延慶本『平家物語』の浄土思想的背景 - chiba...
TRANSCRIPT
延慶本『平家物語』の浄土思想的背景
1
「法皇御港頂事」を中心に-
早
坂
幸
子
はじめに
「平家物語」が軍記物というジャンルに属し、合戦の様を措
き'人々の死を措-特質を持つということは、そこに、宗教的な
ものが共に措かれる可能性を内包していることになろう。武士な
らずとも、動乱の時代を生きた人々にとっては、死はいつも身近
なものであって、惨いこの世よりも、死して後の長い時間を極楽
に往生し、心安-暮らしたいと願ったのも当然のことと思われる。
中世において仏教が広-流布したのも、そんな時代を反映してい
r為のであろうかOそして'「平家物語」においても、仏教思想、
特に浄土思想は色濃-反映され、時には物語の中核をも担ってい
る。
(I)
かつて家永三郎氏は、「平家物語の中心主蔦は浄土教の信仰に
ある。浄土教信仰の芸術的表現が、平家物語の究極の目的であっ
た」と述べた。そして、平家物語に見られる浄土思想が
「往生要
集に操りながら、源信その人の浄土教ではな-、薯
仏教的に
解釈された浄土教であると認められる」と指摘し、早-も、その
後の平家物語の仏教論争の萌芽ともいえる発言をした。そしてそ
の後、この平家物語における浄土思想について、いわゆる
「法然
義」をめぐる論争が繰り広げられた。「法然義」の語を導入した
(2〉
福井康順氏は平家物語の仏教思想が'「浄土教そのものではな-
て実は浄土宗にまで及んでいる」とし,渡辺貞麿毒は
「源空以
前の平安朝的な浄土教の形態が色濃-伝承せられている」と反論
し、その後もこの論争は、様々な切-口から成された。しかし、
この論争では、平家物語に見られる浄土思想が'王朝以来の平安
浄土教か、それとも苦
仏教の法然浄土宗のものか、という問
題以前に,小林智島
が
「両説の分かれるのは、まず法然義そ
のものの受けとめ方の相違にあると思われるが-」と指摘してい
(r))
る如-、「法妖#Jの定義そのものが問題化されるだろう.
49
本稿では、平家物語の諸本の中でも、特に浄土思想的色彩が
濃厚に表れており、尚且つその浄土思想がより粗削りな形で取り
入れられている、延鹿本をテキストとして用いながら'そこにど
のような浄土思想が見られるかを考察してゆこうと思うが、平家
物語における浄土思想を考証した先行論文では'テキストとして
覚
一本を用いているものも多いのでそれらの論文を常に考慮に入
れつつも、柔軟な姿勢で当該記事の考察を進めていきたいと思う。
そしてその考察を通して、延慶本における浄土思想の聾
の一端
を眺めてみたい。
一
「法皇御溝頂事」の展開
延鹿本
「平家物語」を、どのような浄土思想が投影されてい
るかという観点から通読していった時、最も注目されるのが第二
本の二
「法皇御港頂事」の章段ではないだろうか。延鹿本では'
後白河院の三井寺港頂が山門の大衆によって妨げられ、結局、四
天王寺にて行われるという
一連の流れに'三部経についての説明'
院の嘆き'仏法伝来'住書大明神との天魔問答'道宣律師説話、
四天王寺縁起など、様々な記事が盛り込まれてゆく。いずれの記
事も仏教関連記事である、というよりもむしろ、延鹿本作者の仏
教観が前面に打ち出された箇所といえるだろう。
これらの記事の中で、とりわけ物語上の大きな転機となって
いるのが前記の天魔問答である。まずはこの天魔問答の位置とそ
の意義を確認する。
後白河院は
「真言教ノ依経」である大日三部経を受けている
が、これは、受持読諦すればその身が大日如来になるという砂典
であり、また後白河院自身についても'以下のように'仏法者と
しての優れた姿が記されている。
後白河法皇、黍モ親行五品ノ位二心ヲ懸マシ-
テ、法花
修行ノ道場'五種法師ノ燈ヲ挑テ、七万八千余部ノ転読也。
上古こモ未承及。何況末代こヲイテヲヤ。十善玉鉢ノ御衣
ノ色'三番護摩ノ煙ニス、ケテ'即身菩捷ノ聖ノ御門トゾ
ミヘサセ給ケル。
其ヨリ以来、仏法修行ノ貴購、其数多卜云ドモ、此法皇程
ノ兼修練行ノ御門ヲ未承。子こ臥シ真二起キサセ給フ御行
法ナレバ'打解テ更こ御寝モナラズ。金鳥東こカ,ヤケバ、
大部転読ノ法水'三身仏性ノ玉ヲミガキ'夕日西こ傾ケバ、
九品上生ノ蓮台こ三尊来迎ノ心ヲハコビ給ヘリ。
伝法港頂を阻止され、うちひしがれる後白河院の許へ現れる
のが住吉大明神である。大明神は、今度の山門大衆のふるまいを'
存外の次第である、と否定的にとらえつつ、「日本ノ天魔アツマ
リテ山ノ大衆こ入力ワリテ公ノ御荘頂ヲ打留メマヒラセ」たので
あるから大衆を許すべきだとする。そして'天魔が、無道心
で儒憶の甚だしい智者の死して後の姿であるということに始ま
