しあわせ(幸福)のカタチ50 はじめに...

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47 東洋大学井上円了哲学塾最終報告書 しあわせ(幸福)のカタチ グループC 及川 晃平、伊﨑 直輝、岩田 哲孝、李 受慧、安達 和世、 大木 航、鳥濱 博

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47

東洋大学井上円了哲学塾最終報告書

しあわせ(幸福)のカタチ

グループC

及川 晃平、伊﨑 直輝、岩田 哲孝、李 受慧、安達 和世、

大木 航、鳥濱 博

48

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50

1. 「世界一幸福度の高い国ブータン」における幸せ 及川 晃平

1) GDPから見る「世界一幸福度の高い国ブータン」・・・・・・・・・・・・・・・・51

2) GDPとは異なるもの ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52

3) ブータンの幸せの意味の考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53

2. 所得から見た経済活動の中にある幸福 伊﨑 直輝

1) はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55

2) 経済的な幸福「効用」・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55

3) 所得から見る幸福度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55

4) 所得と他の要因による幸福度の関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56

5) まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56

3. 労働から考える幸せ 岩田 哲孝

1) 日本人の幸福感と所得の満足度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58

2) 日本人の労働形態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58

3) 仕事や社会に求めているもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59

4) 理想と現状の差国内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59

5) まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60

4. 自然なかたちのシアワセを求めて 李 受慧

1) 手放せないもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65

2) 自然なイメージ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65

3) 自然なかたちのシアワセ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

5. 保育所における子どもの幸せを考察する 安達 和世

1) 少子高齢化社会の不安・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

2) 児童福祉の理念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

3) 保育所の取り組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

4) 子どもの幸せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

49

6. 心の余裕としあわせ 大木 航

1) 隠れたしあわせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71

2) WEF と GCR・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71

3) 第 1 の柱 制度(Institutions)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71

