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・7 月 23 日(土)・24 日(日) 開導会にお参詣いたしましょう! ・奉修御導師紹介 コレイア教伯御導師・吉川淳省ご住職 ・夏期参詣 ~家族の絆、生きたお参詣~ ◆シリーズ「報恩記念大会」へ向けて―― ・総務部 部長 伊藤晴康 ◆6月3日 第 2 回 陸前高田市「高寿園」支援活動報告 ◆菩薩の声 ・神港教区 神崎由香 さん ・青葉教区 千代和世 さん ・旭教区 小泉美代子 さん ・三ツ沢教区 伊藤洋一 さん ・清啓寺 米津裕貴 さん ◆被災地の方々へ… ◆8月7日復興・陸前高田うごく七夕まつり予告 ◆ NEWS FLASH ・「虹の日」開催 ・松風会定例お講 ・壮年会かわら版「ウォーキング助行」ほか 妙深寺報 平成 23 年 7 月 第 384 号 暑い夏をご信心で乗り越えよう 7 2011 N I P P O N 妙深寺の夏 !! ・723日・24開導会 ~ あなたが変われば、世界が変わる。~ ・713~813夏期参詣 特集 妙深寺の夏 !! 住職巻頭言 「ブスの 25 箇条」

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 ・7月23日(土)・24日(日) 開導会にお参詣いたしましょう!

 ・奉修御導師紹介 コレイア教伯御導師・吉川淳省ご住職

 ・夏期参詣 ~家族の絆、生きたお参詣~

◆シリーズ「報恩記念大会」へ向けて――

 ・総務部 部長 伊藤晴康

◆6月3日 第2回 陸前高田市「高寿園」支援活動報告

◆菩薩の声

 ・神港教区 神崎由香 さん ・青葉教区 千代和世 さん ・旭教区 小泉美代子 さん

 ・三ツ沢教区 伊藤洋一 さん ・清啓寺 米津裕貴 さん

◆被災地の方々へ…

◆8月7日復興・陸前高田うごく七夕まつり予告

◆NEWS FLASH

 ・「虹の日」開催 ・松風会定例お講 ・壮年会かわら版「ウォーキング助行」ほか

妙深寺報 平成23年7月 第384号暑い夏をご信心で乗り越えよう 妙深寺報 平成23年7月 第384号暑い夏をご信心で乗り越えよう暑い夏をご信心で乗り越えよう

72011

N I P P O N

妙深寺の夏!!・7月23日・24日 開導会~ あなたが変われば、世界が変わる。~

・7月13日~8月13日 夏期参詣

特集 妙深寺の夏 !!

住職巻頭言

「ブスの 25箇条」

Page 2: 妙深寺報H2307 pc用

宝塚歌劇団といえば美女ばかり。

「清く、正しく、美しく」というモッ

トーの下、厳しい教育や訓練を受

けたタカラジェンヌたちに、世の

羨望や尊敬が集まります。

その美女が集う華やかな舞台裏

に「ブスの25箇条」という一枚の

紙が貼ってあると聞きました。

「ブスの25箇条」

1

笑顔がない

2

お礼を言わない

3

おいしいと言わない

4

精気がない

5

自信がない

6

グチをこぼす

7

希望や信念がない

8

いつも周囲が悪いと思って

いる

9

自分がブスであることを知

らない

10

声が小さくいじけている

11

何でもないことにキズつく

12

他人にシットする

13

目が輝いていない

14

いつも口がへの字の形をし

ている

15

責任転嫁がうまい

16

他人をうらむ

17

悲観的に物事を考える

18

問題意識を持っていない

19

他人につくさない

20

他人を信じない

21

人生においても仕事におい

ても意欲がない

22

謙虚さがなくゴウマンであ

23

人のアドバイスや忠告を受

け入れない

24

自分が最も正しいと信じて

いる

25

存在自体が周囲を暗くする

最後まで来ると思わず笑うしか

なくなりますが、よく見てみると

「ブス」と言いながら、ほぼ外見

に関する項目がありません。その

ほとんどが、その人の所作振舞や

心がけに関するもの。これこそ、

宝塚の素晴らしさだと思いました。

すべては所作振舞に表れます。

その人の魅力は外見の良し悪しで

はなく、香るように自然に表れる

「振舞」に出る。「心」と「振舞」。

本当の「美しさ」とはこの二つが

一つに結ばれた時、はじめて醸し

出されるものなのでしょう。

御教歌

「かほかたち

つくらふものは 

おほけれど

心をみがく人はすくなし」

取り繕ってもたかが知れている。

それを、上から塗ったり、後から

いじったりしても美しくなれない。

「繕う」とは「体裁を整える」と

いうことです。飾っただけの自分

が一人歩きすると、むしろ素顔の

自分が孤独になります。孤独とは

極めて苦しいもの。自分がどこに

いるのかも分からなくなります。

本質を変えること。そのために、

心を磨き、心がけを変え、所作振

舞を変えてゆく。本当の美しさは、

心を磨くことで表に現れます。

ブスの25箇条

清  

御妙判に、

「教主釈尊の出世の本懐は人の振

舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢き

を人と云ひ、はかなきを畜といふ」

とあります。内面だけでもダメ。

外見だけでもダメ。心と所作振舞。

アクションを変えるためのご信心。

心を磨いて、所作振舞が変わる。

この順序、このバランスが御題目

口唱のご信心であり、これが本当

の菩薩行、私たちの目指している

仏道修行です。

仏教とは、難解な哲学ではなく、

アクションです。心がけを変えて、

日ごろの所作振舞や、行動で勝負

してゆきます。そうやって「ブス」

にならないよう努め、「ぶさいく」

になっていないかチェックする。

とても為になる25箇条でした。

 

御教歌

「言ばのみ

ありてまことの

なきならば

たれ法華経と

あがめまつらむ」

言葉だけで、実際にその証明が

無ければ、誰が法華経を崇め敬い、

ご信心をするでしょう。法華経の

お言葉どおり、上行菩薩は末法に

ご出現され、三箇之中一大秘法の

御題目をお伝えくださいました、

さらに、そのお言葉のとおりに、

私たちはその御題目をお唱えする

ことで現証の御利益を頂戴します。

これこそ真実の、生きた仏教です。

では、私たちはどうでしょう。

お約束を果たしてくださっている

御仏やお祖師さまの教えをいただ

きながら、私たち自身は、約束を

果たし、心を磨き、心がけを整え、

実際に所作振舞や行動を変えて、

誰もが法華経を敬えるような生き

方が出来ているでしょうか。

宝塚に入ったから美人になれる

わけではないのです。タカラジェ

ンヌの全員が美しい女性とは限ら

ない。ブスでなくなる訳でもない。

常に厳しく心がけ、その所作振舞

が変わらなければ、「ブスになる」

「ぶさいくなまま」「宝塚の価値が

下がる」「誰も宝塚などに憧れな

い」と教えているのです。

私たちも、本門佛立宗に入った

だけでは素晴らしい人間にはなれ

ません。御題目に出会えたからと

いって、素晴らしい人間ばかりと

も限りません。一人一人が真剣に

御題目を唱え、心を磨き、厳しく

所作振舞をチェックして、御法門

を行動に表してゆかなければなり

ません。それが出来ていなければ、

「ブスになる」「ぶさいくなまま」

「佛立の価値が下がる」「法華経を

誰も敬わない」「誰もこのご信心を

しようなどと思わない」はずです。

最近ブスが多い。御法門があり、

言葉は踊っても、行動に表れない。

所作振舞は下品で、美しくない。

「菩薩行が大事」「我身をかへりみ、

有難う存じますると口ぐせのやう

に申せ」「ありがとうございます」

「願くは、生々世々、菩薩の道を

行じ、無辺の衆生を度して、永く

退転なからん事をおもふものなり」

「火に入る者を助けんとするには

共に火に入り。水におぼるゝ者を

救はんとするには、共に水に入て

救ふなり」

私たちには時空を超えた仏祖の

ご命令がある。自分のことばかり

考えてきた生き方を、御法のため、

世のため人のために、生き改める。

欲望に縛られた心が解け放たれて、

「本当の自由」を得る。欲望の絆

の解けた人を「ほとけ」という。

そうなる、そうするのが、佛立の

教講です。御題目をいただいて、

この教えを末法の中で体現する、

実現する、所作振舞、実際の行動

に表して生きるように努めるのが、

私たちです。私たちしかいない。

言葉だけ、口先だけというのは

何より格好悪い。ぶさいく極まり

ない。それでは誰も理解しないし、

敬ってもくれません。結果として、

ご弘通もお教化もできません。

ぶさいくな教務、ブスなご信者

さんにならないように気をつけま

しょう。ブスの25箇条は日ごろの

御法門そのものです。美しい教講

が活躍すべき大震災後の世界です。

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   23   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

