日本語表記の構造概説 - textug 2013 チュートリアルを日本語で聞く会...

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TUG 2013 チュートリアルを日本語で聞く会 (国立国語研究所講堂,2014 2 8 日) 講演録 pp. 1–15 日本語表記の構造概説 矢田 勉さん(大阪大学大学院文学研究科) それでは、話をさせていただこうと思います。大阪大学の矢田と申します。今回の会は基本 的には昨年行われました TUG 2013 の講義内容をそのまま日本語でということだと了解をし ております。私の講義の内容はその性質上、そのときには日本語表記はもちろん、日本語につ いてもまったくご存じない海外の方に理解していただけるようにということで、日本人にとっ ては言わずもがなのところからお話をいたしました。今回は、そういうところは少々省いた上 で、日本の方にお聞きいただくには付け加えたいというところを、ほんの少しですけれども付 け加えた形でお話をさせていただこうと思います。 今日の話の流れはざっとこんな感じでありまして、最初に日本語の表記というのは、世界の ライティングシステム、表記体系の中でも極めて特殊なものだというふうに言われるわけです けれども、その特質についてまず基本を了解した上で、それがなぜそうなっているのか、ある いはなぜそうならなければならなかったのかということについて、歴史的な背景を通じて少し 理解をする一端をご提供できればということであるわけです。最後は、やや周辺的な事柄のよ うにも思われますけれども、書字方法および表記方法について、話を進めていきたいと思い ます。 3 種類の文字セットを交用する日本語 最初は、日本語の表記、日本語のライティングシステムというのが、どういう特徴を持って いるかということであります。日本人の皆さんには言わずもがなのことでありますけれども、 第 1 番目の大きな特質というのは 3 種類の文字セット、文字種を交用するということでありま す。言うまでもないことですけれども、漢字、片仮名、平仮名、もちろんその他にアラビア数 字であるとかアルファベットとかというのが、近年では交えられることもあるわけですが、文 章の骨格をなす主体となるような文字セットというのは、この 3 種類であります。 すでにしてその 3 種類の文字セットを交用するということ自体が、世界のライティングシス テムの中では極めて特異なことであるということですね。その 3 種類の文字セットは、さらに 大きく見ますと表意文字もしくは表語文字であるところの漢字と、表音文字もしくは、その表 音文字の中でも世界的に見ると特殊な方でありますけれども、音節文字であるところの平仮名、 片仮名を交用する。表意文字と表音文字を交用するということが、まず大きな特徴であります。 日本語表記の構造概説 1

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TUG 2013チュートリアルを日本語で聞く会(国立国語研究所講堂,2014年 2月 8日)講演録 pp. 1–15

日本語表記の構造概説

矢田 勉さん(大阪大学大学院文学研究科)

それでは、話をさせていただこうと思います。大阪大学の矢田と申します。今回の会は基本的には昨年行われました TUG 2013 の講義内容をそのまま日本語でということだと了解をしております。私の講義の内容はその性質上、そのときには日本語表記はもちろん、日本語についてもまったくご存じない海外の方に理解していただけるようにということで、日本人にとっては言わずもがなのところからお話をいたしました。今回は、そういうところは少々省いた上で、日本の方にお聞きいただくには付け加えたいというところを、ほんの少しですけれども付け加えた形でお話をさせていただこうと思います。今日の話の流れはざっとこんな感じでありまして、最初に日本語の表記というのは、世界のライティングシステム、表記体系の中でも極めて特殊なものだというふうに言われるわけですけれども、その特質についてまず基本を了解した上で、それがなぜそうなっているのか、あるいはなぜそうならなければならなかったのかということについて、歴史的な背景を通じて少し理解をする一端をご提供できればということであるわけです。最後は、やや周辺的な事柄のようにも思われますけれども、書字方法および表記方法について、話を進めていきたいと思います。

3種類の文字セットを交用する日本語

最初は、日本語の表記、日本語のライティングシステムというのが、どういう特徴を持っているかということであります。日本人の皆さんには言わずもがなのことでありますけれども、第1番目の大きな特質というのは3種類の文字セット、文字種を交用するということであります。言うまでもないことですけれども、漢字、片仮名、平仮名、もちろんその他にアラビア数字であるとかアルファベットとかというのが、近年では交えられることもあるわけですが、文章の骨格をなす主体となるような文字セットというのは、この 3種類であります。すでにしてその 3種類の文字セットを交用するということ自体が、世界のライティングシステムの中では極めて特異なことであるということですね。その 3種類の文字セットは、さらに大きく見ますと表意文字もしくは表語文字であるところの漢字と、表音文字もしくは、その表音文字の中でも世界的に見ると特殊な方でありますけれども、音節文字であるところの平仮名、片仮名を交用する。表意文字と表音文字を交用するということが、まず大きな特徴であります。

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そのこと自体は、世界の表記体系というのを歴史的に見た場合には、例がないわけではありませんで、ヒエログリフがそうです。同じ文字セットだけれども、それを表語的表音的に二つの用法でもって使って、それを交え用いると。日本語で言うと、漢文の中に万葉仮名を交ぜていた時代がそれに該当します。そういう例は存在しますが、別種の文字セットを用意したというのは、例えばかつての韓国語、朝鮮語表記のような例もありますが、類似の例は多いことではない。さらにその交える表音文字に関して 2 種類、複数のバリエーションを用意したという例は、歴史的に見ても日本語以外に指摘しがたいところであります。新聞や雑誌や本や通常我々が目にする印刷物を観察すれば、こういった漢字、平仮名、それからパンクチュエーションマークのようなものが混然としている状態というのは、当たり前に目にされるわけであります。