4) 第 2 の柱 インフラストラクチャー(Infrastructure)・・・・・・・・・・・・・ 71

5) 第 4 の柱 健康と初等教育(Health and primary education)・・・・・・・・・・72

6) 当たり前の意識改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・72

7) 当たり前にしないしあわせ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・72

7. 幸福尺度論 鳥濱 博

1) 幸福尺度論とは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76

2) 幸福度の多面性について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76

3) 海外情報より ~GDP(国内総生産)とその他の基準~ ・・・・・・・・・・・・76

4) 国内情報より ~「幸福度」と GNH(国民総幸福量)について~ ・・・・・・・ 77

5) 今後の展開 ~文献調査と現地調査~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78

50

はじめに

グループテーマを決める際に、まずは哲学塾提出の3つの課題論文をお互いに参照した。

文中では、「幸福」という言葉が多く見られた。人が幸せを感じるとはどのようなことなの

か、社会にとって幸福とはどのようなことなのか多面性を感じることが一般的である。

2011年の東日本大震災以来「お金よりも大切なもの」への意識が高まるなか、親日国で

あるブータンから国王夫妻が、新婚旅行をかね震災のお見舞いで来日された。その際、「幸福

度」、「GNH(国民総幸福量)」という言葉もメディアで話題になったが、日本の「GNH(国民総

幸福量)」は先進国なかでも低い位置にあることが現実である。

また、先進国ではフランス、イギリスが、幸福度尺度を国家指標の一つとして検討する意向

を見せている。GDP の代替案については、各界で真剣な議論が高まりつつ経済政策に実際的な

影響を与えるような兆候もみられる。

そうした状況のなか、国連は、2012年ブータンの提唱により3月20日を

“International Day of Happiness(国際幸福デー)”と制定した。

はたして、経済の発展と幸福度尺度の論考において、GDP(国内総生産)が、長い間国家尺度と

して使われてきたことは良いことなのだろうか。

私たちは、「幸福」に「カタチ」というキーワードを加えたテーマにおいて、各自の視点で

とらえた考えをまとめ、グループ全体で探ることを目指す。

2014年1月

グループC 一同

51

1. 「世界一幸福度の高い国ブータン」における幸せ

幸せな暮らしとは何か。皆が幸せに暮らしている姿を想像できるだろうか。実際、それを想

像することは困難を極める。そもそも幸せとは何なのか。私たちの住む世界では個人の利益を

優先し、誰かが不利益を被る現象が多く見られる。国の紛争、政治の利害関係、経済、リスト

ラ、身近な例ではいじめ問題など、生活していく上で不幸な事象は避けることが出来ない。し

かし、二元論的に考えてみよう。不幸があるから幸せを幸せと感じることが出来る。つまり、

不幸なくして幸せという概念は存在し得ない。しかし不幸が多すぎても、幸せであると言える

のか。幸せを持続させるためにはどうすればいいのか。

中国とインドに挟まれた場所に、世界一幸せだとされる国がある。ある調査によると、「あ

なたは幸せですか」という問に対して、その国の国民 97%が「はい」と答えたと言う。いった

い彼らはどんな幸せな生活を送っているのか。彼らの言う「幸せ」とは何なのか。本章では、

「世界一幸福度の高い国ブータン」について考察して行きたい。

1 ) GDPから見る「世界一幸福度の高い国ブータン」

本節では、ブータンを GDPの視点で捉えていくことにする。GDPは、世界的に経済の豊かさ

を見る指標として使われている。物質的豊かさの観点からブータンを見てみよう。

2012年の各国の GDPは以下のようになっている。図◯を参照していただきたい。一位にアメ

リカ、二位に中国、三位に日本、四位にドイツ、五位にフランス、六位にイギリス、七位にブ

ラジル、八位にロシア、九位にイタリア、十位にインドと言う順番になっている。2012年現在

ではブータンの GDPはさらにずっと下がり 162位となっている。

ブータンの GDP成長率は図◯のようになっている。これは 1980年からの 2013年の実質 GDP

を示したものである。この表から分かることは徐々に GDPはあげていることが分かる。だがそ

もそもこの指標で世界の国々と比べたときに、日本やアメリカに比べたら、やはり足下にも及

ばないということは現実である。

図 1 GDPトップ 10カ国とブータン

出所:世界の名目 (USドル) ランキングより筆者作成

52

図 2 GDPランキングトップテンとブータン

出所:世界の名目 (USドル) ランキングより筆者作成

図 3 ブータン実質 GDPの推移

出所:ブータン王国政府公式サイトより筆者作成

2) GDPとは異なるもの

ここで本第に入る前に述べておきたいことは、GDP についてである。GDP とは国内総生産と

呼ばれ個人消費と設備投資などの合計、つまり一国でどれだけのお金が動いたのか。物質的な

観点から、物質的に豊かであるかを確認するために用いられることがある。前述したが、この

観点でブータンの豊かさを測ると、162 位と世界的にみて決して豊かな暮らしを送っていると

は言えない状況であった。世界一幸せな国と言われているのにも関わらず、なぜ GDPが低いの

であろうか。

ブータンの幸福度は、GDP をもとに幸福度をみているわけではない。ブータンで用いられる

指標で GNH というものがある。GNH は Gross National Happiness を指しており、精神面の豊

かさのことを言う。この基準は 1970 年代に先代国王のジグミ・シンゲが、経済世宇調を重視

53

する体制を見直し、伝統的な社会・文化生活を国際社会の中で評価し、伝統的な社会・文化や

民意、環境に配慮した「国民の幸福」を実現する考え方を提唱したことに始まる。2005年にな

ると、仏教の価値観をもとに「心理的幸福、健康、教育、文化、環境、コミュニティ、良い統

治、生活水準、時間の使い方」の 9 項目を調査した。調査方法は、8 千人に、1 人 5 時間の聞

き取り調査を行うというものであった。代表的な質問は以下の通りである。「自分は仕合せだ

と思うか。幸せになるには何が必要か」という満足度を測る質問、「自殺を考えたことがある

か。実行しようとしたことがあるか」といった自殺についての質問、地域の祭りの意味やダン

スや唄に関する質問、「近所の人をどれだけ信用しているか」といった信用感に関する質問で

ある。この調査を行った結果、ブータン国民の 97%が幸せだと結果が出た。

3) ブータンの幸せの意味の考察

今回、ブータンの幸福度について研究した。その結果、ブータンが世界一幸せであるとされ

る要因の一つに、GNH という指標が存在することに気付いた。GDP を確認したときに、ブータ

ンの経済的豊かさは 162位と、私たちの住む日本やアメリカ、中国に比べてはるかに下に位置

する結果であった。しかし GNHでブータンの豊かさ、つまり幸福度を測った結果、97%の国民

が幸せであるという答えを出した。実際に自殺率を確認してみると、日本では年に1億 2千万

人中 32,155 人が自殺をしているが、ブータンでは年に 34 人とかなり少ないことが分かった。

日本の人口に換算すると 1 年で 6000 人の計算になり、ブータンの自殺者数は日本の 5 分の 1

程度であることが分かった。しかし、今回の GNHという指標は、人の心理的幸福度を指標に起

こす作業をしており、ある程度の信憑性が疑われる。

そこで今回の研究を通しての考察を行いたいと思う。ブータン国立研究所所長カルマ・ウラ

は現代の世界について「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は

本当に幸せだろうか。先進国で鬱病に悩む人が多いのはなぜか。他者とのつながり、自由な時

間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。金融危機の中、関心が

一段と高まり、GNH の考えに基づく政策が欧米では浸透しつつある。GDP の巨大な幻想に気づ

く時が来ているのではないか」と懸念している。GNH を調べていく際にも人とのつながりが重

要であると述べる一文が存在した。実際に現代社会を見つめ直してみると、それに通じる所が

ある。引きこもり問題、自殺問題、いじめ問題など、人間関係が希薄することによる不安、こ

