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「承認の共同体」の可能性と限界: ピースボートに乗船する若者を事例として 古市憲寿(東京大学大学院) 6 Oct 2010 日本社会学会

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「承認の共同体」の可能性と限界:

ピースボートに乗船する若者を事例として

古市憲寿(東京大学大学院) 6 Oct 2010 日本社会学会

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本日の発表

• ピースボートという世界一周しながら、世界平和を訴える船に乗る若者たちを通じて、現代における若者とコミュニティの関係を考える。

• 主要な知見やエピソードは既に発表してしまったので、本報告では要旨だけを述べる

• ただし、コミュニティ論、社会運動論、「若者論」などに接続できる論点をいくつか提示する

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問題意識:若者の社会的排除

• 若者の「社会的排除(social exclusion)」「寄る辺」のなさ

• 「社会的排除」とは再配分の正義と承認の正義が侵される状態(Fraser 1997=2003, Young 2007=2008)

• 社会的承認を得ることがますます難しくなっている現代において、サブカルチャー集団や社会関係など共同体によって承認の欠如を補完しようとする提案が提出されている

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• アクセル・ホネット:社会から阻害された若者たちが独自のカルチャーを作り、既存の社会へ反抗する(counter-culture of respect)

• 中西新太郎、樫村愛子、鈴木謙介:木更津キャッツアイのような「ありのまま」でいられるような「ジモト」が必要

処方箋として提示される「承認の共同体」

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問題設定

• 多くの論者が類似した問題意識を持ちながら「承認の共同体」という規範的概念を提出している

• ただし、彼らの議論は以下の点で留保が必要

• 本研究は「承認の共同体」の可能性と限界を探ることを目的としているが、「承認の共同体」は共同体への回帰を目指す規範的概念に過ぎないのか、「承認の共同体」は社会・政治運動に接続可能性を持つものなのか、それは分配的正義とどうような関係にあるのかという点において可能性と限界を論じていく。

(1)単純な共同体主義に陥らない形での包摂の方法が明示されていない (2)「承認の共同体」が社会運動に接続可能なのか判断材料を提示していない (3)承認の回路を確保することで経済的な再分配の問題が捨象されてしまう危険性が十分に議論されていない

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分析フレームワークの設定

• ホネット(Honneth 2000=2005)は、リベラル・コミュニタリアン論争を検討しながら「共同体」の最小概念を定位

• 本稿では「共同体の成員同士が相互の価値や能力を承認しあう連帯関係」(共同性)と「集団内で共有されている価値」(目的性)として、ホネットが共同体の最小概念として提示した二点の前提を二元図式に当てはめ、分析フレームワークに用いる

共同性

(相互承認)

目的性(社会的承認)

共同体の最小概念

(Honneth 2000=2005)

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研究領域・研究対象の設定

• 「旅する共同体に集う若者たち」

ワーキングホリデー、バックパッカーなど「旅」が社会を覆う閉塞感の「出口」に見えてしまう。(見田 2008) 『ポトスライムの船』(2009年芥川賞):手取り13万円の派遣労働者、29歳独

身が職場の工場で見かけた「地球一周船旅」のポスターを見て、貯金をはじめる話

「新・団体旅行」(「みんなで行く自分ら

しい旅」=「目的性」がありながら「共同性」が担保された旅)の一つであるピースボートに乗る若者たち

「旅」というアクチュアルな領域でありながら、「共同性」と「目的性」の重なる「共同体」であるピースボート

新・団体旅行

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調査手法 • 「クリッパー・パシフィック号でゆく 第62回ピースボート 地球一周の船旅」(以下「62回クルーズ」という)。乗船者は約900名。20代以下が4割程度。

• 本研究の問題関心に従い、30代前半までの若者に限定した調査を実施

• 乗船中(2008年5月14日~2008年9月4日)は毎日フィー

ルドノートによる記録を行い、適時インタビューを行った。それ以降も適時、イベントへの参加や個別のインタビュー調査を行っている。

• 船内で実施した調査票:157名(うち、50代以上が37名)、後期調査では124名(全て30代以下)

