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パシュカーニス法理論の再検討(一) : 『法の一般理論とマルクス主義』をめぐって(Reconsidering Pashukanis's Legal Theory : On the GeneralTheory of Law and Marxism)
著者Author(s) 渋谷, 謙次郎
掲載誌・巻号・ページCitat ion 神戸法學雜誌 / Kobe law journal,62(1/2):59-131
刊行日Issue date 2012-09
資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文
版区分Resource Version publisher
権利Rights
DOI
JaLCDOI 10.24546/81004347
URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81004347
PDF issue: 2020-12-19
59神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
神戸法学雑誌第六十二巻第一・二号二〇一二年九月
パシュカーニス法理論の再検討(一)― 『法の一般理論とマルクス主義』をめぐって ―
渋 谷 謙次郎
生産物は価値という謎の本性をもつ商品に必然的に転化するが、これとおなじように人間が法的主体に必然的に転化する。-パシュカーニス-
(1)
目次
序論第一章 パシュカーニス法理論の特徴(一) 前史 (二) 同時代の法理論との関係 (三) 法の形態分析と歴史性(四) 所有権の発生 (五) 客観法と主観法 (六) 法と等価性(七) 法と国家 (八) 法の死滅
( 1 ) 本稿で参照したパシュカーニス『法の一般理論とマルクス主義』の原典は以下の
1927年に出版された第 3版である。Е.Б.Пашуканис.Общая теория права и марксизм.Издание третье,1927.引用の際、参考にした邦訳は、この第3版を底本とした稲子恒夫訳『法の一般理論とマルクス主義』(日本評論社、1958年)である。ただし、必要に応じて訳語を変更した。以下、同書からの引用、参照に際しては、原典第 3版をПашуканис (1927)と表記し、邦訳を「稲子訳」と表記する。なお、この冒頭の引用部分はПашуканис (1927).С.27.稲子訳67頁。
60 パシュカーニス法理論の再検討
第二章 日本におけるパシュカーニスの評価と批判(一) 前史 (二) 物象化と法的主体性―加古祐二郎―(三) 権利主義的法意識―加藤新平― (四) 所有と分業―川島武宜―(五) 法の本質規定―沼田稲次郎―(六) パシュカーニス論から「法と経済の一般理論」へ―藤田勇―(七) ロシア法文化とパシュカーニス―大江泰一郎― (以上、本号)
第三章 欧米諸国におけるパシュカーニスの評価と批判(一) パシュカーニス法理論の認知(二) ケルゼンとパシュカーニス―イデオロギー批判の同床異夢―(三) パシュカーニスの再発見と批判―福祉国家との関わりで―(四) 内在的批判から外在的批判へ (五)最近のパシュカーニス論の動向終章 まとめにかえて(一) パシュカーニス批判の諸特徴 (二) マルクスとパシュカーニス(三) パシュカーニスと自由主義 (四) 人類学と等価概念 (五) 結
序論
ソビエトの法学者エフゲーニ・ブロニスラヴォヴィッチ・パシュカーニスは、『法の一般理論とマルクス主義』(初版1924年)の著者として、かつて欧米や日本の法学者の間でも比較的よく知られていた。1937年、いわゆる大テロルの最中に「人民の敵」として逮捕され、志半ばで
世を去っている(2)
。パシュカーニスの著書に接して感銘を受けたという米国の法学者ロスコー・パウンドは、ほどなくして「(ソ連の五カ年計画)の始動とともに理論の改変が要請されたが、(パシュカーニスは)自説を新秩序の理論的要請に合わせるほどには迅速に立ち回らなかった」と述べた
(3)
。また第二次大戦後、パシュカーニスのことを、ハンス・ケルゼンは「ソビエト法理論の発展の第一期におけるその最も優れた代表者」、ロン・フラーは「おそらくは社会
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哲学に対して独自の貢献をなしたといえる唯一のソビエトの思想家」と前置きし、両者ともに、パシュカーニスの批評に一定の紙幅を費やした
(4)
。フリードリヒ・ハイエクは「(パシュカーニス)の業績は、ある期間ロシアの内外において、多くの注目を集めたが、のちに汚名を受けて、姿を消してしまった」と指摘していた
(5)
。このように、欧米諸国の、マルクス主義にはむしろ批判的な法学者などの間
でも、パシュカーニスが一時期ソビエトを代表する法学者としてみられ、彼の ( 2) 1937年 1 月20日に逮捕され、同年 9月 4日、ソ連邦最高裁判所軍事参与会で反
革命テロ組織への参加につき有罪判決を受け、同日に銃殺されている。1956年3 月31日に名誉回復された。なお人権団体メモリアルとロシア連邦大統領アルヒーフによって公表されている、いわゆる「スターリン目録」(スターリンおよびその他の共産党政治局員の署名による逮捕・銃殺予定者承認一覧)によると、パシュカーニスは、1937年 8 月31日付のスターリン、モロトフ、ヴォロシーロフ、ジダーノフ、カガノービッチ署名の「ソ連邦最高裁判所軍事参与会の審理に付す人物一覧(モスクワ市)」の「第一カテゴリー」(すなわち銃殺に処すべき人物)129名の 1人に含まれていた。このリストは以下のサイトで公表されている。http://stalin.memo.ru/(2012年 5 月現在)
( 3) Roscoe Pound,Administrative Law: Its Growth,Procedure and Significance (University of Pittsburgh Press,1942),p.127. なお、パウンドがパシュカーニスの著作に感銘を受けたという事実は、米国のソビエト法研究者ジョン・ハザードによる以下の記述による。「(1934年)パウンドは、パシュカーニスの主要著作のドイツ語訳を読んで非常に感銘を受けたため、まだ翻訳されていないパシュカーニスの著作を読むためにロシア語を勉強したいと語っていた。」Piers Beirne,Robert Sharlet,Pashukanis; Selected Writings on Marxism and Law ( Academic Press,1980),p.xi (Foreword by John N.Hazard).
( 4) Hans Kelsen,The Communist Theory of Law (Fredrick A.Praeger,Inc.,1955),p.89.矢部貞治・服部栄三・高橋悠・長尾龍一訳『ハンス・ケルゼン著作集Ⅱ:マルクス主義批判』(慈学社、2010年)386頁。Lon L.Fuller,The Morality of Law,Revised Edition (Yale University Press,1969),pp.24‒27.L.L.フラー(稲垣良典訳)『法と道徳』(有斐閣、1968年)27‒29頁。
( 5) F.A.Hayek,The Constitution of Liberty (Routledge & Kegan Paul,1960),p.240.気賀健三・古賀勝次郎訳『ハイエク全集第六巻:自由の条件Ⅱ』(春秋社、1987年)150頁。
62 パシュカーニス法理論の再検討
理論が論争を誘発するものであったことや、後に不本意な転向を強いられ粛清されたことが、知れ渡っていたようである。日本では、戦前から社会科学におけるマルクス主義の磁力が強かったことも
あいまって、早くも1930年に山之内一郎によるパシュカーニスの前述著書の邦訳が出ている(『法の一般理論とマルキシズム』改造社)。さらに1932年には佐藤栄による邦訳も出ている(『マルクス主義と法理学』共生閣)。ドイツ語版が1929年にベルリンで出ていることに次ぐ反応の早さであり(佐藤訳はドイツ語版が底本)、英訳や仏訳が出たのは第二次大戦後のことであった
(6)
。1958年には、稲子恒夫による邦訳も出された(『法の一般理論とマルクス主義』日本評論社)。同じ著書の邦訳が三種類出ているというのは、かなり異例のことだろう
(7)
。これらの訳者の他に、加古祐二郎、川島武宜、加藤新平、沼田稲次郎、藤田勇、大江泰一郎などの理論法学者達が、パシュカーニスの法理論に多かれ少なかれ触発される中で、それぞれ固有の理論的課題を追求していくことになった。これらの論者は、パシュカーニスの法理論に好意的であるとは限らず、むしろ批判的な側面も強い(後述)。
( 6) ドイツ語訳は以下の通り。E.Paschukanis,Allgemeine Rechtslehre und Marxismus,
Berlin 1929.英訳は複数出版・所収されている。B.Pashukanis,The General Theory of law and Marxism,Hugh Babb,John Hazard,Soviet Legal Philosophy (Harvard University Press,1951),pp.111‒225; Evgeny B.Pashukanis (Translated by Brabara Eihorn),Law and Marxism: A General Theory toward a Critique of the Fundamental Juridical Concepts (Pluto Press,1978); Piers Beirne,Robert Sharlet,Pashukanis: Selected Writings on Marxism and Law (Academic Press,1980),pp.37‒131; Evgeny B.Pashukanis,The General Theory of Law and Marxism (With a new introduction by Dragan Milovanovic,Transaction Publishers,2007).フランス語訳は1970年に出ている。Evgeny B.Pašukanis,La théorie générale du droit et le marxisme (Paris,1970).
( 7) 邦訳が三種類出されたことにも理由がないわけではない。山之内訳では、戦前の治安維持法体制下における「伏字」の部分が散見され、佐藤訳も同様なうえドイツ語版を底本にしている。そうしたこともあって、戦後、稲子恒夫がロシア語第三版から翻訳し直したと思われる。
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本稿では、1920-30年代のソ連国内における法学論争の中でのパシュカーニスの位置付け――これに関しては藤田勇の業績が大きいと思われる
(8)
――よりも、日本を含めたソ連国外でのパシュカーニスへの反応を重視しつつ、その理論的意義について再検討する。そのため本稿ではパシュカーニスのソ連国内での立ち位置に関連する細かい政治史的背景などについては、直接議論の対象とはしない。結論をやや抽象的に先取りすれば、パシュカーニスの独創的な法理論は、仮
に当時のソビエトの政治状況の文脈を離れて考えたとしても、一考慮に値し、法の一般理論あるいは原理論にとって、重要な手掛かりを残した。ただしパシュカーニスの方法論や仮説は、多くの批判にさらされたように、様々な点で問題含みでもあり、それでも資本制社会と法との内的関連を考える際、さらにこういってよければ「人類学的」に近代法を眺める場合、パシュカーニスの法理論は議論のたたき台ともなろう。なおここでは、パシュカーニスの法理論を、様々な法的現象の現状分析のツールとして蘇らせようというところまでは意図していない。パシュカーニスの法理論を考える際、参照すべきは、やはり、当初は無名
だった彼が習作的意図で自由闊達に書いたと思われる『法の一般理論とマルクス主義』である(以下、『一般理論』と略)。その野心的なタイトルからも推察できるように、パシュカーニスはマルクスの方法論からヒントを得て、法という範疇の歴史的性格について考察する。そこでは、資本制社会において最盛期を迎える法という形態の存立根拠についての解明が試みられ、さらに市場原理に代わって計画原理が優位になっていくことに由来する名高き――悪名高き―
( 8) 藤田勇『ソビエト法理論史研究1917‒1938:ロシア革命とマルクス主義法学方
法論』(岩波書店、1968年)。また同時期に米国の研究者ロバート・シャーレットがインディアナ大学に提出した以下のパシュカーニスに関する博士論文が1920年代後半のソビエト法学論争を扱っている。Robert Sharlet,Pashukanis and the Commodity Exchange Theory of Law,1924‒1930: A Study in Soviet Marxist Legal Thought,Indiana University,Ph.D.,1968.
64 パシュカーニス法理論の再検討
―「法の死滅」が演繹される。著書のタイトルにもある「法」を意味するロシア語の「プラーヴァ」は、ドイツ語の「レヒト」に対応しており、ロシア語でも「客観的」な法=規範、「主観的」な法=権利というような語法がしばしばなされ、現にパシュカーニスの著書でも、そうした区分が議論対象となっている(後述)。『一般理論』の後、パシュカーニスは、1920年代後半に書いたいくつかの小論においても、注目すべき記述を残しているが
(9)
、1930年代になると、筆致はむしろさえなくなる。政治状況の変転によって自己批判を余儀なくされていき、1932年に出た『国家と法の学説』では、パシュカーニスが編者として序文を書いており、本書は、いわゆる史的唯物論の教科書としての価値はあるが、従来のパシュカーニスのアイデアは後景に退いている
(10)
。パシュカーニスについて日本では少なからぬ法学者達が論文や著書で触れ
ているものの、『一般理論』について必ずしも体系的に論じられていないため、第一章では、その特徴について同時代の法理論の潮流と併せて可能な限り明らかにする
(11)
(ただし「法と倫理」など、パシュカーニスがとりあげている重要なトピックについては紙幅の都合で割愛せざるを得なかった
(12)
)。第二章では、1930年代から近時にいたるまでの日本の法学者によるパシュカーニス法理論の受容と批判について可能な限りとりあげる(以上、本号)。第三章では、同様に欧米諸国におけるパシュカーニス法理論の受けとめられ方や再評価、批判について検討する。そして終章では、それらをふまえた上で、改めて『一般理論』
( 9) 例えば1927年に公表された「マルクス主義法理論と社会主義建設」や1929年に
公表された「経済と法規制」など。Е.Пашуканис.Марксистская теория права и строительство социализма.Революция права.1927,№.3,С.3 ‒12.Экономика и правовое регулилование.Революция права.1929,№.4,С.12‒32.№.5,С.20‒37.
(10) Под редакцией Е.Пашуканиса.Учение о государстве и праве.Лен-инград,1932.なお本書の章立ては「マルクス主義の国家と法理論」、「古代社会と国家と法の発生」、「封建制の国家と法」、「ブルジョア社会と国家」、「ブルジョア法」である。
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を中心とするパシュカーニス法理論の意義と限界について検討する。
第一章 パシュカーニス法理論の特徴
(一) 前史
パシュカーニスに先立って、十月革命直後のソビエトにおいて、法的現象についての「マルクス主義的」な分析を試みた者もいないわけではなかった。当のマルクス(およびエンゲルス)の著作においては、「法的上部構造」や
(11) パシュカーニス『一般理論』の章立は次の通り(稲子訳による)。序説「法の
一般理論の課題」、第一章「抽象的な科学において具体的なものを構成する方法」、第二章「イデオロギーと法」、第三章「関係と規範」、第四章「商品と主体」、第五章「法と国家」、第六章「法と倫理」、第七章「法と法違反」。なお『一般理論』の概説的役割を兼ねた邦語論文としては、酒匂一郎「制度と正義―パシュカーニス法理論の批判的再検討―」『法政研究』51巻 2 号(1985年)265‒302頁。より批判的なスタンスから『一般理論』の重要トピックをとりあげたものとしては、大薮龍介「パシュカーニス『法と一般理論とマルクス主義』」( 1)・( 2)『富山大学教養部紀要(人文・社会科学編)』21巻 1 号(1988年)45‒61頁および同21巻 2 号(1988年)53‒68頁がある。
(12) 当初、本稿の執筆段階で「法と倫理(あるいは道徳)」についても第一章の一節分を割いていたが、『一般理論』の種々の論点の中で、この「法と倫理」に関するパシュカーニスの筆致はやや冴えないことに気付かされた。法と同様、「倫理」という形態についても、パシュカーニスは、未来におけるその「死滅」を予告しているが、その論理の運びがかなり強引で、荒削りで説得力に欠けるところが目立つ。むろんそれを言い出したら『一般理論』全体が試論的なものであり、見ようによっては全体が荒削りとも言えるが、ただしそのことをもって本書が取るに足らないということにはならないと思われる。
(13) マルクスやエンゲルスによる法的範疇に関する記述は、断片的なものであり、体系的かつ一貫したものではなく、時代や問題の文脈によっても異なってくる。それらをどのように理論化するかは、原典のテクスト読解の仕方はもとより後世の「マルクス主義法理論」家の問題意識によって異なってこよう。さしあたり、古典の紹介を含めた理論書としては、藤田勇『マルクス主義法理論の方法的基礎』(日本評論社、2010年)を挙げておく。
66 パシュカーニス法理論の再検討
資本制生産様式の下での契約や私的所有権等の基礎的な法的範疇に関する記述があるものの
(13)
、それらはソビエト権力が直面している実務に即座に応えるものではなかった。そのため、十月革命直後の政治指導者や理論家は、当面の布告や立法に際しての理論的な拠り所を、むしろマルクス主義とは関連の薄い論者から掘り出してきた。こうした側面について、後にパシュカーニスは、「政治的に正しい革命的措置が、いわば、政治的に正しくない、非マルクス主義的な理論に根拠付けられるというパラドキシカルな現象」と指摘している
(14)
。一例として、初代教育人民委員のルナチャルスキーが十月革命直後に『プラ
ウダ』紙に寄せた「革命と裁判」という論評がある。帝政ロシア法とその裁判機構が廃止されて新たな人民裁判所が形成される局面で、マルクス主義とは直接関係のない、革命前ロシアの「法心理学派」の首領として著名な、当時、欧州でも知られていたペトラジツキーが援用されている
(15)
。そこでは、既存の実定法(帝政ロシア法)と、新たに台頭してくる諸階級の正義観念としての「直観法」――心理学的次元でとらえたある種の自然法――との関係が非和解的状態に達したものとして十月革命がとらえられ、プロレタリアや農民の革命的行動とソビエト権力の法創造に正当化根拠が与えられている。実際に、十月革命直後に出された「裁判所に関する布告第一号」においては、帝政時代の司法制度の全廃とともに、新たに選出される人民裁判官が依拠すべき当面の法源としての革命的法意識や革命的良心という指針が示されている
(16)
。後に法心理学派の潮流と、フロイトの精神分析やマルクス主義とを合体させ
ようとしたレイスネルの代表作『法:われわれの法、他者の法、共通法』では、 (14) Е.Б.Пашуканис.Марксистская теория права и строительство социа-
лизма.Революция пава.1927,№.3.C.3.この論文は以下の選集にも収められている。Е.Б.Пашуканис.Избранные произведения по общей теорииправа и государства.Москва,1980.С.182.なお、このパシュカーニスの指摘については前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』43頁の注25で知った。
(15) А.Луначарский.Революция и суд.Правда.№.193.1 Декабря,1917года.(16) Собрание узаконений и распоряжений рабочего и крестьянского
правительства.1917.№ 4 .Ст.50.
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1920年代のソビエト法が、プロレタリアート独裁に体現されたプロレタリア法と、土地の共同体所有に体現された農民法、さらには当時のネップ(新経済政策)の時代の民法典にみられる個人主義的な商品交換法=ブルジョア法との混合物と位置付けられている
(17)
。そのように法の根拠を一定の社会階級の集団心理や法意識に求める論法が、観念論的と批判を浴び、諸階級の直観法の混合物としての(当時の)ソビエト法という把握は、「モザイク理論」とも揶揄された
(18)
。他方、十月革命直後の有力なボリシェヴィキの法理論家であったストゥーチカ(初代司法人民委員)は、法を心理学的次元ではなくて「支配階級の利益に応え、かつ支配階級の組織された力によって保護される社会関係の体系(あるいは秩序)」とザッハリッヒに定義し、ブルジョア社会における法の「階級的性格」を指摘するのみならず、ソビエト権力の下での法実務に寄与するような定義を与え、プロレタリアと農民の国家・法の「革命的役割」を見出そうとしている
(19)
。以上のような視点が、はたしてマルクス主義固有の法理論を画するもので
あったのか。確かにマルクス主義は階級という範疇を多用するにしても、法の認識や法実務において階級的利害関係を重視したり、階級闘争的な契機をとりいれたりすることが即マルクス主義的ということにはならない(法を支配集団の支配装置やイデオロギーとする見地は昔からあった)。その点で、マルクス主義的な法の原理的考察は、以下で順次述べるように、実質的にはパシュカーニスによって切り拓かれたと言っても過言ではない。
(17) М.Рейснер.Право,наше право,чужое право,общее право.Ленинград-
Москва,1925.С.244. レイスネルの法理論については、前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』29‒32頁、63‒68頁をも参照。
(18) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』66頁。(19) П.И.Стучка.Избранные произведения по марксистско‒ленинской
теории права.Рига,1964.С.58.なお、この定義が最初に登場したのはストゥーチカ自身も起草に加わった1919年12月12日の司法人民委員部決定「ロシア共和国刑法の指導原理」の第一条においてであった。Собрание узаконе-ний РСФСР.1919.№ 66.Ст.590.
