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平成16年度 政策研究大学院大学 知財プログラム 修士論文 「職務発明の「相当の対価」の法的性格と算定方法について」 平成17年2月 後藤 信之 (MJI04055) 要旨 本論文では、「相当の対価」の法的解釈および職務発明に関する判例から、「相当 の対価」算定方法の課題を抽出・考察し、法と経済学的アプローチにより職務発明訴 訟および企業の職務発明規定における「相当の対価」の算定方法を提言することを目 的とする。従来指摘されてきた職務発明制度の問題点は、相当の対価の法的解釈と対 価の対象の設定にあったと考えられる。 相当の対価の法的性格を、発明の権利譲渡 で発生する従業者の機会費用への対価と位置づけて使用者が得るべき将来利益からの 配分や、研究者へのインセンティブと明確に区別するとともに、権利承継時での発明 の現在価値をもとに権利化・事業化リスクの反映、および当該業界における発明の平 均的な価値から対価を算定することで、対価の予測可能性の向上が期待できる。また 研究開発インセンティブとの区分によって、使用者の自由なインセンティブ制度設計 を確保することが可能となる。

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平成16年度 政策研究大学院大学 知財プログラム 修士論文 「職務発明の「相当の対価」の法的性格と算定方法について」

平成17年2月

後藤 信之 (MJI04055)

要旨

本論文では、「相当の対価」の法的解釈および職務発明に関する判例から、「相当

の対価」算定方法の課題を抽出・考察し、法と経済学的アプローチにより職務発明訴

訟および企業の職務発明規定における「相当の対価」の算定方法を提言することを目

的とする。従来指摘されてきた職務発明制度の問題点は、相当の対価の法的解釈と対

価の対象の設定にあったと考えられる。 相当の対価の法的性格を、発明の権利譲渡

で発生する従業者の機会費用への対価と位置づけて使用者が得るべき将来利益からの

配分や、研究者へのインセンティブと明確に区別するとともに、権利承継時での発明

の現在価値をもとに権利化・事業化リスクの反映、および当該業界における発明の平

均的な価値から対価を算定することで、対価の予測可能性の向上が期待できる。また

研究開発インセンティブとの区分によって、使用者の自由なインセンティブ制度設計

を確保することが可能となる。

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目次

1 はじめに.....................................................................................................1

2 現行特許法35条および改正法35条の解釈の現状について ...................2

(1) 議論の前提 ....................................................................................... 2 (2) 職務発明に関する権利関係について ................................................ 2 (3) 「相当の対価」を巡る論点 .............................................................. 3 (4) 「相当の対価」の対象について ....................................................... 4 (5) 「相当の対価」の算定方法について ................................................ 5

3 相当の対価に関する解釈上の提案と立方論的検討 .....................................8

(1)現在指摘されている問題点 .................................................................. 8 (2)現状の問題点の整理............................................................................. 9 (3)ゲーム理論による企業の発明報酬制度の機能検討 ............................ 14 (4)「相当の対価」の法的位置づけに関する提案(35条 1~3項の解釈)...................................................................................................................... 18 (5)改正法4,5項の改訂について ......................................................... 19

4 相当の対価の算定モデル ..........................................................................21

(1)従来提案された算定モデル ................................................................ 21 (2)本検討のモデル .................................................................................. 22 (3)用いるべきデータについて ................................................................ 24 (4)試算結果の考察 .................................................................................. 24 (5)「相当の対価」規定の設計と運用について ....................................... 28

5 おわりに ..................................................................................................28

(1) 「相当の対価」の位置づけと算定方法の検討結果......................... 28 (2)提案した対価算定モデルの課題 ......................................................... 29 (3)職務発明制度に関する今後の課題 ..................................................... 30

<補論>「相当の対価」算定モデルが企業・発明者の行動に及ぼす影響の検討

........................................................................................................................31

参考文献..........................................................................................................39

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1 はじめに 本論文の目的

特許制度において、研究開発時の発明者の意欲を引き出すことは重要であり、

これは産業の促進および社会の発展を促すものである。この視点から、職務発明

においては、特許法は、発明者と使用者等の相互の利益を保護し、組織内発明を

促進するために、発明の権利は従業者に原始的に帰属するという前提(発明者主

義)の下で、無償の通常実施権を使用者等に与えると共に、特許を受ける権利や

専用実施権の設定権を事前の取り決めによって一方的に使用者が得られる代わり

に、その対価を従業者に支払わなくてはならない旨 35 条で定めている。

発明の対価を使用者から得るほか事実上、途のない従業者にとって、この 35 条

の相当の対価がいかなるものであるかは、研究開発意欲の多寡に対して大きな影

響を持つ。そして、実用化される発明のほとんどは、企業内の従業者発明である

ことを考えると、それは日本の発明及び技術レベルの向上において大きな役割を

担っていると考えられる。しかし、35 条は『相当の対価』と定めるだけであり、

その解釈と金額の決定はほとんど裁判官に一任されている。そのために、『相当

の対価』をめぐって紛争が絶えることがない。このような紛争の発生はそもそも

35 条の規定が曖昧なことに原因がある。そこで、以上の職務発明制度の趣旨を全

うできる『相当の対価』の解釈及び算定方法について明らかにしたい。

近年、発明・商標・ブランドなど、知的財産が使用者にもたらす利益の大きさ

が意識されるようになり、また、企業と従業者の関係の変化に伴って、従業者が

以前より高額の請求を行うようになった。その結果、巨額の「相当の対価」を認

める判決が相次いだため、職務発明規定が注目を浴び、特許法35条の改正案も

04年5月に国会を通過した。しかし、改正案についても、従来問題点とされて

いた①35条が強行規定であることに由来する、企業から見た「相当の対価」の

予見不可能性の問題、②「相当の対価の算定」に当たって発明者以外の事業貢献

者や企業自身の貢献、事業リスクや特許リスクへの配慮が不足しているため、発

明者貢献度を過大評価、③企業・業界の実情に応じた、柔軟な発明者へのインセ

ンティブ設定を阻害 といった問題点を解決しているとは必ずしも言い難い。 本論文では、「相当の対価」の法的解釈および職務発明に関する判例から、「相当

の対価」算定方法の課題を抽出・考察し、法と経済学的アプローチにより職務発明

訴訟および企業の職務発明規定における「相当の対価」の算定方法を提言すること

を目的とする。

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2 現行特許法35条および改正法35条の解釈の現状について 以降の議論においては、2004年5月に通常国会を通過した特許法35条を「改

正法」、それ以前の35条を「現行法」と定義し、それぞれの法解釈の現状を概観

する。 (1)議論の前提 以降の議論に当たっては、 ① 職務発明について特許を受ける権利が当該発明をした従業者等に原始的

に帰属する(発明者主義)、 ② 職務発明について使用者は無条件に通常実施権を得る権利を有する(同

法35条1項)、 ③ 職務発明について使用者は契約、勤務規則その他の定めにより、事前に

特許を受ける権利、特許権の承継、使用者のための専用実施権の設定を

行える(同法35条2項) の3点を前提に置く。その理由は、玉井1が述べているように、米国等海外の

特許法制との整合性の確保、職務発明規定に不慣れな中小企業等の保護、対

価規定が存在しない場合の公序良俗規定(民法90条)による司法の事後介

入の防止などの目的から、これらの条項が必要と考えられるためである。

(2)職務発明に関する権利関係について ① 特許法35条の趣旨 企業の従業者が行う発明は、a)自由発明(使用者の業務範囲に属しない

発明)、b)業務発明(使用者の業務範囲に属する発明)、c)職務発明

(業務発明の内、その発明に至った行為がその使用者等における従業者

等の現在または過去の職務に属する発明)の3タイプに分類される2。

特許法は職務発明について35条で規定している。中山らは3本条の趣

旨について、歴史的発展経緯から見て、使用者と従業者の関係は一般に

使用者の方が強い状況を考慮して権利者保護を主眼とした規定であると

位置づけている。

最高裁は、オリンパス光学職務発明事件(平成 15.4.22)において、特

許法35条の趣旨を以下のように述べている。

『特許法35条は,職務発明について特許を受ける権利が当該発明をし

た従業者等に原始的に帰属することを前提に(同法29条1項参照),

職務発明について特許を受ける権利及び特許権(以下「特許を受ける権

利等」という。)の帰属及びその利用に関して,使用者等と従業者等の

それぞれの利益を保護するとともに,両者間の利害を調整することを図

った規定である。』

本判決は、特許法35条の趣旨について、『職務発明に係る特許権等

の帰属自体については,これを当事者間の合意に委ねるのみでは,使用

者等の利益保護が不十分であるとの見地から,使用者等が,従業者等の

同意なしに,「勤務規則その他の定」により,職務発明に係る特許権等

を使用者等に承継等させることができるものとしたうえで,しかし,そ

1「日本の職務発明制度・再論-立法論的検討-」 玉井 克哉 AcTeB Review 05 2「職務発明と知的財産国家戦略」 日本感性工学会 IP研究会 経済産業調査会 2002 3「注解特許法(第三版)上巻」 中山信弘 編著 青林書院 2001

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の場合には,従業者等は,「相当の対価」の支払を受ける「権利」を取

得するものとして,従業者等の利益保護を図り,使用者等と従業者等と

の間の利害を合理的に調整しようとすることにあることが、明らかであ

る。』とした原審(東京高裁、H13.5.22)を支持した(控訴を棄却)も

のであり、同条の趣旨が従業員の権利保護に重点をおいているという点

については確立されていると考えられる。 ② 「特許を受ける権利」の原始的帰属について 特許法は35条1項において、職務発明に関しては使用者に無条件

(無償)での通常実施権の継承を認めている。

③ 「特許を受ける権利」の予約承継について 特許法は、35条2項の反対解釈として、職務発明については、契約、

勤務規則その他の定めにより使用者等が従業者等から特許を受ける権利、

特許権、専用実施権を予約継承することを認めるとしており、判例・学

説共にこの解釈が確立している。

(3)「相当の対価」を巡る論点 以降の「相当の対価」に関する考察にあたって、まず最近の職務発明に関

わる訴訟を概観する(表2-1参照)。 ① 青色発光ダイオード事件(2004.1.30東京地裁判決) 使用者側と研究者(中村氏)の」敵対的関係、当該発明の事業上の価値、

発明における中村氏の高い貢献度など、非常に特殊な事例であり、「結

果として」、判決における対価の決定額は妥当性を持ったものとなった

事例。ただし対価の決定方法は実現していないライセンス提供を想定し

ている上、特許期間中継続して独占の利益が発生する(技術的優位性が

崩れない)など、仮想的な条件を積み重ねている点が問題視されている。 なお、本件は、東京高裁の勧告により平成 17年 1月 11日に、支払額約

8億 4,400万円(発明の対価は 6億 857万円、遅延損害金(利息)を含む)で和解が成立した。

② 光ディスク事件 日立製作所元従業員が光ディスク読み取り機構の発明に対する対価を

求めて、東京地裁に提訴(要求額は 9億 7000 万円)。2004 年の2審判決

では 1億 6500 万円の相当の対価を認めた。この事件では、1審と比較し

て、他社へのライセンス契約や外国特許権による利益が使用者の受ける

利益として参入されるなど、利益の算定根拠が大きく変化するという、

企業側から見て算定額の予測不可能性が大きく現れるものとなった。

③ 味の素アステルパーム事件 人工甘味料アスパルテームの工業的製法を発明した元研究所長が「相当

の対価」を請求。2004年2月24日東京地裁は味の素に約1億 8900

万円を支払うよう命じ、原告・被告共に控訴していたが、東京高裁にて

1億5000万円で和解が成立した。

本事件では、業績を評価され、高い処遇を受けていた社員からの提訴

であること、貢献度は2.5%と算定されたが、絶対額としては味の素

の報奨金を上回る高額の和解結果となった点が注目されている。

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(4)「相当の対価」の対象について 特許法35条は第3項において、使用者等が特許を受ける権利を継承した

