延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - chiba...

15
延慶本 1 「 法皇御港頂 はじめに 「 平家物語」が軍記物とい うジャンルに属し、合戦の様 き'人々の死を措-特質を持つ とい うことは、そこに、宗 ものが共に措かれる可能性を内包していることになろう。武 らずとも、動乱の時代を生きた人々にとっては、死はいつ も身近 なものであって、惨いこの世よりも、死して後の長い時間を極楽 に往生し、 心安-暮らしたい と願っ たのも当然のことと思われる。 中世において仏教が広-流布したのも、そんな時代を反映してい r 為のであろうかOそして'「 平家物語」においても、仏教思想、 特に浄土思想は色濃-反映され、時には物語の中核をも担ってい る。 ( I) かつて家永三郎氏は、「 平家物語の中心主蔦は浄土教の信仰に ある。浄土教信仰の芸術的表現が、平家物語の究極の目的であっ た」と述べた。そして、平家物語に見られる 集に操りながら、源信その人の浄土教ではな-、 解釈された浄土教であると認められる」と指摘し、 後の平家物語の仏教論争の 萌芽ともい える発言をした。 の後、この平家物語における浄土思想について、い わゆる 義」をめぐる論争が繰り広げられた。「 法然義」の語を導入 ( 2〉 福井康順氏は平家物語の仏教思想が'「 浄土教そのものではな- て実は浄土宗にまで及んでいる」とし,渡辺貞麿毒は「 源空以 前の平安朝的な浄土教の形態が色濃-伝承せられている」と反論 し、その後もこの論争は、様々な切-口から成された。しかし、 この論争では、平家物語に見られる浄土思想が'王朝以来の平安 浄土教か、それとも苦 仏 教の 法然 浄土 宗の もの か、 とい う問 題以前に,小林智島が「両説の分かれるのは、まず法然義そ のものの受けとめ方の相違にあると思われるが-」と指摘してい ( r ) ) る如-、「 法妖 #Jの定義そのものが問題化されるだろう. 49

Upload: others

Post on 11-Aug-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

延慶本『平家物語』の浄土思想的背景

1

「法皇御港頂事」を中心に-

はじめに

「平家物語」が軍記物というジャンルに属し、合戦の様を措

き'人々の死を措-特質を持つということは、そこに、宗教的な

ものが共に措かれる可能性を内包していることになろう。武士な

らずとも、動乱の時代を生きた人々にとっては、死はいつも身近

なものであって、惨いこの世よりも、死して後の長い時間を極楽

に往生し、心安-暮らしたいと願ったのも当然のことと思われる。

中世において仏教が広-流布したのも、そんな時代を反映してい

r為のであろうかOそして'「平家物語」においても、仏教思想、

特に浄土思想は色濃-反映され、時には物語の中核をも担ってい

る。

(I)

かつて家永三郎氏は、「平家物語の中心主蔦は浄土教の信仰に

ある。浄土教信仰の芸術的表現が、平家物語の究極の目的であっ

た」と述べた。そして、平家物語に見られる浄土思想が

「往生要

集に操りながら、源信その人の浄土教ではな-、薯

仏教的に

解釈された浄土教であると認められる」と指摘し、早-も、その

後の平家物語の仏教論争の萌芽ともいえる発言をした。そしてそ

の後、この平家物語における浄土思想について、いわゆる

「法然

義」をめぐる論争が繰り広げられた。「法然義」の語を導入した

(2〉

福井康順氏は平家物語の仏教思想が'「浄土教そのものではな-

て実は浄土宗にまで及んでいる」とし,渡辺貞麿毒は

「源空以

前の平安朝的な浄土教の形態が色濃-伝承せられている」と反論

し、その後もこの論争は、様々な切-口から成された。しかし、

この論争では、平家物語に見られる浄土思想が'王朝以来の平安

浄土教か、それとも苦

仏教の法然浄土宗のものか、という問

題以前に,小林智島

「両説の分かれるのは、まず法然義そ

のものの受けとめ方の相違にあると思われるが-」と指摘してい

(r))

る如-、「法妖#Jの定義そのものが問題化されるだろう.

49

Page 2: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

本稿では、平家物語の諸本の中でも、特に浄土思想的色彩が

濃厚に表れており、尚且つその浄土思想がより粗削りな形で取り

入れられている、延鹿本をテキストとして用いながら'そこにど

のような浄土思想が見られるかを考察してゆこうと思うが、平家

物語における浄土思想を考証した先行論文では'テキストとして

一本を用いているものも多いのでそれらの論文を常に考慮に入

れつつも、柔軟な姿勢で当該記事の考察を進めていきたいと思う。

そしてその考察を通して、延慶本における浄土思想の聾

の一端

を眺めてみたい。

「法皇御溝頂事」の展開

延鹿本

「平家物語」を、どのような浄土思想が投影されてい

るかという観点から通読していった時、最も注目されるのが第二

本の二

「法皇御港頂事」の章段ではないだろうか。延鹿本では'

後白河院の三井寺港頂が山門の大衆によって妨げられ、結局、四

天王寺にて行われるという

一連の流れに'三部経についての説明'

院の嘆き'仏法伝来'住書大明神との天魔問答'道宣律師説話、

四天王寺縁起など、様々な記事が盛り込まれてゆく。いずれの記

事も仏教関連記事である、というよりもむしろ、延鹿本作者の仏

教観が前面に打ち出された箇所といえるだろう。

これらの記事の中で、とりわけ物語上の大きな転機となって

いるのが前記の天魔問答である。まずはこの天魔問答の位置とそ

の意義を確認する。

後白河院は

「真言教ノ依経」である大日三部経を受けている

が、これは、受持読諦すればその身が大日如来になるという砂典

であり、また後白河院自身についても'以下のように'仏法者と

しての優れた姿が記されている。

後白河法皇、黍モ親行五品ノ位二心ヲ懸マシ-

テ、法花

修行ノ道場'五種法師ノ燈ヲ挑テ、七万八千余部ノ転読也。

上古こモ未承及。何況末代こヲイテヲヤ。十善玉鉢ノ御衣

ノ色'三番護摩ノ煙ニス、ケテ'即身菩捷ノ聖ノ御門トゾ

ミヘサセ給ケル。

其ヨリ以来、仏法修行ノ貴購、其数多卜云ドモ、此法皇程

ノ兼修練行ノ御門ヲ未承。子こ臥シ真二起キサセ給フ御行

法ナレバ'打解テ更こ御寝モナラズ。金鳥東こカ,ヤケバ、

大部転読ノ法水'三身仏性ノ玉ヲミガキ'夕日西こ傾ケバ、

九品上生ノ蓮台こ三尊来迎ノ心ヲハコビ給ヘリ。

伝法港頂を阻止され、うちひしがれる後白河院の許へ現れる

のが住吉大明神である。大明神は、今度の山門大衆のふるまいを'

