「壁画交流」が - hiecc ·...

3
86 86 86 86 86 86 [友好都市―アシュクラフト村(カナダ)] 美深町が、カナダのブリティッシュ・コロンビア州アシュ クラフト村(人口約2千人)との友好都市交流を始めたきっ かけは、1992年(平成4年)9月にさかのぼる。当時、同町 で木材業を営む山口克紘さんが、カナダで開催された木材機 械の研修会に出席した際、通訳のアシュクラフト村在住の金 丸顕男さんと知り合った。 金丸さんから同村が日本との友好提携と高校生の交換留学 を希望しているとの話を聞き、帰国後同町にその話を伝えた のが、そもそもの発端だ。 その後、双方が事前視察や資料を交換したりした結果94年 (同6年)7月、美深町で友好都市提携の運びとなった。 交流はさまざまだが、高校生の交換留学は、2003年(同15 年)まで実施され、合わせて、同村からの受け入れが29人、 美深高校生の派遣が40人を数えた。 しかし、04年重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響で中 止に追い込まれ、05年もなお休止中だ。 また、町村相互の公式訪問は、3年に1度、10~15人規模 で行われている。同村からサッカーコーチも招請しているが、 中でも特色のあるのが絵画による文化・芸術交流。 1997年(同9年)に同村から2人が来町、町民体育館横の 第三コミュニティーセンターに、タイトル「四季」の壁画を 制作し、2000年(同12年)に今度は同町から2人がアシュク ラフト村を訪れ、同村ミレニアムパーク内の壁画専用の日本 風板塀に友好シンボルとしてタイトル「松山湿原」の壁画を 描いた。 壁画制作のための相互訪問という交流は、珍しいといえる。 「びふか国際交流の会」の活動は 活発だったが… 美深町の国際交流団体「びふか国際交流の会」は、アシュ クラフト村との友好都市提携前年の1993年(同5年)8月に 設立された。 主な事業として、町の補助金を元に、北大留学生の美深町 体験プログラム(ホームステイ受け入れ事業)、カナダ・ア シュクラフト村との交流、海外研修報告会の開催、会報の発 行、視察研修などの活動に取り組んできた。 同会の設立当時から事務局長として中心的な役割を果た し、その後長く会長を務めた成毛久則さんは、「びふか国際 交流の会が実施した事業は、地域における子どもたちの教育 という観点から、主として子どもたちが対象。親も子供たち を応援する形で参加するようになってきた」と会の趣旨を振 り返る。 その1つの例として、子供たちの交流パーティや懇談会な どの際には、女性会員が中心となり、手作り料理で相手をも てなすことで雰囲気が和やかになるだけでなく、親子共々の 上川管内 「壁画交流」が 象徴する心の絆 美深町 完成したタイトル「四季」の壁画の前で製作者と来町していたアシュ クラフト村高校の交換留学生たち 1997年、美深町第三コミュニティーセンター前で 友好シンボルとして製作されたタイトル「松山湿原」の壁画の前で 製作者と美深町高校の交換留学生たち 2000年、アシュクラフト村ミレニアムパーク内で

Upload: others

Post on 28-May-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

868686868686

[友好都市―アシュクラフト村(カナダ)]

