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1 「研究開発エコシステム」の提案 遠藤 はじめに 「米国の科学政策」ホームページにおいては、例年 1 月に年末年始休暇を中心とした休日を利用し、 幅広いテーマについての筆者の発想や提案を取りまとめ掲載してきたが、本稿においては、この一環と して「研究開発エコシステム」の言葉により触発される形で多様な研究開発活動を理解する枠組みを提 案する。筆者の作業時間の制約もあり、本稿においては基本的な考え方を示すに留めている。また、内 容の整合性についても今後更に検討が行われるべき点もあると考えられる。このため、本稿で示した「研 究開発エコシステム」については、今後具体的な事例を用いた有効性の検討を含め、この提案が、科学 研究活動の理解に役立つ枠組みとなるよう、改善を重ねてゆきたいと考えている。 1.研究開発エコシステムの基本的な考え方 1-1.研究開発エコシステムとは 米国の国防高等研究計画局(DARPA)の Prabhakar 長官は、2014 4 29 日に開催された連邦 議会上院歳出委員会の 2015 年度予算案にかかる公聴会で「ご存知のとおり、我が国は科学技術の面に おいて比類なき能力を有している。それは連邦政府、大学、産業のパートナーを含む強力な研究開発エ コシステム(Research and Development Ecosystem)の結果である。DARPA の成功は、健全な米国の 研究開発エコシステムに依存している。」と発言した。 Prabhakar 長官は、この内容の発言を他の場でも 使用しており、この研究開発エコシステムという言葉が、 DARPA を説明する際の考え方の枠組みとして 用いられていることがわかる。 しかしながら、Prabhakar 長官は、研究開発エコシステムについて定義を行っていない。また、具体 的な説明も行っていない。従って、同長官の発言に基づき、米国の研究開発活動の分析を行ったり、 DARPA を含む米国の研究開発政策・施策、あるいはプログラムを他国のものと比較をしたりすることは 難しい。 エコシステムは、日本語では生態学という言葉が対応するが、学問領域として確立しており、様々な 研究の手法や手順を通して多くの知見が得られている。筆者自身は、その内容を十分に理解できる知識 を持ち合わせてはいないが、入門書に目を通すと、(生態学の対象とは異なる)人間が担い手である研究 開発活動を理解するうえで、興味深い示唆を得られるように感じられる。しかし同時に、研究開発活動 を、確かな自然科学の手順により行われる生態学の知見を利用して分析することには無理があることが わかる。 本稿においては、「研究開発エコシステム」という言葉を、「生態学」により触発される面はあるにせ よ、その学問的知見を利用するものではないという前提で用いる。また、Prabhakar 長官の発言におい ては、研究開発エコシステムの定義が行われていないことから、本稿は、その国全体の研究開発活動を 対象とすること以外、この発言に囚われることなく、筆者自身の取り組みとして、研究開発エコシステ ムの理解を試みる。 ---------------------------------------------------------------------------- 2015 1 18 日「米国の科学政策」ホームページ掲載

