文化人類学における子ども研究 - 日本子ども社会学会 | the...
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研究情報子ども社会研究8号ノ("""α/0/C/I//dSr"dy,Vol.8,June,2002:137-142
文化人類学における子ども研究
松澤員子・南出和余*
はじめに
人類学では人間を遺伝的情報によって生来与えられた自然的属性と、生後社会的環境から
習得する文化的な属性から成り立っていると理解する。そして,文化人類学では「文化」と
いう概念に特定の意味を与えて、それを操作することである特定集団の成員である人々の行
動や思考に関する理論や構築してきた。19世紀末イギリスで生まれた文化概念は,その後ア
メリカで広義,狭義の意味が付与され,他の社会科学において重要な概念として用いられて
きたことは周知のことである。文化をどのように概念規定するかは、研究者の戦術の問題で
もある。しかし、人間の文化的属性を問題にするとき、特定の社会集団の成員としての人間
に着目していることは変わらない。そして、それぞれの社会集団には、それをどのような枠
組みで規定するかは別として、個別の慣習的規範や意味体系が存在し、一般的にそれを当該
社会の文化と定義することができる。社会集団の成員としての人間は所属する社会の文化を
学習し、内在化してゆく。それゆえ人間は集団に拘束されていると言えるが、同時に新たな
文化を創造する存在でもある。このような視点から、子どもはどのように捉えられてきたの
であろうか。本稿では文化人類学における子ども研究を回顧しながら、その業績を概観して
みたい。
「文化とパーソナリティ」研究
まず、人類学研究の中に子どもが登場するのは、1920年代にはじまる「文化とパーソナリ
ティ」研究にある。「文化とパーソナリティ」論では、文化と個人の関係が問われ、文化が
個人をどう成型していくのかが研究課題とされた。そして、文化固有の育児様式やしつけが
注目きれ、人間が文化を学習し、内在化させてゆく重要な時期として乳幼児期の子どもが注
目されたのである。
「文化とパーソナリティ」研究に精力的に取り組んだのは、アメリカの文化人類学者ルー
ス・ベネデイクト(RBenedicll887-l948)とマーガレット・ミード(MMeadl901-1978)であ
(まつざわ・総合研究大学院大学文化科学研究科)(みなみで・総合研究大学院大学文化科学研究科)
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子とゞも社会研究8号
る。ベネディクトは、「文化の型』において、文化的に条件付けられた行動が人々の行動の
大部分を占め、ある文化の中で育っていくうちに個人は、自らの文化が望ましいと助長する
部分を受け入れてゆくとの考えを示した。そして、当時第二次大戦下のアメリカ政府の命を
機に、敵国日本の国民性研究へと発展した。日本文化研究の先駆的地位を占める「菊とノJ」
も、この流れによって害されたものである。例えば、「菊と刀」第12章「子供は学ぶ」は、
日本人の国民性を知る手がかりとしての、日本の子育てに関する研究である。
一方、マーガレット・ミードもまた、成長期の問題や幼児期の育児様式がパーソナリティ
の形成に対してもつ影響力や、文化と性別の関連などの問題に取り組んだ。彼女の処女作で
あり代表作の一つである「サモアの思春期』では、サモア島における思春期の少女たちの成
長過程を解明し、普遍的と考えられていた「思春期」という概念が、西洋社会に特有のもの
であることを指摘した。ベネディクトやミードの研究は、一貫して文化相対主義を確立し、
個別文化の固有性を主張するものであった。そして、子どもは自分の生まれ育つ社会の「文
化の継承者」として捉えられてきたと言える。
その後1960年代から1970年代にかけては、ホワイテイング夫妻(BWhitingandJWhiting)に
よる「六つの文化の子供たち」に代表されるような、育児様式や子どもの社会化過程に関す
る通文化的研究が行なわれた。異なる文化の中での家庭における育児やしつけの類型、年齢
集団のもつ教育的機能なと÷、非定型的な文化伝達の過程が注目された。ここでは子どもが自
分の生活の場で、どのようにその文化を身につけてゆくのかという社会化や文化化の側面の
過程が比較、検討されている。
アメリカにおける教育人類学
「文化とパーソナリティ」論は、人類学に二つの流れをもたらした。一つは1960年代にお
こった心理人類学の流れで、学習や知覚といった社会の人々の心理過程に関心が向けられた。
もう一つは1950年代からの教育人類学の高まりである。「文化とパーソナリティ」論を受け
た文化伝達の研究は、「教育」という、より組織的なものにも関,し、が広がり、教育学と人類
学との接合を導いた。1968年の教育人類学成立時には、教育学者の関心は、民族的・階層的
に複雑化し異質化していくアメリカのコミュニティの現実に対応した教育計画の必要に応じ
て、人類学がいかなる貢献を果たし得るかという点に集約され、一方、人類学者の関心は、
人間の成長発達と文化の関係、特に文化学習過程に視点が寄せられた。人類学者は「学校教
育のように制度として定型化された文化伝達の過程のみならず、家庭における育児やしつけ
の型、年齢集団のもつ教育的機能など、非定型的な文化の伝達の過程をも含んでおり、教育
現象を広く文化過程の一つとしてとらえる」ことを試みた[江淵1982:157]・
教育人類学成立当初の関,L、事は、学校と地域社会の連続・非連続性や、教育の場における
少数民族問題などにあった。その後1980年代に入ると、「学校文化」の人類学的研究や、認
知・言語学的研究、また黒人やスペイン語系民族の教育問題などが取り上げられ、応用人類
学的研究が主流を占めるようになった。また、80年代には日本の学校に関する人類学的な研
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文化人類学における子ども研究:松澤・南出
究も幾つか行なわれた。主な著耆には以下のようなものが挙げられる。
Rohlen,Thomas.
