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2007 Indus Project 2007: Research on the Indus CivilizationinIndia and Pakistan Researcher, Research Institute for Humanity and Nature ... J

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Page 1: Indus Project 2007southasia.world.coocan.jp/Uesugi_2008d.pdf第1 5回西アジア発掘調査報告会 インダス・プロジェクト 2007 ーインド・パキスタンにお!?るインダス文明遺跡の調査一

第 1 5 回西アジア発掘調査報告会

インダス・プロジェクト 2007

ーインド・パキスタンにお!?るインダス文明遺跡の調査一Indus Project 2007:

Research on the Indus Civilization in India and Pakistan

上杉彰紀 総合地球環境学研究所研究員Researcher, Research Institute for Humanity and Nature

司、

... J

ている(図 1 ) 。 また、古環境関連分野で

は環境変動に関するデータを得るために湖

沼でのボーリング調査の準備やインダス文

明当時の河川流路を復元するための現地調

査を行っている。 生業関係分野では栽培植

物の起源に関する調査を進めている。

これらの諸分野の調査成果を総合するこ

とによって、インダス文明の成立から衰退

にいたる人類社会が歩んだ道程と自然環境

の変動を相関させて理解する乙とが最大の

目的である。

なお、 今回は上杉が代表して発表するか

たちとなったが、考古学分野で本プロジ、エ

クトにおける日本人の調査参加メンバーを

挙げておく 。

宇野隆夫(国際日本文化研究センター)

寺村裕史(総合地球環境学研究所)

小磯 学 (神戸夙川学院大学)

宮原健吾(京都市埋蔵文化財研究所)

近藤康久(東京大学大学院)

遠藤仁(静岡市文化財課)

小茄子川歩(東海大学大学院)

総合地球環境研究所では、 「環境変化と

インダス文明」と題したプロジェクト(以

下、 「インダス・プロジェクト 」 、プロ

ジ、ェク ト・リーダー 長田俊樹)を実施し

ている。 2004年度からプロジ、ェクトを立ち

上げるための準備を開始し、 2007年度より

本研究として調査 ・ 研究を進めている。

このプロジェクトは、環境変化とインダ

ス文明社会の関係を明らかにするという目

的在中心に据え、考古学、 言語学、インド

学、 地質学、植物学、人類学などさまざま

な分野の研究者にプロジ、ェク トへの参加を

要請し、 学際的な研究を推進している。

プロ ジ、ェク ト は 5 ヶ年計画で、インドお

よびパキスタンの研究者と共同で発掘調査

を実施するとともに、発掘調査の成果と連

動するかたちで諸分野の現地調査を進める

予定である。 すでにインドではグジャラー

ト州カッチ地方に所在するカーンメール遺

跡、ハリアーナー州に所在するファルマー

ナー遺跡、ギ、ラーワル遺跡、ミタータル遺

跡で、発掘調査を行っている。 加えて、パキ

スタン ・ パンジャーブ州に所在するガン

ウェリワーラー遺跡でも発掘調査を予定し

フ。ロジ‘エクトの概要

インダス・

プロジェクト

2007

インド・

パキスタンにおけるインダス文明遺跡の調査|

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... 上杉彰紀

図 1 インダス文明期の遺跡および調査対象遺跡分布図

容易に接続する状況にあり、インダス文明

当時の前 3千年紀後半には海洋交易の拠点

となっていた可能性も考えられる地域であ

る 。 1990年代に発掘されて話題となった

ド、ーラーヴ、イ ーラー遺跡もこのカッチ湿原

に面する都市遺跡である。

カーンメール遺跡はドーラーヴィーラー

遺跡の南東約80kmのところに位置する(23 °

25 ’04”N, 70 ° 5 1 ’49 ” E ) 。 カッチ湿原東半部

2 ク.ジャラート地方の調査

まず、グ、ジ、ャラート州カ ッチ地方に所在

するカーンメール遺跡の調査成果について

概観する。

グジャラート地方はアラビア海に面す

る地域で、その中央部にはカッチ湿原

(Rann of Kachchh)が広がっている。 海水

面の変動によりカッチ湿原とアラビア海は

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第 15 回西アジア発掘調査報告会

呈甲山

全力一ンメール遺跡図 3...