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「研究開発エコシステム」の提案

遠藤 悟

はじめに

「米国の科学政策」ホームページにおいては、例年 1 月に年末年始休暇を中心とした休日を利用し、

幅広いテーマについての筆者の発想や提案を取りまとめ掲載してきたが、本稿においては、この一環と

して「研究開発エコシステム」の言葉により触発される形で多様な研究開発活動を理解する枠組みを提

案する。筆者の作業時間の制約もあり、本稿においては基本的な考え方を示すに留めている。また、内

容の整合性についても今後更に検討が行われるべき点もあると考えられる。このため、本稿で示した「研

究開発エコシステム」については、今後具体的な事例を用いた有効性の検討を含め、この提案が、科学

研究活動の理解に役立つ枠組みとなるよう、改善を重ねてゆきたいと考えている。

1.研究開発エコシステムの基本的な考え方

1-1.研究開発エコシステムとは

米国の国防高等研究計画局(DARPA)の Prabhakar 長官は、2014 年 4 月 29 日に開催された連邦

議会上院歳出委員会の 2015 年度予算案にかかる公聴会で「ご存知のとおり、我が国は科学技術の面に

おいて比類なき能力を有している。それは連邦政府、大学、産業のパートナーを含む強力な研究開発エ

コシステム(Research and Development Ecosystem)の結果である。DARPA の成功は、健全な米国の

研究開発エコシステムに依存している。」と発言した。Prabhakar長官は、この内容の発言を他の場でも

使用しており、この研究開発エコシステムという言葉が、DARPAを説明する際の考え方の枠組みとして

用いられていることがわかる。

しかしながら、Prabhakar 長官は、研究開発エコシステムについて定義を行っていない。また、具体

的な説明も行っていない。従って、同長官の発言に基づき、米国の研究開発活動の分析を行ったり、

DARPAを含む米国の研究開発政策・施策、あるいはプログラムを他国のものと比較をしたりすることは

難しい。

エコシステムは、日本語では生態学という言葉が対応するが、学問領域として確立しており、様々な

研究の手法や手順を通して多くの知見が得られている。筆者自身は、その内容を十分に理解できる知識

を持ち合わせてはいないが、入門書に目を通すと、(生態学の対象とは異なる)人間が担い手である研究

開発活動を理解するうえで、興味深い示唆を得られるように感じられる。しかし同時に、研究開発活動

を、確かな自然科学の手順により行われる生態学の知見を利用して分析することには無理があることが

わかる。

本稿においては、「研究開発エコシステム」という言葉を、「生態学」により触発される面はあるにせ

よ、その学問的知見を利用するものではないという前提で用いる。また、Prabhakar 長官の発言におい

ては、研究開発エコシステムの定義が行われていないことから、本稿は、その国全体の研究開発活動を

対象とすること以外、この発言に囚われることなく、筆者自身の取り組みとして、研究開発エコシステ

ムの理解を試みる。

---------------------------------------------------------------------------- 2015年 1月 18日「米国の科学政策」ホームページ掲載

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1-2.イノベーションエコシステムなどの従来の科学技術イノベーション政策論議との違い

2004年、競争力評議会(Council on Competitiveness)は、「Innovate America: Thriving in a World

of Challenge and Change - National Innovation Initiative Interim Report - National Innovation

Initiative Report(イノベート アメリカ: チャレンジとチェンジの世界における繁栄-全米イノベーシ

ョンイニシアチブ報告書、通称「パルミサーノレポート」)」を発表した。この報告書においては、イノ

ベーションエコシステムという考え方が示されており、以下のような概念図が添えられている(日本語

訳は本稿筆者による)。

図表1.競争力評議会による「イノベーションエコシステム」

また、近年においても、米国ナショナルアカデミーズにより 2013年に開催されたワークショップの報

告書「イノベーションエコシステムの動向:過去の成功は未来の戦略へ知見を提供するか?、二つのワ

ークショップの要約(Trends in the Innovation Ecosystem: Can Past Successes Help Inform Future