り、天魔についての詳細な説明がなされ'遂に、後白河法皇にと
って最も衝撃的な事実が告げられる。
50
-儒慢ナキ人ノ仏事こハ、魔縁ナキガ故こ、天魔来テサハ
リヲナスコトナシ。天魔ハ世間二多シトイヘドモ、障擬ヲ
ナスベキ縁ナキ人ノ許へハ'カケリ集ル事'更こナシ。サ
レバ法皇ノ御儒慢ノ御心、忽二魔王ノ来ルベキ縁トナラセ
給テ、六十余州ノ天狗共、山門ノ大衆こ入力ワリテ'サシ
モ目出キ前加行ヲモ打サマシマヒラセテ候也。
-大価慢ヲナサセ給ガ故二㌧大天狗共多クアツマリテ、御
荘頂ノ空クナリ候ヌル事コソアサマシク覚侯へ-
右に見る如-'後白河院が山門大衆に虐げられたのは'院自
身の情慢心が原因であるという指摘が大明神によってなされる
のである。前記したように、本文中で後白河院は優れた仏法者と
して措かれていたにもかかわらず'
一転して僑慢心を持つ、仏
法者としてあるまじき姿にされてしまう。しかし'物語はここを
通過点としてさらに展開を見せてゆ-0
儒慢心を指摘された院は'直ちに以下の棟に発話する。
誠仰ノ如ク、丸ガ行法ハ王位ノ中二モ'仏法者ノ中ニモ、
イトマレニコソアルラメト思テ候ツル也。先両界ヲ空こ覚
テ'毎夜二時こ供養法シ給フ御門'上古ニハ未ダキカズト
思侍リキ。別尊法'鈴杵ヲ廿五壇二立タル帝王モ'未ダ聞
ズト思侍リキ。子二臥シ'真二起ル行法、帝王ノ中二ハ未
聞卜思侍リキ。毎日二法花経大部ヲ信読ニヨミ奉ル国王モ、
我朝こハ未聞卜思侍リキ。況三部経ノ持者、秘密港頂ノ聖
トナリテ'本寺本山ノ智者達こモマサリタリトホメラレム
ト思'慢心ヲ発ス事タビく
ナリキ。
即ち、今までの厳しい修行が価慢心を準
えてのものであったと
俄悔を行い'それによって怖慢心の除去に成功するのである。
「今ハ悲憤俄悔ノ風冷シ.魔緑魔境ノ雲'争カハレザラムヤ.」と
いう院の発話により'その事が印象付けられる。また'院は、住
吉大明神と対面して語り合っている事にも偶慢心を起こしかけ
るが、「南無阿弥ダブ-
、此罪障消滅シテ、助ケサセオワシマ
セ」と祈って退けている。
か-て天魔に打ち勝った後白河院は、大明神の指示に従って
四天王寺において伝法渡頂を遂げ'正に
「即身成仏ノ玉井」とな
り、仏法者として宅成する。
更に'物語全体の流れにおいてこの章段の意義をとらえると'
この後第二本の二十七
「入道卿相雲客四十余人解官軍
において、
後白河院の港頂の成功が、伏線としての役割を果たしていたこと
がわかる。清盛は四十二人もの卿相雲客を解官するという尋常で
ない行動にでるが、このことについて、作者自身の言葉で
「天魔
外道ノ、入道ノ身二人替こケルヨトゾミヘケル」と記す。またあ
る人は、入道の身に入った怨霊が、保元の乱で敗れた纂徳院と源
為義であり、元々後白河院に入ろうとしたが
「此ノ御所ニハ御行
ヒマナク侯也。其上只今モ御行法ノホドニテ候」ということで'
代わって清盛の心に入ったという夢を見たという。作者はここで
は
一貫して後白河院を墓壁に清浄なる仏法者として描いており'
「法皇ハ常こ御精進こテ御行ヒマナキニヨ(ッ)テ、悪魔モ恐ヲ奉
51
ケリ」と述べて、倍を欠いたことによって天魔が心に入って平家
の滅亡を招いてしまう怖慢心の清盛と対比している。院をこの
時点で仏法者として、また王法の頂点として、婁壁な姿に描-た
めに、「法皇御港頂事」の中で院に、最後の障害であった儒慢心
を克服させる必要性があったのである。
以上見る如-この独特の展開の中に'延慶本の思想的背景が
窺える事は確かであろう。以下、本章段を読み解-上でのキーワ
ードである
「怖慢心」及び
「俄悔」を中心に'外部資料と併せ
て考察することにより、それを明らかにしたい。
二
価悼心
仏法者と敵対する天魔が、仏法者に価慢僻恵の心を着けて仏
道心を醒まさせようとしたり、人の心に入れ代わって育った行動
を取らせるという説話は幾つもあり'偶慢心と天魔とは、深い
結びつきを持ってとらえられていたのであろう。本章段において
も、後白河院が天魔を呼び寄せてしまったのは、院自身の儒慢
心に原因があると指摘されていた。ここでは、その情慢心につ
いて、見てゆきたいと思う。
(6)
初めに、天台浄土教の真髄とも言うべき
「往生要集」と、延
慶本本文の繋がりを検討してみる。「往生要集」では念仏が、極
楽往生への有効な手段とされている粥
その念仏の助けとなる方
法を説いたのが
「大文第五、助念の産
である。その第四'止
悪修善の項に、観仏三昧海経からの引用として、念仏三昧を成就
する五つの因縁が説かれその第三のものとして
「情憶を生ぜず」
とある。すなわち儒慢を断つことは、極楽往生のための基礎的
な手練さと舌甲えよう.