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ピースボートに乗る若者たち

• 周辺労働者たちの小休止地点:大企業で働く正社員でもない、ネットカフェ難民でもない「周辺的労働者」たちの小休止地点

• 乗船動機としての「現代的不幸」(小熊 2009):「閉塞感」「空虚感」「リアリティの欠如」といった「現代的不幸」を抱える乗船者。(「専門学校を出て、働いているけど、このまま20代が終わっちゃうのが嫌だった」)

• 1960年代末の若者との違いは、自己の存在確認が政治運動ではなく、「地球一周」という「制度化」された「新・団体旅行」に向かったということ

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ピースボート62回クルーズ

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4つの類型

創設者が夢見たピースボート

共同性

目的性(政治性)

セカイ型(37人)

「セカイヘーワ!」

自分探し型(27人)

「こんなはずじゃなかった…。」

観光型(40人)

「ピラミッドとマチュピチュが楽しみ。」

文化祭型(23人)

「なんだかわからないけど、毎日楽しい!」

※ フィールドノートに基礎データが確認出来た127人を分類

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実際の分類に使った指標

• 「ピースボートの雰囲気への共感の表明」「運動会、夏祭り、自主企画などいずれかの企画へ主催者側として参加」「新聞局など船内ボランティアに積極的に参加」に対して共同性スコアを一点ずつ加点、「憲法9条を考えるなど政治的イベントへの参加」「パレスチナ難民キャンプ滞在ツアーなど政治的・社会的オプションツアーに参加」「政治意識、社会意識の高さを表明」に政治性スコアを一点ずつ加点、逆に「ピースボートの雰囲気への違和感の表明」「イベントへの消極的なコミットメント」「船内ボランティアへの不参加」に共同性スコアを一点ずつ減点、「エンターテイメント系イベントへの参加」「観光への意欲」「政治意識・社会意識がないことを表明」に政治性スコアを一点ずつ減点し、4類型への振り分けを行った。フィールドノートに記録が確認できない場合は加点も減点も行っていない。さらに、政治性スコアがゼロになってしまった場合は、「観光ツアーと非観光系のツアーのどちらに多く行ったか」という指標で前者の場合は政治性に一点加点、後者の場合は一点減点した。同様に共同性スコアがゼロになってしまった場合は、「ピーセンに通っていたかいなかったか」で前者の場合には共同性に一点加点、後者の場合は一点減点した。

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アフターピースボート

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「冷却」装置としてのピースボート

• 「セカイ型」の若者はは帰国後、社会運動にも参加しないし、平和について熱く語る訳でもない。ルームシェアなどによって「共同性」こそ維持しているが、もはやそこに明確な「目的性」は存在しない。

• 一方で共同性にコミット出来なかった「自分探し型」の若者は、帰国後もワーキングホリデー、語学留学、アートイベント、音楽活動など「終わりなき自分探し」を続ける

• ピースボートという「承認の共同体」は、社会運動や政治運動への接続性を担保するどころか、若者たちの希望を「共同性」によって「冷却」(Goffman 1952、竹内 1995)させる機能を持つ

• 「セカイ型」が「冷却」を果たし、「自分探し型」がリターンマッチを行うという事実は、「現代的不幸」が「目的性」の達成という社会的承認ではなく、「共同性」の提供する相互承認によって慰撫できるものであることを示唆

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「承認の共同体」の可能性と限界

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「ポストモダン・コミュニティ」としてのピースボート

• ピースボートは、基礎とすべきものを何も持たず、社会と伝統を拒絶する開放的で流動的な再帰的コミュニティを「ポストモダン・コミュニティ」(Delanty 2010)と類似した性格を持つ

• 「不同意のコミュニティ」(Readings 1996=2000):アガンベン(Agamben 1993)のいう「社会的つながり」のように、共通の事柄を前提にせず、状況によって集合する人びとの連帯の経験として表現されるコミュニティ

• 「ポストモダン・コミュニティ」の持つ一時性と境界的な性質は、通過儀礼論において議論された「過渡期」(Van Gennep 1909=1977)や「リミナリティ(境界性)」(Turner 1974=1981)といった境界的コミュニティと親和性。=「通過儀礼」と性格が近似(日常世界から切り離された空間で、長期間行動を共にする集団。船内での独自のルール。)

• ただし、ターナー(Tunrner 1969=1996)がコミュニタスに期待したような「反構造」 、1970年代にイギリスのバーミンガム派がサブカルチャーに期待したような「儀礼を通じた抵抗」という原理は確認できない