Page 3: 妙深寺報H2307 pc用

妙深寺の夏!!・7月23日・24日 開導会~ あなたが変われば、世界が変わる。~

・7月13日~8月13日 夏期参詣

開か い

導ど う

会え

7月23日(土)・24日(日)~あなたが変われば、世界が変わる~

 3月11日の大震災後の初めてのお会式。今までのご奉公とはまったく変わった思いで奉修させていただく開導会です。今年は、7月23日・24日の両日、ブラジルより、コレイア教伯御導師・吉川淳省ご住職を奉修導師にお迎えいたします。今回の開導会は、「あなたが変われば世界が変わる」をテーマとして、奉修させていただきます。3月11日の大震災から、世の中には大きな変化が訪れています。仏さまの教えをもとに、よりよい世界を作るためには、まずは自分が変わるからこそ世界が変わる。そういったことを打ち出したお会式とさせていただきます。どうかこの開導会に、すべてのご信者さま方、どうか、家族そろってお参詣ください。

23日13時~ 特別フォーラム「3.11後の世界」開催! 3.11。この日を境に世界は変わりました。あなたはどう変わりましたか? マスメディアでは流れない、妙深寺が見た、被災地の映像や肉声を交えながら、この大震災の深い意味と私たちのこれからの生き方を、コレイア御導師とご住職に語っていただきます。ぜひ、ご参加ください。

 

昭和42年11月20日、ブラジル生ま

れ。イタリア系ブラジル人。

 

幼少の頃から「死」を身近に感じ、

医者になりたいと願っていたが、7

歳で隣人の死に直面し、医学の力の

限界を感じ、聖職者になろうと本物

の宗教を探したが、どの宗教にも本

当の救いがあると感じられなかった。

そうしたとき佛立宗のお講にお参詣

し、仏教に感銘を受け、またそれを

説かれるお教務さんの姿に魅了され、

その場で得度を申し出られた。しか

し、まだ9歳ということで、日本語

学校に通いながらご信者とし

て信行に励み、2年後に得度

を許される。

 

その後、15歳で日本へ留学。

日本語学校へ通いながら、奈

良一条高校卒、京都仏教大学

文学部仏教学科卒業。NHK

の弁論大会で法務大臣賞を受

賞したことも。

 

佛立宗の教え、ご信心の真

髄を学ばれ、ブラジルに戻ら

れる。

 

ブラジルに戻られてからは、

ブラジル佛立宗の弘通部長や機関誌

ロータスの編集長などを歴任、現在、

ブラジル教区長としてブラジル弘通

の先頭に立たれ、中央寺院サンパウ

ロ日教寺を始め、数ヵ寺の住職とし

てご奉公され、弟子の数は10名を超

える。

 

悩み苦しむ人がいれば、どんな場

所にも命を省みることなく飛び込み、

相手の心と一つになって導いていか

れる。「佛立の生きた本物のご信心

を伝えたい」と命をかけてご弘通に

邁進される毎日。

 

日系2世のブラジル人。

 

1997年(平成9年)に、日

本国籍の取得と仕事の勉強のため、

日本へ。

 

ある日、お講で清風寺の西村御

導師から「チリから見習いさんが

来るんだけど、全く日本語ができ

ないので、通訳のために清風寺に

来てほしい」と言われ、清風寺に

1年半寄宿。

 

その間、お教務さん方から「明

日起きたら丸坊主やで〜」と冗談

交じりになどと得度を勧められた

こともあったが、「絶対ならへん

ゾ!!!」と思っていた。しかし、教

務の姿を身近に感じ、得度してよ

かったという話、ご奉公や現証御

利益の話などをたくさん聞くうち

に、自分も得度したいと思うよう

になり、悩んだ末に、平成11年に

得度を決意、西村御導師の徒弟と

なる。平成14年に佛立教育専門学

校卒業。その後、高槻・浄行寺に

て3年間ご奉公。また、香風寺・

福岡御導師の随伴として、イギリ

ス、イタリアとスリランカなどへ

もご奉公。平成18年4月14日に清

風寺にて結婚。ブラジルへ帰国。

現在2児の父。

 

ブラジルでは法昌寺住職として

ご奉公され、隆昌寺、蓮徳寺、信

要寺でもご奉公されている。

奉 修 御 導 師 紹 介

コレイア教き

ょうはく伯師

(第三座)

吉川淳

じゅんしょう省師

(第二座)

暑い夏にこそ、ご信心に励みましょう!

●奉修御導師23日(土)10時 第一座 当山ご住職     13時 特別フォーラム開催(コレイア御導師・当山ご住職)24日(日) 9時半 第二座 吉川淳省ご住職 (イタグァイ法昌寺)     11時 第三座 コレイア教伯御導師 (サンパウロ日教寺)

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   45   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

特集 妙深寺の夏!!

Page 4: 妙深寺報H2307 pc用

 

ありがとうございます。総務部長の

ご奉公をさせていただくことになりま

した、伊藤晴康です。

 

この大会は、5000名を参加目標

とした、妙深寺始まって以来の大きな

イベントとなります。事務局として、妙

深寺に35年もの間数々の足跡、功績、教

えを残された先住に「よくやった」と

喜んでいただける、後世に残る素晴ら

しい「報恩記念大会」となるよう一所

懸命ご奉公させていただきます。

 

私も、先住に関わる想い出はたくさ

んありますが、その中でも最も懐かし

い想い出は、青年会時代(40年程前に

なりますが)に野球チームが結成され

たことです。チーム名は波を図案化し

た寺紋に因んで「オーシャン・ウェイ

ブズ」と命名。ユニフォームはあるご

信者さんからのご有志で、先住も坂本

正教師(当時青年会参与)も同じユニ

フォームを着用した若かりし頃(30歳

位)の想い出です。

 

オーシャン・ウェイブズは、連戦連

勝とまではいきませんでしたが、かな

りの成績だったと記憶しています。先

住が私たちと同じ目線で共に行動され

たことが、勝っても負けても楽しい気

持にさせていただけました。当時の女

子青年会員は応援団として、大きな声

援を送ってくれました。応援も含めて、

チームプレー(異体同心)が大切なこ

の活動は、その後の青年会発展に大い

に影響を与えたことは言うまでもあり

ません。

 

今回、寺報の原稿依頼を受け、久しぶ

りに、現住が編集された「佛立魂」を

手にいたしました。

 

最初に眼に飛び込んできたのは、や

はり「衝撃」「瀕死」の文字です。

 

先住がお怪我をされた平成5年4月

3日の夕刻、自宅の電話が鳴りました。

「御住職が落ちた?」詳細も分からぬ

まま、当時事務局長だった父は急いで

お寺に向かいました。その日は隣家の

葬儀の手伝いを任されており、私は夜

も遅くなってから、搬送先の病院へと

向かいました。

 

ベッドの側にいた私は、看病されて

いる寿美江奥様から「伊藤君、御住職

の足を押さえてちょうだい」と言われ

ました。先住は痰が喉に絡まり、凄い

力で両足をバタつかせ大変苦しんでお

られました。慌てて抑えましたが、全

体重をかけて押さえ込むのが精一杯で、

涙がこみ上げてそのお姿を正視するこ

とができず、ただただ「何でもいいから、

助けてください」と心の中で呟いてい

ました。そのお姿からはその後の生還

を想像することはできませんでした。

 

病院からお寺までの車中、後部座席

におられた現住と千延さんとの会話は

今でも忘れることはできません。「もう

お看経しかない。御法さまにおすがり

するしかない。それでも駄目なら、自

分たちの信心が足らないのだ」現住が

一大決心された時だったと思います。

 

お寺に着いたとき本堂では、お教務

方はもちろん大勢のご信者による、熱

いお看経の真最中であり、深夜にも拘

らず境内地には拍子木の音が響いてお

りました。

『佛立魂』は「再起」「団欒」「歓声」へ

と 

続いています。先住の最大の教え

は、ご自身の命を懸けて、現住のみな

らず私たち信徒へも示された「現証の

御利益」だと私は思います。

 

先住のお怪我から18年の月日が流れ、

明年御十三回忌を迎えます。先住をご

存知の方にはもう一度、そうでない方

にも、先住が横浜に来られたときと同

じ年齢である26歳の若かりし現住が編

集された「佛立魂」を是非ご覧いただき、

先住への想いを胸に「報恩記念大会」

に参加されるようお勧めいたします。

 