日本語の多表記性

もう一つの大きな日本語表記の特質というのは、音声言語にすればまったく同じ実現をするはずの文が、書き言葉、文字表現の上では複数の形式になり得るということであります。ここではそれを多表記性というふうに呼んでおきますが、例えばここに挙げた六つの例というのは、いずれも「これはぼくがかっているとりです」という音声的実現を有し得るものであるわけですけれども、6種類それぞれがどこかしら違う点を相互に持っています。もちろんこれ以外のバリエーション、組合せでいうと非常に多くのバリエーションがあり得るわけですが、どれも日本語表記としては正しいと。間違っているところはないということになります。もちろんその中で現代の成人が用いる表記としては、4もしくは 5あたりが最も望ましいものであると、標準的であるということは言えるわけですけれども、ただ、どれを使っても誤りというふうに言うことはできないと。そういうその一つの文に対して、さまざまな表記形態を取り得るというところが日本語の大きな特徴でありまして、これは例えば英語であるとか、中国語であるとかで、同じような現象があるかというと、そういうことはないわけであります。大文字にするか小文字にするかとか、パンクチュエーションですね、句読点をどこに入れるかというような程度のことですと、英語や中国語でも揺れが生じますけれども、これほどのまったく違った視覚的な実現を取り得るということはありません。それは先ほど第1の特色として挙げた、3種類の文字セットが交ぜ用いられているということに由来しているということになるわけであります。

表記体系の完成までの歴史

そういったその現代日本語の表記体系の特質、それがどうしてそうならざるを得なかったか、どうしてそうなってきたのかという背景を、先ほども申し上げましたように歴史的なところから、探りを入れていこうというところが今日のお話の目的です。

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そのそもそもが、今、我々が行っている表記体系の完成以前に、前近代の日本語表記の場合には複数のスタイル、ここでは文字の書き方のスタイルのことを表記体というふうに言っておきますけれども、それを併用しておりました。具体的に言うと漢文、あるいはそれにやや日本的な習慣の加わった変体漢文。漢文や変体漢文の場合には基本的に、文字種としては漢字でもって表記される。変体漢文の場合にはそこに仮名が交ぜられることもありますけれども、基本的には漢字で書かれる。さらにその漢字が場合によっては、楷書体の漢字が使用されたり行書体、草書体の漢字が使用されたりといったようなバリエーションもさらに有するわけです。それの他に平仮名で書かれる平仮名文、片仮名で書かれる片仮名文といったバリエーションが併用されていた。漢字仮名交じり文というのももう一つ、漢字と仮名を交ぜて書くというのがありますが、上の漢文、平仮名文、片仮名文という並びと並ぶ分には、ちょっといささか質の違うところがあって、歴史的には漢字仮名交じり文というのは、平仮名文や片仮名文に取って代わる形で出てくるところがありますので、歴史的にはちょっと同列には並ばないところもありますが、そういうバリエーションもあるということですね。具体的にはこういうことです。ほとんど平仮名で書かれた、漢字も一部には交じっておりますけれども、ほとんど平仮名で書かれた文章も、かつての日本語では行われておりましたし、日本で書かれた文章ですけれども、まったく漢字のみで書かれて、基本的には中国語の方に合致した形で書かれている、漢文というスクリプトもあったわけですね。それから、これは近世になって完成を見ることになってきますけれども、漢字と仮名を交ぜた漢字仮名交じり文の例。こういったものも現れますし、漢文や平仮名文に比べると、やや勢力としては小さいものというふうに言うことができるかもしれませんが、片仮名を主体とした表記体、片仮名文というのも行われていました。片仮名文というのは今も言いましたように、少し特殊なところがありますけれども、前近代の日本の文字社会、文字を使う人たちの中では、特に教養層が文字を使うという場面においては、こういった表記体のバリエーションのすべてを使いこなせるということが、求められておりました。これは TUGの本番のときにはお話をしなかったことで、スライドに「補」と書いてあるのはそういう意味です。例えばこれは京都大学が所蔵しております、

ひょう

兵はん

範き

記もしくはへい

兵はん

範き

記と呼ばれる貴族の日記であります。

紙はい

背もん

文じょ

書といいまして、裏に少し透けて見えているのが日記の文章になります。

たいら

平ののぶ

信のり

範という人のところに届いた手紙の、裏側を再利用して書かれています。ということは、このような文書群というのは、この日記の書き主であるこの人の下にやってきた手紙であったり、文書であったりということになるわけです。同一人物のところに届いた文書に、手紙類にまったくの楷書で書かれた大漢文あり、行書体で書かれた変体漢文あり、草書体で書かれた変体漢文あり、仮名の交じった変体漢文あり。こういうふうに現代の我々の書き方にやや近い形で、行を淡々と変えていくような形の、散らし書きではない平仮名文あり。散らし書きもあり。散らし書きというのは、(スライドを広範囲に指し示しながら)こう書いて次にここに移って、こう書いてこう書いてというふうに、行を紙の中で場所を移動しながら、

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リズミカルに書いていくという書き方です。同じ人物の下でこういうさまざまな表記体が行われていて、当然その受け取り手であったこの人物は、このすべてが理解できなければいけなかったということになるわけで、それが前近代の日本の文字社会のありようであったということになるわけです。そういう複数の表記体が並び行われていたということですが、次にその一つ一つについて少しその沿革を見ていこうと思います。