• 「抵抗」の様式が「怒る若者」の時代から、現代は「エクスタシーによってつながる若者」の時代へ(Thornton 1996)へ。

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「反抗」が困難な時代のコミュニティ

• 部族の時代(Maffesoli 1991=1997)においてコミュニタスは、デュルケムのいう「聖」と「俗」の関係には対応せず、社会の秩序を支えるものとはなりえない

• フェスティバルやクラブカルチャーなどは「現代における祝祭」として、安易に通過儀礼論によって解釈するべきではない(上野 2005)。

• 船上で100日間を越える期間を物理的・空間的に共有する「古典的な」共同体であるように見えるピースボートでさえも、「ポストモダン・コミュニティ」と類似した機能しか持ち得ないという事実=現代におけるコミュニティはいかなる方法でなら成立可能かという問い自体の困難性を示している。

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シェルターとしてのコミュニティ

• ただし、ポストモダン・コミュニティは、社会統合の基礎にも、社会運動の母体とも成り得ないが、若者にとってシェルターの役割は果たしうる。バウマン(Bauman 2000=2001: 258)が「クローク型共同体」や「カーニヴァル型共同体」として記述した共同性よりも「重い」共同体

• コンサマトリーなコミュニティ

• ただし、「反構造」に見えるリミナリティが、実は構造の維持に寄与してしまう。山口昌男(1975)の「中心と周縁」論にもあるように、リミナリティはシステムや秩序を解体するように見えながら、根源的な破壊や転覆を避ける装置という意味で「中心」を強化してしまうことがある。

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「居場所」の危険性(安全性)

• ピースボートが作った「居場所」は、社会を変える母体となるどころか、市場を補完する装置として機能している。(安い賃金で助け合いながら暮らす若者たち)

• 最近の若者支援施設やユニオンも「居場所」であることを強調。しかしピースボートのように「居場所」という「共同性」に回収されることで、「目的性」が冷却されてしまう危険性はないのか?

• それは社会にとっては「安全」でもある。日の丸を手に中国大使館の周りに集まる「右傾化」した若者も、一見暴徒のように見える若者も、そこが居場所になってしまえば「目的性」を失ってしまう。

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運動(project)を続けることの難しさ

• ピースボートは「世界平和」という曖昧な理念を掲げることによって成立している団体だった。

• 現代の若者支援活動も、「反貧困」や「居場所作り」という曖昧な目標を掲げる限り、一定の理解は集められる。しかし、それが個別具体的な活動をせざるを得なくなったときに、運動体はバラバラになってしまわないか?

• 考えられるのは、「一部の意志決定者(幹部)」と「その他」を分けること。「幹部」はクールに状況を分析し、あえて曖昧な理念を掲げ続ける。「その他」はその理念に賛同して、その組織を「居場所」としてのみ受容する。

• 「居場所」に回収されない組織のあり方はあるのか?

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結論:「承認の共同体」の可能性と限界

• (1)単純な共同体主義に陥らない形での包摂の方法が明示されていない→ピースボート下船後の若者が象徴的であるように、「共同性」だけを軸にした「目的性」のない共同体が存在し得る。

• (2)「承認の共同体」が社会運動に接続可能なのか判断材料を提示していない→必ずしも社会運動に結びつかず、相互承認はむしろ社会的承認をめぐる闘争を冷却させる機能を持つ。

• (3)承認の回路を確保することで経済的な再分配の問題が捨象されてしまう危険性が十分に議論されていない→「承認の共同体」は分配の正義を補完する装置として機能する。「承認の共同体」は経済的再配分を求める闘争に転化する訳ではない。

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参考文献 • Agamben, Giorgio. (1993) The Coming Community. Minneapolis : University of Minnesota Press.

• Bauman, Zygmunt. (2000) Liquid Modernity. Cambridge: Polity Press. =(2001)森田典正訳『リキッド・モダニティ:液状化する社会』大月書店

• Bauman, Zygmunt. (2001) Community: Seeking Safety in an Insecure World. Cambridge: Policy Press. =(2008)奥井智之訳『コミュニティ : 安全と自由の戦場』筑摩書房

• Bauman, Zygmunt. (2005) Liquid Life. Cambridge,U.K. : Malden, Mass. : Polity Press. =(2008)長谷川啓介訳『リキッド・ライフ : 現代における生の諸相』大月書店

• Bourdieu,Pierre. (1979) La Distinction: Critique Sociale du Jugement. Paris: Editions de Minuit. =(1990)石井洋二郎訳『ディスタンクシオンⅠ : 社会的判断力批判』藤原書店

• Corlett, William. (1989) Community without Unity : a Politics of Derridian Extravagance. Durham : Duke University Press.

