幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓...

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中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 茎.はじめに 問題の藩蓬 i蒲倉年代から鱈§蓼年代にかけて関東地方に勃興 した懿徳新流滋は、それまでの形持ちを中心とす る婁彗徳流潔1こ代わって、覆},翼磐を藩篤し竹’ヌ3で打 突しあう哲刀打ち鎚術を生み難し、打ち込み穣古 法という新しい稽古法を鐵現させた掛。そして、 この鴛7」手下ち麹構は、飽流試合を驚能華こし、流濠 の壁を越えて窪来の舞鶴を競技化・スポーツ化さ せていった。 しかしながら、一口に;窪来の婁彗衛の鏡蓄支でヒ・ス ポーツ化といっても、そこには多くの響余麟蟹が あ辱、未解明の開題も識穫されて“る。 舞えば、いつ、護れ.が、どのような理磁で鶴,異 を綾絹しはじめたのか。そして、その鞍具を絹い ることによ弩、それまでの彫持ちの技術はどのよ うに変化し、技の体系はどのように変わっていっ たのか。また、打突離粒が露・小手・綱ボ突に集 約されていったのは擁故なのかeさらに鯵具の形 態や機能、流濠による差異等々、未解瞬の藻分は まだまだ多く残されている。 難流試合に臠しても、いつ、どの渡瀬が始め、 どのようにして広まっていったのかeその時の約 束事(ルール1は麺イ薯なる内容のものであったの か。また、それを羅能ならしめた地銭もしくは藩 の経済的・縫会的な軟泥、さらには、そうした新 流撮を生み思す原動力となった続会の購造的な変 建等、実証的に萌らかにしな捗ればならない幾題 は由ほど残されている。 こうした課題を騨らかにしていくことは、在来 の懿徳の競技化・スポーツ化の退程を実証すると ともに、そこで選援された競技稲・スポーツ紀の 方喬牲が、今嚢の鎚遵の方梅牲をも媛定して静る ことを確認することになるのである。また、飼遵 を縫雰各覆へ広げて行く上で、柔道とは違った形 で普及させていく方策をたて、舞遵において大饗 にしていかなければならな雛「独密栓とは侮か達 「一本の懸盤垂と隷イ薄か」を自覚するためにも、婁彗 遊の原点を見舞1えることは意義あることと考える。 縫) 先行馨葦究と幾題点 鴛73打ち懿徳の発生と伝雛の遜程に絶する馨蓄究 は、葺多打ち鎚徳1から皆刀聲ち鎚繍至、さらには遷代 の競技乾した麟遊へと、一貫した流瀬史藩究とし てはやくから手懸纏られてきた。稽古形態の変化 や竹刀・鋳興の発生も、その流濠愛懸究の必要上 から擾われてきた。 こうした爾究の先駆となったものに、藤蟹次饒 吉鞍本鶴遵鶴(東京騰科大学麟遵認、欝25年) と下暖潮験彗遵の発達雲(人蔭本武徳会本藻、欝器 隼/がある。 麩蜜の著書1ま、霧らも直心影流を継承する立場 から、江戸縛代に隆盛を誇った流滋とその伝承者 の事績を中心とする流撮史嚢究として著されてい る。下膳の著書は、刀鋪の操法とその教習法から 舞遵の発達遺程を遜斐的に解㌧・ている。講書で示 された視点はその後、前者は堀鑑平ぎ大鷲本難遵 史違縷彗道書讐蕎会、ig鍵隼1へと受け継がれ、 編春雪、宙蟹忠史ゼ堰補大敗訂武芸流滋大事奥書 (東京コピイ鐵藪藻、i欝8隼〉に渡瀬の系譜とし て繕窶した。後者は、嘉承堅吾験彗遵五蒼年蔓葺 (頁裏書募、欝72奪/に集大絞され、無道の逓吏・ 発達史としての完成をみるに至った。 なお、靉靆の流濠や特定の地綾をあつかった流

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Page 1: 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 中 村

中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2§

幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/

中 村 民 雄

茎.はじめに

欝 問題の藩蓬

 i蒲倉年代から鱈§蓼年代にかけて関東地方に勃興

した懿徳新流滋は、それまでの形持ちを中心とす

る婁彗徳流潔1こ代わって、覆},翼磐を藩篤し竹’ヌ3で打

突しあう哲刀打ち鎚術を生み難し、打ち込み穣古

法という新しい稽古法を鐵現させた掛。そして、

この鴛7」手下ち麹構は、飽流試合を驚能華こし、流濠

の壁を越えて窪来の舞鶴を競技化・スポーツ化さ

せていった。

 しかしながら、一口に;窪来の婁彗衛の鏡蓄支でヒ・ス

ポーツ化といっても、そこには多くの響余麟蟹が

あ辱、未解明の開題も識穫されて“る。

 舞えば、いつ、護れ.が、どのような理磁で鶴,異

を綾絹しはじめたのか。そして、その鞍具を絹い

ることによ弩、それまでの彫持ちの技術はどのよ

うに変化し、技の体系はどのように変わっていっ

たのか。また、打突離粒が露・小手・綱ボ突に集

約されていったのは擁故なのかeさらに鯵具の形

態や機能、流濠による差異等々、未解瞬の藻分は

まだまだ多く残されている。

 難流試合に臠しても、いつ、どの渡瀬が始め、

どのようにして広まっていったのかeその時の約

束事(ルール1は麺イ薯なる内容のものであったの

か。また、それを羅能ならしめた地銭もしくは藩

の経済的・縫会的な軟泥、さらには、そうした新

流撮を生み思す原動力となった続会の購造的な変

建等、実証的に萌らかにしな捗ればならない幾題

は由ほど残されている。

 こうした課題を騨らかにしていくことは、在来

の懿徳の競技化・スポーツ化の退程を実証すると

ともに、そこで選援された競技稲・スポーツ紀の

方喬牲が、今嚢の鎚遵の方梅牲をも媛定して静る

ことを確認することになるのである。また、飼遵

を縫雰各覆へ広げて行く上で、柔道とは違った形

で普及させていく方策をたて、舞遵において大饗

にしていかなければならな雛「独密栓とは侮か達

「一本の懸盤垂と隷イ薄か」を自覚するためにも、婁彗

遊の原点を見舞1えることは意義あることと考える。

縫) 先行馨葦究と幾題点

 鴛73打ち懿徳の発生と伝雛の遜程に絶する馨蓄究

は、葺多打ち鎚徳1から皆刀聲ち鎚繍至、さらには遷代

の競技乾した麟遊へと、一貫した流瀬史藩究とし

てはやくから手懸纏られてきた。稽古形態の変化

や竹刀・鋳興の発生も、その流濠愛懸究の必要上

から擾われてきた。

 こうした爾究の先駆となったものに、藤蟹次饒

吉鞍本鶴遵鶴(東京騰科大学麟遵認、欝25年)