大会事務局はじめ全信徒が報恩のご

奉公者となり、全力で目指しましょう。

〝大会参加者五5000名!〞

先住に喜んでもらえる大会を

先住日爽上人御十三回忌・報恩記念大会

プロジェクト事務局

総務部

部長 伊藤晴康

シリーズ「報ほ

恩記念大た

いかい会」へ向けて――

7月13日~8月13日(32日間)~家族の絆、生きたお参詣~~家族の絆、生きたお参詣~夏期参詣

か   き  さ ん け い

 

いよいよ夏本番が到来です。毎年

この時期は、1ヵ月のお参詣奨励月

間「夏期参詣」が実施されます。ご

信者みんなで励ましあい、お参詣を

心がける1ヵ月間です。朝早く、眠

気を振り払ってお寺参詣でスタート

する1日は、とてもすがすがしいも

ので、1日がスムーズに運びます。

 

朝のご供養(食事)もお当番のご

信者さんが持ち回りで用意してくだ

さいます。家族みんなでお寺参詣し

て、いただくご供養は、どんな豪華

な料理よりもおいしいものです。

 

1日や2日だけでなく、1週間、

2週間、そして皆参(1ヵ月)と、

少し上の目標を決めて取り組むこと

で、心身を鍛える修行となります。

 

お子さんたちは夏休みにもなり、

外に出かける機会も多くなります。

日々お見守りがいただけるよう、家

族全員でお参詣し、無事をご祈願い

たしましょう。

 

今年は、毎日体験談の発表をする

ことになりました。ご信者さんの生

の声が、毎日聞けます。ぜひお参詣

ください!

プールは8月から開設予定です!

毎日体験談が聞けるお寺、妙深寺!

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   67   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

特集 妙深寺の夏!!

Page 5: 妙深寺報H2307 pc用

第2回

陸前高田市

「高寿園」支援活動報告

 

6月3日、陸前高田市「高寿園」へ、

第2回目となる、炊き出しの支援活動

に行かせていただきました。

 

妙深寺のご奉公者に加え、前回同様、

水戸の秋山御住職、29ers(トゥエ

ンティナイナーズ)、相模原妙現寺、京

都妙福寺、静岡清啓寺、博多光薫寺な

ど、平日にもかかわらず、会社を休ん

でまで参加くださった方もあり、総勢

60名を超えるメンバーで炊き出しをさ

せていただきました。

 

2日夜発、10時間かけてバスと乗用

車、トラックを連ねて移動、3日早朝

に現地着。全日までの雨が一転、晴天

のお計らいをいただき、前回以上の手

際の良さで、あっという間に準備もで

き、無事に活動させていただきました。

 

今回のメニューは、メインは牛肉ス

テーキとショウガ焼き(提供・米国食

肉輸出連合会)。そして、前回好評だっ

た干物、野菜炒め、炊きたてご飯、サ

ラダ、ピザ。そして本格インドカレー

やおしるこまで、有志の方々から提供

をいただき、避難されている方々にお

召し上がりいただきました。また、今

回は広田小学校にも支援物資を届けさ

せていただき、また、部員の大半を震

災で亡くされた小友中学校野球部の部

員に、ジャイアンツ高橋由伸選手のサ

インボールをプレゼントさせていただ

きました。

 

近隣の避難所や、高田高校のみなさ

んも駆け付けてくださり、みなさまの

笑顔に触れられて、本当に感激いたし

ました。

「毎回こんなに美味しいの食べさせて

もらってありがたい」「すごい準備です

ね!」「美味しすぎて、たくさん食べす

ぎちゃったわぁ」など、喜びの声をた

くさんいただきました。こうした貴重

な機会をいただくことができ、本当に

ありがとうございました。参加した一

人一人が何かを感じることができた支

援活動でした。

 

帰り際には、大勢の方が亡くなられ

た市民体育館に寄り、大御本尊を安置

し、参加者全員でご回向のお参りをさ

せていただきました。妙深寺に帰山し

たのは、午前2時過ぎ。ご奉公者のみ

なさん、本当にありがとうございまし

た。

 

今後も、さらに復興が進められるよ

う、募金や復興活動のサポートなど、

継続して支援を続けさせていただきま

す。今後ともご協力よろしくお願いい

たします。

陸前高田市への炊き出しの仲介をずっとしてくださっている佐々木松男さんが、お礼のメールを送ってくださいました。本当にありがとうございました。

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 私の町、陸前高田市は、今回の東日本大震災により壊滅的な被害を受けました。

 大地震の後、高さ7、8mの津波に襲われ、命からがら役所の屋上に逃げました。津波は、だんだんその高さを増して、何

度も退いては襲うことを繰り返しました。屋上にも波しぶきをあげて瓦礫が打ち上げられ、「ここまで」と観念しましたが、

一命はとりとめることができました。

 翌日、高台にある避難所に自力で脱出しました。家も会社も車も、全財産を流され、私の避難所生活が始まりました。町

の全てが消え、行政も機能を果たせなくなり、高台にあった老人ホーム高寿園には500名もの避難民であふれました。当初、

全体の避難民は5000名以上いたと思われます。老人ホームの職員らは、近隣の農家から米を分けてもらい、朝夕2食を水

分をたっぷり含ませたお粥で避難者に食べさせてくれました。1ヵ月くらいはお粥、おにぎり、パン、カップ麺で朝夕2食

で過ごしました。そのうち全国から救援物資や炊き出しが来るようになりました。

 中でも4月29日の妙深寺さまをはじめとした大掛かりな炊き出しがあり、大変驚きました。ご住職自ら先頭に立ち汗し

て働いているお姿に接し、本当に有り難く、涙が出てしまいました。何しろお肉やお魚など、震災後初めての食材で大バー

ベキュー大会が開かれたのですから、避難の方々も大喜びでした。そして、6月3日の炊き出しには近隣の避難所からも多

数の方々が訪れ大感激でした。その他にも開運寺の秋山現信ご住職をはじめ、皆さまには何度も陸前高田に足を運ばれて、

心暖まる物資をたくさんいただきました。本当に感謝申し上げます。

 今回の震災で妻を亡くし、悲しみに沈んでいた私には、皆さまのご奉仕に、どんなに勇気を戴いたことか言葉に表すこ

とができません。また、寺報を拝見させていただき、5月号の表紙に当地の桜を掲載していただいたのも嬉しく思いました。

 不思議な事に、震災で何もかもなくしましたが、海や自然に憤りを感ずることはありません。

 今まで自分の土地、家、会社と思って暮らしていたのですが、そんなことは人間が勝手気ままに決めていたことで、実は

地球の借りものであり、そこで生かされていたんだなと思うようになっていました。震災前の

生き方とは違って、何か別の考え方や生き方が芽生えはじめているのを感じております。

 妙深寺の皆様には感謝感謝です。心よりお礼を申し上げます。そして、この度いろいろお付

き合いさせていただいたご縁を大切にしながら、前向きに歩みだそうと思います。今後とも宜

しくお付き合いいただければ幸甚でございます。机もなく携帯のメールで失礼とは存じまし

たが、お礼を申し上げたく送信させていただきました。まとまりのない文面、どうかご容赦く

ださい。 陸前高田市「高寿園」方 佐々木松男 (会社役員 61才)

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N I P P O N

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   89   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

Page 6: 妙深寺報H2307 pc用

生きてるだけでこんなに遠くからこん

なにたくさんの人に来てもらえて支え

てもらって本当に本当に嬉しい。ここ

に来てくれた1人1人にハグして

チューしたぐらい嬉しい!!」と言って

くださいました。思ってもみなかった

言葉に私も本当に嬉しくて、また、こ

んなに大変の状況下で相手への感謝が

一番に出てくることが本当にすごいな

と思い、その場で2人で涙ながらにハ

グしていました。

 

また、こんなこともありました。炊

き出しには地元の中学校の野球部員が

食べにきてくれていたのですが、その

しばらく後に、同じ中学校の別の部活

の女の子たちが食べにきてくれました。

私はお皿をお渡しする係だったのです

が、彼女たちがお皿を受け取ろうとし

たそのとき、彼女たちは野球部のみん

なを見つけました。その瞬間、彼女た

ちはお皿なんかそっちのけで野球部の

みんなにわっと駆け寄り、とても嬉し

そうに楽しそうに談笑していました。

 

