人公に起きた乙と は自

分に生じてもおかしく ない"のである。時に読者の信頼に大きな試練が与え

られる ことがある。 そんな際彼が迫られる判断の形式は,真か偽かとい うか

(463 )

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たちになる乙とが圧倒的に多し1。物語に提示された乙とは,自分が住んでい

る世界におきなおしてみて真であろうか,偽であろうか? あるいは同じ乙

とだが,存在するだろうか, しないだろうか? 乙の穫のテキストは,テキ

スト外の現実といってみれば定義上境界がぼやけているので,乙の真偽判断

は読者のもっている現実感覚を総動員して行なわれる乙とになる。謂わばコ

ンテキストは無限であるO 以上に述べたことが真実の一面を衝いているであ

ろう乙とは,昔から小説の出来,不出来の判断等に, realityとか

tru thf ulness という概念が与って大きかったという事実がよき証左となろ

う。そして乙の種のテキストでは,読書行為の最中にうかびあがる真偽判断

で,読者が偽という判断を下すなら, そこに描かれた乙とか描きかたかが

“不自然"なのであり ,作品として失敗しているという評価につながるが,通

常そのこ とから,読者がいちばん最初に行った存在/非存在の選択にまでさ

かのぼって,その逆転から意味をうみ出そ うというテキストは稀である

というよ り,定義上,非ーリアリスティ ックのテキストに 属してしまうわけ

である。

これに較べて, 非ーリアリスティ ックなテキスト が産出する空間はかなり

不安定な相貌をもっている。というのは,その空間自体を成立させないよう

な作用をはたらきかねない出来事--Transcendental~r.対する Immanent

な意味での統一性(consistency) を破るような出来事を作者がいつ何どき

仕掛けているか予断を許さないからであるO その際読者が迫られるのは,可

能一不可能の蓋然的判断であり,最初に与えられた選択肢で非存在をえらび

とったものの,それを大前提として,読者の頭の中に生ずる架空の現実を支

えるのは, 彼が不断lζ行なう “可能"の判断であるo そして,その判断がな

されるコンテキストとは,読書行為とともに形成されつつある作品そのもの

だけであるといえよう。非ーリアリスティックなテキストの場合, こうして

読者に可能一不可能の判断を求める地点乙そ,多くの意味を産出するいわば

結節点をなしているということは予想のつくととろである。またいわゆる娯

楽性の高いもの3ど乙のような結節点は少ないはずである。

以上のことをまとめておくと, リアリスティックなテキストと非ーリアリ

スティ ックなテキスト をわかつものは,カント的術語にうったえる と, 読書

行為の聞になされる判断が,実然的様相のもとになされるか,蓋然的様相の

もとになされるかの差である,という乙とになる。

The End 01 the Allair は次々 と生ずる, いかにも神という著者が書

(464 )

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Graham Greene におけるサスペンス ー 77ー

いたかにみえる出来事を,主人公=読者である Bendrixがあくまで cOln-

cidencesという名前で呼ぼうとする物語である。普通小説中に coincidences

を余りに目立つかたちで用いるのは拙劣な方法として非難される。

coincidences はその小説の世界を創出した神である作者の本来見えざる手

を顕在化させてしまうので, リアリズムの幻想をうち破る乙とはなはだしい

というわけだ。そのような“神"の存在が感じられることはリアノレでないと

いうのが,歴史的にみて,神の介在を始源の一点にまで押しゃった理神論が

股んだった18世紀に発生し,物質文明の繁栄,進化論の発展に反比例して,

宗教が衰退の一応をたどった19世紀を経て発達してきた,ブ、ノレジョアジーの

芸術である小説の コンペンションのひとつである。 “waysof God to Man"

を正当化する乙とは本来,小説の力量を超えた乙となのである。coincidences

がテーマになっているという点では Greene の小説と軌をーにするサノレ ト

ノレの短編 “Lemur" がある窓味ですっきりとまとまっている印象を与える

のは, Greeneの場合とは正反対にも, coincidencesが却って神の不在,我

々の現実の “absurdi ty" を表現するものとして意味つ。けられているので,

乙乙 K指摘した小説のコンペンションのひとつと飽舗をきたしていないから

lζほかならない。

リアリスティックな小説 TheEnd 01 the Allairを手にするとき,我

々は早い段階で実然的判断を下して,その世界のリアリティ ーをうけ入れて

いるはずである。ところが,読みすすむうち読者は,最初に通過しでもはや

疑問なきものとしてひき出されるはずのない, リアリズム小説の大前提をゆ

るがすがごとき出来事に接し,蓋然的判断を下すべき立場に陥るのである。

これはまさに,年一リアリスティックのテキス トの振舞いかたにほかならず,

かくして,乙の小説は,リアリスティックと英一リアリスティックの両カテゴ

リー間の linbo にさまよう仕儀となるのである。 乙のように小説の帰属す

ぺきジャンノレに揺れが生じた結果,ii-リアリスティックの傾域にかたむきす

ぎる危険性を Greeneは充分に察知していたのであろう,The End 01 the

Allair にはリアリス、ムに対する十分以上の気づかいが随所にみられる。 た

とえば,冒頭の一節を眺めてみよう。

A story has no beginning or end: arbitrarily one chooses that

moment of experience from which to look back or from which to

look ahead. 1 ね y lone chooses' with the inaccurate pride of a

(465 )