存外の次第である、と否定的にとらえつつ、「日本ノ天魔アツマ

リテ山ノ大衆こ入力ワリテ公ノ御荘頂ヲ打留メマヒラセ」たので

あるから大衆を許すべきだとする。そして'天魔が、無道心

で儒憶の甚だしい智者の死して後の姿であるということに始ま

り、天魔についての詳細な説明がなされ'遂に、後白河法皇にと

って最も衝撃的な事実が告げられる。

50

Page 3: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

-儒慢ナキ人ノ仏事こハ、魔縁ナキガ故こ、天魔来テサハ

リヲナスコトナシ。天魔ハ世間二多シトイヘドモ、障擬ヲ

ナスベキ縁ナキ人ノ許へハ'カケリ集ル事'更こナシ。サ

レバ法皇ノ御儒慢ノ御心、忽二魔王ノ来ルベキ縁トナラセ

給テ、六十余州ノ天狗共、山門ノ大衆こ入力ワリテ'サシ

モ目出キ前加行ヲモ打サマシマヒラセテ候也。

-大価慢ヲナサセ給ガ故二㌧大天狗共多クアツマリテ、御

荘頂ノ空クナリ候ヌル事コソアサマシク覚侯へ-

右に見る如-'後白河院が山門大衆に虐げられたのは'院自

身の情慢心が原因であるという指摘が大明神によってなされる

のである。前記したように、本文中で後白河院は優れた仏法者と

して措かれていたにもかかわらず'

一転して僑慢心を持つ、仏

法者としてあるまじき姿にされてしまう。しかし'物語はここを

通過点としてさらに展開を見せてゆ-0

儒慢心を指摘された院は'直ちに以下の棟に発話する。

誠仰ノ如ク、丸ガ行法ハ王位ノ中二モ'仏法者ノ中ニモ、

イトマレニコソアルラメト思テ候ツル也。先両界ヲ空こ覚

テ'毎夜二時こ供養法シ給フ御門'上古ニハ未ダキカズト

思侍リキ。別尊法'鈴杵ヲ廿五壇二立タル帝王モ'未ダ聞

ズト思侍リキ。子二臥シ'真二起ル行法、帝王ノ中二ハ未

聞卜思侍リキ。毎日二法花経大部ヲ信読ニヨミ奉ル国王モ、

我朝こハ未聞卜思侍リキ。況三部経ノ持者、秘密港頂ノ聖

トナリテ'本寺本山ノ智者達こモマサリタリトホメラレム

ト思'慢心ヲ発ス事タビく

ナリキ。

即ち、今までの厳しい修行が価慢心を準

えてのものであったと

俄悔を行い'それによって怖慢心の除去に成功するのである。

「今ハ悲憤俄悔ノ風冷シ.魔緑魔境ノ雲'争カハレザラムヤ.」と

いう院の発話により'その事が印象付けられる。また'院は、住

吉大明神と対面して語り合っている事にも偶慢心を起こしかけ

るが、「南無阿弥ダブ-

、此罪障消滅シテ、助ケサセオワシマ

セ」と祈って退けている。

か-て天魔に打ち勝った後白河院は、大明神の指示に従って

四天王寺において伝法渡頂を遂げ'正に

「即身成仏ノ玉井」とな

り、仏法者として宅成する。

更に'物語全体の流れにおいてこの章段の意義をとらえると'

この後第二本の二十七

「入道卿相雲客四十余人解官軍

において、

後白河院の港頂の成功が、伏線としての役割を果たしていたこと

がわかる。清盛は四十二人もの卿相雲客を解官するという尋常で

ない行動にでるが、このことについて、作者自身の言葉で

「天魔

外道ノ、入道ノ身二人替こケルヨトゾミヘケル」と記す。またあ

る人は、入道の身に入った怨霊が、保元の乱で敗れた纂徳院と源

為義であり、元々後白河院に入ろうとしたが

「此ノ御所ニハ御行

ヒマナク侯也。其上只今モ御行法ノホドニテ候」ということで'

代わって清盛の心に入ったという夢を見たという。作者はここで

一貫して後白河院を墓壁に清浄なる仏法者として描いており'

「法皇ハ常こ御精進こテ御行ヒマナキニヨ(ッ)テ、悪魔モ恐ヲ奉

51

Page 4: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

ケリ」と述べて、倍を欠いたことによって天魔が心に入って平家

の滅亡を招いてしまう怖慢心の清盛と対比している。院をこの

時点で仏法者として、また王法の頂点として、婁壁な姿に描-た

めに、「法皇御港頂事」の中で院に、最後の障害であった儒慢心

を克服させる必要性があったのである。

以上見る如-この独特の展開の中に'延慶本の思想的背景が

窺える事は確かであろう。以下、本章段を読み解-上でのキーワ

ードである

「怖慢心」及び

「俄悔」を中心に'外部資料と併せ

て考察することにより、それを明らかにしたい。

価悼心

仏法者と敵対する天魔が、仏法者に価慢僻恵の心を着けて仏

道心を醒まさせようとしたり、人の心に入れ代わって育った行動

を取らせるという説話は幾つもあり'偶慢心と天魔とは、深い

結びつきを持ってとらえられていたのであろう。本章段において

も、後白河院が天魔を呼び寄せてしまったのは、院自身の儒慢

心に原因があると指摘されていた。ここでは、その情慢心につ

いて、見てゆきたいと思う。

(6)

初めに、天台浄土教の真髄とも言うべき

「往生要集」と、延

慶本本文の繋がりを検討してみる。「往生要集」では念仏が、極

楽往生への有効な手段とされている粥

その念仏の助けとなる方

法を説いたのが

「大文第五、助念の産

である。その第四'止

悪修善の項に、観仏三昧海経からの引用として、念仏三昧を成就

する五つの因縁が説かれその第三のものとして

「情憶を生ぜず」

とある。すなわち儒慢を断つことは、極楽往生のための基礎的

な手練さと舌甲えよう.