と下暖潮験彗遵の発達雲(人蔭本武徳会本藻、欝器

隼/がある。

 麩蜜の著書1ま、霧らも直心影流を継承する立場

から、江戸縛代に隆盛を誇った流滋とその伝承者

の事績を中心とする流撮史嚢究として著されてい

る。下膳の著書は、刀鋪の操法とその教習法から

舞遵の発達遺程を遜斐的に解㌧・ている。講書で示

された視点はその後、前者は堀鑑平ぎ大鷲本難遵

史違縷彗道書讐蕎会、ig鍵隼1へと受け継がれ、

編春雪、宙蟹忠史ゼ堰補大敗訂武芸流滋大事奥書

(東京コピイ鐵藪藻、i欝8隼〉に渡瀬の系譜とし

て繕窶した。後者は、嘉承堅吾験彗遵五蒼年蔓葺

(頁裏書募、欝72奪/に集大絞され、無道の逓吏・

発達史としての完成をみるに至った。

 なお、靉靆の流濠や特定の地綾をあつかった流

Page 2: 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 中 村

3尋 覆轟大学教官学課隷集第撰号

羅史観究は、鞍らの著書鉄降数多く鐵販されてい

る3}。また、観客や鶴豪の伝翫を中心とした流濠

史麟究も多く鐵騒iされている。

 しかし、下繕が蘇掲書ですでに捲捜している

ヂ教習法の変遷垂と「武者修行雄あるいは他流試

合の開題については、その後あま毒大きな成果1ま

得られなかったが、渡選一躯ぎ幕末幾東舞鶴英名

録の講究1(渡辺書店、i欝7年〉の公霧以降、破

の教え子たちによって「鋼遊の技衛史」という視

点から、近隼多くの醗究成果が発表されている。

 鍛えば、榎本鐘霧鐘幕癖講置所の舞徳教蕎の養葺

究4}を手鏡めに、懿徳流線の伝播や弘流軟泥を知

る手がか弩として、威徳家の姓名を罰したゼ姓名

録肇や『英名録垂の分析から、玉総暮年代藩半購の

哲刀打ち懿徳の状混や飽流試合の様子を醗究卸し

ている。また逓隼は、野武士の行った武備とは騨

系統の伝承醜な武衛瞬」、これを野農罠武術」と

して畏俗学的な手法をも趨賑した藩究巽へと開心

を駿げている。

 また、1秘懸盤毯は岩撰藩に伝承した片懲流の伝

書を丹念に分析しながら武者修行や訪潤鰺蕎のし

方、さらには麹流試合を解禁していく岩醗藩の事

轡観究Slを行っている。ここ数年は、縛波吉野購

流域に払渡した武蟹家聡環流の調査から、私塾形

態による武芸教育の実態を聡らかにし、そこに

面取立雛度」という、一種の家元麟度麟な難路を

もった経営形態がとられていたことを実証してい

る鏡

 さらに、蓼英名録垂の分析等から逝逡懿徳の試

合形式に関・むを寄せ、将来的には奏彗衛の庵一ル史

をも視野に入れた砺究をしょうとしている長尾進

の醗究鋤がある。また、舞舗や講など罠衆の宗教

鶴な結びつきから鼠術の伝播遜程を醗究している

数馬広二の覆究揖もある。その麹、鰯籔の試合形

態を醗究している棺鐵嚢治の論文鱒などもある。

 以上のように、筆者が知彗得ただけでもかな弩

の論文数があ弩、i欝奪年代後半から至総馨年代薄半

にかけての替刃蕎ち鰯衛の実体1が次第に聡らかと

なってきたGしかし、これまでの先行講究の成果

は愛料的な麟約もあって、i懸春郊藏後1こ集中して

茎欝§年i2霧

しいる。下記のように、下灘が指摘している形鋼

術から替刃打ち懿徳への転換点や、それが飽流撮

へも広がっていくi簿§年代の様子については、こ

れから史料発振をし、醗究を深めていかなければ

ならない状溌である。

  嚢二替ヌ3及藏籠手欝彗等の稽古道具1ま{霧暴寺曖よむ

 製作綾絹せられしやと云ふに1壷心影瀧にては出

 懇平左嬉鍔光徳(一綴斎ト号ス)影稽古の形式

 のみに拘泥して気勢の歓麹せるを擬き全気勢を

 傾注して拷込穰古をなすも危験の虞なき跡臭み

 工夫を餐め真子長沼纒郎左衛靉靆の縛代藍徳隼

 聡に至む完成せしを以て之を製作使駕して全気

 勢を繧注して打込積吉を燐む是替刃打込穰古の

 姓めな吟と云ふ一73流にては宝磨隼麗に至毒一

 刀流中興の趨,串西悪戯(字子戯)なる入当時の

 難遵の弊風を饑して遂に雫霧に擬し現今稽ふる

 漸の難撃手鵬等を養し籔刀を雛て打込穂古の方

 法を饒む之を哲刃穫古の濫觴とすと説け騨書

(3)本1論稿の課懸

 そこで本譲稿においては、下購が捲摘した記違

を念鍾におきながらも、よ弩畢く鷲刀凝ち鰯術を

採稽した流撮慧それだけ教練拡張にの導だすのも

擘く、よ弩広い地綾に広がっていったであろうと

いう飯説を立て、鴛刀打ち麟衛としてよ鯵広い地

銭に広がっていた流滋を確認することから検諒す

る方法をとった。また、饒掲書において下騰も指

摘して継る至褻・籠手・驕彗などを完成させ打ち込み

穗吉を娘めた直心影流は、江戸で勢力を拡大し全

屡的に広まった流撮であることから、江戸を幸心

とした関東をまず視野においた。

 ただしこの場合、どの時点での教練を皆ヌ3打ち

難衛の流撮の広がりとしてみるかと雛う隅題があ

る。この驚題については、鱗治2§年代後半になる

と流線の枠をはなれて、柔道でいえば講遵館流、

錘遠でいえば警視流(警視庁〉、のちには武徳会

流(大嚢本武徳会1といった流滋の壁を越えた羅

職名を名のる人々がでてくる瞬治2§年代後半をそ

の転換雛菊とみて、そこに観点をあてた。

 したがってこの議i稿は、騰東地方に広く伝播し

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中韓浅錐1幕末羅棄麹籍流鰍伝播形態の績究鐵 3茎

た竹刀打ち爾術流撮の伝播形態を藩究するための

塵章に位量するもので、それぞれの流滋がどれだ

け勢力分毒を広げ維持し続けて透代の競技乾した

繕道へと縦寂していったのかをみるための験証作

業の一環でもある。そしてまた、この鹸誕の結果、

そうした大きな勢力を築き上げることのできた鰯

衛流撮が、嫁轡にしてそこまで勢力を鉱大できた

のかをみることによ辱、在来の食彗衛4〉競技費二・ス

ポーツ{ヒの邊程と{去播の邊程をも醗ら力蓬こできる

と考えた次第である。

 なお、嚢難東:地方に弘流してしいた奏彗術流壽藪の率

には、鰯術を表芸としながら柔籍も購鋳に伝承し

ている流撮があむ、どちらにも区分けすることの

できない流離があるので、必要に応じ柔徳も含め

てその伝播形態を述べることとした。

豆.明治20年代まで残った

         麹術流派の勢力分奄

 幕末の縫東地方に弘流した麟衛新渡潔は、その

影響力を鱗治鱒年代まで維持し続毅、その後、流

濠の枠をこえて近代的な婦道ができ上がる過程で

も多くの人樗を叢鐵し、大きな影響力を発擁した。

 そこで、瞬治20年代の隣東地方における懿徳流

滋の勢力分姦を探穆、どの流濠が有力流滋として

勢力を保持していたのかを購らかにし、その伝播

形態をみるための無業飯説(序章)を提解するこ

とから嬬めることとした。

 まず、霧治鎗年代にまで勢力を縫持し続けた懿

徳流濠(柔術も含む/の勢力分窟をみるためには、

当時発行されていた幾種類かの武衛家のr名鑑選

を手かがむとするのがよい方法である。中でも、

ζ皇蟹八州戴術姓名記垂(新井韓定編講、鰺87年/、

罫皇国武衛英名録・全五1舞噺井朝定編舞、鰺88

隼〉、『響本籖衛名鑑垂(平井灘良編藩、露盤隼/

の3点は、これを墾葬ナ合わせることによ弩、当時

関東地方紅勢力を張っていた流深名と人駿1名をほ

ぼ網羅することができる。これ以外に、幕末から

馨治2§隼代の鯉術の分布状混を鷺弩得る格好の史

料は見当らず、わずかに、撃飼会番付によって藪

片的に無謬得るのみである。

 そこで.ここで1灘887年1証嚢行された建羅八

タ灘識練緯隻名護罎(以下、ぎ嚢盛名毳毳壌 と塾う〉 を分凝

することによ弩、どのような濾液が勢力を雑持し

続けていたのかを探ることから{乍業を始めた。こ

こで最擁にと辱上げたぎ姓名書縫隷、現在までの

ところ講一名詩の麟稽勢が3点喜在し購、購毒の

体裁や誕載流撮名・人勃名の献態から、至点はの

ちに修正を換えたあと麟善であることがわかった。

資料iは筆者所蔵のもので、のちに鯵亙を換えて

曙行したものの元麟弩1こ穏当するものである。元

羅彗鯵のものもあと騒彗諺のものも、ともに東京1脊は

省かれている。その理震は、現1姦調査申であるか

らと藪穆書きされて》る。

 なお、元騒駒とあと羅鯵のゼ姓名記雲を競べる

と、叉霞流が53名、聾心影流解む名、饗出念流が

33名、念流が26名、雫源一刀流が22名も滅ってい

る。その分、神道無念流は2総名、霞新流はむ名

も増やしている。つま辱、全体で麟分の一、韓§

余名もの名繭が入れ替えられ、鶴載された段によっ

てはすべてが新しくなっている段もある。韓故そ

のように大纏な入れ替えが行われたのかは、調査

の途中で鍵名記遷への掲載を藪られたのか、住

所等の確認が十分とれなかったのか、いずれかの

遅達護こよるものであろう。

 次に、編輯者叢びに発行者も講じ蓼皇蟹裁衛英

名録・全五爵垂(以下、ζ英名録董という/に記載

された舞衛(柔術も含む)流濠名を表2にまとめ

た。このr英名録蓋は、罫姓名記露を印行して以

降、約蟹)《》名ほどを追黄鶏し欝’子形式垂こ印羅鐘し毒!し

たものである。したがって、両方に名前が趨てく

るのは当然のことであ弩、記載された流撮名にも

さほど変鷺はない。ただし、表至では癖羅無刀流