68 パシュカーニス法理論の再検討
(二) 同時代の法理論との関係
『一般理論』は、その第 1版(1924年)と第 2版(1926年)の副題が「基本的法概念批判の試み」となっており
(20)
、当面の法実務に具体的な指針を与えるよりもむしろ、いわば「アカデミック」な内容であり、既存の法学およびその諸概念に対して学理的な反省をせまるものである。パシュカーニスは、かつてミュンヘン大学で学んだこともあり、本書には所々に法制史に関する該博な知識が顔を出している
(21)
。パシュカーニスは、「われわれは法学を心理学や社会学に解消させないで法
の一般理論に発展させることができるのであろうか。経済学で商品形態とか価値形態という基本的な、もっとも一般的な定義の分析をしているのとおなじように、法的形態の基本的な定義を分析できるであろうか。法の一般理論を、独立の理論的な学科とみることができるかどうかは、この問題の解決如何にかかっている」という根本的な問いを発する
(22)
。「心理学や社会学に解消させない」法の一般理論とは何であろうか。当時、パシュカーニスが試みようとしていた一般理論とは対極的な法の一般
理論が一方に控えており、それは新カント派の法理論であった。そこでパシュカーニスによって槍玉にあげられているのは、他ならぬケルゼンである。ケルゼンもまた「純粋法学」の形成にあたって、法学から心理学的、社会学的要素を放逐しようとしていた。パシュカーニスは、ケルゼンのような意味で「不純な」要素を法学から追放
しようとしたわけではない。パシュカーニスはケルゼンの功績を認めつつも、
(20) 第 1版・ 2版のタイトル原題は以下の通り。Общая теория права и маркс-
изм: Опыт критики основных юридических понятий.(21) パシュカーニス自身の経歴の概略については、稲子訳の「解題」( 3 ‒28頁)
ほか、藤田勇「革命の時代と知識人―E・パシュカーニスの生涯と思想」 1 ‒14、『窓』(ナウカ社)1986年59号から1991年76号。
(22) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳48頁。
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その「純粋法学」が何事をも説明しようとしていないし、社会生活に背を向けて規範をとりあつかい、規範の起源や物質的利害との関連に何ら関心を払っていない、と手厳しい
(23)
。他方、ケルゼン自身は、社会秩序の実効性、服従の動機、権力の秘密などは社会学的に極めて重要であるが、法の本質の問題領域外にあると自覚的に宣言していたことで知られている
(24)
。ケルゼンとパシュカーニスとでは、法の一般理論といっても、それぞれ問題関心が異なるといわざるを得ず、両者の方法論は、平行線を辿っている
(25)
。そうであるにしても、同時代にそのような形で全く性格の異なる「法の一般理論」が並存し、両者ともそれぞれ「イデオロギー批判」を重要な理論的課題としつつ法学を独立の理論的分野として確立させようとしていたことは興味深い(ケルゼンによるパシュカーニス批判については第三章で検討する)。また、ケルゼンと同じオーストリアには、マルクスの影響を受けた法学者カー
ル・レンナーがいた。ロシア以外で、パシュカーニスに先立ってマルクスの影響を受けた法理論を展開していた論者といえば、さしあたりレンナーが思い浮かぶ。レンナーによれば、本来の(伝統的な)法学の任務は、本の本質だとか、そ
の生成あるいは消滅について研究すべきものではなく、所与の法律規定のうちに法命題を発見し、それを分析し、問題に適用するという任務をもっているに過ぎない
(26)
。それに対して、「法の社会科学」は法の生成過程と法の社会的機能
(23) Там же.С.15.同上50頁。(24) Hans Kelsen,Law and Peace in International Relations ( Harvard University Press,
1942),p.69.ケルゼン(鵜飼信成訳)『法と国家』(東京大学出版会、1969年)83頁。
(25) 兼子義人の説明によれば、ケルゼンは「法の生成」と「法の内容」の問題とを峻別して、「法科学」において問題とされるのは後者であって、前者は「超法的」問題であるとして「法科学」の領域から排除している(兼子義人『純粋法学とイデオロギー・政治』法律文化社、1993年、 4頁)。この対比でいえば、ケルゼンと異なってパシュカーニスが「法の生成」を理論の対象としていることは言うまでもない。
70 パシュカーニス法理論の再検討
をも研究対象とし、とりわけ後者の、規範の経済的・社会的機能を研究しなければならないと持論を表明する
(27)
。そこでレンナーは、マルクス主義の「土台‒上部構造」の方法論に言及するが、法をもっぱら経済の社会的土台の結果として説明することについては懐疑的である
(28)
。ただし「法は、資本主義経済の発展の条件とはなりえても、発展を創りだすものではない」と述べ、大まかには経済的条件が法のあり方に影響を与えることを承認する
(29)
。レンナーの目的は、マルクスの理論をそのままリジッドに法学原理論に適用するというよりもむしろ、「社会の経済的、自然的な土台の推移によって生じる(法制度の)機能の変遷」という着想を得つつ、所有権の機能の変遷について、歴史的視点を織り交ぜつつ叙述するところにある
(30)
(こうした見地は我妻栄にみられるように戦前から日本の法学者に少なからぬ影響を与えたことで知られる
(31)
)。例えば資本主義の細部が変化しても、「所有権」という規範は変わらずに残り続けるが、その「機能」は変化していくのである、という具合に。パシュカーニスは、レンナーの「法についての科学は法律学が終わったとこ
ろからはじまる」という主張に同意する(32)
。しかしレンナーが、法とは社会の総体的意思として個人に向けられるインペラティフである、ということを前提として、もっぱらその機能の分析に推移することに、パシュカーニスは批判的で (26) Karl Renner ( Translated by Agnes Schwarzschild),The Institutions of Private Law
and Their Social Functions ( Routledge & Kegan Paul,1949),p.48.カール・レンナー(加藤正男訳)『私法制度の社会的機能〔改訳版〕』(法律文化社、1975年) 6 ‒ 7 頁。
(27) Ibid.,p.55.同上15頁。(28) Ibid.,pp.55‒57.同上16‒17頁。(29) Ibid.,p.253.同上167頁。(30) Ibid.,p.257.同上163頁。(31) 我妻栄『近代法における債権の優越的地位』(有斐閣、1953年)。とりわけ同書
所収の「資本主義生産組織における所有権の作用――資本主義と私法の研究への一寄与としてのカルネルの所論――」がレンナー論である(初出は『法学協会雑誌』45巻 3 ‒ 5 号、1927年)。なお「カルネル」とはレンナーの匿名。
(32) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳47頁。
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ある。つまり、そのような「外的・権威的な規制」という法の定義をすべての時代や人類社会の発展段階にあてはめて、その「機能」の変遷を論じるということが、法という形
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
態そのものの歴史性という意義を明かにしてくれないという。経済学で、すべての時代に通じる「経済」の概念を定義しようとすることが無益であるのと同様に、すべての時代に通じる「法」の概念は、科学の名に値しないというのがパシュカーニスの基本的立場である
(33)
。ロシアでは、革命前からすでに欧州の影響を受けつつ社会学的法理論や(先
に言及したペトラジツキーに代表される)心理学的な法理論が興隆していた(34)
。それらについてパシュカーニスは意義を否定しているわけではない。なぜなら、それらの理論は、法を利益間の闘争の結果としてとらえたり、国家的強制としてとらえたり、人間の心理的過程としてとらえたり、要するに法を教義としてではなく現象として説明しようとしており、それらから多くのことが期待できるからであるという
(35)
。ところが、パシュカーニスによれば、それらの法理論は、法という形態その
ものを直接の検討対象としない。むしろ往々にして外在的視点から法の「フィクション」や「イデオロギー」としての側面を強調する。なおかつ多くのマルクス主義者が、法現象の分析に若干の階級闘争の契機を入れることで満足している(36)
。こうした点にパシュカーニスの不満があった。なお、市場交換、私的取引が容認されていた1920年代のソ連では、法学がマ
(33) Там же.С.13.同上54‒55頁。(34) 革命前のロシアの法思想については、以下のヴァリツキの研究が参考になる。
Andrzej Walicki,Legal Philosophies of Russian Liberalism ( Oxford University Press,1987).ペトラジツキーについては、以下の英訳された著作および英語の研究論文集がある。Leon Petrazycki (translated by Hugh W.Babb),Law and Morality ( Harvard University Press,1955).Jan Gorecki (Editor),Sociology and Jurisprudence of Leon Petrazycki (University of Illinoi press,1975).またソ連解体後のロシアでもロシア革命前の法学者の著作の復刊が相次いでいるが、ここでは割愛する。
(35) Пашуканис (1927).С.15.稲子訳50頁。(36) Там же.С.15.同上51頁。
72 パシュカーニス法理論の再検討
ルクス主義で染まっていたわけではない。当時のソビエトの法学者の間で一定の人気を博していた西欧の法理論が、レオン・デュギーなどの反個人主義的な「社会連帯」の法理論であった
(37)
。それは、多かれ少なかれレンナーの議論とも通じるところがあるが、例えば私有財産を、不可侵の人権としてではなく、社会が一定の目的を達するために諸個人に付与した権能、「社会的機能」という見地からとらえる
(38)
。デュギー自身は十月革命とソビエトに反対であったが、そのような理論は、市場交換原理と計画原理とが混在していたネップ(新経済政策)の時代のソビエト社会において、確かに魅力的であったと言える。実際、1922年ロシア共和国民法典(十月革命後初の民法典)の総則規定は、「民法上の権利は、それが社会・経済的使命に反して行使される場合を除いて、法律によって保護される」で始まる
(39)
。そこでいう「社会・経済的使命」とは、「公序良俗」などの概念と異なって、社会主義建設しかも過渡的には市場交換という迂回路を通じた生産力の上昇という合目的性に貫かれた概念である。同時にそれは、市場の宴の頭上にダモクレスの剣がぶらさがっていることにも例えられる(40)
。当時のソビエトにおける指導的法理論家の一人であったゴイフバルクが、まさにデュギーの法理論の見地から1922年の民法典を説明しようとした
(41)
。パシュカーニスは、デュギーの法理論について、同時代の資本主義が自由競
争や無制限の個人主義から離れつつある状況を反映しており、その理論を社会主義的計画性に利用することができるとしつつも、われわれの任務は法形態そ
(37) デュギーの法理論ついては、以下の邦語研究書が参考になった。大塚桂『フラ
ンスの社会連帯主義―L・デュギーを中心として―』(成文堂、1995年)、和田英夫『ダイシーとデュギー』(勁草書房、1994年)、中井淳『デュギー研究』(関西学院大学法政学会、1956年)。
(38) Léon Duguit,Les transformations générales du droit privé : depuis le Code Napoléon (Paris: F.Alcan,1920),pp.1 ‒22.レオン・ドュギー(ママ)(西島彌太郎訳)『私法変遷論』(弘文堂書房、1925年) 1 ‒27頁。
(39) Т.Е.Новицкая.Гражданский кодекс РСФСР 1922 года.Москва, 2002.c.113.
(40) 藤田勇『概説ソビエト法』(東京大学出版会、1986年)27頁。
73神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
のものの歴史性と相対性を明らかにすることとし、原理的な問題意識に立ち返っている
(42)
。そして「社会的機能」としての所有、すなわち所有者は一定の社会的義務を果たしているときにかぎり保護されるという立場は、「ブルジョア国家にとっては偽善であり、プロレタリア国家にとっては事実の隠蔽」だという。そもそも、もしプロレタリア国家が、そうした「社会的機能」を直接指示できるのであれば、国家は早々所有者から処分権をとりあげるだろうし、しかし経済的にそのようなことができない以上――国内戦で当時のロシアの生産力は革命前をはるかに下回っていた――一定の範囲内で市場交換を通じた私的利益を保護せざるを得ない
(43)
(これこそが民法典制定の根拠であった)。このように、少なくともパシュカーニスにとっては、「社会的機能」としての所有という見地が、市場経済の克服の見通しをあいまいにしてしまい、所有の反対物は、「社会的機能」として考えられている所有ではなく、所有の廃止すなわち市場経済にとってかわる計画的な社会主義経済であった
(44)
。商品交換法を前提としつつ、そこに社会政策的、合目的的機能を折衷しようという態度は、ブルジョア社会のみならず市場原理の残存する当時のソビエト社会の現状と見通しから目をそらすものとして映ったのであろう。
(41) 稲子訳「解題」 5頁。また、藤田勇によると、当時のソ連における「社会機能
説」は、「民事取引の安定要請に発する『私的財産権』の許容と関連して、この『私的財産権』に枠をはめるための原理として民法典の起草担当者によりとりこまれたものである。彼らは、私人の権利を、国の生産力の発展にとって利益になるような『社会的機能』を果たすために、かつそのかぎりでのみソビエト国家によってあたえられ、保護を受けるものとして意味づけられるために、19世紀的『個人法』にかわる『社会法』時代の新しい『進歩的』法原理として『社会機能説』をソビエトに輸入することが可能であると考えたのであった。」(前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』52頁)
(42) この部分は以下のドイツ語版への序文で述べられている。E.Paschukanis,Allgemeine Rechtslehre und Marxismus.Berlin 1929.S.6.稲子訳33頁。
(43) Пашуканис (1927).С.53‒54.稲子訳102頁。(44) Там же.С.53‒54.同上102頁。
74 パシュカーニス法理論の再検討
(三) 法の形態分析と歴史性
パシュカーニスが目指す法の一般理論とは、法規範の個別具体的内容が何らかの社会階級の利益に照応しているということを示すことではなく、規範の社会的機能の歴史的変遷について論じることでもなく、また米国のリアリズム法学のように法的判断の恣意性や不確定性、政治的性格などを指摘したりすることでもないことが、さしあたり了解できる。一般にマルクス主義というと、ブルジョア社会の様々な範疇に対するイデオ
ロギー批判に余念がないとされている。パシュカーニスも、ゆがめられ神秘化された表象という意味でのイデオロギー的性格を、法に見ないわけではない(というよりも種々の法律概念がイデオロギーであることはむしろ論争の余地がないほど自明とされている)。しかし、マルクスが例えば「価値」や「資本」という範疇を単にイデオロギーとして済ませたわけではなく、ある歴史的段階における社会関係――さらにいうならば一定の社会関係の物象的形態――と見立てたように、パシュカーニスも、法を、何らかの物質的諸関係に根ざす特殊な社会関係の形態とみる。先にも引用したように、パシュカーニスは「経済学で商品形態とか価値形態
という基本的な、もっとも一般的な定義の分析をしているのとおなじように、法的形態の基本的な定義を分析できるであろうか」という問いかけをしている
(45)
。パシュカーニスはここでマルクスの『資本論』(とりわけその草稿段階としての「経済学批判序説」)の方法論を強く意識している。『資本論』では、商品や賃金、資本など、一定の歴史的条件に制約された生産・交換関係の下で生じる「形態」(形式、Form)の出自の解明が重視されている。例えば具体的有用物としてのモノが、一定の社会関係の下で、何ゆえに商品形態、それゆえ「価値」という形をとるのかという原理的な問いかけである
(46)
。そのような問いかけは、パシュカーニスを通じて、いかにして一定の社会関係が
(45) Пашуканис (1927).С.13.稲子訳48頁。
75神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
「法」、しかも権利・義務関係という形態をとるのか、という問いに変換される。さらにそれは、身分固有の特権ではなく人間一般がいかにして法・権利の主体となるのか、その社会的・経済的基盤は何かという問いと表裏の関係にある。また『資本論』の冒頭では、資本制社会が膨大な商品の集まりとして現象し、
個々の商品が富の原基形態として現象するがゆえに、商品の分析が端緒となる旨が宣言されている
(47)
。他方パシュカーニスは、一見唐突だが、「主体」が法理論の原子であり、これ以上分解できないもっとも単純な要素であるとしている
(48)
。そこではモノが商品となることと、ヒトが法・権利の主体となることとの間に、単なる偶然ではない、内的な連関が認められている。
解釈法学は、どのような原因のために、人間が動物学的な意味での人間から法的主体にかわるかという問題をとりあげない。なぜなら解釈法学は、法的交際を既成のことがらとして、あらかじめあたえられた形態としてとりあつかうことから出発するからである。(原文改行)これとは逆にマルクス主義理論は、あらゆる社会的形態を歴史的形態として検討する。したがってそれは、なんらかのカテゴリーを現実的なものとする歴史的、物質的条件を明らかにすることを任務としている
(49)
。
ここには、パシュカーニスによる法の一般理論の基本的な問いかけが端的に表れている(おそらくここまで簡潔明瞭にマルクス主義的法理論の「任務」を集約的に語ったものを、他に寡聞にして知らない)。あらゆる社会的形態は歴史的形態であるということは、法的形態に関していうと、例えば封建的社会構 (46) とりわけ、価値形態、商品形態、貨幣形態、資本形態の独自性を強調している
第 1章第 4節「商品の物神的(呪物的)性質とその秘密」の注32を参照。Marx/Engels Gesamtausgabe ( MEGA ).Berlin 1991,Ⅱ‒10,S.79‒80.カール・マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1巻第 1分冊(大月書店、1968年)108‒109頁。
(47) Marx (ebd.),S.37.同上47頁。(48) Пашуканис (1927).С.62.稲子訳113頁。(49) Там же.С.63‒64.同上115頁。
76 パシュカーニス法理論の再検討
成体に対応した封建法や、資本制的社会構成体に対応した資本主義法があるというような、いわゆる「史的唯物論」の定式とはまた異なる。そうした見方は、法という範疇があたかも歴史を超えて社会に君臨しているかのような意味で、パシュカーニスにおいては、むしろ非歴史的な見地とみなされるだろう。パシュカーニスの理解では、「法という形態」そのものの最高度の発達を支
える歴史的、物質的条件が、他ならぬ商品所有者の社会としての資本制社会である。それは労働生産物が相互に価値として関係しあう社会を意味する(商品の有用性がそれぞれ異なっている一方、それらが一定の比率で交換される)。なおかつ、こうした「価値法則」は、人間社会の産物であるにしても人々の意思とは独立して作用し、人間がむしろそうした法則性に従属することになる。しかし、同時に商品交換過程では、取得や譲渡など、人々の何らかの意思行為が前提とされ、生産物の処分者である主体としての人々の特殊な関係が必要とされる
(50)
。このように、パシュカーニスの理解では、人間は価値法則に従属しているが、他方で価値関係の実現は、あたかも人間の「自由意思」で行われ、これらを媒介するのが「法」という形態なのである。ここでパシュカーニスが『資本論』から引用しているフレーズの中に「商品
は自分で市場にでかけることができないし、また自分で自分たちを交換できない。だからわれわれは、それらの保護者たちを、商品所有者たちを、さがさなければならない」というのがある
(51)
。このマルクスのフレーズにおいては、商品が擬人化されて主語になっているが、単なる文学的なレトリック以上の意味合いがある。つまり論理的には、商品交換の発達が、商品の所有者、処分権者としての抽象的な法的主体を生み出すのであり、抽象的な法的主体があらかじめ存在しているから、商品交換が生じるのではない。それゆえパシュカーニスの議論においては「労働生産物が価値の担い手とし
て商品の性質を獲得することは、人間が法的主体の性質を獲得し、権利の担い (50) Там же.С.64.同上116頁。(51) Там же.С.64.同上116頁(引用部分のマルクスの原文はMEGA,Ⅱ‒10,S.82.