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一一一

professional ¥vriter ¥vho,-,vhcn he has been seriously noted ~t all-has been praised for ,his technical ability, but do I in fact of 111'Y

O¥VI) ¥vill choosc that black ¥vet ]anuary l1ight on the COnl1110n, in

1946, the sight of Henry ,rvliles slanting across the ¥vidc riycr of

rain, or did these inlages cl100se 111e? It is convenie.nt" iμt is c∞or,印l

according to the rules of 111y craftしiザ,t to begin just there,. bu t if 1 had

believed then in a God, 1 could also have belie¥rec1 in a hand

plucking at 111)' elbo~r , a suggestion" ',Speak 1:0 hinl幽:he h3sn'1: see,n

you yet.'8)

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4・}¥:story has no beginning or end" とカ〉 “Itis convenほnt" it i

orrect according to the rules of '111)' craft..." というのは,次に来るテ

キス |トが小説でlある ζ とをn前ζ示しているかのようであるが, I司n初ζ到来の

切羽と日月を,その現実性に何ら疑問のないかたちで提示することにより ,

なし崩し的にフィクションと現実の境界をぼやかそうとしているわけで~_,

o ~然, 垣根がとり払われてどっと流入してくるのは, 現実のプJなのであ

る。次に引用する部分はどうであろうか。

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1 '¥¥'ent back hOlne 'and ag出n1 trjed to settle l1TY book. Always

1 find '¥¥'hen 1 be,gin to ¥¥'rite there is one character who obstinatωωel

¥¥" il1 :110ωt 10∞o飢Olnηea叫li¥7屯e,. 'Therle iおS'110侃th悩1吋in,gpsychoωjOgi民ca剖l1yfales about ;

hin1ηη1" but he sticks, he has tωo be pt工ushed,a'found" "\~rord'S have to b

found for bI1n, ,all the technical skill 1 have acquired through th

l:aborious 'years has ωbe elnployed in :Jnaking hinl :appear alive to

my r,eaders. SOlnetI'mes 1 get a sour satisfaction when a reviewer

praises bi.n. as tbe 'best-dra'~ln character .I'n the story::げ hehas

:not been ,dr,a¥,rn he has certainly been dragged. ]~lle]j俗 heavily on

Jn')T 'mind ¥vhenever 1 start to ¥vork like an ill_,dig邸 tedmeal on th

:stomacb, robbing me of the pleasu閃 ofcrleation in ao)r :sense ¥vher

he is present. 日enev1er ,does the unexpected thing, he nevor

surprises me, he .ne¥r,er takes Icbarge. E,'ery oth町 character)l'elps,.

he1only hinders-

ー削川い山川今必

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Graham Greene におけるサスペンス - 79一

feeling in just that way about some of us. The saints, one would

suppose, in a sense create themselves. They come alive. They are

capable of the surprising act or word. They stand outside the plot,

unconditioned by it. But we have to be pushed around.. ..9)

乙乙 の部分では故意~C , 作家の仕事と神の御業の平行関係がにおわされて

いる。冒頭の一節と併せてこのような文章を読みつつ,語り手自身が架空の

人物である乙とを考えると,我々は “合わせ鏡"の中で無限に後退していく

現実をながめるような,舷惑された気分にとらわれるのであるが,同時に,

作家と造物主の平行関係という,いわば “手のうち"を積極的に見せてお く

乙とで,読者に “発見"させる乙とをふせいでいるといえる。読者が “発見

する"ように仕組むと,その乙と 自体が作者 Greeneのメッ セー ジ,作品の

意味であると意識される乙と となろう。 Greeneはそのような事態におちい

ることを極力回避しようとしているのである。作中人物である Bendrixが

神の存在を否定できない精神状態に,徐々におしゃられていく というのがこ

の小説の物語の中核である。しかし少くとも impliedanthorがそのよう な

信念を抱いている という乙とを presuppose するような結構はリ アリ ズム

小説にとって, 大きくマイナスの作用を及ぼすのである。 FrankKermode

のインタビューの中で, Greeneは TheEnd of the Affazrの中でひと

つ誤ちをおかしたという。どのような という Kermode にこたえて次の発

言があ った。

The introduction of something which had not got a natural

exp1anation. 1 had intended a much longer last part of the book

after the woman had died, where there vvas to be a succession of

coincidences, until the lover became maddened by the coincidences

which would not cease. 1 found it very difficult to continue the

book with the 10ss of the principal figure, and 1 forshortened badly

by introducing something which was not easily accountable for in

natural terms.10)