れは私たちが普段の生活をしている上でも感じることが出来るだろう。

例えば私たちは生活をする上で、あらゆる集団に属している。仕事場、学校、サークルなど

を思い浮かべていただきたい。これは私個人のイメージだが、昔は集団の人々が(年功序列の

会社など)仲良くやっていた気がするが、最近の人は能力主義であったり、個人主義の面が強

くあると感じる。私の中では、近所付き合いなどがそのイメージにあてはまる。昭和の時代の

イメージとしては、お互いが助け合って生きているような感じを受けるが、現代では近所付き

合いが薄くなってしまっているように感じる。会社などでも、一仕事終えると打ち上げにいっ

ただろう。その際に、みんなで楽しむものとして、カラオケがあったはずだ。しかし、最近で

54

は「一人カラオケ」など、個人で楽しむ時代がやってきてしまった。興味深いのは「一人カラ

オケ」の店ができるほどであることだ。テレビという娯楽も、録画機能が生まれるなど、いつ

でもひとりで楽しむことが出来るようになってきた。こうした時代の流れの中で、人々は集団

から個人の楽しみにシフトしていっているような感じを受ける。もしかしたら、私たち現代人、

先進国の人間は人間関係を放棄し逆に苦しい道を選んでいるのかもしれない。私たちにとって、

集団と個人どちらが幸せなのか。もしかしたら生活が便利になりすぎると逆に幸せでなくなる

のではないか。

55

2.所得から見た経済活動の中にある幸福

前章においてブータンの幸福度について検証した。その中には GNHという指標を用いてそれ

が経済とどう直結するのか検証した。これにより、GDP と GNH には必ずしも相関が無いことが

分かる。

1)はじめに

現代社会において、人々はお金と物の交換を経て欲しいものを手に入れることが出来る。そ

こで手に入れたものは、何かしらのポジティブな理由があって交換をしているはずである。で

は、人々が経済活動を行うことが幸福を得られることへの一つのプロセスなのではないのだろ

うか。また、そのためには収入が必要となる。消費活動を行うために必要となる収入、いわば

所得の差によって幸福の度合いが異なるのかを検証する。

2)経済的な幸福、「効用」

経済学的には個人は最適化を目指すものである。現代に置き換えると、欲しいものとお金を交

換して「効用」を得るのである。しかし欲しいからといって、その財の値段がある一定以上の

金額を超えると人は買いたくなくなるであろう。欲しくても出せる金額は決まっている。つま

り、自分の所持している金額の中で一番合理的に効用が最適化されることを目指すのである。

そもそも、「効用」とは何であるか。山形(2011)は「幸福と似たような考案物。経済学者は、

企業が利潤を最大化にするのと同様に、個人は効用を最大化にすると想定する」と定義する。

人は財を購入する際に何らかの効用の最大化を目指すことが可能であるから物を買う、と言う

考えである。以上から、経済学的には「効用≒幸福」と捉えていることが分かる。またマクロ

経済学では、労働時間と余暇との割合を表したグラフを用いて、どの程度働けば効用が最大に

なれるかを考えて行動するとある。この条件が自分の効用曲線の最適な点になったとき、効用

が最大化になる。

3) 所得から見る幸福度

前述の原理を利用し政府はその財を購入できるようにするために、政府は労働時間に対する

所得の増加を狙おうとする。しかしブルーノ・S・フライ(2013)によれば、政策による所得の増

加は継続的には効用の上昇は見込めないとある。また所得が上昇しても、他人と比べて相対的

に低ければ効用は上がらない。つまり、ただ全員の所得を上昇させても効用が上昇しない。げ

んに第二次世界大戦後のアメリカでは、実質所得が 1946年から 1991年の間に 2.5倍に上昇し

たにもかかわらず、幸福度は全く変化しなかった。しかし国民を各所得別にグループを分けた

結果、高所得者であれば幸福度が高いことが判明した。政策によっては効用の増大は見込めな

いが、高所得である方が幸福度も高いことから、アメリカでの所得と幸福度には正の相関関係

があると考えられる。

アメリカでは上記のようになっていたが、必ずしも各国でそのような結果になるとは限らな

い。たとえば、日本の筒井の調査によれば、所得が 1500 万円までは所得に比例して幸福度も

上昇するが、1700万円から 1900万円のグループの人たちの幸福は寧ろ下がっている。ことの

56

ことから、必ずしも各国で所得と幸福度は比例しないことが分かる。

4) 所得と他の要因による幸福度の関係

日本経済新聞によれば、ベター・ライフ・インデックスという幸福度を示す指標において、日

本は 21 位という結果になっていた。項目別で見たとき、安全では世界 1 位であったが、余暇

や睡眠、食事時間で平均を下回ったという。今日の日本の GDP は世界の中でも上位にいるが、

経済活動とは離れた部分での要因が満足されていないと所得の要素以上に幸福が得られない

ことが分かる。

それに付随して、近隣の社会状況が悪ければ高い幸福は見られない。これは幸福度研究によれ

ば、一番幸福に対して重要であるのは家族や友人といった社会的関係が大きな要因であり、所

得や金銭といった物質的な要素は必ずしも関係があるとはいえない。また、人間には誰しも欲

望に忠実な面を持っており、そのために所得から得られる効用が日々変わっている。どのよう

な形であれ、将来はこれよりも更に幸福でありたいと思う気持ちが強いからである。

そして、効用の面でも大きく異なっている。そもそも、効用を最大化のために人々は行動す

るとあるが、それが本当に最大化に出来るのかという疑問がある。またそれだけでなく、個人

の効用の関数は日々変わるものであり、個人の効用を数値化して、言わば「見える」化させる

のは不可能である。ブルーノ・S・フライによれば、時に個人の意思に反する義務も行わなけ

ればない。また、計画的な行動が出来る場面では、個人の効用に合わせた活動が出来るが、突

発的なものになると効用の最大化は出来ない。よって個人は常に効用の最大化を望んで切るわ

けではない。この点でも大きく経済的な要素とかけ離れている。

また、所得の増加によってその効用の増大を維持できるわけではない。日々個人の満足感に

は変化が生じるものであり、所得の増加によって発生した効用は次第に消えてしまうのである。

それだけではなく、増加した所得を維持する状態になったとき、人々はこの時点で「慣れ」を

生じてしまい、効用を得ることも少なくなる。つまり、政府の政策により所得の上昇によって

効用の上昇を期待することは良いが、効用を維持することは難しいのである。しかしこれを阻

止するために、所得の増加幅を青天井にして効用の持続的上昇を狙おうとしても、寧ろ貨幣の

供給過多になってしまい、市場の貨幣価値が減少してしまい、インフレを招いてしまう。その

ため実質的な所得の上昇が見込めなくなってしまう。

5)まとめ

以上より、個人の所得の増加によるが必ずしも幸福度に直結することは限らない。だが、所得

が沢山あるという金銭的という一種の「物質的」な要因より、「精神的」な要因の方が幸福に

関連しないわけではない。近隣の人たちとの社会的関係を築きあげることで、その一つの要因

として「物を買う」ことへの幸福が生まれ、同時にお金を持つことへの幸福になる。この行動

は幸福の中の一つともいえるが、それを取り巻く精神的な要因が幸福でない限り、所得が多い

ことが幸福にはならないのである。

57

○ 参考文献

・八田達夫『ミクロ経済学Ⅰ‐市場の失敗と政府の失敗への対策』(2008)東洋経済新報社

・ヨラム・バウマン著書 山形浩生訳

『この世で一番面白いミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない 16講』

(2011)ダイアモンド社

・井堀利宏『入門ミクロ経済学 第 2版』(2004)新星社

・キャロル・グラハム著書 多田洋介訳『幸福の経済学』(2013)日本経済新聞出版社

・ブルーノ・S・フライ著書 白石小百合訳 『幸福度をはかる経済学』(2012)NTT出版

・筒井義郎『アンケート調査による幸福感の解明| 中央調査報 | 中央調査社』

http://www.crs.or.jp/backno/old/No578/5781.htm

・日本経済新聞朝刊 2013年 5月 29日

『「安全」だけど余暇少なく…日本の幸福度 21位』

58

3.労働から考える幸せ

1)日本人の幸福感と所得の満足度

個人の幸福を考えるとき、労働問題は避けて通ることはできない。生活をする基盤となる収

入を得るための労働、雇用問題は個人の人生設計に大きな影響を与え、ひいては個人の幸福感

をも左右することになる。ここでは、幸福を労働という側面から考えてみたい。

まず、国民はどの程度幸せと感じているのだろうか。平成23年度国民生活選好度調査によ

ると図1のとおり最高点(とても幸せ)10点中8点から5点を選ぶ人が多く、平均点は6.