また'同じ項に以下のような記述がある。

もし邪念及び貢高の法を起さば、当に知るべし、この人は

これ増上慢にして、仏法を破滅す。多-衆生をして不善の

心を起きしめ'和合僧を乱り'異を顕して、衆を惑はす'

これ悪魔の伴なり。

延慶本において'山門大衆を非難した法皇の発話の中に

「破和合

僧」、「愚鈍ノ闇深シテ儒慢ノ瞳高シ」、「昔ノ捷婆達多ガ伴類也」

などの表現が見られ、前記の箇所と語句的に類似しており、延慶

本、r往生要集」両者の共通の思想的基盤を想定することも可能

ではないだろうか。と同時に、法皇が、自らが山門大衆を非難し

た発話が'自分自身にもあてはまるという延慶本の構造に'皮肉

が感じられる。

また同様に'第六対治魔手の項にも、延慶本と共通する理論

が述べられている。空を観ずれば、魔はつけいることができない

と説き'その理由を大智度論から引用して'

一切の法の中に曹著せず。著せざるが故に達錯することな

し。違錯することなきが故に'魔もその便を得ることあた

はず。曹へば'人の身に癒な-は'毒屑の中に臥すといヘ

ビも、毒もまた入らず。もし小癒あらんには、則ち死する

が如し。

52

Page 5: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

と、説いている。すなわち、天魔

・天狗の妨げを受けたのは、後

白河院自身の心に問題有り、とする延慶本の記述と

一致する。更

に'大方等大集経からの引用として、

他化天魔王'菩提心を発Lt記を受け、願を発して云-~

「我等、現在

・未来の諸仏の弟子の、第

一義と相応して住せ

ん者をば護念Lt供給し供養せん。もしわが教に順はずし

て行者を悩乱せば、即ちかの類をして種々の病を得しめ'

神通を過失せしめん」と。

(取意)明らかに知んぬ、実魔

は便を得ず'権魔は護

するのみ。

とある。天魔も'真実の行者には手が出せず'むしろこれを護る

というのであるから'やはり延慶本において天魔に港頂を阻止さ

れた院は、真の仏法者でなかったことの裏付けとなる。

(8)

次にtr国訳

1切経Jに収められた仏典等における偶慢心につ

いて見てみる。〈9)

若し陰の相を知らば則ち情慢なし。又善-身念を修せば'

則ち偶慢なし、--又智慧者にして若し賓に戒等の功徳あ

らば'則ち懐を生ぜず。

(成賛論巻十

価層

是の船を作し巳らば儒慢あることなし。--若し是の鮭を

作すことあって、執心して道を行ぜば、慢火も焼-こと能

はず。

(修行道地経巻二

分別相口第も

これらの資料は骨、物事をよ-知り、仏道修行に励むことによっ

て偶慢心を除去できるという思想に立脚していると言えるであ

ろうが、であるとすると

「薫修練行ノ御門」であった後白河院

が儒慢心を起こし、それが支障とな-仏道成就がなされないと

いう構造を'矛盾とも受け取ることができるのではないだろうか。

これに対し、他力称名の宗派における情慢心の扱いはどのよ

(_4)

うになっているのであろうか。まず'法然の

枚起請文」

あたる。

もろこし'我が朝にtもろく

の智者達の沙汰し申さる、

観念の念にも非ず。又'学文をして念の心を悟りて申念仏

にも非ず。たゞ

往生極楽のためには'南無阿弥陀仏と申て

疑な-往生するぞと思ひとりて申外には別の子細候はず。

但'三心四修なんど中辛の候は、皆決定して南無阿弥陀仏

にて往生するぞと思う内に集り侯也。此外にお-ふかき事

を存せば'二尊のあはれみにはづれ'本願にもれ侯べし。

念仏を僑ぜん人は'たとひ

1代の法を能々学すとも'

1文

不知の愚どんの身になして尼入道の無智のともがらに同し

て'智者のふるまひをせずして'唯

一向に念仏すべし

ここでは、前記の仏典等に比べ'学問的なものや、修行の意義が

薄れ'念仏にのみ書

…が置かれており、尚且つ'智者が肯定すべ

き存在でな-なっている点が注目される。また'法然から少し時

代が下って、

一遍になるとその思想はより強化されてゆく。二

遁上人語臥f〉には以下のような記述がある.

53

Page 6: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

-自力の善は七慢九慢をはなれざるな-。故に、備慢弊僻

怠難以僑此法

(儒博と弊と僻息とは以てこの法を信じ難)

といひ、三業起行多情慢

(三業の起行は怖慢多し)とも釈

するなり。無我無人の南無阿弥陀仏に帰しぬれば、学べき

人もな-、-だるべき我もなし。-

-自力の時'我執儒博の心はおこるなり。其ゆへは、わが

よ-意得、わがよく行じて生死を離るべしとおもふ故に、

智慧もす

、み行もす

ゝめば、我ほどの智者われ程の行者は

あるまじとおもひて、身をあげ人を-だすな-。他力称名

に帰しぬれば、備慢なし、卑下なし。其故は'身心を放下

して無我無人の法に帰しぬれば、自他彼此の人我なし。田

夫野人尼入道愚痴無智までも平等に往生する法なれば、他

力の行といふなり。般舟帝に、三業起行多価憶といふは、

自力の行なり。単発無上菩提心。廻心念生安楽といふは、

三心をす

、むるなり。自力の行は備慢おはければ、三心を

おこせとす

ゝむるなり。

ここにははっきりと自力の行の否定がなされ'殊に圏点部分

は、院が厳しい修行を積むことによって価慢心を起こすという

延慶本本文の記述に見合っている。

ところで、他力称名の思想が確立されていった頃と同時代に

おける「自力の行」の考え方は如何なるものであったのだろうか。

r推邪輪Jを記して法然に反論した華厳宗の明恵の思想を、r栂尾

(柑)