周壁北西隅図 4

ての時期(前 3千年紀後半~前 2千年紀初

頭)のものと推定され、遺跡全体の規模は

小さいながらも堅固な周壁をめぐらせてい

る点はこの遺跡がカッチ地方の拠点の一つ

であった可能性老示唆している。

また、マウンド頂部での試掘トレンチに

おいて自然堆積層までの文化層序が確認さ

れているが、 最下層ではハラッパ一式土器

とは明確に異なる土器群が出土しており、

遺跡にハラッパ一文化の要素が出現する以

前の様相を呈している。 これを I 期とする。

ハラッパ一文化期の文化層( II 期)は 2

時期に大別され、前半期はいわゆるソーラ

ト ・ ハラッパ一式土器を主体として典型ハ

ラ ッパ一式彩文土器の破片がごくわずか

に伴う 。 後半期には黒縁赤色土器(Black­

and-Red ware)や砂粒混土器(Gr i tty

のリ トル・ラン(Little Rann)に面してい

る。 遺跡は1985年度のシーズンに発見され

ていたが、発掘調査が実施されるのは本プ

ロジ、ェク ト がはじめてである。 発掘調査は

2005年度に開始し、すでに 2 ヶ年にわたる

発掘調査が行われている。 発掘調査を担当

するのは、ラージャスターン ・ ヴィディア

ビート大学の准教授 J . s . カラクワール

(Kharakwal)で、日本隊は遺跡の空間情

報の記録および出土遺物の整理を担当して

いる。

2005 ・ 2006年度にはマウンドの縁辺部を

中心に発掘調査が行われており、その結

果、石積みの周壁がマウンドを囲遺してい

ることが確認された(図 2~ 4 ) 。 周壁は

3段階に及んで構築されており、第 2段階

の周壁の規模は南北約llOm、東西約114m

で、幅は最大lSmにも及ぶ可能性がある。

周壁の使用石材は遺跡周辺に露頭する砂

岩 ・ 石灰岩で、石材は大きなもので 2 × 1

mを測り、石材の切り出しから運搬、積み

上げLこいたるまでの技術体系の復元が必要

である。

出土遺物の検討から、周壁はハラッパ一

文化期から後期ハラッパ一文化期にかけ

力一ンメール遺跡の DEM図 2

インダス・

プロジェクト2007

インド・

パキスタンにおけるインダス文明遺跡の調査|

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ware)が加わる。後期ハラッパ一文化期

(皿期)にはこうした在地系の土器が主体

となる。 この時期以降には遺跡は廃絶し、

初期歴史時代になって再度利用されるよう

になる。 初期歴史時代に周壁が修復 ・利用

された状況はない。

出土遺物には凍石(steatite)、紅玉髄

(carnelian)、璃瑠(agate)を用いたビー

ズのほか、インダス式印章を押捺した粘土

塊、チャート製おもり、貝製腕輪、石刃製

収穫具などが出土している。 凍石に関して

は原産地が不明であるが、紅玉髄は東方約

230kmにあるキャンベイ湾近郊に一大産地

があり、また璃瑠は在地で産出することが

知られている。 紅玉髄製ビーズの中には未

成品も含まれるとともに、穿孔に用いた石

製 ドリルも出土しており、 遺跡でのビーズ

生産を示唆している。 また、貝製腕輪は南

のサウラーシュ トラ半島周辺の海岸地帯で

採取される巻貝を利用したものであるが、

同様に未成品や残淳が出土しており、遺跡

で加工されていた可能性が高い。

2007年度にはマウンド中央部での発掘調

査が予定されており、遺跡の機能を特定し

うる調査成果が期待される。

3 パンジャーブ平原東部の調査

パキスタン ・インドにまたがるパン

ジャーブ平原の東半部には、ガッガル ・

ハークラ一川とその支流が北東のヒマーラ

ヤ山脈から南西のシン ド、地方に向かつて涜

下している。 このガッガル ・ ハークラ一日|

流域は次節で述べるチョーリスターン地方

も含めて遺跡分布の桐密地域である。 先ハ

ラッパ一文化期からハラッパ一文化期、そ

して文明衰退後の後期ハラッパ一文化期、

さらには初期歴史時代にいたるまで多くの

遺跡が分布する。

ガッガル ・ ハークラ一川流域のうちイ

ンド領内においては、その西半部にあた

るラージャスターン州北部にカーリーバン

ガン遺跡が知られ、東半部のハリアーナー

州域で、もバナーワリー遺跡やラーキー・ガ

リー遺跡などの拠点遺跡が確認されてい

る 。 文明社会の東縁部を構成するととも

に、インダス文明以後の時代にも地域社会

が展開していく点で重要な地域である。

この地域の文化編年の確立とハラッパ一

文化期の地域社会の様相を明らかにするべ

く、ハリアーナー州ローフタク近郊での調

査を実施 している 。 発掘調査の対象と し

たのはファルマーナー遺跡、ギラーワル

遺跡、 ミ タータル遺跡である。 そのうちギ

ラーワル遺跡の発掘調査は2007年 4 月に終

了 し、現在発掘調査報告書を作成中であ

る。 ファルマーナー遺跡を調査の中心に据

え、先ハラッパ一文化期から後期ハラッ

ノ号一文化期にかけての文化層序が確認され

ているミタータル遺跡においてトレンチ調

査等の補足調査を実施するこ とによって、

上記の目的を達成できるよう調査計画を策

定している。 発掘調査を担当するのはデカ

ン大学教授ヴァサン ト・ シンデー (Vasant

Shinde)である。

ギラーワル遺跡(28 。 58 '41 ”N, 76 。28 ’48 ”

E)は道路建設のためにすでに削平が著し

く進行しており、 発掘調査前の段階におい

てすでに地表面に遺構が露呈しているとい

う状態であった。 土地の所有者が農地とし

て利用したいとの意向をもっていることか

ら、協議の上で記録保存を目的と した緊急

発掘調査を実施した。 遺物の散布にもとづ

いて推定される遺跡の面積は 8 ヘクタール

で、道路の南北に及んで遺構が地表面に露

呈している。

発掘調査の結果、竪穴住居の可能性をも

... 上杉

彰紀

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第 15 回西アジア発!屈調査報告会

... ファルマーナ一遺跡出土凍石製印章

物が良好に遺存していることが発掘調査の

結果明らかとなっている。 低位部では竪穴

住居に推定される大形土坑が検出されてお

り、高所部の日干煉瓦積建物に先行する時

期の遺構と考えられる。

出土遺物には凍石製印章および印章押捺

粘土塊のほか、凍石・紅玉髄製ビーズ、

チャート素材の石刃製収穫具、磨敵石、 コ

ブウシ形土偶などが出土している。

このファルマーナー遺跡では2007年度も

調査を継続する予定である。

最後にミタータル遺跡である(28。53 ’ 3 0 ”