41点で比較的幸せと感じている人が多い。幸福感を判断する際に重視した事項としては、図

2のとおり、家計の状況(所得・消費)を挙げる人がもっとも多い。家計の状況を左右する就

業状況(仕事の有無・安定)も35.5%と高い割合を示している。幸福感を判断する場合に

は、所得や仕事が重要なキーワードとなっていることが分かる。

それでは国民は現在の所得・収入で満足しているであろうか。平成25年の国民生活に関す

る世論調査では、所得・収入に満足と答えたのは47.9%(「満足している」+「まあ満足

している」)、不満と答えたのは49.8%(「やや不満だ」+「不満だ」)と不満に思っている

人の方が多くなっている。70歳以上の年金収入世代を除くとさらに不満の割合が51.7%

と高くなる(図3)。所得・収入面の満足は前述した幸せと感じている割合を下回ることにな

る。

では日本人の所得はいくらくらいなのであろう。所得の分布を確認してみる。厚生労働省の

平成24年国民生活基礎調査の世帯数(福島県を除く。)の所得金額階級別相対度数分布(図

4)によると、平成24年の1世帯当たりの平均所得金額は548万2千円であるが、100

~400万円未満が多く、平均所得金額以下の割合は全体の62.3%、中央値(所得を低い

ものから高いものへ順に並べて2等分する境界値)は432万円となっている。

所得の面だけで幸福を考えるとするならば、所得の中央値である432万円を得ている世帯

は他の大勢の世帯と差があまりないということになるため不幸とまでは感じないのではない

だろうか。古い数値になるが平成21年国民生活基礎調査によるとその年の貧困線(等価可処

分所得の中央値の半分)は112万円となっており、その年の相対的貧困率(貧困線に満たな

い世帯員の割合)は16.0%で、上記の平均所得を考えるとやはり所得のみで不幸と感じる

人は多くないはずである。

ところが、所得について不満と思う人が多いのはどうしてなのか。さらに平成24年国民生

活基礎調査での生活意識の状況についての統計では生活が大変苦しい・やや苦しいと答えた割

合が全世帯の60.4%となっており、所得・収入を得る手段にも不満を感じる原因があるの

ではないだろうか。

2)日本人の労働形態

そこで、今度はお金を得るための手段である仕事の労働形態について考える。まず、15歳

以上の就業状況を確認してみる。平成24年の国民生活基礎調査の統計によると表1のとおり

59

男は25歳から59歳までの「仕事あり」の割合がほぼ9割を超えており、女は30歳から3

9歳の割合が若干下がるが20歳から54歳までの「仕事あり」の割合が7割を超えている。

次に仕事ありのもののうち、正規の職員と非正規の職員の割合は表2のとおりである。総数の

割合では61.1%が正規の職員等、38.9%が非正規の職員等となっている。性・年齢階

級別にみると、男は30歳から59歳までの正規の職員等の割合が8割を超えている。女は2

0歳から34歳までの正規の職員等の割合は5割を超えているが、それ以外の年齢では非正規

の職員等の割合が5割を超えている。これを学歴別にしてみると男は50歳から59歳を除き、

学歴が高くなるにしたがって正規の職員等の割合が高くなる。女は全ての年齢階級で学歴が高

くなるにしたがって正規の職員等の割合が高くなっており、年齢が高くなるにしたがって非正

規の職員等の割合が高くなっている。こうして見ると、女の就業率は高いとは言えないが、こ

れは子育てが影響しているといえるだろう。同年の国民生活基礎調査(図5)では、子どもの

いる母の仕事の有無、正規・非正規等の割合構成では正規職員等が18.3%、非正規職員等

が33.0%、その他12.4%、仕事なしが36.3%となっており、末子の年齢が高くな

るにしたがって非正規の職員等の割合が高くなる傾向にある。これを前提に平成25年の労働

力調査の非正規の職員等についた主な理由を見てみると(表3図6)、男は非正規の職員等に

ついた理由で最も割合が高いものは「正規の職員・従業員の仕事がないから」で30.2%で

あるが、女は「家計の補助・学費等を得たいから」「自分の都合のよい時間に働きたいから」

が26%と男女でまったく割合が異なる。男女で仕事に求めるものが違うという傾向が分かる。

3)仕事や社会に求めているもの

国民生活選好度調査では、企業や事業者による行動のうち、その職場で働く人々や社会全体

の幸福感を高めると思うものは何かを聞いている(図7)。これによると給料の安定、仕事と

生活のバランス確保、雇用の維持・拡大が上位3つに入っている。さらに国民全体、社会全体

の幸福感を高める観点から、政府が目指すべき主な目標は何だと思うかを聞いている。ここで

は公平で安心できる年金制度の構築、安心して子どもを産み育てることのできる社会の実現が

群を抜いて高い。日本はどのようなことを社会の目標にしていくべきかを聞いた問いでは、安

全・安心に暮らせる社会と答える人が最も多かった。

4)理想と現状の差

以上のことから国民は自分たちに幸福をもたらすものは安心・安定であると考えていること

が分かる。世帯を背負っているものは将来の不安を解消するために非正規よりは正規職員等に

なることを望み、子どもの面倒をみているものは、家庭が安定するように非正規で働くことを

求める。しかし、現在は思ったように賃金はあがらず、1世帯あたりの年間支出が343万円

(総務省統計局家計調査平成24年度二人以上の世帯消費支出(税金・社会保障料支出を除く)

より)では、いくら働いても安心・安定とまではいかない。さらに正規雇用を求めても学歴や

性別によってなりやすい雇用形態があり、不安定である非正規雇用にならざるを得ない人がい

る。非正規雇用の平成24年の1人当たりの年間平均稼働所得金額は125.1万円(厚生労

60

働省平成24年度国民生活基礎調査の概況より)である。このような状況では生活が苦しいと

感じる人の割合が高くなるはずである。

人々が安心・安定を望むにもかかわらず、実際の社会は一度失敗すると這い上がることが困

難なものとなっている。それは政治が主導しているともいえる状況である。例えば、職を失っ

た人が生活保護を受けながら新たな職を見つけ自立していくという理想のモデルがあっても、

多くの市町村では「窓際作戦」と呼ばれる生活保護申請拒否が行われている。本来、申請を受

けて審査し、保護をする対象かどうかを判断する制度であるのに、とりあえず申請をさせずに

帰ってもらうのである。一度お金がない状態に陥ると、再就職もままならないどころか面接す

らできないこともある。これでは将来的に安定した生活を目指すことなど到底出来ない。こう

した政治の怠慢をなくすだけでも、将来が開ける人がいるということを各市町村は考えなくて

はならない。

5)まとめ

様々な問題を解決し、人の幸福感を増幅させるのは大変なことである。しかし、より多くの

人が幸せであると思える社会を作るためのシステム作りを政府はしていかなければならない。

非正規職員は会社にとって都合が良く、政府にとっても失業率低下の手段となり、補助的な役

割として自発的に非正規職員を望む人にとっても意味のあるものとなっている。ただし、多く

の人が望む安定した雇用形態が社会に根付いている前提での非正規雇用に意味があるのであ

る。不安定な非正規職員で雇用を増やしても、安心して暮らせる社会にはならない。今、政府

は成長戦略の一環として限定正社員(ジョブ型正社員)を推進していこうとしている。限定正

社員とは労働内容や地域が限定された正社員のことである。これにより、非正規雇用から限定

正社員へのランクアップをすることが可能になり、非正規雇用より長期で待遇も良い地位へ移

行できる人が増えると期待されている。期待どおりに運用されれば、多様なニーズに応える手

段になるであろうが、現在正社員である人が限定正社員にされ、結果容易に解雇することがで

きる労働者が増える可能性もある。政府には目先の経済に左右された場当たり的な施策ではな

く長期の視野に立った政策決定を期待すると共に、幸福度の増進も含めて考えた労働政策の立

案が必要とされるのではないであろうか。それが安心と安定による幸福感を得ることができる

人の増加につながるものと考える。

61

出所:内閣府 平成 23 年度国民生活選好度調査より

図 4 日本人の幸福感

出所:内閣府 平成 23 年度国民生活選好度調査より

図 5 幸福感を判断する際に重視した事項

出所:内閣府 平成 25 年度国民生活に関する世論調査より

図 6 現在の所得・収入の満足度

62

出所:厚生労働省 平成24年度国民生活基礎調査の概況より

図 7 世帯数の所得金額階級別相対度数分布

表 1 性・年齢階級別にみた 15歳以上の者の仕事の有無の構成割合

出所:厚生労働省 平成24年度国民生活基礎調査の概況より

63

表 2 性・年齢階級別にみた 15歳以上の役員以外の雇用者の構成割合

出所:厚生労働省 平成24年度国民生活基礎調査の概況より

出所:厚生労働省 平成24年度国民生活基礎調査の概況より

図 8 末子の年齢階級別にみた母の仕事の有無、正規・非正規等の構成割合

64

表 3、図 9 現職の雇用形態についた主な理由別非正規の職員・従業員の内訳

(2013 年7〜9月期平均)