漢字

まずは、日本における漢文の歴史ということですが、日本においては 3世紀ごろから、はっきりとしたことはなかなか申し上げるのが難しいですけれども、漢字が日本にやってきたと。日本人の目に留まるようになってきたと考えられますが、最初の段階ではそれが言語を記述するものということではなくて、あるいは文様であったりというような形で受容されてきたものが、5世紀以降になりますと日本にだいぶその漢字の定着が見られて、日本的な読み方であるところの訓読みであるとか、それから漢文であるけれども日本化した変体漢文であるとかというものが現れてくることになってきます。さらに 8 世紀平安時代に入りますと、完全にその日本化した漢文である変体漢文というのが社会的な定着を見て、例えば公文書であるとか私文書である書簡などで、一般的な表記体として使われるようになってまいります。例えば具体的には、これが日本人の目に触れた最も初期の段階の、漢字の一つであろうというふうにされるもので、

貨せん

泉という貨幣ですけれども、こっちに「貨」、こっちに「泉」、貨泉というふうな文字がありますが、日本の弥生時代の遺跡からも時々出土するものであって、日本人が目にしたものであろうというふうに考えられていますが、日本人の漢字を書いたものに、こういう書体で書かれたものというのは、少なくとも普通ではありません。基本的にはないことだろうと思います。おそらくその段階では弥生時代の人たちにとっては、土器を作る原料としてむしろ輸入されたものであって、これが何らかの言語を表しているというような、はっきりとした認識はなかったんだろうと思います。それがやがて言語を表すための記号として漢字というのは定着していきます。平安時代以降になりますと、こういった形で、漢字ばかりで書かれておりますけれども、日本化した漢文であるところの変体漢文というのが現れます。この文書は土地、田んぼの売買証文ですけれども、(スライドを指しながら)ここに売り渡すというふうに書いてある。そういう日常的な経済活動などでも、漢文がオーソライズされた形で使用されるということになってきます。漢文そのままでは、中国語という外国語を表す文章ですから、日本人には習得が難しいということで、次第に日本化していった、変体漢文になっていったということです。そういうその日本化の過程、和化の過程というのが江戸時代に入る直前程度のところで、ある意味での極限の点に達します。これ以上はもう和化しようがないというような点まで到達してまいります。そういう形で成り立った表記体のことを、

そうろう

候ぶん

文というふうに我々は呼んでおりまして、この候文は公的な文章から私的な文章に至るまで、江戸時代には広く使われたものであります。と

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ころが、情勢が大きく変わりますのは明治時代に入ってからで、明治時代に入りますと明治政府は、公文書に関しては候文ではなくて、漢字片仮名交じり文を使うということにしました。ですので、明治時代になったところで日本語表記の大きな転換点を迎えます。変体漢文というのが生きた表記体としての、生命を終えるということになってまいります。これは実際その候文の例ですね。候文というのは活字に直してしまうと楷書体の漢字になってしまいますけれども、それは候文というものの性質の一端を伝えているに過ぎないものです。これは候文を書くためのお手本で、

おう

往らい

来もの

物と呼ばれます。本来候文というのはこの手本が示しているように、お家流という、独特の書風を持った行書体、草書体の漢字で書かれるのが決まったありようであります。ここでもう一つ付け加えておきます。先ほど公記録の紙背文書の例を見ていただいたように、中古中世の間の日本語における多表記性といいますか、表記体のバリエーションというのは、1人の人物が複数の表記体、ライティングシステムズを使えなければいけないという形で実現されていたわけでありますけれども、江戸時代に入りますと、ややその様相というのが変わってまいります。少し整理されてくるところもあるわけなんですが、出版ということが盛んになるに伴って、大きくまずその表記体のバリエーションが、変体漢文と漢字平仮名交じり文、それから漢字片仮名交じり文は相変わらず使われますけれども、その 3種類に絞られてきます。その中でこの表記体のバリエーションというのに、領域の分化というのが起こってまいります。具体的に言いますと漢字平仮名交じり文というのが主として働くのは、印刷や出版の領域であると。ですから、一般の庶民たちにとっては漢字平仮名交じり文というのは、本の形で手に取って読むものではあるけれども、自分の書く表記体ではあまりないわけですね。それに対して変体漢文というのは手書きの領域を主体とする、そういう表記体になってまいります。漢字平仮名交じり文と変体漢文というのは同じ文字文化の中で、印刷の領域と手書きの領域を分担するという形になってまいります。候文というのはさっき見たお手本のように印刷されることもあるわけですが、やはり印刷といっても手書きで書くための文字のお手本であって、その主眼になるのは手書きの領域であるというような形で、印刷出版においての表記体である漢字平仮名交じり文と、その領域を分担するということになるわけですね。しかし一方で先ほど往来物で見たように、候文というのが非常に大きく江戸時代には普及しまして、かなりの率の人々が候文を書けるようになるわけですけれども、それを支えたのは出版文化の産物であるところの、往来物であったりそれから辞書であったりしました。漢字というのは文字セットとして、どうしても宿命的に辞書というのを必要とする文字でありますけれども、それが節用集という形で江戸時代には印刷によって、多くの人々の手にいきわたるようになったということが、この候文の普及を支えたということになります。

平仮名

次に平仮名の歴史ですけれども、平仮名はおおむねこういうような流れで完成されていきます。平仮名も前段階は漢字を表音的に使う。万葉仮名ですけれども、それが 5世紀ごろに生ま