私も中学生の時に阪神大震災で被災

し、毎日恐怖と不安しか感じられない

日々が続きました。その時、唯一、明

るい気持ちになれたのが友達と話して

いる時でした。まるでその瞬間だけは

日常に戻ったような気さえしていまし

た。それだけ大きな友達の存在。彼女

たちも同じ気持ちなのかな、と思うと、

炊き出しに来てもお皿なんてそっちの

けにしてしまう気持ちがすごく良くわ

かる気がしました。

 

実は、炊き出しに行くとき、被災者

の方々と触れ合うというよりは、被災

者の方々にストレスなくスムーズに食

べたいものをお腹いっぱい食べていた

だくために、黒子的な動きをしようと

思っていました。しかし、中学生たち

を見ていて、話をすることで気持ちが

少しでも明るくなるのは大人もお年寄

りも一緒じゃないかと思い、特に一人

で食べにこられたお年寄りの方々とは

もっとお話すべきだったのではないか、

と帰りのバスの中で考えなおしていま

した。2回目の炊き出しがあったら、

今度は被災者の方々をお話させていた

だこう、と。

 

そして、6月3日に2回目の炊き出

しのご奉公に行かせていただくことが

できました。この日は、被災者の方々

にできるだけ話かけようと思っていた

のですが、人見知りと小心者が邪魔し

て、思っていたようにお話をさせてい

ただくことができませんでした。

 

それでも、一人で食べに来られた方

を中心にお声をかけさせていただくと、

険しい顔をしているように見えたおじ

いさんが「甘いもの好きなんだー。お

しるこおかわりしてくるよ」と笑顔に

なって答えてくださったり、震災当日

のことやその後のことをたくさん話し

てくれたおばさんもいらっしゃいまし

た。やっぱり人と話すことって、人が

生きていくうえで重要な要素だと思い

ました。

 

また、この日は、とても嬉しいこと

がありました。片付けをしていると、

高寿園に避難されている方が片付けを

手伝ってくださいました。私たちが2

人で持っているテーブルを1人で軽々

と持ち上げてどんどん片付けてくだ

さったおじいちゃんや、椅子を「ここ

に立てかけとくよー」と言ってあっと

いう間に片付けてくださったおじさん。

「美味しい物食べさせてもらったから

どうやったら御礼できるか考えてたの

よー」と言って一緒にテーブルを運ん

でくれたおばさん。最初は、申し訳な

くて「大丈夫ですよ」とお断りしたの

ですが、こうやって一緒に何かができ

るってすごく素敵なことだな、と思い、

一緒にやっていただくことにしました。

一緒に片付けようと思ってもらえたこ

とが、そして、一緒に片付けられたこ

とがすごく嬉しかったです。

 

後から考えていると、もしかしたら、

避難されている方も受けるばかりでな

く与えることが嬉しかったりするのか

もしれないな、と思いました。きっと、

みなさん、震災によって、今までやっ

ていた色んなことを奪われてしまった

だろうから、「何かできることがある」

ということは幸せなのかもしれない、

と。

 

この2回の炊き出しでは、あったか

いご飯を食べることで少しでも心が和

んでもらえれば、との思いで行かせて

いただきましたが、終始、被災地の方々

の言葉や気持ちにこちらが感動させら

れることがとてもたくさんありました。

 

食べに来てくださった方のお話を聞

くと、まだまだ場所によっては物資が

足りていないところもあるとのことで

す。そして、町の復興にもまだまだ時

間がかかると思います。訪れる度に瓦

礫が急速に片付けられていますが、そ

れでもまだまだ瓦礫の山がたくさんあ

り、片付いたところはまるで焼け野原

のようです。これからも長期的な支援

が必要だと思います。

 

炊き出しはもうないかもしれません

が、2回の炊き出しで出会った方々を

はじめ被災地の方々が、いつか心から

笑える日が来るよう、物資の支援はも

ちろんですが、御題目をお唱えさせて

いただいて、少しでも力にならせてい

ただけたら、と思います。    

 「菩薩の声」は、ご信者さん方

がご信心をしながら感じたこと

を語ってくださった生の声です。

 

今月は、6月3日の第2回炊

き出し支援活動に参加された

方々の声を掲載させていただき

ました。

支援活動

参加者の声

 

4月14日に千葉市斎場で東日本大震

災陸前高田市犠牲者火葬の儀があり、

ご回向のご奉公をさせていただきまし

た。被災地ではご遺体の火葬ができな

いため、身元不明のご遺体の火葬が千

葉市に依頼されたとのこと。火葬の間、

御題目をお唱えさせていただき、ご回

向させていただくというご奉公でした。

1日に数十体のご遺体が火葬されたと

のことですが、火葬が終わるまでの間、

約6時間程ずっと御題目をお唱えさせ

ていただきました。

 

震災以降、義援金や支援物資の他に

自分に何ができるのだろうと考えてい

たのですが、このご回向はまさに私た

ちにしかできないご奉公だったと思い

ます。

 

被災地では、どんなに悲惨な状況で

あってもそこで生きていかなければい

けない被災者の方々がたくさんおられ

ます。そのために、被災地の復興、被

災者の支援をさせていただくのはもち

ろんですが、犠牲になった方々も1万

人以上おられます。復興や支援と同じ

くらい、犠牲になった方々を弔わせて

いただくことも大切だと思うのです。

 

最初は他宗のお坊さんがいらっ

しゃったのですが、お経が終わると帰

られてしまいました。一緒にご奉公さ

れていた妙蓮寺の竹村御住職が「他宗

はお経が終わったら終わりだから可哀

想。佛立宗は南無妙法蓮華経といつま

でもお唱えすることができるから最後

までお見送りさせていただくことがで

きる」と仰っていました。

 

本当にその通りだな、と思いました。

 

この日、火葬されたご遺体はお年寄

りと若者が中心だったそうで、自分と

同世代で犠牲になった方々を思うと、

言葉では表せない何とも言えない気持

ちになり、どうかどうにか安らかに、

という一心で御題目をお唱えさせてい

ただきました。

 

私たちにしかできないこと、そして、

私たちが一番させていただかなければ

ならないご奉公をさせていただけたこ

と、とても有難い経験となりました。

 

それから約2週間後、陸前高田市の

高寿園という避難所に炊き出しのご奉

公に行かせていただくことができまし

た。この日は4月29日。休日というこ

ともあり子供からお年寄りまで本当に

たくさんの方が食べに来てくださいま

した。被災者の方々がどんな心情なの

か、どんなストレスを抱えていらっ

しゃるのか、私には想像もできないほ

ど大変なものだと思うのですが、それ

を考えると、被災していない私たちが

被災地に行くことを快く思わない方々

もいらっしゃるのではないかと思って

いました。しかし、実際に行ってみる

と、みなさん笑顔で受け入れてくださ

り、「いい匂い」「美味しかった」「あり

がとう」など、こちらが被災者のみな

さんに救われるような言葉をたくさん

かけていただきました。

 

その中でも特に印象に残った出来事

がありました。ある女性の方が、「私た

ちは何もしていないのに、こんなに良

くしてもらって食べさせてもらってい

いのかしら」と仰いました。何もして

いないだなんてとんでもない。この大

震災に直面して、心身ともに想像もつ

かないほど大変な中で毎日を生きてい

らっしゃる、それを考えると私たちが

できることなんてちっぽけなことです、

とお伝えすると、「私たちにできるこ

とは一生懸命生きることだけだからね。

神港教区

神崎由香

さん

支援活動に参加させていただき

いろいろなことを学ばせていただきました

▲神崎由香さん(左端)▲神崎由香さん(左端)

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   1011   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

Page 7: 妙深寺報H2307 pc用

6月

教区御講にて

青葉教区

千代和世

さん

「何かさせていただきたい」という気持ちは

絶対に忘れないように生活していきたい

 

まずは、支援活動が無事にご奉公で

きるようご祈願してくださった方、前

日などに準備のご奉公をしてくださっ

た方、また、終わった後の片付けのご

奉公をしてくださった方、本当にあり

がとうございました。私もありがたい

ことに2回も支援活動に参加させてい

ただくことができました。

 

最初に行ったときは、本当にひどい

という街の状況だったんですが、2回

目のときは、少しずつ片付けられてい

ました。衣替えしたばかりの高校生の

子たちとか、通勤ラッシュの時間のバ

スや、平日だったので通りも混雑して

いて、車もたくさん走っていて、少し

ずつ復興されているんだなと感じまし

た。でもまだ、水とかガスが通ってな

く、骨組みだけの建物などがたくさん

残っているような状態でした。

 