美深町が、カナダのブリティッシュ・コロンビア州アシュ

クラフト村(人口約2千人)との友好都市交流を始めたきっ

かけは、1992年(平成4年)9月にさかのぼる。当時、同町

で木材業を営む山口克紘さんが、カナダで開催された木材機

械の研修会に出席した際、通訳のアシュクラフト村在住の金

丸顕男さんと知り合った。

金丸さんから同村が日本との友好提携と高校生の交換留学

を希望しているとの話を聞き、帰国後同町にその話を伝えた

のが、そもそもの発端だ。

その後、双方が事前視察や資料を交換したりした結果94年

(同6年)7月、美深町で友好都市提携の運びとなった。

交流はさまざまだが、高校生の交換留学は、2003年(同15

年)まで実施され、合わせて、同村からの受け入れが29人、

美深高校生の派遣が40人を数えた。

しかし、04年重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響で中

止に追い込まれ、05年もなお休止中だ。

また、町村相互の公式訪問は、3年に1度、10~15人規模

で行われている。同村からサッカーコーチも招請しているが、

中でも特色のあるのが絵画による文化・芸術交流。

1997年(同9年)に同村から2人が来町、町民体育館横の

第三コミュニティーセンターに、タイトル「四季」の壁画を

制作し、2000年(同12年)に今度は同町から2人がアシュク

ラフト村を訪れ、同村ミレニアムパーク内の壁画専用の日本

風板塀に友好シンボルとしてタイトル「松山湿原」の壁画を

描いた。

壁画制作のための相互訪問という交流は、珍しいといえる。

「びふか国際交流の会」の活動は活発だったが…美深町の国際交流団体「びふか国際交流の会」は、アシュ

クラフト村との友好都市提携前年の1993年(同5年)8月に

設立された。

主な事業として、町の補助金を元に、北大留学生の美深町

体験プログラム(ホームステイ受け入れ事業)、カナダ・ア

シュクラフト村との交流、海外研修報告会の開催、会報の発

行、視察研修などの活動に取り組んできた。

同会の設立当時から事務局長として中心的な役割を果た

し、その後長く会長を務めた成毛久則さんは、「びふか国際

交流の会が実施した事業は、地域における子どもたちの教育

という観点から、主として子どもたちが対象。親も子供たち

を応援する形で参加するようになってきた」と会の趣旨を振

り返る。

その1つの例として、子供たちの交流パーティや懇談会な

どの際には、女性会員が中心となり、手作り料理で相手をも

てなすことで雰囲気が和やかになるだけでなく、親子共々の

上川管内「壁画交流」が象徴する心の絆美深町

完成したタイトル「四季」の壁画の前で製作者と来町していたアシュクラフト村高校の交換留学生たち=1997年、美深町第三コミュニティーセンター前で

友好シンボルとして製作されたタイトル「松山湿原」の壁画の前で製作者と美深町高校の交換留学生たち=2000年、アシュクラフト村ミレニアムパーク内で

878787878787

参加という幅の広がりをみせた。

2003年(同15年)同会は、近隣市町村の外国語指導助手

(ALT)と地域の子どもたちとの交流を目的とした「英語で

あそぼ」を始めた。初めての試みにもかかわらず、地域の子

どもたちが約70人も参加し、スポーツ、文化交流などが行わ

れた。

この事業は、外国語指導助手や学校関係者と連携を図りな

がら、継続されている。

また、人と人との交流を大切にしたいという同会は町と協

力し、同会設立・国際友好都市提携10周年記念事業として03

年10月、壁画制作相互訪問交流で来町したアシュクラフト村

の女性画家ジョー・ペティさんを招いて、絵画指導交流事業

を実施した。ペティさんの絵画作品は、アシュクラフト村で

はもちろんのこと、美深町や札幌市でも個展が開かれたほど

の人気だった。

ペティさんは、2週間の滞在中、美深町内の保育所、幼稚

園、小中高校などを精力的に訪問し、約400人に絵画指導を

行った。多くの子どもたちは「うれしかった。楽しかった。

また参加したい…」と目を輝かせていた、という。

だが、民間の国際交流の中心的な存在だった「びふか国際

交流の会」は、05年(同17年)4月、予想外の解散に追い込

まれた。町が財政難に加え、地域住民の国際化を広げる目的

はある程度達成できたとの判断から、補助金のストップを打

ち出さざるを得なくなったからだ。

解散時点の会員数は、なお124人もいたが、会運営を担う