際には、「相当の対価」を支払うことを義務づけている(条文では、従業者

の権利として表現)。この条項は改正法においてもほぼそのまま継承されて

おり、法解釈上の変更は無いものと考えられる。 ① 権利移転の要件

ここで、「相当の対価」の位置づけ(法的性格)を考えるに当たり、

対価の対象となる権利移転(譲渡)を概観すると、中山らは(前掲)、

現代は資金/資材の提供者と技術的思想の提供者が截然と区別されてお

り、従業者が当該発明を自ら実施しまたはライセンシーを探すことも容

易でないと言う視点から、権利の譲渡は使用者の一方的意思表示のみに

よる承継も可能であり、従って、この権利譲渡は当事者同士の契約によ

る場合と異なり、「予約」とは見なされず従業者の承諾の意思も不要と

している。

② 職務発明の権利の譲渡時期と「相当の対価」請求権の発生時期 職務発明に係わる権利が従業者から使用者に譲渡される時期は、発明完成

から出願、特許登録後にいたる各段階に渡る。「相当の対価」の請求権は、

権利譲渡と同時に発生するが、「相当の対価」の具体的な算定時期について

は、35条4項で、算定に当たって考慮すべき事項とされる「発明の独占に

よる利益」が不確定であることから、権利譲渡後の諸事情を勘案することや、

対価を分割支払いすることも違法ではないとする判例、学説が主流となって

いるようである。なお、権利譲渡の効力の発生要件は発明完成~特許登録の

どの段階で権利譲渡を行うかによって異なるが、「相当の対価」に関して、

権利譲渡の段階に応じた算定方法や支払い期間などに関する規定は存在しな

い(中山ら、前掲)。

③ 「相当の対価の対象」について 「相当の対価の対象」は、特許法35条1項で、使用者等が無償の通

常実施権を受ける権利を有するため、一般に当該発明の権利化に由来す

る「使用者等が発明を独占することで得る利益」を対象とすることで判

例・学説とも一致している。

「相当の対価」の法的位置づけについて、紋谷は4、職務発明において

は、発明の権利が使用者等が持つ独占実施権と発明者が持つ対価請求権

(法定請求権)とに分離しており、発明者が持つ対価請求権への対価は、

金銭的に評価できる総ての価値を含むものとしている。

発明者の立場に立った解釈として、帖佐5は発明者の持ち分権への代償

であり、処遇とは別途支払われるべきものと主張している。

相当対価の法的性格の変遷について、松居6は、大正 10 年法 14 条の補

償金から現行 35 条の対価への改正時にかかわった経験を基に、補償と対

価、報酬の法的性格の違いから、現行制度の運用(相当の対価の算定方

法等)を以下のように批判している。

(a)補償、対価、褒賞の性格の相違:補償=既に発生した損害の賠償、

4「インタビュー職務発明制度」 紋谷 暢男 パテント Vol.55 No.12 2002 5「続・職務発明制度の立法論と問題点」、帖佐隆、パテント(2002)、Vol.55、No.12、pp25-26 6 「特許法 35条発明者への対価支払い条項と企業の定めるべき職務発明規定」 松居祥二 知財管理 Vol.54-11 2004 「企業の立場から見た特許法35条職務発明の問題点」 松居祥二 AIPPI Vol.48 No.8 2003、「職務発明対価請求訴訟における基本的疑問-わが国法制の変遷からみて-」 松居祥二 AIPPI Vol.49 No.5 2004 他

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「対価」=権利譲渡時点での権利(商品)の価値(価格)、「褒

賞」=社員への動機付け、インセンティブ付与の手段、企業利益へ

の貢献を事後評価し、報奨金、昇格等種々の方法で企業が自主的に

実施

(b)特許法 35 条の「相当の対価」の性格:「特許を受ける権利」の承

継時の代価であり、補償でも報酬でもない。従ってその対価の額は、

権利承継時の価値に等しく、請求権の時効の起算日も権利承継時と

すべきである。また、条文(改正前特許法35条 4項)の上では、

企業の貢献度については発明完成までを考慮すべきとなっているこ

とからも、権利承継時をもって対価を算定すべきであることを示唆

している。

(c)「相当の対価」の算定に当たって、当該特許を利用した商品発売

直後(1~2年)の販売実績を、参考数値として用いることは実務上

有効であるが、事後的な実績補償とは法的性格が異なる。

(d)現在の職務発明訴訟は、企業、発明者とも相当の対価を実績補償

と見なしてその額や算定方法について争っているように見えるが、

実績補償方式を相当の対価に持ち込むことは、複数の研究開発を同

時並行で進めてリスク分散を図る企業の研究開発方式にそぐわず、

また特許を受ける権利承継後の企業の自由度に拘束や制約を加える

ものであり、問題である。

(e)改正特許法の 35 条 5 項は改正前の 4項と比較して、「相当の対

価」の性格を実績補償に近づけるものであり、問題である。

松居の主張は、「対価」の法的性格を明確にし、インセンティブ機能で

ある報酬と明確に区分している点で、筆者の考えに非常に近いものである。 (5) 「相当の対価」の算定方法について

① 現行法における解釈 相当の対価の算定方法については、以下の判例に見るように、 「当該特許権の相当対価=独占の利益×(1-使用者の貢献度)」 を主要な算定基準としている。 (a)独占の利益について:判例(日亜化学事件、東京地裁 H16.1.30)

では、「使用者が当該発明に関する権利を承継することによって受

けるべき利益とは,当該発明を実施して得られる利益ではなく,特

許権の取得により当該発明を実施する権利を独占することによって

得られる利益(独占の利益)と解するのが相当である。」としてお

り、また独占の利益の算定方法について、

(i)使用者が当該特許発明の実施を他社に許諾している場合には,それ

によって得られる実施料収入

(ii)他者に実施許諾していない場合には,特許権の効力として他社に当

該特許発明の実施を禁止したことに基づいて使用者があげた利益。

使用者が当該発明自体を実施していないとしても,他社に対して当

該発明の実施を禁止した効果として,当該発明の代替技術を実施し

た製品の販売について使用者が市場において優位な立場を獲得して

いるなら,それによる超過売上高に基づく利益は,上記独占の利益

に該当する。

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(iii)他社に実施許諾していない場合については,このほか,仮に他社

に実施許諾した場合を想定して,その場合に得られる実施料収入と

して,独占の利益を算定する。

の3点を挙げている。

(b)発明者の貢献度について:特許法35条では、使用者の貢献度等を

考慮するという文言で、裏側から発明者の貢献度を考慮することを求

めている。判例(日亜化学事件、東京地裁 H16.1.30)では、使用者の

貢献度に係わる要素として、事業化に係わる設備投資、人的投資や発

明に至るまでの発明者への人的、物的援助等に加えて発明に至る経緯

(当事者間の業務上の指揮系統、業務上の命令・指導の内容等)も考

慮している。しかし、発明に至るまでのリスクについては検討対象と

せず、特許化および事業化に係わるリスクの反映要求については、

「成功が約束されていたもの」として、一蹴した。

しかし東京高裁が提示した和解案の中では、発明者の貢献度をオリン

パス事件、味の素事件等と同じく事業利益の5%と判定している。また、

発明の価値の算定において、代替技術の登場による技術の陳腐化リスク

を考慮している点および対価算定に当たって企業経営への影響に配慮し

ている点が、地裁判決および従来の職務発明訴訟における司法判断と大

きく相違しており、注目すべき点である。なお、発明者の貢献度として

提示された5%の数値は、オリンパス事件、味の素事件等の判例の流れ

に添ったものであり、企業の事業利益に大きく貢献するような発明にお

ける発明者の貢献度に関する相場観の形成に大きな影響を及ぼすものと

思われる。

② 改正法における変更点 現行法35条の4項からの主な変更点は、 (a)合理的な手続きの重視:支払われる「相当の対価」の合理性の判

断に際して、企業内の規定における対価の算定基準の作成における従

業員との協議、基準の開示、対価の額の算定に関する従業員の意見の

聴取等に関する状況を考慮することを求めている。(改正法第4項) (b)対価の算定における考慮事項の拡大:現行法でも、使用者等の貢

献度の算定に発明完成後の貢献も含める判例が出ているが、改正法で

は、「その発明に関連して使用者等が行う負担と貢献」と発明の事業

化段階まで貢献度算定の考慮事項に含めること、ならびに「従業者の

処遇その他の事情」を新たに追加して、使用者等の貢献度算定におけ

る考慮事項を拡大している。(改正法第5項) の2点である。

これは、第5項において、相当の対価算定の考慮事項に、発明により使

用者等が受けるべき利益の額を挙げていることと使用者等の貢献度算定と

の整合性を図るとともに、産業界から要望されていた対価の予測性の向上

をある程度考慮したものと解釈できる。 ただし、改正法においても対価算定の手続きの合理性そのものではなく、

その規定によって支払われた対価が合理性の判断対象となっており、さら

に対価の合理性に関する判断基準(第4項)および司法等が用いる対価算

定の基準(第5項)は明示されていない。

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表2-1 職務発明に関する最近の主な判例(出典:最高裁判所ホームページ、*1>判決額は、裁判所が支払いを命じた額)

企業名 裁判所判決年月日

発明内容対価支払いを受ける権

利の発生時期通常実施権の評価

独占の利益の額と 判決額*1 備考

(消滅時効の起算日) 算定方法(根拠) 貢献度 発明完成まで 発明完成後 (百万円)

最高裁 H15.4.22特許を受ける権利等の承継時(勤務規則等による対価の支払時期)

95%

東京高裁 H13.5.22 相当対価の額は使用者が一方的に決められない。

日立金属 東京地裁 H15.8.29 窒素磁石

被告の社内規定で、実績報酬は実施料収入発生時から1年単位で支払われる⇒消滅時効もその時まで進行しない

・自己実施分は通常実施権で充足(計上せず)

123百万円、3社とライセンス契約締結、H14年5月末までに約1億2324.8万円取得

90%・発明完成までの人件費:6000万円

・本件各特許の出願・維持費用:600万円・他社特許のライセンス実施料3044万円・事業化費用:関連特許費用1130万円、実用化費用約4億4000万円

・発明報酬3万円、戦略特許賞5万円、貢献特許賞15万円、実績報奨80万円、月間MVP表彰7千円←以上支払額から控除・発明完成~原告退職までの人件費:3億8000万円、参事等処遇での優遇←使用者の貢献度で考慮

11.288

・退職後の実施料は実績報奨と相殺し、計上しない・特許費用、事業化費用の使用者負担等は貢献度の割合で考慮し、独占の利益の控除要素とはしない←使用者の貢献の金銭評価>独占の利益の際に、発明者が支払いを受けられない事は35条の趣旨に反する・DCF法や割引率による権利承継時の時価換算は、算定に実現した収入を用い、承継後の使用者の貢献も考慮しており、さらに請求権が履行の請求を受けた時から遅滞に陥ること等から認められない

日立製作所 東京高裁 H16.1.29光ディスク再生装置

特許を受ける権利等の承継時(勤務規則等による対価の支払時期)

1,180百万円、16社ライセンス実施料(本件発明の寄与分等について一部推定。包括的クロスライセンス契約からの利益も推定して加算)社内実施分は原告の司法上の過失により却下

80%

中央研究所の施設利用、社内先行研究開発の存在(半導体レーザー等)、他の研究者の協力

特許化業務、ライセンス交渉

他の発明者の寄与度:6%特許報奨金等:231.8万円←支払額より控除

162.84

・勤務規則などに定められた対価は、それが直ちに相当の対価の全部に当たると見ることは出来ない・特許を受ける権利に外国特許も含まれる(準拠法:日本特許法35条)。

日亜化学 東京地裁 H16.1.30青色LED製造法

対価請求権は権利承継時に発生。独占の利益の算定時期:相当対価の最終支払時期(本件ではH9年の特許権設定登録時)における金額で算定消滅時効の起算日:上記独占の利益の算定時期

発明後特許権存続期間満了まで(H6~H22年)に企業の得る独占の利益(ライセンス実施料、超過売上高による収益、ライセンスしたと仮定した時の実施料)を推定して計算。独占の利益:1兆2086.0127億円×1/2×0.2=1208.6012億円

50%

・原告の米国留学費用負担、設備投資(1.39億円)、実験施設の使用容認、補助人員の提供⇒企業規模等使用者の主観的側面は考慮せず

特許化リスク、事業化リスクの負担はほとんど無いと認定

出願時報賞1万円、登録時褒賞1万円

20,000.00

対価算定額は、60430.01百万円、請求額が201億円「対価の法的性格=反対給付」

東京高裁の勧告により、H17.1.11に支払額約8億4,400万円(発明の対価は6億857万円、遅延損害金(利息)を含む)で和解成立

味の素事件 東京地裁 H16.2.24人工甘味料(アステルパームAPM)

権利承継時(時効の起算日も権利承継時。ただし時効成立後に勤務規則等による実績報酬の支払いがあった時は時効の援用は信義則に照らして許されない)参考>特許出願:S57(日本)、S58(米国、欧州、カナダ)、H5国内特許成立(H9欧州、H3米国、H11カナダ)

発明に対する使用者貢献と通常実施権は必ずしも対価関係には立たない(貢献が上回る場合あり)

事業利益:79.74億円ロイヤルティ収入:米国44.68億円、欧州3.07億円国内外の販売額:31.99億円

95%(原告以外の発明者寄与度2.5%)

研究開発投資+設備投資(S43~S56):約39+2億円、要員:述べ471人/年

権利化費用:5億5千万円以上、APM事業化のリスク負担(定量評価なし)、

原告職務(本件発明を期待される地位)原告処遇:給与・賞与/退職金1.98億円(H3~H13)、退職後0.1332億円←以上は貢献度算定で考慮、報奨金:113.67億円×0.001×5/6=1000万円(10万円以下切り上げ)←支払額から控除

189.35

外国特許権も相当の対価に参入(準拠法:特許法35条、属地主義の原則適用せず)。「相当の対価」≠「権利承継時の権利の市場価格」発明報酬制度の根拠:利益×(研究開発貢献=0.1)×(職務発明貢献=0.1)×(職務発明に至った行為貢献=0.1)×(発明者の中で原告の寄与度=5/6)東京高裁の勧告により、H16.11.19に1.5億円で和解成立(相当の対価決着せず)

オリンパス 2.289光ピックアップ

使用者貢献度とその根拠その他の考慮事項(対価支払い済み分

など)

5000万円、当初出願のままではライセンス先6社の実施せず、諸隈特許の利用発明で当該特許のみではライセンス実施拒否、無効事由の存在蓋然性あり

昭和48年~53年(原告研究開発部在籍)の人件費約500万円/年、年間研究開発費400万円/人以上

・原告提案内容を特許担当者を中心とした提案で大幅に変更、・本件発明が一審原告の担当分野と密接な関係

・出願補償3000円、登録補償8000円、実績報償20万円←以上を支払額から控除

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3 相当の対価に関する解釈上の提案と立方論的検討 (1)現在指摘されている問題点 ① 改正前特許法への批判 玉井は7、改正前の特許法 35 条における「相当の対価」規定(35条3,4項)について、現在の相当対価規定が持つ、相当の対価の予測不可能