N, 76。 10 ’ 12”E) 。 この遺跡は1968年にトレ

ンチ調査が行われ(Sur句 Bhan 1975)、パ

ンジ、ヤーブ平原東部の主要遺跡となってい

る。 遺跡は約24ヘクタールのマウンドを形

成している。 2007年度は南マウンドの最高

所においてトレンチを設定して発掘調査を

実施したが、 窯跡および貯蔵施設が検出さ

れたととから、そこで調査を中止した。

インドのパンジャーブ、ハリアーナ一、

ラージャスターン州域は、グ、ジ、ャラート州

域に並んでインダス文明遺跡の分布和j密地

帯として知られる地域である。 しかしな

がら、これまでに発掘調査の成果が公表

された遺跡はきわめて限られており、パン

ジャーブ地方西部やシン ド地方との関係が

明確にできない状況にある。 ギ、ラーワル遺

図6土器焼成窯

つ大形土坑や廃棄土坑、貯蔵用土坑、土器

焼成窯などが検出されている。 発掘調査面

積は6somであるが、遺構は網密に分布 し

ており、一定期聞に及んで利用された結果

の遺構分布と考えられる。

出土遺物は大量の土器と、 若干の銅器、

石器、骨器が出土している。 出土土器には

ハラッパ一式土器は含まれず、チョーリ

スターン地方のハークラ一式土器やパン

ジャーブ地方西部の北方型コート・ ディ

ジ一式土器に類似するものが出土している

ことから、前 4千年紀後半から前 3千年紀

前葉(宇刀期ハラッパ一文化段階)に位置づ

けられる。 ただし、主体となるのは在地系

土器と考えられる黒色帯土器群である 。

壷 ・ 鉢類から構成され、技法的には器表面

のミガキ調整を特徴とする。 との種の黒色

帯土器はパンジ、ヤーブ地方東部に広く分布

するが、先ハラッパー文化期からハラッ

パ一文化期を経て後期ハラッパ一文化期に

まで続く在地の土器伝統である。

ファルマーナー遺跡はギラーワル遺跡の

北西18kmのところにある遺跡で(29°2 ’ 23 ”

