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Takushoku Language Studies . No. ISSN 1348 8384

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Takushoku Language Studies����. �No.���

ISSN 1348�8384

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拓殖大学 語学研究2007年 9月

第 115号

目 次

�論 説〉

直接法による指示詞

「これ, それ, あれ」 の導入と展開 石川 守 ( 1 )

A Cross-Sectional Critical Review

of EFL/ESL Readings David A. Prucha ( 27 )

中国法令における日本語訳の変化 関口 美幸 ( 45 )

�資 料〉

大方 高典 ( 73 )

�紹 介〉

第 49回国際アルタイ学者会議 (PIAC) に

出席して 松本 幹男 ( 83 )

…………………

………………………

………………………

……………

……………………………………………………

Takushoku Language Studies

No. 115

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Contents

�Articles〉

On Introductions and Practices of Demonstrative

Pronouns “KORE SORE ARE” Mamoru ISHIKAWA ( 1 )

A Cross-Sectional Critical Review

of EFL/ESL Readings PRUCHA, David A. ( 27 )

Change of Japanese Translation

in Chinese Law Documents Miyuki SEKIGUCHI ( 45 )

�Material〉

The Last Two Years

in Takushoku University Kohten OHKATA ( 73 )

�Introduction〉

49th P. I. A. C. Mikio MATSUMOTO ( 83 )

……………

…………………………

…………………

………………………

……………………………………

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�論 説〉

直接法による指示詞

「これ, それ, あれ」 の導入と展開

石 川 守

は じ め に

日本語教育は, そのほとんどが広い意味での直接法(1) で行われている。

その理由の一つとして学習者の母語や理解言語が異なっており, 教授上使

用できる日本語以外の言語がないためである。 したがって, 日本語のクラ

スで日本語を使って日本語を教えていくというのは, 国内における日本語

のクラスでは不可欠(2) なこととなっている。

この直接法で授業を行っていく場合, 念頭に置いておかなければならな

いことは, 授業を展開していく上で, 教える対象となる目標言語と教える

手段である教授言語 (メタ言語)(3) の二種類があるということである。 日

本における英語教育の場合には, 目標言語は英語であり, 教授言語は日本

語ということになる。 しかし, 日本語教育においては, 目標言語も教授言

語も同じ日本語ということになる。 ここに重大な問題が発生する。 それは,

初めての学習者にとって目標言語もそれを教えるための教授言語も全く未

知なるものであるということである。

この目標言語も教授言語も未知なるものであるということは, 授業を展

開する上で単に目標言語である日本語ばかりではなく, 教授手段として必

― 1―

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要な日本語も同時に教えていかなければならないということになる。 しか

も, 教科書は一般的に目標言語を中心に編纂されており, 必ずしも教授用

の言語としての日本語まで考慮しながら作られているわけではない。 した

がって, 教授者は目標言語の導入と展開を考えながら, それに必要な教授

言語を同時に導入, 展開していかなければならない。

この教授言語のシラバスの中で最も重要なものの一つとして指示詞 「こ

れ, それ, あれ」 があげられる。 これは, 実際の教授活動を見ていると,

初級から上級まで, もっとも使用頻度が高いものの一つとしてあげられよ

う。 本稿では, この指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開について論

じていくことにする。

Ⅰ. 指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入の順序

日本語の教科書の多くは, かなり早い段階で指示詞 「これ, それ, あれ」

を導入するが, 欧米系の教科書の中には 「動詞」 がもっとも基本的なもの

であり, 興味を引くものであるとの観点から動詞から始まるものもある。

しかし, これは翻訳法という教授法を前提としたもので, 仮にこれを相互

作用型の直接法(4) で行うとなると, 次のようになってしまう。

まず動詞の導入であるが, 「食べます」 「飲みます」 などの具体的な動作

にかかわる動詞は直接法で導入する場合, 最も容易なものの一つである。

食べるジェスチャーや, 飲むジェスチャーなどをすれば, ほぼ間違いなく

導入できる。 しかし, 単にその単語や表現の意味をわからせるだけではな

く, その表現や語彙を使った相互作用型の練習や展開となると, 次のよう

にぎこちない展開になってしまう。

教師:「食べます, 食べます, 食べます」 (教師自ら動作しながら)

(しかし, 「食べます」 という言葉がわかっただけでは, 相互作用型の展

― 2―

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開ができない。 つまり何を食べるかを問いかけ, その答えを引き出すこと

が重要であるのだが, 指示詞 「こ」 「そ」 「あ」 が使えない場合は, 次のよ

うになってしまう。)

教師:「リンゴ, リンゴ, リンゴ」 (単語の導入のためにリンゴの絵を見

せながら)

教師:「(あなたは) リンゴを 食べますか。」

学生:「はい。」

教師:「ミカン, ミカン, ミカン」 (ミカンの絵を見せながら)

教師:「(あなたは) ミカンを 食べますか。」

学生:「はい。」

しかし, ここで教授用の文型 「これは~です」 と同時に教授用の表現

「(~さんに) きいてください (質問してください)」 や 「知りません」 が

既に導入されていれば, 次のような展開となる。

教師:「キムさん, これはなんですか。」 (リンゴの絵を見せて)

学生:「知りません。」

教師:「では, アリさんに, きいてください。」

学生:「アリさん, それなんですか。」

学生:「知りません。」

教師:「では, アリさん, わたしに きいてください。」 (教師自らを指

し)

学生:「先生, それは何ですか。」

教師:「これはリンゴです。」

教師:「アリさん, あなたは リンゴを 食べますか。」

学生:「はい。」

教師:「これはなんですか。」 (ミカンの絵を見せて)

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 3―

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学生:「知りません。」

教師:「サラさんに, きいてください。」

学生:「サラさん, それなんですか。」

学生:「知りません。」

教師:「では, サラさん, わたしに きいてください。」 (教師自らを指し)

学生:「先生, それなんですか。」

教師:「これはミカンです。」

教師:「サラさん, あなたは ミカンを 食べますか。」

学生:「はい。」

このように, 教授用の表現が入っていれば, 「りんご, りんご, りんご」

などと連呼する必要はなくなる。 リンゴの絵を指し 「これはりんごです」

と言い, 「あなたはリンゴを食べますか?」 と展開すれば, 相互作用型の

自然な展開が可能になる。

また, 現在は昔と違ってひらがななどの文字もかなりはやくから導入さ

れるが, これもやはり 「これ, それ, あれ」 という表現が入っていないと,

次のような展開となってしまう。

教師:「ひらがな, ひらがな, ひらがな」 (「あ」 「い」 「う」 などの文字

を指さしながら)

教師:「あ, あ, あ」 (文字 「あ」 指さしながら)

教師:「あ」 (文字 「あ」 を指し, 読むように何らかの仕草で促す)

学生:「あ」

教師:「い, い, い」 (文字 「い」 指さしながら)

教師:「い」 (文字 「い」 を指し, 読むように何らかの仕草で促す)

学生:「い」

― 4―

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しかし, 先のように 「これ, それ, あれ」 という表現が入っていれば,

次のような展開となる。

教師:「みなさん, これはなんですか。」 (「あ」 「い」 「う」 などの文字を

指さしながら)

学生:「知りません。 先生それは何ですか。」

教師:「これはひらがなです。」

教師:「これはあです。」 (文字 「あ」 を指して)

教師:「これはいです。」 (文字 「い」 を指して)

ある程度展開したときに, それまでに導入した文字を指さし。

教師:「これはいですか。」

学生:「はい, それはいです。」

教師:「これもいですか。」

学生:「いいえ, それはいではありません。」

教師:「では, これは何ですか。」

学生:「それは, うです。」

また, 具体的なものを使ってひらがなの使い方を教える場合も, 「これ」

「それ」 「あれ」 という表現が入っていなければ, 絵などを見せて, ひらが

なを書き, 教師が読んでみせるだけになってしまう。

このように教室作業でものを指示し, その名称を導入したり, あるいは

提示したりするとき, 「これ, それ, あれ」 のような教授用言語は不可欠

なものとなる。 したがって, このような表現は初級の第 1段階でまず教え

るべき表現であることがわかる。

このような観点から直接法を前提とした日本語教科書は, 「わたしは~

です」 か 「これは~です」 のいずれかで始まっている。 どちらから始める

かは, それぞれ得失がある。 「わたしは~です」 で始まる利点は, 第 1時

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 5―

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間目で, 教師も学習者もお互いに知らないため, 自己紹介を兼ねた形で授

業が開始できるということである。 また, 問題点としては, この 「わたし

は~です」 という文型は導入が難しく, しばしば混乱を引き起こしたり,

学習者に負担をかけたりすることが多い。 その原因としては, 学習者自身

を教材・教具としてしまうため, 心理的な負担を増すためではないかと思

われる。 これに対して, 「これは~です」 は, 学習者自身を教材・教具と

して使用しないため, このような心理的な問題は生じない。 その点で導入

が容易である。 いずれを取るかは, それぞれの長所, 欠点を考慮して行う

必要があろう。 ちなみに, 私の場合は, 30分から 40分で簡単に教授用言

語 「これは~です」 に関する文型や表現を導入し簡単な練習の後, 「わた

しは~です」 の導入に移るようにしている。

Ⅱ. 指示詞 「これ, それ, あれ」 の用法

新たな文型や表現, 語を導入する場合, まずその用法を分析する必要が

ある。 指示詞 「これ, それ, あれ」 の場合, その用法は大きく 「現場指示」

と 「文脈指示」(5) の二つに分かれる。 「現場指示」 は話者が直接その場か

ら指すことができるものであり, 「文脈指示」 は話の中で指示する場合で

ある。 文脈指示は, ある程度の会話ができなければ生じない。 したがって,

初級では, 現場指示から始めることになる。

現場指示の用法は, 大きく分けて次の三つがある。

1. 単独型用法

2. 対立型用法

3. 融合型用法

1. の 「単独型用法」 は話者のみで聞き手がいない場合である。 2. の 「対

立型用法」 は話者と聞き手が対峙しているような場合である。 3. の 「融合

型用法」 は話し手と聞き手が接近し, 融合しているような場合である。

― 6―

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1.の 「単独型用法」 は, 旧来の 「近称, 中称, 遠称」 に適合する。 図示

すれば, 話者を中心とした同心円となる。 ここでは 「日本語指示詞 「これ」

「それ」 「あれ」 のダイクシス的用法に関する調査」 (石川 1992) において

実測したものを図 1に提示する。

なお, この同心円の直径は, 一定しておらず, 実験の結果, 対象物の大

きさと周辺空間の広さに比例して拡大することがわかった。

2.の 「対立型用法」 は, 話者と聞き手が向き合って対話しているような

状況である。

従来の説で最も有名なものは図 2の佐久間鼎のものである。

しかし, 実際に計測した結果, 次の図 3のように, この図 2とは異なる

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 7―

図 1

出所:石川 1992, p. 4

ア ソ コ

S=話し手

1 m

S

図 2

出所:佐久間 1983, p. 35

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結果を得た。 つまり, 「これ」 は話者を中心とした円であり, その外側に

話者を中心とした円と聞き手を中心とした円を結んだ 「それ」 の領域が出

現する。 更にその外側に 「あれ」 の領域が広がっている。 この関係は話者

と聞き手の距離がどんなに離れていても, 現場指示が可能な場合は変わら

ない。

なお, この図の境界も対象物と周囲の空間の広さに比例することが計測

の結果明らかになった。

3. の 「融合型用法」 も次のようなものと考えられてきた。 つまり, 話

し手と聞き手が接近している場合は, 「こ」 の領域は両者に共通のものと

なり, その外側に 「そ」 の領域, 更に, その外側に 「あ」 の領域があると

いうことである (図 4)。

― 8―

図 3

出所:石川 1992, p. 15

10 m

H S

そ こ

図 4

H S

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しかし, 計測の結果では, 指示対象が文房具や鞄などの小物の場合は,

図 5のようになることがわかった。

この図 5からわかることは, 「融合型用法」 で指示対象物が小さいとき

には, 「こ」 の領域は話し手のみで, 聞き手は 「そ」 の領域に属すという

ことである。

更に話し手の 「こ」 の領域は, 自然な円を描くわけではなく, 聞き手の

体を超えることはない。 そのため, 話し手と聞き手が接近すればするほど,

聞き手の体の部分が, 図のように話し手の 「こ」 の領域に食い込んでいく

ことになる。

この話し手と聞き手の 「こ」 の領域を合わせると図 6のようになる。

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 9―

図 5

出所:石川 1992, p. 22

1 m

前H

S

H

S

図 6

出所:石川 1992, p. 26

1 m

S

S

S

S

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この図 6からわかることは, 「融合型用法」 の場合は話し手と聞き手の

間に両者から共通に 「こ」 で指示される場所が出現するということである。

それが上に示した図 6の斜線部分である。

ただ, 対象物が小さい物の場合は, 以上のようになるが, 建物や山等の

ように大きな物になると, 話し手と聞き手の両者を含んだ 「こ」 の領域が

出現する。 ただ, この事実は調査から確認はしているが, どのぐらいの大

きさの物になると話し手と聞き手の両者を含んだ 「こ」 の領域が出現する

のかは, まだ調べていない (図 7, 図 8)。

Ⅲ. 指示詞 「これ, それ, あれ」 の用法イラスト

以上のように指示詞 「これ, それ, あれ」 の 1. 単独型用法, 2. 対立型

用法, 3. 融合型用法の実測結果について述べたが, これを教授用にイラ

スト化したものが次ページの図 9~13である。

― 10―

図 7

あ ア

図 8

そ ソこ コ

こそ

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Ⅳ. 指示詞 「これ, それ」 の導入と展開

現場指示における指示詞の用法は, 先に述べたように基本的に 「単独型

用法」 「対立型用法」 「融合型用法」 の三種があるが, 問答法による相互作

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 11―

図 9 図 10

単独型用法 対立型用法

図 11

融合型 1 (対象物小)

図 12 建物 図 13 山

融合型 2 (対象物大)

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用型の直接法においては, 導入後の展開を考え, 「対立型用法」 から始ま

る。 「対立型用法」 で始まる理由は, 相互作用型の直接法が 「対話」 を基

礎とするからである。

まず指示する対象物の名称の導入から始まる。 具体的にいえば, 「鉛筆」

「ボールペン」 「シャープペンシル」, あるいは 「本」 「ノート」 「雑誌」 「新

聞」 などである。 いくつかの単語の導入が終わった後で, 次に指示する動

作, すなわち指さしを行う。 これは同種の対象物を, 位置を変えて配置し,

まず近いものを指さし 「これ」 と言い, 続いて相手 (学習者) の近くに置

いたものを指し 「それ」 と言う。 更にこの導入された 「これ」 「それ」 と

指示物とを結びつける。 まず, 自分の近くに配置したものを指さし, 「こ

れは鉛筆です」 「これはボールペンです」 「これはシャープペンシルです」

と言う。 更に相手の近くに配置したものを指し 「それは鉛筆です」 「それ

はボールペンです」 「それはシャープペンシルです」 と言う。

こうした手順が有効であるかどうかは, 全てを記号化し被験者に対して

導入, 展開が可能かどうかによって確認することができる。 すなわち 「鉛

筆」 「ボールペン」 「シャープペンシル」 をそれぞれ 「A」 「B」 「C」 とし,

「これ」 「それ」 を 「X」 「Y」 として導入と展開をおこなってみることで

ある。 まず 「鉛筆」 「ボールペン」 「シャープペンシル」 などをそれぞれ

「A」 「B」 「C」 と言って導入する。 次に指示する動作, すなわち指さしを

行う。 これは同種の対象物を, 位置を変えて配置し, まず 「X」 と近いも

のを指さし, 続いて相手 (学習者) の近くに置いたものを 「Y」 と指す。

次に自分の近くに配置したものを指さし, 「X A」 「X B」 「X C」 と言う。

更に相手の近くに配置したものを 「Y A」 「Y B」 「Z C」 と言い被験者に

その意味を確認してみることである。

次に疑問の形 「S+か」 の導入に移る。 疑問の形 「S+か」 の導入は 「?」

と書かれたカードを使う。 鉛筆を指し, 「これは鉛筆ですか」 と言いなが

らカードを提示し, 更に首を上下に振りながら, 「はい, これは鉛筆です」

― 12―

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と言う。 同じことを物や指示物の位置を変えながら, 自問自答の形で繰り