The End of the Affair の中の一連の出来事は,何 らかのぷ図の介在

( 467)

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- 80ー

というととを Bendrix に感じとらせる位,偶然l性の密度が濃くなく -どはな

りない。しかし,余りにその密度が増しすぎると今度はリアリズム小説とし

ての存立が危くなる,0 つまり乙 |の小説の中で起きる出来事は, coincidcncc

と n1iracle というこつの顔をもったヤヌス的存在である ζ とが構造的に巡

回日-づけられているo 乙れらの事件の窓味づけは Bendrixのみならず読者に

とっても暖昧なものでなければならず"さもなくぱ The En{l of the

Affairは小説 lとして失敗してしまうのであるo そして,引用部分にうか"/;:・

われる G'reene の反省にもかかわらず,現実のテキス トはかなり作者・のな

を実現しえているのではないか,と忠、われるo逆のみかたをすると,乙の

小説のiit界は神が存在すると考えても説明できるが,存在しないとしてもイ

分".(理解が可能なのである'0 この辺のZjj:怖を無視して,余りに独断的にやI,の

在不在を主践するととは,限った続みかたとは言わないで、も,312住底的な態

度だと言わざるをえないだろう。 I皮昧の 11味わいを絶佳なりと愛でるのい,

eθωVB1ηz TJ'ρes 01 A1nbi倍gzω t

がl置量 G白reene(,にζおけるるl駿|昧H同昧1未iの矢学学,をサ lススぺ lンンスという3玖菰:で22.いあらわす

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サスペンス小説は,形而上学に文えられる乙とで)~I~古川乙価他が刊まりま

すo カフカがその例です,0 不安な期待はそ乙ではもう ,111 ~ζ事件の説明に

対するものではなく , 世界の説明です。 I~審判』や『城』は神話であると

っかります,0 乙の神話の窓|味は何なのか。そとに~lの謎があるわけです,0

ζ の躍によって,知性は快い迎勤を強iいられ lる'0 グレアム ・グリーンの五

しぎな魅力も,その筋立て(それとても,巧妙なものではあるけれど)に

よるよりは,むしろ,彼の神学によって生まれているのですoi81の作品lの

Il.IJ心人物は, ほとんど常に追いつめられた人IfUl...…神に追いつめ |られたノ

です。彼の主人公たちの不安は形而上学的であり ,彼の問旭・は,わかり

すい解決をうる乙とはできない。世界は神の目|にしか理解可能ではなし

のだからo そういう窓味では,偉大な小説はすlぺてサスペンス小説だ,と

btiえましょう。人生そ|のものが,いわば,サスペンスなのでF 明日わカ

l乙るかもしれないできごとを知るいかなるすべも,われわれは持つ-哩~

iI _のですから11)。

モーロアのいうように坑・んで“人生仰を突出

(4悌〉

Z~ 小説乙そ, Uifjのリ ア

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!二GrahamGreene におけるサスペンス - 81ー

リズム作品といえるのではなかろうか。 Greeneをカ トリ ック作家として読

む乙とも結構だが,それ以前にカ トリ ック 作家として読む心がまえがなけれ

ば,あたら折角の絶品を台無しにしてしまうおそれがある。

最後lζ,宗教的主題をあつかっているものの,The End of the Affair

という小説は,宗教的視点をはなれて読んだ方がより芸術的完成度の高い作

品としての素顔を見せてくれるという,臼明の逆説ーーという,乙れまた逆

説でもって本稿を閉じる乙ととしよ う。

1)“The 'Tri1ogy'," from The Picaresque Saint, by R. W. B. Lewis (Phi1a-

delphia, Penn. J. B. Lippircott Co., 1959), pp.239-64参照。

2) The End of the Affairからの引用はすべて,ペンギン版 (1962)による。 pp.

107-8.

3) Ibid., p.113.

4) Ibid., p.176.

5) Ibid., p.185.

6) John Atkins, Graham Greene (London: Calder and Boyars, 1966), p.201.

7) C. G. Jung, Synchronicity: An Acausal Connecting Princi,ρle, trans. R. F. C.

Hull (London: Routledge & Kegan Paul, 1972)参照。

8) The End of the Affair, p.7.

9) Ibid., pp.181-2.

10) Fnank Kermode, The House of Fiction: Interviews with Seven Novelists,

from Malcolm Bradbury, ed., The Novel Today (London: Fontana, 1977),

p.117.

11)アンドレ・モロワ著〈中島昭和訳), r現代の教養J(角川文庫, S43年), 68頁。

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