性、一律・硬直的な報酬制度の強制といった問題点を解決する為に同規定

は撤廃すべきであるとし、 (a)企業内の勤務規則等、当事者間の取り決めが、対価決定の合理的

なプロセスを保証しているかを裁判所が事後的に審査し、是認できる

場合のみ勤務規則等による自主的な決定の効力を認めるとの立法論

(適正手続き論)は採るべきでない (b)勤務規則等で決まった対価の額が低額な場合はその有効性を認め

ないという立法論も採用すべきでない

(c)対価決定に係わる勤務規則が無い場合も含めて、事後的に国家機

関が介入して対価の額を決定するという枠組みは一切残すべきでない (d)現行の相当対価規定を単純に削除した際に、民法 90条(公序良俗規定)による裁判所の事後的介入が認められるという解釈論を封ずる

為に、定額規定など、何らかの立法的手当てを置く事が望ましい と主張している。

②特許法改正と、改正後の特許法への批判 産業構造審議会知的財産政策部会特許制度小委員会8の答申と、各界の意見

平成14年7月に策定された知的財産戦略大綱に基づき、特許制度の審

議機関として同年9月に特許制度小委員会が設置され、職務発明制度のあ

り方について14年度中に各国の制度・実態、我が国企業の実態調査を行

い、平成15年度にかけて同小委員会で審議を行い、平成15年 12月25日に報告書が発表された。

本報告書は、旧制度の問題点として①事後的な司法の裁量および対価の

算定方法の不透明さによる企業の研究開発投資活動への不安定要因の増大、

②企業における従業員の報酬規定が雇用者側で一方的に決められている現

状、の2点を挙げ、改正の方向性として、①使用者等と従業者等の間での

対価の決定の尊重(両者の立場を鑑みて不合理でなければとの条件付き。

かつ不合理性の判断は決定の手続き面を重視)、②相当の対価の算定規定

の明確化、③対価請求権への短期消滅時効の規定設置の否定、④職務意匠

制度、職務考案制度の制度改定への展開等を挙げている。 上記特許委員会の報告書およびこれを受けて平成16年5月に国会を通

過した改正特許法案に対して、各界は以下のように評価している。

(a)日本弁護士連合会9:旧35条の1,2項の規定維持には賛成すると

ともに、対価の算定については、使用者と発明者の力関係の絶対的格

7 日本の職務発明制度(現状と将来) 玉井 克哉 AcTeB Review 01、2002 日本の職務発明制度・再論-立法論的検討- 玉井 克哉 AcTeB Review 05 8 産構審審議会資料 http://www.meti.go.jp/kohosys/press/0004833/0/031225tokkyo.pdf 9 「職務発明制度の在り方について」報告書(案)に対する意見 2003年11月21日 日本弁護士連合会

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差を重視して、算定基準の手続きだけでなく合意内容の合理性に関し

ても司法判断を受け得る制度を確保することを要望している。ただし、

司法判断を受ける時と特許権移転時の対価算定の根拠が異なることか

ら生じる企業リスクを考慮し、対価の算定については発明完成後の諸

事情を幅広く考慮すべきとの報告書案に賛意を表している。 (b)日本弁理士会10:35条の立法趣旨(労働法的見地からの労使の利害

調整)と運用時の現実性の点から、「算定基準の自主的な取り決め」

の対象を「各職務発明」ではなく「各労働者」とし、数年毎の発明者

の実績評価を持って対価を算出することを提案している。また、労使

の力関係を考慮して、上記のような取り決めは契約よりも約款法理の

類推から、取り決めの存在と内容の開示およびアクセスの容易性の必

要性に触れている。さらに、従業者が取り決めないように異議申し立

てを行う機会の確保として公的機関の関与も提案している。また、相

当対価の「相場」の形成の観点から社外への基準の公表を勧めている。 (c)知的財産国家戦略フォーラム11:他の団体と比較して最も批判的であ

り、職務発明に関しては労使間の契約に委任すべき事項として35条

の廃止を求めている。また法改正にあたっては2年間のサンセット法

としてその間に労使への啓蒙教育、契約の促進等の施策を進めること

を提案している。 (d)知的財産制度研究会12:無効審判や訂正請求による権利の狭小化、先

行基本特許による価値の低下など、特許権そのものが本来有する不確

実性に焦点を当てて、職務発明制度の問題点を指摘している。また、

偶然性の高い事業化後の利益と発明者の能力・業績との連動性の低さ

からインセンティブ機能としても期待できないと結論づけている。 また、玉井は13、改正案においても「相当の対価」の額が著しい低い場合

は、適正な手続きを踏んでも司法の事後介入を防止できないと解釈できる

点から、前掲の問題点は解決しておらず、産構審の特許制度小委員会報告

書(前掲)の提案内容からも後退していると批判している。 (2)現状の問題点の整理

上記の諸批判は概ね相当対価の算定がもたらす企業リスク増大の影響と、

インセンティブ効果への疑問に大別できる。筆者はこれらに加えて、松井

(前掲)も指摘するように、「相当の対価」の法的性格に対する解釈に、権

利承継時の代価と事後的に確定した利益の配分に対する補償の双方の視点が

混在している事が議論を複雑にしていると考えている(図3-1)。前述の

論点を踏まえて、主に職務発明制度が企業の知財活用や事業戦略にもたらす

リスクの面から、現在の問題点を整理する。 ① 予測不可能性の問題

当該制度で最も強く批判されているのは,相当対価の額が予測不可能な

点である。裁判所は,①特許によって企業が得る独占の利益と②発明者の

10 「職務発明制度の在り方について」報告書(案)に対する意見 2003年11月25日 日本弁理士会特許委員会 11 「職務発明制度の在り方について」報告書(案)に対する意見 2003年11月25日 知的財産国家戦略フォーラム 12 「職務発明制度における構造的な問題 1-10」知的財産制度研究会 日経 BP知財 Awareness

http://chizai.nikkeibp.co.jp/chizai/manufacture/jinvent20040615.html 13職務発明制度改正案の検証 玉井 克哉 知財管理 vol54-6 2004

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貢献度および③発明完成から権利化、事業化までの諸事情に基づいて相当

対価を算定するとしている。それぞれの算定ファクターにまつわる不確実

性(リスク)は以下の通りである。 (a)特許による独占の利益

これは特許権自身が無効審判等の理由でその事業上の価値を変ずるリ

スクと、本発明が製品化・事業化までたどり着くリスク、当該特許権の

当該事業の独占性への寄与度、当該事業の独占性が事業利益に与える影

響などが考慮すべきファクターとなる。これらはすべて特許権譲渡時に

は決定していない不確定要因であるが、仮に訴訟により裁判所の評価を

仰ぐ時点でも、当該特許が事業の独占性に与える影響などは当事者の企

業でさえ正確な評価は困難であり、企業としては複数の発明、事業領域

でリスクの分散を図るポートフォリオ戦略で対応しているのであって、

その点でも成功例だけを取り上げて利益を算定する現制度は企業にとっ

て、税制において収益部門と赤字部門の損益通算を許さないことにも相

当するものとなっている。 (b)発明者の貢献度および③事業化までの諸事情の勘案

これはそもそも企業業績にその構成員がどのくらい寄与しているかを

外部から評価出来るかと言う問題である。企業における成果主義人事制

度の導入の議論からもわかるように、当事者である企業でさえ、プロフ

ィットセンター毎の事業別会計導入までは進んでも、間接部門の貢献度

については、個々の社員はおろか、部門毎の利益貢献度すら定量的な把

握に苦労している状態である。従って事後的にせよ裁判所が発明者の貢

献度を定量的に評価することは非常に困難と言わざるを得ない。 上記の通り、極端な事例を除き、個々のケースにおいて、相当の対価を外

部から算定することが現実的でないことは明らかである。したがって発明者

への特許権譲渡に対する対価は、各企業または業界の実情に応じた労使間の

取り決めに任せ、行政または司法は決め方のガイドラインの提示とその実施

状況の把握で関与すべきと考える。

② 権利の主体に関する問題 最近の知識社会への進展、世界的な競争環境の変化などの外部環境変化に

対応するべく、各企業は、成果主義人事制度やアウトソーシング、企業再編

など様々な手段を活用している。また行政もこれの支援として、日本版LL

C(有限責任組合)制度など、専門家集団による知的創造性の高い事業を円

滑に進めるための新しい法人形態に関する制度インフラの整備などを進めて

いる。これらの動きは、従来企業内の労使関係および企業間の契約関係の2

形態を主に想定してきた職務発明制度において、相当の対価の算定基準であ

る使用者の受けるべき利益の推定を複雑にする要因となることが予想される。 具体的な課題としては、①派遣社員による職務発明、②事業再編等により

当初特許権の承継を受けた組織と特許を利用した組織が異なった場合など、

特許権の移動に伴う職務発明のリスク移動方法、③LLCのように経営者と

社員の区分が曖昧な組織における職務発明の権利の所在、④一つの事業プロ

ジェクトに複数の特許とその発明者が複雑に絡み合いかつ発明完成までに大

きく異動するような場合の権利関係の管理などが考えられよう。

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③ 「取引の安全」への影響 現行の職務発明制度が存続すると仮定すると、R&D のアウトソーシング、

ベンチャーと大企業のコラボレーション等など、複数の企業とその社員が関

係する事業のリスクが増大し、自社技術秘匿のインセンティブが強化され、

技術の流通・活用が阻害されると考えられる。なお、私見であるが、大企業

の研究開発拠点が職務発明制度のために海外流出する可能性は、製薬会社の

ような業界を除けば、上記の自社内秘匿に比べて低いものと思われる。理由

は巨額の訴訟の対象となるような「大発明」自身の発生確率が、幸か不幸か

非常に低いためである。むしろ絶対額は小さくともベンチャーや中小企業の

中核技術について、社員が訴訟を起こす場合の方が企業の死命を制する可能

性が高く、中小企業の研究開発投資へ影響を及ぼす恐れがあるため、労使間

協定の締結促進など行政の対応が必要と思われる。

④ 研究者へのインセンティブ機能 長岡14が指摘しているように、給与等の形で発明者に支払われる固定費は、

相当の対価の算定に際して、企業の貢献度の算定にのみ考慮され、研究開発

の費用と見なされないため、企業に対して実績報酬制度の導入を促すものと

考えられるが、発明者へのインセンティブ効果の基本は「自分自身の貢献結

果の、よりダイレクトでリアルタイムに近いフィードバック」にあり、前述

の知的財産制度研究会の評論にもあるとおり、当たる確率が低く、自分の貢

献以外のファクターが大きい(結果が出るまで長くかかりやすい)事業利益

からの還元は、通常の企業内研究者にとってインセンティブとしては機能し

難いと考えられる(この点については、補論でゲーム理論を用いた検討を試

みる)。 発明者が、職務発明に関して企業を訴えるのは、原告のコメント等にも伺

えるように、技術者・研究者など専門家への処遇がいわゆるマネージャー職

と比較して低いことが、発明者の不満の根底にあるためと思われる。技術者

の社内での地位の向上こそが研究開発のインセンティブ向上と訴訟リスクの

低減の双方に貢献するものである(この点で、日本弁理士会が提案する、発

明者自身の評価をもって相当対価の算定に代える方法は、過渡期の代替案と

して効果的と思われる)。 なお、長岡(前掲)は、代替的なインセンティブ制度として、効率賃金原

理による処遇(企業の戦略に合った研究開発を真剣に遂行している場合にの

み昇給、昇格で報酬を与える)を取り上げている。

⑤ 国際競争力上の視点(海外特許制度との比較) 産業構造審議会 特許制度小委員会の参考資料他15をもとに、諸外国の従

業者発明制度について概観し、わが国の職務発明法制度と比較する。 (a)米国

・ 米国でも発明者が特許を受ける権利を取得しているが(特許法第1

01条)、連邦法上には職務発明に関する規定はなく、各州法で規

定されている。また職務発明に関する権利の帰属については、当事

者間の契約が優先されるとともに、従業者が発明を目的として雇用

14 [研究開発のリスクと職務発明制度] 長岡貞男 知財管理 Vol.54-6 2004 15 「第5回特許制度小委員参考資料1 諸外国の従業者発明制度」 特許庁 2003、「職務発明と知的財産国家戦略」 日本感性工学会 IP研究会 財団法人経済産業調査会 2002、「職務発明の相当の対価:日本、ドイツおよび米国におけるアプローチの比較研究」 Gianfranco Matteucci,Sonja Nyborg(事務局訳)AIPPI Vol.49 No.9 2004など

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された場合は、従業者は使用者に発明に関する権利を譲渡する義務