Strategies? Summary of Two Workshops)」が刊行されるなど、イノベーションエコシステムという言

葉は依然として広く用いられている。

ただし、これらのイノベーションエコシステムの言葉を用いることにより期待されていることは、対

象とする科学技術イノベーション活動を向上させ、より大きな成果を上げることである。イノベーショ

ンを促進する要素や阻害する要素などを明らかにし、現状を改善する取り組みを支援することが目的と

なっている。

1-3.本稿で示す研究開発エコシステムの目的

本稿で示す研究開発エコシステムは、上記のイノベーションエコシステムとは異なり、研究開発活動

を分析し、記述・描写することをその目的としている。そのため研究開発エコシステムにおいては価値

中立性が担保される必要がある。「生態学」が、生態系を改変させることを目的とするものではないよう

に、研究開発エコシステムも、当初からそのシステムを特定の方向に改変させることを目的とはしてい

ない。

ただし、「生態学」が一般に生態系の保全のための知見を提供することを可能としているように、本稿

3

で示す研究開発エコシステムも研究開発活動の向上に向けた取り組みを支援するための知見を提供する

ものであると考えている。

ここで、研究開発活動の向上に向けた取り組みとは、研究開発活動の成果である製品が市場で販売さ

れることにより経済活動が拡大するといった内容に留まるものではない。経済の発展だけでなく、研究

活動を通して提供された新たな知識が人々の科学的な好奇心を高めることや、人々の安全に対するリス

クを予見しそれを回避し、あるいは被害を最小限に留めることなども、人々に対する科学の重要な貢献

であると考える。

2.研究開発エコシステムの構造

2-1.研究開発エコシステムの対象

研究開発エコシステムは、研究開発活動とそれを取り巻く状況について理解することを試みるもので

あり、多様な研究開発活動とその社会との関係を明らかにすることを目的としているが、その対象は、

個別の政策や施策、あるいはプログラムが想定されている。

従って、「競争力強化のための政策」といった政策も対象となり得るが、実際の作業においては必要と

なる位置づけに関する指標の数が膨大となることと、この政策を取り巻く状況における要素が複雑とな

るため、例えば「アメリカ COMPETES再授権法」といった、より定義のし易い政策を対象とする。

プログラムのレベルにおいては、政策や施策よりも作業対象を定義することは容易であると考えられ

る。なお、プロジェクトの分析を通して、プログラムやさらにその上位の施策、そして政策の研究開発

エコシステムを明らかにする試みも可能と考えられるが、作業量の関係から、今後検討を行う対象とし

たい。

以下は、この研究開発エコシステムの対象となり得ると考えられる政策・施策、プログラムの例示で

ある。

○ 政策・施策

アメリカ COMPETES再授権法、ハイリスクリサーチ、競争的研究資金配分手順、安全保障輸出貿易

管理にかかる政策、間接経費、研究データの保存・公開、学術出版のオープンアクセス化、規制的政策

形成に向けた科学的公正性、オープンイノベーション、チャレンジとプライズ、先進製造、国家的ナノ

テクノロジーイニシアチブ

○ プログラム(およびプログラムの集合体)

NIH R01、トランスフォーマティブリサーチ、ナノテクノロジーイニシアチブの下での個々のプログ

ラムあるいはプログラムの集合体、DARPA

注:プログラムは、必ずしも固有のプログラムとして定義されていなくても、トランスフォーマティブ

リサーチなど、共通の概念で括ることができる事業もプログラムとして作業することが可能と考えられ

る。

2-2.研究開発エコシステムの二層構造

研究開発エコシステムは、「(1) 研究開発活動全体における政策・施策、プログラムの位置(以下、「位

置」という。)」、および「(2) 当該政策・施策、プログラムにより実施される研究開発活動とそれを取り

巻く要素(以下、「要素」という。)」の二つの層において理解を試みる。

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「位置」は、政策・施策、プログラムの様々な指標における相対的位置づけを明らかにすることを目