1983Japan3""]Scノ]COノs.UniversityofCaliforniaPress.
Hendry,Joy.
l986Becom"]gJapanese:乃eWoIJdofIheRU-schooノCMdren.UniversityofHawaiiPress.
White,Merry.
1987刀7eノapaneseEduca"onaノα]a//enge.FreePress.
Tobin,Joseph.elal.
l989R石sc/700ノ〃]7y7reeCu/rures.YaleUniversityPress.
Peak,Lois.
1991LeammgIoGoIoSc/]ooノmノapan.Universityoi、CaliforniaPress.
Shields,JamesJr.(ed.)
1993JapaneseSchooノmg.PennStateUniversityPress.
Ben-Ari,Eyal.
1997.ノヨpaneseC〃ノdcare:AI]Inierpre"veSfudyofCuノ“℃andOIganjZa"On.KeganPaul
Inlemalional.
これらの研究では、学校という一環境の中で子どもを捉え、学校をめぐる文化化・社会化
の過程を明らかにすることから日本文化の特徴の一側面が捉えられてきた。「文化とパーソ
ナリティ」論や、あるいは教育人類学の初期の頃に比べると、その関心は非定型的な文化伝
達の過程から、定型的な枠組みの中における文化伝達を扱うようになったと言える。
日本の人類学における子ども研究
日本での子ども研究はどのように取り組まれてきたのだろうか。日本における「文化とパ
ーソナリティ」の先駆的研究は祖父江孝男の「県民性」の研究である。また、柳田国男に代
表される日本民俗学が集積してきた「しつけ」の研究業績を踏まえ、人格形成におよぼす文
化の役割に関する諸理論を検討した画期的な研究が、原ひろ子、我妻栄共著『しつけ」(弘文
堂1974)である。ここではある集団に特徴的な「モーダル・パーソナリティ」は、当該社会
の個人の行動の一貫性や規則性から抽象して設定された理論的構成物であり、「集団成員の
行動や制度を「幻の」モーダル・パーソナリティによって説明し、現実を見損なう危険性」を
指摘し、「集団成員個人個人のパーソナリティの直接の測定を通して明らかにすべきである」
とより客観的な方法論を示唆した(前掲書284頁)。その後、原はへヤーインインディアン社
会でのフィールドワークを中心にした「子どもの文化人類学」を出版している(晶文堂1979)。
他方、1950年代から学会を風廃した構造主義理論、象徴論、記号論な文化理論が構築され
てゆくなかで、子どもを対象とした研究は少なくなっていた。そのような状況の中で、1984
1コq=Lジン
子ども社会研究8号一
年に民博で開催されたシンポジウム「子ども文化の文化人類学的研究」[岩田19851に代表さ
れるように、人類学においても子ども研究が行なわれてきた。この共同研究におけるアプロ
ーチからは、子と§もを捉える多角的な方法を見て取ることができる。例えば、子と’もを取り
巻く生活環境の中で彼らと文化社会との関わり合いを見る視点、子と÷も自身の行動や言動か
ら彼らの持つイメージ世界を捉える視点、遊びに象徴される世界観を見る視点、子どもが経
験する通過儀礼の社会的意味から子どもに付せられた概念や象徴を読み取る視点などがあ
る。さらに、玩具や民話に関するフォークロア的な研究を通して子どもと社会との関わりに
注目したり、遊びや労働を介して彼らの社会的立場を探るなどの視点が取られている。こう
した視点からは、社会において子どもをどのような存在と考えるかということが議論の中心
となる,つまり、シンポジウムの総括討論では、子とゞもがもっている普遍的な本質とそれぞ
れの文化の中で特異に身につけていく社会化の問題、また子どもを「異文化」として捉える
か「文化の継承者」として捉えるかという問題が交差する図上に子どもを考えるということ
である[岩田1985:763-764]という指摘もなされている。
文化の中の「子ども」をどう捉えるかという問いに、それぞれの文化は人間の「死と再生」
の儀礼の中で表現している。すなわち、子どもとはなにかが通過儀礼の中で象徴的に表現さ
れているのである。「7つ前は神のうち」という言葉で表現される子どもは、儀礼の中で神
の使いとしての役割を果たすことは、日本社会だけでない。構造人類学や象徴人類学の立場
からは、秩序立った大人の世界に移行する以前の混沌とした世界の中にある子どもを異文化
として捉えている。子どもをめぐる生活世界や遊びにおいても、例えば山口昌男は、以下の
ように述べている。
子どもの遊びの中には、私たちの生活の中では失われた人間の根源的な体験に触れるよう
な要素がある。子どもの遊びはそれ故、大人の世界での、日常の生活のそれとは異なる経験