出所:総務省統計局 労働力調査平成25年7〜9月期平均より

出所:内閣府 平成 23 年度国民生活選好度調査より

図 10 社会全体の幸福感を高めるもの

65

4.自然なかたちのシアワセを求めて

1)手放せないもの

日々の生活の中で手放したくても手放せないものがある。生きることの継続のなかで絶え間

なく続き、感じとられてしまうものがある。ときよりそれは生きる実感として留まり、手放し

たくないものへと変わりうる。そして気づいたときにはそれ自体が自分自身を支えるものにな

っていることもある。そこには自身の行為の軸として位置させてしまいたくなるような、ある

種の安心感があるのかも知れない。そしてときよりそれは気持ちという言葉に溢れるように内

包され感じとられる。‘今の気持ち’という表現ひとつにもその受け止め方や感じとり方は多

種多様である。目の前の対象への印象やその対象と関わるための意気込み、感覚的感じとりや

空腹感や温度変化に対する身体の感じとりなど身体の不調を現すものの場合もある。あるいは

いまこの瞬間の快または不快として目一杯に満ちる緊張感や焦燥感、嬉しさや楽しさだったり

もする。また場面そのものへの感動や、生きる喜びとしての幸せであることもある。気持ちと

いうものは、その場限りのこともあれば、短・長期的な覚悟や想い、願い、または本人の性質

的傾向による感情のように、常日頃、いつでも引っ張り出せる気にさせられるものとして、本

人の周りを周回するものもある。たとえば、我が子の健康を願う気持ちや、家族の幸せを願う

気持ち、過去の出来事に対する引き摺りなど、気持ちそのものが特定の対象に向かっている場

合もある。誰かを思う気持ちが長期的なものである場合、それは愛として表現されることもあ

る。またときには憎しみや恨みになり、その気持ちを感じる本人の全てを支配してしまうこと

もある。河本英夫は一般的な意識の働きを遅らせて選択可能性開くような遅延機能、選択の場

所の設定、自分自身の組織化の3つにまとめている。「選択の場所の設定というのは、空間的

な広がりのことではなく、さまざまな働きを混在させておくという非空間的な場所のことであ

る。この働きのなかには、感情や情動あるいは渇きや飢えのようなものも含まれる。また意識

の自己組織化は、集中させたり集中を解除したりする働きである。」(『臨床するオートポイエ

ーシス』p.85)‘今の気持ち’という問いから導き出される回答は意識の働きを代弁している

かのようにもみえる。このように気持ちというものはその人の行為を大きく左右させてしまう。

だからこそマザーテレサやナイチンゲールのように世界の平和のために身も心も捧げること

を望む人もいるのかも知れない。

2)自然なイメージ

本来、自然体は無理のない自然の姿がその本性である。そこから得られる多くの自然なイメ

ージがある。しかし、人間社会はあまりにも情報過多になり、また過剰なほどに本来の自然な

姿を忘れ、歪ませてしまっているようにみえる。多くの人工的なイメージをもち、また身体動

作のイメージも失われつつある。人間の社会はどんどん不自然な方向へ進んでいるかのように

みえる。そして、ほどよさの履き違えをしてしまっているかのようにみえる。ほどよさという

のはそのほどよさを崩すことでまたあらたな心地よさの感触をつかむことができるのである。

本来、備えるべき、自然さの喚起のためには、まず自然なイメージを形成することが必要であ

66

る。身体が本来持ちうる、動作の細かさや感じとりを喚起させることで、ゆがみのなかに自然

という変数を織り込んでいくのである。不自然の中に自然さを織り込み、とり戻していく。そ

して、個人の状態に見合った自然さを獲得していくこと、その持続に向けて力を注いでいくこ

とが健康な姿である。自身の世界を一度に大幅に広げていくことはできない。しかし、自身の

世界のシバリに弾力を与えることは可能である。「世界には原初的なシバリがある。これがな

ければ環境とかかわるさいの組織化の手掛かりさえ手にできないことになる。」(『臨床するオ

ートポイエーシス』、p.222) ただし、自身において、理解不可能なものであっても受け入れ

ることで世界のシバリは別様にもなりうる。新たなものを受け入れるということで得られる選

択肢がある。それは局面を変えることのできるきっかけという選択肢である。これも選択のう

ちのひとつなのである。若々しさがある人には好奇心を忘れない人が多い。常にいきいきとし

ていられるのは、新たなものに興味をもつということはある種の寛容さでもある。

「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。」

これは詩人、中原中也の「いのちの声」の一句である。ここには既に多くの真理が語られて

しまっている。この世の中には願いをもたない人は誰一人いない。ただし願いという思いとの

向き合い方は、個々人においてかなりの隔たりがある。前野隆司は著書『幸せのメカニズム』

のなかで、利己的な人より、利他的な人ほど幸せを感じやすいと述べている。利他的な人とい

うのは他人に依存するということではない。自身は身一点として生きていきながらも、他者と

の関わりを通し自身をも形成していくことなのではないかと思う。生きていくということは何

かとの関わりの継続でもある。しかし、人間は幾度もの取り返しのつかない過ちをおかしてき

たのではないかとしばし思うことがある。そして意識せずとも世界のすべてを自分の手中に収

めてしまう癖を身につけてしまったのではないかと残念な思いに駆られる。本来の人間の自然

さはこのようなものではなかったはずである。現実を生きることの楽しみは現実の最中で巡り

合う幾度もの驚きであり、問われるべきことは、その驚きをも素直に受け止めつつ、突き放す

器量なのである。終わりは終わりではなく、新たな出発点でもある。スタートラインをその都

度、作り続けることが「希望」というものなのではないかと思う。

3)自然なかたちのシアワセ

本来人間がもつ「心地よさ」という感覚をとおし、もう一度自身の感触を再形成することで

ひらけてくる身一点の自由がある。もう少し細やかになることでやり直すきっかけを作ること

ができる。隙間のない世界に介入の余地を見出すこともできる。過去を何度も省みようともそ

こに調和の感覚は生み出せない。省みている自身の姿に気づいたのであれば、自身の行為、関

わりをどう調整していくべきか、という問いに進むべきなのである。おそらく人類の最大の難

題は身体をもって生まれた自身と率直に向き合うことである。そもそも人間は生まれたときか

ら快感を好む身体を持ってこの世に降りた。それは生存本能という言葉に書き換えることもで

きるだろう。だからこそ、自身が持ってうまれた感動という本能を決して忘れてはならないだ

ろう。それが幸せの自然なかたちでもあるからである。

67

【引用文献】

前野隆司『幸せのメカニズム』、講談社現代新書、2013年

河本英夫『臨床するオートポイエーシス――体験的世界の変容と再生』、青土社、2010年