的としており、「要素」は、政策・施策、プログラムに関し、当該研究開発活動とそれを取り巻く状況と

の関係を明らかにすることを目的としている。

3.政策・施策、プログラムの位置づけ

3-1.位置づけのための指標

本稿で示す研究開発エコシステムにおける「位置」については、個々の政策・施策、プログラムにつ

いて必ずしも(例えば、基礎研究、応用研究、開発のいずれかといった)絶対的な位置を示すものでは

ない。この理由は数限りなく想定される政策・施策、プログラムは、単一の指標により示されることが

困難であり、個々の政策・施策、プログラムに対し適切と考えられる複数の指標により示される必要が

あると考えられること、そしてその指標はしばしば比較可能な定量的指標ではなく、政策・施策、プロ

グラムに固有の定性的指標が用いられることによる。

研究開発活動の理解のため用いられる指標としては、第一に研究開発資金を挙げることができる。研

究開発資金は多くの国の予算において、基礎研究、応用研究、開発という区分が行われており、これを

ひとつの指標として利用することができる。また、研究開発資金の支出部門が、大学や公的研究機関で

あるか、企業であるかといった区分を指標に含めることも可能である。

本稿では、政策・施策、プログラムの理解への試みを、このような定量的指標に加え、個々の政策・

施策、プログラムに相応しい指標を設定することから始める。その指標は様々な研究開発活動を対象と

するため、多数想定され、その多くは定性的指標となる。なお、この具体的な指標については後述する。

3-2.政策・施策、プログラムの特性に応じた複数の座標軸の設定

指標が多数であることは、研究開発エコシステムの目的である異なる政策・施策、プログラムの比較

を可能とすることが難しいことを意味する。そこで本稿では想定される指標を「インプット側の指標」

と「アウトプット側の指標」に区分することにより整理する。なお、一般に「インプット側の指標」と

「アウトプット側の指標」は異なる指標であるが、研究開発資金と研究開発評価においては、インプッ

ト・アウトプット共通の指標を設けることも可能と考えられる。

これらは、本稿において図表2.のよう形で表す。この図では、横軸をインプット側の指標、縦軸を

アウトプット側の指標としている。それぞれの具体的な指標は後述するが、一般的には左上が、探求を

目的とした大学における研究、右下が実用化を目的として企業における研究開発が配置され、左上から

右下へと研究開発活動が展開する状況を想定している。

なお、定量的な指標を用いる場合、一般的なグラフの座標軸の設定とは異なる縦軸となっているが、

これは本稿筆者によるこれまでの「知の分水嶺」等の考え方との一貫性を持たせるためのものである点

了解いただきたい。

5

図表2.政策・施策、プログラムの位置を示すための座標軸

とその上の大学と企業による研究開発活動の位置づけ

ただし、研究開発活動は必ずしも左上から右下へと展開するとは限らない。右上や左下における研究

開発活動も想定される。このことにかかる指標は後述するが、図表3-1.および図表3-2.には、

右上や左下において考えられる状況の例を記した。例えば図表3-1.の左下においては企業の中央研

究所等における基礎研究活動について記しているが、近年は、企業における基礎研究活動が低下し、研

究図表3-2.に示したような状況が生まれるリスクがあることを示している。

また、図表3-2.の右上は、大学等に対する過度の実用化への要請が自由な発想が阻害するリスク

がある状況を示している。当然、これらの状況が生じているか否かの結論を導き出すためには後述する

ような手順による十分な検討が必要である。

図表3-1(左)、3-2(右)座標軸上の左下および右上において考えられる状況の例

-50

-40

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-20

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0

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30

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-50 -40 -30 -20 -10 0 10 20 30 40 50

←探求に向けた知識 実用に向けた知識→

インプット側指標

探求に向けた知識

実用に向けた知識→

アウトプット側指標

-50

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0

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30

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-50 -40 -30 -20 -10 0 10 20 30 40 50

←探求に向けた知識 実用に向けた知識→

インプット側指標

探求に向けた知識

実用に向けた知識→

アウトプット側指標

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-20

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10

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-50 -40 -30 -20 -10 0 10 20 30 40 50

←探求に向けた知識 実用に向けた知識→

インプット側指標

探求に向けた知識

実用に向けた知識→

アウトプット側指標

大学における知識の探求に向けた研究活動

企業における実用化に向けた研究開発活動

(実用化に向け

た研究開発イン

プットによる、

探求面に優れた

アウトプットは

考えにくい)

例えば企業の中

央研究所におい

て行われる探求

的発想を重視し

た研究開発活動

(近年は減少)

大学における知識の探求に向けた研究活動

企業における実用化に向けた研究開発活動

大学における知識の探求に向けた研究活動

企業における実用化に向けた研究開発活動

例えば学術研究

でありながら、

自由な発想を阻

害するような実

用化目標が設定

された研究活動

例えば企業の研

究開発でありな

がら、実用化へ

の道筋が断絶し

ている研究開発

活動

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3-3.座標軸に用いる指標

指標には、以下のようなものが考えられる。これらの指標は、定量化し易いものと、定量化が困難な

もの(定性的記述による形でしか整理できないもの)がある。研究開発資金については定量化の対象と

なり、また、人材に関する指標も一部定量化することが考えられる。しかしながら、他の指標は、例え

ばテキスト分析などにより定量的な分析の可能性はあるものの、定性的に記述するしかない場合も多い。

従って図表2.で示した座標軸上における政策・施策、プログラムの位置は、その作成者の解釈が入り

込む余地が十分にある。各指標を説得性のあるものとするためには、今後十分な検討が加えられる必要

がある。

図表4.指標の例

左端(探求に向けた知識) 右端(実用に向けた知識)

◎ インプット側

研究開発予算区分 基礎研究 開発

研究開発負担者 公的資金 民間資金

資金配分期間・手順 長期的・安定的(非競争的) 短期的・競争的(不安定的)