岡崎次郎訳『資本論』第 1巻第 1分冊、113頁)
77神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
手になる」ことを意味するという論理構造になっている(52)
。商品は「交換」されることによって商品足りうる
(53)
。パシュカーニスは、法と権利の主体の発生を、この「交換」という社会的交通から説き明かす。すなわち商品交換が全面化していく過程で、身分的・経済外的強制から解き放たれていく人間は、取得と譲渡を通じて商品を処分する商品所有者として抽象化され、権利能力をもつ主体として観念される。パシュカーニスのいう歴史的形態としての法的形態は、規範の束やルール一般、あるいは政治的権力の権威的命令一般に還元し得るものではなくて、その根底には、商品交換の発達――およびそれに伴って生じる紛争――によって現れる私的利益を主張し得る自治的な主体間の権利義務関係という様式がある。
法は、ブルジョア的関係が完全に発展したとき、はじめて抽象的性格を獲得する。すべての人間は人間一般となり、あらゆる労働は社会的に有用な労働一般に還元され、あらゆる主体は抽象的な法的主体となる。同時に規範は抽象的、一般的な法律という論理的に完成された形態をとるようになる(54)
。
そのような意味での抽象的な法・権利の主体性は、封建的な社会構成体においては未発達で、「あらゆる権利は特権」(マルクス)であり、都市や諸身分が固有の自治を有していた
(55)
。「中世においては、法的主体という抽象的概念は存
(52) Там же.С.64‒65.同上117頁。なお、この部分の稲子訳では「法律的主体」
となっているが(原文はюридический субъект)、文脈上、「法的主体」とした。その理由は、後続の注78を参照していただければ幸いである。
(53) 川島武宣によると、「物が商品であるということと、物が交換されるということとは、相互に他を前提し且つ自らのうちに包含するところの不可分な統一である。商品は、交換の論理的前提であり、交換は商品の動的な側面である」(川島武宣『所有権法の理論』岩波書店、1949年、25頁)
(54) Пашуканис (1927).С.71.稲子訳125‒126頁。(55) Там же.С.70.同上124頁。
78 パシュカーニス法理論の再検討
在しなかった」(56)
。パシュカーニスがマルクス主義の見地から関心を寄せるのは、一定の社会関
係が権利義務関係を伴った「法」というカタチ=形態をとる歴史的条件についてである。そこで、法形態は商品交換が優越するブルジョア的な社会構成体において全面的に開花する特殊な社会形態であるとする。藤田勇の説明を借りると、「『法の一般理論とマルクス主義』においてパシュカーニスがこころみたのは、法的規制が社会の物質的な必要から生れ、したがって法的規範がなんらかの社会階級の物質的利益に照応しているという説明の域をでない、いいかえれば、強制的・社会的(国家的)規制の契機を法的現象の唯一のメルクマールとみること以上にでようとしない従来のマルクス主義法理論の水準を脱して、客観的現象としての法的上部構造、つまり特定の歴史的形態としての法的形態そのものの唯物論的解明をなしとげることであった」
(57)
。
(四) 所有権の発生
所有権とは、その講学的な位置づけにもかかわらず、人と物との関係ではな
(56) Там же.С.71.同上125頁。これは、ヘーゲルが「抽象的な法権利」論で、
ローマ法においては人間が一定の身分でみられてはじめて一個の人格とみなされる、と述べていたことを彷彿とさせる(例えば奴隷と対比した場合の立場や身分)。したがってヘーゲルは、ローマ法の対人権は人格そのものの権利ではなく、特殊的な人格の権利であるという言い方をしている。G.W.F.Hegel.Werke 7 : Grundlinien der Philosophie des Rechts (Frankfurt am Main,1970),S.99. ヘーゲル(三浦和男訳)『法権利の哲学』(未知谷、1991年)、175‒176頁。
(57) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』110‒111頁。(58) 例えば川島武宜によると「所有権は人と物との関係の側面において現れる人間
と人間との関係である」(前掲『所有権法の理論』 6頁)。また藤田勇によると、所有権は「物にたいする人の支配権として観念的には構成されているが、現実に存在する『所有権』とは、商品の運動における人と人との社会関係の一定の側面が、『物に対する人の支配権』として観念的に構成される法規範の『作用』を媒介として、現実に法的関係としての規定性をもつにいたったものである。」(藤田勇『法と経済の一般理論』日本評論社、1974年、316‒317頁)
79神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
く人と人との関係の観念的形態であるとしばしば指摘される(58)
。パシュカーニスは、そのような考え方の雛型を作り、例えばカール・レンナーのような論者でさえも法律上の所有とは物に対する人の支配であると指摘していることについて、「完全な誤解」とし、「お気に入りのロビンソン・クルーソの物語」と批判する。そして、他者と社会関係を取り結んでいないロビンソンが、どういう意味で、事実関係にすぎない物に対する自己の関係を法的に考えるのだろうかという問いを発する。労働や強奪によって物を取得する人間を法的な意味で所有者に変える可能性と必然性をつくりだすのは、市場における交換であり、物に対する無制限な権力とは、無制限な商品流通の反映だという
(59)
。このように、パシュカーニスは所有権の起源を人間の外界の支配や先占という主体-客体関係に見出すのではなく、やはり市場交換という社会関係に見出す。そもそもパシュカーニスのいう法の根本的範疇としての「主体」とは、所与
としての生物的実体ではなく、「生きた具体的な人格から最終的に切りはなされ」た「純粋に社会的な本性」であり、先に触れたように「取得と譲渡の行為において商品を処分する商品所有者」である
(60)
。これらは近代的な所有権の主体を意味している。物が交換価値として機能するときには、それは権利の純粋な客体となり、それを処分する主体は純粋な法的主体となり、この所有権の主体は、契約的な関係における私的所有者としての相互承認の中で生じる
(61)
。自然法理論であれば、所有権の正当性をなんらかの原初の契約によって基礎づけようとするであろうが、パシュカーニスにおいては、所有権は譲渡の行為という歴史的な現実によって可能となる
(62)
。 (59) Пашуканис (1927).С.74‒75.稲子訳130‒131頁。(60) Там же.С.67‒68.同上120‒122頁。(61) Там же.С.71‒74.同上126‒129頁。パシュカーニスによると、法律的概念の
論理体系において、契約は法律行為の一つの種類に過ぎないが、歴史的には、法律行為の概念は契約から成長し、契約を抜きにすると法律的意味における主体と意思の概念自体は「死んだ抽象」として存在するにすぎないという(Там же.С.72.同上126頁)。
(62) Там же.С.73 同上128頁。
80 パシュカーニス法理論の再検討
パシュカーニスによるとブルジョア的所有としての私的所有には、形態学的にふたつの側面を含んでおり、ひとつは個人的利用としての私的取得、もうひとつは交換行為において譲渡をするための条件としての私的取得である
(63)
。それらは互いにつながっているが、論理的には異なったカテゴリーであり、このことが所有という言葉に明確さよりも混乱をひきおこしているという。例えば資本主義的な土地所有は、土地と所有者とのいかなる有機的なつながりをも予想しておらず、土地が次々と移転する自由、土地を取引する自由という条件のもとで初めて考えることが可能である。さらにいうと、資本主義的所有一般は、資本の転化と移転の自由であり、それは商品としての労働力の売買抜きには考えられない、という具合である
(64)
。なお、「資本制的な私的所有は、自己の労働を基礎とする個人的な私的所有の第一の否定である」で知られる、マルクス『資本論』のいわゆる「領有法則の転回」論では、資本制的な私的所有に先だって、論理的のみならず歴史的にも、自己の労働にもとづく所有という単純商品生産社会あるいは小生産者的社会が
(63) Там же.С.76.同上133頁。(64) Там же.С.76‒77.同上132‒134頁。(65) MEGA,Ⅱ‒10,S.685.前掲、マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1巻第 2分冊
(大月書店、1968年)995頁。この「領有法則の転回」についての批判的考察については、青木孝平『資本論と法原理』(論創社、1984年)第 6章「『領有法則の転回』批判と所有権法」214‒249頁、および同『ポスト・マルクスの所有理論:現代資本主義と法のインターフェイス』(社会評論社、1992年)第 5章「マルクス所有論の到達地平」(96‒121頁)が参考になる。また藤田勇によると、マルクスが「ブルジョア的所有の第二法則」と呼ぶ資本家的領有法則は、単純商品流通の領有法則としての「ブルジョア的所有の第一法則」の転回として生じるものとしているが、「第二法則」は現象の表面においてはつねに「第一法則」を仮象的につくりだしているという。また、藤田によれば、マルクスは「第一法則」と「第二法則」との関係を、「表面層」と「かくれた背景」の関係として示唆しており、『資本論』では「形式と内容」のカテゴリーをもって説明しているともいう(藤田勇『近代の所有観と現代の所有問題』日本評論社、1989年、75‒76頁)。
81神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
実体として存在したかのような印象がもたらされた(65)
。実際、マルクスの意図を汲み取ろうとしたレンナーは、そのようにして「資本主義的所有権への発展」の道筋を語り、「物を支配するのにとどまっ」ていた所有権が、その物が資本となるやいなや事実上、人間、賃労働者に対する人間の命令になる、という論理を採用することになった
(66)
。これは論理的な道筋として、わからなくもないが、所有権を物に対する人の支配と「本来」的に見てしまったことによる、一種の倒錯した見方でもあろう。すなわち「本来」の所有権と、他人の労働を搾取する「いびつな」資本主義的所有権とを対比する方法である。そこには、前者に比して後者を逸脱とみなすようなイデオロギー的な判断もあろう。確かに、労働力商品だとか、剰余価値といった形態が支配的になる産業資本
主義以前に、あたかも個々の独立した職人が社会の基本単位となっていて、それぞれ「自己の労働に基づいて所有」している生産物を交換するために市場にやってくる分業社会を想像することは、理論上、不可能ではない。あるいは独立自営農民のもとで余剰生産物が生じたため、やはり「自己の労働に基づいて所有」している生産物を市場で交換する社会を想定することも不可能ではない。
(66) Karl Renner,The Institutions of Private Law and Their Social Functions,p.106.前
掲、レンナー『私法制度の社会的機能〔改訳版〕』52頁。レンナーは、マルクスの思想家としての独自の業績は、まず単純商品生産の資本主義的生産様式への必然的移行を指摘し、これを分析したことだと述べ、この分析は規範の社会的機能の変遷が究極的には必ず規範を変革すること、すなわち法が経済的諸関係によってたえまなく形成されるという真実をもたらしたという(Ibid.,pp.89‒90.同上42‒43頁)。「この単純商品生産の経済段階においては、土地、自然素材ならびに、自己および他人の労働力が、生産物に対してほとんど同等の関係で参与する結果、すべての生産条件が区別されず、価値および剰余価値、地代、利潤、要するにすべての経済的な諸カテゴリーは、労働および労働収益に還元される。この段階には、労働だけが価値を形成し、価値を創造するという事実がいちじるしい」(Ibid.,p.89.同上42頁)。これらのことから、確かにレンナーにおいては単純商品生産社会というもののが、歴史的にもかなり実体化され、いわば労働にもとづく自己所有権が機能していたのだという見地になろう。
82 パシュカーニス法理論の再検討
しかし、パシュカーニスは、レンナーの所有権の「機能変遷」論について、資本主義的な所有形態に対立させられている単純商品生産の所有とは、純然たる抽象に他ならないと批判する
(67)
。そもそも、封建的・ギルド的な所有形態においては、他人の不払労働を吸い上げるという機能は明瞭であったが(賦役、貢納など)、生産物の商品への転化と貨幣の出現は商業資本とともに高利貸資本を生み出しており、パシュカーニスにいわせれば、レンナーの「機能変遷」論とは裏腹に所有権の「社会的機能はかわらないで残る」
(68)
。このことからも、パシュカーニス『一般理論』における所有権論は、自由・
平等な小生産者の自己の労働に基づく所有→他人を搾取する資本主義的私的所有といった段階的図式はとらず、貨幣が発達する商品生産社会との関連で資本の移転の自由および労働力の自由な処分の形態としてとらえられることとなる。パシュカーニスの議論を敷衍していうと、「自己の労働にもとづく」市民的・個人主義的な所有に対して、そこから逸脱した資本主義的な所有があるのではなく、前者は後者のイデオロギー形態であるということになろう
(69)
。
(五) 客観法と主観法
法律学上の難問のひとつは、法が客観法すなわち規範と主観的な法=権利というふたつのモメントに分裂しており、その関係をどのようにみなすかという (67) Пашуканис (1927).С.78.稲子訳135頁。ここで単純な商品生産社会というも
のを、人々が自己の労働によって生産したものを自由で平等な立場で交換する独立小生産者の社会として想定してみると、宇野弘蔵が指摘するように、具体的には歴史的にそのような社会は存在せず、商品経済が支配的に行われる社会は、独立の小生産者の社会としてではなく、すでに資本主義社会として現れる(宇野弘蔵『価値論』こぶし書房、1996年、26頁)。
(68) Пашуканис (1927).С.78.稲子訳135頁。(69) 青木孝平によれば、「自己の労働にもとづく所有」とは、「資本主義システムの
経済的な前提ないし未来に再建されるべき理想ではなく、流通が生産を包みこみ、したがって所有が労働とたまたま合体されるところにのみ成立する、資本主義の法イデオロギー的な表現」である(前掲、青木孝平『ポスト・マルクスの所有理論』120頁)。
83神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
問題であろう。「法は一つの側面においては外的権威による規制の形態であるが、同時に他の側面では、主観的な私的自治の形態である。」
(70)
法の本質を客観的規範としてみなす場合、論理的には権利義務関係は客観的規範から生み出されるということになる。そこでパシュカーニスは、帝政ロシア時代の法実証主義者で知られるシェルシェネヴィッチに触れ、シェルシェネヴィッチが、例えば負債の返還請求権が存在するのは、債権者が一般にそれを請求しているからではなく当該規範が存在するからだ、とみなしていることを引き合いに出している。そうした論理関係のことを、パシュカーニスは「規範の物神化」と呼び、「債権者と債務者との関係が、あたえられた国家に存在する債務弁済の強制的な秩序によって、生み出されるということはできない。この客観的に存在する秩序は、関係を保護し、保障するが、決して関係を生み出さない」と言い、「規範」に対してあくまでも権利義務「関係」の先行性を説く(71)
。ここでパシュカーニスがまず退けようとしているのが形式的な法律実証主義
である。ただし、客観法(規範)の優越は、単にそのような素朴な法律実証主義に固有というのみならず、レオン・デュギーの法理論にみられるような「形而上学批判」においても顕著である。デュギーは自然法学に反駁し、法を変動し得る社会的事実とみなしつつも、「各人に対して、ある一定の使命を遂行する社会的義務と、この使命遂行の為に要求せられる一定の行為をなす能力とを含む」客観法あるいは「社会的規律」が、諸個人や団体に権利を付与するわけではないと言っている
(72)
。つまり、コントなどの実証主義の影響を受けたデュギーは、主観的権利は形而上学的秩序の概念であるとし、国家主権の概念と並んで個人の主観的権利の消滅あるいは除去を主張していた。
(70) Пашуканис (1927).С.51.稲子訳99頁。(71) Там же.С.41‒44.同上87‒90頁。(72) Léon Duguit,Le droit social,le droit individuel et la transformation de l'état (Paris: F.