返す。 この後, 学習者全員に 「これは Xですか?」 と問い, 学習者から

「はい, それは Xです」 という答えを引き出す。 もちろんこの Xには導

入した語彙を使う。 これを数回繰り返したのち, 反応のよい者からこの問

答を繰り返す。

次にボールペンなどを選んで, 「これは鉛筆ですか?」 と問う。 続いて

ジェスチャーを交えて, 「いいえ, これは鉛筆ではありません」 と自答す

る。 これをいくつかの物を選んで, 自問自答の形で繰り返す。 続けて先と

同様に学習者に問いかけ, 否定形の答えを引き出す。 更に慣れた段階で,

答えが否定→否定→否定→肯定となるよう授業を展開していく。 この過程

で重要なことは形式的な反応ではなく, 学習者自身が質問の内容をよく考

え, 自分で答えるべき内容を選択し, それに応じた文を構成して答えるこ

とである。

自在に答えられるようになった段階で疑問詞 「何 (なに)」 の導入へと

移っていく。 「何」 の導入は, ある不明の物を指し 「これは Xですか」

「いいえ, それは Xではありません」, 「これは Yですか」 「いいえ, Yで

はありません」 といった一連の問答を繰り返し, その最後に 「?」 のカー

ドなどを示しながら, 首をかしげ 「これは何ですか」 と自問する。 更にい

くつかの異なる物を指しながら, それぞれ 「これは何ですか」 「これは X

です」, 「これは何ですか」 「これは Yです」, 「これは何ですか」 「これは Z

です」 と自問自答し, 「何ですか」 の導入を行う。 この導入後, 既知の物

に関してこの問答を学習者に対して行っていく。

この問答が自在にできるようになったら, 次に 「知りません」 という表

現の導入を行っていく。 まだ導入していない物を指し, 「これは何ですか」

と学習者に問いかける。 このとき学習者は 「知りません」 という日本語の

表現はまだ知らないが, 頭の中には 「知りません」 といった概念が生じて

いるはずである。 そこで, 知らないという身振りをしながら, 「知りませ

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 13―

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ん」 という表現を導入する。 更にまだ導入していない物を次々に指し 「こ

れは何ですか」 と質問し, 「知りません」 という表現を引き出す。 学習者

に余力があるようなら知っている物を指し, 「知りませんか」 と聞き, 「知っ

ています」 を導入する。

表現が定着したところで, まだ導入していない物を指し 「これは何です

か」 ときく。 すると, 「知りません」 という答えが返ってくるはずである。

この時に 「?」 というカードを示しながら, 自分を指し 「では, きいてく

ださい」 という質問を促す表現を導入する。 この 「知りません」 という表

現と 「きいてください」 という表現は, 学習者から質問をするように誘導

するために不可欠な表現である。 学習者に教師の質問に対して答えさせる

ことは簡単であるが, 学習者から質問させようとすると, しばしば不自然

な授業展開になってしまう。 しかし, この 「知りません」 という答えを引

き出し, 「では, きいてください」 と展開することによってより自然な授

業展開が可能になる。 ここまでの導入と展開は約 30分である。

Ⅴ. 日本語指示詞 「これ, それ, あれ」 の認知的導入

指示詞としての 「これ, それ」 の指示機能に関する基本的導入が終わっ

たところで, 「あれ」 の導入とⅢで示した 「これ, それ, あれ」 の用法,

すなわち現場指示の指示領域導入の問題に移る。 導入方法としては 「演繹

的方法」 と 「帰納的方法」 とが考えられる。 「演繹的方法」 は基本ルール

を提示し, そこから個々の事例に至る方法であるが, 「帰納的方法」 は逆

に個々の事例から基本ルールに到達する方法である。 前者は教師中心の説

明型の教授法になる可能性がある。 一方後者は個々の事例からの発見型の

教授法となり, 学習者中心の教授法を構成することが可能となる。 「演繹

的方法」 も 「帰納的方法」 もそれぞれ得失があるが, 学習効果という点で

は 「帰納的な方法」 に軍配があがるかもしれない。 それは, 短期記憶から

― 14―

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長期記憶への移行がより複雑な情報処理, すなわち精緻化 (elabora-

tion)(6) に関わっているとすれば, 発見学習に基づく帰納的な方法の方が

複雑な情報処理過程を経るために, より効果的であると考えられるからで

ある。

ただ, 「帰納的方法」 も全てを学習者に任せるようなことになれば, 膨

大な時間が必要になるかもしれない。 また, 何の発見もなく, 隠されたルー

ルへの到達もないまま終わってしまう可能性すらある。 したがって, 教師

が, 学習者が想定されるルールへ到達できるように教授過程を構成し, 考

えさせながら基本ルールへと誘導する必要がある。

Ⅵ. 「対立型用法」 の導入と展開

このような観点から授業展開を考えると次のような方法が考えられる。

まず, 「これ」 「それ」 の導入と練習に引き続き, 「あれ」 の導入に入る。

話者に近い物を指し 「これ」 と言い, 聞き手に近い物を 「それ」 と言う。

続いて, 話者と聞き手とから離れたところにある物を指し 「あれ」 と言う。

この段階では, 学習者の頭の中には図 14のようなイメージが形成されて

いるはずである。

次に教師は, 学習者に対し 「これは~ですか」 と質問し 「それ」 で答え

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 15―

図 14

これ

それ

あれ

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させ, 「それは~ですか」 と質問し 「これ」 で答えさせる。 更に 「あれ」

に対しては 「あれ」 となることを示す (図 15)。

この段階では学習者には 「これ」 「それ」 「あれ」 は, 図 16のような話

し手から見た 「近称」 「中称」 「遠称」 というある固定化された領域と感じ

られるかもしれない。

これを図 17のような 「対立型」 になるよう導いていかなければならない。

― 16―

図 15

あれ

図 16

こ そ

図 17

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このために教師は 「あれは Aですか」 という質問を学習者にかけ, 「い

いえ, アレ(7) は Aではありません」 という答えを引き出す。 これにより

指示物が 「あ」 ― 「ア」 の関係にあることを認識させる。 次に教師はその

指示物 「あ」 の位置に移動し, 「(これ) は Bですか」 ときく。 ここで学

習者は通常 「アレ」 で答えてくる。 教師はそれを 「アレ」 → 「ソレ」 に修

正する。 ここで, 学習者は今までの自分の理解が間違っていることに気づ

き, 何が違っているのか, いったい日本語の指示詞 「これ」 「それ」 「あれ」

はどのようになっているのかということに意識が向く。 教師はこれをもう

一度繰り返し, 自分の位置が移動したことに気づかせる。 その相手の位置

の違いが重要なポイントになっていることに気づかせるのである。 この関

係で問答を繰り返し, 続ける。

次に図 18のように教師と学習者との距離を離し, 対象物を Aの位置と

Bの位置に指示物を置き, 質問を始める。

まず, Aの位置の指示物に対して 「あれは Aですか」 ときく。 学習者

は, これに対して 「はい, アレは Aです」 のように答えてくる。 続いて

指示物 B に関して質問を行うと, 今までの例では学習者のほとんどが

「アレ」 で答えてくる。 このことを学習者に聞き取り調査をしてみたとこ

ろ, 図 19のように理解していることがわかった。

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 17―

図 18

B

A

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そこで, 次のような教師と学習者の中間に指示物が存在する場合は,

「あ」 ― 「ア」 ではなく, 「そ」 ― 「ソ」 になることを示す。

更に指示物を様々な場所に置きながら, 「こ」 「そ」 「あ」 と 「コ」 「ソ」

「ア」 がどのような関係にあるのかを帰納的に考えさせる。

ある程度の提示が終わった段階で次のような図を示す。

― 18―

図 19

あ ア

そソ コあ ア

図 20

あ ア

そ ソ

あ ア

図 21

そ ソ

あ ア

そ コこ ソ

Page 22: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

これは帰納的学習法と演繹的学習法を組み合わせたものである。 ある程

度の段階までは, 学習者の発見を促す帰納的な学習法で進み, 後に演繹的

に原則を示す学習法へ進むわけである。

次に, 図 22のような教師と学習者から見て遠いところにある対象物に

関して問答を展開する。

この場合, 対象物の指示は 「あ」 ― 「ア」 となる。 次に教師は次の図 23

のように対象物の近くに移動し, 指示詞は 「コ」 「ソ」 「ア」 のいずれにな

るか考えさせる。

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 19―

図 22

こ コ

あ ア

対象物

図 23

こ コ

こ ソ

話者の移動

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この教師の立っている場所の移動によって, 学習者も対象物も移動して

いないにもかかわらず, 教師―学習者の指示詞が 「あ」 ― 「ア」 から 「こ」

― 「ソ」 の関係になることをこの図から理解させる。 更に実際に教室内で

教師が移動することによって様々に指示詞が変わってくることを図式を参

照しながら考えさせ, 学習者に答えさせていく。 この作業によって実際の

指示詞の使い方を学習者に徐々に習得させていくことができる。

このことを理解させるために, 図 22を透明フィルムにし, 聞き手を中

心に図 23のように回転させ, 「あ」 の位置に話し手を持っていくことで実

際の教室での 「あ」 から 「こ」 へ, 「ア」 から 「ソ」 への指示詞の変換が

より具体的なイメージの中で捉えることができるようになる。

Ⅶ. 「融合型用法」 の導入と展開

次に, 「融合型用法」 の導入と展開に入っていく。 「融合型用法」 は, 話

し手と聞き手が接近している場合であるが, 聞き取り調査の結果では一般

的に学習者は次の図 24のように考えるようだ。

すなわち, 接近している場合は両者が同一の 「こ」 の領域にいるという

ことである。

しかし以前の調査結果から, 図 25のようになることがわかっている。

― 20―

図 24

あ ア

こ コ

そ ソ

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この図 25の特徴は, 話し手と聞き手が同じ円の中にいるのではないと

いうことである。 話し手の 「こ」 の領域は, 対象物が小さい物の場合は,

調査の結果, 聞き手の体を越えることはなかった。 したがって, 「こ」 の

領域は話し手と聞き手とを包含するものではなく, 自己の周辺と聞き手の

体の線までの範囲であった。

これを学習者に認知させる場合は, 教師が学習者を自分の隣りに立たせ

て実際に物を置き, 質問をしていくことである。 この場合, 学習者は先に

述べたように自己と相手とを包含した領域を 「こ」 ― 「コ」 の領域と考え

てしまう傾向がある。 そこで, 教師は教師と学習者の間の領域から始める。

この場合, 教師の問いかけ 「これは~ですか」 に対して 「コレは~です」

で答えてくることが多い。 もし, 「ソレは~」 で答えてきた場合は, 「コレ

は~」 と修正する。 次に教師は自分の足の間に物を置いて問いかける。 学

習者はこれに対して 「コレは~」 で答えて来ることが多い。 この場合は,

「ソレは~」 と修正する。 更に対象物を様々に移動させ, 質問を繰り返す。

学習者の疑問が高まった時点で先に示した融合型の図 25を示し, もう一

度その図と対象物の位置とを関連づけながら授業を進めていく。

更に対象物が大きなビルや山などの場合は, 小さな物とは異なり話し手

と聞き手とを包含する 「こ」 ― 「コ」 の領域が出現することを示す。 この

場合, 窓から大きな建物が見える場合はそれを用いて導入を行っていく。

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 21―

図 25

あ ア

こコそ

ソ ソそ

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しかし, そのような物がない場合は以下のような図を使用して導入してい

く。

更にビルよりも大きな山の場合を次のような図で示す。

これによって融合型の場合は, 対象物が小さな物の場合とビルや山のよ

うに大きな物の場合は, その領域が異なってくることを示す。

Ⅷ. 「単独型用法」 の導入と展開

「単独型用法」 は, 次に示す図 28のように話し手を中心とした同心円と

なる。

これは, 実際に物を様々な位置に置きながら, それぞれ 「こ」 「そ」 「あ」

について考えさせ, 最終的に図でその領域を示すことになる。 この場合も

― 22―

図 26

あ ア

こ コそ ソ

図 27

あ ア

こ コ

そ ソ

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対象物の大きさによってそれぞれの直径が違ってくることを具体的に提示

する。 更に, 学習者に対して様々な位置に物を配置して, 問答法によって

答えさせ定着をはかる。

Ⅸ. ま と め

以上のように, 指示詞 「これ」 「それ」 「あれ」 の導入と展開に図を使う

ことにより, 指示領域の関係を捉えさせる方法を提示した。 特に現場指示

は, 具体的な空間内で話し手と聞き手の関係や対象物の大きさで様々に変

化する。 こうした 「これ」 「それ」 「あれ」 の関係をより現実に即した空間

イメージで示すことにより, ビジュアルに捉えることができよう。 これに

話し手が移動することにより, 固定化したイメージで捉えられがちな指示

詞の用法をダイナミックに捉えられるようになる。 また, こうした図を用

い, 話し手が空間内で移動する方法と帰納的方法, 演繹的方法とを組み合

わせた方法を提示した。 この利点は, 具体的な状況の中で展開される問答

法による発見と考えさせる学習法を基礎にしているため, 自然に覚えられ,

しかも実際の場面の中で展開されていくために実用性も高いものと思う。

こうした方法は, やはり空間関係である場所詞にも適用できるものと思

う。 今後はこの場所詞の導入と展開についても研究を進めていきたい。

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 23―

図 28

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《注》

( 1 ) 直接法には, 広い意味での直接法と狭い意味での直接法がある。 広い意味

での直接法とは 「目標言語を目標言語で教える」 というものである。 狭い意

味での直接法とは, 1901 年に現代語教師会議で採用された 「The direct

method」 である。 この両者は厳密に区別されなければならない。 広い意味

での直接法は, ナチュラル・メソッドや, サイエンティフィック, TPR,

ナチュラル・アプローチなど様々な教授法が入る。 伝統的な日本語教育はこ

の広い意味での直接法である。

( 2 ) このような他に共通言語がないというだけではなく, 会話能力を付けさせ

る上で, 最も効果的な教授法として, 相互作用型の直接法があげられる。 こ

のように効果という点からも, 直接法が取られているということを指摘して

おかなければならない。

( 3 ) 言語教育を行っていく場合, 「目標言語」 と, それを教えるための 「教授

用言語」 (狭い意味では説明用のメタ言語) が必要であるが, 直接法の場合,

この両者は学習者にとって未知のものである。 したがって, 目標言語として

の日本語を教えながら, 教授言語としての日本語を同時に教えていかなけれ

ばならないことになる。 「直接法による導入・練習のための教授指導シラバ

ス」 (石川 2005) 参照。

( 4 ) 広い意味での直接法には, 大きく分けて講義型と相互作用型の二つがある。

前者は教師がもっぱら説明するという形で行われる。 後者は教師が学習者に

質問をしながら授業を進めていく形のもので, 伝統的に問答法と呼ばれてい

る。

( 5 ) 「現場指示」, 「文脈指示」 は堀口和吉の用語 (堀口 1978)