明恵上人遺訓」から以下に引-0

人骨に云-、「物をよ-知れば、儒慢起ると云事不心得。物

を能知れば'儒慢こそ起らね'儒博の起んは能知ぬにこそ」

と云々。

末寺の塔を、

一健口にて見たる程に'仏性を見たらん者は、

終に九健へ至らんが如し此草庵て、有がたしと云々。

仏法者と云は'先心が無染無著にして、其上に、物知りた

る学生、験あれば験者、真言師とも云也。能もな-、験も

なきは、無為の僧なるべし.若練に有所得ならば'更に仏

法者と云ふに足らずと云々。

ここから'明恵の思想も先に挙げた仏典類と同様、自力の肯定に

他ならず'更には他力称名的思想の

「智恵否定Jへの明らかな反

論も見られることがわかる。

即ち自力の行では'修行に励み、物事をよ-知ることによっ

て儒慢を生じな-なるとするのに対し'他力称名では'逆に智

恵者こそが価憶を生ずるとしてお-、真向から対立する構造と

なる。前述の如-

「法皇御漫筆

では'院が自力の行を修し、

智恵を得ることによって惰慢心を生じているわけであるが'本

妻段において、その思想背景が他力称名的なものに裏付けられて

いるのかというと、それは、もう

一つのキーワードである

「俄悔」

を考えあわせることにより、新たな側面を見せるのである。

価悔

後白河院が仏法者として完成するために不可欠であったとい

54

Page 7: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

ういう点から、本章段におけるもう

1つのキーワードとして位置

づけられる

「俄悔」は'外部資料ではどのように扱われているの

であろうか。再び

r往生要集lに拠ってみると、「大文第五

念の方法」の第五に、俄悔衆罪という項が立てられている。ここ

では俄悔の方法や重要性が説かれているが'その中から、延慶本

本文の読解を深めるのに有効な箇所を見てゆきたい。初めに大股

浬薬経'大智度論から

「もし罪を覆へば'罪則ち増長す。発露俄

悔すれば、罪即ち消滅す」「身

・口の悪を悔いずして仏を見たて

まつらんと欲するも'この処あることなし」とそれぞれ

1節を引

用しながら、「もし煩悩の為にその心を迷乱して禁戒を殴らんに

は、応に日を過さずして、俄悔を営み修すべし」と俄悔を勧めて

いる。また、心地観経より'

在家は能-煩悩の因を招き

出家もまた清浄の戒を破る

もし能-法の如-俄悔する者は

所有の煩悩、悉-皆除か

(乃至)

俄悔は能-三界の獄を出で

俄梅は能-菩

提の花を開き

俄梅は仏の大円鏡を見

俄悔は能-宝所に

至る

以上のように引用している。即ち俄梅というものが、罪を消滅し、

仏法者としてtl窒エなものになるために重要な意義を持っていると

する思想が窺われ'ここでもやはり、延慶本と往生要集との密接

な関連を裏付ける形となっている。

また、往生要集に引用されている以外の興味深い仏典類を、

先程と同様に、r国訳

1切監

〉から、以下に引く。

善男子、若し未来世の諸の衆生等'生老病死を度脱するこ

とを求めんと欲して、始学に発心して禅定と無相の智恵と

を修習せん者は'応に先づ宿世に作せる所の悪業の多少及

び軽重を観ずべし。若し悪業多摩なる者は'即ち禅定と智

恵とを学ぶことを得ざれ。応に先づ俄悔の法を修すべし。

所以は何ん。此の人の宿習の悪心猛利なるが故に今現在に

於いて必ず多-の悪を造り重禁を敦犯せん。重禁を犯ずる

を以っての故に'若し儀悔して其れをして清浄ならしめず

して、禅定智恵を修する者は、則ち多-障擬有って魁獲す

ること能はず。或は失心錯乱し、或は外邪に悩され'或は

邪法を納受して悪兄を増長せん。是の故に当に先づ俄悔の

法を修すべし。若し戒板清浄に及び宿世の重罪徴薄なるこ

とを得る者は則ち諸陣を離れん。

(占察茎

報経巻Jl35〉

それ大乗の法に人らんと欲する者は'先づ須ら-、無上菩

提心を発して'大菩薩の戒を受け'身器清浄にして'然し

て後に法を受-べし。略して十

一門の分別を作す。第

一発

心門、第二供養門、第三俄悔門'第四帰依門、第五発音捷

心門'第六間避難門、第七講師門'第八掲磨門、第九結戒

門、地平丁修四摂門、第十

一十重戒門

・・・・・・

-汝等、若し如上の七逆罪を犯さば、応に須ら-衆に対し

て'発露俄悔すべし。覆蔵することを得ざれ'必ず無間地

獄に堕して、無量の昔を受けん。若し仏教に依て発露俄悔

する者は、必ず重罪を消滅して、清浄身を得'仏の智恵に

55

Page 8: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

入て、速に無上正等菩提を謹せん。若し犯さざる者は、但

自ら無しと答ふべし。

(無畏三蔵要

1、受戒艶

世尊、告げて日-、r善い哉'善い哉。汝等、乃ち能く是の

如-漸悦し発露して俄悔せる。我が法の中に於て、二種の

人有りて'「無所犯」と名-。

一には'真性専精にして本来

犯さず。二には'犯し巳つて漸悦し発露して俄悔す。此の

二種の人は、我が法の中に於て'名けて

「勇健にして清浄

を得たる者」と為す。」と。

(大乗大集地蔵十輪経巻第七

度甘第五や

これらの記述から俄悔の意義を考えてみると、仏道を修める

者にとって、俄悔を行うことが、欠-ことのできない重要な手続

きであることがわかる。更に、俄悔を行うことによって、初めか

ら罪を犯さない者と同様に扱われるようになるわけである。又、

〈2~)

「雑阿含経巻第四百三十

第六十八衆諦

一八衆相応」には、

二種の浄法、噺と悦があるが故に世間は

「父母乃至師長尊卑の序

有るを知る。則ち混乱すること畜生趣の如-ならず」とある。漸

悦俄悔によって畜生趣を脱することが可能であるとすると'住吉

明神の語る偶懐の僧が天魔や畜類になったのも俄梅の心を欠い

たためだといえる。更に、前掲の

「占察善悪業報経」の中には、

身口意が清浄になった者には

「天魔波旬も来って破戒せず」とい

う興味深い一節もある。正し-、後白河院が儀憶を行い、身口意

を清浄にすることによって、天魔に打ち勝つという延慶本の構想

はこれらの思想に基づいていることになろう。この構想を物帝全

体の流れとの関わりにおいてとらえるならば'院は俄梅によって

仏法者として完成し天魔を寄せつけな-なったために、「天魔外

道」は院ではな-、清盛の身に入れ替わり、平家滅亡へと繋がっ

てゆくのであるから、「俄梅によ-僑慢心の除去に成功した後白

河院」を描-ことこそ、この章段の主眼であると解釈できよう。

そこで以下、「俄梅の重要視」といユゝ止揚から、改めてこの構想

を支える思想を追求してみたい。

儒慢心というものについては自力の行であっても、他力の行

であっても否定されていることには変わりがない。又、前記した

ように、自力の行において俄悔は大変重要な意味を持ち、仏道成

就には不可欠なものでさえあった。今、他力の行における俄梅の

あ-方とは如何なるものであったかを考えることによってこの間

蔦の1端を明らかにすることができるのではないかと思う.