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れて、9世紀に万葉仮名から平仮名が生まれてくることになります。さらに、その 9世紀に平仮名が生まれた段階では、比較的素朴な姿を取っておりますけれども、10 世紀に入りますとそれが見た目にも非常に美しい形に発達してまいりますし、それからそれによって高度な内容を含んだ文学作品を、生み出すというようなことになってまいります。さらに平安末期になりますと、平仮名を貴族の子弟たちが習得するときに、いろは歌を使いまして、まず一つの音につき 1字ずつの平仮名を覚えていくという、そういう書字教育のあり方が普及してまいります。この段階ではっきりと貴族の子弟であっても、子供たちはまず平仮名を覚えて、次に漢字に進んでいくんだというような表記体の序列化が、本格化してくるということになっていきます。その一方で平仮名文というのは、本来はこの平仮名が創出された段階では、基本的には話し言葉を書き表す、音声言語を文字に置き換えていく、そのための表音文字であったわけなんですが、平安末期以降平仮名文というのが文語文化していきます。その当時の話し言葉からはやや距離のある、いわゆる文語文法というのに基づいた書かれ方をしてまいります。そのことの重要性というのは、初期の平仮名というのは話し言葉をそのままほとんど書いていた。というのは、その流通していた領域が話し言葉において意思の疎通が取れる範囲である、貴族の言葉遣いであり、京都の人たちの言葉遣いでありというような、音声言語の均質性を持った範囲内で流通していたのが、本来の平仮名のあり方でありました。文語文化ということでその話し言葉の文法からやや距離を置くということは、平仮名というのがそういう京都の貴族という世界から範囲を広げて、日本列島全域に使用し得るという基盤を、整えたということでもあるわけですね。こういうような形で、平仮名が美しい姿を取っていくということがあるわけです。さらに 17 世紀以降平仮名文は、漢字平仮名交じり文という形で、印刷の世界で主たる役割を果たすことになっていきます。そういったその印刷の世界で主たる役割を果たす中で、可読性の追求の点から表記体の変質がいささか起こりまして、漢字平仮名交じり文という表記体を生み出すことになります。その漢字平仮名交じり文の中で振り仮名というのも、同時に発達をしていくということになりまして、これはもう江戸後期のものですけれども、読み本の例ですが、こういう平仮名を漢字に交ぜた文章であり、かつ漢字の部分には密に振り仮名を付したような、そういう出版物が多々江戸時代には生み出されていくことになります。さらに、江戸時代には出版というのは 1 枚の木の板に、文字を版画の要領で彫り込んだような、製版印刷といわゆる印刷方式を採っておりましたけれども、幕末、明治以降活版印刷が平仮名の世界に入ってまいりますと、平仮名というのは本来草書からできているものですから、比喩的な言い方ですが、平仮名との楷書化というようなことが起こってまいります。つまりそれは先ほども見た平仮名のように、本来の平仮名というのは連綿と続け書きをされると。それから、その一文字一文字ごとに縦に長い字があったり、横に長い平べったい字があったり、あるいは小さい字があったり大きい字があったりとかというような、そういう特徴を持っていたのが、続け書きをしない。それが今の活字に見られるように、一定の縦横の長さ、正方形に近いそういう枠に収まったような文字で、書かれるというようなことになってまいります。

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ちょっと先に例を見てみますと、これが平安時代に書かれた手書き時代の平仮名ですけれども、同じ 1 文字であってもこの程度の大きさのものもあれば、このぐらいの大きな大きさを持ったものもありました。それから、比較的縦に細長いものもあれば、横に平べったいものもあるというような形を持っていた、そういうものであります。例えばここの場合には「とくらむ」というふうに 4文字がつながって書かれていて、今の我々には普通にはその文字の切れ目自体が、非常に分かりにくいものになっています。こういうものであったのが、活版、活字印刷によって、例えば我々が今見る平仮名の活字と大して変わるところがない、一文字一文字が切り離されて、だいたい同じ正方形のボディーの中に入るような平仮名というのが、もたらされるということになってまいります。明治以降、平仮名というのも活字印刷される文字の一つになってきます。明治以降には一般的な文学書や雑誌などはほぼすべて漢字平仮名交じり文になります。文学書や雑誌などというふうに断ったのは、後で言いますけれども、公文書が漢字片仮名交じりを取るということがあるわけですが、それが戦後になりますと公文書に関しても漢字平仮名交じり文が採用されることになって、唯一の一般的な表記体になるという流れになっていきます。ちょっとこれは補足ですが、先ほど平仮名の楷書化というのは、活字、活版印刷によってもたらされたと申し上げましたが、実は江戸時代の間の製版印刷という版画式の印刷技法が用いられた江戸時代のうちから、すでに平仮名のあり方の変化が徐々に起こっております。江戸前期の出版物である、例えばこの『日本永代蔵』、1688 年の本ですけれども、この本の場合にはまだ一文字一文字の大きさのだいぶ違いがあります。例えば、これ、今ポインタを当てている、これは「か」という 1文字なんですけれども、その次の「に」という同じ 1文字に比べると甚だ大きさが違うと。そういう形で書かれていた平仮名のあり方が、江戸後期の出版物になりますと比較的、「すこし」とか「なさい」とか「さんと」とか「あけて」とかいうふうに、どんな文字でもほぼ同じ四角の枠に収まるような形に、すでに製版印刷の段階でなってまいります。これは最も極端な例で、