吉田熈生 編『中原中也 詩集』、新潮文庫、2000年

*以下、その他参考文献

橘期俊昭『「幸せ」の経済学』、岩波現代全書、2013年

David J. Linden『快感回路』、河出書房新社、2012年

David J. Linden『つぎはぎだらけの脳と心』、インターシフト、2009年

成瀬悟策『動作療法― まったく新しい心理治療の理論と方法』、誠信書房、2000年

68

5. 保育所における子どもの幸せを考察する

1)少子高齢化社会の不安

将来に不安があると幸福度は上がらないといわれている。

日本は現在、急激な少子高齢化社会を迎え、将来に対する見通しに多くの国民が漠然とした

不安を抱いている。将来予想図は、「お金」「時間」「健康」「教育」「エネルギー」等によって

表されるそれぞれの指標が盤石ではないことを示し、国はそのための方策を講じているが未だ

解決には至っていない。将来の安定を担保するための喫緊の課題は、高齢化社会を支える屋台

骨の構築であろう。経済活動に寄与する階層の絶対的不足が懸念されている。そのため、女性

や日本国籍以外の働き手を労働市場に組込まざるを得ない状況が生じている。しかし、女性の

社会進出は、女性自身が有する課題のみならず、それに派生する課題をも浮き彫りにする。す

なわち、子育て・介護等に見られるケアーワークの在り様が問われるのである。女性の社会進

出は、一方でケアーワークを代替するシステムの担保が前提となる。そのため、労働政策とし

て保育所設置が求められるのである。そしてその第一義的使命は、「数の担保」であり、「保育

時間の担保」である。そこには、「子ども」を権利の主体者として位置付ける視座には寄って

いないことは明らかである。しかしながら、「子ども」は法律や制度で保障された権利を有す

る主体者であることは明白であると考える。このレポートは、その視座から、子どもの幸せに

ついて考察を進める。

2)児童福祉の理念

保育所は、保育所保育指針75に則り日々の保育運営がなされている児童福祉施設であり、そ

の目的は、「入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進すること」であ

る。

児童福祉の理念は、「日本国憲法76」「児童権利宣言77」「児童憲章78」「児童福祉法79」「児童の

権利に関する条約80」等、法的・制度的に裏打ちされたものであり、そのことに則り、権利の

主体者としての子どもにとって「最もふさわしい生活の場でなければならない。」と規定して

いる。「子どもの最善の利益」は、児童の権利に関する条約「児童に関する措置の原則」にお

いて規定され、国際社会等において子どもの権利を尊重することの重要性が他項目とともに示

されている。

保育所は、権利の主体者としての子どもたちが『「今、この瞬間」と「未来」を「幸福に」

生ききる(活ききる)力を培う』ために、「空間・時間・仲間」を保障・遂行することを使命と

している。

75保育所保育指針(平成 20年 3月 28日 厚生労働省告示 第 141号 平成 21年 4月 1日施行) 76日本国憲法(昭和 21年 11月 3日公布 昭和 22年 5月 3日施行)

77児童権利宣言(1959年 11月 20日 国連総会)

78児童憲章(昭和 26年 5月 5日)

79児童福祉法(昭和 22年 12月 12日 法律第 164号)

80児童の権利に関する条約(平成 6年 5月 16日 条約第 2号)

69

保育所における「子どもにとっての幸福」の定義を、「一人ひとりが、その子らしく尊厳を

もって生きられること」とするならば、子どもの権利擁護のためには根拠法令・関連制度を遵

守し最善の利益の追求が命題として課せられると考えられる。すなわち、命題を遂行するため

に、保育所は組織体として社会的責任を担い、「資質の向上」と「専門性の向上」を担保する

ための不断の研鑚、評価の享受を求められるということである。

3)保育所の取り組み

保育所では、日々一人ひとりの子どもたちのかけがえのない物語が営まれている。保育士等

職員は、その一つ一つの物語に伴走しながら、「子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積

極的に増進すること」を目指している。すなわち、保育所保育指針に示される「保育課程」を

編成し、保育所全体で組織的及び計画的に保育に取り組むことで一貫性、連続性のある保育実

践を担保するのである。「養護と教育を一体的に行うこと」、「環境を通して子どもの保育を総

合的に実施すること」が保育所保育の特性であると明確に位置付け、加えて保護者に対する支

援を行うことを規定している。

近年、保育所に入所する家庭の背景は様々であり、日本国憲法第 13条で規定されている、「す

べての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の最大の

尊重」が危ぶまれる看過できない状況も増加している。「幸福」は、窮めて個人的なスケール

ではかられる領域であると同時に、社会状況が密接に反映されるものであることに鑑みると、

保育所に入所する子どもたちが、それぞれの家庭背景によって「最善の利益」を享受すること

に格差が生じないよう手立てを講じることが児童福祉の理念に照らし合わせれば喫緊の課題

であると考えられる。

4)子どもの幸せ

保育所は正に、児童権利宣言前文に掲げられた「(前略)児童が、幸福な生活を送り、かつ、

自己と社会の福利のためにこの宣言に掲げる権利と自由を享有することができるようにする

ため(後略)」を具現化する現場であり、権利の主体者としての子どもに対する理念を推進・啓

発する先頭に立つ組織体であるべきであると考えると同時に、子どもや子育てを大切にする社

会・文化の構築に最大限寄与する使命を負っていると考える。

「幸福」「希望」等の捉えどころのない概念を共有するためには、様々なデータや具体的事

実が必要であると考えられるが、保育所においては、「子どもの最善の利益」の確立へ努力す

ることが、「子どもの幸福」に迫る最も手堅い方法だと考えられる。

「子ども」は、将来の社会不安を解消するための道具ではない。「子ども」は、「子ども自身

の幸せ」を探求する権利の主体者である。その権利が擁護され、子どもが子どもらしく在る場、

それこそが保育所でありたいと願っている。

70

【参考文献】 ・保育所保育指針 〈平成 20年告示〉2008年 4月 25日 初版第 1刷発行 (株)フレーベル館

・保育所保育指針解説書 厚生労働省 2008年 5月 13日 初版第 1刷発行 (株)フレーベル館

・最新保育資料集 2013 監修者 子どもと保育総合研究所 代表 森上史郎

2013年 4月 15日 初版第 1刷発行 (株)ミネルヴァ書房

・「幸せ」の経済学 橘木俊詔著 岩波現代全書 002

・日本経済新聞社 2013年 11月 日夕刊 p7ライフ 「幸福と希望を考えるということ」

古市憲寿氏(社会学者)