と書かれていた流濠名は、表2では榔醗流兼無刀

流と擁躍無刀流とし、2つの流滋名となってでて

くる。その分纈盤を下げる結果とな鯵、かわって

荒木流と霞新流がベストテン入吟している。しか

し、上種鐙傑に入る流濠名で表iに記載されてい

ない流濠名はなく、その点からも 蓼英名録露は

r姓名舞薦をベースにして作られたものであるこ

とがわかる。

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!弱毒隼i2舞鶴島大学教欝学都譲葉第劔暑32

奮皇国八州武徳姓名認毒にみる武衛諸流派一覧表i

流 諏 名 人 数 流 諏 名 人 数

神道無念流 383 心漉 2

天白漉 2i5 1 匠気一刀流 2

直心1神1影流 2{〉9 一刀神伝無刀漉 2

擁醐無刀流 i32 撃源北長流 i

榔購流 i2{〉 当軍流 i

麓疲一刀流 i i g 学心一刀流 i

畢源1源一刀流 83 真神遂擁漉柔衛 茎

奥山念流 7§ 無双刀流 i

念流 7倉 荒木無双漉 i

真之真石辮流 5i 三神荒木漉 i

気楽流 5倉 擁躍一刀流 i

荒木流 4嘘 無双流 亙

小鬢涯一刀流 35 擁麟無念流 i

鏡1心}薪霧智漉 34、 念流兼無刀流 5

真之神道流 33 懸宮流兼天自流 i

示現流 32 示現流兼直心影滅 i

天神真揚流 28 擁離流兼無刀流 i

起趨流 28 神道無念兼懸宮流 i

溝嚢一刀流 25 天禅真揚兼宝藏醜 1

八幡一刀流 2倉 気楽兼辮流一刀滅 i

一刀流 2倉 撃源一刀兼直心影 i

霞霧流 2倉 詩文鋪1刀1 8

心瞬当流 i6 鎗徳馬衛 2

不二心流 i4 鎗徳麟衛書 2

天1念}然理心流 i2 錨遜晒鋤 2

水府流 i i 馬衛医徳 i

浅出一伝漉 i O 鱈文 i

武蔵流 7 馬衛鋼徳 i

神代一刀漉 7 書遜鋼 i

零流一刀流 5 匿書舞 玉

鏡心流 5 鎗医徳 i

瞬宮滅 4 馨講鋼 i

学心流 3 流濠不瞬 2

神裁一刀流 2  …

総 誕 美977〉繊あ

年光が

鎌に方

慧びの

㌔壷者

の よ瞬

表 にて

 、人べ

が。㌧す

ゆるるもは

縄者後たい騒でで

海筆、してて濠こ

く、むにつし流こ

蓋はあ表減複る、

記鑑が覧ど重す溝

名名と一ほて習る

姓ののを名べ兼あ

徳静もの7すをも

武麟のもと㌃方合

州枚藏の名は爾場

八一辮藏矯各のう

 、心 諏 真

た理。流 神

ま念た} 天

 。天しま¢、

たヤとまたで

しにまのしの

と漉まそとる

流刀の、ま恥

影一そがまて

心源はうの雛

直甲流ろそ罵

ては刀あはを

べ流一で流字

す刀流流刀の

は一甲合無ま

ゆど原あ兼揚

蟹の氏辮緯派徳いたな聯し流流ギ

皇こ郎者は流柔とし流、だ刀離て

馨工筆数るとみ算陰にた無榔べ

編お辺は人い衛の計心流。と㌔す

定な渡でのて舞徳て直智た流し解

朝。とこ体れ~柔し.墾し麟だ購

聾るのこ全さに

新あも。、載うみ数影鏡流}斡

               ゆ

       ~と流薪と擁た露たはす

              、し下は

、でのるは掲よの人神は心はたはと以の

はの藏なでにの衛の直流理流え流ま肇も

                刀

覧も漸にり分流鰯名.知然刀数揚ま{る

一る氏静鰯辛念は濠流明天無て真の鱗騒

のよ一尉と健出て漉影心は講し神漉文て

こに福とあ左奥つ一心鏡流梅と天揚詩れ

*     *  *   *   *  *  * .流濠名ではな躰が.人名壷ぴに住辮まで窮記さ

べて人数計算した。

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33串替幾錐:幕末縫東舞徳義濠伝播影懸の覆究鐵

奮皇蟹武徳英名録選にみる武徳諸流諏一覧表2

漉 灘 名 人 数 流 諏 名 人 数

神道無念流 65§ 神道一心流 i

直心影流 3{〉i 心蔭流 i

榔鰯流 28i 神影流 i

天自流 i78 心影ノ流 圭

瀧木流 i73 *誠道無念流 i

霞新渡 工6倉 1 天平流 i

念流 i O3 *宮欝流 i

甲源一刃渡 99 荒木夢潅流 i

麓衰一刀漉 8§ 象一刀紳伝無流 工

真之糞石燐流恤諸O流

82V7 婆辮灘礪 i

墨謬購讐流・無刀流 74 心窮当神流 i

気楽流 65 示現流 i

小鬢涯一刀流 6i 薩段親流柔衛 i

起欝流 47 天辰一刀流 叢

真之神遠流 43 *天然心流 i

擁欝無刀漉 4(〉 翫一膿藩醸 ま

鏡新聡智漉 3蓬 示現流・心蔭流 i

天神真揚流 28 気楽漉・一刀流 i

溝縫一刀流 23 籔一膿・麟擁 藁

一刀漉 20 韓膿・鏡翻顯 i

蟹宮流 i7 齢灘・癖罐雛 i

八轍一刀流 i6 鎌海難辮戸簸 i

不二心流 圭5 鹿島流馬徳 i

心瞬当滅 i3 弓徳 2

武蔵漉 玉3 鎗徳 i

示現流・薩心影流 i3 柔徳・鑓 i

水癒流 i倉 睡工 5

浅田一伝漉 9 競刀鱗 喋

念流・無刀流 8 欝譜・武衛 3

無双刀流 § 書・露・詩・武衛 3

鏡心流 6 彫灘人 2

学心一刀流 5 無双刀流・詩文 2

神代一刀流 5 医緬・鑓 2

翼然運心流 4 柔・函 至難 蔭流 髄濠・融搾鞭

4喋

欝譜・馬徳天自滅・農学

ii東軍流 3 露・無双刀流 i

一刀流溝馨濠 3 無双刀流雷害 i

心形刃渡 3 詩文・零源一刀流 i

正気一刀流 2 書・念流 墨

神武一刀流 2 俳諧・錨 i

法捧流 2 匿纐・直心影流 i

擁講演・天白漉「審漉・天田漉 2

2

i 無双刀流・書・爾 詩・書・無双刃渡

亙i鞭一膿騰諺濠 2 1 雛譜・書・無徳 i

叉瀬繋濁宝轍魑離籍 2 詩・医・文・馬衛 i

縫 計 28暮§

総懸 ま

欝氏 ま

工  の

鷺福 そ

密欝 が

(光 る

毒、れ

罷は わ

5鑑 愚

全名 と

・の 櫨

録本 誤

名灘 に

英5 か

籍の ら

銭こ。閉

国警る、。

皇おあはた

謬なで名躰

纏尊の諏お

定るも流て

軽あたたし

井でしし載

霧のに特掲

辱も表をて

はる覧馨し

覧よ一審と

}にをの濠

の〉本中流

こ年歳表一

*    *

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3塵 橿鶴大学教糞学藻譲葉第鑓号 1弱毒奪i2月

表3.蓄窯懸試簿英名録喜にみる霊な擁濠の地蟻分毒一覧表

羅 名 蔀麩編麟 艇察名 神遊無念滅 直心影漉 欝雛液 天窓漉 薦末濃 霞線窺 念 漉 寧源一乃務 鑑漢心簿義 真之典笹興瞭

羅 氷 3§ § 2

吾 妻 i嘆

趨 根麓勢多繭勢多 圭 i 5 玉

豪轟轟 i i

薦羅馬 2 §麟 i38 22簿 織

土 野 緑 野 欝馬梨 2{垂

多 趨 美 i g

鳶誉楽義誉楽 2嘆 7

撫 羅 蓋 2 圭

郷 披 2 至

鑑 位 i圭 2遵 i i登

新 麗 i8 5 墨

羅 楽 2

孫 須箋 谷芳 賀 各

海 内 董 7 亙

下 野 寒 騰 砺水熱下鄭賀 i3 圭i i2 23 嘆

上灘賀 董 § 3 2 2

安 蘇 玉

建 縄 3

梁 懸

多 賀 玉

久 慈郷 舞東茨城 垂 5 35琶茨籔

欝 陸 霧 治 茨絨県 i7 2 i5糞 壁 2 i 2 5

筑 渡 工 i i

海 轟 7 i壬

蟹 素 3窃 i

行 方 至 §麟 玉 i 2

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豊 懸 i 2 3 5i羅 醗 茨城県 墨書 i3 工

猿 島 37 8 2

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串葛簸 38 5 圭7麓葛簸 埼玉娯へ 97 3 器8

ぞ 総 霧葛鋳 乗窟癖へ 2

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毒趨馬 千葉娯へ i

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慮 透 i2載 購

Page 7: 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 中 村

串季重疑誰:幕末縫東鋼癒流滋転縷形態の講究馨 3蓉

安 虜 安 携 i

報 夷長 獲 i

大 里 7 6 2

男 裏 i i 些

糧 羅 董 i 9 i§

擦 澱 i6 2(》 遮

艶 玉 i§ 玉 53賀 美 22悪 賀 2 i3秩 父 埼玉祭 董 7

入 購 垂 4 i 2

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購矯正 i漢書 i3 8 玉駐 i 9

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芝 鑑麻姦鼠毒嚢薮麹谷籔 重

隼込籔小石舞纏 2 i

本擁籔 東窟縫 3 i

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深舞麩載豊島 2 3 i嘆購豊島豊多奪荏 原東多簿麓多癬 2