Alcan,1922),pp.10‒13.レオン・デュギイ(木村亀二訳)『国家変遷論(個人権、社会権、国家の変遷)』(岩波書店、1926年)「第一回公演」、12‒14頁。
84 パシュカーニス法理論の再検討
デュギーらと異なって、パシュカーニスは、主観的権利をむしろ法における第一次的なモメントとみなし、それは自覚的な法的規制から独立して存在する物質的利益に根ざしているからだという
(73)
。既述の通り、パシュカーニスは主体を法理論の端緒とみなしている。法規範は、権利を積極的に主張する人を前提にしている点で、他の道徳的規範や社会的規制とは異なった特徴を有すると考える。また、パシュカーニスは法を国家権力などの権威によって確立された社会秩
序と同一視することに反対している。何らかの権威によって発動される規制に無条件に従うという理念(例えば軍隊の指揮系統や命令への服従)は、法的形態とは縁もゆかりもなく、「個別的な自治的意思についてのなんらの暗示もふくんでいない権威的秩序の原則が徹底的に実施されればされるほど、法のカテゴリーをもちいる基盤はますます小さくなる。」
(74)
パシュカーニスにおける主観的権利の優位説は、自然権論や権利基底的な正義論などの規範的議論と異なって、つまるところマルクス主義における土台と上部構造という社会認識の理解の仕方にも関わってくる。この建築の比喩による社会認識の方法については、マルクス主義内部においても様々な異論、変種もあるが、一般に、生産関係に制約された「法的・政治的上部構造」(juristischer
und politischer Überbau)という見方が生じ(75)
、さらに上部構造内部での因果関係、例えば法的上部構造は、規範を制定する権威としての政治的組織の結果であるという見地も生じる(例えば法的なものを制定法などの表層的部分でとらえる場合)。しかし、パシュカーニス自身は必ずしもそのように単純に考えているわけではなく、所有関係を生産関係の法的表現と呼んでいるマルクスの見地
(76)
を
(73) Пашуканис (1927).С.53.稲子訳102‒103頁。(74) Там же.С.55.同上104‒105頁。(75) Karl Marx,Zur Kritik der politischen Ökonomie,Vorwort,MEGA,Ⅱ‒12,S.100.マ
ルクス『経済学批判』「序言」、マルクス『資本論草稿集③』(大月書店、1984年)205頁。
(76) Marx (ebd.),S.100.同上205頁。
85神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
敷衍して、法的上部構造の基礎的部分を、「土台」に近接しているものとみなす(77)
。つまり、生産様式などの経済的範疇は「土台」、法的範疇は「上部構造」というように両者を切り離して峻別し得るものではなく、両者のいわば連続面あるいは連結部があり得るとイメージすることも可能である。パシュカーニスにとって、そうした「法的上部構造の基礎的部分」が、主観的権利の発生場所ともいうべきところなのだろう。それは、さらなる上部構造としての客観的規範(立法、制定法)に論理的な先行しているのである。マルクス自身は、人格同士の相互承認にもとづく契約関係を、論理的には法
律(制定法)に先立つ「法的関係」(Rechtsverhältnis)と呼び、それをなおかつ「そこに経済的関係が反映されている一つの意思関係」とも言い換えている
(78)
。この意思関係としての法的関係は、パシュカーニスのいう「意識的な規制から独立して存在する物質的利益に根ざしている」主観的権利および対応する義務関係(権利義務関係)に対応しているものと思われ、やはり論理的には客観法に先
(77) Пашуканис (1927).С.46.稲子訳92頁。(78) MEGA .Ⅱ‒10,S.82.カール・マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1巻第 1分
冊(大月書店、1986年)113頁。なお、大薮龍介によると、パシュカーニスはマルクス『資本論』におけるRechtとGesetzの概念論的論じ分けにまったく気付かず、両概念を同一視し、等しく法ないし法律として誤解しているという。その証拠として、パシュカーニスは、マルクスのいうRechtsverhältnisをロシア語でправоотношениеとすべきところをюридическое отношениеとし、「法的関係」と「法律的関係」を区別せずにランダムに用いているからだという(前掲、大薮龍介「パシュカーニス『法と一般理論とマルクス主義』」(一)、『富山大学教養部紀要(人文・社会科学編)』21巻 1 号、58頁)。確かにパシュカーニスはюридическое отношениеを多用しているが、文脈的に考えると、それを実定法・制定法に先立つ「法的関係」の意味で用いている(ただし稲子訳ではюридическое отношениеが機械的に「法律的関係」と訳されてしまっている)。юридическийという形容詞は個々の制定法を念頭に置いて「法律的」と訳す場合も多いが、文脈によっては「法的」と訳すべき場合が生じる。パシュカーニスは一貫して規範に対する実在的な社会関係の優位を唱えており、RechtとGesetzの概念的論じ分けにまったく気付いていなかったら、そもそも彼の『一般理論』そのものが成り立たなくなるだろう。
86 パシュカーニス法理論の再検討
立っている(79)
。主観的権利が第一次的であるという場合、パシュカーニスにおいては、背後
に商品・貨幣経済の発達による利己的な経済的主体が想定されており、そうした経済的主体間の利害の衝突と紛争とが、法的形態の源泉とされている。このようなパシュカーニスの見地は、しばしば「私法中心主義」的と言われるゆえんでもある。実際に、彼は「法的形態の現実の基礎はいわゆる公法関係ではない」と述べるが
(80)
、それに対立する「あらゆる私法は、かつては国家法であった」というグンプロヴィッチという法学者の見解をも紹介している
(81)
。グンプロヴィッチによれば、ローマ市民法の主要な制度は支配階級の特権として、権力の保証を目的とする公法的な優先権として生まれた。それに対して、パシュカーニスは、征服によって形成される社会機構でさえも所与の社会的生産力に制約されるのであり、そもそも古代の支配関係と近代的な「公権力」とは異なるにしても、むしろ「あらゆる国法は、かつては私法であった」ということさえ導き出せるという。むろん私法と公法との分化自体は、だいぶ後に発達した関係に対応するものであるが(マルクスのいう市民社会と政治的国家との分裂)、パシュカーニスは、体系としての法の発展が支配の必要性ではなく、種族間の商品流通の必要によってひきおこされ、「公法的」な同盟に入っているわけではない人々との商業的な交渉が、万民法(jus gentium)をうみだしたともいう
(82)
。このように、パシュカーニスはローマ法の生成と発達に関しても、その根底
に支配の必要性そのものよりも商業の発達を見出すのである。パシュカーニスの商品交換理論は、同時代のソビエトの指導的な法学者の一
人ストゥーチカから、「経済主義」という批判を受けることとなる(83)
。それに対
(79) Пашуканис (1927).С.53.稲子訳103頁。(80) Там же.С.21.同上59頁。(81) Там же.С.49.同上96頁。ここでパシュカーニスが言及しているグンプロ
ヴィッチとは、Ludwig Gumplowiczのことで、主著はRechtsstaat und Sozialismus( Insbruck 1873)など。
(82) Там же.С.49‒50.同上97頁。
87神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
する反論の中でパシュカーニスは、法システムを媒介するのが国家権力であり、制定法であることはいうまでもないが、同時に、歴史的現象としての法的規制の分析に際して、背後にある経済的ファクターを考慮せずに、すべてを客観的規範や規範それ自体に結びつけたり、主観的権利を解消させたりするのは不合理なことであると述べる
(84)
。
(六) 法と等価性
パシュカーニスは、法の形態の起源を、等価性(эквивалента ,equivalent)に置き、その由来をやはり商品交換に求める。パシュカーニスがなぜ商品交換という歴史的現象のみならず、そこから抽出
された等価の原則をことさら問題にしようとしているのか。商品交換といった場合、それは現代からみると民事取引、私法上の取引とみなされるが、パシュカーニスは、商品交換における等価の原則を、犯罪と刑罰との均衡にもあてはめる。古代における「目には目を、歯には歯を」というタリオの原則、そしてロシア最古の法典といわれる「ルースカヤ・プラウダ」にも表れている殺人に対する復讐にかわる贖罪金の制度、そして(国家権力の確立による)罰金と刑
(83) パシュカーニスの商品交換理論は、ストゥーチカからのみならず、しばしば
「経済主義」的という批判を受けてきた。しかし、酒匂一郎によれば「経済主義」の意味しうるところは単純ではなく、パシュカーニスの近代法形態分析においては法的関係の内容が経済関係によって与えられているとはいえ、単純に前者は後者から導出されたり、後者に還元されたりしているわけではない。ただし、パシュカーニスにとっての法形態が商品交換関係において成立し、所有権を核とする主観的法ないし私法的形態を「第一義的な法」とし、客観的法ないし公法形態を軽視する点などは、法一般を専ら経済的なものとの連関において捉えようとする志向がみられ、その限りではパシュカーニス法理論の「経済主義」を語ることができるという(前掲、酒匂一郎「制度と正義―パシュカーニス法理論の批判的再検討―」298‒299頁)。
(84) Е.Б.Пашуканис.Марксистская теория права и строительство соци-ализма.Революция права.1927,№.3,С.10‒12.
(85) Там же.С.110‒112.同上176‒179頁。
88 パシュカーニス法理論の再検討
罰の発動の流れには、等価の原則があるとみなす(85)
。ただ、われわれは通常、それらを応報の原理として理解しているが、沼田稲次郎の説明の仕方によるとパシュカーニスは「人類がエデンの園から相続しているかのような応報の思想から等価交換を説明するのではなくて、商品の等価交換から応報思想のイデオロギー性を説くのである」
(86)
。ちなみに古代法史家のメインは、古代社会の「刑法」は「犯罪」に関する法
ではなく「不法行為」(tort)に関する法であったと述べている(87)
。「ルースカヤ・プラウダ」における贖罪金の規定も、当初は私的賠償金としての性格から後々、国家的罰金としての性質に変わっていったとされているが
(88)
、そのように考えてみると、確かに、犯罪と刑罰との均衡も損害賠償における等価の原則と無縁ではなかろう。しかも、パシュカーニスは、犯罪と刑罰を、交換関係としての契約関係が事
後的に確立されたものとみなしている。すなわち、双方の同意に基づく取引と異なり、一方の当事者が勝手に行為した後で交換関係が確立されるということである。こうした考えは、パシュカーニスによる突拍子もない思いつきというよりも、アリストテレスのいう正義の一種としての「交換における均等化」の二つのタイプ、すなわち「自由意思による行為における均等化」と「自由意思によらない行為における均等化」の区分に依拠している。前者は売買や使用貸借といった取引であり、後者は等価としての刑罰であり、それはいわば「意思に反して結ばれた契約」であるという
(89)
。このような等価報復の考え方に対して、いくつかの疑問が想定されている。
(86) 沼田稲次郎『法と国家の死滅』(増補版、法律文化社、1971年)50頁。(87) Henry Sumner Maine,Ancient Law (Oxford University Press,1954),pp.307‒308.
ヘンリー・サムナー・メイン(安西文夫訳)『古代法』信山社、1990年(復刻版)、266頁。
(88) この問題については、以下の勝田吉太郎の研究に依っている。勝田吉太郎「ルス法典(ルスカヤ・プラウダ、ルーシの法典)研究」、『勝田吉太郎全集』第五集(ミネルヴァ書房、1992年)425‒514頁。
(89) Пашуканис (1927).С.112.稲子訳179頁。
89神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
まず、現代の刑法は必ずしも被害者の損害から出発しているのではなく、国家の確立した規範の侵害から出発しているのであり、請求権をもった被害者が背景に退いたなら、等価の形態はどこに残っているのかという疑問である
(90)
。パシュカーニスは、このような疑問に対して、侵害された公的利益という見方も、被害者の具体的状況にもとづいており、「当事者」として考えられている検事は、「高い値段」すなわち厳刑をふきかけ、犯人は寛容すなわち「値引き」を請い、裁判所は「公平に」判決するという取引の形態をとるという。このように刑事裁判が市場取引に擬せられている
(91)
。しかし、パシュカーニスが言及していない、より根本的な問題としては、ひ
とくちに等価の原則といっても、貨幣が積極的な役割を果たし、なおかつ需要と供給のバランスによって価格が形成される商品交換と、犯罪と復讐や贖罪金、後の刑罰との均衡という意味での等価とを果たして同列視できるだろうかという疑問もあるだろう(後述)。次に、パシュカーニスは、犯罪と刑罰に関連して「責任」という概念をどの
ように位置づけるかについても次のように言及している。かつては家族や氏族の集団的責任(連帯責任)の原則が支配的であったが、近代社会に対応した刑法では、個人的な責任概念が強調され、自己の自由によって犯罪に対する責任を負い、行為の重さと「つりあい」のとれた自由によって責任をつぐなう。また、そうした責任概念は、過失責任のほかに、責任無能力の概念をも作り出し、責任能力なき行為に対しては「つりあい」ではなく社会の防衛といった目的のための手段が適合し、場合によって長期にわたる医学的、教育的な措置が必要になることがある。そして、責任の観念は、刑罰が等価の原則から解放されているところでは不必要となり、そもそも等価の原則が消滅しているところでは、刑罰は法的意味での刑罰ではなくなるという
(92)
。その際、パシュカーニスは、等価の原則に根ざす応報理論から社会防衛的な
(90) Там же.С.119.同上187頁。(91) Там же.С.119.同上188頁。(92) Там же.С.120‒121.同上189‒190頁。
90 パシュカーニス法理論の再検討
手段への移行について、次のように言う。
責任とか可罰性の概念を実際に不用とする刑事政策に一挙にうつるためには、これらの概念が偏見であることを宣言するだけでは不十分である。商品形態とそれから生みだされる法の形態がその刻印を社会に押し続けているかぎり、すべての犯罪の重さが、なんらかの秤ではかられ、そして禁固の月や年で表現されるという、法律的でない観点からすると本質的に不合理な理念は、裁判の活動において効力をもち、実際的な意義をもつことをやめないのである
(93)
。
ここでも商品の形態と法の形態との本質的な関係が語られ、なおかつそれらが犯罪と刑罰との「等価交換」の存立根拠とされているのが特徴である。論理的には、商品形態と等価の原則の残存→法の形態の残存→犯罪に「みあった」刑罰という考え方の存続、ということになろう。なお、パシュカーニスは十月革命以降のソビエトの刑事政策の顛末について
も、若干の言及をしている。1919年に司法人民委員部が「ロシア共和国刑法の指導原理」という、ある種の綱領的・総則的な規定を公表しており、責任(有責性)を刑罰の基礎とすることが放棄され、刑罰が社会的危険行為に対する社会防衛処分として位置付けられている
(94)
。そして、1922年のロシア共和国刑法典では、犯罪が「法秩序を侵害する社会的に危険な行為および不作為」と定義され、それに対するサンクションが「刑罰および社会防衛処分」とされ、各則で構成 (93) Там же.С.125.同上196頁。(94) Там же.С.126.同上196頁。原文はСобрание узаконений РСФСР.1919.№
66.Cт.590.その第10条は次のようにいう。「刑罰を選択する際、階級社会における犯罪というものが、犯罪者の生活する社会の構造によってひき起こされるものであることを考慮に入れなければならない。したがって、刑罰は『責任』に対する応報や償いではない。刑罰は、防衛手段として、目的にかなったものでなくてはならず、苦痛を与える側面は極力排除され、犯罪者に無用な苦痛をもたらしてはならない。」
91神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
要件が定められた。さらにはソ連結成後の「ソ連邦の刑事立法の基本原則」では、刑罰という概念は登場せずに「司法的・矯正的な性格の社会防衛処分」という概念が採用されている
(95)
。パシュカーニスがこうした事例を引いているのは、ソビエトの刑事政策が社
会構造の変化とともに生まれ変わったことをアピールするためではなく、むしろ問題が宣言や法律規定によって解決されるものではないことを強調するためである。すなわち、「用語の変更は事態の本質を変えない」のであり、パシュカーニスは、当時のソビエトの刑法理論および刑事政策の諸概念が現実の先を行き過ぎていることを、示唆しているのである
(96)
。それは、パシュカーニスの理論にしたがっていえば、依然として等価交換の原理が支配的な社会では、伝統的な刑罰や責任概念に依拠せざるを得ないことを意味した。パシュカーニスは、理論的には、等価の原則からの解放による伝統的な犯罪や刑罰概念、そして責任概念の不要論という急進的な道筋を示しつつも、現状認識としてはむしろ、伝統的諸概念の根強さを裏付けているかのようであった。パシュカーニスの現状認識がどうであれ、犯罪と刑罰、責任概念の存立基盤
を商品形態と等価の原則に求めることが妥当なのか、そもそも等価の原則は商品交換に由来するものなのか、依然として問題は残る。
(七) 法と国家
パシュカーニスは、商品の問題と並んで分析が困難なのが国家の問題だという(97)
。マルクスの『資本論』においては、国家という範疇が「カッコ」にくくられ、
(95) Пашуканис (1927).С.126.稲子訳196頁。1922年のロシア共和国刑法典、ソ
連結成後の1924年のソ連邦(および連邦構成共和国)の刑事立法の基本原則の原文は、それぞれСобрание узаконений РСФСР.1922.№ 15,ст.153; Со-брание узаконений СССР,1924.№ 24,Ст.204.