また'同じ項に以下のような記述がある。
もし邪念及び貢高の法を起さば、当に知るべし、この人は
これ増上慢にして、仏法を破滅す。多-衆生をして不善の
心を起きしめ'和合僧を乱り'異を顕して、衆を惑はす'
これ悪魔の伴なり。
延慶本において'山門大衆を非難した法皇の発話の中に
「破和合
僧」、「愚鈍ノ闇深シテ儒慢ノ瞳高シ」、「昔ノ捷婆達多ガ伴類也」
などの表現が見られ、前記の箇所と語句的に類似しており、延慶
本、r往生要集」両者の共通の思想的基盤を想定することも可能
ではないだろうか。と同時に、法皇が、自らが山門大衆を非難し
た発話が'自分自身にもあてはまるという延慶本の構造に'皮肉
が感じられる。
また同様に'第六対治魔手の項にも、延慶本と共通する理論
が述べられている。空を観ずれば、魔はつけいることができない
と説き'その理由を大智度論から引用して'
一切の法の中に曹著せず。著せざるが故に達錯することな
し。違錯することなきが故に'魔もその便を得ることあた
はず。曹へば'人の身に癒な-は'毒屑の中に臥すといヘ
ビも、毒もまた入らず。もし小癒あらんには、則ち死する
が如し。
52
と、説いている。すなわち、天魔
・天狗の妨げを受けたのは、後
白河院自身の心に問題有り、とする延慶本の記述と
一致する。更
に'大方等大集経からの引用として、
他化天魔王'菩提心を発Lt記を受け、願を発して云-~
「我等、現在
・未来の諸仏の弟子の、第
一義と相応して住せ
ん者をば護念Lt供給し供養せん。もしわが教に順はずし
て行者を悩乱せば、即ちかの類をして種々の病を得しめ'
神通を過失せしめん」と。
(取意)明らかに知んぬ、実魔
は便を得ず'権魔は護
念
するのみ。
とある。天魔も'真実の行者には手が出せず'むしろこれを護る
というのであるから'やはり延慶本において天魔に港頂を阻止さ
れた院は、真の仏法者でなかったことの裏付けとなる。
(8)
次にtr国訳
1切経Jに収められた仏典等における偶慢心につ
いて見てみる。〈9)
若し陰の相を知らば則ち情慢なし。又善-身念を修せば'
則ち偶慢なし、--又智慧者にして若し賓に戒等の功徳あ
らば'則ち懐を生ぜず。
(成賛論巻十
価層
戦
〉
是の船を作し巳らば儒慢あることなし。--若し是の鮭を
作すことあって、執心して道を行ぜば、慢火も焼-こと能
はず。
(修行道地経巻二
分別相口第も
〉
これらの資料は骨、物事をよ-知り、仏道修行に励むことによっ
て偶慢心を除去できるという思想に立脚していると言えるであ
ろうが、であるとすると
「薫修練行ノ御門」であった後白河院
が儒慢心を起こし、それが支障とな-仏道成就がなされないと
いう構造を'矛盾とも受け取ることができるのではないだろうか。
これに対し、他力称名の宗派における情慢心の扱いはどのよ
(_4)
うになっているのであろうか。まず'法然の
二
枚起請文」
に
あたる。
もろこし'我が朝にtもろく
の智者達の沙汰し申さる、
観念の念にも非ず。又'学文をして念の心を悟りて申念仏
にも非ず。たゞ
往生極楽のためには'南無阿弥陀仏と申て
疑な-往生するぞと思ひとりて申外には別の子細候はず。
但'三心四修なんど中辛の候は、皆決定して南無阿弥陀仏
にて往生するぞと思う内に集り侯也。此外にお-ふかき事
を存せば'二尊のあはれみにはづれ'本願にもれ侯べし。
念仏を僑ぜん人は'たとひ
1代の法を能々学すとも'
1文
不知の愚どんの身になして尼入道の無智のともがらに同し
て'智者のふるまひをせずして'唯
一向に念仏すべし
ここでは、前記の仏典等に比べ'学問的なものや、修行の意義が
薄れ'念仏にのみ書
…が置かれており、尚且つ'智者が肯定すべ
き存在でな-なっている点が注目される。また'法然から少し時
代が下って、
一遍になるとその思想はより強化されてゆく。二
遁上人語臥f〉には以下のような記述がある.
53
-自力の善は七慢九慢をはなれざるな-。故に、備慢弊僻
怠難以僑此法
(儒博と弊と僻息とは以てこの法を信じ難)
といひ、三業起行多情慢
(三業の起行は怖慢多し)とも釈
するなり。無我無人の南無阿弥陀仏に帰しぬれば、学べき
人もな-、-だるべき我もなし。-
-自力の時'我執儒博の心はおこるなり。其ゆへは、わが
よ-意得、わがよく行じて生死を離るべしとおもふ故に、
智慧もす
、み行もす
ゝめば、我ほどの智者われ程の行者は
あるまじとおもひて、身をあげ人を-だすな-。他力称名
に帰しぬれば、備慢なし、卑下なし。其故は'身心を放下
して無我無人の法に帰しぬれば、自他彼此の人我なし。田
夫野人尼入道愚痴無智までも平等に往生する法なれば、他
力の行といふなり。般舟帝に、三業起行多価憶といふは、
自力の行なり。単発無上菩提心。廻心念生安楽といふは、
三心をす
、むるなり。自力の行は備慢おはければ、三心を
おこせとす
ゝむるなり。
ここにははっきりと自力の行の否定がなされ'殊に圏点部分
は、院が厳しい修行を積むことによって価慢心を起こすという
延慶本本文の記述に見合っている。
ところで、他力称名の思想が確立されていった頃と同時代に
おける「自力の行」の考え方は如何なるものであったのだろうか。
r推邪輪Jを記して法然に反論した華厳宗の明恵の思想を、r栂尾
(柑)
明恵上人遺訓」から以下に引-0
人骨に云-、「物をよ-知れば、儒慢起ると云事不心得。物
を能知れば'儒慢こそ起らね'儒博の起んは能知ぬにこそ」
と云々。
末寺の塔を、
一健口にて見たる程に'仏性を見たらん者は、
終に九健へ至らんが如し此草庵て、有がたしと云々。
仏法者と云は'先心が無染無著にして、其上に、物知りた
る学生、験あれば験者、真言師とも云也。能もな-、験も
なきは、無為の僧なるべし.若練に有所得ならば'更に仏
法者と云ふに足らずと云々。
ここから'明恵の思想も先に挙げた仏典類と同様、自力の肯定に
他ならず'更には他力称名的思想の
「智恵否定Jへの明らかな反
論も見られることがわかる。