ひら

平た

田あつ

篤たね

胤という人の著作の出版物になりますと、連綿をほとんどしなくなって、「ん」「の」「に」「ま」「れ」という字になっていますけれども、もうそのまま活字にしてもよさそうな形の文字になってまいります。決定的な変化は活版によってもたらされるわけですが、こういった形で製版印刷によってすでに平仮名というものの変化は準備されていたということです。

片仮名

次に片仮名ですが、片仮名はやはり同じ万葉仮名から生まれます。5世紀に生まれた万葉仮名から生まれまして、8世紀、片仮名というのが生み出されます。当初は漢文訓読、漢文に付される訓点として、漢文の読み方を示した訓点として創出されます。例えば、こういう漢文の文章本体に対して、こういうふうに横に付けられるような形で生み出されたということになるわけです。

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ところが、訓点として使われ始めた、生み出されたときからそれほど間を置かずに、片仮名が漢字から独立して片仮名文という形で使われるものも生まれてまいります。さらにその後、平仮名文というものが用途を広げ文語文化して、話し言葉からは離れて汎用性を持つようになるというお話を先ほどしましたが、それに対して口頭語を書き表すという領域を片仮名文が担う形で役割分担をし始めるのが室町時代です。例えば、これはその代表的な例の一つですけれども、「◇タイメイトイウハテンカガドッコモオナジク◇」という、「ドッコモ」なんていうふうな、非常に話し言葉的な、そういう言葉遣いを含む文章を書き表すのに片仮名を使うということが起こってまいります。さらに江戸時代に入りますと、先ほども申し上げたように、出版の世界において漢字平仮名交じり文が主たる役割を果たしてくるわけですけれども、その中でオノマトペとか、感動詞とか、終助詞とかいったものを表記するというふうに用いられるようになってまいります。特に終助詞に用いられるというところは、表記体の歴史ということを考えたときに少し重要なところで、片仮名を用いることでそこが文末、句末であるというような、句読点的な役割を片仮名が担わされるということにもなってまいります。例えば、これが江戸時代の文学作品の一つですけれども、例えば、ここですね、「◇なるはサ◇」「サ」というのが終助詞ですけれども、「サ」というのが片仮名になっていることによって、ここで文末だということが分かるような、そういう形になっています。基本的にはこのテキスト、句読点を含まないんですけれども、こういう文末が片仮名になると、終助詞が片仮名になることで、ここに文の切れ目がありますよ、句の切れ目がありますよということが分かる形になっているわけです。一方で、ここは「きかせよう」という平仮名で文が終わって、「ソレ」というふうに次の感動詞が片仮名で書かれている。そういうときには、他では基本的には使っていない句読点をあえて使うということも行われていて、江戸時代の文学作品の中ではこの片仮名が文末表示̶̶̶文末を表す̶̶̶という役割も担わされていたことが分かるわけです。同様の例は現代の表記でも漫画などによく見られるところでして、これはちょっといささか古い『サザエさん』の例ですけれども、「ナニカオツマミネ」とか、これは感動詞の例ですけど「アラ」とか、江戸の文学において片仮名で表記されていたような部分が、現代でもコミックの吹き出しの中などでは、同じように片仮名で表記されることがあります。江戸の文学とコミックの共通点の一つとして、コミックの吹き出しも多くの場合、もちろん一律にそうだということではないんですが、多くのものが現代表記の中では例外的に句読点を含みません。句読点を用いません。この『サザエさん』の例もそうなんですが、そういったところではいまだにこういう特徴的な使われ方もしているということですね。片仮名史の続きの方に戻りますが、すでに申し上げたように、明治時代に入りますと公用文書が漢字片仮名交じりという表記体を取るようになってきます。さらに漢字平仮名交じり文の中で、江戸時代には一般的ではなかった外来語を片仮名表記をするという習慣が固定するようになってまいります。これは公用文中の公用文、公文書中の公文書で憲法、大日本帝国憲法ですが、片仮名交じり文ということになるわけですね。それから、こういう文学作品の中でも、

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オノマトペとか外来語とかが片仮名で示されるということになるわけです。ところが、戦後以降は漢字片仮名交じり文は公用文でも使われなくなって、今見られるような一般の日本語文章では、外来語、オノマトペ、動植物名といったような語に使用されるような形に、役割を限定される形になってきているわけです。