薄多摩 4@再多離

磁 構都 筑 神楽舞繰久喪媛

轟 塵 i

津久菩愛 畢海 綾 隻

趨 模 大 建 神奈舞際 玉 i

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是穂下 i

鎌 禽三 濾 圭

縫濾察 i7 22 i 5 4 i

藻羅不瞬 蓼 翌 墨 亙

総 畿 6s9 3§隻 28i i78 玉73 隻§⑭ i{}3 99 8§ 82

*この一覧韓、夢皇羅鼠籔英名録毒の欝蔽年に合わ量、聡癒雛俸く重認蟄尋簿靴公犠された乎旛艇・瞬材麟茎に移薮す る薩麟の曝籔敏によって地漿採分をした。なお、憲娯名はその後の謬藍の移魏解わかるように、昭秘醤隼纏嶺棄窟擁麟へ移得する以講の憲擬名の震蜜とした。

Page 8: 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 中 村

3暮 権高大学教畜学藻論集第畿号

 それ鉄外、少人数の流漁で神道一心流・天平流・

鷲木魚夢流・直心挿影流・二刀禅伝無刀流・心鱗

当禅流・悪投新流・文展一刀流といった聡き叢れ

ない流濠もでてくる。なお、瞬らかに誤権ではな

いかと思われる流滋名には*露を付しておいた。

 表3は、罫英名録毒に誕載された主な流撮〔憩

流濠〉の地域分喬を示したものである。最も多く

の名義が記載されている;神道無念流や直’む影流は、

縫東一霧に広がっている。また、詫籏一刀流も箆

較的広籠懸に広がっていることがわかる。しかし

よくみると、直心影流は宗家長沼家が沼鐙藩の懿

徳締籠家であった関係上、上野蟹(現群馬察/に

も分姦して雛るが、神道無念流や詫籏一刀流は舞

醗には分姦していないことがわかる。

 次に多い郷羅流や災毒流は、武蔵蟹龍建立謬

(現埼玉察南部/周遊から下野・常陸・下総にか

けての騒擾蠣流綾の地綾に広がっている。この薦

流は、穂穣鱗水系の経済と深い縫係があ脅そうで

ある。反落、上野護や権模國(現禅奈綴藥/には

分篤していないことオ》らも、水運の発達した地域

に広まった流濠であったことを裏づけている。

 これとは反対に、荒木流や霞新流などは、上野

蟹1以外はほとんど分姦していない地銭牲の強塾流

濠であることがわかる。また、畢灘一刀流や真之

糞石絹漉なども武蔵蟹の詫藻地竣(現埼玉桑詑藩/

を基盤とした透綾姓の強い流撮である。さらに、

念流は馬鹿(現群馬県多鶴舞吉井簿1に濃盤いた

地域牲の強い流濠であるが、羅分一家によって武

蔵蟹の北藻地銭へも教練を絋張している。

 なお、先裟みた糠遵無念流や龍辰一刀流が上野

羅には教綴を拡張できなかったのは、これら在i地

の流濠の勢力が強かったためではなかろうか。こ

のことはまた、文政7隼(鰺2参魂籏一刀流の千

葉馬鐸が高麟僻香保糠被に奉納額を掲げようとし

た時、土地の有力流潔であった念流との翼に一鮭

羅発の事態を招き、結縁千葉が奉納を藪念ずると

いう事件麟があったが、そ跨後もこの事件が影響

して華たようである。

 その飽、表3には記載しなかった、!i綻以下の

流撮の地銭分喬の特徴をみると、奥出念流は武蔵

i弱6年董2籍

麟賀美蔀(現埼玉察本庄薦/に集中してお弩、薄

霧彗流兼無刀髪甕と樗嚢灘無フヲ流轟まともに、垂覧蔵錘彗嚢二選二

立蔀(現埼玉察欝欝薦・講穂毒・大警衛など南部

地綾/に集中している。このように一難に集中し

ている流撮は飽にも、鼠蔵羅薄埼玉部(現埼玉察

岩槻毒・八潮毒・越谷毒・蓮欝薦・久喜毒・春嚢

離薦/に鐙宮流、下総馨香取榔(現千葉製本葵津

毒〉に不二心流、下野蟹ま二翻賀灘(褒嬬水難鹿沼

甫・騒光事〉に心明当流、常陸羅筑波舞(現茨絨

県筑波舞鶴 に水海:流などがある。

 また、一睡内に比較的敏く分姦しながら、催轡

へも驚の足場を築いていった念流のような分窟の

し方をしている流濠に、気楽流・起舞流・嚢之紳

遵流などがある。気楽流は至難;蟹一帯紅広が鯵な

がら、武蔵覆の詫蔀地織、幡羅蕊・榛沢穆(熊谷

毒・深谷毒/へも教練を拡張している。起製流は

戯蔵緩の詫雑地簸に広が弩ながら、その延長で上

野醤愚楽郡(瑛欝馬藥館株霧/へも広がっている。

また、真之糠遵流は上響覆緑賢謬(現群馬渠藤岡

葎f・蕩縛帯)を中・むとする地場馨こ広が弩ながら、

戯蔵羅i賀美郷(現埼玉祭本庄講〉蓬こも霧の足場を

もっている。

 これと1ま対照的に、小野嶽一刀流・鏡心弱智流・

一刀流などは、藏!’む影流や詫緩一刀流と講じよう

に覚較的広い地竣に分散する領海をみせている。

 このことは、盲工戸で鰹をきわめ、次第1こ広オ産っ

ていった流濠と、地域姓の強塾在地の渡瀬とでは、

流滋の広が弩方に違いがあったのではなかろうか。

また、江戸で隆盛をきわめた流嚢蔽でも、もともと

江戸で生まれ.た董幾重景と、 もとは窪地の流量簸であっ

たが教練拡張のために江戸へ慮てきて戚聴し、広

がっていった流濠とがある。さらに、地域姓の強

い在地の流撮でも、教練を紙張するために飽欝へ

も建場を求めて広げていった流濠と、そうでな騨

その土地でのみ実擁iしていた流嶽という、荏つの

タイプが存在したようである。これを復に、iの

タイプを盗心影流璽、2のタイプを禅道念流型、

3のタイプを念流墾、4のタイプを霞新渡型とで

も秘嘱㌧嘱得るのではな力玉ろう治㌔こうしたこと方書雪

えるのかどうかを実羅することが、まさに本譲稿

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中越疑錐1幕末縫棄鯉衛流撮鉱播形態の醗究1茎} 37

の渡瀬伝播形態の欝究の主題ともかかわるのであ

る。

 なお、これら罫英名録遷には東京癖(現東窟灘〉

に在住する鱗衛家(柔術家を含む)が極蟻に少な

い。それは、縮者窪身も遽べてψるようにド後篇

ハ購治二十二歳三月中上梓」の予定であ鞍、東京

凄や補充分を後篇三韓として編集する意騒があった

からである。 しかし、その意纒は達せられないま

ま未完に終わっている。

 したがって、これを徳完するものとしては纏輯

者は異なるが、東京在{益者を中心にまとめた『欝

本籖衛名鑑垂(鉄下、ゼ武衛名鑑妻という/によっ

て、その穴埋めをせざるを得ない状溌である。

 表号・さは、蓼裁衛名鑑磨に掲載された麟徳と

柔衛の流滋1名を一覧表乾したものである。この

罫武衛名鑑壌は、東京へ集まってきた鼠講家の名

鑑であることから、当時活躍していた一流の武衛

家を集めた名鑑となっている。しかだって、表6

に示した墨身痛察の人数比とは大繕に異なってい

る。また、それだけ多くの叢術家が職を求めて東

京に集まっていたことが舞えよう盤㌔

 舞えば懿徳を擁にとっても、義援銘した鱗遵へ

の過渡難にあたる鱗治2書庫代は、多くの鰯徳家に

とって就職の葬常に厳しい時代で、唯一警視庁の

みが霧戸を解敬していた羅綾:である。した炉って、

実力のある懿徳家は職を求めて多く東京に集ま弩.