即ち自力の行では'修行に励み、物事をよ-知ることによっ
て儒慢を生じな-なるとするのに対し'他力称名では'逆に智
恵者こそが価憶を生ずるとしてお-、真向から対立する構造と
なる。前述の如-
「法皇御漫筆
では'院が自力の行を修し、
智恵を得ることによって惰慢心を生じているわけであるが'本
妻段において、その思想背景が他力称名的なものに裏付けられて
いるのかというと、それは、もう
一つのキーワードである
「俄悔」
を考えあわせることにより、新たな側面を見せるのである。
三
価悔
後白河院が仏法者として完成するために不可欠であったとい
54
ういう点から、本章段におけるもう
1つのキーワードとして位置
づけられる
「俄悔」は'外部資料ではどのように扱われているの
であろうか。再び
r往生要集lに拠ってみると、「大文第五
助
念の方法」の第五に、俄悔衆罪という項が立てられている。ここ
では俄悔の方法や重要性が説かれているが'その中から、延慶本
本文の読解を深めるのに有効な箇所を見てゆきたい。初めに大股
浬薬経'大智度論から
「もし罪を覆へば'罪則ち増長す。発露俄
悔すれば、罪即ち消滅す」「身
・口の悪を悔いずして仏を見たて
まつらんと欲するも'この処あることなし」とそれぞれ
1節を引
用しながら、「もし煩悩の為にその心を迷乱して禁戒を殴らんに
は、応に日を過さずして、俄悔を営み修すべし」と俄悔を勧めて
いる。また、心地観経より'
在家は能-煩悩の因を招き
出家もまた清浄の戒を破る
もし能-法の如-俄悔する者は
所有の煩悩、悉-皆除か
ん
(乃至)
俄悔は能-三界の獄を出で
俄梅は能-菩
提の花を開き
俄梅は仏の大円鏡を見
俄悔は能-宝所に
至る
以上のように引用している。即ち俄梅というものが、罪を消滅し、
仏法者としてtl窒エなものになるために重要な意義を持っていると
する思想が窺われ'ここでもやはり、延慶本と往生要集との密接
な関連を裏付ける形となっている。
また、往生要集に引用されている以外の興味深い仏典類を、
先程と同様に、r国訳
1切監
〉から、以下に引く。
善男子、若し未来世の諸の衆生等'生老病死を度脱するこ
とを求めんと欲して、始学に発心して禅定と無相の智恵と
を修習せん者は'応に先づ宿世に作せる所の悪業の多少及
び軽重を観ずべし。若し悪業多摩なる者は'即ち禅定と智
恵とを学ぶことを得ざれ。応に先づ俄悔の法を修すべし。
所以は何ん。此の人の宿習の悪心猛利なるが故に今現在に
於いて必ず多-の悪を造り重禁を敦犯せん。重禁を犯ずる
を以っての故に'若し儀悔して其れをして清浄ならしめず
して、禅定智恵を修する者は、則ち多-障擬有って魁獲す
ること能はず。或は失心錯乱し、或は外邪に悩され'或は
邪法を納受して悪兄を増長せん。是の故に当に先づ俄悔の
法を修すべし。若し戒板清浄に及び宿世の重罪徴薄なるこ
とを得る者は則ち諸陣を離れん。
(占察茎
葉
報経巻Jl35〉
それ大乗の法に人らんと欲する者は'先づ須ら-、無上菩
提心を発して'大菩薩の戒を受け'身器清浄にして'然し
て後に法を受-べし。略して十
一門の分別を作す。第
一発
心門、第二供養門、第三俄悔門'第四帰依門、第五発音捷
心門'第六間避難門、第七講師門'第八掲磨門、第九結戒
門、地平丁修四摂門、第十
一十重戒門
・・・・・・
-汝等、若し如上の七逆罪を犯さば、応に須ら-衆に対し
て'発露俄悔すべし。覆蔵することを得ざれ'必ず無間地
獄に堕して、無量の昔を受けん。若し仏教に依て発露俄悔
する者は、必ず重罪を消滅して、清浄身を得'仏の智恵に
55
入て、速に無上正等菩提を謹せん。若し犯さざる者は、但
自ら無しと答ふべし。
(無畏三蔵要
1、受戒艶
〉
世尊、告げて日-、r善い哉'善い哉。汝等、乃ち能く是の
如-漸悦し発露して俄悔せる。我が法の中に於て、二種の
人有りて'「無所犯」と名-。
一には'真性専精にして本来
犯さず。二には'犯し巳つて漸悦し発露して俄悔す。此の
二種の人は、我が法の中に於て'名けて
「勇健にして清浄
を得たる者」と為す。」と。
(大乗大集地蔵十輪経巻第七
度甘第五や
これらの記述から俄悔の意義を考えてみると、仏道を修める
者にとって、俄悔を行うことが、欠-ことのできない重要な手続
きであることがわかる。更に、俄悔を行うことによって、初めか
ら罪を犯さない者と同様に扱われるようになるわけである。又、
〈2~)
「雑阿含経巻第四百三十
第六十八衆諦
第
一八衆相応」には、
二種の浄法、噺と悦があるが故に世間は
「父母乃至師長尊卑の序
有るを知る。則ち混乱すること畜生趣の如-ならず」とある。漸
悦俄悔によって畜生趣を脱することが可能であるとすると'住吉
明神の語る偶懐の僧が天魔や畜類になったのも俄梅の心を欠い
たためだといえる。更に、前掲の
「占察善悪業報経」の中には、
身口意が清浄になった者には
「天魔波旬も来って破戒せず」とい
う興味深い一節もある。正し-、後白河院が儀憶を行い、身口意
を清浄にすることによって、天魔に打ち勝つという延慶本の構想
はこれらの思想に基づいていることになろう。この構想を物帝全
体の流れとの関わりにおいてとらえるならば'院は俄梅によって
仏法者として完成し天魔を寄せつけな-なったために、「天魔外
道」は院ではな-、清盛の身に入れ替わり、平家滅亡へと繋がっ
てゆくのであるから、「俄梅によ-僑慢心の除去に成功した後白
河院」を描-ことこそ、この章段の主眼であると解釈できよう。
そこで以下、「俄梅の重要視」といユゝ止揚から、改めてこの構想
を支える思想を追求してみたい。
儒慢心というものについては自力の行であっても、他力の行
であっても否定されていることには変わりがない。又、前記した
ように、自力の行において俄悔は大変重要な意味を持ち、仏道成
就には不可欠なものでさえあった。今、他力の行における俄梅の
あ-方とは如何なるものであったかを考えることによってこの間
蔦の1端を明らかにすることができるのではないかと思う.