多表記性と教養度の階層

日本語表記の多様性を形作っている漢字、平仮名、片仮名、それぞれのたどってきた歴史を、非常に駆け足で大ざっぱに見てきたわけですが、そこでもう一度改めて現代日本語表記の大きな特徴であるところの多表記性というところに戻っていきたいわけです。先ほども言いましたように、同じ一つの文がこういった多様な書き方をなされるということです。もう一度振り返りますと、前近代までは今のあり方とはいささか違っていて、複数の表記体を 1人の人物が併用するという形で、日本語表記の多様性ということが行われていたわけです。これだけの種類、バリエーションの表記体を使えるというのが、教養層のまさに教養のあり方を反映していました。近代以降は欧文や活版印刷の影響の下、漢字仮名交じり文という表記体を唯一の、あるいは漢字平仮名交じりと片仮名交じりというふうに分ければ唯二の、表記体とするようになりました。それによって、多表記性の様態というのが、複数の表記体を併用するところから、漢字仮名交じり文の中での多表記の併存という形に変質をしました。現代の漢字仮名交じり文においては、平仮名だけしか書けないというレベルから、だんだん難しい書き方も書けるようになってくるという教養度の階層を示すことになります。幾通りもの書きようがばらばらに存在しているというわけではなくて、どの程度まで書ければどの程度の頭のいい人かというふうに判断してもらえるか、という教養度の階層を持って序列的に存在しているということが言えるわけです。例えば、この 6種類の中で言うと、ちょっと下からになりますけど、2番はちょっと特殊な書き方です。「コレハボクガカッテイルトリデス。」というふうに、現代において一つの文をすべて片仮名で書いたら特殊な表記で、例えばこの漫画の例のように、ロボットの言葉だとか、人工的な音声とか、宇宙人とか、外国人とか、そういう特殊なところにしか使われません。それから、この中で 3番、6番ですね。3番はいわゆる歴史的仮名遣いを使っている。それから6番は極めて難しい漢字ですね。「飼う」という字にこういう漢字を使ったり、「鳥」という字に禽獣の「禽」の字を使うと。そういうのはやや普通の書き方ではありませんけれども、それ以外の 1、4、5はどれも現代日本語表記としては普通の書き方なんですけれども、1が最も低い教養のレベルであって、4がきて、「僕」まで漢字で書けるともうちょっと教養度が高いという形で、教養度の序列を持って多表記性が並立しているということになるわけです。さらに、そのあり方というのは、現代日本においては書字教育課程と対応関係を持っていて、具体的にはここに書いてあるような形で、今我々は文字を学んでいくわけですが、重要なとこ

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ろは最後のところです。結局、日本語文字のシステムというのは、最終的にはどこかで勉強が終わるということにはなっていなくて、2136 字以外の常用漢字に入ってない字に関しても、まったく知らなくていいということではなくて、それ以外の漢字については生涯にわたって学び続けることを求められる。あるいは、学び続けることができるというシステムになっているということになるわけですね。

国字改革再考

そういうところが日本語の表記の複雑さ、あるいは非合理性という言われ方をすることもあるわけですが、そういう日本語の非合理性と見られることに対して、国字改革ということが明治以降、繰り返し主張されてきているわけです。それについて少しその意味合いをもう一度とらえ返しておこうと思います。

仮名遣い

まず一つは仮名遣いですね。仮名遣いに関しては、代表的な方式として 2 種類ありまして、こういう歴史的仮名遣い。「これはぼくがかつてゐるとりです。」。イの字にこういう字を書いたり、それから「かつて」の「つ」を大きく書いたりとか、こういう歴史的仮名遣いといわれる方式です。これは典拠主義̶̶̶古い文献にどう書かれているかということを基準にした書かれ方̶̶̶であると。それに対して今、我々が普通に使っている現代仮名遣いというのは原則としては表音主義で、「これは」の「は」なんかはこの典拠主義の部分の残存ですけれども、それ以外の部分はおおむね発音通りに書こうという表音主義の方式になっているわけです。その他にも定家仮名遣いとか、音義仮名遣いとか、異なる仮名遣いの方針もありましたけれども、近代以降、非常に大きな対立をなしているのはこの二つということになります。その中で現代仮名遣いというのは、最低限度の書字能力の水準。先ほど1から 6まで多表記性の例として並べた中で言うと、1が書けるようになるための能力の水準を画期的に引き下げたものであるということになります。つまり、要するに平仮名のセットを学びさえすれば、あとは発音している音通りにそれを並べれば、曲がりなりにも日本語の文が書けるんですよという、最低限度の書字能力を非常に低いところで保証した、そういう改革であったということになるわけですね。

漢字の数の多さ

それに対して漢字の数の多さも多表記性の問題と絡んで、しばしば国字改革の議論の対象になってきたわけです。こういうさまざまな議論が繰り返されてきていますけれども、つまるところ、漢字制限の方はこれ以上、別に漢字は多く学ばなくてもいいんですよと。学んでもいいけれども、学ばなくてもいいんですよというキャップをはめることによって、それまであった表記によって、どの程度の表記まで使えるかということによって、その人の社会的な教養度の

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評価と評価の一端としてきた。そういうシステムを無化するものであったということになるわけですね。ただし、だからといって、じゃあ、日本人が常用漢字以外の漢字を学ぶのはやめようとなってきているかというと、そうではなくて、例えば日本語検定なんかの流行ぶり、繁栄ぶりなんかを見ても分かるように、なお抜きがたい漢字フェティシズムのようなものは日本の中に現前として存在しているわけです。

漢字の書体や字体

さらに漢字の問題を複雑にしているのは、書体や字体の問題、漢字にはこういった書体の違いというのもあります。これは現在においては楷書以外は非実用化されていますけれども、前近代においては、先ほど鎌倉時代の紙背文書の例で見たように、用途に対応して、特に楷書と行書、草書というのは使い分けもなされていました。それも違うバリエーションとして習得する必要があったということですね。それから書体の問題。これは、漢字というのはそもそも字のバリエーションが多いと。字の数が多い。そうすると、どうしても字の数が多ければ、アルファベットなんかとは違って一文字一文字の形の構成が複雑にならざるを得ないと。そうすると必然的に異体というのも生まれてくるということで、より、なお問題を複雑にするということです。実は形の揺れということは漢字だけではなくて、平仮名なんかでも起こってくることで、線を続けるか、離すか、あるいは横棒にするか、点々にするかといったような、そういう揺れは現在でも見えるわけですが、これはもとをたどると漢字の中でも草書体。楷書の字体というのは繰り返し議論がなされてきているわけですけれども、草書体は字体の基準、規範が非常に定めにくい。それを平仮名というのも引きずっているということになるわけです。