(96) Пашуканис (1927).С.126.稲子訳196頁。(97) Там же.С.86.同上145頁。
92 パシュカーニス法理論の再検討
資本制生産様式にとって外在的である(国家の出る幕はない)(98)
。同様に、パシュカーニスによる法的形態の生成の論証においても、国家の役割は、さしあたり外在的である。こうした立場は、当時のソビエト法学において、法を「支配階級の国家権力によって導入され保護される規範の体系」とみるようなある種の法実証主義的潮流(ポドヴォロツキー等)と緊張関係にもあった。パシュカーニス自身は、形態としての法を、国家的・組織的な強制というメルクマールだけで説明することを、マルクス主義が克服すべきものとみなしていた
(99)
。そして法的形態の発生の根拠を交換(商品交換)に求めたのであった。このようなパシュカーニスの見地は、(パシュカーニス自身が触れているわ
けではないが)ホッブズ的な世界観とは両義的な関係にある。パシュカーニスによると、法的交際は、その性質上、平和状態を前提とせず、その歴史的背景として、初期の商業の発達は武力による強奪を排除していなかったこと、法と自力救済とは対立しているどころかむしろ密接につながっていたこと、近代の国際法は報復や戦争などの自力救済を含んでいたことなどがある。また、法と法秩序とは、同一視されてはならず、「秩序」とは、傾向あるいは最終的な結果であり、法的交際の出発点や前提では決してないという
(100)
。ホッブズのいう自然状態、すなわち自然権にもとづく自己保存、「万人の万
人に対する闘争」は、やがて主権者との契約にもとづく秩序の形成、平和状態へと向かう。他方、パシュカーニスは、社会契約のような仮説に依拠しているのではない代わりに、平和状態は、交換が規則的な現象という性格をもつにいたると必然的なものになる、と述べる
(101)
。封建的権力が「交換取引のための平和 (98) むろんこれには種々の異論もあろう。デヴィッド・ハーヴェイによれば『資本
論』の中には明示的な国家論は存在しないが、テキストの全体を通して何度も登場しており、それらを追跡していくならば、資本主義的生産システムの中で国家が欠くことのできない機能を果たしていることが明らかになるだろうと述べている。デヴィッド・ハーヴェイ(森田成也・中村好孝訳)『資本論入門』(作品社、2011年)97頁。
(99) Пашуканис (1927).С.18.稲子訳54頁。(100) Там же.С.83‒84.同上141‒142頁。
93神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
の保障人」という役割を果たすようになっていき、そこに「公共性」という意味合いが加わり、私的なものと公的なものという分化が進んでいく。このように商業と貨幣経済の発達により、公と私との対立が永遠で自然的な性格を獲得し、権力現象が法律的、合理主義的に説明されるようになる。例えば中世ヨーロッパでは、領土支配に関する公法的な原理と土地私有との区分がいち早く生じ、租税と(私的所有を基礎とする)地代との分裂が生じた、という具合に
(102)
。パシュカーニスのいう平和と秩序の保障人としての公権力=国家は、法的形
態の発生の原因や根拠ではなく、あくまでもその結果に位置している。誤解されやすいが、パシュカーニスは法秩序の保障に際して国家が関与していないと言っているのではなく(それは経験的にも誤りであろう)、法的形態の発生根拠に国家権力の強制的役割を見出すことに異論を述べているのである。そもそもパシュカーニスによる国家の位置付けは二重である。「市場による
交換の保証人としての権力=国家」に加えて、もうひとつは「階級的支配の組織または対外戦争を行なうための組織としての国家」であり、後者は、法的説明を要せず、国家理性すなわちむき出しの合目的性が支配している領域とされている。それゆえ、国家のあらゆる機能を包括しようとする法学的理論はすべて、必然的に不完全だとし、そのような理論は事実の正確な反映ではなく、イデオロギー的な反映だという
(103)
。パシュカーニスによるこうした国家の二重の位置付けについては、「社会学的」国家観のイデオロギー版として「法学的」国家観があると関係付けられなくもない。前者に関しては、マルクス主義の国家論における最も素朴な定義として、国
家とは階級支配の道具であるといった見地がある(もう少し洗練された言い方をすればレーニンのいう、国家とは階級間の非和解性の産物)。パシュカーニスは、ひとくちに階級の支配といっても、なぜそれが、ある住民の一部分によ (101) Там же.С.84.同上142頁。(102) Там же.С.84‒85.同上143‒144頁。(103) Там же.С.85‒86.同上144145頁。
94 パシュカーニス法理論の再検討
る他の住民への事実上の支配・従属関係ではなく、公的な国家的な支配という形態をとるのかと問いかける。もっと噛み砕いていうと、なにゆえに国家的な強制機構は、支配階級の私的な機構として作られず、公的権力という、非個人的な、社会から切り離された機構の「形態をとる」(принимать форму)のだろうかという問いである
(104)
。パシュカーニスが頻用する「形態をとる」というのは、単なる見せかけや偽装ということではなく、そのような形態が発生する必然性、物質的基盤、歴史的条件があるということを含意する。パシュカーニスにおいては、公権力の自立化は、支配階級による支配という
主意主義的な理解ではなく、結局、市場交換の拡大という客観的過程と結びついている。これについてのパシュカーニスの説明の仕方は以下の通りである。市場社会の担い手は自治的意思を前提とした法的主体でもあり、もし商品交換の際の交換比率が、市場法則にとって外部の権威によって決められるならば、交換価値は交換価値であることをやめ、商品は商品であることをやめる。その場合、力による支配や強制(経済外的強制)は、恣意への従属を意味することになる。市場社会においては、強制は、あくまでも商品交換、それゆえ法的交際のすべての参加者の利益のために行使される強制としてあらわれなければならず、権力は、法の権力として、客観的で公平な規範の権力として立ち現れる。「資本主義国家」と労働者との関係についても、それは個別の資本と労働との関係とは異なる。国家は、個々の資本家のうえに立ち、支配階級から切り離された機構として立ち現れる。個々の賃労働者は、任意の企業のもとで働くことを政治的、法律的に強制されるのではなく、形式的に自由な契約にもとづいて自己の労働力を資本家に譲渡している。「搾取関係」は形式的に「独立、平等」の商品所有者の関係として実現されるのであり、そのような労働力の売買が行われる局面では、政治的権力は公権力という形態をとらざるを得ないのだ、と
(105)
。このように、法学的国家観が、階級支配の組織としての国家のイデオロギー
(104) Там же.С.87‒88.同上146‒147頁。(105) Там же.С.88‒89.同上148‒151頁。
95神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
的反映であるといっても、パシュカーニスは「イデオロギー的な霧を使うことや、国家という蔽いの陰で階級支配を覆い隠すことが、支配階級にとって都合がよい」という説明だけでは不十分であるとする。そこでパシュカーニスは、「イデオロギー的形態の意識的利用」と「人々の意志によらないでおこるイデオロギーの発生」とを区別する必要性を述べている
(106)
。前者に過度に依拠した場合、それはしばしば陰謀史観的な見方にもなり、支
配階級がその支配を隠蔽するために公権力という見せかけを用い、イデオロギーを操作するという見方にもなりかねないだろう。イデオロギーとは、人々をあざむくための煙幕のようなものであるかのように。それに対してパシュカーニスが言おうとしているのは、社会から分離した公権力という形態には、市場と商品交換の発達という客観的な基盤があり、法学的国家観のイデオロギーは、商品交換社会に根ざしているということである。つまり、「階級的支配の組織または対外戦争を行なうための組織としての国家」という実態は、「市場による交換の保証人としての権力=国家」という形態を媒介として自らを再生産するということになろう(もちろん、カール・シュミットのように主権者を例外状態において決断をなすものととらえ、友・敵理論の下で国家形態を考察しようとする論者もいる)。以上のことから、パシュカーニスの場合、単なる支配のためのイデオロギー
や道具ではないような国家権力の根拠についての説明に着手しようとしていることはうかがえる。だからといって、そこではいかなる時代にも通じる「国家」の定義がなされているわけではなく、そもそもパシュカーニスにとって歴史を超えた「経済」や「法」なるものの定義は非科学的であるのと同様、国家に関しても、近代国家、ブルジョア国家が念頭にある。つまり法という形態と同様、国家という形態についても、歴史的な産物であり、それは商品交換社会において最高度の発展をとげるが、やがて使命を果たし終えていくという含意がある。
(106) Там же.С.87‒88.同上147頁。
96 パシュカーニス法理論の再検討
(八) 法の死滅
既述のとおり、パシュカーニスの一般理論においては、法の形態の全盛を保障する歴史的条件が商品交換の発達した資本制社会であり、そのような歴史的条件の存立根拠の消滅とともに――高次の共産社会のもとでの――「法の死滅」が演繹される。この場合、「法」を何らかの社会秩序や規則一般にまで拡張させてとらえてしまうと、「法の死滅」は、現実にはあり得ない純粋なユートピアとみなされるか、さもなければ1930年代後半に凄惨をきわめたスターリンの大テロルの下での社会主義的合法性からの逸脱=事実上の「法の死滅」というディストピアと二重写しにされる。パシュカーニスのいう「法の死滅」のテーゼについては、まず、彼自身が
「法」をどの次元でとらえているかということと切り離して論じることはできない。パシュカーニスが批判しているのは、法を国家的な強制や権威的な命令といったメルクマールで説明することである。仮にそこに「支配階級の利益を強固にするための」といった階級闘争の契機を加味したとしても、パシュカーニスは、そのような見地を、マルクス主義が克服すべきものとみなしていたことは先に触れた通りである。資本制社会は何よりも価値法則が貫徹する社会であり、「貨幣が存在し、したがって私的な個別的労働が一般的な等価形態として社会的労働となる社会では、主体的なものと客体的なもの、私的なものと公的なものという対立物をともなった法的形態のための条件が存在する」
(107)
。かくしてブルジョア的社会構成体において、法的形態が普遍的意義を獲得するようになる。「法の死滅」とは、このような社会的条件が漸次消滅していくことの結果とされている。資本制社会の諸条件の変転は、パシュカーニスが依拠するマルクスのテクス
トにおいて断片的に語られていた。すなわち、「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない」。これはむろん生産物のやり取りがないということではなく、物の分配がもはや私的分業体
(107) Там же.С.8.同上40‒41頁。
97神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
制にもとづく「商品交換」という方法をとる必要がないということであり、また「生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物にそなわった物的特性として現れることもない」。その際、資本制生産様式が一掃された状況であっても、〈労働にもとづいて受けとる〉という原理が作用する場合、個々の生産者は社会に与えたのと同じ労働量を――控除を差し引いた上で――別の形で返してもらう(生産者の権利は労働給付に比例する)。そこでは商品等価物の交換の場合と同じ原則が支配し、ある労働が別のかたちの等しい量の労働(同じ時間または強度の労働)と交換されるという
(108)
。このような過渡期の社会に関するマルクスの記述を言い換えて、パシュカー
ニスは「生産手段が社会全体に属し、生産者はその生産物を交換しない」社会体制と位置付け、市場交換と私的経営が残存する1920年代の新経済政策(ネップ)下のソ連社会よりも高度な段階とみなす。ただし、そのような段階においても労働にもとづく分配体制がとられていることから、「個々の生産者と社会の関係が等価交換の形態をとりつづけるあいだは、この関係は法の形態をとりつづける」とみなす
(109)
。 (108) Karl Marx,Kritik des Gothaer Programms,Marx Engels Werke,Bd.19 (Berlin
1962),S.19‒20.マルクス「ゴータ綱領批判」『マルクス=エンゲルス全集』第19巻(大月書店、1968年)19‒20頁。
(109) Пашуканис (1927).С.22‒23.稲子訳60頁。瀧島正好によれば、社会主義社会で個人的消費手段の分配が等量の労働の交換という形をとるというマルクスの言明は、パシュカーニスの言う「等価関係の残存」を意味するものではない。実際の個別的な商品交換過程は、需給関係による市場価格の変動の中で、常に多少なりとも価値から乖離した価格形態を以て行わる(ただし全体としては、市場価格の変動を平均してみるならば、等価物同士が交換されたという結果が観察できるにすぎない)。したがって、現実に行われる個別的な商品交換を「等価交換」と理解するなら誤りになるし、パシュカーニスのように、社会主義社会でも個人的消費手段の分配面で等価交換の形態が残存するという解釈は、社会主義経済に「価値」という幻想的な紐帯の介在を認めている点で大きな誤解を犯しているという。瀧島正好「パシュカーニスによる法死滅論の基礎づけ―その批判」、『法と倫理:法哲学年報(1975年)』(有斐閣、1976年)135‒136頁。
98 パシュカーニス法理論の再検討
パシュカーニスは、商品交換がなくなっても等価関係の形態は残り続け、それは法の形態が残り続けることを意味し、なおかつ法の形態の残存は、公的な権力すなわち国家権力の残存を意味するという。レーニンのいう「ブルジョアジーなきブルジョア国家」とは「ブルジョア法」の遵守を強制できる機構であり、ここでパシュカーニスはレーニンの考えを忠実に引き継いでいる
(110)
。そして、「法の死滅」とは、等価関係の形態が完全に取り除かれる状態を意味するという。その際、パシュカーニスは「法の死滅」にいたる移行期の社会、「ブルジョア法のカテゴリーの消滅は、法一般の消滅、すなわち人々の関係から法的な契機がだんだんと消えていく」という局面について語っている。また、資本制生産様式における基礎的カテゴリーである価値、資本、利潤は、発展した社会主義社会への移行とともに消滅するが、そのことは価値、資本、利潤などについてのプロレタリア的な新しいカテゴリーの出現を意味しない。同様にブルジョア法の死滅は、プロレタリア的な法的カテゴリーに交代することを決して意味するわけではないという
(111)
。
(110) Пашуканис (1927).С.23.稲子訳61頁。レーニンやパシュカーニスのいう、
「ブルジョア法」の遵守を強制できる「ブルジョアジーなきブルジョア国家」とは、マルクスの『ゴータ綱領批判』に出てくる資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会論に由来している。マルクスによれば、そこでは依然として労働に応じた分配、すなわち「ブルジョア的制限につきまとわれた平等な権利」が作用している。しかし、前掲、瀧川論文「パシュカーニスによる法死滅論の基礎付け」によれば、マルクスが言っている「ブルジョア的権利」の残存とは、労働に応じた分配を、当時のラッサール派の表現を借りて単に「権利」という言葉で表現しただけで、それが現実に「ブルジョアジーのいないブルジョア国家」なるものによって法規範化される「権利義務関係」という形態をとるということとは次元が異なる問題だという(140頁)。だとすると、レーニンやパシュカーニスは、マルクスがそもそも当時のラッサール派への「あてこすり」として述べた「ブルジョア的権利」を真に受けて、それをブルジョアジーのいないブルジョア国家やブルジョア法として誤って理論化したということになる。
(111) Пашуканис (1927).С.22.稲子訳59‒60頁。
99神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
この問題を、1920年代のソ連のネップ(新経済政策)の状況に照らしてパシュカーニスが述べているところによると、依然として「個々の企業や企業グループのあいだの市場によるつながりがまだ効力をもっているあいだは、法の形態も効力をもちつづける」のであり、「小規模な農民経営や手工業経営の生産手段と生産用具にたいする私的所有の形態は、移行期においてはほとんど変わらないで残る」。国営企業同士のつながりも取引の形態をとり、司法的な手続きも必要となるという
(112)
。実際にソ連では、1920年代に民法典をはじめとする各種法典(実体法、手続
法)が制定され、紛争解決のための裁判所および仲裁委員会が設置された時代でもあった。しかし他方では生産や分配の計画原理がしだいに強まり、パシュカーニスによると、それらのプログラムは「技術的な内容をもつ指示の方法」であり、事情に応じて絶えず変化する
(113)
。こうした側面の拡大が、パシュカーニスにおいては、法形態一般の漸次的な消滅過程とみなされている。その場合でも、生産や分配に関する計画的なプログラムが、国家権力から出て強制力をもち、権利義務関係を設定している意味では、それがある種の公法的規範として意識され、「人間から疎外され、人間の上に立つ力の形態をとる」という
(114)
。1920年代末には、ネップが終焉してソビエト経済は重工業化と農業集団化を
通じた計画指令経済に大きくシフトしていった。パシュカーニスは「経済と法的規制」という1929年の論文
(115)
でも、「法の死滅」に改めて触れている。ただし、『一般理論』においては、等価の原則の残存が法の形態と国家機構の残存の論理的前提のようにされていたが、「経済と法的規制」においては、「法的形態が縮減していく過程を考えるにあたって、我々が考慮に入れなければならない事実とは、国家の強制力が作用し続ける限り、たとえ市場交換とは何の関係もない諸
(112) Там же.С.79‒81.同上137‒138頁。(113) Там же.С.80.同上138頁。(114) Там же.С.81.同上138頁。(115) Е.Б.Пашуканис.Экономика и правовое регулилование.Революция
права.1929,№ 4 ,С.12‒32.№.5,С.20‒37.
100 パシュカーニス法理論の再検討
関係の領域であっても、法的規制が用いられるであろうことである」という具合に、「法の死滅」という展望をあくまでも堅持しながら、国家の強制力と(市場交換とは無関係であっても)法的規制の残存に力点が置かれている
(116)
。その場合の「法的規制」とは、『一般理論』の中で言及されていた「生産や分配に関する計画的プログラム」を意味するが、具体的には、生産や価格に関する直接的指令、財政立法のような間接的な手段、特定の分野(例えば集団農場や綿花栽培)に対する優遇措置などの経済的インセンティブという具合に例示されている(117)
。いわば行政的な経済管理法のようなシステムが、そこでは念頭に置かれている。確かに当時のソ連では、私法的な関係が行政的な経済管理法的なシステムに
置き換わっていった意味で、パシュカーニスの「法の死滅」の展望は、あながち間違っていたわけではない。それにしてもパシュカーニスは、法の死滅過程に並行する形で「国家権力は階級分裂がなくなってからも、しばらくのあいだ残る」という言い方をしており、まるで国家権力は惰性のような消極的な位置づけを与えられて、やがて舞台からフェイドアウトしていくかのような言い回しをしている
(118)
。計画指令経済は、市場交換を律する「自治法」(まさにパシュカーニスにとってのブルジョア法の核心)に代わって膨大な「管理法」を生みだしていったが、それは国家権力と官僚機構の肥大化を意味することをパシュカーニスは予見していなかったのだろか(アイロニカルな言い方をするならば、法は死滅途上にあったかもしれないが、国家は肥大化途上にあった)。また、「法と等価性」のところで触れたように、パシュカーニスは等価の原則を商品交換に求めるような説明をしている。しかし他方で、商品交換がなくなっても、労働に応じた比例的分配という意味での「等価」の形態が残り続けることを指摘しており、商品交換と等価の原則との関係が必ずしも明確ではない(思うに商品交換と比べて、等価の原則は、はるかに広義の概念であろう)。 (116) Там же (№ 5 ).С.35.(117) Там же (№ 5 ).С.36.(118) Пашуканис (1927).С.23.稲子訳61頁。
101神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
そして、仮にいくら生産力が発達したとしても――あるいは各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取るとしても――「等価関係の形態が完全に取り除かれる状態」の根拠は必ずしも定かではない。
第二章 日本におけるパシュカーニスの評価と批判
(一) 前史
以下ではパシュカーニスの法理論に対峙しながら独自の理論的課題を追求していった日本の法学者による、パシュカーニスの受容の仕方や批判の切り口を検討する。そもそもパシュカーニスの法理論の反響が比較的大きかった国の中に、後発的近代国家の日本がある。そこではマルクス主義の知的影響力もさることながら、外来の西欧法を移植しつつ急激な資本制的な発展を遂げていく局面において、近代化の課題と同時に、それに伴う諸矛盾が痛烈に意識され、法的関係に対する批判的な分析が受容されやすかった事情もある(近代化の課題と近代批判の課題という二重性)パシュカーニスの『一般理論』を日本で最初に翻訳した山之内一郎は、原
著書を一読して「直ちにこれを我が学会に紹介する必要を感じた」(旧字体は新字体に改めた)と述べている
(119)