浄土往生に際して俄梅を重視した善導は、その著書でも俄梅

について詳述している。中でも自力的な儀梅の特色が現れている

(2)

のが

r往生礼譲Jである.その中で善導は、上

・中

・下の三品

の俄梅について以下のように記す。

俄悔。有F711盲ml

上中下ナリ

上品ノ俄悔卜者

身ノ毛孔ノ中ヨリ血

流レ

眼ノ中ヨリ血出″者ヲ名fTT上品ノ俄悔」

中品ノ俄悔卜者

遁身

。熱汗従FW孔1出テ

眼ノ中ヨリ血流″、者ヲ

名TJ中品ノ俄悔丁下

品ノ俄悔卜者遍身徹シ

テ熱ク

眼ノ中ヨリ涙出″者ヲ名TTT下品ノ俄悔丁

此等ノ三晶

錐川モ有コ差別一

即チ是レ久ク種霊解脱分ノ善根↓人ナ

到は使En与

今生。敬川法ヲ重ル人ヲ不レ情.

身命丁

乃至小罪マ

56

Page 9: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

チモ若シ俄スレハ即チ能ク徹ル

心。徹加レ髄。

能ク如〃

此俄スレ者不レ問]ハl

久近丁

所有ノ重障頓。皆滅壷ス

(23)

また、r観念法門lでも同様に

「汝当Ll向プ諸ノ大徳僧衆t.L発露悔過

シ随二順シテ仏語ノ藤プ仏法衆ノ中t十五鉢ヲ投ルナ地t妬]l大山ノ崩㌍ヵ向け仏。

俄悔巴

と記しており、厳しい俄梅によって滅罪し、仏道を成就

できることが説かれている。ところが、善導は

一方では

r般舟讃」

(24)においては'

門門不同tI'ンテ八万四ナルハ

利親ハ即チ是レ弥陀ノ号ナリ

為けり滅誓力無明卜果卜業因弓

一声称念スレハ罪皆徐ク--

1切ノ善業廻シテ生スルノ利ア

レドモ不レ如三尊ラ念Ft″。ハ弥陀ノ号丁

念念ノ称名ハ常ノ俄悔ナリ

人卜能ク念はレハ仏ヲ仏環テ憶シ玉フ・

・・・・・

。執〇番櫨丁数.'l俄悔丁数テ令FILl合掌シ念F;弥陀T

シメ

1Rノ称仏徐コ衆苦1

五百万却ノ罪消徐セリ--

等と述べており、称名による滅罪を重点的に説いているのである。

このことについて、坪井俊映(鹿は、「礼拝行

(往生礼請)、経典

読請、講演

(法事諌)'観想見仏

(定善義、観念法門)を修して

浄土往生を願ずる場合には、実に厳しい俄悔行儀を修すべきこと

を説いているが、称名による浄土往生を願ずる場合

(散善義、般

舟誇)には称名滅罪説、称名俄悔説を説いて、俄悔行儀は説いて

いないのである」と指摘している。また、「往生礼讃Jの

一節

「即是久種

解脱分善根人」から窺える様に、厳しい俄悔行儀は、

相当に仏道修行を重ねてきた人の修するものであり、このことと

(2)

称名滅罪の関係についても坪井氏は、「r往生礼讃」に説-ごと

き厳しい俄悔自責の行を修する人は解脱分の善根を植えた十住、

十廻向位の人であり'三界に流転する九品の凡夫は

「礼請Lに説

-ごとき厳しい俄悔の行は到底出来ないから'称名による滅罪'

称名俄悔を説-ものと考えるのである」と推測している。この坪

井氏の論に基づいて考えると、俄梅を修した後白河院は解脱善根

の人という解釈が成り立ち'よ-院への賛嘆が強いものになって

ゆ-のである。ところでtより

一層興味深いのは、同様の思考が

法然にも見られたとする氏の指摘である。法然の著書語録を見て

も俄悔についてはほとんど説かれていないが'その理由は'法然

r往生要集」を解説した

r往生要集監

〉における

一節に明ら

かにされている。

-往生要集は、称名念仏をもって往生の重要とす。二に'

「第五門に約す」とは、これについて、また六法あり。

一に

は方処供具、二には修行相貌、三には対治僻怠、四には止

悪修善、五には俄悔衆罪、六には対治魔手なり。この六法

の中に、第二

・第四の二門をもって往生の要とLt第

一・

第三

・第五

・第六の四門、これ往生の要にあらざるが故に

捨てて取らざるなり。

法妖ば修行相貌と止悪修善についてはこれを重んじているが、先

刻から間蓮化している俄悔については

「捨てて取ら」ぬという。

57

Page 10: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

ところが、

では法然もまた,「元享釈OtJR〉に

「晩見倍師往生

要集。乃棄所業。侶浄土専念之宗。承安四年。出黒谷居洛兼吉水

盛説専修及円頓菩薩大戒。」と見える棟に、専修念仏を説-よう

になってからも、天台宗の円頓戒における伝承者としても名が通

っている.又,福井康順tRは,法然が終生天台教団を離脱しな

かったこと、「行」は選択集に拠っていても教学を捨ててはいな

いことなどを挙げ、「内専修外天台」の態度と指摘し、小林智昭

〈30)氏も、法然が

「「捨」「閉」「潤」「地」を高調する聖道門に於て

盛行する

「授戒」の雑行形式をそのまま自身に行っている-'