機会があれば警視庁への奉職を考えていた。表7

は、そうした実i力のある無徳家で、警視奪に舞鶴

量誌掛もしくは跡教として奉職できた人たちの等

綴欝名簿を講疑したものである。それだけ厳しかっ

たということは、警視庁に集まった無徳家の実力

も糧盛高かったとみてよかろうの

 この箏綴霧名簿は、墾治総隼(総85/に警観庁

が無徳家の実力をはかる欝安として採濡した「織豊

麟慶馨にもとづいて黒縁した人たちの明治鍵隼

(建881ころの名簿簾である。のちに「段藤麟度

へ移行したときの比較表に当てはめてみると、当

時の二線は七・八段、玉縁は萱・六段.瞬綴は二・

三・瞬段に根当離する。そのことからも、ここに

掲載された人たちは場当の実力を備え、多くが各

警察署の懿徳量講掛をしていた人たちであった塑}。

綾らはまた、次代を毯う若手を鍛えるとともに、

競技乾した舞遵へと騰歿していく無籍の過渡難を

支えた人たちでもある。その慧昧からも、この名

簿に載って塾る人たちが互いに交歓しながら大き

く流滋の壁をの吟越え、遷代麟な舞遵の技と妓籍

の体系をつく辱あげる礎となった人たちであった

といっても遺書ではなかろう3

 なお、表7の流撮名は、『嚢徳名鑑遜の鋼衛家

の蒲と髭較し、流滋名を書き入れたものである。

講者の史料慧、年代釣に数奪の聡きがあるため、

途串で死亡した弩、睡発の警察署へ就職が決まむ

帰覆した人や麹に職を求めて東京を離れた入など

は掲載されていない。そうした人については、流

滋名を空鰯にしてお雛た。流浜名が入っている人

は、蓼武衛名鑑垂にも載って雛る人で、その多く

は名鑑の、鉦麺にランクされている人たちである。

その人たちの流撮鷲の勢力穰をみると、蓬三舞麟に

多いのが聾心影流で38名を数えることができる。

次いで鏡心明智流の難名、麩下、詑籏一刀流の蔦

名、一刃流の難名、糠遵無念溺雛〉i3名、小野滋一

刀流の鴛名、霞宮流の簸名、淺蜜一伝流の7名.

心形刀流の6名、立身流の5名の瀬となっている。

つまり、江戸を基盤挺して隆盛をきわめていた流

撮が警視庁においても湧き続きその勢力を保持し、

鳶力流滋であったことがわかろう。

 そのことはまた、表珪でも聡らかなとお韓、舞

講にお》ては、1豊心影流が東京を中心とする縫東

一再に一大勢力を誇っていたことがわかる。一刀

流や靴緩一刀流・小野諏一刀流なども表蓬と講ご

ように東京を基盤とした孝ぎ力流濠であったこと悪童

わかる。さらに、鏡心聡智流も東京に勢力の中心

があった流涙であることがわかる。藩掲表i・2

にお塾て、麗棄一円に大きな勢力を誇っていた禅

遵無念流は、東京でも依然として大きな勢力を保っ

ていたことがわかる。警視庁で大きな勢力を誇っ

ていた渡瀬と、東京に多く集まっていた流濠とは

ほぼ一致し、これらの有力流濠が近代的な舞遵へ

の過渡鶏の飼衛を支えていたといえよう.

 なお、この『蓋:衛名鑑垂は、・一致の左半分を

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主鰭6年i2舞篠鶏大学教育学藻論集簗畿暑3名

婁欝本武徳名鑑選にみる錨徳諸流灘}覧表4

iii工i豊iiiiiiiiiiiiii蓋ii2i8

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名脈流

  流漉流 流  流      流    鎌鎌〉〉  刀天伝流念 流進      宮    長鎖場館流流二二疋蛙無流出}流渡流流流流覆滅流流流流漉武武入万歳藏刀免丼則秘敷身刀刃己心善心刀天心真本欝得講誠記二戴武一新羅天中瀦心神真克体定貫大真鱈一瞬嶽大(《未

『、…話蕪  .

5298577§8533§7665533222222i

達2§5533322ii

i玉

名派流

    流              流     刀  流流刀流    流 流  流  流 刀     一流 念刀一智  流 伝 刀  子  陰 一  流  武影漉無一濠明流流刀流一流一流流太流流薮流海流流出流流真心刀道褒籔必携月形宮撫麟源身外徳現畢生購慰伝敵宝光馬擬直一神北小鏡警無心蟹浅榔甲立無筆示東擁水中神無堤安鞍麓

(瞬治認年H月〉にぎ縫本裁籍名鑑選

6柱隠を京不がか

表在が家東、家た

は内瞬衛、〉徳隣

県購不舞も纏武で

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鐵、筏知の総多く

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  名

徳の§名柔住れ磯

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.徳が蒙た外、の

鶴舞者東ま癖期へ

鯉、住は。京詩序

たは窪くる東の携

れて外しか、こ警

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繞る裁つ豪者瀞纏たは

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       名

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流流た出子、

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影念霧刀含流たの

真無鏡形を澱め流

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流㌔に流一は流諏

影下流刀.に刀趨

神以智行流渡一中

直島瞬毒虫外元、

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はめ鏡は、。.流

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  ㌔た§〉も佳名集る流をた流にめ刀一

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4鯵な載解(め内が京で心べ含形伝を原天

表よ に者名集府罌粟ら直すを心一流撃串

*               *         *

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3§中替災難:幕末麗東鋳徳流濠伝撮影慧の羅究繊

麗経本武衛名鑑塵にみる柔罐詰流派一覧表5.数人

i65332iiiiiii3i

726

名識流

 流流 流       〉 統道転    漉  館流三神流一流漉漉 流露流流辰蔭内之心出変麟必滅真木蟹我麓真鷲真擾浅随麟新穂薩荒戸為(

数人

計総

名濠流

 道  流 流 流   漉 柔  窓 揚 々  頭 流流館流流北流真流新流流流心流執心道観傷道張神貸嚢内心貫移鱗水揚講警起神戸天闘闘雛韓真良渋双

*揚心流・天神真鶴流の新傷」は療文のままとし.磐両三刀流は、 竹内三統流に含めた。また、麓覆滅は麓疲館の誤鯵と思われる。

ぎ麟本武衛名鑑遷にみる威徳家の鐵身遵癒渠鍵一覧表6

護身遵府渠 鎚衛 柔衛

 懲身遵癒県要 懿徳 柔衛

北海道ツ 森H 霞竅@手o 形{ 城氈@島�@城v 木T 馬q 葉戟@京驕@玉_奈耀d 潟x 露ホ 燐氈@発r 野氏@梨テ 瞬、 簿ロ 阜三 重

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i§弱無2月籏島大学教育学藻譲集第撰号鈴

聡治誤年墨鱒の警擬庁鎚籏家等籔斑一覧褒?

氏   名 演   滋 氏   名 濾   灘 践   名 濠   濠

二級之鶴 綴綺 善三露 一刀濠 轟羅 縷三 鏡心聡智漉得能  鰻鱒難 直心影流 鑑ホ   鋳 糠縷 建聡 傷む影流振舞 大藩 鏡心瞬智流 杉撫 敷纏 神遊無念流 穰覇 久徳 鏡心絹智灘真員 忠篤 懸窩漉 寓下 致永 心形刃渡 蕪地 義穰下注 秀案醸 一刀漉 鰻谷 鑛太蕗 蠹毒影灘 鑑藤 藍実三構 鑑一鰹 銭蔵二刀澱 吉馨 誠舞奪 麓褒一刀縫 鯵本 楚総 鏡心聡智流蒙緻 薩廉 玄奥流 霧離 墨繰 藪宮 敬之勤 戴心影流離欝 窓挙 無刀溝 御饗 徳!鑛 蕩擾 毎難後藤 舞甕n邊  楽之雛

神遵無念濠レ毅一刀漉 雛馨 無敵流

欝療 璽海カ奈  鑑 一刀漉

夏晃  又之進 棒心漢 濡燕 藤灘 鏡心聡智濠 序灘  宣擁本 購吉 直心影縫 上繧 糠義 載駿一刀流 銭無 難賢 一刀漉三級之懸 雛本 権太麟 浅幽一転瀧 須賀 寒鐸 直心影濾中糧 鰹次藻 心形刃渡 蝉懸 黒藻 杉灘 購書 一刀漉勝灘懸強太郎 競擾一刀滅 密難 篠懸 藪心影流 撫辮 欝徳 蕪心影硫安綾 書窓 鏡心畷奮漉 率聾 鱗太躯 小舞 薦常綺欝 美実 鏡心聡智液 大久撮忠璽 杉原 織鷺 一刀漉税発 発奮 立身流 笙漂 文繞 薩心影流 藤鋳 政瞬 一刀縫塗樽 又太臨 浅幽一飯漉 佐藤   挙 鞍畿曲流 小織  豊 一難漉干葉 之騒 龍鬢一湾流 深野 八携 ノ葦・野瀬一刀漉 揺藻 義錐露都 朝遜 載蔑一刀縫 小撫欝鶴透 浅裂  馨 醸心影縫擁演 溝馨 神遊無念漉 鞍懸 籔鱗 鍍懲 角太難 燈心影蕊灘発 登峯総 蕩心影漉 吉谷   試 警糧漉 大本 友藏 無湾流太欝 資遵 鏡心瞬智流 錦木 雅錬 蕩心影流 金子 浅瀬小舞 定之 一フ」流 大饗 戚猛 篠敷演 森  讃蔵 神遊無念流流原  則畷 穂懸 東之麟 鏡心墾智溝 達   斧吉