を負う。また使用者には無償の通常実施権(shop right)が与えられる。

・ 褒賞制度:殆どの企業では、職務発明を企業に譲渡する雇用契約を

結んでおり、従業者は給与以外の発明褒賞を受け取ることは出来な

い。発明奨励プログラムを備えている企業もあるが、その額は必ず

しも高額ではない。

(b)ドイツ ・ 1957年に制定された従業者発明法(2002年改訂)で、従業者発明の権利の従業者への原始的帰属、同法の規定に反する従業者に不利

な契約の無効(強行規定)、発明の対価に関する紛争解決手段とし

ての調整委員会の設置を規定している。 ・ 従業者は自己の発明を使用者に報告する義務を負い、使用者は職務

発明に係わる無制限権利取得の請求を宣言する義務を負う。また使

用者は通常実施権を得ることが出来るが有償である。また、使用者

は、無制限権利を請求した場合は直ちに内国出願を行う義務と権利

取得を求めない外国における権利を従業者に再移転する申し出義務

を負う。 ・ 無制限権利に対する補償金については1959年に連邦労働大臣か

ら詳細なガイドラインが策定されているが、法的拘束力は無い。ちなみ

に補償金額の算定方法は、補償金額=発明価値×従業者の持ち分率 で算定される。発明の価値は、類似の実施許諾や企業の収益等から

判断し、従業者貢献度は3項目の評価点の合計で算定される。対価

算定方法の一つであるライセンス類推では、「発明者が第3者と対

等な立場でライセンス契約を締結した」という仮定の元に適切な対

価額の判断を行っている。 ・ 同国制度の問題点として、制度が複雑で柔軟性がないため、使用者

の管理負担が大きく、また補償額の計算方法も複雑なことが指摘さ

れている。現在、当事者間の報告・請求手続きの簡素化、補償金算

定方法の簡易化(数万円~20数万円の一律補償と段階評価別の定

額報酬の組み合わせ)等を目的とした同法制度の改訂作業が進んで

いる。

(c)英国 ・ 従業者発明の定義は現行特許法(1977年)にはなく、判例にお

いて個々の事例毎に判断されている。従業者発明に係わる権利は原

則として使用者に帰属する。 ・ 補償金の支払いについては、「著しい利益」を当該使用者にもたら

した場合のみ裁判所の裁定を申請することが出来る。著しい利益の

範囲は使用者の企業の規模や性質に照らして判断される。また外国

特許も補償金の請求の対象となる。 ・ 実務上の職務発明に関する対応は業種、企業によって異なるが、大

多数の企業は積極的に褒賞制度を設けているわけではない。また、

算定方法も発明の実際の価値や将来の予想収益とは無関係に一定額

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(低額)のボーナスを支給する場合が多い。出願褒賞は英国内で数

万円、海外を含む登録褒賞で20数万円を支払う企業もある。

(d)フランス ・ 1996年施行の知的財産法で規定された職務発明制度では、従業

者発明を職務発明、職務外の発明、自由発明に分類し、職務発明の

権利は使用者に原始的に帰属するものとしている。同制度は、従業

者に対するより有利な契約上の規定がない場合には強制的に適用さ

れ(強行規定)、また外国特許による利益も補償の算定において考

慮される。 ・ 従業者は発明報告義務を負い、使用者は発明報告の妥当性について

の通知義務、権利帰属の請求義務(4ヶ月以内)、特許出願時の通

知義務等を負う。 ・ 職務発明に対する追加の補償の条件についてはフランス国内に約1

70存在する団体協約、社内合意、個別雇用契約によって定められ

る。 ・ 公的な紛争解決機関として調停委員会(CNIS)が設けられている。調停申請は年間約10件平均で、調停額は、1発明当たり10数万

円から約1000万円の範囲である。

以上のように、職務発明の権利は従業者に帰属する国と使用者に帰属

する国に分かれている。ドイツは日本と類似の労働者保護食の強い法制

度を持つが、補償額の算定に関して非常に詳細なガイドラインを持って

おり、その制度の複雑さから使用者の管理コストの増大を招いており、

さらに補償金を巡る紛争も多く発生しているため、現在制度改正が進め

られている。玉井らが述べているように、わが国の職務発明制度の改訂

に当たっても、既にドイツで失敗したような、硬直的かつ複雑な権利譲

渡手続きおよび対価算定規定を導入することは避けるべきであろう。

米国、英国、フランスの職務発明に対する報酬は原則として企業と従

業者の契約に拠っており、その金額も最近のわが国の職務発明訴訟判決

や先進的な企業の褒賞制度と比較してかなり低額である。 興味深いのは、フランスでは産業界の団体毎の契約を利用しており、

調停委員会では1000万円レベルの調停額も出てはいるが、1980

年の創立以来年間の調停申請数は約10件と比較的少ないことから、団

体契約が有効に機能しているのではないかと予想される。

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図3-1 現在の特許法35条がもつ問題点の構造

(3)ゲーム理論による企業の発明報酬制度の機能検討

本節では、ゲーム理論(プリンシパル/エージェント理論)16を用いて企業

が採用する発明報酬制度を、研究開発成果の使用者と従業者間の配分の機能と、

発明者の研究開発努力を引き出すインセンティブ機能の双方から検討し、現行

の発明報酬と「相当の対価」を同一視することの妥当性について考察を行う。 ①ゲーム理論による事象のモデル化と各プレーヤー(企業、発明者)の戦略 (a)事象=研究開発~事業化までの流れ

ここでは簡単のため、特許出願~特許権取得の段階は事業化の段階に

まとめ、特許取得のコストやリスクも事業化リスクの中に織り込んで

分析を行うものとする。

また、使用者等である企業は、リスクに中立だが、発明者はリスク回避型

であり、企業のリスク負担能力は発明者のリスク負担能力より大きいとす

る。

(i)契約時:企業と研究者がある研究開発テーマに関して研究を行うという事

に対して(明示的、黙示的に)合意する。この時点ではテーマの方向性だけ

が決まっており、研究の成功は不確実である。 (ii)研究開発

(ア) 発明者の報酬wに対する満足度(利得)をu(w)とする。発明

者は発明報酬の期待値と自身の払うコストCによって決まる効用{u

(w)-C}によって、研究開発時に高努力 H(コスト C(H))を払うか、低い努力 L(コスト C(L))を払うかを決定する。なお、常にC(H)>C(L)とする。

(イ) また、発明者はリスク回避型であるため、uは厳密に凹関数とな

る。従って、研究開発成功時の報酬をWS(確率φ)、失敗時の報酬

をWF(確率1-φ)とすると、常にφu( WS)+(1-φ) u( WF)<u(φ

16「契約の経済学」 ベルナール・サラニエ著、細江守紀、三浦功、堀宣昭 訳 勁草書房 2000

対価算定が強行規定

問題 原因 真因

使用者の当該特許による実現利益を基準に算定

算定に各種リスクが考慮されていない⇒高額化

対価の予測不可能性

報酬制度の自由度制限

司法の算定基準と企業の算定基準の不統一

「相当の対価」の法的位置づけが不適当

代価と補償/報酬の混同

対価算定時期や考慮事項が不統一、不適当に

複数使用者時の対価複雑化 特許価値の事前評価が困難

(不確実性大、価値の変動大)

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WS+(1-φ) WF)となる。 (ウ) 企業は、発明者の行動にかかわらず、一定の研究開発コスト Kを払う。また、企業は発明者が高努力を払っているか、低努力を払っ

ているかは判断できず、研究開発の成否のみで判断を行うものとする。

(=モラル・ハザード問題) ・研究開発成功

発明者が高い努力 Hを払った場合にφHの確率で、発明者の努力が低

い Lの場合にφ(L)の確率で、研究開発に成功するものとする。 なお、常に1>φH>φL>0とする。

・研究開発失敗 発明者の選択する努力によって、(1-φH)、または(1-φL)の確

率で研究開発は失敗し、その場合は以降の段階にも進まないものとする。

(iii)報酬制度のモデル:発明者のリスク負担を変えた2つの報酬制度を検討

する。 (ア)高リスク型:研究開発成功時に使用者はαV(V=π-K-C(H)、πは

発明の経済価値)を発明者に払い、失敗時には支払いを0とする。こ

こでαは、発明の経済価値から発明者と企業の払うコストを差し引い

た利益Vのうち、発明者へ配分されるのが合理的と見なされる割合で

あり、αVは職務発明における「相当の対価」に相当する。 (イ)低リスク型:研究開発成功時に Wsを、失敗時には WF を支払う。なお、

常に Ws>WFとする。

②各プレーヤーの利得 表3-1に企業、発明者の利得を示す。

表3-1 各プレーヤーの利得

期待利得 報

制度

発明者の

開発時努

力 企業 発明者

高努力 φH(π-αV)-K φHu(αV)-C(H) 高リス

ク型

低努力 φL(π-αV)-K φLu(αV)-C(L) 高努力 φHπ-ΦHWS-(1-φH) WF-K φHu( WS)+(1-φH)

u( WF)- C (H) 低

ク型

低努力 φLπ-ΦLWS-(1-φL) WF-K φLu( WS)+ (1-φL) u( WF)- C (L)

③使用者のリスク負担によるインセンティブ向上の検討

(a)高リスク型報酬制度

C(H)-C(L)≦{φH-φL}u(αV) (3-1) ならば発明者は高努力 Hを選択する(インセンティブ条件)。

なお、ここで、個人合理性条件(研究開発を行うかどうか自身に対する発明

者のインセンティブ)は、研究開発をやめて得られる外部機会を U、高努力を

選択した時に研究者の受け取る効用を Ũとすると、 Ũ=φHu(αV)-C(H)≧U (3-2)

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16

となる。

(b)低リスク型報酬制度

C(H)-C(L) ≦{φH-φL}{u( WS)-u( WF)} (3-3) ならば、 発明者は高努力 Hを選択する。

なお、ここで、個人合理性条件は、高努力を選択した時に研究者の受け取る

効用を Ũ’とすると、 Ũ’=φHu( WS)+(1-φH) u( WF)- C (H)≧U (3-4) となる。

上記2つの報酬制度を比較すると、発明者がリスク回避型であるために、高

リスク型発明報酬制度の下では、図3-2に示すように、高努力を払った時の発

明報酬の期待値が低リスク型の期待値と等しい場合(=企業の支払う報酬の期待

値が一定の条件)でも、発明者の期待利得は低リスク型よりも非常に低くなる。

つまり発明者のリスクプレミアム(報酬の期待値と確実性同値の差)は高リスク

型をr1低リスク型をr2とすると、r1>r2となる。

従って3-3式および3-4式の条件の下で、適切に Ws,WF を設定することで、

研究者が高努力Hを選択し、かつ高リスク型の報酬制度と同じ効用 Ũを得られることが可能となる。

3-2式と3-4式より、高リスク型報酬制度と低リスク型報酬制度における

研究者の効用が一致する条件は、

φHu(αV)= φHu( WS)+(1-φH) u( WF) (3-5) となる。今αVが3-1式と3-2式を満たしている条件下で図3-3に示す

ように、線分 CD 上に線分 AB をφH:(1-φH)に内分する点XがくるようにWS

とWFを設定することで、3-5式の等号を満足するWSとWFの組が得られる。

3-5式の不等号を満足するためには、線分CDより上方で効用関数uと高リス

ク型報酬の期待値との間をつなぐ線分EF上に内分点XがくるようにWSとWFを

設定すれば良い。なお、この組み合わせは複数存在する。

また、低リスク型におけるWFは、発明者への固定給部分と見なすことも可能で

ある。

実際の企業においては従業者に固定給を支払うことで、従業者の研究開発リス

クを企業が負担しつつ、成功報酬(WS-WF)で発明者の高努力を引き出そうと

していると考えられる。

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図3-2 発明報酬制度と期待利得の関係(報酬の期待値が等しい場合)

図3-3 発明報酬制度と期待利得の関係(発明者の効用が等しい場合)

以上のように、企業の支払っている成功報酬は、研究開発のリスクを企業が

負担することで、研究開発成功時のみに相当の対価分の報酬αVを支払う場合

と同等以上の効用(インセンティブ)を従業者に与えることが可能であり、企

業はこのような視点で発明報酬制度を設定・運用していると考えられる。 今までの職務発明訴訟の判例においては、企業の支払っている成功報酬(WS

-WF)と発明者の受けるべき対価αVを比較して、企業の発明報酬が相当の対価に不足していると結論づけているものが多い。これは研究開発成功時と失敗

時の報酬の差額は、発明者へのインセンティブ付与のために設定されており、

発明の成果配分(αV)として設定されたものではないこと、ならびに研究開

報酬額αV、X 報酬額の期待値

確実性同値額 X

u(αV)

X1

φu(Ws)+(1-φ) u(WF)

*>φ=φH

0 αV φαV =φWs+(1-φ)WF

φu(αV)

u(Ws)

Ws WF

u(WF)

X2

r1

r2

報酬額αV、X 報酬額の期待値

確実性同値額 X

u(αV)

*>φ=φH

0 αV φαV

φu(αV) = φu(Ws)+ (1-φ) u(WF)

u(Ws)

WsWF

u(WF)