( 6 ) 「記憶と導入法および練習法」 (石川 1999, p. 236) 参照。

( 7 ) 話し手からの指示詞をひらがなの 「こ」 「そ」 「あ」 で, 聞き手からのもの

をカタカナ, 「コ」 「ソ」 「ア」 で表すことにする。

参考資料

石川 守 1992 「日本語指示詞 「これ」 「それ」 「あれ」 のダイクシス的用法に

関する調査」 『語学研究 第 68号』 拓殖大学語学研究所

1996 「直接法による導入法 誘導法について 」 『拓殖大学留学

生別科 日本語紀要 第 6号』 拓殖大学留学生別科

1999 「記憶と導入法および練習法」 『語学研究 第 92号』 拓殖大学

語学文化研究所

佐久間鼎 1983 『現代日本語の表現と語法』 くろしお出版

― 24―

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迫田久美子 1998 『中間言語研究 日本語学習者による指示詞コ・ソ・アの

習得 』 渓水社

堀口和吉 1978 「指示語の表現性」 『日本語・日本文化』 8, 大阪外国語大学

(原稿受付 2007年 7月 24日)

直接法による指示詞 「これ, それ, あれ」 の導入と展開 (石川) ― 25―

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�論 説〉

A Cross-Sectional Critical Review

of EFL/ESL Readings

David A. PRUCHA

1. Introduction

Regarding the field of language teaching, I regularly read and

write about current themes in EFL and ESL. While I surely read more

than I write, I expect myself to retain enough of a researcher’s paper

in order to react to it through the lenses of my own teaching predica-

ment. By literally reacting to research, I intend to continually dis-

cover and implement new methods and insights into my teachings,

always with the aim of improving myself as a language instructor

and sharing my ‘discoveries’ with fellow teachers. I believe the most

appropriate format for this endeavor is to write a comparative criti-

cism of a cross-section of EFL/ESL readings with a focus on how they

impact my teaching. Specifically, I have chosen five readings that I

feel are representative of various areas of language teaching which

most teachers will inevitably meet at some point in their careers.

These readings I have chosen are : Listening/Speaking in Second and

Foreign Language Teaching, by Robert Oprundy ; The Phonology of

Interlanguage, by Elaine E. Tarone ; Academic Reading and the ESL/

EFL Teacher, by Fraida Dubin and David Bycina ; Pragmatic Transfer

in ESL Refusals, by Leslie M. Beebe, Tomoko Takahashi, and Robin

Uliss-Weltz ; On Some Dimensions of Language Proficiency, by Michael

― 27―

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Canale. I will begin by briefly summarizing each reading and outlin-

ing the main points, then I will describe my reactions to these read-

ings and their relevance to my teaching situation.

2. Oprandy’s Listening/Speaking in Second and Foreign

Language Teaching

In Robert Oprandy’s Listening/Speaking in Second and Foreign

Language Teaching, the author describes some of the broad connec-

tions between the two interrelated language skills of listening and

speaking, and goes on to offer a set of principles to help teachers,

curriculum planners and material designers better prepare for the

integration of these two language skills. Oprandy opens his discus-

sion by citing a plethora of literature that points to the intertwined

nature of listening and speaking, and the impact that dynamic com-

munication theory has had on language teaching development. He

explains that the dynamics of communication theory look at lan-

guage as a two-way process that is circular rather than linear by na-

ture. In other words, the emphasis on the teaching of language, as

Oprandy refers to Widdowson (1978), shifts from a formal, closed

system to one that teaches language as communication. Oprandy

also talks about selective listening which, stemming from attention

theory, suggests that a strong link exists between learners’ receptiv-

ity to ‘messages’ and an individual’s own inner state, which includes

their individual traits. Another impact of the dynamic communica-

tion process that Oprandy discusses is Schema Theory, which basi-

cally means that what learners already know, in terms of their

personal experiences, language and cultural backgrounds, and knowl-

edge, will affect what they take away from any communicative ex-

change.

Based on these parameters of language teaching, Oprandy lists a

number of principles, all of which deal with either communicative or

― 28―

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affective trends in learning, and which he goes on to describe through

their relation to the purposes, skills and strategies of language learn-

ers. With these communicative and affective guidelines, Oprandy

suggests some implications for material designers of language

courses, which include visualizing the listening and speaking compo-

nents of language curriculum, and finding the right sequence from

which to organize the tasks being developed for learners. For the

sequencing considerations, Oprandy borrows heavily from Peterson

(1991), who prepared a lengthy but thorough list of goals for such

tasks, ranging from beginner levels to advanced.

Oprandy wraps up his discussion by offering his own intricate

weaving together of all of the components of the language curricu-

lum and the categorizing of tasks through what he refers to specifi-

cally as listening tasks that are either recognitive, receptive, or

reflective. For each of these categories, he gives a number of useful

examples, and goes on to state that these tasks can be applied to any

language skill area.

After reading Oprandy’s article, I found myself nodding in agree-

ment regularly throughout the paper, even though I sometimes

thought the paper was almost too ‘list like’, making it a reading heavy

with theory and the connective nature of overlapping areas of com-

municative research. On the whole, I found Oprandy’s attention to

the detail of listening and speaking language skills very informative

and useful, particularly because I am teaching and using most of my

own materials at various universities in Japan. His thorough cover-

age of the background of the dynamic communication theory and

how it relates to the teaching of communicative skills underscores the

need for me to continually review the purposes for which my stu-

dents are learning to communicate, the specific skills they need to

accomplish those goals, and to give them opportunities to explore

ways to develop learning strategies. One especially interesting dis-

cussion point brought up in Oprandy’s paper dealt with research on

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 29―

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the differences between hearing and listening. As I read his reference

to Widdowson’s views that both hearing and listening are forms of

understanding, with the difference delineated as follows : hearing

― being the comprehension of the signals we hear as phonological

sounds based on an individual’s recognition of a grammar system;

listening ― being the focus on the communicative function of the

utterances, so that we must derive our understanding of the structure

of language input based on what came immediately before or after

each utterance. This I know to be what Widdowson refers to as the

“receptive act of talking” (1978). In thinking about this aspect of

language comprehension from a listener’s perspective, I may need to

become more ‘in tune’ with my students’ listening abilities, and per-

haps design tasks according to Oprandy’s continua ‘A’, in which he

recommends “checking the comprehensibility of input by allowing

for negotiation of meaning, checking the comprehension of input, and

making utilizing modification strategies for simplicity” (p. 170). As

my university has, in the past few years, attempted to eliminate ex-

treme mixed-level classes by a series of English placement tests, I

have noticed that I do not always allow for the checking of compre-

hension, especially when explaining tasks to students. Oprandy’s

article will be a progression point for me for further reading, and in-

clude perhaps future attempts to modify the way I teach according to

the goals, skills and language strategies that I hope to help improve

for my students.

3. Tarone’s The Phonology of Interlanguage (IL)

In the next essay, The Phonology of Interlanguage, author Elaine E.

Tarone begins by noting that studies in the pronunciation patterns of

the speech of second language learners is very limited, both in scope

and in volume. She goes on to describe first the processes shaping

interlanguage phonology, and the effect of fossilization on IL. She

― 30―

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argues that negative transfer (NT) alone cannot be used as the sole

indicator for all pronunciation difficulties, but is caused instead by an

interaction of processes combined with negative transfer.

Reviewing literature dating back to the 1960s and 1970s, Tarone

found that rather than the early phonological acquisition studies that

assumed that all pronunciation errors were the result of negative

transfer, there were, in addition to NT, four basic processes that also

had an important effect on shaping IL phonology : L1 acquisition proc-

esses, in which numerous studies found that some phonological ele-

ments were acquired rather than influenced by the L1 ; overgenerali-

zation, in which learners use one L2 sound for several instances where

the L1 had no similar sound ; approximization, which is similar to

overgeneralization but that the learner attempts to pronounce sounds

based on factors other than L1 transfer ; and avoidance, in which learn-

ers who found difficulty in pronouncing L2 words or sounds, avoided

using them altogether. Tarone goes on to describe in terms of the

literature reviewed that certain constraints also act upon the

phonological processes. She found that various studies showed that

all groups of L2 learners were constrained by inherent difficulties in

the target language (TL) sounds, such as tendencies of learners from

different L1s to use the middle resting position of the articulation

area, the use of various simple open consonant/vowel (CV) syllables

in all languages, and how to avoid extreme pitch variations. In addi-

tion, some researchers found psychological constraints, which Tarone

refers to as emotional and social factors.

Tarone also addresses the issue of fossilization, in which adult

learners apparently are no longer able to acquire a language, as chil-

dren up to the age of puberty do, but rather learn it up to a point of

fluency, but never at the level of accuracy in pronunciation. Tarone

outlines the ongoing debate over fossilization by describing the vari-

ous results from studies that either support Scovel’s claim of a perpet-

ual accent despite native-like fluency, and other explanations, such as

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 31―

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social and psychological causes of fossilization, one being the claim

that learners with no empathy toward the L1 culture and people will

not develop native-like pronunciation. Tarone concludes the article

by reaffirming the existence of a number of different processes that

affect L1 phonological development, in addition to negative transfer,

and that the effect of fossilization, while not yet proven (Scovel’s

model), has not been disproved either, leaving the door open to con-

tinued research.

This article was a unique one for me, because I am still learning

a third language, Japanese, after having learned German and English.

And, because I teach English to Japanese students in Japan, I found

myself asking the following question after reading this article : if so

many researchers have yet to prove that native-like pronunciation

cannot be mastered after the age of puberty, why should we as teach-

ers spend any time at all with pronunciation, beyond allowing our

students to hear and attempt to articulate approximations of the L1?

I suppose the answer to this depends on how important pronuncia-

tion is to our students. In Japan, because of the very different

phonological structures of Japanese and English, I found Oller’s

(1974) ‘epenthesis’ observation, or vowel insertion, particularly in the

case of Japanese students’ pronunciation of English, interesting to say

the least. While it is true that nearly all Japanese words end in a

vowel, isn’t it also true that not only negative transfer is at work

here? The L1 learning process may be the cause of, for example, a

Japanese learner pronouncing my first name ‘Dave’ as [de-ibu], by

inserting an extra vowel after the final consonant, which should be

pronounced in the TL as [de-iv] (due to the font limitations on this

computer, I am using the GnuSpeech ‘Trillium’ for phonetic displays).

By the way, the resulting voiced bilabial stop [b] instead of the voiced

labial-dental fricative [v] is the result of the Japanese L1 influence on

the pronunciation of this particular consonant and is pronounced

somewhere between an aspirate and a voiced fricative. But returning

― 32―

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to the case of Oller’s understanding of L1 acquisition, learners under

the age of three, regardless of L1 background, tend to reduce or sim-

plify sounds by deleting the difficult ones. Are there no studies that

show that this instance of Japanese production of epenthesis is due to

only an L2 learner’s strategy of vowel insertion? Are Japanese chil-

dren under the age of three subject to an irreversible effect of

phonological constraints beyond the L1 acquisition stage, thereby

making it nearly impossible to attain native-like pronunciation of

English? Perhaps a thread in further research can shed light on the

perplexities I raise here. I can say, though, that in my own classes, I

have noticed students who were born overseas, learned the L2 in a

native-like environment, and retained much of the original pronun-

ciation of English, despite most having learned Japanese in the home

as the L1. Most of these students pronounce my name, ‘Dave’ [de-iv],

with native-like fluency. I suppose the biggest impact Tarone’s

research has for my teaching is that by understanding the various

processes at work behind the phonological acquisition of a foreign

language, I can raise my level of empathy toward students learning

English in my classes and, as necessity dictates, spend more time on

teaching the underappreciated benefits of proper pronunciation. I

should note, however, that ‘how’ to teach pronunciation is a far

deeper consideration than simply having students repeat after me.

Certainly, there are risks to a student’s pronunciation of L2 if we

teach by mere repetition of native-like structures in English, espe-

cially at a level beyond single syllables and words to longer phrases

and full sentences. One phonetic expert (Watanabe, 2004) warns that

the “result of such training might end up producing a comical mim-

icry of other languages ; the mimicry may sound ‘native-like’ to the

ears of Japanese but may be unintelligible to native speakers” (p. 2).

Nevertheless, a deeper ‘understanding’ of both L1 transfer and in-

structing for pronunciation strategies should assist teachers to in-

crease students’ interest and motivation by focusing more attention

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 33―

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on improving their pronunciation for L2 communication.

4. Dubin & Bycina’s Academic Reading and the ESL/EFL

Teacher

In the third article, Academic Reading and the ESL/EFL Teacher,

by Fraida Dubin and David Bycina, the focus is on helping teachers to

develop academic reading lessons for EFL/ESL classes through an

understanding of the history of differing approaches to teaching read-

ing, the strategies that can be taught to students for effective reading,

and the role of teachers in assisting students in developing reading

skills. The authors begin by describing the historical significance of

teaching reading, which was taught by the early method of the

‘bottom-down’ process of learning reading by building up meaning

through small pieces of text, usually letters, then words, then onto

sentences, and which disregards the attention to context and mean-

ing but focuses on understanding grammar and vocabulary. The

ensuing model was ‘top-down’ processing, which required students to

match what they already knew with the meaning they got out of the

texts. This context-focused method was recently replaced by a com-

bination of the two models into the ‘interactive’ model, and is cur-

rently widely accepted as the most efficient way of teaching reading.

Since, as the authors point out, reading has come to take on an impor-

tant role in developing second language competence, the use of both

top-down and bottom-up teaching helps to address and balance the

need for students to ‘interact’ with the language they are learning.

The authors caution against an over reliance on either model because

of student variations in levels of competency, and give a number of

suggestions for teachers to use for different student levels, from the

lower-intermediate to the intermediate and advanced. The writers

also stress that academic writing requires teachers to introduce self-

help strategies by learning-through-reading, or study skills. In

― 34―

Page 37: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

addition, learning-by-doing, or using the new knowledge of what stu-

dents learn and applying it to what they already know, is touted in

the article as an effective means to raise learners’ abilities to think

more independently from the readings, and to develop a ‘question-

ing’ approach that helps them to increase their interest in the learning

experience. Both authors also insist that the teacher’s role is critical

to the success of teaching academic reading in ESL/EFL classes, and

that teachers need to mainly impart a positive attitude about the

reading, as well as to provide a model of how good readers behave.

