「岡目八目」は実現可能か...りかねないことだから。誰だって、自分の人生が...

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NEWS FUKUOKA 2020.8 14 今日からできる 仕事術 「岡目八目」は実現可能か 株式会社フロウシンク 代表取締役/中小企業診断士 米倉 博彦 「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉がある。当事者よりも第三者のほうが、冷静かつ客観的に 物事を見ることができるという意味だ。目の前の出来事から距離を置いて考えた方がよりよい答えが 出るということで、我ら経営コンサルタントの存在意義であるとも言える。 ■岡目とは、八目とは 「岡目」とは、「傍目」とも書く。脇から、つまり、 第三者として見るという意味だ。 二人が打っている囲碁を見ている三人目の者 は、対局している二人よりも八目、つまり八手先 の手が読める、という意から生まれた言葉だそ うで、経営コンサルタントをしているとこのよ うな状況によく遭遇する。 ずっと悩んでいた社長が経営コンサルタント のふとしたひと言から解決の糸口を見出す事も あるし、ずっと解決しなかった社内の問題を、中 途社員がさくっと解決することもある。 「なら専門外の人に見てもらおう」と思うのは 間違いだ。囲碁を知らない人が対局を傍目で見 ていても、ルールがわからないのだから八手先 なんて読めないだろう。 やはり専門家でなければ。それも複数の専門 家からアドバイスをもらえると尚よい。八手先 のパターンは複数あるはずだから。 ■外部集団と内部集団の評価 人間は自分が所属する集団(国家、地域、宗教、 会社、趣味のグループなど)のことは「特別、個 性的」だと認識する一方、他人が所属する集団 のことは「普通で、無個性」だと判断する傾向が ある。 学生時代に部活動をしていた方は、自分が所 属する部活動のメンバーは皆それぞれ個性的で 面白く、となりの部室の連中はつまらない奴ら ばっかり、やはりこの部活が最高だと思ったこ とがあるはずだ。 もちろん、本当はそんなことはなく、おそらく となりの部室の連中もそれぞれ「個性的で面白 い奴」ばかりだろう、ただ、彼らのことを詳しく 知らないからそう思うだけで。 自分が属する集団を、「岡目八目」で見ること は難しい。何故かというと、自分の否定に繋が りかねないことだから。誰だって、自分の人生が 普通で凡庸だとは思いたくない。 ■未来の自分は素晴らしい? 未来の自分は、ものすごく生産性が高く、仕 事を怠けないに違いない。だからこの仕事は明 日やろう。そう思ってしまうことはないだろう か。 fMRIという、脳内の血流の変化を撮影する装 置がある。 このなかに入って、未来の自分を思い浮かべ て、脳の状態を撮影する。 その後、赤の他人を思い浮かべ、再度撮影す る。この二つの画像はほぼ同じだそうだ。 つまり、未来の自分は、脳内では他人と同じよ うに扱われているということになる。 言われてみれば思い当たるふしだらけだ。 未来の自分だって、よく考えたら今の自分と 大差ない。明日からスイッチが切り替わったよ うに働き者になることは、おそらくない。 将来の自分は、今の自分が嫌な行為を嬉々と してやってくれるだろうか?まさか、そんなわ けはないだろう。

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Page 1: 「岡目八目」は実現可能か...りかねないことだから。誰だって、自分の人生が 普通で凡庸だとは思いたくない。 未来の自分は素晴らしい?

NEWS FUKUOKA 2020.814

今日からでき

仕事術 「岡目八目」は実現可能か株式会社フロウシンク

代表取締役/中小企業診断士米倉 博彦

 「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉がある。当事者よりも第三者のほうが、冷静かつ客観的に物事を見ることができるという意味だ。目の前の出来事から距離を置いて考えた方がよりよい答えが出るということで、我ら経営コンサルタントの存在意義であるとも言える。

■岡目とは、八目とは 「岡目」とは、「傍目」とも書く。脇から、つまり、第三者として見るという意味だ。 二人が打っている囲碁を見ている三人目の者は、対局している二人よりも八目、つまり八手先の手が読める、という意から生まれた言葉だそうで、経営コンサルタントをしているとこのような状況によく遭遇する。 ずっと悩んでいた社長が経営コンサルタントのふとしたひと言から解決の糸口を見出す事もあるし、ずっと解決しなかった社内の問題を、中途社員がさくっと解決することもある。

 「なら専門外の人に見てもらおう」と思うのは間違いだ。囲碁を知らない人が対局を傍目で見ていても、ルールがわからないのだから八手先なんて読めないだろう。 やはり専門家でなければ。それも複数の専門家からアドバイスをもらえると尚よい。八手先のパターンは複数あるはずだから。

■外部集団と内部集団の評価 人間は自分が所属する集団(国家、地域、宗教、会社、趣味のグループなど)のことは「特別、個性的」だと認識する一方、他人が所属する集団のことは「普通で、無個性」だと判断する傾向がある。