φWs+(1-φ)WF

φ 1-φ

φ 1-φ

A ●

●●C

D

B

X●

使用者の期待

利得増加分

E F● ●

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18

発のリスクを企業が負担していることを考慮しない事が原因であろう。従って

相当の対価の妥当性評価においては、研究開発の成果配分とインセンティブ付

与の双方の目的を区別して考える必要がある。

なお、以上の議論においてαV、WSとも金銭的報酬に限らず、金銭的価値に評

価しうる報酬(昇給、昇格、研究開発環境の整備など)と考えても問題はない。

(4)「相当の対価」の法的位置づけに関する提案(35条 1~3項の解釈) 上記の論点を踏まえながら、職務発明における相当の対価が備えるべき法的な

性格について考察する。 ①「相当の対価」の位置づけ わが国特許法35条の役割として、発明に係わる関係者間の権利調整機

能があることは疑う余地はない。そこで、35条3項における「相当の対

価」の位置づけについて改めて考察する。職務発明においても、発明の権

利は原始的に従業者に帰属しているのであり、35条2項で企業は事前の

取り決めにより一方的に職務発明に関する権利の承継を受ける事が出来る

のは、第2章でみた判例・学説からも明らかである。 つまり「相当の対価」請求権は、法理論上は発明者が持っている発明に

関する権利(独占権)を使用者に優先的に譲渡することで発生するもので

ある。従って、「相当の対価」の対象は、従来考えられている「使用者が

発明から受ける利益」ではなく、ドイツの従業者発明における対価算定の

考え方のように、従業者が当該発明を自己実施し、または使用者等以外に

実施許諾すること等によって得られる利益=権利承継による「従業者の機

会費用」への対価と考えることが相当なのではないかと考えられる。(図

3-4) この解釈に立つと、相当の対価は、「事後的に確定した事業利益の内、

発明者が権利承継時に配分されるべきだった分への補償」ではなく、「発

明者が発明に関する権利の自分の持ち分を自由に処分出来たならば得られ

た利益(機会費用)の期待値、つまり権利承継時点でリスクを勘案した発

明の市場価値から、使用者等の貢献度分を差し引いた額」と考えるべきで

あり、 (発明者にとっての当該発明の価値=特許を受ける権利の市場価値-法定

通常実施権の現在価値)×(発明完成までの発明者の貢献度) となる。この考え方に立つことで、「職務発明の権利調整」と、「研究開

発へのインセンティブ誘引、または事業成果への貢献に対する報酬」を明

確に区別することが可能となる。 ②「発明者の機会費用」の算定について (a)「相当の対価」の算定時期について:基準は権利承継時。裁判など、

事後的に実績値で代用する場合でも、権利化および事業化の成功確率も

考慮した権利承継時の価値で計算すべきである。また、対価請求権の発

生・消滅時効の起算日は対価(≠実績報酬)の最終支払日となる。 (b)「相当の対価」の算定基準:前述の通り、発明者の機会費用(自己

実施および他社へのライセンス供与、譲渡)の権利承継時の市場価値と

する。

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(c)「相当の対価」の算定に関する考慮事項:発明の使用価値(市場価

値)であることから、「使用者等が受けるべき独占の利益の額」および

「使用者等の負担、貢献」よりも当該業界での発明の市場価値(リスク

を反映した平均的な経済価値)を考慮して算定することが望ましい。 業界の平均的なデータの利用によって、個々の発明に由来する不確実

性を回避することで対価算定の透明性が向上し、使用者と従業者間の情

報および交渉力の非対称性に係わる問題の改善が可能となる。また、対

価算定基準の妥当性が向上することで、訴訟時の裁判所の判断との乖離

の低減、対価の予測可能性の向上も期待できる。 なお、実務上の便益から、当該使用者のデータを用いる際も、あくま

で参考値でとし、算定基準とは扱わないことが必要である。また、経済

価値の算定に際しては、長尾(前掲)からも指摘しているように、使用

者等の負担している費用およびリスクを推定利益から控除すべきである。 ③「発明者および使用者の貢献度」の算定について 研究開発において、リスクと費用負担の対価の一部として従来通り企業

が通常実施権を無条件で得ることは、他国の制度との比較の上からも相当

である。 発明者の貢献度および使用者等の貢献度は、あくまで発明が成されるま

での諸事情を考慮すべきであり、発明後の事情(事業化のリスク、コスト

など)は発明者の機会費用算定の参考値として利用するが、貢献度の算定

には用いるべきではないと考えられる。

図3-4 「相当の対価」の法解釈上の提案

(5)改正法4,5項の改訂について

上記の考えに基づいて、相当の対価の算定方法について規定している改正法

35条の4,5項をいかに変更すべきかについて考察する。

真因

「相当の対価」の法的位置づけが不適当

代価と補償/報酬の混同

対価算定時期や考慮事項が不統一、不適当に

真因

「相当の対価」の法的位置づけが不適当

代価と補償/報酬の混同

対価算定時期や考慮事項が不統一、不適当に

対価と褒賞の分離

対策

発明者の機会費用への対価とする

対価=権利承継時の独占権の代価

権利承継時の市場価値で算定

対価と褒賞の分離

対策

発明者の機会費用への対価とする

対価=権利承継時の独占権の代価

権利承継時の市場価値で算定

効果

リスクの反映による対価の適正化

司法と業界で算定基準統一⇒予測性向上

報酬制度の自由度確保

複数使用者時の権利関係整理

効果

リスクの反映による対価の適正化

司法と業界で算定基準統一⇒予測性向上

報酬制度の自由度確保

複数使用者時の権利関係整理

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①従業者等の機会費用に対する対価であることの明示 現行法4項および改正法5項の「使用者等が受けるべき利益の額」を、

「従業者等が発明から受けるべき利益の額」とすることで、従業者等が

自身の権利を使用者等に譲渡することによる機会費用の対価であること

を明示すべきである。 ②「権利承継時の算定」の明確化 前述のように、改正法の第5項では、使用者の貢献その他の考慮事項

について、現行法4項の「発明がされるについて」から「発明に関連し

て」と事業化まで含めて考慮すべき範囲を拡張していると思われる。し

かし、特許を受ける権利の承継時における発明の価値と各当事者の貢献

を元に相当の対価を算定すべきであり、「発明がなされるまでの」諸事

情のみを考慮するように改めるべきである。 ③企業リスクの反映 発明がなされるまで(研究開発)の企業が負担するリスクと負担を企

業の貢献度の算定に反映させるとともに、発明者の受けるべき利益の算

定において、発明の権利化リスク、事業化リスクやライセンス契約成立

リスクを控除要素とするように、条文を改めるべきである。 ④「相当の対価」規定を強行規定とすべきか 現行法における相当の対価規定は、オリンパス事件の最高裁判決等に

おいて、強行規定とされている。これは従業者と使用者の間の交渉力の

非対称性および情報の非対称性を考慮した労働者保護の目的によるもの

と考えられる。 しかし、今回提案した相当の対価の位置づけとそれに基づく対価算定

においては、以下のようにこれらの非対称性を解消することが可能であ

るため、相当の対価規定は任意規定として、当事者間の契約を優先する

ことが、対価の額の予測可能性の向上のためにも望ましいと考える。 (a)交渉力の非対称性

長岡17は、発明報酬制度を企業と各従業者間の個別契約でなく、社

内制度として策定し、無差別性を確保することで、交渉力の非対称性

は低減すると主張している。今回提案する算定方法では、業界毎に算

定モデルを設定することで、特許庁など公的機関の算定における関与

等、報酬制度の公平性を確保することがさらに容易になることが期待

できる。また4章で示す計算結果のとおり、少額な対価となるため、

交渉上の問題は少ないと考えられる。

(b)情報の非対称性 対価の算定に当たり業界標準で対応し、さらに公表されているデ

ータを使用することで算定方法の透明性が向上する。これによって当

該企業に採用される前から、報酬額の予測が可能になり、使用者と従

業者間の情報の非対称性が解消されると期待できる。

17 「研究開発のリスクと職務発明制度」長岡 貞男、政策研究院シンポジウム講演 2004

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4 相当の対価の算定モデル 本章では、前章で検討した「相当の対価」の法的位置付けに基づいて、実際に対価を

算定するモデルを提案し、現在入手可能なデータを用いてその額の推定を行う。 (1)従来提案された算定モデル

① 研究開発リスク、事業リスクの分担について 長岡は18、研究開発および事業化のリスクを相当の対価の算定に組み込む

方法を以下のように考察している。

(a)前提: ・ 企業、発明者ともリスクに中立的だが発明者のみ資本の借り入れ制

約を持つ。

・ 企業と発明者は期待収益が正なら研究開発に投資 or 努力を払い、そ

の水準は一定である。

・ 簡単化のために、期待収益は特許の独占権からの粗利益ではなく、

発明の事業化粗利益自身とし、その配分割合は与件とし、当事者間

の交渉力に依存する。

(b)モデル

・ 研究開発と事業化それぞれの段階で成功と失敗の確率を与え、研究

開発に成功したときのみ事業化費用を追加投資する

・ 発明者は事業化または研究開発が失敗した時にはリスクを負わない

が、事業成功時には、企業が負担していたリスクを保険料の形で企

業に支払うことでリスクを負う。

(c)結果の含意 ・ 研究開発、事業化のリスク費用は、研究開発投資からの事前利益自

体の決定要因の一つであることから、事業利益の発明者と企業間の

分配率を決める要因ではなく、実現した利益からの控除要素として

扱うのが自然である。

・ 相当の対価の算定に当たっては、企業が実際に要した費用を成功確

率の逆数で拡大して費用化する必要がある。従って、リスクと企業

の投資額が大きいほど、事業化成功時に発明者が支払うべき保険料

は大きくなる。

② 成功報酬額がリスク選好に及ぼす影響からの視点 長岡と同じく研究開発・事業化のリスクが多大である(研究開発が大当た

りする確率は低い)ことを前提としながら、中山一郎19は、宝くじに対する

人々の行動からの類推として、成功時の報酬が非常に高額な場合には、リ

スクを考慮した期待収益率が低くとも発明者に高いインセンティブが与え

られるとし、上限の無い実績報酬制度の有効性を示唆している。

上記の通り実績報酬制度のインセンティブ効果に対する長岡、中山の評

価は異なっているが、これは対象とする研究者像や、研究者の払うべきコ

ストの水準がインセンティブに与える影響への配慮などが異なるためでは

ないかと考えられる。私見であるが、製薬業界や技術ベンチャーのような、

18 [研究開発のリスクと職務発明制度] 長岡貞男 知財管理 Vol.54-6 2004 19 「職務発明に対する補償金の設計思想に関する一考察-イノベーション宝くじ論を手がかりに-」中山一郎『特許研究』33号 , 2002

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22

少数の優れた特許によって大きな利益が見込まれる分野を除けば、長岡が

示唆するような研究者の行動様式の方が実情に近いのではないかと思われ

る。

③ 権利承継時の現在利益推定に関するモデル 事後確定した事業利益から、権利承継時の現在利益を推定する方法とし

ては、飯田、早稲本が20、特許権(当該技術)の価値の変動リスク、事業化

リスクや企業の機会費用を DCF 法の割引率として、企業の事業利益の年次

変化(ネットキャッシュフローの流列)から職務発明の権利承継時の現在

価値を推定する方法を提案している。さらに現特許法35条 4項の「使用

者等の貢献度」については、発明に関する権利の承継時点までのものに限

定すべきとしている。

なお、「相当の対価」を直接検討したものではないが、特許価値の評価

に、追加の研究開発オプションを含むリアルオプション手法の適用を検討

したものとして Robert Pitkethly の論文(鈴木訳)21がある。

④ 対価の算定に用いるデータに関する考察 松井22は、「相当の対価」の算定に当たって、事後的な実績補償とは法的

性格が異なることを前提とした上で、当該特許を利用した商品の、発売直

後(1~2年)の販売実績を、参考数値として用いることは実務上有効であ

ろうとしている。

後述のように、「相当の対価」の対象を「発明者の機会費用」とした場

合には、当該企業の事業利益よりもその発明が主に適用されるであろう業

界における特許の経済価値に基づいて算定を行うことが妥当であると考え

られるが、その際に用いるべきデータは、当該企業よりも業界全体を対象に

することが相当であると考えられる。 (2)本検討のモデル

先行研究の算定方法を参考にしながら、前章で提案した相当の対価の法的性

格に基づいて、対価の算定モデルを検討する。 ① モデルの前提 (a)使用者等には、法定通常実施権が与えられている。 (b)「相当の対価」は発明者が使用者等に「特許を受ける権利」を優先的

に譲渡することで発生する発明者の機会費用への対価のみとし、発明者

へのインセンティブ効果は考慮しない。 (c)対価の請求権の発生時は、上記権利の譲渡時であり、発明者が当該発

明を自分で実施、または他社に供与した際に得られるべき利益を権利承

継時点の現在価値に換算し、その額に研究開発段階での発明者の貢献度

を乗じて算定する。

20 「職務発明の「相当の対価」の算定方法に関する試論」 飯田秀郷、早稲本和徳、 知財管理 Vol.53-12 2003 21 「特許の価値評価:“オプション”に基づく方法と更なる研究の可能性を考慮した特許価値評価法の検討(その1)、(その2)」Robert Pitkethly(鈴木公明 訳) 知財管理 Vol.53-2 2003 22 「特許法 35条発明者への対価支払い条項と企業の定めるべき職務発明規定」 松井祥二 知財管理 Vol.54-11 2004

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(d)対価の算定に当たっては、研究開発、発明の権利化、発明の事業化の

各段階が時間軸上で直列に展開する事業モデルを前提とする。 (e)対価の算定に当たっては、上記各段階におけるリスクを反映させる。

②算定モデル (a)モデルの対象とする事象の期間

Trd:研究開発期間、Tl:権利化期間、Tb:事業期間に3分する(各期は連続) (b)モデルの仮定

・権利承継時期は、Trd の終わり(Tlの始め)

・利益(ライセンス実施料 or 自己実施時の利益)は、期間 Tb に発生する

・「発明者の」利益 Vi(i=1:ライセンス供与、i=2:発明者実施)←いずれか

を業界・使用者の実状に合わせて選択

・期間 Trdに発明者は自己の払うコストに見合った報酬(賃金、賞与)wを受

領する

・使用者等は、研究開発が成功した場合には必ず特許を出願すると仮定する。

この仮定を用いて、期間 Trdにおける使用者の研究開発リスクは、使用者

等の出願1件当たりの平均研究開発費 Crdm で代替する

・期間 Trdにおける使用者の貢献度αrd =(Crdm+αc)/( Crdm +αc +w)

(αc:賃金以外の処遇等による貢献度)

・期間 Tbは、産業別特許価値保有期間(特許の有効期間、または産業別技

術陳腐化率εにより、技術価値が当初価値の 1/2 になるまでの期間23)の

内短い期間とする

・期間 Tbにおける事業コスト Cb と期間 Tlにおける権利化コスト Clは期間

中一定に発生する

(c)相当の対価の算定モデル

上記の仮定の下で、相当の対価は以下の式で表される。

ただし、

・πi:相当の対価(i=1:ライセンス供与、i=2:発明者実施)