「玉葉」には頻繁に

「授戒師」としての法然像を見出すことがで

きる-」と述べている。この法然の二面性について、先の坪井氏

の釦では

「法然は本願念仏による浄土麻生の場合には俄梅は要

行とせず廃捨して、滅罪については称名滅罪説をとるが、それ以

外の行を修する場合'即ち、授戒、追善の六時礼誇行、「阿弥陀

経」読諭の俄法の時には、仏教

一般の例に準じて俄博を説き、俄

悔滅罪説を説かれたものと思う」と推測している。

(氾)

尚'

1遍に到ると'善導の

r般舟讃J

に依って、称名のみを

(3)

俄梅としているようである。以下に

通上人語録Jから、そ

れを示す。

又云'「如来の禁戒をやぶれる尼法師の行水をし、身をくる

しむるは、また-これ俄梅にあらず、たゞ

自業自得の因果

のことはりをしるばかりなり。真実の俄悔は名号他力の俄

悔なり。故に、念々称名常俄悔

(愈々の称名は常の儀悔な

り)と釈せり。自力我執の心をもて俄憶を立べからず。

ここにおいて、自力的な俄悔を41窒工に排除する姿勢が明らかとな

る。こ

の章段を支える思想についてここで改めて考えてみると'

それが天台浄土教的なものであるか、法然以降の絶対他力的なも

のであるか、即ち、自力の肯定か、他力の肯定

(=自力の否定)

か、という選択をするならば、童段の柱が

「発露俄悔」にあるの

だから、「自力の肯定」と理解できるだろう。本文中から、改め

てそのことを裏付けると思われる箇所を引-。住吉明神の書

の、天狗についての説明部分に以下のような、発言がある。

ヨキ法師ハ皆天狗ニナリ候アヒダ、其数ヲ不申及。大智ノ

僧ハ大天狗、小智ノ僧ハ小天狗、

一向無智ノ僧ノ中二モ随

分ノ慢心アリ。ソレラハ皆畜生道二堕テ打ハラレ候、モロ

ノ馬牛共、是也。

つまり、智恵があっても無道心で'怖慢心を持っている者は天

狗道に堕ち天狗となるが'

一向無智にして価慢心の者は畜生道

に堕ち、馬や牛になってしまう。この部分を見るに、同じ儒慢

心の者ならば智恵のある者よりも、無い者の方が'より一層苛酷

な報いを受けていることがわかる。ここで主張されていることは、

智恵の否定でな-、無道心や、怖慢心の否定に他ならないだろ

う。そのように解釈すると、院が積んできた種々の修行、言い換

えれば、「自力の行」や

「余行」であるが、これらについては決

して否定されるものではない、ということになろう。

延慶本では、院を、「真言師」と位置づける意図が見られ'院

58

Page 11: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

と真言宗との関わりを示している箇所も多いが、院が真言宗に深

-精通していたことを老慮して、改めてこの

「余行」をどうとら

えるか考えてみると、絶対他力的な思想では'念仏以外の余行は

排せられるべきものとして記されていた。一方

「往生要集」では、

「大文第九

往生の諸行」に以下のように記されている。「極楽

を求むる者は'必ずしも念仏を専らにせず。すべから-余行を明

しておのおの楽欲に任すべし」即ち'念仏以外の余行も往生極楽

に結びついてゆ-とい,呈口…からも本童段が

「自力の行」をも肯定

する

r往生要集J的な思想に支えられていると考えられるのでは

ないだろうか。

以上'情慢心及び俄悔について外部資料と併せて見てきたが、

本章段の当該部分

(院の情慢心1俄悔による除去1仏道成就)

の持つ思想について改めて考えてみたい。この章段の意図すると

ころについて、二通りの解釈が成り立つのではないかと思う。ま

一つには他力往生側の思想に立った'「自力の行に励んだ智恵

者は情慢心を生じて天狗や畜生になってしまう」という自力否

定の考え方であり'住吉明神の指摘はそれを裏付けるものであっ

たとする解釈である.もう

1つは、「自力の行においてなかなか

離れられぬ偶慢心をも俄悔によって超越した後白河院への称賛」

或いは

「俄悔の重要性」を証明することを主眼としているtとす

る解釈である。今ここに'いわゆる

「自力の行」の僧である華厳(34)

宗の明恵の言葉を'死後にその弟子の長円が記した

「却廃忘記」

から、興味深い1節を引-0

勤行之人ノ魔道こ堕ルト、世間二人ノイフ事、其謂有事也。

魔卜者具こハ魔羅卜云フ是障擬之義也。三業ノ中二身語二

業こ神呪等ノ行アレバ、タチマテこ地獄等ノ極苦ヲウケズ

ト云トモ、意業こ菩提心無ガ故こ'魔道こ趣ク、極タル道

理ナリ云々。

正し-延慶本本文中の住吉明神の発話における'「無道心ノ智者

ノ死レバ'必ズ天魔卜申鬼二ナリ侯」「仏法者ナルガ故こ地獄こ

ハヲチズ。血蓮心ナルガ故こ往生ヲモセズ」「天魔ノ来迎こ預テ、

鬼魔天卜申所二年久下云ヘリ」等と

一致するところである。又'

(35〉

明恵自身の記した

r栂尾明恵上人遺訓Jに依ると、

怖慢と云物は、鼠の如し。玲伽壇の梱りの諸家の学窓にも、

-ゞり入る物なり。我常に是を両様に申す。自ら知ずして、

他の能知られんに博して、不問不学大なる損也。又我より

劣-たらん者に向て、儒博して詰臥て'又何の益かあらん。

寿無益なり。をろ能もあり'品も定まる程より'はや骨橋

憶の起るなり。

とある。即ち、真言などの自力の行者が偶慢心を起こしやす-'

魔道へ堕ちやすいことは

「世間二人ノイフ」ところであり、自力

の僧自身が自責の意味も込めてか、記しているのであるから、自

力の行が儒慢心と結びつき'天魔になる可能性の高さ

(或いは

そういった認識の浸透具合)を物語っていよう。そのことを考慮

に入れると、真言の行法を立派に修しながら、自力の行者とし

て偶慢心を克服した後白河院への諌嘆を'この部分のテーマと

59

Page 12: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

して解釈することが、より妥当性を持っていると言えよう。

延鹿本における仏教思想的特色

以上、「僑慢心」及び

「俄悔」を中心に、「法皇御港頂事」の

章段を考察してきたわけであるが、この章段の支柱になっている

のは、「惰慢心の排除」そして

「俄悔の重要視」であったといえ

よう。そして、延慶本において俄悔が重視されていることにこそ'

延慶本の思想が表れているのではないかと田やっのである。と1亨っ

のは、儀梅というものが、天ム皇不の顕教儀礼の中心として修され

るものであるからである。その儀梅が重要視されているというこ

とは、延慶本に天台宗の思想が投影されていることを表している、

とも考えられるのではないだろうか.