1回目の炊き出しでは、無我夢中で

「食べていただく」っていうだけだっ

たんですけど、今回2回目に参加させ

ていただくにあたって、私なりに考え、

来てくださった全員に声を掛けさせて

いただこうと思って、みんなに声をか

けさせていただきました。

 

すると、みなさ

ま笑顔で「あり

がとう。おいしい

ね。珍しいもの食

べさせてもらっ

た♪」って仰っ

てくださったり、

今、必要なものを

聞くと、お水がま

だ出ない状況な

ので、電気もない

のでお洗濯がで

きないとか、廊下

で過ごしている方は網戸が無いので虫

が入ってくるとか、暑くなってくると

大変だ、という話もありました。

 

ある方は、家を建てるときに「とに

かく高台に建てなさい」と昔から言わ

れていて、その方の家自体は流されず

無事だったそうなんですが、「黒い水

が迫ってきて、少しでも高い所、高い

所って必死で逃げたんだ」と、お話し

くださったり、苦しかったこととか、

お友達も波にのまれて自分だけが残っ

てしまったという罪悪感があるという

ことや、命があってありがたいという

ことや、亡くなった方の分も人生を生

きていこうと思う、などなど、ただた

だずっと応援してるからということし

か私は伝えることができなかったんで

すけど、いろいろとお話しを聞かせて

いただくことができました。

 

帰りに、大勢が亡くなられた体育館

にも行かせていただきました。私は

「ちょっと怖いな、大丈夫かな?」と

思ったのですが、懐中御本尊しっかり

握りしめて、「御法さまが守ってくだ

さってる、大丈夫、大丈夫」とバスを

降りたんです。そしたら、まるで爆弾

が落ちたような、大きな穴が屋根にあ

いていて、カーテンもボロボロになっ

ていて、周りに何もなく、建物だけ残っ

ていて。そこでみんなで一生懸命御題

目を上げさせていただきました。

 

帰るときに足元をみると、ここに確

かに人が住んでいて、人生があって、

普通に暮らしてらっしゃったんだなっ

て改めて思って、胸が熱くなりました。

 

もう一度普通に暮らせるように、何

かさせていただかなきゃいけないなっ

て実感しました。炊き出しもそうです

けども、横浜では、震災のあと、計画

停電もあったしスーパーに行っても物

が無いということも経験しましたけど、

3ヶ月たってしまうと、もう普段の生

活に戻ることができ、私たちの中で少

しずつ忘れてしまいがちになるんです

が、そこを忘れないでいきたいと思い

ます。何もできないかもしれないです

が、「何かさせていただきたい」とい

う気持ちは絶対に忘れないように生活

していきたいと思います。

 

日々ご祈願させていただくしかない

と思います。これからも一緒にご祈願

させていただきたいと思います。 

6月

教区御講にて

旭教区

小泉美代子

さん

現地の状況は実際に行ってみないと分からない

直接触れ合わせていただけたことの喜びを感じます

 

4月29日と6月3日の2回の炊き出

しに参加させていただき、本当に貴重

な体験をさせていただきました。最初

に行ったときは、もう自分の目を疑う

ぐらい、街の風景が本当に変わって、

はるか彼方まで見えてしまうくらい、

建物がみんななくなっていました。そ

れで、1ヵ月後の今回も行かせていた

だいたんですが、悲しいことに、あま

り変わってなくて、もっとどんどん仮

設住宅ができたりしてないのかなと

思ったんですが、残骸がいっぱいあり

すぎて、あちこちに材木や金属、車な

どが分けられて置いてあって、それを

片付けるだけでも大変な作業ですし、

私たちができることは、炊き出ししか

ないのかな、という思いでさせていた

だきました。

 

炊き出しのメニューも本当に豊富に

用意していただいて。すごいんですよ、

大きなステーキとか、豚のショウガ焼

きとか、カレーやお魚も3種類、アジ

とかサバとか、みりん干しになってい

るものとか、それからサラダや、おし

ることか、温かいご飯やお味噌汁とか、

いろいろなものがあって。私は今回お

しることお味噌汁

を担当させても

らったんですけど、

おしるこを出すと

きに「ああ、おし

るこだ!」って言

われて、「好きな

だけおかわりして

くださいね」って

言うんですけど、

あまりに喜んでく

ださるんで、私も

声が詰まっちゃう

んです。「温かいものや甘いものはホッ

とするんだよ。お餅もお正月以来食べ

てないよ、嬉しいな」って言われたら、

もう本当に…。

 

自分は御宝前で、皆さんが健康でい

られて、一日でも早く復興できるよう

にってご祈願させていただいてはいる

んですが、「それしかできてない」と

いう思いがあったんです。それが、少

しでも言葉をかけて、直接触れ合わせ

ていただけて、本当に嬉しかったです。

本当にあれは、自分の目で見ない限り

分からないですね。雑誌や新聞やテレ

ビで見ても、やっぱり実際に現場に

行ってみないと分からない。そういう

中で、少しでもお手伝いができたこと

が本当にありがたかったです。

 

今回、体育館に大勢の方が避難され、

そこに津波が来てしまって、ほとんど

の方が亡くなってしまったという場所

でご回向させていただくことができた

のも、本当によかったです。ご住職が

先頭に立って、お塔婆を立てて、ご回

向をさせていただけるって、「ああ、本

当にすばらしいご信心だな」と改めて

思いました。

 

今回、娘の同級生も一緒に同行した

んですが、私の1回目の話を聞いて、

「自分もどうしても行きたいから、今

度あったら連れて行ってほしい」って

言ってくれてたんです。1回目のとき

は、自分は何もできないからと、お水

のタンクをご有志してくれて。それが

2回目に行かせていただくという話を

しているときに、ちょうどたまたまそ

ばで話を聞いていて、行かせていただ

くことになったんです。行った後、「す

ごいお寺だね」と、自分の中にも感じ

るところがあったようで、帰りには涙

を流していました。その話を息子にも

してくれて、息子も次があったらぜひ

行きたいって言ってました。

 

私は、ありがたいことに体は元気な

ので、インドの団参にも参加させてい

ただいて、家族にも「帰ってきたばか

りで大丈夫?」と言われたんですけれ

ど、無事に参加させていただきました。

 

今、一番大事なことは、やはり御題

目をご弘通して、みんなで御題目をあ

げられるようになることだと思います。

これからも、しっかりご弘通に励みた

いと思います。         

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   1213   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

Page 8: 妙深寺報H2307 pc用

6月

教区御講にて

三ツ沢教区

伊藤洋一

さん

想いは必ず実るはず

また復興する日を信じています

 

6月3日に陸前高田市に炊き出しの

ご奉公に参加させていただきました。

被災地の様子は、テレビで知るよりも

現地はひどい状況でした。行きのト

ラックでご一緒させていただいた清従

師は、「以前来た時よりもだいぶ片付

いている」とおっしゃっていましたが、

津波の被害で破壊された町の残骸は、

まだまだ整理しきれていませんでした。

自然の力の脅威を目の当たりにしまし

た。

 

今回炊き出しの支援をさせていただ

いた「高寿園」の施設には、住まいを

無くされた多くの方たちが避難をされ

ていました。この施設は町よりも少し

ばかり高台になっているところに建て

られていますので、津波の被害からは

逃れられていました。ですが地震の揺

れで建物の一部はダメージを受けてい

たらしく、修復作業中のところもあり

ました。建物のある丘のすぐ下は津波

でめちゃくちゃです。どんなに怖かっ

たでしょうか。想像がつきません。

 

陸前高田に向かっている道中はずっ

と弱い雨が降っていましたが、明け方

には止んで、日も差してきて風もなく、

日中は暑くなりました。

 

目的地に着くと施設の駐車スペース

になっている空地のところには「第9

師団災害派遣後方支援連隊」と横断幕

が張られた自衛隊のトラックが2台停

まっていて、朝早くから自衛隊の方た

ちが支援活動をされていました。

 

注意事項等の全体のミーティングを

終わらせて、荷物をトラックから降ろ

して、テント設置やバーベキュー機材

の準備に取り掛かります。皆さん慣れ

ている方たちばかりなのか、ものすご

い勢いであっという間に準備完了。す

ごかったです。段取りの良さがうかが

えます。

 

炊き出しは、皆さんものすごく喜ん

でくださいました。僕も嬉しかったで

す。被災された方たちは、明るくて優

しくて元気なので安心はしましたけれ

ども、ご家族、ご親族、ご友人の方た

ちを亡くされた悲しみは時間がたって

も消えないのではないでしょうか。

 