研究開発評価基準(事前評価) 学術的価値に関する評価 社会的・社会的価値に関する評価

研究開発人材 公的部門 民間部門

政策・施策、プログラムの設置 アカデミックコミュニティーに

よる提案

企業・市民による提案

◎ アウトプット側

研究開発費支出者 公的部門 民間部門

研究成果発表手法 学術論文 知的財産、政策文書

知識の様態 オープン クローズド

成果の受け手 アカデミックコミュニティー内 アカデミックコミュニティー外

4.要素

4-1.研究開発活動とそれを取り巻く状況の要素

前章において示した指標は、研究活動全体の中における政策・施策、プログラムの位置を明らかにす

るものであるが、政策・施策、プログラムを理解するためには、研究開発活動を取り巻く状況との関係

を明らかにすることが必要と考えられる。研究開発活動を取り巻く状況とは、いわゆるステークホルダ

ーが研究開発活動に及ぼす影響と言うこともできる。ステークホルダーは、研究開発活動の主体である

研究者、大学、企業等に加え、研究開発活動を取り巻くステークホルダーとして市民(納税者としての

科学研究開発活動を支援する者と研究開発の成果を享受する者の双方の位置づけ)、行政府、議会、企業

(研究開発成果に基づき製品を開発する主体など)など多様である。このため、本稿における研究開発

エコシステムにおいては、ステークホルダー単位で理解するのではなく、まず、研究開発への期待およ

び研究開発のインパクト(意図を超えた影響)要素(以下、「期待・インパクト要素」という)、研究開

発の動因(インプット)要素(以下、「インプット要素」という)、研究開発実施要素、研究開発のアウ

トカム(意図された影響)要素(以下、「アウトカム要素」という)の四つの要素を設定する。

各要素の具体的な内容は以下のとおりである。

7

図表5.各要素

要素の名称 ステークホルダー 説 明

期待およびイ

ンパクト要素

<主なステークホルダー>

1.市民(国民)

2.企業

研究開発活動への期待が示される要素であると同時

に、その期待に応える形で影響(インパクト)が及ぶ要素。

第一に市民(または国民)が想定される。市民の研究

開発活動に対する関与は、その一部が研究開発活動に支

出されるという意味における納税であり、納税により市

民が研究開発活動により利益を享受することを期待す

ることが正当化される。

市民が研究開発活動から享受する利益は、一般的には

科学的知見の拡大に加え、経済活動の向上、規制的政策

の実施をとおした安全・安心の向上などの行政サービス

等が考えられ、これらをインパクトとして整理した。

また、企業も同様に研究開発への期待を示し、また、

その利益を享受する立場にある。

政策・施策、

プログラムの

策定・実施要

素(インプッ

ト要素)

<主なステークホルダー>

1.国・地方政府(資金配分元とし

て)

2.国・地方政府(規制的な面を含

む政策実施等を通して)

3.企業(資金負担者として)

<その他のステークホルダー>

4.民間財団等

5.市民(国民)(資金負担者とし

て)※日本における大学への授業料

納入者を含む

資金面を中心とした政府、民間財団、そして企業(自

身における研究開発活動に加え、資金提供元として)が

想定される他、規制を含む資金配分以外の諸政策を通し

たインプットの主体としての政府等も考えられる。ま

た、特に日本においては、大学への授業料納付という形

で研究開発資金が配分されるという意味で、市民も資金

面におけるインプット要素となっている。

研究開発実施

要素

<主なステークホルダー>

1.研究者・研究グループ

2.大学・非営利研究機関

3.アカデミックコミュニティー

4.企業(研究開発実施主体として)

5.研究開発関連営利機関(商業出

版者、情報提供企業等)

<その他のステークホルダー>

6.科学技術関連の活動を行う個

人・団体

直接研究開発を実施する個人および機関に加え、研究

開発を実施す個人・機関により構成される団体、そして

研究開発活動に関与する営利機関や個人・団体も想定さ

れる。

アウトカム要

<主なステークホルダー>

1.研究者・研究グループ

2.大学・非営利研究機関

3.企業

4.政府(政策形成に資する科学的

知見の利用者として)