•Vτi:各期τで発生する事業利益(i=1:他社に通常実施権をライセン

スした時の実施料、i=2:自身で実施した時の事業利益-法定通常実施

権の価値)

•Cl:権利化コスト、Cn:交渉コスト、Cb:事業化のコスト、Cp:特許維

持コスト、Cti:期間 Tb の年間平均総コスト(i=1:Cn+Cp、i=2:

Cb+Cp)

・αli:特許寄与度(i=1:αl1=1,i=2:事業利益における特

許貢献度合い、通常は25%ルールを適用、αl2=0.25)

・r:産業別平均資本化率24

23 「特許流通成約事例に基づく特許価値評価システムの検証」 (社)発明協会 2004 24 (社)発明協会 2004 (前掲)

)14()1()1()(

)1()(

1−⎯⎯←−

⎪⎭

⎪⎬⎫

⎪⎩

⎪⎨⎧

⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛+

−⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

+−

= ∑∑=

+

=rd

Tl

TT

T

tiililbii

lbl

lr

CrCV ααφφπ

ττ

ττ

τ

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24

•φl:特許権成立確率、φbi:i=1:ライセンス交渉成約確率、i=2:事

業化成功確率

なお、従来の判例から、現在の対価算定方法は、以下の用に表されるもの

と考えられる。

F:使用者等の貢献度

Ce:発明者の研究期間~事業化における貢献度、 Crd: 当該発明における使用者等の負担した研究開発関連費用

4-1式と4-2式を比較すると、権利化や事業化のリスク反映の有無、事

業利益を上げるための費用の反映方法が大きく異なることがわかる。

(d)本モデルの特徴(従来研究との相違点) ・ 各リスクの反映において:飯田ら(前掲)が事業化リスク、技術の陳腐

化リスク等を割引率に反映していたのに対し、本モデルでは、発明の権

利化および事業化(事業利益実現)のリスクを確率変数として事業利

益に乗じて利益の期待値に反映させる一方で、技術の陳腐化リスクは技

術陳腐化率によって事業利益の発生期間を、規定することで反映させ

ている。また、研究開発のリスクの反映について、長岡(前掲)は成功

確率変数を与えているが、本モデルでは根拠となるデータ探索の容易性

を考慮し、企業の年間特許出願1件当たりの研究開発費総額(人件費を

含む)を算出し、失敗した研究の費用も出願した発明の費用に参入する

ことでリスクの反映を行っている。なお、長岡は研究開発が成功した時

に発明者が保険料を企業に支払うという方法で、研究開発のリスクを発

明者に負担させているが、本モデルでは、発明者はリスクを負わない分

だけ、発明者貢献度を低減させている。 ・ 事業利益の現在価値への換算:飯田らが、割引率を感度分析の対象パラ

メータとしているのに対して、本モデルでは、特許庁が算出した産業別

平均資本化率を用いて時間による割引を行っている。 (3)用いるべきデータについて

本モデルでは、発明者が得られるべき利益の算定の視点から、数値データ

として公表されている業界全体の平均値を採用している。これにより使用者

等の個別企業データを用いた算定と比較して、客観性・汎用性の高い対価算

定を可能にするほか、発明者の納得性を高める効果も期待している。なお、

研究開発期間に関しては、権利承継時に既に実現しているコストやリスクで

あるため、各企業の平均値を用いることも妥当性があると思われる。 (4)試算結果の考察

4-1式と、産業別のデータから相当の対価の試算を行い、当モデルの妥

当性を検証する。なお、比較対照として、「味の素アステルパーム事件」の

東京地裁判決額を取り上げる。

{ } )24(),,,,(1 −⎯⎯←−⎟⎟⎠

⎞⎜⎜⎝

⎛= ∑

+

=ecrdlti

TT

Til CCCCFV

bl

l

ααπτ

τ

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25

表4-1に化学業界、電機業界、食品業界の数値データを用い、発明者が

業界他社にライセンス供与したと想定して計算した相当の対価の試算結果を

示す。 味の素社については、権利化期間と事業期間、ライセンス収入と権利化コ

スト等は判例を参考に数値を定めるとともに、不明なデータについては資本

金100億円以上の食品業界の数値を用いて対価の試算を行っている。 まず、研究開発期間における使用者等の貢献度αrdをみると、61%~8

7%と業界や企業規模によって差があることが判る。これは、特許出願1件

当たりの研究開発費(失敗した研究開発の費用を含む)に差があるほか、出

願する発明に研究者が支払うコスト(=研究者の人件費/一人当たりの出願

件数で代替)の構成要因である研究者一人当たりの特許出願件数に差がある

ためである(人件費自体の業界による違いと貢献度の違いは相関が低い)。 次にライセンス収入に基づいた相当の対価の算定値を見ると、食品業界で

はマイナスの値となっている他、他業界でも6万~21万円と、判例と比較

してもかなり低い額となった。 食品業界が特に低いのは、有償許諾特許1件当たりのライセンス収入が他

業界と比較して低いためであるが、全体としても低額の対価となった理由と

しては、1社当たりの平均保有特許件数に対する他社実施許諾件数(クロス

ライセンスを含む)から求めたライセンス交渉の成約確率φb1(事業利益実現のリスク)が、電機業界の9.3%を除き、概ね3%前後と低く、特許成

立確率φl(約30%)を乗じて求める事業利益の期待値が非常に低くなるた

めである。本算定方式で味の素アステルパームの事例について試算すると、

1件当たりの相当の対価は約19万円(10件で190万円)となり、和解

金の1億5000万円がリスクを考慮しないことで、本来の発明の価値と比

較して非常に高額となっていることが推察される。 なお、産業別の平均資本化率を使った現在価値への割引は、最も割引率の

高い電機業界で約9.6%であるが、研究開発後、電機業界における平均的

な特許有効期間終了までの Tl+Tb=10.7年後の発明の価値を研究開発終了時点の現在価値に換算すると、利益発生時点の(1.096)-10.7=0.37倍と4割弱まで減少することからも、権利承継時の相当の対価を計算する際に、適切な割

引率を設定して現在価値に換算しないと、結果として高額な算定を行ってし

まうことがわかる。 また、試算結果を見ると、現在企業が取っている発明報酬制度の出願時報奨金と特許登録時報奨金とオーダーとして近似しており、実績補償を除いた

企業の発明報酬制度が、従業員との権利関係の調整機能としては、結果とし

て妥当性の高いものであることを裏付けている。

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26

表4-1 業界別「相当の対価」の試算結果

記号 内容 単

味の素

(判例) データ(業界平均値) 出典

味の

素*

食品(資本

金 100

億円以

上)

化学(資本金 100

億円以

上)

食品(、繊維、パ

ルプ、紙)

化学業

電機業

Trd 平均研究開発期

間 年 13 2.6 2.6 2.6 2.6 2.6

研究開発関連政策が及ぼす経済効果の 定

量的評価手法に関する調査 科学技術庁

科学技術政策研究所 1999

Tl 平均出願~登録

期間 年 11.5 4.5 4.5 4.5 4.5 4.5

工業所有権審議会企画小委員会報告書

1998 の平均審査請求期間について審査請

求期限7年の値を同3年に換算し、審査請

求~登録までの平均期間を29ヶ月として計

Tb 事業期間(εで割

引いた技術価値

半減期)

年 8.5 6.75 7.91 6.75 7.91 6.3特許流通成約事例に基づく特許価値評価

システムの検証 by (社)発明協会 2004

Tl+Tb(技術価値

半減期利用) 年 20 11.2 12.4 11.2 12.4 10.8

w Trd 期間中の人

件費

百万

円/人

/年 8.5 10.0 9.8 8.4 8.7 8.5

H15 統計でみる日本の科学技術研究 総

務省 統計局 (2002 年度データ)より計算

産業別企業当た

りの研究者数 人/社 282 143.4 347.9 8.4 30.1 43.4

H15 統計でみる日本の科学技術研究 総

務省 統計局 (2002 年度データ)より計算

nep 研究者一人当た

りの特許出願数 件/年

/人 0.5 0.7 1.8 3.4 6.2 10.4

H15 統計でみる日本の科学技術研究 総

務省 統計局 (2002 年度データ)と平成15

年度特許庁知的財産活動調査結果より計

Crdm 企業の特許出願

一件当たりの平

均研究開発費

百万

円/件

/年 166.5 17.1 18.0 10.6 8.9 2.4

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

産業別総 R&D支

出(2002 年) 百万

円 43,117 490,795 141,350681,017 542,994平成15年度特許庁知的財産活動調査結

Crd 産業別一社当た

り総 R&D 支出

(2002 年)

24,306 1,725 11,414 303 1,657 1,061平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果 より計算

np 産業別1社当たり

特許出願件数 件/社 146 101 634 29 185 451

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果 より計算

αc 賃金以外の処遇

等による貢献度

(Trd 期間内)

百万

円/年 5.2 1.6 0.7 0.4 0.2研究開発設備の使用料を、有形固定資産

減価償却費で代替

一社当たり研究

開発用有形固定

資産の減価償却

百万

円/年

/社 525 1,010 19 67 74

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

αrd

Trd における使用

者の貢献度=

(Crdm+αc)/

( Crdm +αc

+w/nep)

0.91 0.61 0.78 0.82 0.87 0.76

ε 産業別技術陳腐

化率ε 0.098 0.084 0.098 0.084 0.104

特許流通成約事例に基づく特許価値評価

システムの検証 by (社)発明協会 2004

Vτ1 各期τで発生す

る事業利益(ライセ

ンス)=pn/nnp

百万

円/件

/年 93.8 13.2 39.4 14.0 28.7 17.3

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

味の素はアステルパームのライセンス収入データ(判

決文)を利用

*>特許四季報(2003)、味の素 IR資料、アステルパーム事件判決文より

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表4-1 業界別「相当の対価」の試算結果(つづき)

Cl

出願件数当たり

権利化コスト(人

件費含む)=

(Cxl+Cyl)/np/Tl

百万

円/件

/年0.14 0.14 0.12 0.17 0.12 0.10

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果 より計算

Cp 保有特許当たり

特許維持・管理コ

スト(Cxp/np)

百万

円/件

/年 0.12 0.12 0.10 0.13 0.11 0.06

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

Cn

他社有償実施ライ

センス件数当たりラ

イセンス交渉コス

ト(係争系コストの

1/2 と仮定、

(Cxn+Cyn)/2/no)

百万

円/件

/年 0.59 0.59 1.43 0.61 0.68 1.10

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

Cxl 一社当たり特許

権利化コスト 百万

円/社 38.1 271.7 13.9 75.7 168.3平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cxp 一社当たり特許

維持コスト 百万

円/社 16.5 92.1 4.1 26.7 41.1平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cxn 一社当たり知財

係争コスト 百万

円/社 2.7 40.8 1.3 8.0 6.5平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cxo

一社当たりその他

知財関連費用(調

査費+管理費+

補償費)

百万

円/社 11.4 38.9 3.3 13.8 25.9平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cyl 1社当たり出願系

人件費 百万

円/社 25.3 74.1 7.6 25.1 27.2平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cyn 1社当たり係争系

人件費 百万

円/社 7.3 12.3 1.6 5.1 8.8平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Cyo 1社当たり特許調

査/管理人件費 百万

円/社 16.8 40.4 5.8 17.8 19.3平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Ct1 ライセンス時の期間

Tb の年平均コス

ト=Cn+Cp

百万

円/

権 0.7 0.7 1.5 0.7 0.8 1.2

r 産業別平均

WACC 0.04 0.04 0.06 0.04 0.06 0.10

「特許流通成約事例に基づく特許価値評価

システムの検証」 (社)発明協会 2004

φl 特許成立確率 0.29 0.29 0.29 0.29 0.29 0.29特許庁 2002 年統計データより計算

φb1 ライセンス交渉成約

確率=nlp/nhp 0.03 0.03 0.02 0.03 0.03 0.09

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

φb2 事業化成功確率

=nsp/nhp 0.00 0.37 0.15 0.29 0.13 0.10

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算

Pn 一社当たりライセンス

収入

百万

円/年

/社 1,935 114 731 32 280 120

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

果より計算、味の素は 1999~2001 年実績

値の平均

nhp 一社当たり特許

所有数 件/社 608 377 1,684 99 541 1,373

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

nsp 一社当たり自社

実施数 件/社 138 256 29 71 138

平成15年度特許庁知的財産活動調査結

nlp 一社当たり他社

許諾件数(クロスライ

センス等含む)

件/社 11.3 33.7 3.3 14.6 127.6平成15年度特許庁知的財産活動調査結

nnp 一社当たり他社

有償許諾件数 件/社 8.6 18.6 2.3 9.7 6.9

π1

ライセンスで算定した

相当の対価(Tb:

技術価値半減期

使用)

万円 0.19 -0.01 0.09 -0.04 0.06 0.21Tb に技術価値半減期を用いた時の値

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(5)「相当の対価」規定の設計と運用について 上記のモデルを実際に企業の発明報酬制度に組み込む場合の課題としては、以

下の点が挙げられる。 ① 発明者へのインセンティブの別途整備:

5章で詳述するように、本モデルで算定した相当の対価は、あくまで

発明者と使用者等との発明を受ける権利に関する権利調整機能のみを果

たすものであり、発明者の研究開発努力に対するインセンティブとして

は十分に機能するものではない。従って、発明報酬制度としては、別途

発明者へのインセンティブ向上策を組み込む必要がある。 ② 数値データの整備と更新の体制

今回の試算では、基本的に公的機関がサイトなどで発信しているデー

タを利用している。これは、客観性・信頼性の高い情報を用いることで、

従業者である発明者と、使用者等の間に情報の非対称性が生じることを

避けて両者の納得感を醸成するとともに、対価の予測性を向上させるた

めにも重要な点と思われる。 特許出願関連のデーターは毎年更新されるが、産業別平均資本化率や

産業別技術陳腐化率εは単発の調査研究のデータであるため、今後各産

業界別にデーターを整備・更新していくことが望ましい。また、今回研

究開発の成功リスクを出願1件当たりの企業の研究開発関連費用(失敗

した研究の費用も含む)で代替したが、実際には、特許出願と研究開発

費用投入の間にはタイムラグがあるため、研究開発費用や特許出願費用

の増減が大きな企業・業界には数年分のデータの移動平均などを用いる

必要があると思われる。 ③ 各業界における規定作成および従業者との協議・周知に係わる体制

の構築 改正特許法35条の4項は、「相当の対価」算定基準の策定に当たっ

て、使用者等と従業者等との間で合理的と認められる協議、開示、意見

聴取を行うことを要求している。今後35条を再改正する際でも、従業

者保護の観点から、これらの要求事項は残る可能性が高い。前述の通り、

対価の算定に関する35条規定を強行規定とせず、事後的な司法介入を

防止するためにも各産業別に算定基準の作成、開示と、企業毎または業

界毎の従業者からの意見聴取のシステムの設定を、②の算定用データの

整備と併せて行う必要がある。 5 おわりに (1)「相当の対価」の位置づけと算定方法の検討結果

以上の分析結果を3章で挙げた論点毎に整理する。 ① 対価の予測不可能性の問題

「相当の対価」を発明者が当業界において発明の権利を行使して得ら

れるべき利益に対する代価と位置づけることで、各企業毎の個別事情に

起因する不確実性を排除することが可能となる。併せて、発明の権利承

継時の当業界における平均的な経済価値を対価算定のベースに用いるこ

とで、個々の特許が本来的に持つ不確実性の影響を低減し、対価の予測

可能性と透明性を向上させることが可能となる。

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② 権利の主体の問題 当業界での特許の平均的な経済価値を用いることで、複数の事業者に

係わる特許の経済価値評価の問題を回避することが可能となる。 ③ 取引の安全性の問題 ①、②で述べたように、対価の予測可能性の向上および複数事業者間

での対価算定の容易化は、共同開発やM&A等における権利調整の精度を高め、取引の安全性を向上させると考えられる。

④ 研究者へのインセンティブの問題 特許法で定める「相当の対価」の機能を当事者間の権利調整機能に限定し、

研究者へのインセンティブ機能と分離することで、企業は固有の事情に応じ

た発明報酬制度を自由に設定することが可能となる。これは、3章のゲーム

理論による検討や補論で示すように通常企業と比較してリスク負担能力の低

い発明者にとっても、一律的な実績補償と比較して、「相当の対価」算定の

透明性向上と併せて研究開発のモチベーションを向上させるものと考えられ

る。 ⑤ 国際競争力上の視点 相当の対価の予測可能性・透明性の向上は、企業が負担しているリス

クの適切な反映による対価算定額の妥当性の向上と共に、企業の R&D投資意欲の阻害要因を排除する方向に作用する。また、企業の発明報酬制

度の設計自由度の確保は、発明者の研究開発へのインセンティブ強化を

通じて、わが国の研究開発力の向上への効果が期待できる。

以上のように、従来指摘されてきた職務発明制度の問題点は、従来の判例・

学説が取ってきた相当の対価の法的解釈(企業の事業利益からの配分への補償

と発明自身の代価および発明者へのインセンティブの混同)ならびに対価の対

象の設定(使用者の受けるべき利益)にあったと考えられる。 相当の対価の法的性格を、ドイツ法のガイドラインの一部にも適用されているような従業者が権利を譲渡することで発生する従業者の機会費用への対価と

位置づけ、使用者の実現するであろう将来利益からの配分や、研究者へのイン

センティブと明確に区別することが必要であると考える。 これにより、権利承継時での発明の市場価値をもとに対価を算定することに

よる使用者が負担しているリスクの反映、およびフランスの報償規定の運用の

ように当該業界における発明の平均的な価値から対価を算定することによる対

価の透明性・公平性の向上が可能となり、当事者双方にとっての対価の予測可

能性を向上させると共に司法による事後的介入の回避も期待できる。また研究

開発インセンティブとの区分によって、使用者の自由なインセンティブ制度設

計を確保することが可能となる。 (2)提案した対価算定モデルの課題

本論文が提案する対価の算定モデルにおいては算定に必要な数値を各業界の

平均的な公表データから得ている。実際の「相当対価の算定基準」作成におい

ては、各業界毎に特許庁など公的機関とも連携して基準の作成と必要データの

更新・開示を行う必要がある。各企業の職務発明制度の設定や運用に当たって

は、各企業・業界の労使間の契約に任せ、その内容に関して情報公開を促進す

ることで「相場観」の醸成による、労使双方の納得感の向上と、予測可能性の

向上を図ることが重要である。

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また、本算定モデルは発明者へのインセンティブを考慮したものではないた

め、補論に述べるように、別途研究者へのインセンティブ付与を目的とした報

酬制度の設計、策定が必要となる。

(3)職務発明制度に関する今後の課題

対価の算定以外に、職務発明にまつわる課題としては、他の職務創作との

整合性の確保、LLC など個人に近い新しい法人組織への対応、などがある。ま

た、発明により発生するコストの予測可能性が低く、さらに大発明を成した

発明者が訴訟に訴えるのは、そもそも企業業績に多大な貢献をなす大発明自

身が少ないことが原因の一つとなっている。これは当該研究分野の技術的難

度だけでなく、事業化の難度が非常に高いこと(いわゆる「死の谷」や「ダ

ーウィンの海」)が要因の一つであり、産業政策の視点からは、「死の谷」

克服のための政策的支援を進めることで、発明が企業業績向上に結びつく確

率を上げて企業リスクを低減し、もって研究開発へのインセンティブを高め

ることが、国際競争力向上の点からも有益であると考える。

以上

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<補論>「相当の対価」算定モデルが企業・発明者の行動に及ぼす影響の検討 本論文で提示した相当の対価の算定モデルは、業界毎の研究開発・事業化リス

クを反映した一定額を、特許を受ける権利の承継時に支払うものであった。ここ

では、このような定額型の対価の支払いが、発明者および企業の行動に及ぼす影

響について、ゲーム理論を用いて実績報酬制度ならびに発明の段階別評価定と連

動した定額報酬制度と比較検討し、その結果から法定請求権としての「相当の対

価」から切り離した企業および発明者の研究開発に対するインセンティブの設定

について考察を行う。さらに、企業が負っているリスクを発明者に認識させる仕

組みとして、発明者が保有する特許群全体による評価・報酬制度を検討する。

(1) ゲーム理論による事象のモデル化と各プレーヤー(企業、発明者)の戦略

①事象=研究開発~事業化までの流れ

ここでは簡単のため、特許出願~特許権取得の段階は事業化の段階にまとめ、

特許取得のコストやリスクも事業化リスクの中に織り込んで分析を行うもの

とする。 (a)契約時:企業と研究者がある研究開発テーマに関して研究を行うという

事に対して(明示的、黙示的に)合意する。この時点ではテーマの方向

性だけが決まっており、研究の成功は不確実である。 (b)研究開発 ・発明者は発明報酬の期待値と自身の払うコストによって、研究開発の

期間において高努力 H(コスト C(H))を払うか、低い努力 L(コストC(L))を払うかを決定する。なお、常に C(H)>C(L)とする。 ・企業は、発明者の行動にかかわらず、一定の研究開発コスト Krを払う (i)研究開発成功

発明者が高い努力 Hを払った場合にφHの確率で、発明者の努力が

低い Lの場合にφLの確率で、研究開発に成功するものとする。 なお、常にφH>φLとする。

(ii)研究開発失敗 発明者の支払う努力によって、(1-φH)、または(1-φL)の

確率で研究開発は失敗し、その場合は以降の段階にも進まないもの

とする

(c)事業化 ・発明者は、特許出願以降の段階には原則として関与しないものと仮定

する。 ・企業は、一定の特許取得および事業化のコストとして Kbを払う

(i)事業化成功: θの確率で事業成功し売上高π (ii)事業化失敗時:(1-θ)の確率で事業失敗し、売上高0

②報酬制度のモデル:本検討に用いた2つの報酬制度案を以下に示す。

(a)相当の対価:研究開発成功時に R11円を払う。 (b)実績報酬型:研究開発成功時に相当の対価として、R11円を、事業化成功

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時点で、実績報酬として R22=当該特許利用製品売上高π円×α1を支払う。

(2) 各プレーヤーの利得 表1に企業、発明者の利得を示す。 ここで企業の営業利益は、売上高営業利益率をα0(一定)として、売上高

×α0-発明者への支払いとし、発明者の利益は企業の支払い Rij-努力コスト Cとする。また、両者のリスクプレミアムは、ここでは0とする。

表1 各プレーヤーの利得

期待利得 報酬

制度

発明者

の開発

時努力 企業 発明者

高努

力 φH {α0θπ-(Kb+R11)}-Kr φHR11-C(H)相

当の対

価のみ 低努

力 φL {α0θπ-(Kb+R11)}-Kr φLR11-C(L)

高努

力 φH{(α0-α1) θπ-(Kb+R11)}-Kr φH (α1θπ+ R11)-C(H)実

酬型

低努

力 φL{(α0-α1) θπ-(Kb+R11)}-Kr φL (α1θπ+ R11)-C(L)

(3) 発明者の行動への影響

①相当の対価のみ支払い型報酬制度 C(H)-C(L)<{φH-φL}R11 (1) ならば発明者は高努力 Hを選択する。ただし、右辺第1項{φH-φL}<1であり、前章の結果から1年当たりの1式の右辺の最大値は下表の通りとなる。

表2 各業界における相当の対価の期待値の最大値(単位:万円/年)

データ(業界平均値)

味の素 食品(資本金

100 億円以上)

化学(資本金

100 億円以上)

食品(、繊維、

パルプ、紙業

界)

化学業界 電機業界

研究開発期間

Trd 13 2.6 2.6 2.6 2.6 2.6

R11 19.1 -0.8 9.0 -4.3 5.5 21.0

5-1 式右辺 1.5 -0.3 3.5 -1.7 2.1 8.1 この結果から、1式は発明者の高努力と低努力のコストの差 C(H)-C(L)が年間数万円以下でないと成立しないが、発明者の努力差を勤務時間換算で月間

10時間程度としても、時給1,000円で金額換算すれば年間12万円と

なって1式‘は成立しない。従って発明者は殆どの場合低努力を選択すると

考えられる。

②実績型報酬制度 C(H)-C(L)<{φH-φL}{α1πθ+R11} (2) ならば、 発明者は高努力 Hを選択する。

ここで、{φH-φL}=1として、売上高πの代わりに、4章のライセンス収入=Vτ1・Tb を用い、α1に代わってライセンス収入に対する報酬額比率をα2、θを

φ1×φb1(特許成立確率×ライセンス交渉制約確率)とすると、2式右辺は、

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α2Vτ1Tbφ1φb1+R11=Yα1+R11 (Y=Vτ1Tbφ1φb1) (2)’

となる。ここで①と同様に、4章の検討に用いた数値を用いてパラメータ Y

を推定すると次表の通りとなる。

表3 各業界における実績報酬額のパラメータ(*>単位:万円) データ(業界平均値)

味の素 食品(資本金

100 億円以上)

化学(資本金

100 億円以上)

食品(、繊維、

パルプ、紙業

界)

化学業界 電機業界

φl 0.29 0.29 0.29 0.29 0.29 0.29

φb1 0.03 0.03 0.02 0.03 0.03 0.09

Tb(特許有効期間、年) 8.50 6.91 7.91 6.75 7.91 6.30

Vτ1 9,381 1,322 3,937 1,396 2,872 1,725

π(ライセンス収

入総額) 79,740 9,138 31,143 9,423 22,717 10,870

R11 19.1 -0.8 9.0 -4.3 5.5 21.0

Y 680.1 77.9 177.5 89.1 175.1 288.0

上記の結果から、業界毎の平均的な報酬額の期待値の最大値(年間)を推定

すると、種々のα2の値に対して下表の通りとなる。

表4 各業界における実績報酬額(年間)の期待値の最大値 (*>単位:万円/年)

期待値=Yα2+R11 データ(業界平均値)

α2 味の素 食品(資本金

100 億円以上)

化学(資本金

100 億円以上)

食品(、繊維、

パルプ、紙業

界)

化学業界 電機業界

0 1.5 -0.3 3.5 -1.7 2.1 8.1

0.001 1.5 -0.3 3.5 -1.6 2.2 8.2

0.005 1.7 -0.1 3.8 -1.5 2.5 8.6

0.01 2.0 0.0 4.1 -1.3 2.8 9.2

0.05 4.1 1.2 6.9 0.1 5.5 13.6

0.1 6.7 2.7 10.3 1.8 8.9 19.1

上記2つの報酬制度を比較すると、発明者の研究開発に関するインセンティブ

としては、相当の対価は、殆ど機能しないと考えられる。また、実績報酬制度で

は、報酬の売上高比率α1または特許成立および事業成功の確率θが高いほど、

報酬の期待値は大きくなるが、θが非常に小さい(事業利益を生む発明の割合が

非常に低い)ため、実績報酬制度でも発明者の研究開発努力に対するインセンテ

ィブは不十分であることが予想される。さらに、上記モデルでは、特許取得や事

業化までにかかる期間(報酬が発生しない期間)やその後の利益発生期間の報酬

を現在価値に換算するための割引率を考慮していないため、実際の期待値および

インセンティブ機能はさらに低いものと考えられる。 またこの結果は、長岡が25、特許価値の分布(対数正規分布)データ等から、

25 [研究開発のリスクと職務発明制度] 長岡貞男 知財管理 Vol.54-6 2004

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事業利益実現の不確実性が高いために実績報酬制度のインセンティブは不十分で