。ほどなくして山之内は『法の研究』創刊号(1933年)に「パシュカーニスの自己批判とストゥーチカとの論争」を掲載するが、パシュカーニスの『一般理論』をそれ自体として評価したり批判したりするのではなく、1930年代という文脈の中で当時のソビエトの法学論争を紹介し「ソヴェトにおける法理論が顕著なる発達をなしつつある」ことを賛美していた(120)
。折しもスターリン時代である。山之内は、パシュカーニス亡き後のソ連法学界を支配したヴィシンスキーに
(119) イェ・ベー・パシュカーニス著(山之内一郎訳)『法の一般理論とマルキシズ
ム』(改造社版、1930年)15頁。(120) 本論文は長谷川正安・藤田勇編『マルクス主義法学〈戦前〉』(日本評論社、
1972年)195‒218頁に再録されているため、こちらを参照した。
102 パシュカーニス法理論の再検討
ついての研究などでも知られるが(121)
、パシュカーニスに対する学術的研究は実質的には次の加古祐二郎によって開拓されたといってよいだろう。なお、パシュカーニスと加古祐二郎との比較については、両者の生い立ちや時代性などを重視しつつ藤田勇が試みているが、次節では、藤田が若干触れていながらあまり踏み込んでいない物象化や法の物神性(フェティシズム)を軸に検討する
(122)
。
(二) 物象化と法的主体性―加古祐二郎―
戦前の日本の法学者の中では、33歳で夭逝した異才の法学者、加古祐二郎が、1931年の論考「歴史的なるものの存在性格より見たる法的規範の限界性に就て――法的観念形態に関する一考察――」の中で、早くもパシュカーニスについて触れている。加古は、マルクスの商品フェティシズムの分析に触れつつ、「かかる物神性が、更に社会的イデオロギーの一なる法的範疇においても如何なる役割を演じているか、そして之によって如何に法的なるものの本質があいまいにせられているかを明かにし、批判することは、最も今日において主要事であらねばならぬ。パシュカーニスが巳に法と商品との接近において之を取扱はんとしていることは意味深きものと云へる。之れに関して小論することは究局の課題である」とし、この問題の解明について他日を期す旨が述べられている
(123)
(旧字体は新字体に改めた、以下同様)。 (121) 山之内一郎「ヴィシンスキーによるソビエト法理論の確立」、『社会科学研究』
2巻 3号 1 ‒31頁(1950年)、同 4号 1 ‒28頁(1951年)。(122) 藤田勇「加古祐二郎の法哲学とパシュカーニス法理論―両者の『交渉』の時代
史的考察―」『法学志林』88巻 3 号(1991年)49‒73頁。本論文は、大橋智之輔ほか編『昭和精神史の一断面:法哲学者加古祐二郎とその日記』(法政大学出版局、1991年)にも所収されている。
(123) 加古祐二郎『近代法の基礎構造』(日本評論社、1964年)、 2 ‒22頁。ただし本論ではなく注においてであるが、そこでは『法の一般理論とマルクス主義』のドイツ語訳が出典として示されている。ドイツ語訳が出たのは1929年であるから、このパシュカーニスの著書に出会って間もない頃であると推測できる(同時期に山之内一郎による邦訳が出ているが)。
103神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
加古が注目する資本制社会におけるフェティシズムや物象化の問題について、確かにパシュカーニスは、「商品の物神性は法の物神性によっておぎなわれる」と集約的に表現している
(124)
。このことを、マルクス、そして加古自身が影響を受けたとされるルカーチの物象化論に即していえば、資本制社会では人々の交換関係、生産関係が、商品「価値」や「資本」といった物象の形態をとるが、そのような価値関係の実現のためには、法的次元では、権利の主体としての「人」(自然人のみならず法人にも拡張していく)や、財産・客体としての「物」(有体物のみならず無体物にも拡張していく)といった概念を必要とするであろう。ルカーチが、「物象化とプロレタリアートの意識」の冒頭で、商品構造の中にブルジョア社会における主体性と客体性のあり方を見出すことができると述べていたのは、そうした意味でも解することができる
(125)
。1933年の「社会定型としての法的主体に就て」では、加古は「経済的範疇と
法的範疇との連関は本質的に極めて親近の関係に立つと云へる」と述べ、そうした観点からパシュカーニスの業績を意義深いものとみなしている
(126)
。そして加古は、経済関係がいかにして法的関係に転化し、商品所有者がいかにして法的主体に転化するのか、という問いを発する。前述の31年の論文で萌芽的に触れられていた商品の物神性と法の物神性の相
互関係については、今回、加古自身の説明が試みられている。すなわち、労働生産物が交換によって商品となることを通じて、労働生産物がそれを生産する主体の意志から独立して価値を獲得し(商品の第一の物化性)、かかる交換における価値実現は商品所有者の意志的行為として現れ(商品の第二の人格化性)、この場合の人格が、物化に基づく抽象者たる性格を担うことの必然性に (124) Пашуканис (1927).С.69.稲子訳122頁。(125) Georg Lukács,Geschichte und Klassenbewusstsein: Studien über marxistische
Dialektik.Berlin 1923.S.94.城塚登・吉田光訳『ルカーチ著作集九 歴史と階級意識』(白水社、1968年)、161頁。なお、この問題については、拙稿「ルカーチとパシュカーニス:物象化世界における哲学と法学」、『早稲田法学』87巻 2号、301‒323頁を参照願いたい。
(126) 前掲、加古祐二郎『近代法の基礎構造』77頁。
104 パシュカーニス法理論の再検討
よって初めて抽象的法的主体に転化する(127)
。「商品の第二の人格化性」という言い回しは、わかりづらいが、それは商品の物神性の第二の契機たる「物の人格化」あるいは主体化とも言い換えられている。これに関してはマルクスが『資本論』において、商品価値や貨幣の購買力、
資本形態などにみられるように、人と人との関係が物と物との関係という幻影的形態をとるという物象化(物化)論を展開する一方で、今度は物象的諸関係が主体に影響を及ぼす「物象の人格化」(Personifi zierung der Sachen)について語っていた
(128)
。たとえば「資本」という物象的形態は、資本の所有者を「資本家」として他の人々と一定の生産関係に入ることを可能にし、「商品」や「価値」といった物象的形態は、価値実現者としての自由で平等な商品交換者を生み出す。社会関係の物象化と物象の人格化とは、円環構造をなし、相互に規定しあう(129)
。そのような意味では、法律上の「人」、抽象的な権利主体とは、一定の社会
的関係の下での「物象の人格化」の効果に他ならないと言えるだろう。近代社会の原動力を商品交換とした場合、それは一方では価値概念を生み出し、他方では権利主体を生み出す。
(127) 同上102頁。(128) Karl Marx,Das Kapital,Dritter Band ( Herausgegeben von Friedrich Engels),Marx
Engels Werke,Bd.25 (Berlin 1964),S.838.カール・マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 3巻(エンゲルス編)第 2分冊(大月書店、1968年)1063頁。「物象の人格化」と類似の表現は他の箇所でもされており、例えば『資本論』第 1巻第 1編の第 2章「交換過程」では、「経済的諸関係の人格化」(Personifikation der ökonomischen Verhältnisse)という言い方もされている。MEGA,Ⅱ‒10,S.83.マルクス(岡崎次郎訳)『資本論』第 1巻第 1分冊、113頁。
(129) こうした分析は、パシュカーニスの同時代人のソビエトの経済学者ルービンの著書の中に見出される。イサーク・イリイチ・ルービン(竹永進訳)『マルクス価値論概説』(法政大学出版局、1993年)20‒21頁。また、この問題については前掲、拙稿「ルカーチとパシュカーニス:物象化世界における哲学と法学」でも触れた。
105神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
(価値)物化←商品交換→人格化(権利主体)
加古は、商品の物神性と法の物神性との密接な連関(加古の言い方によると弁証法的な連関)を明かにしようとする際、マルクスそしてパシュカーニスに依拠するが、パシュカーニスの法形態の分析においては、「商品形態の形態性に捉われるの余り、今日法的なるものの他の最も重要なる機能である国家的強制又は政治的契機が背後に推しやられ、その結果、法的関係が平面的静体的にのみ見られうるかの如き点を認めうる」と批判的コメントを残している
(130)
。その後、パシュカーニスに本格的に言及するようになったのが1934年の「近
代法の形態性に就て――法の本質把握への一通路として――」においてである。ここでは、加古はパシュカーニスに対する批判的態度をむしろ強めている。加古によると、パシュカーニスは近代市民法の法形態の基礎を単純商品生産
社会の流通、すなわちW-G-W’(商品‒貨幣‒商品)に求めているかのように見えるとし、ならば、古代社会、中世の封建社会でも、限定された領域内で単純な商品流通過程は存在するのであるから、それに照応した近代的な法的形態がその当時から存立し得るかのような推論を原理的には可能にすると指摘する。このような単純商品流通過程から法的関係を導き出そうとする態度は、法形態の近代的形態性とそれ以前の法の形態性との本質的な差異や両者の特殊性を抹殺するものであるという
(131)
。そして、パシュカーニス自身がいう「法的物神性」と結びついている商品の物神崇拝性は、『資本論』におけるもう一方のG
-W-G’すなわち剰余価値の創出を目的とした価値増殖過程との連関の下で可能になり、この過程には労働力商品化が内在していると主張する
(132)
。ここで加古は、「労働の従属性」、すなわち形式的には平等な商品主体の実質的不平等という矛盾を問題にし、パシュカーニスの分析は、近代法の形態に内在する矛盾、すなわち法的平等性の自己矛盾に基づく新たな社会法秩序の発展の契機を積極 (130) 前掲、加古祐二郎『近代法の基礎構造』114頁。(131) 同上148‒150頁。(132) 同上151‒154頁。
106 パシュカーニス法理論の再検討
的に展開できていないと批判する(133)
。まとめると、市民法的原理と社会法的原理という段階論的区分に立脚する加
古のパシュカーニス批判の第一の力点は、パシュカーニスが前者にのみ立脚して近代法の基礎を求めようとしている意味で不十分さを免れえず、同時代のいわゆる独占金融資本主義もしくは統制経済における「転形期」の法形態の解明をなしえなかったという不満にある。しかし加古の理論的探求の中では、歴史的範疇としての「法的主体性」に対
する批判的分析というスタンスはその後も続いている。その点では、加古は、パシュカーニスの問題意識を引き継いでおり、「法的主体性より見たる社会法」(1936年)という論考では、「現代の社会法形態はその主体(人格者)の見地からしては尚ほ市民法的形式的抽象化された人格主体の原型を止揚しうる所の具体的人格主体能はない」とし、「かかる市民法的抽象的主体を原理的には一般的前提とする限りにおいて、それの抽象的疎外性の反省的自覚的契機を媒介としてのみ考察され能ふやうな主体の社会的矛盾的性格において始めて充分に成り立ちうるものと言はねばならないのである」と主張する
(134)
。右の論文とは時期が前後するが、同趣旨のことを端的に語っている「社会法
の限界性」(1934年)においては、その結論部分でパシュカーニスへの言及があり、後期資本主義(独占段階)の社会法の法形態も、パシュカーニスのいう商品交換原則の等価形態(加古自身は「商品時価」という言い方をしている)にもとづく市民法的原理を超え出るものではないとしている
(135)
。晩年の加古は、当時の資本制の形態、そしてファシズム的な国家コーポラティズム体制が、あたかも自由主義的、競争的な資本主義の矛盾を止揚するかのように一部では言われていたこと(いわゆる近代の超克)に対して、釘を刺していたのだろう。このようにして、加古は、パシュカーニスが問題提起した近代的法形態およ
(133) 同上154‒155頁。(134) 同上304‒305頁。(135) 『昭和精神史の一断面―法哲学者加古祐二郎とその日記』(法政大学出版局、
1991年)103頁。
107神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
び法主体性の歴史性と物象的性格をふまえたうえで、その批判を、社会法の段階をも念頭に置いたうえで、展開しようとしたのであるが、惜しむらくは若くして、しかもパシュカーニスがソビエトで粛清された同年に世を去った。
(三) 権利主義的法意識―加藤新平―
加藤新平『法学的世界観』(有斐閣、1950年)は、その後半がほぼパシュカーニス法理論の検討に充てられている。本書の主題は「法律物神性」(Rechtsfetischismus,fetichisme légal)であり、これの意味するところは、ひとつは法律実証主義および注釈学派に特有な思惟・意識、もうひとつは、マルクス主義法学の立場から、資本論において展開された商品物神性(Warenfetischismus)と相補関係にあるものとして考えられ、とりわけ近代市民社会の法的意識、正義・平等・権利などの法原理や法形式尊重の意識をさすものとされている
(136)
。加藤によれば、パシュカーニスや加古祐二郎が、後者の意味で、この語を用いている。この後者の意味での「法律物神性」についての検討が、本書後半のパシュカーニス論(タイトルは「法‒権利と強制―パシュカーニス法理学の検討―」)である。なお「法律」物神性は、現代の語感では、狭義の「法律」(実定法、制定法)にむしろ論理的に先行する「法」の物神性のことと思われる。加藤は、近代法の性格を描き出したパシュカーニスを高く評価する反面、「た
だ交換経済の発達、市場の拡大という要素だけを強調するパシュカーニスの見解は、種々の点で一面性の謗りを免れない」とする
(137)
(旧字体は新字体に改めた、以下同様)。具体的には、政治社会の役割が無視されているという点、近代的な統一的国家権力とその官僚機構が法の合理化のために果たした役割が充分に評価されていないことなどである。さらに、パシュカーニスにおいては、本来、労働力商品化を要求する産業資本主義の発達を自覚的にとりあげて力説すべき
(136) 加藤新平『法学的世界観』(有斐閣、1950年) 1 ‒ 2 頁。(137) 同上122頁
108 パシュカーニス法理論の再検討
であるが、そのことがなされずに、単に交換経済の発展という一色で蔽われている観があることも難点とされている
(138)
。こうした批判の切り口は、前述の加古祐二郎によるパシュカーニス批判と重
なるところもある(パシュカーニスの法理論が国家的強制や政治的契機を不当に軽視しており、また単純商品流通社会を念頭に置いており、労働力商品化を組み込む価値増殖過程G-W-G’が重視されていないという点)。また、官僚機構が法の合理化のために果たした役割という指摘は、ウェーバー的な視点とも言えるだろうし、パシュカーニスが必ずしも十分に踏み込んでいなかった法における政治権力の役割という意味で、考慮すべき批判と思われる。ただし、加藤によるパシュカーニス法理論の部分的批判は、結果的には、パ
シュカーニスの独創性や特有性をむしろ際立たせることにも寄与している。加藤は、パシュカーニスが、通常のマルクス主義法学者の考え方と違って、法・権利関係が法規範に先行しかつ優位性をもっている、すなわち権利優位の法律観と考えている点で特異であると指摘する(この問題については、先に主観法・客観法の問題として触れた)。「通常のマルクス主義法学者の考え方」とは、当時の文脈でいうと、おそらくソビエトのヴィシンスキーに代表されるような、国家的強制、階級的支配を法のモメントとして強調するような見方であろう(見方によっては、それが一種の政治権力重視ということにもなるのだろう)。それに対して、加藤によれば、パシュカーニスにおいては「権利主義的法意識」、「法に於ける権力的強制のモメントの軽視」が特徴であるという。加藤は次のように言う。
然るにパシュカーニスによれば、既述のように、法律関係は商品交換者の経済生活そのものの中に、それと共に既に与えられているのであり、政治権力の定立する法規は、後からそれを具体化し変容し条件づけるものとして付け加わって来るにすぎない。政治的上部構造を介せずして法律関係
(138) 同上122頁。
109神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
(所有権関係、契約関係)は物質的土台と密着して存在する(実在的優位)。いわば物質的土台たる生産関係そのものの中にすでに法律的要素が浸透しているのである。かくて、「客観的な社会現象としての法は、規範又は規則によって盡されるものではない」という、恰もエールリッヒの生ける法の思想を想わしめるような言葉が生まれてくる
(139)
。
このように、加藤は、パシュカーニス法理論の特徴として、「規範」に対する法律関係の優先という言い方をもしている。先の「法律物神性」と同様、そこでいう「法律関係」とは、むしろ制定法に論理的に先行している所有関係や契約関係など「法的関係」(Rechtsverhältnis)のことであろう(既述の通りマルクスが『資本論』の中で、経済的関係が反映されている意思関係としての法的関係という言い方をしていたように)。この加藤の説明からも伝わってくるように、パシュカーニスの観点からする
と、法は単に政治的権力によって定立された「上部構造」というよりも、それに先立つ何かであった。はからずも加藤は、パシュカーニス批判を通じて、パシュカーニスの法理論の特徴とその法のモデルを簡潔に描き出していたのであった。
(四) 所有と分業―川島武宣―
川島武宣は『所有権法の理論』(1949年)において、その課題を「日本の非近代的諸関係・非近代的社会規範と対照的な近代的所有権の典型を描き出し分析すること」(旧字体は新字体に改めた、以下同様)と述べている
(140)
。本書の構想自体は戦時中になされたとされているが、当時の川島には、ヘーゲル弁証法とマルクスの資本制社会分析の影響がかなり見られる。本書で川島は、とりわけ「意識に媒介された(しばしば抽象的な)現象型態のかげに、法や権利の現
(139) 同上123‒124頁。(140) 川島武宣『所有権法の理論』(岩波書店、1949年) 4頁。
110 パシュカーニス法理論の再検討
実的な具体的な本質がかくれてしまう」という「法律の物神性」を問題にしており、所有権の「理論的把握」とは、それを一定の歴史的な社会関係に分析して還元することでなければならないという
(141)
。こうした問題意識自体は、前述の加古祐二郎や加藤新平と共通したところがある。意思関係としての法的関係の背後にある社会関係への遡行という理論的態度
は、パシュカーニスと同様であるが、パシュカーニスが商品交換関係に遡行したこととの対比でいうと、川島は、所有権の根本的契機を生産における分業関係に見出している。なおかつ「所有権は、生産関係の基礎的な構造のひとつの側面」であり、かかる所有権が法の基礎的部分であり、法の発展の原動力を含んでいると述べている
(142)
。川島は、パシュカーニスが近代法の特性およびその法的人格の基礎を「市場
における商品の処分」すなわち商品の流通に求めているとみなし、そうした理論は、以下に述べる点で正しくないと批判する。まず所有権の私的性質は、(パシュカーニスが主張するような)流通すなわち「市場における処分」から生ずるものではなく、それは資本制的な商品生産・再生産の社会構造そのものによって直接的に存在しており、商品流通はその結果、現象にすぎないという。次に、歴史的事実の上では、商品流通がないところでも、一定の所有の形態がつねにそれに応じた法的主体性をつくりだしており(中世のゲノッセンシャフトの中での構成員の一定の法的主体性、封建領主に対する農奴の一定の法的主体性など)、これらは、商品流通ではなく、分業すなわち生産関係によって規定されているという。この点に関して、川島は、パシュカーニスの法理論においては「法的主体性の存在の基礎・根拠を、商品の流通という点にのみ求めると、法的主体性の有・無のみが問題になり、法的主体性の歴史的成立と発展の側面・カテゴリーが無視されるであろう」と批判する
(143)
。
(141) 同上 7 ‒ 9 頁。(142) 同上14‒15頁。(143) 同上15頁。
111神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
ある意味では、川島のほうがオーソドックスなマルクス主義あるいは「史的唯物論」的な分析に近い。すなわち『ドイツ・イデオロギー』に顕著にみられるように、人類史の歩みを分業にもとづく生産関係(生産様式)からみるという視点である。そこでは、エンゲルスが「分業のさまざまな発展段階の数と同じだけ、所有のさまざまな形態がある」と述べ、部族所有、古代的な共同体所有、封建的ないし身分的な所有、近代的な私的所有といった諸形態が論じられている
(144)
。むろん、これらを法的な意味での所有権の形態と同列に位置付けることはできないが
(145)
(例えば封建的な所有形態は政治的支配と密接に結びついている)、歴史上、分業関係ひいては生産関係に応じて様々な現れ方をする所有・支配の諸形態が、川島が主張するように法の基礎的部分を構成するのであれば、古代法、封建法、近代法などの類型や法的主体性を想定できる意味で、臨機応 (144) エンゲルスが述べたというのは、マルクス、エンゲルスのそれぞれの書き込み
等が判別できる以下の廣松渉編の『ドイツ・イデオロギー』に依拠したからである。マルクス・エンゲルス(廣松渉編訳、小林昌人補訳)『新編輯版ドイツ・イデオロギー』(岩波書店、2002年)130頁。