浄土往生に際して俄梅を重視した善導は、その著書でも俄梅
について詳述している。中でも自力的な儀梅の特色が現れている
(2)
のが
r往生礼譲Jである.その中で善導は、上
・中
・下の三品
の俄梅について以下のように記す。
俄悔。有F711盲ml
上中下ナリ
上品ノ俄悔卜者
身ノ毛孔ノ中ヨリ血
流レ
眼ノ中ヨリ血出″者ヲ名fTT上品ノ俄悔」
中品ノ俄悔卜者
遁身
。熱汗従FW孔1出テ
眼ノ中ヨリ血流″、者ヲ
名TJ中品ノ俄悔丁下
品ノ俄悔卜者遍身徹シ
テ熱ク
眼ノ中ヨリ涙出″者ヲ名TTT下品ノ俄悔丁
此等ノ三晶
錐川モ有コ差別一
即チ是レ久ク種霊解脱分ノ善根↓人ナ
リ
到は使En与
今生。敬川法ヲ重ル人ヲ不レ情.
身命丁
乃至小罪マ
56
チモ若シ俄スレハ即チ能ク徹ル
心。徹加レ髄。
能ク如〃
此俄スレ者不レ問]ハl
久近丁
所有ノ重障頓。皆滅壷ス
(23)
また、r観念法門lでも同様に
「汝当Ll向プ諸ノ大徳僧衆t.L発露悔過
シ随二順シテ仏語ノ藤プ仏法衆ノ中t十五鉢ヲ投ルナ地t妬]l大山ノ崩㌍ヵ向け仏。
俄悔巴
と記しており、厳しい俄梅によって滅罪し、仏道を成就
できることが説かれている。ところが、善導は
一方では
r般舟讃」
(24)においては'
門門不同tI'ンテ八万四ナルハ
利親ハ即チ是レ弥陀ノ号ナリ
為けり滅誓力無明卜果卜業因弓
一声称念スレハ罪皆徐ク--
1切ノ善業廻シテ生スルノ利ア
レドモ不レ如三尊ラ念Ft″。ハ弥陀ノ号丁
念念ノ称名ハ常ノ俄悔ナリ
人卜能ク念はレハ仏ヲ仏環テ憶シ玉フ・
・・・・・
手
。執〇番櫨丁数.'l俄悔丁数テ令FILl合掌シ念F;弥陀T
シメ
1Rノ称仏徐コ衆苦1
五百万却ノ罪消徐セリ--
等と述べており、称名による滅罪を重点的に説いているのである。
このことについて、坪井俊映(鹿は、「礼拝行
(往生礼請)、経典
読請、講演
(法事諌)'観想見仏
(定善義、観念法門)を修して
浄土往生を願ずる場合には、実に厳しい俄悔行儀を修すべきこと
を説いているが、称名による浄土往生を願ずる場合
(散善義、般
舟誇)には称名滅罪説、称名俄悔説を説いて、俄悔行儀は説いて
いないのである」と指摘している。また、「往生礼讃Jの
一節
「即是久種
解脱分善根人」から窺える様に、厳しい俄悔行儀は、
相当に仏道修行を重ねてきた人の修するものであり、このことと
(2)
称名滅罪の関係についても坪井氏は、「r往生礼讃」に説-ごと
き厳しい俄悔自責の行を修する人は解脱分の善根を植えた十住、
十廻向位の人であり'三界に流転する九品の凡夫は
「礼請Lに説
-ごとき厳しい俄悔の行は到底出来ないから'称名による滅罪'
称名俄悔を説-ものと考えるのである」と推測している。この坪
井氏の論に基づいて考えると、俄梅を修した後白河院は解脱善根
の人という解釈が成り立ち'よ-院への賛嘆が強いものになって
ゆ-のである。ところでtより
一層興味深いのは、同様の思考が
法然にも見られたとする氏の指摘である。法然の著書語録を見て
も俄悔についてはほとんど説かれていないが'その理由は'法然
が
r往生要集」を解説した
r往生要集監
〉における
一節に明ら
かにされている。
-往生要集は、称名念仏をもって往生の重要とす。二に'
「第五門に約す」とは、これについて、また六法あり。
一に
は方処供具、二には修行相貌、三には対治僻怠、四には止
悪修善、五には俄悔衆罪、六には対治魔手なり。この六法
の中に、第二
・第四の二門をもって往生の要とLt第
一・
第三
・第五
・第六の四門、これ往生の要にあらざるが故に
捨てて取らざるなり。
法妖ば修行相貌と止悪修善についてはこれを重んじているが、先
刻から間蓮化している俄悔については
「捨てて取ら」ぬという。
57
ところが、
嘉
では法然もまた,「元享釈OtJR〉に
「晩見倍師往生
要集。乃棄所業。侶浄土専念之宗。承安四年。出黒谷居洛兼吉水
盛説専修及円頓菩薩大戒。」と見える棟に、専修念仏を説-よう
になってからも、天台宗の円頓戒における伝承者としても名が通
っている.又,福井康順tRは,法然が終生天台教団を離脱しな
かったこと、「行」は選択集に拠っていても教学を捨ててはいな
いことなどを挙げ、「内専修外天台」の態度と指摘し、小林智昭
〈30)氏も、法然が
「「捨」「閉」「潤」「地」を高調する聖道門に於て
盛行する
「授戒」の雑行形式をそのまま自身に行っている-'
「玉葉」には頻繁に
「授戒師」としての法然像を見出すことがで
きる-」と述べている。この法然の二面性について、先の坪井氏
の釦では
「法然は本願念仏による浄土麻生の場合には俄梅は要
行とせず廃捨して、滅罪については称名滅罪説をとるが、それ以
外の行を修する場合'即ち、授戒、追善の六時礼誇行、「阿弥陀
経」読諭の俄法の時には、仏教
一般の例に準じて俄博を説き、俄
悔滅罪説を説かれたものと思う」と推測している。
(氾)
尚'
1遍に到ると'善導の
r般舟讃J
に依って、称名のみを
(3)
俄梅としているようである。以下に
二
通上人語録Jから、そ
れを示す。
又云'「如来の禁戒をやぶれる尼法師の行水をし、身をくる
しむるは、また-これ俄梅にあらず、たゞ
自業自得の因果
のことはりをしるばかりなり。真実の俄悔は名号他力の俄
悔なり。故に、念々称名常俄悔
(愈々の称名は常の儀悔な