鼠藤 秀茂 堤宝撫擁 木材 寅羅灘 毒心影藏 構澱 寅次藻 神道無意流褥瘡 義次 塗麟 一穣 鏡心窮蟹流 蕉木 蕊簸樋嚢 青髭 字権美濃盤 癒心影漉 三濾 義質 神遊無念蕊常晃 忠誠 一刀滅 登島 重箱 櫛醗 澄春夢飛七差擬醗 醗嘗滅 鈴本 琵琶 蠹毒影流 溝療 蕉次 一刀流柴鑓 徳守 小籔濠一刀流 ・岩城 敦太鋸 小野寺機織膝購 毒ナ臨 撮窟漉 中島 髭崇 示現漉 野津 元三灘 神遊無念漉水鬢 敷秀 蠹毒影擁 講本 八籔離 詑駿一フ3流 夢藤 亮裁 癒む影濠露里 忠徳 二刀滅 菊縫 義薮 懸宮漉 羅憲 家吉 浅慮一転縫浅見 克発 直心影縫 癖盤 彦一 浅撫一転流 承購溝憲薄霧 毒心影流車懸 議案 大際鍵営藏 緻籔 余類 欝密擁 翼本 治兵籍大久探患徳 小野濠一難漉 撫轡 慈之 医心影流 羅分 薬局 裁蔵渡小泉  鐸彗忠 擁購読 久来  薩次躯 東電流 黒}ll 羅之 太子流杉本 友三鋸 薄鋤  湾 小野濠一際縫 海藻 蕩治 義疲一刀流鈴本 畠董難 直心影擁 赫   簸趨 神道無念漉 簸  発話 直心影藏海綴   譲 詫展一刀流 警率 斧太臨 ノ至・灘 義晃 臨駿一刀流矢離 総籬 直心影流 春本 鑛次難 堤宝撫流 溝承 要之紡 策箪流長壌 忠裁 直心影癒 轟緩  欝 東輩擁 槍撫 瀬太麟金鑼 定次懸 神道無念縫 神戸 楡三筋 豊麹 致義 水磯癒霧鱗 又八 弾道無念演 罵  購太鰯 淺嶽一紙漉 撮懸  溝 蠹毒影漉大久傑遜義 穫撫 銭蔵 神遊無念漉 積算   署富嶽   霧 鬱念漉榛} 綴軍 羅吉 ノ1・野灘一刀漉 馨黒 書典 小饗灘一ヌ}流菊難 為之麟 直心影漉 薮療 鵜遵 横森  進 銀宮擁磯質 璽次譲 鏡心醗轡縫 毅購 霧藏 心形刃渡 秘撮 縛儀 一刀藏矢島 安清 撫灘流 撫藤 尭蕊 心形刀流 上妻 隆行 立身流透藤  幸兵籍 舞舞1 酸轟 小舞諏一刀滅 吉欝 豊実 心形刀流雛級之藻 赫   秘光 小野嶽一刀漉 幸島 戴藏鋳藤 槌蒜 鏡心瞬蟹澱 野饗 吉次 無樽流 醗   乗懸麟三賀 長滝 巌窟 兼次麟 燈心影漉 聾昌 琵友森戸 漂吉 鷲宮流 石鱗 蓬秀 鞍馬擁 漂鶏 準炎 鏡心聡智流土聾 八朔 姦露 盛泰 小鬢灘一難濠 雛楼 喜久患再繊 忠勇 一刀流 藤蟹 知遵 小野羅一刀漉 家馨 清興簸蜜露 敏政 燈心影流 遠藤 三鋸 霧耕 繧之 小野瀕…73漉森轡 安之購 燈心影滅 溝久津灘畢 鋳藤 鍮里離谷   露允 神遊無念藏 撫嚢 弥蔵 警艦醗 } 鍛鐡 芳三灘 神遊無念漉堀   鱈義 一刀漉 藤鐙 五離 灘戸虚癒懸 浅撫一転漉綜   戎講 薩心影流 金霧 藪太獺 太子流 今羅 義直 総宮流縫露 基準剿リ 安遷

鏡心聡警蕊シ心影濾

小躍 重飯∠ル 次懸

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大観 藍夫蜚ゥ 豊水 安蝿流

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斎藤 数次鶴。木 義崇�ュ 離離

心形際流」心影漉S形湾流

構灘藻 懸密漉

F心影流吉鐙 緩夫 浅虚一儀漉 籏本 重義 直心影癒 裁藤 逡夫 立身漉鈴木 蓬森 貌擾一η漉 斎藤 兼盛 影藤  寛 一刀流橋本   湊 麗緩一刀滅 轟野 義嫁 痘毒影流 濾水 雅艦 蠹毒影演舞聾  広次

C合 常二距テ  致道

競衰一刀縫エ疲一刀漉

織機 書置

J難鏡心瞬轡漉ャ野灘一刀流1      }鏡心聡智演  i

き 土塁  瞬ョ繊 髭義u種 糠八

雛富籤ァ身漉

*この一覧は、本下寿徳量錯法至権欝積遷1鼠選奨験会、露盤年擁こ掘載された警餐庁が1籔 麟度導入当縫1瞬絵雛鐸隷の等綴難名を、率菩提食偏蜜嚢本鼠徳名鑑壽1密霧.懸緯年1と 醤縫合わせたものである. 春霞本裁籍名鑑壽に撮載されて睡るものには滅難名を記した。

Page 13: 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/...中村罠錐:幕末幾棄鋼徳流滋伝播彫懇の嚢究韓 2 幕末関東剣術流派伝播形態の研究(i/ 中 村

中替民錐:幕末縫東鎚鱗流撮飯掻形態の醸突傷 垂i

「柔衛」にあてているので、柔徳流鍬の特籔もみ

ておくこととする。柔術においては、蕩掲薔姓名

記遜やζ英名録盤に名藩すら墨てこなかった揚心

流が、乗1京では第一{立にランクされている。これ.

は、傷心流が侮ちかの遷由で、先の二書への掲載

を藪つたため名義が鐵てこなかったのではなかろ

うか。また、神道壌乞窓流や1翼蒙流、霧難証霧舞々流や

管内流といった麗容系の流濠が数多く入ってきて

いるのは、懿徳と爾ビように柔徳家も職を求めて

東京に集まっていたことを麹語っている。さらに、

麟掲表i・2にはみられなかったが、鰹術にも柔

徳にもf警視流鋤」という流嶽名が新たに見受け

られる。これは警携庁に集まった鼠衛家の簿1劉流

滋名を冠しな塾響び方で、この鋳難独甕のもので

ある。「講遵館柔道」と雛う鐸乎び名も、柔道草§彗

難のもので、死式垂こは瞭本伝講道館柔進講謹と

呼ばれた。このように瞬絵2蓉隼代後半には、無徳

も柔籍も流滋の壁を越え、流離統合型の近代麟な

武道への騰皮が選んでおむ、技や技術の統一も急

速に進んでいったことがわかろう。

 それをさらに決定づけたのは、瞬治鎗奪(露§5〉

に倉彗宣した大震本武徳会(襟下、「璽美徳会涯 とい

う/である。鼠徳会は、流濠ごとにバラバラになっ

ていた技の体系と教習法を統一し、遷代的な武遵

の統抵懸体としての役翻を果たしていくのである。

騨治39年(i鱒轡に武徳会が行った繕衛と柔術の

影の統一錦は、その輿璽的な事擁である。

匿.結び

 本論鶏は、在来の鶴衛の競技乾・スポーツ箆の

邊程と流潔の伝播形態を墾らかにするための作業

飯説(多事章〉を提示することを§離としたもので

ある。その場合、よ軽早く替刃打ち舞衛を採離し

た流潔はそれだ諺教練拡張にの弩だすのも早く、

よ1り広い地簸に広がっていたであろうという飯説

をたて、それを検誑するために、透代的な舞遵へ

の邊渡難に穏当する聡治鎗隼代の縫東嬉方に広がっ

ていた流撮の地綾分姦を明らかにした。

 その繕果、流撮の{云掻形態には尋つのタイプが

あ暮そうであ1}、それを実議していくことが今後

の課題として浮上してきた。その逢つのタイプと

は、もともと江戸で生まれ、そこで教練を広げて

いった淀瀬と、もとは;荘地の流濠であったが江戸

へ墨て成功し、そこを基盤に教練を広げていった

流濠とがある。これを飯に、産毛・影流型と;神遊無

念流璽と辱ぶこととしよう。これとは対照麟に、

地機姓の葬索麺強華在地の流涙1で1まあるが、嚢己

の建場を霞めるために飽欝へも教練を広げていっ

た流濠と、あくまでもその土地でのみ伝承されて

いた流濠とがある。これも飯に、念流璽と霞新流

墾と呼ぶこととしよう。

 これら建つのタイプの伝癬形態を婁議すること

は、今穰新た轟こ薯孚上してきた課題でもある.