地元の高田高校の生徒さんも来てく

れました。来てくれたといってもこの

生徒さんたちは、被害にあった方たち

のボランティア活動をされている最中

にこの施設(高寿園)に立ち寄った生

徒さんたちです。この中の1人の生徒

さんは、地震のあったその日、野球部

の部活動中で、高台にあるグラウンド

で練習をしていたところに地震が来た

そうです。高台のグラウンドであった

ため、野球部員は津波からは逃れられ

たものの、校舎で練習していた水泳部

や、屋内で部活動中だった生徒さんは

津波の被害に遭ってしまったそうです。

このことを話してくれた生徒さんは、

津波が来た瞬間、学校が波に飲み込ま

れ、お友達が流されるのがグラウンド

から見えたそうです。深く深く心に傷

を負いながら、自分も被災者でありな

がらボランティア活動をされている高

田高校の皆さんたちから、勇気をも

らった気がします。

 

僕は、1日支援活動をしたら、明日

からまた元の生活です。水が使える、

電気がある。食料がある、住む家があ

る。ものすごく贅沢な生活です。佛立

信者だからこそ、できることがありま

す。震災早期復興・原発事故早期収束

はみんなの願いです。毎日の御題目口

唱の積み重ねが大事です。想いは必ず

実るはずです。帰りに見た陸前高田の

海はとても綺麗でした。いつか泳げる

日が来ると信じています。    

特別寄稿

清水・清啓寺

米津裕貴

さん

6・3陸前高田市高寿園復興支援感想

「必ずまた来たい」

 

ありがとうございます。今回の復興

支援に参加させていただき、心から感

謝申し上げます。やはり現地の臨場感

は、そこに立たなければ分からないこ

とを改めて感じた。

 

映像では、繰り返し見ていたものの

現地に入ったその瞬間、「ナンダコレ

ハ…」以外は頭に浮かばなかった。

 

形容する言葉はない…どんな理屈も

通じない…そう感じながら高寿園まで

に心を落ち着かせようと努めた。

 

お講師から、前回の炊き出しの様子

を聞いていたし、ご住職のブログから

も、現地の喜びの声を読んでいたが、

現場について、初めての自分が迷惑を

掛けないかと、急に不安になった。準

備中明るく努めたが気持ちがザワつい

ていた。

はやく炊き出しが始まり皆さんの笑顔

が見たい、見たい…と感じていた。そ

の笑顔で自分の落ち着かない思いを静

めたいと感じていたのだろう。今思え

ばそう思う。

 

結局、この大震災を心のどこかで、

夢の出来事だと捉えている自分だった

のだろう。自分の感じ方の鈍さに悔し

くなる。

 

未曾有という言葉を気軽に使ってい

たことが恥ずかしい。だが、ここ陸前

も震災の一部に過ぎない。

 

なんてことだ…。

 

準備から片付けまで、妙深寺の教講

の皆さまのまとまりにただ感嘆した。

一貫した被災地への思いの集大成。そ

れでも御信者の方は「まだまだ。もっ

とまとまらないと」とおっしゃった(お

名前が分からずすみません)。すごい。

 

見据えるのは長い復興支援、その中

で自分たちが学ぼうとしている。

 

僕は信者だが、親は違う。僕自身の

信用がまだまだだからだ。不肖である。

 

だけど、佛立にはこんな方々がいる。

胸を張って伝えられる。右へならえだ。

 

体育館でのご回向は、とてつもなく

集中できた。大勢の方々が亡くなられ

た体育館の、波と格闘した姿はその足

元に立った時、いいようもなく、モン

スターのようで背筋がゾッとした。だ

が何もなくなってすべてが見渡せる市

街地の海から山まで響きわたるほどの

皆さんの御題目、これがご回向だと集

中した。させられた。

 

今ここで今いただこう、と感じさせ

られた。

 

炊き出し中、被災者の方が「いくら

でもおかわりしてくださいね」の言葉

に干物の数を遠慮された。「いいんで

すよ」と言うと「皆さんに行き渡らな

くなると悪いから」とおっしゃった。

 

ある方は一度帰ってから、また来ら

れて「近所の方がこの時間来られない

から、配りたい」と戻って来られた。

 

ゆっくりしか歩けそうもないおばあ

ちゃんだ。痛いなんてものじゃない経

験をなさった方々、だのに。

 

人を想う気持ちに泣きそうになった。

 

成長しなきゃ嘘だ。ここに来させて

もらって得るものは多い。

 

自坊は決して大手を振って復興支援

に来れる体制にない。

 

だが、帰り道、炊き出し中に小泉さ

んが「結局お看経が足りないんだ。や

れることを色々試して」と言ってくれ

たことが頭をめぐっていた。

 

まったくその通りだ。僕が行き詰ま

るのは結局自分しか見ていないからな

のだ、そんなことで止ってなどいられ

ない。

 

本当に申し

訳ない。たっ

た1日だった

が、6・3の

復興支援はそ

う思わせてく

れた。  

N I P P O N

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   1415   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

Page 9: 妙深寺報H2307 pc用

旭教区のみなさんより

新横浜教区のみなさん

三ツ沢教区のみなさん三ツ沢教区のみなさん

 東日本大震災により、陸前高田市の中心街はすべて流出してしまい、多くの犠牲者を出しました。この悲しみに沈んだ町に、何とか元気を取り戻そうと、高田町の若者有志が「復興・陸前高田うごく七夕まつり」の実行委員会を立ち上げました。 陸前高田の七夕まつりは「うごく七夕」「けんか七夕」「会場七夕」など、市内各地域民の手により、毎年8月7日に開催され、多いときには30台もの華麗な飾り付けをした山車が市内を運行しました。勇壮な七夕囃子は、秋に開かれる「全国太鼓フェスティバル」の母体ともなり、東北の奇際として文化的にも貴重なまつりです 津波により、台車や飾りのすべてを失い、製作場所も無いという全くのゼロからのスタートですが、2分の1サイズの新しい山車と、従来の動く七夕を1台ずつですが製作し、「復興・陸前高田うごく七夕まつり」を開催いたします。 この基金を広く募集し、多くの方にご参加いただきたく、皆さまのご協力をお願いいたします。●寄付振込先 JAおおふなと高田支店 (普)0038955 復興陸前高田うごく七夕まつり実行委員会 会計 菅野早実

町に元気を! こどもたちに夢を!復興・陸前高田うごく七夕まつり

妙深寺も応援させていただきます!

8月7日(6日前夜祭)

 2回の炊き出しに行かせていただいた陸前高田市で、今、復興に向けて若者たちが頑張っています! まだまだ瓦礫の山積している陸前高田ですが、今年は開催が不可能と思われたこのイベントを、復興の足がかりとして今年もぜひ開催したいと、有志が集まり、実施に向けて準備を進めています。妙深寺でも、この活動に協賛させていただき、この日に再び炊き出しの支援活動を実施させていただくことになりました。全国からも観光の方々が来られるこの大きなイベントを、ぜひとも成功させられるよう、みんなでサポートさせていただきましょう!

●うごく七夕公式ホームページ http://www.rikuzentakata.tv/

N I P P O N

被災地の方々へ…

川内らんなちゃんより

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   16妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   1617   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)17   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

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妙深寺教養七会でご奉公させてい

ただく、家族総参詣日「虹の日」。今

回は、「震災・みんなで考えよう」

をテーマに、3月11日に発生した東

日本大震災について、みんなで考え

る日、とさせていただきました。

 

今回はお看経係は戸塚教区の山崎

圭一さんご家族にご奉公いただき、

お給仕係なども教養各会でご奉公さ

せていただきました。

 

まず、ご住職からのご講話をいた

だき、「震災の日から100日を過

ぎ、だんだんと忘れられていってし

まっているところがあるが、妙深寺

は虹の日をこうしたテーマで開催し

ていただき、有り難く思っています。

今回の震災・津波は、東北の方々の

家族や友だち、大切な人たちの命を、

あっという間に流し去ってしまい、

そこから人生がまったく変わってし

まった。被災された佐々木松男さん

からのメールには、『自分のものだ

と思っていたものが、地球からの借

り物だったと分かった』と書かれて

いた。私たちも、ここから多くのこ

とを学び、人生を変えていかなけれ

ば、被災地の方々に申し訳ない。仏

様は、この自然には地神・水神など

様々な神々がいるが、御題目のもと

に一つに統合されると教えてくだ

さった。御題目のご信心で、そうし

た神さま方にも、私たちをしっかり

守っていただけるよう、御題目のご

信心を伝えさせていただかなければ

ならない。この震災も、私たちの心

とは無関係ではありません。ここか

ら、何かを気付き、自分の価値観を

変えていくことが必要です」とお話

しくださいました。

 

その後、震災当日に体験した出来

事を、長松アレックス君、筒井那緒

さん、伊藤孝子さん(左ページに掲

載)に発表いただきました。

 

その後、参与お講師より「なぜ支

援活動をするのか、それは、自分の

周りに誰か悲しんでいる人がいるう

ちは、自分にとっても本当の幸せで

はないから。そうした悲しんでいる

人が幸せになれるよう、何か行動を

させていただきましょう」とお話を

いただきました。これからも、継続

して支援活動をさせていただきま

しょう!