り)と釈せり。自力我執の心をもて俄憶を立べからず。
ここにおいて、自力的な俄悔を41窒工に排除する姿勢が明らかとな
る。こ
の章段を支える思想についてここで改めて考えてみると'
それが天台浄土教的なものであるか、法然以降の絶対他力的なも
のであるか、即ち、自力の肯定か、他力の肯定
(=自力の否定)
か、という選択をするならば、童段の柱が
「発露俄悔」にあるの
だから、「自力の肯定」と理解できるだろう。本文中から、改め
てそのことを裏付けると思われる箇所を引-。住吉明神の書
中
の、天狗についての説明部分に以下のような、発言がある。
ヨキ法師ハ皆天狗ニナリ候アヒダ、其数ヲ不申及。大智ノ
僧ハ大天狗、小智ノ僧ハ小天狗、
一向無智ノ僧ノ中二モ随
分ノ慢心アリ。ソレラハ皆畜生道二堕テ打ハラレ候、モロ
く
ノ馬牛共、是也。
つまり、智恵があっても無道心で'怖慢心を持っている者は天
狗道に堕ち天狗となるが'
一向無智にして価慢心の者は畜生道
に堕ち、馬や牛になってしまう。この部分を見るに、同じ儒慢
心の者ならば智恵のある者よりも、無い者の方が'より一層苛酷
な報いを受けていることがわかる。ここで主張されていることは、
智恵の否定でな-、無道心や、怖慢心の否定に他ならないだろ
う。そのように解釈すると、院が積んできた種々の修行、言い換
えれば、「自力の行」や
「余行」であるが、これらについては決
して否定されるものではない、ということになろう。
延慶本では、院を、「真言師」と位置づける意図が見られ'院
58
と真言宗との関わりを示している箇所も多いが、院が真言宗に深
-精通していたことを老慮して、改めてこの
「余行」をどうとら
えるか考えてみると、絶対他力的な思想では'念仏以外の余行は
排せられるべきものとして記されていた。一方
「往生要集」では、
「大文第九
往生の諸行」に以下のように記されている。「極楽
を求むる者は'必ずしも念仏を専らにせず。すべから-余行を明
しておのおの楽欲に任すべし」即ち'念仏以外の余行も往生極楽
に結びついてゆ-とい,呈口…からも本童段が
「自力の行」をも肯定
する
r往生要集J的な思想に支えられていると考えられるのでは
ないだろうか。
以上'情慢心及び俄悔について外部資料と併せて見てきたが、
本章段の当該部分
(院の情慢心1俄悔による除去1仏道成就)
の持つ思想について改めて考えてみたい。この章段の意図すると
ころについて、二通りの解釈が成り立つのではないかと思う。ま
ず
一つには他力往生側の思想に立った'「自力の行に励んだ智恵
者は情慢心を生じて天狗や畜生になってしまう」という自力否
定の考え方であり'住吉明神の指摘はそれを裏付けるものであっ
たとする解釈である.もう
1つは、「自力の行においてなかなか
離れられぬ偶慢心をも俄悔によって超越した後白河院への称賛」
或いは
「俄悔の重要性」を証明することを主眼としているtとす
る解釈である。今ここに'いわゆる
「自力の行」の僧である華厳(34)
宗の明恵の言葉を'死後にその弟子の長円が記した
「却廃忘記」
から、興味深い1節を引-0
勤行之人ノ魔道こ堕ルト、世間二人ノイフ事、其謂有事也。
魔卜者具こハ魔羅卜云フ是障擬之義也。三業ノ中二身語二
業こ神呪等ノ行アレバ、タチマテこ地獄等ノ極苦ヲウケズ
ト云トモ、意業こ菩提心無ガ故こ'魔道こ趣ク、極タル道
理ナリ云々。
正し-延慶本本文中の住吉明神の発話における'「無道心ノ智者
ノ死レバ'必ズ天魔卜申鬼二ナリ侯」「仏法者ナルガ故こ地獄こ
ハヲチズ。血蓮心ナルガ故こ往生ヲモセズ」「天魔ノ来迎こ預テ、
鬼魔天卜申所二年久下云ヘリ」等と
一致するところである。又'
(35〉
明恵自身の記した
r栂尾明恵上人遺訓Jに依ると、
怖慢と云物は、鼠の如し。玲伽壇の梱りの諸家の学窓にも、
-ゞり入る物なり。我常に是を両様に申す。自ら知ずして、
他の能知られんに博して、不問不学大なる損也。又我より
劣-たらん者に向て、儒博して詰臥て'又何の益かあらん。
寿無益なり。をろ能もあり'品も定まる程より'はや骨橋
憶の起るなり。
とある。即ち、真言などの自力の行者が偶慢心を起こしやす-'
魔道へ堕ちやすいことは
「世間二人ノイフ」ところであり、自力
の僧自身が自責の意味も込めてか、記しているのであるから、自
力の行が儒慢心と結びつき'天魔になる可能性の高さ
(或いは
そういった認識の浸透具合)を物語っていよう。そのことを考慮
に入れると、真言の行法を立派に修しながら、自力の行者とし
て偶慢心を克服した後白河院への諌嘆を'この部分のテーマと
59
して解釈することが、より妥当性を持っていると言えよう。
四
延鹿本における仏教思想的特色
以上、「僑慢心」及び
「俄悔」を中心に、「法皇御港頂事」の
章段を考察してきたわけであるが、この章段の支柱になっている
のは、「惰慢心の排除」そして
「俄悔の重要視」であったといえ
よう。そして、延慶本において俄悔が重視されていることにこそ'
延慶本の思想が表れているのではないかと田やっのである。と1亨っ
のは、儀梅というものが、天ム皇不の顕教儀礼の中心として修され
るものであるからである。その儀梅が重要視されているというこ
とは、延慶本に天台宗の思想が投影されていることを表している、
とも考えられるのではないだろうか.