・歩きながら考える 生命・人間・子育て 太田尭著 2000年 2月 15日 第1刷発行

(株)一ッ橋書房

71

6.心の余裕としあわせ

1) 隠れたしあわせ

しあわせと一口に言っても、その内容は人それぞれで違っている。例えばそれは、お金とい

う経済的豊かさや安心と言う社会的安定など様々である。しかし私は、しあわせというものは

普段の生活の中にあり、その多くは「心の余裕」という形で「当たり前」に隠されてしまって

いると考える。ピラミッドを想像してもらいたい。そのピラミッドはしあわせを表しているが、

その手前には当たり前をいう名のカーテンがかかっている。そのカーテンは下から上へと延び

ており、カーテンの隙間から見えるピラミッドこそが私たちが普段の生活の中で感じられるし

あわせである。一例として電気を考えてみる。私たちは 1 日のほとんどを直接的・間接的に電

気を使っており、スイッチ1つで点いたり消えたりする生活が当たり前となっている。しかし、

もしスイッチを押しても電気が点かない(消えない)ことが 1 度ならず 2 度 3 度と起きると、

私たちは怒りを覚えるであろう。つまり私たちは普段の生活の中でその程度しか「心の余裕」

を持っていない。言い換えれば、それだけ私たちのしあわせは、私たちの思う「当たり前」に

隠されてしまっている。

私たちの身の回りにはこういった当たり前に隠されたしあわせが多く存在する。そこで現在

の日本が世界的にどの位置にあるのかを確認してみたい。日本では当たり前のことが本当に当

たり前なのかを世界経済フォーラム(WEF:World Economic Forum)が作成した国際競争力

レポート(GCR:the Global Competitiveness Report)をもとに調べることで、「当たり前」

に隠されたしあわせを考えていきたい。

2) WEF と GCR

WEF が発表したランキング(図 1)によると、148 ヵ国中、日本は総合評価第 9 位である。

さらに 12 個のランキング評価の柱のうち、日本は第 3 の柱であるマクロ経済環境

(Macroeconomic environment)と第 5 の柱である高等教育と訓練(Higher education and

training)を除く 10 の柱において他の革新主導型経済国家(Innovation-driven economies)の

平均以上とされている(図 2)。そこで第 3 節から第 5 節ではその 10 の柱のうち、非経済関連

の 3 つについて注目してみたい。

3) 第 1 の柱 制度(Institutions)

図 3 の「1st pillar:Institutions」を見てみると「1.07 政府関係者の意思決定におけるえ

こひいき(Favoritism in decisions of government officials)」の世界ランキングが第 10 位で

あり、世界でも比較的高い位置にあることが分かる。これは例え地位の高い者であっても罪を

犯せば罰せられるという、日本では当たり前の法治国家が世界では成し得ていないことを示し

ている。

4) 第 2 の柱 インフラストラクチャー(Infrastructure)

次に図 3「2nd pillar:Infrastructure」を見ると、「2.03 鉄道インフラの質(Quality of

railroad infrastructure)」の世界ランキングが第 1 位に輝いている。この世界一の鉄道(電車)

72

を日常生活の中で当たり前のように利用できる私たちは、非常に恵まれた環境に居ることが分

かる。

5) 第 4 の柱 健康と初等教育(Health and primary education)

最後に図 3「4th pillar:Health and primary education」について見てみると、「4.10 初

等教育の就学率 (Primary education enrollment, net %)」の世界ランキングは第2位である。

6) 当たり前の意識改革

以上のように日本の「当たり前」は、総合的にも個別的にも世界では非常に高水準にあるこ

とが分かる。しかし私を含め、多くの日本に暮らす人々はその事実に気付かず、それどころか

例えば世界一の質を誇る日本の電車が数分遅延をしただけで怒ることがある。果たしてそれで

良いのだろうか。我々は日本にある多くのものを「当たり前」とするだけでなく、それを享受

することすら「当たり前」と考えているのではないだろうか。確かに日本に暮らしている以上、

そこで享受出来るすべては「当たり前」であると言えなくもない。だが、やはり私はこのこと

が良いことだとは思えない。なぜなら、すべてを「当たり前」と思い込み、それが享受出来な

くなった途端不満を持つこの現状は、私たちが自らの手でしあわせを奪ってしまっているから

である。

7) 当たり前にしないしあわせ

つまり私たちが日々享受する世界最高水準の「当たり前」を、決して「当たり前ではない」

と考え暮らしてみてはどうだろうか。常にその考えを頭の片隅に置いておくことで上記のよう

な「電車が遅延する」ことがあったとしても、「電車が時間通り来ることが当たり前ではない」

「待ってさえいれば来るのだからまだマシである」等々思えるようになる。そしてその考えは

私たちを嫌な気持ちにさせないだけでなく、今まで以上に心に余裕が生まれる日々を過ごさせ、

生活の中にしあわせを感じさせてくれるようになる。だからこそ、この「当たり前を当たり前

にしない」意識改革は、私たちが自助努力によって日々の生活の中にしあわせを感じられる道

の 1つではないだろうか。

73

図1 国別ランキング

74

図2 日本の国際競争力指数

75

図3 日本の国際競争力指数の詳細

<参考一覧>

「The Global Competitiveness Report 2013 – 2014」、WORLD ECONOMIC FORUM、2013年。

76

7.幸福尺度論

1) 幸福尺度論とは

『幸福論』をテーマに哲学的に考察すると、古くはアリストテレスの『幸福論』から、今日

的にはヒルティ、アラン、ラッセルの幸福論(三大幸福論)が一般的に知られている。また、

プロタゴラスは、『人間尺度論』において、「人間は万物の尺度である」。『真理論』においては、

「感覚が知識である」と説いている。たとえば同じ風を受けても、寒気を感じる者、感じない

者もいるとすれば、「風が冷たい」、「冷たくない」と言った感覚はともに真理ということにな

る。風そのもの、感じる人間もともに変化し同じ状態ではない。時に感じるものが真理であっ

てとしても、不変の真理など存在しないということになる。簡単に言えば「判断基準は自分自

身という人間なのであり、万物の尺度を科学的で客観性をとる原理や観測ではなく、自分とい

う人間の主観がものさしとなる感想や意見が万物の尺度の一つであり、絶対的判断基準はなく

それぞれの人間の思いとするものである」「人間には絶対的な共通の認識はないとするもので

ある」とういう見解になる。

『幸福』の見方もまた絶対的なものではなく、複数の要素など相対的関係すなわち相互依存

関係にあるといえる。たとえば長身であることも他者との比較のなかでしか想定しえないもの

である。また主観性は、相対的関係にとって重要な論拠である。事物の把握の仕方が、個々の

主体に依存しているということを意味する。「幸福」と「不幸」は、コインの裏表のごとく表

裏一体であり、「不幸」の存在により「幸福」を感じるのかもしれない。しあわせ(幸福)の

感じかたもまた千差万別であり、幸福の度合い(幸福度)も変化する。

個人の研究テーマを『幸福尺度論』とし、ツールを開発「幸福度のスケール(ものさし)」

するなか、調査、分析、論考する。

2) 幸福度の多面性について

主観的幸福度ではなく、客観的にみた幸福の構造を考えると、幸福感の全体像を把握し、主

観的幸福度(生活満足度)は、そのうちのどの側面を測定しているのかを明らかにすることが

要点である。リチャード・レイヤード81は、幸福(客観的幸福)に影響を与える要素として、

①家族関係、②家計の状況、③雇用状況、④コミュニティと友人、⑤健康、⑥個人の自由、⑦

個人の価値観、の7大要素をあげ、幸福感についての一種の全体像を示している。

3)海外情報より ~GDP(国内総生産)82とその他の基準~

経済の発展と幸福度尺度についての論考のなか、GDP(国内総生産)は、長い間国家尺度とし

て使われてきたが、GDP 中心の考え方では、国家の成長性や繁栄の持続に限界が見えてきてい

る。GDP の問題とは、①GDP は測定方法に欠陥がみられる。②持続可能性や持続性に問題があ

る。③進歩と開発の測定には別の指標のほうが優れている場合がある。という3点である。

GDP(国内総生産)に替わる新たな基準として脚光を浴びているのは、心理学的研究を重要

視するもので、UNDP(国際開発計画)の HDI(人間開発指数)、OECD(経済協力開発機構)の 81 イギリスの経済学者 82一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のこと