Throughout the entire advisory style of this article, the authors em-

bellish this paper with a wide variety of activities for use in teaching

reading, and finish it with a complete content-based lesson plan on

how to integrate a pre-reading phase, while-reading phase, and a post-

reading phase, with each phase serving specific purposes ; namely,

activating schema, understanding the specific content, and reviewing the

content, respectively.

This article was of particular use to me, because I teach reading

courses currently. Most interesting about this article is the way that

it was written : supplying the background of the teaching of reading,

but focusing mainly on advising teachers through examples of the

various components of reading that are most often overlooked. In my

case, I have typically focused on speed-reading exercises, as well as

vocabulary-building and trying to steer students away from word-by-

word translations into attaching text in meaningful ‘chunks’, usually

small paragraphs with central themes in each one. I usually build up

to a final larger piece of reading that requires students to read

quickly, and finally identify the central theme and the interconnected

parts of each supporting sub-topic. After reading Dubin and Bycina’s

paper, I realized that without a fuller knowledge of the historical and

contextual framework established in the EFL/ESL area of language

teaching, I have been teaching half-blind to the needs of my students.

For example, by focusing on merely speed reading, gist-finding, and

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 35―

Page 38: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

vocabulary, I have perhaps robbed my students of the opportunity to

develop what the authors describe as the post-reading section. . .they

emphasize the while-reading and post-reading tasks as “essential to

the learners’ development of skills, rather than the mere testing of

them” (p. 204). One way the authors recommend teachers to teach

during the while-reading phase is to make a list of implicit, explicit,

and applied questions that will guide students to the major ideas of

the text. I have not used these question types in such detail before,

but will experiment with them in the coming lessons. Also, I noticed

that the communicative approach and the use of authentic texts is

highly valued by the authors, as a means to prepare learners for

building a questioning approach to the material, not merely passively

reading for understanding simplified tasks such as answering ques-

tions on comprehension only. I have focused too much on teaching

students to read faster, and not enough on having them react to the

text, which promotes better reading skills. I will try to assimilate the

advice in this article, particularly in developing activities that focus

primarily with teaching students skills and strategies needed to be-

come efficient, effective and independent readers.

5. Beebe, Takahashi, and Uliss-Weltz’ Pragmatic Transfer

in ESL Refusals

The fourth article, Pragmatic Transfer in ESL Refusals, by Leslie

M. Beebe, Tomoko Takahashi, and Robin Uliss-Weltz, is a study that

found evidence that pragmatic transfer exists in the order, frequency,

and content of the semantic formulas used by Japanese speakers of

English. The study looked at refusals of three groups of Americans,

Japanese, and Japanese speaking English, to analyze how much trans-

fer from a socio-cultural norm in Japanese affected JEs, and compared

all three groups to each other. Using a Discourse Completion Test,

respondents were asked to fill-in what could only be a refusal in four

― 36―

Page 39: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

types of situations : three offers, three invitations, three suggestions and

three requests. The responses were coded according to the semantic

formula used in each refusal. Respondents showed some rather inter-

esting findings of pragmatic transfer occurring in nearly every cate-

gory for all speakers of Japanese, regardless of whether they were

Japanese speakers or Japanese speaking English. Findings also

seemed to confirm the authors’ contention that there is “pragmatic

transfer from the native language in the order of semantic formulas

that the ESL speakers used” (pg. 58). Preliminary evidence suggest-

ing pragmatic transfer took place with regards to the frequency and

content of semantic formulas also seemed to support the authors’

hypothesis, and the writers listed a number of patterns that reflected

these findings, although the content was noted to be an initial find-

ing, which is in fact part of a longer term project analyzing the same

content of semantic formulas. The authors conclude the paper by

acknowledging some limitations, such as the style of the question-

naire and the fact that no controls were instituted to study the effects

of L2 proficiency. Still, the findings suggest that L1 transfer occurs

with regards to the order, frequency, and content of refusals by Japa-

nese learners of English.

As an American living in Japan, teaching Japanese university

students, and also possessing a fairly good grasp of the Japanese lan-

guage, especially the awareness of the role that status plays on types

of refusals in Japan, I was able to read this article and nearly predict

the findings as they spelled out. In other words, the fact that the

findings so strongly supported the idea of pragmatic transfer from

Japanese L1 to Japanese studying English came as no surprise to me.

Furthermore, because I am already familiar with an American style of

refusing, these findings did not surprise me either, with the exception

of the responses of Americans to refusing invitations and the order to

which they chose semantic formulas : they tended to order formulas

without regard to status, but offered longer negotiations with

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 37―

Page 40: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

familiar persons, and kept their responses shorter with strangers of

people of higher status. Actually, this is of course not surprising, but

what caught my attention is the fact that I never paid it much atten-

tion before. Observing, then, how the Japanese respond in the same

situation, I already knew that the Japanese social-cultural norms for

addressing superiors differ from those used for individuals of lower

status or for equals. Perhaps most interesting for me is that in my

teaching situation, my students, most of whom have never left Japan,

do not have very much of a clue of how Americans, for example,

might react when confronted in a similar situation. In fact, I have

noted, from my observations of the interactions between Japanese

and non-Japanese, that when using English, some of these L1 transfer

forms arise, and appear to the Japanese speaking English as com-

pletely normal, but may come across as too abrupt, or even inade-

quate, as in the example in the paper on page 66 of a salesman bribing

a company president by inviting him/her to an expensive restaurant.

As the researchers pointed out, vague answers such as ‘I have things

to take care of at home’, as one Japanese respondent answered, would

not suffice for the expected answer of a refusal by an American, since,

as the authors rightly point out, Americans consider that things are

always going to have to be done at home. Perhaps I can use this

paper as a starting point to attempt to introduce the differences both

in expected ‘social norms’, and in responses to invitations, sugges-

tions, offers, and requests, all of which I already teach as a normal

cycle of English language form in the classroom.

6. Canale’s On Some Dimensions of Language Proficiency

The final reading is On Some Dimensions of Language Proficiency,

by Michael Canale. The author looked at three findings in recent

language proficiency testing work :

― 38―

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1. some individual learners are misclassified and having linguistic

deficits

2. some students who study formal language studies and do well on

academic testing do not do as well on authentic communication

testing

3. some students who do well on authentic, out-of-classroom testing

may lack the language skills necessary to perform academic

autonomous tasks.

From these findings, Canale compares two frameworks for language

proficiency, then provides his own as a more comprehensive frame-

work that addresses the initial three recent findings. The first frame-

work constitutes Bruner’s (1975) three levels of language proficiency :

1. linguistic competence

2. communicative competence

3. analytic competence

Canale takes issue with Bruner’s framework, citing several rea-

sons, the main being Bruner’s placement of analytic competence into

a class all its own, suggesting that only certain elite individuals can

or do attain this level of intelligence, and for which Canale feels could

invite intelligence bias toward those who do not test high in this lan-

guage proficiency component. As a step above Bruner’s model,

Canale refers to Cummins’ (1980) framework, which measures lan-

guage proficiency in terms of distinguishing basic interpersonal com-

municative skills from cognitive-academic language proficiency, and

highlights what Canale calls the “contextual support and cognitive

involvement, or schema” (pg. 336). Still, Canale finds Cummin’s

model insufficient because questions concerning the classification of

tasks, as well as how adequate is the notion of contextual support, the

order of difficulty of the tasks listed, and the lack of clarity in how

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 39―

Page 42: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

Cummin’s framework solves the questions of how certain individuals

are classified as having language disorders and why certain students

perform well on academic tasks but not on communicative ones.

To address these misgivings, Canale offers a framework that first

lists a range of language knowledge and skill areas, which he feels

must be defined before a framework can be devised, then categorizes

under the following headings :

grammatical competence― the mastery of the language code

sociolinguistic competence― the mastery of appropriateness of

meaning and form

discourse competence― the combining and interpreting of mean-

ings/forms

strategic competence ― the mastery of verbal and nonverbal

strategies

Finally, Canale considers the three dimensions of language proficien-

cies of basic language, communicative language, and autonomous

language, and concludes with some implications within the realm of

validation procedures and interpretations of results.

Canale dealt with some complex issues in language proficiency,

especially how they relate to assessing learners’ language compe-

tency. One of the main ideas I took away from this article was that

the entire area of testing for language proficiency is a complicated

matrix of language skills and testing components, and that even with

a working framework spelled out, the entire process of analyzing the

various uses and individual abilities in the entire area of language

assessment may be too large to conveniently package into a single

framework. Another interesting notion was that of the relationship

among the three dimensions of language proficiency : if, after the

upper limits of language-related universals are observed, and as

Canale points out, the “remainder of an individual’s communicative

― 40―

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and autonomous proficiencies are the result of socialization” (p. 340),

is it completely impossible to adequately test communicative profi-

ciency through autonomous tasks and vice-versa? Naturally I was

left confused with this summarization of the main points, as well as

how to apply it to my teaching situation, because I often give autono-

mous tasks for students that, particularly through cooperative learn-

ing, are used to gauge their communicative abilities by analyzing

their completion of such tasks within a group, or independently. I

wonder, if I am to understand Canale’s rationale, that giving a student

a tape recorder and asking him/her to tape his/her own voice describ-

ing a most recent restaurant experience independently, cannot be

used as a means to test the communicative ability of a learner be-

cause (and I shall phrase this as a question), there is no social interac-

tion with which the student can refer? This must in fact be a task

that requires only limited cognitive recall, both in terms of a stu-

dent’s knowledge of a language and its usage, and an ability to se-

quence events drawn entirely from his/her own memory. Although

it is beyond the scope of this paper, interested researchers may find

intriguing the findings of a study by Anderson (1976), which sheds

further light on the discussion of memory recall theory.

One other interesting thought arose while reading this article,

and that was Canale’s reference to Bruner’s 1975 work on ‘minimal

species’, in which Canale suggests that Bruner has invited a certain

bias into ‘labeling’ students into groups with subtle references to lan-

guage ‘disorders’, or inferiority of “certain groups of learners, mainly

minorities” (p. 335). This article made me more aware and conscien-

tious of students’ needs, and points out that we as teachers cannot

always make assumptions about our students based on generaliza-

tions of our students’ abilities.

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 41―

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7. Conclusion

By looking at the various constructs within these five particular

readings that have dealt with a cross-sectional framework of EFL/

ESL teaching theory, I am strongly compelled to constantly question

my own acceptance of what constitutes language proficiency, in

order that I might better assess my learners’ skills and abilities, which

should in turn lead to a more appropriate level of language teaching

in my classroom. On a broader scale, it is my hope that by continu-

ally challenging the norms for current and ongoing theory, applying

them to our own teaching situation, and working to contribute to the

platform of research, both theoretical and applied, language teachers

have an opportunity, and an obligation, to further the development of

language teaching for not only ourselves and the language profes-

sion, but ultimately for the benefit of our students, upon whose fu-

tures we stake our current efforts.

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Beebe, L. M., Takahashi, T., Uliss-Weltz, R. (1990). Pragmatic transfer in ESL

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(原稿受付 2007年 6月 22日)

A Cross-Sectional Critical Review (PRUCHA) ― 43―

Page 46: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

�論 説〉

中国法令における日本語訳の変化

関 口 美 幸

は じ め に

2006年の夏, 日中ビジネスに携わっている方の名刺交換の場に立ち会っ

た時のことである。 日本側の肩書きは 「取締役」 であり, これを通訳は

「qudiyi」 とそのまま中国語読みした。 中国側の肩書きは 「総経理」 であ

り, 通訳は 「そうけいり」 とそのまま日本語読みした。 日中双方とも何の

疑問も挟まなかった。 その後, 通訳の方にうかがったところ, 日中ビジネ

スに携わっている中国人の間では, 「取締役」 という単語はすでに一般化

されており, これを 「董事」 と訳したり又は中国での 「董事」 に相当する

と説明せずに, そのまま 「qudiyi」 というだけで充分に伝わる。 日本側

も 「総経理」 (そうけいり) と聞いただけで, それが日本の 「社長」 に相

当する地位の人だと理解できるとのことであった。 日本語の 「取締役」 と

中国語の 「董事」 は完全に同じではなく, 日本語の 「社長」 と中国語の

「総経理」 も完全に同じではない。 会社のシステムが違い, 会社に関する

法規が異なっているため, その権限などの面で差があるのである。 そのた

め, あえて訳さずそのまま中国語又は日本語で漢字を読んだ方がいいとい

うのだ。

古代においては, 中国から日本へ大量の漢語が輸入され, それが日本語

として定着し, 近代においては, 逆に日本から中国へ日本語の漢字熟語が

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新たな西洋概念の訳語として伝えられ中国語として定着したものも多くあ

るが, この時の名刺交換は, そうした過程の発生現場を見ているようで非

常に興味を覚えた。

日中ビジネスは単純な貿易から日系企業による中国での現地経営にその

重点がシフトされている。 特に 2002年以降, 中国のWTO加盟による対

中投資熱と現地法人設立の規制緩和に伴って日系企業数は増加した。 それ

により, 中国ビジネスに関わる日本人の間では, 会社に関する一部の中国

語をそのまま日本語で発音することが一般的になりつつある。 本稿は, そ

のような単語の中から主のものを取り上げ, 80年代から現在までどのよ

うに訳されてきたかについて調査を行い, 考察を試みるものである。

1. 取り上げる単語と調査範囲

1. 1 取り上げる単語

本稿では中国での現地経営に深く関わる単語として, 以下の単語を取り

上げる。 それらの単語を一般辞書の 『中日辞典』 (小学館 2003年第 2版)

と専門辞書 『中日・日中会計財務投資用語辞典』 (中央経済社 2006年 12

月初版) からその意味を確認すると, 以下の通りである。

① 「外商投資企業」

『中日辞典』:なし

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:外商投資企業

② 「外商」

『中日辞典』:外国商人

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:なし

③ 「外資企業」

『中日辞典』:外資系企業

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:なし

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④ 「董事会」

『中日辞典』:理事会, 取締役会

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:董事会

⑤ 「董事長」

『中日辞典』:理事長, 取締役会長

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:董事長

⑥ 「副董事長」

『中日辞典』:なし

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:なし

⑦ 「総経理」 又は 「経理(1)」

「総経理」

『中日辞典』:社長, 総支配人, 総代理人

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:総経理

「経理」

『中日辞典』:経営・管理する, 支配人, 経営者, 担当者

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:なし

⑧ 「副総経理」 又は 「副経理」

「副総経理」

『中日辞典』:なし

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:副総経理

「副経理」

『中日辞典』:なし

『中日・日中会計財務投資用語辞典』:なし

1. 2 調査の範囲

今回は, 日本で継続的に出版されている主な中国法令集での日本語訳に

ついて調査した。 その理由として, 法令集は他の一般書と比べて広範性が

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 47―

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あり, 翻訳にも厳格性が求められるため, 文全体を意訳するのではなく一

語一語直訳するので一つの単語の訳語を特定しやすく, また一定期間に継

続的に出版された法令集であれば, 変遷の過程が顕著に分かると考えたか

らである。 調査した法令集は以下の通りである。 なお, 法令集の正式な名

称と発行元については, 参考文献を参照されたい。

① 国際貿易促進協会発行 (以下, 「国貿促」 という) 『中国経済関係法

令集』

② 弁護士法人キャスト糸賀発行 (以下, 「糸賀」 という) 『中華人民共

和国経済法令集』 並びに 『東アジア法令速報』 (以下, 「法令速報」 と

いう)