天台宗と俄悔との関係は、天台智顔が、止観実修の行儀とし
て、諸経に基づ-儀法額を四種に位置づけて四種三昧としたこと
に端を発するだろう。そしてその後は、朝題目夕念仏'朝俄法夕
例時とも言われるように、中でも法華俄法
(半行半坐三昧)と、
例時作法
(常行三昧)の二種が、天台宗の顕教儀礼として盛行し
た。以上の事実は'天台宗と俄悔との密接なつながりを浮き彫り
にしているのではないかと思う。
更に'後白河院による俄悔をクローズアップしてみると、よ
-
1層、天台宗の影響を見て取ることができるのである.天納侍
(&)
中氏によれば、今も毎年五月十七日に叡山大講堂にて行われる
「桓武天皇講」の原型である
「宮中御俄法講」は、後白河院が、
宮中における仏事として修したのが初めであるという。この御俄
法は、いわゆる法華俄法であ-
rjH小姑以来自己が造作するところ
の六枚の罪障を沸泣して発露俄悔し、その1切の罪業の障りを除
き'--」という発露俄悔が行われていたという。このことから、
延慶本において、後白河院による発露俄悔が重要な意味を持って
-るのも'天台宗の影響と考えられないだろうか。
(37)
後白河院と天台宗との関わ-は、r
梁塵秘抄Jにも見ることが
できる。
天台宗の長さは'般若や華厳摩討止観'玄義や釈義倶舎額
疏'法華経八巻がその詮議
(巻
第二)
朝には俄
法を諦みて大
根を俄悔
し、夕には
阿弥陀経
を諦み
て西方の
九品
往生を祈る事五十
日勤め祈-き
。--(口伝集
第
十巻)〈粥)
どちらも、院と天台古平との深いつなが-を示していよう。天納氏
は、後白河院が禁中で俄法を始めたのは'「院が天台教学に深-
通達しておられたことと、天台
法華の教学が当時の王朝文化の思
想的基盤として、倍仰として'
教養として敷術していたからであ
ろう。」と述べており、いずれにしても'俄悔が重要視され、院
自身による俄憶も重要な意味を持つという延慶本における構想
を、延慶本と天台事との深い関わりを想定する材料と考
えること
は不白疾…ではないと思う。
又同様に、天台浄土教との関わりという観点から述べるなら
ば'延慶本における源信の思想的影響は多大なものであると壬苧え
60
よう。r往生要集」と延慶本とが思想的に共通する部分の多いこ
とは、いくつか具体例を挙げて述べてきたが、天台浄土教の真髄
とも言える
r往生要集Jが延慶本に多大な影響を与え、時に物語
構想の中心にも関わっていることは1層、延慶本と天台tl不との結
びつきを示すことになろう。
ところで、こうした天台浄土教の影響を考える際、それを
「法然義」と結び付けて考えることによって、延慶本における浄
土思想の別の一側面が見えて-る。これまで本稿でも法然の著作
や思想については若干ふれてきたつも-だが'延慶本において、
明らかな浄土tI望見弔
殊に他力往生止是
の意向が窺える箇所とし
て、第
一未
「康頼鬼界島こ熊野ヲ祝奉事」の章段がある。今'こ
の部分について少し言及したい。
この章投では、鬼界島へ流罪となった康頼、成経、俊寛の、
その後の運命を決定付ける要因が措かれている。まず、直接的な
要因として、鬼界島における熊野参詣を行ったか否かが挙げられ
ることは確かであろうが、同時に考えられるのが、康頼と俊寛の
仏教観の違いである。延慶本本文中、両者の間で交わされる仏教
論争から、それぞれの信仰を察すると'俊寛は禅を以て最高の法
門となし、一方で卿律師本空という人物の言葉を借りてはいるも
のの、真言、天台、浄土宗については、これを
「瓜ノ皮法門」と
噸っている。対して康頼は、「聖照ハ鈍根無智ノ者こテ侯間、真
言教こハ加持ノ即身成仏、浄土宗ニハ他力ノ往生'此ヲ信テ候也」
という発話から明らかなように'真言宗、及び浄土宗を信仰して
いる。この後の展開の中で'康頼が帰洛を果たし'俊寛がこの島
で壮絶な最期を迎えることを考慮すると、作者が康頼側の思想を
持ち'それを肯定すべ-'俊寛と対比させたと1亨見るのではない
だろうか。
以上述べてきたように'延慶本には、浄土宗や他力往生を肯
定する意向も見えるが、巨視的に見れば、「自力の行も肯定する」
という思想がより濃厚であり'法然の思想を
「専修念仏」「絶対
他力」という側面においてのみとらえるならば'法然的な思想の
影響は希薄であると言わねばなるまい。ところが、時代が下って、
法然門下の時代になると、例えば聾
の様に鴇対他力強調の方向
を示す者もいるが、一方では'西山流の証空や'九品寺流の長西
の棟に'天台的な考えを取り入れたり'聖道仏教に妥協的になる
(39)
者も出現することが知られている。先行論文の中にも'こうし
た、法然門下における天台浄土教への復帰に注目したものは多-'
例えば小林智艶
は,「これらの二師
(証空,長西)はいずれも
法然の教説によりながらまたこうして反法然的契機を内包するも
のであり、法然義の意味するところ'まことに複雑に多端なもの
がある」「-法然義の名のもとに'専修念仏義と天台系的観心念
仏、諸行往生思想とが同居Ltそれは平家物語の多角的な浄土思
想と'なんらかのつながりをも示唆するように思われる-」と述
べ、福井康
艶
は,「腐れば今の
「平家」の随所に法然義が見出
され、その多-が一見、「非法然的」であることは、それが西山
義すなわち今の西山浄土宗の教義内容であるがためなのである」
と'西山義との関わりを指摘している。西山義については'第六
未廿五
「法皇小原へ御幸成ル事」において'建礼門院の庵に善導
の御影がかけられておりtr般舟許し発見の跡も見られることか
ら、そこに西山義の影響が見られるのではないかという'福井康
61
良
,瓜藍
の指摘があった.