天台宗と俄悔との関係は、天台智顔が、止観実修の行儀とし

て、諸経に基づ-儀法額を四種に位置づけて四種三昧としたこと

に端を発するだろう。そしてその後は、朝題目夕念仏'朝俄法夕

例時とも言われるように、中でも法華俄法

(半行半坐三昧)と、

例時作法

(常行三昧)の二種が、天台宗の顕教儀礼として盛行し

た。以上の事実は'天台宗と俄悔との密接なつながりを浮き彫り

にしているのではないかと思う。

更に'後白河院による俄悔をクローズアップしてみると、よ

-

1層、天台宗の影響を見て取ることができるのである.天納侍

(&)

中氏によれば、今も毎年五月十七日に叡山大講堂にて行われる

「桓武天皇講」の原型である

「宮中御俄法講」は、後白河院が、

宮中における仏事として修したのが初めであるという。この御俄

法は、いわゆる法華俄法であ-

rjH小姑以来自己が造作するところ

の六枚の罪障を沸泣して発露俄悔し、その1切の罪業の障りを除

き'--」という発露俄悔が行われていたという。このことから、

延慶本において、後白河院による発露俄悔が重要な意味を持って

-るのも'天台宗の影響と考えられないだろうか。

(37)

後白河院と天台宗との関わ-は、r

梁塵秘抄Jにも見ることが

できる。

天台宗の長さは'般若や華厳摩討止観'玄義や釈義倶舎額

疏'法華経八巻がその詮議

(巻

第二)

朝には俄

法を諦みて大

根を俄悔

し、夕には

阿弥陀経

を諦み

て西方の

九品

往生を祈る事五十

日勤め祈-き

。--(口伝集

十巻)〈粥)

どちらも、院と天台古平との深いつなが-を示していよう。天納氏

は、後白河院が禁中で俄法を始めたのは'「院が天台教学に深-

通達しておられたことと、天台

法華の教学が当時の王朝文化の思

想的基盤として、倍仰として'

教養として敷術していたからであ

ろう。」と述べており、いずれにしても'俄悔が重要視され、院

自身による俄憶も重要な意味を持つという延慶本における構想

を、延慶本と天台事との深い関わりを想定する材料と考

えること

は不白疾…ではないと思う。

又同様に、天台浄土教との関わりという観点から述べるなら

ば'延慶本における源信の思想的影響は多大なものであると壬苧え

60

Page 13: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

よう。r往生要集」と延慶本とが思想的に共通する部分の多いこ

とは、いくつか具体例を挙げて述べてきたが、天台浄土教の真髄

とも言える

r往生要集Jが延慶本に多大な影響を与え、時に物語

構想の中心にも関わっていることは1層、延慶本と天台tl不との結

びつきを示すことになろう。

ところで、こうした天台浄土教の影響を考える際、それを

「法然義」と結び付けて考えることによって、延慶本における浄

土思想の別の一側面が見えて-る。これまで本稿でも法然の著作

や思想については若干ふれてきたつも-だが'延慶本において、

明らかな浄土tI望見弔

殊に他力往生止是

の意向が窺える箇所とし

て、第

一未

「康頼鬼界島こ熊野ヲ祝奉事」の章段がある。今'こ

の部分について少し言及したい。

この章投では、鬼界島へ流罪となった康頼、成経、俊寛の、

その後の運命を決定付ける要因が措かれている。まず、直接的な

要因として、鬼界島における熊野参詣を行ったか否かが挙げられ

ることは確かであろうが、同時に考えられるのが、康頼と俊寛の

仏教観の違いである。延慶本本文中、両者の間で交わされる仏教

論争から、それぞれの信仰を察すると'俊寛は禅を以て最高の法

門となし、一方で卿律師本空という人物の言葉を借りてはいるも

のの、真言、天台、浄土宗については、これを

「瓜ノ皮法門」と

噸っている。対して康頼は、「聖照ハ鈍根無智ノ者こテ侯間、真

言教こハ加持ノ即身成仏、浄土宗ニハ他力ノ往生'此ヲ信テ候也」

という発話から明らかなように'真言宗、及び浄土宗を信仰して

いる。この後の展開の中で'康頼が帰洛を果たし'俊寛がこの島

で壮絶な最期を迎えることを考慮すると、作者が康頼側の思想を

持ち'それを肯定すべ-'俊寛と対比させたと1亨見るのではない

だろうか。

以上述べてきたように'延慶本には、浄土宗や他力往生を肯

定する意向も見えるが、巨視的に見れば、「自力の行も肯定する」

という思想がより濃厚であり'法然の思想を

「専修念仏」「絶対

他力」という側面においてのみとらえるならば'法然的な思想の

影響は希薄であると言わねばなるまい。ところが、時代が下って、

法然門下の時代になると、例えば聾

の様に鴇対他力強調の方向

を示す者もいるが、一方では'西山流の証空や'九品寺流の長西

の棟に'天台的な考えを取り入れたり'聖道仏教に妥協的になる

(39)

者も出現することが知られている。先行論文の中にも'こうし

た、法然門下における天台浄土教への復帰に注目したものは多-'

例えば小林智艶

は,「これらの二師

(証空,長西)はいずれも

法然の教説によりながらまたこうして反法然的契機を内包するも

のであり、法然義の意味するところ'まことに複雑に多端なもの

がある」「-法然義の名のもとに'専修念仏義と天台系的観心念

仏、諸行往生思想とが同居Ltそれは平家物語の多角的な浄土思

想と'なんらかのつながりをも示唆するように思われる-」と述

べ、福井康

は,「腐れば今の

「平家」の随所に法然義が見出

され、その多-が一見、「非法然的」であることは、それが西山

義すなわち今の西山浄土宗の教義内容であるがためなのである」

と'西山義との関わりを指摘している。西山義については'第六

未廿五

「法皇小原へ御幸成ル事」において'建礼門院の庵に善導

の御影がかけられておりtr般舟許し発見の跡も見られることか

ら、そこに西山義の影響が見られるのではないかという'福井康

61

Page 14: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

,瓜藍

の指摘があった.