③ ぎょうせい発行 『現行中華人民共和国六法』

④ アイピーエム発行 『月刊中国法令』

⑤ 投資促進機構発行 『投資機構会員ネット・データライブラリー法令

集』

2. 各法令集における日本語訳について

詳細は添付の表 「主な中国法令集における発行年別の日本語訳語の変化」

に纏めた。 以下, 発行媒体別にその特徴を述べる。

2. 1 国貿促 『中国経済関係法令集』

日本国際貿易促進協会が 84年から出版している法令集であり, 今回は,

2004年度版まで採集した (2004年度版は, 2003年度版の改訂版ではなく,

新規追加分だけを収めた法令集である)。 2003年度版からは, 森・濱田松

本法律事務所が翻訳に携わるようになり, 書名も 『中国経済六法』 と改め

られた。 この時に訳語についても明確な規定が定められた。 2003年度版

― 48―

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の凡例 (28頁) には, 以下の記述が見られる。

会社の組織については, 「董事会」 や 「総経理」 は, 漢字のままで

日本語として意味が分かるようになっているし, 日本の取締役や社長

と意味が異なるので, 日本語概念にあてはめずに中国語表記のままに

した。 「外商投資企業」 は, 適切な日本語がないし漢字のままで日本

語として意味がわかるようになっているので, 中国語表記のままとし

た。

以下, 2003年度版の原文・訳語対照表からの抜粋である (28頁)。

各日本語訳について

① 「外商投資企業」

2000年度版までは, ほぼ 「外国投資企業」 を用いている。 ただし, 80

年代は 「外資企業」 (86年), 「外国投資家投資企業」 (89年) などとばら

つきが見られる。 2003年度版からは 「外商投資企業」 に統一されている。

② 「外商」

基本的には, 「外国投資家」 と訳されているが, 80年代では, 「外国商

人」 「外国業者」 「外商」 などのようにばらつきがみられる。

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 49―

中 国 語 日 本 語 備 考

外商投資企業 外商投資企業

外商 外国投資家/外国企業 投資関係の場合 「外国投資家」。

貿易関係の場合 「外国企業」。

董事会 董事会

董事・董事長 董事・董事長

総経理 総経理

経理 マネージャー (原文は

「経理」)

文脈によっては 「経理」 を使う。

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③ 「外資企業」

2000年までは 「外資企業」 と訳されることが多いが, 外資系企業との

誤認を避けるため, 「100%外資企業」, 「100%出資企業」, 「外国投資家 100

%出資企業」 などの説明的な訳語も見られる。 2003 年からは基本的に

「外資独資企業」 に統一された。

④ 「董事会」

2000年までは 「董事会」 と 「取締役会」 の両方が使われており統一さ

れていない。 「董事会」 を使う場合でも括弧で (取締役会) を付ける場合

が多い。 2003年からは 「董事会」 に統一された。

⑤ 「董事長」

2000年までは 「董事長」, 「取締役会長」, 「会長」 が使われており統一

されていない。 「董事長〈取締役会長�」 や 「取締役会会長 [董事長]」 な

どの括弧付きの訳語も見られる。 2003年からは 「董事長」 に統一された。

⑥ 「副董事長」

2000年までは 「副董事長」, 「取締役副会長」, 「副取締役会長」 「副会長」

が使われており統一されていない。 「副董事長〈取締役副会長�」 の括弧付

きの訳語も見られる。 2003年からは 「副董事長」 に統一された。

⑦ 「総経理又は経理」

2000年までは, 「総経理」 「社長」 が使われており統一されていない。

「総経理〈社長�」 の括弧付きの訳語も見られる。 2003年からは 「総経理」

は, 「総経理」 に, 「経理」 は, 「マネージャー (原文は 「経理」)」 に統一

された。

⑧ 「副総経理又は副経理」

2000年までは, 「副総経理」 「副社長」 が使われており統一されていな

い。 「副総経理〈副社長�」 の括弧付きの訳語も見られる。 2003年からは

「副総経理」 に統一された。

― 50―

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2. 2 糸賀 『法令速報』

会員向けに年間に 1度乃至 2度出版されていた 『中華人民共和国経済法

令集』 と週刊で出版されている 『東アジア法令速報』 があり, 発行も 「日

中経済法律センター」, 「東アジア経済法律センター」, 「糸賀法律事務所」,

「糸賀・曾我法律事務所」, 「弁護士法人キャスト糸賀」 と何度も変更され

ている。 週刊誌の名称も 『中国法令速報』, 『東アジア法令速報』, 『東アジ

ア経済法令速報』 と変更されているが, 実態は糸賀了弁護士を中心とした

弁護士事務所により継続的に出版されている法令集なので, 本稿では 『法

令速報』 の略称を用いる。 87年から 2007年まで採集した。

各日本語訳について

① 「外商投資企業」

ほぼ 「外国投資家投資企業」 に統一されていて, 訳者の強い意志を感じ

させる。 ところが, 法令条文以外の記事の部分では, 1993年 10月 13日

号の 「中国経済・法律ニュース」 のコーナーでは 「三資企業」 と 「外国投

資家投資企業」 が共に 「外商投資企業」 の意味で使われており, 1994年 3

月 9日号の 「中国経済・法律ニュース」 では, 「三資企業」 「外国投資家投

資企業」 「外資企業」 が同じ 「外商投資企業」 の意味で使われている。

② 「外商」

基本的には 「外国投資家」 に統一されているが, 「外国商人」 も見られる。

③ 「外資企業」

「外資企業」 が多いが, 「外国投資家単独企業」 「100%外資企業」 「単独

出資企業」 「単独出資経営企業」 などの多くの訳語が使われている。 2000

年からは 「外資企業」 に統一されている。

④ 「董事会」

ほぼ 「董事会」 に統一されている。

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 51―

Page 53: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

⑤ 「董事長」

ほぼ 「董事長」 に統一されている。

⑥ 「副董事長」

ほぼ 「副董事長」 に統一されている。

⑦ 「総経理又は経理」

ほぼ 「総経理」 は 「総経理」 に, 「経理」 は 「経理」 に統一されている。

⑧ 「副総経理又は副経理」

ほぼ 「副総経理」 は 「副総経理」 に, 「副経理」 は 「副経理」 に統一さ

れている。

2. 3 ぎょうせい 『現行中華人民共和国六法』

ぎょうせいが 1982年から出版している 『現行中華人民共和国六法』 は,

会員向けの加減式法令集である。 つまり, 会員は最初にバインダーとその

時点までにぎょうせいが翻訳した法令を購入した後年会費を納めると, 定

期的にぎょうせいから最新法令の日本語訳が送られてきて, それを会員自

身がバインダーに綴じるしくみとなっている。 そのため, 他の法令集のよ

うに出版年を特定することは難しい。 しかし, ぎょうせいが新規法令が公

布されると間をおかずにその翻訳をするということから考えて, 本稿では,

法令の公布日を発行日として統計を取った。

各日本語訳について

① 「外商投資企業」

「外国投資家投資企業」 に統一されている。

② 「外商」

ほぼ 「外国投資家」 に統一されている。

③ 「外資企業」

基本的には 「外資企業」 に統一されているが, 「外国投資家単独企業」

― 52―

Page 54: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

「外国投資家単独出資企業」 も見られる。

④ 「董事会」

基本的には 「取締役会 [編注:董事会]」 で統一されているが, 2000年

以降は, 「董事会」 を用いることが増えてくる。

⑤ 「董事長」

「代表取締役 [編注:董事長]」, 「取締役会会長」, 「取締役会会長長 [編

注:董事長]」, 「社長 [編注:董事長]」 が見られ, 統一されていない。

「董事長」 が単独で用いられたことはない。

⑥ 「副董事長」

「副代表取締役 [編注:副董事長]」, 「副社長 [編注:副董事長]」 があ

り, 統一されていない。

⑦ 「総経理又は経理」

「総支配人 [編注:総経理]」, 「総支配人」, 「代表取締役社長 [編注:総

経理]」, 「支配人 [編注:経理]」, 「経理 [支配人]」, 「支配人 [編注:総

経理]」, 「総経理」 が使われ, 統一されていない。

⑧ 「副総経理又は副経理」

「副総支配人 [編注:副総経理]」, 「副支配人 [編注:副経理]」, 「副経

理」 が使われ, 統一されていない。

2. 4 アイピーエム 『月刊中国法令』

1996年から出版されている会員向けの月刊誌である。 2002年 3月号ま

では, コマースクリエイト株式会社の発行で, 2002年 4月号からは株式

会社アイピーエムの発行だが, 編集体制に変化はないので, 同じ媒体と考

えることができる。

2002年 11月に 『月刊中国法令』 の内容を纏めた 『日中対訳中国労働関

係法令集 2002年度版』 が出版されたが, その凡例には, 日本語訳につい

て以下の記述が見られる。

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 53―

Page 55: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

中国の日系企業ですでに一般化されている単語は, 中国語表記をそ

のまま使った。 たとえば, 「董事会」 は 「取締役会」 とはせずに 「董

事会」 のままとし, 「董事長」 は, 「会長」 とは訳さずに 「董事長」 の

ままとし, 「総経理」 も 「社長」, 「ジェネラルマネージャー」 とは訳

さずに 「総経理」 のままとした。

また, その後に出版された 『日中対訳中国会社法法令集 2004年度版』

の凡例には, 上記に加え, 「「外商投資企業」 は, 「外国投資企業」 とはせ

ず, 「外商投資企業」 のままとした」 の記述も見られる。

各日本語訳について

① 「外商投資企業」

2000年までは 「外国投資企業」, 「外資投資企業」, 「外商投資企業」 と

ばらつきが見られるが, 2001年からは 「外商投資企業」 に統一されてい

る。

なお, 当該誌では, 数人の弁護士, 公認会計士などが記事を書いている

が, 90年代までは, 「外資投資企業」 (1996年 9月号), 「外国投資企業」

(1996年 9月号, 1998年 7月号, 1998年 10月号) 「外資企業」 (1998年 1

月号, 1999年 12月号), 「外商投資企業」 (1998年 9月号) というように

かなりのばらつきが見られるが, 2000年以降は, ほぼ全員が 「外商投資

企業」 を用いるようになっている。

② 「外商」

「外国投資者」 が多いが, 「外商」, 「外国企業」 も用いられている。

③ 「外資企業」

「外資企業」 が多いが, 「外商独資企業」 も用いられている。

④ 「董事会」

「董事会」 に統一されている。

― 54―

Page 56: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

⑤ 「董事長」

「董事長」 に統一されている。

⑥ 「副董事長」

「副董事長」 に統一されている。

⑦ 「総経理又は経理」

「総経理」 は 「総経理」 に, 「経理」 は, 「経理」 に統一されている。

⑧ 「副総経理又は副経理」

「副総経理」 は 「副総経理」 に, 「副経理」 は, 「副経理」 に統一されて

いる。

2. 5 投資促進機構 『投資機構会員ネット・データライブラリー法令集』

日中投資促進機構が行っている会員向けのインターネット上のサービス

『ネット・データライブラリー』 を冊子に纏めたものである。 2004年から

と比較的新しいので, 訳語については統一されている。

各日本語訳について

① 「外商投資企業」

「外商投資企業」 に統一されている。

② 「外商」

訳語例なし

③ 「外資企業」

「外資企業」 に統一されている。

④ 「董事会」

「董事会」 に統一されている。

⑤ 「董事長」

「董事長」 に統一されている。

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 55―

Page 57: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

⑥ 「副董事長」

「副董事長」 に統一されている。

⑦ 「総経理又は経理」

「総経理」 は 「総経理」 に, 「経理」 は, 「経理」 に統一されている。

⑧ 「副総経理又は副経理」

「副総経理」 は 「副総経理」 に, 「副経理」 は, 「副経理」 に統一されて

いる。

3. 訳語の変化

以上, 5種類の法令集における訳語の変化を見てきたが, 1つの媒体内

では基本的に同じ訳語を用いることが多い。 なぜなら, 翻訳は訳者のこだ

わりが強く, 一度決めた訳語を変更することはあまりないからだ。 それに

も関わらず, 訳語は時代の影響を受け, 変化していることが見て取れる。

以下, 各訳語がどのように変化を遂げたのかを纏める。

① 「外商投資企業」

糸賀 『法令速報』 とぎょうせい 『現行中華人民共和国六法』 では一貫し

て 「外国投資家投資企業」 を用いているが, 国貿促 『中国経済関係法令集』

とアイピーエム 『月刊中国法令』 では, 2000年代初めに 「外商投資企業」

を用いることを明確に定めており, その理由として 「適切な日本語がない

し漢字のままで日本語として意味がわかるようになっている」 (国貿促

『中国経済関係法令集』 28頁) を掲げていることから, 2000年代初めには,

「外商投資企業」 という単語がかなり定着していたと推測される。

② 「外商」

「外国投資家」 「外国投資者」 の訳語が多いが, 「外国投資者」 という中

― 56―

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国語もあるため, 区別するために 「外商」 を用いることもあるようだが,

「外商」 が一般化されているとまでは言えない。

③ 「外資企業」

「外資企業」 とは, 本来 「外商独資企業」 の略語であり, いわゆる 「独

資企業」 を指している。 また, 一般名詞の 「外資系企業」 の意味に誤解さ

れやすいことから, 「100%外資企業」, 「100%出資企業」, 「外国投資家 100

%出資企業」 のような説明的な訳語も多い。 国貿促 『中国経済関係法令集』

とアイピーエム 『月刊中国法令』 では, 2000 年代初めから, それぞれ

「外資独資企業」, 「外商独資企業」 を用いることによって, こうした誤解

を避けるようにしていることが分かる。

④ 「董事会」

90年以前から 「董事会」 を単独で用いている場合もあり (糸賀 『法令

速報』 とアイピーエム 『月刊中国法令』), 「取締役会」 を用いている場合

でも, 「董事会」 を併記している場合が多い (国貿促 『中国経済関係法令

集』 とぎょうせい 『現行中華人民共和国六法』)。 2000年以降は, 「董事会」

を単独で用いる場合が増えている。 このことから 「董事会」 という訳語自

体は 90年代以前からすでに存在していたが, それが訳注抜きで定着した

のは 2000年以降であると言える。

⑤ 「董事長」

90年以前から糸賀 『法令速報』 とアイピーエム 『月刊中国法令』 では,

「董事長」 で統一されている。 国貿促 『中国経済関係法令集』 とぎょうせ

い 『現行中華人民共和国六法』 では, 「董事長」, 「取締役会長」, 「会長」,

「取締役会会長」 などの訳語があり, 統一されていない。 国貿促 『中国経

済関係法令集』 では 2003年以降は, 「董事長」 で統一されている。

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 57―

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⑥ 「副董事長」

「董事長」 とほぼ同じ傾向が見られる。

⑦ 「総経理」 又は 「経理」

90年以前から糸賀 『法令速報』 とアイピーエム 『月刊中国法令』 では,

「総経理」 は 「総経理」, 「経理」 は 「経理」 で統一されている。 国貿促

『中国経済関係法令集』 とぎょうせい 『現行中華人民共和国六法』 では統

一されていないが, 国貿促 『中国経済関係法令集』 では 2003年以降は

「総経理」 「マネージャー (原文は 「経理」) と統一された。

⑧ 「副総経理」 又は 「副経理」

「総経理」 又は 「経理」 とほぼ同じ傾向が見られる。

4. まとめと今後の課題

以上のことを総合すると, 2000年頃までは, 訳語は人によってばらつ

きがあり, また説明を加えたものや括弧付き表記などが多かったが, 2000

年代初めから, 「外商」 と 「外資企業」 を除き, そのまま漢字を読むとい

う方向で統一する傾向が顕著になってきたことが分かる。 「外商」 につい

ては, 「外国投資家」 又は 「外国投資者」 の訳が多いことは前述の通りだ

が, 「外商投資」 は, 2000年以降 「外商投資」 と訳される場合が増えてき

ている。 「外資企業」 については, 「外資企業法」 を指す場合は 「外資企業」

を用い, その他の場合は 「外商独資企業」 又は 「外資独資企業」 と訳すこ

とが増えていて, 前述の原則に当てはまらないが, これは, 「外資系企業」

の意味で使う 「外資企業」 との混乱を避けるためのものと思われる。

訳語の統一傾向は, 2001年 12月の中国のWTO加盟後に起きた日本の

対中投資ブームと密接に関係するものと考えられる。 中国のWTO加盟

― 58―

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時の承諾による外商投資企業設立条件の緩和などによって, 中国における