• Delanty, Gerard. (2003) Community, London : New York : Routledge =(2006)山之内靖, 伊藤茂訳『コミュニティ : グローバル化と社会理論の変容』NTT出版

• Fraser, Nancy. (1997) Justice Interruptus: Critical Reflections on the "Postsocialist" Condition. New York : London : Routlege.= (2003)仲正昌樹監訳『中断された正義 : 「ポスト社会主義的」条件をめぐる批判的省察』御茶の水書房

• Goffman, Erving. (1952) "On Cooling the Mark Out: Some Aspects of Adaptation to Failture" Psychiatry, 15(4):451-463.

• Honneth, Axel. (2000) Das Andere der Gerechtigkeit. Frankfurt am Main : Suhrkamp . =(2005)加藤泰史・日暮雅夫他訳『正義の他者 : 実践哲学論集』法政大学出版局

• Melucci, Alberto. (1989) Nomad of the Present: Social Movement and Individual Needs in Contemporary Society. Philadelphia: Temple University Press. =(1997)山之内靖他訳『現代に生きる遊牧民:新しい公共空間の創出に向けて』岩波書店

• Maffesoli, Michel. (1991) Le Temps des Tribus : Le Declin de l'individualisme Dans les Societes de Masse. Paris : Meridiens Klincksieck. =(1997)『小集団の時代 : 大衆社会における個人主義の衰退』法政大学出版局

• Petersen, Anders and Willig, Rasmus. (2002) “An Interview with Axel Honneth: The Role of Sociology in the Theory of Recognition,” European Journal of Social Theory 5(2)

• Readings, Bill. (1994) The Cniversity in Ruins. Cambridge: Harvard University Press.=(2000)青木健・斎藤信平訳『廃墟のなかの大学』法政大学出版局

• Thornton, Sarah. (1996) Club Culture: Music, Media and Subcultural Capital. Middletown: Wesleyan University Press.

• Turner, Victor. (1969) The Ritual Process : Structure and Anti-structure. London : Routledge & K. Paul. =(1996)冨倉光雄訳『儀礼の過程』新思索社

• Turner, Victor. (1974) Dramas, Fields, and Metaphors: Symbolic Action in Human Society. Ithaca [N.Y.] : Cornell University Press. =(1981)梶原景昭訳『象徴と社会』紀伊国屋書店

• Young, Jock. (2007) The Vertigo of Late Modernity. London: Sage Publications. =(2008)木下ちがや他訳『後期近代の眩暈 : 排除から過剰包摂へ』青土社

• 上野俊哉(2005)『アーバン・トライバル・スタディーズ: パーティ、クラブ文化の社会学』月曜社

• 小熊英二(2009a)『1968【上】:若者たちの叛乱とその背景』新曜社

• 小熊英二(2009b)『1968【下】:叛乱の終焉とその遺産』新曜社

• 樫村愛子(2003)『「心理学化する社会」の臨床社会学』世織書房

• 樫村愛子(2007)『ネオリベラリズムの精神分析:なぜ伝統や文化が求められるのか』光文社新書

• 鈴木謙介(2008)『サブカル・ニッポンの新自由主義:既得権益批判が若者を追い込む』ちくま新書

• 土井隆義(2003)『<非行少年>の消滅 : 個性神話と少年犯罪』信山社出版

• 中西新太郎(2004)『若者たちに何が起こっているのか』花伝社

• 中西新太郎(2008)「1995年から始まる」中西新太郎編『1995年:未了の問題圏』大月書店

• 見田宗介(2008)「リアリティに飢える人々」『朝日新聞』2008年12月31日朝刊

• 山口昌男(1975)『文化と両義性』岩波書店

• 山田昌弘(2004)『希望格差社会: 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』筑摩書房

• 山田真茂留(2000)「若者文化の析出と融解:文化志向の終焉と関係嗜好の高揚」宮島喬編『講座社会学7 文化』東京大学出版会