maria 三上文法 3
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三上文法とは
• 三上章さんが独学でたどり着いた文法である
• 「文法小論集」ー主語否定論↓
「私がこの問題に気づいた最初は、ゴーゴリの短編「狂人日記」を読んで、次の箇所に達したときであった。スペイン国王失踪のニュースを気にしていた、ロシアの小役人がいよいよ発狂した当日の日記である。(中略)斜字体の一文を直訳すると、私がその王様なんだ。
ここで、「私は」の場合は後回しするとして、この「私が」は主語ではない。補語だ!と私は心中に叫んだ。およそ40年前、30年ごろのことである。当時、私が「主語」をtopicの意味に取っていたことは言うまでもない。
象は鼻が長い・象の鼻は長い
• 「象」と「鼻」のどちらがこの文章の主語なのか、あるいはどうして「象が鼻は長い」という文章は許されないのかと考えてみると、日本語の「主語」概念の危うさ、あるいは「が」と「は」の本質的な違いにも気づかざるを得ません。
• 日本語では主格(何が、誰が)がなくても文は成立する。
学校文法と三上文法
• 学校文法(日本の学校で教えている日本語文法)では「『が』も『は』も主語を示す助詞である」以上のことを説明しない。
• 学校文法では、「花は」や「花が」を主語だと教える。(日本語に主語はある)
• 三上文法では、「花は」を題、「花が」を主格とする。(日本語に主語はない)
日本語には主語がない!
• 三上文法によると、英語などインド・ヨーロッパ語では主語は述語動詞の形を決定する重要な成分で必要不可欠なものだが、日本語には初めから主語というものはまったく存在していない。助詞の「は」と「が」はまったく性質の異なるものであり、これに「主語」という同じレッテルを貼っているのはおかしいというのである。
述語(動詞)の活用論
• 主語が否定される以上、残るのは述語である。構文の研究にとっては述語の機能を検討することが何よりも重要である。
• その述語の機能の検討の基礎をなすのが活用の問題であると言う。
従属節述部
• 現代日本語においては、形容動詞を除き終止形と連体形の区別はない。だからといって等しい陳述度を担うのではなく、終止法においては連体法より高い、主節に近い値を持つ。
• 従属節述部は「~式」という分類がなされる(単式、軟式、硬式、遊式)。
動詞の分類
• 従来の他動詞と自動詞という分類とは別に、「能動詞」と「所動詞」という分類を立てた。「所動詞」は最近の理論言語学でいう非対格動詞に相当する。おそらくラテン語の文法などにあらわれる「能相所相動詞」(能動態のまま受動態の意味を表す動詞)に着想を得たのではないかと考えられるが、「在る」や「要る」など、受動態にすることが不可能な動詞のクラスを表す。これは「間接受動」、あるいは「迷惑の受身」で自動詞を受動化できる日本語において重要な意味を持つ。