漢字の読み

少し飛ばし飛ばしにしますけれども、日本語表記の中の漢字の問題をさらに複雑化させているのは、日本には漢字に読み方が 2 種類あるということ。音読みと訓読み。古代中国語の発音に基づく音読みと、それから日本で意味から独自に与えられた読み方である訓読みということですね。さらに日本における漢字が、例えば韓国語における漢字やベトナムにおける漢字と違った特徴を持っているのは、それが伝わった時代の違いに基づく複数の音読みを併存させているということにもあるわけですね。それから訓読みに関しても、一つの漢字に対して一つの訓読みだということではなくて、しばしば中国語の一部の語義が日本語の複数語に対応します。さらに言うと、中国語というのは日本語と品詞性が違いますので、中国語の一つの字というのが、日本語だと名詞にもなり、形容詞にもなり、動詞にもなりということがしばしば起こって、非常に複数の訓読み、たくさんの訓読みを持つということになります。

日本語表記の構造概説 11

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さらに訓読みというのは、一度定まったらそれで固定するというものではなくて、思想や社会の変化に伴って新たな訓が創出され得るということです。例えば『礼記』の中に出てくる著明な格物という言葉ですが、12 世紀の中国の学者は、これを真実に至るという意味合いでとらえまして、その結果、日本では「イタル」という訓読みが与えられたわけですけれども、15世紀、朱子学という新しい学問の中の解釈では、自分の精神を正すという解釈がこの言葉に対して与えられて、その結果、日本でもこの漢字に対して「タダス」という別の訓読みが与えられると。こういう形で訓読みは常に新しく作られるものでもあった。そういうことがさらに漢字というものの扱いを難しくしている。ということで、音読み、訓読みの 2種類があり、さらにそれぞれに複数の読み方があるということで、漢字 1 文字に対して日本語では非常に多くの読みが対応して、その結果、漢字の持っている表音的な機能が著しく弱化しているという場合があると。その弱化した表音性の補完のためには、どうしても平仮名というものが必要であったということであります。

送り仮名

それから、漢字と平仮名を交ぜるということの持っているもう一つの難しさというのは、その役割分担をどうするかということであって、それが送り仮名の問題ということになってまいります。一つの「かえりみる」という単語でも、いろいろな、どこまでを漢字として、どこからを平仮名とするかということに関して、いろいろなやり方があり得るわけですけれども、実際、これが一応今現在の基準では正しいとなっていますけれども、これで書いても、これで書いても、場合によってはこれで書いても情報伝達の上ではほとんど遜色がないということも言いようによっては言えるわけでして、そういうことがこの送り仮名に関しては問題を非常に複雑にしております。国字政策上も最も難しいところと考えられるところの一つです。

書字方向

最後に書字方向と表記符号ということですが、現代日本語のもう一つの大きな特徴は、縦書きも横書きもできるということです。縦にも書けるし、横にも書けるということですね。さらに縦書きも横書きもできるというのは、縦書き、横書きしかできないという、上から下への縦書きと、それから左から右への横書きと、これしかできないということではなくて、場合によっては、これは私の勤めている大学の近所を走っているごみ収集車ですけれども、これが走ってきても一瞬何が書いているのか分からないんですが、あまり文章をこういうふうに書くというのは多くないんですけど、こっちが車の頭なんですけれども、「守っていますか」という言葉がこういうふうに書いてあったりする。現実世界で車がこっちを向いている、こっちが頭だという、その現実世界の方向性が影響して、こういう書き方をすることさえ可能にしているということなのであります。

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ところが日本語表記の書字方向の柔軟性というのは、むしろかつてはなかったことで、江戸時代までは通常縦書きのみでした。これは化学、ケミストリーの本ですけれども、江戸時代の本ではまだ縦書きだったんですね。それが次第に横書きが欧文の影響で起こってまいりまして、『植物学雑誌』という雑誌の場合には、この 1926 年から横書きが基準となってきております。

句読点

最後にパンクチュエーションマークのことですが、句読点のことです。さらに現代日本語表記の多様性の一つですが、表記符号が非常にたくさんいろいろなものが使われるということがあります。その表記符号が多様である一つの理由として、いろいろなところからもらってきているというところがあります。例えば中国起源のもの。大きく言って中国起源のものであるのは、例えば今我々が使っている句読点ですね。句読点の場合には、これが句点、これが読点ですけれども、どちらも由来となると中国のものと言っていいと思います。その違いは、この読点に当たるものは、今でも明朝体で書きますと、ちょうど筆をぺたっと紙に付けたような形になっていますけれども、本来は写本、手書きの本で使われていた区切り符号由来。それに対してこの丸い形というのは、印刷、中国で行われた宋版といわれる印刷などに用いられていた形であって、そういう両方の由来のものが現在では一緒に用いられている、ペアで用いられている形になるのかなと。この句読点というのは、本来は日本語の文章というのは句読点が付されていたものではありません。句読点はその本を読んだ人が、ここで文が終わっている、ここで意味が切れているという読解の行為、ここで意味が切れていると読み取ったという跡を残すために付けていたもので、読み手が付けていたものなわけですが、商業印刷の時代、製版印刷によって出版ということがされるようになって、書き手が自ら最初から句読点を付すということが起こってくるようになります。さらに活版印刷によって、文字と同じ資格を持った、そういう要素に変わってくることになります。ちょっと具体的に見ますと、ちょっと順序はこっちからなんですけれども、明治初期の出版物では、この句読点が振り仮名と同じならびに書かれることがしばしば見られます。これは明治時代に始まったことではなくて、おそらく江戸時代の製版印刷で印刷された読本類の書き方の影響下で行われた方式だろうと思います。それが、これは年号としては同じですけれども、やがて文字と文字の 間に入ることになってくるわけですが、それでもちょっと後世とまだやり方の違いがあるのは、はっきりと明らかに文字と文字の 間に句読点が入れられる形になっていまして、1文字文のスペースが与えられてないんですね。それがやがてこういうふうに1文字文のスペースを与えられてくることになるわけですが、実はここからここの間にまた本来は 1段階あります。句点というのが先に1文字文のスペースを与えられることになってきます。読点は同じように 間に、この段階と同じように 間に入れるけれども、句点は 1文字文のスペースを与える