帰宅難民の私をこころよく泊めてくださり

遠妙寺さま、ありがとうございました

旭教区 伊藤孝子さん

 

私は川崎市多摩区に住んでおり

ますが、

地震当日は、山の手線の

大塚駅近くにある、母の入院先、

都立大塚病院で地震に遭いました。

病院の7階でしたので、ものすご

く揺れました。

母が心配でした

のでしばらくは病院におりました

が、このままで自宅に帰れるのか

なと思い病院を出ることにしまし

た。

 

夕方6時頃大塚駅に着きました

ら、本当にビックリしました。山

手線駅はシャッターが閉まってお

り、タクシー乗り場、バス乗り場、

都電乗り場に長蛇の列ができてい

ました。また、避難施設への誘導

などもなく、周り中が困っており

ました。駅の様子を見て危機管理

が全くなってないことに愕然とし

ました。私は、今まで長い時間何

をしていたのだろうと思いました。

 

主人の携帯は奇跡的に通じてお

り連絡することができましたが、

主人も新横浜の会社にいて帰宅で

きない状態でした。

 

しばらくして主人から、「近く

に佛立宗のお寺、遠妙寺がある

じゃないか」と言われました。母

の入院の時も、「病院の近くに遠

妙寺があるね」という話はしてお

りました。実は偶然

にも2年前の団参

に2人でお参詣を

させていただいて

おりました。主人は

続けて「遠妙寺に泊

めていただいたら」

と言いました。私は

ビックリして

「えー、お寺に泊ま

る?

そんなこと…」

と、生粋のご信者の

方ならそういう頭も働いたと思い

ますが、私はとてもとても、「いや、

タクシーを待つから大丈夫」と

言ってしまいました。

 

自宅も心配でしたので、帰るこ

とばかり考えておりましたが、タ

クシーは全く来ません。だんだん

心細くなってきて、帰れないかも

しれないと思いはじめました。方

向音痴の私には東京から川崎へ歩

いて帰るという選択はありません

でした。

 

3時間も待って、寒さと不安感

で「もう限界かも、助けて」と主

人にメールを打ち、「お寺に連絡

をとってください」と頼みました。

主人からの電話を待つ間、携帯の

電池が切れそうで不安でした。携

帯電話を握り締めて必死で南無妙

法蓮華経と御題目を唱えておりま

した。

 

主人は深要師に連絡を取ってく

れて、深要師は寿美江奥様に相談

してくださいました。お寺から遠

妙寺に電話が通じないので、「も

う直接お寺に行った方がいい」と

言ってくださいました。

 

遠妙寺の奥様とはお知り合いと

いうことで、妙深寺と寿美江奥様

の名前を出してと言われました。

 

私は経験したことがないことな

ので、不安な気持で遠妙寺の門を

開けました。

 

しかし、玄関では笑顔でお導師

の奥様が迎えてくださいました。

私は不覚にもいい年をして泣きな

がらしどろもどろにお話しており

ました。きっと、ビックリされた

ことと思います。

 

お導師の奥様は明るい声で「あ

らいいのよ、皆さまを待っていた

のよ、たくさん連れて来てちょう

だい」とおっしゃり、心が癒され

安心しました。カレーをたくさん

作ってくださっていて、ごちそう

になりました。

 

それからは、他の帰宅難民のみ

なさま10名程と過ごさせていただ

きましたが、本当に親切にしてい

ただきました。

 

遠妙寺の方々は、「妙深寺は有

名なお寺よ、ご住職がすばらしい、

寺報をとても楽しみにしているの

よ」と口々に褒めていただいて、

私にも本当に嬉しく、妙深寺の信

者で良かったとつくづく思いまし

た。

 

翌日は本堂で朝のお看経をさせ

ていただきました。

 

皆さまにこうして助けていただ

いて、佛立宗のお寺は本当にすば

らしい、心がこもっている、お寺

はひとつだと感動した日でした。

 

あの時の心細さは今まで経験し

たことがありませんでした。

 

振り返れば、私のこの程度のこ

とでも心があれほど痛くなったの

に、震災にあわれた方々はどんな

にかと考えて、本当に悲しくなり

ました。人生観が変わってしまう

震災で、こうして生かされている

ことに本当に感謝をしております。

 

今、妙深寺はお寺をあげての震

災支援活動をしております。こん

な私にでも何かさせていただくこ

とはないかと考えて、遅まきなが

ら、ご奉公を一歩踏み出したとこ

ろです。

 

本当にありがとうございました。

6月19日教養七会総参詣日「虹の日」開催

 

6月3日、松風会定例お講が賑や

かに奉修され、前回より多い70名の

お参詣がありました。

 

正教師より、妙深寺50年史をもと

に、戦中から戦後にかけてのご奉公

ぶりや苦労談、今の教養会のもとと

なる流れや、当時の青年会や成人式

の風景などを交えつつお話しいただ

きました。

 

また、今回お講の第二部で、絵手

紙教室が開催されました。

 

上星川教区の黒崎とし子さんを先

生に、絵の描き方などの説明を受け、

皆さん時間を忘れて楽しく絵手紙を

描かれていました。好評につき、次

回以降も継続して開催されることに

なり、完成した絵手紙は、8月5日

〜12日に第二本堂ロビーで開催され

る「納涼文化祭」にて展示されます。

6月定例お講

 絵手紙が好評

松風会

絵手紙をはじめとした文化

祭に展示する作品を募集し

ています。8月4日までに、

寺務所にご提出ください。

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   1819   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

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ウォーキング助行に参加した喜び戸塚

教区 山崎圭一さん

 

5月29日は

「横浜一周

ウォーキング

助行」の日で

した。最初お寺で集合し、朝参詣

ののち8時30分に出発です。まず

は冨塚英夫さん宅へ歩いて行き、

全員でお助行させていただきまし

た。そのあと2グループに分かれ、

1つは拙宅(山崎家)へ、1つは

鈴木家へと向かいました。無事終

わり、JR桜木町駅では10分程度

の差で合流できました。事前予約

したレストランで昼食をとり、本

立寺へ向かいました。立派な本堂

でのお助行のあと、同寺の壮年会

のリーダーの方々と有意義な交流

会を開催し、そのあと仲木戸駅の

村澤さん宅へまいりました。同宅

では最近のお講より多い助行者数

となり、その人数の多さに驚かれ、

随喜されていました。5時頃解散

しました。雨の続く日でしたが、

かえって涼しく、過ごしやすい天

候でした。

 

感想としては、

①1日お助行して回れるのは、本

当に幸せなことで、充実した日で

した。

②事前に綿密なスケジュール表が

届いていました(冨塚さん作成)。

図式化された見やすいスケジュー

ル表で、しかも乗る電車の写真付

き!ありがたかったです。準備ご

奉公のあり方を学ばせていただき

ました。

③当日は、私のマンションでは自

治会の大事な集まり(震災対策が

議事の1つ)があり、安否確認カ

ード作成担当なので、欠席できな

い状況でした。時間も完全に重複

してました。しかし「必ずなんと

かなる」と、あまり心配せず、お

助行イベントへの参加は取り消し

ませんでした。実際、何とかなる

ものですね。奇跡的に家内の日程

があき、自治会に代理出席してく

れました。お計らいだと、御法さ

まに感謝いたします。

④6月に入るとすぐ仕事の締切

で、気持ちは非常に焦ってました

が、提出の方は結局何とかなりま

した。仕事に追われるという「動

き」を、壮年会の活動への参加で、

ぜひ変えるといいと思います。

 「カルマを変えよう、動きを変

えよう」といつもご住職も受持お

講師もおっしゃっています。具体

的には、こうした壮年会のイベン

トに少し無理をしてでも参加する

ことで、カルマ(動き)を好転さ

せられるのだと、感得させていた

だきました。

 

手許に『三陸海岸大津波』と

いう文庫本がある。2004

年に「第一刷」とあり、自分は

11年版のものを持っているが、

今次の大津波はその後に起

こったのである。

 