あるとした結論とも一致する。 以上の検討では、発明者、企業ともリスク中立の前提を置いているが、このよ

うに事業利益実現の不確実性が高いと、発明者の行動予測においてはリスクプレ

ミアムも考慮する必要があると思われる。その際には、両制度のインセンティブ

はさらに低いものとなる。

(4) 企業側の行動への影響

相当の対価のみの報酬制度の下では、常に発明者が低努力を選ぶ結果、期待利得

は常に等しくなる。実績報酬型では、発明者の高努力、低努力による企業の期待利

得の差は、

(φH-φL)θ{(α0-α1) θπ-(Kb+R11)} (5-3) となり、必ず高努力時の期待利得が低努力時よりも高くなる。

しかし、前述の通り実績報酬型の場合でもライセンス収支の1割近い報酬額を設

定しなくては発明者の高努力を引き出すことは出来ないため、別の報酬制度を検討

する必要があると思われる。 (5) 出願時の段階別評価報酬制度

上述の通り、相当の対価のみでも実績報酬でも、発明者の研究開発努力を引き

出すことは難しいと考えられるので、現在多くの企業で行われている、研究開発

完了時または出願時にその発明を数段階別(通常5段階程度)に評価し、その評

価に従って報酬を与える制度について検討を行う。なお、分析の簡易化のために、

以下の検討ではモデルを2段階評価型とし、このときの報酬は一時金だけでなく、

昇格や研究開発環境の整備など金銭的価値に評価可能な報酬総てを含む26ものと

して以下の検討を進める。

①事象=研究開発~事業化までの流れ (a)研究開発 ・発明者は発明報酬の期待値と自身の払うコストによって、研究開発の

期間において高努力 H(コスト C(H))を払うか、低い努力 L(コストC(L))を払うかを決定する。なお、常に C(H)>C(L)とする。 ・企業は、発明者の行動にかかわらず、一定の研究開発コスト Krを払う。 (i)研究開発成功 研究開発の成功確率をφ=φ1+φ2とし、発明者が高い努力 Hを払った場合にはφ1Hの確率で優秀な発明(事象 S)、φ2Hの確率で並みの発

明(事象M)を行い、発明者の努力が低い Lの場合にφLの確率で優秀な発明 S、φ2Lの確率で並みの発明Mを行うものとする。 なお、常にφ1H>φ1Lとする(優秀な発明が出る確率は高努力の方

が高い)。 (ii)研究開発失敗

発明者の支払う努力によって、(1-φH)、または(1-φL)の確率

で研究開発は失敗し、その場合は以降の段階にも進まないものとする

26 「インタビュー職務発明制度」 紋谷 暢男 パテント Vol.55 No.12 2002 等

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(事象 F) なお、常に(1-φH)<(1-φL)とする(研究開発が失敗する確

率は、低努力の方が高い)。 従って、常にφH=φ1H+ φ2 H>φL=φ1L+ φ2 Lである。

(b)事業化 ・発明者は、特許出願以降の段階には原則として関与しないものと仮定

する。 ・企業は、一定の特許取得および事業化のコストとして Kbを払う (i)事業化成功:優秀な発明の場合は θ(S)の確率、並みの発明の場合はθ(M)の確率で事業は成功し、売上高πを得るものとする。

(ii)事業化失敗時:(1-θ(S))または(1-θ(M))の確率で事業失敗し、売上高は0となる ここで、常にθ(S)>θ(M)とする(優秀な発明の方が事業成功確率も高い)

②報酬制度のモデル:本検討に用いる報酬制度を以下に示す。

発明評価別定額型:研究開発成功時に発明の評価を行い、優秀な発明 Sに

は R2S、並みの発明には R2M(R2S>R2M)を払う。さらに

どちらの場合も別途相当の対価として R11を払う。

③各プレーヤーの利得 表5に企業、発明者の利得を示す。

表5 各プレーヤーの利得 期待利得 報

度 発明者

の開発

時努力

企業 発明者

高努力 {α0(φ1Hθ(S)+φ2Hθ(M))π-(φ1H+ φ2 H)(Kb+R11)-φ1HR2S-φ2 HR2M}-Kr

φHR11+φ1HR2S

+φ2 HR2M-C(H)評価別定額

報酬

低努力 {α0(φ1Lθ(S)+φ2 Lθ(M))π-φL(Kb+R11)-φ2 LR2S-φ2 LR2M}-Kr

φLR11+φ1LR2S

+φ2 LR2M-C(L)

(a)発明者の行動への影響 表5より、

C(H)-C(L)<{φH-φL} R11 +{φ1H- φ1L }R2S+{φ2H-φ2L}R2M (4) ならば、発明者は高努力を選択する。 ここで、仮定φH>φLおよびφ1H> φ1Lから、常に{φ1H- φ1L}>|{φ

2H-φ2 L}|であり、さらに R2S>R2Mであるため、評価別定額報酬に起因

する4式の右辺第2項と第3項の和は常に正となる。 また、φHに占めるφ1Hの割合が高く、φLに占めるφ1Lの値が小さいほど、

4式の右辺の値は大きくなり、インセンティブは増加する。 今、評価別定額報酬の原資を一定(R2S+R2M=一定)とすると、上述の議

論より、R2S/R2Mが大である(発明の評価による報酬の差が大きい)ほど、

インセンティブ機能は高まると考えられる。

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ここで、4式を1式と比較すると、当然ながら、評価別定額報酬の分だけ、

評価別定額報酬制度の方が、発明者の研究開発努力に対するインセンティブ

が高くなっている。また、4式を2式と比較すると、定額報酬は発明者が関

与しない段階のリスクθ(特許権利化リスク+事業化リスク)が入らない分、

発明者にとって低リスクとなり、かつ発明完了後すぐに報酬が支払われるた

め、研究開発に対するインセンティブが高くなる。

(b)企業行動への影響 発明評価別定額報酬制度の下では、発明者の高努力、低努力による企業の

期待利得の差は、

α0〔{φ1H-φ1L}θ(S)+{φ2H-φ2L}θ(M)〕π-{φH-φL}(Kb+R11)-{φ1

H- φ1L}R2S-{φ2H- φ2L}R2M (5)

となる。

発明の品質の差が、事業成功確率に及ぼす影響が大きい(θ(S)とθ(M)の

差が大)ほど、発明者の努力差による企業利益の期待値の差は大きくなる。 以上より、発明の段階評価に連動した定額報酬制度は、実績報酬型と比較

して発明者が研究開発終了後のリスクを負担しないため、インセンティブ機

能として優れており、また評価別の報酬の差を大きくすることでインセンテ

ィブ機能が高まると考えられる。 さらに報酬の形態についても、一時金以外の処遇など、金銭的に評価しう

る報酬に代えることで各企業の実状に応じた柔軟な制度設計が可能になる。 なお、以上の検討において、発明者が就職時、あるいはここの研究開発テ

ーマの設定時に企業と明示的あるいは暗黙に契約を結ぶか否かを決める条件

については考慮していない(=必ず発明者は企業と契約を結び、研究開発を

行う)。これは、現在の日本の状況では、米国のように流動性の高い、契約

主体の企業文化とはかなり事情が異なると考えた為である。なお、発明者の

リスク対応行動が、企業内研究開発に与える影響を分析するうえでは、就職

時の契約行動よりも個別の研究開発テーマの設定に研究者が関与する際の行

動に注目した分析の方が、我が国の実情にあっていると思われる。 (6)発明者の保有する特許全体での評価/報酬制度 本節では、企業が負っている研究開発リスク、事業化リスクの一部を発明者が負

担することで、発明者の研究開発努力および研究開発の効率化努力へのインセンテ

ィブを与える方策の一つとして、発明者が当該企業で発明した特許全体(以後「発

明者関連特許群」と呼ぶ)の実績評価をもって発明報酬を行う施策について検討を

行う。

①発明者特許群による評価方法の概要 発明者の係わった特許全体での実績評価を実際に設計するに当たっては、多様

な制度が考えられるが、ここでは、以下の2モデルに単純化して検討を進める。

(a)評価項目と報酬設計(モデル1):評価項目を特許登録率(=登録件数/出願件数)と、保有特許の実施率(ライセンス供与や社内実施によって実際に

売上げが発生している特許件数/登録件数)、総ライセンス収入、関連事業

における独占の利益(推定値)とし、毎年各々の項目を実績評価して当初定

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めた規定(定率計算≡各評価項目の数値×各項目毎に設定した定数)に基づ

き算定した金額の総額を、実績報酬としてその年度に支払う。 (b)評価項目と報酬設計(モデル2):評価項目は通常の実績評価と同様の総ライセンス収入、関連事業における独占の利益(推定値)とし、モデル1と同

様の定率計算で算定した金額の総和から、発明者関連特許群全体の維持コス

ト+事業化コストに、所定の定数を乗じた金額を差し引いた額を実績報酬と

して、その年度に支払う。ただし、上記コストを差し引いた金額がマイナス

となった場合は、0として扱う。 (c)その他(共通事項):各発明者があるテーマについてR&Dを行った場合、その総てのテーマについて、特許出願を行う(出願率100%)とする。発

明者の各々の発明における貢献度は均一とする。また、発明者が研究開発お

よび特許出願~実施において払う総コスト(時間、労力)と出願件数の関係

は、報酬制度の影響を受けないものとする。 上記2モデルは、それぞれ現在企業が負担している特許とその事業化に係

わるリスクの一部を発明者にも負担させることを意図したものである。 2つのモデルの違いは、モデル1があくまで加算方式で特許権取得や事業化

の効率を発明者の評価に反映するのに対して、モデル2では、このリスクを

減算方式で発明者に課すため、より発明者の報酬についてよりリスク感応度

が高い制度となっている。

②発明者特許群による評価の検討 発明者と企業の行動予測から本モデルの利点を考察する。

(a)発明者の行動予測 図1に、発明者の行動の変化が特許出願数に及ぼす影響を示す。図中の D1は従来の実績報酬型発明報酬制度において、発明者が受け取る報酬、D2,D3はそれぞれモデル1,モデル2のもとで発明者が受け取る報酬、Cは発明者が支払うコスト(時間、労力)である。

Cの特許出願件数 Xに対する弾力性は1より低い(出願件数が増えれば、個々の案件毎に投入するコストは低減する)。なお、D1が右上がりの曲線

となっているのは、特許出願件数が増えることで報酬は単調増加するからで

ある。ただし、個々の案件に投入する労力が低下することから、特許の成立

確率や事業化確率が低下するため、出願件数増大による限界効用は低減する。

図1 特許ポートフォリオ評価が発明者に与える影響

特許出願件数 X 1 X2

D1C

発明者の支払

うコスト C、 受ける報酬 D

X1

D3

D2

X3

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図から明らかなように、発明者が特許権成立および事業化のリスクを一

部分担することで、出願数増加へのインセンティブは急減し、その傾向は

リスク分担が大きいモデル2においてモデル1よりも著しい。これは発明

者に、数少ない特許に注力することで特許権成立および事業化成功の確率

を高めようと言うインセンティブが働くからである。 なお、図には明示されないが、単に出願数を押さえるだけでなく、先行

技術調査などのリスク管理行動へのインセンティブも向上することが予想

される。従って、「大化け」するような大発明に限らず、品質の高い(権

利として強く、事業に貢献する)特許の割合が高い発明者ほど報われる制

度となるため、発明者にとっても利点は大きいと考えられる。

(b)企業にとっての利点 企業にとって、上記発明者の行動は、明らかに特許の品質向上に資するで

あり、さらに人事制度としては、発明者の特許をポートフォリオで管理す

ることにより、各々の発明者ごとの企業側貢献度に関する情報/データの

蓄積が可能になる。このことは発明報酬規定を作成し、従業者と契約する

場合の両者の納得性を高めるとともに、万が一訴訟が発生した場合におい

ても企業側の貢献度を訴求する材料となる。

(c)本評価方式の課題 本評価方式を導入する際の課題としては、企業にとって、発明者とその

持ち分毎に特許を管理する項目・機能を、既存の特許データベースに追加

する投資が生じる。また、表6に産業別研究者一人当たりの所有特許件数

を示すが、食品業界のように、個々の発明者が係わる特許件数が少ない業

界では、発明者にリスクを認識させる効果は低減する。本評価方式は、電

機業界のように、各発明者が多くの特許に係わるような企業において効果

を発揮するものと思われる。

表6 産業別研究者一人当たりの所有特許件数 データ(業界平均値)

味の素 食品(資本金

100 億円以上)

化学(資本金

100 億円以上)

食品(、繊維、

パルプ、紙業

界)

化学業界 電機業界

産業別企業当た

りの研究者数

(人)

282.0 143.4 347.9 8.4 30.1 43.4

一社当たり特許所

有数(件) 608.0 377.0 1,684.0 99.0 540.7 1,372.6

研究者当たり所有

特許件数(件/人) 2.2 2.6 4.8 11.8 18.0 31.6

以上

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