日本語表記の構造概説 13

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という方式が主流だった時代がこの間にありまして、やがて句点も読点も文字と同じスペースを与えてもらえるという印刷方式が出てまいります。こういった形で「、」と「。」を句点、読点というふうに使い分けるのは、明治 20 年ごろ以降、この方式が固定してまいります。この『

とう

当せ

世しょ

書せい

生かた ぎ

気質』や『ジョージスミス之伝』の場合だと、今でいう句点に当たるものしか使っていないんですが、句点と読点を使い分けるという方式は明治 20 年が一つの画期になります。ざっとした流れはこんな感じ、ちょっと見にくいですけれども、こんな感じです。明治 20 年に、それまでの例えば国語教科書なんかの場合ですと、それまでの自由出版の時代から教科書検定の時代に入るんですけれども、それと時期を同じくしてというか、場合によってはそれの影響なんかもあって、それ以降、「、」「。」を使い分ける方式が非常に普通になってまいります。

括弧

それから、そういう中国からもらってきた句読点の他に、日本で独自に発達した符号。さらにさかのぼると中国にまったくもとになったものがないわけではないんですが、日本で独自に発達したものとしては、このかぎ括弧の類というのがあります。ちょっと今、二重かぎ括弧のことは置くとして、普通の一重の括弧の方です。これは引用符、もしくは

たく

卓りつ

立ふ

符、この言葉を目立たせたいという意味で使う記号ですけれども、そういう場合には江戸時代後期から使われますが、会話符としてこのかぎ括弧が使われるのは、明治20年代後半以降、徐々に増えていって、明治30年代以降にようやく一般化すると。ですから、句読点の方式の一般化に比べると、やや遅れて日本語表記の中で一般化してまいります。例えば、句読点も含めてなんですが、この 1881 年の『学校◇……◇』という本では、句読の付け方とあって、実際これはどういうことが書いてあるかというと、句読点としては「。」しか実際には示されていなくて、字と字の真ん中に付けるか、横に寄せて付けるか、それによって句読を書き分けろということを言っています。これは非常に古い平安時代にもうすでに見られる句点と読点の使い分けの方式なんですが、それがまだ明治の 1881 年の段階では行われているわけですけれども、明治30年の『中学国文典』という本では、先ほど明治20年にこの方式が非常に一般化する画期が訪れるということを言いましたけれども、句点と読点はこの「。」と「、」で使い分けよということも言いますし、それからこの明治 30年だと、ここにあるように、「右の他、昔は談話体を記すに 1個のかぎ」、会話を示すのに上の括弧しか付けてなかったんだけれども、「談話の◇……◇近ごろは 2個のかぎを談話語、または引用語の首尾に施せり」といって、最近では会話を表すのに前後にこの括弧を付けるようになったということが語られていて、明治 30年ごろにはそういう方式が一般化していたということがよく分かる文章です。わずかこの間が16年。この明治20年代を挟むこの十数年が、日本語表記の上では、他の時

14 日本語表記の構造概説

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代にはちょっと見られないほどの大きな変化の時期であったということが分かります。その他に日本語の表記法としては、こういう欧文由来のものもあるんですが、実は欧文由来のものの定着が非常に早いものがありまして、例えばこのパーレンなんかは明治のごく初期にはすでに注釈の記号として使われています。実は会話符としてのかぎ括弧よりも、よほど日本語表記への定着は早い。そういうことも少し面白いかなと思います。

濁点と半濁点

それから、ちょっと飛ばします。濁点、半濁点ですが、これらはやはり句読点と同じように、本来は読み手が付ける記号であったんですけれども、製版印刷によって書き手が最初から付すものになり、さらに活版印刷によって文字の一部になってきます。これは要するに、もうすでにマークではなくて、字画の 1画になるという形で大きな変化があったものです。

長音符

さらに長音符なんですが、これはちょっと非常に難しい問題を含んでいて、通説ではこの「引」という字に由来するとされます。現に古い江戸時代の文学作品なんかでは、「シー」という音のところに「引」という漢字が書かれているんですが、ところが明治に入ると普通にこういう縦棒が使われます。江戸時代にも西洋の学問の方には普通に使われるんですが、この両者の中間的な形態がないんですね。ですから、ちょっとはっきりとしたことは分からないわけですが、一節にはこういうふうに「引」という字から由来したとされているもので、これも現在の日本では日本語の表記体での一角をなしている記号になったということですね。ちょっと本当に大急ぎになりましたけれども、以上、概略をお話しさせていただきました。

(拍手)

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