i)藝秀真という藝吾は、蓋罵。もec童orの訳語で響舞台莫舞

 になって餐iわれはじめた語である。江戸時代に

おいては「遊具」「具縫涯ド唇具足」等と称され

ていた。しかし、本請文にお疑ては、今馨麟な

意練での「面・小手・麟」等の遊具が鐵揃った

 ものをr紡具重といい、どれか圭つでも欠けて

 いる場合は、当鋳の呼び名のままとした。

  なお、跡具の発生については推1著雛熱興」

 (験彗遊事典一技術と文乾の整史一雌鶏津書房、

露髄隼、欝7~琵δ頁)参黙のこと。

21下鱗潮験彗遵の発達遜(大饗本鼠癒合本部、

鰺騰隼、2簿貰〉。

3/靉靆の流撮史講究には、縫導一罪念流の伝綾

 と兵法露(念流道場、鰺36年/。薄髭守文壅塞群

 藩に於ける水購流の沿革露(農耕、揚詰隼)。擁

生議長ぎ奮伝新陰流垂(講談娃、1縣7年〉。藤吉

 斉『大石禅影流を語る垂嬢鷺、欝63年/。小窮

正孝ζ蓋術天然心瑳流・上選(小島資料館、鯵78

 奪〉。森遜栄陳軍流兵法戴(翼G S、欝欝隼)。

 森張栄ゼ葺石流餓表更悉(餐G S、婚麗隼〉な

 どがある。

  また、特定の地表竣隻醗究轟こ隷、米内包方r盛

 騰落改訂増補古武進虫垂(糞籔館道場、欝58隼〉。

福懸鯛藍ゼ雲落蓋遵虫垂(今井書震、謄§5隼!。

 会津麺遵誌纏纂委舞会監会津舞遵誌嚢(全会津

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媛2 鵜島大学教畜学藻論集第穫号

 鱗遊連盤、欝欝隼)。熊本禦捧育雛会蓼肥後戯

 遵史  (後妻彗〉選 (青言韓室生、 圭§7蓬奪)。 中幸書法肇参

 蓼茨城の麹遵史雌醗薄書館、!欝5隼!。大房鏡

 翻中落武遠受茎憾講、嬉器隼/。承野妻三郎

 韓嚢賀藩経武館武芸小伝垂(露鷺、欝75奪1.哲

 内将大蓼膳辮藩の載遵垂(立葵会、露霜年〉。無

 木俊弘ゼ肥羨直道秘語垂(薩賀新縫鮭、鰺76隼〉。

 纏醗俊夷懸本県婁鑓鶴嘘幕、欝緯年/。毒

 本報夫ゼ埼玉武芸緩1(さきたま鐵版会、欝欝

 隼〉。蜜穫幸恵ゼ鳥取薄舞遵斐垂(渓水社、謄82

 年/。青森県無道愛編集委翼会ぎ青森梁嬉遊更董

 (青森票鋳遊連盤、緯縫奪〉.富永好松『平β藩

 の鼠芸教官遷(長鑛鐵藪文化騰会、欝8§隼1。茨

 絨察鰯友会『茨城の武芸一鎚の拳一盞(筑波書

 抹、鯵総奪〉.植蟹俊夫罫野撰流濠麟衛の藩究遜

 (欝羅、婚鍵年〉などがある。

  この{毯、奏彗客・禽彗豪など人講勢を痔も£・とした流

撮史礒究も多数あるが、ここではすべて繋愛し

 た。

垂〉 ヂ幕末懿徳の変質遜程に臠する観究一とくに

 醗窟流・窪懇清音の繕徳観を幸心として一」

 楠幽大学アカデミア進(第露骨、至留8年、2総

 ~287頁1。「幕末錘衛の変質邊程に関する羅究

 (その2/一講銭漸の舞衛教育とそこにお診る

舞鶴家の麟衛理譲を中心として一」罫蛮凄大学

 アカデミア垂(第29号、ig7§隼、243~2懸頁1。

 ド幕末婁彗馨蓼の変質達里程&こ1離する葦葺究一とくに窪

 懸溝音・男谷猛友聡係資料および一刀流懿徳伝

 書類にみられる懿徳の一変質傾構につ》て一」

 ぎ武遊学醗究嚢(露本武道学会、第i3拳i号、

 !§雛隼、襲~53頁1。

S} ヂ天{呆・弘{ヒ莫翫こお謬る諸藩の婁彗衛流濠一

 ぎ弘化5奪2房諸蟹麟家姓名録選の鹸討一」ぎ窮

出大学紀要(アカデミア/甕黙秘学・保健体育

 編嚢(第i巻、欝83隼、35~妬頁〉。「文覚文政

 鱗の西南地方にお捗る繕術絶滅試合の動陶一撃

予史談会文庫ζ撃舞試合覚瞬の分暫を中心1こ一」

 ゼ南鐵大学艇要(アカデミア/窪然科学・保健

棒脊編麟(第3拳、謄87隼、i~謄翼1。

6〉擾本鐘鋳・秘蟹哲遠ξ「近盤渉書落における鼠講

玉弱§年i璽

 愛』藩究の現珪素とi課題涯騒菱道交費二の養舞究薯 (渡美星

 一部先生古稀鑓念譲集飛行会.第一書房、懲偽

 隼、至3§頁/。

7/ 蓑と緩濃にお謬る無雙i登簿流の伝承について一

 涯!鴛1時代村落の武徳とζ境雰性遺 一まぎスポー

 ツ壷麟究雲(スポーツ愛学会、第7号、珍襲年、

 2i~3碩〉。なお、農罠武術への藩究視点には、

 高鶴敏ゼ透縫村落生活文姥史序説遷(未来社、

 i§総勢からの示唆が見受けら爽る。

8) ヂ近逡演彗衛における講親修行毒こ麗する醗究一

 片毒家文書『星野記妻について一嵯置鼓道学藩

 究遜懸本武道学会、第鎗巻圭号、難87隼、戯

 ~5嚢頁/。「逝1嚢婁彗術垂こおける訪問鯵管に穫1する

 馨究壌/-r罷後熊本星野龍麟修行霧漂に

 ついて一涯ぎ武遊学礒究涯纏本数進学会、第2i

 巻i号、鯵88隼、磐~5§頁/.鞍懸哲趨酒醤醗

 直樹「近逡鋳衛における武者修行につ無て一昔

 露流伝書『事蓬習練集薩における「戯者修行之

 綻」一ま幡繕大学教蕎学翻醗究輻吉第}部蚕

 (第7§号、欝§暮年、13~瞬頁)。「岩蟹藩におけ

 る替刃打込稽吉の普及と纏流試合の活姓継こつ

 いて」ゼ武遊学観究垂(嚢本籖進学会、第23巻i

 号、欝鱒隼、薦~騒頁〉。

射報醗哲毯・患馨眞一ゼ透鍵後難における懿徳

 飽流試合活性化の実態に駕する講究一講波吉野

 購沿岸地域と威醗家の麗嚢流につ疑て一」『香

 撰大学教育学翻懸究鞭告第亙講(第82号、i弱i

 年、2欝~2蕊頁/。「鼠露家の私塾「禅全塾」に

 ついて一その鼠芸教育を中心に一」搬本の教

 育慶学遜(教青史学会、第35号、i鱒2隼、鱒~

 3§翼〉。「獣毯家の麗嚢流の伝書類とその伝授

 の実態について一転書類の穰伝踏級の験討一涯

 獄遊学羅究垂穣本武道学会、第25巻2号、

 i弱2隼、焉~23勢。籍灘哲毯・友添秀購「逓

 欝後難における婁彗術のスポーツ酌展灘:武遜家

 の経口流における野穫書を中心に一匪郵体育学

 講究選繕本体育学会、第38巻5号、難翼年、

 337~3尋8至箋〉。

轡 「近毯後難における戴者修鴛の実態につ塾て一

 罫寡麟長兵籍潰衛英名録遷の分断を還して一」

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串替艮雄:幕末縫東舞術流瀕伝播形態の羅究{重} 藁3

 蓼繊総雲霞本風総吏学会、第32巻2号、鯵盤隼、

 26~鱗頁〉。「水戸藩における試合無籍に絶する

 一考察一箪公覧嬉末撃秦雛の分蟹を通して一」

 概治大学教養譲集書(通巻28§号、鯵髄奪、

 !~2(ン頁/。誹「試合食彗術の発展遺程に隣する覇

 究一榊遵無念流鰯術心得書垂の分榛一まぜ武

 遊学購究蓋(馨本籖遵学会、第29誉至号、鋸~

 2§頁/。

  なお、 これまで禽彗馨¥の建塞鼕鼕蓼参考テ釜景としては最1

 も古いものとされてきた欝乎史談会文庫蔵ゼ撃

