日本海軍艦艇写真集 巡洋艦掲載写真について...
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掲載写真について 当図録において掲載した写真は、その多くは海軍工廠が公式に艦艇の建造記録として撮影したもので、基本的に極秘の扱いとなっていたものである。これら記録写真は起工式から竣工引き渡しまでの建造プロセスを全て撮影することが原則とされ、大型艦では、一隻について数千枚が撮影されていたと推定されている。明治・大正期においては、六つ切り、あるいは四つ切りの大型ガラス乾板で撮影され、密着プリントが保存印画とされていた。昭和に入ってガラス乾板はキャビネ判などが多くなったが、それでもベテラン写真部員の手になる記録写真の精度は高く、今日なおその鮮明度は驚嘆に値するものがある。惜しむらくは、これら貴重な歴史記録は、昭和20年8月の終戦時において、ほとんどが焼却され失われたために、今日その一部のみが残されているにすぎないことである。 当館所蔵の写真は、海軍技術少佐であった故福井静夫氏が生涯をかけたコレクションを中心とし、多くの関係者から提供を受けたものである。 今回の図録作成にあたっては、当館の所蔵する2万余の日本海軍艦艇写真のうち、傑作図録として写真の鮮明さの他に、艦姿の秀逸なこと、技術的、歴史的検討に耐えることを考慮して選定した。それぞれの写真については、館の管理番号、艦名、艦型、撮影年月日、撮影場所等を掲載した。これら写真については、提供者あるいは入手先などをはじめ、それぞれ詳細な考証を加えて注記し、データベース化を進めているが、今回は上記のように所蔵写真の基礎データを注記するにとどめた。今後、館の事業として、全ての所蔵写真をリスト化し、全写真図録を刊行することを考えている。ただ、その際には、全ての写真は極めて小さな扱いになることはやむを得ないので、写真としての検討、また、その美しさを鑑賞するには、今回の図録の存在が必要となると考えている。 なお、写真は歴史資料という認識から、傷、汚れも、現在ある姿のままで製版し、修正などを加えてはいない。写真の中には背景が修正で消されているものもあるが、これは海軍自体が万一外部に漏れた場合の防諜上の理由から修正・消去したものであって、戦後のものではない。これら海軍工廠や、軍港地帯の地形の撮影が厳しく禁止されはじめたのは昭和に入ってからであり、明治・大正期の写真では、同じ場所が修正を加えることなくプリントされている。また、背景に修正が加わっている写真であっても、船体自体には全く修正は加えられてはいない。 昭和20年の海軍の消滅により、海軍に関わる歴史資料、技術資料は民間に散逸し、諸外国のように公的な機関で資料の保存公開を行うことがなかったために、日本の海軍研究には多くの制約があった。しかし、技術資料を中心として、このたび、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)が開館したことにより、海軍技術資料の公開がスタートしたことには、大きな意味があると考えている。 私事になるが、当館の艦艇資料の多くを収集した故福井静夫氏は、かつて私の上司であったが、かねがね「戸髙さん、こういった資料は、本当は公的機関で保存しなければいけないのですがね、今の日本ではね」と漏らされ、「何とかこの日本民族の遺産ともいうべき資料を永久に保存することに努力してください」と言われたことを思い出す。今、大和建造の地、呉市に大和ミュージアムが開館し、これら資料が継続的に公開されることとなったのは、まさに福井氏をはじめ、多くの関係者の夢の実現なのである。
呉市海事歴史科学館館長 戸髙一成
日本海軍艦艇写真集 巡洋艦
呉市海事歴史科学館図録 福井静夫コレクション傑作選
初期の巡洋艦
O-0001 明治33年 呉軍港に集結した艦隊
8
051007 日進(Ⅰ)NISSIN Ⅰ明治11年 横須賀軍港 海軍が公式に撮影した初期の写真
9
051320 金剛(Ⅰ)KONGOⅠ 金剛型明治11年 横須賀軍港 英国より回航後、整備完了時
10
051319 比叡(Ⅰ)HIEIⅠ 金剛型明治11年 横須賀軍港 英国より回航後、整備完了時
11
051400 天城(Ⅰ)AMAGIⅠ 明治25年頃 横須賀軍港
12
051156 筑紫(Ⅰ)TSUKUSHIⅠ明治38年5月 呉工廠 無線通信機を設置した状態(推定)
13
051318 海門 KAIMON明治20年頃 横須賀軍港
14
052940 天龍(Ⅰ)TENRYUⅠ明治33年11月 呉工廠 罐の換装とあわせて艦首を改造時(推定)