の渦の中に我々 を連れ戻す信仰上の様々 の行動に似てくるのである。[1984:22]
そして山口は、子どもを大人とは異質の世界であるとし、「子どもの世界は、それ自体が
自己充足的で、決して大人への予備段階でも何でもないのである」と言及している[前掲:
22]・山口の影響を受けたという本田和子は、子どもを「異文化」として大人から切り離し、
子どもの内面世界から子ども自身の持つ文化を解読することを試みてきた。本田を中心とし
たこの「異文化としての子ども」論は、現在も子ども研究の大きなモデルとなっている。
現代の人類学における子ども・教育への視点
1980年代から箕浦康子を中心に、子どもの異文化体験が注目され、異文化適応の問題を通
しての子ども研究が活発になった。それは現在日本に在住する外国のこどもたちが増加し、
そ~うした子と‐もたちを受け入れる学校の対応といった現実的な問題から、文化をキーワード
にする文化人類学の新たな研究課題となっている。以下に、今日本での教育人類学的研究の
主流トピックになっているものを挙げておこう。
l)異文化の中で育った日本人の子ども
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文化人類学における子ども研究:松澤・南出
2)日本に住む外国人の子ども
3)異文化コミュニケーション
4)国際援助をめぐる「人間開発」教育
これらの研究の多くは、現代的問題の解決を目指す応用学的側面に端を発するが、それは
また、子どもが文化を習得していく過程を明らかにするものでもある。特に、帰国子女をめ
ぐる課題や、近年の日系ブラジル人研究では、異文化接触の場を通して、文化が子どもに与
える影響を考察したり、文化摩擦の過程にそれぞれの文化の特徴を読み取る研究が行なわれ
ている。また、グローバル化の波に即して、開発援助の名の下で「教育」が普及するにつれ
て、ローカルな「知」をめぐる問題が浮上し、「知」の習得過程がその課題となっている。
おわりに
以上、子どもをめぐる文化人類学研究の変遷を概観してきた。しかし、文化人類学の中で
子どもがその研究対象となった事例は多くない。アメリカにおいても教育人類学の成立以来、
広い意味での教育の場におけるさまざまな文化現象が研究されてきてはいるものの、既にあ
る教育の場でいかに文化現象を考慮することができるかという応用的研究が主流を占めてい
る。これは、文化人類学者が「子ども」と正面から向き合って研究するというより、むしろ
教育学や心理学の領域で文化的現象を考慮するという流れの方が強いことを表している。し
かし、教育学や心理学は多くの場合、学校のような、既に囲い込まれた子どもを対象として
研究する。社会的ネットワークの中の子どもとか、社会において子どもがいかにして囲い込
まれるかという段階過程が研究されることは少ないと言える。
また、子ども研究全体に対する文化人類学の役割は面接や質問紙法によっては見逃される
子どもの生活の重要な側面を、フイールドワークを中心にした文化人類学の研究によって補
っていかなければならないだろう。文化テクストの解読も、社会の中での子どもという存在
認識、また子どもの持つ本質性や特異性の研究もさらに進められなければならないと考える。
子どもを取り巻く文化・社会を多面的に捉えることによって初めて明らかとなる。
その認識の有無は別として、未成熟な人間としての子どもは、どの社会にも普遍的に存在
する。そこには、子ども自身を含む社会が「子と・も像」を作り上げる過程があり、そこに子
どもの本質性と異質性が内在すると考える。文化人類学は、そうした「社会の中の子ども」
という視点から、子どもを動的な存在として捉えていくことが期待きれる。
参考文献
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子と'も社会研究8号
原ひろ子1989『ヘヤー・インディアンとその世界』平凡社
ベネデイクト,ルース1934PallemsoICulturc.米山俊直訳|973『文化の型」社会思想社
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と刀一日本文化の型」社会思想社
B.ホワイテインゲ,J.ホワイティング197RCh"dノで〃(IfSixQI""'・(J.v.・/1P'w(./"ノ-C"/""・(ノ/A"αノW.r.綾部
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館
ミード,マーガレット1928C()"""gAg2"IS("""α・畑中幸子、山本真烏訳1976『サモアの思春期』
蒼樹書房
箕浦康子1990『文化のなかの子と・も-シリーズ人間の発達6』東京大学出版会
山口昌男ほか1984『挑発する子と‘もたち』驍々堂出版
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