(145) 藤田勇は次のように指摘する。「思うに、所有権という概念は、商品生産と結びついて発生し、その普遍化にともなって概念的に成熟し(資本主義社会)、商品生産の存続するかぎりで存続する(現存社会主義諸国)ものといえよう。したがって、歴史上の所有諸形態はつねに必ず所有権という特定の法的形態によって表現されるわけではない(所有の法的構造と所有権とは同一ではない)。それら(歴史的所有諸形態)は商品=貨幣関係に媒介されるかぎりにおいて、そのかぎりでのみ所有権形態によって表現・媒介されるものである。もとより、所有権形態も、つねに必ず一義的に規定されうる法的内容をもつわけではなく、それによって媒介される所有諸関係の構造に制約された多くの相違を含んでいる。けれども、それぞれの歴史社会にはそれぞれまったく別種の所有権概念が対応するというものではない。それでは所有権概念そのものが永久化されるのであって、かえってそれを非歴史的にとらえることになる。いかに多くの偏差を含むとはいえ、所有権形態には、それをほかならぬ所有権概念に包摂可能ならしめる基本的属性があり、それは対象に対する包括的支配権という規定で現わしうるものとみなされる(相対的・絶対的所有権、不完全所有、分割所有等の概念はこれを前提とするものである)。」藤田勇『概説ソビエト法』(東京大学出版会、1986年)142頁。
112 パシュカーニス法理論の再検討
変ではある。このような川島の見地は、後に法関係としての所有と生産関係としての所有とが混同されているとの批判をも受けるが
(146)
、パシュカーニスであれば、「法の形態を、その全盛を保障する歴史的条件から切り離し、それがたえず更新されうるものであることを述べ、これによって実際には法の形態の不滅を宣言している」とみなすかもしれない
(147)
。川島は、パシュカーニスが重点を置いている商品交換という局面を、商品の
処分・流通と独自に読み替え、さらにそれを資本制的な商品生産・再生産過程と切り離すことによって、逆にパシュカーニスの交換概念の射程を著しく狭めてしまっているのではないか。パシュカーニスの論じる交換過程は、あたかも平等な商品生産者達が自己の生産物を持ち寄って市場で交換しているという、いわゆる単純商品生産関係に留まるのではなく、労働力商品と資本とが交換される産業資本の下での生産過程を包摂するものである(宇野弘蔵の言い方にならっていえば、「生産物が商品として交換せられるというだけでなく、生産過程そのものが商品形態を基礎にして行なわれる」ということになるだろう
(148)
)。では、川島の見地とパシュカーニスの見地とが、それほどかけ離れているか
というと、以下に述べるように、必ずしもそうとは言えず、むしろ類似点も目につく。まず、川島は法的主体性の問題を論じる際に、古代ローマにおいては土地と
奴隷の所有者のみが法協同体の構成員すなわち法的関係の当事者で、中世にお (146) 柳春夫は「パシュカーニス法理論批判」(『法政研究』25巻 2 ‒ 4 合併号、1958
年)において、パシュカーニスと加古祐二郎とが、「商品成立を単に交換過程にのみ求め、商品の価値実現過程たる交換過程を価値形成過程たる生産過程から切り離して抽象的分析し、そしてそこから法関係発生を説明せんとしている」とし、その「形式主義的側面」を批判するとともに、「法主体性成立の経済的要因を流通のうちではなく、生産のうちに、換言すれば労働過程に求められねばならない」とする。その点では柳は川島を評価するが、他方で、柳は川島においては「法関係としての所有権と生産関係としての所有とが混同され、同一視されている」と批判する(530‒533頁)。
(147) Пашуканис (1927).С.22.稲子訳59頁。(148) 宇野弘蔵『価値論』(こぶし書房、1996年)217頁。
113神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
いては土地やその他の生産手段の所有関係に応じてヒエラルヒッシュな法的関係と法主体性が成立し、近代において労働力が商品となるにいたって初めて、生産手段の非所有者も商品所持者として、形式的には平等な法主体者となるに至った、と指摘している
(149)
。他方、パシュカーニスは、近代社会においてのみ法的主体性が成立するという風に強弁しているのではない。むしろ、発展かつ完成された法的媒介は商品生産者の関係によって生み出されるが、発展し完成された形態は、まだ発展していない萌芽的な形態を排除しないどころか、それを前提にしているとし、取得としての所有は、もっとも萌芽的な交換形態よりも以前に存在するという
(150)
。パシュカーニスが言っていることは、正確には、身分法や特権と異なって、自由で平等な抽象的な法的主体は、商品交換の発達を基盤にもっているということである。この点につき、パシュカーニスは市場交換が全面化する近代社会以前の法的主体性を全く否定しているわけではなく、ただしそれはきわめて限定的かつ特殊なものであることを指摘しているのである。
文化のある段階にあらわれる法的形態は、長いあいだ萌芽的な、内的にわずかしか分化しない、隣接する分野(倫理、宗教)から区別されない状態にとどまっている。法的形態はその後だんだんと発展し、ついに最高度の繁栄、最大限の分化した状態、明確さに達する。この最高の発展段階は特定の経済的、社会的関係に対応する。同時にこの発展段階は、法的体系を完結した全体として理論的に反映する一般的概念の体系の出現を、その特徴とする
(151)
。
また、川島は、商品交換の等価性が資本制社会において徹底され、そのことは、法規範的側面について言うならば、商品の外にあるすべての力(経済外的強制)からの分離・解放の徹底であり、人間の「意思」による媒介・決定の徹底、 (149) 前掲、川島武宣『所有権法の理論』16頁(150) Пашуканис (1927).С.9 ‒10.稲子訳42‒43頁。(151) Там же.С.30.同上70‒71頁。
114 パシュカーニス法理論の再検討
「自由」、「人格」の確立に他ならないと強調する(152)
。川島自身、自由や人格といった近代法の普遍性が、商品交換の等価の原則によって支えられていることを明らかにしており、こうした点もパシュカーニスの視点と折り重なっている。1930年代から40年代後半にかけて、前述の加古や加藤、そして川島らの問題
意識には共通したものがあり、それは、資本制社会における歴史的範疇としての法的範疇の把握を通じて近代社会の特質にせまろうとしたことである。その際、単純商品生産社会から法的形態の出現を論じているかのように見えたパシュカーニスに対して、彼ら法学者達は一方では資本制生産様式の下での剰余価値実現過程を重視し、他方で国家権力の契機を重視していた。これらの視点は、当時の日本の政治経済状況と切り離して考えることはできない。加古においては、すでに金融資本主義、国家独占資本主義(対外的にはいわゆる帝国主義)といった段階論的な現状認識と関連して近代市民法的原理のみならず「社会法」への批判的認識があり、加藤においては法の合理化過程における官僚制度の役割に注意が向けられ、川島においては「前近代的」な社会構造の下での近代法の理念型を、その経済的バックグラウンドとしての資本制の矛盾とともにとらえる視点があった。彼らがいずれも1920年代に書かれたパシュカーニスの『一般理論』に物足りなさを感じたのも無理はないが、いずれの場合でも『一般理論』が近代法の特質の把握にとって重要な契機ともなり、彼ら法学者の理論的課題の追究に際しての踏み台ともなったのである。
(五) 法の本質的規定―沼田稲次郎―
沼田稲次郎は、その著書『法と国家の死滅』(初版1951年、1971年に増補版発行)のタイトルからもわかるように、日本の法学者の中で初めて「法の死滅」の問題を正面に据えたことで知られる。戦前から、少なからぬ日本の法学者がパシュカーニスの法理論に多少なりとも魅せられたのは、そこに理念型として
(152) 前掲、川島武宣『所有権法の理論』31頁。
115神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
の近代法の物質的、経済的基盤に関する理論的基礎づけを見出したからであり、そのことは川島にみられるように、「前近代的」とされた日本の社会構造と格闘する「近代化論」とも両立し得たのであった(少なくともそのように意識されていた)。その場合、「法の死滅」は仮に理論的次元に限っても、いかにも時期尚早な課題に思えたに違いない。沼田は本書で、日本社会が当面直面する具体的課題という次元よりもむしろ
理論的次元において、「法の本質的規定としての階級性」を論じる。「本質的規定としての階級性」とは、本来公正中立であるべき法が何かの逸脱によって事実上階級的バイアスを有しているということではなく、法と政治的国家は「階級社会においてのみ存在する」ものであり、「階級社会のみが必然的に法規範を社会規範のうちから道徳・風習などと区別し、国家ないし政治的権力を他のあらゆる社会的体制から遊離して形成せざるをえない」ことを意味する
(153)
。しかし、そのような「法の本質的規定としての階級性」の文脈の中で、沼田
にとってパシュカーニスはむしろ批判対象である。それは、パシュカーニスにおいて法と国家権力の結びつきが外面的であるからだとされている。沼田によれば、他の社会規範と区別される法のメルクマールは、政治的権力、とりわけ国家によって定立され、その実効性が強権的に保障されることであり、その点で沼田は、ケルゼンのいう規範的妥当性を、国家と法が階級社会を基盤としており、支配階級がとらざるを得ない公的な形態の本質にもとづいているものとみなす
(154)
。もとより沼田も「近代法こそ、まったく法的」というが、ただしパシュカー
ニスのように国家権力をさしあたり外在的なものとして自由な人格同士の等価交換の原理から近代法の形態を導き出すのとは異なって、「公的権力に支えられた普遍的規範の不可抗の妥当性」があくまでも重視される。それゆえ沼田からみると、パシュカーニスの近代法の把握の仕方は抽象的であり(近代法の基
(153) 沼田稲次郎『法と国家の死滅』(増補版、法律文化社、1871年)41頁。(154) 同上43頁。
116 パシュカーニス法理論の再検討
盤を単純商品交換社会の過程のみからとらえている)、さらには法規範における目的契機をつかみ損ない、国家意思と国家権力との実体的な担い手としての支配階級の自覚的・合目的的役割を看過したものと映る
(155)
。このように、パシュカーニスの「誤謬」を、さながらスターリン的審問官的
立場から指摘する沼田も(沼田がこれを論じていたのはスターリン死去前であった)、パシュカーニスの意義を全く評価しないわけではない。まず、パシュカーニスの考え方は、アリストテレス以来の交換的正義、すなわち正義を等価交換と結び付ける方法に他ならないという。しかし、それは法の理念を交換的正義に置いたのとは異なって、かかる正義そのものの社会的基盤を商品交換という歴史的形態から根拠づけたのであり、法の理念のイデオロギー性を明らかにしたと評価する。しかも、法理念と法の永劫性を否定し、その社会的基盤の止揚とともに法を死滅すべきイデオロギーとしてとらえたとみなす
(156)
。沼田はパシュカーニス批判を展開しつつも、マルクス主義の見地から、法の階級性と歴史性、なおかつそこから演繹される「法に死滅」に、依然として理論的課題を見出す。パシュカーニスの「法の死滅」論は既述の通りだが、彼は労働が価値の尺度
として残る限り等価交換の原則が残り続け、そうした過渡期の法でさえもブルジョア法としてとらえていた。それに対して、沼田は、1930年代後半にパシュカーニスの法理論を「清算」(後述の藤田勇の言い方に依る)したヴィシンスキーに依拠しつつ、過渡期の社会において労働がなおも価値の尺度として残るというのは、あくまでも古い社会の母斑=痕跡であり、新しい経済関係に照応する社会主義法(当時のソビエト法)に残る母斑と位置づける
(157)
。このようにして、沼田は、ヴィシンスキーと同様に「法の死滅」という究極的地平を否定しないものの、ひとつの歴史的法形態としての社会主義法が、より高い社会への移行期の法として捉えられていた。それはやはり、当時のソ連邦の存在が圧倒 (155) 同上46頁。(156) 同上50頁。(157) 同上58‒59頁。
117神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
的だったからでもあろう。以上のように沼田稲次郎は、理論的見地から「法の死滅」およびその前提と
しての「法の本質的規定としての階級性」を論じるが、ソ連はもとより当時の日本社会の状況と全く切り離されていたわけではない。やはり当時の法学者にとって「国家権力」(しかも日本が敗戦によって「主権」を喪失していた状態でのそれ)が、ひときわ生々しい問題であった状況を反映しているだろう。そこでパシュカーニスの議論に一定の意義を見出しつつも、法とは支配階級の意思を媒介とした国家意思であるというようなヴィシンスキー寄りの見解に、少なくとも当時のマルクス主義者が、一定のリアリティを見出していたのだろう。
(六) パシュカーニス論から「法と経済の一般理論」へ―藤田勇―
①ソビエト法学論争とパシュカーニス
藤田勇は、1920年代から30年代にかけてのソビエトにおける法学方法論をめぐる論争史の文脈の中で、パシュカーニスの法理論を、1920年代の指導的法学者であったストゥーチカらと並んで「初期正統派」と名付ける。その特徴とは、法を心理主義的に把握したり、イデオロギーとして捉えたり、国家権力の定立する規範の総体として捉える立場に対抗し、客観的に実在する社会関係としての法的関係に法の第一次的モメントみる立場にたち、法をそうした社会関係の特殊形態として把握するこころみにある
(158)
。藤田は、パシュカーニスの『一般理論』が交換過程の論理の中に法的関係の
特殊な形態規定性を解く鍵を見出した点について、彼の理論的功績の最大のものと評する
(159)
。反面、ソビエト国内の法学界では、パシュカーニスが法の概念を不当にせまく限定したという批判や、交換関係と生産関係を切り離して、法の階級性や国家権力の役割を過小評価したという批判がなされたことにも注意を向けている
(160)
。 (158) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』127頁。(159) 同上116頁。(160) 同上116頁。
118 パシュカーニス法理論の再検討
そうしたパシュカーニス批判は、前述の通り、加古や川島、加藤、沼田らによっても強調されてきたことでもある。藤田の場合、そうした内外の先行「批判」をふまえつつ、より内在的に『一般理論』の評価と批判を展開するところに特徴がある。まず藤田は、パシュカーニスが法的形態と商品形態との「深い内的連関」を
分析する中で、国家的強制や政治権力の作用を、法的形態の論理的存立にとっての外在的要因として捉えているとしつつも、そのことは、法的上部構造の現実的・歴史的形成過程における国家権力の強制の意義を彼が否定したことを意味しないとみなす
(161)
。むしろ、国家権力はどのような論理に支えられて「規範を定立する外的権威」としてあらわれるのか、という点にパシュカーニスにとっての主要な問題があるという
(162)
。この問題は第一章の「法と国家」でも触れたように、パシュカーニスによれ
ば、階級的権力は「市場のおける交換の保証人」としてあらわれるかぎりで、公共性という性格を獲得し、法として表象される。藤田は、こうしたパシュカーニスの論理展開について、国家権力が事実上の階級的支配の力そのものとして自己を貫徹しつつ、同時に、一定の物質的関係の論理に媒介されつつ、国家権力は公権力という姿態をとって法的上部構造の領域にたちあらわれることを見きわめることにより、法学的国家論のイデオロギー批判を試みたものと位置付ける(163)
。しかし藤田によると、パシュカーニスにおいては、商品交換過程で権力が公的権力という形態、「イデオロギー的外被」をうけとるという論理の次元で分析されており、現実的、歴史的存在としての法と国家権力との複雑な内的連関についての分析が回避されている。法にとって「外在的」な政治的国家が、法の中にいかにして立ち現れるのか。そのような法と国家権力の相互関係の分析にパシュカーニスが充分に分け入っていないというのが、藤田の批判であった(164)
。確かに、この点は、パシュカーニスの議論の不十分さを突いたものといえる。 (161) 同上135‒136頁。(162) 同上137頁。(163) 同上138頁。
119神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
藤田によると、パシュカーニスが『一般理論』でなしえたのは、法の一般理論の展開のための準備的試論、諸概念の予備的考察である。そして国家権力の分析はもとより、刑法の分析についても、階級的抑圧が商品交換の論理に規定されて法的形態をとることの分析が主眼とされ、『資本論』にみられるような商品から資本へのカテゴリーの展開に対応した位置付けがなられていないという(165)
。こうした点は、藤田いわく「(パシュカーニスが)『資本論』の方法を適用しようと意図しながら、それを充分に適用しえなかった方法的弱点」でもある
(166)
。すなわち、『資本論』の分析対象が、「ブルジョア社会の一切を支配する経済力たる資本の核心的構造」であり、パシュカーニスがもしこの方法を法の一般理論に適用しようとするのであれば、商品に対応すべき法範疇から資本に対応する法範疇への上向過程を想定しなければならないが、それがなされていない、ということである
(167)
。以上のような限界があるものの、藤田は、1924年という時点での『一般理論』
の問題提起の先駆性と可能性を認める。だが、「初期正統派」とされているパシュカーニスらの1920年代のマルクス主義法理論は、その後のソ連における農業集団化や重工業化などの政治状況の変転を通して、自己批判を余儀なくされ(第一の転換)、さらに30年代後半には、20年代マルクス主義法理論自体が「清算」されていく(第二の転換)。具体的にいえば以下の通りである。1930年代に入るとパシュカーニスは、従
来の方法論の自己批判を通して、法の存立にとっての国家権力の強制の意義や、法の内容を条件付ける所有関係(階級的搾取関係)や支配階級の意思を強調することになった。また、かつてパシュカーニスが強調したところによると、法はブルジョア社会において全面的に発展を遂げるが(藤田の言い方によると「範 (164) 同上139‒140頁。(165) 同上163頁。(166) 同上140頁。(167) 同上164頁。
120 パシュカーニス法理論の再検討
疇的成熟を全面的にとげる歴史的に過渡的な社会的範疇」)、いまや法の基本的モメントが所有関係・搾取関係に求められたことによって、奴隷社会、封建制社会、資本主義社会という社会構成体に対応する、奴隷所有者法、封建法、ブルジョア法といった歴史的法類型が説かれるようになった
(168)
。こうした見地はパシュカーニスが編者となった1932年の『国家と法の学説』に反映されている
(169)
。藤田は、こうしたパシュカーニスの方法的転換を「まさに百八十度の転換」
と呼び、それぞれの社会構成体と結びついた法の階級性と歴史性の把握のこころみたという点では、理論的にみて一定の重要な前進的意義をもっているものの、ある意味で「理論上の逆もどり」であると、むしろ否定的に評価している。なぜなら、20年代マルクス主義法理論は、「史的唯物論の法律的色づけという素朴な段階から脱して、法の研究における科学的方法論をうちたてようとするところから出発した」のであり、そのために「形態を媒介として内容の深部に、抽象的なもの、論理的なものを媒介として具体的なものの複雑な構造に、より鋭く確実に迫る認識方法を探り求めようとした」からである。そのため、藤田は、パシュカーニスにみられるような1930年代の理論的転換を、それ以前と比べて「断絶」と呼び、従来の方法論の批判的継承の面がいちじるしく弱いとみなす
(170)
。このように藤田においては、パシュカーニス自身の試論としての『一般理論』の理論的不十分さは免れないものの、その先駆的な問題提起がその後深められないまま、自己批判と転換を余儀なくされていったという、ある種の悔恨の情が見られる。その後、法学界を主導したヴィシンスキーの下で「ソビエト社会主義法学」
が成立する。ヴィシンスキーによって与えられた法の定義とは「支配階級の意思を表現し、立法手続によって制定された行為諸規則、ならびに、その適用が、支配階級に有利で好都合な社会関係の保護・強化・発展のために国家の強制力 (168) 同上374‒378頁。(169) Под редакцией Е.Пашуканиса.Учение о госуларстве и праве.Ленин-
град,1932.(170) 前掲、藤田勇『ソビエト法理論史研究』378‒379頁。
121神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
によって保障されるところの、国家権力によってサンクションをうけた慣習および共同上生活諸規則の総体」である
(171)
。こうした「規範の総体」説は、藤田によると、「現実の社会関係としての法的関係の論理分析、法的形態の客観的被制約性の分析という視点を後景におしやり、法範疇の歴史的存在構造の解明という視点をいちじるしく弱める結果を客観的にはもたらした」
(172)
。以上のように、藤田は、『一般理論』の方法論について、前述の通り『資本論』
の方法論――商品から資本への範疇的展開――の応用が充分に果たされなかったとしつつも、30年代のソビエト法理論史の辿った結末から、パシュカーニスにみられるような20年代のマルクス主義法理論の論争を、学理的見地から、より実り多いものと考える
(173)
。
②パシュカーニスから法と経済の一般理論へ
藤田は以上のような理論史の研究の後、「法と経済と一般理論」の研究にシフトしている。そのきっかけとなったのが講座『現代法』所収の「法と経済の一般理論」(1965年)という論文である(それとは別に、「法と経済の一般理論ノート」という連載が1969年から73年にかけて『法学セミナー』に掲載され、後に
(171) 同上430頁。(172) 同上431頁。(173) パシュカーニスが法学者としてのみならず物理的にも抹殺される1937年以降に
ついて、藤田は『ソビエト法理論史研究』の結末で、次のように記している。「30年代初頭の転換についても、その過程における「断絶の論理」が転換の理論的内容をあるべき姿に帰結せしめなかったことをわれわれは重視したが、しかし、このばあいは、ともかくも論争をつうじた転換であった。ところが、「第二の転換」は、37年以後のパシュカーニス批判の段階では、一切の論争ぬきの転換となり、批判者は審判者として、被批判者は被告人、しかも一切の防御権をうばわれた被告人としてあらわれた。ここでは、「断絶の論理」がいわば純粋に貫徹し、「昨日」のマルクス主義法理論家たちの理論的営為は惜しげもなく清算された。この清算が、そのごの理論の創造性にも刃をむけるものとなったことはいうまでもない。だが、実にこの第二の「断絶」こそ、また第一のそれの論理的完成といいうるものであったのである。」(同上432頁)