著者の吉村昭は既に200

6年に亡くなられている故、

丹念に実施調査されて書かれ

たのは、ずっと以前の事にな

る。『海の壁』と題して出版し

て14年経過した後文庫版にし

たそうで、それ程前に記録さ

れたものが本として存在した

ことを、知らなかったのは申

し訳ない気がする。

 

そこには、明治29年の津波、

昭和8年の津波、そしてチリ

地震津波(昭和35年)と、三度

にわたって三陸海岸を襲った

大津波の凄惨な状況が、前兆・

被害・地元の人の証言・生徒

の作文などを交えて、筆者の

冷えた目で語られているので

ある。

 

地元では、出来うる限りの

対策を講じていたはずだ。前

車の轍を踏まず、と念入りの

注意・準備・行動をしても、

である。にもかかわらず、自然

の力はその上をゆく。

 

ちなみに、昭和58年の「日本

海中部地震」では17分後に離

島の奥尻島に津波が襲い、そ

の記憶がさめない10年後、「北

海道南西沖地震」で5分後に

またも奥尻島に津波が。島西

側で最悪の高さ30m。青苗地

区は津波と火災で全滅。

 

ところで、津波の高さは、

「三陸沖地震」で、明治・昭和

の二度とも20mを越すところ

がいくつか、と。明治29年では

38・2mが記録されていると

いう。昭和19年・21年と続け

て「東南海地震」があったが、

戦中戦後の情報不足の時期の

せいかよくは知られない。で

も津波の高さは10〜24mと伝

えられている。

 

それなのに、今回の地震で

問題の「原発」は海岸に建設さ

れており、「津波対策」は、検証

すればお粗末の限りといわれ

る程度である。地震国日本の

「電力関係者」は、吉村本

4

4

4

を知

らないらしい。

 

また、現場で出来たものを

運転する技術は身に付けてい

ても、トラブルが起こったと

き、修理し復元する面は能力

的に不得手なのではないか、

と疑わざるを得ない。尚それ

以前の事で、マイナスの情報

を受け容れない体質が、上層

部に存在するのだろう。

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   20妙深寺報 平成23年7月号(第384号)   2021   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)21   妙深寺報 平成23年7月号(第384号)

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妙深寺インフォメーションMyoshinji Information

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Bose's Bar Lotus毎月ひと晩だけ開店する語らいの場

ボーズバー「ロータス」

次回は8月20日 (土) 19時 Openふるってご参加ください!

 《お講》は、仏様の教えを分かりやすく学ぶことができる大切な法要。お講で説かれる御法門(法話)には、仏様が教えてくださった人生のヒントが盛りだくさん。「夜のご住職お講」にお参詣ください。

8月は13日(土)19時~ です。

読者の声・写真募集中! 妙深寺報は、妙深寺のみんなで作る機関誌です。妙深寺報に皆さまの声や写真を掲載しませんか? ご意見・ご感想・最近思ったこと・サークル募集・自慢の家族の写真など、メールやファックスなどで編集部までお送りください。

 E-Mail [email protected] FAX 045-322-3419

「開門口唱リレー」のタスキを繋ごう! 来年6月10日の先住日爽上人御十三回忌報恩記念大会の成功と、「震災復興」を願い、「開門口唱リレー」が毎朝続いています。夏期参詣中でもありますので、みんなでご祈願をさせていただきましょう!

《平日》 6:25 ~ 8:00 /《日・祝日》 7:55 ~ 9:15

探してみよう!

境内花だより

〜シモツケ〜

 

バラ科に属し、日本〜中国にか

けて分布する落葉性の低木。下野

国(しもつけのくに…現在の栃

木県)ではじめて見つけられた

ことから。北海道から九州にかけ

ての山地に幅広く自生している。

秋の紅葉も美しい。  (施設部)

妙深寺報 平成23年7月号(第384号)発行:本門佛立宗 妙深寺・局長 柴山迪昭

編集:広報出版部 黒崎直和

住所 横浜市神奈川区三ツ沢上町22-1

045-321-7690  FAX 045-322-3419寺務所:[email protected]/編集部:[email protected]

《寺報・インターネット賛助基金のご案内》妙深寺報など弘通活動へのご協力をお待ちしております。

  ●郵便振替 口座番号 00250-6-131490 加入者名 妙 深 寺  ※郵便局で【郵便振替払込用紙】に「寺報賛助基金」と   明記し、ご依頼者名・住所をご記入ください。

ひとこと

梶本冶唱(はるまさ)さん。法深寺

相模教区所属。元妙深寺戸塚教区所

属で、青年会時代などはご奉公に大

いに活躍しておられました。現在は

木工職人としてその手腕を発揮され

ています。妙深寺には、梶本さんの

作品が数多くあります。最近では、

本堂御宝前のお盛物台が両脇に伸び、

お仏飯を運ぶ入れ物が新しくなりま

した。お気付きですか? 佛丸まで木

でできている逸品です。また、本堂

の司会台、第二本堂ロビーの立派な

サイドボードなども、実は梶本さん

の作品。木工でここまでできるのか

と、その出来映えに目を見張るばか

りです。妙深寺の本堂は、備品ひと

つもみんなのまごころでできている、

そう感じます。心を込めて法城護持

をさせていただきましょう。

行  事  予   定

7月

1日10時  月始総講・日歓上人ご祥月法要

11日 9時  震災復興祈願・一万遍口唱会

  19時  事務局会議

13日 6時半 高祖総講(夏期参詣始め)

14日19時  夜のご住職お講

17日 8時  門祖総講

18日11時  清顕師結婚式

21日19時  教講推進会議

23日10時  開導会 第一座 当山ご住職奉修

  13時  特別フォーラム「3.11後の世界」

24日 9時半 開導会 第二座 吉川淳省ご住職奉修

  11時  開導会 第三座 コレイア教伯御導師奉修

30日 9時半 第3回報恩記念大会プロジェクト会議

8月

1日 6時半 月始総講

5日~12日 納涼文化祭

10日19時  事務局会議

11日 9時  震災復興祈願・一万遍口唱会

13日 6時半 高祖総講(夏期参詣最終日)

  19時  夜のご住職お講

17日10時  開導総講・婦人会教養会

18日19時  教講推進会議

19日13時  鈴江御導師特別お講(京浜・東部・港北・千葉)

20日10時半 鈴江御導師特別お講(港南・中央・湘南)

  19時  ボーズバー「ロータス」開店日

21日    薫化会バス旅行「ブルーベリー狩り」

25日 6時半 門祖総講

27日~28日 青年会サマーセミナー

28日    弘通デー「寺院一斉お助行日」

※毎週土曜日 夕方17時~は 《口唱体験会》

   日曜日 朝8時~は 《家族総参詣日》 です。

 妙深寺をケイタイしよう! 行事予定はPCや携帯でも見ることができます。

  ■妙深寺インフォメーション■ http://myoshinji.jp/

◆泉教区父 尾泉健士さん母   けいさん長男 勇太朗(ゆうたろう)くん

(H23年5月2日生)

お め で と う

初参り

8月20日(金)・21日(土)●鈴江御導師 特別お講 8月の教区御講は、通常の教区御講にかえて、相模原妙現寺の鈴江日原御導師をお迎えして、年一回の特別お講を奉修させていただきます。鈴江御導師は、妙深寺の私たちのことを、いつもご自分のお寺のように親身にご心配くださっています。教区お講の願主の方はもちろんのこと、ご信者一同で鈴江御導師をお迎えし、御法門を聴聞させていただきましょう。 ◆日程は以下の通り 19日(金) 13時  京浜・東部・港北連合・千葉教区 20日(土) 10時半 港南・中央・湘南連合

ご住職のブログ「Seijun's Blog」毎日更新中!http://hbs-seijun.blogspot.com/

-----------------------------------------ご住職への相談・質問など、24時間メール受付中

[email protected]

8月27日(土)・28日(日)●青年会サマーセミナー 今年の夏は青年会活動が盛んな静岡清啓寺青年会のみなさんと交流会を行います。ご信心の原点であるお助行の大切さ、今の世の中をご信心を中心にしてどう生きていくか学んできたいと思います。※詳細は本堂ロビーのポスターをご確認ください。

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平成23年7月号(第384号)

発 

行  

本門佛立宗

妙深寺 

〒221-

0856 

横浜市神奈川区三ツ沢上町

22-

1 http://m

yoshinji.jp/

ワンコインワンボトル

福島第一原発事故の影響で、周辺の地域では水道水が飲めなくなってしまっています。被災地に飲料水を送らせていただくための募金にご協力ください!