N, 76 ° 18'26”E)、遺物分布による推定遺跡

範囲は18haを測る。 すでに農地として利用

されており、現地表面から lOcm程度で、遺

構が検出される状況である。 比較的高所の

部分で、はハラッパ一文化期の日干煉瓦積建

ギラーワル遺跡図5インダス・プロジェクト2007

インド・パキスタンにおけるインダス文明遺跡の調査|

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跡、ファルマーナー遺跡、ミタータル遺跡

の調査はパンジ、ヤーブ地方東部のなかでも

東半地域における文化編年および地域社会

の展開を考察する上で重要となる。

4 チヨーリスターン地方の調査

パキスタンではパンジャーブ州南部の

チョ ー リスターン地方にあるガンウェリ

ワーラー遺跡において、パンジャーブ大

学教授ファルザンド ・ マシー (Farzan d

Masih)を調査隊長として、 3 ヶ年の調査

を計画している。 ガンウェリワーラー遺跡

はモヘンジョダロ遺跡、ハラッパー遺跡

と同程度の面積をもっ遺跡として以前よ

り注目されてきた(Mughal 1997 ) 。 ハー

クラ一川流域に位置するとともに、北の

ハラッパー遺跡から約270km、南のモヘン

ジョダロ遺跡から約330kmの位置にあり、

インダス文明社会のネットワークを検討す

る上で鍵となる遺跡である。

2007年4月にマシーとウィスコンシン大

学の J.M. ケノイヤー (Kenoyer)を中心

として遺跡の測量調査を実施した。 その結

果、遺跡は東西 2 つのマウンドから構成さ

れ、モヘンジョダロ遺跡、ハラッパー遺跡

同様に、東マウンドが高く、西マウンドが

低いという特徴を有している。いわゆる城

塞と市街地からなる可能性が高い。

2007年 12月から2008年 1 月にかけて発掘

調査を実施する予定であったが、 パキスタ

ン国内の政治情勢の混乱のため、発掘調査

を延期することとした。 次年度以降に調査

の可能性を模索する予定である。

5 インダス文明の構造的理解に向けて

インダス文明研究は関連遺跡がインドと

パキスタンにまたがって分布していること

から、両国の研究者のみならず、外国人研

究者にとっても、両国で蓄積される資料を

統合的に理解することが困難な状況にあっ

た。 また、インダス文明社会には数多くの

地域社会・文化が包摂されることから、そ

れぞれの地域社会 ・ 文化を正しく位置づけ

て全体像を理解することも決して容易では

なかった。 その結果、インダス文明社会の

歴史的理解に諸説が提示される状況が生み

出されている。

インダス文明社会はさまざまな地域社

会 ・ 文化を包摂するとともに、西南アジア

世界と広く交流ネッ ト ワークを発達させる

ことによって展開した社会である。 文明期

においても地域ごとの多様性はかつて考え

られていた以上に大きい可能性が高い。 そ

うした多様性をもった地域社会 ・ 文化がい

かなる過程在経て一つの文明社会のシステ

ムに統合され、そして再び解体 ・ 分散して

いくこととなったのか。 前 3千年紀の西南

アジア文明世界を理解する上でも重要な研

究対象である。

この目的の上において、地域間交流と

交通路の発達の解明が第一ステップとな

ろう 。 パローチスターン高原からインダス

平原においては前4千年紀後半以降に地域

社会の形成と地域間交流の活発化が進行す

るが、交流システムの様態は決して一様で

はなく、交流の核となる地域や拠点、交流

関係の強弱、交流関係の物質的側面への発