前述の如-、延慶本には自力の行を肯定する意向が見えるが、
同時に法然の影響も窺われ、康頼によって「浄土宗の他力の往生」
が肯定されるという面も併せ持っているわけであり、この
「二面
性」を考慮すると、延慶本に見える思想を、法然門下の証空や長
西らの思想と考えることもできる。
今'本稿で中心に取り上げた
「法皇御荘頂事」の章段をクロ
ーズアップして考えてみると'先述のように'天台宗の影響が濃
厚であるということは明確であり、一方、法然浄土宗やそれ以降
の思想を反映している箇所というものは特筆する点がなかったと
いえる。延慶本全体の仏教思想を考える上では、法然門下の思想
の影響も十分考えられようが、本章段に限って言えば'法鉄拳
土
宗とは離れた、r往生要集」を中心に据えた天台浄土教がその思
想を支えていると考えられるのではないだろうか。
(注)
(-)「浄土教芸術としての平家物語」r解釈と鑑井」十六巻十号
・
一九五一年十月
(2)「平家物語の仏教思想的性格-行長原作説を疑う⊥
r文学」
二七巻二一号
・一九五七年
二一月
(3)「平家物語にあらわれた浄土教」r仏教史学】十巻二号
・1九
六二年七月
へ4)「仏教文学研究の課題-法然義の開港をめぐって⊥
『続中
世文学の思想』笠間書院
二
九七四年一二月
(5)福井氏は、法然義を
「法然上人源空の人もし-は教説に関連
している記述の全て、いわば
『法然色』ともいうべき全てを
(語弊もあるが)呼ぶことにする」としているがこれに対す
る諸氏の論文では、法然義を、法然浄土宗における、それ以
前の浄土教とは異なった、新仏教としての教義、のような意
味でとらえているものが多いようである。
(6)日本思想大系6
F源信』岩波書店
二
九七〇年。以下、『往
生要集Lは、全てこれを用いた.
(7)巻下
「大文第七
念仏の利益」に詳細な記述がある。
(8)大東出版社蔵本国訳一切経を使用した。
(9)【仏教誇大辞典」(東京書籍
・一九七五年二月)によると、
「陰」とは
「集まり」のことであり、「五陰」とは、あらゆる
存在を以下の五つの集まりの関係においてとらえる見方のこ
とである。
①色
(物質および身体)
③受
(要
任用)
③想
(心に浮
かぶ像)
④行
(意思)
⑤識
(札別作用)
すなわち
「陰
の相を知る」とは、あらゆる物事をよ-知ること、と解釈で
きるのではないだろうか。
(10)「国訳一切経】静集部-3
八日)白骨観のこと。食欲を除き、惑業を離れるために修する九種
の観想のうちの一つ。死屍の身内がすでに尽きて、ただ自骨
のみ狼籍するのを鶴ずる.r仏教誇大辞典】(東京書籍
・一九
七五年二月)参照。
(12)注
八日)に同じ。
(_3)【国訳一切経】経美都-4
(t4)日本古典文学大系83
【仮名法雲
岩波書店
二
九六四年所
収。
(15)注
入14)に同じ。
(16)注
(14)に同じ。
(17)大東出版社蔵本国訳一切経を使用した。
62
(18)『国訳一切経』
(19)『国訳一切経」
(20)『国訳一切経』
(
21)『国訳一切経』
へ2
2)『浄土宗全書』
経集部-15
密教部
-3
大集部
-5
阿含
部
-3
4
(23)注
入22)に同じ。
(加)注
入22)に同じ。
(25)「善導大師の儀悔と法然上人-称名念仏と俄梅について-」
『浄土宗学研
究』第12号
二
九七九年三月
(26)前掲注
(25)論文
(27)日本史想大系I0
r法然
・1遍』岩波書店
二
九七1年所収.
(gSV新訂増補国史大系第31巻
・吉川弘文館所収。
(29)
「法然上人の捨聖帰浄について-
回心と聖道門との関係-」
日本名僧論集第6巻
『法然』吾川弘文館
二
九八二年十月所
収。
(30)「仏教文学研究の課題一法然義の間麓をめぐって⊥
【続中世
文学の思想』笠間書院
二
九七四年
1二月所収。
(31)前掲注
(25)論文
(32)注
入22)に同じ。
(33)日本古典文学大系83
【仮名法詩集』岩波書店
二
九六四年所
収。
(34)日本思想大系15
「鎌倉旧仏教』岩波書店
二
九七一年所収。
(35)注
(33)に同じ。
(36)「宮中御俄法講について」r伝教大師と天台宗j(日本仏教宗
史論集第3巻)吉川弘文館
・一九八五年五月所収。
(37)日本古典文学大系
73『和漢朗詠集
・梁塵秘抄』岩波書店
二
九六五年一月所収。
(38)前掲
(36)論文
(39)証空は浄土宗の奥義をきわめ、法然の門弟中高い地位にあっ
て、その教義も
「念仏1賛往生、諸行不生義」という特色を
もっているが、法然浄土宗入門以降も天台教団との関係は絶
たず、日野の願蓮について天台学、政春について台密の研鎌
を始め、慈円の譲りを受けて西山善峰寺北尾往生院に移り住
んでいる。また'長西に到っては、称名念仏以外の余行も'
阿弥陀仏の本願に誓われた行
(諸行本願)であり、これらの
行によっても橿楽浄土へ往生できる'と余行肯定の教義を打
ち立てている。
(仰)「平家物語と仏教」r文学】
1九六四年九月
(41)「平家物語の仏教思想-特に法然義について-」佐々木八郎
博士古稀記念論文集
F軍記物とその周辺』
一九六九年三月
(42)前掲注
(41)論文
(43)「平家物語港頂巻の仏教史的考察T
「九帖の御書」「善導の御
影」について⊥
r国語と国文学』一九六六年五月
(はやさか
さちこ・
千葉大学文学部日本文化学科第47回卒#生)
63