日系企業登記数は, 1994年には 9,840社だったが, 2004年には 19,779社

と 10年で二倍以上に増加した(2)。 それに伴い, 日中間の人的交流も進み

相互理解が深まった結果, 説明的訳語や訳語のばらつきが減少し, 中国語

をそのまま日本語読みする方向で統一が図られたと推測される。

この全体的な傾向が中国法令の翻訳分野だけのものであるのか, 中国ビ

ジネス界全体に及ぶものであるのか, 今回の法令集における調査を基礎と

して, 今後はその調査対象を一般書にも広げていきたい。

《注》

( 1 ) 1993 年に 「中華人民共和国会社法」 が制定されたが, その際, 今まで

「総経理」 と言っていたものを 「経理」 に改め, 「副総経理」 と言っていたも

のを 「副経理」 に正式に改めた。 しかし, 「経理」 「副経理」 は, 会社法以外

にはあまり定着せず, その他の法令では, 尚も 「総経理」 「副総経理」 を用

いる場合が多いので, 今回は, 「総経理」 と 「経理」, 「副総経理」 と 「副経

理」 を一つの項目とした。

( 2 ) 国家統一局貿易外経統計司編 『中国対外経済統計年鑑 (1994, 2004)』 (中

国統計出版社) の統計による。

参考文献

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 59―

(表中法令集略称)

中国経済関係法令集1984年 9月 日本国際貿易促進協会 国貿促1984年

中国経済関係法令集1986年 6月 日本国際貿易促進協会 国貿促1986年

中国経済関係法令集1987年 6月 日本国際貿易促進協会 国貿促1987年

中国経済関係法令集1988年 6月 日本国際貿易促進協会 国貿促1988年

中国経済関係法令集1989年 1月 日本国際貿易促進協会 国貿促1989年

中国経済関係法令集1992年版 日本国際貿易促進協会 国貿促1992年

中国経済関係法令集1998年版 日本国際貿易促進協会 国貿促1998年

中国経済関係法令集2000年版 日本国際貿易促進協会 国貿促2000年

中国経済六法2003年版 日本国際貿易促進協会 国貿促2003年

中国経済六法2004年増補版 日本国際貿易促進協会 国貿促2004年

投資家のための中国労働法令集1998年1月

日本国際貿易促進協会 国貿促労働1998年

Page 61: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

― 60―

中華人民共和国経済法令集第 4集1987年 7月, 第 5集1987年12月

日中経済法律センター 法令速報1987年

中華人民共和国経済法令集第 7集1988年12月

日中経済法律センター 法令速報1988年

中華人民共和国経済法令集第 8集1990年 1月

日中経済法律センター 法令速報1990年

中華人民共和国経済法令集第 9集1991年 4月, 第10集1991年 8月

日中経済法律センター 法令速報1991年

中華人民共和国経済法令集第11集1992年 9月

日中経済法律センター 法令速報1992年

中華人民共和国経済法令集第12集1993年 8月

日中経済法律センター 法令速報1993年

中華人民共和国経済法令集第14集1994年 8月,第15集1994年10月,1994年12月

日中経済法律センター 法令速報1994年

中華人民共和国経済法令集第17集1995年 6月

日中経済法律センター 法令速報1995年

中国法令速報1990年 7 月11日号から1990年 9月26日号まで, 東アジア法令速報1990年10月10日号から1990年12月12日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1990年

東アジア法令速報1991年 1月 9日号から1991年12月25日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1991年

東アジア法令速報1992年 1月 8日号から1992年12月24日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1992年

東アジア法令速報1993年 2月10日号から1993年12月22日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1993年

東アジア法令速報1994年 1月12日号から1994年12月28日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1994年

東アジア法令速報1995年 1月25日号から1995年12月27日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1995年

東アジア法令速報1996年 1月16日号から1996年 3月13日号

日中経済法律センター 法令速報(週刊)1996年

東アジア法令速報1997年 1月 8日号から1997年12月 3日号

東アジア経済法律センター

法令速報(週刊)1997年

東アジア法令速報1997年 1月 7日号から1997年12月 9日号

東アジア経済法律センター

法令速報(週刊)1998年

東アジア経済法令速報1999年 4月14日から1999年 6月23日号

東アジア経済法律センター

法令速報(週刊)1999年

東アジア経済法令速報2000年 1月 1日から2000年12月27日号

糸賀法律事務所 法令速報(週刊)2000年

東アジア経済法令速報2001年 1月 1日から2001年12月26日号

糸賀法律事務所 法令速報(週刊)2001年

東アジア経済法令速報2002年 1月 9日から2002年12月25日号

糸賀法律事務所 法令速報(週刊)2002年

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中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 61―

東アジア経済法令速報2002年 1月 9日から2002年12月25日号

糸賀法律事務所 法令速報(週刊)2003年

東アジア経済法令速報2004年 1月14日から2004年12月22日号

糸賀法律事務所 法令速報(週刊)2004年

東アジア経済法令速報2005年 1月12日から2005年12月28日号

弁護士法人キャスト糸賀

法令速報(週刊)2005年

東アジア経済法令速報2005年 1月12日から2005年12月28日号

弁護士法人キャスト糸賀

法令速報(週刊)2006年

東アジア経済法令速報2007年 1月10日から2007年 3月28日号

弁護士法人キャスト糸賀

法令速報(週刊)2007年

現行中華人民共和国六法 ぎょうせい ぎょうせい1982年~2006年

月刊中国法令1996年 6月号から1996年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令1996年

月刊中国法令1997年 1月号から1997年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令1997年

月刊中国法令1998年 1月号から1998年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令1998年

月刊中国法令1999年 1月号から1999年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令1999年

月刊中国法令2000年 1月号から2000年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令2000年

月刊中国法令2001年 1月号から2001年12月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令2001年

月刊中国法令2002年 1月号から2002年3月号

コマースクリエイト株式会社

中国法令2002年

月刊中国法令2002年 4月号から2002年12月号

株式会社アイ・ピー・エム

中国法令2002年

月刊中国法令2003年 1月号から2003年12月号

株式会社アイ・ピー・エム

中国法令2003年

月刊中国法令2004年 1月号から2004年12月号

株式会社アイ・ピー・エム

中国法令2004年

月刊中国法令2005年 1月号から2005年12月号

株式会社アイ・ピー・エム

中国法令2005年

月刊中国法令2007年 1月号から2004年5月号

株式会社アイ・ピー・エム

中国法令2007年

日中対訳中国労働関係法令集2002年度版

コマースクリエイト株式会社

コマース労働2002年

日中対訳中国労働関係法令集2004年度版

株式会社アイ・ピー・エム

IPM労働2004年

日中対訳中国会社法法令集2004年度版 株式会社アイ・ピー・エム

IPM会社法2004年

日中対訳中国会社法法令集2007年度版 株式会社アイ・ピー・エム

IPM会社法2007年

Page 63: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

(原稿受付 2007年 5月 30日)

― 62―

投資機構会員ネット・データライブラリー法令集2004年 1 月, 2004年 6 月(上下)

日中投資促進機構 投資促進2004年

投資機構会員ネット・データライブラリー法令集2005年 6月 (上中下)

日中投資促進機構 投資促進2005年

対中投資関連法令集 (ネット・データライブラリー) 2007年 2月10日

日中投資促進機構 投資促進2007年

*今回の資料収集については, 日中投資促進機構の大高ゆかり氏に全面的にご協

力いただいた。 この場を借りてお礼を申し上げたい。

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中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 63―

表主な中国法令集における発行年別の日本語訳語の変化

中国語原文

法令集

略称

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

又は

経理

副総経理

又は

副経理

国貿促

1984年

①外国商人

②外国業者

③外商

外資企業

①董事会

〈取締役会〉

②董事会

①董事長

�取締役会長�

①副董事長

〈取締役副会長�

②副董事長

①総経理

〈社長〉

②総経理

①副総経理

〈副社長�

②副総経理

国貿促

1986年

①外国投資企業

②外資企業

①外国投資家

②外国投資者

100%外資企

業①取締役会

②董事会

(取締役会)

董事長

副董事長

総経理

副総経理

国貿促

1987年

外国投資企業

①外国投資家①外資企業

②10

0%外資

企業

①取締役会

②董事会

総経理

国貿促

1988年

外国投資企業

①外国投資家

②外国の投資

①10

0%出資

企業

②10

0%外資

企業

①董事会

(取締役会)

②董事会

③取締役会

取締役会の会

長副会長

社長

国貿促

1989年

①外国投資企業

②外国投資家投

資企業

①外国投資家

100%出資

企業

②外資企業

①董事長

(代表取締役)

正副総経理

[社長,副社

長]

正副総経理

[社長,副社

長]

国貿促

1990年

外国投資企業

外国投資家

①外資企業

②10

0%外資

企業

①取締役会

②董事会

董事長

副董事長

①社長

②総経理

①副社長

②副総経理

国貿促

1992年

外国投資企業

①外国投資家①外資企業

②10

0%外資

企業

①董事会

②取締役会

①董事長

②取締役会長

③董事長

�取締役会長�

④会長

①副董事長

②副取締役会長

③副董事長

〈取締役副会長〉

①総経理

②社長

③総経理

〈社長〉

①副総経理

②副社長

③副総経理

〈副社長〉

Page 65: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

― 64―

中国語原文

法令集

略称

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

又は

経理

副総経理

又は

副経理

国貿促

1996年

外国投資企業

外国投資家

①外資企業

②10

0%外資

企業

取締役会

①取締役会長

②会長

副取締役会長社長

副社長

国貿促

1998年

外国投資企業

①外資企業

②10

0%外資

企業

取締役会

社長

国貿促

2000年

外国投資企業

外国投資家

①外資企業

②10

0%外資

企業

①取締役会

②董事会

①取締役会長

②会長

③董事長

①副取締役会長

②副会長

③取締役副会長

①社長

②支配人

(経理)

副社長

国貿促

2003年

外商投資企業

外国投資家

①外資独資企業

②外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

国貿促

2004年

外商投資企業

外国投資家

外資独資企業董事会

董事長

マネージャー

(原文は「経理」)

国貿促労働

1998年

外国投資企業

①外資企業

②10

0%外資

企業

取締役会長

正副社長

(総経理)

法令速報

1987年

外国投資家投資

企業

外国投資家

法令速報

1988年

外国投資家投資

企業

外国投資家

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

法令速報

1990年

①外国投資家投

資企業

②外国企業

外国投資家

①外国投資家

単独企業

②外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

Page 66: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 65―

法令速報

1991年

外国投資家投資

企業

外国投資家

①取締役会

②取締役会

[董事会]

③董事会

①取締役会会

長[董事長]

②董事長

副会長

①総支配人

[総経理]

②正副総支配人

正副総支配人

法令速報

1992年

外国投資家投資

企業

①外国投資家

②外国商人

①外資企業

②10

0%外資

企業

董事会

董事長

総経理

副総経理

法令速報

1993年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

法令速報

1994年

外国投資家投資

企業

外国投資家

董事会

董事長

副董事長

経理

副経理

法令速報

1995年

外国投資家投資

企業

外国投資家

①外資企業

②外国投資家

独資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

1990年

外国投資家投資

企業

外国投資家

①外資企業

②外国投資家

独資企業

董事長

副董事長

総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

1991年

外国投資家投資

企業

外国投資家

①外資企業

②外国投資家

独資企業

③単独出資企業

④単独出資経

営企業

董事会

法令速報

(週刊)

1992年

外国投資家投資

企業

①外国商人

②外国投資家①外資企業

②10

0%外資

企業

董事会

董事長

①経理

②総経理

①副総経理

②副経理

法令速報

(週刊)

1993年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

董事長

①経理

②総経理

①副総経理

②副経理

Page 67: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

― 66―

中国語原文

法令集

略称

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

又は

経理

副総経理

又は

副経理

法令速報

(週刊)

1994年

外国投資家投資

企業

外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

1995年

外国投資家投資

企業

外国投資家

①外資企業

②外国投資家

独資企業

董事会

董事長

①経理

②総経理

法令速報

(週刊)

1996年

外国投資家投資

企業外商投資企業

外資企業

法令速報

(週刊)

1997年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

①経理

②総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

1998年

外国投資家投資

企業

外資企業

董事会

董事長

総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

199

9年

外国投資家投資

企業

外国商人

外国投資家独

資企業

董事会

董事長

総経理

法令速報

(週刊)

2000年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

2001年

外国投資家投資

企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

Page 68: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 67―

法令速報

(週刊)

2002年

外国投資家投資

企業

外資企業

董事会

董事長

総経理

法令速報

(週刊)

2003年

外国投資家投資

企業

外資企業

董事会

董事長

総経理

法令速報

(週刊)

2004年

外国投資家投資

企業

董事会

董事長

総経理

副総経理

法令速報

(週刊)

2005年

外国投資家投資

企業

外資企業

董事会

法令速報

(週刊)

2006年

外国投資家投資

企業

董事会

董事長

副董事長

経理

法令速報

(週刊)

2007年

外国投資家投資

企業

外資企業

ぎょうせい

1982年

外商

ぎょうせい

1983年

外国投資家投資

企業

取締役会

[編注:董事

会]

代表取締役

[編注:董事

長]

副代表取締役

[編注:副董

事長]

総支配人

[編注:総経

理]

副総支配人

[編注:副総

経理]

ぎょうせい

1984年

取締役会会長

ぎょうせい

1986年

外国投資家

外資企業

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― 68―

中国語原文

法令集

略称

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

又は

経理

副総経理

又は

副経理

ぎょうせい

1987年

取締役会

[編注:董事

会]

取締役会,副

会長[編注:正副

董事長]

取締役会,副

会長[編注:正副

董事長]

社長又は副社

長 [編注:総経

理又は副総経

理]

社長又は副社

長 [編注:総経

理又は副総経

理]

ぎょうせい

1988年

外国投資家投資

企業

①外国投資家

単独出資企

業②外資企業

取締役会

[編注:董事

会]