現などの諸点でさまざまな変化が認められ

る。 こうした先ハラッパ一文化期から続く

交流システムの変転がインダス文明社会の

成立にどのように影響を及ぼしたのか、ま

たインダス文明社会の交涜システムの変化

(拡大、縮小、中心地の移転など)が文明

社会の歴史的展開にどのように作用したの

か。 さまざまな研究課題が浮上するが、ガ

.. 上杉彰紀

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138 』 第 15 目白アジア発l屈調査報告会

.. ,

ンウェ リワーラー遺跡は先ハラッ ,F ~-文化

期より南北の交流軸のーっとして機能した

可能性が高いガッガ、ル・ハークラー川流域

に形成された遺跡であり、ハラッパー遺跡

とモヘンジ、ョダロ遺跡というインダス文明社

会の拠点の中聞に位置している点で、交流シ

ステムの発達を検討する上で重要である。

グジャラート地方は初期ハラッパ一段

階にインダス川流域との交流システムの

中に組み込まれていくことになるが、イン

ダス文明期には紅玉髄や海産性巻員の素材

供給地として重要な役割を果たすようにな

る。 そこで注目されるのは在地の文化集団

とハラ ッパ一文化系集団の共住という現象

である。 すなわち、先ハラッパ一文化期の

在地文化の流れを汲む集団(複数系統があ

る)、ハラッパ一文化に帰属するかまたは

その影響を受けた集団、さらには北のアラ

ヴ、アリ山脈を中心に展開したバナース文化

集団がインダス文明期のグ、ジ、ヤラート地域

に関係的に共存する現象である。 交流シス

テムの拡大と多様な文化集団の参画、その

結果もたらされる交流システムの変容とい

う現象がグジャラート地方のインダス文明

期の特質となっており、カーンメール遺跡

の調査において重要な課題である。

一方、パンジャーブ平原東部はよりハ

ラッパ一文化の影響が強く及んだ地域であ

るが、その一方で黒色帯土器に代表される

在地系土器の伝統が文明期から後期ハラ ッ

パー文化期へと展開していく ことになる。

との地域は前4千年紀後半にはパンジャー

ブ地方西部との交流関係を発達させ、それ

以降、インダス文明社会の交、流システムの

東縁部に位置づけられていく 。 しかし 、

インダス文明後半期から後期ハラッパ一文

化期には交流システムの核へと転じて重要

インダス・

プロジェクト2007

インド

パキスタンにおけ

インダス文明巡跡の調査l

性を増大させ、前 2千年紀後半以降のガン

ガ、一平原の開発へと展開する ことになる。

パンジ、ヤーブ平原の東端部に位置するギ

ラーワル遺跡、ファルマーナー遺跡、ミ

タータル遺跡の調査は、 この地域の文化編

年の構築に寄与するだけでなく、先ハラッ

パ一文化期における地域社会の成立から 、

ハラッパー文化との接触、さらにインダス

文明後半期以降の核地域への変容という問

題を明らかLこする上で多くの情報を提供す

る ことになろう 。

これら各遺跡の調査成果を統合的に分析

し、インダス文明社会の歴史的展開を復元

するとともに、各地の多様な自然環境と文

明社会の関係を考察することが本プロジェ

クトの課題である。

なお、本発表にあたって、プロジェクト

リーダーである長田俊樹氏、インドで発掘

調査を指揮するヴァサント・ シンデ一、

J. s. カ ラクワール両氏より格別のご高

配、ご教示を賜った。 記して深謝申し上げ

ます。

参考文献

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