77

BLI(より良い暮らし指標)、ブータン王国の GNH(国民総幸福量)83のような国家間の幸福度

尺度等がその例である。

先進国では、フランス、イギリスが、幸福度尺度を国家指標の一つとして検討する意向を見

せている。GDP の代替案については、各界で真剣な議論が高まりつつ経済政策に実際的な影響

を与えるような兆候もみられる。

『幸福度』と経済成長との関係性は過去にも研究されてきた分野ではあるが、GDP と比較す

ると曖昧で正確に測定することが難しいとされている。

例えば、国における所得水準と幸福度の相関関係についての調査から得られた結果では、「所

得の増加に比例して幸福度が高まる国が限られていた」、「金銭的に豊かな人は貧しい人より

も大抵は幸せだが、経済的に豊かな国が途上国よりも幸福度が高いとは限らない」。ある一定

以上の所得水準を超えると、所得の伸びは幸福度の高まりに寄与しないという仮説がある。

行動経済学者ダニエル・カーネマン84博士は、米国国家統計局と共同で、国民の時間の使い

方と幸福度との関連性についての研究の結果、「国民の幸福度が低減する行動(例えば通勤)

を減らす環境・政策づくりを国が進めることで、国民の幸福度がアップし社会の生産性が増す」

と提言した。「国民の精神的繁栄と国の経済的繁栄に貢献する新たな尺度」と言える。

国連は、2012年ブータンの提唱により3月20日を“International Day of Happiness

(国際幸福デー)”と制定した。

4)国内情報より ~「幸福度」と GNH(国民総幸福量)について~

2011年の東日本大震災以来「お金よりも大切なもの」への意識が高まるなか、親日国であ

るブータンから国王夫妻が、新婚旅行をかね震災のお見舞いで来日された。その際、「幸福度」、

「GNH(国民総幸福量)」という言葉もメディアで話題になったが、日本の「GNH(国民総幸福

量)」は、先進国なかでは低い位置にあることが現実である。

工業化を達成した先進国においては、1960年代頃から、GDP (国内総生産)に象徴される経済

的な豊かさが国民の幸福感につながらないことが問題となってきた。

日本においても、一人あたり GDPの急激な伸びにかかわらず、1970年代以降、国民の幸福度

や生活満足度は向上していないと考える。

このような背景のなか、国内外において、社会の豊かさや国民の幸福度を測る新たな指標の

開発に向けた試みがなされてきた。国内でも、「新成長戦略 J(平成 22年 6月 18日閣議決定)

において新しい成長及び幸福度についての指標の整備等が掲げられたことを受け、2011年 12

月に、内閣府の「幸福度に関する研究会」が、「幸福度に関する研究会報告一幸福度指標試案

一」を取りまとめた。また、1980年代以降の“持続可能な発展"の概念をめぐる議論の進展に

伴い、開発政策などにどのように組み入れるべきかとの問題関心から、持続可能性指標につい

83

国民全体の幸福度を示す尺度

84 米国の心理学者、行動経済学者

78

ての議論が活発化してきた。持続可能性を測る指標づくりの試みは、国連や世界銀行などの国

際機関、各国の政府や自治体、NGO、研究者など様々な主体によって展開されてきた。85

持続可能性指標と幸福度指標との検討の代表的な取り組みとしては、内閣府の「幸福度指標

試案」、京都大学の受託研究、熊本県の「県民総幸福量」、福井県の「地域の幸福度」、新潟市

の「市民の幸福度」、東京都荒川区の「荒川区民総幸福度」等が代表的な報告例である。

また、一般による国内のイベントとして、「3月20日を HAPPY DAYとよぶ」ことにするなか、

日比谷公園にて『HAPPY DAY TOKYO 2013』(ハッピーデー元年~幸せについて考える日~)と

いうイベントが開催された。内容については、社会貢献や日本を元気にする活動をしている人

達のトークイベントやミニライブショー、体を動かしての「HAPPY」実感、また、「見る」・

「食べる」行為により、被災地や地域、発展途上国などの課題を知って「しあわせ」について

考えることができるブース出展等のイベントである。

5)今後の展開 ~文献調査と現地調査~

今回、文献調査では、大学図書館、関連学会、国際協力機構(JICA)等の専門機関より

貴重な資料を得られた。主な例は、損益分岐点の意味とは違うが、1万円の利益の「よろこび」

より1万円の損失の「かなしみ」は2.5倍に感じるとの調査分析(表)がある。現地調査で

は、熊本県、荒川区役所(図1)(図2)のヒアリング調査により、なまの声をうかがい同様

に貴重な情報を得られた。また、テーマの取り組みにおいて、JICA専門家という自分の立

場から、ブータン国立研究所のカルマ・ウラ所長に取材できたことや研究者等の多くの知人を

得られたネットワークづくりこそが自分にとっての「しあわせ(幸福)」の実感である(図3)。

今後、継続的にテーマに取り組むなかで、ツールを開発「幸福度のスケール(ものさし)」

し、システム化された研究の成果をもって、国内では国際井上円了学会や関連学会での発表、

海外ではカルマ・ウラ所長との約束によるブータン国立研究所へ提案等が今後の研究である。

また、昨年第1回として開催された『HAPPY DAY TOKYO 2013』は、今年も3月20日に『HAPPY

DAY TOKYO 2014』として継続開催する。今年は、自らのしあわせや人の幸せを考える日と位置

づけ、「未来に向けた希望の日」との願いから自らもイベントに参加する予定である。

図1 荒川区役所前景 図2 荒川区役所玄関受付

85 平成23年度内閣府経済社会総合研究所委託調査

79

表 利益と損失の相関関係

図3 筆者とカルマ・ウラ所長

参考文献

1) 加藤周一『世界大百科事典 第 2版』(2006)平凡社

2) Richard Layard Happiness 2005 p63

3) ハーバード・ビジネス・レビュー(2012)5月号:幸福の戦略

4) 持続可能性指標と幸福度指標の関係性に関する研究報告書(2012)京都大学

5) HAPPY DAY TOKYO 2013 http://happyday-project.org/event/