人材が不足し、経費面でも会費だけでは従来の事業を継続で

きないという“苦渋の決断”だったという。

解散後、成毛前会長は、「今まで培ってきた人と人との触

れ合いを大切にし、国際交流を堅苦しいものではなく、日常

生活の中での気軽な交流として取り組みたい」として、同じ

考えの仲間と財源に左右されない新しい会の発足を模索して

いる。

ただ、外国語指導助手と子どもたちとの交流を目的とした

「英語であそぼ」については、今後も継続させていきたいと

している。

また、ペティさんのファンでもある成毛さんは、会解散後

の翌月の5月、ペティさんを招いて美深町文化センターで絵

画展を開催した。会場には、カナダの夜空を彩るオーロラ、

03年訪れた際に描かれた美深の森や川を題材にした油絵約八

十点が展示された。

解散したとはいえ、同会の活動は、今までの蓄積を原動力

としながら、町の中に根付いているといえる。

「国際樹液サミット」と町おこし

シラカバの樹液は、もともと世界各国で飲料されていた。

「英語であそぼ」で子供たちは外国語指導助手と一緒にそれぞれの国の料理を作り、料理を通して各国の文化に触れた=2005年2月

888888888888

日本ではアイヌの人々が健康飲料や調理用として利用して

おり、フィンランドでは飲料のほか、サウナ用の枝、樹皮の

バックなどで国民に広く親しまれている。ロシアでも雪解け

時に森に出かけ、樹液を飲む習慣が残っている。

美深町は1985年(昭和60年)から、寺沢実北大教授と共同

でミネラル豊富なシラカバ樹液の飲用研究を開始、89年(平

成元年)シラカバ樹液100%の天然ドリンクとして、同町の

特産品「森の雫」を誕生させた。

樹液は、シラカバの幹に穴を開けると無色透明な樹液があ

ふれ(溢れ)出てくるが、これが「溢出樹液」と呼ばれ、1

年に1カ月しか採取ができないという。「森の雫」は、その

貴重なシラカバ樹液の採れたてを、ろ過し殺菌するだけの天

然ドリンクである。

樹液のボトリング化に成功した「森の雫」発祥の地である

同町で95年(同7年)4月、「第1回国際樹液サミット」が

開催され、北方圏8カ国の研究者を含む320人が参加した。

このサミットを機に樹液利用の動きが活発化し、5年後の

2000年樹液の持つ新たな可能性を探ろうと、同じく同町で「第

2回国際樹液サミット」が開かれた。

さらに、05年4月15日から17日まで、シラカバ樹液の効能

と活用法を考える第3回「国際樹液サミット・美深2005」が

開催された。アジア、北米、欧州の海外8カ国の研究者が参

加し、シラカバをはじめ、カバノキ科樹木活用の最新の成果

も発表され、森林や樹木の持つさまざまな効用や潜在価値、

重要性などについて情報を交換した。

シラカバの樹液活用という珍しいこの会議は、町の特性を

生かした“国際学術交流”であると同時に、シラカバという

共通項による国際交流としても注目される。

また、同町は、「第1回国際樹液サミット」の翌年の96年

から毎年、まちおこしの1つとして、「びふか白樺樹液春ま

つり」を開催している。

当初は実行委員会による主催だったが、その後、有志が集

まり「美深樹液を楽しむ会」を結成、同町の商工観光担当職

員も加わり、官民一体となったまちづくりのイベントに成長

した。

05年4月のまつりは、第10回記念でもあり、第3回国際樹

液サミットの日程に合わせ、樹液試飲コーナー、かんじき残

雪森林浴、スノーモービル試乗体験などの催しを行い、町外

からも多くの人々が参加、ユニークな国際会議が具体的なま

ちづくりと地域活性化に結びつく成果も生んできている。

農業、林業の町として栄えている美深町は、自然豊かな町で教育にも力を注いでいる。美深町文化会館「COM100」は、町民や天塩川流域市町村の生涯学習拠点施設として活用されている。美深市街から北へ8キロの地点にある森林公園「びふかあいらん

ど」には、びふか温泉、道の駅びふか、双子座館、チョウザメ館、キャンプ場などの施設がある。

国際交流の問い合わせ先上川管内美深町総務課 ℡(01656)2―1611

美 深 町人口:約5千600人 面積:672.1!

http : //www.town.bifuka.hokkaido.jp/

10周年記念事業で来町したアシュクラフト村の女性画家ジョー・ペティさんの歓迎パーティー=2003年10月、美深町で

美深町で開かれた第3回「国際樹液サミット・美深2005」記念式典=2005年4月