 鰯試合覚緩違翫駿「文化幾靉靆英名録達(前提

 榎本譲文5/を参蕪1よむもさらに書籍験琶術

 修得肇灘(寛政緯~鎚年〉を発見し、これを学

 会発表している (ヂ寛政難にお捗る鎚術鰹鬱鬱

 行について一叢残忍・大原簿七郎の事髄1一輩馨

 本武道学会第2§会大会、i鱒6年発表ん

蔓/ 「幕末麗棄における不二心流についての醗究一

 その特徴と社会誘役割一涯『武遊学概究選醸本

 武道学会、第濃誉3号、欝欝隼、22~3i頁ん

 紅幕末攣燐における太平真鏡流につ雛て一不二

 心流との箆較から一」罫工学錠大学硬究譲叢壽

 (第2§号、露髄年、i磁~露6翼〉。「八王子千人

 講’むにける武芸一太平真鏡流を中心として一」

 郵籔遊学礒究垂(饗本式進学会、第25拳i号、

 i鱒2年、27~38頁/。賦州における棒心無形流

 と根州大露鶴舞について一躍究達夢殿道学覇究盤

 (婆本鼠遊学会、第28拳3号、欝96隼、23~3§

 頁/。

!2/「鈴鹿家蔵、撫藤籔伝書験彗連比試記遷にみ

 る幕末購蓑おける試合穂術について」ぎ大藪武

 進学醗究垂(弩本数遵学会大薮支藻、第i巻i

 号、i鰻隼、欝~i頭〉。

i3/註2〉1こ購じ。270~2?i頁。

i4〉後達する平井1羅良纏罫馨本武徳:名鑑壽 (警干彗、

 18露隼)には、流撮名にヂ講遵館」や「警視流ユ

 の名がみられる。

難捻著「幕末隣東舞術流諏伝懸形態の藩究緯」

 嘱本武道学会第器露大会発表資料、ig鱒年)

 参照のこと。この資料の中で『姓名記露に掲載

 された流濠名の異講について違べておいたので

 参難のこと。

i瞬千葉懸鐸険彗講麹語涯/千葉栄一郎ぎ千葉羅

 作遺稿妻桜華廷墨叛部、i鍵2隼、§5~欝8頁1。

 念流灘の資料は、橿嚢一郭念流の伝統と兵法垂

 (念流速場、謄36隼、韓~52頁〉に、奉納を緩

 盛するため毒こ集まった念流嚢彗の人名が綴かく誕

 載されている。また、数馬広ニギ馬庭念流にお

 ける奉額活動についての一落究」紹本裁道学

 会第2§麟大会、欝欝年/発表資料も参黙のこと。

圭7〉新井朝定轟罫皇覆武衛英名録・五雲縮舞、

 鰺87隼、留丁駿〉。

i麟騒豪こ霧懸のある鼠衛家が自己の麓だ酵で就職

 できたのは、警視庁の武術漫姦掛が維一の方策

 であった。聡治鎗年代から隠年代1ま、そうした

 潰術家の就職活動も活発な時鱗でもあった。警

 視庁威徳量講掛については、叢著「馨治十年代

 にける警撹庁の武徳家」(ぎ東海透代斐欝究選東

 海遍代史醗究会、鯵83奪、92~鎗3翼/参難のこ

 と。

i鱗警視庁の「綴達麟度については、蔚掲、註i8/

 参黙のこと。

2韓木下寿徳験彗法至極詳伝垂(武進奨励会、

 蹴3隼、i尋~i6頁〉。

2葬大雍本威徳会においては、舞衛慧野綴涯柔衛

 は5段」という1二本立てを採絹していたむこれ

 を一本免してヂ段3麟嚢に統一したのは、大正

 6隼(欝i7/3肩のことである。撞著験彗遊事

 典一技術と文髭の整受皿匪(島津書募、i§鱗年、

 i28~i嬰蚕〉参蕪のこと。

22)小石俊三郎編陰縫籠上高矯先生八†奉戴

 (凌霜麹友会、鯵鱒卑、58~紛頁)には、本人

 が競治欝奪から22隼にか1ナて対織した各警察署

 の鱗衡量講掛もしくは麟教の氏名が欝詫されて

 いる。これを表7の名簿と比べると、多くの入

 名がタプっていることがわかる。

23〉 壽蓋22〉 に匿1じ。 なお、警毛髪流という餐乎び名は晃

 明治臆年(建86/警視庁において木太刀の影鎗

 本、立居合の形3本、柔衛の影簸本が翻定され

 た時、これを警視流木太刀の影、警視流立暦合、

 警視流柔術の彫などと呼んだところがらきた流

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縫 福島大学教畜学蔀i論集第撰暑 i鱒§隼i2月

 濠名である。

2麟講遵館柔道は、覇治焉隼(盤82)嘉納治五郎

 によって麟設されたもので、鰯設盛;擁は蒙本伝

 講遵館柔道と穂していた。これを篶織した恥い

 方が「講道館柔進達とな辱、のちには柔道とい

 えば講造館というようになった。柔道草麟擬の

 歴史については、克蜜三造編著『大嚢本柔道史1

 (講遂館、i§3§隼、婬3~i齢頁/参黙のこと。

2欝 この縛麟定された鱗鶴形は、土屋角平編『大

 欝本遺徳会麟定麹術彩雲(綾秘堂書癖、緯鐙年1

 として戯版され、柔術形は、磯藁一・激騰秀一・

 佐藤法賢影大麩奉戴徳会麟定柔徳形解説違(硬

 講堂書籍、欝総隼/壷びに土屋鶏平縫ぎ大饗本

 鼠徳会翻定柔徳形蚕(便講堂書店.i§至2隼再蔽〉

 として慧豊版され.た自

            (魏6奪i絹2灘憂鬱

    ∈as総撒3a籍a轟K舗撫総馨S蕊oolS麟童舞鬱しas婁Day$o{:童舞奪To藪鞍98wa S褻。営縫轟a蓑垂:

As雛轡G繍磯餓εyg3鵬d重細口鰍雛繍。琶(董)

?a。難io翼AKAM{テRA

至雛薮ee豊轟ee盤t撫麟盛葺ε融齢。繊麗es,醗w餓麺醜s虚oo墨s蕃ε藪a麟09曲玉豊飾縫ce搬も難e

K撮誌。 P至寂魏s(e&sもer簸」&峯}段簸〉段蟹董i盤縫。{量琶ce{量εし盤ew雄蕊}欝{重。ぞ茎建農。雛。韓ea主至琶{量s嘉葡磁覗む続飯}紗芝露s鵠

i盤蝋i磁swor謹瓢繊wi膨嚢でot磁ive鉾鍵sac纐我i至y畿r膿就ea出。撫¢r睡t蓋農3編離島a麟倉G

脚G掘,麟e艶as並嶽硫撮δ療。叢a至s磁Oo茎s旗e贈極磁wasc磁綴紘雄脚蔑,麟i磁墨s&群&戯ce

O鐸or盈S曜y.臨WS虚OG至SCO糞t童灘戯09麟i雌朧εe難膿盛癒e2嚥照roぞMe圭1還即鍵Gr穿S

虻eig無論w鍵δ盤醸。ぞi8躍s璽,麟i襲職e睡鍵y磁rs撫eyも。§e癒鍵盤a盤δec癬ei卿麟。盤

t難e {or罫良農もiG難 o玄醜く){量er登 盆e嚢{墨。.

 難琶e蟹re携s磁eSG蜜Sも簸透墨es{O澱SO難聴岬伽tr&透ま塞io盤豊懲&rti温&rts驚eretr懸S艶r鐙磁滋0&

s躍tG佳e曲a撮。蕪owも艶麗ws嚢戯s脚a6塗t難eK餓。臨魏稔as畷繊。&s穆s毛曲eSG£

s麟難ws撫GO茎sa悪態藤盤e&sノ臨弊sc垂OG監,」嶽露融98騨s磁oOL8翫撹。灘灘騨s漁GoL

Kα舘競読魏r翼s磯oo墨

 丁鼓議rsもi登t艶S琶ri琶S,t薮e脚s艦S擁ytr量esもO重豊幡traも麟鐸蝕脚君藏甑S綴OO至sg3魏透

搬e墨ri娘簸e糞cei魏魏Ka漁Pi識S,麟&晦玉藍磁y鰍綴i毛SV圭。賊t三es,もO轍羅鐵8e蕪G{鰺8αS

善隣r農wi確認is雛搬io簸盤a夢。ぞ轟e圭ぞs晦reSGぞ生娘灘ce.