研究開発活動のアウトカムが生じる主体に関する要素。

具体的なアウトカムの様態としては、学術研究基盤の向

上、利用可能な知的財産の蓄積、製品の製造、規制的政

策の形成等が含まれる。ステークホルダーとしては、研

究者・研究グループ、大学・非営利研究機関、企業など

が考えられる。また、政策形成に資すると言うことで、

政府もステークホルダーとなる。

8

これらの要素の関係を図で示すと次のようになる。

図表6.各要素の関係の図

4-3.各要素の関係

次に上記の各要素の間の関係について考える。研究開発活動は、市民が科学研究活動を通して(経済

面だけとは限らない)様々な利益がもたらされることを期待し、納税、さらには科学への関心の高まり

という形や子供が研究者として研究活動に参画するという形などにより研究開発活動を支える。行政は、

政策・施策、プログラムを策定し、それに資金配分を行うことにより研究開発活動に関与する。研究者・

研究グループをはじめとする研究開発活動の主体は、経済的支援を受け、期待される成果(アウトカム、

インパクト)に向けて研究開発活動を行う。その成果は論文や知的財産の形で、研究開発活動そのもの

の向上と同時に、企業などにおける実用化や行政による(規制的なものを含む)政策形成に役立てられ

る。そして、その結果、最終的に市民に利益がもたらされる。

このような流れは、多数のステークホルダーが複雑に絡み合いながら形成される。本稿で示す「研究

開発エコシステム」においては多くの場合、それぞれのステークホルダーが関わる要素の間に「共存」、

「乖離」、「相反」のいずれかの関係が存在するとして整理する。

図表7.「共存」、「乖離」、「相反」の関係の説明

共存

「要素」と「要素」の間に、それぞれの「要素」が本来的な役割を果たすことが可能となっている関

係。「要素」の間で相補的な関係がある場合だけでなく、関係が存在しない場合もこれに含まれる。多

くのステークホルダー間の関係は、この「共存」であると想定される。

乖離 「要素」と「要素」の間に関係が存在しないことにより、双方あるいはいずれか一方の「要素」が本

来的な役割を果たすことが出来ない状況。

相反 「要素」と「要素」の間において、「要素」が役割を果たすことを阻害する関係がある状況。(一方が

阻害されることにより他方が利する「捕食」関係、および「トレードオフ」の関係などが含まれる)

9

図表5.で示したステークホルダーの組み合わせを一表にすると以下のようになる。

図表8.各要素におけるステークホルダーの組み合わせ 期待・インパクト

要素 インプット要素 研究開発実施要素 アウトカム要素

市民 企業

政 府

(資金)

政 府

(政策) 企業

研 究者

大 学等

コミュニ

ティー

企業(研

究開発)

研究関

連企業

研 究者

大 学等

企業 政 府

(政策)

期待・

インパ

クト要

市民

企業

イ ンプ ット 要素

政 府

(資金)

政 府

(政策)

企業

研 究開 発実 施要素

研 究者

大 学等

コミュニ

ティー

企業(研

究開発)

関連営

利企業

ア ウト カム 要素

研 究者

大 学等

企業

政 府

(政策)

注:表中の各項目は、以下のとおり略記した。

<期待・インパクト要素>市民:市民(国民)、企業:企業

<インプット要素>政府(資金):国・地方政府(資金配分元として)、政府(政策):国・地方政府(規制的な面を含む政

策実施等を通して)、企業:企業(資金負担者として)、

<研究開発実施要素>研究者:研究者・研究グループ、大学等:大学・非営利研究機関、企業(研究開発):企業(研究開

発実施主体として)、関連営利企業:研究開発関連営利機関(商業出版者、情報提供企業等)

<アウトカム要素>:研究者:研究者・研究グループ、大学等:大学・非営利研究機関、企業:企業、政府(政策):政府

(政策形成に資する科学的知見の利用者として)

上記組み合わせは計 91 あるが、さらにこの 91 の組み合わせにおいて多様な研究開発に関連する活動

があることから、無数のケースが想定される。多くは「共存」の関係が成立していることが想定される

が、「乖離」や「相反」の関係も存在することが想定される。次頁においては「研究開発実施要素」と他

の要素および「研究開発実施要素」の中の二つの要素における「乖離」と「相反」の例をいくつか挙げ

た。

10

図表9.「乖離」と「相反」の例

乖離

<「期待およびインパクト要素」と「研究開発実施要素」の間に存在する「乖離」>

・市民における研究者・研究グループが創造する知識の理解に対する不足(いわゆる「欠如モデル」

を含む)

<「インプット要素」と「研究開発実施要素」の間に存在する「乖離」>

・大学において必要な研究資金と、それに対する政府支援の額(各国の比較)