総支配人

ぎょうせい

1989年

外国投資家投資

企業

ぎょうせい

1990年

外資企業

取締役会会長

[編注:董事

長]

代表取締役社長

[編注:総経

理]

ぎょうせい

1991年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

ぎょうせい

1992年

外国投資家投資

企業

外資企業

取締役会

[編注:董事

会]

代表取締役

[編注:董事

長]

支配人

[編注:経理]副支配人

[編注:副経

理]

ぎょうせい

1993年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

[編注:取締

役会]

経理[支配人]

副経理

ぎょうせい

1994年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

取締役会

[編注:董事

会]

Page 70: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 69―

ぎょうせい

1995年

外国投資家

取締役会

[編注:董事

会]

支配人

[編注:総経

理]

ぎょうせい

1996年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

取締役会

[編注:董事

会]

ぎょうせい

1997年

外国投資家投資

企業

ぎょうせい

1999年

外国投資家投資

企業

ぎょうせい

2000年

外国投資家投資

企業

社長[編注:董事

長]

副社長

[編注:副董

事長]

ぎょうせい

2001年

外国投資家

外資企業

ぎょうせい

2002年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

ぎょうせい

2003年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外資企業

董事会

総経理

ぎょうせい

2004年

外国投資家

取締役会

[編注:董事

会]

ぎょうせい

2005年

外国投資家投資

企業

外国投資家

董事会

[編注:取締

役会]

ぎょうせい

2006年

外国投資家投資

企業

外国投資家

外国投資家独

資企業

董事会

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― 70―

中国語原文

法令集

略称

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

又は

経理

副総経理

又は

副経理

中国法令

1996年

外国投資企業

外資企業

董事会

董事長

副董事長

総経理

中国法令

1997年

①外国投資企業

②外商投資企業外国投資者

外資企業

董事会

経理

中国法令

1998年

外商投資企業

中国法令

1999年

外商投資企業

外国企業

①外商独資企

業②外資企業

董事会

中国法令

2000年

①外商投資企業

②外資投資企業外国

外資企業

董事会

経理

中国法令

2001年

外商投資企業

外国

外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

中国法令

2002年

外商投資企業

外商

外資企業

董事会

董事長

総経理

副総経理

中国法令

2003年

外商投資企業

外国投資者

董事会

董事長

副董事長

中国法令

2004年

外商投資企業

外国投資者

外資企業

董事会

中国法令

2005年

外商投資企業

①外商

②外国投資者①外商独資企

業②外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

中国法令

2006年

外商投資企業

外資企業

董事会

総経理

Page 72: ISSN 1348 8384 - journal.takushoku-u.ac.jpjournal.takushoku-u.ac.jp/lcri/lcri_115.pdf · 新たな文型や表現,語を導入する場合,まずその用法を分析する必要が

中国法令における日本語訳の変化 (関口) ― 71―

中国法令

2007年

董事会

董事長

副董事長

総経理

副総経理

コマース労働

2002年

外商投資企業

独資企業

董事会

董事長

副董事長

IPM労働

2004年

外商投資企業

外商独資企業董事会

IPM会社法

2004年

外商投資企業

外商独資企業董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

IPM会社法

2007年

外商投資企業

外商独資企業董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

副総経理

投資促進

2004年

外商投資企業

外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

①副総経理

②副経理

投資促進

2005年

外商投資企業

董事会

董事長

副董事長

投資促進

2007年

外商投資企業

外資企業

董事会

董事長

副董事長

①経理

②総経理

①副総経理

②副経理

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- 73 -

〈資 料〉

骊情都付两春秋

  别矣校园,临风走笔  

大 方 高 典

一、荷塘蓦回首,花朵香中,嗅得到自己青春的背影

“这几天,心里颇不宁静”,是朱自清〈荷塘月色〉的一句开头。光假日

月,小文就不费工夫,权借一下,由此落笔,因为它,也正符合在下本身的

“这几天”。岁次丁亥,弦歌伊始,举头粉樱似霞,而自己却得跟拓大道别了。

屈指星霜,倏忽卅载,前月为止,算已退休,今日从新起跑,乃是多蒙垂爱,

返聘一年,十驾驽马,始得再序春秋(1)。

颇不宁静。踱步于荷池,教授常谈经典,却没告诉读者去来胸臆,起伏

者何。听任月华似水,毫彩如云,这溶溶深致,原本就属雅人。

可营营小我,哪解沉默之为物,足以赛金,认得的是大白天,只因扬声

有器,也就难免饶舌。不善独处,斯之谓乎。新生训练是年年岁岁,都在富

士山麓举行,五水环坡,其中之一的河口湖畔,包下旅舍欢聚两天,乃是岁

岁年年的花儿相似,惟有浪衔首尾,人则不同。灵峰烁雪,对着一张张稚嫩

的脸庞,麦克风在手,这新年度,我告诉大家,老师现在迎来各位,十二个

月后,就得轮你们送走老师了。当然,才录取的小伙,兴高采烈的,谁肯多

留意一个陌生大人,独白背后的那另种心情。当时话儿出口,转觉多余,抛

眼窗外,只见山如旧友,水似新眸,都欲问你呢,去的是哪边儿(2)。

由家喻户晓的月塘散文,魂借一缕,勾出了如许喋喋,这,倒也不全是

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- 74 -

而今僧庐,在叹次回樱好,徒笑春风,撩吾思绪,剪不断它。说起这一段,

话儿要长些。回溯初中时代,国文课里,我们就念过这一篇。当时在台湾,

智仁勇,还是童子军呢,从未想到有朝一日,也能脚踩那小路的曲折,目睹

那丰姿的杨柳的(3)。

是去年八月,拓大派遣短训班,前往北京大学研修汉语,负笈三周,需

人领队,可汗点兵,不偏不倚地轮到了卑职。此桩差使,除了应有的热诚,

还得靠你天生的体力,偕赴教学楼,陪趋诊疗所,全天候外加廿四小时,最

怕的是贴身的电话铃响,有人发烧,怎专挑半夜。

不过幸而,也能巧逢人人健硕,惠我以公余。偷得半日清闲,这种时

候,跟北大的老师聊起,提到清华大学,告以在寻找纸上的迷蒙,那也曾照

过台北我少时的,依稀月色。清华离北大,是咫尺车程,劳他们伸以援手,

导引我,身历了一下那水木所在的校园。进去,找到了荷塘,田田未改,花

香依旧,微风过处,仿佛年光倒流。那天的我,又一次,嗅到了自己青春的

背影(4)。

二、诉与谁的半世柳棉,带不走的一痕云彩

暑假事儿忙,大王千岁,带的是五十名左右的一年级。然虽繁琐,只要

眼观耳听,不顾此而于忙中失彼,囊萤窗下,倒也有乐在焉。最应感谢的是

主方北大的安排,无论授课时,或者下学后,都是一片热忱,十分周到。咱

们的飘洋学子,原本新鲜,生日,也似爱集中于盛夏,过起来连三接二的,

是络绎不绝。而喜逢璋瓦(5),学校回回,总不忘为她们庆生,祝他们快乐。

结业典礼上,我替这群男女孩子,传达了每个人心头的话语:“水果与蛋糕,

跟小寿星们欣喜的笑靥,是同样地香甜。来到北京,满十九,迎二十,有这

么个大家庭,真是够幸福的。我们也很高兴,看到下一代的主人翁,由江户

到燕城,首出远门,就能尝到二都的温暖,尝到四海的亲情。”

结业上台,那已是末尾。往回跳,且说从头。当初签证,团队拿的是短

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骊情都付两春秋(大方) - 75 -

期,日程也就相当紧凑,此地大考过去,立刻就得出发。那边首都机场抵达

后,北大有校车来接。人员行李,都点清了,于是辚辚上道。一路欠马萧萧,

而平坦如砥,红绿灯无,照样快得很。破旧的脑袋,自个儿的,只装了一部

《骆驼祥子》,如今坑坑不见,早没他的大脚印了。环线远抛,楼峰近峙,左

右市容,叫你目不暇给(6)。

大车是连开两部,就这样直驶驾临,来到栖身所在,曰“邮电疗养院”,

饭店其实也。属国营,楼分南北,雅素则一。进了大厅,人满而物多,不能

老挤那儿,得当场编排名册,分配旅斋,够忙一阵子的。首日的数桌晚餐,

总是由公家代垫,口袋里众伙儿塞着日钞呢,可一下子兑换不了,只能静候

银行,看下回何时受理。

如此而又这般,杂杂沓沓,弄到戴月披星,须验妥各房各铺,都熄灯就

寝了,方能舒一口气。坐了下来,摊开日记本,轻轻地,缀上了八个字:“人

静夜阑,一夕无话。”瞧瞧句子,都羡它互倚成双,惟有此身一叶,却是无

偶孤零。抬眼外头,见得着月光锁户;敛瞳屋内,听不到的,则是钟磬之敲

门(7)。

晨呼电话,现有柜台服务,可以不待鸡鸣。次日,学校也总循定则,要

先举行一次测验,丙丁甲乙,得弄清楚,好凭高下分班。此关待过,一大事

也,故而前晚临睡,“保姆”的这头,也必三令五申,莫得迟滞,楼下等着呢,

晓得斯疾也,斯人必有,是千呼万唤,殿后那寥寥一二,方肯出来(8)。

大厅一早,不紧不急,也算集合了。点清人马,浩浩荡荡,出邮疗,赶

考去。桌椅相候的校舍之遥,非止一箭,有个必经的入口,宫殿式的,通称

西门,照片上习睹的“北京大学”四个字,就挥署于上头。高扉炫彩,有檐

美奂,可以避水兼遮阳,朝朝暮暮,总见得着家长亲率小孩儿,吾家之锦鳞

也,特来外望,发愿似地端稳相机,快门一眨,许尽了天下父母之心(9)。

相形之下,可贺可喜的,该推本校英才,早已提名金榜,此番是投师远

道,虽等璞玉浑金,斯文未作,然而吾辈,皆属贤郎,已非孙山所咏,可无

忧矣(10)。

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- 76 -

大可无忧,以为你我得高而枕之呢,哪知风起云飞,是照样不测。首日

头天,浩荡外出,刚走一小段,凑巧不凑巧,竟滴滴答答落起雨来。又以为

没啥要紧,复行了不止数十步,哪知居然,是开朗不了,倒反而转为滂沱。

维艰步履,好容易蹭到西门,倾盆的天公赫赫,此际更添上了其雷殷殷,分

明入耳,真个是不同凡响。当年文王所避,是否也类眼前(11),正在那儿流

离颠沛,胡思乱想的时候,一位事务先生,雨中送伞,抱了一大堆过来,自

己都淋湿了。我们这一队,北大派有助手两名,随时照料;进退维谷,乃手

机告的急。

潇潇了有多久,终告雨歇。伞不用了,收回来,这才察觉到是何其多也。

临时搜购的几十把,东市骏马北市长鞭的,一番奔走,能不叫人歉疚在怀,

铭感于衷。既劳心矣兼又劳力,则所费几何,至少负担理应在我,而主人是

东道热情,不肯接受。也是结业典礼,事后我回溯了一下这一幕:“古人说

听雨歌楼,听雨客舟,都没有这一次,伞面上跳跃的水珠,来得清脆又悦耳。

对我们,这是一个难忘的北京的早晨;一场京城朝雨,洗出的校园柳色,将

是永不消褪的,因为它,也同时染就了我们今日,临别的依依。”说校园,

当推北大,辽阔而幽深,林亭耸翠,湖有未名。平日走着,爱的是那栏杆的

垂柳,尽日之和风(12)。

“诸君也是北大校友了。”得空跟学生们聊起,我会如此戏言,半是呵呵,

一半则含鼓励。但雨后的上一节不同,轮到礼堂,是仪氛严肃,岂等茶余。

临走了,怯登台,心牵别绪,词致离情,这,就非玩耍,止于口头了,良深

感慨,是来自多方。课程修了,颁发证书的期满之前,为宾身份的我们拓大,

也敬备菲酌,权充谢师小宴,略表了下寸忱。一席欢晤,谈笑间,有老师询

及我的出身,对曰生小本姓刘,野里居南岛,台湾大学中国文学系暨研究所

毕的业。钻研故纸,斯时被目为冷门,厉雪厉霜,仅次于考古人类学系。而

我不知怎的,小牛犊,大无畏,斗胆给填上了第一志愿。恭喜高中之后,所

感所觉,不外是周围眼光的讶异。线装书好,当年凭的不过是兴趣,现想起

来,始悟当时是人在福中。中文系的木铎夫子,台大那时候的,都是西东羁

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骊情都付两春秋(大方) - 77 -

旅的过海硕儒;邦之彦兮,其中自含北大。如坐春风,现今忆起,无知者小

子,原来是顺着潮流,也躬逢了黄金时代(13)。

夙龄求学,有过上述一段,所以生徒之吾侪,早聆听过静园的,海淀的,

这所最高学府,在水一方,如葵向日。没想到椰树参天的母校,告别了它,

半生过矣,而缘份犹存,还能有日,蒹葭渡水,足履身临,每天每天,穿梭

于万仞墙内,得让昔时的,晨霭迷睫;迢递的,晓烟拂耳  宿舍点过名,

课上首节,大伙儿于是趾移高厦。这引导工作,成了例行,馆下之诸生或女

或男,都是奉陪有待;业精于勤,但也必有磨而蹭之者,专赖先生劳苦,扶

掖频仍(14)。

力求齐整。每早出门,总是这样,最忌耽搁,晓得老师已在教室里等候。

须把学生准时带到,一介公仆,乃使命也,理当如此,并不在苦中。可喜者,

还能一旁作乐,叨了点儿光的是,通幽曲径,可藉此欣赏一下曙色的万千。

乐见曦日,灼灼其花;偶遇雾浓,则深深几许。红绿参差固不错,能想起整

本背过的三百篇;而乳白一色呢,也满好,迷失的,就叫你更弄不清是此际

的楼台,还是往昔的津渡了。“该走了,带不走的东西很多,然而我们,还

是得走。”作别刹那,也是结业式中,游子故人,我禁不住透露了点儿心声:

“带来的学生,只知道有一个大方老师,每天每天,唠唠叨叨,挥之不去;

他们不了解,其实还有一个刘老师,是静静地来,悄悄地走,有如陆放翁的

半世柳棉,又像徐志摩的一痕云彩(15)。”