 学生時代に部活動をしていた方は、自分が所属する部活動のメンバーは皆それぞれ個性的で面白く、となりの部室の連中はつまらない奴らばっかり、やはりこの部活が最高だと思ったことがあるはずだ。

 もちろん、本当はそんなことはなく、おそらくとなりの部室の連中もそれぞれ「個性的で面白い奴」ばかりだろう、ただ、彼らのことを詳しく知らないからそう思うだけで。

 自分が属する集団を、「岡目八目」で見ることは難しい。何故かというと、自分の否定に繋がりかねないことだから。誰だって、自分の人生が普通で凡庸だとは思いたくない。

■未来の自分は素晴らしい? 未来の自分は、ものすごく生産性が高く、仕事を怠けないに違いない。だからこの仕事は明日やろう。そう思ってしまうことはないだろうか。

 fMRIという、脳内の血流の変化を撮影する装置がある。 このなかに入って、未来の自分を思い浮かべて、脳の状態を撮影する。 その後、赤の他人を思い浮かべ、再度撮影する。この二つの画像はほぼ同じだそうだ。

 つまり、未来の自分は、脳内では他人と同じように扱われているということになる。 言われてみれば思い当たるふしだらけだ。

 未来の自分だって、よく考えたら今の自分と大差ない。明日からスイッチが切り替わったように働き者になることは、おそらくない。 将来の自分は、今の自分が嫌な行為を嬉々としてやってくれるだろうか?まさか、そんなわけはないだろう。

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NEWS FUKUOKA 2020.8 15

今日からでき

る仕事術

 脳内では未来の自分と他人の区別がつかない、という脳の特性を知れば、「明日から本気出す」という言葉が現実逃避にすぎないことがわかる。今日できないことは、きっと明日もできないに違いない。

 どうやら人間は、自分の未来に関してはやたら楽観的に「岡目八目」しているようだ。

■OKY(お前、来て、やってみろよ) 岡目八目も良いことばかりではない。当事者じゃないからこそ勝手なことが言える、冒頭に話したように、それが解決の糸口になることもあるが、当事者からすれば「責任取らなくていい奴は気楽でいいよな」と感じてしまうことが多いのも事実だ。

 OKYという言葉があるそうだ。 「お前、来て、やってみろよ」の略らしい。 外から、何の制約もなく文句を言うのは簡単だ、誰でもできる。 でも、中に入って、いろいろな制約があることを知った上で、同じような、脳天気な意見が言えるだろうか?

 私は以前、行政の手続きの遅さやサービスの悪さを、一住民として批判していた。独立してからそれら行政と一緒に仕事をすることも多くなり、現場の担当者と実際に話してみれば、それは仕事の性質上ある程度は仕方のないことであり、私の批判があまりにも無責任だったことに気づいて恥ずかしくなった。 当事者はみんな、一生懸命にやっている。私は岡目八目で八手先を読んで得意になっているようで、実際には非現実的な「一手目」をドヤ顔で話していただけだった。

■人称で考える「視点」の広がり 経営コンサルタントの石原明氏が「人称」という視点で仕事を考える、という本を書いており、面白い本だったので一時期繰り返し読んでいた。

 1人称は、自分だけのことしか考えず作業をする人の視点。新入社員や職人だろうか。 2人称は、相手、つまり取引先や上司・同僚

のことを考えて仕事をする人の視点。 3人称以上になると、たとえば取引先だけでなくその後ろにいる「取引先の取引先」や自分達が仕事をすることで影響を受ける人達のことまで考えることができる。

 高い人称で考えられる人の方が「仕事ができる」と彼は主張している。確かにそうだ。「岡目八目」は3人目の視点だけれど、複雑な現代社会ではもっと複数の視点から物事を捉えないと追いつかないのかもしれない。

■まとめ~そういうお前はどうなのだ さて、毎回このコラムでえらそうな事を書いている自分はどうなのかと言うと、あまり褒められた話ではない。

 経営コンサルタントという職業柄、客観的な視点で物事を見るようには心掛けているつもりだ。家内からも「あなたは自分のことなのにまるで他人事のように話す」とやや批判的に言われる。友人からは「赤い血が流れていない」と言われたこともある。

 とは言え、不遇な経営者を見れば採算度外視で支援したくなるし、何かにこだわりすぎて損でしかない選択肢を取ることだってある。

 人間社会は複雑なもので、何かの当事者である限り「完全に客観的」な視点を持つことは難しいように思う。外部から経営コンサルタントを連れてきたとしても、仕事が始まった瞬間から彼もある意味「当事者」になるわけだから。

 「岡目八目」にも限界があることを理解した上で、それでもなお「客観的」であるように務めたいと思う。何せ、それをネタにご飯を食べさせていただいているようなものなので。

参考書籍・世界一の生産性バカが1年間、命がけで試し

てわかった25のこと/クリス・ベイリー 著・すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは〈三人称〉で考える。/石原 明 著