122 パシュカーニス法理論の再検討
65年論文とあわせて『法と経済の一般理論』というタイトルで単行本化されている(174)
)。前記65年の論文は、「法の形態規定」と「法の本質規定」という論理構成をとる。「法の形態規定」は、その名の通り、パシュカーニスの法形態論の影響が濃厚にみられる。すなわち全体としての経済過程の運動法則(価値法則)は個々人の主観を超えたものであるにせよ、にもかかわらずそうした客観的な経済過程は、個別の参加者の意思関係としての法的関係を媒介としている。そうした「物質的・経済的関係の媒介形態」である意思関係としての法的関係は、権利・義務関係でもある点で、法的関係としての特殊性を有するが、それは決して人間社会の先験的形式ではなく、物質的=経済的関係の特定の属性すなわち商品生産社会のとる表現形式にほかならない
(175)
。さらに、藤田は、社会関係としての、いわば”Sein”としての法的関係にも、
権利・義務関係が一定の行為を要求しうることが相互承認されている意味で、規範”Sollen”のモメントが内在しているとみなす。新カント派のような当為と存在との峻別と異なって、客観的に実在する法的関係の中に”Sollen”が内在するのは、当事者の意思関係が、各々の意識から独立した物質的・経済的関係の運動の客観的必然性(商品生産社会の経済的必然性)によって規定されているからだという
(176)
。そして、商品生産社会の客観的経済法則・経済的必然性は、法的関係においては「自由意思」によって形成される意思関係であるため、当事者においては「内的強制」として作用する
(177)
。このように、「法の形態規定」とは、さしあたり国家というファクターを媒
介せずに商品生産社会の交換過程から抽象された特殊な社会関係である。
(174) 藤田勇『法と経済の一般理論』(日本評論社、1974年)。なお本書301‒331頁に
「付録」として、1965年の論文「法と経済の一般理論」が所収されているため、この論文からの引用は、本書に依った。
(175) 同上303‒305頁。(176) 同上305頁。(177) 同上306頁。
123神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
次に藤田が考察対象とするのは「法の本質規定」であり、それは他ならぬ資本主義的商品生産に対応する法と経済との相互関係であり、その再生産のための国家の強制力の役割も重視される。現実の法的関係においては、当事者の「内的強制」は、公的権力の「外的強制」に媒介されることになる。「法の本質規定」論に際し藤田は、産業資本の様式G‒W(A・Pm).…P…W’‒G’を援用する――Gは貨幣、W(A・Pm)は商品としての労働力および生産手段、Pは生産過程、W’‒G’は商品流通過程と剰余価値の取得を意味する。そして「法的関係は直接的には交換過程の媒介形態であるが、その社会的内容をふくめて全構造的にみれば、それはみぎのような階級的性格をもつ生産関係の媒介形態になっている」と指摘する
(178)
。「みぎのような」とは、産業資本の様式を指し、労働力商品が媒介となって剰余価値が創出される過程を指す。この過程との関連で、商品の物神的性格に対応する法の物神的性格について、
藤田自身の説明が試みられている。それは「資本主義的商品生産社会のもとでは、人と人との物質的生産関係が権利主体間の法的関係の背後にかくされ、後者が前者からきりはなされて、それ自体自然的な存在(自然法)として観念されるのであるが、このことはさらに、この社会の階級関係が抽象的権利主体の平等の関係の背後にかくされ、後者が没階級的な関係としてあらわれることを意味している」という
(179)
。このように藤田は、パシュカーニスの『一般理論』と比べると、労働力商品
を媒介とした産業資本の様式の下での生産関係における階級的支配関係を強調し、「形式=権利主体間の平等関係」と「内容=階級的支配関係」との統一的把握を重視する
(180)
。前述の通り、パシュカーニスの『一般理論』の不十分さに関して、かつて藤
田が指摘した「商品に対応すべき法範疇から資本に対応する法範疇への上向過程を想定しなければならない」という点について、今や右のような法と経済と
(178) 同上308頁。(179) 同上308頁。
124 パシュカーニス法理論の再検討
の統一的把握という形で試みられているように思われる。国家の位置づけについても藤田はパシュカーニスの影響に発しつつ、「市場による交換の保証人としての権力=国家」と「階級的支配の組織または対外戦争を行なうための組織としての国家」という二重の捉え方をしたうえで、両者の連関を重視する。これもまさに〈形式〉と〈内容〉との関係に対応している。前者(市場による交換の保障人)の捉え方については、藤田の説明の仕方に
よれば、私的所有を前提とする商品生産の展開が市民社会を共同体やギルド、領主的制約等の私的権力から解放するとともに、市民社会の「外」に公的権力を成立させるという考え方に由来する。このような公的権力は、みずからの発現形態を市民社会の論理に適合させ、公的に定立された規範によってのみ存立し、それにしたがって行動することによって市民社会の「中に」入る。すなわち国家権力が法的形態によって媒介されるという法律的国家論である。他方、後者(階級的支配の機構)については、国家はまさに資本主義的階級矛盾の産物である。その際、藤田は、資本主義的階級矛盾は商品形態に媒介されることから、国家権力の発現形態が商品生産社会の論理に制約されるとみなす。このようにして、法律的国家論と階級支配の機構としての国家との統一が図られ、国家とは、資本主義的再生産の存立条件および再生産過程を構成する経済的諸関係の範型を法的規範として公認し強制する形態と位置付けられる
(181)
。後に藤田は『法と経済の一般理論』(前期65年の論文と異なって、その後、『法
学セミナー』に連載されたものの集成)において、方法論の探究に遡行する。「市民社会の解剖学」としての『資本論』の方法は法律学にも適用可能としたうえで、最終的には「歴史的なものと論理的なものとの相互関係」という課題を析出す
(180) ただし、このような位置づけ方は1932年のパシュカーニス編の『国家と法の教
説』においては、むしろ濃厚になっており、そこではパシュカーニス自身の自己批判と他の執筆者達によるパシュカーニス批判が展開されていた。Под ре-дакцией Е.Пашуканиса.Учение о госуларстве и праве.Ленинград,1932.С.239‒248.藤田も、そのことは先刻承知であろう。
(181) 前掲、藤田勇『法と経済の一般理論』309‒310頁。
125神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
るに至る(182)
。「歴史的なもの」とは運動・発展においてとらえられる客観的現実を、「論理的なもの」とは客観的現実を思惟において再現する諸概念・諸カテゴリーの連関構造を指す。後者の「論理的なもの」も歴史的に規定されたものである
(183)
。こうした「歴史的なものと論理的なものの相互関係」を考える際、藤田は以下の側面を提示する。一.要素的カテゴリーの歴史的規定性ここでは例えば所有権というカテゴリーが引き合いに出され、それは一方で
は奴隷制社会の所有権、封建社会の所有権、ブルジョア社会の所有権・・・という具合に、所有権が歴史貫通的なものとして語られる。しかし、他方で経済外的強制による封建的土地所有の解体と「純粋な私的所有」の成立過程を念頭に置く場合、所有権というカテゴリーはそれ自体特殊な歴史的なものであり、商品・貨幣関係を背景にもつ、すぐれてブルジョア社会的なものと位置付けられ、領有や保有と所有権とはあくまでも区別される
(184)
。二.カテゴリー系列の歴史的規定性カテゴリー系列とは、個々の要素的カテゴリーの配列によって編成された論
理であり、それを通じて近代ブルジョア法の編成を理論的に把握し、ひいては資本主義的な社会構成体の論理的構造を明かにすることを目的とする。その際、藤田はパシュカーニスのように「主体」という単一のカテゴリーを端緒とすることに懐疑的で、法的諸関係を表現する第一カテゴリー系列として「所有権・契約・法的人格」をもってくる。第一カテゴリー系列は、「市民社会」における社会諸関係の正常な展開を保障するものであり、それと深い内的連関を有している家族関係、すなわち労働力再生産の単位であり、私的所有の世代間継承を保障する家族関係の法的媒介形態の諸カテゴリー(婚姻・親子・相続など)が第二カテゴリー系列とされる。そして当初「市民社会の法」としての論理を
(182) 同上276‒298頁。(183) 同上276頁。(184) 同上277‒279頁。
126 パシュカーニス法理論の再検討
有していたカテゴリー系列はやがて「政治的国家」と結びついて分析され、権力の社会秩序維持によって形成される諸関係を表現する第三カテゴリー系列(犯罪と刑罰、法的責任、罪刑法定主義、当事者主義など)、さらにはこれらの諸関係の政治的総括形態を表現する第四カテゴリー系列(主権、人権など)が出てくる
(185)
。このような、一見したところ無味乾燥なカテゴリー系列の問題は、しかしな
がらパシュカーニスの歴史的形態としての法形態論を、市民社会と政治的国家との統一的把握の下で法体系論へと発展させていく側面を有している
(186)
。そのような理論的展開は、もはや藤田独自の「マルクス主義法理論」(法と経済の一般理論)ともなっているが、パシュカーニスへの内在的批判を通して、以上のような形で理論的課題を一貫して追求してきた例を、諸外国を含めて他に寡聞にして知らない。第三章以降で触れるように、諸外国におけるパシュカーニス批判が、やがて法や権利の役割の見直しといった外在的批判に移行するのに対して、藤田の場合は、あくまでも内在的批判を通じて独自の「一般理論」を追究するのである。
(七) ロシア法文化とパシュカーニス:大江泰一郎
大江泰一郎は、ある時期から「法文化論的転回」とも呼び得る独自のスタン
(185) 同上288‒298頁。なおこの「カテゴリー系列」の問題は、藤田勇「法体系の内
的構成」(『法哲学年報・1976年度』有斐閣、1977年)として改めて論じられ、同『マルクス主義法理論の法法的基礎』(日本評論社、2010年)第二部「法的上部構造分析のカテゴリー・システム」の第三章に再録されており(200‒213頁)、そこでの記述をも参照した。
(186) 藤田勇『概説ソビエト法』(東京大学出版会、1986年)では、第二章以下の章立が「所有=労働諸関係の法的形態」、「家族関係の法的形態」、「法的関係の侵害とその回復をめぐる法的諸形態」、「市民の基本的権利」という配列になっている。これらは、藤田のいうカテゴリー系列のソビエト社会への応用とみることができる。
127神 戸 法 学 雑 誌 62巻 1・2 号
スを強くとるようになっていった。つまり、ソビエト法をかつてのような「資本主義法」対「社会主義法」という比較の一方のモデルとしてとらえるのではなく、ロシアの専制政治や人民の無権利状態といった歴史貫通的な視点から捉え返すようになる。その場合、「市民社会」や「中間団体」が発達していた西欧の理念型対アジア的専制国家ロシアという対比構図になる。確かに法文化論的視点は、帝政ロシアからソ連を経て現代ロシアに至るまでのロシアの国家と社会を統一的に理解する上で、一定の視座を提供してくれる。また、大江は、単に現実の法現象を法文化論的視点から分析するのみならず、法理論や法学方法論もまた法文化的制約を受けていることを重視する。かくして大江は、パシュカーニスの『一般理論』をマルクス主義の文脈からではなく、「ロシア法学の、さらに突き詰めればロシアの社会構造のいわば歴史貫通的な特質、『通奏低音』の問題として」とらえようとする
(187)
。先に触れたパシュカーニスによる国家の二重の捉え方、すなわち一方ではイ
デオロギー形態としての市場交換の保障人すなわち「公権力」としての法学的国家論、他方で階級支配の実力装置としての国家という捉え方について、大江は、そこに現われている国家観とは、市場の上に実力装置として、「中間権力」や「市民社会」のような構造物なしに屹立しているような専制国家なのだという(188)
。しかもパシュカーニスの『一般理論』の外枠が帝政ロシアに固有の歴史事情から生み出されたものでもあり、それがまさに「市民社会」という次元の脆弱性や縮減であるという。その際、大江は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した帝政ロシアの国法学者ニコライ・コルクノーフを引き合いに出し、コルクノーフの議論においては、西欧とロシアの法文化の類型的違い(権利=レヒト型法文化と行政規則=レグルマン型法文化)が捨象され、西欧諸国の法とロシアの法とは通分可能ないし「一般化」可能という前提に立ち、ピョートル大帝以来、遅れたロシアが進んだヨーロッパに追い付くという先進・後進の同上 (187) 大江泰一郎「ロシア法学と『市民社会』の概念―パシュカーニス法理論を再読
する」『早稲田法学』87巻 2 号(2012年)28頁。(188) 同上31‒32頁。
128 パシュカーニス法理論の再検討
一時系列上の前後関係に置き換えられてきたという。しかも国家権力の捉え方については、その公共的な権力という側面が等閑視され、国家の概念が「権力支配」に帰着させられていたという
(189)
。こうしたコルクノーフの特徴はパシュカーニスの国家理解と並行関係がある、というのが大江の持論である。コルクノーフは、その法社会学的視点でも知られるが、大江はコルクノーフ
の法学方法論を、「法の形而上学」から「現実に存在する法」の学としての「法の一般理論」への転換、あるいは法を究極的・絶対的なものから相対的・歴史具体的なものへと位置付け直す方向、さらには「規範から関係へ」という方向付けで捉えている
(190)
。パシュカーニスも法を規範としてではなくある種の社会関係としてとらえようとしていることから、そのような意味でも、大江はコルクノーフとパシュカーニスとの並行関係をも示唆している。むろん、そうした方法論がロシア特有ということにはならないであろうが、大江は、コルクノーフそしてパシュカーニスのように、西欧法の歴史と法学理論の蓄積を摂取しながら、それに追いつき、さらには軽やかに飛び越してしまうことを「縮減的」思考とも呼んでいる。これは大変興味深い問題提起である。なるほどパシュカーニスの『一般理論』は、近代法=「ブルジョア法」の「一般理論」であり、そこでは、西欧とロシアとの違いはことさら意識されていない。1920年代のネップ(新経済政策)時代のソビエト法の事例がいくつか出てくるものの、それらはロシアの特殊事情というよりも、死滅に向かう過渡期のブルジョア法という「先進的」事例として扱われている。そもそも専制支配、身分制と農奴制の遺制の下で「ブルジョア法」があまり発達していなかった土壌において社会主義革命が起き、そうした地点から「ブルジョア法」の死滅を理論的に先取りするのは、究極的な「縮減的」思考であろう。トロツキーが述べたように「先進諸国に肩を並べようとせざるを得ない後進国は順番を守らない。歴史上の立ち遅れという特権―その
(189) 同上55‒62頁。(190) 同上59頁。
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ような特権も存在するのだ―のおかげで、中間の一連の段階をとびこえて、予定の時期よりも先に既成のものを摂取することが可能になる、いや、そのことを余儀なくされる」
(191)
。このようなトロツキーの持論の是非はともかくとしても、この「歴史の飛び越え理論」を法理論において実践したのがパシュカーニスであったと言えなくもない。もとより、ドイツで学んでいたパシュカーニスが、『一般理論』に所々顔を出すように、ローマ法や西洋法史、自然法学の歴史について知らないわけがないが、パシュカーニスがロシア的だとすると、それはロシアの法文化の直接的反映というよりはプロレタリア革命に直面したロシアのマルクス主義者の「縮減的」思考方法ゆえであろうか。「ロシアは形式民主主義を踏み越えた」(トロツキー)
(192)
のであるならば、ロシアは近代法を踏み越えた(つもり)であった。19世紀前半の自由主義的法学からロシア革命後のマルクス主義法理論にいた
るまでのロシア法哲学史を概観したマックス・ラセルソンが「ロシアはほとんど百年の比較的短期間の中に、全円周を走らなければならなかった、即ち、発達の成立より旧法律の破壊にまで、一周したのである」と述べたのは、至極もっともなことである
(193)
。また、ロシアの立憲主義者で法社会学者でも知られるキスチャコーフスキーは、ロシア革命前にすでに「わが国のインテリゲンツィヤが法を無視していると言って非難するにはあたらない。彼らはより高い絶対的理想を志向したのであり、その途上においてこの副次的価値を無視しえたのであろうから」と指摘していた
(194)
。ここでロシア・インテリゲンツィヤにとって「副次的価値」とされた法的価値とその歴史的基盤をめぐって、大江は、ロシアと欧州との間に、むしろ超えがたい深淵を見出すのである。結論として大江は、パシュカーニス法理論の今日における再読は、「パシュ
(191) Л.Троцкий.История русской революции 1(Гранит,Берлин,1931).С.
21.トロツキー(藤井一行訳)『ロシア革命史一』(岩波書店、2000年)53‒54頁。(192) Там же.С.32.同上69頁。(193) マクス・ラセルソン(松崎敏太郎訳)『露西亜法律哲学史』(叢文閣版、1936
年)145頁。
130 パシュカーニス法理論の再検討
カーニス以前」、なおかつ「法の一般理論」「マルクス主義」以前がいまなおわれわれにとっては重要な課題であることを教えている、と述べている
(195)
。こうした見地は、現代のロシアの実情をみる限り異存がないと言わざるをえないが、大江はパシュカーニスの理論的業績を全く否定しているわけではなく、それ以前が問われなければならないと言っているのである。それは「縮減的」思考によって省略されてきたような法的価値の問い直しということになる
(196)
。パシュカーニスの法理論が何らかのロシア的なバイアス、そしてロシアのプ
ロレタリア革命で直面した問題と結びついていることは明らかであるにしても、パシュカーニスの「商品交換理論」では、法の発生における国家の役割は外在的であり、法=(専制)権力の秩序要請といったロシア的な「レークス型」の法モデルにはむしろ反している。むろん、その場合であっても、大江は、パシュカーニスのいう法形態が、土台と上部構造の理論に依拠しており、そこでは、大江自身が日ごろ強調する西欧法の形成に際して果たした自律的な団体秩序や自然法(高次の法)の役割が軽視あるいは無視されているとみなすかもしれない。とはいえ、そのことは(大江が挙げているようなコルクノーフなどの)ロシア法思想史の文脈の延長上で理解し得るのみならず、パシュカーニスが他ならぬマルクスの方法論を、成功したかどうかはともかくとしても法学に応用しようとした結果であるともいえるのではないか。現にパシュカーニスの『一般理論』は、その後、ロシアというよりもむしろ欧米のマルクス主義者の間で再発掘されていくことになる。いずれにしても、大江の試みは、パシュカーニス法理論をロシア社会構造の
歴史貫通的な特質や「通奏低音」の問題として論じようとするところにあるが、パシュカーニスの法理論が、ロシア・インテリゲンツィヤの精神史における「縮減的」思考に通じるにしても、法の根源を権力支配よりも市場の商品交換に切り詰めていく発想は、ロシアの法思想史においては、かなり異端であろう。もちろん、何が主流で何が異端かどうかは本当のところ見定めがたい。ボリス・チチェーリンのような19世紀ロシアの自由主義的法思想家がロシア的なのか、むしろロシアらしくないのか、いずれとも言えるし、パシュカーニスに
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関しても然りである。 (続く)
(194) Б.А.Кистяковский.В защиту права.Вехи: сборник статей о русской
интеллигенции.Москва,1990.С.101.キスチャコーフスキー「法の擁護のために」、ブルガーコフ・ベルジャーエフ・ストルーヴェほか著(長縄光男、御子柴道夫監訳)『道標』ロシア革命批判論文集一』(現代企画室、1991年)143頁。
(195) 前掲、大江泰一郎「ロシア法学と『市民社会』の概念―パシュカーニス法理論を再読する」74頁。
(196) 同上論文の続編としての大江泰一郎「ロシア法史と『市民社会』の概念―パシュカーニス法理論を再読する(その 2)」(『静岡法務雑誌』 4号、2012年、77‒103頁)は、副題が「パシュカーニス法理論を再読する」となっているが、全体の八割以上がモンテスキューの法思想、ローマ法思想、近代市民社会論、それらの蓄積が希薄なロシアの専制国家論で占められている。それらの議論は大変啓発的な内容でありロシア社会論として興味をそそるものだが、パシュカーニスに触れられている部分がわずかであるのが、やや意外である。その部分で大江は、パシュカーニスが「社会的諸関係の担い手を『人々』つまり人間たちлюдиとして把握していることは、私法の担い手が単なる「人間」ではなく〈所有者=自権者sui juris〉に他ならないという、共和政ローマの政治共同体から近代の市民社会にいたるまでの『市民社会』の概念史が視野に入っていないことを示している」という(80頁)。しかし、パシュカーニスが、法的範疇の出発点としての「主体」あるいは権利の主体としての「人」の概念で言おうとしたのは、まさにそれが「単なる人間」ではなくて、所有権者としての抽象的な法的主体であるということだろう。なぜ、ここで大江はパシュカーニスの強調点と正反対のことを指摘しているのか謎である。むろん、パシュカーニスの議論においては、大江が論じているような西欧の市民社会の思想史の蓄積が継承されているわけではなく、法の商品交換理論自体は様々な批判を受けてきたことは確かである。