前述の如-、延慶本には自力の行を肯定する意向が見えるが、

同時に法然の影響も窺われ、康頼によって「浄土宗の他力の往生」

が肯定されるという面も併せ持っているわけであり、この

「二面

性」を考慮すると、延慶本に見える思想を、法然門下の証空や長

西らの思想と考えることもできる。

今'本稿で中心に取り上げた

「法皇御荘頂事」の章段をクロ

ーズアップして考えてみると'先述のように'天台宗の影響が濃

厚であるということは明確であり、一方、法然浄土宗やそれ以降

の思想を反映している箇所というものは特筆する点がなかったと

いえる。延慶本全体の仏教思想を考える上では、法然門下の思想

の影響も十分考えられようが、本章段に限って言えば'法鉄拳

宗とは離れた、r往生要集」を中心に据えた天台浄土教がその思

想を支えていると考えられるのではないだろうか。

(注)

(-)「浄土教芸術としての平家物語」r解釈と鑑井」十六巻十号

一九五一年十月

(2)「平家物語の仏教思想的性格-行長原作説を疑う⊥

r文学」

二七巻二一号

・一九五七年

二一月

(3)「平家物語にあらわれた浄土教」r仏教史学】十巻二号

・1九

六二年七月

へ4)「仏教文学研究の課題-法然義の開港をめぐって⊥

『続中

世文学の思想』笠間書院

九七四年一二月

(5)福井氏は、法然義を

「法然上人源空の人もし-は教説に関連

している記述の全て、いわば

『法然色』ともいうべき全てを

(語弊もあるが)呼ぶことにする」としているがこれに対す

る諸氏の論文では、法然義を、法然浄土宗における、それ以

前の浄土教とは異なった、新仏教としての教義、のような意

味でとらえているものが多いようである。

(6)日本思想大系6

F源信』岩波書店

九七〇年。以下、『往

生要集Lは、全てこれを用いた.

(7)巻下

「大文第七

念仏の利益」に詳細な記述がある。

(8)大東出版社蔵本国訳一切経を使用した。

(9)【仏教誇大辞典」(東京書籍

・一九七五年二月)によると、

「陰」とは

「集まり」のことであり、「五陰」とは、あらゆる

存在を以下の五つの集まりの関係においてとらえる見方のこ

とである。

①色

(物質および身体)

③受

(要

任用)

③想

(心に浮

かぶ像)

④行

(意思)

⑤識

(札別作用)

すなわち

「陰

の相を知る」とは、あらゆる物事をよ-知ること、と解釈で

きるのではないだろうか。

(10)「国訳一切経】静集部-3

八日)白骨観のこと。食欲を除き、惑業を離れるために修する九種

の観想のうちの一つ。死屍の身内がすでに尽きて、ただ自骨

のみ狼籍するのを鶴ずる.r仏教誇大辞典】(東京書籍

・一九

七五年二月)参照。

(12)注

八日)に同じ。

(_3)【国訳一切経】経美都-4

(t4)日本古典文学大系83

【仮名法雲

岩波書店

九六四年所

収。

(15)注

入14)に同じ。

(16)注

(14)に同じ。

(17)大東出版社蔵本国訳一切経を使用した。

62

Page 15: 延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - Chiba Uopac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900052041/Nihonbunka_01...延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 「1法皇御港頂事」を中心に-早

(18)『国訳一切経』

(19)『国訳一切経」

(20)『国訳一切経』

(

21)『国訳一切経』

へ2

2)『浄土宗全書』

経集部-15

密教部

-3

大集部

-5

阿含

-3

4

(23)注

入22)に同じ。

(加)注

入22)に同じ。

(25)「善導大師の儀悔と法然上人-称名念仏と俄梅について-」

『浄土宗学研

究』第12号

九七九年三月

(26)前掲注

(25)論文

(27)日本史想大系I0

r法然

・1遍』岩波書店

九七1年所収.

(gSV新訂増補国史大系第31巻

・吉川弘文館所収。

(29)

「法然上人の捨聖帰浄について-

回心と聖道門との関係-」

日本名僧論集第6巻

『法然』吾川弘文館

九八二年十月所

収。

(30)「仏教文学研究の課題一法然義の間麓をめぐって⊥

【続中世

文学の思想』笠間書院

九七四年

1二月所収。

(31)前掲注

(25)論文

(32)注

入22)に同じ。

(33)日本古典文学大系83

【仮名法詩集』岩波書店

九六四年所

収。

(34)日本思想大系15

「鎌倉旧仏教』岩波書店

九七一年所収。

(35)注

(33)に同じ。

(36)「宮中御俄法講について」r伝教大師と天台宗j(日本仏教宗

史論集第3巻)吉川弘文館

・一九八五年五月所収。

(37)日本古典文学大系

73『和漢朗詠集

・梁塵秘抄』岩波書店

九六五年一月所収。

(38)前掲

(36)論文

(39)証空は浄土宗の奥義をきわめ、法然の門弟中高い地位にあっ

て、その教義も

「念仏1賛往生、諸行不生義」という特色を

もっているが、法然浄土宗入門以降も天台教団との関係は絶

たず、日野の願蓮について天台学、政春について台密の研鎌

を始め、慈円の譲りを受けて西山善峰寺北尾往生院に移り住

んでいる。また'長西に到っては、称名念仏以外の余行も'

阿弥陀仏の本願に誓われた行

(諸行本願)であり、これらの

行によっても橿楽浄土へ往生できる'と余行肯定の教義を打

ち立てている。

(仰)「平家物語と仏教」r文学】

1九六四年九月

(41)「平家物語の仏教思想-特に法然義について-」佐々木八郎

博士古稀記念論文集

F軍記物とその周辺』

一九六九年三月

(42)前掲注

(41)論文

(43)「平家物語港頂巻の仏教史的考察T

「九帖の御書」「善導の御

影」について⊥

r国語と国文学』一九六六年五月

(はやさか

さちこ・

千葉大学文学部日本文化学科第47回卒#生)

63