三、擦过眼泪,也见过彩虹   祝愿学子莘莘,能够标清骨,傲严霜

写到这儿,稿纸张数,闪起黄灯,觉得该止步了。答应过学校,小论耳,

非长篇,不作滔滔的,虑及排版困难。反正,很高兴见到咱们的如云小将,

庠历更新后,升班了,手拉着手,青春作伴,来修大方老师的课。我是不教

一年级的,以故阔别数月,称名姓,忆旧容,见都坐对着韦编呢,不觉莞尔。

长幼互处而有序,朋友相交,亦有信焉,惟独载欣载奔,嘁喳之恼人则一,

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故我依然,是同乐今春,无殊去夏(16)。

说高兴,这儿其实,是另含着层意思。都健壮了,过道碰头,招呼打得

是那么爽朗,不再头疼脑热的,缠你叫车,央谁救护。到底是家乡好,登楼

四望,水土不侵,而老师跟着受惠,也得以显敞销忧,松了口气(17)。

就医事,前文一笔带过,语焉而弊在不详。囿于篇幅,干脆,何不给它

个未完成,虽非弦管,而同属三节,效颦可也。或水土,或思家,反正周身

不适,类此人多,于是乎觅诊登门,几无宁日,住院了,你也得通宵达旦,

不敢废离(18)。就有那么位娇生小姐,伤了点儿脚趾头,在那儿低泣红窗,

声声入耳。老师呢,疼在心底,也一旁安慰着,可哪儿替代得了爷娘唤女。

高明的大夫科技万全,然而是治不了这个的,只有撂将过来。见她伤痕隐隐,

仰起脸,是盈眶祈求的泪花。可不,就剩老师了,得是菩萨;无边苦海,真

叫何处慈航。

现在好,恢复了笑容。感谢她,给了本文一个圆满的幕落。旭日东升,

不多写了,老师歇歇脚,你们走下去。坚强着点儿,能够标清骨,傲严霜,

则慧在其中,美,在其中矣(19)。

《注》

( 1 ) “无众星之明,假日月之光。”见曹丕〈与吴质书〉。“驽马十驾,功在不舍。”

《荀子》〈劝学〉。“日月忽其不淹兮,春与秋其代序。”《楚辞》〈离骚〉。“满眼

不堪三月暮,举头已觉千山绿。”“众里寻他千百度,蓦然回首,那人却在,灯

火阑珊处。”则分见辛弃疾〈满江红〉〈青玉案〉。骊歌赘述,可以毋庸,姑出

李白〈送友人〉:“挥手自兹去,萧萧班马鸣。”备参可也。

( 2 ) 朱氏著有《经典常谈》。挥毫渲彩,之谓“毫彩”。

“路上只我一个人,背着手踱着。”又“我爱热闹,也爱独处。”俱见〈荷塘

月色〉。

“尝自谓作文如行云流水,初无定质。”《宋史》第三百三十八卷,〈苏轼传〉。

苏轼〈临江仙〉:“长恨此身非我有,何时忘却营营 !”刘廷芝〈代悲白头翁〉:

“年年岁岁花相似,岁岁年年人不同。”王观〈卜算子〉:“水是眼波横,山是眉

峰聚,欲问行人去哪边,眉眼盈盈处。”

当时国内情势动荡不安,作者“通过对荷香月色的细致描写…表露了自己对

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现实感触甚重的情怀。”《朱自清传》如此说明。131 页。

( 3 ) 《红楼梦》第三十七回 :“偷来梨蕊三分白,借得梅花一缕魂。”蒋捷〈虞美人〉:

“少年听雨歌楼上,红烛昏罗帐。壮年听雨客舟中,江阔云低,断雁叫西风。

而今听雨僧庐下,鬓已星星也;悲欢离合总无情,一任阶前点滴到天明。”崔

护〈来岁清明〉:“去年今日此门中,人面桃花相映红。人面只今何处去,桃花

依旧笑春风。”李璟〈乌夜啼〉:“剪不断,理还乱,是离愁。”

学生时代,吾等“青年”,恪遵者“守则”十二,童军则仰达德三分。《论语》

〈宪问〉:“仁者不忧,知者不惑,勇者不惧。”又见《礼记》〈中庸〉:“好学近

乎知,力行近乎仁,知耻近乎勇。”

“沿着荷塘,是一条曲折的小煤屑路。”“但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得

出。”同见〈荷塘月色〉。

下文出自〈木兰辞〉:“昨夜见军帖,可汗大点兵。”

( 4 ) “景仄鸣禽集,水木湛清华。”谢混〈游西池〉。朱自清也是北大毕业,曾执

教于清华大学。“水木清华”,后者校内有处横披,悬此四字。

“曲曲折折的荷塘上面,弥望的是田田的叶子。”“微风过处,送来缕缕清香,

仿佛远处高楼上渺茫的歌声似的。”〈荷塘月色〉。“江南可采莲,莲叶何田田 !”

古乐府〈江南〉。

〈背影〉一篇,同为朱氏名笔,上国文,半大孩子的我们背诵过。

( 5 ) 《诗》小雅〈斯干〉:“乃生男子…载弄之璋。”“乃生女子…载弄之瓦。”此指

学生生日。

“freshman”,或译“新鲜人”。

笔者小学毕业时所唱〈青青校树〉第二首,有“青青校树,灼灼庭花,记取

囊萤窗下”句。作者未详。

“千岁大王”,语见《西游记》,第一回。

( 6 ) 杜甫〈兵车行〉:“车辚辚,马萧萧。”《诗》小雅〈大东〉:“周道如砥,其直

如矢。”

“一眼他看到昨夜自己留下的大脚印,虽然又被雪埋上,可是一坑坑的还看

得很真。”老舍《骆驼祥子》,第十三章。本书“…以旧时代的北京为背景,写

人力车夫骆驼祥子的悲惨遭遇。”人民文学出版社〈出版说明〉。

“环线”,指北京的一道道环状公路。

( 7 ) 苏州寒山寺有一楹联,题 :“座上有寒山拾得仍是钟声敲佛地,庭中无杂垢

嚣氛何须月影锁禅门。”

( 8 ) “斯人也,而有斯疾也 !”《论语》〈雍也〉。“千呼万唤始出来,犹抱琵琶半

遮面。”白居易〈琵琶行〉。

( 9 ) “蜀江水碧蜀山青,圣主朝朝暮暮情。”白居易〈长恨歌〉。

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“沙鸥翔集,锦鳞游泳。”范仲淹〈岳阳楼记〉。吾家之所指,非它,“必河之

鲤。”《诗》陈风〈衡门〉。

《论语》〈子张〉:“夫子之墙数仞,不得其门而入,不见宗庙之美,百官之富。”

《幼学句解》卷三 :“未获及门,曰宫墙外望。”

“紧急集合”,部队里不陌生。

(10) “世质民淳,斯文未作。”萧统〈文选序〉。

“解名尽处是孙山,贤郎更在孙山外。”范公偁《过庭录》。按欧阳修〈踏莎行〉,

有“平芜尽处是春山,行人更在春山外”句。

(11) “崤有二陵焉,其北陵,文王之所辟风雨也。”《左传》僖公三十二年。“大风

起兮云飞扬。”刘邦〈大风歌〉。“复行数十步,豁然开朗。”陶潜〈桃花源记〉。

“殷其雷,在南山之阳。”《诗》召南〈殷其雷〉。

(12) “凭阑处,潇潇雨歇。”岳飞〈满江红〉。“东市买骏马,西市买鞍鞯,南市买

辔头,北市买长鞭。”〈木兰辞〉。“渭城朝雨裛轻尘,客舍青青柳色新。”王维〈渭

城曲〉。“昔我往矣,杨柳依依。”《诗》小雅〈采薇〉。“飞絮蒙蒙,垂柳阑干尽

日风。”欧阳修〈采桑子〉。

听雨,参注 3。“未名湖”,湖名也,为哲学式北大一景。

“林亭感旧空回首。”见陆游〈禹迹寺南有沈氏小园,四十年前,尝题小阕壁

间,偶复一到,而园已易主,刻小阕于石,读之怅然〉。

下文“诸君”,并存日语。

(13) “昔作女儿时,生小出野里。”〈孔雀东南飞〉。“或为辽东帽,清操厉冰雪。”

文天祥〈正气歌〉。“快请范老爷出来,恭喜高中了 !”吴敬梓《儒林外史》,

第三回。“天将以夫子为木铎。”《论语》〈八佾〉。“时难年荒世业空,弟兄羁旅

各西东。”白居易〈望月有感〉。“彼其之子,邦之彦兮。”《诗》郑风〈羔裘〉。“童

子何知,躬逢盛饯。”王勃〈滕王阁序〉。

(14) 北大位于北京市海淀区,中文系前有草坪宽广。全校惟此一处,准许踏青;

也偏此一处,取名“静园”。

“所谓伊人,在水一方。”《诗》秦风〈蒹葭〉。“济济礼乐绕三千,万仞门墙瞻

圣贤。”孔尚任《桃花扇》,第三出。“国子先生晨入太学,召诸生立馆下。”“业

精于勤,荒于嬉。”“先生之于儒,可谓有劳矣。”并见韩愈〈进学解〉。三者之

外,另有一“馆”。拓大位于东京都,分两校区 : 文京与八王子。汉语系所在

的外语学院,属后者 ,地名“八王子市馆町”。

台大校园常绿 ,有大王椰子,夹植大道两侧,阔叶高擎,远伸如矢,展尽了

东南之美。

(15) “桃之夭夭,灼灼其华。”《诗》周南〈桃夭〉。“庭院深深深几许 ?杨柳堆烟,

帘幕无重数。”欧阳修〈蝶恋花〉。“雾失楼台,月迷津渡,桃源望断无寻处。”

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秦观〈踏莎行〉。“浮云游子意,落日故人情。”李白〈送友人〉。“梦断香消

四十年,沈园柳老不飞棉。”陆游〈沈园〉。“悄悄的我走了,正如我悄悄的来;

我挥一挥衣袖,不带走一片云彩。”徐志摩〈再别康桥〉。

(16) “猛将如云,谋臣如雨。”李陵〈答苏武书〉。“白日放歌须纵酒,青春作伴好

还乡。”杜甫〈闻官军收河南河北〉。“问姓惊初见,称名忆旧容。”李益〈喜见

外弟又言别〉。“坐对韦编灯动壁,高歌夜半雪压庐。”翁森〈四时读书乐〉。“长

幼有序,朋友有信。”《孟子》〈滕文公(上 )〉,又见朱熹〈白鹿洞书院学规〉。“乃

瞻衡宇,载欣载奔。”陶潜〈归去来辞〉。学年有历,或称“庠历”。

(17) 王粲〈登楼赋〉:“登兹楼以四望兮,聊暇日以销忧。览斯宇之所处兮,实显

敞而寡仇。”

(18) 修伯特创有交响曲,谱至一与二,第三乐章未完成。

“臣侍汤药,未曾废离。”李密〈陈情表〉。

(19) “不闻爷娘唤女声,但闻黄河流水声溅溅。”〈木兰辞〉。“梅标清骨,兰挺幽

芳;茶呈雅韵,李谢浓妆;杏娇疏雨,菊傲严霜。”《醒世恒言》第四卷,〈灌

园叟晚逢仙女〉。

参考文献

老舍《骆驼祥子》 一九五五年一月,北京第一版;一九八一年九月,北京第四次

印刷。人民文学出版社。

陈孝全《朱自清传》 一九九一年三月,第一版。北京十月文艺出版社。

(原稿受付 2007 年 6 月 6 日) 

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�紹 介〉

第49回国際アルタイ学者会議 (PIAC)

に出席して

松 本 幹 男

今回の会議は主管校がベルリン自由大学 (Freie Universit�at Berlin),

共催がドイツ学術協会 (Deutsche Forschungsgemeinschaft) で, ベル

リン郊外のテーゲル (Tegel) 飛行場に近い Hotel Christophorus �Haus

で開催された。 会場は鬱うつ

蒼そう

とした森に囲まれた閑静な所だった。 久し振り

にドイツに滞在して四六時中ドイツ語を耳にしていると, なんだかボンで

過した学生時代のことがしきりに思い出されてきた。 自分で言うのも気が

引けるが, あの頃はとにかく, ひたすら夢中で勉強していた。 もう 37年

も前のことで只々懐かしい。

今回は問題提起者の数も多く, A. B. C. 三つの部門に分かれて討議を

した。 なかでもトルコ学が中核となり精力的に議論が展開された。�Ismail

Bozkurt氏などは目を見張るばかりの活躍であった。 氏はキプロスのト

ルコ語学者であり, 自ら世界のトルコ系学者を集め Turnlarとして率い

ているばかりでなく, 作家としても旺盛な活動を続けられ, 近著短編集

“B�uc�ur ile G�olge” Zeytin Yay�nlar�, 2006を会場で頂いた。 まさに口も

八丁, 手も八丁の感であった。

又もう一人�Ismail Asanovitch KERIMOV氏も幅広く論を展開され,

討論でも氏の母語であるクリミア・タタール語はカザン・タタール語とまっ

たく異なることを強く主張されておられた。 氏からは “�����, � ����

���������������������” ����������, 2006を頂いた。

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7月 30日は夕方 6時から参加者に対する歓迎宴が催された。

7月 31日。 午前中は出席者全員が自己紹介を行い, 午後から本格的討

議となった。 私が興味をひかれたのは K�AROLY L�aszl�o氏の 「パラス編

‘Zoographia’ に見えるヤクート語の動物名」 で氏が今ヤクート語に関心

を向けておられる事情がよくわかった。

夕刻は会長 SINOR Denis氏の 90才誕生会が開かれ, プロの生演奏も

加わり, 歓を尽くした。 それにしても 90才を超えて, みなと一緒に踊り,

彼よりずっと若い者たちがまだ寝ていた翌早朝, 森でサイクリングを楽し

むというこの恐ろしきまでのエネルギーは一体どこから出てくるのか不思

議でならなかった。

8月 1日。 前出�I. Bozkurt氏の 「キプロス・トルコ人の信仰と伝統にお

けるシャマニズムの痕跡」 と題する報告を問題提起とし活発な討論が行わ

れた。 北方シャマニズムがキプロス島にまで見られると言うのには驚かさ

れた。 午後はこれ又前出�I. A. Kerimov氏の提起によるクリミヤ・タター

ルの問題が深く討議され会場を沸かせた。

8月 2日。 1日中船でポツダムに行き, 全員で清遊。 丸 1日を船旅で過

ごすというのはこの会議では異例のことではあったが, 気分転換にもなっ

て参加者からは好評を博した。

8月 3日。 �A. Sulayman氏のシエラ・ヨグル族についての報告でシエ

ラ・ヨグルは東ヨグルと西ヨグルに分かれ, 西ヨグルは古期ウイグル語に

連なるものであるが, 東ヨグルはモンゴル語系に属する方言を話している

と報告され俄然興味がわき, これは是非いつの日か現地調査をせねばなら

ないと思った。

8月 4日。 午前は自由時間。 午後, トルファン出土テクストの見学会に

行った。

8月 5日。 帰国。

いつものことながら刺激的で有益な会議であった。

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執筆者紹介

石 川 守 (外国語学部教授, 日本語教授法・日本語文法)

デヴィッド・A・プルーカ

(商学部特任講師, Applied Linguistics・TESOL)

関 口 美 幸 (外国語学部講師, 日中翻訳・日中比較文学比較文化)

大 方 高 典 (外国語学部教授, 中国古典文学・中国語学)

松 本 幹 男 (外国語学部教授, 言語学・英語学)

編集委員/石川 守 (外国語学部教授), 鵜沢武保 (商学

部教授), 先川暢郎 (政経学部教授)

拓殖大学 語学研究 第 115号平成 19年 9月 15日 印 刷

平成 19年 9月 25日 発 行

(頒布 1200円)

編 集 兼 発 行 人言語文化研究所所長 石 川 守

発 行 所 拓殖大学言語文化研究所

〒112�8585 東京都文京区小日向 3�4�14

TEL 03(3947)7595(直通)

印刷 株式会社 外為印刷