<「研究開発実施要素」と「アウトカム要素」の間に存在する「乖離」>

・DARPAと ARPA-Eを比較した場合における、ARPA-Eのハイリスクリサーチの成果を継続的に

展開させる民間部門の実用化環境

・学術研究において得られた知見と、その知見を用いた行政における規制的政策形成

<二つの「研究開発実施要素」の間に存在する「乖離」>

・大学に対する企業との協力に関する誘因と、企業に対する大学との協力に関する誘因

相反

<「期待およびインパクト要素」と「研究開発実施要素」の間に存在する「相反」>

・市民の、公的資金により支援された研究の成果は即時に無料公開されるべきという意見と、アカ

デミックコミュニティーにおける学術出版の質を向上させる取り組み

<「インプット要素」と「研究開発実施要素」の間に存在する「相反」>

・(「共存」の関係を超えた)政府による過度の特定の研究対象や研究目的に向けた資金配分と、研

究者による予見し得ない研究成果の創出

・政府から大学に配分される資金にかかる過度の手続きの複雑性やその執行における規則等

<「研究開発実施要素」と「アウトカム要素」の間に存在する「相反」>

・学術研究における本来的に自由な研究成果の流通と、安全保障輸出貿易管理による規制

<二つの「研究開発実施要素」の間に存在する「相反」>

・大学が設置する定量的評価指標と、研究者が考えるそれとは異なる学術研究における価値

・商業出版者による(営利活動目的と一致する)論文掲載手順と、アカデミックコミュニティーに

おけるジャーナルの質

4-4.政策・施策、プログラムの比較を通した「乖離」と「相反」の理解

複数の異なる政策・施策、プログラムを、「共存」、「相反」、「乖離」といった関係において理解するこ

とは、それぞれの政策・施策、プログラムの相違を明らかにすることに有効であると考えられる。その

ための手順は、各要素の間の関係性を比較することである。A という政策・施策、プログラムにおける

実施要素とアウトカム要素の関係が共存であり、B という比較対象となる政策・施策、プログラムにお

ける同じ要素の関係が乖離であれば、Bの研究開発活動の期待された効果は得られないこととなる。

ただし、政策・施策、プログラムの比較においてはさらに多くのステークホルダーが関係することか

ら、「乖離」や「相反」を明らかにすることは容易ではない。異なる政策・施策、プログラムは、それぞ

れ異なる様態となっており、共通の観点から各要素の関係が「共存」、「乖離」、「相反」のいずれか同定

することは容易ではない。

比較の手順の具体的な内容としては、同一国内における類似の政策・施策、プログラムの比較、ある

いは、異なる国における理念や目標を同じくする政策・施策、プログラムの比較が想定される。例えば、

DARPAと ARPA-E、米国における間接経費と日本やドイツにおける間接経費といった比較である。この

有効性については、個々の政策・施策、プログラムにおいて検証する必要があるが、本稿においては(筆

者の作業時間の関係があり)次章で簡単に言及するに留め、詳細な比較は稿を改めて行いたいと考えて

11

いる。

5.政策・施策、プログラムの立案・実施における活用

5-1.「位置」と「要素」の政策形成・事業実施における有効性

前章では「位置」と「要素」により政策・施策、プログラムを描写したが、本章ではこの内容に基づ

く新たな政策・施策、プログラムの形成・実施における活用を考える。

「位置」については、複数の政策・施策、プログラムを比較する。例えばハイリスク研究支援という

同じ目的を持つ複数のプログラムの位置について比較を行うことにより、それぞれのプログラムの相違

を明らかにし、政策形成・事業実施のための知見を得ることが考えられる。

また、「要素」については、「期待およびインパクト」、「インプット」、「研究開発実施」、「アウトカム」

のそれぞれの要素の関係を、「共存」、「乖離」、「相反」という考え方で示したが、この関係に基づき、政

策形成・事業実施の検討を行うために、それぞれの関係における課題を明らかにする。

5-2.相対的「位置」による政策・施策、プログラムの適切性の判断

前述のとおり政策・施策、プログラムはインプット側、アウトプット側の双方において、複数の指標

により位置が決定されるが、例えば同じ目的を持った複数の政策・施策、プログラムが異なる位置にあ

る場合は、その違いから政策・施策、プログラムの適切性の可否を考えることができる。以下は、この

ことを考えるための試みとして、海外における主な施策・施策、プログラムのイメージを座標軸上に描

いた。ただし、ここに示されたそれぞれの位置は筆者の主観に基づき決定されたものであり、政策・施

策、プログラムの立案・実施の検討においては、より具体的な指標を用いた比較が必要である。

図表10.海外の主な政策・施策、プログラムの位置のイメージ

-50

-40

-30

-20

-10

0

10

20

30

40

50

-50 -40 -30 -20 -10 0 10 20 30 40 50

←探求に向けた知識 実用に向けた知識→

インプット側指標

探求に向けた知識

実用に向けた知識→

アウトプット側指標

各国、大学への基盤的経費

ドイツ、エクセレンス

イニシアチブ

米、NIH R01

米、ARPA-E

米、DARPA

12

5-3.各要素の関係についての複数の政策・施策、プログラムの比較

図表10.においては、政策・施策、プログラムを 2 軸の座標軸上に描いた。この手法は、指標につ

いて十分に検討を加えることにより一定の有用性が期待できるが、第4章において述べたとおり、研究

開発実施という要素と、他の要素との関係を明らかにすることも、政策・施策、プログラムの立案・実

施に際しては重要と考えられる。

この要素に関する検討においては、既述のとおり複数の政策・施策、プログラムを比較することが有

効と考えられる。各要素に含まれるステークホルダーの相互の関係は、第4章において仮に 91あるとし

たが、ここでは、DARPAと ARPA-Eについて、91の関係を一覧にすることを試みる。多くの場合、「共

存」と整理できると考えられるが、いくつかの「乖離」や「相反」も想定される。これら「乖離」と「相

反」について検討を加えることにより、DARPA と ARPA-E が同じハイリスク研究であってもどのよう

な性格の違いがあるかを明らかにすることができると考えられる。

図表11.DARPA(左)と ARPA-E(右)の各要素における関係 期待・インパク

ト要素 インプット要素 研究開発実施要素 アウトカム要素

市民 企業

政 府

( 資

金)

