れなかった一枚の写真b5判22p道徳1年 179−1 吉 よし 田 だ...
TRANSCRIPT
-
30 よりよく生きる喜び
撮とれなかった一枚の写真
吉よし田だ ルイ子こ 著・写真
252
179−1B5 判 22P 道徳 1年
-
吉よし
田だ
ルイ子さんは,1938(昭和13)年生まれ。
1961(昭和36)年,ジャーナリズムを学ぶため,
留学生としてアメリカに渡わた
る。留学中,ウィリ
アム・ユージン・スミス(1918-1978)の
写真と出会い,フォト・ジャーナリストを志す。
ウィリアム・ユージン・スミスは,事件や
出来事の表面だけを追うのではなく,時間を
かけて被ひ
写しゃ
体たい
の素す
顔がお
に迫せま
る手法により,人間の
内面に踏ふ
み込こ
んだ写真を撮と
り続けた。吉田さん
は,自らを「ジャーナリスティックな写真家
(journalisticphotographer)」と称しょう
していた彼かれ
に,少しでも近づきたいという思いから,帰国
後,「フォト・ジャーナリスト」を名のること
にしたという。
「ジャーナリズム」とは,日々起こる社会的
な事件や問題について,その実態と本質を速く,
また深く公衆に伝える作業を指す。
253
179−2 B5 判 22P 道徳 1年
-
ハーレムの少年 1969年
254
179−3B5 判 22P 道徳 1年
-
*戦火
ベトナム戦争を指す。
ベトナムの独立と統一を巡めぐる戦争。
ベトナム
1000km
2017年現在の
ベトナム
一九七四(昭和四十九)年
十二月、私は、ハノイからサ
イゴン(現ホーチミン)まで、
ベトナムを縦断して走る国道
一号線に立っていた。
戦*火は既すでにサイゴン郊こう外がいま
で広がり、国道にも、周囲の
255
180−1 B5 判 22P 道徳 1年
-
水田の小こう路じにも、鍋なべ、釜かま、やかん等を手に、子供を背中と
両りょう脇わきに
抱かかえながら、北部から避ひ難なんしてくる人々があふれて
いた。
お盆ぼんのように大きな赤い夕日が、メコン川の向こうに沈しず
もうとしていた。私は人々の群れの中に、一組の母と子の
姿を見つけた。大きな木の下に、片かた膝ひざを立ててしゃがみ込こ
んだ母親の膝ひざの上に、すやすやと眠ねむる赤ん坊ぼう、竹の笠かさ帽ぼうを
枕まくらに、母親の膝ひざ元もとでうつぶせになっている子供、荷物は竹たけ
籠かごとやかん一つ、母親の乱れた髪かみ、痩やせこけた頰ほお、思い詰つ
めた表情と、平和そのものの表情で眠ねむっている赤ちゃんと
256
180−2B5 判 22P 道徳 1年
-
*ミレー
十九世紀のフランスの画家。
子供の対比が、夕日の逆光に照らし出され、真っ赤な空に
浮うき出されたシルエットとなって、戦火の喧けん噪そうの中に、ミ*
レーの描えがき出す祈いのりにも似た、静かな安らぎを感じた私は、
「絵になる!」という映像に関わる人間特有の直感で、
シャッターに手を掛かけた。
と、その瞬しゅん
間かん、母親は赤ん坊ぼうの顔を手で覆おおい、もう一方
の手をうつぶせの子供の頭に置き、自分もレンズから顔を
背そむけた。二百ミリの望遠レンズを付けた私のカメラの
257
180−3 B5 判 22P 道徳 1年
-
フ*ァインダーの中には、手で覆おおわれた指の間に、おできだ
らけの子供の頭と、赤ん坊ぼうの柔やわらかい肌はだにくっきりと残さ
れた傷の痕あと、引きつった母親の首筋があった。
シャッターの上に乗せた私の指は、とうとうそのまま
そこに*膠こうちゃく
着してしまった。シャッターを押おすことができな
かった。冷や汗あせが首筋から胸むな元もとへとどっと流れた。
撮とりたかったのに撮とれなかった、この一枚の写真につい
て、私は、今だから白状するが、日本に帰るまでの数か月、
プロのフォト・ジャーナリストとしての*呵かし責ゃくに悩なやまされた。
きっと、ピ*ューリッツァー賞がもらえるほどの傑けっ作さくだった
258
180−4181−1B5 判 22P 道徳 1年
-
*ファインダー
構図を決めたりピントを合わせたりするための、のぞき窓。
*膠こう着ちゃく
しっかりくっついて離はなれないこと。
*呵かし責ゃく
責め苦しめること。
*ピューリッツァー賞
アメリカのジャーナリスト、ピューリッツァーの遺ゆい言ごんにより設け
られた賞。毎年、報道・文学・音楽の各部門で優すぐれた社会的功績
を上げた作品に与あたえられる。
にちがいない。その瞬しゅん
間かんを逃のがした私は、プロではない。
259
181−2 180−5 B5 判 22P 道徳 1年
-
写真を始めてまだ数年しかたっていなかった私だったが、
ああやっぱり私はプロになれない?と、自分を責めた。
この話を日本に帰ってから、プロの写真仲間にすると、
ある人は、「俺おれなら、手で隠かくしたその瞬しゅん
間かんを写すな。」と
言い、ある人は、「近づいて隠かくした手を取ってもらうよう
に頼たのむな。」とも言った。
その後、私は考えた。というより、感じた。あの写真は
撮とらなくてよかったのだ、あの状じょう
況きょうと事実を見た、ことで
十分だった。否いな、見せられたことこそ重要なことだったの
260
181−3B5 判 22P 道徳 1年
-
グアテマラ 1966年
だ、と感じた。そして、
今でもそう信じている。
確かに、プロとして
の厳しさに限界がある
といわれるかもしれな
い。私はそれでいい。
プロのフォト・ジャー
ナリストである前に、
私は一人の普ふ通つうの人間
でありたい。
261
181−4 B5 判 22P 道徳 1年
-
つなげよう
⃝中学1年生の生活を振ふ
り返り,どんな
2年生になりたいかを考えてみよう。
私の気づき
262
182−1B5 判 22P 道徳 1年
-
学びのテーマ人としてよりよく生きるとは,
どういうことだろう。
考える観点
⃝フォト・ジャーナリストの仕事とは,
どんなものだろう。
⃝筆者は,どうしてシャッターを押お
すこと
ができなかったのだろう。
⃝「一人の普ふ
通つう
の人間でありたい。」とは,
どういうことだろう。
見方を変えて
⃝筆者が,もし写真を撮と
って賞をもらって
いたら,どんな気持ちになっていた
だろう。
263
182−2 B5 判 22P 道徳 1年
14 資料-4 南浜地区の概要【完】 - mlit.go.jp · 大 正9年 大 正14年 昭和5年 昭 和10年 昭 和15年 昭 和20年 昭 和25年 昭 和30年 昭 和35年 昭 和40年
清水町消防本部 · 2017-07-05 · 明治42 年5月 大正7年6月25 日 大正12 年9月1日 大正13 年12 月27 日 昭和4年10 月 昭和5年11 月 昭和14 年4月 昭和15