政 府

( 政

策)

企業 研究者

大学等

コミュ

ニティ

企 業

( 研究

開発)

研 究

関 連

企業

研究者

大学等

企業 政 府

( 政

策)

期待・イン

パクト要

市民

企業 共

イ ン プッ ト 要素

政府(資金) 共

政府(政策) 共

企業

研 究 開発 実 施要素

研究者 共

大学等 共

コミュニティー 共

企業(研究開発) 共

関連営利企業 共

ア ウ トカ ム 要素

研究者 共

大学等 共

企業

政府(政策) 共

要素の関係が共存とならない場合の説明

①、②:ARPA-Eにおける基礎研究を含むハイリスク研究への資金配分手順と商業的に自立できるエネルギー技術の開発という目標の乖離

③、④:DARPAにおいて機密・機微な研究として取り扱うこととなった場合の、学術研究の公開性との間の相反

⑤:ARPA-Eにおける研究成果の実用化に向けた展開における公的資金配分メカニズムの欠如

⑥、⑦:エネルギー省研究開発資金獲得における、大学等と企業の相反的な関係(※研究協力を通して共存関係にもなり得る関係)

⑧:DARPAにおける機密・機微な研究として取り扱うことになった場合の、研究成果の公表の差し控え

次頁の図は、上の図表のうち、「乖離」および「相反」について各要素の関係を示したものである。

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図表12.DARPA(左)と ARPA-E(右)の各要素における関係の図(「乖離」、「相反」のみ)

5-4.「要素」の関係を通した「欠損」と「過剰」の理解

前章では各政策・施策、プログラムに関する「要素」の関係を、「共存」、「乖離」、「相反」に区分して

定義した。「乖離」および「相反」の関係が認められた場合は、その関係を解消するための取り組みが求

められる。ここでは、問題の所在を明らかにしやすいよう、「乖離」の要因としては「欠損」を想定し、

「相反」の要因としては「過剰」を想定する。

「欠損」の最も単純な例としては、「研究開発実施要素」と「インプット要素」の間に存在する乖離と

して、求められる研究開発活動実施に対し存在する、必要な予算に対する欠損を挙げることができる。

米国の「イノベーション欠損」はこのことを指摘している。多くの「欠損」は研究開発資金において見

られるが、各要素の間には、他にも様々な「乖離」があり、それぞれに「欠損」を明らかにすることが、

研究開発エコシステムの検討において有効と考えられる。

「過剰」が「相反」を作り出す例としては、研究開発活動に対する過剰な期待、過剰な規制などが想

定される。例えば、長いプロセスを経て社会的な価値に結びつく探求的な研究活動は、一般的にピアレ

ビューを通した学術的価値がその評価基準となるが、実用的価値が評価基準に過剰に取り入れられれば、

基礎研究活動への「相反」となる(当然、この逆に実用を目的とした研究開発プロジェクトにおいて例

えば論文数などの学術的価値基準が過剰に導入されればその目的への「相反」状況が生じる)。

規制については、例えば近年、米国のアカデミックコミュニティーが指摘している、様々な大学等に

対する連邦政府の規則や手続きの問題は、政府がもたらす「過剰」な規制が大学の研究活動に支障をも

たらすという「相反」の要因となる。

おわりに

以上、研究開発エコシステムとして、研究開発活動に関する政策・施策、プログラムを「位置」と「要

素」の点から理解することを試みた。本稿の最後には、「欠損」と「過剰」の考えが示されている。この

内容については筆者の作業時間の関係もあり、簡単に触れるに留まったが、研究開発エコシステムによ

る政策・施策、プログラムの立案・実施において最も重要な点と考える。「欠損」や「過剰」があるまま

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政策・施策、プログラムを立案・実施した場合、様々なマイナスの効果がもたらされるリスクがあると

考えられる。

本稿において扱った対象は幅広く、また、指標や関係するステークホルダーも多岐にわたるため、と

もすれば単なる政策・施策、プログラムの記述に終わってしまう可能性があるが、研究開発活動は本来

的に多様であり、また、それが人々にもたらす価値も多様であることを考えた場合、敢えてこのような

複雑な観点を提示することは、意味があると考えている。